raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

2019年04月

30 4月

マーラー交響曲第7番 ハイティンク、ACO/1969年

190430bマーラー 交響曲 第7番 ホ短調

ベルナルト・ハイティンク 指揮
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

(1969年12月 アムステルダム,コンセルトヘボウ 録音 DECCA/旧PHILIPS)

 いよいよ令和、新しい天皇の即位となります。経済のバブルと共に始まった平成が官製相場と日銀を従えたゼロ金利時代の内に終わりです。この時代の終わりにはできればバブル崩壊後のようなしっぺ返しが無ければと思います。過去の時代について百年くらいの区切りで鎌倉時代や室町時代という呼び名がありました。明治以降の現代にそういう名前を付けるとすればどうなるのか、東京時代とか霞が関時代になりそうです。仮に東京時代だとすればどういう終わり方をするのか、その時代の次の時代は何時代になるのか、さすがに自分はもう生存していないでしょうが不安と共に気になります。振り返れば平成の一時期にはインフレターゲット等がささやかれたことがあったので、それが失敗して缶ビール一本が10万円とかそんな事態にならなかったのは幸いでした。

 何となく大晦日がいくつか重なったような土壇場感から、更新間隔を詰めて平成最後の記事更新とします。前回に続いてハイティンクのマーラー全集から交響曲第7番です。この曲の終楽章は何となく平成にふさわしいようで、インバルが交響曲第8番について言及した「凱歌や喜びまたは世界の平和の、単なる仮象に過ぎない」とか、「そこに何か作為的なものがあることや、楽観的な凱歌が、実は幻想にすぎないということに気づくことでしょう」という言葉を重ねると一層そんな気がします。

ハイティンク・ACO/1969年
①20分46②14分36③09分45④12分45⑤17分51 計75分43
バーンスタイン・ニューヨークPO/1965年
①20分47②16分38③09分32④14分33⑤17分55 計79分35
クーベリック・バイエルン/1970年
①19分42②14分46③09分24④12分01⑤16分40 計72分33
ショルティ・シカゴSO/1971年
①21分35②15分44③09分14④14分28⑤16分27 計77分28
ノイマン・チェコPO/1978年
①21分30②14分15③10分10④16分50⑤18分00 計80分45
テンシュテット・LPO/1980年
①22分42②16分24③10分14④15分09⑤17分54 計81分43
マゼール・VPO/1984年
①24分25②15分39③10分18④15分45⑤20分04 計86分11

 声楽を伴わない交響曲第7番は終楽章以外が迷路をさ迷うような独特の音楽なので、ハイティンクの初回全集盤は直線的で「夜曲」の風情が弱い印象です。と言っても録音年代が近かったクーベリックやショルティもCD1枚に収まるくらいの合計演奏時間に収まっています。同じく初期の全集完成者でもバーンスタインはもっと長くなっています。ただ、どんな演奏でも全曲を通して聴いて終楽章も含めて統一感があり、終楽章に違和感を覚えない演奏はなかなか無いと思います。ここまで聴いたマーラー交響曲全集の中で、クーベリックとバイエルンRSOが特徴があって特に感銘深いと遅まきながら思いました。
30 4月

マーラー交響曲第3番 ハイティンク、アムステルダム/1966年

190430aマーラー 交響曲 第3番 ニ短調

ベルナルト・ハイティンク 指揮
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
オランダ放送女声合唱団
聖ウィリブロルド教会児童合唱団

モーリン・フォレスター(A)

(1966年5月 アムステルダム,コンセルトヘボウ 録音 DECCA/旧PHILIPS)

 平成の終わりが近づいてブログ記事をマーラー特集のようにしていますが、別段改元までに途中まで扱ったマーラー全集を全部記事化する必然もなく、例年なら4月から5月に変わるだけで何の感慨もないところです。しかし乗りかかった船、ハイティンクとアムステルダム・コンセルトヘボウの全集から残り二曲、第3、7番は聴いて、終わらせるつもりです。ちょうど月末は雨模様、絶好のコンディションです(雨音をきくと神経が休まる)。

 ハイティンクのマーラー全集に関してそこそこ有名だったのはケン・ラッセル監督の映画「マーラー」で使われたマーラー作品は、ハイティンクと
アムステルダム・コンセルトヘボウOによる演奏だったという話ですが、交響曲第3番、第7番は映画の中で使われたかどうかよく覚えていません。特に第7番は使われていなかった気がします。これまで聴いてきたハイティンクの全集の中では映画の中でも目立っていた第1、4番あたりが感銘深いと思いました。一方で第6、7番あたりはハイティンクらしい(この時期の)のだと思いながら何となく物足りなさも感じました。今回改めて聴いた第3番は声楽が入る第4,5楽章が特に素晴らしいと、なぜそう思うのか分からないけれど、そこは反復して再生しました。

ハイティンク・ACO/1966年
①32分09②10分19③16分50④8分45⑤4分05⑥22分05 計94分13
バーンスタイン・ニューヨーク/1961年
①33分16②10分05③17分34④8分48⑤4分09⑥25分09 計99分06
クーベリック・バイエルン/1967年
①31分05②09分40③16分58④9分20⑤4分06⑥21分58 計93分17
ショルティ・LSO/1968年
①32分53②10分12③17分21④9分37⑤4分12⑥19分14 計93分29

 上記四つの第3番は初期の全曲録音ですが、バーンスタインの合計時間が突出して長くなっています。ハイティンクは四人の中で唯一存命で、若くして全集に取り組んでいたわけでした。メジャーなレーベルが民族的にもドイツ人の指揮者を起用していないところはマーラー作品の受容、需要の度合い、位置付けが察せられる気がします。それはともかく、ハイティンクのマーラーはひと際端正で真っ直ぐな印象を受け、録音から五十年以上経過している現代に聴いていると興味深いものがあります。
29 4月

マーラー交響曲第1番 マゼール、ウィーンPO/1985年

190429マーラー 交響曲 第1番 ニ長調「巨人」

ロリン・マゼール 指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(1985年10月3-4日 ウィーン,ムジークフェラインザール 録音 Sony)

 先日NHK・FMの「きらクラ!」を聴いていたら「きらクラDON!」の回答がマーラーの交響曲第1番第2楽章でした。その時にこの曲を練習する時に第2楽章冒頭は「拉麺 担々麺 ×2 餃子餃子」とリズムに言葉を当ててアンサンブルを合わせるという話があり、一旦これを聞いてしまうと第2楽章が来るとそれが忘れられず、当面中華そばの鉢やらカウンターがちら付きそうです。ただ、今回聴いたマゼールとウィーン・フィルの録音はそういうノリから遠いものがありました。

190318a マゼールとウィーン・フィルのマーラー交響曲全集は1982年から1989年にかけての録音でした。マゼールのマーラーは2011年にフィルハーモニア管弦楽団とライヴ録音した全集やニューヨーク・フィルとの録音もあり、ウィー・ンフィルとの全集以前に第1番は1979年にフランス国立管弦楽団とセッション録音していました。録音の面だけでもマゼールも立派にマーラー指揮者の一人に挙げられるはずです。このところの改元前・マーラー集中の期間にマゼールのマーラーを聴いていると、改めて魅力を再認識しています。マゼールとウィーン・フィルのマーラーが国内の新譜で出た時にレコ芸月評で特選になったのは第3、4、7、9番と四曲でした。しかし、その後はどうも影が薄い存在になった感があります。

