アンドリス・ネルソンス 指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ウィーン楽友協会合唱団(合唱指揮ヨハネス・プリンツ)
カミッラ・ニールンド(S)
ゲルヒルト・ロンベルガー(A)
クラウス・フロリアン・フォークト(T)
ゲオルク・ツェッペンフェルト(Bs)
(2018年3月 ウィーン,ムジークフェラインザール 録音 DG)
今年のある時、自分が新入社員だった1992年の頃を思い出そうとしたら、都合の悪い記憶は廃棄する脳内システムが作動するのか具体的なことは急には出て来ず、まだ12月29日までは出勤だったことくらい(銀行も31日まで営業していたような)しか覚えていません。それから四半世紀以上経過したのについ先日のことのような気がして、年月経過の実感が妙に歪んでいます。却って2002年頃を念頭に置くとかなり昔のような気がしてきます。とりあえず昨年の御用おさめはどんなだったかを脳トレのつもりで思い出そうとすると、たしか御池地下にあった寿司屋が大混雑で40分くらい待ったことが浮かびあがってきました(あるいは一昨年かもしれない)。それからかなり寒くて夕方に雪が降った気がします。今年の関西は暖かめなので今日は雪ではなく秋雨のような雨が降っていました。
アンドリス・ネルソンスとウィーン・フィルのベートーヴェン交響曲全集は今年の日本レコードアカデミー賞で「大賞銅賞 交響曲部門」を受賞しました。大賞・金賞は室内楽部門から「ショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲全集 古典四重奏団」、銀賞が器楽部門の「バッハ 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ 佐藤俊介」だったので、それらに次ぐという位置でした。これを国内盤で購入したのは賞が発表する前ですがそれでも10月末くらいだったので、流通期間が短いのによくぞと思います(賞の仕組みを知らないけれど)。
ネルソンスはショスタコーヴィチ(ボストンSO)、ブルックナー(ライプチヒ・ゲヴァントハウス管)の交響曲も録音進行中なので、過去に何曲か聴いていました。それらからネルソンソのベートーヴェンはノン・ビブラート的、直線的な演奏だろうと想像出来たので、わざわざ購入して聴くこともないかとも思いました。しかし、実際に聴いてみると少なくとも終楽章はそういうスタイルに染まり切っていない独特な内容だと思いました。第4楽章が独立した作品、二つの作品を連続して収録しているような気もしました。
このように言うからには他の三つの楽章は淡泊で素っ気ないのかとなるところですが、ある程度は当てはまるものの、無機的だとか外面的云々と切り捨てられないものだと思います。そこはさすがウィーン・フィルなのか、ムジークフェラインザールでのライヴ収録からなのか、やっぱり第九(は特別)だと実感する魅力があります。といったところで、2019年、この一年もこのブログを見つけて見てくださった方々、コメントを下さった方々、誠にありがとうございました。ブログを更新する材料、エネルギーは低下気味ですが、来る年も継続する予定です。来る年が皆様方に良い年であることを祈念しつつ、今年のこのブログはこれまでに致しとう存じます(昔の大河ドラマでこういうナレーションがあった)。
今年のある時、自分が新入社員だった1992年の頃を思い出そうとしたら、都合の悪い記憶は廃棄する脳内システムが作動するのか具体的なことは急には出て来ず、まだ12月29日までは出勤だったことくらい(銀行も31日まで営業していたような)しか覚えていません。それから四半世紀以上経過したのについ先日のことのような気がして、年月経過の実感が妙に歪んでいます。却って2002年頃を念頭に置くとかなり昔のような気がしてきます。とりあえず昨年の御用おさめはどんなだったかを脳トレのつもりで思い出そうとすると、たしか御池地下にあった寿司屋が大混雑で40分くらい待ったことが浮かびあがってきました(あるいは一昨年かもしれない)。それからかなり寒くて夕方に雪が降った気がします。今年の関西は暖かめなので今日は雪ではなく秋雨のような雨が降っていました。
アンドリス・ネルソンスとウィーン・フィルのベートーヴェン交響曲全集は今年の日本レコードアカデミー賞で「大賞銅賞 交響曲部門」を受賞しました。大賞・金賞は室内楽部門から「ショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲全集 古典四重奏団」、銀賞が器楽部門の「バッハ 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ 佐藤俊介」だったので、それらに次ぐという位置でした。これを国内盤で購入したのは賞が発表する前ですがそれでも10月末くらいだったので、流通期間が短いのによくぞと思います(賞の仕組みを知らないけれど)。
ネルソンスはショスタコーヴィチ(ボストンSO)、ブルックナー(ライプチヒ・ゲヴァントハウス管)の交響曲も録音進行中なので、過去に何曲か聴いていました。それらからネルソンソのベートーヴェンはノン・ビブラート的、直線的な演奏だろうと想像出来たので、わざわざ購入して聴くこともないかとも思いました。しかし、実際に聴いてみると少なくとも終楽章はそういうスタイルに染まり切っていない独特な内容だと思いました。第4楽章が独立した作品、二つの作品を連続して収録しているような気もしました。
このように言うからには他の三つの楽章は淡泊で素っ気ないのかとなるところですが、ある程度は当てはまるものの、無機的だとか外面的云々と切り捨てられないものだと思います。そこはさすがウィーン・フィルなのか、ムジークフェラインザールでのライヴ収録からなのか、やっぱり第九(は特別)だと実感する魅力があります。といったところで、2019年、この一年もこのブログを見つけて見てくださった方々、コメントを下さった方々、誠にありがとうございました。ブログを更新する材料、エネルギーは低下気味ですが、来る年も継続する予定です。来る年が皆様方に良い年であることを祈念しつつ、今年のこのブログはこれまでに致しとう存じます(昔の大河ドラマでこういうナレーションがあった)。