raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

指:ヴィットーリオ・グイ

5 3月

パルジファル クリストフ、カラス、グイ、ローマRAISO/1950年

210305bワーグナー 楽劇「パルジファル」(イタリア語歌唱)

ヴィットリオ・グイ 指揮
ローマRAI交響楽団
ローマRAI合唱団(合唱指揮ガエターノ・リッチテッリ)

グルネマンツ:ボリス・クリストフ
アンフォルタス:ローランド・パネライ
パルジファル:フリコ・バルデッリ
クンドリー:マリア・カラス
ティトゥレル:ディミトリ・ロパット
クリングゾル:ジュゼッペ・モデスティ、他
*一部カット有
(1950年11月20,21日 ローマ,RAIオーディトリウム ライヴ録音 ワーナー/foyer)

210305a 今期の大河ドラマ(NHK)は昨年来の新型コロナ禍の影響で撮影が休止になったので放送開始時期がずれ込みました。しかしながらもう何年も前から大河はほとんど観なくなっていて、今期もまだ一度もみていません。あれは何年度だったか、自分がまだ小学生の時に「獅子の時代」という大河ドラマ(日曜日20:00から放送/NHK)があり、架空の人物が主人公の上に明治新政府側、幕府から在野側の人物を並行させて話が進み、最後は秩父事件で終わるという、有名人物・英雄礼賛的ではない異色の作品でした。その前年の
大河ドラマは頼朝を扱った「草燃える」、翌年が「女太閤記」だったので「獅子の時代」はよけに異色さが目立ちました。50歳を超えた現在では渋沢よりも秩父困民党の方に関心が強くてもう一回最初から見たい気がしていました。

 このパルジファルは歌手と指揮者やらの名前を見たらヴェルディ作品かと思ってしまいますが、戦後にバイロイトが再開される前のイタリア語によるパルジファルのライヴ音源です。ワーグナーの全曲盤というよりもマリア・カラスのファン用のCDという枠組みのようですが、
アッティラ・チャンバイ、ディートマル・ホラント編の “ rororo operabücher ” の日本語版、「名作オペラ ブックス(音楽之友社)」の巻末コーナー、「ディスコグラフィについての注釈」にも取り上げられています。しかも古い音源なのに予想外の高評価であり、ヨアヒム・マッツナーは「制作したときのレコード技術がどうしようもないレベル」でなければイタリア語版であるにせよ「これは一番推奨できるパルジファルの一つ」に挙げられるとまで評しています。

 ヴィットリオ・グイはグレードの高い指揮者であったと言わなければならない、(粗末な録音技術にも関わらず)ドラマティックで、峻厳で、繊細な解釈の一端を伝えているとしていて、イタリア語の歌唱であることのマイナスを特に指摘していません。その点だけは意外に感じられて、個人的にはイタリア語になるとファンタジー、非現実の世界から現実の斬った、斬られたの世界に変質するような違和感がありました。これはグルネマンツの歌唱から特に感じられる印象です。歌手に対する評の中ではマリア・カラスを特殊なケースとししつつ、ドイツ語ではなくイタリア語であることを忘れさせてくれるとして認めています。ただ、批評の内容が難しくて分からず、別格的に賛嘆しているようでした。第二幕を聴いているとこの録音の中では一番魅力的なので、それはやはりカラスによるところが大きいのでしょう。あと、クリンクゾルのモデスティもドイツ語上演の同役と変わらない性格だと思いました。

 他のキャストでは、アンフォルタスのローランド・パネライを、感銘を与えてくれるアンフォルタス像が並ぶ中で傑出していると誉めています。反対にグルネマンツのボリス・クリストフを「硬質なヴィブラートによってずっと不評を買っている」としただけで弁護をしていません(グルネマンツを地味に輪郭化された人物像、主人公ほどの解釈の難しさは見られない、としている)。テノールのパルジファル役については、純粋無垢の愚か者、清祓さを感じさせるのが難しい(ジークフリートのような歌い方になってしまうとか)として、ペーター・ホフマン、ルネ・コロ、ライナー・ゴールドベルクを「誰がいったい純粋で、だれがいったい愚者だと言おうとしているのか―納得させられるパルジファルたちはめったにいない」としています。その点ではバルテッリも十分でなさそうなところですが、第二幕の後半から第三幕はかなり魅力的だと思いました。今回聴いたのはSACDのシングルレイヤー盤でしたが、それでもやはり音質は良くなくて特にオーケストラの音が残念です。
23 2月

