raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

モーツァルトSym.31~36

14 1月

モーツァルトのリンツ交響曲 スウィトナー・SKD/1968年

230114aモーツァルト 交響曲 第36番 ハ長調 K.425「リンツ」

オトマール・スウィトナー 指揮
シュターツカペレ・ドレスデン

(1968年5月18-19日 ドレスデン,ルカ教会 録音 Berlin Classics/tower records)

 正月明けの1月5日頃、痰が絡んだような咳が出て、ついに来たかコロナ!、と思ったけれどいく日経っても平熱のままで、内科では発熱外来は不要、通常時間にどうぞと言われて非コロナの診断を受けましたが、念のため検査キットを買って試したらやはり陰性でした。精度の問題はあるとしても、一応は大丈夫のようです。ところで人手不足と言われて久しい介護福祉の分野では訪問入浴やヘルパー等はだいたい12月30日までで正月は4日から再開というスケジュールです。昨年一年間でつくづく実感したのは介護、医療共に人手、予算が全然充分じゃないのではということで、新型コロナの緊急事態宣言が出ていた期間はさらに過酷だったと思いました。一時期「医療崩壊じゃない」とか血相変えて言い争いしていたところがありましたが、正直、言葉、言い方で糊塗できるような話ではないでしょう。

 気を取り直してモーツァルトのリンツ交響曲、このスウィトナーとSKDのSACDは先月に思い出したように購入して聴いていました。交響曲第28~36番と第39-41番をまとめた4枚組の3枚目にハフナー、リンツ、プラハが入っています。その3枚目の中で一番感慨深かったのがリンツでした。
スウィトナーは1960年から1990年までと長きにわたってベルリン国立歌劇場の音楽監督を務めていました。その割にレコーディングしたオペラの全曲盤はそれ程多くは無くて、R.シュトラウスのサロメやモーツアルトの魔笛、後宮、コジ、フィガロ(独語歌唱)くらいです。そのモーツァルトはちょっと軽快過ぎるのじゃないかという印象がありましたが、少なくとも今回のリンツは絶妙に思えました。
 
 絶妙だとか、そんなのは好み、主観そのものですが同じ一枚に入っているハフナーの方は速過ぎ、強弱アクセント強すぎと違和感を覚えたので、リンツはそんな印象じゃないのは確かです。リンツ交響曲は自分が中学生の頃にクレンペラーの一枚1500円のLPにハフナー交響曲とあわせて入っていたのを購入して聴いたのが最初の縁でした(それ以前にもFMラジオで聴いていたかもしれませんが)。その時の印象が後年まで影響しているのでしょう。ただ、
スウィトナーの場合は聴いていて快適な心地だけれど、セレナーデとかの延長という印象はついて回ります(オペラも/それでいいか)。

 作品解説によればハフナーよりも質の高い交響曲という位置付けのようですが、昔から個人的にはハフナーの方が好きでした。モーツァルトの6大交響曲と最近は言わないのか、地元のオーケストラの定期でもみかけなくなりました。それにしても老人介護食の残りを食べたりしていると、それに慣れて特に何が食べたいとかの意欲がどんどん薄れてきました。この年末年始、Kめだのカレーせん、Cルビーのポテチが妙に美味く感じました。
12 10月

モーツァルトのハフナー交響曲 クリップス、ACO/1972年

191012モーツァルト 交響曲 第35番 ニ長調 K.385「ハフナー」

ヨーゼフ・クリップス 指揮
アムステルダム・コンセルトヘボウ(ロイヤル・コンセルトヘボウ)管弦楽団

(1972年6月 アムステルダム 録音 Philips)

191012a 昨日は京響の十月定期が予定通り行われました。一回のみの公演なので結果的に台風による交通機関の計画運休の心配もなく済みました。ついでに12月の第九、1月定期のチケットも買いましたが第九の方はいつもの二階の定位置が既に売り切れだったので三階にしました。それにしてもプログラム後半のブルックナー第4番は全く素晴らしくて、この曲に対する愛着が増し加わりました。コンクリートの護岸工事によって直線的、単調になったようなブルックナーじゃなくて、木立も下草も生い茂って全体的に潤いが豊かな美しい第4番でした。個人的にはこれまでこの曲を聴いていると「長い」と感じることが多かったのに昨夜はそうではありませんでした。プログラムには70分程度と書いてあったので、先日のCDのようなタイプの演奏ではなく、終楽章の高揚感も充分でした。新国立他への客演してきたワイケルトさん、ブルックナーの全曲録音を手掛けてみてはどうかと思ったくらいでした。

 ヨーゼフ・クリップスのモーツァルト交響曲選集は何度かCDされ、今でも一定の人気を保っているようです。個人的には第25~34番あたりが特に気に入っていて、CDを大量処分後にやっぱり聴かずにはおれなくなり買い直していました。ハフナー交響曲も良い意味で力が抜けて穏やかで美しい演奏です。この曲もクレンペラーのEMI盤が頭の中に浸透しているので、ついその断片を思い出しますが、低弦が付き上げてくるように力強く聴こえたクレンペラーに比べると、クリップスはそこまでは目立たずに控え目です。昨日の公演で聴いたハフナーもクリップスに近いタイプだと思いました。

クリップス・ACO/1972年
①5分40②4分54③3分15④4分10 計17分59
クレンペラー・PO/1960年
①5分47②4分57③3分13④4分10 計18分07

 クリップスの選集は彼の晩年(クレンペラーより17年程若いのに早く亡くなっている)の録音のためか、端正で妙な癖のようなものが無いようで、また、濃厚なロマン派風でもない独特なバランスだと思います。もう少し古い年代の録音だったたまた違っているのかとも思います。クリップスはウィーンで育った生粋のウィーンの音楽家なのにウィーンフィルの団員らからあまり尊敬を得ていなかったそうで、この選集も一部でもウィーン・フィルと録音していればと思えてきます。
 
 ところで昨夜のプレトークの中で、モーツァルトがハフナー交響曲の終楽章をどれだけ速く演奏するかが肝要だと手紙で言及していたということがありましたが、クレンペラーとクリップスも終楽章は同じトラックタイムでした。それに聴いた印象が違う程には演奏時間に差が出ていません(リピートの実行とかも同じなのか)。
6 2月

クレンペラーとロスPOのハフナー交響曲/1939年

190207bモーツアルト 交響曲 第35番 ニ長調 K.385

オットー=クレンペラー 指揮 
ロサンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団

(1939年1月1日 ロサンジェルス 録音 SYMPOJIUM)