マゼール・ウィーンPO/1985年
①16分36②7分56③11分40④20分35 計56分47
テンシュテット・シカゴSO/1990年
①18分13②8分26③11分34④22分41 計60分53
バーンスタイン・アムステルダム/1987年
①16分30②9分01③10分27④20分12 計56分10
ショルティ・シカゴSO/1983年
①15分45②7分44③11分34④20分50 計55分53
アバド・シカゴSO/1981年
①16分21②7分19③10分54④19分49 計54分23
テンシュテット・LPO/1977年
①15分54②7分46③10分49④19分18 計53分47

 今回のマゼールは冒頭からゆったりとしたテンポで始まり、バーンスタインの再録音と合計時間が似ています。聴いた印象は抜きんでてスローテンポだと思いましたが、第2、4楽章はそうでもなくて、合計時間も突出して長くはありません。こういう印象は第2番以降の各曲と同じで、CDの紹介・広告には「叙情的な面を際立たせた穏やかな」、「少しも作為的には感じられない」と評されていました。確かに第3楽章はそういう感じだと思いますが、マゼールについて「叙情的」という賛辞が付くことはあまり無かったと思われます。

 マゼールのCDで特に気に入っていたのはベルリン・フィルとのブルックナー第7番(EMI)、ピッツバーグ交響楽団とのワルキューレの第一幕(テラーク)くらいで、それらも遅めのテンポで作品の細部まで神経が行き届いたような演奏でした。録音年代も近いので当然マーラーでも同じタイプの演奏です。ブルックナーの第7番はFM放送で取り上げられたことがあり、その時の賛辞には「叙情的」という方向の評ではなかった覚えがあり、むしろ計算され尽くした演奏として驚嘆をもってほめられていました。マゼールの評判は結構複雑で、なかなかまとまらないようでした。

28 4月

番外・BWV.67のLP クレプス、ヘフゲン、ヴェルナー/1960年

190428J.S.バッハ カンタータ BWV.67 「 Halt im Gedächtnis Jesum Christ(死人の中から甦りしイエス・キリストを覚えよ)」 

フリッツ・ヴェルナー 指揮
プフォルツハイム室内管弦楽団
ハイルブロン・ハインリヒ・シュッツ合唱団

マルガ・ヘフゲン(A)
ヘルムート・クレプス(T)
フランツ・ケルヒ(B)

(1960年10月 イルフェルト  録音 ワーナー・ERATO)

 連休に突入した今日の朝は時間に余裕があったのでコーヒーを飲むことにしたところ、二階にもテーブル席がございますと勧められました。一階のカウンターに空席が複数あり、通常はカウンターを指定されるので聞き返したところ、なんと英語で話しかけられてさらに戸惑いました。カウンターは女性しか座ってなかったので「オッサンは二階に行け」ということか思いちょっと気を悪くしつつ、一階のカウンターで結構ですと「日本語で」返答しました。そんな今日は復活節第二主日にあたり、バッハのカンタータでは復活祭後の第一主日と分類される主日です。このジャンルの作品は他の分割した「続~,拾~」のブログで扱う(既に一度取り上げた)ものですが、三月頃にエラートのLPを見つけて購入したので感動も新たにしていてちょうど典礼暦上もタイムリーなので、レコ芸の企画であったらしい「生涯の10枚」の9枚目として加えたいと思いました。これまでの8枚はシュッツのヨハネ受難曲以外はCDで聴く前にLPを購入して聴いていたものですが、今回は逆になりました。このLPは紙のジャケットの中にもう一重に厚紙の中袋があり、その中にビニールの袋という丁寧なパッケージです。

~ 生涯の10枚(目下9枚)~
・アルヒーフのシリーズ・「グレゴリオ聖歌 その伝統の地を訪ねて」から 第2集
・アルヒーフのシリーズ・「グレゴリオ聖歌 その伝統の地を訪ねて」から 第6集
シュッツのヨハネ受難曲/エーマン、ヴェストファーレン聖歌隊、ヨハネス・ホーフリン
クレンペラー・POのメサイア ジェローム・ハインズ、グレース・ホフマン
クレンペラー・POのマタイ受難曲 D.F.ディースカウ、ピアーズ
クレンペラーのロ短調ミサ ニュー・PO、BBC合唱団
・フリッツ・ヴェルナーのバッハ,カンタータBWV.67

 
これを最初に聴いたのは今世紀に入ってから、ブログを始めて以降だったと思います。CDからカーナビのHD(現在はSDカード)にコピーして聴いてもいました。ちょうど父が亡くなる一年前くらいの春先、復活節頃に頻繁に聴いていました。ある時は桂川の堤防上を走行中に携帯に着信があり、病院経由の急報かと思ったら自動車の保険更新の話だったので拍子抜けしのを覚えています。このCDは録音、演奏も古くて、現在ならもっと巧い録音は多数あり、再発売当時も既に埋もれて過去のものになりつつありました。どこかしら、建付けが悪くて開け閉めし難い戸のような印象も伴いながら、血が通い活きた感情を感じさせるものがあり、改めてLPで聴いてみても魅力は褪せないと思いました。

①合唱曲:Halt im Gedachtnis Jesum Christ (合唱)
②アリア: Mein Jesus ist erstanden (T)
③レチタティーヴォ: Mein Jesu, heissest du (A)
④コラール: Erschienen ist der herrlich Tag(合唱)
⑤レチタティーヴォ: Doch scheinet fast (A)
⑥アリア: Friede sei mit euch! (Bs,合唱)
⑦コラール: Du Friedefurst, Herr Jesu Christ(合唱)

 このカンタータは福音書の復活後の記事に拠っていて、特にバス独唱とコーラスが対話する 第6曲目は「平安があなたがたにあるように」というイエズスの言葉が象徴的で、復活節らしい内容で魅力的です。対話の楽曲に加えて多数のカンタータに含まれる合唱曲(第1曲目)、コラールの合唱(第4、7曲目)に独唱アリアとどの楽曲も魅力的なので、ライプチヒ時代のカンタータの中で分かりやすい作品の代表だろうと思います。

 このように作品、演奏共々に自分の好みに合い、それを聴いていた当時の経験とも相まって強烈に印象付けられ、反復して聴いてきて今後も手放せないであろうというのが「生涯の10枚」の条件、共通項になっています。今回も含めて九種類とも宗教曲になってしまい、これなら宗教曲以外からも十枚を選ばないといけないくらいの偏りになってしまいました。
27 4月

マーラー交響曲第9番 ノイマン、チェコPO/1982年

190417bマーラー 交響曲 第9番 ニ長調

ヴァ-ツラフ・ノイマン 指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

(1982年1月12-16日 プラハ芸術家の家 録音 SUPRAPHON)

190427a 昨夜のローカルニュースを見ていると天皇陛下の生前退位、皇太子殿下の即位に伴ってゆかりの寺社が非公開にしている仏像、文化財を公開するということで、初公開のものも多数あって驚きました。そういう改元関連のことが賑やかな一方でプロ野球、タイガースはやっぱりというのか最下位から5位で推移していました。去年かかげたスローガンが「執念」だったことを思い出しながら、今期はなんとなく明るい??空気になっているのかと、ジャイアンツ戦で連敗していることを別にして、そこそこ楽観的にみているところです。ただし、試合の中身はいま一つなようで、今年はドラゴンズが強そうです。

