raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

2018年10月

30 10月

ヴォーン・ウィリアムズ ロンドン交響曲 ボールト、LPO

181010ヴォーン・ウィリアムズ:ロンドン交響曲(交響曲第2番)

サー・エードリアン・ボールト 指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

(1971年3月 ロンドン,キングズウェイ・ホール 録音 EMI)

 今年も十一月に入ろうとしています。先日NHK・FMの「きらクラ!」で俳句の季語としてブラームスは秋の季語にふさわしいといリスナーからのお便りがあり、作品によっては確かにそれは当てはまる気がしました。個人的にはクラリネット五重奏曲なんかは特にぴったりすると思いながら、過去に十一月に初めてその作品のLPを購入した作品を思い起こすとそれらは必ずしも季語に使えないと思いました。ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第9番「ラズモフスキー第3」、モーツァルトのレクイエム(レコードは買っていないけど)、ワーグナーの指環四部作(バイロイト/ベーム)がそうでしたが、ワーグナーは一番季節感が乏しい気がします。

181030 10月に入ってリマスターされたSACD仕様のエードリアン・ボールト(Sir Adrian Cedric Boult 1889年4月8日 - 1983年2月22日)のブラームスを聴いて、それが予想以上に素晴らしくて
、同じくボールトのヴォーン・ウィリアムスの交響曲再録音も聴いていました。ボールトはヴォーン・ウィリアムズ(Ralph Vaughan Williams 1872年10月12日-1958年8月26日)の交響曲第4番、第6番の初演をBBC交響楽団を指揮して行っています。また、1920年にロンドン交響曲を演奏(初演時の稿とは違うらしい)にも関わったとプロフィールに出てきます。だから単に交響曲全集を二度録音、完結しているだけでなく、作曲者の生前から交流、関わりがあったのでボールトのヴォーン・ウィリアムズも注目のレパートリーです。

 
ヴォーン・ウィリアムズの二番目の交響曲、「ロンドン交響曲」は第一次大戦の開戦直前の1912年から1913年にかけて作曲されました。この大戦の前後でウィーンも大きく変わってしまったとされて(クレンペラーもそのように回想している)いるので、ロンドンも飛行船による爆撃もあって荒廃した以上の変化もあったと想像できます。そのことはさて置くとして、ロンドン交響曲は昔のロンドンに基づいているので「絶対音楽 = 交響曲」だとしても何らかの風情が感じられると思います。

 前回の「海の交響曲」と同じようにこの「ロンドン交響曲」も過去記事で取り上げたCD以上にオーケストラよく鳴って、独特の大らかさで響いています。ロンドンは20世紀末にチョロっと一度立ち寄っただけで住んだことはないけれども、タイトルにふさわしい内容の作品だと何となく感じられます。これまで聴いたみてボールトのヴォーン・ウィリアムズは第一作目から三作目の「田園交響曲」までが特に素晴らしいと思いました(ちなみブルックナーの交響曲群は全く異次元の世界に感じられる)。
29 10月

ワーグナー「ローエングリン」 フォークト、エルダー、RCO

181029aワーグナー 歌劇「ローエングリン」

マーク・エルダー 指揮
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
オランダ放送合唱団
オランダ・ナショナル・オペラ合唱団

ドイツ王ハインリヒ:ファルク・シュトルックマン(Bs)
ローエングリン:クラウス・フロリアン・フォークト(T)
エルザ:カミッラ・ニールンド(S)
テルラムント:エフゲニー・ニキーティン(Br)
オルトルート:カタリーナ・ダライマン(S)
伝令使:サミュエル・ユン(Br)
~ 4人のブラバントの貴族 ~
フランソワ・ソーン(T)
ション・ファン・ハルテレン(Bs)
ハリー・テーウウェン(Bs)
ペーター・アリンク(Br)
~ 4人のブラバントの小姓 ~
幕内智子(S)
ミカエラ・カラジアン(S)
イネス・ハーフカンプ(A)
アンネレーン・バイネン(Ms)

(2015年12月18,20日 アムステルダム,コンセルトヘボウ ライヴ録音 RCO Live)

181029b 2015年の12月にコンサート形式で演奏されたこの「ローエングリン」は、元々はネルソンス指揮の予定だったのがキャンセルになり、エルダー(Mark Elder 1947年6月2日 - )が代役となりました。イングリッシュ・ナショナル・オペラの音楽監督を務めたエルダー、過去記事で扱ったことがあったような、無かったようなぼんやりとした記憶しか無くてブログパーツの記事検索を使ってみると全くヒットしませんでした。しかし聴いてみるとかなり素晴らしくて、ワーグナー作品でおなじみの歌手が並んでいるだけでなくオーケストラ、コーラスも見事なものでした。それにこの「RCO Live」のSACDはあまり聴いたことはありませんが今回は特に音質が良好で(マルチチャンネルが特に)、昔のような時間をかけたオペラ全曲盤が無くなった昨今、まったく稀な出来じゃないかと思いました。ティーレマンの全曲録音(ウィーンでのワーグナー作品)もこういう風に録音できなかったかと思われて今さらながら残念です。

181029 オーケストラが素晴らしいとしながらも、往年の公演を思わせるようなタイプではなく、精緻で透明感のある演奏で、それがエルザのニールンド、ローエングリンのフローリアン・フォークト(Klaus Florian Vogt 1970年4月12日 - )
によく合って声楽が引き立っているようです。後者はやや声の張りが弱くてメリハリがないようですが、第二幕のエルザとのやりとりの部分は相変わらず魅力的です。彼はワーグナー作品ではジークムントまで歌っているようですが、50代を前にして今後はさらにレパートリーを増やすのだろうか(ルネ・コロのようにジークフリートまで歌うのか)と思います。

 カミッラ・ニールンドは過去記事で扱ったフランクフルト歌劇場の「ローエングリン」でもエルザを歌っていました。2013年録音のそれよりも今回の方がより素晴らしくて、フローリアン・フォークトと並んで歌ってもひけをとっていないと思いました。彼女は2010年のバイロイトでエリーザベト(タンホイザー)を歌った他、コルンゴルト「死の都」のマリエッタ、フランクフルト歌劇場のソフトに多数出演していました。

 あとオルトルートのダライマン、ドイツ王ハインリヒのシュトルックマンはお馴染みの顔ぶれながら見事でした(後者ちょっと弱々しい感じがしないでもない)。ニキーティンとユンの二人が共演しているのはこの録音の三年前のバイロイト音楽祭の騒動を思えば大丈夫なのかと思いました。ニキーティンは2012年にバイロイト音楽祭で初のロシア人歌手として「さまよえるオランダ人」に出演してタイトルロールを歌う予定だったのが、彼のタトゥーに鍵十字(ナチのあれ)が含まれているのが発覚して騒動になり、結局事前に降板することになりました。その代役がサミュエル・ユンでした。
28 10月

