raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

2018年01月

31 1月

J.S.バッハ ガンバとチェンバロのソナタ クイケン父子

180201aJ.S.バッハ ガンバとチェンバロのソナタ
ソナタ 第1番 ト長調 BWV.1027
ソナタ 第2番 ニ長調 BWV.1028
ソナタ 第3番 ト短調 BWV.1029

ヴィーラント・クイケン:ヴィオラ・ダ・ガンバ
ピート・クイケン:チェンバロ
*ヴィオラ・ダ・ガンバ
 1705年パリ,ニコライ・ベルトラン製作
*チェンバロ
 1995年パリで再現:アントニー・サイティ,フレデリク・パル製作

(2002年6月29日-7月3日 仏,アキテーヌ地方,サン=ジャン=ド・コール教会 Arcana classic)

180201 もう二月になります。京都市内にも楽器の工房らしきものを見かけましたがチェンバロ、クラヴサンではなくて弦楽器専門のようでした。最近F.クープランのクラヴサン曲を聴いて楽器の音色にもあらためて関心がわきました。天神さんとか弘法さんの縁日に壊れたものでも売ってないかなと思っていると、新規に製作発注すれば数百万以上かかるようなので全くのおかど違い、無知の極みでした。コンサートの際にライトの熱でも調律に影響するのでデリケートな楽器というのは聞き知っていましたが、ガラクタ並みのものでもいいからあの弦をはじく音を何とかま近で聴きたいと不意に思いました。

180201b それは無理なのでチェンバロが活躍するCDですぐに取り出せるものがこのクイケン親子(チェンバロは息子のピート・クイケン)のバッハ作品集だったので、とりあえずチェンバロとガンヴァのソナタだけを聴きました。これは三枚組アルバムなので、無伴奏チェロ組曲が三枚目の途中まで入っています。当初の購入動機は無伴奏の方だったのがしばらく聴いていない間に目当てが逆転しました。ピート・クイケンは1972年にベルギーのブリュージュで生まれたヴィーラント・クイケンの息子(何番目とかの記述は無い、詮索もしないが)であり、ベルギーで学んだ後にインディアナ大学に留学し、ボザール・トリオのピアニスト、メナヘム・プレスラーに師事しまた。チェンバロ、フォルテピアノだけでなく現代ピアノも演奏し、日本でも公演を行っています。

 ソナタのBWV.1027は二本のリコーダーとチェンバロのためのソナタをガンバ用に編曲した作品でした。このソナタだけでなく三曲ともトリオ・ソナタ形式で書かれ、チェンバロは単なる伴奏ではなく対等に渡り合い、一対一で対話をするような性格になっています(演奏者はその妙味を実感するという)。BWV.1028はどこかで聴いたという覚えがそこそこ鮮明にあり、第1曲目のアダージョ、第2曲目のアレグロはバッハの別の作品から転用されたのか、とにかく別の機会で聴いた気がしました。第3曲目のアンダンテ(歩く速さで)はロ短調であることから、付属冊子の解説によると受難曲にふさわしい内容だと評しています(さしずめ Via Dolorosa をおもわせるということか
)。

 
ここまでの二つのソナタは基本的に教会ソナタの形式によっていますが、BWV.1029のソナタは三つの楽章で構成される協奏曲的なスタイルで作曲され、内容も快速な両端楽章が高度の演奏技術を要して協奏的になっています。使用楽器の種類も注記されてあり、チェンバロはフランス製の楽器を複製再現したものとなっています。古楽器のチェンバロもドイツ式、フランス式、イギリス式といった違いや年代によって色々違い、音色にも差が出るわけですが、新しいCDで聴く楽器の中には金属の枠が出すガシャガシャという音に近いものもあって、それが妙に頭の中に残っていたのでこのCDのチェンバロはもっと軽い感じなのでとりあえず好印象でした。ただ、もっと軽快でいかにもはつげん楽器らしい音色の楽器もあったのじゃないかと思いました(ぜいたくな)。
27 1月

