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新・今でもしぶとく聴いてます

指:ロストロポーヴィチ

23 1月

十月革命に捧ぐ ロストロポーヴィチ、LSO/1993年

180123bショスタコーヴィチ 交響曲 第2番 ロ長調 Op.14「十月革命に捧ぐ」 (1927年)

ムスティスラフ=ロストロポーヴィチ 指揮 
ロンドン交響楽団
ロンドン・ヴォイシズ(合唱指揮テリー・エドワーズ)

(1993年2月8,9日 ロンドン,セント・オーグスチン教会 録音 TELDEC)

 今年に入ってまだコンサートとかには行っていないなあと思っていたら、三月の大阪フィルの定期をまだ申し込んでいなかったのに気が付いて電話でチケットを購入しました。ショスタコーヴィチの声楽付き交響曲、「十月革命に捧ぐ」と「メーデー」とバーバーのピアノ協奏曲(1962年)というプログラムです。ソ連とは対極な体制?下の大阪府にあって、予算引き締めの鞭に怯えつつ昨年の第11番「1905年」と第12番「1917年」同時公演に続いてこういうプログラムとは妙に皮肉な感じがします。というわけでまた予習的にCDを聴こうと思い、ロストロポーヴィチの全集から第2番を取り出しました。

180123a ロストロポーヴィチ(Mstislav Leopol'dovich Rostropovich 1927年3月27日 - 2007年4月27日 )は1974年にソ連から亡命したので、ショスタコーヴィチの交響曲全集は第14番を覗いて亡命後に西側のオーケストラ(ワシントン・ナショナル交響楽団、ロンドン交響楽団)を指揮して録音していました。作品を献呈されたり初演したりと、ロストロポーヴィチは作曲者と親交があったので、没後20年が近付くこの録音の頃は複雑な心境だったことと思われます。

 改めて聴いていると冷静というか機械的というか、高揚感が無くて、正負の価値判断の感情から遠いところに身を置いて演奏しているような印象を強く受けました。ロストロポーヴィチの指揮は勝手に爆演、劇薬的な激しい表現を期待してしまい、実際にCDを聴くとそんな風ではなくて、端正で冷静なタイプだと思えることが多くありました。今回もそれと似ていますが決して物足らないということはなく、聴き終わってもあとに演奏から受ける感情が尾を引く存在感がありました。

 この演奏にはサイレン(先日のゲルギエフの映像ソフトでは手回し式だった)を使っていないようで、繰り返し再生してもサイレンが分かりませんでした。これは不純物として省いたのか、代用のため音が小さ過ぎるのか未確認です。ただ、演奏全体からすればサイレンが無いのが当然といった感覚なので省いたのかもしれません。コーラスも盛り上がるといった感じはなくて淡々としています。これを聴いていると先日のゲルギエフの崇高な美しさが圧倒的な演奏が却って際立ってきます。ネット上で読んだ記事(具体的に何が情報源か忘れてしまい、再度閲覧できないのが残念)で、ショスタコーヴィチがロストロポーヴィチが交響曲を全部録音すると言ったら第4番以降にしてくれと言われたという話がありました(何番以降と言われたのかも記憶が曖昧)。それが本当でロストロポーヴィチが真意として受け止めたなら演奏に当たっては影響するだろうと思います。
30 3月

ショスタコーヴィチ交響曲第8番 ロストロポーヴィチ旧録音

150330aショスタコーヴィチ 交響曲 第8番 ハ短調 作品65


ムスティスラフ=ロストロポーヴィチ 指揮
ワシントン・ナショナル交響楽団


(1991年10月 ワシントンDC,J.F.ケネディセンター 録音 Warner)