190207a 今晩の帰宅途中、京阪電車に乗っていると布製手提げカバンに般若心経とひらがなのふりがなが書かれたものを持った人がいました。東南アジアの人かどうか分からず、僧侶でもなさそうですが、こんなデザインは初めて見ました。どこかのお寺で売っているのか、オーダーメイドなのか真面目な筆跡に見えました。そういえば線香の中に「仏現香」というのがあって、火を点けて燃焼するにつれて灰になった白い部分に仏像と経文が見えるというものでした。宗派によって経文が違うものが用意されている念の入れようなので般若心経鞄があっても不思議ではないところです。

 ナチス政権から逃れてアメリカへ移住したクレンペラーはピッツバーグ交響楽団を再建したり、ニューヨークでも指揮した他、ロサンジェルス・フィルの音楽監督を務めました。しかしそのポストも1939年に脳腫瘍とその後の後遺症によって失うことになりました。このLPはシンポジウム・レコードというレーベルから出ていたもので、クレンペラーのロスフィル時代の演奏を記録したものの一つです。録音データが1939年1月1日となっているので脳腫瘍で倒れる前、ロスフィル時代の最後のシーズンくらいにあたります。A面にモーツァルトのハフナー交響曲、B面がベルリオーズのベンヴェヌート・チェッリーニ序曲、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲 
」が収録されています。

クレンペラー・ロスPO/1939年
①4分48②4分34③2分44④3分35 計15分41
クレンペラー・PO/1960年
①5分47②4分57③3分13④4分10 計18分07

 クレンペラーはEMIヘハフナー交響曲を二十年以上後にセッション録音していました。演奏時間はそれよりも短いものですが、聴いた印象は極端に速い、いびつなものではなくて既にEMIの時と同じようなスタイルになっています。両端楽章が幾分豪胆でちからがこもっていますがその分中間楽章、とくに第2楽章が優美な美しさなのでちょっと驚かされます。同じくロスフィルの演奏でも「こうもり序曲」なんかは、もっと力まかせで速い演奏なのでそれを念頭に置いているとちょっと驚きます。

 音質はパチパチのノイズが目立ち、さすがに演奏の隅々まで鑑賞でき難いくらいですが弦楽器はそこそこきれいに聴こえています。このシリーズのLPは今ではそこそこ値上がりしていて、状態の良い物なら一万円前後で売っているのも見られます(さすがにクレンペラーのLPは処分していなかった)。新譜の状態で買った1980年代にはそんな高価じゃなかったはずです。レコード針・カートリッジにもモノラル用のものがあるので、それを付けて聴けばさらに聴き易いかもしれませんがこのレコードに限ってはそうしても大して変わらなさそうです。
19 9月

モーツァルト交響曲第35番「ハフナー」 テイト、ECO/1984年

180919bモーツアルト 交響曲 第35番 ニ長調 K.385

ジェフリー=テイト 指揮 
イギリス室内管弦楽団

(1984年 ロンドン,ヘンリー・ウッドホール 録音EMI)

 先日の16日のびわ湖ホールでの「ドン・ジョヴァンニ」、開演の一時間以上前に会場に着いたので、途中の京津線の電車内で楽器を持った人を何人か見かけました。オーケストラは大阪交響楽団で公演の二日目なので、それくらいの時間に会場入りで大丈夫ということなのでしょう。楽器を持った人の中にはかなり若い人も居て、どう見ても十代でしたがその人は公演で弾いているのではないのでしょう(ただ、帰りの電車内でも見た)。終演後も印象に残る公演で、あと何回か視聴したいところですが常設のオペラ・ハウスというわけじゃないので残念でした。あと、会場は中ホールだったので手洗いや、軽食コーナーの込み具合もまだましでした。

 前回のショルティ指揮の「ドン・ジョヴァンニ」ではジェフリー・テイト(Jeffrey Tate CBE, 1943年4月28日 - 2017年6月2日)
がチェンバロを弾いていました。彼のプロフィールを見ると1970年に医学の道を断念したとあり、以後ショルティやカラヤン、ブーレーズの助手を務めていたのでショルティのレコード録音でレチタティーヴォのチェンバロを弾いていても不思議ではなかったわけです(ショルティのフィガロの時も同じことを書いていたかも)。とにかくそのドン・ジョヴァンニから六年後にこれを録音しています。

テイト・ECO/1984年
①6分15②7分07③3分17④4分13 計20分52
レヴァイン・VPO/1987年
①5分25②9分16③4分18④3分37 計22分36

180919a テイトのモーツァルトは基本的に好きなのでこの全集箱を最初に聴いた時、25番以降を順に聴いた際にハフナーも期待したのに、どうも今一つな印象でした。それから今年に入ってから何度か聴いてもやっぱり似た印象でした。それはどうもゆったりし過ぎという感覚で、テイトの指揮する古典派のレパートリーはもう少し緊迫感があったはずなので、どうも抑え気味に聴こえました。録音年が近いレヴァインとウィーン・フィルの録音とトラックタイムを比べると、合計で大した違いではないとしても各楽章がジグザクに両者が交互に長くなっています。もっともリピートの有無の差もあると思いますが、テイトはどの楽章も速いとは思いませんでした。

 テイトの全集の録音データを見ると会場が何種類かあり、EMIのスタジオで演奏、録音している曲もあればこの曲のようにヘンリー・ウッドホールの場合もありました。あと、テイトはピアノ協奏曲(内田光子がピアノ)も全曲録音していて、そちらはレーベルが違うのでで音も違っています(多分そうだったと思う)。たしか、このモーツァルトを聴いた時は弦の音があまり良くない、鉄板を入りでひっかいて引っ張るような音に似ているというマイナスのイメージでした。今回のハフナーはそれともちょっと違い、残響も含んだわずかにこもり気味といった感じです。
19 1月

モーツァルト交響曲 第33番 クリップス、ACO/1973年

180118bモーツァルト 交響曲 第33番 変ロ長調 K.319

ヨゼフ・クリップス
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

(1973年9月 録音 旧Philips)