番外編~フランソワ・クープランの作品

180127a 先日のある夜(寒波襲来の前)、四条通を東に向いて歩いて高瀬川を渡ったときに川沿いを少し南に行ったところにあった「コンセール四条」というクラシックLPの店を思い出しました。たしか大阪の四天王寺あたりに姉妹店か系列店があって、レコ芸の広告欄にも小さい広告が出ていました。その辺りは古くからの料理店のほか、エロいサービスの店もあり微妙なエリアになっていますが、コンセール四条が健在だった頃はちょっと風情がマシだったかもしれません。いきなり何なのかと、それは最近出会いがしら的にフランソワ・クープランの作品、「1声と2声のためのルソン・ド・テネブル(聖水曜日のためのルソン・ド・テネブル)」の感動的なCDに遭遇してにわかにクープランの魅力に目覚めたからで、「王宮のコンセール」というクープランの作品もあったのでその店名とリンクしました。

180127b クープラン(François Couperin 1668年11月10日,パリ - 1733年9月11日,パリ )の声楽作品だけでなくクラヴサン作品集(CD1枚に抜粋)も聴いて、バロック期のチェンバロ楽曲を聴いてこれ程感銘深いと思ったことはなく、タイミングの問題だとしてもF.クープランも偉大な作曲家だったんだとしみじみ思いました。F.クープランのクラヴサン作品ならスコット・ロスやブランディーヌ・ヴェルレ、クリストフ・ルセの全曲録音がまとめてCDで出たことがありましたが、その頃は作品自体にあまり関心が無くて聴いても良さは分からないだろうと思ったので気にとめていませんでした。改めて入手し易いものを探すと案外無いものです。

 クープランのクラヴサン作品は四巻に分けて出版されて、それぞれに組曲的なまとまり(オルドルと呼ぶ)に複数の曲が入っています。全部で230曲以上になり、各曲に「目覚まし時計」とかシテール島のカリヨン等タイトルが付いています。実際に聴くと名が体をあらわすというか妙に納得させられ、それだけでなく題名に限定されない広がりも感じさせます。クラヴサン曲が多数現存するのに教会音楽の方は楽譜が少ししか残っていないのが残念で、聖木曜から三日分のルソン・ド・テネブルは初日分しか聴けません。クープラン家もバッハ家と同じように一族に多数の音楽家が出ているので、フランソワ・クープランは特に「大クープラン」と呼ばれました。バッハより15歳以上年長なので革命後のギロチン騒ぎに巻き込まれずに済んでいます(ヴェルサイユ宮殿のオルガニストも務めた)。

 こういう番外編、その他、の記事になったのは寒過ぎて一定の時間続けてCDを聴いていらないからでした。テネブルのCDはフランスのカウンター・テナー、ジェラール・レーヌと彼が設立したアンサンブル・イル・セミナリオ・ムジカーレの録音、クラヴサン曲集の方はオリヴィエ・ボーモンの抜粋CDを聴いていました。後者の方はその筋ではどういう評判なのか未確認ながらとりあえずすごく気に入りました。ボーモンといえば、関係無いけれど坊門という地名、公家があり、大河ドラマの太平記では嫌な人物として描かれていました。それから合奏曲「王宮のコンセール」はいざCDを探すと店頭では見つからず、便利なようでちょっと寂しい気もします。
25 1月

ドヴォルザーク交響曲第9番 ヴァーレク、プラハRSO/2000年

180125bドヴォルザーク 交響曲 第9番 ホ短調 作品95「新世界より」

ヴラディミール・ヴァーレク 指揮
プラハ放送交響楽団

(2000年9月4,7日 プラハ,チェコ放送スタジオ 録音 Supraphon

180125a 予報通りの寒波によって連日最低気温が氷点下になっています。今朝は特に布団から出たくない思いでしたがそうもいかず、定刻通りに起きて出発しました。宇治市内は雪が無かったけれども北、西方の山の方が白く煙ってかすんでいました。伏見区くらいで薄く雪がかかった地面が見え始め、JR京都を越えて下京区に入ると車道でもアスファルトに刷り込んだような雪が残っていました。五条大橋の手前くらいでははっきり分かるくらいに車道が白くなり、南下して来る車の屋根やボンネットには5センチ程度積もったのもあったので、さらに北の方では5~10センチくらい積もったかもっしれません。この程度は豪雪地帯からすれば全く軽微なものでしょうが、南座を越えたあたりで既にスリップが原因とみられる追突事故を見かけました。

