raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

ヴェーベルン、ベルク

14 2月

ベルクのヴァイオリン協奏曲 小澤、パールマン/1978年

240214aアルバン・ベルク ヴァイオリン協奏曲 ~ Dem Andenken eines Engels(ある天使の思い出に)

小澤征爾 指揮
ボストン交響楽団


イツァーク・パールマン:Vn

(1978年11月 ボストン 録音 DG)

240214  先日のヴェーベルンの回、小澤征爾指揮の演奏はTV放送でも視聴していたのを挙げ忘れていました。1980年かそれより前だったかベートーヴェンの交響曲第7番を指揮する姿を指揮台アップで映していて、最後に飛び上がらんばかりだった姿だけは覚えています(それを見て第7番のレコードを買おうと思いました)。それからテレビ以外でも、ロンドン交響楽団とのオネゲル作曲「火刑台のジャンヌ・ダルク」、それの日本語・日本公演版というのもありました。あとグレの歌、今回のベルク等、改めてレパートリーの広さが分かります。ところで今年は2月14日がキリスト教の四旬節の初め、「灰の水曜日(西方教会、特にカトリックの暦)」にあたって大斎(食事の制限があるがラマダンと比べるとゆるい)だと思っていたところ、昔カープに居たシェーン(登録名がシェーン、リチャード・アラン・シェイブラム)外野手がユダヤ教徒だったので、カープ初優勝のシーズン終盤にユダヤ教の贖罪の日には試合に出られなかったと選手名鑑で見たのを思いだしました。それで斎は守れたかというと、ある程度、いやその・・・。

240214b この録音は1978年の2月にストラヴィンスキー、11月にアルバン・ベルクと、パールマン(Itzhak Perlman 1945年8月31日 - )をソリストに迎えて二曲のヴァイオリン協奏曲をレコディングして一枚のレコードとして発売されたものの復刻CDです(CDは他にメータ、ニューヨーク・フィルのタヴェルが入っている)。民族としてベルク、ヴェーベルンはユダヤ系ではないのにシェーンベルクといっしょにナチスによって頽廃音楽だとして演奏を禁止されました。パールマンはテルアビブ出身でしたが両親はユダヤ系ポーランド人、先ほどの広島カープのシェーンはウクライナ系ユダヤ人でした。パールマンについては一部であまり好評ではなく、「パールマンの演奏よりも~(ここに別のヴァイオリニストが入る)に感動できたら自分の感性を信じて良い」式に書かれていました。あるいはパールマンじゃなくてピアニストについての論評だったかもしれませんが類似の指摘でした。

ヴァイオリン協奏曲
第1楽章:Andante-Allegretto
第2楽章:Allegro-Adagio


 そういう評があったのはベートーヴェンや独墺系・古典派の演奏を念頭に置いてだったと思いますが、このベルクはまずパールマンの独奏が圧倒的で、この作品にしてこのヴァイオイリン演奏はケチを付け難いのじゃないかと思いました。何をもって、どこがどうだからそうなのか説明できませんが、再生をはじめると最初から引き込まれて、どこかへ運び去られるような心地がします。解説には「(それを聴いた音楽愛好家たちは)パールマンがすでに把握可能なほど多様な要素を持ち、高い芸術的目標をかかげた音楽家として自らの道程を歩んでいることを実感した」とあり、さらに「神によってオリュンポス山の頂に位置する演奏家イツァーク・パールマンの卓越した地位」とほめています。そういえば最近パールマンの動向を見聞きしません。

 ベルクの協奏曲は、シェーンベルクが始めた12音技法による作品ながら先日のヴェーベルンの交響曲よりもずっと親しみやすく魅力を感じます。生前の小澤征爾氏に協奏曲を指揮する時はソリストとどちらが主導権をとるかと尋ねると、齋藤秀雄先生の教えでひたすら、できる限り独奏者に合わせるようにすると言われたそうですが、このレコーディングでもそれが効いているのかと思います(演奏者じゃないのでその機微は分からない)。ベルクのヴァイオリン協奏曲は1935年2月に委嘱を受けて8月に完成した作品で、ベルクの作品の中で一番演奏頻度が高いと紹介されています。ベルクはこの作品を完成させた年の12月24日に敗血症により急死しました。また、作曲途中にアルマ・マーラーが再婚してから授かった娘、マノン・グロピウスが急逝したためこのヴァイオリン協奏曲を彼女に捧げると決めて完成を急ぎました。人間はそんなに早く、簡単に死んでしまうのかとしみじみ、否、不思議に思う経過です。初演は作曲者の没後、1936年4月19日にバルセロナで、ヘルマン・シェルヘン指揮、ルイス・クラスナー独奏で行われました。なお、過去記事でこのCDを扱ったと思って探していたけれど見つかりませんでした。のだめカンタービレでも登場していたので扱ったはずで、どこかの項目に分類されて残ってるかもしれません(残ってても大した中身じゃないので)。
11 2月