  先月のある朝、普段は通勤で使わない駅、「神宮丸太町」で下車して鴨川沿いを歩いていると口ばしとその周りくらいが白く、顔は黒い水鳥(体長が30~40センチくらい)が何羽か居ました。見慣れない鳥なので調べると「オオバン」という鶴の仲間の鳥でした。ユーラシア大陸北部から越冬のために日本にも飛来するらしく、近年はびわ湖畔で急激に数が増えているそうです(平成27年には6万羽以上観測されている)。この鳥、一応絶滅危惧種になっていて中国で越冬していたのが環境変化のためびわ湖に来るようになったとされています。何気なく通り過ぎているところで立ち止まると、スズメ、ハトだけでなくけっこうな種類の野鳥が居るのに気が付きます。「オオバン」と勝手に断定してますが、写真を撮ったわけじゃなく、別人ならぬ別鳥かもしれません。

180118a モーツァルトの交響曲で第35番以降は後期の六大シンフォニーとかでレコード、CDは多いですが(最近はモーツァルトの交響曲・新譜は下火か?)、第33、34番はタイトルもないのでちょっと地味です。自分の場合は両曲が一枚のLPに入ったクレンペラーのEMI盤があったので1980年代半ばから気になる作品でした。そのクレンペラーと対極的なモーツァルト演奏ながら自分が気に入っているのがヨゼフ・クリップス晩年のPhilips盤でした。はじめて聴いたのはCD化されたフィリップスの廉価盤で、確か25番から31番くらいまでだった覚えがあり、弾むようリズム感と端正(くずしていないような)さが魅力だと思っていました。

 改めて第33番を聴いていると全く優雅で、先日のセルのセッション録音とも違うスタイルだと思いました。クリップスのモーツァルト交響曲はウィーンPOと録音することはできなかったものかと、初めて聴いた時は思いましたがACOも立派なのでこれでいいかと思っています(そういえばレヴァインはウィーンPOと全集を録音できたのだからクリップスもセルも可能じゃなかったのか??)。

 クリップスはウィーン育ちで生粋のウィーンの音楽家なのに、色々なエピソードによるとウィーンフィルの団員からはあまり尊敬されていない風でした。ナチ時代やその後の困難な時代を支えた人物なのに、何かにつけてモーツァルトだけを引き合いにだしたりする言動のおかげで知的ではないと軽んじられているような書かれ方は意外でした(近親憎悪的な感情なのか)。ついでにベートーヴェンの交響曲全集もウィーンPOではなくてロンドンSOだったので、そうしたエピソードの内容はある程度本当なのかもしれません。
 
4 1月

モーツアルト交響曲 第33番 セル、クリーヴランドO

1804モーツアルト 交響曲 第33番 変ロ長調 K.319

ジョージ・セル 指揮
クリーヴランド管弦楽団

(1962年10月26日 クリーヴランド,セヴェランス・ホール 録音 Sony Classical)

 昨年末から今年にかけての年越し、正月はかつてない程特別感がなく、大みそかは22:00頃には就寝して一切テレビも観ず仕舞いでした。12月31日に「ラジオマン・ジャック」、正月二日の午前に「新春狂言」をそれぞれNHK/FMラジオでを聴いている時(寝転んで)がなんか解放されてしみじみ正月休み感をかみしめました。「ラジオマン・ジャック」は毎週土曜の16:00から18:00まで放送しているDJ番組なので 車の中で部分的に聴くことがある程度でしたが、大晦日スペシャルで聴くとそもそもどんな番組だったのか分かってきました(ひとりカラオケ店、二休さんといったコントものもある)。“ Zurück vom Ring ! ” それにしても録音したバイロイトの指環をフォーマットで消してしまったのはあきらめきれない思いなので、簡単なデータ復元ソフトを試したところサイズの全然足らないファイルが検出されたのみでした。

セル・CLO/1962年
①6分11②5分47③2分52④4分04 計18分54
クレンペラー・ニューPO/1965年
①7分38②5分47③2分53④6分41 計22分59

 昨夜のニューイヤー・オペラはモーツァルトを何曲も演奏していたので、気分を変えてモーツァルトの交響曲を聴きました。交響曲第33番は作曲者のザルツブルク時代の末、パリへ行き、そこで母が亡くなり、挫折も経験して故郷へ戻ってきた頃の作品です。第33番と34番はクレンペラーのLPで聴いて以来結構気に入って時々聴きたくなる作品でした。セルのモーツァルトはハフナーや第40、41番を聴いて以来好きでしたが、セル指揮によるこの曲を聴くのは多分初めてです。楽器編成が少なく室内交響曲的な第33番でも堂々として、ロココ調な華奢な造形を感じさせないスタイルです。トラックタイムの中間二楽章がクレンペラーと近似しているのが面白い傾向です。

 セルとクリーヴランド管弦楽団のレコードの中でモーツァルトがどれくらいの評判、人気だったのか覚えがありません。「名曲名盤500(レコ芸編)」の最新版ではちょうどこのCDが復刻された時期が近かったのか、セルが8点を得てガーディナーと一位を分け合っていました。第35、39-41番よりも高得点、上位ランクなので第33番は特に出来が良いという受け止められ方のようです(微妙な作品だから競合録音も減っていることもあってか)。

 セルとクリーヴランド管弦楽団は大阪万博の年に来日した際、カラヤンのリハーサル場に出向いてカラヤンが恭しく出迎える逸話を残しました。その大阪での公演はオベロン序曲、シベリウスの交響曲第2番とモーツァルトのト短調交響曲K.550を演奏しています。このCD付属冊子にはその時のモーツァルトのことが載っています。その解説の西村弘治氏は公演を聴いた当時、セルにインタビューして「はるかに高い完成度」と賛辞を贈られていましたが、セルがステレオ・セッション録音したモーツァルトの交響曲は案外少なくて、第28、33、35番と第39~41番の六曲でした。プラハは?、リンツは?、第25、29番は?と言いたいところで少なくとも前二曲は後期六大曲としてまとめて録音することが多かったので意外です。
27 12月

モーツァルト交響曲第34番 レヴァイン、ウィーンPO

171227bモーツァルト 交響曲 第34番 ハ長調 K.338

ジェイムズ・レヴァイン 指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(ウィーン,ムジークフェラインザール 録音 DG)

 今週からラジオも休暇モードに入り、NHK・FMの朝も特番の「トスカニーニ変奏曲」が始まりました。車の中で聴いただけですがお馴染みの音源が流れ、中でもリハーサルを録音したものもありました。メモリアル年だからトスカニーニ特集ならそのうちに「クレンペラー狂詩曲」も制作、放送して欲しいものです。それにしても、長期休暇の人なのか京都市役所前の地下駐車場に杉並とか富士山ナンバー等、東方の車を多数見かけます(後者のナンバーはなんか見ることが出来てラッキーな感じがした)。

