raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

指:ヒコックス

17 4月

ヴェルディのレクイエム ヒコックス、ロンドンSO/1995年

210417aヴェルディ レクイエム

リチャード・ヒコックス指揮
ロンドン交響楽団
ロンドン交響合唱団

マイケル・クライダー(S)
マルケラ・ハツィアーノ(Ms)
ガブリエル・シャーデ (T)
ロバート・ロイド(Bs)

(1995年7月10-12,14-15日 オールセインツ教会 録音 CANDOS)

210319 コンベンツアル聖フランシスコ修道会のブラザーで、ながらく聖コルベ館の館長を務め、月刊「聖母の騎士」の編集に携わった小崎登明(1928年-2021年4月)さんの訃報が流れました。ちょうど昨日にパウロ書店の前を通り過ぎて、ブラザー小崎の引退後なんとなく聖母の騎士誌が変わったと思いつつ、最新号は来週買おうと思ったところでした。ブログ「小崎登明の93歳日記」は4月15日が最後の記事になっています(「もう、チカラが無い」の一行が目にとまります)。2006年だったか本河内教会とコルベ館を訪れたことがあり、その時はブラザーは不在の上に暑かったのでルルドに寄らずに帰るという無精な訪問だったこともあって、もう一度行きたいと思っている間に突如引退されてだいぶ経っています。

210319b 教会関係以外でも長崎の原爆と平和祈願、キリシタン関連や聖コルベ神父に関係して著作も多く、広く知られている方で訃報記事と共に業績、生涯にふれられています。コルベ館の館長の最後の方で居付いた猫のライモンド(ほかのブラザーが名を付けて接待していたようで)との係りが紹介されていたことがあり、最初はあまりお好きでなかったようなのが徐々に愛着がわいていく様子だったのが思い出されます。やがて猫のライモンドがプイと居なくなってしまいました。

210319c さて、このレクイエムは先月のコリン・デイヴィス指揮のロンドンSOのライヴ盤と関係があり、同演奏会はリチャード・ヒコックス(Richard Hickox CBE 1948年3月5日 - 2008年11月23日)
没後一年に追悼的に演奏されたものでした(ヒコックスの思い出に捧げると)。今回はそのヒコックスが生前に録音して好評だったヴェルディのレクイエムであり、独奏者の選択からしてあまりイタリア・オペラ的ではない(コテコテな伊オペラ風ではない)内容になっています。イギリスでは発売当初から評判になったそうですが日本では国内盤仕様があったかどうか、このCDの存在も長らく知りませんでした。

210319a シャンドス・レーベルはシャンドス・サウンドと呼ばれる音質でも有名で、ギブソン指揮のスコティッシュ・ナショナルOのシベリウスやヤルヴィのショスタコーヴィチ、ドヴォルザークは個人的に音質も含めて好きでした。ただ、オーケストラ録音の音質は好き嫌いが結構分かれていたようです。今回のヴェルディは広い空間に響き渡るような感じに録られ、その割にティンパニが鮮明に聴こえてきます。独唱もコーラスも大きく、克明に聴こえてきて、こういう大編成の作品の割にうるさい音ではないと思いました。その割にどこかしらオーケストラので弦が引っ込んでいるような、それか声楽が前面に出過ぎているのか何かバランスが違うようにも思いました。

 独唱者は皆名前を知らない歌手で、メゾソプラノだけイタリア系らしき名前です。独唱部分は声の威力に圧倒されるという風ではないけれど、妙にコーラスと相性が良いような落ち着いた歌唱なので終始レクイエムらしさを保っています。ヒコックスは自らオーケストラと合唱団を設立して活動を開始し、ロンドン交響合唱団の指揮者にも就任しています。声楽作品の大作ではエルガーのオラトリオ三曲が思い当たります。
15 8月

エルガー「使徒たち」 ヒコックス、LSO/1990年

190419bエルガー オラトリオ「使徒たち」 Op.49

リチャード・ヒコックス 指揮
ロンドン交響楽団
ロンドン・シンフォニー・コーラス

祝福された乙女,天使ガブリエル:アリソン・ハーガン(S)
マグダラのマリア:アルフレーダ・ホジソン(Cont)
聖ヨハネ:デイヴィッド・レンドール(T)
聖ペトロ:ブリン・ターフェル(Br)
ユダ:ロバート・ロイド(Bs)
イエズス:スティーヴン・ロバーツ(Bs)

(1990年3月26-29日 ロンドン,セント・ジュード・オン・ザ・ヒル教会 録音 Chandos)

