raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

2021年05月

30 5月

チャイコフスキー悲愴交響曲 ネルソンス、バーミンガムO/2010年

210530aチャイコフスキー 交響曲 第6番 ロ短調 Op.74「悲愴」

アンドリス・ネルソンス 指揮
バーミンガム市交響楽団

(2010年6月2,3日 バーミンガム,シンフォニー・ホール 録音 Orfeo)

210530b 五月も終わりにさしかかりました。感覚としては今月はとことん長いようであり、今年の上半期はあっという間に過ぎたような矛盾する妙な感覚で時間、月日が過ぎてきました。自分のかかりつけの医院の待合に座っているとワクチンの問合せ、予約の電話がかかっているのがきこえました。今予約すれば七月の一週目とか言われているようで、これは年齢が60代くらいの場合のようでした。詳しいことは分かりませんが医院によって込み具合、最短で受けられる日程が違うようでした。そんな具合なので集団接種会場の方が早期に受けられるケースもありそうで、どうりで会場が混雑するはずだと思いました。夜のニュースでは大陸の大国ではワクチン接種会場でパニックのような騒動になっている映像を映し、それに比べて・・・と言っていました。まさかフェイクニュースではないでしょうが、インド変異株には日本以外も警戒しているようです。

 個人的なクラヲタ・鑑賞の体内時計ではちょうど今時分は、チャイコフスキーの悲愴交響曲を聴きたくなってきます。昨年はこの感覚も狂ってしまい、完全に忘れていました。ちょうど中学生の頃にレンタル・レコードでカラヤン、ベルリン・フィルの悲壮とピアノ協奏曲第1番・リヒテル/VSOを聴いていたのが五月末で、なぜか赤痢かコレラかが流行し出して学校で集団検便を行ったので強烈に印象付けられました。全員順番に検査室に入り下半身を露出し、直腸の出口辺りをさらけ出して直接ガラス棒のようなものを接触させるというハードな検査でした。
 
 作曲者の死因が通説ではコレラとなっていることも相まって、梅雨空と疫病を絡めて作品に対してもつい、うっとおしい環境をおもいがちですが、ネルソンスとバーミンガム市交響楽団の悲愴交響曲は濃厚さとは遠い、淡白な演奏なのでそういう個人的な因縁と無縁に純音楽的に鑑賞できそうなスタイルです。過去記事の中から今回のCDよりも合計演奏時間が短いものを並べると以下のようになります。複数あるスヴェトラーノフやポリャンスキー指揮の中には50分を超えるものもあるので聴いた印象もやはり違ってきます。このCDの表記では第4楽章はアダージョとなっていますが、スヴェトラーノフらとは違う表現です。

ネルソンス・バーミンガム/2010年
①18分46②7分44③08分41④10分43 計45分54
アシュケナージ・PO/2002年
①18分11②8分01③08分51④10分38 計45分41
フェドセーエフ・モスクワRSO/1991年
①18分12②8分14③08分23④10分06 計44分55
アシュケナージ・NHK/2006年
①16分57②7分25③08分37④09分51 計43分50

 ネルソンスはショスタコーヴィチ、ブルックナーを指揮しても似たような印象、短い直線の部材を組み合わせて建設するような、簡潔でストイックな響きとでも言えば良いのか、独特の表現です。悲愴交響曲を聴いていると時々ショスタコーヴィチの作品のようにきこえる箇所もあり、この曲の場合は特に終楽章はあっさりし過ぎるとも思えます。

ネルソンス・バーミンガム/2010年
①18分46②7分44③08分41④10分43 計45分54
スヴェトラーノフ/1990年
①18分08②7分05③08分19④12分28 計46分00
フェドセーエフ・モスクワRSO/1981年
①19分05②7分47③08分33④10分54 計46分19
ポリャンスキー・RSSO/2015年
①19分23②8分48③09分41④11分04 計48分56
ポリャンスキー・RSSO/1993年
①19分38②8分35③10分00④12分11 計50分24
スヴェトラーノフ/1993年
①20分34②8分20③09分36④11分57 計50分27
26 5月

フィガロの結婚 シュトライヒ、ベリー、ルートヴィヒ、ベーム、VSO/1956年

210526aモーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」

カール・ベーム 指揮
ウィーン交響楽団
ウィーン国立歌劇場合唱団

フィガロ:ヴァルター・ベリー
ケルビーノ:クリスタ・ルートヴィヒ
スザンナ:リタ・シュトライヒ
伯爵夫人:セーナ・ユリナッチ
アルマヴィーヴァ伯爵:パウル・シェフラー
マルチェリーナ:イーラ・マラウニク
バルトロ:オスカー・チェルヴェンカ
ドン・バジーリオ:エーリヒ・マイクート、他

(1956年 ウィーン 録音 fontana/PHILIPS)

210526 ベームのフィガロと言えばベルリン・ドイツオペラとのDG盤が特に有名で、その他にも最晩年のウィーン国立歌劇場引っ越し来日公演やその五年前の映像ソフト、1963年日生劇場公演等もありました。それ以前では1938年のシュトゥットガルト、今回の1956年ウィーン交響楽団とのFHILIPS盤があります。このフィリップスの全曲盤はCD化されたことはあるものの「フィガロの結婚」の代表的なレコードのような扱われ方はされず、ベームの録音としてもスルーされがちのようでした。しかし、歌手も揃っていて同時期の全曲盤にひけをとらないキャスティングです。フィガロのベリー(Walter Berry 1929年4月8日 - 2000年10月27日
)、ケルビーノのルートヴィヒ(Christa Ludwig 1928年3月16日 - 2021年4月24日)は当時まだ二十代ですが見事な歌唱で、特に後者のケルビーノは目立っています。ルートヴィヒはこんな声だったかと一瞬思うくらいで、実年齢より十年くらい若く聴こえ、E.クライバー、ウィーン・フィル盤のシュザンヌ・ダンゴに肉薄する程の魅力です。一方フィガロのベリーも若々しい声でこれくらい優男なフィガロは他にあったかと軽く驚きました。

 なお、ベリーとルートヴィヒは翌1957年に結婚して約三年後に離婚していました。ということはクレンペラーのフィデリオや魔笛のEMI盤の頃は既に離婚していて共演したということになり、私生活とは別だとしても気まずくはなかったのだろうかと思います。スザンナのシュトライヒ(Rita Streich 1920年12月18日-1987年3月20日)、伯爵夫人のユリナッチ(Sena Jurinac  1921年10月24日 - 2011年11月22日)、アルマヴィーヴァ伯爵の
シェフラー(Paul Schöffler  1897年9月15日-1977年11月22日)も素晴らしくて、イタリア語の発声がどうなのかは分かりませんが、ロココの貴族世界の雰囲気が漂い魅力的です。それにセッコ部分のチェンバロが適度に軽快で心地よくきこえます。

 オーケストラの方も序曲から溌剌として良い流れですが、声楽と比べて音質の方が今一つで、何となく後ろに引っ込んだような感じです。同時期のウィーン・フィル盤(E.クライバー)が古い割に細部までよく聴こえるような鮮やかさだったので、こちらのウィーン・シンフォニカの方は少々残念です。特に第一幕がそういう印象で、第二幕の半ばあたりからそれほど気にならなくなりますが、それでも声楽の方が大きくきこえます。あまり評判にならなかったのはこの点と、フィガロとケルビーノが当時はまだ若手だったことが影響しているかもしれません。

