raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

歌手:E.ヘフリガー

30 5月

シューベルト「白鳥の歌」 ヘフリガー、ヴェルバ・1965年

160530シューベルト 歌曲集「白鳥の歌」 D.957

エルンスト=ヘフリガー:テノール
エリック・ヴェルバ:ピアノ

(1965年9月 ベルリン,UFAスタジオ 録音 DG)

 今年の京都薪能は演目に翁に加えて、絵馬、三輪と神道絡みのものが並び、特に伊勢を舞台として
天照大神が登場する「絵馬」が加わったのは伊勢志摩サミットにちなんだものかと思いつつ、テロも発生せずに済んでとにかく良かったと振り返っていました。ついでに二日目は「養老」も演目に入っているので今年は妙に保守的な内容です。今年は当日が雨になればロームシアターで上演されるので、むしろ雨天の方がゆっくり観られるかなと思いつつまだ切符はとっていません。

 テノールのエルンスト・ヘフリガーによるシューベルトの三大歌曲集と言えば、スイスのクラーヴェスに録音したフォルテ・ピアノのデーラーと共演した録音が有名でした。 しかしそれらはヘフリガーが60歳を超えた(白鳥の歌は65歳)頃でした。それ以前に彼が40代にドイツ・グラモフォンへ録音したものもあり、「ヘフリガーの芸術」という箱物にまとめて入っています。冬の旅、美しい水車小屋の娘と同様に単に声が若々しいというだけでなく、色々と魅力がつまっていそうです。

 「白鳥の歌」は一人の詩人による連作の詩に作曲したのではなく、シューベルト自身が編纂した形態でもないので近年は録音でも曲順を変えたり、違ったスタイルも出ています。しかしこのヘフリガーの録音は、他の二つの連作歌曲集と同じように、ストーリー性とまではいかなくても有機的な結び付がある歌曲集として扱っているような感じられます。特にザイドルの詩による第14曲目“ 
Die Taubenpost(鳩の便り)
” は、あまり軽快速めのテンポで歌わずに、ハイネの詩による第13曲“ Der Doppelgänger(影法師)” の余韻のようなものをとどめて決定的に違ったものという印象にならないようにしています。それに第1曲目も、通常の速さで演奏しているようでもどこか引っかかって、転がらないようなテンポ感になり、それらのおかげで14曲全部に統一感が出ているような気がします。

 その「ひっかかるような」というのは主にピアノ方に感じられるので、これは必ずしもヘフリガー当人の思い通りになってのことじゃないかもしれません。ヘフリガーは1959年に「美しき水車小屋の娘」で共演したフランスの女流ピアニスト、ジャクリーヌ・ボノーともっと共演したがっていたので、この作品も実は彼女のピアノで録音したかったのかもしれません(そうはっきりは言っていない)。
10 11月

シューマン「詩人の恋」 ヘフリガー、ヴェルバ・1962年

151110aシューマン 歌曲集「詩人の恋」作品48

エルンスト=ヘフリガー:テノール
エリック・ヴェルバ:ピアノ

(1962年10月 ベルリン,ランクヴィッツ 録音 DG)

151110b カレンダーを見ると今月29日から待降節・アドヴェントが始まります。それにあわせて京都市内のフランス菓子の専門店で「ベラベッカ」というクリスマス用の菓子が並んでいました。ドライフルーツ、ナッツが詰まった焼菓子なので1、2ケ月は保存できて、出来立てよりも1ケ月くらい寝かせた方が食べごろだということです。待降節に入ってから、少しずつ薄く切って食べる習慣なのでちょうど良いタイミングというわけです。ベラベッカはアルザス地方の菓子で、ドイツのシュトーレン(ドレスデン発祥らしい)と似ているようです(まだ開封していないが、もっとフルーツ等の密度が濃いようだ)。さて、そんな落葉、紅葉の季節なのに「美しい五月になって(Im wunderschönen Monat Mai )~」で始まるシューマンの歌曲集「詩人の恋」です。この歌曲集はハイネの詩集「歌の本(Buch der Lieder )」の中の「叙情的間奏曲(Lyrisches Intermezzo )」から16篇を選んで作曲されたもので、シューマンの歌曲の中では一番有名かもしれません。昔流行った「四季のうた」の歌詞に「秋を愛する人は  心深き人 愛を語るハイネのような~」と、ハイネの名前が出て来るのでこの歌曲集も完全に季節外れじゃないとこじつけておきます。

 このCDはヘフリガーがDGレーベルへ残した録音ですが、後続のヴンダーリヒやフィッシャー・ディースカウの陰に隠れたような恰好になり、一定の年代より後の世代にとっては地味な存在だっと思います。ヘフリガーは他にもシューマンの歌曲をDGへ残していて、ピアノは以前に共演したジャクリーヌ・ボノーをきぼうしたけれど諸般の事情でかないませんでした(ボノーが参加したレコードで勝手に他のピアニストの名前を載せてボノーの名を出さなかったとかトラブルがあったとか)。また、1986年に来日した際に群馬県でこの曲を録音しています。