ベルリーニのノルマ カラス、グイ、コヴェント・ガーデン王立歌劇場

160223ベルリーニ 歌劇「ノルマ」

ヴィットリオ・グイ 指揮
コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団
コヴェント・ガーデン王立歌劇場合唱団

ノルマ:マリア・カラス(S)
アダルジーザ:エベ・スティニャーニ(Ms)
ポリオーネ:ミルト・ピッキ(T)
オロヴェーソ:ジャコモ・ヴァーギ(Bs)
クロティルデ:ジョーン・サザーランド(S)、他

(1952年11月8日 ロンドン,コヴェント・ガーデン王立歌劇場 ライヴ録音 Myto)

  三寒四温でだんだんと暖かくなるというのは近年は今頃の時期を指すようで、ちょうど今週はそんな感じです。先日職場に母国の民芸品を売りに来た自称留学生をその後路上で見かけ、どうもビルや住宅両方とも手当たり次第に訪問しているようでした。ウクライナ出身とか言ってた割にマトリョーシカとかそういう物ばかりだったので、ロシアが併合したクリミア?と思いながら見ていました。そういえばチキン・キエフはロシア料理だと思っていましたが、厳密にはキエフだからウクライナの料理のはずで、この二国、地域の関係は当事者以外からははかり難いものがあります。

 ところでこの古いライヴ音源は、マリア・カラス急激なダイエットをする以前にノルマを歌った記録の一つです。カラスはベルリーニのノルマを1954年、1960年と二度セラフィン指揮のスカラ座でセッション録音(EMI・全曲盤)していて、それ以外でもヴォットー指揮、スカラ座の1955年ライヴ盤等がありました。今回のものはそれらよりも古く、これから絶頂期を迎えるくらいの時期にロンドンの公演で歌ったものです。カラスは1948年以来1965年までに80回以上もノルマを歌っているので、ヴィオレッタやトスカ、ルチアと並んで彼女の代名詞のような役でした。実はこのCDの目当てはカラスだけでなく、ムーティが影響を受けたヴィットーリオ・グイがムーティも録音したノルマを指揮しているのに注目してのことでしたが、古くて状態の良くない音源なので何とも言えないところです。ちなみに同じくカラスが出演したノルマをヴォットーも指揮して録音が残っていて、彼はムーティが師事していたので師匠筋二人と三人が同じオペラを指揮したものが残っているのは興味深いものがあります。

 カラスについては熱烈なフアンが多くて、ノルマについてもさんざん言われ尽くしているので付け加えられることはありません。この1952年のノルマも、分厚くて柔軟なえも言われない響きを聴いていると吸い込まれそうになります。 これに比べると1960年のセッション録音はかなりなめらかに整った声になっています。今回の1952年の方は独特の荒ぶるような情熱があって独特です。あと、ポリオーネのミルト・ピッキは対照的に清らかな美声なので却ってカラスのノルマが引き立ちます。また、後にノルマ役を歌うことになるジョーン・サザーランドの名前も見られます。

 このオペラは主役のノルマの歌、声について言及されますが、序曲(シンフォニア)や合唱のメロディも親しみ易くて、全曲を通して魅力にあふれています。共和制ローマのガリア戦記頃のガリアを舞台に、ガリア側の神職・巫女ノルマがローマの将軍ポリオーネとの間に子をもうけながら彼がノルマの下役にあたる巫女アダルジーザの方に心を移すも、最後には二人揃って火刑台へ身を投じるという激しい悲劇は、やっぱりカラスの歌、声が一番よく合いそうです。
22 2月

モーツァルト「フィガロの結婚」 ブルスカンティーニ、グイ指揮

160222モーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」 K.492

ヴィットリオ・グイ 指揮
グラインドボーン祝祭管弦楽団
グラインドボーン祝祭合唱団(合唱指揮:ピーター・ゲルホーン)

フィガロ:スト・ブルスカンティーニ(Bs)
スザンナ:グラツィエラ・シュッティ(S)
ケルビーノ:ライズ・スティーヴンス(Ms)
伯爵夫人:セーナ・ユリナッチ(S)
アルマビーバ伯爵:フランコ・カラブレーゼ(Bs)
バルトロ:イアン・ウォーレス(Br)
ドン・バジリオ:ユーグ・キュエノー(T)
マルチェリーナ:モニカ・シンクレア(コントラルト)
アントニオ:グウィン・グリフィス(Bs)
バルバリーナ:ジャネット・シンクレア(S)
ドン・クルツィオ:ダニエル・マッコーシャム(T)

