raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

シューベルト・水車小屋

13 6月

美しき水車小屋の娘 プロチュカ、ドイチュ/1985,86年のLP

230612aシューベルト 歌曲集「美しき水車小屋の娘」 Op.25  D.795

ヨーゼフ・プロチュカ (T)

ヘルムート・ドイチュ (P)

(1985年12月,1986年3月 バドウラッハ 録音 Capriccio)

230612b 先日の夕方四条東洞院辺りに居ると祇園祭りの囃子がきこえてきました。歩道のスピーカーで流しているのかと思ったらそうではなくて、集まって囃子の練習をしていました。洛中の生まれ育ちでないので別に思い入れはありませんがまた夏だなとしみじみ思いました。新茶、縣祭、田植と続くこの季節、故郷の宇治では一番良い季節のような気がしています。ああ、それから今年は左京区要法寺のカルガモ親子の引っ越しのニュースは無かった(去年までのは同動画がUPされている)のも思い出しました。

 この「美しい水車小屋の娘」のLPは後に白井光子の「冬の旅」とあわせてCD化されていますが、新譜当時の反響等は全く知りません。新譜時に国内盤で出たかどうか未確認ですが、当時はレコ芸を図書館で見るなり買うなりしてチェックしていたので、新譜が出ていれば少しは記憶に残ったはずです(オラフ・ベーアはEMIから出ていたので広告もそこそこ目立っていたのに対して、カプリッチョ・レーベルなら国内盤か国内仕様で発売されても地味だったかもしれない)。ラ・ヴォーチェ京都の店頭で聞くとこの年代の代表的なレコーディングとして有名だったようです。なお、このLPのジャケットは何故かレコードが二枚入るタイプの紙ケースになっていますが元から一枚だけの製品です。

 とりあえず再生してみると若々しく屈託ない美声があふれて、先日のヘルマン・プライの回でふれた「水車小屋の美しい娘 シューベルトとミュラーと浄化の調べ 梅津時比古(春秋社)」にあった職業差別の問題等は感じさせない世界です。歌い出すと何の障りもなく音楽が聴き手の中に飛び込んで来る率直さの反面、陰りのようなものが無さ過ぎないかとも思えます。それは聴いている自分が鈍なことがあるかと思いますが、同じテノールの有名なヴンダーリヒのレコードの場合はその辺りが違っている気がします(どう違うかと言われると困るが)。それからこの演奏、ピアノのドイチュも目立っていて、歌声と同じくらいに注目してしまいます。

 ヘルムート・ドイチュ(Helmut Deutsch 1945年12月24日 - )と言えば鮫島有美子と結婚していたはずですが、最近のプロフィールではそのことに触れられていないようです。それは良いとして、オーストリア出身でヘルマン・プライと歌曲で長く共演していたのも注目です。プラハ生まれのヨゼフ・
プロチュカ(Josef Protschka1944年2月5日- )は過去記事であつかったヒンデミットのオペラ「画家マチス」の全曲盤・G.アルブレヒト指揮ではマインツ大司教役で参加する等、モーツアルト作品以外にも色々な作品で歌っています(プロチュカの方が年長だったとは意外)。

 「水車小屋の美しい娘 シューベルトとミュラーと浄化の調べ 梅津時比古(春秋社)」に載っている中世ヨーロッパの階級・身分の話、文字が読めない庶民にも分かるような絵で示した表があるそうで、一番下がユダヤ人でそれより上がスラヴ人、その少し上がザクセン人となっています。この辺りの機微は全然分かりません。ザクセン人というのはドレスデンとかあの地域に住んでる人のことなのか、全く奇妙です。
6 6月

シューベルト 水車小屋の美しい娘 プライ 三度目/1985年

230606cシューベルト 歌曲集 「美しき水車小屋の娘」D.795

ヘルマン・プライ:Br

フィリップ・ビアンコーニ:ピアノ

(1985年 ドイツ,ヴィルトバート=クロイト,ハンス・ザイドル財団大ホール 録音 DENON)

230606b シューベルトの三大歌曲集 “ Die Scöhne Müllerin ” は「美しい水車小屋の娘」という日本語訳が定着しています。「美しい」のは娘であって水車小屋が見事な細工で美しいわけではないと了解されていますが、それなら「水車小屋の美しい娘」で良いのじゃないかと書いてあったことがありました。そう思ったらまさにそれをタイトルにした「水車小屋の美しい娘 シューベルトとミュラーと浄化の調べ 梅津時比古(春秋社)」という単行本を見つけました。その最初の方に、三上かーりん(三上・カタリーナ・マルガレータ 1934年4月28日:独,ヴェストハイム-2019年1月:日,東京/日本人と結婚して三上姓)というピアニスト、歌曲ピアニストを紹介してあり、彼女の実家が代々製粉業を営む水車屋だったそうで、この「美しい(scöhne)」はどの語にかかるのかを講演の際に自己紹介する材料にしていたとか。それから「水車屋」、
水車の動力で製粉する家業は社会的に低く見られ、一種の差別を受けるものだったそうです。新約聖書の福音書に出て来る徴税人ほどではないかとおもいますが、そもそも階級社会だからこういうものは他にもあるのでしょう。

230606a その本は少し読んだだけですが、同時にヘルマン・プライ(Hermann Prey 1929年7月11日 - 1998年7月22日)の三度目録音とブンダーリヒのDG録音のLPを聴いていたのでバリトンとテノールの両方で歌うことの差が妙に気になるというか、際立ちます。プライにとってビアンコーニとの録音がこの作品の三度目ということになり、録音当時は50代半ばでした。若手のピアニストを起用したこの水車小屋(このピアニストと三大歌曲集を連続して録音している)は不思議なくらい負の感情を感じさせない、また、感情の起伏が抑えられて大らかな歌になっています。

 そういう歌唱なので上記の社会的、職業的差別云々ということを連想し難いもので、全部飲み下して達観したとでも言えば良いのか、そういう穏やかさに覆われています。
第14曲 “ Der Jäger (狩人)” 、第15曲“ Eifersucht und Stolz (嫉妬と誇り)” でも攻撃的な感情は抑えられていて、例えば若い頃のペーター・シュライヤーを連想すると対照的におとなしいものです。同じテノールでもヴンダーリヒの方は何となく今回のプライに近い印象です。そう思いながら何度か聴いていると、何となく陰り、曇りを帯びているようにも思えて、そんなに単純なものでもなさそうです。