190419 八月十五日、ローマカトリック教会の典礼暦では大祝日「聖母被昇天」、それから聖フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸した日ともされています。そして、元号が変わっても昭和20年に大日本帝国がポツダム宣言を受け入れて無条件降伏した日、その記念日でした。そしてその前日、十四日は「聖マキシミリアノ・マリア・コルベ司祭殉教者」でした。とかく見て見ぬふりをして、直接自分の尻に火が付かない限り動かず、自分だけ逃げるのが精いっぱいな我々にはまぶしい聖コルベですが、昨日はそんなことを思う余裕もないくらい腰痛におそわれて歩行も困難で困りました。朝起きた時には何でもなかったのに、12時過ぎに出かけようとして歩き出すと腰と左足の根もとから左側に鈍痛があらわれ、昼食後はおとなしくしていました。その二時間前に出かけようとした際は全く症状が無くて、雨が降り出したから引き返したわけで、もしそのまま出かけてたら運転席でも足腰が痛くて困ったことでしょう。

 というところでこの日にふさわしい?エルガーのオラトリオ「使徒たち」のCDです。故ヒコックス も英国出身の作曲家の作品を多数録音していて、エルガーのオラトリオ「ゲロンティアスの夢」、「神の国」とともに「使徒たち」もセッション録音していました。過去記事で「神の国」を扱いましたが、正直この作品らしい、ふさわしい内容なのかよく分からず、ボールトよりもずっと新しくてデジタル録音ということで外せないと思ったまでです。エルガーのオラトリオはボールト晩年の録音が音質共々素晴らしいと思われ、このジャンルだからという訳でもないでしょうがえも言われない香気を放っているような気がします。それに比べると新しいヒコックスの方は夢から醒めたような感じです。

 「使徒たち」は、キリストの宣教から十字架、復活までを歌詞で扱う範囲としていて、マグダラのマリアが聖母と並んで独唱者として登場するのが特徴です。それに十字架、復活、昇天といった福音書の記事を徹底的に強調する風でもなくて、そうしたイエズスの公生涯の間に共に居た12人、聖母やマグダラのマリアら、後(聖霊降臨後)に「教会」に発展する群れ全体が核心といった様相です。受難曲とは違った構成、視点であり、エルガーの音楽もそれに共鳴して見事です。

 三部作を構成するはずだった三つ目は未完に終わったのが残念ですが、最後の審判を主な内容とする予定だった三作目も独特な歌詞、構成になってだろうと思います。最後の審判と言えばなんとなく「白黒決着付ける、覚悟せえや」、又は「これまでの仇を返したる」的なものをイメージしがちですが、エルガーの場合はかなり違ったものになるだろうと想像できます。完結して満ち足りた世界がおぼろげに夢想できる気がします。
14 10月

エルガー「神の国」 ヒコックス、LSO他/1989年

181014bエルガー オラトリオ「神の国(The Kingdom)」 Op.51

リチャード・ヒコックス 指揮
ロンドン交響楽団
ロンドン交響合唱団

聖母マリア:マーガレット・マーシャル(S)
マグダラの聖マリア:フェシリティ・パーマー(Ms)
聖ヨハネ:アーサー・デイヴィス(T)
聖ペトロ:ディヴィッド・ウィルソン=ジョンソン(Bs)

(1989年6月11-13日 ロンドン,セント・ジュード・オン・ザ・ヒル教会 録音 Chandos)

181014a “ The Upper Room ” 、アッパールームは高間と訳されたりする、新約聖書の「使徒のはたらき」で出て来る聖霊降臨の前に使徒らが集まっていた宿の二階の部屋で、このオラトリオでも何度も登場します。
“ The Upper Room ” というタイトルの手帳くらいのサイズの冊子があり、アメリカのメソジスト系の教会発祥の毎日読む信仰書で、現在では超教派的で約40ケ国の言語に翻訳されて普及しています(パウロ書店とか女子パウロ会の書店にはあったかどうか?)。教派のことはさておき、まさに「世界に広がる教会」を思い起こさせる冊子です。

 このオラトリオ、前作の「使徒たち」、それから内容は未確認ながらそれらと三部作を構成するはずだった「最後の審判」は、ここまで歌詞を読んで日本語訳を類推(辞書を引く根気がない)すると、特定の人物が主人公というわけではなく、人の集まりという意味での「教会」即ち「キリストのからだ」そのものを描き出しているような内容です。全く壮大な内容であり、三作目の最後の審判は正真正銘完結して十字架上の言葉「なしとげられた」が実現するような輝かしいものになったのではないかと想像できます。


