アルバン・ベルク ヴァイオリン協奏曲 ~ Dem Andenken eines Engels(ある天使の思い出に)
小澤征爾 指揮
ボストン交響楽団
イツァーク・パールマン:Vn
(1978年11月 ボストン 録音 DG)
先日のヴェーベルンの回、小澤征爾指揮の演奏はTV放送でも視聴していたのを挙げ忘れていました。1980年かそれより前だったかベートーヴェンの交響曲第7番を指揮する姿を指揮台アップで映していて、最後に飛び上がらんばかりだった姿だけは覚えています(それを見て第7番のレコードを買おうと思いました)。それからテレビ以外でも、ロンドン交響楽団とのオネゲル作曲「火刑台のジャンヌ・ダルク」、それの日本語・日本公演版というのもありました。あとグレの歌、今回のベルク等、改めてレパートリーの広さが分かります。ところで今年は2月14日がキリスト教の四旬節の初め、「灰の水曜日(西方教会、特にカトリックの暦)」にあたって大斎(食事の制限があるがラマダンと比べるとゆるい)だと思っていたところ、昔カープに居たシェーン(登録名がシェーン、リチャード・アラン・シェイブラム)外野手がユダヤ教徒だったので、カープ初優勝のシーズン終盤にユダヤ教の贖罪の日には試合に出られなかったと選手名鑑で見たのを思いだしました。それで斎は守れたかというと、ある程度、いやその・・・。
この録音は1978年の2月にストラヴィンスキー、11月にアルバン・ベルクと、パールマン(Itzhak Perlman 1945年8月31日 - )をソリストに迎えて二曲のヴァイオリン協奏曲をレコディングして一枚のレコードとして発売されたものの復刻CDです(CDは他にメータ、ニューヨーク・フィルのタヴェルが入っている)。民族としてベルク、ヴェーベルンはユダヤ系ではないのにシェーンベルクといっしょにナチスによって頽廃音楽だとして演奏を禁止されました。パールマンはテルアビブ出身でしたが両親はユダヤ系ポーランド人、先ほどの広島カープのシェーンはウクライナ系ユダヤ人でした。パールマンについては一部であまり好評ではなく、「パールマンの演奏よりも~(ここに別のヴァイオリニストが入る)に感動できたら自分の感性を信じて良い」式に書かれていました。あるいはパールマンじゃなくてピアニストについての論評だったかもしれませんが類似の指摘でした。
ヴァイオリン協奏曲
第1楽章:Andante-Allegretto
第2楽章:Allegro-Adagio
そういう評があったのはベートーヴェンや独墺系・古典派の演奏を念頭に置いてだったと思いますが、このベルクはまずパールマンの独奏が圧倒的で、この作品にしてこのヴァイオイリン演奏はケチを付け難いのじゃないかと思いました。何をもって、どこがどうだからそうなのか説明できませんが、再生をはじめると最初から引き込まれて、どこかへ運び去られるような心地がします。解説には「(それを聴いた音楽愛好家たちは)パールマンがすでに把握可能なほど多様な要素を持ち、高い芸術的目標をかかげた音楽家として自らの道程を歩んでいることを実感した」とあり、さらに「神によってオリュンポス山の頂に位置する演奏家イツァーク・パールマンの卓越した地位」とほめています。そういえば最近パールマンの動向を見聞きしません。
ベルクの協奏曲は、シェーンベルクが始めた12音技法による作品ながら先日のヴェーベルンの交響曲よりもずっと親しみやすく魅力を感じます。生前の小澤征爾氏に協奏曲を指揮する時はソリストとどちらが主導権をとるかと尋ねると、齋藤秀雄先生の教えでひたすら、できる限り独奏者に合わせるようにすると言われたそうですが、このレコーディングでもそれが効いているのかと思います(演奏者じゃないのでその機微は分からない)。ベルクのヴァイオリン協奏曲は1935年2月に委嘱を受けて8月に完成した作品で、ベルクの作品の中で一番演奏頻度が高いと紹介されています。ベルクはこの作品を完成させた年の12月24日に敗血症により急死しました。また、作曲途中にアルマ・マーラーが再婚してから授かった娘、マノン・グロピウスが急逝したためこのヴァイオリン協奏曲を彼女に捧げると決めて完成を急ぎました。人間はそんなに早く、簡単に死んでしまうのかとしみじみ、否、不思議に思う経過です。初演は作曲者の没後、1936年4月19日にバルセロナで、ヘルマン・シェルヘン指揮、ルイス・クラスナー独奏で行われました。なお、過去記事でこのCDを扱ったと思って探していたけれど見つかりませんでした。のだめカンタービレでも登場していたので扱ったはずで、どこかの項目に分類されて残ってるかもしれません(残ってても大した中身じゃないので)。
