raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

2019年12月

30 12月

第九 ネルソンス、ウィーン・フィル/2018年

191230ベートーヴェン 交響曲 第9番ニ短調 Op.125

アンドリス・ネルソンス 指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ウィーン楽友協会合唱団(合唱指揮ヨハネス・プリンツ)

カミッラ・ニールンド(S)
ゲルヒルト・ロンベルガー(A)
クラウス・フロリアン・フォークト(T)
ゲオルク・ツェッペンフェルト(Bs)

(2018年3月 ウィーン,ムジークフェラインザール 録音 DG)

 今年のある時、自分が新入社員だった1992年の頃を思い出そうとしたら、都合の悪い記憶は廃棄する脳内システムが作動するのか具体的なことは急には出て来ず、まだ12月29日までは出勤だったことくらい(銀行も31日まで営業していたような)しか覚えていません。それから四半世紀以上経過したのについ先日のことのような気がして、年月経過の実感が妙に歪んでいます。却って2002年頃を念頭に置くとかなり昔のような気がしてきます。とりあえず昨年の御用おさめはどんなだったかを脳トレのつもりで思い出そうとすると、たしか御池地下にあった寿司屋が大混雑で40分くらい待ったことが浮かびあがってきました(あるいは一昨年かもしれない)。それからかなり寒くて夕方に雪が降った気がします。今年の関西は暖かめなので今日は雪ではなく秋雨のような雨が降っていました。

 アンドリス・ネルソンスとウィーン・フィルのベートーヴェン交響曲全集は今年の日本レコードアカデミー賞で「大賞銅賞 交響曲部門」を受賞しました。大賞・金賞は室内楽部門から「ショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲全集 古典四重奏団」、銀賞が器楽部門の「バッハ 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ 佐藤俊介」だったので、それらに次ぐという位置でした。これを国内盤で購入したのは賞が発表する前ですがそれでも10月末くらいだったので、流通期間が短いのによくぞと思います(賞の仕組みを知らないけれど)。

 ネルソンスはショスタコーヴィチ(ボストンSO)、ブルックナー(ライプチヒ・ゲヴァントハウス管)の交響曲も録音進行中なので、過去に何曲か聴いていました。それらからネルソンソのベートーヴェンはノン・ビブラート的、直線的な演奏だろうと想像出来たので、わざわざ購入して聴くこともないかとも思いました。しかし、実際に聴いてみると少なくとも終楽章はそういうスタイルに染まり切っていない独特な内容だと思いました。第4楽章が独立した作品、二つの作品を連続して収録しているような気もしました。

 このように言うからには他の三つの楽章は淡泊で素っ気ないのかとなるところですが、ある程度は当てはまるものの、無機的だとか外面的云々と切り捨てられないものだと思います。そこはさすがウィーン・フィルなのか、ムジークフェラインザールでのライヴ収録からなのか、やっぱり第九(は特別)だと実感する魅力があります。といったところで、2019年、この一年もこのブログを見つけて見てくださった方々、コメントを下さった方々、誠にありがとうございました。ブログを更新する材料、エネルギーは低下気味ですが、来る年も継続する予定です。来る年が皆様方に良い年であることを祈念しつつ、今年のこのブログはこれまでに致しとう存じます(昔の大河ドラマでこういうナレーションがあった)。
28 12月

ベートーヴェン交響曲第2番 トスカニーニ/1949・51年

191228ベートーヴェン 交響曲 第2番 ニ長調 作品36

アルトゥーロ・トスカニーニ 指揮
NBC交響楽団

(1949年11月7日,1951年10月5日 ニューヨーク,カーネギーホール 録音 RCA/SONY)

 今年も御用納めになりました。御譲位、改元という節目だったのを思い出しますが、昭和から平成の時のような衝撃度とはちょっと違って何となく平穏な気分でした。ここ十五年くらいでガソリンスタンドや映画館、特に入場自体に年齢制限がある映画館がめっきり少なくなったという話から、先日阪急の四条大宮駅周辺はまだかつてのおもかげが残っているということになりました。それでも二つあった映画館が無くなっていて、その内の一つ「コマゴールド」というヨーロッパの洋画を上映していたところがありました。学生の頃にそこでトスカニーニの映画(Young Toscanini Il Giovane Toscanini という原題らしい
)を観たことがありました。若い頃のトスカニーニとリオの政情(奴隷問題等)を背景にした内容でしたが、ファシズムに対する後年の姿勢までぶれていないようなトスカニーニの人物像が印象的でした。

トスカニーニ・NBC/1949,51年
①09分24②10分04③3分20④6分01 計28分49
クレンペラー・PO/1957年PO・EMI
①13分24②13分07③3分56④7分01 計37分28
アンセルメ・スイスロマンド管/1960年
①10分30②12分00③3分45④7分00 計33分15
クリップス・ロンドンSO/1960年
①12分44②11分23③3分32④6分33 計34分12
レイホヴィッツ・ロイヤルPO/1961年
①09分34②10分25③3分18④6分11 計29分28