 いつ頃までだったか一月のオーケストラ公演でドヴォルザークの新世界がプログラムのメインに入っているのをしばしば見かけました。しかしここ十年くらいはめっきり見なくなり、代わりにか夏休みの八月に大阪フィルのプログラムに入っていることがあります(三大交響曲)。二月になる前にとりあえず新世界交響曲を聴いておこうと思って未聴だったドヴォルザークのCDを取り出しました。

 これはヴラディミール・ヴァーレク(Vladimír Válek 1935年9月2日 - )とプラハ放送交響楽団が2000年9月から2003年11月にかけて演奏、録音したドヴォルザークの交響曲全集の第一弾でした。ヴァーレクは1985年から2011年まで同オーケストラの首席を務めていたので、このドヴォルザークを録音した頃は就任から15年が経過した時期にあたりました。ヴァーレクは日本のオーケストラに客演したり、プラハ放送交響楽団と来日したりしています。プラハ放送交響楽団は、1926年にチェコ・スロヴァキア国営放送の専属オーケストラとして設立されました(チェコPO、プラハ交響楽団と並んでチェコ三大オケと称するらしい)。

ヴァーレク・プラハRSO/2000年
①08分41②10分55③7分18④11分17 計38分11
ノイマン・チェコPO/1995年
①10分26②13分59③7分47④11分54 計45分06
マーツァル・チェコPO/2004年
①12分08②11分45③8分05④11分22 計43分20
ビエロフラーヴェク・チェコPO/2013年
①09分55②12分46③8分17④11分53 計42分51

 ドヴォルザークの交響曲第9番のCDで比較的新しいもののトラックタイムを並べると上記のようになり、ヴァーレク以外はチェコ・フィルです。ヴァーレクが各楽章、合計ともに抜きん出て短い演奏時間なのが分かり、実際に聴いているとまさに快速で、その上に短距離のダッシュを思わせるような直線的感覚が目立ちます。第1楽章冒頭の序奏部分をゆっくり演奏しないのはクレンペラーも同じですが、その直後のティンパニは雷が落ちたような破裂感で驚きました(ラインの黄金のドンナー以上か)。CDの紹介(HMV)記事を読んでいると他の交響曲もこういう演奏のようで、ライヴ録音の第7、5番が大迫力で「土煙が巻き上がるように熱気と激しさがヒートアップ
」と評しています。本場の演奏でこういう感じのタイプは記憶に無いのでかなり驚きました。もっとも、本場と言ってもほとんどチェコ・フィルの録音ばっかりだったので、ヴァーレクの公演を聴いたことがある人にはお馴染みのスタイルだったことでしょう。
24 1月

ベートーヴェン交響曲 第7番 ブルーニエ、ボン・BeeO/2016年

171229aベートーベン 交響曲 第7番 イ長調 op.92

ステファン・ブルーニエ 指揮
ボン・ベートーヴェン管弦楽団

(2016年5月2,3日、6月6,7日 ボン,ベートーヴェンハレ 録音 Mdg)

 冬季五輪開幕が近付いてきました。四年前の今頃はフィギュア男子の高橋選手が使用する楽曲が佐村河内氏のあれだったということでも騒ぎになったのも思い出されます。最近はその曲の真実の作者たる、新垣隆さんの作品が日本人作曲家のCDコーナーに並んでいます。件の交響曲は再発売されていないようですが、事件自体も曖昧に棚上げされたように作品も封印されるのだろうかとちょっと気になります。TV関係者、興行、音楽関係者であの件に関わった人はすっかり何事も無かった様なていです。この寛容?さがあるなら昨今のスキャンダルの当事者も無罪放免にすればと思います(ベッキーとか)。