 若いといってもヘフリガーが40代前半の頃のこの録音は、繊細で陰影の濃い歌唱に感心させられます。「詩人の恋」はバリトンのオラフ・ベーアやフィッシャー・ディースカウ、テノールのヴンダーリヒの録音で慣れていたので彼らの演奏とかなり違ったので余計にそう感じました。特に最後の第16曲、“Die alten, bösen Lieder (古い忌わしい歌) が素晴らしくて新鮮でした。これまでは「詩人の恋」と言えば前半の楽曲のイメージが強くて、甘く切ない世界というイメージが先に立ちました。しかし原詩の世界はそれだけではなくて、ハイネの境遇を反映もした皮肉な苦みが織り込まれています。そうした面がヘフリガーの歌唱ではひと際よく現れていると思います。

 ヘフリガーの声は師匠筋のパツァークの様では無いとしてもとびきりの美声でもない?と思います。バッハの受難曲を歌った時はそうは思わなかったのに、リートを歌っている時はちょっと違った声のように感じられます。ハイネの「歌の本」は邦訳が文庫化されていて、叙情的間奏曲は全部で65篇もあります。その中から順番を変えつつ16篇を選んで作曲しましたが、日本語訳だけを読んでいると全然ピンと来ない詩もシューマンの歌で聴くとすんなりと入ってきます(原詩のニュアンスがどうなっているかは何とも言えない)。ところで、「四季の歌」は四つの季節を愛する人はどういう人だと断じる歌詞でした。自分は晩秋と冬が好きなのにそれには当てはまらず、思い当るふしはありません。
2 11月

シューベルト「冬の旅」 ヘフリガー、小林道夫・1969年

151102シューベルト 歌曲集「冬の旅」 op.89, D.911

エルンスト=ヘフリガー:テノール
小林道夫:ピアノ

(1969年12月 東京,日本グラモフォン第1スタジオ 録音 DG)

 エルンスト・ヘフリガー(Ernst Haefliger 1919年7月6日 - 2007年3月17日)の歌曲のレコード、それも1950~1970年くらいの録音はどれくらいあったか、評判はどうだったのかと思ったところリヒターのマタイ受難曲くらいの決定的な名盤という程のものは案外見当たりません。それどころか現在入手し易いものは少なくて、そもそもどれだけ種類があったかも確認し難い状態です。シューベルトの「冬の旅」は1960年代にドイツ・グラモフォンに録音していたというのは分かっていましたが、それは「エルンスト・ヘフリガーの芸術」という箱物に入っているこの録音のことだったのが分かりました。ヘフリガーはこの録音の後、フォルテピアノのデーラーと共演した1980年と1991年に東京(岡田知子のピアノ)でライヴ録音しています。

 この録音はヘフリガーが50歳になる年に東京で録音されました。それまでにDGへシューベルトの三大歌曲のうち「美しき水車小屋の娘」と「白鳥の歌」の二作品は録音していて、ディレクターのシラー教授がDGを去ったので「冬の旅」が録音されないままになっていたので、あまりに残念だったので日本で録音することになったものでした。だからこの「冬の旅」は日本でのみ発売され、本場では未発売のままでした。日本の録音技術者やピアニストへの信頼が薄いのか、ちょっと残念な扱いです。

 ヘフリガーが「冬の旅」全曲を演奏するのはこの時が初めてだったそうですが、実際に聴いていると50歳という年齢を忘れさせる若々しく、敢えて言えば初々しくさえある歌声で新鮮な驚きです。それに詩の世界、青年にかなり入り込んでいるような歌唱で、青年がたった今失意、傷を負ったような痛々しさが漂います。第24曲の最後ではフィッシャー・ディースカウの1962年・EMI盤と似た感じで、半ば叫ぶような悲痛な調子で終わっているのが印象的です。最近ではこういう終わり方はきかないので目立ちます。

 ヘフリガーが1991年かその前後くらいに来日した時の「冬の旅」について、レコ芸か何かの雑誌で取り上げられていたことがありました。そこでヘフリガーの解釈をとんでもない解釈とか批判していた評がありました。詳しくは覚えていませんが、冬の旅の「青年」は最後短銃か何かで自殺するといった解釈で、どうやら自殺の方法に問題があったようです。それと1969年録音のこのCDと関係があるのか、その後ヘフリガーの解釈が変わったのか色々気になります。
26 10月

