raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

2019年03月

30 3月

キャロル・ファーリー カプリッチョ、ダフネのフィナーレ

190329aリヒャルト・シュトラウス
歌劇「カプリッチョ」Op.85から月光の音楽の以降
歌劇「ダフネ」Op.82からフィナーレ

キャロル・ファーリー:ソプラノ

ホセ・セレブリエール 指揮
RTBF新交響楽団(Nouvel Orchestre Symphonique de la RTBF)

(1984か85年くらい ブリュッセル,ベルギー・フランス語放送局 録音 chandos)

 R.シュトラウスのオペラ、「カプリッチョ」や「アラベラ」は抜粋して録音されることがありましたが、このLPはカプリッチョとダフネのそれぞれ終わりの部分、ソプラノのマドレーヌ(カプリッチョ)とダフネの独唱部分を録音しています。カプリッチョはオーケストラによる「月光の音楽」から始めて、マドレーヌの “ Wo ist mein bruder ? ” という質問と執事の返答はカットして、それ以後から収録しています。その質問する一行の部分も麗しい気がしますが男声は参加していないので仕方ないところです。

190329c さて、このLPレコードはオーケストラ名、歌手名も記憶になくて、かろうじて指揮者だけが過去記事で一度あつかったことがある人物でした。しかしあくまでメインはアメリカのソプラノ歌手、キャロル・ファーリー(Carole Farley 1946年11月29日 アイオワ州,ル・マーズ -)の方でした。ファーリーはベルクのルルやヴォツェックで好評を得ていて、現在名前を検索にかけるとドラティのベートーヴェン交響曲全集が挙がってきます。彼女は指揮者、作曲家のセレブリエール(José Serebrier 1938年12月3日 - )と1969年に結婚していたので夫妻共演のレコーディングでした。実際に聴いてみるとダフネの方が安定した歌唱なのに対してカプリッチョの方は高音部分でやや苦し気なところもありました。しかし声質が面白くて、未亡人のマドレーヌという役、設定からしてぴったり来る感じです。どこかしら古い世代の録音のソプラノ、もう少し軽妙な声、シュトライヒとかを一瞬思い出すような歌声で、強く発声するところではやっぱり違うと我にかえり、魅力的なマドレーヌでした。

 セレブリエールはウィキにプロフィールによると、ウルグアイ出身、11歳で同国初のユース・オーケストラを編成して四年間に百回くらい公演したとあり、1956年にカーティス音楽院に留学しています。作曲の師はコープランド、指揮の方はドラティ、モントゥー、それからストコフスキーには両方の分野で認められ、影響を受けています。オーケストラの方はnaxosのリストにはフランス新放送フィルと表記されていますが、レコードに記載された綴りから、1991年に解散したベルギーのフランス語放送のオーケストラのようです。1935年にベルギーの国立放送協会が発足させた団体が前身であり、1977年にフランス語放送局とオランダ語放送局が分離した際に、フランス語放送局側のオーケストラとして誕生しました。レコードジャケットの表記には Nouvel  とあるのでその際に新交響楽団となったのかもしれません。この録音の演奏では微妙な印象で、サヴァリッシュとミュンヘン・オペラとかの凄さを思い出していましました。

 実はこのLP、スラダン(「スラムダンク」高校バスケットを舞台にした週刊少年ジャンプに連載された1990年代の漫画)のひげ店長が花道にバッシュを進呈したように自分が個人的に頂いたもので、シュトラウスのオペラではアラベラとカプリッチョが好きだという話から、「月光の音楽」から最後までが特別と言ったところ、こういうのがあるよと出してこられたものでした。最初に再生した時は高音部がちゃんと再生できるか気にしていたら、気温が上がったおかげか、ターンテーブルのシートを交換したためかソプラノの高音部分で音がビリつく症状は無くなりました。
29 3月

マーラー交響曲第5番 アバド、ベルリンPO/1993年

190329マーラー 交響曲 第5番 嬰変ハ短調 

クラウディオ・アバド 指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(1993年5月1日 ベルリン,フィルハーモニー ライヴ録音 DG)

 三月も残り少なくなってプロ野球のシーズンも開幕します。
多少の寒暖の入れ替わりがあってもストーブ用の灯油も買い足す必要も無さそうです。寒さと言えば意外なところで影響があるものだと最近分かりました。年末からLPレコードも聴くようになり、R.シュトラウスの「アラベラ」を聴いていた一月頃、ソプラノの高音の箇所で音がビリビリ震えるという症状に気が付きました。針圧調整やら色々繰返し、最終的にターンテーブルに敷くシートをやや厚いものに替えてやっとおさまりました。そのことをLPを買った店で話していると、寒い時、再生している部屋が10℃以下になるとカートリッジの中のカンチレバーにも影響が出ると教えてもらい、その場合は針圧を強め(適正から最大20%まで可)にすれば解消されると言われました。実際当初はその逆のことをしていたのでなるほどと思い、それ以外では針先のホコリの影響も大きいとのことでした。

 さて、アバドのマーラー第5番、このベルリンPOとの方が出た頃には既にCDに切り替えており、クレンペラーや宗教曲以外でLPを購入することは無くなっていました。アバドのマーラーでもシカゴ交響楽団との方は第2番をLPで購入してかなり強い印象を受けていたことを思い出します。アバドは第5番もシカゴ交響楽団と既に録音していたのでこれは再録音ということになります。

アバド・BPO/1993年ライヴ
①12分36②14分46③17分26④09分01⑤15分18 計69分07
アバド・CSO/1980年
①12分54②15分10③17分33④11分55⑤14分41 計72分13

 改めてこれを聴いていると最後まで柔和で、羽毛が床に落ちるくらいの感触を思わせられ、打撃とか攻撃という言葉と縁遠い美しさに感心しました。シカゴSOとの方はこんな感じだったかよく覚えていませんが、第2番はもっと尖って激しい内容だったはずなので、ベルリン・フィルの芸術監督に就任してしばらくたった1993年頃のアバドはこんな感じだったかと感慨深くその年代のことを思い出していました。第4楽章のアダージェットは旧録音の方が3分近く長いのにこういう印象はどこから来るのかと思います。

 CDによるアバドのマーラー全集となると、1970年代末から開始したシカゴSOとウィーン・フィルの期間がメインになるはずですが、ベルリン・フィルとは1999年以降2005年までライヴ録音で第4、第6~7、第9番があり、ルツェルン祝祭Oとも映像ソフトもあり、「アバドのマーラー」と言っても複雑です。とりあえずこの第5番はマーラーに対するややこしい事柄とは別に、穏やかに美しさを志向した内容だと思いました。
26 3月