  モーツァルト生誕200年のメモリアル年だった1956年前後には各レーベルがそれに合わせてモーツァルトのオペラのレコードを制作、発売しました。DECCAからはエーリヒ・クライバーのフィガロ、ヨゼフ・クリップスのドン・ジョヴァンニがそれぞれウィーン・フィルと全曲録音し、その企画・シリーズでベームはコジ・ファン・トゥッテと魔笛を受け持ちました。一方でフィリップスの企画で録音したフィガロ全曲盤が今回のベーム盤でした。購入できたのは再発売のレコードのようですが、ステレオ版としては最初の発売かもしれません(ややこしい)。当時はステレオ版が発売されて間もない頃なのでモノラルの方がまだ信頼性が高く、機器もモノラルにしか対応していないものが普及していたようです。
25 5月

ブルックナー交響曲第6番 ネルソンス、LGO/2018年

210524bブルックナー 交響曲 第6番 イ長調 WAB106(1881年稿ノヴァーク版)

アンドリス・ネルソンス 指揮
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

(2018年12月 ライプツィヒ ライヴ録音 DG)

210524a 色々なところで身体に接触せずに体温を計測表示する機器が置いてあり、どうも通常の体温計で計るよりも結構低めな数値が出てきます。だから熱は無いと安心できない場合もありますが、それにしてもこの冬から春にかけて全く風邪をひかず、風邪の「か」の字にも縁が無くて、ついでにノロウィルスとかそっち系の症状も出ませんでした。これも手洗いマスク徹底の効果か、
昨年秋にインフルエンザの予防接種を受けたおかげなのか、コロナのワクチンもこれくらい効いてくれればと思います。地元でも七十代の人がそろそろワクチンを接種すると言っていて、むかし色々な種類のワクチンを打ってきたから不安は無いとかで二回目の予定まで決まっているそうでした。それでも大勢が集まる会場はあれなのでかかりつけの医院で接種するというのはなるほど、やっぱりと思いました。

 2020年のヨーロッパはロックダウンや音楽祭の中止、縮小なんかの影響で進行中のレコーティングも中断すると思って諦めていたら少しずつ去年の日付の新譜も出ています。ネルソンスとライプティヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のブルックナーはコロナ時代に入る前に大半が録音済みだったようで、確か第1番が2020年にかかるくらいだったと思います。ここまでで第5番と第1番が未発売です。今回は既発売の第6番を何度目かで聴きました。

 過去記事で扱った第3、4、7番と同じ傾向のシンプルというのかビブラート抑え目の淡泊な内容になっています。ヤンソンスとかと似たタイプで古いタイプのブルックナー演奏の対極です。古いと言っても改訂稿を使用した世代でなくても結構壮大な演奏はあったのでそれらも含めてだいぶ違うということで、あっさりし過ぎて高揚感も薄いので第6番には合ってそうですが何となく逆効果な気がしました。演奏時間としては今世紀の録音の中では一応長目の部類に入っています。下記の中ではヴォルトンと似た印象なのに演奏時間は結構違っています。

ネルソンス・ライプチヒ/2018年
①16分39②19分45③8分27④14分40 計59分31
ブロムシュテット・ライプチヒ/2008年
①17分06②17分16③8分51④14分33 計57分46
ヤノフスキ・スイスロマンドO/2009年
①17分56②17分38③8分52④12分54 計57分20
ズヴェーデン・オランダRSO/2012年
①15分30②18分39③7分44④15分21 計57分14
K.ナガノ・ベルリンDSO/2010年
①16分47②17分08③8分26④14分15 計56分36
ラトル・LSO/2018年
①15分10②17分18③8分48④14分40 計55分46
ヤング・ハンブルクPO/2013年
①15分26②16分08③8分36④14分24 計54分34
アルブレヒト・チェコPO/2004年
①14分10②18分09③8分07④13分45 計54分11
ヴォルトン・ザルツブルク/2010年
①15分21②16分33③8分19④13分54 計54分07
P.ヤルヴィ・hrSO/2010年
①15分26②15分16③7分48④14分11 計52分41
ボッシュ・アーヘンSO/2009年
①13分33②15分22③9分29④13分49 計52分13
23 5月

フィガロの結婚 フリッチャイ、ベルリンRIAS/1960年

210522aモーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」K.492

フェレンツ・フリッチャイ 指揮
ベルリン放送交響楽団
RIAS室内合唱団

フィガロ:レナート・カペッキ
伯爵:ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ
伯爵夫人:マリア・シュターダー
スザンナ:イルムガルト・ゼーフリート
ケルビーノ:ヘルタ・テッパー
バルトロ:イヴァン・サルディ
マルチェリーナ:リリアン・ベニングセン
バジリオ:パウル・クーエン、他

(1960年9月 ベルリン,イエス・キリスト教会 録音 DG) 

 色々な行事がコロナの影響で中止になるので季節感が希薄になりがちで、それだけでなく今が何月なのか取り違えそうになります。ワクチン接種の人数を増やすようにやっきになっているような急ぎ方です。一方で、先日ある高齢者から聞いた話では、かかりつけの医院にワクチン接種についてどうするかきかれて当面はきぼうしないと返答したら、それ以上勧められずあっさりしたものだったそうです。検査の場合はそこそこ勧められるのとえらい違いだと言っていて、裏に手をまわして接種する富裕層の報道とは事情が違っていそうでした。
単に人口に対する割合を上げることだけにちまなこになっているかのようなむきがあり、接種する対象は生身の人間であり、個人差もあるのだから冷静な接種をきぼうします。

 先日連休明けに「フィガロの結婚」を聴きたくなって有名なベームとベルリン・ドイツオペラの全曲盤CDを再生したところ、過去に聴いた時と同じでどうもしっくりこない気がして途中で止めました。ベームのフィガロなら戦前の1938年にシュトゥットガルトでの録音の次、1956年のモーツァルトイヤーにウィーン交響楽団と豪華歌手陣とでフィリップスへ録音した全曲録音があるのを最近知り、そちらの方が良さそうな気がしました(VSOの方はごく一部しか聴いていない)。それで過去記事で扱っていないものからフリッチャイのDG全曲盤を聴きました。フリッチャイは1963年に白血病により亡くなりますが、この1960年の頃は発症後一時的に好転して指揮を再開していました。

 全体的にオーケストラは心地よく流れていき、それでいて丁寧な演奏、録音なので細部まで良く響いています。それに対してセッコの部分はチェンバロの通奏低音は当然付くとして、歌手の朗唱が結構アクセント、抑揚が強調されてかなり対話の方に傾斜しているので流れが停滞する印象です。音楽の方が喜劇やら舞台上で進行する物語を超越するように澄んで行くから、オペラ・ブッファの空気を出さなければと思ってこういう表現にしているのかどうか、セッコ以外の歌唱でも似た傾向です。歌詞はイタリア語なのに妙にドイツ語的にギクシャクして聴こえます。

 歌手の方はフィガロのカペッキが強烈で伯爵よりも上位者のような威圧感があふれて、「もうとぶまいぞ~」は勝ち戦が決まったとどめの殲滅戦に出かけるような勢いです。スザンナのゼーフリートはスザンナよりもだいぶ年上に聴こえ、伯爵夫人とかぶりそうな声でした。例えばスザンナはレリ・グリストが歌ったりするのでだいぶ印象が違います。ケルビーノは少年のような声には実際なかなか聴こえないことが多いからおおむねこういう感じかと思いました。なんだかんだと言いながら全体的に格調高くて、物語、作品の格が上がるような演奏でした。
19 5月

ブルックナー交響曲第5番 ティーレマン、SKD/2013年映像付

210519aブルックナー 交響曲 第5番 変ロ長調 WAB105(1878年稿ハース版)

クリスティアン・ティーレマン  指揮
シュターツカペレ・ドレスデン

(2013年9月8-9日 ドレスデン,ゼンパーオーパー ライヴ収録 C Major)