180124 新年になってから朝の「クラシックカフェ(NHK・FM)」を聴いたらベートーヴェンの交響曲第7番が流れていました。正月だから特にそう思うのか、ちょっと聴いただけで何とも言えない清々しさで、近年のピリド奏法系とは違うのに、この曲がここまで清新に響くとはと感心しました。曲の途中から聴いたので演奏団体は分からず、ドホナーニかブロムシュテットあたりがアメリカのオケを振ってるのかと見当を付けていると、最後にショルティとシカゴ交響楽団の演奏と告げられてちょっと意外でした。ショルティなら二度ある全集の内どっちか?と思いましたが未確認のままです。そんなわけでベートーヴェンの交響曲第7番です。

 先月に交響曲第4番を聴いたブルーニエとボン・ベートーヴェン管弦楽団ですが、今回の第7番はラジオで聴いたような特別な感慨は無くて、普通なベートーヴェンに思えました。だからショルティの偉大さを改めてかみしめました。普通といってはみても聴いていると所々面白いと思う部分もありました。特に第3楽章のテンポが魅力的でした。ただ、残響の加減か、オーケストラの技量(ショルティ時代のシカゴSOと比べて)、マイク等録音の技術のためか何となく輪郭がぼやけたような印象が付きまといます。ブルーニエが京響に客演した第九の印象とは大分違いました。

ブルーニエ・ボンO/2016年
①14分16②09分12③10分19④04分42 計38分29
アントニーニ・バーゼル室内O/2010年
①12分52②07分48③08分35④08分40 計37分55
ナガノ・モントリオールSO/2013年
①13分24②08分09③08分59④08分59 計39分31
B.ヴァイル・2008年
①14分05②08分34③08分23④08分14 計39分16
インマゼール・2006年
①12分56②08分17③08分24④08分52 計38分29

 2000年以降のベートーヴェン交響曲第7番のCDのトラックタイムを並べると上記のようになり、ブルーニエとインマゼールの合計がたまたま同じになりました。ヴァイルとインマゼールは古楽オケ、バーゼル室内管弦楽団はピリオド楽器、奏法との折衷で演奏しています。モントリオール交響楽団のナガノとは一応条件が近いということになります。ブルーニエの録音は第4楽章が極端に短いのが目立ち、これは反復省略の加減かと思います。反対に他の三楽章はブルーニエが一番長いトラックタイムです。第4番とあわせて一枚のCDに収めるためという理由でも無さそうなので、何となくこの配分は気になります。
23 1月

十月革命に捧ぐ ロストロポーヴィチ、LSO/1993年

180123bショスタコーヴィチ 交響曲 第2番 ロ長調 Op.14「十月革命に捧ぐ」 (1927年)

ムスティスラフ=ロストロポーヴィチ 指揮 
ロンドン交響楽団
ロンドン・ヴォイシズ(合唱指揮テリー・エドワーズ)

(1993年2月8,9日 ロンドン,セント・オーグスチン教会 録音 TELDEC)

 今年に入ってまだコンサートとかには行っていないなあと思っていたら、三月の大阪フィルの定期をまだ申し込んでいなかったのに気が付いて電話でチケットを購入しました。ショスタコーヴィチの声楽付き交響曲、「十月革命に捧ぐ」と「メーデー」とバーバーのピアノ協奏曲(1962年)というプログラムです。ソ連とは対極な体制?下の大阪府にあって、予算引き締めの鞭に怯えつつ昨年の第11番「1905年」と第12番「1917年」同時公演に続いてこういうプログラムとは妙に皮肉な感じがします。というわけでまた予習的にCDを聴こうと思い、ロストロポーヴィチの全集から第2番を取り出しました。

180123a ロストロポーヴィチ(Mstislav Leopol'dovich Rostropovich 1927年3月27日 - 2007年4月27日 )は1974年にソ連から亡命したので、ショスタコーヴィチの交響曲全集は第14番を覗いて亡命後に西側のオーケストラ(ワシントン・ナショナル交響楽団、ロンドン交響楽団)を指揮して録音していました。作品を献呈されたり初演したりと、ロストロポーヴィチは作曲者と親交があったので、没後20年が近付くこの録音の頃は複雑な心境だったことと思われます。