1.In the Upper Room (高間にて)
2.At the Beautiful Gate (美しの門)
3.Pentecost (聖霊降臨)
4.The Sign of Healing (癒しのしるし)
5.The Upper Room (高間)

181014 
オラトリオ「神の国」は、1902年頃から作曲を開始して1906年に完成して同年10月6日に初演されています。上記のように五部から成り、作曲者自身が歌詞を編集しています。新約聖書だけでなく、福音書で有名な箇所や祈祷書等に組み込まれた旧約のお馴染みの句が織り込まれています。第一部の冒頭で一同が「まず神の国と神の義を求めよ」と唱和し、第五部のフィナーレでは主の祈りを一同で唱和の後、私たちはあなたのものと告白、宣言して全曲を閉じています。前作の「使徒たち」もそうでしたが歌詞の構成には本当に感心させられます。第四部で「金銀は我々にない~(我々にあるものを与えよう)ナザレ人イエスの名によって歩きなさい」というところ、現代の教会は金銀に不自由していないどころじゃないところが少なくない反面、という現実を見ると新鮮であり、「神の国はあなた方のただ中にある」と言われた言葉が鋭く突き刺さります。

 エルガーは初演の指揮をしながら感激のあまり涙を流したそうですが、神秘的で壮大な内容が深々と広がっていくこの作品を聴いているとそれもうなずけます。このCDはヒコックスがシャンドス・レーベルへ録音したエルガーの三大オラトリオを復刻したもので、CD一枚の厚さのケースに二枚を収めた廉価盤です。音質も良好であり、細部までよく聴こえて歌詞も聞き取り易いのも嬉しいところです。それに前奏曲が見事で、これから始まる作品の世界に負けない品格をたたえて響きます。ヒコックスは声楽作品の大作をそこそこ録音していますが、これは屈指の出来ではないかと思いました。
10 7月

プロコフィエフの「戦争と平和」 ヒコックス、ポリャンスキー(ロシア語)

160710aプロコフィエフ 歌劇「戦争と平和」

リチャード・ヒコックス指揮
スポレート音楽祭管弦楽団
ワレーリー・ポリャンスキー合唱指導
ロシアン・ステイト・シンフォニック・カペラ

ボルコンスキー公爵:ロデリック・ウィリアムズ(Br)
ピエール:ジャスティン・ラヴェンダー(T)
ナターシャ:
エカテリーナ・モロゾワ(S)
ミハイル・クトゥーゾフ公爵:アラン・エウィング(Bs)
ロストフ伯爵:ステファン・デュポント(Br)、他

(1999年7月4,6,8-10日 スポレート,ヌオーヴォ劇場 ライヴ録音 CHANDOS)

 プロ野球セ・リーグのタイガースが負けがこんできました。今月は昨日まで2勝7敗、今晩も大差が付いているこの状況、萎縮しているのか士気が低下しているのか、カープとは逆に神ってる雰囲気です。別段勝敗に一喜一憂しませんが、新監督の一年目でこれではちょっと気の毒です。それから参議院選挙、いつになく選挙カーを見かけないと思っていると投票率は低調の模様。選挙の結果では一人区がどうなるかは気になります。それにしても英国の国民投票をめぐる一連の報道を見ると、基本的にEU離脱を否定的にとらえているようです。我々東アジアからすればEUの統合は壮大な実験でかなり先の未来を先取りしているように見え、労働者の流入を研修目的に限定したり一部の専門職に絞る等の制度をとる日本からすれば、今回の結果はむしろ親近感を持っても不思議ではないはずです。せっかく非常措置を続けて円安・株高を誘導したのが一夜で吹っ飛んだのだから、その筋の方々は頭に来るのは当然だとしても報道がモノトーンになって何か奇異なものを感じます。

160710 トルストイの長編小説「戦争と平和」に基づくプロコフィエフの同名オペラは上演頻度はそれ程高くなく、レコード、CDの全曲盤も限られていました。このCDはイタリアのスポレートで毎夏に開催される音楽祭(二つある音楽祭のうち1958年に始まった方か)のライヴ録音で、故リチャード・ヒコックスが指揮、ポリャンスキーが合唱指揮という豪華な布陣です。ネット上にはこれが英語歌唱という表記がありましたが、聴いているとロシア語で(スパイシーヴァとかの語が聞き取れたので多分ロシア語だと)、付属冊子には最後にロシア語単独の歌詞、その前に伊、独、英、仏の四カ国語の歌詞が併記されています。ポリャンスキーが合唱指揮・指導をするくらいだからロシア語歌唱だろうとは思いますが、別に英語版でも録音されたのかもしれません。