210519 先月に吉本新喜劇で活躍したチャーリー浜の訃報を見ました。花紀京、井上竜夫、島木譲二とよく知った顔がどんどん居なくなりました。そういえば吉本新喜劇をやめてから大阪市会議員に当選して議長まで務めた船場太郎も既に亡くなっています。その大阪圏のコロナ感染者数は高止まりの上に岡山、広島へと拡大しています。あまり目立った報道はされませんがワクチン接種後に亡くなった方も出ています。アジア人の体質やら遺伝子の違いが影響するのかどうか、身の回りの雑談ではむしろ中国で開発されたワクチンの方が日本人の体質には合うのじゃないかとか色々取り沙汰しています。京都タワー地下にあった銭湯が6月末で閉鎖になるというニュースもあり、そこには平成10年秋に利用したのが最後ですが思い出の大浴場がついに廃止になります。

ティーレマン・SKD/2013年
①22分15②19分53③14分12④25分06 計83分26
ティーレマン・MPO/2004年
①22分43②20分07③14分42④25分21 計82分53
ズヴェーデン・オランダRSO/2007年
①21分22②19分42③13分03④24分47 計78分55
 スクロバチェフスキ・LPO/2015年
①21分27②18分09③13分16④25分22 計78分14
D.ラッセル・デイヴィス/2006年
①21分43②14分49③15分10④25分10 計76分52
ヤノフスキ・スイス/2009年
①19分42②18分45③11分35④23分29 計73分31
ヤング・ハンブルクPO/2015年
①19分56②16分59③13分02④23分23 計73分20
フリーデル・LSO/2014年
①18分35②17分54③13分31④23分18 計73分18
インバル・東京都SO/2009年
①20分31②14分24③15分01④22分42 計72分38
ボッシュ・アーヘンSO/2005年
①19分34②16分02③13分11④22分19 計71分06 
ボルトン・ザルツブルク/2004年
①19分18②16分11③12分16④22分43 計70分29
パーヴォ・ヤルヴィ/2009年
①19分23②14分57③13分01④22分25 計69分46
ザンダー・PO/2008年
①18分58②16分00③12分36④21分01 計67分35

 ティーレマンとシュターツカペレ・ドレスデンのブルックナー交響曲シリーズ映像ソフトが完結しました。第1、2番も含んでいるのは有り難くて、こういう日が来るとはと感慨深いものがあります。今世紀に入ってからのブルックナー第5番の演奏時間を過去記事から集めてみると上記のようになり、ティーレマンはけっこうゆったりした演奏ということになります。第5番は原典・1878年稿ならハース版とノヴァーク版の差は無いので、稿・版・楽譜による演奏時間の差が出るとすれば、その演奏で省略をした部分があるか無いかくらいしか違いは無いはずです。ベンジャミン・ザンダーと今回のティーレマンでは16分程も違い、これはかなりの差です。

 今回は何度目かで最初から通して聴いていると、演奏時間の数字通りゆったりと流れるように進み、劇的な刺激や細工のような強調とかは感じられません。新しいウィーン・フィルとの第8番の演奏とはだいぶ違っています。第1楽章のコーダ付近はもっと溌剌として流動感のあるタイプの演奏も多い中、全く泰然として完結しています。第3楽章のスケルツォは通常のリズミカルなテンポで進み、終楽章も濃厚ではなくて簡潔に淡々と演奏してます。ティーレマンのブルックナー演奏は基本的にどちらなのか、この第5番なのかウィーン・フィルとの第8番なのか、よく分かりませんがティーレマンならではということからは後者、ウィーン・フィルとの今後の録音が注目です。

 演奏が終わって音が消えてからティーレマンが手を下すまでの時間が長く感じられ、その間は会場が静まりかえり、完全に手が下りきってはじめて拍手が始まります。これは収録だからと打ち合わせ済なのか、客席と一体となった集中力なのか、日本のオーケストラ公演だったら合戦の先陣争い、一番槍の抜け駆けのように声があがりがちなので全く対照的です。
17 5月

ファルスタッフ リミーニ、タッシナーリ、ミラノ・スカラ座/1932年

210517bヴェルディ 歌劇「ファルスタッフ」

ロレンツォ・モラヨーリ 指揮
ミラノ・スカラ座管弦楽団(*ミラノ交響楽団の表記もあった)
ミラノ・スカラ座合唱団

ファルスタッフ:ャコモ・リミーニ(Br)
アリーチェ・フォード:ピーア・タッシナーリ(S)
ナンネッタ:イネス・アルファニ・テリーニ(S)
クィックリー夫人:アウロラ・ブアデス(S)
メグ・ペイジ:リタ・モンティコーネ(Ms)
フェントン:ロベルト・ダレッシオ  (T)
フォード:エミリオ・ジャラーディーニ(Br)
ピストラ:サルヴァトーレ・バッカローニ(Bs)
バルドルフォ:ジュゼッペ・ネッシ (T)
ドクター・カイウス:エミーリオ・ヴェントゥリーニ (T)

(1932年3月30日-4月15日 ミラノ 録音 NAXOS/伊Columbia)

 夜間休業の店が多かったり色々な公演が中止、延期になっているところなので、このままノン・アルコールな生活がずっと続くような気になってきます。マタイ受難曲の最後の晩餐の場間面、「わたしの父の国であなたたちといっしょに新たに飲むその日まで、わたしは今後、ぶどうの実から造ったものを、けっしてのまないであろう」というイエズスの言葉が歌詞になって歌われています。単純に見ればいったいいつまで?というところですが、その後ゴルゴダ、十字架上(七言の場面)で以下のような内容も出てきます。「すっぱいぶどう酒をたっぷり含ませた海綿をヒソプに付けて、イエズスの口もとに差し出した。イエズスは酸っぱいぶどう酒を受けると~」。別に揚げ足を取るつもりは毛頭なく、結果的にぶどう酒を飲まれたのかと思ったものでした。要するに酒を提供する店も通常営業できるようにならないかなということで(延長の可能性もありそうだけど)。

210517b 十年以上前に発売された「クラシック  ヒストリカル108 山崎浩太郎/アルファベータ/2007年3月」という本には古いオペラの録音が紹介されています。1930年代の音源はCD化されてもちょっと音質の方でわざわざ購入するのはどうかと思いがちですが、実際に聴いてみると特に声楽はそこそこ鑑賞できるほどに良好なことが多く、有名歌手が出ていれば興味がわいてきます。このファルスタッフの紹介記事は演奏内容よりも指揮のモラヨーリについて、それまで人物の情報が全く出て来ずに謎の人だったのがNAXOSのブックレット解説に初めてプロフィールが載ったのが画期的だというものでした。トスカニーニより一歳下の1868年生まれ(おそらくローマで)、1939年にミラノで死去、1891年に指揮者デビュー後にイタリア、南米各地の劇場で指揮をしたという程度のことながら、覆面指揮者ではなかったのがはっきりしたということでした。

 聴いているとさすがにSPレコードからのCDですが、声楽は力強くきこえて古いなりに聴き易い方だと思います。それに冒頭の力強い合奏はどこかで聴き覚えがあるなと思ったらショルティの旧録音と似ている気がします。ファルスタッフならジュリーニとロス・フィルのDG盤が気に入っていて、ショルティの旧録音はそれの対極くらいに思えてあまり好きではなかったところ、この古いスカラ座のレコードも似た調子?で演奏しているようで妙にショルティに感心しました。それはともかく、このスカラ座のレコードは各キャスト、男声が結構シリアスな声、歌なので満面に喜劇感があふれているという風ではなく新鮮です。元々こういう演奏が普通なのかもしれませんが、原作に基づくファルスタッフの絵を思い浮かべると緩い音楽を想像しがちです。上記の
「クラシック  ヒストリカル108~」には「リズムのキレがよく生き生きとした演奏」とだけ好意的に評しています。