小澤征爾 指揮
ボストン交響楽団
イツァーク・パールマン:Vn
(1978年11月 ボストン 録音 DG)
先日のヴェーベルンの回、小澤征爾指揮の演奏はTV放送でも視聴していたのを挙げ忘れていました。1980年かそれより前だったかベートーヴェンの交響曲第7番を指揮する姿を指揮台アップで映していて、最後に飛び上がらんばかりだった姿だけは覚えています(それを見て第7番のレコードを買おうと思いました)。それからテレビ以外でも、ロンドン交響楽団とのオネゲル作曲「火刑台のジャンヌ・ダルク」、それの日本語・日本公演版というのもありました。あとグレの歌、今回のベルク等、改めてレパートリーの広さが分かります。ところで今年は2月14日がキリスト教の四旬節の初め、「灰の水曜日(西方教会、特にカトリックの暦)」にあたって大斎(食事の制限があるがラマダンと比べるとゆるい)だと思っていたところ、昔カープに居たシェーン(登録名がシェーン、リチャード・アラン・シェイブラム)外野手がユダヤ教徒だったので、カープ初優勝のシーズン終盤にユダヤ教の贖罪の日には試合に出られなかったと選手名鑑で見たのを思いだしました。それで斎は守れたかというと、ある程度、いやその・・・。
この録音は1978年の2月にストラヴィンスキー、11月にアルバン・ベルクと、パールマン(Itzhak Perlman 1945年8月31日 - )をソリストに迎えて二曲のヴァイオリン協奏曲をレコディングして一枚のレコードとして発売されたものの復刻CDです(CDは他にメータ、ニューヨーク・フィルのタヴェルが入っている)。民族としてベルク、ヴェーベルンはユダヤ系ではないのにシェーンベルクといっしょにナチスによって頽廃音楽だとして演奏を禁止されました。パールマンはテルアビブ出身でしたが両親はユダヤ系ポーランド人、先ほどの広島カープのシェーンはウクライナ系ユダヤ人でした。パールマンについては一部であまり好評ではなく、「パールマンの演奏よりも~(ここに別のヴァイオリニストが入る)に感動できたら自分の感性を信じて良い」式に書かれていました。あるいはパールマンじゃなくてピアニストについての論評だったかもしれませんが類似の指摘でした。
ヴァイオリン協奏曲
第1楽章:Andante-Allegretto
第2楽章:Allegro-Adagio
そういう評があったのはベートーヴェンや独墺系・古典派の演奏を念頭に置いてだったと思いますが、このベルクはまずパールマンの独奏が圧倒的で、この作品にしてこのヴァイオイリン演奏はケチを付け難いのじゃないかと思いました。何をもって、どこがどうだからそうなのか説明できませんが、再生をはじめると最初から引き込まれて、どこかへ運び去られるような心地がします。解説には「(それを聴いた音楽愛好家たちは)パールマンがすでに把握可能なほど多様な要素を持ち、高い芸術的目標をかかげた音楽家として自らの道程を歩んでいることを実感した」とあり、さらに「神によってオリュンポス山の頂に位置する演奏家イツァーク・パールマンの卓越した地位」とほめています。そういえば最近パールマンの動向を見聞きしません。
ベルクの協奏曲は、シェーンベルクが始めた12音技法による作品ながら先日のヴェーベルンの交響曲よりもずっと親しみやすく魅力を感じます。生前の小澤征爾氏に協奏曲を指揮する時はソリストとどちらが主導権をとるかと尋ねると、齋藤秀雄先生の教えでひたすら、できる限り独奏者に合わせるようにすると言われたそうですが、このレコーディングでもそれが効いているのかと思います(演奏者じゃないのでその機微は分からない)。ベルクのヴァイオリン協奏曲は1935年2月に委嘱を受けて8月に完成した作品で、ベルクの作品の中で一番演奏頻度が高いと紹介されています。ベルクはこの作品を完成させた年の12月24日に敗血症により急死しました。また、作曲途中にアルマ・マーラーが再婚してから授かった娘、マノン・グロピウスが急逝したためこのヴァイオリン協奏曲を彼女に捧げると決めて完成を急ぎました。人間はそんなに早く、簡単に死んでしまうのかとしみじみ、否、不思議に思う経過です。初演は作曲者の没後、1936年4月19日にバルセロナで、ヘルマン・シェルヘン指揮、ルイス・クラスナー独奏で行われました。なお、過去記事でこのCDを扱ったと思って探していたけれど見つかりませんでした。のだめカンタービレでも登場していたので扱ったはずで、どこかの項目に分類されて残ってるかもしれません(残ってても大した中身じゃないので)。