171227a レヴァインは腰痛のために新演出の指環を降板したというのは何年も前でしたが、その他何かエロ系の不祥事のニュースもあったはずです。まだ引退はしていないとしても急にかげが薄くなりました。そこでレヴァインがRCAレーベルからDGへ移籍直後に取り掛かったというモーツァルトの交響曲集から第34番を聴きました。レヴァインにしてもマリナーにしても過去に聴いたけれど特に何もコメントする気にならずにブログに登場しなかったことが何度もありました。モーツァルトの交響曲の場合この録音、この演奏家で聴きたいと固定しているものが少なくて、クレンペラー以外ではクリップス、カザルス、セル、テイトとブリュッヘンくらい(古い、進歩が無い)でした。

 そうした個人の好みとは別に、そもそも本場ではどういう作品として受けとめられてきたのかという興味もあり、その意味でウィーン・フィルのまとまった録音には関心がありました。ベームの全集はてっきりウィーン・フィルだと思っていたらベルリンだったので、レヴァインが1980年代半ばから開始した全集は貴重でした(レヴァイン以後にウィーン・フィルのモーツァルト交響曲全集はあったか??)。

 何度か聴いていると自分がクレンペラーのEMI盤で記憶している作品のイメージとは違い、優雅できゃしゃな印象で戸惑います。先日のP.マークでさえ多少はそんな感じがするのでこっちの方が本来この交響曲として知られて来た姿、響きなのだろうと思いました。そこで(という程の指針でもなし)、最新版の「名曲名盤500(レコ芸編)」で交響曲第34番の箇所を見ると、セル(RCO/1966年)、ブリュッヘン(1991年)、クレンペラー(PO/1963年)がその順番に第1~3位となっていて、思いのほか古い録音が並んでいるのに感心しました。選者の年齢によるところが大きいとしても、今世紀に入ってからの録音が少ないのはモーツァルトの交響曲の人気が下がっているのかもと思いました。
20 12月

モーツァルト交響曲第34番 マーク、パドヴァ・ヴェネトO

171219モーツアルト 交響曲 第34番 ハ長調 K.338

ペーター・マーク 指揮
パドヴァ・ヴェネト管弦楽団


(1997年 パドヴァ,ポリーニ・オーディトリアム 録音 東武ランドシステム)

 先週FMで放送された2017年のバイロイト音楽祭を録音するためにTVアンテナのケーブルをチューナーに差し替えたのでずっとテレビが映らない状態でした。放送が終わったのだから戻せばいいところをテレビ無しに妙に慣れたのでそのままにしています。今年は大河ドラマも全く観ていないので、欠かさずみる番組がなくなりました。二年目を迎えたプロ・バスケットリーグは観たいと思いながら地上波では滅多に放送されないのでこのままTV無しが続きそうです。

 CDが売れなくなったと言われて久しい状態で、日本はまだクラシックの市場が一応あるのが凄いとか言われていましたが、モーツァルトの交響曲の新譜というのをめっきり見なくなったと、どうでもいいことながらそんな気がしました。ジュピターとか第40番あたりはまだオーケストラの定期公演でも演奏される??はずなので国内盤新譜がありそうなものなので記憶をたどっても全集ものもあったかどうか。そんな中で復刻されていたのが今回のペーター・マークとイタリアのパドヴァ・ヴェネト管弦楽団のモーツァルト交響曲集です。これは最初は赤か朱色が多いジャケットのARTとかいう名前のレーベルから一枚ずつ出ていて、ベートーヴェンの交響曲もあり、モーツァルトの方を結構気に入っていました。

 引っ越しに伴う大量処分(大半は結局買い戻したことになる)の時に手放したので昨年末くらいに購入していました。一番最初に聴いたのがこの第34番でしたが記憶に残る演奏とちょっと違い、「あれ?ここまで雑な感じだったか??」と多少がっかりしたので以後聴いていませんでした。最近カーナビに差し込んで聴けるSDカードに空きがかなりあったのでこの録音集をコピーしながら聴いていて、やっぱり昔聴いた通り(同じ音源だから当たり前だ)だと思えてきたので屋内でも聴きなおしていました。

 日本語帯にはフルトヴェングラー以来の劇的で濃厚な演奏という意味の賛辞が載っています。20世紀の末に録音されていながら確かにピリオド奏法を意識しないスタイルで爽快でした。マークのモーツァルトはスイスロマンド管弦楽団と何曲かは旧録音があったのでかえってそっちが気になってきました。ふるい録音だったらもっと遠慮無しに、自由に演奏してそうなのでそう思いました。
11 5月

クレンペラー、フィルハーモニアO モーツァルトのパリ交響曲

160511bモーツァルト 交響曲 第31番 ニ長調 K.297 (300a)

オットー=クレンペラー 指揮
フィルハーモニア管弦楽団

(1963年10月 ロンドン,アビー・ロード・スタジオ 録音 EMI)

 モーツァルトの交響曲第31番、通称パリ交響曲は「のだめカンタービレ」のパリ篇にも登場しましたが、後期の6曲や第25番程は目立たずに、特に最近はこれといって新録音があったかどうかすぐには思い出せないくらいです。パリ交響曲は1778年にパリの演奏団体コンセール・スピリチュエルの支配人ジャン・ル・グロからの依頼によって作曲され、1778年6月18日に同アンサンブルによって初演されて大成功をおさめました。

 クレンペラーがEMIへ録音したモーツァルトの交響曲の中にはそれ一回だけの録音だったり、ライヴ録音が見つかって(出て)いない曲もありました。第31番もその一つでしたが、LPからCDに移行する直前期に一枚当り1,500円のLP、「クレンペラーの芸術」シリーズでまだ出回っていました。そのおかげで購入することが出来て頻繁に聴いていました。クレンペラーのモーツァルトでは第40番と41番以外はそのシリーズに含まれていました。ちなみにクレンペラーのベートーベンも同じ1,500円のシリーズでしたが、現在ではクレンペラーのレパートリーではモーツァルトよりもベートーベンの方がかなり注目されているのでその扱いは意外です(個人的にはどっちも素晴らしい、むしろモーツァルトの方が取り換えがきかないと思っていた)。