 それにしても、現代の極東に住まう我々は水車小屋とか製粉ときくとどこかのどかで、和やかな感じがしますが、社会的、職業差別の対象だったとはちょっと意表を突かれます。といっても日本にも複雑な問題はあるので、別に驚くこともありませんが、こういう背景を知ると作品に対する印象がちょっと違ってきます。他にも水車小屋、人里離れた地にある、という点で密会には好都合であることから性的な事柄を暗示する言葉という意味もあったりとか、歌詞に対するイメージから想像する映像が陰りを帯びてきます。
7 10月

美しい水車小屋の娘/フォーゲル版 シュライヤー、シェトラー/1980年

211006aシューベルト 歌曲集 「美しき水車小屋の娘」D.795

ペーター・シュライアー:テノール

ノーマン・シェトラー:ピアノ

(1980年8月22-23日 ザルツブルク 録音 musicaphon REFLECTIONS)

 十月を神無月と呼ぶ由来を「漫画日本昔話」で子供の頃に見たような記憶があります。八百万の神々がどこかに集まっているからとかだったと思いますが、昨年来そういう都道府県をまたいだ移動やら三密になる四人以上の会食、会合はやり難いのでそういう話さえ、通常の生活が可能だった頃の明るさを感じてしまいます。与党の人事や組閣のニュースが連日流れていますが、あっせん利得の嫌疑があった議員が幹事長就任とはちょっと驚きました(ちょっとだけ)。それにあれだけの不祥事があったのに結局、財務大臣は特に責任をとらず・・・。それはともかくとして、シューベルトの歌曲集「美しき水車小屋の娘」が作曲されたのは1823年の10月から11月の頃だったそうで、「冬の旅」と同様に十月はシューベルトの旬とも言える季節です。

211006b これは1980年にペーター・シュライヤーが「美しき水車小屋の娘」を何種か録音した内の一つです。付属冊子には、曲名の下に「1823年の10月から11月にヨハン・ミヒャエル・フォーゲルによって変えられた」という注記がありました。聴いていると、所々で「あれ?」と思い、聴き覚えている音と違うものが聴こえてきます。フレーズの末尾を変えて、揺らしたりしています。だから「フォーゲル版」という程の違いは無いのでしょうが、この作品の作曲年と同じ年なので、この変更の意義やら経緯、位置付けはどうなっているのだろうと思います。

 楽譜・版の違いはあってもシュライヤーの張りのある輝かしい声は魅力的です。ただ、ちょっと甲高くて突き刺さるような感じもします。「美しき水車小屋の娘」の歴史的名盤であるヴンダーリヒのDG盤を直前に聴いたので、声質の違いと表現、歌唱から来る印象の違いを実感しました。シュライヤー(Peter Schreier 1935年7月29日 - 2019年12月25日)はこの年45歳になる壮年の頃でしたが、五歳年長のヴンダーリヒが亡くなる直前に水車小屋をセッション録音したのは35、6歳でした。どちらも青年という年齢でこの曲集をレコーディングしたわけではないにせよ(シュライヤーは若く聴こえるけれど)、ヴンダーリヒの方が生々しいというのか、詩の中の青年の呼吸を身近に感じられる気がします。

 非ドイツ語圏の我々が歌を聴く場合、ヴンダーリヒの歌唱の方が自然と抵抗なく入ってくる気がします。しかし、詩の内容に注目して訳を見ながら聴くとシュライヤーの方も面白いと思いました。この1980年の録音よりも後年、シフと共演した方は特にそう思いました。1980年と言えばカール・リヒターの最後に録音したマタイ受難曲で福音史家を歌った直後でした。マタイの後に水車小屋を年間に三連続でレコーディングするとは凄い集中力です。
17 1月

水車小屋の美しき娘 ボー・スコウフス、ドイチェ/1997年

180117シューベルト 歌曲集 「水車小屋の美しき娘」 D.795

ボー・スコウフス:Br

ヘルムート・ドイチュ:P

(1997年3月25-27日 バンベルク,レーグニッツ・シンフォニー・コンツェルトハレ 録音 SONY)

 今日は阪神淡路大震災から23年の日でした。ラジオで取り上げてなかったら気が付かずに終わったかもしれないくらいです。それでも23年前の朝のことはまだ覚えていて、目が覚めた瞬間に大きな揺れが来てラックに収めたCDが半数以上落下したり、かつて経験したことのないゆれでした。それから電車のダイヤが大混乱になり、近鉄電車の車内でイライラしながら別路線のより大編成な列車通過を待っていました。震源地から離れていたのでその程度で済んだわけですが、ラジオ番組を聴いていると被災者、遺族の方々にとってはまだ記憶が生々しいのだと思いました。それに地震に原発事故が加わると20年やそこらでは片付かないという深刻さが改めて迫ってきます。

180117b これは先日の「冬の旅」のバリトン、ボー・スコウフスが1990年代に録音したシューベルトの作品の一つです。ジャケットというのか付属冊子に使われた彼の写真の風貌は最近の写真とはえらく違い、「分け入っても分け入っても長い髪」、後姿の写真なんかは当時35歳なのでまだ青年の雰囲気も残ります(正面斜めからの肖像写真を見ても地毛のようである)。1997年頃と言えば自分がクラシック音楽をあまり聴かなくなってきて、ボー・スコウフスの新譜は全く気が付かず近年になって存在を知りました。

180117a 「今回の水車小屋」も最初から速めのテンポで通し、そのために張り詰めた空気につつまれています。特に第14曲 “ Der Jäger (狩人)” 、第15曲 “ Eifersucht und Stolz (嫉妬と誇り)” が攻撃的で、それでも声質のためか上品にきこえます。対照的に落ち込んだような直後の第16曲 “ Die liebe Farbe(好きな色) ” が感動的です。最終曲はなにか終着駅にたどり着いた安堵感を思わせる、角がとれて静かな歌唱になります。たいていの演奏が多かれ少なかれそんな感じだとしても、この録音は注意深く前半の張り詰めた間隔を解いたように感じられてより印象的でした。

 この歌曲集をバリトンが歌うこと、他の編成ではなくピアノと演奏することの美しさを改めて印象付けられる内容だと思いました。ピアノは鮫島有美子の夫としても知られたヘルムート・ドイチュ(Helmut Deutsch 1945年12月24日,ウィーン - )です。彼の名前はよくきくもののリート作品でピアノを弾いた演奏は滅多に聴いた(鮫島有美子のアルバムくらい)覚えはなくて、白井光子の夫のヘルムート・ハル(違う表記かもしれない)と時々混同してしまいます。
12 9月