ジークフリート ツァグロゼク、シュトゥットガルト/2002年

190326bワーグナー楽劇・ニーベルングの指環「ジークフリート」

ローター・ツァグロゼク 指揮
シュトゥットガルト州立管弦楽団

ジークフリート:ジョン・フレドリック・ウェスト
ミーメ:ハインツ・ゲーリヒ
さすらい人:ウォルフガング・シェーネ
アルベリヒ:ビョルン・ワーク
ファフナー:アッティラ・ユン
エルダ:ヘレーン・ラナーダ
ブリュンヒルデ:リサ・ガステーン
森の鳥:ガブリエラ・ヘレラ

演出:ヨッシ・ヴィーラー、セルジオ・モラビト

(2002年10月1日,2003年1月5日 シュトゥットガルト州立歌劇場 収録 Euroarts)

190326 残念ながら観に行けなかったびわ湖ホールのジークフリートの直前に、ややこしいタイプの演出によるジークフリートを視聴しようと思って何年か前にブルーレイ化されたシュトゥットガルト州立歌劇場(他にもシュターツと称する劇場があり、中には国立と表記するのにシュトゥットガルトは州立になっている)の指環からジークフリートを視聴しました。今から15年以上前の上演にして最初はDVDで出ていたようです。四作品のそれぞれが違う演出家によるというのが注目の一つでした。現代の都市生活によみかえた演出になり、第三幕、ブリュンヒルデが目覚める場面は、夜勤帰りのおやっさんと起き掛けの嫁はんに見えかねないもので、神話的、英雄的な効果を徹底的に抜き切った映像になっています。カラーで見ればもう少し見栄えはしますが、三幕を通してこういう感じなので今さらながら徹底ぶりに感心します。

190326a シュトゥットガルトの指環はNAXOSからCDも出ていたはずで、それと全く同じ音源なのかは未確認です。映像、演出とは裏腹に特に声楽の方は立派なので、故(涙)ドナルド・キーン氏がこの手の演出に対して言った、舞台を観ずに音楽だけを聴けば、印象が変わるのではと思いました。ブリュンヒルデのガステーンは声質もエヴァ・マルトンに少し似ている感じで堂々としています。ジークフリートのフレドリック・ウェストも最後まで声量も保ってブリュンヒルデに負けていません。ただ、ジークフリートの衣装、ファーフナーを刺殺した血を浴びたTシャツ、これがちょっと何とかならないかと思いました。あと、アルベリヒの声がちょっと軽く、若々しいので善人ぽく聴こえて新鮮?でした。

 オーケストラの方は普通、というのかマイクが遠目なのか、何とも言い難い印象でした。それより演出、衣装の方に注意がいってしまい、演奏は気になるような違和感は無いといったところかもしれません。第一幕はアパートのキッチンが舞台で紙パックのミルクか何かをジークフリートがぶちまけたり、全く美しくない光景です。第二幕は刑務所か軍の基地のようで、金網のフェンスの隙間から出入りできるという雑な構造で、ファーフナーはそこに収監されてる大物囚人か、そこを根城にするボスといった服装でした。森の鳥が青白い少年の姿をしていました(医療少年院を連想させられる)。第三幕はダブルベッドのあるホテルの居室、くらいの作りです。ガウンを羽織ったネグリジェ姿のブリュンヒルデにおどおどするジークフリート、二重唱の合間に歯磨きするブリュンヒルデ、なんかデリヘルでも呼んだ浪人生のような矮小さで迫ってきます。しかし、意外に最後の二重唱の所は退屈しないのは二人の歌唱だけでなく、所作、演技も効いているのだろうと思いました。

 さすらい人(ヴォータン)が革ジャンを着て野球帽をかぶっているのも同様の効果で、こうなるとルーネ文字による契約を刻んだ槍、ノートゥングという重要な道具が思いっきり浮いてきますが、それもあまり気にならないのは不思議な映像の力だと思いました。あと、エルダが居るのが病院のリネン室か映画館の道具部屋のような空間だったので、本当によく統一されています。実のところこれを最初に観た時はなかなか集中して観られずに、ちょっと見ては止めて、しばらくしてまた続きを、という具合でした。二度目になると何となくテーマ、世界観・全体像のようなものがおぼろげに感じられて連続して視聴できました。よく、ある演出についてファースト・チョイスには向かないとかそんな評がありますが、これこそが正しくそれに当たるだろうと思いました。
25 3月

ドニゼッティ「愛の妙薬」 ポップ、ミュンヘンRO/1981年

190325ドニゼッティ  歌劇「愛の妙薬」

ハインツ・ワルベルク 指揮
ミュンヘン放送管弦楽団
バイエルン放送合唱団

アディーナ:ルチア・ポップ(S)
ネモリーノ:ペテル・ドヴォルスキー(T)
ベルコーレ:ベルント・ヴァイクル(Br)
ドゥルカマーラ博士:エフゲニー・ネステレンコ(Bs)
ジャンネッタ:エルフィー・ホバート(S)

(1981年3月31日-4月6日 ミュンヘン 録音 Columbia)

 これはルチア・ポップがドイツ語ではなく原語で歌ったイタリア・オペラの全曲盤の一つで、国内盤でも何度か再発売されていました。昨年11月の命日、誕生日にあわせて扱うつもりで聴いていたものの、どうも作品自体が今一つに感じられて、初めて聴いた時の新鮮さが失せてしまっていました。これは全くの主観、それ以前の気分といったところで、気を取り直してポップの歌唱だけでも堪能しようかと思って再度聴きました。といってもこのオペラで一番有名なのはテノールの「ひと知れぬ涙」、難しいとされる役はそれを歌うネモリーノと狂言回し的なバス、ドゥルカマーラでした。

 それら男声の役はこの録音で成功しているのかどうかよく分かりませんが、とりあえずテノールのドヴォルスキーの美声にはかなり惹かれました。附属冊子の解説によるとネモリーノは歌唱が難しいだけでなく、「純朴な」田舎の青年の「純真な愛情」を訴えねばならないとあり、歌い出しからして難しいとされています。このネモリーノの「人知れぬ涙」は昔、TVの「題名のない音楽会(黛敏郎)」で曲名を会場の客席の人に当ててもらう企画の時にも出てきました(ターララッ のところで分かる)。

 肝心のルチア・ポップはちょうどあぶら、否、円熟の域に差し掛かってきたというのかウィーン国立歌劇場の来日公演でスザンナを歌ってから半年くらいの頃で、輝くような張りがある声です。附属冊子の解説には、芸域の広さで抜群、「粘着力のある歌唱」と「軽妙な唱法」を見事に生かし、美人らしくツンと澄ましたアディーナの役柄にふさわしいと評されています(美人らしく澄ました、というのは役柄のことか)。この録音はスタジオ録音ですがパッケージに使われている写真からして同時期にこのキャストで公演もあったのでしょう、来日公演のスザンナよりもほっそりして見えます(角度の加減か?)。