交響曲 第31番 ニ長調 K.297 (300a)
第1楽章.Allegro assai ニ長調
第2楽章.Andante ト長調
第3楽章.Allegro ニ長調

160511a 久しぶりにこれを聴いたところ、記憶に残っていた演奏よりもゆったりとした演奏だったのに感心しました。同じクレンペラーによるモーツァルトの交響曲第25番のような演奏だと思っていたのでいつのまにそういう記憶に変質したのかと思いました。ただ、第31番の録音年月日を見ればニュー・フィルハーモニア管弦楽団(レッグが解散を宣言して自主運営となる)に改名する直前の頃なので、少なくともセッション録音では遅めの演奏が大半だったので、やはり元々こういう感じだったということです。クレンペラーは、20世紀初頭にはあまり評価されていなかった歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」をはじめモーツァルト作品をかなり特別視し(芸術的に質が高いと見ていた)、娯楽的なものと同じように扱われるの喜ばないふしがありました。ドン・ジョヴァンニに対する解説等でもそれがあらわれています。だからセレナーデやパリ交響曲のような曲でも、作曲当時のサロンなんかの色をそぎ落とすような演奏になったのだろうと想像できます(良くも悪くも)。

 そういうことを書いたところでセルの指揮するモーツァルトとそれに関わる「アスパラガスにチョコレートを付けるやつがいるのか」という言葉を思い出します。セルのモーツァルトに対する批評、「素っ気無さ過ぎる」という指摘はクレンペラーにも当てはまらないのか、あるいは更によくあてはまるのじゃないかとも思えます。しかしそもそも「アスパラガスにチョコレート」の話もネタ元は何か分からず、今ではクックパッドにはアスパラガスのスイーツが沢山載っているのであまり意味もなさそうです。
3 2月

ティントナーのハフナー交響曲 シンフォニーノヴァ・スコシア

150203aモーツアルト 交響曲 第35番 ニ長調 K.385


ゲオルク・ティントナー 指揮
シンフォニー・ノヴァ・スコシア


(1991年3月20日 ライヴ録音 Naxos)

 2010年2月に開始したこのブログはそろそろ丸五年が経過しようとしています。夏休みの日記や何かの観察日記も続いたためしがないのによく今まで続いたものです。そろそろ本当にネタが無くなって来ましたが、手を動かしていないと寂しい気もするのでもう少し続けてみるつもりです。昨日医院の待合で月刊サライを見ているとドナルド・キーン氏のCDレヴューが出ていました。マリア・カラスがロンドンでのノルマに出演した古いライヴ音源について、その公演を客席で観たので凄さがよく分かると書いてありました。今でも年間10公演くらいは観ているそうで健啖家ではなく何と言えばいいのだろうと思いました。実際オーケストラの公演でも長く座席に座っていると疲れてきて、事前に予約するのをためらいがちです。その記事を見て今日、3月のびわこホールで行われるオテロの初日(といっても2日公演だが)を予約しました。

 最近ゲオルク・ティントナーが指揮した古い音源がCD化され、その解説冊子に彼がロンドンでモーツァルトの魔笛を指揮して音楽学者のピーター・ヘイワーズに絶賛されたという記述がありました。ヘイワーズはクレンペラーの研究者としても知られ、「クレンペラーとの対話」の聞き手を務めるという忍耐深い面も持ち合わせていました。そのヘイワーズが絶賛するということは、ティントナーのモーツァルト演奏は似ていないとしてもどこかクレンペラーに通じる要素があるかもしれないと思います。それでクレンペラーのモーツァルト録音の中で最初に好きになったハフナー交響曲を聴きました。

交響曲第35番 ニ長調 K.385
第1楽章:Allegro con spirito ニ長調
第2楽章:Andante ト長調
第3楽章:Menuetto ニ長調
第4楽章:Presto ニ長調

150203b このCDはティントナーの没後、好評だったブルックナー以外のレパートリーの未発表音源を集めたシリーズの第1集です。モーツァルトの交響曲第31番、第35番、第40番を収録しています。それぞれ別の機会のライヴ音源であり、どれも素晴らしいと思いましたが第35番を聴いていると特徴がよく分かる気がしました。下記はクレンペラー指揮、フィルハーモニア管弦楽団のEMI盤と併せてトラックタイムを列記しました。第2楽章の差はリピート有無によるもだと思います。それ以外の楽章はあまり差は出ていませんが、クレンペラーよりもかなりゆっくり演奏しているように感じられます。聴いた印象ではクレンペラーよりもヨゼフ・クリップス(ACO)の録音と似た感触で、適度にちからが抜けて自然な流れが静かに感動的です。それでも終楽章はクレンペラーとも似た呼吸だと思いました。ともかく、これを聴いているとヘイワーズが激賞してというのも納得できました。

ティントナー/1991年
①5分54②9分45③3分00④4分07 計22分46

クレンペラー・PO/1960年
①5分47②4分57③3分13④4分10 計18分07

 シンフォニー・ノヴァ・スコシアという名前はこのCD以外では見たことのない名前なのでアマチュア団体?と思いましたがそうではなく、カナダのケベック市東部で1983年に37名で設立された団体です。後に合唱団も併設されたようです。ハフナーの終楽章を聴いているとあまり巧いという感じではく、別の会場でセッション録音したものを聴きたい気がしました。他の指揮者と録音があるのかもしれませんが最近でもあまり名前を見かけません。このオケと演奏、録音するのがティントナーの主導だったのかどうか分かりませんが、フランス語圏の小編成の団体と演奏しているのは興味深いものがありました。

5 12月

リンツ交響曲 ワルター、コロンビアSO・1955年モノラル録音

141205aモーツァルト 交響曲 第36番 ハ長調 K.425 「リンツ」


ブルーノ・ワルター 指揮
コロンビア交響楽団


(1955年4月26,28日 録音 SONY)

 街路上の銀杏の葉はまだ残っていますが山の方はそろそろ冬枯れの様相になっています。今日の午後、左京区の静市から大原へ抜けて市街地の方へ帰る途中で車内に外気温が低下しているという警告が表示され、よく見ると3℃を表示していました。幸いまだ雪も降っていなかったので走行に問題はありませんでした。軒先に柿を吊るしている家があり、こういう風景は平成になろうが変わらないと思って見ていました(干し柿は好きじゃないけど)。自分の小学生時代はそろそろタコ揚げ(ゲイラカイト)をしたものですが、今日賀茂川沿いに北上していても全くタコは見られず、そもそも外で遊んでいる子供はほとんど見かけませんでした(なんとかミクスの効果もこういう面では関係無し)。