 改めて聴いていると冷静というか機械的というか、高揚感が無くて、正負の価値判断の感情から遠いところに身を置いて演奏しているような印象を強く受けました。ロストロポーヴィチの指揮は勝手に爆演、劇薬的な激しい表現を期待してしまい、実際にCDを聴くとそんな風ではなくて、端正で冷静なタイプだと思えることが多くありました。今回もそれと似ていますが決して物足らないということはなく、聴き終わってもあとに演奏から受ける感情が尾を引く存在感がありました。

 この演奏にはサイレン(先日のゲルギエフの映像ソフトでは手回し式だった)を使っていないようで、繰り返し再生してもサイレンが分かりませんでした。これは不純物として省いたのか、代用のため音が小さ過ぎるのか未確認です。ただ、演奏全体からすればサイレンが無いのが当然といった感覚なので省いたのかもしれません。コーラスも盛り上がるといった感じはなくて淡々としています。これを聴いていると先日のゲルギエフの崇高な美しさが圧倒的な演奏が却って際立ってきます。ネット上で読んだ記事(具体的に何が情報源か忘れてしまい、再度閲覧できないのが残念)で、ショスタコーヴィチがロストロポーヴィチが交響曲を全部録音すると言ったら第4番以降にしてくれと言われたという話がありました(何番以降と言われたのかも記憶が曖昧)。それが本当でロストロポーヴィチが真意として受け止めたなら演奏に当たっては影響するだろうと思います。
21 1月

ブルックナー 交響曲 第8番 ハイティンク、ACO/1969年

180111ブルックナー 交響曲 第8番 ハ短調(1890年ハース版)

ベルナルド・ハイティンク 指揮
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

 *1960年9月という表記もあった
(1969年9月1-3日 録音 ユニヴァーサル/Philips)

180120 冬季五輪開催が迫ってきました。半島情勢が表面的、一時的にせよ静かになって五輪も無事に行えそうな中、フィギュアスケートの欧州選手権が行われました。女子はロシアのアリーナ・ザギトワとエフゲニア・メドベージェワが1、2位になり3位はコストナーでした。骨折休養から復帰したメドベージェワ、この分なら五輪もいけそうなので、同じく骨折で休養が長かった羽生選手にも希望、期待が増します(症状は違うとしても)。ロシア選手は個人参加になるのか、そうだとすれば何人が出場できるのか気になりますが、他にも有力選手が何人も居るので、欧州選手権の2位と3位の差を考えればロシアの表彰台独占もあり得ます。

 さて、ハイティンク廉価箱に含まれたブルックナーの交響曲全集から最終回、第8番です。なお、録音データの日付が今回の廉価盤の付属冊子には「1960年9月」となっていますが、ブルックナー愛好家のサイト a.bruckner.com のディスコグラフィでは1969年になっていました。聴いた音の印象からは古い1960年の方じゃないかと思いましたが、後者は年、月だけじゃなく日まで書いてあるので一応それを載せました。

ハイティンクACO/1969年
①13分57②13分33③25分17④20分44 計73分01
ハイティンクACO/1981年
①15分59②16分00③29分08④23分49 計84分56
ハイティンク・VPO/1995年
①16分48②15分04③27分26④23分47 計83分05

 ハイティンクの三種類(1995年以降にもライヴ盤がある)の録音の中で今回のものが一番合計演奏時間が短くて、約10分以上も差があります。実際に聴いた印象では第2、第4楽章が速い、速すぎると思われて、ブルックナー作品らしいと感じる泰然とした感覚が限りなく薄くなっています。特にフィナーレはアッチェレランドという島か国でもあればそこの住人かと思うくらいの突っ走り様でした。スケルツォ楽章とフィナーレがこういう感じだとブラームスか古典派の交響曲のスタイルのように聴こえます。

 作曲者当人の生前の考え、自分が作曲した時にどういう風に鳴り響いていたのか、究極的には確かめようがありません。あるいは本来はこのハイティンクの初回録音のようなタイプだったのかもしれないと、フィナーレを聴いている時に一瞬思いました。しかし、個人的には二度目にアムステルダム・コンセルトヘボウOと録音した(1981年)ものに一番惹かれました。ブルックナーの音楽はフィギュアスケートとか体操・床なんかに使用されたのを聴いたことがないので、だれかやらないかと期待しつつ注視しています。
19 1月