 ノイマンとチェコ・フィルの全集は既に過去記事で扱ったと思ったら、どうも第9番が残っていたようなので元号が改まらないうちに今回改めて聴きました。ノイマンのマーラー第9番と言えば最晩年に出た再録音が日本でかなり評判になっていましたが、こちらの方も新譜時にはレコ芸で「特選(1983年5月号)」になっていました。選者は小石忠男、門馬直美の両氏でした。ちょうど36年前の今頃に出ていたレコ芸の月評、多分買ってはいなかったと思います。それはともかく、門馬氏の評の中で「マーラーにひそむボヘミア的なものを意外に軽視してしまう傾向がある」という一文があり、その点でノイマンのマーラーはウィーン的なものとボヘミア的なものを両方大切にしているという意味の賛辞になっていました。

ノイマン・チェコPO/1982年
①25分11②15分06③13分25④23分17 計76分59
ノイマン・チェコPO/1995年
①26分12②15分01③13分04④23分42 計77分59
マーツァル・チェコPO/2007年
①28分04②15分19③13分07④26分13 計82分43
アンチェル・チェコPO/1966年
①26分40②15分06③13分20④23分25 計78分31

 改めて聴いてみると再録音に負けないくらい立派なものだと思い、潜んでいるボヘミア的なものという点では特に第2楽章で存分に現れているのではと思いました。そう考えれば第2楽章のテンポも含めて各楽章のバランスも、こういう流儀だと納得しつつ聴いていました。第2、3楽章の演奏時間はチェコ・フィルによる各年代のマーラー第9番のCDをながめてみると結構似ていて、ユダヤ系-ドイツ語圏の指揮者であるクレンペラー、ギーレンあたりと特に第2楽章が違っています。

クレンペラー・NewPO・1967年
①28分13②18分43③15分21④24分17 計86分33
ギーレン・SWR/2003年6月30日/映像
①29分05②17分48③14分42④22分30 計84分05
ギーレン・SWR/同年6月30-7月4日/CD
①29分01②17分46③14分35④22分23 計83分45

 チェコ、プラハではマーラーの音楽は誇りをもって「我々の音楽」として受け入れられ、演奏されてきたと、クーベリックのCDの解説で読んだことがあり、ターリヒ時代からマーラーが演奏され続けてきたようです。ターリヒとチェコ・フィルなら戦前で例えば第9番も演奏していたのでしょうか、それならワルターとウィーン・フィルのあのSP盤とまた違った内容になっていたことだろうと思います。一方でウィーンのマーラー(作品)受容について、「マーラーをウィーンから追い出した風潮は決してただたんに歴史的なものでないということがわかるであろう」という批評家の一文がありました。クレンペラーがウィーン・フィルに客演してマーラーの第9番を指揮した際、同じくウィーン・フィルと演奏したブルックナーの第5番程は良い演奏でなかったとクレンペラーが語り、その評を持ち出してウィーンでは長らくマーラーが演奏されていなかったと言っています。それは単に1933年から1945年までのことを言っているのではなさそうでした。そうしたことを思うとチェコでのマーラーというのも結構おおきなものを占めていると言えそうです。
26 4月

マーラー交響曲第5番 バーンスタイン、ウィーンPO/1987年

180930マーラー 交響曲 第5番 嬰変ハ短調

レナード・バーンスタイン 指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(1987年9月 フランクフルト,アルテオーパ  ライヴ録音 DG)

 ずっと先のことだと思ってた十連休が明日から始まります。何かするのには短すぎて、なんにもせんには長すぎるといのうは人生についての話ですが、十日間の休暇も結局二度寝、三度寝しつつ、罪悪感にかられてちょろっと掃除するくらいで終わりそうです。毎年思うのは三月の最初にびわ湖ホールで上演するワーグナーとかのオペラは連休中にやってほしいということで、ついでに上演回数を増やしたらゆっくりと視聴できるので助かります。興行側、演奏者側の都合もあるので東京周辺以外では期待できないことでしょう。

190426 現在メインで使用しているスピーカーの取り扱い説明書の中に台の中にバラスト、オーディオ用の砂(のようなもの)を補充すると書いてありました。トールボーイ型の底の部分へ適宜入れて調整するということだったので何年か前にYバシカメラのオーディオ売場で尋ねたところ、オーディオ用の砂、バラストというのが通じなかったのであきらめていました(建材、園芸用の砂をつかうとややこしい虫の卵が孵化したら嫌なので)。それが先日ラックを作っているメーカーの製品にジルコンサンドというものがあり、まさにスピーカースタンドやラックの支柱なんかにつめて使うものでした。効果があるのか(eyebrow-spit
)分からないけれど数百円単位なので購入してみました。このバーンスタイン、ウィーン・フィルのマーラー第5番は聴いていると低音、コントラバスとかの音がかなり前面に出る箇所が目立ち、そのバラストなんか補充する必要がないくらいでした。

バーンスタイン・VPO/1987
①14分35②15分05③19分05④11分16⑤15分02 計75分03
バーンスタイン・NYPO/1963年
①12分28②14分18③17分39④11分02⑤13分51 計69分18
アバド・BPO/1993年ライヴ
①12分36②14分46③17分26④09分01⑤15分18 計69分07
アバド・CSO/1980年
①12分54②15分10③17分33④11分55⑤14分41 計72分13
ブーレーズ・VPO/1996年
①12分52②15分02③18分12④10分59⑤15分12 計72分17
マゼール・VPO/1982年
①13分59②14分59③17分36④10分33⑤15分17 計72分24
小澤・ボストン/1985
①12分50②14分54③17分47④11分56⑤14分58 計72分27

 バーンスタインのマーラー全集、DG盤(再録音)は歌曲集を残して今回で全部扱ったことになります。この第5番も何年か前から車の中、屋内でと何度となく聴きながら記事化できずにいたものです。こういうパターンは時々あり、たいていはその作品のLPなりCDで最初に気に入って反復して聴いたものの影響が大きいのが原因でした。マーラー第5番の場合はテンシュテット、LPOのEMIライヴ盤とインバル、フランクフルトRSOを全集ものに先立って聴いていました。今回のバーンスタイン再録音DG盤はそれらとはあまり似ていないタイプですが改めて聴いていると新鮮な印象を受けました。妙に低音が目立ち、ゴツゴツした岩肌の山を思わせ、決してきれいではなく、流れも良くないところがマーラーらしい?と言えるのじゃないかと思いました。

 合計の演奏時間はバーンスタインの旧録音から6分弱も長くなり、同じくらいの年代の録音より少し長目です。これが新譜で出た頃はかはバーンスタインの新譜は全てじゃないとしても絶賛される傾向がありました。その中で宇野功芳氏が何かの対談(
玉木正之氏か)で「バーンスタインの独墺モノで感動したことがない」というコメントがあったのを読んだのを覚えています。マーラーの場合は単純に「独墺モノ」と割り切れない面もあるのでそこにはマーラーが含まれているのか定かではありません。宇野氏に限らずそういう評論の類は総じてしがらみや背後の利害関係もあり、ほどほどに受け止めて(eyebrow-spit)いますが意外な言葉だったので記憶に残っています。
24 4月