 このファルスタッフのCD(SPレコード)は同作品の初の全曲盤であること、1921年12月26日にトスカニーニがミラノ・スカラ座をファルスタッフで再開してから1929年に辞任するまでこの作品を指揮し続けた時期の直後にあたり、トスカニーニのもとで歌ったリミーニらが参加しているという点で歴史的に注目すべき録音です。なお、CD二枚目の後半はソプラノのタッシナーリのアリア集が収められ、フィガロの結婚、ローエングリン、ボエーム等が入っています。
16 5月

マーラー交響曲第4 ジンマン、チューリヒ/2006年

210428aマーラー 交響曲 第4番 ト長調

デイヴィッド・ジンマン 指揮
チューリヒ・トーンハレ管弦楽団

リューバ・オルゴナソヴァ:S

(2006年11月13-15日 チューリヒ,トーンハレ 録音 RCA)

 最近お昼時の雑談で五輪は開催するのかというネタがついつい出てきます。当然開催可否に何の権限も無い我々ですが、とりあえず敢行した方がマシという声もそこそこありました。自分は進むも退くも両方とも地獄と答えて、それから感染が沈静している周辺国で再度拡大した場合は五輪が原因、日本の責任とかネガティヴなキャンペーンになりかねないと言って終わっています。国内の死者はさざ波だと済ませても海外の場合はなかなか(仮に自国民を戦車で踏みにじるような国であっても)そうはいかないところでしょう。正直国内の感染経路も詳しくは把握出来ていない(発表しないだけか?)ので大いに不安です。

210428b 五月に入る前からこのCDも含めてマーラーの第4番を何度も聴いていました。この曲のレコードを最初に買ったのはクレンペラーとフィルハーモニア管弦楽団(東芝EMI/一枚1800円)のLPでした。その時もクレンペラーのマーラーEMI盤の中では第9番や7番、大地の歌らに比べて今一つの感銘度で、そもそも作品自体がピンと来ない気がしていました。クレンペラーのEMI盤はソプラノ独唱がシュワルツコップなのでそこそこの年齢で作品に対しては微妙な声質だと思っていました。先日ガッティ、RCOの映像付マーラー第4番を視聴していると、解説の日本語訳に終楽章について興味深い(目新しくないかもしれない)コメントがありました。

 オスモ・ヴァンスカとミネソタ管弦楽団のCDではソプラノがキャロリン・サンプソンで屈託なく美しく演奏させているとして、それに対してガッティとRCOはソプラノがユリア・クライターで第四楽章の歌詞はキリスト教世界に対する皮肉をこめたものだとする表現になっているとして、ひねった、凝った解釈だと評してありました。交響曲第4番は第三が楽章が春の世界のように爛漫な音楽になっていて、その次の終楽章が歌曲集「子供の不思議な角笛」から「天上の生活」が使われています。しかし歌詞の内容はあまり天上的でなくて、この地上の生活と似たような光景を聖人やらが行っているという内容で最初に聴いた時、邦訳を見た時は「何じゃこりゃ」的に軽くがっかりしたものでした。

ジンマン・チューリヒ/2006年
①16分57②09分13③21分38④9分33 計57分01
ガッティ・RPO/1999年
①17分28②11分04③21分23④9分47 計59分32
ブーレーズ・CO/1998年
①15分17②09分31③20分00④8分44 計53分32
バーンスタイン・ACO/1987年
①17分38②10分14③20分34④8分42 計57分08
クレンペラー・PO/1961年・EMI
①17分56②09分58③18分09④8分50 計54分53 

 ジンマンの第4番は上記の例ではどちらかと言えばヴァンスカの方、明朗に美しい演奏を志向していながら、無地の用紙に描くのと違ってその時代らしい装飾の入った用紙に細密に描きつけて行くようで面白いと思いました。過去記事で何曲か扱った時も思いましたが、各CDが収まる紙のジャケットのデザインが似合う演奏、全集だと思います。第4番は50歳をこえてから親近感を覚えだして、先日聴いたクレンペラーのEMI盤も新たな魅力を感じた心地でした。演奏時間をざっとながめるとジンマンはバーンスタインのDG盤と同じくらいになっていて、ブーレーズ、クレンペラーよりも長目になっています。
14 5月

クレンペラー、ベルリンRIASのベートーヴェン第2番/1958年

210506ベートーヴェン 交響曲 第2番 ニ長調 Op.36 

オットー=クレンペラー 指揮
ベルリン放送交響楽団

(1958年3月29日 ベルリン,音楽大学 ライヴ録音 Audite Deutschlandra)

210506a 今年もクレンペラー(Otto Klemperer 1885年5月14日 - 1973年7月6日)の誕生日がやってきました。クレンペラー指揮のEMIのセッション録音以外が増えたものの、大半がEMI盤と重なる曲目なので強化期間もネタ切れ、息切れ感がしてきます。それでも19世紀生まれの指揮者はレコーディングに熱心でない、嫌いということが多く、クレンペラーも実演が聴けないところに音楽をもたらすもの、無いよりはマシという風に言っています。しかし、フィルハーモニア管弦楽団は元々レコード会社が設立したこともあり、このオケとレコードを作ることは娘ロッテのためだとして、そこそこ熱心に取り込んでいました。おかげで我々のような極東の住人もその演奏を知ることができたわけで有難いことです。

210510a この音源はAudite Deutschlandra レーベルから出たクレンペラーがベルリンRIASの交響楽団を指揮した録音集の中の
1958年分の一曲です。同レーベルからはクナッパーツブッシュやフルトヴェングラーのベルリンでの音源集が出ていてその音質の良好さも定評があります。今回の1958年3月29日はエグモント序曲、ベトーヴェンの交響曲第2、第3番というプログラムであり、1960年のウィーン芸術週間のベートーヴェン・チクルス初日と似た内容(ウィーンでは献堂式序曲)です。この年の秋にクレンペラーは自宅で大火傷を負い、翌年の半分くらいは活動できなくなったのでEMI・フィルハーモニア管弦楽団の最初の絶頂期とでも言える時期の最後という位置付けです。

ベルリンRIAS/1958年
①13分05②11分46③3分44④6分39 計35分14

ウィーン芸術週間・PO/1960年5月29日
①13分25②11分55③3分46④6分44 計35分50
クレンペラー・PO/1957年10月・EMI
①13分24②13分07③3分56④7分01 計37分28
PO/1957年11月公演
①12分47②11分16③3分12④6分26 計33分43
BBC/1955年12月11日
①12分48②12分12③3分46④6分50 計35分36

 このレーベルのベルリンRIASの録音集には(聴衆無し)スタジオ録音と表記されたものがありましたが、この1958年のオール・ベートーヴェンプログラムはライヴと表記され、客席の雑音も入っています。ただ、演奏後の拍手等は入っていません。演奏時間を比べると1955年のBBCSOとのライヴ、1960年ウィーン芸術週間ライヴと同じく35分台の合計時間です。音質の関係からかこのベルリンでの第2番が特に流麗で、ちょっとモーツァルト的な感覚です。それもクレンペラー指揮のモーツァルトよりもスマートなと言えば矛盾するかもしれませんが、とにかくクレンペラーにしては流れるような感覚の第2番です。

 また、透き通るような美しい響きも独特で、これと似た感覚はテンポ感は少々違うもののケルンRSOとのドン・ジョヴァンニや同じくケルンRSOとの第九の演奏で感じられました。先日の北ドイツ放送交響楽団のベートーヴェンに「灼熱のクレンペラー」というコピーが付いていましたが、それとはまったく逆の寒ざらしのクレンペラーか冷水のクレンペラーといったところです。実際に演奏している会場で聴いていたならそんなに違わないかもしれませんが、CDを経由すると結構違います。
13 5月