ブラームス交響曲第3番 ケンペ、ミュンヘンPO/1974年

181028bブラームス 交響曲 第3番 ヘ長調 作品90

ルドルフ=ケンペ 指揮
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

(1974年11月13,15日 ミュンヘン,ビュルガー・ブロイケラー 録音 EMI)

 先週、藤田嗣治の展覧会に行ったら画集や絵葉書を売っているコーナーで複製画も販売していて、一枚6万円以上だったか、猫付きの肖像画を一枚どうでっかと勧められました(「~でっか」とは言わなかったけれど)。本物は0が一つ、二つと末尾に付く値段なので複製画のその値段は高くは無いとしても、絵葉書をバラで3枚買った程度の人間には全く考慮外でした。しかし考えてみればLPやCDを聴いているのは複製画かそれよりも間接的、迂遠なことかもしれないと思いました。そうだとしても止められない、生演奏以外聴かないというわけにもいかず、結局古い音源、同曲異演のCDをちびちびと聴くことに。

181028a ケンペ(Rudolf Kempe 1910年6月14日 - 1976年5月12日)はヨッフム(Eugen Jochum 1902年11月1日 - 1987年3月26日)よりも早く亡くなったのでヨッフムと同じくらいか年長だったと思ってしまいますが、プロフィールを調べればケンペの方が8歳くらい若くて、バイロイト音楽祭への出演年を併せて考えるとそんなものかとも思いました。このところよく聴くブラームスについて、両者ともベルリン・フィルと四曲の交響曲を録音していたのでブログでも交錯しています。今回はケンペが1970年代にミュンヘン・フィルと再録音した交響曲第3番を聴きました。

ケンペ・ミュンヘン/1974年
①09分32②8分02③6分02④8分56 計32分32
ケンペ・BPO/1960年
①09分22②8分15③5分53④8分43 計32分13
ヨッフム・BPO/1956年
①10分01②9分22③6分10④8分59 計34分32
ヨッフム・LPO/1976年
①12分59②9分07③5分38④8分46 計36分37
ボールト・LSO/1970年
①13分11②8分34③6分06④9分09 計37分00

 ケンペの新旧録音は合計時間にあまり差はなくて、第2楽章を除いては再録音が10秒程長い程度です。聴いた印象はミュンヘン・フィルとの再録音が音質の違いもあってか硬さが抜けて、全体的にくつろげるような内容です。あまり定着しなかった「ブラームスの英雄」が似合わないのは再録音の方だと思われ、特に終楽章が魅力的です。ケンペの録音では個人的にオペラ全曲盤が好きで、ニュルンベルクのマイスタージンガーとローエングリンは今でも同作品のCDの中で筆頭くらいの愛好度です。

 今月に入って聴いたボールトとロンドンSOの第3番以来同曲を何度か聴いてきて、映画で使われて有名な第3楽章は演奏時間だけを見てもあまり違っておらず、ケンペもあっさりと演奏しています。同じく1970年代のEMIの録音ながらボールトと比べると合計時間で4分半も違っているのはどうもケンペの方が短い部類に入るようでした。ケンペが1970年代に残した録音と言えばR.シュトラウスの管弦楽作品集があり、オーケストラはシュターツカペレ・ドレスデンだったので、どうせならこのブラームスもそちらで録音してミュンヘン・フィルはヨッフムというわけにはいかなかったのだろうかと思います。
27 10月

ブラームス交響曲第4番 ヨッフム、ベルリンPO/1953年

181027bブラームス 交響曲 第4番 ホ短調 op.98

オイゲン・ヨッフム 指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(1953年12月 ベルリン,イエス・キリスト教会 録音 DG)

 ハンブルクのNDRエルプ・フィルハーモニー管弦楽団が京都コンサートホールにも来るので、まだS、A、B席が残っていたので、昨日の昼に出かけた際にステージ斜め後ろの席をとれました。確か去年の三月にも来日していたはずで、大阪公演の前にフェスティバルホールの大フィル(ショスタコーヴィチ)定期に際に「何とかチケットを確保したい」とか「もう遅いやろ」という声をチラホラ聞きました。その割りに今回の京都公演はソリストの交替(グリモーからブッフヒンダー)があったのは最近なのに、まだ完売には余裕があるようでした。自分の場合は一曲目の「ローエングリン第一幕への前奏曲」に大いに惹かれています。それからブラームスの第4番と(これが第1番だったら聴きに行かなかったところです)。

181027a このところ例年に無く頭の中でブラームス作品の断片がちら付いて、そのためブラームスのCDを聴くことになりよけいに記憶に残ってしまう循環(別に悪循環でもない)になっています。このCDは1950年代にヨッフムがベルリン・フィルを指揮したブラームスの四つの交響曲のセッション録音で、第2番が1951年、他の三曲は1953年の録音でした。1951年といえばメンゲルベルクが亡くなり、バイロイト音楽祭がようやく再開された年なので、トスカニーニやクレメンス・クラウス、フルトヴェングラーも存命だった時期のベルリン・フィルということになります。

ヨッフム・BPO/1953年
①12分31②12分06③6分02④09分52 計40分31
ケンペ・BPO/1956年
①12分26②11分23③6分37④10分01 計40分27
クレンペラー・PO/1957年EMI
①12分20②10分16③6分37④09分44 計38分57
トスカニーニ・PO1952年ライヴ
①11分29②10分38③6分16④10分00 計38分23

 1950年代の録音でトラックタイムを並べたら上記のようになり、ベルリン・フィルを指揮したドイツ人二人、ヨッフムとケンペとフィルハーモニア管弦楽団を指揮したクレンペラーとトスカニーニの合計時間が近似しています。ヨッフムは1970年代にブラームスをロンドン・フィルと再録音していますが、第4番は特にそれと似た内容じゃないかと思いました。第1楽章の冒頭がよろめきためらうような出だしは第4番のイメージそのものといったところです。第3楽章がやや急、速目なのはブルックナーのスケルツォ楽章でもそうなのと同じ傾向で、バランス的にはクレンペラーとは逆になります。もっともこの曲の場合はあまり目立たないと思います。同じくらいの時期に録音を始めたヨッフムのベートーヴェン(初回全集)と比べるとゆとりがあり、ベートーヴェンの録音の時のような苛烈さを思わせるところはありません。それに音質も気のせいかブラームスの方が聴きやすいものでした。

