raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

2019年06月

29 6月

クレンペラー、ハスキル モーツァルトピアノ協奏曲第20番

190628aモーツァルト ピアノ協奏曲 第20番 ニ短調 K.466 (第1楽章のカデンツァ:クララ・ハスキル)

オットー・クレンペラー 指揮
フィルハーモニア管弦楽団

クララ・ハスキル:ピアノ

(1959年9月8日 ルツェルン ライヴ録音 Audite)

190628b  今週の水曜日、NHK・FMで「古楽の楽しみ」をやっている時間に車中でラジオをつけると全然違う音声が流れてきました。局を民放に合わせていたのかと思ったら「萩原健太のポップス・クロニクル ▽第3回(1970年代)」という番組の放送中でした。ボブ・マーリイの他、「とん平のヘイ・ユウ・ブルース
」もかかり、なかなか良い歌だと思いましたが歌詞の中の「すりばち」、「すりこ木」という言葉が強烈に古く感じられて現実感が失せました。昭和50年代前半くらいまでは山椒の葉をすり鉢ですって味噌に混ぜたりしていたのに、いつごろからすり鉢は使わなくなりました(ジュウシマツやら鳥のエサを準備するのにも使ったことがある)。モーツァルトの作品を1950年代、60年代の公演のCDで聴いているのだからそれも決定的に古いはずなのに、と思いながら今回もクレンペラー、ハスキルのモーツァルトです。

ピアノ協奏曲 第20番 ニ短調 K.466 
第1楽章 アレグロ ニ短調
第2楽章 ロマンツェ 変ロ長調
第3楽章 ロンド:アレグロ・アッサイ ニ短調-ニ長調

 ハスキルはモーツァルト・イヤーの1956年にモントルーでの共演前にフィルハーモニア管弦楽団と共演する予定だったのが彼女が咽頭炎になってキャンセルとなりました。それ以後もこのCDのようにクレンペラー指揮のオーケストラで演奏しているからには二人とも、その演奏に関しては好感を持っているのだろうと思われます(ハスキルのカデンツァをクレンペラーが褒めていたという)。1959年の9月と言えばクレンペラーが大火傷による休養から復帰して間もない頃にあたり、それまでとはテンポが遅くなる時期にさしかかったところです(一概に言えないがベートーベンの交響曲で再録音した第3、5、7番を聴くとその傾向が実感できる)。

 先日のピアノ協奏曲第27番と比べるとオーケストラが本当にクレンペラーらしいとすぐに気が付きます。ハスキルの特に両端楽章がピアノも太く、強い音色になった気がして、この曲にふさわしいと思いました。ハスキルはこれ以外にもセッション録音で新旧二種のレコードがあり、いずれもCD化されています。今回のCDもクレンペラーの方に関心がまずいってしまのうで、ハスキルのピアノについては何とも言えません。

 ~ ハスキルのK.466
クレンペラー,PO/1959年9月
①14分32②10分04③6分49 計31分25
マルケヴィチ,ラムルーO/1960年11月
①13分31②09分35③7分06 計30分12
フリッチャイ,ベルリンRSO/1954年1月
①13分02②08分34③7分06 計28分42

 クレンペラーの1959年9月録音から約一年後のコンセール・ラムルー管弦楽団との録音のトラックタイムを見ると、合計時間の差は第1楽章長さで埋まるとして、第2、第3楽章は両者で長さが逆になっています。こういう場合は第2楽章のような楽曲では、例えば交響曲だったらクレンペラーが速目に演奏することが多いのに、ここではそうしていないのは興味深いとろです。それにしてもラムルー管弦楽団との方はハスキルが亡くなる一カ月程前の録音となってしまいました。クレンペラーよりも十歳くらい若いのに残念なことでした。
27 6月

クレンペラー、ハスキル モーツァルトピアノ協奏曲第27番

190627モーツァルト ピアノ協奏曲 第27番 変ロ長調 K. 595

オットー・クレンペラー 指揮
ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団

クララ・ハスキル:ピアノ

(1956年9月9日 モントルー ライヴ録音 Altus)

190627a クレンペラーの命日が近くなってきたので例年通りクレンペラー週間に切り替え、今年はその後シーズンオフとする予定です。ということで今回は最近発売されたクレンペラーのLPです。1990年前後、クレンペラーの協奏曲の音源がCD化されて、アラウやアシュケナージの他にクララ・ハスキル(Clara Haskil 1895年1月7日 - 1960年12月7日)との共演もありました。ハスキルとのモーツァルトはピアノ協奏曲第20番、第27番が出ていました。特に第27番は有名でしたが発売当初はそこそこ高価なこともあって購入してませんでした。それに広告の文言から何となくハスキルの方が看板というニュアンスがして、クレンペラーのフアンとしてはひがみ根性から気を悪くしたという面もありました(姐と共演しておやっさんの株が上がるみたいな言われ方は気に入らんのう)。

 その後ピアノ協奏曲第27番は当日のプログラム全部(モーツァルト交響曲第29番、ピアノ協奏曲第27番、アイネ・クライネ・ナハトムジーク、ジュピター交響曲)が入った二枚組CD(Cascavelle
)として出たものもありました。そのCDは二枚目にジュピターの後にハスキルがアンセルメと共演したシューマンの協奏曲が入っていて、それもちょっと微妙でした(どうせならハスキルだけの演奏で埋めてほしかった)。