(1955年7月 ロンドン,Abbey Road Studios 録音 EMI)

 オートロックが付かない古いビルの場合、各室のドアのところまで簡単に入って来ることが出来るので、通常の来客以外にも飛びこみ営業やら布教活動の人が来ることがあります。幸いにして丸暴とか似非何とか行為には遭遇しませんでしたが、ものみの塔誌を売りに来たり一燈園の人が便所掃除をさせてくれとやって来たこともありました。最近は外国人留学生と自称する男性が母国の民芸品を売りに来てちょっと驚きました。単価が高いのは母国通貨の状況を反映してのことと解釈しておき、胡散臭さがちょいプンながら釣銭が出ないように購入しました。自動車のキー・ホルダーが破損したままなので早速使うことにしたけれど、毎日来たら困って今度はこっちが特産品でも売らないといけなくなります。昔から家族の中では訪問販売、新聞勧誘を断る達人でしたが、こういうパターンや菓子や果物の類を売りに来た場合は何となく買ってもいいかという気になります。

 ヴィットリオ・グイ ( Vittorio Gui  1885年9月14日ローマ生 - 1975年10月17日フィレンツェ没 )はフィレンツェ五月音楽祭管弦楽団(当初はフィレンツェ市立管弦楽団)の音楽監督を務め、フィレンツェ五月音楽祭を始めたことからムーティとの接点、交流がありました。また1952年から1964年までグラインドボーン音楽祭の音楽監督を務めてイタリアオペラの権威として重宝されたのでEMIへ何種かのオペラ全曲盤を残しました。このフィガロは音楽祭のライヴ録音ではなくて、音楽祭の雰囲気を再現するべく同じキャストでセッション録音したものです。バスのセスト・ブルスカンティーニ(Sesto Bruscantini 1919年12月10日 - 2003年5月4日)は同じくグイの「セビリアの理髪師」でフィガロを歌っていて、リッカルド・ムーティが著作の中で師匠筋のグイと同様に賞賛している歌手の一人です。ムーティはブルスカンティーニについて、「彼は、どのような種類の歌でも、限りなく声の色を作り出しつつ、ラインを均一に保った歌い方をすることができた」として、彼が偉大な歌手であることを示すとしています。

160222a このCDも何度となくCD化、再発売されていましたが1990年代の半ばに初めて聴いた時はあまり感心しなくて、緩みすぎてドタバタの芝居の方に傾斜しているという印象でした。久々に聴いてみると室内オケかそれ以下くらいの小編成のオケで、レチタティーヴォのところはレイモンド・レッパードが一人でチェンバロを弾いているだけなので、各楽器のパートがよくきこえて繊細なレース編みの細工のような美しさです。それに笑い声がよく出てきて登場人物が活き活きとしているのも魅力です。グイの指揮は序曲は軽快、速めながらそれ以降は比較的ゆったりとして、あくまで歌手が前面に出て、オーケストラが引っ張るという印象ではありません。なお、全曲盤ながら慣習的なカット(第4幕マルチェリーナのアリア
)を行っています。

 1950年代には既に何種もフィガロの全曲盤が出ていますがこれと似たスタイルは案外見つからないかもしれません。主なキャストでは伯爵夫人をブルスカンティーニ夫人(離婚ま近かった)のユリナッチが歌っているのが他の歌手とちょっとタイプが違うくらいで、特別に美声で抜きんでている風ではありません。そのかわりに登場人物を聞き分け易い上にバランスがとれていそうです。それに有名なアリア部分もなかなかの美しさで、フィガロ以外にも同様のセッション録音があればと思いました(あったかどうか未確認)。この録音はLP時代から一定の注目を浴びて、根強いフアンがいたらしくて時々熱心な賛辞をみかけました。
31 12月

ヴィットーリオ・グイのロッシーニ「セビリアの理髪師」

131231ロッシーニ 歌劇「セビリャの理髪師」


ヴィットーリオ・グイ 指揮

ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
グライドボーン音楽祭合唱団


ロジーナ:ヴィクトリア・デ・ロス・アンヘレス(S)
アルマヴィーヴァ伯爵:ルイジ・アルヴァ(T)
フィガロ:セスト・ブルスカンティーニ(Br)
バルトロ:イアン・ウォレス(Br)
バジリオ:カルロ・カーヴァ(Bs)