マーラー交響曲第5番 マゼール、ウィーンPO/1982年

190318aマーラー 交響曲 第5番 嬰変ハ短調

ロリン・マゼール 指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

ヴォルフガング・トムベックJr:フレンチ・ホルン

(1982年9月30日-10月4日 ウィーン,ムジークフェラインザール 録音 Sony)

 カレンダーに視線を移すとこの土曜から10連休に突入するのを再認識しましたが、元々カレンダーの日付が赤く塗られていない4月30から5月2日の三日間の運用はどうなるのか、役所もすぱっと朝から閉まって日曜祝日と全く同じなのだろうかと、その点は気になります。そのはなしとは関係なく書店の陳列について、文庫本コーナーはS潮文庫やB春文庫と出版社ごとにまとめられている場合が多いと思いますが、中には著者の五十音順にしている書店もあり、普段立ち寄る書店が新年前後から後者の配列に変更になりました。一長一短があり、著者ごとが便利な場合もあるのですが、ある時「光文社古典新訳文庫」から新しく出たものを探そうとしたら、著者順に変わっていたので、目あての本を探すのに苦労したことがありました。外国人の作者だ
ったこともあり余計に見つかりませんでした(結局売切れだった)。

 マゼールとウィーン・フィルのマーラー交響曲も今回の第5番、第1番と二曲を残すのみになりました。ウィーン・フィルが一人の指揮者とマーラーを全曲録音したのはマゼールが最初で最後だったはずで、それだけでも値打ちがありそうなのに一連の録音は各曲とも地味な扱いでした。合計演奏時間をながめてみると突出したものではなく70分前後(±2分程度)に収まっていました。中でもレヴァイン、アバドのシカゴSOとの録音は72分台と近似しています。

マゼール・VPO/1982年
①13分59②14分59③17分36④10分33⑤15分17 計72分24
レヴァイン・CSO/1977年
①12分56②14分50③17分34④12分01⑤14分53 計72分14 
アバド・CSO/1980年
①12分54②15分10③17分33④11分55⑤14分41 計72分13
ノイマン・チェコPO/1977年
①11分05②13分40③18分35④10分05⑤16分05 計69分30
クーベリック・バイエルンRSO/1971年
①11分35②13分52③17分23④09分44⑤15分29 計68分04
ショルティ・CSO/1970年
①11分54②13分52③16分39④09分50⑤13分40 計66分05

 それでも各楽章の演奏時間、バランスは違っていて、マゼールの場合は第4楽章のアダージェットが短めになっています。今回改めて聴いてみたなかでその第4楽章が一番感銘深く、よくこの楽章について「サロンの音楽のようだ」等と批判的に指摘されることがありますが、この録音で聴くとそうした軽薄さのような不満は全然わいてきません。引き締まって他の楽章とのバランスのようなものが良くて、全体的に引き締まったものとして響きます。こういう風に演奏するスタイルがあるなら、この曲をくさしていた指揮者ら、例えばクレンペラーもやってみたら独特の魅力になったのではないかと思います。

 このマゼールの第5番は過去に何度かブログのネタにすべく聴いていながら何となくコメントし難い気がして(何をコメントしていいか分からない、きっかけもないような)ここまできていました。今回何度か聴いていてこの全集の「らしさ」のようなものに触れたのを実感した気がしました(今頃になって)。たまたま直後にバーンスタインの新全集(第5番は同じくウィーン・フィル)を聴いたところ、かえってマゼールの魅力が際立った気がしました。
22 4月

マーラー交響曲第7番 バーンスタイン、ニューヨーク/1985年

190422aマーラー 交響曲 第7番 ホ短調

レナード・バーンスタイン 指揮
ニューヨーク・フィルハーモニック

(1985年11月,12月 ニューヨーク,エイヴリー・フィッシャー・ホール 録音 DG)

190412a 先週の月曜あたりは朝が結構冷えたような(朝だけ石油ストーブを使ったはず)記憶が遠のくくらい、昨日と今日は気温があがりました。おかげで?昨日は四六時中寝てばかりいて、その中で朝方に目がさめた後も鮮明に覚えている夢を見ました。四条烏丸辺りで車を運転しているとドアミラーじゃなくフェンダーミラーが付いているのに気が付き、自分の車じゃなくてタクシーであり、発車した地点へ戻ろうとユーターンのタイミングをはかっているところで目がさめました。これはやっぱり犯罪になるんだろうなと思いながら、出発地点が分かるなら何故一目見てタクシーと見分けられるこれに乗って運転しているのか、そういうことを疑問に思っていない(夢の中で)のが不思議でした。こういう夢は車の暴走事故のニュース映像が遠因になっているのかと思っていると、今度は路線バスの暴走事故なので妙に不吉な気分でした。そういえば市バスの運転手は早々と「容疑者」と表記されて顔まで映っていました。

 さて、「元号があらたまる前にいくつかのマーラー全集を全部聴いてしまう」の続き、今回はバーンスタインのDG全集から交響曲第7番です。これはレコ芸の企画「名曲名盤500」の最新合本版(2017年6月1日刊)では、アバド、ベルリンPOの2001年DG盤(12P獲得)に次いで第2位(8P獲得)になっています。この企画自体選者の年齢に偏り??があったり(選挙の投票を欠かさず行う年齢層と重なるか)、重みというか注目度が今一つな気もしますが、このバーンスタインのマーラー第7番は発売後三十年以上経つのにかなり存在感を保っているようです。

バーンスタイン・ニューヨーク/1985年
①21分38②17分08③10分32④14分47⑤18分26 計82分31

クーベリック・バイエルン/1970年
①19分42②14分46③09分24④12分01⑤16分40 計72分33
インバル・フランクフルト/1986年
①24分36②14分38③10分15④13分13⑤16分47計79分29
小澤・ボストンSO/1989年
①21分08②16分43③10分32④14分01④17分49 計80分13
ノイマン・チェコPO/1978年
①21分30②14分15③10分10④16分50⑤18分00 計80分45
テンシュテット・LPO/1980年
①22分42②16分24③10分14④15分09⑤17分54 計81分43
マゼール・VPO/1984年
①24分25②15分39③10分18④15分45⑤20分04 計86分11
クレンペラー・ニューPO/1968年
①27分37②22分01③10分24④15分39⑤24分10 計99分51

 実際今回聴いてみると相当に魅力的で、これさいあればあとは要らないとまでは言えないとしても、各楽章の結びつき、共鳴というのか、とにかく強烈に惹きつけられます。合計の演奏時間を見ると、クーベリックの72分半からクレンペラーの100分弱という広範な幅の中で中庸か、少し長目の部類に入るくらいです。しかし、第2、4楽章は時間の流れ方が違っているような独特の魅力があると思いました。それからマゼールとウィーン・フィルはこの録音よりも演奏時間が長かったのかと妙に感心しました。

 交響曲第8番についてインバルは「凱歌や喜びまたは世界の平和の、単なる仮象に過ぎない」、「そこに何か作為的なものがあることや、楽観的な凱歌が、実は幻想にすぎないということに気づくことでしょう」と説明していました。マーラーの全交響曲が11の楽章からなる巨大な交響曲、長大な物語であるというとらえ方をして、第8番は「大地の歌」、交響曲第9番との関連においてはじめて正しく理解できる、としたうえで上記のように解説しています。その考え方に従えば、第7番についても独自の見方があることでしょうが、とりあえず「仮象に過ぎない」というとらえ方は第7番、特に終楽章にあてはめるとすっきりする気がします。バーンスタインの第7番では終楽章が特別に派手で屈託の無いという風では無いので、特に仮象という考え方に説得力を感じます。
18 4月