190627b 今回聴いたのは1956年9月9日当日、オール・モーツァルトの公演全部をおさめたLPです。スイス・ロマンド放送にのこされていたテープから作製したものでモノラルの鮮明な音質です。ただ、その二枚組CDと段違いと言うほどの差は無いので割高感はぬぐえません。それはともかく、ハスキルのピアノも含めてこの第27番は感銘深く見事なものだと思いました。クレンペラーのこの年代としては普通のテンポかもしれませんが、かなり控え目に聴こえます。録音自体がピアノの音が前に出て残響が少ないのでよけいにそう感じるとしても、同時期のEMI盤の管弦楽作品に比べると即物的、こじんまりとした演奏です。LPの解説にもあるように克明、明晰なオーケストラ演奏がハスキルのピアノと相性が良いのだろうと思いました。下記のトラックタイム、バレンボイムの弾き振りと差が大きいのは意外です(終楽章は拍手の部分をLP、CD表記の時間から除きましたが当初から拍手部分が除かれていたかもしれず、その点は未確認)。

クレンペラー,ハスキル/1956年
①13分04②6分48③7分45計27分37
バレンボイム/1968年
①14分31②8分38③8分56計32分06
アンダ,ザルツブルク/1969年
①13分58②8分05③8分11計30分14

 ただ、二人の志向するモーツァルトは対照的でハスキルのピアノは神経質で閉ざされた狭い空間に響くような独特の美しさで、昔はこのモーツァルト演奏はあまり好きではなくてハスキルのCDはわざわざ購入するまでには至りませんでした。クレンペラーはキャリアの最初期はピアニスト志望だったそうですが下宿先の大家が「騒々しいピアノ」と思うような弾き方だったのでハスキルとは全然違いそうです。しかし意外なことに非常にあがり症で大勢の前で演奏をする前には汗をかいたと本人が言っていました。この点は舞台恐怖症になった時期があるというハスキルと似ています。二人の共通点はユダヤ系であるためナチ時代には苦労したこと、脳腫瘍の手術を受けたことがあるというのがありました。
26 6月

モーツァルト ピアノ協奏曲第27番 バレンボイム弾き振り、ECO

190625モーツァルト ピアノ協奏曲 第27番 変ロ長調 K.595

ダニエル・バレンボイム ピアノ、指揮
イギリス室内管弦楽団

(1968年 ロンドン,Abbey Road No.1Studio 録音 EMI)

 昨日の朝、山の方向から蝉の鳴き始め(地上に出て試し鳴きするような)のような声がきこえましたが一瞬のことだったのできき間違いかもしれません。先週あたりは梅雨明けしたような晴天だったのに、なんと関西はまだ梅雨入りしていないと夕方の天気予報で知りました。この分ではまとまって降る恐れもあり、何年か前には天ケ瀬ダムの一番上のゲートを開放して放流する程だったので、それを超える雨量だったらどうするのかと思います。それから7月6日のクレンペラー命日が近付いてきました。今回のバレンボイム弾き振りのモーツァルトはその前触れ、前哨です(というからにはクレンペラーのモーツァルト、ピアノ協奏曲第27番があるということ)。

 ピアノ協奏曲 変ロ長調 K.595・第27番は作曲者の亡くなった年の一月に作曲された最後のピアノ協奏曲でした。それまでのピアノ協奏曲とはどこか質的に違い、祝典的だとか寂しさなり哀しさ等々の人間的なあらゆる感情と結びつき難い、隔絶して無色透明な響きのように感じられます。特に第2楽章がそうだと思いますが、第1楽章は親しみやすい、自然と曲の方から聴き手の方に入って来てくるような魅力があります。第3楽章はそれら二つの楽章とはちょっと違って、より単純に聴こえて、そのためかコーダ、曲の終わる部分の演奏如何では全体の印象が変わるような気がしていました。どこがどうだとか表現し難いものの、え?これで終わりという、軽い落胆のような感情が湧くこともありました。それと正反対に充実した完結を実感させられたことはあったかどうか、これは聴き手側に問題があるとは思いますが不思議な作品だと思っています。

 実はこれと前後して1956年のモーツァルト・メモリアル年にモントルー音楽祭でクララ・ハスキルとクレンペラーが共演(ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団
)したものを聴いていて、それが素っ気ないながらもかなり魅力的だと思い、それで最近気に入っているバレンボイムの全集を聴いてみたわけでした。このバレンボイムの全集はどれも魅力的だと思い直しているところですが、第27番は何となくオーケストラが雑な気がしました。それでも全体的は大らかな響きで作品の魅力がよく伝わる演奏だと思います。冒頭からゆっくりしたテンポで始まり、1956年のクレンペラーの方が速いと感じられるくらいです。

 ところでクララ・ハスキルは「モーツァルト弾き」として有名でしたが、バレンボイムのピアノとはだいぶ違うようです。ハスキルは小さな玉が転がるような軽快さを思わせる美音といった感じですが、個人的には全面的にモーツァルトらしいという好感は昔はあまり持っていませんでした。といってもFMラジオで何種類か聴いた程度でしたが、ちょっと聴いてたちまち魅了されるということにはなりませんでした。かといってモーツァルトのピアノ曲ならこのピアニストが好きというように絞りこめることもなく、協奏曲の場合はオーケストラを目当てに聴くことが大半でした。
24 6月

