raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

2021年08月

29 8月

コジ・ファン・トゥッテ シュッティ、モラルト、VSO/1955年

210828aモーツァルト 歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」 K.588

ルドルフ・モラルト 指揮
ウィーン交響楽団
ウィーン国立歌劇場合唱団

フィオルディリージ:テレサ・シュティッヒ=ランダル(S)
ドラベルラ:イーラ・マラニウク(A)
デスピーナ:グラツィエッラ・シュッティ(S)
フェランド:ヴァルデマル・クメント(T)
グリエルモ:ヴァルター・ベリー(Br)
アルフォンソ:デジェー・エルンスター(Bs)

(1955年 ウィーン 録音 FHILIPS)

210828b 先日のある日(といってもかなり前になってしまった)、あるところを通り過ぎた際に何かが違うと思ったら、お地蔵さんかなにかの祠が無くなっているのに気が付きました。駐車場が閉鎖になっていたから何か建つのかと思っていたらコインパーキングになりました。滋賀、京都は夏に地蔵盆というのが盂蘭盆とは別に行われる習慣があって、お地蔵さんの祠かお堂のような小さなものがあちこちにありました。それを移転するにしてもどこが窓口、交渉相手だったのだろうと思い(まさか右傾化のノリで廃仏棄釈によってそのまま破却ということはないでしょう)ました。

 このコジ・ファン・トゥッテはモーツァルト生誕200年のメモリアル年だった1956年に向けて旧フィリップス・レーベルが制作したオペラ全曲盤のシリーズの一つでした。フィガロはベーム、ドン・ジョヴァンニとコジがモラルトの指揮で、オーケストラはウィーン交響楽団です。DECCAがウィーン・フィルと同じようにオペラの全曲盤を揃えてきていたので、歌手も重ならないように当時のウィーンで活躍した顔ぶれを集めています。デッカの全曲盤に対してこちたフィリップスの方は地味な評判だったのか、レーベルが吸収されたせいかCD化も遅れたり廉価シリーズのみでした。中でもコジ・ファン・トゥッテは新譜当時の評判が割れたのか、CD化されたかどうかも未確認でしたが、最近になって何種かCDになっていたのが分かりました。今回はLPの再発売版が入手できたのでようやく聴くことができました(初期盤は高価)。

 LPで聴いてみるとなかなか良くて、同じモラルト指揮のドン・ジョヴァンニよりもオーケストラ演奏が素晴らしい気がしました。軽快というテンポではないものの歌手のアンサンブル、バランスが良くて舞台の映像が目のまえに無くても作品の世界が広がるような心地です。女声は原作、台本のイメージからすればちょっと歳が上かなという印象ですが、味わいがあり、好印象です。新譜当時の評がネット上に出ていましたが、結構辛口で各人物のアリアが十分性格を表していないという論調でした。

 そこのところは良く分かりませんが当時のウィーンで活躍した歌手、モラルトらによる全曲盤(省略された楽曲はある)なので貴重です。ところで同じく1950年代前半にグイド・カンテルリとスカラ座によるコジの全曲盤があり、CDの時代ではそちらの方が有名ですが、このモラルトとはかなり違い、軽快なテンポで駆け抜けるような演奏でした。そのスタイルを念頭に置くとモラルトの方は鈍重となり、作品の世界とは異質ということになるかもしれません。ただ、モーツァルト=独墺系、という感覚からすればむしろカンテルリ-スカラ座の方が異質のような気がします。
27 8月

ベートーヴェン交響曲第1番 ベーム、ウィーンPO/1972年

210827 aベートーヴェン 交響曲 第1番 ハ長調 Op.21

カール・ベーム 指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(1972年9月 ウィーン,ムジークフェライン 録音 DG)

 またまた緊急事態宣言でアルコール類提供不可のため、夕方から閉まっている店が増えています。そんな感染蔓延のなか、夏の高校野球は辞退校を出しながらも何とか開催中で、京都府代表の京都国際高校が色々話題になっています。外国語・韓国語の校歌と言う点で好意的でない声がけっこう多いようですが、英語の歌詞を採用している大学もあるので別に騒ぐこともないと内心思っています。それはそれとして、二年生の二人の投手といい、サヨナラ勝といい、
試合内容が素晴らしい。それに主力の投手二は二年生なのであと二大会(次の選抜、夏)は進撃が続きそうです。

 ベートーヴェンの交響曲第1番はエロイカより前の作品ながら最初に聴いたのがクレンペラーのレコードだったこともあり、威容をほこる大作というイメージが自分の中に残っています。それから場合によっては坂道を自転車で下る時のような風を感じられる、そんな爽快さも感じられると思っていました(それが本来の魅力かどうかはともかく)。ユニバーサル・クラシックの2021年カレンダーでは8月がカール・ベーム(Karl Böhm 1894年8月28日 - 1981年8月14日)
なので今月は何となくベームが気になり、ウィーン・フィルとのベートーヴェンを聴いてみました。ウィーン・フィルとしては少し前にハンス・シュミット・イッセルシュテットと全曲録音したところなのに、またベームと同じベートーヴェンの交響曲を録音し出したのは何故かと昔から思っていました。