 レコードの広告にかつては「正統派」という用語がよく使われて、ヨッフムのブラームスもそのパターンがあてはまる種類だと思われますが、今回のようにベルリン・フィルを指揮した場合は正統派ド真ん中かもしれません。ただ、出身地、教育を受けた所の文化圏ではヨッフムはバイエルン、ケンペはザクセンの出身なので、ベルリン-プロイセンとは違っているわけで、ドイツ語圏の住人からすれば気安く正統と言うなというところかもしれません。それにしても来日オケの関西公演の頻度、比重がここ二十年くらいでどんどん低下している気がしてしました。そんな中でNDRエルプ・フィルに対する大阪フェスティバルホールの客席の人のチェックの早さには改めて感心します。
25 10月

ジュピター交響曲 ヨッフム、ボストンSO/1973年・DG

181025モーツァルト 交響曲 第41番 K.551「ジュピター」

オイゲン・ヨッフム 指揮
ボストン交響楽団

(1973年1月 ボストン,シンフォニー・ホール 録音 DG)

 先月だったかスバルのディーラーから何か郵便が届いていて、何かのキャンペーンのようでしたが、リコールの方はどうなってるのだろうかと最近の報道で思い出しました。どのみち来月には定期点検の期間に入るのでその際に説明があるでしょう。ただ、最初の検査問題だけかと思ったら後からどんどん問題が出て来るので段々不安になってきます。スバヲタという程じゃないけれども軽のプレオ、ハッチバックのインプレッサ、フォレスターと乗っている間に乗り心地、ブレーキ等々かなり気に入りました。だからディーラーの店先でごねる気はないものの正直なところが知りたいと思いました。

 オイゲン・ヨッフムとボストン交響楽団の組み合わせはこの国内廉価盤を見るまで存在を知りませんでした。ヨッフムのモーツァルトならバンベルク交響楽団、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団との録音がありました。特に最晩年の1980年代のバンベルク交響楽団とのセッション録音が有名だったと思います(それに来日公演時のブルックナーと共に演奏された交響曲第33番とか)。このCDはシューベルトの未完成とカップリングされていますが来月にSACDのシングルレイヤー仕様で復刻されるらしく、定評があったもののようです。

ヨッフム・ボストンSO/1973年
①08分24②08分55③04分42④08分39 計30分40
クリップス・ACO/1972年
①12分32②08分14③05分24④06分50 計33分00
セル・クリーヴランドO/1963年
①08分18②07分31③04分35④05分59 計26分23
クレンペラー・PO/1962年,EMI
①09分17②09分08③04分48④06分43 計29分56

 実際に聴いてみると全く自然な流れ、柔軟さで近年のピリオド楽器、奏法の演奏に慣れていると逆に新鮮でほっとする気がします。ヨゼフ・クリップスが晩年にアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団と録音したものをより力強くしたような(とか書きながらクリップスのジュピターがどんな風だったかはっきりと思い出せず、シリーズ全体の印象から)印象です。トラックタイムを比べると合計で最短と最長で6分以上も差が出ているのは主題反復有無の加減だと思いますが、ヨッフムはやっぱり急過ぎずゆとりを感じさせます。それに終楽章でファゴットがよく聴こえてその音色が印象的でした。

 1973年のボストン交響楽団と言えばシュタインベルク(スタインバーグ)から小澤征爾へ音楽監督が移行する時期にあたり、こういう時期にヨッフムが客演してレコードを作っているのはどういう経緯だったのかと思います。シュタインベルクの前はエーリヒ・ラインスドルフ、さらに前は1949年から1962年までシャルル・ミュンシュが音楽監督でした。オーケストラの特色、団員はまだミュンシュ時代の影響が残っていたと想像できます。
24 10月

ブラームス交響曲第3番 ケンペ、ベルリンPO/1960年

181024ブラームス 交響曲 第3番 ヘ長調 作品90

ルドルフ・ケンペ 指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(1960年1月19-23日 ベルリン,グリューネヴァルト教会 録音 TESTAMENT/EMI)

 先日の昼、涼しくなったせいか急に、めずらしくラーメン(とチャーハン、つまり炒定)を食べたくなり、チェーン店のT下一品に行きました。ラーメンと関係無いことながら昔、陸軍に「一品会」という長州藩出身の佐官以上か何か一定の階級以上で作る同郷会があったそうで、これが人事、昇進に口をきいてくるので他藩出身者にとっては嫌なことこの上ない団体だったと歴史小説「坂の上の雲」に出てきました。今年は明治維新150年とかで一部の内輪で盛り上がっているようで、ラーメンチェーン店で「一品」という字を見てこのネタを思い出しました。長らく食べていなかった「こってり」の炒飯定食を食べたところ夜までむねやけがしました。それに、このチェーンの炒飯は昔はもっとぱらぱらとしていたはずで、店によってはパサパサくらいだったのが先日は、雑炊を少し乾かしたくらいのねっとりした状態になっていました(海原雄山か周懐徳だったら突き返すかもしれない)。

ケンペ・BPO/1960年
①9分22②8分15③5分53④8分43 計32分13
ケンペ・ミュンヘン/1974年
①9分32②8分02③6分02④8分56 計32分32

 さて、ルドルフ・ケンペとベルリン・フィルのブラームス第3番。ケンペは1955年から1960年にかけてベルリン・フィルとブラームスの四つの交響曲を録音していました。その内で第1番と第3番がステレオ録音でしたが、1970年代にミュンヘン・フィルと再録音したのでベルリン・フィルの方は国内盤のCD化はあったかどうか分かりません。1990年代にEMIの輸入盤で第4番か第1番かを聴いてかなり良いと思った記憶がありました。このCDはテスタメントから四曲まとめてCD化されたものです。

 両者のトラックタイムを比べると大差はなく、ベルリン・フィルとの旧録音の方が少しだけ短い合計時間になっている程度です。聴いた印象は旧録音の方がより覇気があって力強い演奏ですが、基本的に同じような演奏ではないかと思いました。自分が聴いているミュンヘン・フィルの方は廉価箱なのでその加減で音質が今一つなのかもしれません。ケンペは自分が使うスコアに書き込みをほとんどしないと言われるので、「何も足さない、引かない」的なスタイルかもしれません。しかし、このブラームス第3番は「英雄交響曲」という定着しなかった名称が本当にぴったりする猛々しいような演奏で、先日のボールト晩年の録音とは対照的です。

 今年は何故かブラームスの交響曲を連続して聴きたくなり、このところ第三番も何種か聴きました。これの前はヨッフムとロンドン・フィルの第2~4番を聴いていましたが、ボールトも含めてそれらからどことなく感じられた弱々しい、もの寂しい風情が今回のケンペとベルリン・フィルでは影を潜めています。聴いていてつい反射的に「これぞブラームス」だと思いました。何を根拠に「これぞ」とか思っているのかと我ながら不思議で、ブラームスらしさとはどういうものかと思いました。
23 10月