 トスカニーニ(Arturo Toscanini 1867年3月25日 - 1957年1月16日)は最晩年にも録音を残していたのが幸いでしたが、ベートーヴェンの交響曲も1939年と1949から51年くらいに全曲録音が残っています。今回は後者の一曲で、最盛期を過ぎたとしても音質は戦前のものより相当良くなっています。カラヤンがベートーヴェンの交響曲全集のレコードを制作する前に団員に対して理想の演奏だとしたのがトスカニーニのレコードだったらしく、実際に聴かせたという話もありました。それが本当だとすれば戦後の録音の方だったのか、フィルハーモニア管弦楽団との全集の時かそれともベルリン・フィルとの初回全集の時なのか。いずれにしてもトスカニーニのベートーヴェンが後世に影響を与えたことには間違いがありません。

 久しぶりにトスカニーニ、NBC交響楽団のベートーヴェン第2番を聴いていると、この作品と次の第3番エロイカが凄く近い存在、似た性格という印象を受けます。九曲のベートヴェンの交響曲を奇数番号作品と偶数番号作品に分けるという考えは現代ではどうなっているのか分かりませんが、1980年前後ではトスカニーニのベートーヴェンは第1、3番あたりがある程度現役?的な扱いだったような覚えがあります。第2番はかなり後退していたと思いますが、ベートーヴェンらしい(作曲者自身がそのように見られたいという「らしさ」)という面では、今聴いていても相当に魅力的です。それに爽快さ、推進する勢いに引っ張られるような魅力は現代のCDでは滅多にない魅力じゃないかと思いました。

 過去記事で扱ったベートーヴェン第2番のトラックタイム、演奏時間をながめるとルネ・レイホヴィッツとロイヤル・フィルのものが一番近似していました。レイホヴィッツは作曲者によるメトロノーム表記に従った最初の録音として知られ、作曲家としては十二音技法の信奉者、布教者という熱心さなので、それがトスカニーニの演奏時間と近似するとは興味深いものがあります。
25 12月

ブルックナー交響曲第7番 ギルバート、NDR/2019年

191224ブルックナー 交響曲 第7番 ホ長調 WAB107

アラン・ギルバート 指揮
NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団

(2019年6月25-27日 ハンブルク,エルプフィルハーモニー 録音 Sony Classical
 
191224b 今年もクリスマスがやって来ました。「夜半のミサ」を行う時間帯が早まってずいぶんと経ちましたが、昨夜は開始時刻前にはすっかり出来上がっている状態(泥酔ではないが)なのでとっとと帰宅して、今朝の「日中のミサ」に行きました。午前七時という中途半端な時間帯は集まる人数も少なくて静かです。過去何十年間を振り返って、クリスマスらしい迎え方を出来た年はいつだったか、そもそもあったのかを考えると、幼稚園の年長組の年に降誕劇をやり、聖ヨセフの役をやった時が一番高揚感があった気がします。その当時は幼稚園の定員に空きが無い場合がよくあり、基督教嫌いの父でさえもプロテスタントの教団付属の教会に入れざるを得なかったくらいでした。しかし降誕劇も12月24日とかじゃなく、もっと前倒しに行ったような覚えがあり、そもそもクリスマスが平日の場合には教会で何もやらないところもありました(意外にも12月24日や25日に典礼なり集会を行う教会ばかりではない)。

 クリスマスと特に関係の無いブルックナーの第7番、このCDを何週間か前からちょくちょく聴いていながら、特にコメントすることが無いようでブログで扱わずにここまできました。アラン・ギルバート(Alan Takeshi Gilbert 1967年2月23日 - )と言えば昨年11月にエルプ・フィルと来日して京都コンサートホールでも公演がありました。年齢が自分と近いことと、母親が日本人だということで「へえ」と思ったものの、特にブルックナーに縁があるわけでもなさそうだと最初は思いました。しかしエルプ・フィルなら前身は北ドイツ放送交響楽団であり、ハンブルクに本拠を置くヴァントでおなじみのオーケストラだという点に注目すればブルックナーの本筋のオケだと思えてきて気になりました。

ギルバート・エルプPO/2019年
①21分08②22分17③10分09④12分52 計66分26
ネルソンス・ライプツィヒ/2018年
①21分41②23分07③09分43④13分04 計67分31
ヤング・ハンブルク/2014年
①21分38②21分42③10分24④12分45 計64分49
ティーレマン・ドレスデン/2012年
①22分44②23分02③09分50④13分34 計69分10
I.フィッシャー・ブダペスト/2012年
①18分42②18分36③09分04④10分22 計56分44
インバル・東京都SO/2012年
①18分28②19分13③09分09④11分44 計58分34
K.ナガノ・バイエルン国立O/2010年
①20分06②21分53③09分43④12分27 計64分09
ヤノフスキ・スイスロマンド/2010年
①21分05②21分37③09分47④13分15 計65分44

 聴いてみるとなかなか丁寧で、金管が咆哮しまくるタイプ(今時そんなスタイルはむしろ稀か)とは全く違う、繊細な内容で感心しました。前半を聴いているとマーラーの第9番が一瞬ちらつき、ワーグナー作品と重なるような演奏とは一線を画していると思いました。HMVのHPでこのCDを紹介しているところでは、この作品の第2楽章を作曲中にワーグナーの死に接し、その葬送として書き進めたということについて、ギルバート自身の「結局は生きる喜びを綴っているように私は感じます」という言葉を載せています。CDを聴いていると確かに重苦しい葬送の音楽という空気は無くて独特です(しかし生きる喜び云々とまではどうか?と)。