クレンペラー、ケルンRSO、アラウのショパンP協NO.1/1954

210513ショパン ピアノ協奏曲第1番

オットー=クレンペラー 指揮
ケルン放送交響楽団


クラウディオ・アラウ:ピアノ

(1954年10月25日 ケルン放送第1ホール ライヴ録音 MUSIC&ARTS)

 今年もクレンペラーの誕生日の前日になりました。昨日のジュピター交響曲は二年間に扱ったばかりなのに勘違いしてまたUPしていましたが別段どうということはないと、気を取り直して既に扱うはずになっていたショパンの協奏曲です。何度かCD化されて別の曲とカップリングされたり正規音源からCD化されたものも出ていたようですが、今回はミュージック・アンド・アーツのCDでアランが弾いたショパンのピアノ協奏曲第1番、第2番を集めています。第2番の方はフリッツ・ブッシュ指揮ニューヨーク・フィルで、1950年12月10日の国連の世界人権デーのコンサートと表記されています。ちなみに「国連世界人権デー」は世界人権宣言が、1948年12月10日の第3回国際連合総会で採択されたことを記念して、1950年の第5回国際連合総会において、毎年12月10日に記念行事を行うことが決議されたものでした。どこかの国の与党国会議員が天賦人権なんておかしいと放言しているようですが、日本国も国連加盟国の一つであり時々常任理事国入りを目指すとかの声もありました。

アラウ,クレンペラー・ケルン/1954年
①20分19②10分52③09分26 計40分37
フランソワ,ツィピーヌ・パリ/1954年
①16分21②08分15③09分57 計34分33
フランソワ,フレモー・モンテカルロ/1965年
①19分57②08分49③10分47 計39分33 

 CDケース前面に出る付属冊子の写真を見れば分かる通りこの録音集のメインはあくまでピアニストのクラウディオ・アラウです。冊子の中身にある解説文の見出しも全部アラウでした。実際に聴き出すと確かにアラウのピアノは冴えわたり、第1楽章の長いオ-ケストラだけの部分が終わってピアノの出番になるとまるで泥の、否、厚い雲の切れ目に突如月光が現れたような心地で強烈に印象付けられます。その長いオーケストラ部分はブラームスあたりを思わせる厚い響きに遅めのテンポでショパンの協奏曲第1番らしくないとも言えそうですが、何故か切々と訴えるような情感です。

 後半になるほ良くなる感じなのは二人の息が合って共感しているからなのか、第3楽章がクレンペラーらしくない?溌剌さです。この作品はあまり多くの種類を聴いていませんが、個人的に好きなフランソワの新旧録音の演奏時間と比べても長目です。特に再録音は第1楽章のピアノの出だしが目立って遅い演奏ですが、アラウ、クレンペラーの演奏がそれよりもわずかながら長くなっているのはクレンペラーのテンポの影響でしょう。

 この録音の紹介やアラウの回顧では1930年代のベルリンでクレンペラー指揮でシューマンの協奏曲を弾いた時にはクレンペラーの解釈を押し付けられて不快だったという話が出てきます(さもあろう)。それから戦後になってこのケルンでの公演は成功だったようで、ロンドンでの1957年のベートーヴェン・チクルスで二人は共演することになります。クレンペラーの協奏曲のレコードが少ない中でこのショパンはかなり魅力的です。
12 5月

クレンペラー、ケルンGOのジュピター/1956年

210512zモーツァルト 交響曲 第41番 ハ長調 K.551

オットー・クレンペラー 指揮
ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団

(1956年9月9日 モントルー ライヴ録音 Altus)

 毎年今頃の季節にはTVのニュース(ローカルか)でカル鴨の親子が引っ越しするところを警察官が護衛に出て皆で見守るというのを放送しています。多分全国的にそういう名所のようなところがあるのでしょうが、京都市では京阪三条駅の北東側至近にあるお寺の池から鴨川に移動するのが恒例になっていました。今年はそのネタをやっていないと思ったらコロなのためにそれどころじゃないのでしょう、去年もやってなかったかもしれません。思えばそんなことがニュースになるくらい平和だったということか思います。

210512a 1956年のモントルー・ヴヴェイ音楽祭の9月9日にクレンペラーがクララ・ハスキルと共演したモーツアルトのピアノ協奏曲第27番は有名でしたが、二年程まえに当日のプログラム全部を収めた正規音源(スイスルマンド放送)からのLPレコードが発売されました(今度はCD化されるようで順序が逆)。この音楽祭は1946年から始まり、8月と9月の約2週間が開催期間であり、現在は「クララ・ハスキル国際ピアノ・コンクール本選」も組み込まれているそうです。1956年は生誕二百年のモーツアルト・イヤーだったこともあり、オール・モーツアルトのプログラム、交響曲第29番、ピアノ協奏曲第27番、セレナーデ第13番「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」、交響曲第41番「ジュピター」という組み合わせです。協奏曲以外はEMI盤やライヴ音源があり、クレンペラー得意の作品ばかりです。ジュピター交響曲は1951年のイギリス音楽祭でクレンペラーがフィルハーモニア交響楽団を指揮して演奏した公演をレッグが聴き、それがきっかけで翌年にEMIと契約することになりました。

210512b 今回のジュピターもかなり魅力的でこれ以後の演奏よりも端正で整っているという印象です。はじめてクレンペラーのジュピターを聴いた
EMI盤のLP(多分再録音)よりも第1楽章の冒頭部分が力強く安定しています。それに全体的にちからがみなぎり、後半楽章がはつらつとして、特に終楽章はやや前のめり気味で疾走感も出ています。昨日のクレンペラーのインタビューのこたえ、「バッハやモーツァルトについては、作品をどのように演奏するかを事前に組み立てることはせずに、作曲家の真意に同期できるように努力する」という姿勢がこのジュピター交響曲の演奏では見事にあてはまるような感じです。演奏時間は下記のようにバラつきがありますが、合計時間が29分台のセッション録音二種と35分程度の客演ライヴ二種の中間くらいになっています。主題リピートの関連もあり何とも言い難いところながら第2楽章は1954年のEMI盤と近似しています。

~ クレンペラーのジュピター交響曲
ケルン・ギュルツェニヒ/1956年*④拍手除外
①11分42②08分10③04分30④08分17 計32分39
EMI・TESTAMENT:PO/1954年
①08分12②08分16③04分06④08分28 計29分02
フィラデルフィアO/1962年
①13分20②09分22③04分58④07分41 計35分21
EMI:PO/1962年
①09分17②09分08③04分48④06分43 計29分56
TESTAMENT:VPO/1968年
①12分23②09分11③04分24④08分58 計34分56

210512c この公演の1956年は既にフィルハーモニア管弦楽団とレコーディングを始めている頃になり、同年11月には夫人のヨハナが亡くなっています。ヨハナはソプラノ歌手でありクレンペラーがケルン歌劇場の監督時代に結婚していました。その時点で既に他の男性との間に生まれた婚外子をかかえていたとか。しかし奇行、トラブルが絶えないクレンペラーをよく支えて(忍耐して)、アメリカ時代にクレンペラーがポストを失って、客演も少ない時代には彼女の蓄えた資金によって楽団員を募ってクレンペラー健在をアピールするコンサートを開きました。それはともかく1956年の9月にはまだ彼女は療養中か健在なのかよく分かりませんが、とにかく亡くなる前でした。
11 5月

クレンペラー、NDRSOのベートーヴェン第7/1955年

210511aベートーヴェン 交響曲 第7番 イ長調 Op.92

オットー・クレンペラー 指揮
北ドイツ放送交響楽団

(1955年9月28日 ハンブルク,ムジークハレ ライヴ録音 MUSIC&ARTS/GRANDSRAM )