水車小屋の美しい娘 ゲルネ、エッシェンバッハ/2008年

170912bシューベルト 歌曲集 「水車小屋の美しき娘」 D.795

マティアス・ゲルネ:バリトン

クリストフ・エッシェンバッハ:ピアノ

(2008年2月 ベルリン,Teldex Studio 録音  Harmonia Mundi)

 今朝は地響きのような雷鳴と天ヶ瀬ダムの放流警報で目がさめました。雷はさらに派手になり猛烈な雨になりましたが幸いに数年前のようにはならずに済みました。ただ、そのかわりに奈良県下では冠水したりひどいことになっていました。テレビやネットの映像には何度も行ったことがある場所も映っていました。近鉄の橿原神宮前駅は新しくなる前の方が馴染み深くて、橿原線ホームと吉野、南大阪線ホームの間にあった書店や喫茶店を不意に思い出しました。紫陽花が有名な久米寺というのもあったはずですが、このあたりの神武陵は幕末に再建、橿原神宮は明治の創建の割に今となってはもっと古くからあるような貫禄です。

170912a 昨夜のローエングリンの主役級の二人はそれぞれロシア(ネトレプコ)、ポーランド(ベチャワ)とドイツ語圏以外の出身でした。この国際化の時代に今さらというところですが、終演後には二人とも盛大な拍手を受けていたのでドイツ人にとっても特に不満は無いのだなと思って視聴していました。それならドイツ・リートはどうなのかと、シューベルト作品のことを思い出していました。ジェラール・スゼーやピーター・ピアーズが「冬の旅」をレコード録音していたので同様かもしれませんが、最近はドイツ・リートで注目されるフランス人とかロシア人は居たか?と思いました(英語圏はイアン・ボストリッジが居る
)。

 
それはともかくとして、ここ十数年くらいのドイツ・リートの新譜CD(と言っても日本にも情報が入って来たものの一部に限られる)中で最も感銘深かったのが、マティアス・ゲルネのハルモニアムンディ盤でした。中でも三大歌曲集はエッシェンバッハがピアノを弾き、これがまた素晴らしいと思います。ゲルネは「水車小屋」をエリックシュナイダーとの共演で2001年にライヴ録音していたので、今回のものは約7年後の録音ということになります。白鳥の歌と冬の旅もそれくらいの間隔で再録音していますが、いずれも単に年月を経ただけでなくて化学変化か何かで質的に変貌したような強烈な印象です。

 「水車小屋」は従来からテノール歌手が演奏する方が多くて、ホッターのようにこの曲集は全曲録音を残していない例もありました。ゲルネもこの曲集を歌う場合はやや重く、暗い印象派拭えず、今回の録音ではゆったりしたテンポなのでその傾向は目立ちそうです。しかし何故か、テノール歌手が歌っているような空へ抜けるような透明感のようなものも同時に感じられます。だから特に最終曲や第19曲目は聴いていると、両の掌で大切に抱えられて、持ち運ばれるような安堵と救われるような気分になりました。ゲルネはキャリアの初期から何かとフィッシャー・ディースカウを引き合いに出して批評されていたそうですが、この演奏はもう独自の歌で、似た歌唱はちょっと思い付きません(フィッシャー・ディースカウはこんな風に水車小屋を歌っていたことがあったかどうか??)。
13 11月

「水車小屋の美しい娘」 ボストリッジ、ジョンソン、朗読・フィッシャー・ディースカウ

161113シューベルト 歌曲集「美しき水車小屋の娘」 D.795

イアン・ボストリッジ:テノール
グレアム・ジョンソン:ピアノ

ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(朗読)

(1995年10月26-28日,朗読1994年12月10日 録音 Hyperion)

161113b  テノール歌手のイアン・ボストリッジ(Ian Bostridge 1964年12月25日,ロンドン - )がシューベルトの歌曲集「冬の旅」について書いた著作が昨年出版されたそうですが、その日本語訳がもうすぐ出版されるようです(あるいはもう出ているのか?)。オックスフォード大学で歴史学を学び博士号をとり、既に歴史やリートについての著作があることを考えればそれくらいは当然かもしれません。日本語訳といっても素人が読んでもそこそこ分かる内容なのか、とにかく店頭で探してみようと思っています。それはそうと今日、寝転んで文庫本を読もうとしたら字が小さくて、障子を開けなければ読めないことにちょっと驚き、老の字が付くあれか、とまた一つ諦めの感情をのみこみました。

 さて、この「水車小屋」、ボストリッジの初回録音は若々しいこともあって、真っ直ぐに、しかしやや控えめに詩の情感が伝わってくる素晴らしい歌唱です。ボストリッジの歌うシューベルトは滑舌が明確というのか、言葉をはっきり区切るような感触だと思えて、聴いていて単純に感情移入をし難いことがありましたが(EMIへの録音)、ここではそんな感じはしませんでした。それに、先日のゲルネによる「冬の旅」の時にも思いましたが、ジョンソンのピアノも素晴らしくて、歌手との一体感が特別ではないかと思いました。歌手の歌から受ける印象とピアノの演奏から感じられるものがぴったり合っていて、歌が引き立っているように思えます。過去の有名なリートの録音と比べても際立っているのではと思います。
 
161113a このCDはハイペリオン・レーベルから出たグレアム・ジョンソン監修、「シューベルト歌曲大全集」のCD28に収められているものです。この録音の特徴は、歌曲集を連続演奏するだけでなく、ミュラーの原作詩からシューベルトが歌曲集に選ばなかった6つのテキストをフィッシャー=ディースカウが朗読したものを途中に挿入していることです。冒頭と末尾の他、第6曲目、第10曲目、第15曲目と第17曲目の後に朗読が入ります。シューベルトが原作詩集から省いたのは、ウィキの解説によるとプロローグとエピローグの他、Das Muhlenleben(水車小屋の生活)、Erster Schmerz, Letzter Scherz(最初の痛み、最後の冗談) 、Blumlein Vergissmein (忘れて草の花)の三篇だということですが、CDのトラックを見るとあと一遍?? Ein Ungereimtes Lied(無意味な歌 *邦題は推測) が加わっています。これはどういうことかよく分かりません。

 なおフィッシャー・ディースカウは1960年代のEMI録音の際にプロローグとエピローグを朗読していたという解説がありましたが、その版は聴いたことがありません(FMで放送されたことがあったかもしれないが) 。ただ、実際に聴いていて朗読の効果についてはよく分かりません(結局、やっぱりそうか)。ドイツ語のネイティヴ話者か、耳から聴いて同時に理解できるくらいならこの演奏、録音の妙が分かるのでしょう。
13 10月