160710b CD4枚で4時間弱にも及ぶこの大作、正直良い上演、演奏なのか分りません。同じくらいの長さになる作品は他にあるとしても、プロコフィエフの「戦争と平和」は結局どうなのか、どこへ向かって進んでいるかとか全体像を把握し難くて、全部水に流れていくような印象です。この録音では合唱の部分で土俗的と言うのか民謡的なにおいがして、ナポレオン軍が侵攻してくる大変な時代だったことに改めて意識が向きますが、それ以外では洗練されていて、違うテーマの作品だと言われても大して違和感がないかもしれません。 それにしてもイタリアの音楽祭にヒコックスとポリャンスキーが共演というのも妙な組合せで、CHANDOSレーベルへ録音していること以外に接点があったわけです。

 オペラ「戦争平和」は原作の登場人物を思いっきり絞って、それでも50人を超えているのでキャストとして書ききれません。それに歌詞の冊子を見ながらでなければ今歌っているのは登場人物の誰か分らなくなります。CD付属にはナポレオン・ボナパルドの名も載っていますが、最初聴いた時は何時出てきたか分らず終いでした。プロコフィエフがこのオペラを制作している際には党から色々注文が来て、改訂を重ねたということですが民族、愛国精神はひとまず置いて、思想的にはナポレオン軍がツァーリの軍を駆逐した方が農奴(この階層が人民の全てではないとしても) の生活は良くなって、違う体制のロシアが生まれたのじゃないかとも考えられます。もっとも、党の要望はより人民をたたえる風にというものだったようです。
31 3月

ヴォーン・ウィリアムズの田園交響曲 ヒコックス、ロンドンSO

160331aレイフ=ヴォーン・ウィリアムズ 田園交響曲(交響曲 第3番)

リチャード・ヒコックス 指揮
ロンドン交響楽団(マルクス・ウォルフ:リーダー )

レベッカ・エヴァンス:ソプラノ

(2002年1月16-18日 ロンドン,オールセインツ教会 録音 CHANDOS)

160331b 今日の夕方、地下鉄に乗る前に「怖いクラシック 中川右介(NHK出版新書)」 という本を書店で見つけ、ぱらぱらとめくると「第七の恐怖 戦争」という章があってそこではヴォーン・ウィリアムズについてけっこう言及されているのが珍しかったので買ってその章を車内で読んでいました。その中で著者はヴォーン・ウィリアムズの第一次大戦従軍体験から生まれた田園交響曲について、作曲者自身が自ら「これは標題音楽ではない」とも言っていることから実は「戦争交響曲」であるとして、田園交響曲というのは反語だと指摘しています。標題音楽じゃなないのなら戦争交響曲でもないのでは?と言えそうですが、ヴォーン・ウィリアムズがこの交響曲を構想したのは従軍先のフランドル地方(仏北部からベルギー)でのことであり、応急処置を担当する訓練を受けた後に前線で担架を担当する兵として塹壕に入って戦い、爆音の影響によって難聴になりました。

 ヴォーン・ウィリアムズは1914年末に王立軍医療軍団に志願して入隊(年齢から従軍義務は既になかったにもかかわらず) し、1916年6月にはフランスの戦地へ出発して1918年に入って陸軍音楽監督に就くまで戦地に居たようです。第2楽章のトランペット独奏部は前線でラッパ手(軍神木口のように戦死したかどうかは定かでない)が間違って七度の音程を繰り返して吹いていたのを思い出して書いたと言っています。だから作品の根底には戦場の光景(地獄絵図だったという)、それを見た時の感情が厳然とあり、決して長閑な自然をめでる曲ではないという指摘でした。

交響曲第3番・田園交響曲
第1楽章:Molto moderato
第2楽章:Lento moderato
第3楽章:Moderato pesante
第4楽章:Lento

 言われてみればなるほどと思いますが、曲を聴いていると凄惨な戦場と直結しているとはなかなか思いにくいので、我々平和ぼけ世代には「戦争交響曲の反語」としての田園交響曲というのは理解し難いものだと思いました。ヒコックスの録音はとくにのんびりした演奏なので余計にそう思いました。特にソプラノが加わる終楽章では桃源郷のような趣です。著者は「『田園』と思って聴けばそう聴こえるし、『戦争』と思って聴けばそのように聴こえる」とも言っているので、一応そういう話として受け止めておくことにします。