マーラー交響曲第1番 バーンスタイン、ニューヨーク/1966年

190417マーラー 交響曲 第1番 ニ長調「巨人」

レナード・バーンスタイン
ニューヨーク・フィルハーモニック

(1966年10月4,22日 ニューヨーク,リンカーンセンター,フィルハーモニックホール 録音 ソニーミュージック)

 昨夜の雨もあがって今度こそ春そのものという陽気になってきました。18日は「聖木曜日」にあたり、この日曜日にイースター、復活祭を迎えます。ちなみに復活祭は毎年移動し、「春分」直後の満月後、最初の日曜が「復活の主日=復活祭」になっています。聖木曜や復活徹夜祭のミサでは鐘楼の鐘が鳴らされますが、京都教区の司教座教会はそんな鐘が無いので(日本なら鐘があっても周囲を憚って鳴らさないところも多いのでは)奉仕者が手に持ったベルを鳴らしています。いつだったかちょうど東京に用があってイグナチオ教会のミサにあずかった際は本当に鐘が屋外に響いていて驚きました。むかしだったら火事を知らせる半鐘と間違いそうな大きな音でした。とにかく一年がまためぐってきたという実感がわいてきます。

 先月に引き続いてマーラー作品です。バーンスタインの旧全集はこれで全部扱ったことになりますが、この第1番は1980年代に国内盤LPで購入したものでした。今回はマルチチャンネルも含むSACDハイブリット盤で聴きました。SACDプレーヤーの設定を最初にマルチチャンネル層を再生するようにして、AVアンプの設定で自動・ピュア-ダイレクトにするとDSDと表示されてプレーヤー側の設定通りに再生が始まります。それにしても結局は2chで再生するのがしっくり来るような気がします。

バーンスタイン・ニューヨーク/1966年
①15分06②8分12③10分19④18分55 計52分32
バーンスタイン・アムステルダム/1987年
①16分30②9分01③10分27④20分12 計56分10
ショルティ・シカゴSO/1983年
①15分45②7分44③11分34④20分50 計55分53
ショルティ・ロンドンSO/1964年
①15分35②6分55③10分59④20分22 計53分51
クーベリック・バイエルン/1967年
①14分36②7分06③10分36④17分38 計49分56
テンシュテット・LPO/1977年
①15分54②7分46③10分49④19分18 計53分47
アバド・シカゴSO/1981年
①16分21②7分19③10分54④19分49 計54分23

 第1番もそうでしたがバーンスタインのマーラー旧全集はかなり直線的で雑とも言える印象で記憶に残っていました。三十年くらい後になってSACD仕様で聴くとそんな風ではなく、もっと複雑な内容に聴こえます。ただ、終楽章だけははじめて聴いた時の感覚がよみがえってきました。合計の演奏時間を見ると旧録音と同じくらいの年代のショルティ旧録音とクーベリックのセッション録音の間に入ってきて、特に突出した演奏時間にはなっていません。現在これを聴いていると、演奏時間では差が出ているアムステルダムとの再録音と同じような演奏という印象です(同じ人物なのだから当然といえばそれまで)。

 レコ芸の企画、「名曲名盤500」の合本された最新版でマーラー第1番を見ると、第1位はアバド、ベルリンPOの1989年DG盤、第2位はバーンスタインの再録音、第3位がワルターとコロンビアSOの1961年盤になっています。自分がバーンスタインのLPを買った当時は確か、1位がアバドとシカゴSOでワルターとコロンビアSOとこのバーンスタイン旧録音が2位か3位のどちらかくらいでした。この企画も重みが無くなってちょっと時間の流れが緩慢なようですが、バーンスタインの旧盤の方は埋もれつつあるようです。
16 4月

エルガー オラトリオ「神の国」 ボールト、LPO/1968年

190416エルガー オラトリオ「神の国(The Kingdom)」 Op.51

エイドリアン・ボールト 指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
ロンドン・フィルハーモニー合唱団

祝福された乙女:マーガレット・プライス (S)
マグダラのマリア:イヴォンヌ・ミントン (Ms)
聖ヨハネ:アレクサンダー・ヤング(T)
聖ペトロ:ジョン・シャーリー=クァーク (Bs)

(1968年12月16-18日,20-22日 ロンドン,キングスウェイホール 録音 EMI)

190416b 朝のニュースの中でパリにあるノートル・ダム大聖堂が火災にあって尖塔が崩れたというのを耳にして、昔一度だけ行った海外旅行の際に中に入ったことがあったので内部の様子を一瞬思い出しました。日本の人口が減少しているから影響力が低下し、海外の日本語対応サービスも縮小傾向という話題を前日にネットで見かけ、そういえばノートル・ダムの前で絵葉書を売っていた青年が「じゅっフラーン(10フラン)!」と連呼していたあれも中国語に入れ替わってるかもしれないと思っていたところでした。カトリック教会の聖堂はミサを行っていない時間帯も入口は開いていて、祭壇の前に安置された御聖体をおさめた聖櫃のところに赤いランプが点り、その前で自由に祈ることができるようになっています(聖体訪問)。場所によって管理の程度は違うとしても、日没後も開いているので中へ入るのは比較的容易なはずです(火事の原因は失火か付け火か?)。

190416a 英国の作曲家エルガー(Sir Edward William Elgar 1857年6月2日 - 1934年2月23日)はマーラーやドビュシーよりも年長だというのは意外で、もう少し新しい年代かと思いがち?です。エルガーは1930年代まで生きているのでマーラーもせめてあと10年長生きしていたらどんな作品が生まれたことかと思います。エルガーのオラトリオ「神の国」が初演されたのは1906年10月6日であり、マーラーの交響曲第8番の初演と同じ年でした。「神の国」に続くオラトリオ、最後の審判を題材にした作品を構想しながら未完に終わったということですが、時間、年数はそこそこ余裕があったのに何とも残念です。

 これは1968年のアナログ録音ながら作品にふさわしい香気を放つような美しさで、特に合唱の部分が特別です。独唱者は女声二人は他の作品(モーツァルトのオペラとか)のレコードでも主要な役を歌っておなじみですが、男声の方は見覚えのない名前です。しかし、特に聖ペトロのジョン・シャーリー=クァーク(John Shirley-Quirk 1931年8月28日 - 2014年4月7日)
は声質共々に感銘深い歌唱です。プロフィール等をネット上で調べると1961年にグライドボーン音楽祭において声楽家としてデビュー、ベンジャミン・ブリテンのイギリス・オペラ・グループに参加という経歴が出てきます。聖ヨハネのアレクサンダー・ヤング(Alexander Young 1920年10月18日-2000年3月5日)の方はまとまったプロフィールが出てきませんがビーチャム指揮の録音等で名前が載っています。