150330b すっかり春の陽気になりましたがまだ三月です。たまたある役所を何カ所か回ったら部署の引っ越しをやっている最中で、カウンターの前でしゃがみこんで書類を選んでる女性が居たり、会議スペースがふさがってたりで混雑していました。昨日、京響の定期でショスタコーヴィチの交響曲第8番を聴いてからやっぱりかなり尾を引くというか演奏の記憶が残ります。音量とか強弱の起伏や変化だけでなく、メンタルな面での影響も大で、その方向で印象に残った録音を取り出しました。ロストロポーヴィチの全集(第14番だけはソ連時代の録音だが)の中の第8番は、いわゆる爆演的な刺激を追及する分には物足らないようですが、逆におよそ戦勝とは縁遠い空気をよく現していて、この曲の初演後にしばらく付きまとった否定的なコメントが実感できるものでした。

ロストロポーヴィチ/1994年
①22分53②06分16③06分58④10分24⑤14分46 計61分17

ロストロポーヴィチ/2004年
①26分34②06分46③07分07④12分01⑤16分16 計68分44

 ロストロポーヴィチもこれの約十年後に再録音していますが、暗さ、冷たさといったものにあふれた美しさでは旧録音の方が魅力的だと思いました。演奏時間、トラックタイムは上記の通りですが、再録音は今回同時に聴いていないので、本当にこういう時間なのか実感がわきません(naxosの頁を見ているだけ)。昔からショスタコーヴィチの交響曲は夏場に聴きたくなり、第二大戦期に作られた作品は特にそうで、暑いときに熱い食べ物を口にするような快感に似た心地で接していました。このCDでは全くそういうものではなく、冒頭からシベリウスの曲のように冷気さえ帯びてきそうで何とも言えない美しさです。諦めとか絶望というのはもとは何らかの望みがあって、それがそこなわれてこそやって来るとすれば、そもそも元から一切そんなものがなかったら、そんなことを想像させられます。

 この録音の演奏はオーケストラの団員は演奏中にどんな気分だっただろうと思います。プロだから粛々と予定通りに録音を完結させることに集中しているだけなのか、演奏しながら共感したりその逆だったりするのだろうかと思います。昨日の公演で聴いたタコ八は終わった後、しばらく沈黙が続き、完全に残響、余韻さえ消えてから拍手が起こるという地方都市では稀な?反応でした。つまりフライングの拍手や雄叫びが全くない状態で、それだけ客席も集中している人が多かったのだと思います。オケの方も演奏を終えた後の充実感が伝わってくる感じだったので文字通り熱演でした。

 実演とCDの差だけなのかこのCDを聴いていると、そんな「熱」が無くて、それでも感動的という不思議なものでした。それにしても次年度から(来月から)京響の定期公演が二回公演の月もあるので、こういう回を聴くと二回続けて聴きたくなってきます。

24 1月

ショスタコーヴィチ交響曲第5番 ロストロポーヴィチ・1982年

150125ショスタコーヴィチ 交響曲 第5番 ニ短調 作品47


ムスティスラフ=ロストロポーヴィチ  指揮
ワシントン・ナショナル交響楽団


(1982年7月 ワシントン,J.F.ケネディセンター 録音 DG)

 昨日の朝は腹痛とともに目が覚めるという珍しい朝で、それから吐き気ももよおしてきたので食あたりか、鳩尾のあたりなので心臓か等々思いめぐらしていました。そうしている内に嘔吐もあって、これはノロウィルスとかそっちの方だろうと思いました。当日は午前中に予定が入っていたので休むわけにはいかず、とりあえず出発しました。幸い腹痛関連以外に異常の自覚はなく、無事要件を済ませたところ、気の張りが解けたのか急に頭痛と寒気におそわれました。そういえば年末に医院に行った時、腹痛や嘔吐がどうのという症状の人が居たのを思いだしました。インフルエンザだけでなく、このタイプも流行っているようです。

 京都市交響楽団の定期公演、新年度のプログラムにもショスタコーヴィチの交響曲第5番が載っていました。他にも関西のオケが演奏するようで、マーラーの5番同様に演奏頻度はかなり高そうです。ロストロポーヴィチはショスタコーヴィチの交響曲全集を一応完成させていて、第5番は同じオケを振って1994年に録音していました。このCDはそれより12年前、ロストロポーヴィチがソ連の国籍をはく奪されて4年くらいが経過した時期の録音です。これら2種以外にもロンドン交響楽団へ客演したライヴ録音(2004年)もあり、10年くらいの周期で演奏の記録があることはこの曲誕生の背景や「証言」のことを考えれば興味深いものがあります。しかも1982年から2004年の間に世界情勢も大きく変わっています。