ヴェーベルンの交響曲 クラフト、R.C管弦楽団/1956年

240211アントン・ヴェーヴェルン 交響曲 OP.21
~ヴェーベルン作品全集より

ロバート・クラフト 指揮
ロバート・クラフト管弦楽団


(1956年2月9日 ニューヨーク,コロンビア30丁目スタジオ 録音 SONY CLASSICAL)

 先日の夜、珍しくTVで21時のニュースをみたら小澤征爾の訃報に時間を割いて業績を振り返っていました。小澤征爾の指揮する音楽は結局ラジオかCDでしか演奏を聴くことが無かったなと思いながら振り返ると、マタイ受難曲、アッシジの聖フランチェスコはかなり感銘深く刻まれています。後者の方は長時間の作品の上に録音が少ないので、抜きんでて凄い演奏なのかとかはよく分かりませんが、仏政府の要望で作曲されたものを東洋人が初演を任されるのはなかなか無いことかと思います(もっともメシアンの作風からして同国人よりも東洋人に、という面もあるかもしれません)。あと、京響が京都会館第一ホールで公演をしていた時代に小澤征爾さんも客演したことがあるそうで、当時の京響でもこういう演奏になるのかと驚いたと言う話も聞きました。

 ヴェーベルン(Anton Friedrich Wilhelm von Webern 1883年12月3日 - 1945年9月15日)の交響曲は1928年にウィーンで作曲されて、翌年にニューヨークで初演されました。しかし反応は悪く解説には「嘲笑された(散々)」とまで書かれています。約10分の二楽章からなる作品ながら、聴いてみても何かよく分からない(ぽかん-ん?)ので嘲笑するのも難しいと思います。笑いとは何かという定義について、そこに優越感が介在するという意味の定義もあるので、これを聴いて分からずにいると逆に自分の愚鈍さを笑われているような気分にもなります。音は鳴っていても何も入ってこない、分かったような気にさえならないのは正直な感想です。この曲について
クルシェネク(Ernst Krenek 1900年8月23日 - 1991年12月22日)は、「蜘蛛の巣のように構成され、濃密ながらも、かぎりなく繊細なフレーズがつづくこの華奢な作品」と評しています。

240211b クレンペラーは第二次大戦前に少なくとも二度、
1931年頃のベルリンと1935年のウィーンでこれを指揮(「クレンペラーとの対話」には後記のクルシェネクに詰られ、説き伏せられた件は出てこない)しているようです。一回目と思われる際はクレンペラーが作曲者のヴェーベルンにわざわざ来てもらって(呼びつけて)ピアノで弾いてもらいました(ウィーンに滞在中に来てもらったと書いてあり、1935年のことと混同しているのか)。全般的にヴェーベルンの作品を理解できないとしています。またクレンペラーは、「ヴェーベルンの音楽はおそらくそれが現れた危機の時代のひとつの兆候」、「彼は完全無欠であると思う」とも言っています。

240211a ウィーンで指揮した時の騒動について、オットー・クレンペラー あるユダヤ系ドイツ人の音楽家人生 エーファ・ヴァイスヴァイラー著 明石政紀 訳 (みすず書房)」「オットー=クレンペラーの同時代の証言」の一発目に、「エルンスト・クルシェネク、1935年」として面白い話が載っています。国際現代音楽協会のウィーン支部が資金を得て、室内オーケストラの演奏会を開くことになり、モスクワからロスへの帰途にウィーンへ寄ったクレンペラーをノー・ギャラで指揮者として招くことになりました。クレンペラーは快諾したものの、リハーサルになるとヴェーベルンの交響曲を指揮できないと狂暴にゴネだして作曲者もびびって困りました。緊迫したオーストリアの状況を考慮するとこの手の作品を演奏するとスキャンダルになり、自分の評判を傷つけるようなことはしたくないとクレンペラーは主張しだしました(勝手なやっちゃ)。そこでクルシェネク
は頭にきて、かつてはこういう音楽を指揮してきたくせに、ナチスを怖がって我が身かわいさに拒否するのか、作品を理解できなくても棒を振ってるだけで良いからと強引に説き伏せました。ナチスもクレンペラーも恐れないクルシェネクの硬骨漢ぶりには驚き、畏敬の念もわいてきます。不謹慎ながら極道モノのVシネマの1場面と重なります(叔父貴、今になって指揮できんとはどういうことでっか?カギ十字組をはばかって逃げるんやないやろな?それで筋が通るんでっか!~)。