シューベルト「水車小屋の美しい娘」 コボウ、ベズイデンホウト

161013bシューベルト 歌曲集 「美しき水車小屋の娘」 D.795

ヤン・コボウ(Jan Kobow)

クリスティアン・ベズイデンホウト(Kristian Bezuidenhout)

(2003年11月3-6日 ベルリン,St.Andraskirche ATMA classique)

 今晩帰宅する途中で書店に寄ったらノーベル賞コーナーが設置されてあり、過去の受賞者の作品の文庫本が何種も並んでありました。ウィリアム・フォークナーの “ Absalom, Absalom! (アブサロム、アブサロム!)” が目に付きましたが上下二巻に分かれるので見送りました。村上春樹についての評論のような作品が端の方に置いてあり、その光景から今年も受賞は無いのかと思って帰るとボブ・ディランが今年のノーベル文学賞受賞者というニュースが流れていました。これはアメリカ国内の警官によるアフリカ系国民射殺が連続する事件に関係があるのかと思いながらちょっと意表をつかれた気分でした(街頭インタビューで「そうきたか」と言ってる人があったけれどまさにそれだった)。

161013a 先日までヤン・コボウのシューベルト三大歌曲集から「白鳥の歌」、「冬の旅」を聴いてきましたが今回は「水車小屋の美しい娘」です。これが最初に録音されたものですが、テノールのコボウの声からすればいかにもという選曲なので後回しにしました。この録音も「白鳥の歌」と同じでフォルテピアノのベズイデンホウトとの共演です。実際に聴いていると美しくもかげりのある声が印象的で、あまり感情の起伏を感じさせない歌唱です。それだけに挫折とかみじめさとは縁遠くて、こけても座り込んでもどうやっても絵になるノーブルさが付いて回る(これは聴いている自分のひがみか)ようで、最後のに十曲目が終わっても、また明日になれば晴天の太陽が昇ってくるような救いようのある姿が想い浮かびます。

 「水車小屋」の詩の中の青年は最後に死ぬ(死んでいる)という内容なのにこんな感じでいいのかと思う反面、あまり派手な声でないから違和感なく聴けるのが微妙なところです。これに比べると最後に録音した「冬の旅」は、なぜかもっと深刻さを帯びてきこえたので、「水車小屋」としてはこの録音の感じがちょうど良い加減なのかと思って反復して聴きました。個人的に20曲中では最後の「小川の子守歌(Des Baches Wiegenlied)」が一番好きなので、ついそこに注目して聴きますがコボウの場合は淡々としていて、この曲、曲集に限っていないけれど、やや物足らないとも思います。

 付属冊子に載っているプロフィールによるとコボウは声楽を始める前にパリでオルガンを学び、次いでハノーバーで教会音楽を学んだとありました。そしてライプチヒで開催される1998年の第11回国際バッハコンクール男声部門で 1等賞を獲得しています。クリストフ・ゲンツも1996年に同じく男声部門で1等をとっていますが、1980年には日本の今仲幸雄も同賞を得ていました。今仲幸雄は後に福音歌手というのか、プロテスタント教会の宣教的活動の一環として演奏活動を行うようになっています。この人が歌う聖歌はすごく好きで、自分があまり好きでない歌も彼の歌唱によるとすんなり受け入れられる、自分にとってミラクルな存在です(例えば「アメイジング・グレイス」はキャラメルが歯の裏にへばりつくようなネットリした感じでどうにも好きになれないのに、今仲幸雄の独唱ではそんな感じが拭われる)。
10 9月

「美しき水車小屋の娘」 プライの初回録音、エンゲル(P)

160910シューベルト 歌曲集 「美しき水車小屋の娘」 D.795

ヘルマン・プライ:Br
カール=エンゲル:ピアノ

(1971年5月25-27日 ミュンヘン,ブリーンナー通・民衆劇場? 録音 ワーナー・ジャパン/TELEFUKEN)

 先ほどプロ野球、セントラルリーグの広島カープがリーグ優勝を決めました。初優勝は昭和50年のことでピッチャーの外木場、金城はなんとなく覚えています。また、前回優勝の年は出町柳駅前の中華屋でニホンシリーズの初戦をラジオ中継で聴いたのをよく覚えています。現在のカープの新井貴浩選手が現在セ・リーグの打点一位であり、タイガースから古巣へ戻ってここまで活躍するとは。ところで、このところ民進党の党首候補者の国籍についてネット上でちょっと話題になっています。 騒ぎにしたい方々の本音は法律上の手続きに関心があるのではなく、血統やら民族を強調したいのではないかと思われます。それを受けてかどうか、ネット上のニュースで故、新井将敬代議士の未亡人が出版した手記のことが出ていました。新井将敬氏は帰化して自民党の衆議院になっていましたが、最初の選挙の際にポスターに元の国籍に関わる誤った情報を書いたシールを貼られた事件(公職選挙法違反の妨害事件)がありました。犯人は同じ党の議員の秘書だったという陰湿な構図(当時は中選挙区制)でした。この場合は国籍は単一ですがそれでもケチが付いたわけでした。

 このヘルマン・プライの「美しき水車小屋の娘」は、彼がフィリップス・レーベルへ同曲を録音した同じ年の約五カ月前に録音したものでした。これがプライによるシューベルト三大歌曲集の初回録音の最後にあたりますが、なぜ再録音とこんなに期間が接近しているのか不思議です。 「白鳥の歌」の初回は1963年、「冬の旅」が1961年だったので公演では水車小屋全曲でなくても抜粋で歌ったことはありそうなのに、取り上げるのにかなり慎重だったようです(この点について書かれたものを読んだ覚えがあるけれど、具体的に何に載っていたか思い出せない)。たしかピアノのエンゲルとの共演を希望したか、「水車小屋」を自分の音域で歌うことに難しさをおぼえていたとかだったと思います。

 実際に聴いてみると、プライらしい明るい声質が前面に出ているもののあまり感情を込めないで何となく淡々と歌っている風で、 その点では彼らしいのかどうか分かりません。ヘルマン・プライが演じるフィガロやベックメッサー役の歌、舞台姿を思うと意外にあっさりとしています。同じくらいの年代にシュライアーやフィッシャー・ディースカウが歌った録音ではもうちょっと劇的にというか、感情の起伏を感じさせる派手?な演奏なので、プライが歌うドイツ・リートの特徴が出ているのかもしれません。正直プライが歌うリートはシューベルト以外ほとんど聴いた覚えはないので分かりませんが、熱心なプライのフアン(彼の、特にリートのフアンも居る)がいるので、さらに聴いているとその機微が分かるかもしれません。

 このCDは国内盤なので日本語の解説が付いていて、そこに「低音域に甘い豊かな響きをもったプライのバリトンは、歴史上比肩するものがないと言われた程」とありました。 プライの声を思い浮かべるとなるほどと思う賛辞ですが、この録音ではそんな美声が全開という感じでないのが、かえって目立ちます。
26 8月

シューベルト「美しき水車小屋の娘」 シュライアー、ゼール・1980年

160826aシューベルト 歌曲集 「美しき水車小屋の娘」D.795

ペーター・シュライアー:テノール
スティーヴン・ゼール:フォルテピアノ

(1980年2月28-29日 ウィーン,コンツェルトハウス・シューベルトザール 録音 EMI?)