モーツァルト交響曲 第33番 クリップス、ACO/1973年

180118bモーツァルト 交響曲 第33番 変ロ長調 K.319

ヨゼフ・クリップス
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

(1973年9月 録音 旧Philips)

  先月のある朝、普段は通勤で使わない駅、「神宮丸太町」で下車して鴨川沿いを歩いていると口ばしとその周りくらいが白く、顔は黒い水鳥(体長が30~40センチくらい)が何羽か居ました。見慣れない鳥なので調べると「オオバン」という鶴の仲間の鳥でした。ユーラシア大陸北部から越冬のために日本にも飛来するらしく、近年はびわ湖畔で急激に数が増えているそうです(平成27年には6万羽以上観測されている)。この鳥、一応絶滅危惧種になっていて中国で越冬していたのが環境変化のためびわ湖に来るようになったとされています。何気なく通り過ぎているところで立ち止まると、スズメ、ハトだけでなくけっこうな種類の野鳥が居るのに気が付きます。「オオバン」と勝手に断定してますが、写真を撮ったわけじゃなく、別人ならぬ別鳥かもしれません。

180118a モーツァルトの交響曲で第35番以降は後期の六大シンフォニーとかでレコード、CDは多いですが(最近はモーツァルトの交響曲・新譜は下火か?)、第33、34番はタイトルもないのでちょっと地味です。自分の場合は両曲が一枚のLPに入ったクレンペラーのEMI盤があったので1980年代半ばから気になる作品でした。そのクレンペラーと対極的なモーツァルト演奏ながら自分が気に入っているのがヨゼフ・クリップス晩年のPhilips盤でした。はじめて聴いたのはCD化されたフィリップスの廉価盤で、確か25番から31番くらいまでだった覚えがあり、弾むようリズム感と端正(くずしていないような)さが魅力だと思っていました。

 改めて第33番を聴いていると全く優雅で、先日のセルのセッション録音とも違うスタイルだと思いました。クリップスのモーツァルト交響曲はウィーンPOと録音することはできなかったものかと、初めて聴いた時は思いましたがACOも立派なのでこれでいいかと思っています(そういえばレヴァインはウィーンPOと全集を録音できたのだからクリップスもセルも可能じゃなかったのか??)。

 クリップスはウィーン育ちで生粋のウィーンの音楽家なのに、色々なエピソードによるとウィーンフィルの団員からはあまり尊敬されていない風でした。ナチ時代やその後の困難な時代を支えた人物なのに、何かにつけてモーツァルトだけを引き合いにだしたりする言動のおかげで知的ではないと軽んじられているような書かれ方は意外でした(近親憎悪的な感情なのか)。ついでにベートーヴェンの交響曲全集もウィーンPOではなくてロンドンSOだったので、そうしたエピソードの内容はある程度本当なのかもしれません。
 
17 1月

水車小屋の美しき娘 ボー・スコウフス、ドイチェ/1997年

180117シューベルト 歌曲集 「水車小屋の美しき娘」 D.795

ボー・スコウフス:Br

ヘルムート・ドイチュ:P

(1997年3月25-27日 バンベルク,レーグニッツ・シンフォニー・コンツェルトハレ 録音 SONY)

 今日は阪神淡路大震災から23年の日でした。ラジオで取り上げてなかったら気が付かずに終わったかもしれないくらいです。それでも23年前の朝のことはまだ覚えていて、目が覚めた瞬間に大きな揺れが来てラックに収めたCDが半数以上落下したり、かつて経験したことのないゆれでした。それから電車のダイヤが大混乱になり、近鉄電車の車内でイライラしながら別路線のより大編成な列車通過を待っていました。震源地から離れていたのでその程度で済んだわけですが、ラジオ番組を聴いていると被災者、遺族の方々にとってはまだ記憶が生々しいのだと思いました。それに地震に原発事故が加わると20年やそこらでは片付かないという深刻さが改めて迫ってきます。