ベートーヴェン交響曲第4番 H.S.イッセルシュテット、VPO

181023bベートーヴェン 交響曲 第4番 変ロ長調 op.60

ハンス・シュミット=イッセルシュテット 指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(1966年10月12-14日 ウィーン,ゾフィエンザール 録音 DECCA/TOWER RECORDS)

181023a ハンス・シュミット=イッセルシュテットの名前はウィーン・フィルが初めてベートーヴェンの交響曲全集のレコード録音を完成させた指揮者として、それからその中の第8番が一時期代表的な録音として有名でした。九曲の中で第8番だけというのは奇妙なことだと思っていたのでCD化されてから聴いてみると、一曲だけを特別な風に演奏しているわけでもなくどの曲も端正に、丁寧に演奏、録音していると思いました。今回はタワーレコードの企画でリマスターの上でSACDハイブリッド化されたもので聴きました。CDが売れないと言われて久しいクレシック音楽界にして近年こういうSACDやブルーレイ・オーディオが時々出ています。あまり古い録音はそんなに効果は無い気がしますが、このベートーヴェンはデッカのセッション録音だけあってかなり鮮烈で自然な音質になっています。

H.S.イッセルシュテット/1966年
①12分42②10分29③5分51④7分39 計36分41
クレンペラー・PO/1957年
①12分25②10分00③5分50④7分31 計35分46
クリップス・ACO/1953年
①09分18②08分50③5分38④6分57 計31分53
ワルター・コロンビアSO/1958年
①09分42②09分51③6分12④5分51 計31分36
セル・クリーヴランド管/1963年
①10分00②09分47③5分56④5分57 計31分40

 ところで交響曲第8番について「名曲名盤500(レコ芸編)」の最新版を見るとイッセルシュテットとウィーン・フィルはリストにも挙がっていませんでした。他の八曲も同様で、ウィーン・フィルの古い年代の録音では第8番がモントゥー指揮の1960年録音盤が同じくタワーレコードの企画で復刻されたものがかろうじて17位(1p獲得)に入っていました。このあたりは復刻時期、タイミングと評者の顔ぶれ如何かもしれません(モントゥーの復刻盤は各曲でほぼ1p獲得して末尾の下位にランク)。

 さて肝心の交響曲第4番、トラックタイムを比べるとイッセルシュテットとクレンペラー以外は32分弱の合計時間になっています。クレンペラーとイッセルシュテットは主題反復の影響ではないかと思います。演奏時間以外では聴いた印象は例によってかなり違い、イッセルシュテットの行儀の良い、楷書というか明朝体的な演奏が目立ちます。それにウィーン。フィルの音色の美しさが前面に出ています。その反面、面白み、刺激的なところはあまり無いとも思いました。

 このCD集の付属冊子にはウィーン・フィルのベートーヴェン録音についても解説があり、1965年から始まったイッセルシュテット以前にも一人の指揮者による連続、セッション録音で全集を完成するチャンスはあったとして、1954年に亡くなったフルトヴェングラー、結局パリ音楽院管弦楽団と録音したシューリヒトの二人の名が挙がっていました。後者はリヨンでウィーン・フィルがベートーヴェン・チクルスの公演を行った際の指揮者だったので候補に挙がったということでした。元々オペラ(シュターツ・オーパ)公演の合間にオーケストラ・コンサートを行うウィーン・フィルなので、九曲の交響曲のセッション録音をするような集中した日程をとれないという事情があったと指摘しています。
22 10月

ベートーヴェン交響曲第8番 ヨッフム、ベルリンPO/1958年

181022bベートーヴェン 交響曲 第8番 ヘ長調 Op.93

オイゲン・ヨッフム 指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(1958年4月30日,5月2,5日 ベルリン,イエス・キリスト教会 録音 DG)

181022a 今朝御池通の地下駐車場から地上に出ると、通りの歩道に沿って観覧席が用意されていて今日が時代祭りだったことを思い出しました。たしかいくつかの装束が新調されたとニュースで言っていたので、午後になって二十年ぶりくらいで行列の近くまで行って少しだけ見ました。大原女の一隊が近づいたところで帰りましたが、平安神宮のところで馬が暴れてけが人が出たそうで何かゲンクソ、否、縁起がもうひとつ良くない感じで、天災がまだ打ち止めじゃないようなと一瞬頭をかすめました。しかし元より根拠が無いことなので頭をかすめなかったことにしようと思いなおしました。

 これはオイゲン・ヨッフム(Eugen Jochum 1902年11月1日 - 1987年3月26日)
がドイツ・グラモフォンへ録音したベートーヴェンの交響曲・全曲録音の中の第8番で、第2~4番、第6~8番の六曲がベルリン・フィル、残りの三曲がバイエルン放送交響楽団という使い分けで録音していました。ブルックナーと同じパターンで、どうせならどちらかのオケに統一できなかったのかとこの場合も思いました。ちなみにヨッフムはこの後に二度もベートーヴェンの交響曲を全曲録音していました。二度目がアムステルダム・コンセルトヘボウO、三度目がロンドン交響楽団(先日ロンドン・フィルとどこかで言及したのは間違いでした)と約10年くらいの感覚で録音しています。

 さてこの第8番は堅固な砦のようなイメージの演奏で、第8番も他の作品と同じ路線と同じ作品だと強烈に感じさせるものでした。たまたま直前にハンス・シュミット=イッセルシュテット(Hans Schmidt-Isserstedt 1900年5月5日  - 1973年5月28日)とウィーン・フィルのベートーヴェン第8番を聴いていたので、その幾分優雅な演奏とウィーン・フィルの音色と多少的で余計にヨッフムとベルリンPOの特徴が際立ちました。

ヨッフム・BPO/1958年
①10分07②4分10③5分19④7分41 計27分17
H.S.イッセルシュテット・VPO/1968年
①09分57②3分54③5分09④8分06 計27分06
ベーム・VPO/1972年
①09分43②4分16③4分57④7分58 計26分55
クレンペラー・PO/1957年
①09分47②4分28③5分16④8分15 計27分46
セル・CLEO/1961年
①09分40②3分46③5分25④7分47 計26分38

 ヨッフムと言えば実際に聴いていなくても、ブルヲタではなくても二度も交響曲を全曲録音したブルックナーをまず連想することが多いだろうと思われ、その演奏は堅牢な構築物のよう威容というよりも、軽快とまでは言えなくても流動感のある奔放なスタイルなのでこのベートーヴェンはちょっと意外です。というよりもヨッフムはブルックナーといくつかのオペラ全曲盤か宗教曲しかじっくり聴いていなかったので、どういうスタイルかよく分かりませんでした。繰り返して聴くと、ヨッフムの一回目のブルックナー全集の内容と少し似ているかなと思えてきました。
21 10月