 なお、
ドニゼッティ(Gaetano Donizetti 1797年11月29日 - 1848年4月8日)は生涯に75曲のオペラを作り、「愛の妙薬」は35曲目にあたる喜劇作品でした。有名なアリア、「人知れぬ涙」はこれを作品に入れるかどうかで作曲者と台本作者のフェリーチェ・ロマーニの間で争いがあったそうです。ドニゼッティのオペラなら「ランメルモールのルチア」がまず思い当たり、このオペラと同じ作者と思い難い感じがし、そんなに多作だったことやシューベルトと同じ年の生まれだったことも含めて知らないことが多い作曲家なのを再認識しました。
23 3月

マーラー交響曲第5番 小澤征爾、ボストンSO/1990年

190323aマーラー 交響曲 第5番 嬰変ハ短調 

小澤征爾 指揮
ボストン交響楽団

(1990年10月13-16日 ボストン,シンフォニーホール ライヴ録音 ユニバーサル/PHILIPS)

190323  最近TVのCMに金貨の形をした帽子をかぶったキャラが出ているのを見て、どこかで見たことがあると思ったら「ゼニクレージー」という名前が出て、昔放映された特撮もの「コンドールマン」の悪役キャラクターだったのを思い出しました。たしかレインボーマンに続くシリーズで、世相を反映して公害、食料等のネタを織り込んで喜劇的テイストも強い内容でした。ゼニクレイジーのほか、ゴミゴン、バーベQというのも名前だけは覚えています。当時はベタなデザインにネーミングだと思いましたが、21世紀にして次の元号をひかえた今見ても十分説得力のあるキャラでした。卒業式のシーズンで自分の時はどうだったかと振り返ってもほとんど覚えていないのに、しょうもないことはそこそこ記憶に残っているものです。

交響曲 第5番 嬰ハ短調
1楽章:In gemessenem Schritt. Streng. Wie ein Kondukt. 
    (正確な速さで。厳粛に。葬列のように。)
2楽章:Stürmisch bewegt. Mit grösster Vehemenz. 
    (嵐のように荒々しく動きをもって。最大の激烈さを持って。)
3楽章:Scherzo.Kräftig, nicht zu schnell.
    (力強く、速すぎずに。)
4楽章:Adagietto. Sehr langsam.
    (非常に遅く。)
5楽章:Rondo-Finale. Allegro giocoso. 
   (快速に、楽しげに。)

 マーラーの交響曲第5番はクレンペラーが録音を残していないのに早くからCDを何種類か買っていました。それにコンサートで聴く機会も何度かありました。五つの楽章の中では第2、第5楽章が特に好きで、第2楽章は「嵐のように荒々しく」というのを地で行く演奏を期待してしまうので、実際に演奏を聴くとどれも物足らない(そこだけは)ような気になってしまいます。
そう思うからには何らかの機会に本当に嵐のように荒々しいものを聴いたのかもしれませんが、今となってはよく分かりません。

小澤・ボストン/1985
①12分50②14分54③17分47④11分56⑤14分58 計72分27
テンシュテット・LPO/1988年・ライヴ
①13分38②15分25③18分05④11分21⑤14分52 計73分21
バーンスタイン・VPO/1987
①14分35②15分05③19分05④11分16⑤15分02 計75分03
アバド・CSO/1980年
①12分54②15分10③17分33④11分55⑤14分41 計72分13
レヴァイン・CSO/1977年
①12分56②14分50③17分34④12分01⑤14分53 計72分14 
ノイマン・チェコPO/1977年
①11分05②13分40③18分35④10分05⑤16分05 計69分30

 小澤征爾とボストンSOのマーラーはセッション録音とライヴ録音を併用していて、第5番はライヴ録音なので演奏終了後の拍手も収録されています(上記のタイムには含まれていない)。かなりの盛り上りですが、演奏時間としては同じくらい合計時間のものがそこそこあり、特に突出していません。それに意外なほどに荒々しい風な演奏ではなくて、じっくりと演奏させていています。第4楽章のアダージェットは「非常に遅く」と言う程でもないので、五つの楽章のバランスがはかられているものだと、この機会に何度か繰り返して聴いて若い小澤征爾の写真を見つつしみじみと思いました。

 アナログ・バランス接続で2チャンネル、ステレオで再生していて、インバルとフランクフルト放送SOの全集の録音、音質、音響の制作が独特だと改めて思いました。マーラーの録音といえばこういう感じというのは今回の小澤。ボストン交響楽団の響きのようなイメージが頭に浮かぶと思いますが、マイク二本を基本にしたインバルの全集は誰も居ない、何も無い空間に音楽発生するような独特な印象なのを改めて思い出しました。
21 3月

マーラー交響曲第2番 インバル、フランクフルトRSO/1985年

190321aマーラー 交響曲 第2番 ハ短調「復活」

エリアフ・インバル 指揮
フランクフルト放送交響楽団
北ドイツ放送合唱団
デイル・ワーランド・シンガーズ

ヘレン・ドナート(S)

ドリス・ゾッフェル(A) 

(1985年3月28,29日 フランクフルト,アルテオーパ 録音 Columbia)

190321b ここ一カ月半くらいはまたたく間に過ぎた感があり、もうすぐ桜が咲くとか新元号が発表されるという実感がまるでありません。彼岸の墓参も済まさずに今日は寝たり起きたりして過ごし、AV(オーディオの意味で年齢制限が付くなにのことじゃない)機器の接続をちょっと変えて、インバルとフランクフルト放送交響楽団らのマーラー第2番をアナログのアンバランス接続で聴きました。普段はマルチチャンネルの再生可能でないソフトでもAVアンプにHDMIケーブル接続で聴いていて、そっちに慣れていたので2チャンネルでヴォリュームを下げているのに大きな音が出てちょっと驚きました。インバル、フランクフルトRSOのマーラーは登場時から音質でもかなり注目されていました。

 手元にある廉価再発売のBOXでも「交響曲第1~3番、第5番はB&K社製録音用マイクロフォン(4006-Pressureタイプ)2本だけによる録音を基本とし、一部に補助マイクロフォンを使用」と注記されています。ちなみに第4番は補助マイクロフォンの使用無しとなっています。このシリーズは新譜時に第5番のCDを購入していて、トラック分けだでなく一つのトラック内に細かいインデックスが付いていて、それに対応しているDENON製のCDプレーヤーでよく聴いていたのを思い出します。

 改めて第2番を聴いてみると、無菌の密閉された空間に演奏だけが発生するような独特の静謐、克明な音質に感心させられます。第1楽章冒頭の稲妻のような弦よりも直後に続く低弦の方が目立つのはクレンペラーのEMI盤を聴いた時の感触を思い出します。というのは初めてこの曲のLPを買ったアバドとシカゴSOが逆というか、出だしのところが低弦に負けないくらい強烈だったのが印象付けられているので、ついそれと比べてしまうからでした。そんな断片的なところに愛着を感じて思い入れを持つのは、自分としてはマーラー作品にはよくあることでした。