(1962年9月4-7日,9-11日 ロンドン,Abbey Road No.1studio 録音 EMI)
 

131231z 瞬く間に過ぎたこの十二月、とうとう大晦日になってしまいました。今日は墓地の掃除と正月用品買い足しくらいで完全にオフです。2013年はなんだかんだと結構頻繁にブログを更新していましたが、あんぽんたんな間違いもあって内容共々失礼いたしました。ブログパーツのジオターゲティングを見ると過半数はアクセス場所不明になっていてスパムの方が多いと推測できますが、それにもかかわらず一定の人数が見てくださっているのが分かります。一年間どうもありがとうございました。来年も中身は基本的にこんな調子の予定です。新譜が登場する機会は減るかもしれませんが、気が向けばまたチラ見してください。

131231a
 振り返ると今年の一回目投稿はイタリアオペラ、ヴェルディの「ドン・カルロ」でした。だから最期も同じ作品のCDにしようかと思いましたが、どうも気が乗らないので、イタリアオペラはそのままにロッシーニの「セビリアの理髪師」の古い録音にしました。ヴィットリオ・グイVittorio Gui  1885年9月14日ローマ生まれ - 1975年10月17日フィレンツェで死去 )という指揮者は今ではあまり出回っているCDも少なくなっています。しかしリッカルド・ムーティの自伝の中にはムーティが若い頃に親しくしてもらい影響を受けた指揮者として登場します。ムーティ自身も、今ではレコードフアンを除いてグイのことを思い出す人は誰もいないのではないかと評しています。ヴィットリオ・グイは、フィレンツェ市立管弦楽団の監督を務めてフィレンツェ五月音楽祭を創設したことや、1952年から1964年まで音楽監督を務めたグラインドボーン音楽祭と共に記憶されています。特にフィレンツェでは重要な存在だったようです。個人的にはパルシファルのイタリア語録音やモーツアルトのフィガロ等は面白いと思っていました。
 

131231d ヴィットリオ・グイのディスコグラフィを詳しく把握しているわけではありませんが、グイの録音の中ではロッシーニのセイビリアの理髪師が個人的には特に気に入っていました。と言っても最初に購入した動機は指揮のグイ目当てではなく、ソプラのヴィクトリア・デ・ロス・アンヘレスを聴くためでした。それがいざ聴いてみると彼女だけでなく、オーケストラの方も全く素晴らしいと思ってヴィットリオ・グイという名前を意識しました。全体的に上品な軽妙さで、雑さ、力任せ・勢い任せといったところが無くて隅々まで行き届いています。

131231c
 この録音は輸入盤で何度かCD化されただけでなく、国内盤でも出たことがありました。ペルー出身のテノール、ルイジ・アルヴァ(この方はご長寿らしく、今もご存命なのか?)やイタリア人のバリトン、セスト・ブルスカンティーニら主要キャストの歌手は聴きものです。旧(旧と書くのもなんか残念である)EMIの“ GREAT RECORDINGS OF THE CENTRY ” にリストアップされるだけのことはあると思います。ちなみに同じセビリアの理髪師の録音でカラスがロジーナを歌ったもの(ガリエラ指揮、フィルハーモニア管弦楽団)もリストアップされていました。
 

131231b ところで、ムーティはミラノ音楽院でヴォットーから指揮を学んでいたのでヴォットー(トスカニーニ派とムーティは書いている)の流儀に染まっていました。だからヴォットーとは正反対とも言える指揮についての考え方を持っていたグイに会えたのは有意義だったようです。グイは指揮を「演奏という行為を常に支える、思考の到達点」と呼び指揮には文化が反映されるとしていました。そして、演奏家とは何か?創造されたものの真髄を分かろうとしないで、作曲家の意図を代弁する演奏家になれるのか?」といった修辞学的な問いをムーティらに投げかけていました。CDをちょっと聴いただけでは演奏家がそういう考えで臨んでいるとはなかなか気が付きません。グイはイタリア人の作曲家、オペラだけでなくブラームスにも傾倒して「ブラームスの伝道者」とユーモア交じりに自称していたそうです。それを知ればどんな演奏だったか興味が湧きます。

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昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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