160826 連日の猛暑日、熱帯夜にすっかり参ってしまいブログの更新も滞りがちです。体力の限界、何も言えねえ、もうダメぽ、昼間は居眠り運転がこわいので地下鉄や路線バスを使っていたのでCDを聴く機会も減りました。 そうしているうちに今晩帰宅すると10月に予定されているゲルハーヘルの京都公演が中止になったというハガキが届いていました。西京区松尾のバロックザールという小規模な会場だから真っ先にパスされたのか、来日そのものが取りやめになったのか、とにかく払い戻しの案内が書かれてありました。プログラムは「冬の旅」だったの非常に残念ですが仕方ありません(左のちらしは幻となりました)。さて公演中止の葉書が届いたおかげで「冬の旅」とか「10月23日」という文字が目に入って、ほんの少しだけ秋の気配を錯覚することが出来たので今夜は更新する気力がわいてきました。実際、一昨日くらいから夜にコオロギが鳴くようになりました。

 ペーター・シュライアーによるシューベルトの歌曲集「美しい水車小屋の娘」はシフがピアノを弾いた1989年8月、ウィーンで録音されたものと、オルベルツのピアノ、1971年ドレスデンで録音されたものが有名ですが、その間の年代にも複数種類の録音がありました。ピアノではなくギターを用いたもの、作曲者の原典に改変したフォーグル版による演奏もありました。今回のものはギター版と同じくらいに録音されて、ピアノではなくフォルテ・ピアノを使って演奏しています。 

 単に楽器が違うというだけでなく、シュライアーの歌唱、表現も変わり、いつものキンキンと甲高い高音がかなり控え目で、テンポも落としてひなびた印象?になっています。詩の主人公たる青年の生のままの感情が後退して、何となく沈思する趣が感じられます。そういう表現のために敢えてフォルテ・ピアノを選択したのか、その逆で楽器が映えるような歌唱を模索したのか、とにかく意外なシュライアーの歌が面白いと思いました。 ただ、フォルテ・ピアノの音はどこかしらポリバケツが共鳴するような、そんな軽いけれどこもったように響く音色がちょっと微妙な印象です。フォルテ・ピアノを使った録音でももっと違う音があったはずです。

 既に何度か来日してシューベルトの三大歌曲を歌ったことのあるゲルハーヘルは、インタビューの中で「美しき水車小屋の娘」について「主人公たる青年が自分のことしか歌っていない(冬の旅とは対照的)」と指摘しつつ、葛藤を率直に表現しているところを良しとしているようでした。シュライアーの最初の録音もそうした歌唱だったと思いますが、フォルテ・ピアノ版になるとさらに心の内側へ踏み込もうとしているようにも思えます。
30 6月

シューベルト「美しき水車小屋の娘」 ゲルハーエル、フーバー

160630シューベルト 歌曲集 「美しき水車小屋の娘」 D.795

クリスティアン・ゲルハーエル:バリトン
ゲロルト・フーバー:ピアノ

(2003年2月7-11日 ミュンヘン,バイエルン放送スタジオ2 録音 ARTE NOVA)

160630a クリスティアン・ゲルハーエルとゲロルト・フーバーの同郷コンビは何度か来日してリートの公演を行っていました。それでまた来てくれないかなとネット上のニュースを探していると(わざわざ来てくれんでもこっちから行くがな、という身分じゃないから)、今年の10月23日に京都市西京区にある青山音楽記念館(バロックザール)でシューベルトの「冬の旅」を演奏するのが分り、今度こそ聴きたいと思い、チケットを手配しようと思いました。同ホールの近所は何度もウロウロしたことはあるのに肝心のホールには入ったことがありません。何度か別のアーティストが「冬の旅」を歌っていたのにその度に聴き逃していました。

  ゲルハーヘルとピアノのフーバーは共にドイツ南部・バイエルン州、シュトラウビンクという街の出身で、16歳の時地元のオケで出会って以来の付き合いだそうです(当人らは腐れ縁と言う)。その後二人はミュンヘンで音楽を学びましたが、確かインタビューの中でゲルハーエルの方は正式に課程を修了したのは音楽ではなく医学だと言っていました(同時に学ぶことは認められていないらしい)。1998年にはゲルハーヘルとフーバーは共にパリ・ニューヨーク国際プロ・ムジシス賞を受賞してパリとニューヨークのカーネギーホールで公演しています。

160630b このCDも過去にブログで取り扱おうとしながら特にコメントできることが見つからないようで先送りにしていました。 聴いていて退屈とか気がそれるというのではないのに、地味というか、正座しないまでもある程度意識的に集中していなければ、音楽の方から自然に入り込んで来るタイプではないと思います。歌詞、日本語訳を見ながら詩の内容に集中していると味わいが深い歌唱です。このあたりのかげんは同年代のゲルネ、ヘンシェルよりは地味で、声質とも関係がありそうです。それにCD付属冊子に載った二人の顔写真はピアノのフーバーの方が断然大きなサイズなのは不思議です(せめて同じサイズかいっしょに写ってるものじゃなかろうか)。

 ゲルハーヘルはシューベルト三大歌曲集のうちで「美しき水車小屋の娘」が一番好きだと言い、「冬の旅」とは対照的に詩の主人公たる青年が自分のことしか歌っていない、「冬の旅」のような読み手との対話のようなものが成立していないけれど、率直な人間の葛藤を歌っているとしています。 ただ、このCDを聴いているとそんなに激しい感情を前面に出した表現といった風ではなく、上品で控えめに聴こえます。それらのゲルハーエルの話は来日公演時にインタビューにこたえたものなので、CD録音の頃より4、5年以上あるいは10年くらい後なので演奏も違ってきていることでしょう。
20 4月