 マーラーの交響曲で声楽付きのものでも第3、第4番とかは歌詞にあまり愛着がわかず、なぜこういう歌詞をわざわざと未だに少しは思ってしまいます。第2番の場合はそういう感情はあまりなくて、音楽と歌詞が結びついていると思っていました。しかし、この録音で聴いているとそういう感じ方は単純過ぎるようにも思えてきます。色んな部分が克明に聴こえて、神秘的な印象といのが聴くにつれてどんどん薄まるからで、終楽章でコーラスが歌い出す最初の箇所でも、復活とか理性を超える神秘とは違う、天気の変化のような自然現象を思わせる風情になり、違う感慨があります。独特の冷たい感覚に覆われていて、それにもかかわらず?インバル氏自身の声と思われる呻きか気合のような声が所々できこえてきます。第4楽章までは全く聞かれなかったのは、補助マイクの有無によるのかもしれませんが、渾身の冷静さといったものかもしれません。
20 3月

ドヴォルザーク交響曲第9番 テンシュテット、ベルリンPO/1984年

190320aドヴォルザーク 交響曲 第9番 ホ短調 作品95「新世界より」

クラウス=テンシュテット 指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(1984年3月14-15日 ベルリン,フィルハーモニー 録音 EMI)

 最近連続してマーラーを聴いている中でノイマンとチェコPOの再録音、第4番を聴いているとチェコPOの名前で暗示にかかったのか、ドヴォルザークの音楽とも親和性があると不意に思えてきて、逆にドイツのマーラー指揮者がドヴォルザークを振ったらと考えたところテンシュテットも新世界を録音していたのを思い出しました。かなり久しぶりに聴いてみると、特に第2楽章の情緒が魅力的で、テンシュテット指揮のマーラーへの評に見られるような演奏とは違い、季語なら秋が似合いそうな感じでした。自分の記憶の中ではもっとゴツゴツした感触だったのでかなり意外でした。チェコ・フィルやチェコのオーケストラを地元出身のノイマンらが指揮するドヴォルザークとは違う気がしますが、カラヤン時代のベルリン・フィルとは容易に気が付かないような響きでした。

190320b クラウス・テンシュテット(Klaus Tennstedt 1926年6月6日 - 1998年1月11日
)と言えばマーラーがまず最初に思い付き、それ以外の作曲家でまとまった数の録音をしているのがあttかどうか即座には分かりません。指揮しているオーケストラはロンドン・フィルが圧倒的に多く、ライヴ音源ではシカゴSOや北ドイツRSO、バイエルンRSO、ウィーンPO等もありました。ウィキのテンシュテットの記述には「現代の棒振り機械に対して敢然と戦う存在」というイギリスの音楽評論家の言葉が引用されていますが、テンシュテットがドイツ、オーストリアの超一流オケとの共演、レコーディングが少なかった理由として、その棒振りの癖が強かったのか、分かり難いということもあったようです(CDの評には精緻とか書いてあることがあるのに)。

 そんな中でシューベルトのグレイト、メンデルスゾーンのイタリア交響曲シューマンの交響曲第3、4番、ワーグナーの管弦楽曲集とブルックナーの交響曲第4番、それからこのドヴォルザークの新世界はベルリン・フィルとセッション録音していました。それらは昔レコ芸の裏表紙にEMIの広告が占められていて、そこに何点かは含まれていたのをうっすらと覚えています。ドヴォルザークの交響曲第9番はFMで放送されたのを聴いて好きになり、特に終楽章のコーダ部分が特別の相性だと思いました。

 今回聴いていると別にそこまで特別でもない気がしたので、三十年以上も経てば感じ方も変わるものだと今さらながら思いました。四十分以上ある作品のコーダ部分、一分前後の部分が気に入ったというのも妙な感覚ですが、NHK・FM「きらクラ!」の「ここ好き」に応募してもいいくらいです。ちなみにコーダ部分がどうだというのは言葉では説明し難いものだとしても、弾むように、地面に落ちてべたっと貼りつくような力任せではなく、最後の一音まで弾むような感覚、そんな感じが素晴らしいと思っていて、これも単なる好みで根拠はありませんでした(今はけっこうどうでもよくなっている)。
19 3月

マーラー第9番 クーベリック、バイエルン来日公演/1975年

190319bマーラー 交響曲 第9番 ニ長調

ラファエル・クーベリック 指揮
バイエルン放送交響楽団

(1975年6月4日 東京文化会館 ライヴ録音 Audite/キング)

 昨日、月曜の朝7時前の外気温が2℃だったのに今朝は5℃(もっと高かったかもしれないが忘れた、ボーっと生きてるんじゃ・・・)だったのでかなり暖かく感じられました。昨夜の天気予報では既に桜の開花予想まであって、いきなりかという戸惑いも大いに感じました。ここ十五年くらい、一度平日に吉野山に桜満開の頃行きたいと思いながら終わっています。そこそこ遠いからそっちは無理として、手軽なところで京福北野線、鳴滝駅から宇多野駅間の桜トンネルはタイミングを逃さず見ておきたいところです。

190319a クーベリックのマーラーは今世紀に入る前後くらいから、同じバイエルン放送交響楽団のライヴ録音がCDで出始めて結構評判になっていました。出始めの当時はクーベリックのセッション録音のマーラー自体印象が薄かったのでちょっと気になるものの見送っていました。今回のCDは中古品で見かけたので試しに聴いてみようと思ったものでした。附属の解説によれば、1975年の来日はクーベリックとバイエルンRSOの二度目の来日であり、首席指揮者に就任してから15年が経過した頃だったようです。さらに当初は東京文化会館ではなく、別のホールが予定されていたところをクーベリックがそこをマーラーには不向きだと指摘したので急遽変更になったはず、とも書かれてありました。1975年なら自分も生まれていたもののマーラーのマの字も知らなかったので、東京の公演のことなんて町内で誰も知らないはずです。

クーベリック・バイエルンRSO/1975年
①26分44②16分13③13分21④22分23 計78分41
クーベリック・バイエルンRSO/1967年
①26分00②16分03③13分23④21分44 計77分10
アンチェル・チェコPO/1966年
①26分40②15分06③13分20④23分25 計78分31
ノイマン・チェコPO/1982年
①25分11②15分06③13分25④23分17 計76分59
クレンペラー・NewPO/1967年
①28分13②18分43③15分21④24分17 計86分33
クレンペラー・VPO/1968年
①27分25②17分27③14分11④24分46 計83分49
ショルティ・CSO/1967年頃
①27分00②16分30③13分05④22分50 計79分25 
ハイティンク・ACO/1969年
①27分01②15分56③12分57④24分42 計80分36
レヴァイン・フィラデルフィア/1979年
①29分36②18分02③14分16④29分50 計91分44
テンシュテット・LPO・1979年
①30分44②16分21③12分58④25分31 計85分34