 この作品、The Kingdomを「神の国」とする訳は内容的に正確なのかどうかよく分かりませんが、歌詞の内容は新約聖書の「聖霊降臨(ペンテコステ)」についての記述を中心に、旧約や新約の福音書からの引用を含めて構成されています。マタイ受難曲の冒頭合唱との関係でもおなじみの「エルサレムのむすめたち、わたしのために泣くな」や、「
その血の責任は我々とその子孫に(Sein Blut komme über uns und unsre kinder)」といった言葉が断片的に挿入されているのも目を引きます。対訳を読んでいるとヘンデルのメサイアのように聖書の言葉や国教会の祈祷書をそのまま引用したのとは違、内容を保って切り貼りされたように見えます(推測)。もっともエルガーは国教会ではなくカトリックだったので、もとにした聖書は英語訳、ジェームス1世欽定訳でないかもしれません。

 歌詞の構成を見ていると聖霊降臨直前の場面から始まり、まさに聖霊が注がれるその場面とその後の聖ペトロらの行動を描いています。「美しの門」のところで施しを乞うていた人の足を癒す場面、そこでユダヤ教の指導者らに捕縛される場面、最後は冒頭の「高間(The  Upper Room)」に戻ってペトロらが一同と「主の祈り」を唱和して全曲を閉じています。なお、歌詞の中に聖パウロは全く出てきませんが、構想にあった三部作の三つ目、最後の審判を扱う作品には出てきたのではないかと想像されます。
15 4月

マーラー交響曲第6番 ハイティンク、ACO/1969年

190415マーラー 交響曲 第6番 イ短調

ベルナルト・ハイティンク 指揮
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

(1969年2月 アムステルダム,コンセルトヘボウ 録音 DECCA/旧PHILIPS

190415a このところの風雨で桜もかなり散ってしまいました。四月も半分が過ぎて統一地方選挙の後半になり、地元では市会議員選挙があります。それで新聞に混ざって議員の活動報告のような印刷物がいくつか入っていて、その中で天ケ瀬ダムの天蓋に亀裂が入った写真が目に付きました。写真ではダムの頂上、人が歩ける通路部分に亀裂が入っていますが、それがどれくらいの深さなのか、アスファルトなんかの表面的な亀裂なのか詳しく読まなかったので分かりません。なんにしても昭和39年に完成したダムなので色々なインフラと同様に老朽化の問題はあり、やっぱり増税もやむなしとは思わないまでも令和も厳しい時代だと思いました。

ハイティンク・ACO/1969年
①22分00②13分10③15分37④29分30計80分17
バーンスタイン・NYPO/1967年
①21分23②12分20③15分15④28分42計77分40
クーベリック・バイエルン/1968年
①21分07②11分44③14分40④26分35計74分06
ショルティ・CSO/1970年
①21分06②12分33③15分30④27分40計76分49

 元号が変わるまでの間に過去記事で扱ったマーラー全集の残りを記事化しなければいけないような気になって、バーンスタインやマゼールのマーラーを何度か聴いていると、このハイティンク初回録音の第6番は何ともすっきりし過ぎて、マーラーという名前から暗に期待している混沌やら分裂?といったものから遠いところにあるという印象です。速目のテンポで滞りなく進み、第1楽章なんかは社会主義リアリズム的な行進です。

 聴いていると演奏時間は短い部類だろうと思ったら、同年代の録音の中では一番長い合計時間になっています。第1楽章では主題呈示部を省略するかどうかの問題があるようですが(HMVのサイト、ハイティンクの同曲他の録音のところで例示してある)、上記の四種の第1楽章は1分以内の差になっています。ちなみにハイティンクが1989年にベルリン・フィルとセッション録音したものは合計で約83分になっています。

 こういう演奏時間の数字以上にはやく、短く感じられるという例は時々あり、マーラーの場合は評判の良いタイプではないことが多そうです。ハイティンクの初回全集(といっても結局全集完結したのはACOとの1960年代からの録音のみ)も各曲のナンバーワンとかそれに準ずるくらいの絶賛になったのは無かったのではないかと思います。それでも第6番については第1楽章から第4楽章まで通して、連続で聴き易いという妙な引力、魅力があり(この点はショルティ以上か?)、これは何によるのだろうとあらためて思いました。もっとも連続して聴いても交響曲としての統一感とか、何を現そうとした作品なのかについてはあまりすっきりしないことは変わりありませんでした(クレンペラーが「理解できない」と評したのももっともなことか...)。
12 4月

マーラー交響曲第3番 ルートヴィヒ、バーンスタイン/1987年

190412aマーラー 交響曲第3番ニ短調

レナード・バーンスタイン 指揮
ニューヨーク・フィルハーモニック
ニューヨーク・コラール・アーティスツ(合唱指揮ヨセフ・フルマーフェルト)
ブルックリン少年合唱団(合唱指揮ジェイムズ・マッカーシー)

クリスタ・ルートヴィヒ(A)

(1987年11月 ニューヨーク,エイヴリー・フィッシャー・ホール 録音 DG)

190412b ここ何日か関東のように雪こそ降らなかったものの肌寒い日が続き、桜の花もまだ散らずに残っているところがあります。お昼前にJRの稲荷駅で降りて京阪の伏見稲荷駅まで歩いたところ、駅から伏見稲荷大社までの間に観光客があふれていました。ほぼ全員が外国人らしくて駅のトイレに入ったときは妙に落ち着かない気分でした。込み具合は嵐山界隈に匹敵して、初詣以外でここにこれだけ人が集まるというのは昭和の感覚からすれば異常です。京阪に近い方でラーメン屋に入ったら長野県から来た修学旅行生の班が陣取っていて(タクシー・ドライバーが引率している)、日本語が飛び交っているのでほっとしました。

 先日の1960年代の録音に続いてバーンスタインが同じくニューヨーク・フィルと1987年に録音したマーラーの第3番です。レコ芸の企画「名曲名盤500」の集計された冊子、2017年6月1日発行版によるとマーラー第3番の第1位がこの録音になっています。一方、先日バーンスタインの旧録音の回でネット上の評判が無いかと探したら、第3番は旧録音の方が良いという声もありました。演奏時間をながめてみると第5楽章以外は旧録音よりも少しずつ長くなり、合計で2分半以上長くなっています。

バーンスタイン、ニューヨーク/1987年
①34分52②10分46③18分32④6分32⑤4分07⑥27分54 計101分43
バーンスタイン、ニューヨーク/1961年
①33分16②10分05③17分34④8分48⑤4分09⑥25分09 計99分06
ショルティLSO/1968年
①32分53②10分12③17分21④9分37⑤4分12⑥19分14 計93分29
ショルティCSO/1982年
①30分45②09分48③16分50④9分58⑤4分12⑥20分44 計92分17

 しかし新旧の録音で四半世紀も隔たっているので音質がかなり違い、どっちがどうとか言えない内容です。これくらい長大で複雑な作品なのでそんなものだろうと言いきかせています。しかし、この再録音を久しぶりに聴いた最初の印象は、一瞬第6番の「悲劇的」というタイトルが浮かぶくらいで第3番らしくない気がしました。それを思うと「旧録音の方がいい」という声もなるほどと思います。しかし1987年の再録音の方が精緻というか、例えば彫刻の表面にある傷、へこみ等に光があてられたような、そんな丁寧な印象です。

 上記の「名曲名盤500」について、第2位はアバド、ベルリンPO/1999年録音、第3位はヤンソンスとロイヤル・コンセルトヘボウ/2010年録音でした。バーンスタインの旧録音は6種類ある第12位(1p獲得)の内の一つです。マーラーの第3番も多数の録音があるのでこの企画で候補にリストアップされていない可能性もあるので、古い割に旧録音の方も存在感があるものです。
11 4月