シューベルト・美しき水車小屋の娘 ゲルネ、シュナイダー・2001年

160420シューベルト 歌曲集 「美しき水車小屋の娘」 D.795

マティアス・ゲルネ:バリトン
エリック・シュナイダー:ピアノ

(2001年10月9-11日 サフォーク,オールドバラ,スネイプ・モルティングス・コンサートホール ライヴ録音  Decca)

 これはマティアス・ゲルネ(Matthias Goerne 1966年~ *来日公演のプロフィール等には1967年と表記されているのを見たが、このCDの解説には1966年となっている) が30代に録音したシューベルトの三大歌曲集の一つです。「冬の旅」と「白鳥の歌」はブレンデルとの共演でウィグモアホールのライヴ録音でした(いずれも2003年の公演)。という録音データからシューベルト演奏でも定評のある巨匠ブレンデルと共演した二年前の録音だったことが分り、三つの作品ともにドイツ語圏ではなく英国で公演、録音されているのが興味深いところです。

160420a 「美しき水車小屋の娘」というタイトルを見ればテノールの溌剌とした歌声、たとえばペーター・シュライアーとか、を連想しがちかもしれませんが、このCDは単にバリトンによる歌唱というだけでなく、まるで「冬の旅」のような沈痛さに覆われているのが印象的です。古いフォーク・ソングの歌詞に、「はじめから駄目だと分った外れクジを引くのに慣れてしまってた」という一節(今それを読むと、いい若い者が何を言ってると、少々腹が立ってくるがそれはともかくとして)がありましたが、そういう心情と少し重なりそうです。何かと引き合いにだされるフィッシャー・ディースカウでもこんな風に重い感じではなかったと思います。そうは言っても第一曲目から重苦しいわけではなく、冒頭はそこそこのテンポで始まり、ただなんとなく怒気さえ含んでいるようないかつい声が最初から響き渡り、独自の境地で歌っていこうとするのを予告しているようです。

160420b 第6曲目から諦め(敗北?)の気配が漂い、特に後半の楽曲でテンポが遅くなり、第17曲目からの四曲は救いようのない深みに沈んで行くようで、この作品の演奏としては個性的だと思いました。第20曲目の「小川の子守歌」は、どこか安らぎを感じさせることが多くて個人的にはかなり好きな曲だったのが、ゆったりとしたテンポとは裏腹になにか止めをさされるような心地です。その「小川の子守歌」は約9分半という演奏時間になり、七年後にエッシェンバッハとの共演で録音したものと同じくらい(そっちは9分20秒を切るくらい) なので、作品の捉え方、解釈としては既に今回の録音時にかたまっていたとも言えそうです。ピアノのエリック・シュナイダーはこの録音以降もゲルネと共演していてかなり相性が良さそうで、ゲルネの歌唱とぴったりと合っています。

 地方自治体ではハザードマップ等の防災情報も公開していて、最近は洪水マップの方に関心がいっていました。 今回の地震に伴って震度は小さいながらも夜中に体感できる地震があり、にわかに断層について調べたら自分の住んでいる近くにも複数ありました。それらの断層を震源とする地震があった場合の想定被害まで載ってあり、かなり広範囲に及ぶのを再認識しました。なんというか断層から遠ざかれば今度は大雨の冠水の区域にかかり、そうそう安全な場所というのは無いのを実感します。今朝はJR奈良線に乗って木津川の右岸を走っていて、昭和28年にはそこらへんも大きな被害にあったことを思い出し、駅構内にも被災の碑が立っていました。
1 2月

シューベルト・美しい水車小屋の娘 ヘンシェルのCDデビュー

160201aシューベルト 歌曲集 「美しき水車小屋の娘」 D.795

ディートリヒ・ヘンシェル:バリトン
フリッツ・シュヴィングハマー:ピアノ

(1997年6月,1998年10月 セント・マーチンズ教会,バークシャー 録音 EMI)

 今日から二月になり、自分の中では一番静かで好きな短い季節がやってきます。特に何があるというわけでなく、その逆で行事らしいものが無くなるので気分だけ少し自由を感じることができます。だいぶ前に回らない寿司店に入ったとき、暇になったからリオのカーニバルへ行って来るとか言ってる客がいました。そういう金目の自由もあるんだなと、つくづく感心していました。今年の「灰の水曜日」は2月10日なので、リオのカーニバルは2月5日から8日まで開催される予定です。謝肉祭でふと思い出しのは中京区の竹屋町通堺町西入の精肉店でイート・インのコーナーがあり、なんとステーキまで店内で供していました。かつては肉系のメニューを出すカウンターの奥にさらにラーメンの席までありましたがそれはもう無くなっているようです。先週に寒波が襲来した際にはやたら腹が減りましが、そこまで歩くのも寒いので見送っていました。

160201b このCDはバリトンのディートリヒ・ヘンシェル(1967年-)のデビューCDだったらしく、旧EMIの企画シリーズの一環でした(CDデビューを集めているようだ)。これに続いて2000年には「冬の旅」を録音し、だいぶ間隔を空けて2007年の「白鳥の歌」でようやくヘンシェルのシューベルト三大歌曲集が完結します。1997年はヘンシェルがちょうど30歳になる年でしたが、その後の録音はあまり多くはなくて、じっくりとレパートリーを絞って取り組んでいるということなのか、CDが売れない時代の上にドイツ・リートというジャンルがそれに輪を賭けて売れ難いのか、デビュー盤からして素晴らしいのでちょっともったいない状況でした。この「美しい水車小屋の娘」声が若々しいだけに(作曲者が「冬の旅」を作曲したのが30歳の年だった)、詩の中の青年とイメージが重なります。それに高音も安定してよく声が出ていて、この時点で同世代のゲルハーエルやゲルネよりも一、二歩先んじているような感じです(今交互に聴いているわけじゃないけれど)。

 思い返してもこのCDが新譜の際にはどんな評判だったのか、全く記憶にありません。何度か来日してリートの公演もしているので国内盤も出たはずなのに、店頭で国内盤を一度も見たこともありません。今あらためて聴いていても本当に美しく、俯いて恥じ入るような風ではなくて、最終曲でさえも力強くて、まだまだこの先も歩き続ける覇気が残っていそうです。そんな感じ方が全くの誤解で無いなら詩の世界とはちょっと離れそうでもあります。