ロストロポーヴィチ指揮
ワシントン・ナショナルSO/1982年
①15分25②5分33③12分48④11分48 計45分34
ワシントン・ナショナルSO/1994年
①14分54②5分27③12分49④12分04 計45分14
バルシャイ・ケルンRSO:1995年
①15分29②5分33③13分19④11分14 計45分35


 ロストロポーヴィチの指揮に対しては、聴く前から何故か激しい起伏、「爆演」のようなものを期待してしまい、実際に聴くとそれ程でもなくて普通に聴こえることがよくありました。普通というのは良い意味でのことで、自分の勝手な期待とのギャップからそんな印象を受けていました。今回のショスタコーヴィチ第5番は、「爆演」でないとしてもかなり強い印象を受け、同時に日本でおなじみの「革命」という標題から遠くかつ魅力的な演奏だと思いました。演奏活動停止、亡命、国籍はく奪を経てある程度恨みつらみの感情は抜けていないかと想像しますが、聴いていると放蕩息子を見守る親父のような血の通った音楽のようで、再録音の全集盤よりかえって魅力的でした。

交響曲第5番 ニ短調
第1楽章 Moderato - Allegro non troppo ニ短調
第2楽章 Allegretto イ短調
第3楽章 Largo 嬰ヘ短調
第4楽章 Allegro non troppo ニ短調

 この曲で問題になるのは終楽章のテンポですが、ロストロポーヴィチは新旧録音ともに遅めに演奏しています。過去記事で取り上げたCDは10台のものが多く、合計でも45から46分くらいでした。ロストロポーヴィチは合計演奏時間ではそれらと同じなのに、終楽章だけはテンポを落としていて合計時間が48分を超えるビシュコフと同じくらいです。所謂証言の影響か、突き詰めて考えるとそうなったのか、どちらかと言えば終楽章が遅めの方に魅力を感じます。

ウィッグルスワース:1996年
①19分29②5分22③15分32④11分08 計51分31
ビシュコフ・BPO・1986
①14分47②5分56③15分29④12分10 計48分32

 ヴォルコフが発表した「ショスタコーヴィチの証言」の中には交響曲第5番の終楽章について、作曲者は「『ボリス・ゴドゥノフ』の場面と同様、強制された歓喜」と説明たという部分がありました。ムソルグスキーのオペラ「ボリス・ゴドゥノフ」はロストロポーヴィチも指揮して録音していました。件の場面は作品の最初、「ノヴォデヴィチ修道院の場」であり、警吏が民衆を脅してボリスが皇位に就いてくれるように跪いて請願させるという内容です(「何故我等を見棄てられるのか、我等が父よ!」)。ショスタコーヴィチの第5番はもちろん歌詞も無いので、作曲の経緯等を知らなければそこまで屈折した背景は想像し難いのではないかと思います。

9 6月

ボリス・ゴドゥノフ・1872年版 ロストロポーヴィチ、ワシントン・ナショナルSO

ムソルグスキー 歌劇「ボリス・ゴドゥノフ」(1872年版)
*第4幕冒頭に1869年版の「聖ワシリイ寺院の前の広場」を挿入


ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ 指揮

ワシントン・ナショナル交響楽団

ワシントン芸術協会合唱団
ワシントン・オラトリオ協会合唱団
チェヴィー・チェイス少年合唱団


ボリス・ゴドゥノフ:ルッジェロ・ライモンディ(B)
グリゴリー(ディミトリー):ヴャチェスラフ・ポロゾフ(T)
ピーメン:ポール・プリシュカ(B)
聖智愚:ニコライ・ゲッダ(T)
マリーナ:ガリーナ・ヴィシネフスカヤ(M)
ランゴーニ:ニキタ・シュトローエフ(B)
シュイスキー公:ケネス・リーゲル(T)
フョードル:マシュー・アダム・フィッシュ(Ms)
クセーニャ:カトリーヌ・デュボスク(S)
乳母:ミラ・ザカイ(Ms)、他