 両親がニューヨーク・フィルのヴァイオリン奏者だったというギルバートは子供の頃からブルックナーに関心があったのかどうか。パーヴォ・ヤルヴィはセルとクリーヴランドOのブルックナー第3番をよく聴いたと言っていて、初期の交響曲を特別に扱っていました。今回のギルバートの第7番を聴くとそういうタイプに近い気がしました。ここ十年くらいのブルックナー第7番のCDと演奏時間を比べてみると、速いタイプではなく、特にゆったりとしたものでもありません。それに終楽章のコーダ部分は特別にあっさりとしています。
22 12月

ベートーヴェン交響曲第2番 ドホナーニ、CLO/1988年

191221ベートーヴェン 交響曲 第2番 ニ長調 op.36

クリストフ・フォン・ドホナーニ 指揮
クリーブランド管弦楽団

(1988年12月11日 クリーヴランド,メソニック・オーディトリアム 録音 Telarc)

 12月もあと残り十日くらいになってきて、次の金曜は京響の十二月定期、年末の第九公演でした。カレンダーに目をやりながら、グリーンランドやアイルランドのようにアッチェレランド(accelerando
)という所があるなら、そこに住んでいるような加速感を覚えます。この時期何となくベートーヴェンの音楽が似つかわしいような慕わしいようなで、12月に入って聴く頻度が高まっています。いつだったか、ラ・ヴォーチェ京都の店頭でモントゥー、サン・フランシスコSOのベートーヴェン第2番が流れていました。それで最近1980年代のベートーヴェン演奏が妙に気になり、その中でドホナーニもまた聴きたい一人です。

ドホナーニCLO/1988年
①11分55②10分04③4分37④5分58 計33分34
ショルティCSO/1989年
①11分35②10分31③3分33④6分31 計33分10
ヴァントNDRSO/1988年
①11分37②10分29③3分40④6分51 計32分37
ハイティンクACO/1987年
①12分19②10分58③4分19④6分35 計34分11
アバドVPO/1987年
①12分28②11分26③3分31④6分25 計33分50
ムーティ・フィラデルフィア/1987年
①12分32②11分40③3分39④6分11 計34分02

 ドホナーニとクリーブランド管弦楽団は1983年から1988年にかけて、テラーク・レーベルへベートヴェンの交響曲を全曲録音していました。当時の評判は記憶にありませんが、少し後に出た宇野功芳の新書本の論調ではあまり良くないタイプのベートヴェンだったと思います。最初にこの廉価盤を聴いた時は、あまりにも整い過ぎて思い入れやら色々なものを受け付けない、取りつく島が無いような印象を受けました。

 改めて聴いてみると、スピーカーとかこちらの聴く環境が変わった影響もあってか、広がり、奥行きの感じられる録音に感じられて、躍動感のある演奏という印象でした。スポーツカーか高級車で疾走するような(カラヤンとベルリン・フィル晩年の録音に対する評か)ベートーヴェンと言われればある程度あてはまる気がしますが、それだけに終わらないプラスαの何かがあるような魅力だと思います。ビシュコフがショウタコーヴィチの交響曲を説明する際にベートーヴェンの交響曲を引き合いに出し、「フィジカルなもの」が中心だとしていました。精神性云々と強調する日本のヲタ的視点からすれば逆の内容かもしれませんが、「切れば血が出るような」演奏として好まれるタイプは案外フィジカルな魅力が大きいものではないかと思われます。

 今年ネルソンスとウィーン・フィルのベートーヴェン(まだ二曲しか聴いていない)が出ましたが、ドホナーニのベートーヴェンと重なるところがあると思いました。1980年代半ば頃から録音されたベートーヴェンの第2番のトラックタイムを並べてみると、主題反復の加減やらもあってか、あまり差が無くて実際に聴いた印象と違っている感じのものをありました。ドホナーニの場合はかなり速いと感じられ、それでいながら端正で歪んだようなところが感じられないものです。
18 12月

ベートーヴェン田園交響曲 シェルヘンのリハーサルLP/1965年

191218bベートーヴェン 交響曲 第6番 ヘ長調 op.68「田園」

ヘルマン・シェルヘン 指揮
スイス・イタリア語放送管弦楽団

(1965年 ルガーノ,スイス・イタリア語放送局スタジオ 録音)

 飲食店やら色々な店舗にBGMが流れていることがあります。食品スーパーならいっときは「サカナ サカナ」の歌やら「ハムリンズ が歌う ハムソーセージの歌」がしょっちゅう流れていました。カフェやバーのような店ならジャズやクラシックがかかっているところもあります。ここ数年、12月にあるショットバーへ寄ることになっていて、最初に行った時は店内にバッハの無伴奏チェロ組曲の第2番(CMにも使われる部分)がかかっていました。名曲喫茶でもなく、そういうことに関心があるのは私だけなので特に気にしませんでしたが、今年も同じ曲がかかっているのが分かり、ひょっとしてここ四年くらいは毎日こればっかりかかっているのかと妙なことに感心しました。店の暖簾やら装飾も季節で変わることもあるのなら、BGMも違うものを使えばと、その店に限らず思う事があります。しかしそんなことに凝るようでは、本来の商品がおろそかになるということなのか。