ベーム・VPO/1972年
①09分38②8分43③4分00④6分22 計28分43
シュミット・イッセルシュテットVPO/1968年
①10分11②6分44③3分53④6分11 計26分59
アバド・VPO/1988年
①09分22②8分35③3分48④5分49 計27分34

 改めて廉価盤CDで聴いてみると冒頭から緩いというか、暖かく明朗な雰囲気に包まれているので作品に対する個人的な先入観からは外れるタイプだと思い、それだけでなく同時期、同年代の独墺系の指揮者とも一味違う独特なものじゃないかと思いました。それに何となく長い、遅いという感覚が終始ついてまわり、もう少し前のベームの演奏とは違うような気もしました。直前にベルリン・フィルとのモーツァルトの交響曲第33番、34番を何度か聴いていたので、それらの硬質?で角張ったところもある演奏とはだいぶ違って聴こえました。
  
 同じウィーン・フィルとのベートーヴェン第1番ならH.シュミット・イッセルシュテットの方が普通というかしっくり来る気がしました。と言ってもそちらもセル、ライナーやクレンペラーあたりと比べるとどうも緩く感じられます。どちらにしても古い世代の演奏なので今更なことですが、京都市交響楽団の八月定期のプログラムを見ているとオール・モーツァルトで、交響曲第29番とピアノ協奏曲第27番、それからジュピター交響曲なので、1956年のモントルー・ヴヴェイ音楽祭の9月9日に行われたクレンペラーの公演と重なります(セレナーデ第13番が加わると同じになる)。コロナ禍の下で古典派の曲がプログラムに入る頻度が上がっているようなので、演奏も今後多様化するかどうか?というところです。
23 8月

ドビュッシー ペレアスとメリザンド オッター、ハイティンク/2000年

210601bドビュッシー 歌劇「ペレアスとメリザンド」

ベルナルト・ハイティンク 指揮
フランス国立管弦楽団
フランス放送合唱団

メリザンド:アンネ・ゾフィー・フォン・オッター
ペレアス:ヴォルフガンク・ホルツマイヤー
ゴロー:ロラン・ナウリ
ジェヌヴィエーヴ:リー・ニコル・ルミュー
アルケル:グレゴリー・ラインハート
イニョルド:アメル・プライム・ジェルール
医師:ユーリ・キーシン 他

(2000年3月14-16日 パリ,シャンゼリゼ劇場 録音 naive)

210601a 
新国立劇場の公演予定を見ると来年の七月にドビュッシーのオペラ「ペレアスとメリザンド」が入っていました。さすがに一年後ならそこそこの人数を入れて公演できるのではと思いながら、出歩かない、動かない習性が固定化したので暇でもわざわざ遠征する気にはならないだろうと思います。このところ長雨の上に、それと関係ないけれど結石の疝痛に急襲されて困っていました。十年以上前にも同じ症状にみまわれた際には腰痛、整形外科の守備範囲か、それとも食中毒かと正体が分からずに、おまけに一昼夜断続して続いて困りました。結局救命センターに自力で行って症状の原因が解明されました。今回はネット上で紹介されたいたストレッチ動作のおかげか、ワクチン副反応用のN-シンを服用したせいか短時間収まりました。

 大分前にあつかう予定だったこれにようやくコメントします。
このCDは navive レーベルとハイティンクという珍しい?取り合わせで、発売当時は全く気が付かずにいたものです。付属冊子とケース前面には上記のような長髪で目が隠れた(寝起きの貞子のような)写真が使われていて、これだけを見れば素性の分からない海賊盤のような感じです。ハイティンクはドビュッシーの管弦楽作品を1970年代にACOとレコーディングしていて、これが本場のフランス系の演奏者ではないのに魅力的でした。そこから四半世紀も経ってますます国際化?が著しくなっているとしても、このオペラの全曲盤も作品固有の美点が前面に出た魅力的なものだと思いました。

 メリザンドとペレアスはドイツ語圏の歌手なのに特に前者、オッターが魅力的です(仏語圏の人間なら別の感想があるかもしれない)。これの新譜時の反応はどんな風だったのかと今更ながら気になります。三角関係に殺しが絡んで、ヒロインのメリザンドも死んでしまうというストーリーは心地よいものでないのに、音楽自体の美しさ、惹きつける力には感心させられる作品です。
20 8月

ベートーヴェン交響曲第7番 ムーティ、フィラデルフィアO/1988年

210817aベートーヴェン 交響曲 第7番 イ長調 op.92

リッカルド・ムーティ 指揮
フィラデルフィア管弦楽団

(1988年2月13,17,20日 フィラデルフィア,フェアマウント・パーク,メモリアル・ホール 録音 EMI)

 今週に入って墨染のインクラインの上を通る国道24号を通った際、水が茶色に濁っているのが見えて、これは取水口の大津で既に泥が流れ込んでいるのか、深草あたりで流れ込んだのか、とにかく稀に見る濁りかたなのでちょっと驚きました。それに地下鉄の入口やらエレベーターの入口に土のうが何個か置いてあるのも見かけ、そこら中で路上が川のようになったのかと、それにも驚きました。そう思った日からさらに何日も雨が降り、晴れたと思った金曜日もまたにわか雨でした。それと共にまた緊急事態宣言の追加で、また其処らじゅうの店が閉まりだしました。オリンピックが終わったあと、BS放送で政局の番組をやっていて与党で過半数割れになった場合、K党やN・Iの会が補完するとか取沙汰していました。