チャイコフスキー交響曲第2番 フェドセーエフ/1986年

190524チャイコフスキー 交響曲 第2番 ハ短調「小ロシア」作品17

ウラジミール・フェドセーエフ
モスクワ放送交響楽団

(1986年 モスクワ放送局大ホール 録音 ビクター/メロディア)

 先週BS放送をみていたらクイズ形式の番組に「さいたまんぞう」が出演していて思いっきり驚き、感心しました。たしか自分が小学生か中一の頃、「なぜか知らねど 夜のさいたまわは」で始まる歌がラジオでヒット(深夜限定かローカルでか)していて、その頃は声しか聴いておらずそれから四十年くらい経っています。魔夜峰央とどちらが年長なんだろうと思いつつ、その頃以降にベルリンの壁崩壊、天安門事件等々色々あり過ぎました。6月4日の天安門事件があった日に中国軍関係者か報道官が事件の正確な死者数を問われて半切れになって、これだけ経済的に成長しているから当時の判断は正しかったと捨てセリフのように会見を結んでいました。それを聴くと日本でもかなりの割合の多数が違和感を覚えるのではないかと思う反面、それでは60年安保とかに対する現代人の理解はどうなんだろうと思いました。学生時代にバブルの頂点だったり、そのバブル崩壊後の失われた何年間に定期昇給のみという年が延々と続いた我々の世代は当時60年安保闘争は遠い昔のように思われ、北米市場で儲けさせてもらってなかったらどうなってるくらいの感覚でした。しかしそれでは中国の報道官の捨て台詞と同じ論理になるのではと思いました。

190616 さてチャイコフスキーの交響曲第2番、「ウクライナ」と呼ぶのか「小ロシア」と呼ぶのが良いのか、クリアミア併合後の現代ではどちらとも言えない気がしますが、あらためて聴いてみると第1番に負けないくらい魅力的な作品だと思いました。この曲のCDでスヴェトラーノフのセッション盤を過去記事で扱った際は第1番の方が断然良いと思ったので、これはフェドセーエフのおかげなのかとにかく捨てがたいものだと思いました。

 交響曲第2番は作曲されたのが1872年、初演されたのが翌1873年なのでブルックナーの第2番と同じ時期の作品です(しかも改訂版まである)。しかし初演時の反応は全然違い、チャイコフスキーの交響曲第2番は好評であり、ロシアの五人組からもかなりの賞賛を得たようです。20世紀後半以降、チャイコフスキーの交響曲の中では第3番と並んで影の薄さ、不評を競っている観があるので分からないものです。

フェドセーエフ・モスクワRSO/1986年
①11分21②06分32③5分38④11分05計34分36
スヴェトラーノフ・ロシア国立/1993年

①12分47②11分32③6分02④12分07計42分28
ロストロポーヴィチ・LPO/1976年
①11分20②07分41③5分09④10分40計34分50

 フェドセーエフと十年前のロストロポーヴィチ、七年後のスヴェトラーノフの演奏時間を並べてみるとスヴェトラーノフ、特に第2楽章が目立って長くなっているのでその分の差が際立ちます。これは版の違いなのか、何らかの省略箇所の問題なのか、もう一度聴いてみなければ分からないけれど表記間違いなのか、ここまでの差が出る程解釈に幅がある作品なのかと思います。スヴェトラーノフのライヴ盤(東京公演)は第2楽章が9分12なので大分二者に近づきますがそれでもまだ長目です。ロストロポーヴィチ(1927年3月27日 - 2007年4月27日)、スヴェトラーノフ(1928年9月6日 - 2002年5月3日)、フェドセーエフ(1932年8月5日 - )と三人は比較的近い年齢なので特にチャイコフスキーなんかの本場・本家民族ものを指揮すれば同じような演奏、似たタイプかと単純に思ってしまいますが、そう単純でもなさそうです。
19 6月

ブルックナー交響曲第3番 P.ヤルヴィ、hr-SO/2013年

190620aブルックナー 交響曲 第3番 ニ短調 WAB103(1888/1889年第3稿ノヴァーク版)

パーヴォ・ヤルヴィ 指揮
フランクフルト放送交響楽団( hr-Sinfonieorchester )

(2013年 フランクフルト,アルテ・オーパー ライヴ録音 ソニーミュージック)

190620b 先日の正午頃にJRの稲荷駅で下車して京阪の伏見稲荷駅まで歩いたところ、観光客向けの箸の店の案内が目に付きました。日本におけるお箸の由来を日本語と英語で表記してあり、箸は中国で生まれたということ、遣隋使の頃に日本で普及したこと、それ以前は手掴みで食べていたこと等が書いてありました。ずいぶん丁寧な説明内容だと思いながら、日本に箸があってよかっただとか、実質日本発祥だとかそんな内容でなくて謙虚な記述だと感心しました。その看板は落書きされていなくて破損もしていないので、日本を貶めるなという類の攻撃もないらしくて結構なことだと思いました(もともと日本も自国起源ということに過度にこだわっていない?ので当然かもしれませんが)。

