ヨーゼフ・プロチュカ (T)
ヘルムート・ドイチュ (P)
(1985年12月,1986年3月 バドウラッハ 録音 Capriccio)
先日の夕方四条東洞院辺りに居ると祇園祭りの囃子がきこえてきました。歩道のスピーカーで流しているのかと思ったらそうではなくて、集まって囃子の練習をしていました。洛中の生まれ育ちでないので別に思い入れはありませんがまた夏だなとしみじみ思いました。新茶、縣祭、田植と続くこの季節、故郷の宇治では一番良い季節のような気がしています。ああ、それから今年は左京区要法寺のカルガモ親子の引っ越しのニュースは無かった(去年までのは同動画がUPされている)のも思い出しました。
この「美しい水車小屋の娘」のLPは後に白井光子の「冬の旅」とあわせてCD化されていますが、新譜当時の反響等は全く知りません。新譜時に国内盤で出たかどうか未確認ですが、当時はレコ芸を図書館で見るなり買うなりしてチェックしていたので、新譜が出ていれば少しは記憶に残ったはずです(オラフ・ベーアはEMIから出ていたので広告もそこそこ目立っていたのに対して、カプリッチョ・レーベルなら国内盤か国内仕様で発売されても地味だったかもしれない)。ラ・ヴォーチェ京都の店頭で聞くとこの年代の代表的なレコーディングとして有名だったようです。なお、このLPのジャケットは何故かレコードが二枚入るタイプの紙ケースになっていますが元から一枚だけの製品です。
とりあえず再生してみると若々しく屈託ない美声があふれて、先日のヘルマン・プライの回でふれた「水車小屋の美しい娘 シューベルトとミュラーと浄化の調べ 梅津時比古(春秋社)」にあった職業差別の問題等は感じさせない世界です。歌い出すと何の障りもなく音楽が聴き手の中に飛び込んで来る率直さの反面、陰りのようなものが無さ過ぎないかとも思えます。それは聴いている自分が鈍なことがあるかと思いますが、同じテノールの有名なヴンダーリヒのレコードの場合はその辺りが違っている気がします(どう違うかと言われると困るが)。それからこの演奏、ピアノのドイチュも目立っていて、歌声と同じくらいに注目してしまいます。
ヘルムート・ドイチュ(Helmut Deutsch 1945年12月24日 - )と言えば鮫島有美子と結婚していたはずですが、最近のプロフィールではそのことに触れられていないようです。それは良いとして、オーストリア出身でヘルマン・プライと歌曲で長く共演していたのも注目です。プラハ生まれのヨゼフ・プロチュカ(Josef Protschka1944年2月5日- )は過去記事であつかったヒンデミットのオペラ「画家マチス」の全曲盤・G.アルブレヒト指揮ではマインツ大司教役で参加する等、モーツアルト作品以外にも色々な作品で歌っています(プロチュカの方が年長だったとは意外)。
「水車小屋の美しい娘 シューベルトとミュラーと浄化の調べ 梅津時比古(春秋社)」に載っている中世ヨーロッパの階級・身分の話、文字が読めない庶民にも分かるような絵で示した表があるそうで、一番下がユダヤ人でそれより上がスラヴ人、その少し上がザクセン人となっています。この辺りの機微は全然分かりません。ザクセン人というのはドレスデンとかあの地域に住んでる人のことなのか、全く奇妙です。
先日の夕方四条東洞院辺りに居ると祇園祭りの囃子がきこえてきました。歩道のスピーカーで流しているのかと思ったらそうではなくて、集まって囃子の練習をしていました。洛中の生まれ育ちでないので別に思い入れはありませんがまた夏だなとしみじみ思いました。新茶、縣祭、田植と続くこの季節、故郷の宇治では一番良い季節のような気がしています。ああ、それから今年は左京区要法寺のカルガモ親子の引っ越しのニュースは無かった(去年までのは同動画がUPされている)のも思い出しました。
この「美しい水車小屋の娘」のLPは後に白井光子の「冬の旅」とあわせてCD化されていますが、新譜当時の反響等は全く知りません。新譜時に国内盤で出たかどうか未確認ですが、当時はレコ芸を図書館で見るなり買うなりしてチェックしていたので、新譜が出ていれば少しは記憶に残ったはずです(オラフ・ベーアはEMIから出ていたので広告もそこそこ目立っていたのに対して、カプリッチョ・レーベルなら国内盤か国内仕様で発売されても地味だったかもしれない)。ラ・ヴォーチェ京都の店頭で聞くとこの年代の代表的なレコーディングとして有名だったようです。なお、このLPのジャケットは何故かレコードが二枚入るタイプの紙ケースになっていますが元から一枚だけの製品です。
とりあえず再生してみると若々しく屈託ない美声があふれて、先日のヘルマン・プライの回でふれた「水車小屋の美しい娘 シューベルトとミュラーと浄化の調べ 梅津時比古(春秋社)」にあった職業差別の問題等は感じさせない世界です。歌い出すと何の障りもなく音楽が聴き手の中に飛び込んで来る率直さの反面、陰りのようなものが無さ過ぎないかとも思えます。それは聴いている自分が鈍なことがあるかと思いますが、同じテノールの有名なヴンダーリヒのレコードの場合はその辺りが違っている気がします(どう違うかと言われると困るが)。それからこの演奏、ピアノのドイチュも目立っていて、歌声と同じくらいに注目してしまいます。
ヘルムート・ドイチュ(Helmut Deutsch 1945年12月24日 - )と言えば鮫島有美子と結婚していたはずですが、最近のプロフィールではそのことに触れられていないようです。それは良いとして、オーストリア出身でヘルマン・プライと歌曲で長く共演していたのも注目です。プラハ生まれのヨゼフ・プロチュカ(Josef Protschka1944年2月5日- )は過去記事であつかったヒンデミットのオペラ「画家マチス」の全曲盤・G.アルブレヒト指揮ではマインツ大司教役で参加する等、モーツアルト作品以外にも色々な作品で歌っています(プロチュカの方が年長だったとは意外)。
「水車小屋の美しい娘 シューベルトとミュラーと浄化の調べ 梅津時比古(春秋社)」に載っている中世ヨーロッパの階級・身分の話、文字が読めない庶民にも分かるような絵で示した表があるそうで、一番下がユダヤ人でそれより上がスラヴ人、その少し上がザクセン人となっています。この辺りの機微は全然分かりません。ザクセン人というのはドレスデンとかあの地域に住んでる人のことなのか、全く奇妙です。