 全曲がCD一枚に収まる演奏時間はセッション録音と大差ありませんが、第2、第3楽章がライヴの方が際立ってると思いました。でも演奏時間はそれらの楽章も大して違っていません。一瞬クレンペラーの各楽章のバランスと似ているかもしれないと思いました。しかし演奏時間としてはそうでもないようです。ただ、一曲の交響曲としての統一感というのか、凝縮されたような魅力は圧倒的でした。自分の中にあったクラシック音楽の作品をあるシーズンに聴きたくなるという体内時計、季語的な趣向では、マーラーの第9番は桜が散ってしまう頃、ほとんど葉桜になった頃が旬(何の根拠もない)でしたが、これを聴いていると幾分冷たい感触もあって、開花前の本当にこの木に満開のはなが咲くのかと思うくらいの季節が似合いそうな気がしました。

 マーラーの本場はどこかと考えると反射的にドイツ語圏のドイツ、オーストリアを思い浮かべるかもしれません。しかしマーラー本人も言ったように、「オーストリア人の間ではボヘミア人、ドイツ人の間ではオーストリア人、世界ではユダヤ人」という面もありました。そんな中でヴァツラフ・ノイマンは、プラハ(チェコ)ではマーラーの音楽に誇りを持って演奏してきたということを言っていました。プラハにはドイツ語の歌劇場がずっとあったわけで、ワルターやツェムリンスキーらがマーラーを演奏し、ターリヒはマーラー作品の音楽祭で指揮をしたという歴史もありました。ノイマンの言葉も率直な気持ちからだろうと思われ、それに例えばウィーンやベルリンでマーラーの音楽について誇りを持って「我々の音楽である」と断言するような感情はどのくらいあっただろうかと思いました。そうするとクーベリックの場合はチェコ側のマーラーか、ドイツ・オーストリア側のマーラーなのか、そこのところはどうなのかと思います。
18 3月

マーラー交響曲第3番 マゼール、ウィーンPO/1985年

190318aマーラー 交響曲 第3番 ニ短調

ロリン・マゼール 指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ウィーン楽友協会女声合唱団
ウィーン国立歌劇場合唱団
ウィーン少年合唱団

アグネス・バルツァ:MS

(1985年4月24-30日 ウィーン,ムジークフェラインザール 録音 Sony)

 先日散髪をしてもらいながらの雑談で新元号の話になり、今回のような生前譲位ならもっと早く発表しても良いのにとか、廃止は難しいとしても使用するところをもっと限定すればとか客の声には色々あると分かり、インタビューのマイクを向けられる場合とは違う声があるものだと思いました。自分の感想としては、運転免許証とか登記簿(全部事項証明書)はせめて西暦と元号を併記すればと思い、元号は叙勲とかそれらしい機会に限定すればと、内心思いつつ、色々言うと日本人同士で「反日」とか言われそうでかないませんと笑って話題を変えました。それにしてもここ数日は朝に冷え込むのでこの季節にこれだけ霜が降りたか?と思うくらいフロントガラスにびっしり貼りついています。

190318b それでマーラーの第3番、この曲にしても第7番にしてもややこしい曲が多いと改めて思いますが、マゼールのマーラーは聴いているとややこしさが一層際立つような気がします。ウィーン・フィルとの全集は過去記事で何曲か扱いながら、その都度何となく感想がまとまらないような、不思議な感触が付いてまわりました。第3番についてはそこそこ明るい曲(その認識がそもそもダメなのかもしれない)だと思っていると、この録音の場合は冒頭から大いに裏切られます。終楽章も何等かの解決が得られたか、それを予兆するような光が差す充足を覚えがちなのが、そうでもない、独特の磨かれ方です。

 マゼールがマーラーを録音していたのはウィーン国立歌劇場の音楽監督時代に重なり(大半の曲が)、外から見ても絶頂期のようなのに、マーラーの録音を聴いているとどうもそんな勢いとか満足感のような、+の覇気、オーラが感じられないのはちょっと意外です。マーラー作品だから当然かもしれないとしても、これを聴く前に第5番も聴いていたので特にそんな気がしました。レコ芸の企画、「名曲名盤500」で別冊化された最新版をめくってみるとマゼールとウィーン・フィルのマーラーは全然リストに挙がっておらず、既に晩年のライヴ盤の方に切り替わっているような状態です。

 録音されてから三十年以上経って聴いていると、各楽章で色々魅力的な部分があって、反復して聴きたくなります(一回聴いて「ああ良いなあ」と思えるタイプじゃない、我々一般の素人には難しいとも言えそう)。「クレンペラーとの対話(P.ヘイワーズ編)白水社」の中に、若い世代は円熟ということを分かっていない、というクレンペラーの嘆きが出てきます。ザルツブルク音楽祭のリハーサル会場に来たクレンペラーは、バルトークの管弦楽のための協奏曲、R.シュトラウスの「四つの最後の歌」とベートーヴェンの交響曲第8番がプルグラムに入っているのに、一番難しいベートーヴェンにほとんど時間を割かなかったある若い指揮者のことに言及しました。オケはベルリン・フィルで、指揮者無しでもベートーヴェンの第8を最後まで演奏する能力があるこのオーケストラ、とも言っているので、その若い指揮者が居て却って、というニュアンスも見てとれます。これはどうもマゼールのことを指しているようですが、マゼールの指揮するマーラーをクレンペラーが聴いていたらどう思ったことだろうと思います。
16 3月

マーラー交響曲第7番 ヤンソンス、バイエルン/2007年

190316bマーラー 交響曲 第7番 ホ短調「夜の歌」

マリス・ヤンソンス 指揮
バイエルン放送交響楽団

(2007年3月8,9日 ミュンヘン,ガスタイク・フィルハーモニー ライヴ録音 Br Klassik)

190316a 三月に入る少し前から雨がよく降り、自分の体調共々ややこしい日が続きます。この環境にマーラーの音楽がよくフィットする気がして車の中やら電車の中でも聴いていました(ワンパックの酒を手放さないアル中並みに)。今日、明日の京響定期でも交響曲第7番をやるので大いに気になりながらチケットはとっていませんでした。発売当初はマーラーという気分じゃないなあと思ったこともあり、それに第7番は高関さんの指揮で定期で何年か前にやっていました。マーラーの交響曲の中で来日オケや地元オケの公演プログラムに入っているとすれば何が何でも聴きに行きたいと思う作品はどれだろうと、誰にもきかれせんのに考えてみると目下、第2、第6、大地の歌、第9番と、あとは第4、第8くらいが挙がります。最後の二曲はここ1年半くらいで会場で聴いたからやや熱意が下がるといったところです。

 これはM.ヤンソンスとバイエルン放送SOのライヴ録音によるマーラーの第7番のSACDです。ヤンソンスのマーラーならロイヤル・コンセルトヘボウともライヴ録音がかなり出ていますが、実はその辺の事情をよく把握せずにうっかり買ってしまったものでした(コンセルトヘボウの方が全曲揃いそうな勢い)。CD一枚にぎりぎり収まる合計演奏時間というのは別に珍しくないはずですが、もっと短い演奏時間もあり微妙なところです。