 それと同じ頃にパーヴォヤルヴィのブルックナー第3番の国内盤が発売されたので、店頭で購入していました。P.ヤルヴィとhr-SOのブルックナーは既に全部録音し終わっているようで、あと第8番と0番の発売を残すだけになりました。実際に聴いてみるとこの第3番はヤルヴィのブルックナー・チクルスの中でも屈指の素晴らしさだと思いました。少し前に第4番を一度聴いて、どうもこじんまりし過ぎたような印象で、ブログネタにしないでそのままになっていましたが、今回の第3番はそれとはだいぶ違う印象でした。

 冒頭から大らかで明るく、緻密で、威圧的なところがなくて、よくオーケストラが鳴り響いています。ヤルヴィはヴァントの日本最終公演のブルックナーを客席で聴き、感銘を受けて自分もこういうブルックナーを演奏したいと思ったという話が思い出されます。しかしヴァントのブルックナーとはやっぱり違った内容で、第3番は親しみやすい演奏ではないかと思いました。ブルックナーの交響曲の中で第3番はあまり聴かないという自分のような層には特にそうだろうと思いました。

P.ヤルヴィ/2013年
①20分15②13分04③06分43④11分51 計51分53

ゲルギエフ・ミュンヘンPO/2017年
①21分23②14分01③07分03④12分50 計55分17
ネルソンス・LGO/2016年
①23分49②16分42③07分03④13分03 計60分37
ヤノフスキ・スイスロマンド/2011年
①20分48②14分26③06分25④11分37 計53分16
ボルトン・ザルツブルク/2007年
①21分14②15分42③07分06④13分13 計57分15
ヴァント・北独放送SO/1992年
①20分55②13分10③06分44④12分43 計53分32 

 CD付属冊子によるとヤルヴィが初めて公演で指揮ブルックナーの交響曲が第3番であり、子供のからセルとクリヴランド管弦楽団のLPを聴いて作品にも親しんでいたそうです。第7番や第4番じゃなくて第3番からというのは通常の登山道とは違うコースから頂を目指すようで興味深いと思いました。合計の演奏時間がネルソンスと9分以上も差があるのに速すぎるという程の印象は無くて、聴いていて不思議にくつろげます。
18 6月

チャイコフスキー交響曲第5番 マーツァル、チェコPO/2005年

190618bチャイコフスキー 交響曲 第5番 ホ短調 作品64

ズデニェク・マーツァル 指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

(2005年10月12-14日 プラハ,芸術家の家ドヴォルザーク・ホール 録音 Exton)

190618a  先日、日曜の夜、正確には日付が変わった深夜に、昼間に寝過ぎたのでなかなか寝付かれずに地上波のNNNドキュメント`19を見ていました。「消えゆく"昭和"の台所 〜広島・タカノ橋こうせつ市場〜
」というタイトルで、終戦翌年から始まった公設市場の流れをくむ「タカノ橋こうせつ」閉鎖までの1か月前から最終日まで、市場にある創業100年のお肉屋さん、こうせつ開設と同時に開店した八百屋さん、10年前に立ち退き先からやってきた魚屋さんに密着取材するという内容でした。地元の宇治では公設市場どころかその次の時代のスーパー、西友やらニチイといった店も無くなっているので、よく今まで存続できたと感心していました。それはともかく中学卒業後60年以上精肉店に勤務した76歳の男性職員の姿が色々なものを象徴しているようで感慨深く、たまりませんでした(成人式、結婚式と全部勤務している精肉店の社長に面倒見てもらってetc)。

 先月来チャイコフスキーの作品を頻繁に聴いていながらなかなかコメントする材料が無く、更新の間隔があいていました。チャイコフスキーの管弦楽作品が嫌いだという層はクラヲタの間でそこそこ存在するのかどうか、自分の場合レンタル・レコード(わびしくセコイ)で聴いた悲愴とピアノ協奏曲の影響で特に前者は絶対に捨てられない作品・交響曲篇なんかを選ぶなら必ずランク・インするくらいです。交響曲第5番は過去に悲愴以上に気に入っていた短い時期がありましたが、テレビのCM(アリナミンかエスモンか)で耳にするうちに冒頭の動機がしつこいと思えて聴く頻度が下がりました。このマーツァルとチェコPOの第5番は格調高く、そんなくどさ、しつこさをあまり感じさせない内容だと思いました。

マーツァル・チェコPO/2005年
①15分22②13分06③05分35④12分15 計46分18
ポリャンスキー・RSSO/2015年
①14分47②12分25③06分00④12分05 計45分17
ポリャンスキー・RSSO/1993か95
①16分15②15分11③06分10④13分27 計51分03
スヴェトラーノフ/1993年セッション
①15分34②15分11③06分03④13分37 計50分25
スヴェトラーノフ/1990年ライヴ
①14分01②14分16③05分17④12分44 計46分18

 付属冊子の解説者に吉井亜彦氏と並んで宇野功芳氏の名前があり、前者は曲の後者は演奏の解説という分担です。茶道具の「織部好み」ならぬ演奏の宇野好みによるとマーツァルのようなタイプは外れそうなので意外でしたが、それ以前にチャイコフスキーとブラームスが嫌いだったはずなので二重に意外でした。それはともかくポリャンスキーとスヴェトラーノフの二種と併せてトラックタイムを並べると、46分くらいと50分くらいの二つに分かれるので、これは何らかの反復省略によるのかもしれないと思います(ポリャンスキーらはセッションの方が長くなっている)。