エルガー ゲロンティアスの夢 ボールト、LPO/1976年

181021エルガー オラトリオ「ゲロンティアスの夢」Op.38

サー・エイドリアン・ボールト 指揮
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
ロンドン・フィルハーモニック合唱団
ジョン・オールディス合唱団

ヘレン・ワッツ(A)
ニコライ・ゲッダ(T)
ロバート・ロイド(Bs)

(1975年5月18日,7月18,21,24,27,31日 ロンドン,キングスウェイホール録音 EMI)

 今朝は雨が降ったためかかなり気温が下がり、昼間でも上着が必要な肌寒さでした。ようやく秋らしくなり、夏が遠くなった実感がします。2000年以降日本の四季も乱れてきているようで、春、夏、猛暑、残暑、秋くらいの体感で夏が
質量とも何割増しかになっています。ふとこの夏を振り返るとスイカを一度しか食べておらず、それだけは心残りです。7月くらいは暑すぎてスイカでは物足らない、追いつかないのでペットボトルの水か茶、スポーツ飲料ばかりでした。来週からそろそろ長袖シャツの出番になりそうです。

181021a これはボールトが80歳代に録音したエルガーの声楽作品集のCD6枚組・箱に含まれているものです。使徒たち、神の国は別のエルガー廉価箱に入って重複しますがこの作品だけは別扱いのようです。先日来のブラームスやヴォーン・ウィリアムズもそうですが、キングスウェイホールで収録したボールトのEMI録音は音質も良好で、この「ゲロンティアスの夢」もコーラスの弱音からしてすばらしいと思いました。なおこの録音についてネット上ではオーケストラがロンドン・フィルになっていたり録音年が1976年になっているものがありましたが、ここではCD付属冊子の表記によっています(ロンドン・フィルは同じCD集の1枚目に入っている「The Music Makers,ミュジーックメイカーズ」)。

 
実際CDを聴いていてもそれがニュー・フィルハーモニア管弦楽団なのかロンドン・フィルなのか区別は付けられず、それでも例えば第二部冒頭なんかは全くほれぼれするような響きです。独唱陣ではテノールのニコライ・ゲッダ(Nicolai Gedda 1925年7月11日 - 2017年1月8日)が目立っていて、ヘンデルのメサイア・クレンペラー盤の時よりも清澄な歌声に感じられて、作品、歌詞にぴったりと思います。

  あらためて歌詞を見ながら聴くと特に第二部が感銘深くて、ゲロンティアスが死んだ後に魂だけになっているものの、「試練」に合うというのとはニュアンスが違うようです(日本語訳を類推する)。それから煉獄の魂たちというコーラスのパートもあり、天国か地獄かと白黒つけるというのとは違う描き方です。地上で亡きゲロンティアスのために祈る声が魂だけになったゲロンティアスと天使にも聴こえるという箇所共々カトリック教会特有の信仰風土がうかがえます。煉獄のことはさて置き、裁きというよりも救済、恩寵の重みが迫ってくるといった感覚なので、このあたりもメサイアとも違っています。金曜夜に行った藤田嗣治展で見た「黙示録(天国と地獄)」はちょっとイメージが違います。
20 10月

ブラームス交響曲第1番 ボールト、ロンドンPO/1972年

181019aブラームス 交響曲 第1番 ハ短調 作品68

サー・エイドリアン・ボールト 指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

(1972年3月2,3日 ロンドン,キングズウェイ・ホール 録音 tower records/EMI)

181019b 10月19日から京都国立近代美術館で「没後50年 藤田嗣治 展」が始まりました。金曜日は午後8時まで開いているので帰り途に寄ってきました。夜だったのであまり混んでいなくて絵に近寄って見ることができました。藤田が自作した(絵付け)皿に「猫の聖母子」というのがあり、思わず笑い出しそうになりました。生誕120年の時よりも展示された絵は少ないようでしたが、パリから日本へ戻る途中の中南米で描いた絵が興味深く、それに渡仏直後の絵も面白いと思いました。初期の絵、戦争画、晩年の子供を描いたものまで人物の目が特徴がありました。テレビ番組では子供が大勢並んだ「機械化の時代」?の子供の表情をこわい、気持ち悪いと言っていましたが、乳白色以前の女性も目も通じるものがありました。

 先日から聴いているボールト晩年のブラームス、今回は交響曲第1番です。コリン・デイヴィスがボールト指揮、BBC交響楽団のブラームス第1番の放送を聴いて、「ブラームスはかくあらねばと打ち震えさせた」と感銘を受けてボールトに手紙を送っていました。また、「壮麗で音楽に満ちあふれた」とも評していて、ちょうどEMIへブラームスを録音し出した頃と前後する時期でしたが、日本ではボールトのブラームスはそれほど評判にはなっていなかったようでした(ボールト指揮のホルスト「惑星」程は)。ボールトより少し遅れて同じくロンドン・フィルとブラームスを録音したヨッフムの方は、日本で全集として出た年には「レコード・アカデミー賞」を獲得していました。

ボールト・LPO/1972年・EMI
①15分37②08分26③04分51④16分02 計44分56
クレンペラー・PO/1955年・EMI
①14分05②09分23③04分40④15分54 計44分02

 実際にボールトのブラームス第1番を聴いていると、コリン・デイヴィスの「音楽にみちあふれた」という感慨に納得させられ、なめらかで滞りなく流れる心地良い感覚に感心させられます。ブラームスの交響曲が四曲揃った全集CDがある場合、第1番はどうも後回しにする傾向が自分の中でありました。特に第1楽章が難物で少々息苦しく、厚い肉を何度噛んでも噛み切れず、なかなか飲み込めず持て余すような感覚を連想してしまいました。もっともいざ聴くとやっぱりいいなあと思うのですが、そんな抵抗感をぬぐえませんでしたが、これまでの三曲と同様にボールトの場合は、十分に壮麗なのにそんなつっかえるような感覚がほとんどないのが魅力的です。

 CD付属の解説によると主題反復の指示があるところは全てリピートを実行しているとのことで、合計の演奏時間が1950年代のクレンペラー・EMI盤より1分弱長くなっています。第1番とカップリングされているのは大学祝典序曲で、この曲もクレンペラーの巨岩が転がるような武骨さとは対照的で、ボールトのブラームス演奏の特徴がよく出ています。
18 10月

ベートーヴェンの田園交響曲 アシュケナージ、N響/2007年

181018ベートーヴェン 交響曲 第6番 ヘ長調「田園」Op.68

ウラディーミル・アシュケナージ 指揮
NHK交響楽団

(2007年6月29,30日 NHKホール ライヴ録音 EXTON)