191218a オーケストラのリハーサル音源は、ある作品の録音に附属していたり映像ソフトになっていたりするので有名な指揮者の場合は断片的ながら結構知られています。長いものならワルターとコロンビアSO(1955年)のモーツァルト交響曲第36番やクレンペラーがベルリンPOへ客演した時の田園交響曲がありました。このヘルマン・シュルヘンのリハーサルは単独で一枚のLPとして出たもののようで、細かい表記が無い(外国語表記で分かり難い)割と新しいものかもしれません。こういうレコードは他にもあるらしく、ヨッフムのブルックナー交響曲第3番の第2楽章のリハーサルやフリッチャイのモルダウのリハーサルが単独であったそうです。前者はDGの全集の時の演奏なのか、かなりの名演だったとラ・ヴォーチェ京都で聞きました(あるいは有名だったのかも)。

191218c シュルヘンのベートーヴェンなら1990年代に山野楽器から全集としてスイス・イタリア語放送のオケ(ルガノ放送管弦楽団)のライヴ録音CDが突如出て話題になりましたが、このリハーサルはその際のもののようです。その後、Memoriesからも全集CDが出ていて、それには交響曲第5番のリハーサルが付いているようです。シュルヘンの
ベートーヴェンは個性的、激しい表現が話題になっていたのでリハーサルもさぞやと、なかば興味本位で気になります。しかしレコードに収まっているところは意外にというのか、当然というのか真面目な練習風景そのものです。はやくちのイタリア語の指示が演奏のテンポに合わせてたて続けにうち出され、柔道の稽古、乱取りのような熱気がみち溢れています。

 大半が第1楽章でA面に第3楽章以降が入っています。演奏もやはり速いテンポでそこへ「ウントンテ ウントンテ・・・(日本語耳にはそう聞こえる)」と追いかけるように言葉がほとばしっています。それでも激情にかられて叫ぶふうではなくて、コントロールされた指示(当然と言えばそうだけれども)という内容にきこえます。だから聴いている内に段々とどういう田園交響曲にしたいのか全体像が伝わってくる気がしました。これを聴いているとシュルヘンのルガーノでのベートーヴェンがまた気になってきました。
15 12月

トリスタンとイゾルデ フラグスタート、メルヒオール メト/1935年

191215bワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」

アルトゥール・ボダンツキー 指揮
メトロポリタン歌劇場管弦楽団
メトロポリタン歌劇場合唱団

トリスタン:ラウリッツ・メルヒオール
イゾルデ:キルステン・フラグスタート
クルヴェナール:フリードリヒ・ショル
ブランゲーネ:カーリン・ブランツェル
マルケ王:ルートヴィヒ・ホフマン
メロート:アーノルド・ガボール
牧童,水夫:ハンス・クレマンス
舵手:ジェームズ・ウォルフ、他

(1935年3月9日 ニューヨーク,メトロポリタン歌劇場 ライヴ録音 West Hill Radio)

191215a 毎年年末にNHKFMで放送するバイロイト音楽祭の公演、今年は12月16日の夜7時半から20日まででした。放送時間が早くなったのでチューナー経由でコンパクトフラッシュとかに録音しようとしてもやりにくい時間帯です。DATならタイマーを使えるけれど、もう製造もしてないし修理もできないかもしれないので再生限定で使用することにしたのでダメです。指環とオランダ人を除いた五作品、パルジファルとローエングリンとトリスタンくらいは、いや結局全部録音したくなりますが今年は断念です。ついでに来年三月のびわこホールの神々もチケット手配が間に合いませんでした。2021年はローエングリンなのでその頃健在の見込みなら是非行きたいところです。

 これはメルヒオールとフラグスタートがメトに出演したトリスタンのライヴ録音で、古い音源ながら色々なところで話題になった二人の、あまり多くない録音なので貴重です。これそのものについての言及ではなかったはずですが、キーン・ドナルド(鬼怒鳴門)氏がワーグナー作品のヘルデン・テノールで特別な存在としてメルヒオールを挙げていて、戦後のバイロイトで活躍したヴィントガッセンとかフィルハーモニア管弦楽団とのトリスタン全曲盤でフラグスタートと共演したズートハウスもメルヒオールに及ばないとしています。そうまで言われると気になるもので1990年代にも古いメトの全曲盤を買おうと思ってそれっきりになっていました(かわりに戦時中のバイロイト、アーベントロート指揮のマイスタージンガーを買った)。

 実際に聴くと1930年代だけあって音は良くなくて、第一幕では何かモーターのようなものが回る騒音が背景にきこえるのも気になりました。そうしたことは仕方ないとして、メルヒオールは確かに凄い歌声で、張りがあって艶もあり、役の人物像も全面に出てくる迫真のものだと思いました。これなら会場で聴いていたらさぞ圧倒されただろうと思います。フラグスタートの方もそれ以上に素晴らしくて、この時代にLPレコードを録音できていたらと残念に思えます。キーンさんによるとメルヒオールの外見はもう一つ、背も高くなく舞台映えしなかったそうですが写真を見るとそれ程悪くはないのではと思います。