 チェコ・フィルのチャイコフスキーは珍しいのかと思っていたら今年秋にビシュコフと来日するチェコ・フィルが悲愴交響曲やヴァイオリン協奏曲をプログラムに入れていました。それからDECCAへ悲愴とマンフレッドを既に録音していました(気が付かなかった)。
16 6月

チャイコフスキー交響曲第1番 フェドセーエフ/1984年

190616チャイコフスキー 交響曲 第1番 ト短調 「冬の日の幻想」 作品13

ウラジミール・フェドセーエフ
モスクワ放送交響楽団

(1984年 モスクワ放送局大ホール 録音 ビクター/メロディア)

 さて、6月も半分以上が過ぎました。最近の香港のデモ報道に対する感想(日本国内)の中に中央政府に盾突くのはけしからんというニュアンスのものがほとんど見られないのは何故だろうとふと思いました。日本国内の例えば沖縄の基地問題についてのデモは半日云々と、感情むき出しな非難があるので、そういう層からすれば香港の学生なんかはけしからんとなりそうなのにとか。それからT安門事件、その死者の実数はまさか30万人とまではいかないとしても、当局が公表したような人数でないのは間違いなさそうで、30万でなくてもやっぱり虐殺だと、自分が学生だった当時の映像をまたTVで見ながらしみじみ思いました。

交響曲第1番
第1楽章-「冬の旅の幻想」
Allegro tranquillo - Poco piu animato
第2楽章-「陰気な土地、霧の土地」
Adagio cantabile ma non tanto - Pochissimo piu mosso
第3楽章
Scherzo. Allegro scherzando giocoso
第4楽章
Finale. Andante lugubre - Allegro moderato - Allegro maestoso - Allegro vivo - Piu animato

 フェドーセーエフとモスクワ放送SOのこの交響曲第1番は先月から何度か聴いていて、「冬の日の幻想」という名前はあまりぴったりしないと思っていました。この交響曲はチャイコフスキーがペテルブルク音楽院を卒業した直後、1866年に作曲した作品でした。この曲の初演後に五人組と知り合いになりますが、この時期の作風はまだ五人組と親和性のあるものだったと特に終楽章をきいていると思います。フェドーセーエフも1990年代の悲愴交響曲と比べると、爆演でなくても初期作品がより魅力的にきこえるタイプの演奏だと思いました。

 フェドセーエフとモスクワ放送SOのチャイコフスキー交響曲全集は1981年に第5、6番がまず録音されましたが、当時モスクワにはデジタルの録音機器が揃っていなかったので日本からビクターのスタッフが機器を持ち込んで録音したそうです。その際にストラヴィンスキーの「春の祭典」もあわせて録音して発売したところ、ヨーロッパでも好評だったためモスクワでも機器を揃えて残りの交響曲を録音したという経緯がありました。

 そういうわけでこの交響曲第1番は1984年録音なのでモスクワで購入したデジタル機器によるセッション録音です。だから旧ソ連時代の、例えばコンドラシンのショスタコーヴィチのような独特の音とは違っています。ただ、全体的にこもったような残響が目立ち、なんとなくぼやけたような感じなのがちょっと残念です。
10 6月

エルガー オラトリオ「神の国」 スラットキン、LPO/1987年

190609aエルガー オラトリオ「神の国(The Kingdom)」 Op.51

レナード・スラットキン 指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
ロンドン・フィルハーモニー合唱団(合唱指揮リチャードクック) 

祝福された乙女:イヴォンヌ・ケニー(S)
マグダラのマリア:アルフレーダ・ホジソン(A)
聖ヨハネ:クリストファー・ギレット(T)
聖ペトロ:ベンジャミン・ラクソン(Bs)

(1987年10月24,25日 アビーロード・スタジオNO1 録音 RCA)

190609b エルガー(Sir Edward William Elgar 1857年6月2日 - 1934年2月23日)作曲のオラトリオ「The Kingdom(神の国)」は、ペンテコステ・聖霊降臨を扱った数少ない近、現代の声楽作品です。ペンテコステはキリスト教界においては「教会(建造物の教会堂ではなく信徒の群れという意味での教会)の誕生日」として位置付けられます。新約聖書の四つの福音書に続く「使徒行録」の中に記事があり、使徒達が集まっているところイエズスの預言通り聖霊がやってきて、それまでユダヤ教の指導者やらの目をはばかって隠れるように行動していたペトロらが、それを境に大胆に宣教の行動を始めたという転機の出来事でした。クリスマス、イースターに並ぶ大祝日にもかかわらずこれを題材にした、真正面から扱った作品はあまりありません。
エルガーのオラトリオ、「ゲロンティアスの夢」、「使徒たち」と並ぶ大作なのでゲロンティアス程ではないもののボールトやヒコックスらが全曲録音していました。このCDはアメリカの作品の他イギリス音楽もれぱートリーにしてエルガーやヴォーン・ウィリアムズの交響曲等を録音しているレナード・スラットキン(Leonard Slatkin, 1944年9月1日 - )が1987年に録音したものです。「神の国」を単独で録音したのか、ゲロンティアスらも連続録音したのか未確認です。