(1987年7月4-15 ワシントン 録音 Warner)


 先日京都市内、中京区を歩いていると小さなお寺の前に「長雨、慈雨(?、よく覚えていない)、人間の都合で名前が変わる」という言葉が掲示板に貼ってありました。梅雨入りしてしばらく経ち、ぴたっと雨が止まっています。まさに人間の都合を言えば、ゲリラ豪雨ではなく、こまめに降ってほしいところです。

130609 
 ロストロポーヴィチは亡命後、チャイコフスキーやプロコフィエフ、ショスタコーヴィチらの交響曲、協奏曲だけでなく、オペラの録音も手がけています。チャイコフスキーの悲愴交響曲などは注目していましたが、期待していたようなあくの強い、泥臭い演奏ではなく、意外に端正で、ちょっとがっかりしたことがありました。ロストロポーヴィチも、そもそも十九世紀生まれの演奏家ではないので、偏った爆演のようなスタイルを期待するのが間違いなのでしょう。ムソルグスキーのオペラ「ボリス・ゴドゥノフ」の場合でも、豪快な響きを想像、期待しましたが、やっぱりそれ程でもなく、逆に優しくて繊細ささえ感じさせるものでした。


 作品の前半、プロローグ第2場はまばゆいような鐘の連打とツァーリを讃える歓呼の合唱で終わります。この戴冠の場は、民衆が強要されて「栄光あれ!」に相当する слава(スラーヴァ) !” という言葉を連呼するのですが、豪華で理屈を離れて聴き映えがする場面です。しかし、ロストロポーヴィチは自分の愛称、スラーヴァと重なって気恥ずかしいからではないのでしょうが、控え目に演奏させているようです。これは、第4幕フィナーレでは群衆が僭称者ドミートリーに万歳をして、今度は相手を変えて слава(スラーヴァ) !” を連呼すること、これらは表面的な歓迎であることを意識してのことかもしれません。


 このCDは「ボリス・ゴドゥノフ」の1872年・原典版、デヴィド・ロイド=ジョーンズ校訂(1976年)で出版された版を採用しているようですが、注記で第4幕の最初に1869年版からの、第4部第1場「聖ワシリイ寺院の前の広場」を含んでいると書かれています。実際に第4幕は3場で構成されています。ちなみに、同じく1872年原典版のゲルギエフ版はそうしたことはしておらず第4幕は2場だけです(ボリスの死、革命の場)。一方、やはり1872年原典版のアバド、ベルリンPO盤は第4幕の第1場を二つ順に収録して、1869年版、1874年版(1872年版は1874年に初演されている)と括弧書きしています。


 何となくブルックナー作品の稿、版の問題と似ていろいろ錯綜しています。それと同じに考えれば、「ボリス・ゴドゥノフ」1872年稿・デヴィド・ロイド=ジョーンズ校訂版ということになるのでしょうか。このCDのように第4幕が3場構成で1869年版の第4部第1場が、第4幕の先頭第1場に来る演奏は他にもあり、1976年に録音されたEMIのセムコフ、ポーランド国立放送O盤も同様です。ロイド=ジョーンズ版が出版される前に、彼はロンドンのコヴェント・ガーデンで原典版による上演を行っているので、そのEMI・セムコフ盤も同校訂版を使っているだろうと思います。こうなるとむしろゲルギエフ盤が特別なようにも見えます。


 1970年代頃からこのオペラの日本盤LPで馴染んでいたら、この辺りの稿・版の問題はよく分かるのだと思いますが、廉価輸入盤ばかりになると日本語解説が有難くなってきます。ただ、「ボリス・ゴドゥノフ」はリムスキー・コルサコフ版と原典版の他にも、ボリショイ劇場版、ショスタコーヴィチ版等もあります。