 なお、ヴェーベルンは大戦後、誤って?射殺されるという非業の最期を遂げています。クレンペラーと同世代なのでもうちょと長生きできたはずで、いまさらながら気の毒です。演奏しているロバート・クラフト(Robert Lawson Craft、1923年10月20日 - 2015年11月10日)はストラヴィンスキーの助手的な仕事を務めた指揮者、音楽学者で、ヴェーベルンの作品全集を監修、レコーディングしています。この交響曲のCDはクラフトの紙箱廉価盤かブーレーズの組物(確か入っていたと思うけど、どこに置いたか分からない)しか持ってないのでとりあえずこれを聴きました。というのも小澤征爾さんの訃報を受けてインスタにUPされたものに、ウィーンの音楽監督就任後の最初の演目が「ジョニーは演奏する」だったと紹介されてあり、クレンペラーを説き伏せた件を思い出しました。
16 2月

ルル組曲 ブーレーズ、ニューヨークPO、ブレーゲン

160216bベルク 「ルル」組曲 ― Symphonische Stücke aus der Oper „ Lulu“

ピエール・ブーレーズ 指揮
ニューヨーク・フィルハーモニック

ルル:ジュディス・ブレーゲン(S)

(1976年5月3日 ニューヨーク 録音 SONY)

 何年か前にまだインターネットエクスプローラーを使ってるんですかと言われたことがあって、Google Chrome にしようとしたことがありました。それでも見慣れたIEが使いやすく思ったのと、当時はIEにしか対応していないサービスがあったので結局そのままIEを使い続けました。そうしている内に去年の12月くらいにウィンドウズの自動アップデートをしてから、ネットのリンクを踏んだりIDによる認証の際にやたら時間がかかるようになりました。特に最初に電源を入れてから立ち上げる時はなかなか目的のサイトにアクセスできずにイライラさせられました。もともとそういう傾向はあったにせよ、ここまで遅くはないと思って試しにGoogle Chromeを使ったらかなり快適だったので使いながら様子を見ようと思います。

160216a ドイツでナチス政権が正式に発足した後の1934年5月13日にアルバン・ベルクのもとへアメリカへ亡命したオットー・クレンペラーのもとから手紙が届きました。「私がこの10月にニューヨークで、あなたの新作オペラからの断章を上演することは可能でしょうか、またあなたにその意向がおありでしょうか?作品の性格上、特定部分をコンサート形式で演奏することが可能かどうか、第一あなたがそれを望まれるかどうか分かりませんが」と(「アルバン・ベルク 地獄のアリア 田代櫂」春秋社)。このクレンペラーからの申し出が「ルル」組曲が生まれるきっかけとなったわけですが、ニューヨークでの上演は実現しませんでした。結局、組曲は同年7月に完成してエーリヒ・クライバーによってベルリンで初演されました。

「ルル」組曲~Symphonische Stücke aus der Oper „ Lulu“
第1楽章:ロンド
- 第2幕のアルヴァとルルの会話の場面。
第2楽章:オスティナート - 第2幕、シェーン博士を射殺したルルを描く映画の音楽。
第3楽章:ルルの歌 - 第2幕、ルルがシェーン博士に向かって歌うアリア。
第4楽章:変奏曲 - 第3幕第1場終わり、ルルが警察から逃れる部分。
第5楽章:アダージョ・ソステヌート - 第3幕終結部。ルルの死とゲシュヴィッツ伯爵令嬢の悲鳴。

 組曲は全曲で30分程度の演奏時間ですが、第5楽章(楽章という表記が適切かどうか)では本当に女声の大きな悲鳴が入っているので原作オペラの空気が出ています。ベルクはウェーヴェルンやシェーンベルク程は厳格な12音技法に拘束されないとか、ワーグナーやマーラーの延長のような響きが垣間見られる等と指摘されますが、この作品でもまさにそうした印象です。ブーレーズはこの録音の年のバイロイト音楽祭から指輪を指揮することになりましたが、このCDで聴くと第1楽章の冒頭あたりはバイロイトのライヴ録音よりもロマン派的な匂いがする気がしました。