190609 音楽の方も歌詞内容にふさわしいもので、例えばバッハのマタイ受難曲でキリストのセリフの箇所には後光というのか光背と呼ぶのか、記者や他の人物のパートと区別して聴き分けられる独特の通奏低音が付いていますが、「使徒たち」や「神の国」の音楽は全体にそういう香気を帯びたような味わいがあります。原因があってその因果関係によって結果があるという出来事を劇的にあらわすというより、時季が来ると芽吹いて開花するような自然な流れ、溢れてこぼれ落ちるような恩寵を音楽にするというのは難しいものだと思いますがそんな方向性の作品なのだと思います。

 歌詞を見ながら聴いていると、聖母マリア(祝福された乙女)とマグダラのマリアの二重唱という大胆な構成があったり、聖ペトロのパートがペトロ自身の言葉として記録されたものではなく、イエズスがペトロに言った「あなたが立ち直ったとき、兄弟たちを力づけてやりなさい」という言葉も含み、それをペトロが歌うという箇所があって感慨深いものがありました。ルカ福音書の第22章32節以下が出典で、「わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った」に続く言葉なので、聖霊降臨の場面でこれが引用されるのは効果的です。

 スラットキンと言えば1980年代だったか、セントルイス交響楽団を率いて初(?)来日の際にラジオでかなりプッシュされていたのを少し覚えています。その後ヴォーン・ウィリアムズの交響曲を第3~5番を聴いたくらいなので、どういうスタイルの演奏なのかよくわかっていませんでした。しかしこの「神の国」は魅力的であり、二年後に録音したヒコックスの全曲盤に負けない出来だと思いました。
8 6月

チャイコフスキー悲愴交響曲・自筆譜 フェドセーエフ/1991年

190608チャイコフスキー  交響曲 第6番 ロ短調 作品74 「悲愴」*自筆譜

ウラジミール・フェドセーエフ 指揮
モスクワ放送交響楽団

(1991年3月18,27-29日 モスクワ放送大ホール 録音 ヴィクター/メロディア)

 女優の黒川芽以が非芸能人と結婚したというニュース、その後の山ちゃん・蒼井の前にかすんでしましました。黒川芽以と言えば「名曲探偵アマデウス」で響カノン役だったのが朝ドラ以上に印象に残っていました。別にフアンという程でもないけど作品中で天出の秘蔵レコードを売り飛ばしてチーズケーキを買っているというくだり、フィクションだと分かってるのに妙にカチンときて刻みこまれました(仮に自分が探偵天出の立場だとして、クレンペラーのLPを勝手に売られたらと思うと)。

 その名曲探偵でも取り上げられた(多分)チャイコフスキーの「悲愴」交響曲について、終楽章の最初が Adagio lamentoso(アダージョ ラメントーソ)となっているのは作曲者指揮による初演後に第三者によって書き変えられたという説がありました。このフェドセーエフによる録音は Adagio lamentoso ではなく Andante lamentoso となっているチャイコフスキーの自筆譜による初録音でした。その前に自筆譜の初演を指揮した(1990年4月4日)のはプレトニョフでした。

フェドセーエフ・モスクワRSO/1991年
①18分12②8分14③08分23④10分06 計44分55
フェドセーエフ・モスクワRSO/1981年
①19分05②7分47③08分33④10分54 計46分19
アシュケナージ・NHK/2006年
①16分57②7分25③08分37④09分51 計43分50
アシュケナージ・PO/2002年
①18分11②8分01③08分51④10分38 計45分41
ポリャンスキー・RSSO/2015年
①19分23②8分48③09分41④11分04 計48分56
ポリャンスキー・RSSO/1993年
①19分38②8分35③10分00④12分11 計50分24
スヴェトラーノフ/1990年
①18分08②7分05③08分19④12分28 計46分00
スヴェトラーノフ/1993年
①20分34②8分20③09分36④11分57 計50分27

 
実際に聴いてみると、第1楽章から格調高く、やや遅めの第2楽章と引き締まって控え目な第3楽章がアンダンテの終楽章とよく調和してノーブルな音楽になっています。合計の演奏時間についてはアシュケナージとN響の方が短くて、高貴な内容という点ではポリャンスキーの日本公演(自分は大阪で聴いた)が衝撃的だったので、今回のCDが異質で違和感があるとは思えませんが、内容が素晴らしいという点では屈指ではないかと思いました。

 CDの解説の中でも自筆譜、出版譜についての問題は色々触れられていますがここでは省略します(字が小さくて読めない)。フェドセーエフは、「終楽章のフレージングやアーティキュレーションは、あきらかに1小節を3つで振るように書かれていて決して6つではない」として「アダージョではなくアンダンテである」と指摘しています。また、「チャイコフスキーが表現したかったのは深い感情であって感傷ではない」とも指摘していて、これは演奏を聴くと大いに納得します。もっとも、個人的には終楽章だけを聴くこともあるので、ドロドロの感傷を思わせる演奏も結構好きでした。
5 6月

ブラームスの交響曲第2番 マーツァル、チェコPO/2009年

190605ブラームス 交響曲 第2番 ニ長調 Op.73

ズデニェク・マーツァル 指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

(2009年10月8,9日 プラハ,ルドルフィヌム,ドヴォルザークホール 録音 EXTON)