ヒコックス・LSO/2002年
①10分42②10分27③06分35④11分14 計38分58
スラットキン・PO・1992年
①09分59②10分31③04分48④08分15 計33分33
トムソン・LSO・1987年
①10分18②08分11③06分33④10分44 計35分46

 リチャード・ヒコックス(Richard Hickox CBE 1948年3月5日 - 2008年11月23日)は英国の作品の他にハイドンのミサ曲等の声楽作品、プロコフィエフのオペラ等幅広いレパートリーの録音を展開していました。ヴォーン・ウィリアムズ作品も交響曲だけでなく、このCDにもノーフォーク狂詩曲第1、第2がカップリングされているように管弦楽作品も録音を進めていました。それが急逝によって中断されてしまい、年齢からすればもうちょっと活躍できたので非常に残念です。このCDも田園交響曲もノーフォーク狂詩曲も素晴らしいので特にそう思いました。
16 3月

ブリテンの歌劇「ヴェニスに死す」 ヒコックス、シティ・オブ・ロンドン・シンフォニア他

160316ブリテン 歌劇「ヴェニスに死す」 Op.88

リチャード・ヒコックス 指揮
(マルティン・フィッツパトリック:アシスタント)
シティ・オブ・ロンドン・シンフォニア
(ニコラス・ワード:リーダー )
BBCシンガーズ(合唱指揮:シュテファン・ベッターリッジ)

アッシェンバッハ:フィリップ・ラングリッジ (T)
旅人,理髪師,デュオニュソスの声、他:アラン・オウピ (Br) 
アポロの声:マイケル・チャンス (C-T)、他

(2004年7月21-24日 ロンドン,ブラックヒースホール 録音 CHANDOS)

160316b このオペラはトーマス・マンの小説「ヴェニスに死す」に基づき1971年12月から1973年3月にかけて作曲されました。ブリテン(Edward Benjamin Britten, Baron Britten OM CH 1913年11月22日 - 1976年12月4日 )の晩年の作品であり、ちょうど心臓病の手術が必要になるくらい健康が悪化した時期とも重なり、1973年5月には国立心臓病病院で弁の交換手術をしました。そういうわけで作曲者自身が原作の主人公ともなお一層重なるというか、共感が強まったのではないかと思われます。

160316a 中年の小説家、グスタフ・フォン・アッシェンバッハが創作の霊感を取り戻すべく訪れたヴェニスで、ポーランドの美しい少年、タッジオを見つけて夢中になり、コレラが流行しているのに危険をかえりみず滞在し続け、やがてタッジオと言葉を交わすことも無くアッシェンバッハは亡くなる、というストリーです。小説はトーマス・マンの実体験に基づき(マンはその旅先で病死したのではないが)、モデルになったポーランド貴族の少年が実在しました。ルキノ・ヴィスコンティ監督により映画化されてそこで使われたマーラーの交響曲第5番のアダージェット共々有名になりましたが、映画ではアッシェンバッハは小説家ではなく作曲家に設定が変わっています(グスタフ・マーラーの名前を拝借しています)。

 オペラの音楽は マーラー5番のアダージェットとはほとんど関係の無く、アッシェンバッハの暗い音楽は十二音列に基づく音楽が度々使われています。歌手が歌う主要キャストはテノールのアッシェンバッハと、彼が出会う様々な死を象徴するバス、バリトンの「声」の二つのみで、他にカウンター・テナーが第一幕の終わりでタッジオが勝つゲームを支配する「アポロの声」を歌います。コーラスはホテルや街の人々の声を受け持ち、少年タッジオやその家族はダンサーによって表現されます(歌わないからCDのキャストには名前が無い)。フィナーレでは露が蒸発するように静かに音楽が終わるの印象的です。なおこのCDは、ヴェネチア(ヴェニス)の水没を食い止めるための国際的な基金「Venice in Peril(危機に瀕したヴェニス)」のチャリティーとしておこなわれた上演後に、好評を受けて同じキャストで録音されたものです。

 基本的にこの作品こそは映画じゃないオペラでも舞台の映像がなければ魅力を実感し難いと思いました。原作の世界に共感を持って少年の肉体の美しさに魅せられるという境地にある人ならCDで十分かもしれませんが、自分は爪の先から産毛の一本に至るまで全然そんな感覚は無いので限界を感じます。ただ、小説の設定が少年ではなくて少女だったら思いっきり俗っぽく、平凡になって身もふたもなくなるだろうとは思います。 
11 4月