180117b これは先日の「冬の旅」のバリトン、ボー・スコウフスが1990年代に録音したシューベルトの作品の一つです。ジャケットというのか付属冊子に使われた彼の写真の風貌は最近の写真とはえらく違い、「分け入っても分け入っても長い髪」、後姿の写真なんかは当時35歳なのでまだ青年の雰囲気も残ります(正面斜めからの肖像写真を見ても地毛のようである)。1997年頃と言えば自分がクラシック音楽をあまり聴かなくなってきて、ボー・スコウフスの新譜は全く気が付かず近年になって存在を知りました。

180117a 「今回の水車小屋」も最初から速めのテンポで通し、そのために張り詰めた空気につつまれています。特に第14曲 “ Der Jäger (狩人)” 、第15曲 “ Eifersucht und Stolz (嫉妬と誇り)” が攻撃的で、それでも声質のためか上品にきこえます。対照的に落ち込んだような直後の第16曲 “ Die liebe Farbe(好きな色) ” が感動的です。最終曲はなにか終着駅にたどり着いた安堵感を思わせる、角がとれて静かな歌唱になります。たいていの演奏が多かれ少なかれそんな感じだとしても、この録音は注意深く前半の張り詰めた間隔を解いたように感じられてより印象的でした。

 この歌曲集をバリトンが歌うこと、他の編成ではなくピアノと演奏することの美しさを改めて印象付けられる内容だと思いました。ピアノは鮫島有美子の夫としても知られたヘルムート・ドイチュ(Helmut Deutsch 1945年12月24日,ウィーン - )です。彼の名前はよくきくもののリート作品でピアノを弾いた演奏は滅多に聴いた(鮫島有美子のアルバムくらい)覚えはなくて、白井光子の夫のヘルムート・ハル(違う表記かもしれない)と時々混同してしまいます。
15 1月

ブルックナー 交響曲 第8番 ハイティンク、VPO/1995年

180115ブルックナー 交響曲 第8番 ハ短調(1890年ハース版)

ベルナルド・ハイティンク 指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(1995年1月10-13日 ウィーン,ムジークフェラインザール 録音 旧PHILIPS)

180115z 先日のウルトラマン・最終回についてネットで検索していると、放送されずカットになった部分があり、映像上矛盾がある点があったという内容が出てきました。元々はゼットンがウルトラマンの胸部を踏みつけてカラータイマーがつぶれて即死という設定だったのが、子供たちのヒーローに対する扱いじゃないという反対で演出が変わったそうでした。だからウルトラマンが倒れたシーンではカラータイマーがきれいな形なのに、ゾフィー登場後のやりとりのシーンではウルトラマンのカラータイマーが壊れた状態になっていて、それは最初に撮影した映像とつないだからということだそうでした。ついでに youtube でウルトラマン最終回を見たら、たしかにカラータイマーはそう見えました。それにゾフィーは警備隊のゾフィーだと名乗り、それに対してウルトラマンは隊長とか組長とか言わずゾフィー(ゾフィゾフィゾフィ *エコーがかかる)と名前で呼びかけているので、別段部下ではないようです。

 若くして名門オーケストラ、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席に就いたハイティンク(Bernard Johan Herman Haitink 1929年3月4日,アムステルダム - )も88歳になっていました。ハイティンクに限らず80歳を超えたら引退してぼーっとぶらぶらして過ごしたいんじゃなかと、自分を基準にするとそう思えます。2015年10月に京都コンサートホールでロンドン交響楽団を指揮した際は、いったいどんな表情で指揮しているのか、さぞ楽しそうに演奏しているかと思ったらどうもそうは見えず、演奏終了後は何か苦々しいようにも見えました。わざわざ極東まで来たくないとか多少はそういう気もあるのかとちょっと気がもめました。

 そうした詮索、推量はさて置き、ハイティンクはインバルと並んでマーラー、ショスタコーヴィチ、ブルックナーと三人の交響曲作曲家の交響曲全集を完成させた数少ない指揮者でした。その割りに少なくともマーラー、ブルックナーについてはスペシャリスト的な扱いでなく「手ぬるい」、「物足らない」とそれぞれの作曲家についてのヲタ、コアなファン層からは評されていたようでした。自分自身もこの録音が出た際は生あたたかい目で見て、わざわざ新譜を買うまでには至りませんでした。しかし、最近になって聴いてみると独自の魅力があり、野蛮な匂いのするタイプではなくかなり好感を持てました。ただ、ハイティンクのこの曲の録音ならアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団との二度目にあたるものがより素晴らしいと思います。それに比べると今回の方は小型になったというか、重厚・壮大さが後退したような印象です。