 5月に入ってからのクレンペラー誕生日期間シリーズもちょっと息切れしてきました。CDの時代になり、特に2000年以降はクレンペラーのEMI以外のライヴ音源等が多数出回り、正規音源からのCD化も増えています。自分がクレンペラーにはまり出した1980年代のことを思えば夢のような環境です。1960年代にコヴェントガーデンでクレンペラーが指揮したローエングリンの全曲は音源が残っているのかどうか、長大な作品なのでテープが保存されないで上書き使用された可能性もあり、今まで噂さえきいたことがありません。演奏がどのようなものであっても何とか残っていてくれないかと思います。

210511 ハンブルクもクレンペラーが歌劇場の指揮者をしていた(エリザベト・シューマンに横恋慕したのはハンブルク時代)都市で戦後も放送局のオーケストラに客演していました。北ドイツ放送交響楽団の録音はミュージック・アンド・アーツから三枚組CDが出ていましたが、その中でモーツァルトの交響曲第29番とベートーヴェンの交響曲第7番の二曲はグランド・スラムから個人所有のCD-Rから作製したCDをもとにCDが出ていました。「灼熱のクレンペラー」と帯には書いてありました(灼熱、なんか不動明王の仏像を思い出す)。MUSIC&ARTSのCDは色々処理してあるため、何となく薄められたような音で物足らないからCD-RからCD化したということですが、実際そういう音質の印象です。グランド・スラムの方は第1楽章で乱れがありますが、全体的には鮮烈で力強い音になっています。それになぜか金管が目立ち、最初の方はやけにギラついた音にきこえました。

210511b 実際に聴いてみるとクレンペラーのベートーヴェン第7番の中でもアクが強いというのか、特に第1楽章は簡単に聴き通すのが難しい演奏です。建物を解体しながら横に移築するような、えも言われないギクシャクした印象が際立っています。後半の二つの楽章はEMI盤で慣れたいつものクレンペラーの第7番に近い印象です。同曲のライヴ盤、約五年間のトラックタイムを並べると下記のようになり、38分台と36分台に分かれ、北ドイツ盤はウィーン芸術週間の公演と近似する演奏時間になっています。

~ クレンペラーのベートーベン第7ライヴ盤
NDRSO/1955年
①12分30②09分42③8分30④7分39 計38分21
ウィーンSO/1956年
①11分44②09分09③7分44④7分24 計36分03
PO・ロンドンでのチクルス/1957年
①12分19②08分59③7分50④7分39 計36分47
PO・ウィーン芸術週間/1960年
①12分47②09分35③8分12④8分00 計38分34

 グランド・スラムのCD付属の解説にはアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団のヴィオラ奏者だったルイス・メッツの著書「指揮することについて」の中の、クレンペラーへのインタビューが載っています。「演奏中に指揮の技術的な側面に配慮することはあるか?」、「(クレンペラーが指揮する)バッハやモーツァルトからはそれぞれのスタイルが感じ取れる。こうした様式感は理性によって識別されるものではないでしょうか?理性でなければまたは、知性が演奏哲学を形成すると言えるでしょうか?」いずれの質問にもクレンペラーは否と返答し、バッハやモーツァルトについては、作品をどのように演奏するかを事前に組み立てることはせずに、作曲家の真意に同期できるように努力する、と答えています。クレンペラーらしい言葉と思う反面でその演奏を聴いた印象からすると少々違和感も覚えます。各楽章のテンポ、速さのバランスは意図してそのようにしていると思われるので、これは計算ではないのかと思いました。
10 5月

クレンペラー、ベルリンRIASのモーツァルト25番/1950年

210510bモーツァルト 交響曲 第25番 ト短調 KV.183

オットー=クレンペラー 指揮
ベルリン放送交響楽団(RIAS交響楽団)

(1950年12月20日 ベルリン=ダーレム,イエス・キリスト教会 録音 audite)

 去年の四月から秋くらいまでは居酒屋系の店がお昼時に弁当を販売していてチラシを配っているのを見かけました。それが今年の年明けの緊急事態宣言の前にはそういうチラシ配り、呼び込みはほとんど見なくなり、ランチ提供をする店が減っています。休業要請に応じている店の他、矢尽き刀折れた状態のところもありそうです。ロックダウンを繰り返したヨーロッパではワクチンが行きわたるにつれて感染拡大がおさまりつつあるとか、現地に居ないので実情はよく分からないものの、日本は後れをとっていると言えそうです。そういえばそろそろウィーン芸術週間とか「プラハの春 音楽祭」のシーズンですがどんな具合なのかと思ったら中止のニュースは見当たりません。

  これはクレンペラーが西ベルリンの放送交響楽団を指揮した録音集の内の一枚で、表記にはスタジオ録音となっています。1950年12月20日はモーツァルトの交響曲第25番と29番、前日にドンジョヴァンニ序曲、21-22日にセレナータ・ノットゥルナ、22-23日が交響曲第38番プラハ、と連続してモーツァルト作品を録音しています。他の年の録音はライヴとなっているものが複数あり、この年のモーツァルトはラジオで放送するためのものなのか、テープを上書き使用せずに保存されていたのは有り難いものです(テープは高価なので放送局によっては使いまわししたらしい)。

ベルリンRIAS/1950年
①6分03②3分43③3分17④4分37 計17分40
PO/1956年 EMI
①6分38②3分45③3分35④4分58 計18分56

 交響曲第25番はEMIのセッション録音が1種類あり、同じ調性の第40番の演奏と比べて疾走するような緊迫感に充ちた演奏なので強烈に印象に残りました。それより古い1950年の演奏なのでさぞ尖ってせわしないものかと想像していると実際はそうでもなく、このシリーズの音質の影響もあって、演奏時間の数字の割にかなり余裕のある印象です。翌日のセレナータ・ノットゥルナが特に軽快さが前面に出ていて、この年代のクレンペラーがこういう演奏だったのかと少々驚くくらいです。昔フィルハーモニア管弦楽団との第25番を聴いた知人はかなり驚いて、この曲のイメージが変わると言っていたのを思い出しますが、ベルリンRIASの方はそういうEMI盤によるこの曲とクレンペラーのイメージが修正されます。

 この時期のクレンペラーはハンガリー国立歌劇場の音楽監督を辞任した直後あたり、パリでVOXレーベルへシューベルトの交響曲第4番を録音した後でした。ウィーン交響楽団と運命、田園、ミサ・ソレムニスほかをセッション録音する前ということを考えると。それらのレコードとはだいぶ違い、もう少し後年の演奏のように感じられます。
9 5月

クレンペラー、ブダペスト/1949年の未完成交響曲

210509aシューベルト 交響曲 第7(8)番 ロ短調 D.759「未完成」

オットー・クレンペラー 指揮
ブダペスト交響楽団

(1949年6月18日 ブダペスト 録音 HUNGAROTON)

 大阪をはじめ関西の感染者数が火の車状態の上にワクチンの方も予定よりかなり遅れています。何となくコロナ疲れ・コロナ諦めのような感覚にとらわれています。去年より状態は良くないながらプロ野球は最初から試合を行えています。タイガースが連休を終えても首位というのもルーキーの佐藤選手が四番というのも予想外です。過度に期待はしないので、そこその成績でシーズンを全うしてほしいものです(佐藤選手の構えは「ドカベン」の土井垣か武蔵坊のように大きく、印象的)。

  これはブダペスト時代の
クレンペラーの演奏を集めたLPシリーズの一枚でバッハの管弦楽組曲第2番と未完成が一枚のLPに入っています(メインはフルートが活躍するバッハの組曲の方らしい)。クレンペラー本人もこの時期の音源は残っていないと思っていましたが後に存在を知ったと言っています。音質は年代相応というか、拍手や歓声は入ってなくて、海賊盤ではないのでそこそこの内容です。モノラル用のカートリッジで再生していましたが、もともとの音質の影響で目の覚めるように鮮烈という具合にはいきません。なお、オーケストラはブダペスト交響楽団と表記されていますが、これは国立歌劇場のオーケストラかと思いますが未確認です。