シベリウス交響曲第6番 アシュケナージ、ストックホルム/2006年

190410シベリウス 交響曲第6番 ニ短調 Op.104

ヴラディーミル・アシュケナージ 指揮
ロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団

(2006年4月25-29日,2007年1月30-2月3日 ストックホルム・コンサートホール 録音 EXTON)

 先日の朝に車中でAMラジオから紙幣のデザインが変わるというニュースになり、長州の維新志士とか乃木、東郷の両元帥の肖像が入るのかと思ったら
(発想が単純)そうではありませんでした。そういえば昭和後半の紙幣、一万円と五千円札が聖徳太子、千円が伊藤博文、五百円が岩倉具視だったのを思い出しました。平成に入って勤め出して以降は口座から振込、ネットバンキングを使う頻度が上がったので消費税もあって硬貨の方が身近な気がします(それは生活水準にもよるか)。それにしても渋沢栄一で反発を招いているような昨今の極東情勢からして、伊藤博文の肖像が紙幣のデザインに復活していたら、もっとざわついたかもしれないと思いました。

 アシュケナージ(Vladimir Davidovich Ashkenazy 1937年7月6日 - )
がNHK交響楽団の音楽監督を務めたのが2004年から2007年でしたが、そのシーズン末期くらいにスウェーデンのロイヤル・ストックホルムPOとシベリウスの交響曲、管弦楽作品の録音をはじめました。ベートーヴェン、チャイコフスキーはN響と録音したのにシベリウスはそうではなく(レーベルは日本のオクタヴィア・レコードなのに)北欧のオーケストラと共演ということになりました。新譜当時はどんな評判だったか今一つ覚えがありませんが、交響曲第6番はステーンマハル(アルペンスキー選手のステンマルクと紛らわしい)に献呈されたくらいなのでスェーデンのオーケストラも本場ものに含まれるはずです。

アシュケナージ・ストックホルム/2006年
①9分04②5分22③3分37④09分01 計27分04
リントゥ・FIRSO/2015年
①9分42②6分27③3分38④11分11 計30分58
ベルグルンド・ECO/1995年
①7分54②6分09③4分10④10分04 計28分17
ベルグルンド・ヘルシンキPO/1986年
①8分14②5分31③3分55④11分12 計28分52

 実際に聴いてみると速目と思われる演奏時間を忘れさせる豊かな響きに包まれる感じで、作品解説にある俗世と隔絶とか浮世離れしたという印象はかなり薄いと思いました。二十年以上前に完成した交響曲第2番を意識させられ、昔ベルグルンドとヘルシンキPOのCDで初めてこの曲を聴いた時の感覚(第5番までとは別世界)とはかなり違っていました。これは再生環境が違うこととSACDであることも影響があるかもしれません。マルチ・チャンネルの方はある程度音量を上げるとサラウンド側の効果を意識できますが、やっぱり2チャンネルの方が分かりやすいというか、直接的だと思いました。

 振り返るとアシュケナージは指揮者として活動し出した初期にもフィルハーモニア管弦楽団とシベリウスの交響曲を録音していたので、コリン・デイヴィスや北欧系のシベリウスをレパートリーにする指揮者と同じく複数回の全集録音者だったわけです。その割には「アシュケナージ=シベリウス指揮者」とすぐには連想し難くかったなあと思います(シベリウスに限らず~指揮者という具合にめだまのレパートリーを意識し難い)。
9 4月

ワルキューレ ツァグロゼク、シュトゥットガルト/2002年

190409ワーグナー 楽劇・ニーベルングの指環「ワルキューレ」

ローター・ツァグロゼク 指揮
シュトゥットガルト州立管弦楽団

ジークムント:ロバート・ギャンビル
フンディング:アッティラ・ユン
ヴォータン:ヤン=ヘンドリク・ロータリング
ジークリンデ:アンゲラ・デノケ
ブリュンヒルデ:レナーテ・ベーレ
フリッカ:ティチーナ・ヴォーン
ゲルヒルデ:エファ=マリア・ウェストブロック、他

演出:クリストフ・ネル

(2002年9月29日、2003年1月2日 収録 Euroarts)

190409a 先月のジークフリートに続きシュトゥットガルト州立劇場で2002年から2003年のシーズンに上演された指環四部作からワルキューレです。四作品ごとに違う演出者が受け持つという企画でありながら、これまでの二作品を観たところでは舞台を現代社会に置き換える(そう見える)点は共通しています。ツァグロゼクのプロフィールには彼の指揮した指環は本家のバイロイトより高評価というコメントが見られ、それは演出も含めてのことか、
当時のバイロイト音楽祭の指環は2001年から2004年までがアダム・フィッシャー指揮でしたが、バイロイトはそんなに不評だったかとちょっと不思議に思いました。

190409b 第一幕は都心の邸宅かマンションのダイニングにジークムントが迷い込んで来る、フンディングはテロ組織か軍閥の幹部のような服装なのに対してジークリンデは上流階級の夫人といった雰囲気なので全体的に威厳を保っています。第二幕で登場するヴォータンとフリッカは後者の地位、権威が強すぎるように見え、フリッカがヴォータンの頭をはっている場面はどうもいただけないところです。それからブリュンヒルデのメイクや衣装の加減から正妻のフリッカに対してブリュンヒルデが愛人のように見え、ここで一段と格が下がった気がします。第二幕第5場、ジークムントの最期はフンディングとジークムントが相対しているところはヴォータンが並び、それが同じ高さに立っているのが象徴的です。それに舞台正面にあるディスプレイの画面のようなところに人形が戦っている映像が出され、その下で登場人物が居るという構図です。そしてヴォータンがジークムントの肩をだいて因果を含めて納得させ、ジークムントを羽交い絞めにしてフンディングに討たせるような演出は、極道映画(組のために死んでくれ、そのかわりフンディングのタマもとったる)のような感じです。ここまでの映像は神々という超越的なものをほとんど感じさせないのは見事です。

 第三幕は多目的ホールか映画館のようなところが舞台になり、ステージ下に刑事ドラマの取り調べ室のような小さなテーブルと椅子が置かれ、さらに小さなスタンドまで置いてあるのでヴェリズモ・オペラ的な光景です。ヴォータンは先にテーブルのところへ来て大きな音をたててテーブルを叩くところは威嚇的な取り調べ(出前の丼をたのむような穏やかさは皆無)のようです。しかし、最後までブリュンヒルデはそのヴォータンがいるテーブルには着席しないでステージ上にあるもう一つのテーブルに座ったままで終わっています。こういう演出の場合、ノートゥングの扱いが難しくて、全く剣を視覚化しないわけにはいかず、どう描いても大きな剣がういて見えます。それにフィナーレの炎も同様ですが、ここではヴォータンが用意したキャンドルにブリュンヒルデが火をつけて、自分のテーブル上に置くということになっています。