 映像ソフトでメトの上演を視聴すると舞台の広大さ、高さに驚き、ここで歌う歌手は大変だと想像が付き、その点もキーンさんは言及しています。この録音の第二幕、二重唱は最初のところから徐々に陶酔して盛り上っていくところも見事です。あと、ポダンツキー(Artur Bodanzky 1877年12月16日:ウィーン - 1939年11月23日:ニューヨーク)指揮のオーケストラもなかなか魅力的でした。ニューヨークに来る前任地、マンハイムの後任がフルトヴェングラー、ニューヨークの後任に予定されたのが日本で指揮したローゼンシュトックだったという情報は時代の古さと何となく親近感を覚えます。
13 12月

プフィッツナー「ドイツ精神について」 メッツマッハー/2007年

191213プフィッツナー カンタータ「ドイツの精神」 op.28

インゴ・メッツマッハー 指揮
ベルリン・ドイツ交響楽団
ベルリン放送合唱団(合唱指揮サイモン・ハルゼイ

ソルヴェイグ・クリンゲルボルン(S)
ナタリー・シュツッツマン(A)
クリストファー・ヴェントリス(T)
ローベルト・ホル(Bs)
 
(2007年10月2-5日 フィルハーモニー大ホール 録音Capriccio

 「ドイツ精神について」という日本語タイトルはどこかしら厳めしくて、“ Deutschland, Deutschland über alles(世界に冠たるドイツ) ” の “ über alles ” 的なことを想像しそうになります。しかしハンス・プフィッツナー(Hans Erich Pfitzner 1869年5月5日 – 1949年5月22日)のオラトリオ「 Von deutscher Seele. (Eine romantische Kantate für Solostimmen, Chor, Orchester und Orgel)」は、アイヒェンドルフの詩をもとに作られたもので、政治的な内容ではなく、「第1部 人と自然」、「第2部 人生と歌」というように文化・芸術面での「ドイツ」をうたっているようです。ただし、ネット上でこの作品を検索するとドイツ統一の日にこれを演奏したところ賛否両論の騒動になったという話題がいくつか見つかります。当日指揮したのがインゴ・メッツマッハー(Ingo Metzmacher 1957年11月10日 - )でした。メッツマッハーのCDは過去に扱ったかなと思い起こすと、メシアンの
がありました(このCDの翌年の上演・収録)。
 
 全曲を聴いた印象はロマン派の延長、R.シュトラウスのツァラトゥストラやマーラーの第8番(これに似ていると言えば作曲者当人は怒るだろうが)やシェーンベルクの初期作品等に通じるものだと思い、決してジーク・ハイルな作風ではありません。スメタナの「我が祖国」の方がよほど盛り上がる音楽じゃないかと。初演されたのが第一次大戦後の1922年だったのでミュンヘン一揆以前の作品でした(いちいち関連付ける必要は無いけれど)。曲の最後に響くオルガンの音なんかも含めてマーラーの千人の交響曲第二部が一番近い感じなので、音楽だけなら特に批判されることは無さそうですが、何故かもうひとつ吹っ切れたような爽快さが欠けている気もします。つまり、何とも言い難い内容です。

 これを聴いたのは、最近この作品のカイルベルト指揮のバイエルン放送交響楽団らによるLPを入手したので、それを聴く前に新しいCDを聴いておこうと思ったからでした。今日は夕方から(もう電話もかかって来ない時間帯)ベートーヴェンの第7番、第4番、エロイカとBGM的に流して、それに続いてこれを聴いていました。今年はプフィッツナーの生誕150年のメモリアルですが、個人的にはクレンペラーのベルリンの音楽院時代の師、シュトラスブルグ時代の上司ということで馴染みがあります。クレンペラーは多分こういう作品は好みじゃなさそうだと想像出来て、これを聴いていると対岸からクレンペラーの精神世界を眺めているような気分になります。

 ドイツ統一の日にこれを演奏して騒ぎになるのは作品そのものよりも、作曲者の国粋主義的な思想、著作・言動・姿勢がその後のドイツの体制を思い起こさせるという面が強いからだと思われます。プフィッツナー自身は「良いドイツ人と思う人物ならユダヤ系でも」可だったという姿勢だったとクレンペラーは振り返っていて、ナチスにも大して重用はされなかったことからも別に今さらと思えてきます(それだけに文化的には天性の反ユダヤとも言えるか)。
10 12月

ヘンツェ交響曲第1番・LP ヘンツェ、ベルリンPO/1965年

191209ヘンツェ 交響曲 第1番(1947年/室内管弦楽団のための新版1963年)

ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ 指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(1965年6月 ベルリン,UFA-Tonstudio 録音 DG)

 12月も一週間あまりが過ぎたので寒くなったのは当たり前だと思いながら、去年の今頃、ある土曜日に東寺(教王護国寺)のまわりを歩いていた時は風がもっと冷たかったのを思いだし、今のところ関西は暖冬傾向かと思っていました。今朝の朝刊一面に改憲を目指すという記事が出ていました。権力を行使する側が改憲に執着するのはちょっとあれだと思いながら、憲法が国家権力を縛るという考え方は古い、とか王政の頃の話だとか一部で言われていたことを思い出します。封建領主の時代だったらよと共に花見の宴をしようぞ、来い、と郷里の下々を招くことも別段不思議ではなかったことでしょう。