ムーティ・フィラデルフィア/1988年
①13分17②09分00③9分38④8分35 計40分30
ドホナーニCLO/1987年
①11分33②07分38③8分18④6分34 計34分03
ショルティ・CSO/1989年
①13分33②08分19③7分03④8分47 計37分42

 ムーティとフィラデル・フィア管弦楽団のベートーヴェンは廉価箱が出たタイミング(EMIレーベルのロゴが消滅する際)に購入して車中で聴いていました。その中では第7番が一番好印象でした。といってもクレンペラーの演奏とは似ていなくて、覇気のあるタイプのものでした。それでも先日のドホナーニのように滑るように、流れるように過ぎて行くのとは違い、まだ古い時代の演奏の香りがするような気がしました。ムーティの自伝にオーマンディとフラデルフィア管弦楽団のヨーロッパ公演のベートーヴェンを師匠筋のグイと聴いた時のことが書いてあり、ムーティはその演奏に好意的のようでした。

 たしか倍管で演奏していたのをグイは原典主義的な見方から軽侮するような感想だったのに対して、ムーティはそれに同調していませんでした。オペラの上演で原典至上主義的な立場が見られたムーティにしては意外な反応だと思いました。これはベートーヴェンの交響曲だから構わない、編成の問題以上に肝心なことがあるということなのか、よく分かりません(自伝は今回読み直していない)。

 昔、民放のTV番組で小澤征爾が指揮するベートーヴェンの交響曲第7番を視聴したことがあり、最後に指揮台の上で飛び上がるような姿だったのが妙に曲ともに刷り込まれました。このイメージから反対方向に揺り戻されたのがクレンペラーのLPを聴いた時でしたが、そもそも第7番はどういうイメージとして浸透してきたのだろうかと思います。宮沢賢治がセロ弾きのゴーシュを書いた頃には日本で初演されていたのだろうか。
15 8月

ベートーヴェン交響曲第7番 ドホナーニ・クリーヴランドO/1987年

210815bベートーヴェン 交響曲 第7番 イ長調 Op.92

クリストフ・フォン・ドホナーニ 指揮
クリーヴランド管弦楽団

(1987年9月20日 クリーヴランド,メソニック・オーディトリアム 録音 Telarc)

 この季節になるとドキュメント番組でヒトラー、ナチスを扱ったものが再放送を含めて色々でてきます。8月15日には日本映画専門チャンネルでは「あゝ決戦航空隊」をやっていました。もう相当なご高齢になっているクリストフ・フォン・ドホナーナーニの父、ハンス・フォン・ドホナーニと母型の叔父ディートリヒ・ボンヘッファーはともに1945年に強制収容所で処刑されていました。音楽活動と直接は関係ないものの、ドホナーニの名前を目にするとそっちのことも頭の中でチラつきます。

 ドホナーニと言えば1990年代に指環の全曲録音に取り組んだもののワルキューレまでで中断してしまい、そのままになったのが残念です。その少し前にベートーヴェンの交響曲をテラーク・レーベルに全曲録音していました。特に評判にならなかったようですが、どんな風にオーケストラが鳴り響いているのかピリオド楽器、奏法が盛んになっている21世紀の今頃になってちょっと気になります。

ドホナーニCLO/1987年
①11分33②07分38③8分18④6分34 計34分03
ムーティ・フィラデルフィア/1988年
①13分17②09分00③9分38④8分35 計40分30
ショルティ・CSO/1989年
①13分33②08分19③7分03④8分47 計37分42
ショルティ・CSO/1974年
①14分42②08分57③9分28④9分04 計42分11
オーマンディ・フィラデルフィア/1964年
①13分37②09分28③9分38④7分18 計40分01
セル・CLO/1959年
①11分52②07分34③7分19④7分13 計33分58
ライナー・CSO/1955年
①11分40②08分56③6分58④6分46 計35分20

 アメリカのオーケストラによる交響曲第7番の新旧録音の演奏時間を並べると上のようになります。ドホナーニの第7番は後半の楽章が軽快に走るような感覚で、第2楽章も「不滅の」とわざわざ冠しなくてもいいようなアレグレットです。不思議に陰を感じさせない、明解過ぎるベートーヴェンという印象です。ヨッフムとACOのベートーヴェンを聴いた後なので余計に印象の違いが目立つ気がします。新譜当時はドホナーニがベートーヴェンをレコーディングするならヨーロッパのオケでやればと、当時は勝手に思っていましたが、この調子ではどうだろうかと思えます。
 
 クリーヴランドとフィラデルフィアをそれぞれ1980年代に指揮したドホナーニとムーティが先輩の録音と演奏時間が似ているのは主題反復有無を踏襲しているからなのか、両者ともセルとオーマンディと30秒以内の差に収まっています。1987年の録音だったら新譜当時はまだLPでも出ていたはずだと思いますが、LPだったらどんな風に聴こえるかちょっと気になります。
14 8月