シューベルト 美しい水車小屋の娘 ヘフリガー,ボノー・1959年

151026シューベルト 歌曲集 「美しき水車小屋の娘」 D.795

エルンスト=ヘフリガー:テノール
ジャクリーヌ・ボノー:ピアノ

(1959年8月 ミュンヘン,ヘラクレスザール 録音 DG)

 エルンスト・ヘフリガー(Ernst Haefliger 1919年7月6日 - 2007年3月17日)のシューベルトならばフォルテ・ピアノのデーラーと共演した録音が有名でしたが、もっと若い頃にもDGへ録音していました。この録音はヘフリガーが40歳になる頃、ちょうどリヒターのマタイ受難曲の録音が終わった直後くらいのものでした。そうすると後年の録音はもう還暦を迎える頃の録音だったことになり、その歌声からするとそんな年齢だとは思えないくらいでした。ヘフリガーは1942年にバッハのヨハネ受難曲のエヴァンゲリストを歌ってデビューしましたが、その際にユリウス・パツァークに付いて一年間、毎日猛勉強したそうです。歌曲については彼から声の技巧ではなく、音楽性を学んだと後に言っています。具体的にはシューベルトのミサ曲第1番のテノール二重唱をいっしょに歌い、真似するかたちで歌ったのが唯一の機会だったということです。また、ヘフリガーにとってパツァークは父親のような存在だったとも言っています。

 この「美しい水車小屋の娘」は一定以上の年代の方にはお馴染みの名盤だったようで、時々賛辞のレビューを見かけました。改めて聴いてみると張りのある若々しい声が印象的で、「r」の発音の巻き舌?強烈に聞こえてきます。ここまでルルッと転がるように響いたのは他には覚えがありません。それはともかくとして、印象深いのは強く大きな声で歌っているところだけではなくて、声量を抑えて弱く歌う部分が特に魅力的なことでした。例えば最終、第20曲目 Des Baches Wiegenlied(小川の子守歌) の出だしのところはまるでいたわるようにそっと歌い始め、最初聴いた時はこんなに小さな声でと驚くくらいです(慣れるとそうでもないかもしれない)。いたわると言うより、詩の青年を批判も称賛も無くありのまま受け入れている、同じ川の水に浸かって抱き上げているような共感、対等さとでも言えば良いのか、そんな自然な美しい歌声です。 

 ヘフリガーは1970年にも小林道夫のピアノとこの作品を録音していました。今回のピアニスト、ジャクリーヌ・ボノーはあまり有名ではありませんが、ヘフリガーが特に希望、指名して共演した人で、ジェラール・スゼーの伴奏を多くつとめていました(パリ音楽院ではスゼーと同期生だったらしい)。ヘフリガーが指名しただけあってと言うべきか、妙に彼の声とぴったり合うピアノで、声楽とピアノ共に純音楽的にも美しい演奏です。声の輝きという点ではペーター・シュライアーやフリッツ・ヴンダーリヒとは対照的かもしれませんが、特にシューベルト作品を歌っては互いに引き立つ歌声だと思いました。

 ところでヘフリガーがあのリヒターとのマタイ受難曲を録音する前にカラヤンからも録音に誘われていました。ヘフリガーは自分が歌ったマタイの中で良かったのはカラヤン指揮でペルージアの大聖堂で歌ったものだったと言っています。カラヤンのマタイは非常に厳しいもので、既にリヒターとの録音の契約をしていたので断らざるを得なかったと残念がっています(インタビュー者がカラヤンとは遠いレパートリーと言ったのと対照的である)。
22 11月

シューベルト 「美しき水車小屋の娘」 ヘフリガー,小林 1970年

111122シューベルト 歌曲集 「美しき水車小屋の娘」 D.795


エルンスト=ヘフリガー:テノール

小林道夫:ピアノ


(1970年11月30日,12月2・4.・5日 録音 EMI )


 ここ二日間は特に朝が冷え込んで、ふとんから出たくない気分です。朝の通勤時は河原町通十条から北上する道をよく通りますが、今朝は塩小路高倉を回りました。そこはJR東海道線他を跨いで通過した直後に「第一旭」、「新福菜館」という二軒のラーメン屋が並んで営業しています。朝8時半前から店が開いていて客が入っていました。朝からラーメンとは胃腸も健康なんだと感心しながら通り過ぎました。


 過去に「冬の旅」は何度も記事投稿していましたが、同じシューベルトによる連作歌曲集でもこの曲は今回が初めてです。はじめて「美しき水車小屋の娘」をじっくり聴いたのは1980年代末頃で、冬の旅にはまってしばらくしてからでした。LPではなく、CDでフィッシャー・ディースカウ・1971-1972年のDGへの録音でした。冬の旅の方はDGではなくて、それ以前のEMIへの録音でしたが、同じフィッシャー・ディースカウでも何故この曲は70年代の方にしたか、経緯などは覚えていません。ただ、聴いた印象は、相手の態度やら言動にほとんど一喜一憂する敏感な青年の姿が思い浮かび、痛々しさもこみ上げてきました。テノールが歌うことも多く、冬の旅に比べるとやや単調に感じられるこの曲でも、フィッシャー・ディースカウの演奏では変化があって陰影のようなものを感じさせます。