 ブルーノ・ワルターのモーツァルトはステレオ録音の方、戦前の録音とかの方が有名かもしれませんが、ニューヨーク・フィルやコロンビアSOとのモノラル録音も魅力的です。個人的にはベートーベンやブラームスはステレオ再録音の方が良いと思いますが、モーツァルトはモノラル録音の方が気に入っています。特に交響曲第38番は素晴らしいと思います。なお、モノラル録音の「コロンビア交響楽団」は、ニューヨーク・フィル、メトロポリタン歌劇場管、NBC交響楽団の楽員から構成されたレコーディング用のオーケストラです。ステレオ録音の方の「コロンビア交響楽団」は、ロサンジェルス・フィルのメンバーやハリウッドの映画スタジオの音楽家などを中心にワルターの指揮をステレオ録音で残すために編成されたものでした。

 改めて聴いてみるとややこもったような音が気になりますが、演奏自体は伸びやかで、編成のためか雄大さも感じられます。モノラルのプラハ交響曲のような奔放さは後退しているようですが、それでも自由な空気にあふれています。これを聴いていると先日のカイルベルトの几帳面さが思い出されます(対照的)。

ワルター・コロンビアSO(1955年)
①07分52②08分44③04分23④05分15 計26分14

クレンペラー・PO(1956 or 1960年)
①09分52②06分36③03分10④07分13 計26分51
カザルス/プエルト・リコ(1959年)
①10分13②09分55③03分45④06分02 計29分55
クリップス・ACO(1972年)
①11分15②08分17③03分41④08分27 計31分40
カイルベルト・バンベルクSO(1963年)
①06分59②06分09③03分09④05分42 計21分59

141205 上記のトラックタイムのようにワルターのリンツは合計時間が短目ながら、第2、3楽章が長目・遅目の演奏になっています。リピート有無の加減があったとしてもいかにもワルターらしい傾向です。この録音にはリンツ交響曲のリハーサル音源も添えられています。全部で95分以上に及ぶリハーサルの録音の中で第2楽章・アンダンテのリハーサルが36分を超えて一番多く時間を割いています。19世紀生まれの楽長は大声で怒鳴るタイプが多く、アメリカに渡ったフリッツ・ライナーやセルも怒鳴るかどうかはともかく恐れられる存在だったようですが、ワルターのリハーサルは全然違っています。

4 12月

モーツァルト交響曲第36番 クリップス、ACO

モーツァルト 交響曲 第36番 ハ長調 K.425 「リンツ」


ヨゼフ・クリップス
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団


(1972年6月 録音 旧・フィリップス)

 三日続けてモーツァルトの交響曲第36番のCDです。この曲は1783年にモーツァルトがリンツ滞在中に予約演奏会のために四日間で完成させました。この前年にモーツァルトはコンスタンツェと結婚し、長男が誕生していました。しかし1783年に入って夭逝させていました。そうしためぐるしい変化、悲しみなんかは直接的に反映されていないように、爽快な曲に聴こえます。

交響曲 第36番 ハ長調 KV.425
第1楽章 Adagio-Allegro spiritoso
第2楽章 Andante
第3楽章 Menuetto
第4楽章 Presto

141204 ヨゼフ・クリップス(ヨーゼフと書くと蝸牛を丸呑みするセントバーナード犬を思い出すのでヨゼフとしておく)が最晩年にアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮してモーツァルトの交響曲をまとめて(第21番以降の20曲)録音しました。ウィーン生まれウィーン育ちのクリップスなのでどうせならウィーンPOと録音してほしいところですが、それができなかったのは少々残念です。それでもこの録音集はすごく優雅で軽やかで柔軟な響きのモーツァルトの音楽になっています。軽やかと書いていながら実際は、下記の古くさい録音の中でもひと際演奏時間の合計が長くなっています。

クリップス・ACO(1972年)
①11分15②08分17③03分41④08分27 計31分40
カザルス/プエルト・リコ(1959年)
①10分13②09分55③03分45④06分02 計29分55
クレンペラー・PO(1956 or 1960年)
①09分52②06分36③03分10④07分13 計26分51
カイルベルト・バンベルクSO(1963年)
①06分59②06分09③03分09④05分42 計21分59

 クリップスのリンツは第1楽章が遅くて聴いていて戸惑うくらいでした。序奏が終わった直後、主題が始まるところは、クレンペラーの演奏では勢いよく飛び出すように進むのと対照的です。これはカザルスの録音とも共通していいて、むしろクレンペラーの方が例外的なパターンかもしれません。クリップスの録音は第4楽章もかなり遅めで、合計時間ではカイルベルトとは10分近く、クレンペラーでも5分くらいの差が出ています。改めて聴いてみるとこういうテンポでもだれるということはなく、ひたすら優雅さに聴きほれます。

 実はクリップスのモーツアルトを最初に聴いたのは1990年代半ばくらいで、その時は初期の交響曲は素晴らしいけれど後年の作品になるにつれて緩み過ぎ、だれるという印象でした。第25番の力が抜けた演奏は絶妙だと感心していました(クレンペラーとは対照的)。当時はフィリップスの廉価盤で分売されていたと思います。手元にあるのはDECCAのロゴが付いた輸入盤の紙箱セットですが、最近タワーレコードから値下げして復刻されたようです。自分にとってクリップスとカザルスはクレンペラーと並んでモーツァルトの後期交響曲の御三家的な存在です。

3 12月

リンツ交響曲 クレンペラー、フィルハーモニア管弦楽団

141203aモーツァルト 交響曲 第36番 ハ長調 K.425「リンツ」


オットー=クレンペラー 指揮
フィルハーモニア管弦楽団


(*1956年7月《1960年》 ロンドン,キングズウェイ・ホール 録音 EMI)