ヤンソンス・バイエルン/2007年
①21分40②15分13③09分58④13分13⑤17分23 計76分40
シュテンツ・2010年
①21分09②14分17③08分49④12分24⑤16分51 計73分30
フェルツ・シュトゥットガルト・2007年
①21分47②15分06③11分09④13分47⑤17分38 計79分27
アシュケナージ・チェコPO・2000年
①21分13②14分34③09分40④12分30⑤16分39 計74分26
ギーレン・SWRSO・1993年
①21分53②16分42③09分43④12分55⑤18分10 計79分23

 この曲は「夜の歌」という通称のもとになる第2、4楽章が有名ですが個人的趣味として第1楽章も好きで、特に出だしのところのえも言われない鬱陶しさ、陰と腐(?)のとばりが降りてくるような風情がとても心地良く感じられます(但し、いつ聴いても心地良いとは限らない)。この録音を最初に再生した時はそんな思い入れ混じりの情緒がまり感じられず、あっさりし過ぎる気がして残念に思いました。しかいよく考えると上記の録音も似た性格ではなかったこと思われ、マーラーの交響曲もすっかり古典になった21世紀にあっては演奏のスタイルも変遷しているとしても不思議ではないところです。

 古典になる云々はクーベリックの来日公演(1975年、バイエルンRSO)のCDの日本語解説に載っていた言葉で、その1975年頃はマーラー・ブーム前夜くらいだったのでその作品も古典、ブラームスとかベートーヴェン並みの演奏頻度、認知度ではなかったという意味で用いられていました。レコード界ではそろそろ交響曲全集がいくつか完成し出す頃だったので、ヨーロッパでは古典になりかかっていたかもとは想像できます。
14 3月

マーラー交響曲第3番 ショルティ、シカゴSO/1982年

190314マーラー 交響曲 第3番 ニ短調

ゲオルク=ショルティ 指揮
シカゴ交響楽団
カゴ交響楽団女声合唱団(合唱指揮ジェイムズ・ウィンフィールド)
グリン・エレン少年合唱団(合唱指揮ドリーン・ラオ)

ヘルガ・デルネシュ(A)

(1982年9月 シカゴ,オーケストラホール 録音 DECCA)

 大して深刻な病気じゃなくても病み上がりの時はパスタとかパンでへなく、うどんとか米の飯(粥とか雑炊)が食べたくなり、仮に海外に移住していたとすればこういう際に生まれた環境が恋しくなるのだろうと思います。うどんやら蕎麦、ラーメンを食べる時には特に音を立てないようにとか意識はせず、蕎麦の場合は粋だとか何とかいって独特の食べ方もありました。それに汁を吸う時にズルズルと音を立てる、すするということも普通にやっていますが、あれはあまり良くないのじゃないかと時々思います。ある時パスタを食べている時、近くの席で同じようにパスタを食べていて、うどんの汁をすするのと同じ調子でズルズルと音を立てるのが耳について、ちょっと嫌な音だと思いました。つい直前に自分も同じように音を立てていたはずなので、他人がやるのを聞くのとでは違うのだろうと思いました。それにしても、今朝は雨に細かい雪が混じっていて、暖かくなりかかったのが急に元へ戻りました。

 ショルティはマーラーの第3交響曲も二度セッション録音していました。これは二度目、デジタル録音で、マーラーとショルティの横顔をデザインにしたジャケットはLPの新譜時と同じだと思います(見覚えはある、但し広告で)。ロンドン交響楽団との初回録音から14年程経っています。1984年だったか85年にショルティとシカゴSOが大阪にも来た時はシンフォニーホールでマーラーの第5番を聴きに行きましたが、一連のデジタル録音によるマーラーはその時の印象よりもずっと柔和?、穏やかで丁寧です。今回の第3番も特にそんな感じがして、デジタル再録音の中では一番感銘深いのではと思いました。

ショルティCSO/1982年
①30分45②09分48③16分50④9分58⑤4分12⑥20分44 計92分17
ショルティLSO/1968年
①32分53②10分12③17分21④9分37⑤4分12⑥19分14 計93分29

 それに独唱が入る第4楽章が特に魅力的でした。デルネシュはイゾルデとかワーグナーのソプラノを1970年代に録音していましたが、それらはあまり感心しなかったのにここではこの楽章の歌唱で屈指ではないかと思う程です。マーラーやそのレコード、CDについて書かれたものは沢山ありますが、ショルティの演奏はえてして批判的なものが目立っていたと思います。他の指揮者のマーラーを引き立たせるためにか、結構返す刀で否定されていました。第3番についてではなかったと思いますが(多分同じ声楽付きの第2番)、曙(ハワイ出身の横綱)の突き押し相撲のようだとか評されていました。

 実際にCDを聴いているとそんな風には思えず、誇張し過ぎだと思っていました。第3番については全く当てはまらないと改めて思いました。いや別に突き押し相撲が悪いとも思ってませんが、もしかしたら書く前、その原稿を書いた直前にCDなりLPを聴いていないのではないかと勘ぐりたくなるような、そんな悪意さえ感じられます。それはともかく、1960年代にロンドンSO、アムステルダム・コンセルトヘボウOと録音したもの、1970年代のシカゴSOとのもの、それから1980年代のシカゴSOとのデジタル録音と、ショルティのマーラーといっても時期、オーケストラ等の違いで大きく三つのタイプに分けられるので、どうせなら三回全集を完結させてほしかったと思います。
13 3月

ショスタコーヴィチ交響曲第9番 ネルソンス、ボストン/2015年

190313aショスタコーヴィチ 交響曲 第9番 変ホ長調 作品70

アンドリス・ネルソンス 指揮
ボストン交響楽団

(2015年10月 ボストン,シンフォニー・ホール ライヴ録音 DG)

190313b 三月もそろそろ二週間が過ぎようとしています。今日は明け方から風の音に起こされて、昼からは震度2の地震と強風でした。今頃の時季は荒れ模様の天気は珍しくないとしても、今日の揺れ方は東日本大震災の時をちょっと思い出すようなものでした。3月13日は1945年の同日深夜に大阪都心部が米軍の空襲を受けた「大阪大空襲」の日でした。対中華民国で日本軍が行った作戦以上の効率と規模でやられたわけですが、我々は(当時実際に空襲を受けた世代も)重慶爆撃とかのことはつい忘れがちでした。先月のある未明、前日にそんな話をしたためか自分の近所にミサイルが飛んで来る夢を見ました。大勢が空地に集まって避難している上空をミサイルが西の方角へ飛んで行き、「とうとう発射したか」という声を聞いて目がさめました。鮮明な夢ですがまさか実現しないだろうと、願望をこめてそう思いました(東から飛んできたから某国のそれじゃないだろうし)。