 ピアノを受け持っているのは十年後に録音した白鳥の歌と同じフリッツ・シュヴィングハマーでした。この二人は2009年のウィーンでのウォルフの公演でも共演していて、録音CDデビュー時からずっと共演関係が続くのには感心します。この作品も作曲者以外による改訂が入った版があり、このCDの第1曲目でピアノ・パートがちょっとだけ違っていたので、あるいはその版かと思って聴いていたら後続の曲は通常と同じようでした。出版年毎に細かい違いがあるのか、付属冊子にはそれrしき記述は無さそうでした(辞書を引いて読んだわけではない)。
18 11月

美しい水車小屋の娘 フィッシャー・ディースカウ初回録音

151118シューベルト 歌曲集 「美しき水車小屋の娘」 D.795

ディートリヒ・フィッシャー・ディースカウ:バリトン
ジェラルド・ムーア:ピアノ

(1951年10月3-7日 ロンドン,Abbey Road Studios 録音 EMI)

 パリで連続したテロの後、ネット上では続報、情報があふれています。その中で犯行グループの様子についてリーダー格の男がメンバーを脅し、部下に対して撃たなければお前を撃つと言っていたという記事がありました。有り得る状況で、とっさに地下鉄サリン事件のことを思い出しました。実行犯の中で唯一死刑にならなかった人物が居て、当時量刑の不均衡さに非常に不思議に思いました。被告が医師、しかも名門大学の医局に居たことがあるため、検察や裁判所や国家の中枢サイドが「我々の側の人間」だという意識を潜在的に持って同情したのか、とかそんな話をしたことを思い出しました。そうしたゲスな勘繰りはさて置き、今回のような無差別テロはいつ頃から実行されるようになったのかと思います。今日見かけた記事では日本赤軍がパンドラの箱を開けたという見出しがあり、気分が悪いので中は読みませんでした。まさか本当に日本人が開発したのじゃないだろうと思いながらその記事が気になります。

 先月はシューベルトの三大歌曲集のCDを続けて聴いて取り上げていました。一人の歌手が何度も三大歌曲集を録音しているということにかけてはフィッシャー・ディースカウがやはり筆頭ではないかと思います。「美しい水車小屋の娘」は今回の1951年と同じくEMIへ録音した1961年、DGへの1968年と1971年とセッション録音だけでも四種類はありました。長らく存在を知らないものもあり、自分が一番印象に残っていたのはシューベルトの歌曲大全集に組入れられた1971年録音でした。

 その四度目のセッション録音と比べると今回の初回録音は何となく低い声で(ホッター程ではないとしても)歌っているように聴こえ、年齢以上に老成して雄々しい声にきこえます。この作品や冬の旅を後年に歌った歌唱ではもっと感情を込めて、繊細さが前面に出ているので新鮮にきこえます。テノールのヘフリガーが1959年にDGへ録音したものは最近聴いたので比較的鮮明な印象が残っていて、その繊細で(女々しいとも思える)いたわる様な歌声とは対照的で、恥も落胆も飲み込んで消化して次の修行地へ急ぐようなタフな青年を連想させられます。

 立場が悪化する第14曲“ Der Jäger (狩人)” 、第15曲“ Eifersucht und Stolz (嫉妬と誇り)” での怒りの感情も品が良いので全体を通して端正に仕上がっていると思います。それに純音楽的にとても美しいと思いました。ゲルハルト・ヒッシュがSPレコードの時代にこの作品を録音していたようですが、あるいはこれと似ているのか、もっと端正になっているのかもしれません。第16曲目以降は幾分打ちのめされたような表情を見せても最終曲では不思議に立ち直るような強さを感じさせて終わっています。
26 10月

シューベルト 美しい水車小屋の娘 ヘフリガー,ボノー・1959年

151026シューベルト 歌曲集 「美しき水車小屋の娘」 D.795

エルンスト=ヘフリガー:テノール
ジャクリーヌ・ボノー:ピアノ

(1959年8月 ミュンヘン,ヘラクレスザール 録音 DG)

 エルンスト・ヘフリガー(Ernst Haefliger 1919年7月6日 - 2007年3月17日)のシューベルトならばフォルテ・ピアノのデーラーと共演した録音が有名でしたが、もっと若い頃にもDGへ録音していました。この録音はヘフリガーが40歳になる頃、ちょうどリヒターのマタイ受難曲の録音が終わった直後くらいのものでした。そうすると後年の録音はもう還暦を迎える頃の録音だったことになり、その歌声からするとそんな年齢だとは思えないくらいでした。ヘフリガーは1942年にバッハのヨハネ受難曲のエヴァンゲリストを歌ってデビューしましたが、その際にユリウス・パツァークに付いて一年間、毎日猛勉強したそうです。歌曲については彼から声の技巧ではなく、音楽性を学んだと後に言っています。具体的にはシューベルトのミサ曲第1番のテノール二重唱をいっしょに歌い、真似するかたちで歌ったのが唯一の機会だったということです。また、ヘフリガーにとってパツァークは父親のような存在だったとも言っています。

 この「美しい水車小屋の娘」は一定以上の年代の方にはお馴染みの名盤だったようで、時々賛辞のレビューを見かけました。改めて聴いてみると張りのある若々しい声が印象的で、「r」の発音の巻き舌?強烈に聞こえてきます。ここまでルルッと転がるように響いたのは他には覚えがありません。それはともかくとして、印象深いのは強く大きな声で歌っているところだけではなくて、声量を抑えて弱く歌う部分が特に魅力的なことでした。例えば最終、第20曲目 Des Baches Wiegenlied(小川の子守歌) の出だしのところはまるでいたわるようにそっと歌い始め、最初聴いた時はこんなに小さな声でと驚くくらいです(慣れるとそうでもないかもしれない)。いたわると言うより、詩の青年を批判も称賛も無くありのまま受け入れている、同じ川の水に浸かって抱き上げているような共感、対等さとでも言えば良いのか、そんな自然な美しい歌声です。 

 ヘフリガーは1970年にも小林道夫のピアノとこの作品を録音していました。今回のピアニスト、ジャクリーヌ・ボノーはあまり有名ではありませんが、ヘフリガーが特に希望、指名して共演した人で、ジェラール・スゼーの伴奏を多くつとめていました(パリ音楽院ではスゼーと同期生だったらしい)。ヘフリガーが指名しただけあってと言うべきか、妙に彼の声とぴったり合うピアノで、声楽とピアノ共に純音楽的にも美しい演奏です。声の輝きという点ではペーター・シュライアーやフリッツ・ヴンダーリヒとは対照的かもしれませんが、特にシューベルト作品を歌っては互いに引き立つ歌声だと思いました。