13 6月

ショスタコーヴィチ交響曲第14番 ロストロポーヴィチ

ショスタコーヴィチ 交響曲 第14番 ト短調 op.135「死者の歌」

110613ムスティスラフ=ロストロポーヴィチ 指揮

モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団

ソプラノ:ガリーナ・ヴィシネフスカヤ

バス:マルク・レシェーチン

(1973年録音 Warner Classics  )

110613b  ショスタコーヴィチは、「人の死を主題にした作品は多数あるが、それらは 『その生涯がいわば良く無かったとしても、人が死ぬ時にはすべて良く、彼岸には全き平静さが待ちうけている』とする様々な宗教から来ている」と述べています。そして、ブリテンの戦争レクイエムも含めて、そうした作品は「来世で魂の救済を求めている点で価値を減じている」と考えていたようです。実際に死後平静さだけが待っているのかどうかはともかくとして、さしずめ昨日のエル・グレコの絵画「オルガス伯爵の埋葬」のような光景は価値を減じるという意味になり、そうだとすれば意味するところは分かります。ショスタコーヴィチは、1969年1月にモスクワの病院に1カ月入院している時に交響曲第14番の作曲を初めて、退院した後3月2日に自宅で完成させています。当時ショスタコーヴィチは、インフルエンザが流行していたため病院での面会も禁止されていたのでひたすら読書にふけり、この曲の歌詞に用いられた詩を読んでいました。しかし歌詞の日本語訳を見るにつけ、病院で気を紛らわせるために読む類のものとは思えません。

 死生観とか難しい話は別にして、この曲のクルレンティス盤を聴いてから、ある時車の中でカーナビにコピー・録音したものを聴いていて冒頭が流れた時、何とも言えない神経が休まり首から背中一面にかけて弛緩するような、安らかな感覚になり、ショスタコーヴィチの作品の中でというよりクラシックのレパートリーの中で特に魅力を感じる作品になっています。ただ、今でもロシア語が分かって聴いてすぐに意味を理解しているなら、そんな風に癒し的には感じないかもしれません。何年か前はインバル盤のCDをナビのHDにコピーしましたが、さすがに暗過ぎて数カ月で削除していましました。今度はもう一度じっくり聴きたいと思います。

 ショスタコーヴィチの異色の(考えようによっては15曲皆、それぞれ異色な要素をはらんでいる)交響曲第14番は、1969年6月21日に、ルドルフ・バルシャイ指揮のモスクワ室内管弦楽団とソプラノ独唱が マルガリータ・ミロシニコワ、 バス独唱が エフゲニー・ウラジミロフにより、モスクワ音楽院小ホールにおいて関係者だけで試演・初演されています。ソプラノ歌手については、当初作曲者自身もロストロポーヴィチ夫人(1955年29歳で結婚)のガリーナ・ヴィシネフスカヤを起用したかったけれど、スケジュールが合わず結局マルガリータ・ミロシニコワが歌いました。ところがヴィシネフスカヤ当人も是非初演に参加したしたかったらしく、ミロシニコワと揉める騒動になったという話は曲の解説に付き物になっています。その後初演指揮のバルシャイの裁きで、公式の初演(レニングラード、モスクワと2回の公演)はヴィシネフスカヤが先に歌うということになりました。そのモスクワ初演(1969年10月6日)の演奏はライブ録音で残っています(Brilliant の組物)。一方セッション録音の方の初録音では、ミロシニコワが歌い、これは現在Veneziaから出ています(しばしば欠品になる)。

 この録音はロストロポーヴィチ指揮のショスタコーヴィチ交響曲全集に収められているもので、他の14曲が1980年代後半のデジタル録音であるのに対して唯一亡命前のソ連でのアナログ録音です。ロストロポーヴィチがこれ以上の演奏は出来ないとして再録音しなかったので、メロディアから権利を買って全集発売にこぎつけたものです。それだけに、また、作曲者との親交があり信頼も得ているロストロポーヴィチだけに、初演から4年程の時期の演奏であるこのCDは全集の中でも一番傑出している(と断言していいのか)と思えます。