交響曲 第9番 変ホ長調 作品70
第1楽章 Allegro ソナタ形式 変ホ長調
第2楽章 Moderato - Adagio 二部形式 ロ短調
第3楽章 Presto ト長調
第4楽章 Largo 変ロ短調
第5楽章 Allegretto ロンド・ソナタ形式 変ホ長調

 このショスタコーヴィチの第9番は真っ直ぐで歪みを感じさせない、それをこの曲らしくないと言って良いのかどうか、とにかく美しい演奏なので聴いていると妙に感心します。ところどころシベリウスの作品のように感じられ、先日聴いたクレンペラーのトリノ公演とは全然違う印象です(年代、音質も違うので当然)。ネルソンスはブルックナーと並行してショスタコーヴィチの交響曲の録音も進めていますが、違う個性の作曲家、作品を演奏していながら音、響きが似ていると思います。どちらも透明であくの無い、豊かな響きで、ホールの広がりも感じさせ、ブルックナーの方はヤンソンスのライヴ録音と似ている気がしました。

ネルソンス・ボストン/2015年
①5分22②8分07③2分53④3分34⑤6分42 計26分38

ウィッグルスワース・ネザーランドRPO/2004年
①5分33②6分03③3分00④3分11⑤6分45 計24分32


 交響曲第9番は過去記事でトラックタイムを載せておらず、この録音がどんな感じかよく分かりません。とりあえず鈍重な演奏ではないのは確かだと思いつつ、今世紀に入ってからのCDからウィッグルスワースとネザーランドRPOのトラックタイムと比べると2分以上長い演奏時間でした。ネルソンスはラトビアがまだ旧ソ連に属していた1978年の11月に生まれていました。ネルソンスが自分よりも年下なのと、まだソヴィエト連邦が健在だった冷戦の時代だったことに何となく驚きと感慨を覚えながらプロフィールを見ていました。この新しい録音で聴いているとそんな時代がもっと遠い昔のことのような気がします。
12 3月

マーラー交響曲第4番 バーンスタイン、ニューヨーク/1960年

190312マーラー 交響曲 第4番 ト長調

レナード・バーンスタイン 指揮
ニューヨーク・フィルハーモニック


レリ・グリスト:S

(1960年2月1日 ニューヨーク,セント・ジョージ・ホテル 録音 ソニーミュージック)

 昨日の夕方、ラジオのニュースでは当然東日本大震災の追悼式典が大きく取り上げられていました。首相と秋篠宮殿下の言葉は全部聞いてはいないものの、微妙にニュアンスが違っていました。それはともかくとして、戦前生まれの世代はこの時期は大戦末期の空襲も思い出されるようで、あの時はボランティアも義援金も何も無かったと言うのを阪神淡路大震災の時にも耳にしました。その世代からしても「原発事故の放射能は余計や」という声をきくので、津波や地震の災害、余波だけでも大変なのに、そもそも立ち入ることもできない区域が生じているのは前代未聞だというのを改めて思わされます。ところでNHKの地上波、Eテレで放送している「ETV特集」というシリーズがありました。社会問題、近現代の歴史を扱うドキュメント番組なので昭和初期の国家総動員体制下の国民生活、悲惨な出来事も対象になっていました。新年度からそれを制作している部署が無くなるという話を先月きき、あのシリーズは時々録画していたので非常に残念です。

 呑み足らないからもう一軒、はしご酒なんてする体力は無くなりましたが、このところ聴いているマーラー第4番がそんな感じで、まだ聴き足らない気がしました。それで第6番を再生してしばらくして、やっぱり第4番を聴こうと思い立ち、バーンスタインの旧全集の第4番を聴きました。1960年のマーラー生誕100年の年にニューヨークではワルター、ミトロプーロス、バーンスタインの三人で交響曲と歌曲集のチクルスを受け持ったそうですが、その際に交響曲第4番はバーンスタインが指揮して好評を得ていました。この録音はその頃のものですが、クレンペラーのセッション録音より早かったのはちょっとした驚きです。

バーンスタイン・ニューヨーク/1960年
①16分47②09分01③20分28④08分32 計54分48
クレンペラー・PO/1961年・EMI
①17分56②09分58③18分09④08分50 計54分53 
ハイティンク・ACO/1967年
①16分27②08分37③19分34④08分48 計53分26
クーベリック・ACO/1968年
①15分47②09分09③18分47④08分01 計51分44 
レヴァイン・CSO/1974年
①16分39②09分41③22分02④09分15 計57分37
ノイマン、チェコPO/1980年
①15分58②09分15③20分56④09分24 計55分33
テンシュテット・LPO/1982年
①15分41②08分48③21分07④09分09 計54分45
バーンスタイン・ACO/1987年
①17分38②10分14③20分34④08分42 計57分08

 ちょうどテンシュテットのセッション録音を続けて聴いた直後なので、この録音の印象は薄くなってしまいました。しかし合計演奏時間ではそのテンシュテットと近似しています。1960年のマーラー年で指揮した時は特に第3楽章が賞賛されたと附属冊子に載っていました。その中にはその第3楽章をラプソディックなと形容しているのが目に付き、何となく作品に対するイメージと違う気がしましたが、「熱狂的」という意味なら何となく分かる気もします。今回久しぶりに聴いてみると前半の楽章、特に第1楽章が面白いと思い、出だしのところは一瞬クレンペラーに似ていると思いました。

 最終楽章のグリストはその後、モーツァルトのオペラの全曲盤で聴いて覚えている声とちょっと違い、附属冊子に「少年のような」と書いてあった歌声が他に似た演奏が無いので目立っていました。その終楽章のコーダというか、音が聞こえているかどうか分からないくらいに小さくなって消える部分、この録音は案外あっさりと終わっていて、先日のテンシュテットのセッション録音が結構長く鐘のような音やらがききとれたのと対照的です。
10 3月

ポップ、テンシュテット、LPOのマーラー第4番・LP

190310bマーラー  交響曲 第4番 ト長調

クラウス=テンシュテット 指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

ルチア=ポップ(S)

(1982年5月5-7日 ロンドン,キングスウェイ・ホール 録音 EMI)

190310a テンシュテット(Klaus Tennstedt 1926年6月6日 - 1998年1月11日)
とロンドン・フィルのマーラー第4番はブログ初期に扱っていました。テンシュテットのマーラー全集について、いろいろなところでオーケストラの技量と録音の質が良くないと評されていることがどうも気になり、本当にそんなに悪いのかと思っていました。それからもう一つ気になるのが、テンシュテットの芸風、特徴としてフルトヴェングラーを引き合いに出されたり、「棒振り機械」の対極と評されると、セッション録音では真価が分かり難い云々という類の評でした。個人的にはテンシュテットのマーラーは好きでしたが、そういう賛辞と同じようなことはあまり実感しませんでした。だからというわけではなく、テンシュテットもマーラーも一度LPレコードで聴いてみたいと思い、とりあえずすぐ購入できた第4番を早速聴いてみました。