ベートーヴェンの田園交響曲 サヴァリッシュ、RCO/1991年

210814ベートーヴェン 交響曲 第6番 ヘ長調 op.68「田園」

ウォルフガング・サヴァリッシュ 指揮
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
(アムステルダム・コンセルトヘボウ)

(1991年3月11,14,15月 アムステルダム,コンセルトヘボウ 録音 ワーナー/EMI)

 
前回のヨッフムの田園の際、ハイティンクが指揮してベートーヴェンを録音したのをこのオーケストラだと勘違いしていましたが、正しくはロンドン・フィルでした。ヨッフムの全集から十年も経たないのに凄い(なぜ?)と思ったら思い違いでした。ハイティンク絡みでは個人的に記憶違い、思い込みから来る間違いが過去にも複数ありました。それはともかく、アムステルダム・コンセルトヘボウからロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団に名称が変わったのは創立百周年を迎えた1988年でした。

  サヴァリッシュがロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団とベートーヴェンをレコディングし始めた当時は意外に、少々残念に思ったものでした。残念というのは、どうせならミュンヘン・フィルとかバンベルクSOとかドイツのオケとやって欲しかったという勝手な願望のためでした。1990年代なら古楽器による演奏が古典派からロマン派初期にまで普及して、有名オーケストラでもベートーヴェンをどう演奏するのかと色々考えさせられたかもしれません。

サヴァリッシュ・RCO/1991年
①12分00②12分57③5分20④3分45⑤09分04 計43分06
ハイティンク・RCO/1986年
①12分05②12分43③5分58④3分40⑤09分29 計43分55

 1960年代のヨッフムとACOの演奏をきいた後にこれを聴くと、アナログ録音とセッション録音の違い、レーベルも異なるという点もありますが、直線的・幾何学模様的とでも言えば良いのか、田園という言葉に関する情緒を投影するような余地がない純音楽的に完結していて圧倒されます。と言ってもサヴァリッシュとミュンヘン・オペラのオーケストラ(?)によるブルックナーに比べるとおとなしくて、第2楽章はとくにうっとりします。サヴァリッシュは1960年代にもこのオケを指揮して田園を録音していたようで、その頃からこういうベートーヴェン演奏だったのだろうかと思います。

 五年違いで同じオーケストラ(今度はハイティンクもコンセルトヘボウ管弦楽団で間違いない)を指揮したサヴァリッシュとハイティンク、合計時間も約50秒差ですが、合計が短い方のサヴァリッシュが第2楽章では少し長く、たっぷり朗々と歌わせているということでしょうか。実際に聴いてみるとハイティンクの方がよりゆったりと、潤いがあるような印象なので、このギャップ、演奏時間の差は何なのかと思います。サヴァリッシュの方は全楽章をまとめて、タガをはめて引き締めているような感じでもあり、「交響曲=絶対音楽」という筋が通っている印象です。逆にハイティンクの方は古いヨッフムの録音に少しだけ通じているような感じもします。
13 8月

ベートーヴェンの田園交響曲 ヨッフム、ACO/1968年

210813aベートーヴェン 交響曲 第6番 ヘ長調 op.68「田園」

オイゲン・ヨッフム 指揮
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

(1968年11月29日-12月4日 アムステルダム,コンセルトヘボウ 録音 FHILIPS)

 昼間にまちなかを歩いていると、どこからともなく線香の匂いが漂ってきました。もう盆休みの期間に入っていました。昔から早朝の時間帯にAMラジオでは仏教系、神道系、基督教諸派が10分前後の番組を放送していました。「暗いと不平を言うよりも~」のお決まりの主題とテーマ音楽が長年続いていた「心のともしび」は、最近は午前5:55から放送(関西地方)しています。ながらく聴いていなかったのでどういう内容になっているかと思って車内で聴いてみると、なんとあの決まり文句もテーマ音楽も全く流れずに、かわりにベートヴェンの田園交響曲の第1楽章が使われていました。田園は九曲のベートーヴェンのシンフォニー中で一番好きだけれど、あのテーマ音楽が無くなっているのは衝撃的で、放送で使われなければどこで聴けるのかと、急に寂しくなってきました。

ヨッフム・ACO/1968年
①10分38②13分17③5分57④4分02⑤09分20 計43分14
ハイティンク・LPO/1975年
①12分04②12分10③5分28④3分29⑤09分31 計42分42
ヨッフム・LSO/1977年
①11分01②12分37③6分01④4分02⑤09分31 計43分12
ヨッフム・BPO/1954年
①10分48②13分01③5分48④3分50⑤09分24 計42分51

 これはヨッフム二度目のベートーヴェン交響曲全曲録音の中の田園交響曲です。ベイヌム没後に就任したACOの首席を退き、バンベルク交響楽団の首席に就いた年の録音でした。演奏時間の数字はともかくとして、第1楽章がゆったりと静かに始まるのが特徴的で、これはヨッフムの三度の録音に共通するものです。それから第2楽章は「小川のほとり」そのもののような憩いにさそわれます。。始まりはそうであっても全体を通して決して緩いということはなく、第4楽章の嵐は緊迫感がありながら一糸乱れない嵐(何か矛盾する言い方)で、全く素晴らしい演奏です。