 今日の午前中、路線バスに乗って河原町通を北上中、ふと気が付くと次のバス停をアナウンスしている「裁判所前」という声に気が付き、一瞬「はあ?」と思ったら河原町丸太町を既に左折にかかっていました。そのまま北上する路線に乗ったつもりが番号を間違えてしまい、次の停留所で降り、京都御苑の中を横切って再度河原町通に出ました。間違えて乗った10番の系統は宇多野の方へ行くバスで昔、予備校へ行く時に使っていました。こんな初歩的な乗り間違えは生涯初めてで我ながら驚いていました(なぜ間違えたか分からない)。御苑の中を歩いているとテニスコートやら野球場が目に入り、頭の中でブラームスの第3番と第4番、第2番が混ぜこぜに断片的に流れてきて、自分は一年中ブルックナー党のはずなのに今年はどうもおかしいと重ねて思いました。

アシュケナージ・N響/2007年
①12分58②12分23③5分27④3分57⑤09分40 計44分25
K.ナガノ・モントリオール/2011年
①11分52②11分41③4分51④3分33⑤09分05 計41分02
I.フィッシャー・ブダペスト/2010年
①11分52②13分38③5分01④3分46⑤10分58 計45分15
ド・ビリー・VRSO/2008年
①11分14②11分36③5分11④3分38⑤08分36 計40分15
ハイティンク・LSO/2005年
①11分39②11分48③4分58④3分31⑤09分36 計41分32

 気分はブラームス満々なのに既にこのCDを聴いていたので今回はこちらにしました。これはアシュケナージがNHK交響楽団の首席に就任後すぐに取り組んだベートーヴェンの交響曲集の第三弾にあたります。この田園交響曲を最初に聴いた時は、第1楽章の停滞感に戸惑い、ずっと流れてきた川が堰で止められてため池のような状態になっているとして、その溜まりに差し掛かったあたりの淀みのようで、正直長いと感じました。付属冊子に載っていた「快適なテンポで展開する推進力に富んだ」の正反対のように感じられて、その時はブログで扱わずに放置していました。しかし第2楽章は一転して魅力的で(最初の一音でと言えば大げさだとしても一気に引き込まれました)、第2楽章がこのテンポなら第1楽章もああいう感じで納得できるかとも思いました。

 第3楽章以降は何故か最初に強く感じた停滞感、長いという不満は全然なくて、生真面目なのに心地良くて春爛漫の中に置かれたような気分になりました。久しぶりに今回聴いてみると初回の印象とは違い、違和感のような感じはありませんでした。最近聴いていたのはキングスウェイホールで録音したEMIのアナログ録音のCDだからこのCDとは大分年代も機器も違うので、むしろ違和感を増してもおかしくないところですが、これは慣れかもしれません。

アシュケナージ・N響/2007年
①12分58②12分23③5分27④3分57⑤09分40 計44分25
アントニーニ/2009年
①10分55②11分20③5分01④3分35⑤08分21 計39分12
インマゼール/2006年
①10分23②11分59③4分43④4分00⑤09分15 計40分20
ヴァイル/2004年
①11分30②12分29③5分08④3分47⑤09分39 計42分33

 今世紀に入ってからの田園交響曲のCDでトラックタイムを比べるとI.フィッシャーと合計時間が似ていました。また、ピリオド・オケや折衷タイプの録音と比べると2分から4分は長くなっています。聴いていると強弱のアクセントを強調する風でもなく、できるだけなめらかに、なだらかに演奏しているという印象なので、こういう演奏時間の傾向と一致しています。ところでアシュケナージとN響のベートーヴェン交響曲は既に九曲を録音し終えていますが、新譜時にレコ芸で特選になったかどうかを調べるとどの曲、CDも特選になっていませんでした。評者が二人なので誰が交響曲の担当になっているかで結果は変わってくると言えよう。
17 10月

ハイドン交響曲第103番 ヨッフム、ロンドンPO/1972年

181016ハイドン 交響曲 第103番 変ホ長調 Hob.I:103

オイゲン・ヨッフム 指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

(1972年4月 ロンドン 録音 DG)

 緑茶、米、それから日本酒といったところの消費量が低下していると言われて、京都府か市で日本酒による乾杯を奨励する条例が出来ていました。それから酒蔵が漫画の「へうげもの」とコラボして新しい銘柄の酒を出すという企画もあり(お茶の方もやればと)、先日ある店のカウンターに座っていると、その銘柄が来月入荷しますと告げられました。企画第二弾だそうで今回は山形の蔵とか。米の方は全盛期と比べると一人当たりの消費量がかなり減っているのでこれは昔のようにはいかないだろうと思いました。翌日に医院へ行くと、先月の血糖値やら何かの平均値がかなり改善していて前者が空腹時で90を切っていました。

 ハイドンの交響曲で第93番以降のザロモン或いはロンドン・セットの中で第102番、103番がここ何年かで気になるというか時々思い出して聴きたくなってることがありました。先日車の中でSDカードに入ったこの曲を聴いて(多数入っている中でこの曲の順番になった)いて確かヨッフムのCDだったと思って帰宅してCDを確認したら曲順が違い、第100番「軍隊」とカップリングされているのはテイトとECOでした。それであらためてヨッフムとロンドンPOの方を聴きました。何となく高音が目立って低音が薄いような聴きなれない響きに感じられて、ヨッフムの指揮するブルックナー以外の独墺系作品はこんな感じか?と妙な印象でした。

ヨッフム・ロンドンPO/1972年
①9分55②10分29③5分28④5分24 計31分16

 しかし、聴いている内に流れるようなテンポ感が心地よくて、シューベルトかメンデルスゾーンのような印象でもあり魅力的でした。同じくらいの年代に録音された第103番「太鼓連打」の録音がすぐに出てこない(ドラティの全集くらいか)ので比べませんが、ヨッフムとロンドンPOは31分強の合計演奏時間でした。だいぶ新しくなりますがアダム・フィッシャーとアーストリア・ハンガリー・ハイドンOも同じくらいの合計時間でした。

 ドイツ・グラモフォンなのにロンドン・フィル、しかも当時はハイティンク時代で特にヨッフムが首席でもないのにハイドンだけでなくブラームスも録音していました。どうせならドイツのオーケストラを指揮して録音すればと、余計なお世話ながら昔は思っていましたが(テンシュテットのマーラーでロンドン・フィルがしばしばやり玉にあがるのでついそう思ってしまう)、先日来のブラームスのブラームス同様にロンドン・フィルも素晴らしいと思いました。

15 10月

ブラームス交響曲第4番 ボールト、LPO/1972年

181015ブラームス 交響曲 第4番 ホ短調 op.98

サー・エイドリアン・ボールト 指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

(1972年3月4,13,14日 ロンドン,キングズウェイ・ホール 録音 tower records/EMI)