190310 テンシュテットもマーラーの人気も根強いらしく、入荷するといつの間にか売れるそうです。特に第4番はルチア・ポップのファンの需要とも重なり、すぐ無くなるとか(ついでに北ドイツRSOとのエロイカもすぐ売れるらしい)。自宅にある大したことない装置で再生するならCDでもLPでも目から鱗のような再発見は無いと思いながら、今回はLPとCDを交互に聴いていました。改めて聴いていても根本的にこの録音に対する印象が変わるとまではいきませんが、さらに魅力が増したというところで、特に第3、4楽章がそうでした。

 それにあらためて思うのが、いわゆる「綺麗な」タイプの演奏ではなくて、ことさら不気味な感触を強調しないまでも、歪んだものをそのままで提示するようなところがありそうで、クルト・ザンデルリンクをもう少し速くしたようにも聴こえます。オケの技量、録音の音質が良くないとされたのは演奏そのものの特徴からくるところが大きいのではと思いました。もっとも実際に会場で聴いていないので想像しているだけですが。それにしてもレコード・ジャケット裏のポップの写真はよく撮れていると思いました。
9 3月

モーツァルト交響曲第40番 テイト、ECO/1984年

190309モーツァルト 交響曲 第40番 ト短調 K.550

ジェフリー=テイト 指揮
イギリス室内管弦楽団 

(1984年5月18,19日 EMI ロンドン,ウッドサイドパーク,聖バルナバ教会 録音 EMI)

 カーナビに差し込むSDカードにCDをコピーして聴くというのが可能になって以来、渋滞時にイラつかないためにしょっちゅう車内でそれを聴く(最初のコピーも再生しながら圧縮転送)癖が付きました。えげつない風邪の最中にバレンボイムの弾き振り、モーツァルトのピアノ協奏曲の順番に差し掛かり、モーツァルトの曲もバレンボイムの指揮もすばらしいとうっとりしていました。バレンボイムとECOの全集は去年ラ・ボーチェ京都のLP入荷リストの中にも入っていて元来人気があったのだと再認識していたところです。今回はその協奏曲じゃなくて、同じECOをジェフリー・テイトが指揮した交響曲全集から第40番です。この曲も最近FM放送で流れていて急に全曲を聴きたくなっていました。

 テイトとECOもLPではなく、CD化されたものしか聴いていないので今頃になってEMIのLPはどんな感じの音だったかちょっと気になってきます。最初にこの箱物CDを聴いたときは弦の音が金属的でか細く聴こえて残念な気がしましたが、それから二十年以上経って聴いているとそこまで悪くなく、ピリオド楽器・奏法的でない豊かなオーケストラの響きに大いに惹かれます。1788年に完成された三つの交響曲、第39、40、41番の中で、ここ十年くらいは一番疎遠だった(気分的に)この曲が一気に身近になった気がします。

テイト・ECO/1984年
①07分48②08分30③04分38④07分17 計28分13
グラーフ・ザルツブルク/1988年
①07分34②12分08③04分43④06分26 計30分51
カザルス・マールボロ/1968年
①05分33②09分50③04分14④04分40 計24分17
クレンペラー・PO/1962年
①06分38②08分56③04分21④05分16 計25分11
クレンペラー・PO/1956年
①08分40②08分57③04分13④05分04 計26分54

 1980年代に録音されたグラーフとテイトの合計演奏時間が近いのはリピートの加減だと思いますが、楽章毎の時間はちょっと違っています。第2楽章と第4楽章の長さが両者では逆のバランスになり、テイトは終楽章が長めになっています。これは上記の五種の中ではテイトだけの特徴です。ところでテイトはR.シュトラウスのアラベラを全曲録音していましたが、今年になってそのLPの現物を見かけました。レコード、CDの方では古典派のレパートリーとブルックナーの第9番くらいしか聴いていないので大いに気になるアラベラのLPでした。
7 3月

ベートーヴェン弦楽四重奏曲「ハープ」 メロスSQ/1984年

190307ベートーヴェン 弦楽四重奏曲 第10番 変ホ長調 Op.74

メロス弦楽四重奏団
ヴィルヘルム・メルヒャー:Vn
ゲルハルト・フォス:Vn
ヘルマン・フォス:Va
ペーター・ブック:Vc

(1984年2,7月 バンベルク,ツェントラルザール 録音 DG)

  昨日は啓蟄と「灰の水曜」が重なりました(重なっても何ら特典はない)が、こちらは風邪の影響でまともに声が出ない状態でした。今朝になってやっとそこそこやりとりが出来る程度に声が出せました。この長期に渡って何段階にも症状が出る風邪は今までに経験の無いもので、ほとんど四日も声が出ないのには参りました(特に月、火は困った)。ところで先日タクシーに乗った際、「孤独のグルメ」のネタ元になった店が銀閣寺の近くにあると聞き、ちょうど昼前だから寄ろうと思いました。しかしこの風邪なので歩くのも気が進まず、場所だけ覚えておいて後日行こうと思いました。

弦楽四重奏曲 第10番 変ホ長調Op.74
第1楽章 Poco Adagio-Allegro
第2主題 Adagio ma non troppo
第3楽章 Presto-Piu presto quasi prestissimo
第4楽章 Allegro con Variazioni

 ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の中期作品ならラズモフスキーの三曲が有名でした。この曲は自分が最初に買った(中二か中一)室内楽のLP、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第9、10番(スメタナSQの再録音)に入っていたので当時は何度も聴きました。その割にあまり好きにはならず、その後何十年も初期と後期作品の方が聴く頻度が高くなりました。最初に聴いた頃は第3楽章の第5交響曲の運命の動機に似た打撃が反復されるのに圧倒され、半ばうんざりしたのが思い出されて弦楽四重奏曲が肥大したような印象を受けました。久しぶりにメロス四重奏団DG盤で聴いてみると、全体的に引き締まっているので肥大云々ということはなくて、マイナスの記憶が急激に修正されていきました。

 特に第2楽章が後期作品に通じる優美で深淵な美しさが漂っていて、何となく第9番までと一線を画するように感じられました。第10番が作曲されたのは1809年なので第9番(ラズモフスキーの第3番)より三年だけ後ということになります。ちなみに第12番は1825年の完成なので後期作品群までは15年以上間隔が空いています。この曲の愛称「ハープ」は第1楽章でピッツィカート奏法が多用され、それがハープの音色を思わせることに由来します。ただ、聴いていても別段ハープを連想するとも限らない登場の仕方だと思います。

 メロス四重奏団のベートーヴェンは旧録音もあり、DGの全曲録音は一時期定評があったと思いますが2000年代に入って長らくCDが入手し難い時期が続いていました。自分はメロスの解散直前の来日公演を大阪のいずみホールで聴いたので思い入れがありましたが、彼らのベートーヴェンは必ずしも絶賛、決定盤的とまではいってなかったのかと振り返っていました。
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raimund

昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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