 それだけに、続く第5楽章が本当に闇が晴れたような爽快さに圧倒され、「田園交響曲はこうでなければ」という声がきこえてきそうな感銘度です。同じくらいの年代にハンス・シュミット・イッセルシュテット、ベームがウィーン・フィルを指揮してベートーヴェンをレコーディングをしていましたが、とりあえずヨッフムとACOの田園は勝るとも劣らない素晴らしさです。

 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団が演奏するベートーヴェンと言えば、第二次大戦後にクレンペラーが1949年、1951年、1956年、1958年と四度も全曲演奏する公演を指揮していました。それ以前にはメンゲルベルクの下で何度も演奏したことでしょう。この1968年頃にはメンゲルベルク、次代の首席になっていたベイヌムも世を去り、クレンペラーの客演も途絶えていました。ハイティンクとACOのベートーヴェンは1974年から1976年年の録音(ハイティンクの初回はロンドン・フィルと、ACOとは1980年代半ばから)なので、1967年3月から1969年6月までのヨッフムはその前ということになり、ACOにも独自のベートーヴェンの伝統が積み重ねられています。
11 8月

番外~NATTY DREAD / BOB MARLEY & WAILERS/1974年

210811 (2)NATTY  DREAD
1.Lively Up Yourself
2.No Woman, No Cry
3.Them Belly Full (But We Hungry)
4.Rebel Music (3 O'Clock Roadblock)
5.So Jah Seh
6.Natty Dread
7.Bend Down Low
8.Talkin' Blues
9.Revolution
*BONUS TRACK:Am-A-Do(復刻CD)

BOB MARLEY & WAILERS

(1974年 キングストン,ハリー・J・スタジオ 録音 TUFF GONG/ISLAND)

 このブログでは珍しいクラシック以外のアルバムです。これは20代の頃からよく聴いていて、いくつになっても年に何度かは発作的に聴きたくなり、そのたびに買いなおしたりしていました。たしか元大関の小錦もこの曲に特別の思いがあるそうで、TV番組の中でジャマイカを訪問したりしていました。
実はマーリイについて詳しいわけでもないのですが、この一枚は大好きで、特に「ノー・ウーマン ノー・クライ」はネット上で視聴できるライヴ版よりもこのアルバムの演奏が大好きでした。

210811b ボブ・マーリイ(Robert Nesta Marley OM 1945年2月6日 - 1981年5月11日)とウェイラーズ(The Wailers)は音楽のジャンルとしてはレゲエに分類されるはずですが、単にそれだけにとどまらない、枠におさまらない質量と言うのか、広がりがあります。それからマーリーの没後に色々なアーティストが参加したトリビュート・アルバムの中で一人の歌手がカヴァーしたものもすごく気に入っていましたが、アルバム名も歌手名も忘れてしまい、CDも処分してしまい再度探す手がかりがなくなって残念です。やたらスローテンポで歌詞を引き延ばすように歌うのが特徴でした(ノオオオ ウーマンクラーーアイ)。

 そもそも “ No Woman, No Cry " はどういう意味なのか、タワーレコードのテーマのように「~のない生活なんて」的な意味ではなさそうで、「倹約無しに蓄財なし」的な用法でもないようで、「(女に)もてなくても泣くなよ(
Everything's gonna be all right)」も違うでしょう。それでも “ govermment yard in Trenchtown”とか “ hypocrites ” 、“ cook corn meal porridge ” 等の歌詞の断片から何となく刺さるものがありました。何種かの日本語訳を見ていると「泣かないで~」のようによびかけるニュアンスのようで、背景や作者の経験した出来事は色々ありそうです。

210811a ただ、直接的に攻撃するような尖った感じでないのは、三曲目の “ Them Belly Full (But We Hungry) ” と似ています。そちらはより直接的な歌詞なのに軍歌とかプロテスト・ソング的な調子じゃなく、どうせ~、又はちょっとやそっとではどうにもならないとでも言いたげなやるせなさが漂っています。生理的に好ましいといのが先立って、その理由とかはあまり説明できない作品群で、編曲、バンド編成を変えたらどうなるのかと最初は思ったりしました。例えばよりアコースティックな方向にするとか、でもやっぱりそうすると何等かのものが薄まる、鮮度が下がる気がします。このアルバムは復刻のLPも出ていて、そっちでも聴きますが、連続して聴く、途中で止め難いと言う点でLPも好都合だと思います。

 
ところで「名古屋出入国在留管理局被収容者死亡事案」、留学目的で来日しているスリランカ人をそもそも長期に収容しなければならなかったのか、というのは大いに疑問です。仮に日本人が海外で同じ扱いを受けて死亡した場合、これまでの日本の対応と同じだったらそのまま受入られるのだろうか。テロリストではあるまいし、スリランカはネトウヨ的色分けでは、しんにち国のはずなのに。こういう運用によって日本国民は皆等しく恩恵を被っているだろうか(否~)、その辺りのこともうやむやにしてはいけない、という思考は反日的なのだろうか。
9 8月

