ムスティスラフ=ロストロポーヴィチ 指揮
(1993年2月8,9日 ロンドン,セント・オーグスチン教会 録音 TELDEC)
今年に入ってまだコンサートとかには行っていないなあと思っていたら、三月の大阪フィルの定期をまだ申し込んでいなかったのに気が付いて電話でチケットを購入しました。ショスタコーヴィチの声楽付き交響曲、「十月革命に捧ぐ」と「メーデー」とバーバーのピアノ協奏曲(1962年)というプログラムです。ソ連とは対極な体制?下の大阪府にあって、予算引き締めの鞭に怯えつつ昨年の第11番「1905年」と第12番「1917年」同時公演に続いてこういうプログラムとは妙に皮肉な感じがします。というわけでまた予習的にCDを聴こうと思い、ロストロポーヴィチの全集から第2番を取り出しました。
ロストロポーヴィチ(Mstislav Leopol'dovich Rostropovich 1927年3月27日 - 2007年4月27日 )は1974年にソ連から亡命したので、ショスタコーヴィチの交響曲全集は第14番を覗いて亡命後に西側のオーケストラ(ワシントン・ナショナル交響楽団、ロンドン交響楽団)を指揮して録音していました。作品を献呈されたり初演したりと、ロストロポーヴィチは作曲者と親交があったので、没後20年が近付くこの録音の頃は複雑な心境だったことと思われます。
改めて聴いていると冷静というか機械的というか、高揚感が無くて、正負の価値判断の感情から遠いところに身を置いて演奏しているような印象を強く受けました。ロストロポーヴィチの指揮は勝手に爆演、劇薬的な激しい表現を期待してしまい、実際にCDを聴くとそんな風ではなくて、端正で冷静なタイプだと思えることが多くありました。今回もそれと似ていますが決して物足らないということはなく、聴き終わってもあとに演奏から受ける感情が尾を引く存在感がありました。
この演奏にはサイレン(先日のゲルギエフの映像ソフトでは手回し式だった)を使っていないようで、繰り返し再生してもサイレンが分かりませんでした。これは不純物として省いたのか、代用のため音が小さ過ぎるのか未確認です。ただ、演奏全体からすればサイレンが無いのが当然といった感覚なので省いたのかもしれません。コーラスも盛り上がるといった感じはなくて淡々としています。これを聴いていると先日のゲルギエフの崇高な美しさが圧倒的な演奏が却って際立ってきます。ネット上で読んだ記事(具体的に何が情報源か忘れてしまい、再度閲覧できないのが残念)で、ショスタコーヴィチがロストロポーヴィチが交響曲を全部録音すると言ったら第4番以降にしてくれと言われたという話がありました(何番以降と言われたのかも記憶が曖昧)。それが本当でロストロポーヴィチが真意として受け止めたなら演奏に当たっては影響するだろうと思います。