 ベルクも自身とベートーベン、ブラームスらとの精神的な絆を信じていたので、全ドイツ音楽協会会長からベルクの音楽のメロディ、ハーモニー、リズム、形式がドイツ的ではないとされ、脱退を強要されたことに深い衝撃を受けていました(フルトヴェングラーのブラームスについての演説は、ドイツ音楽にとってブラームスが代表者だったとしていたことに、マーラー以降の世代が無視されたとして終始不快に思っていた)。そういう時代に生まれた作品ということですが、オペラの「ルル」自体が複雑な台本、内容ですが、ヴォツェックの四管編成に対して三管編成に簡素化?されています。それだけに内向的に破壊的と言える独特な世界です。
13 2月

ベルクの歌劇「ヴォツェック」 アバド、ウィーン国立歌劇場

160213bベルク 歌劇「ヴォツェック」

クラウディオ・アバド 指揮
ウィーン国立歌劇場管弦楽団
ウィーン国立歌劇場合唱団
ウィーン少年合唱団
(ヘルムート・フロウシャウアー合唱指揮)

ヴォツェック:フランツ・グルントヘーバー(Br)
マリー:ヒルデガルト・ベーレンス(S)
鼓手長:ヴァルター・ラファイナー(T)
アンドレス:フィリップ・ラングリッジ(T)
大尉:ハインツ・ツェドニク(T)
医師:オーゲ・ハウグランド(Bs)
第一の徒弟:アルフレート・シュラメック(Bs)
第ニの徒弟:アレクサンダー・マリー(Br)
白痴:ペーター・イエロジッツ(T)
マルグレート:アンナ・ゴンダ(A)
兵士:ヴェルナー・カーメニク(T)

(1987年6月 ウィーン,国立歌劇場 ライヴ録音 DG)

160213 アルバン・ベルク(Alban Maria Johannes Berg 1885年2月9日 - 1935年12月24日 *クレンペラーと同じ1885年生まれ)の代表作、歌劇「ヴォツェック」が初演されたのは1925年12月14日にベルリンで行われました。昨日のプッチーニ最後のオペラ「トゥーランドット」が初演されたのが翌1926年4月25日(ミラノのスカラ座)だったので、二つのオペラは同じ時代の作品ということになります。しかし実際に聴いた印象は大きく違い、トゥーランドットの方がもっと古い作品だと思うのはベルクよりも25年以上も年長のプッチーニの作風によるものでしょう。作品の反響、後の作品に与える影響度はどうもヴォツェックの方が大きそうで、ショスタコーヴィチやガーシュウィンにも影響が指摘されます。

160213a ヴォツェックのレコードと言えば先月急逝したブーレーズやケーゲルのものやベームの録音がありました。特にケーゲルの録音は金属製の構造物で出来た空間がきしむような、追い詰められたようで非日常な世界を思わせる演奏だったと思います(今回同時に聴いていないけれど)。実際話の筋は貧しい兵士が人体実験によって狂気を加速させ、浮気する内縁の妻を殺害するという陰惨さなので、ギラギラとひかる尖鋭な響きが似合いそうです。しかし、アバド指揮のこの録音はそこまでの異様さ、切迫感は不思議と感じられず、イタリアのヴェリズモ・オペラのような、それくらい(という言い方も変か)で止まっている、独特な優雅さが感じられます。

 実は個人的にこのオペラ、作品について書かれたものはしばしば読んでいたもののLP、CDではそんなに聴いたことは無くて、積極的にCDを購入していませんでした。だからここ十年くらいの習慣で車の中で聴く際にもこれは選択していませんでした。難しい理論はさて置き、 ヴォツェックは何となく聴き流し難い、得も言われない心地悪さというのか、逆に言えば素通りしようとしても振り返り足を止めさせる強さがあるので、どうも車中で聴く気にはなれませんでした。ただ、近年メシアンのオペラ「アッシジの聖フランシスコ」を漫然と聴いていると、断片的にヴォツェックの中でも聴こえるフレーズがあるような気がしてどうもこの作品が気になっていました。

 とりあえず今回聴いているとベーレンスとグルントヘーバーの二人の歌唱が特に素晴らしくて、この作品は特に音だけでなく舞台の映像も観たくなりました。CD付属冊子には写真が何枚か入っていて、割に写実的な?舞台セットと衣装のようです。音楽自体は激しくて、抒情的ではないけれどCDで音楽だけを聴いていると能面を付けて演じる能楽を連想させられます(能には面を付けず演じる演目、直面物
もある)。能楽にも狂乱、もの狂いの態という設定、表現があるので元々接点は無いとしても非日常さ加減で通じるところを想像で模索してしまいます。それにしてもアバドもレパートリーが広かったのにはあらためて感心させられます。
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昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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