 こういう映像、演出とは別に音楽、演奏自体は立派で、特に
オーケストラジークフリートよりも良かったと思いました。歌手の中ではジークリンデのアンゲラ・デノケ(ラトル、ベルリンPOの「フィデリオ」のEMI盤でレオノーレを歌っていた)が歌唱だけでなく外見もかなり際立っていました。それからブリュンヒルデのレナーテ・ベーレも特に第三幕が素晴らしいと思いました(ここで初めて聴いたと思ったら、ギーレンのベートーヴェン全集二度目の第九でソプラノを歌っていた)。最初の「バイロイト以上」という評についてですが、少なくともワルキューレは音楽だけなら本家に負けないくらいと言えるかもしれないと思いました。実際終演後の拍手は盛大で、ブーイングのようなものは入っていません。
8 4月

マーラー交響曲第9番 ヤンソンス、バイエルンRSO/2016年

190408マーラー 交響曲 第9番 ニ長調

マリス・ヤンソンス 指揮
バイエルン放送交響楽団

(2016年10月20,21日 ミュンヘン,ガスタイク・フィルハーモニー ライヴ録音 Br Klassik)

 この一週間、地方選挙と桜、新元号の喧騒と寒い朝で明け暮れていました。元号については同じ元号であっても現在の天皇陛下が発表されていたなら印象は違っていただろうと言われてなるほどと思いました。色々と裏話が漏れてくるにつけ、余計にそう思いました(語感的、漢字そのものでは「万和」が良かったと思った)。選挙についてはとばして、桜の隠れた名所、知る人ぞ知るというのは各地にあるはずですが、案外知らないところもありました。土曜の朝ニテレビを点けたら「法金剛院」境内のしだれ桜(待賢門院桜
)が紹介されていました。JR花園駅に近いそこは何度も前を通ったことはある(近所の天一とか飲食店は時々利用した)のに、そのしだれ桜は全然知りませんでした。たしかにTV番組で取材するだけのことはあると思いました。

 このマーラー第9番はヤンソンスとバイエルンRSOが来日する少し前に本拠地の公演で録音したもので、日本仕様だけにSACD版がありました。これも何度なく再生していながらコメントし難いと思って後回しにしていました。それからヤンソンスはロイヤル・コンセルトヘボウともマーラーを録音していて、そっちの方が第9番を残すのみとなっているので、それを完成させてからバイエルンの方にかかればと、勝手ながら思いました。

 日本語の帯びには「誰もが共感するテンポ設定」と書いてあり、滅多に書かないフレーズなので目にとまりました。確かに第1、4楽章は感銘深くてそう書かれても異論はないと思いましたが、中間の第2、3楽章はどうかと思いました。もともとこの曲はよほどのことが無い限り魅力的だと思いますが、曲全体ではどういう内容なのかとか何を現そうとしているのかとなると、中間の二つの楽章が特に気になってきます。今世紀に入ってからの下記の五種の中ではギーレン(映像)を特に気に入っており、第2楽章が長目の演奏時間になっているのが目立ちます。

ヤンソンス・バイエルン/2016年
①28分01②15分45③13分48④23分11 計80分45
シュテンツ・2013年
①26分48②14分51③12分36④23分53 計78分08
ジンマン・チューリヒ/2009年
①30分53②15分50③13分37④28分46 計89分06
マーツァル・チェコPO・2007年
①28分04②15分19③13分07④26分13 計82分43
ギーレン・SWR/2003年6月30日・映像
①29分05②17分48③14分42④22分30 計84分05

 このヤンソンスとバイエルンRSOは、ブルックナー作品を演奏した場合と同じような響きに聴こえて、無色透明にして限りなく無香気に近い、そんなことを思わせる内容です。それでも終楽章は機械的で退屈なということは全く無くて、最後の交響曲、告別と言う寂しさだけでなくどこか明るく暖かい空気を感じさせます。これは音質の加減なのか、終楽章は「誰もが共感する」という評に全くふさわしいと思いました。
5 4月

マーラー交響曲第3番 バーンスタイン、ニューヨークPO/1961年

190404マーラー 交響曲 第3番 ニ短調

レナード・バーンスタイン 指揮
ニューヨーク・フィルハーモニック
スコラ・カントルム女声合唱団(合唱指揮ヒュー・ロス)
トランスフィギュレーション教会少年合唱団(合唱指揮スチュアート・ガードナー)

マーサ・リプトン:Ms

ジョン・コリリアーノ:オルガン
ジョン・ウェアー:ポストホルン

(1961年4月3日  ニューヨーク,リンカーンセンター,フィルハーモニックホール 録音 ソニーミュージック)

 先日、祇園の白川、巽橋あたりで桜を見て帰ろうということになったのに、先導の人間が場所を勘違いして見ずに終わりましたが、あきらめないで引き返して見にいった人から翌日聴くと八分咲くらいだったそうでした。それだけ桜が開花しているのに朝は車のフロントガラスに霜が貼り付くほど冷え込んでいました。ここ二十年くらいで四月に入ってそこまでの霜があったのは記憶にありません。その分花の見ごろは後へずれ込むかもしれず、なんだかんだと言いながらやっぱり満開の桜は周りが人込みでもいいものだと思います。

 先月くらいからの流れで初期のマーラー全集から、バーンスタインの旧全集の交響曲第3番です。中学生の頃には旧全集の第1番だけ購入出来てカセットに録音する(レコードに傷が付かないように、どうせLPプレーヤーをSONY・大型ラジカセにつないで聴いていたから)まではしなかったものの、度々聴いていて、その影響でバーンスタイン、マーラー、ニューヨークフィルという三点セットのような刷り込みがありました。その感覚からすれば第3番はちょっと路線が違うようで、複雑な曇天といった内容です。録音時期が近いショルティの旧録音と比べて終楽章の演奏時間がかなり違っています。今回改めて聴いていると終楽章でこんなに時間が違うということに思いあたらず、それだけこの録音が自然というか必然的に感じられたのだと思います(というか、もう分からなくなってくる)。

バーンスタイン、ニューヨーク/1961年
①33分16②10分05③17分34④8分48⑤4分09⑥25分09 計99分06
ショルティLSO/1968年
①32分53②10分12③17分21④9分37⑤4分12⑥19分14 計93分29
ショルティCSO/1982年
①30分45②09分48③16分50④9分58⑤4分12⑥20分44 計92分17

 マーラーの交響曲第3番のレコードで、1970年録音のホーレンシュタインとロンドン交響楽団によるものは国内盤でも出ていました。その中で4チャンネルの特別の仕様があったそうで、それに対応するシステムで再生すれば少年合唱なんかは後方(スピーカーを後方にも一組設置するらしい)からきこえるという仕組みだったようです。その4チャンネル方式は普及せずに消滅したようですが、現代の5.1chとかのマルチチャンネルなら同様の効果が得られるはずです。このバーンスタインとニューヨークPOのSACDはLPの新譜当初はそういうシステムはありませんでしたが、国内盤のSACDハイブリッド仕様で出た際にはマルチチャンネル層もあるのでサラウンド・スピーカーから出る音にも注意していました。

 SACDでもマルチチャンネルで再生する場合、通常はAVアンプ(ハイエンド機器にはセパレートもある)になり、エントリーのミドルくらいのモデルは一体型になり、音質はステレオ・2チャンネルとは比較にならないとというところですが、それでも最初の設定メニュー(附属のマイクをつないで計測しているよう)を実行するとサラウンド側から出る音は反射して空間に広がるような響きにきこえています。このバーンスタイン旧録音の場合は少し印象が変わり、カドがとれて力任せ的でないタイプに聴こえます。
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昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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