 ヘンツェ(Hans Werner Henze, 1926年7月1日 - 2012年10月27日)はどういう作風だったか、滅多に聴いたことがない(ラジオでは聴いていたかもしれないが名前くらいしか覚えていない)のでよく分かりません。このブログでは主役であるオットー=クレンペラー絡みでは、クレンペラーが第二次大戦後に聴いていた現代音楽の作者の一人だったことが記憶に残っています。そヘンツェの十曲の交響曲をヤノフスキが録音していましたが、それ以外で全集はあったかどうかまだ確認できません。そんな中で作曲者自らがベルリン・フィルとロンドン交響楽団を指揮して第6番くらいまではセッション録音していました。第1-5番までがベルリン・フィルを指揮したもので、DGから二枚組のLPで発売されたものを先日入手しました。

Symphony No. 1
第1楽章 Allegretto, con grazia
第2楽章 Notturno: Lento
第3楽章 Allegro con moto

 作品がどうこうの前にゴツゴツとした低音の響き、感触が際立っていて、ドイツ系の作品といえば連想する要素の一つ(根拠無い先入観)だと思いつつ、先日のコンヴィチュニーのベートーヴェン以上にドイツが前面に出ているかもしれないと思いました。同じ作品でもヤノフスキとベルリンRSOの研磨されたような響きとはかなり違い、作曲者自演のこのLPは掘り出された原石の姿がまだ残っているといった感じです。そのためか、第二次大戦後間もない1947年に作曲された交響曲第1番がもう少し古い作品のような気がしました。

 ヘンツェが二十歳の年に作曲した交響曲第1番は、後にピアノ、チェレスタ等を加えた1963年版に改作していて、この録音でもそちらを演奏しています(LPのジャケットにも表記があるし、ピアノがよく目立つからそうだと)。その後1991年にもさらに改変されているようですが、ヤノフスキのCDはそちらの方かもしれずCDを取り出して確かめようと思います。目下どこに置いたか思い出せずにいます。
8 12月

ベートーヴェン交響曲第2番 コンヴィチュニー、LGO/1959年

191130ベートーヴェン 交響曲 第2番 ニ長調 op.36

フランツ・コンヴィチュニー 指揮 
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

(1959年6月26日 録音)

 今年は12月8日が日曜日になり、1941年と同じかと思ったらそうではなくて昭和16年は月曜日だったようです。小学生の時読んだ歴史モノの読み物では、日曜日の朝寝坊のまま布団の中でラジオ放送で真珠湾攻撃を知ったというくだりが印象的だったのでてっきりそうだと思っていました。何となく世相というか国会議員までオラオラ系のトテチテタな空気になってきた上に、嫌・とかネット上のナショナリズムが現実・日常世界にまであふれ出して裾野を広げているのを時々実感するので、えも言われぬ不快さと不気味さをぬぐえない気分です。この気分の時にベートーヴェンの音楽を聴くと何故か気が晴れて、一時的にせよ爽快さにひたれます。

 フランツ・コンヴィチュニー(Franz Konwitschny 1901年8月14日:フルネク - 1962年7月28日:ベオグラード)
とライプチヒ・ゲヴァントハウスOのベートーヴェンも時々「昔のベートーヴェンは~」、「ほんとうにドイツ的な~」という話題の中で時々取り沙汰される全集でした。去年の初夏頃にラ・ヴォーチェ京都へ行った際に田園が特に良いとか、どれかがモノラル、全集に入っているのは別の音源がある??だとか色々聞き、再び気になっていました。今会は何度目かの再発売CDから第2番を聴きました。

コンビチュニーLGO/1959年
①13分29②10分56③3分48④6分09 計34分22
クレンペラーPO/1957年10月・EMI
①13分24②13分07③3分56④7分01 計37分28
アンセルメ・スイスロマンド管/1960年
①10分30②12分00③3分45④7分00 計33分15
クリップス・ロンドンSO/1960年
①12分44②11分23③3分32④6分33 計34分12
レイホヴィッツ・ロイヤルPO/1961年
①09分34②10分25③3分18④6分11 計29分28

 本当に久しぶりに聴いたところ、思った以上に引き締まった演奏に内心驚いて、同時期の録音、クリップスやアンセルメのトラックタイムを見てみると演奏時間が似ているのでまた軽く驚きました。コンヴィチュニーと言えばタンホイザーの全曲盤(EMI)が結構好きで、その緩い、大らかな響きが印象に残っていました。オペラではなく交響曲となると違ってくるのか、マズアとライプチヒ・ゲヴァントハウス管の初回全集と比べても全然違うと言う程でもないと思いました。1990年代に聴いたのはモノクロのオーケストラが演奏している写真に緑色の枠が入ったプラスティックパッケージ、ベルリンクラシックスのCDでした。

 コンヴィチュニーは1961年の来日時に東京と大阪でそれぞれベートーヴェンの交響曲を全曲演奏していたそうなので、ちょうどこの全集録音時と年代的に近いのも興味深いところです。プロフィールを見るとコンヴィチュニーが生まれたのは当時のオーストリア領、モラヴィア北部とあり、そのためルター派ではなくカトリックだったそうで、LGOのヴィオラ奏者から指揮者を目指したのでザクセンゆかりの人物かと単純に思っていたらそうではなく、複雑でした。それを意識するとにわかに彼のブルックナーが気になってきます。
5 12月

ベートーヴェン交響曲第2番 ヴァント・NDRSO/1988年

191205ベートーヴェン 交響曲 第2番 ニ長調 Op.36

ギュンター・ヴァント 指揮
北ドイツ放送交響楽団(現:NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団)