 「死者の歌」というニックネームにはそぐわないような激しい表現で、前作の交響曲第13番「バビ・ヤール」の延長のように思えます。内省的とも言えるこの第14番を、時には外に向かって何かを抗議するかのような力強さで演奏しています。ソプラノだけでなく、バスのレシェーチンの歌声も大変魅力的です。

 レニングラードでの初演は成功で、ミロシニコワら独唱歌手も万全の準備で素晴らしい演奏でした。また、肯定的、楽観的とは言い難いこの作品ですが、バビ・ヤールの時のような波乱はありませんでした。ところでショスタコーヴィチは1960年に共産党に入党しています。これは本意ではなく、「党員にさせられた」と嘆いたと伝えられますが、この心境は複雑です。マーラーがウィーン宮廷歌劇場の指揮者になるに際して、カトリックに改宗しましたが、ユダヤ人社会から離されたと特に嘆いている記録はないようです。

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17 5月

ショスタコーヴィチ第5番 ロストロポーヴィチ・ナショナルSO

ショスタコーヴィチ 交響曲 第5番 ニ短調 作品47

ムスティスラフ=ロストロポーヴィチ 指揮 ワシントン・ナショナル交響楽団

(1994年6月 録音 Warner)

 先日京都コンサート・ホールの前で配られていたビラの中に、今年の6月21日に同ホールで行われる京都大学交響楽団の定期公演のものがありました。金聖響を迎えてショスタコービチの交響曲第5番がプログラムのメインです。いつもこんな感じなのかどうか知りませんが、ビラも本格的でちょっと驚きました。S席が1500円、A席が1000円という値段です。

11050  ロストロポーヴィチはチェロだけでなく、指揮者としてもショスタコーヴィチの作品を演奏録音しています。ソルジェニーツィンを擁護したために国内外での演奏活動を禁止され、1974年には亡命した経歴からしても、ショスタコーヴィチには共感するところも多いだろうと推測されます。ロストロポーヴィチは1988-1995年の間に、第14番を除くショスタコーヴィチの交響曲をワシントン・ナショナルSO、ロンドンSOを指揮して録音していました。第14番だけは亡命前の1973年に夫人のソプラノ歌手ヴィシネフスカヤ、バスのレシェーチン、モスクワPOと録音しています。それらをまとめて全集にしていますが、圧倒的名盤という程の評判ではなく、やや地味な扱いです。

 交響曲第5番はショスタコーヴィチの交響曲の中では一番有名で、演奏回数も1,2を争うだろうと思います。初演時には客席で泣き出す人も出たという第3楽章、勝利の歌(と考えたい?)である第4楽章が特に有名ですが、全楽章とも強く印象に残ります。1937年11月21日にムラヴィンスキー指揮のレニングラードPOにより初演されています。ただ、前作の第4番とは作風がかなり変わっています。

 ロストロポーヴィチ盤で第5番、特に4楽章を聴くと、勝利の歌が高揚して全曲を結ぶといったものではなく、妙なぎこちなさが混じっています。しかし3楽章は切実に迫るものがあり、初演で泣きだす人が出たというのもうなずけます。個人的に、ショスタコーヴィチの交響曲は、体制側の精神であれ反体制側のものであれ、決定的に臨界に達して高揚するというものでなく、いつも不完全燃焼のようで、どこか全く違った事柄、領域の中で頂点があるような、そんな謎めいたものを感じます。そういう印象と、今回のCDはぴったりはまります。ただ、ロストロポーヴィチの全集が地味な扱いなのももっともだと思いました。

 先日、自宅の庭木に「タヌキ」が登っていると近所の人から知らされて、半信半疑ながら驚いています。明け方に犬猫でもない動物の鳴き声がするので窓を開けると、木の枝に居るのを見たそうです。私は熟睡していて鳴き声は聞いていません。本当にタヌキなのか、野生化した違う生き物なのか、ちょっと不気味ですが、壁や屋根を壊したしなければ別にかまいません。冬に宇治川の堤防沿いで、それらしい獣を見たことがあるので、出没しても不思議ではありません。