 ところでヘフリガーがあのリヒターとのマタイ受難曲を録音する前にカラヤンからも録音に誘われていました。ヘフリガーは自分が歌ったマタイの中で良かったのはカラヤン指揮でペルージアの大聖堂で歌ったものだったと言っています。カラヤンのマタイは非常に厳しいもので、既にリヒターとの録音の契約をしていたので断らざるを得なかったと残念がっています(インタビュー者がカラヤンとは遠いレパートリーと言ったのと対照的である)。
30 9月

シューベルト「美しき水車小屋の娘」 プレガルディエン、ギース

150930シューベルト 歌曲集「美しき水車小屋の娘」 D.795 op.25

クリストフ・プレガルディエン:テノール
ミヒャエル・ギース:ピアノ

(2007年10月6-8日 ベルギー,モル,ギャラクシー・スタジオ 録音 Challenge Classics)

 今日で激動の?九月が終わります。赤旗の日曜版(9月27日)の一面に「~国民連合政府を」という赤枠太線の黄色文字がどーんと載っていました。その一連の動きを知るにつけ、何故法案が成立できる余地が無いように憲法を改正する発議に向けて「連合」しようという動きどころか言葉すら出て来ないのだろうかと思いました。それは連合政府云々と言っている諸党間で基本的な事柄で一致をみていないことと、そもそも一旦それをやれば護憲という慣れ親しんだ旗印が使えなくなることも大きいのかと想像できます。それはともかくとして、9月27日の赤旗日曜版にはハイ・コロラトゥーラの音域を歌うソプラノの田中彩子が大きく取り上げられていました。

 このところの気分と好みに従ってまたシューベルトの歌曲です。このCDはクリストフ・プレガルディエンによる二度目の「美しき水車小屋の娘」の録音ですが、単純に再録音とは言えない内容になっています。今回は1991年の初回録音のようなフォルテピアノではなくてピアノとの共演です。それよりも今回際立つのは通常の原典版でへなく、シューベルトの没後に歌手のヨハン・ミヒャエル・フォーグル(Johann Michael Vogl, 1768年8月10日 - 1840年11月19日)が歌い易さや装飾音を加える等の改訂を加えて1830年にディアベリ社から出版されたフォーグル版を基本にしている点です。フォーグル版そのものではないようですが、第一曲目からして所々に違う音があるのですぐに気が付きます。何年か前の来日公演でもこのフォーグル版に基づいて演奏していました。

 版による違いは別にして、この録音は先日のパドモアの声とはかなり違っていて角が取れたおだやかな歌唱が印象的です。溌剌として小気味良い歌唱の約16年前の初回録音より二分程合計演奏時間が長くなりました。それに最初はテノールじゃなくてバリトンかと思うような印象で、後半の楽曲では本来の物悲しい空気も出ていましたが、痛ましい悲劇を強調する風とは思えません。何となく青年の結末を案じつつ労わるような穏やかさだと思いました。

 こういう印象になるのにはファオーグル版を反映させていることも影響していると思います。一つのフレーズの末尾の方で音符を変えることで尖るような情緒が逸れる、あるいは誇張すると棘が切られるようにまろやかになるかもしれません。全体的に、写真ではなく絵巻物的に様式化されて生々しい感情が緩和される点が魅力でもあり、マイナス面でもあると思いました。ただ、個人的には他では得られない独特の美しさに惹かれました。
27 9月

美しい水車小屋の娘 フィッシャー・ディースカウ、デムス・1968年

150927aシューベルト 歌曲集「美しき水車小屋の娘」op.25, D795

ディートリヒ・フィッシャー・ディースカウ:バリトン
イェルク・デムス:ピアノ

(1968年1月8-10日 ベルリン 録音 DG)

 このCD、録音は、フィッシャー・ディースカウ(Dietrich Fischer-Dieskau, 1925年5月28日 - 2012年5月18日)の生誕75年の記念として発売されるまでお蔵入りしていたという、セッション録音としては珍しいパターンの音源でした。フィッシャー・ディースカウは「美しい水車小屋の娘」をEMIレーベルへ二度(1951年と1961年)セッション録音し、1971年にはDGのシューベルトの歌曲大全集の一環として録音していました。それらはいずれもジェラルド・ムーアのピアノでしたが、1971年の際の三年前にも何故か同じDGへ録音していたわけです。ただ、同じくシューベルトの歌曲集「冬の旅」も同じ順番、時期にイェルク・デムスと共演、録音していたので、歌曲大全集の方がイレギュラーだったのかもしれません。

150927b 結果的にいわく付きな「水車小屋の娘」となってしまいましたが、フィッシャー・ディースカウ自身はこの回の録音が一番満足がいくものだったと言っていたようです。それにウィーンのピアニスト、イェルク・デムスとは1952年2月に既に共演していて、1965年には上記の「冬の旅」を録音していたので慣れた、勝手知った共演者でした。それで、聴いた印象は張り詰めた力強い歌声と歯切れの良いピアノから、特に前半部分は一度もつまづいたことが無い青年が駆け足で通り抜ける姿を連想させられます。後半も失意や落胆、怒り、妬み等の感情はそれほど生々しくはならず、どの曲も端正な美しさで迫ってきます。第14曲“ Der Jäger (狩人)” 、第15曲“ Eifersucht und Stolz (嫉妬と誇り)” なんかはペーター・シュライアーの録音だったらさらに激しい感情がこぼれるような歌だったのと対照的です。

 自分がこの作品に関心を持ってかなりはまったのは、1980年代末に同じくフィッシャー・ディースカウの1971年・DG盤聴いた時で、その演奏はもっと滑らかで優美というかなよっとした印象でした。最後は小川に身を沈める青年に同情、共感的な優しさも感じられたので、今回の録音(わずか三年前)を最初に聴いた時は「えっ?」と思いました。それについ最近にテノールのパドモアのCDを聴いたところだったので、こちらのフィッシャー・ディースカウの方を久々に聴きなおすと却ってテノールによる演奏の方が悲劇的な面が強調されるようで作品を再認識する心地でした。

 結局フィッシャー・ディースカウは「美しき水車小屋の娘」を合計四度セッション録音して、1973年にテル・アヴィブヴで公演したのを最後にレパートリーから外しました(解説冊子に書いてあるが知らなかった)。それはこの作品は本来テノールで歌うものだと彼自身も認識していたからのようです。フィッシャー・ディースカウだけでなく多くの歌手と長年リートの演奏を共演したジェラルド・ムーアもやっぱりこれをテノールの作品と考えていましたが、歌手がフィッシャー・ディースカウなら話は別だとしていました。
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昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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