(1988年10月10-15日 ハンブルク,フリードリヒ・エーベルト・ハレ 録音 RCA)

 この時期になるとベラベッカ(Berawecka)というアルザス地方の菓子が気になります。待降節から降誕節くらいの時期に食べるものだそうで、洋梨やらオレンジ等を洋酒(そらそうだ、日本酒のはずはない)に漬け込んだものやらを生地にまとめて焼いて、とか発酵菓子とか断片的に説明を見かけるものの正体、作り方はいまだに把握できません。作るわけじゃなく食べるだけだからそれでよく、中京区の菓子製造販売店で売り出すのを待っています。今年は既に二本も食べました(圧縮したような物なのでカロリーは低くないだろう)。

ヴァントNDRSO/1988年
①11分37②10分29③3分40④6分51 計32分37
アバドVPO/1987年
①12分28②11分26③3分31④6分25 計33分50
ケント・ナガノ/2014年
①12分09②10分24③3分36④6分27 計32分36
準・メルクル:リヨン国立/2007年
①12分33②12分40③3分36④6分24 計35分13
インマゼール/2006年
①12分25②10分49③3分41④6分12 計33分07
アントニーニ/2005年
①11分24②10分21③3分48④5分41 計31分14

 1980年代のベートーヴェンの交響曲といえばヨーロッパのオーケストラよりもアメリカのオーケストラの方がよく録音していたかもしれません。シカゴSOはショルティの二度目全集、フィラデルフィアはムーティ、クリーヴランドはドホナーニ。西側ヨーロッパの方はアバドの他にヴァントと北ドイツ放送交響楽団の全曲録音がありました。今回はその中から交響曲第2番ですが、これを最初に聴いたときは色々なものがそぎ落とされた簡潔すぎる響きのように思えて、ヴァントはブルックナーとシューベルトくらいは良いとしてベートーヴェンがちょっとなあと思ってしまいました。

 今回は改めて聴いていると第1楽章はある程度そういう印象ですが、後半の二つの楽章はテンポも急ぎ過ぎずによく隅々まで鳴る豊かな響きだと思いました。第2楽章もそうかと思いながら途中で交響曲第1番を聴いているような錯覚におちいり、昔聴いた時の感触もよみがえりました。結果的に第1番、第2番の似たところを意識することになりました。九曲中の奇数番号の作品と偶数番号の作品が内容的に分かれるような分類も見かけますが(最近はそんなことは言わないのか)、ヴァントの全集を聴いているとそんな分類はあまり意味が無い気がしてきます。今世紀に入ってからの新しいCDの演奏時間とあわせて並べて比べると、古楽器オケのインマゼールや古楽器奏法の影響を受け入れているケント・ナガノらと似ています。

 ヴァントはベートーヴェン演奏ではトスカニーニ、クレンペラーを理想としていたそうで、ハンブルクではフルトヴェングラーを悪く言わないようにとくぎを刺されたのにもかかわらず、ベートーヴェンを「フルトエングラーが無茶苦茶にした」という意味のことを言ってかなり反感を買ったそうでした。第三帝国時代、ポストに恵まれなくとも断じてナチ党員にならなかった頑固さ、硬骨漢ぶりの片りんがみてとれます。ただ、この全集での演奏自体はトスカニーニともクレンペラーともそれ程似ておらず既にヴァントのベートーヴェンというスタイルになっていそうです。
4 12月

ベートーヴェン交響曲第1番 アバド、ウィーンPO/1988年

191204ベートーヴェン 交響曲 第1番 ハ長調 Op.21

クラウディオ=アバド 指揮 
ウィーンフィルハーモニー管弦楽団

(1988年1月 ウィーン,ムジークフェラインザール 録音 DG)

 先週に職場近くのコンビニで瓶入りのインスタントコーヒーを買おうとしたら、同じくらいのサイズなのに倍くらい値段に差があり、結局安い方を買って帰りました。それで何回か飲んでいるとどうにも「不味い」と思い(そうとしか思えない)、分量を変えましたが根本的には変わりません。冷静に考えれば自分の嗜好に合ってないということでしょうが、我慢ならず同じコンビニの高い方を買いなおしました(無駄無駄)。安い方ももったいないのでブレンドして消費しようかと思っています。日中戦争、第二次大戦期間中に食料が配給制になり、それも滞った時期何でも薄めて消費したそうで、それを思えばインスタントコーヒーの件はぜいたくな話だと脳内で言い聞かせています。大阪市内で一週間の副食配給が鮭缶一個だったとかで、三浦何某がネットで流布させようとした程は豊でないなあと思いました。近頃はその鮭缶と国産の塩鮭がめっきり品薄になり、特に後者はこの一年庶民スーパーの店頭で見たことはありません(チリ、ノルウェー、カナダ、ロシアばっかり)。

 今年の八月初め頃、車の中で繰り返し聴くためにSDカード(カーナビで再生できる)にCDを圧縮コピーしながらアバドとウィーン・フィルのベートーヴェンを久々に聴き出した時、一枚目のCDの先頭に入っている交響曲第1番の素晴らしさに感心しまくっていました。その時は同じCDに入っている田園の方を扱ってそれっきりになっていましたが、寒くなって聴いてみても感銘度は変わりませんでした。たまたま直前に古めのコンビチュニーとマズアのベートーベン第2番を聴いていたこともあって、このアバド・VPOの第一番がますます鮮烈に感じられました。