クレンペラー、バイエルンRSOのマーラー第4番/1956年

210810aマーラー 交響曲 第4番 ト長調

オットー=クレンペラー 指揮
バイエルン放送交響楽団

エリザベート・リンダーマイヤー:S
(ルドルフ・ケンペ夫人)

(1956年10月19日?/11月19日? ライヴ録音 Memories)

210810 b 連休に合わせてワクチン接種の二度目を受けたところ、翌日の昼頃からちょっと頭痛と発熱があって、事前に買っておいたN-シンを服用して寝ていました。副反応があろうがなかろうが暑いので寝ているつもりでしたが。そのほか付き添いで行ったこともあり、医院での接種といっても会場によっては配慮がけっこう違うもので、入口に検温と消毒ができて座席の間隔もきっちり空けているところもあれば、受付で手を消毒するだけでけっこう込み込みなところもありました。贅沢言うなというところでしょうが、ワクチン接種でなくても去年の段階で医療機関でも三密回避の度合いに結構差が出ていました。八月に入って京都府でも過去最多の感染者数を出していて、検査数と感染経路が把握できていない点で先が思いやられるどころか、実質緊急事態になっています。

クレンペラー・バイエルンRSO/1956年
S.エリザベート・リンダーマイヤー
①16分38②9分24③19分13④9分18 計54分27
ベルリンRSO/1956年live
S:エルフリーデ・トレッチェル
①16分34②9分22③18分11④8分45 計52分52
ウィーン交響楽団/1955年live
S:テレサ・シュティッヒ=ランダル
①16分23②9分31③17分41④9分02 計52分37
ACO/1955年live
S:シュターダー
①16分05②8分48③18分56④8分33 計52分22
ケルン放送交響楽団1954年live
S:エルフリーデ・トレッチェル
①15分50②8分51③17分10④8分18 計50分09
フィルハーモニア/1961年・EMI
S:シュワルツコップ
①17分56②9分58③18分09④8分50 計54分53

 この1956年のバイエルンでのマーラー第4番は演奏データ、日付が複数の記録があり、10月19日の演奏であったら、これをラジオでクレンペラーの夫人ヨハナ(ヨハンナ)が聴いていて、彼女はこの年の11月3日に入院していたミュンヘンの病院で亡くなったので、夫のオットー(駄洒落じゃない)が指揮する音楽を聴いた最後の機会となったものでした。11月19日であったら彼女の没後ということになります。クレンペラーがバイエルン放送交響楽団に客演するようになったのはオイゲン・ヨッフムが招いたかららしいですが、この時期について考えると夫人が入院していたのがミュンヘンだったから客演したのかもしれません。

 クレンペラーは1961年にEMIにレコード録音するまでの間、1954年から1956年に五種類のマーラー第4番の演奏、録音を残しています。1958年秋まで、大火傷によって休養するまでの時期は比較的速目のテンポが多い傾向がありましたが、このバイエルンでのマーラー第4番は休養明け以降に録音したEMI盤と似た演奏時間になっています。実際、先月に聴いたアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団との演奏よりもゆったりとして、特に終楽章が空中を漂うような、ちょっと夢見心地な演奏になっていて、テンポはともかくクレンペラーらしくないような気もします。

 逆に第1楽章の冒頭は鮮明で推進力がみなぎるとまではいかなくても、沈滞するような響きのEMI盤や他の録音と比べるとずっと明解になっています。この年はモントルーの音楽祭でオール・モーツァルトのプログラムを指揮して、ハスキルと共演したりと忙しい日程でした。クレンペラーの躁と鬱の状態はどんな具合だったのでしょうか。あとソプラノ独唱はルドルフ・ケンペ夫人のリンダーマイヤーでした。
5 8月

シューベルト「楽興の時」 デームス/1958年

210805bシューベルト 楽興の時 作品94 D780
第1番 ハ長調
第2番 変イ長調
第3番 ヘ短調
第4番 嬰ハ短調
第5番 ヘ短調
第6番 変イ長調

イェルク・デームス:ピアノ

(1958年4月15-21日 ハノーヴァー,ベートーヴェンザール 録音 DG)

210805a 昨日の昼過ぎ、建設中のマンションの現場の方から「今日はやめとけ、死ぬぞ」という声がきこえました。何をやめるのか分かりませんが、よっぽど暑いんだろう、そりゃそうだと思いました。五輪は夕方にラジオ中継で少し聴く程度ですが、どこぞの市長が金メダルを咬んだというニュースが出ていました。何年か前に竹田何某がメダルを咬むなとか命令調で箇条書きにしていたことがあり、件の市長もそっち側の人だと思っていたので意外でした。ところで
三羽烏という表現は最近あまり使わなくなった気がします。戦前ではどこそこの旧制中学の三羽烏とか色々あったようで、戦後でもプロ野球に同じ年にドラフト1位で入団した法政三羽烏の田淵、山本、富田が有名でした。それから高卒ルーキーの定岡正二(鹿実)、土屋正勝(銚子商)と永川?か誰かと三羽烏と選手名鑑に載っていたような覚えがうっすらとあります。