 十月も半分が過ぎてそろそろ年末のカレンダーが気になる頃ですが、今年はコンサートにあまり行っていないことを思い出し、12月に来るパリ管の他に来日団体の京都公演を探しているとNDRエルプPOの公演が11月(京都コンサートホール)にありました。ブラームスの交響曲第4番とローエングリンの第一幕への前奏曲がプログラムに入っているので大いにひかれました。しかしC,D席はもう売り切れなのと、11月ならメジューエワの京都公演、松本隆・現代語訳による「白鳥の歌」と他にも注目公演が並んでいるので、思案のしどころでした。公演カレンダーを眺めていると京都市立中学の合唱コンクールを京都コンサートホールでやっているようで、体育館に長椅子を出し入れしていた自分が中学生の頃の合唱コンクールと比べてなんとぜいたくなことかと感心しました。

 ボールト晩年のブラームス録音集から今回は交響曲第4番です。この曲はブラームスの四つの交響曲の中で一番好きな曲で、昔から両端楽章、とりわけ終楽章が大好きでした。このボールトの録音はそれら第1、4楽章がちょっと弱くて、その代わりに第2楽章が全く感動的です。第2楽章にこれくらい聴き入ったのはこれが初めてなくらいの感銘度でした。先日来聴いているタワーレコードのSACD復刻盤を連続して聴いていますが、この曲は第3番を最初に聴いた際に連続して聴きました。その時は第3番程の感銘度ではなくて第1楽章だけで止めてしまいました(内心がっかりしていました)。しかし全曲を通して聴くと独特の魅力が感じられました。

ボールト・LPO/1972年
①12分31②10分00③6分26④10分16 計39分13
バルビローリ・VPO/1966年
①14分08②12分48③7分28④11分21 計45分45
クレンペラー・PO/1957年EMI
①12分20②10分16③6分37④09分44 計38分57
トスカニーニ・PO1952年
①11分29②10分38③6分16④10分00 計38分23

 終楽章のコーダ部分は一段とテンポを落としてかみしめるように進むのが特徴的で、例えばC.クライバーの突進して行くようなテンポとは対照的です。過去記事であつかったこの曲のトラックタイムを並べると、バルビローリだけが突出して長くてボールトも含めてそれ以外は時間だけは似ています。ボールトのブラームスが過去どれくらいの人気だったか記憶に残っていなくて、ワルターやベームに隠れていたかもしれないと思い出しています。

 ボールトがオーケストラのリハーサルの際にはフルパワーを求めず、リハーサルはあくまで本番のためのものという方針だったようです。それに第4番の練習の際は第3楽章、第4楽章、第1、第2楽章という順番で取り組み、第3楽章だけが出番のトライアングル、ピッコロや第3、4楽章だけのコントラファゴットの奏者はその楽章が済めば帰らせていました。19世紀生まれの巨匠はその作品の演奏にかかわる全員が揃って練習するしないと気が済まない人が多かったので、ボールトのような合理的な考えは例外だったということです。例えばクレンペラー、ある奏者が遅刻したのでその人物が来るまでリハーサルを開始しないで居て、やっと到着したらその楽器の出番が無いところから開始したという、ネタ半分なのかそんなエピソードもありました。
14 10月

エルガー「神の国」 ヒコックス、LSO他/1989年

181014bエルガー オラトリオ「神の国(The Kingdom)」 Op.51

リチャード・ヒコックス 指揮
ロンドン交響楽団
ロンドン交響合唱団

聖母マリア:マーガレット・マーシャル(S)
マグダラの聖マリア:フェシリティ・パーマー(Ms)
聖ヨハネ:アーサー・デイヴィス(T)
聖ペトロ:ディヴィッド・ウィルソン=ジョンソン(Bs)

(1989年6月11-13日 ロンドン,セント・ジュード・オン・ザ・ヒル教会 録音 Chandos)

181014a “ The Upper Room ” 、アッパールームは高間と訳されたりする、新約聖書の「使徒のはたらき」で出て来る聖霊降臨の前に使徒らが集まっていた宿の二階の部屋で、このオラトリオでも何度も登場します。
“ The Upper Room ” というタイトルの手帳くらいのサイズの冊子があり、アメリカのメソジスト系の教会発祥の毎日読む信仰書で、現在では超教派的で約40ケ国の言語に翻訳されて普及しています(パウロ書店とか女子パウロ会の書店にはあったかどうか?)。教派のことはさておき、まさに「世界に広がる教会」を思い起こさせる冊子です。

 このオラトリオ、前作の「使徒たち」、それから内容は未確認ながらそれらと三部作を構成するはずだった「最後の審判」は、ここまで歌詞を読んで日本語訳を類推(辞書を引く根気がない)すると、特定の人物が主人公というわけではなく、人の集まりという意味での「教会」即ち「キリストのからだ」そのものを描き出しているような内容です。全く壮大な内容であり、三作目の最後の審判は正真正銘完結して十字架上の言葉「なしとげられた」が実現するような輝かしいものになったのではないかと想像できます。


1.In the Upper Room (高間にて)
2.At the Beautiful Gate (美しの門)
3.Pentecost (聖霊降臨)
4.The Sign of Healing (癒しのしるし)
5.The Upper Room (高間)

181014 
オラトリオ「神の国」は、1902年頃から作曲を開始して1906年に完成して同年10月6日に初演されています。上記のように五部から成り、作曲者自身が歌詞を編集しています。新約聖書だけでなく、福音書で有名な箇所や祈祷書等に組み込まれた旧約のお馴染みの句が織り込まれています。第一部の冒頭で一同が「まず神の国と神の義を求めよ」と唱和し、第五部のフィナーレでは主の祈りを一同で唱和の後、私たちはあなたのものと告白、宣言して全曲を閉じています。前作の「使徒たち」もそうでしたが歌詞の構成には本当に感心させられます。第四部で「金銀は我々にない~(我々にあるものを与えよう)ナザレ人イエスの名によって歩きなさい」というところ、現代の教会は金銀に不自由していないどころじゃないところが少なくない反面、という現実を見ると新鮮であり、「神の国はあなた方のただ中にある」と言われた言葉が鋭く突き刺さります。

 エルガーは初演の指揮をしながら感激のあまり涙を流したそうですが、神秘的で壮大な内容が深々と広がっていくこの作品を聴いているとそれもうなずけます。このCDはヒコックスがシャンドス・レーベルへ録音したエルガーの三大オラトリオを復刻したもので、CD一枚の厚さのケースに二枚を収めた廉価盤です。音質も良好であり、細部までよく聴こえて歌詞も聞き取り易いのも嬉しいところです。それに前奏曲が見事で、これから始まる作品の世界に負けない品格をたたえて響きます。ヒコックスは声楽作品の大作をそこそこ録音していますが、これは屈指の出来ではないかと思いました。
13 10月

エルガー「使徒たち」 ボールト、LPO/1973年

181012aエルガー オラトリオ 「使徒たち」作品49

サー・エードリアン・ボールト 指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
ダウン・ハウス校合唱団
ロンドン・フィルハーモニック合唱団