 百貨店に行く機会と言えば中元、歳暮を贈るくらいしか確実に行くということは無いと思っていたら、使っている財布がみすぼらしく擦り切れていたのでこの際新しくすることにしました。それでJR京都駅前のI勢丹へ行ったところ、エレベーターに乗り合わせた人の大半が中国人らしくて改めて感心しました。使っていた財布は平成10年の夏に新宿のT島屋で購入したもので、たいして高価なものではないのに当時そこでしか売っていないと週刊誌の裏表紙あたりに広告が出ていました。その年は東京にそこそこの期間滞在する機会が何度かあって、財布は着いたその日に買いに行ったのを覚えています(キヨスクで牛の鳴き声がスピーカーから流れて来たのにも驚いた)。財布でも高価なものはきりが無く、ちらっと目についただけで五万くらいするのもありました(当然そういうのは手が出ない)。ともかく、16年間使い続けた財布ともこれでおさらばでした。

141203b それはさて置きクレンペラーのリンツ交響曲、EMI盤は初CD化された四枚組の録音データには1960年10月という表記がありました。しかし、その後発売されたCDや「クレンペラーとの対話」巻末のディスコグラフィには1956年7月録音と書いてあり、今さらながらどちらが本当なのかという疑問が出てきました。1956年頃に録音した他のモーツァルト作品の多くは1960年代に再録音しているので1960年の方が正しいのではないかとも推測できます。輸入盤の二度目のCD発売と思われる“ the Klemperer legacy ” のシリーズでは第一楽章が1960年の10月で第二楽章以降が1956年7月と読める表記なのでさらに混乱します。まあどうでも良い話と言えばそれまですが(暇か?)、細かいことが妙に気になることがあります。

 クレンペラーがセッション録音したリンツ交響曲は、VOX社から出た1950年録音のパリ・プロムジカ室内管弦楽団(実体はラムルー管弦楽団らしい)とのものを除けばEMIでは一種類しか無いとされていました。だからデータの表記に違いがあっても聴いている音源は同じはずで、昨日カイルベルトの回でふれた都合上、とにかく久々に出して来て聴いてみました。クレンペラーのリンツはこの一曲の録音だけに注目して評判になったという記憶は無く、だれかがどこかで激賞しているという例も無かったはずです。しかし自分にとっては昨日書いていた通り、レコード(CD)で聴くモーツァルトの原点でした。

クレンペラー・PO(1956 or 1960年)
①09分52②06分36③03分10④07分13 計26分51
カイルベルト・バンベルクSO(1963年)
①06分59②06分09③03分09④05分42 計21分59

 昨日のカイルベルトの回でふれた程は破壊的なタイプではなくて、これはこれで真摯な演奏だと感動も新たに二度聴きました。どういう演奏なのかと描写するのはつくづく難しいものなので、「クレンペラーとの対話」の中でクレンペラー自身が指揮、演奏について語っている部分から一部を抜粋してそれに代えたいと思います(この後に「テンポは感じるもの」という話が続く)。

ヘイワーズ:「先生独特のアーティキュレーションをどのようにして出しておられるのですか。」

クレンペラー:「わたしだけのリズムのアーティキュレーデョンなどというものがあるかどうかわかりませんが、しかしこういうことは言えます。指揮者の手は音楽の輪郭をできるだけ描き出す。そしてもっとも大切なことはリズムのアーティキュレーションが演奏者に息をつくチャンスを与えるということです。このことに充分な注意をはらっていない指揮者もあります。」

2 12月

モーツァルトのリンツ交響曲 カイルベルト、バンベルク交響楽団

141202aモーツァルト 交響曲 第36番 ハ長調 K.425「リンツ」


ヨーゼフ・カイルベルト 指揮
バンベルク交響楽団


(1963年 録音 TELDEC原盤・TOWERレコード)

 ヨーゼフ・カイルベルト(1908年4月19日 - 1968年7月20日)はカラヤン、朝比奈隆と同じ年に生まれましたが60歳になる前に急逝しました。朝比奈の主だった録音はカイルベルトが没後のものが大半であり、カラヤンも1970年代以降にも大量の録音があることを思えば、レコードで音楽聴くフアンにとってはカイルベルトもこれからという時に本当に残念でした。カイルベルトと言えばそれでも1955年のバイロイト音楽祭の指輪、1963年のミュンヘン・オペラのマイスージンガー等素晴らしい録音が残っています。オペラ以外でもベートーベン等の交響曲の録音もあり、CD化されていたものもありましたが、最近タワーレコードの企画により復刻されました。その中でモーツァルトの後期六大交響曲(最近でもまだこういう言い方をするのか?)は聴いたことがなく、すごく気になったので購入しました。

 気になったもののどんな具合のモーツァルトか想像し難く、角ばって重苦しいどうしようもないモーツァルトかもしれないとも想像できました。リンツ交響曲のLPを初めて購入したのはクレンペラーの廉価盤でハフナーとカップリングされた一枚(1500円/枚・クレンペラーの芸術シリーズ)でした。このLPはハフナーの方に大変惹かれましたがリンツもクレンペラーの録音によって彫りこみ、刷り込まれました。その後はカザルスとかブリュッヘンの録音が気に入っていました。

カイルベルト・バンベルクSO(1963年)
①06分59②06分09③03分09④05分42 計21分59

クレンペラー・PO(1960 or 1956年)
①09分52②06分36③03分10④07分13 計26分51

141202b 
上は同じ頃に録音されたカイルベルトとクレンペラーのリンツ交響曲のトラックタイムです。カイルベルトの方はCDにタイムの表記が無かったので今回聴きながら書きとめましたが、音が消えたところくらいのタイムを拾ったので通常のトラックタイムより短目になっているはずです。それを考慮してもけっこう差が出ています。特に第1楽章は主題のリピート有無の加減ではにかと推測します。それでもやはりこの時期のクレンペラーは遅いテンポが多くなって来ていたので第3楽章以外は差が目立ちます。リズム、アーティキュレーションがそれぞれ独特で、カイルベルトは極めて几帳面なので終始端正に聴こえます。それだけでなく意外な程に優雅なモーツァルトだったので少々驚きました。それでいて明晰で、隅々から木管が聴こえてきました。現代のバンベルク交響楽団はもちろん、ヨッフムやシュタインが振った頃もこんな感じではなかったと思います(ヨッフムは何となく覚えている)。

 カイルベルトのリンツを聴いて反射的にというかクレンペラーのリンツを初めて聴いた時の印象も甦ってきました。クレンペラーのはこんな風に端正、優雅とも感じず、岩を転がすような武骨さと、誇張すれば、テーブルの上の物を全部振り落とすように揺るがす、ある意味破壊的な(「 オットー・クレンペラー あるユダヤ系ドイツ人の音楽家人生 エーファ・ヴァイスヴァイラー著」の日本語訳者、明石政紀氏の言い方では「破壊転覆的」)演奏です。第二次大戦中も独逸圏(プラハのドイツ・フィルハーモニー)で演奏できたカイルベルトとアメリカ西海岸へ避難していたクレンペラーの差、というわけではないとしても、改めて対照的なモーツァルトだと思いました。