 音楽界でもウィーン三羽烏、ハンガリー三羽烏と称されたピアニストが居ました。今回のイェルク・デームス(Jörg Demus 1928年12月2日 - 2019年4月16日)はフリードリヒ・グルダ、パウル・バドゥラ=スコダと並んでウィーン三羽烏と呼ばれました(日本でか?ヨーロッパでも烏??)。このCDはタワーレコードの企画で復刻されたものでシューベルトのピアノ五重奏曲、ハイドンの「アンダンテと変奏曲」、シューベルトの「楽興の時」が一枚のCDに入っています。ピアノ五重奏は日本初CD化、あとの二曲は世界初CD化となっています。

 このCD、ピアノ五重奏曲が目当てで購入していたものですが、聴いていると「楽興の時」が特に素晴らしいと思い、今迄この作品を特に気に留めていなかったのに急に惹かれて何度も聴きかえしました。この録音はこれまでCD化されていなかったということは過去のものとして半ば忘れられていたような立場だったと推測でき、有名作品で色々なピアニストがレコーディングをしているはずだから当然そうなるところです。日本を拠点に活動するピアニストのメジューエワは著書の中でシューベルト作品を弾く中で理想的なピアニストに独墺系を挙げず、リヒテルの名を挙げていて、オーストリアのピアニストは淡泊過ぎるというような意味のことを書いていました。そういう評が一定の数、層で定着しているなら、古いウィーン三羽烏のデームスもそれに該当、抵触するのかなと思いました。

デームス/1958年
①5分52②5分45③1分51④5分07⑤2分06⑥6分27

ブレンデル/1972年
①5分09②6分28③1分40④5分19⑤2分08⑥7分05
ブレンデル/1988年
①5分38②5分55③1分54④5分16⑤1分59⑥7分05
シフ/1988年
①6分25②6分23③2分01④5分34⑤2分28⑥6分39


 作品自体は何らかのテーマ音楽で使われていて(特に第3番はNHK・FM「音楽の泉」のテーマ)、それと知らずとも耳にしたことはあるはずです。第1番からしてどこかで聴いたことがあるメロディなので、親しみやすい、すぐに聴き手の中に入ってくるタイプのような気がします。それだけに逆に、決定的に嫌なタイプの演奏が見つかりにくいかもしれません。
2 8月

クレンペラー、バレンボイム ベートーヴェンP協奏曲No.1/1967年

210802bベートーヴェン ピアノ協奏曲 第1番 ハ長調 作品15

オットー=クレンペラー 指揮
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

ダニエル・バレンボイム:ピアノ

(1967年10月 ロンドン,アビー・ロード・スタジオ 録音 EMI)

210802 京都市内でもまたまた酒類の提供が禁止となりました。検査数が元々少ないと言われている中、過去最高の感染者数が出ているので「やっぱり」と店の方々は言っていました。禁止しては弛めてまた禁止の繰り返し、何となく203高地の消耗戦の様相を呈しています。先日の土曜日の夕方、河原町三条の交差点にさしかかると街頭演説をしているのが見えました。「全学連」というのぼりが置いてあり、五輪ボランティアに関するPソナの契約(ボランティアの日当が12,000円/人なのに、契約見積では40万以上見込まれてるとか)がひどい、京大の立て看板、寮建て替え問題をまくし立てていました。PソナときいてT中の顔と言動を思い出して一気に不快になりながら、この全学連はどの全学連なのかな(あまり学生らしくなくて)と思いました。D通、Pソナの他、選手村の宿舎を分譲(報道済の記事によると全24棟5632戸から4145戸を分譲するらしい,4900万円台/2LDK~2億2900万円台/4LDK)
するデベロッパーら各社は、今回の五輪でどれくらいの収支なのか(儲かりまっか??、特にPソナ)、競技の戦果だけでなくそっちの方も知りたいものです。

バレンボイムNewPO,クレンペラー/1967年
①16分16②13分13③09分18 計38分46
バックハウスVPO,H.S=I/1958年
①13分35②09分14③08分54 計31分43
ケンプBPO,ライトナー/1961年
①14分32②12分06③09分36 計36分14
アラウACO,ハイティンク/1964年
①16分41②11分38③09分21 計37分40
アシュケナージCSO,ショルティ/1972年
①15分00②12分04③09分02 計36分06
アシュケナージVPO,メータ/1983年
①15分36②12分06③08分53 計36分35

 ベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番、いかにベートーヴェンの作品といえども第3番以降に比べて演奏頻度が低い初期作品ですが改めて聴いてみるとやっぱり魅力的です。それで、先月に続いてバレンボイムとクレンペラーのEMI盤・LPを聴いてみました。どこを聴いてもベートーヴェンそのものといった響きなのはクレンペラー指揮の序曲や交響曲、フィデリオにミサ・ソレムニスでも同じですが、古い東屋を解体して組みなおし、再構成したようで、光沢を感じられるような感銘度です。バレンボイムも第4、5番よりも初期作品の方がクレンペラーの指揮に合っているような気がします。