 五月の末頃から朝方目がさめるとウグイスの鳴き声がきこえることがあります。家のかなり近い所からきこえ、まず間違いなくスピーカー越しじゃない本物のウグイスのようです。しかし、連続しないで
谷渡りどころか「ホーホケキョ」と一回で終わります。そのへんがどうも偽物くさいところですが、鳴声自体は心地よいので別に偽物でもかまいません。六月五日は地元では暗闇の奇祭、「あがた祭り」の日でした。そろそろ田に水が入って田植えも終わるこの季節に珍しく頭の中にブラームス作品がちらついて聴きたくなりました。

 それでマーツァルがチェコ・フィルと録音した交響曲第2番を聴きましたが、このコンビによるEXTONレーベルへの録音の中でドヴォルザークと並ぶくらいの相性の良さじゃないかと思いました。それに下記のギーレンのCDがとっさに思い出されて、演奏時間だけでなく何となく似ている気がしました。ただ、オーケストラの音と音質は今回のマーツァルの方が良くて、ドヴォルザークやマーラーと同心円の作品のように感じられます。

マーツァル・チェコPO/2009年
①14分54②10分05③4分55④09分13計39分07
ギーレン・SWRSO/2005年
①14分53②09分15③5分25④09分36計39分09
イヴァン・フィッシャー/2012年
①20分06②09分00③5分38④09分33 計44分17
ジュリーニ・ウィーンPO/1991年
①18分00②12分20③6分02④11分05計47分27

 マーツァルの演奏はEXTONのCDでしか聴いたことが無くて、チェコを去ってからチェコ・フィルの首席に就くまでの長い期間はどんな活動だったのか、もしかすればラジオで聴いたことがあったかもしれないけれど全くおぼえがありません。チェコ・フィルとのCDは本場もの、チェコ・フィルを前面に出した企画だという先入観があって、
マーツァルはどういうタイプの演奏なのかあまり意識できませんでした。それがこのブラームス第2番を聴いて、控えめにオーケストラの後ろに立つタイプよりも独自の作品観を反映させる方に傾斜したタイプだと思えました。

 そのおかげか、これを聴いた季節、気候のためか、今まで四曲中で最も関心が薄かった第2番が大いに素晴らしい作品だと実感できて、近年まれな感銘度だと思いました。ブラームスの第2番は高嶋ちさ子がTV番組でその魅力を力説して、一番好きな作品(四つの交響曲中という意味だろう)だと言っていたことがあり、それを見て多分自分は生涯そんな風にこの曲のことを好きにならないだろうと思っていました。今回このCDを聴いて第2番が一番とまでは思わないけれど、他の作品とそん色ないくらいにはなりました。
3 6月

「神々の黄昏」ツァグロゼク、シュトゥットガルト/2002年

190603ワーグナー 楽劇・ニーベルングの指環「神々の黄昏」

ローター・ツァグロゼク 指揮
シュトゥットガルト州立歌劇場管弦楽団
シュトゥットガルト州立歌劇場合唱団

ジークフリート:アルベルト・ボネマ
グンター:ヘルナン・イトゥラルデ
アルベリヒ:フランツ=ヨーゼフ・カペルマン
ハーゲン:ローラント・ブラハト
ブリュンヒルデ:ルアナ・デヴォル
グートルーネ:エファ=マリア・ウェストブロック
ヴァルトラウテ:ティチーナ・ヴォーン、他

演出:ペーター・コンヴィチュニー

(2002年10月3日,2003年1月12日 シュトゥットガルト州立歌劇場 ライヴ収録 Euroarts)

190603a 昭和50年代にムキムキマンというキャラ、芸能人がTVで活躍したことがありました。古代のギリシャかローマ風の装束とボディビルで鍛えた筋肉がうりでしたが、この「神々の黄昏」のジークフリートがギービヒ家にやって来るところがどこか滑稽さが混じって、そのムキムキマンを連想させます。ギービヒ家の面々は全員スーツ姿なのにジークフリートだけがワルキューレの装束(ブリュンヒルデのものを流用か?)なので、余興でコスプレしているような違和感が出ています。伝統的なワーグナー作品の世界を冷笑するような皮肉さが刺さります。

190603b ジークフリート、ワルキューレ、ラインの黄金と順次視聴してきたシュトゥットガルト州立劇場の指環四部作は、四つの演目を別の演出が担当するという企画で、「神々の黄昏」はペーター・コンヴィチュニー(Peter Konwitschny 1945年1月21日 - 
)の演出でした。これが一番好評だったようですが実際に観るとやっぱり映像的に惹きつけられて、作品があまり長く感じられないくらいでした。基本的には読み替えの演出で、ジークフリートの登場時の衣装なんかでは侮蔑とまでは言えないとしてもかなり原作の世界を破壊するような解釈なのに、最初から終演まで貫かれる情熱というのか強烈な何ものかが一貫しているような、観る者を惹きつける強い引力を感じます。

 気のせいか音質も四部作中で一番良いようで、オーケストラの精緻さが前面に出ています。それにコーラス・ギービヒ家一棟の歌も素晴らしくて、振り付け共々そろっていました。一番特徴的なのは第三幕、フィナーレの部分で、グンターやグートルーネ、ギービヒ家の一党、さらにハーゲンまで退場させ、ブリュンヒルデとジークフリートだけになり、なんとジークフリートが息を吹き返して指環をブリュンヒルデに手渡して退場します。あとはブリュンヒルデの独唱、独断場となり、途中で幕が下りて字幕で結末を説明しています。ハーゲンの指環を求める叫び声は幕の裏からきこえるだけで、薪も炎上も無くてブリュンヒルデの着る朱色のスーツがそれを暗示するのみです。