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4 12月

チャイコフスキー・悲愴交響曲 ロストロポーヴィチ・LPO

101204b  二百三高地という日露戦争時の日本を舞台にした邦画がありました。主人公の尋常小学校教員の古賀が、トルストイに感化されてロシア語の勉強をしているという設定で、予備役から召集された時に中隊長もトルストイは読んでいるという話題になっていました。ちょうどその頃、中学2年くらいの時、文庫本(新潮)でトルストイの作品を分かっても分からなくてもひたすら読んでいた時期がありました。特に戦争と平和の最終部分は、トルストイの歴史論か何かで、読んでいてさっぱり分かりませんでした(今読んでも分からないかもしれない)。復活、アンナ・カレーニナ、光あるうち光の中を歩め等は新潮文庫で刊行されていました。長い古典の中に、何か苦痛を和らげる薬のようなものが入っているかもしれないという動機で順次読みあさっていたのが思い出されます。島崎藤村の破戒も印象に残り(面白くはないものの)ました。主人公が生徒に謝る場面が、口惜しいやら、悲しいやらで、腹がたったのだけは覚えています。

チャイコフスキー  交響曲 第6番 ロ短調 作品74 「悲愴」

ムスティスラフ=ロストロポーヴィチ 指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

(1976年 録音 EMI)

1楽章:アダージョ~アレグロ・ノン・トロッポ

2楽章:アレグロ・コン・グラツィア

3楽章:アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ

4楽章:フィナーレ (アダージョ・ラメントーソ~アンダンテ)

 悲愴交響曲は1893年に完成され、同年にチャイコフスキーの指揮で初演されて、その後間もなく作曲者は急死しています。日露戦争は1904年・明治37年に始まり翌年に終わります。作家トルストイは1828年生まれで百年前の1910年まで生きていたので、悲愴交響曲も日露戦争も両方とも見聞しているはずです。トルストイの作品はブルックナーの交響曲を聴くのと似た感触で、特別に傾倒して(出来るほどの理解度ではない)いないのに、何となく一連の作品世界に浸かってみたくなります。

101204a_2  以前に悲愴交響曲を取り上げたことがありましたが、個人的にはこの曲の第4楽章が特に好きです。そしてこの曲の録音の中ではロストロポーヴィチ盤が1、2を争うくらい気にっています。ロストロポーヴィチは、亡命後にチャイコフスキーの交響曲を全曲録音していて、かなりの廉価盤で再発売されていました。これは枚数を減らして圧縮するために一曲が2枚にまたがったりで聴くのに勝手が悪い面がありました。それで第6番・悲愴だけは国内盤で何度目かの再発売の時に1枚もので購入しました。通常はそういうことはしないものの、特に愛着のある曲、録音なので例外扱いです。この曲も過去に多数のレコード、CDが作られてきました。60年代のムラヴィンスキー、レニングラード・フィルをはじめ本場ものも多数あり、ロストロポーヴィチ盤は近年押され気味です。

 この演奏はロシア的とか濃厚とか評されることが多いものですが、どれほど逸脱した表現かと思って期待していると、案外そうでもなく鋭さを感じさせる演奏です。ショスタコーヴィチの信任が厚かった才能の持ち主という側面が効いているのかもしれません。もっと濃厚でも面白いと無責任に想像しています。例年周期的に熊が冬眠から覚める前の時季にこの曲が聴きたくなり、集中的に聴きます。今年はちょっと早めです。

 この曲の3楽章は興奮にわき立つ行進曲のようで、クレンペラーがアメリカ時代(1930年代後半)に興行主から4楽章をカットして3楽章目で終わってくれと頼まれたと語っています。とにかく初演から40年ほど経過したアメリカでも悲愴交響曲は演奏されていたことがうかがえます。アメリカにもロシア系(貴族の末裔も)国民が多く居たということで、そういえば京都市にアメリカから来たチャイコフスキーという名の神父が居ました。

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昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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