オットー=クレンペラー 指揮
バイエルン放送交響楽団
(1956年10月18.19日 ミュンヘン,ヘルクレスザール ライヴ録音 BR Klassik)
今年に入って「オットー・クレンペラー 最晩年の芸術と魂の解放 ―1967〜69年の音楽活動の検証を通じて (中島仁/鳥影社/2019年6月27日)」という日本人著者による単行本が出版されました。クレンペラーの実妹が亡くなり、ローマカトリック教会から離脱してユダヤ教へ戻った1967年からの二年間に着目した画期的な内容です。このブログの過去記事で冗談交じりに “ Neue Klemperichkeit ” と “ Neue Sachlichkeit(新側物主義) ” をもじって称したことがあった、マーラーの第7番とか極端に遅いテンポの演奏が現れる時期について、その始まりの時期、深層・真相を追求したもののようで、まだ少ししか読んでいませんが興味深いものです。ここ十年くらいで日本人著者による過去の巨匠についての単行本が出版されていますが、ついにクレンペラー本が出ました。
さて、今回のハイドン時計交響曲は過去に別レーベルから発売されたCDで取り上げていましたが、最近同じくバイエルン放送交響楽団とのブラームス第4番とカップリングされて新リマスターで発売されました。勝手に定めたブログのオフシーズン(一年中後ろ向きな内容なので常にオフシーズンのようなもの)/再演的なネタにぴったりなので、早速聴いた上でこれを扱うことにしました。クレンペラーがバイエルン放送交響楽団を指揮したのは1956年の4月が初めてであり、オイゲン・ヨッフムの招きによるものだったそうです。ちなみにこの年の11月には夫人のヨハンナを亡くしているのでクレンペラーの節目にあたる年でした。
改めて聴いてみると推進力に充ちて、大いに覇気が感じられます。少なくとも遅い演奏ではありません。特に第3楽章ではクレンペラーの唸り・鼻歌が所々きこえてくるので大した気合の入りようです。ただ、音質は全体的にこもったような、ややぼやけた響きなので、聴いた印象はそれにかなり影響されると思います。同じ1956年のライヴ録音であるトリノRSOよりは合計演奏時間は少し長いだけで、各楽章とも演奏時間が似ています。大火傷と後遺症の療養後にセッション録音されたEMI盤とも約1分の差でした。
クレンペラーはハイドンの交響曲の中でも第101番「時計」が特に好きなようで、これら以外にもベルリンRSO(1956年2月12日)、エディンバラ音楽祭でのフィルハーモニアO(1958年8月24日)がありました。どれもEMI盤より以前の演奏になります。ところでクレンペラーがポストを得た歌劇場はプラハ、ハンブルク、バルメン、シュトラスブルク、ケルン、ヴィスバーデン、ベルリン、ブダペストといった都市なので、ミュンヘンとは直接に縁がなかったことになります。
今年に入って「オットー・クレンペラー 最晩年の芸術と魂の解放 ―1967〜69年の音楽活動の検証を通じて (中島仁/鳥影社/2019年6月27日)」という日本人著者による単行本が出版されました。クレンペラーの実妹が亡くなり、ローマカトリック教会から離脱してユダヤ教へ戻った1967年からの二年間に着目した画期的な内容です。このブログの過去記事で冗談交じりに “ Neue Klemperichkeit ” と “ Neue Sachlichkeit(新側物主義) ” をもじって称したことがあった、マーラーの第7番とか極端に遅いテンポの演奏が現れる時期について、その始まりの時期、深層・真相を追求したもののようで、まだ少ししか読んでいませんが興味深いものです。ここ十年くらいで日本人著者による過去の巨匠についての単行本が出版されていますが、ついにクレンペラー本が出ました。
さて、今回のハイドン時計交響曲は過去に別レーベルから発売されたCDで取り上げていましたが、最近同じくバイエルン放送交響楽団とのブラームス第4番とカップリングされて新リマスターで発売されました。勝手に定めたブログのオフシーズン(一年中後ろ向きな内容なので常にオフシーズンのようなもの)/再演的なネタにぴったりなので、早速聴いた上でこれを扱うことにしました。クレンペラーがバイエルン放送交響楽団を指揮したのは1956年の4月が初めてであり、オイゲン・ヨッフムの招きによるものだったそうです。ちなみにこの年の11月には夫人のヨハンナを亡くしているのでクレンペラーの節目にあたる年でした。
クレンペラー・バイエルン/1956年10月
①8分20②8分53③7分25④4分23 計29分01
クレンペラー・トリノ/1956年12月
①8分00②8分53③7分20④4分30 計28分43
クレンペラー・PO/1960年EMI
①7分29②8分37③8分11④4分41 計29分58
クレンペラー・PO/1960年EMI
①7分29②8分37③8分11④4分41 計29分58
改めて聴いてみると推進力に充ちて、大いに覇気が感じられます。少なくとも遅い演奏ではありません。特に第3楽章ではクレンペラーの唸り・鼻歌が所々きこえてくるので大した気合の入りようです。ただ、音質は全体的にこもったような、ややぼやけた響きなので、聴いた印象はそれにかなり影響されると思います。同じ1956年のライヴ録音であるトリノRSOよりは合計演奏時間は少し長いだけで、各楽章とも演奏時間が似ています。大火傷と後遺症の療養後にセッション録音されたEMI盤とも約1分の差でした。
クレンペラーはハイドンの交響曲の中でも第101番「時計」が特に好きなようで、これら以外にもベルリンRSO(1956年2月12日)、エディンバラ音楽祭でのフィルハーモニアO(1958年8月24日)がありました。どれもEMI盤より以前の演奏になります。ところでクレンペラーがポストを得た歌劇場はプラハ、ハンブルク、バルメン、シュトラスブルク、ケルン、ヴィスバーデン、ベルリン、ブダペストといった都市なので、ミュンヘンとは直接に縁がなかったことになります。