 これだけを読めば何かスカみたいな舞台だと思うかもしれませんが、最初から視聴していると心底感動的で、真摯な上演だという印象に染まってしまいます。それはブリュンヒルデの歌唱の見事さと、ジークフリートがハーゲンに刺された後のギービヒ家の郎党の反応、態度や表情が英雄の死を悼む、悲しむというところで一致しているところも大きいと思いました。舞台上ではハーゲンが孤立して、毒気を無くしているように見えます。それにブリュンヒルデとハーゲンが死ぬ場面を見せず(死んでいないという設定か、とにかく幕が下りてしまっている)、グンター、グートルーネも死なず、ジークフリートも起き上がっているので、視覚的に陰惨さがかなり薄まり、フィナーレの音楽と妙に共鳴する気がしました。

 
ブリュンヒルデ役のルアナ・デヴォル(Luana DeVol)はサンフランシスコ生まれのソプラノで1986/87年のシーズンにベルリン・ドイツオペラへデビューし、2000年にはオペルンヴェルト誌の「最優秀女性歌手」をブリュンヒルデ役で受賞しています。終演後の拍手は彼女が一番盛大で花束を投げ入れられていました。
2 6月

ワルキューレ クナッパーツブッシュ/1956年バイロイト

190529bワーグナー 楽劇・ニーベルングの指環「ワルキューレ」

ハンス・クナッパーツブッシュ
バイロイト祝祭管弦楽団

ジークムント:ヴォルフガング・ヴィントガッセン
ジークリンデ:グレ・ブロウェンスティーン
フンディング:ヨゼフ・グラインドル
ヴォータン:ハンス・ホッター
ブリュンヒルデ:アストリッド・ヴァルナイ
フリッカ:ゲオルギーネ・フォン・ミリンコヴィチ
ヴァルトラウテ:エリザベート・シェルテル
ヘルムヴィーゲ:ヒルデ・シェッパン
オルトリンデ:ゲルダ・ラマール
ゲルヒルデ:パウラ・レンヒナー
シュヴェルトライテ:マリア・フォン・イロスファイ
ジークルーネ:シャルロッテ・カンプス
ロスヴァイゼ:ジーン・マディラ
グリムゲルデ:ゲオルギーネ・フォン・ミリンコヴィッツ

(1956年8月14日 バイロイト祝祭劇場ライヴ録音 ORFEO DOR)

 先日ラ・ヴォーチェ京都へ寄った際にコンヴィチュニーとライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のベートーヴェン・田園で全集に入っているものより古い、モノラル録音の田園があるときき、それが面白いの大いに気になりました。コンビチュニー、ケンペはロンドンで指環を指揮しましたが、クナに心酔するワグネリアンのグッドオールはコンビチュニーの方に親近を感じたと伝記には出ていました。想像がつく反応で、それならカイルベルトとクナだったら当然クナだとして、グッドオールはカイルベルトの指環はどれくらい認めるのだろうかと思います。

190529a 第二次世界大戦後のバイロイトでクナッパーツブッシュが指環を指揮したのは、再開された年の1951年、1956年から1958年までと通算四回でした。その内で1956年以降は全曲録音がCD化されており、今回の1956年はORFの正式音源のCDが出ています。キャストの上では1957年が最上という声や、オーケストラと声楽が合っているとかの完成度は1958年が一番という評がクナッパーツブッシュのファン界ではあるようですが、自分がクナの指環に心底惹かれた、圧倒されたのはこの1956年・ORFEO盤でした。それまでは指環についてもクレンペラーの全曲録音が存在しないこともあって、その世代より新しい指揮者の録音の方に関心があり、古い世代の方ならバイロイトではないもののクナよりもフルトヴェングラーの方に好感を持っていました。

 1956年の指環はカイルベルトとクナの二人が指揮したわけで、カイルベルトは前年の1955年の公演がステレオで全曲録音され、それを聴くと二人の指揮が対照的なのを実感します。基本的にカイルベルトの方が自分の好みに合っているはずなのに、このCDを聴いた時はそんなことを越えて冒頭のオーケストラの音からもう圧倒されていました。オルフェオのCDはスカスカの音だという評があるものの、十分低音の迫力が伝わりました。ヴォータンの役はホッターよりも次世代のテオ・アダムの方が好きなのに、改めて聴いているとクナの指揮ではホッターがぴったり来る気がしました。

 クナッパーツブッシュが残したワーグナー以外の録音ではブルックナーを何種か購入したくらいで、他はCDを購入するまでの熱意は湧きませんでした。しかしワルキューレの「魔の炎」あたりを聴いていると、ブルックナー以外でも面白そうどころか普通に良さそうな気がします。レコード制作に熱心でなかったことと、大戦中からドイツに住んで、戦後も演奏し続けることが出来たのでポストを求めてブダペストやロンドンに行かずに済んだので、
人気がロカールというかメジャーなレーベルからレコードが出なかったのはちょっと惜しい気がします。
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昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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