イエズス:ジョン・キャロル・ケイス (Bs)
聖母マリア:シーラ・アームストロング (S)
マグダラのマリア: ヘレン・ワッツ (Ms)
聖ペトロ:ベンジャミン・ラクソン (Bs)
聖ヨハネ: ロバート・ティアー (T)
ユダ:クリフォード・グラント (Bs)

(1973年10月23,29,30日,11月5,7日,12月20,31日、1974年7月2日 ロンドン,キングスウェイホール 録音 EMI)

 昨日の帰宅時に京都市内から東まわりのルートを通り、近代美術館のところで藤田嗣治展が来るのを思い出して日程をチェックしようと思いました。来週の金曜から12月16日までやっているのでこれは複数回行こうと思っています。2006年(生誕120年)に同じ会場で開催された時は大混雑で一回だけ行って終わったので、今回は涼しくなり少々並んでも耐えられそうです。藤田嗣治とエルガーは特に接点は無いはずですが、藤田が戦後再びフランスへ住んでから描き出した宗教画(ランスのシャペル・フジタのフレスコ画)を見ていると少しだけエルガーのオラトリオと似たところがある気がしました。

181013b このCDはエルガーの廉価箱に含まれているもので、ボールトが晩年に残したエルガーの三大オラトリオから「使徒たち」と「神の国」が入っています。「ゲロンティアスの夢」は何故かボールトではなくバルビローリ指揮の録音が選ばれていました。ボールト指揮のエルガー声楽作品だけを集めた薄い紙箱シリーズ、ボールト指揮のエルガー録音だけを集めた廉価箱と他にも同じ音源が含まれる廉価盤箱はあるのでちょうど良いかもしれません。先日てっきり後者を購入していたと思って探していたら、それはヴォーン・ウィリアムズ箱と勘違いしていたことに気が付きました。それはともかく、1960年代半ば頃から1970年代にかけてのボールトのEMI盤は先日のブラームスのようにかなり感銘深くて、今回の「使徒たち」も同様でした。

181013 エルガーのオラトリオ「使徒たち“ The Apostles ”」作品49は1902年12月から作曲を開始して1903年8月17日に完成しました。歌詞は新約聖書の記事、イエズスの公生涯から12人の召し出し、エルサレム入場までの行程、ゲッセマネ、ゴルゴダから復活、昇天までを描いていて、
新約聖書の「使徒のはたらき」から聖霊降臨を扱った次作のオラトリオ「神の国 “ The Kingdom ” 作品51」と対を成すような内容です。当初は未完に終わった裁きを扱った作品と三部作を構成する計画だったようです。聖書の記述そのものを歌詞にしたのではなく、作曲者が抜粋して再構成したようですが独特の内容になっています。

 興味深いの登場人物の中でイスカリオテのユダ、マグダラの聖マリアの出番が多くて、特にイエズスを売り渡した後のユダが苦悩を歌う部分に多くがさかれているのは他に例は少ないと思います(有名作品には見当たらない)。これは福音書の記事を単に描くという内容の作品ではなく、作曲者の中で血肉となっていることが現れているのだと思われます。ユダを仇だとか自分達と対極にある悪人という意識ではなく、我々も同じようなことをする素質を持っている、くらいの謙虚な認識が根底にあるのではと思いました。ゴルゴダや復活についてはかなり短くなっているのは容易には音楽で表現できないからかと思いながら、復活を告げる天使が歌う静かな女声コーラスは特に魅力的でした。
12 10月

ブラームス交響曲第2番 ボールト、ロンドンPO/1971年

181012ブラームス 交響曲 第2番 ニ長調 Op.73

サー・エイドリアン・ボールト 指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

(1971年1月16,28日,4月15日 ロンドン,キングズウェイ・ホール 録音 tower records/EMI)

 先日の午後、JR山科駅から運行している路線バスの循環路線に乗ったところ、自分が思っていたルートとは逆回り(総統閣下風に言えば「(確認が)足らんかったー、畜生めえ」)だった上に小型バスだったので吊革、天井までの高さが合わず、吊革が出ている金属のポールを固定する金具をつかんでやっと立っていられました(狭い道を通るので揺れまくり)。それに乗客は自分と下校の高校生一人の他は全員70歳代らしい高齢者だったのには妙な感慨を覚えました。その辺りには公営の団地もあって、かつては幼稚園、小学校に通う子供がいっぱい居たはずで、高齢化する日本をまた実感しました。

 といったところで80歳を超えたボールト晩年のブラームス録音集から、今回は交響曲第2番を聴きました。先日聴いた第3番が同曲の録音中で屈指の感銘度だったように今回の第2番も引けを取らない内容でした。演奏だけでなく録音、リマスターを含めて音質も良好で、時々技量がいまいちだと評されることのあったロンドン・フィルもなかなかではないかと思いました。ロンドン・フィルは戦時中にビーチャムに放り出されて以降ボールトが献身的に関わり、財政難をも乗り切ってポストをゆずったという経緯がありましたが、これくらいの年代ではロンドンのメジャーなオーケストラの序列、格はどうなっていたのだろうと思いました。

ボールト・LPO/1971年
①19分14②8分27③5分17④9分53計42分51
ケンペ・ミュンヘン/1975年
①16分00②9分32③5分15④9分01計39分48
モントゥー・VPO/1959年
①20分28②9分20③5分06④9分00計43分54
クレンペラー・PO/1956年
①15分03②9分17③5分28④9分04計38分52
トスカニーニ・PO/1952年
①14分38②8分20③5分16④8分50計37分04

 過去記事で扱ったブラームス第2番のトラックタイムを比べるとリピート有無の加減もあると思いますが、モントゥーとウィーンPOの合計時間が一番近くなっています。しかし実際に聴いた印象はどれも似ていなくてどれも独特だと思いました。ボールトとロンドン・フィルは伸びやかで屈託が無い、小川というかそこそこの川のせせらぎのような心地良さにあふれています。淀むとか滞るということと程遠くありながら単調とも思えない、全く魅力的なヴラームス第2番です。とか言いながら今年の猛暑の頃にこれを聴いていたらあまり感銘を受けなかったかもしれません。この曲を聴いてこれ程満足することは滅多に無いのでわがことながら内心驚いていました。

 このCD集の付属冊子に載った解説には英国では早くからブラームス作品の受容が進み、1876年にはケンブリッジ大学が名誉博士の授与を申し出た程でした(それに比べてブルックナーは)。それにもかかわらずブラームスの方はどうも英国、イングランドに好意を持っておらず名誉博士を断っています。もらえるものはもらっておいて損は無さそうだと思いますが、さすが一筋縄ではいかない気質のようでした。
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昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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