1:Der Wandern(さすらい)
2:Wohin?(どこへ?) 
3:Halt! (止まれ!) 
4:Danksagung an den Bach(小川への言葉) 
5:Am Feierabend (仕事を終えた宵の集いで) 
6:Der Neugierige (知りたがる男) 
7:Ungeduld(苛立ち) 
8:Morgengruß(朝の挨拶) 
9:Des Müllers Blumen(水車職人の花) 
10:Tränenregen(涙の雨) 
11:Mein!(僕のもの)
12:Pause (休み) 
13:Mit dem grünen Lautenbande(緑色のリュートのリボンを手に) 
14:Der Jäger (狩人) 
15:Eifersucht und Stolz (嫉妬と誇り) 
16:Die liebe Farbe(好きな色) 
17:Die böse Farbe(邪悪な色) 
18:Trockne Blumen(凋んだ花) 
19:Der Müller und der Bach(水車職人と小川) 
20:Des Baches Wiegenlied(小川の子守歌) 


  「美しき水車小屋の娘」は、ヴィルヘルム・ミュラーの「旅する角笛吹きの遺稿からの詩集」に収めた23篇の詩からシューベルトが上記の通り20篇を選び作曲した連作歌曲集で、1823年(冬の旅より4年古い)に作曲されています。修行中の粉ひき職人が滞在先で若い娘に懸想したけれど、若い狩人に横取り(というか当初からお呼びではなく、知らなかっただけか)されて失望し、自害(詩ではそんな直接的な描き方をしていない)する、永遠の眠りにつくという物語の詩です。この曲はペーター・シュライアー(テノール)とアンドラーシュ・シフ(ピアノ)による1989年録音のCDが特に好きでした。このヘフリガー・旧盤はそれよりももっと爽やかで、若々しくきこえて、それだけにあまり濃厚な表現をしていないのに痛々しいような美しさが迫ります。特に、詩の中の青年の状況が一変する第14曲「狩人」の速いテンポが、よどみない美しさです。


  そのシュライアーのCDに付いている解説の中に、この歌曲集、原詩の背景について説明されています。当時のドイツでは、パイジェッロのオペラ「 水車小屋の娘への恋 」という 作品が大流行し、その波及効果で「水車小屋の娘への恋」というモチーフがいろいろな分野で用いられました。ゲーテも自分が監督するワイマルの劇場でそのパイジェッロのオペラを何度も上演しています。原詩の作者ミューラーが出入していたシュテーゲマン家のサロンでも、「ばら、水車小屋の娘」という題で連作形式のリートを作り上演していました。ゲーテの詩を参考にミューラーが詩を作り、メンデルスゾーンの先生だったルートヴィヒ・ベルガーが作曲して、ミューラー自身が「粉ひき職人」、シュテーゲマン家の娘が「水車小屋の娘」、画家のヘンゼル(後にメンデルスゾーンの姉と結婚する)が狩人役を担当して歌います。ミーラーの上記の23篇の詩はこの時に作ったものがもとになっています。


 シューベルトはそうして発表されたミューラーの23篇からなる詩集の中で、長過ぎるものや同じような内容が重なるものを除いた20篇に曲をつけたというわけで、ベルリンの音楽サロン(ミューラーが出入したシュテーゲマン家)と、ウィーンのシューベルティアーデという二つの教養サークルが、はからずも共同で新しい市民のための音楽を生み出したと説明されています。こういう背景を知ると、詩の世界(粉ひき職人の青年)やシューベルトに対する悲観的な意識も薄まり、何となく曲想がしっくり来る気がします。


 ヘフリガーやシュライアーはバッハの受難曲における「福音書記者・エヴァンジェリスト」の歌い手としても定評があり、彼らだけでなくクリストフ・プレガルディエン、ハンス・イェルク・マンメル、マーク・パドモアといった歌手も同様です。ヘフリガー(1919-2007年)はこの録音の10年後くらいにシューベルトの歌曲集を続けて録音しています。その際は現代のピアノではなく、作曲者が生きた時代のフォルテピアノを使って共演していました。今回はヘフリガーが51歳の時の録音なので、その一連の録音時よりも声の状態は良く円熟期を迎える頃です。このCDは新聖堂の企画で復刻された国内盤で、どうも再録音の陰にかくれていたようですが、曲そのものの美しさの点ではむしろ優れているのではないかと思いました。ピアノの小林道夫も素晴らしく、同時期に録音されたヘフリガーの冬の旅でも指名を受けてピアノを担当しています。

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昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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