210509b クレンペラーがEMIへレコーディングを開始したのは1954年でした。第二次大戦後のそれ以前のポストは1947年から1950年までブダペストのハンガリー国立歌劇場の監督に就いていました。短期間で辞任したもののブダペストでの演奏はオペラの抜粋や放送用の録音が残っていました。このブダペスト時代の録音の直前、同じくらいの期間にアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団への客演、VOXレコードへ録音したパリ・プロムジカOとのバッハ等がありました。また、ブダペスト辞任後にVOXへ何曲か録音していました。これら戦後の1940年代後半から1951年までの演奏は、快速で即物的と評されて、1920年代のクレンペラーの演奏に言及した文章から推測できる実演と重なる部分がありそうです。

~ クレンペラーの未完成
ブダペストSO/1949年
①12分00②09分21 計21分21
トリノ/1956年
①12分58②10分31 計23分29
PO/1963年・EMI
①13分28②11分27 計24分55
ニューPO/1967年
①15分13②12分35 計27分48
ニュ-PO/1968年
①11分46②12分29 計24分15
VPO/1968年
①15分33②12分41 計28分14

 七年後のトリノでの公演と比べても2分以上短い合計時間で、実際に聴いていると確かに前のめり気味で、第1楽章はせかせかと先へ急ぐ趣です。最晩年の1967年以降の演奏と比べると演奏時間の差はさらに拡大します。しかし、あえて言えば演奏の目指すところはぶれていないような気がして、映画の「わが恋の成らざるが如く、この曲もまた未完成なり」 とかのイメージとは全く異質な内容ということには違わないと思います。アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団のメンバーがクレンペラーのリハーサルを経験した感想を述べている「~交響曲が純粋な音符に立ち返るのを見るのは思いがけない経験、そこにはヴィヴラートもなく、恣意的な増減もなく、あるのは音符だけだった」という姿勢は貫かれていると思います。クレンペラーが戦前にシューベルトのグレイトを指揮したときは「シューベルトをころした」と評されたそうですが、ブダペスト時代の未完成はそこまで乾き切った演奏とは思いません。
8 5月

クレンペラー、ニューPOのフランク・交響曲/1966年2月

210507aフランク 交響曲 ニ短調

オットー・クレンペラー 指揮
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

(1966年2月10-12,15日 ロンドン,アビー・ロード・スタジオ1 録音 TOWER RECORDS DEFINITION SERIES/EMI)

 昨夜の緊急事態宣言延長のニュースをうつろな感覚で視聴していると、毎年五月の連休のニュースでお決まりだった映像、下鴨神社の流鏑馬、城南宮の曲水の宴が無かったことに今頃気が付き、やっぱり何でも中止になっているのだと思いました。それから会見映像を一瞬だけみたら不意に百人一首の蝉丸の絵が頭の中をよぎりました。「これやこの 行くもかへるも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関」というのが蝉丸の歌でした。ぼうずめくりやらをやっていた昔は気にもとめなかった蝉丸、一体何者なのか(たたきあげな人物なのか?)、琵琶の名人、歌人ということで、いまだに名を残しているのは大したものだと思いました。

 クレンペラー誕生日期間は中入りの後、今回はフランクの交響曲です。クレンペラーがEMIへレコーディングした作品はその前後にフィルハーモニア管弦楽団の定期公演でも演奏しているので、フランクも同様に何度かは指揮しているはずです。しかしライヴ音源のCDでは出て来ないのでいつ頃から指揮したのかと思ったらCD付属の解説には、クレンペラーが1933年にロサンジェルスPOの音楽監督に就任したのを機に親フランス的なプログラムも必要になり、かつ大恐慌後の不況下でオーケストラ再建のためにプログラムの多角化(アメリカ的?)のために勉強した結果、最初のシーズンからプログラムに入れて2度指揮し、ニューヨーク・フィルでも2回指揮するなどアメリカ時代に15度も演奏したそうです(それまではフランクの交響曲に関心は無かったと)。

 クレンペラーのフランクはLPの廉価盤で1980年代半ばに聴き、作品共々大変気に入っていました(指揮真似するようなことはなかったが相当傾倒した)。この曲はクレンペラーとパレーだけで良いかと思うほどでしたが、今聴くとドイツ系作品を演奏するような厚みと重みが前面に出まくる程ではなく、鈍重でない演奏です。一方でクレンペラーの幻想交響曲のように蒸留したような風でもなく、久々に聴くと意外な印象です。クレンペラーはストラスブール(シュトラースブルク)の歌劇場時代にはフランス語しか話さない家に下宿していたので、アメリカ時代にフィラデルフィアへ客演して団員と衝突したさい、団員が発したフランス語の悪口雑言が全部聞きとれたとか(結局ストコフスキーの後任には選ばれなかったのは幸か不幸か・・・)。

 ところでフランクの交響曲はブルックナーと対比してコメントされることがあり、それを念頭に置いて作品を聴いているとやっぱり別物のように思えます。クレンペラーのEMI時代のブルックナーについて、ある批評に「それらしいだけで突っ込んだところが皆無」とあるのを見たことがあり、これは全く心外の極みだと(言えよう)心底思ったことがあります。むしろ逆、「それらしくないけれど突っ込んだ解釈」かしらと思っていました。それらしい、ブルックナーらしい、フランクらしいというのは具体的にどういうものか、誰を念頭に置いているのかと思います。
6 5月

クレンペラー、VPOのブランデンブルクNO.1/1968年

210506aJ.Sバッハ ブランデンブルク協奏曲 第1番 BWV.1046

オットー=クレンペラー 指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ヴァイオリン:ワルター・ウェラー
オーボエ:カール・マイヤーホファー、ハンス・ハナーク、フェルディナンド・ラアブ
ファゴット:エルンスト・パンペル
ホルン:ウォルフガング・トンボック、グンター・ホグナー
チェンバロ:フランツ・ホレットシェック

(1968年5月19日 ムジークフェライン大ホール ライヴ録音 Testament)

210506b 何となく落人のような息をひそめて過ごした連休が終わりました。今朝の六時前に局地的な濃霧が発生していて、伏見区の伏見稲荷辺りから下京区の六条辺りがフォグランプも点灯した方が良いような暗さ、濃さでした(五条通を過ぎるあたりで急に晴れて)。朝目覚める前に夢をみていて、その中で植え込みに大きな蜂の巣があり、それを触ってしまい、大きな蜂が首筋に迫ってきて「今度こそダメだ」と思って死んだふりのように静止したところで目が覚めま、後味が悪くてどうも睡眠中の夢も天候まで薄気味悪い昨今です。

 これはTestamentから出ていたクレンペラーのウィーン・フィル録音集の中の一曲です。他のレーベルからも発売されて有名だったマーラーの第9番やブルックナーの第5番、ベートーヴェンの交響曲第5番を含む1968年のウィーン芸術週間の公演を中心にしたものです。収録曲をざっとながめてみて正直ブランデンブルク協奏曲は聴くのを一番後回しにしていました。しかし、いざ聴いてみると全体的にほぐれて、のどかでありながら調和のとれた天上の世界のような軽やかさに内心驚きます。映像記録でエグモント序曲のリハーサル中に譜面台を叩いて一喝するクレンペラーの姿からはおよそ想像できないような空気です。