 どこがどうなのか説明し難いのはいつものことながら、いかにもドイツ風とか重厚なといった昔のベートーヴェンの交響曲に付けられる形容はあまり当てはまらず、かといって古楽器オケや近年の折衷式のような軽くて鋭角的にアクセントが強調されたスタイルでもない、明晰な響きでありながら柔軟で歌うような流動感があるとでも言えば適当なのか、同時代に通常のオケ(古楽器併用折衷とかではない)を指揮して演奏するベートーヴェンの中では目立った個性だったかもしれないと思いました。

アバド・VPO/1988年
①9分22②8分35③3分48④5分49 計27分34
ブリュッヘン・18世O/1984年
①9分53②8分14③3分44④6分08 計27分59
K.ナガノ・モントリオール/2013年
①8分41②7分07③3分25④5分44 計24分57
インマゼール・2007年
①8分51②7分05③3分17④5分43 計24分56
アントニーニ・2004年
①8分52②7分30③3分21④5分41 計25分24

 とか言いながら1980年代後半から90年代前半にかけてこのアバドとウィーン・フィルのベートヴェンを聴いたときはあまり感心せず、緩くて軟派なというマイナスのイメージを持っていました。それはともかく、ベートーヴェンの第1番で過去記事で扱ったものは1950年代、60年代のものが多くて、このCDと同じくらいの年代に録音したものはブリュッヘンくらいでした。そのブリュッヘンと18世紀オーケストラの合計演奏時間が結果的にアバドと似ているのは意外です。使用楽器が違い、当然奏法も独特なのにこうなっているのはリピート有無の加減なのか。
2 12月

ブルックナー交響曲第2番 P.ヤルヴィ、ベルリンPO/2019年

191202aブルックナー 交響曲 第2番 ハ短調(1877年稿 W.キャラガン校訂版)

パーヴォ・ヤルヴィ 指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(2019年5月23-25日 ベルリン,フィルハーモニー ライヴ収録 King International)

191202b 先日のティーレマンに続いてブルックナー第2番、第2稿のW.キャラガン校訂版です。これはベルリン・フィルと八人の指揮者(小澤、P.ヤルヴィ、ブロムシュテット、ハイティンク、マリス・ヤンソンス、ティーレマン、メータ、ラトル)によるブルックナーの九曲の交響曲を集めたソフトの中に含まれているもので、CDとブルーレイ・オーディオ、ブルーレイ・ビデオの三種がまとめてセットになっています。どれか一種にして値段を下げて欲しいところですが(その内CDだけで分売されたりして・・・)、蓄積した塔のポイントを吐き出して購入しました。とりあえず第2番のブルーレイ・ビデオを視聴したところ、これが素晴らしい演奏で同じヤルヴィのhr交響楽団とのCD以上ではないかと思いました。

P.ヤルヴィ・ベルリンPO/2019年
①17分26②17分10③06分39④15分23 計56分38
P.ヤルヴィ hrso/2011年
①16分41②17分05③06分28④15分44 計55分59
ティーレマン・SKD/2019年
①18分34②18分08③06分35④15分01 計58分18
ヴェンツァーゴ/2011年
①16分13②17分42③07分02④15分30 計56分27
ヤノフスキ・スイスロマンド管・2012年
①17分47②14分21③08分46④13分58 計54分52

 
先日のティーレマンとシュターツカペレ・ドレスデンと比べると前半の二つの楽章がヤルヴィの方が1分程短い演奏時間になっています。その数字以上にヤルヴィの方が歯切れよく、軽快な響きが印象的です。既にhr交響楽団と交響曲第1番から第7番、第9番を録音済のヤルヴィは、初期の交響曲を演奏する際には第7番とか後期作品とは違う扱い、注意が必要だと指摘していました(第1か第3のライナーノーツに載っていたと思うけれど今回見直していない)。ちょうどティーレマンの第2番を視聴した後なので二人の違い、ヤルヴィの指摘が際立って聴こえました。連続して二人の演奏を聴くとどちらも捨てがたい魅力がありましたが、ソフトの音は今回のヤルヴィの方が少し良いかなと思いました。

 これはベルリン・フィルの技量かフィルーハーモニーの音響か、それともマイク等収録の条件の差なのか、どのパートも見事でした。その割りに演奏している団員の表情が何となくうっとおしそうに見えるのは何故なのかと思いました。真剣に演奏している表情なんだとは思いながら、団員にとってブルックナーは演奏していて楽しくないものが多いと聞いたことがあったので、ついそんな邪推をもって見てしまいます。また、映像無しで音だけを聴いて、演奏者を伏せてどのオケか当てさせられたら、この第2番がベルリン・フィルの演奏だと分かるかどうか自信がありません(そもそも生でベルリン・フィルを聴いたことがない)。

 ベルリン・フィルによるブルックナーの交響曲第2番は、これ以前なら1997年録音のバレンボイムのCDがあり、さらにさかのぼれば1981年のカラヤンの全集となり、それほど多くありません。過去の二種と比べるとベルリン・フィルの音も変わったようです。このセットで第8番はメータが指揮しているのでそれを聴けばその辺りはよく分かるかもしれません。
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昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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