ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
グレ・ブラウエンステイン:S
緊急事態宣言の九月が終わりに近づいています。そういえばここ二カ月くらいは全くアルコール類を口にしていないことに気が付きました。馴染みの飲食店の中には冷蔵庫を入れ替えたり移転するところもあり、前者はともかく後者のような例や閉店もあり、死者が出なかった世帯でもコロナ禍の傷は深いと改めて思いました(決してさざ波ではない)。
クリュイタンスとベルリン・フィルの第九、今月初めの第1番を念頭に置いていたので冒頭のゆったりと、厳粛な演奏がちょっと意外でした。第2楽章でようやく本領発揮?といった印象で、第1楽章は壮大な序章のように感じられました。第3楽章もゆったりと、たっぷり歌わせるタイプです。第4楽章は冒頭から通常のというか、あれっ?と思わない慣れ親しんだ第九という印象ですが、全楽章を通して聴くと何となく田園交響曲に似たものを感じます。フルトヴェングラー指揮の田園の中には第1楽章がやたら重く遅いのがあったと思いますが(あまり好きじゃないので滅多に聴かない)、それらに通じるところがありそうです。
演奏時間をみると72分を超えていて、この後に同じくベルリン・フィルを指揮した第九とは5分以上差が出ています。第2楽章が短い、速目なのに対して第3楽章が長いというバランスはよくあるパターンで、特徴的なのは第1楽章の長さです。第4楽章もやや長目くらいです。第1楽章の長さ、全体の長さという点ではセッション録音ではないけれどフルトヴェングラーの多数の録音の中にこれを超えているものがありました。
ベルリン・フィルとベルリンで第九をレコーディングするのに独唱者が全員ドイツ語圏の出身ではなく、ブラウエンステインは阿蘭陀、メイエルとゲッタは共に瑞典(漢字変換でこの字が出た)、ガスリーが亜米利加とばらばらです。シューリヒトとパリ音楽院管弦楽団の時はドイツ人が揃っているのと対照的です。しかしバスのガスリーは、ドイツ語発音がどうなのかは別にして、立派な独唱だと思いました。