ブリテンの「ピーター・グライムズ」 ヒコックス

150411aブリテン 歌劇「ピーター・グライムズ」 Op.33
(台本 : モンタギュー・スレーター)


リチャード・ヒコックス 指揮
シティ・オブ・ロンドン・シンフォニア
ロンドン交響合唱団


ピーター・グライムズ:フィリップ・ラングリッジ(T)
エレン・オーフォード:ジャニス・ワトソン(S)
ボルストロード:アラン・オピー(Br)
おばさん:アメリル・ガンソン(CO)
姪1:イヴォンヌ・バークレー(S)
姪2:パメラ・ヘレン・スティーヴン(S)
ボブ・ボウルズ:ジョン・グラアム・ホール(T)
スワロー:ジョン・コンネル(Bs)
セドリー夫人:アン・コリンズ(Ms)
ホレス・アダムス司祭:ジョン・フライアット(T)
ネッド・キーン:ロデリック・ウィリアムズ(Br)
ホブソン:マシュー・ベスト(Bs)


(1995年7月2-3日,5-7日,8月31日 ブラック・ヒース・コンサートホールズ CHANDOS)

 内輪とよそ者という感覚は今でも時々頭をもたげてくるものかもしれません。復活祭とかペンテコステや聖母被昇天といった大祝日にラテン語の聖歌が歌われることがあり、そういう時には日本に滞在中の西欧か中南米出身者らしき人はよく知っている歌なのでひときわ嬉しそうに見えます。逆にかつて長崎市を訪れた時に初めての教会のミサにあずかった際、これで終わりと思ったところ文語文の知らない祈りを一斉に唱和し出して面食らったことがありました。ベンジャミン・ブリテンの代表作、オペラ「ピーター・グライムズ」は「村」からはみ出しかかった頑固な漁師の話で、どことなく日本的な世界にも見えます(ワシの顔にめんじて、とか、このままお前を村に置いておくわけにはいかんetc)。何にしても周りの皆がやっていることが分からない場合、急に疎外感のような感覚に急き立てられます。

 必ずしも爽やかとは言える話の筋ではないピーター・グライムズは、その音楽の方は独特の美しさで、組曲「4つの海の間奏曲」になっている間奏曲や所々に出てくる合唱曲が魅力的です。このCDはそうした合唱部分が特に魅力的で、残響というか音質の点で劇場的な感じがよく出ています。2008年11月23日に急逝したリチャード・ヒコックスはイギリス人作曲家のオペラもしばしば録音していました。ブリテン作品を他に録音したか未確認ですが、「ピーター・グライムズ」は日本語帯を付けて出回ったのでそこそこ有名だったようです。舞台を観なければ十分伝わらない、奥深い作品かと思っていましたがこのCDは妙に迫るものがありました。

150411b ブリテン(Edward Benjamin Britten 1913年11月22日 - 1976年12月4日 )の名前は指揮者やピアニストとしても目にしますが、オペラを十曲以上も書いた20世紀の大作曲家です。「ピーター・グライムズ」作品33は1944年から1945年にかけて作曲され、同年の7月7日にロンドンでレジナルド・グッドオールの指揮(ワーグナー作品の録音が何種か出ている)により初演されました。対独戦勝直後に似つかわしくないような作品なのに初演は大成功で、以後ブリテンの代表作としてLP、CDも多数出ています。最近では2012~2013年のシーズンに新国立劇場でも上演され、その時の特設サイトがUPされてあり作品や背景、ブリテンについての詳しい解説が載っています(ブリテンと「ピーター・グライムズ」を理解するための5つのキーワード)。作品についての解説等はそれを読めば十分網羅されています。

 オペラの主人公ピーター・グライムズは、手伝いの少年が続けて死んだことから村人らに責められて、自害を促されることになるという結末で、どうにも釈然としない気がします。責める村人らもグライムズの船で働く代りの職場を提供する者はいなかったくせに、と文句の一つも言いたくなります。もっとも世の中は多かれ少なかれそうしたもので、あげあしを取ってもしかたないことです。台本化される過程で、グライムズと手伝いの少年の間にあった同性愛的な要素がかなり薄められたという解説もあり、作曲者(とピーター・ピアーズ)当人の抱えていた問題、苦悩も垣間見れます。

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昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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