 1967年10月のクレンペラーと言えば前年夏にサン・モリッツで転倒、骨折して半年ほど休養した後、マーラーの第9番を指揮してレコーディングもし、ユダヤ教に復帰した後でした。最晩年の最後の活動期に入っていました。クレンペラーはEMIにレコーディングするようになってからは協奏曲はあまり積極的でなく、ピアニストでレコーディング・共演したのは旧知のアニー・フィッシャーの他はバレンボイムだけです。これはユダヤ教に戻る等、民族的なアイデンティティーを強く意識して行く時期だったからか、ユダヤ系のピアニストは他にも多数居るのに、バレンボイムをよほど認めていたのかと思われます。

 バレンボイムはこの後にシカゴ交響楽団(ロンドン・フィル/勝手にシカゴだと思い込んでいた)を指揮してルビンシュタインとベートーヴェンの協奏曲を全曲録音し、さらに弾き振りで何度か全曲録音していました。モーツァルトのピアノ協奏曲はクレンペラーと第25番だけ共演してあとはバレンボイムが弾き振りで全曲録音していたのに、ベートーヴェンは弾き振りするのは大分後になってからでした。ベートーヴェンはそう簡単にいかないと思ったからか、クレンペラーの強烈なオーケストラの音が耳に残ってそこから脱却するのに時間がかかったか、レコーディングのレパートリーもがむしゃらに増やしていそうなのでちょっと意外です。
1 8月

ベートーヴェン/クロイツェル フランチェスカッティ、カサドシュ/1958年

210801bベートーヴェン ヴァイオリン・ソナタ 第9番 イ長調 Op.47「クロイツェル」

ジノ・フランチェスカッティ:Vn

ロベール・カザドシュ:P

(1958年5月12-14日 パリ 録音 Sony Classical)

210801a 先月の下旬、自宅のPCを使用しているときMSS社のサポートに偽装した詐欺にひっかってしまいました。オフィスのダウンロード版のダウンロード元サイトを検索したところ突然詐欺サイトにつながってしまい、エンドレスに流れる音声メッセージとサポートに電話することを強く求める表示が出てきました。この時点でインチキが隅々まで感じ切ったようなサイトだったわけですが、荒れ狂った音声メッセージの連続に息をのむばかりになってしまい、つい電話してしまい(サポートデスクはこれさえあればあとは要らない)ました。結局は契約料金を提示された段階で強引に断って終わりましたが数十分を無駄にしてしまい、そのPCの初期化をすることになってさらに数十分を要しました。業務には一切使用しないPCでしたが、コロナ禍の続く中、他者に感染させてはいけないという強迫観念から(言い訳するな)、つい心のスキを突かれて詐欺サイトに電話してしまいました。この手の詐欺にかかる方は滅多に無いとは思いますが、注意喚起までに。大手業者の場合はただでさえ集中して繋がらないのでサポートへ電話してほしくないというスタンスのはずで、そのためにQ&Aやらメール対応が整備されているので、電話することを強要することはありません。

 ところで色々な年代で有名作品について定番、鉄板的な有名レコードのようなものがそこそこあったと思います。ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの場合はどうだっただろうかと先月に考えていました。昨年のベートーヴェンのメモリアル年にジノ・フランチェスカッティ(Zino Francescatti/本名René-Charles Francescatti:1902年8月9日 - 1991年9月17日)
とカサドシュのソナタ全集が復刻されていました。これには全集より前のモノラル音源まで含まれていました。とりあえず春、クロイツェルを聴いてみたところ、流れるような光沢に包まれたヴァイオリンの美しい音に感心したのと、カサドシュのピアノにも感心しました。

 その一方であまりに流麗過ぎて、この作品は聴いていてこういう印象を受けたかと妙な違和感も覚えました。表面をコーティングして負の感情を生じる要素が流れださないようにでもしているような盤石な演奏だと思いましたが、シゲティの演奏に対する賛辞を思い出してそっちの価値でいくとフランチェスカッティの方は無機的とか言われるのだろうかと思いました。「ヴァイオリニスト33 名演奏家を聴く 渡辺和彦/河出書房新社」という本の中にフランチェスカッティも当然取り上げられていて、彼には三つの側面があるとしていました。

 我々一般の愛好者にとってはフランチェスカッティがニューヨークへ移住していからの活動、ハイフェッツやスターンをしのぐほどの(超絶)技巧の巨匠、あるいはメンデルスゾーンとチャイコフスキーのコンチェルトを一枚のLPに収めて発売した最初のアーティストといった面。もう一つは楽譜の校訂者、粉飾・改竄の一歩手前のようなレベルのヴァオリン、ピアノの演奏譜というところ。さらにあと一つは、アメリカに移住する前のヨーロッパ時代、ティボーの弟子にして後継者、イタリア出身(父がヴェローナ生まれ)のフランスの新鋭といったコピーだと。自分の記憶をたどるとワルターのコンチェルト録音にフランチェスカッティの名前がありましたが、ニューヨークへ移住していたから共演の機会もあったくらいに思っていましたが色々繋がりもありそうです。
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昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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