28 5月

モーツァルト交響曲第35番 レヴァイン、ウィーンPO

モーツアルト 交響曲 第35番 ニ長調 K.385

ジェームズ=レヴァイン 指揮 
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(1987年12月 ウィーン,ムジークフェライン・大ホール 録音 DG)

 五月が残り少なくなりました。先日ほとんど寝られなかった(咳の音で)夜の明け方(真夜中か明け方なのかよく分からない)、山の方からホッキョカケタカという鳴き声がしました。それから水を飲みに起きた時、窓に最近姿を見ない、もう出て来てもおかしくないと思ってた小さなヤモリが見え、確実に季節が動いているのが分かり安心しました。今朝起きるとついに私にも風邪がまわって来たようで、咳が出て熱っぽい感覚でした。来週は宇治の縣祭(あがたまつり-深夜の奇祭)なので、それと田植えが済むと季節は夏です。

140527  レヴァインもモーツァルトの交響曲を全曲録音していて、しかもウィーンPOとの共演という贅沢な組み合わせでした。1990年代前半に何曲かを聴いていましたが当時はあまり感心せず、存在も忘れていました。先日クレンペラー誕生日絡みでハフナー交響曲を聴いた際に、もっと流麗な演奏もあるとぼんやりと考えていると、ウィーンPOのデジタル録音であるこれを思い出しました。あらためて聴いてみると残響が大きいことにちょっと驚き、やがて初めて聴いた時程の悪い印象は感じず、ウィーンに響くモーツアルトは良いものだと月並みながら思いました。

 ちなみに最初に聴いた時はぶつぶつと音楽が途切れて流れが悪いという印象で、同時期のブリュッヘンのきれいでない演奏の方に関心が向きました(あるいはクレンペラー後遺症か)。この時期のモーツァルト録音の印象のため、レヴァインには関心が薄くなっていたところブログをやっている内にもう少し古いレヴァインのマーラーを聴いて、特に1970年代の録音に好感を持ち、ちょくちょく聴くようになりました。

 ウィーンPOによるモーツァルトの交響曲全集というのはこの際のレヴァイン指揮の企画しかありません。今後も録音される可能性は低そうなので、レヴァインの全集は貴重です。ウィーンPOの他にモーツアルトの交響曲を全曲録音しているオーケストラはザルツブルグ・モーツァルテウム管弦楽団、イギリス室内管弦楽団等限られています。

15 5月

モーツァルトのハフナー交響曲 クレンペラー・PO

モーツアルト 交響曲 第35番 ニ長調 K.385

オットー=クレンペラー 指揮 

フィルハーモニア管弦楽団
 

(1960年10月 ロンドン,アビー・ロード・スタジオ 録音 EMI)


 今日5月15日は葵祭でした。天気が不安定でしたが行列は定刻通りに出発したようです。この行列は囃子や掛け声があるわけでもなく、牛車の車輪の音か牛馬のフンが落ちる音くらいしか音が出ないので、ま近まで行かなければ行列が来ているのかどうかよく分かりません。11時前に決行しているのを確認したものの、雨がぱらついていたので見に行くのは止めにしました。

 モーツァルトのハフナー交響曲は音楽史上何か特別な位置を占めるものなのか(そうでもなさそうだが)、BBC放送が制作した音楽史の番組の中で取り上げられていました(メニューインが存命の頃)。ユーディ・メニューインが案内役としてコメントをしながら、自ら指揮をしたりヴァイオリンを弾いていたのを覚えています。ハフナー交響曲の第四楽章を指揮している映像を背景に音楽も流れ、何か解説していましたがメニューインが何をしゃべったか全く覚えていません。モーツァルトの前にはヘンデルのメサイア第三部から、アーメン・コーラスの手前「ほふられた仔羊こそは(第51曲)」が取り上げられていたので、つまり有名なハレルヤ・コーラスを外してその楽曲だったので作曲技法的な価値か、とにかく独自の基準で選曲したのだと思います。
 

交響曲第35番 ニ長調 K.385
第1楽章:Allegro con spirito ニ長調
第2楽章:Andante ト長調
第3楽章:Menuetto ニ長調
第4楽章:Presto ニ長調


 この曲のレコードを買って聴いたのはクレンペラー、フィルハーモニア管弦楽団のものが最初でした。カップリングは交響曲第36番「リンツ」と「ドン・ジョヴァンニ」序曲、後者のみがニュー・フィルハーモニア管弦楽団(自主運営になって改名)でしたがハフナーが特に気に入り何度も繰り返して聴いたものです。上記の第四と第一楽章の両端楽章が特に印象に残りました。と言ってもこの録音が特別に注目されていたとかそんな風ではなかったようです。実際LPの解説にはクレンペラーについて抽象的(この録音を実際に聴いていなくても書ける、あるいは同シリーズの他レコードの使い回しかもしれない)な内容で、全然愛着を感じられないものです(だから引用しない)。
 

 クレンペラーのモーツァルト演奏がああだ、こうだと詳細に説明できる語彙も何も持っていないので書きようがありませんが、LPの解説文(家里和夫)の中に一つ感心することが書かれてありました。「広い視野の上に立った彼の音楽は、決して古さを感じさせることがありません。」改めてこの録音を聴いて、LPのジャケットに目をやると、一言で言い表すならそれに尽きるのではないかと思います。

 ところで百二十九回目のクレンペラー誕生日の残り福的な今日、「クラシックレコードの百年史 記念碑的名盤100 + 迷盤20 ノーマン・レブレヒト著、猪上杉子 訳(春秋社)」という本の中に彼らしいよもやま話を見つけました。クレンペラーはレコードを「ライヴの貧相な代替品」と断じて「レコードを聴くことは、マリリン・モンローの写真を抱えてベッドに入るようなもんだ」と宣言した、と書いてありました。そういう人物だ分かっていてもカチンとくる言葉です。しかしクレンペラーの演奏を会場で聴くことが出来る時代、場所に生まれ合わせなかった我々としては、そう悪態をつきながらもよくぞレコードを残してくれたと思わずにはいられません。

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raimund

昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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