 この時期のクレンペラーは1966年8月にスイスの保養地サンモリッツで転倒、骨折して約半年の静養期間を経て、ユダヤ教に復帰した後、晩年の最終期にあたります。この時期も細かく分類できるかもしれませんが、これ以前、1959年に大火傷から回復して再び各地へ客演した期間、EMIへレコーディングすようになった1954年からチューリヒの自宅で大火傷する1958年秋までの充実した期間と比べると、演奏のテンポが一段と遅くなるともに質的にも変わってくる時期でした。ブランデンブルク協奏曲第1番については、1962年のフィラデルフィア客演時とくらべると1968年のウィーン・フィルへの客演では第4楽章が1分半以上長くなりましたが、それ以外の楽章は大差ありません。

ブランデンブルク協奏曲第1番
①ヘ長調 2/2
②ニ短調 Adagio 3/4
③ヘ長調 Allegro 6/8
④ヘ長調 3/4メヌエット-トリオ1-メヌエット-ポロネーズ-メヌエット-トリオ2-メヌエット

 バッハの代表作の一つ、ブランデンブルク協奏曲は1721年にブランデンブルク辺境伯クリツチャン・ルートヴィヒに献呈された六曲からなる合奏協奏曲集です。バッハがライプチヒのトーマスカントルに就任する1723年の少し前、ケーテン侯に仕えていた時期の作品です。第1番が最初に作曲されたのではないようです。独奏楽器群と合奏が交替しながら演奏する様式の「合奏協奏曲」です。

 ブランデンブルク協奏曲がウィーン・フィルのプログラムには入っているというのは現代では(1990年代でも既にそうか)珍しいのではないかと思いますが、1960年代ならまだあったということか、クレンペラーはバッハの管弦楽組曲も含めてしばしばプログラムに入れています。この1968年のウィーン芸術週間の5月19日のプログラムはブランデンブルク協奏曲第1番、モーツァルトのセレナーデ第12番、ジュピター交響曲でした。バッハと古典派の組み合わせはベルリン・フィルに客演した時にもありましたが、今回はモーツァルトのセレナーデを続けるところが楽器編成等も含めてプログラムの妙のようです。
公演の順番でバッハ、モーツァルトのセレナーデと順番に聴いていくとジュピター交響曲の威容がクローズアップされて感銘が深まります。ちなみにクレンペラーが1962年にフィラデルフィア管弦楽団へ客演した際もブランデンブルク協奏曲第1番を指揮していました。オーケストラの木管に自信があったということか、1962年11月2日のフィラデルフィアではブランデンブルク協奏曲第1、ジュピター交響曲、ベートーヴェン第7番という組み合わせでした。
5 5月

ルートヴィヒ、クレンペラー、ヴンダーリヒの「大地の歌」

210505bマーラー 交響曲「大地の歌」

オットー・クレンペラー 指揮
フィルハーモニア管弦楽団
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

クリスタ・ルートヴィヒ(Ms)

フリッツ・ヴンダーリヒ(T)

*1964年2月のセッションだけレッグがプロデューサー、以後はピーター・アンドリューがプロデューサーだった。

(1964年2月19-22日 :第2、第4楽章/1964年11月7-8日:第1、第3 ロンドン,キングズウェイ・ホール、第5楽章 / 1966年7月6-9日:第6楽章 ロンドン,アビィロードスタジオ 録音 EMI)

210505a 先月クリスタ・ルートヴィヒ(Christa Ludwig 1928年3月16日 - 2021年4月24日)の訃報が流れました。多数ある彼女のレコーディングの中でクレンペラーが指揮したEMI盤ならモーツァルトのオペラ「ドン・ジョヴァンニ」、「魔笛」、ベートーヴェンのオペラ「フィデリオ」、ワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」から「愛の死」、ヴェーゼンドング歌曲集、ブラームスの「アルトラプソディ」、マーラーの歌曲集、交響曲「大地の歌」等がありました。個人的にはどれも好きで特に「イゾルデの愛の死」はワーグナーの全曲盤を聴こうと思うきっかけになるくらいのインパクトでした。どれか一つというのは難しいところですが彼女の出番が長いという点で「大地の歌」は特別でしょう。

 この録音は過去記事で取り扱い済で、同曲の代表的なレコード、名盤として広く浸透していました。だから内容について特に付け加えることはありませんが、クレンペラーらしさとい点では先日引用したACO団員の言葉、「大きなスポンジで多くの伝統的な垢を拭き取った、交響曲が純粋な音符に立ち返る、そこにはヴィヴラートもなく、恣意的な増減もなく、あるのは音符だけだった」、という性格に加えて独特の香気を放つとでも言えばよいのか、何らかのプラスアルファ的なものを帯びてきている気がします。それはさて置き、録音データを見ると三度に分けてセッションが組まれています。最初にルートヴィヒが歌う楽章から取り掛かったのに第6楽章だけが2年も間隔が空いているという異例のスケジュールは、同時期にレッグがフィルハーモニア管弦楽団の解散を宣言し、それによって団員がクレンペラーを会長として自主運営のオケとして再出発することになるという事件があったからです。

 ルートヴィヒの歌う第6楽章が後に残ったのは、彼女はレッグ夫人のシュワルツコップと仲が良かったので、クレンペラーが解散宣言以後レッグをレコーディングに出入禁止にして交代した
プロデューサーのピーター・アンドリューに対してシュワルツコップが敵意をむき出しにして難癖を付け、ルートヴィヒも同調したためスケジュールの調整が難航したという事情がありました。1966年7月の第6楽章セッションの直前にはドン・ジョヴァンニの録音セッションを行っていて、その続きにようやく大地の歌にとりかかれたそうでした。実は「ドン・ジョヴァンニ」のドンナ・エルヴィラはルートヴィヒの持ち役でなかったのに、全曲盤で彼女にキャスティングしたのは残っていた大地の歌第6楽章を録音すべくルートヴィヒを確保するためにクレンペラーとアンドリューが考えた配役だったかもしれないと解説には書かれてありました。

 フィルハーモニア管弦楽団の解散宣言と自主運営のニュー・フィルハーモニア管弦楽団に移行した経緯等はここでは省略するとして、「大地の歌」の録音セッションが終わった直後にクレンペラーはスイスの保養地サン・モリッツで転倒して骨折し、半年間の静養を余儀なくされました。その間にマーラーの第9番に傾倒して研究し、ユダヤ教に復帰することになるわけですが、復帰した1967年以降はクレンペラーの指揮、演奏が変わり、最終形態へと移行していった(このブログでは冗談交じりに Neue Klemperichkite と)ので、肉体的、精神的にも移行・変化するまでに「大地の歌」のセッションを完了できたのは幸いでした。

 クレンペラーは1860年生まれのマーラーとは25歳も若いので、マーラーが亡くなった年には26歳でした。だから、クレンペラーはマーラーの復活交響曲のピアノ版を編曲したり、交響曲第2番のベルリン初演で舞台裏のオケの指揮をしたという関わりがあったものの、師弟、盟友というほどの濃密な関係とは言い難いかもしれません。クレンペラーはワルターによる
交響曲「大地の歌」初演を聴いたけれどあまり感銘を受けなかったと言っています。自身が指揮したのは、解説に載っているだけで1921年のケルン、1929年3月のソ連初演と4月のアムステルダム(ACO)、1937年のロスアンジェルス、1948年のブダペスト、1950年のアムステルダム(ACO)、1951年のウィーン交響楽団とのVOX盤録音、1957年のエディンバラ音楽祭(バイエルンRSO)、1961年のフィルハーモニアO、1963年からのEMI録音、1970年のPOと各年代ごとに取り上げています。

 それらの演奏機会で男声のみで演奏したのは1921年のケルンと1957年のエディンバラ音楽祭だけでした。1957年のバイエルンRSOとの演奏はフィッシャー・ディースカウが偶数楽章を歌ったそうです。クレンペラーは男声版でも演奏したものの、後には響きが単調になる等から絶対に女声も加えて演奏する方が良いと言っています。この録音ではルートヴィヒが歌う第6楽章が特に魅力的でした。

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昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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