ハイティンク・VPO/1995年
①16分48②15分04③27分26④23分47 計83分05
ブーレーズ・VPO/1996年
①15分08②13分39③24分52④22分19 計75分58
カラヤン・VPO/1988年
①16分56②16分25③25分13④23分59 計82分33 
ジュリーニ・VPO/1984年
①17分07②16分25③29分24④24分36 計87分32

 ウィーンPOとのハース版による録音のトラックタイムを並べると上記のようになり、聖フローリアンでのライヴ録音だったブーレーズとは7分以上長くなっているものの、合計演奏時間としては突出したものでなく、カラヤン晩年の演奏(ムーティはカラヤンのブルックナーからは神の声がきこえると言っていた)と類似しています。この録音から20年以上経った現在、ハイティンクがこれを指揮すればどうなっているかと、先年来日時に7番じゃなく8番を聴けなかったのが惜しい気がします(ぜいたくながら)。
14 1月

メーデー ゲルギエフ、マリインスキー歌劇場O/2013年

180114bショスタコーヴィチ 交響曲 第3番 変ホ長調 Op.20「メーデー」 (1929年)

ワレリー・ゲルギエフ 指揮
マリインスキー歌劇場管弦楽団
マリインスキー歌劇場合唱団

(2013年1月8日 パリ,サル・プレイエルライヴ収録 Arthaus Musik)

 これは先日の「十月革命に捧ぐ」に続いてゲルギエフとマリインスキー歌劇場管弦楽団らのパリ公演の際の収録で、十月革命らの翌日のコンサートでした。前日が交響曲第1、2(十月革命に捧ぐ)、ピアノ協奏曲第2番と交響曲第15番、そして今回1月8日が交響曲第3番「メーデー」とチェロ協奏曲第2番、交響曲第13番「バビ・ヤール」という濃厚なプログラムです。この曲が終わった後の反応は第2番よりは好意的な感じでしたが、熱狂的にブラボーという風ではなくて冷静な拍手に見えました。

180114a ソフトの方は演奏の前にゲルギエフ自身による短いコメントが入ります。第3番は世界中のどの一流オーケストラにとっても演奏が困難な作品であるとしています。トロンボーンやトランペットに難所があり、弦は調性に関係の無いような部分が続くけれども少しでもずれたらすぐわかってしまう大変な曲であり、プロコフィエフの交響曲第2番と同じく「春の祭典」への挑戦だと考えていました(作曲者は意識していなかったかもしれないとしても)。ゲルギエフの指揮姿は、指揮棒は持たずひらひらとする手が目立ち、陶芸の仕上げでもしているような神経質さが前面に出ていました。

 第2番と同様に旧ソ連のレコード、CDによって記憶している作品のイメージとは違い、古典派の絵画に描かれた光景のように格調高くて、コーラスが入るところは、今度は第九の第4楽章と重なるような崇高さです。その印象と「武装した鉱山労働者が~」という歌詞が全然合わないような不思議な感覚です。ゲルギエフはこの二曲があったから第4番が可能だったという風にコメントしているので、交響曲第4番を特別視し、第2番から第4番までを創作上のまとまりととらえているようでした。何にしても歌詞の内容には重きを置かず(ゲルギエフは思い入れが無さそう)、あくまで作曲上の進化、変遷を重視する見方のようでした。

 交響曲第4番は党ににらまれて身の危険を察知した作曲者が破棄、隠して長らく演奏されなかったわけですが、もし歌詞が付いていて、イデオロギーを褒めまくっておまけにスターリン讃美までチラ付かせていたらどうなっただろうと思います。音符自体はそのままの第4番にソ連共産党賛歌が徹底的に歌い上げられたら悪い気はしないかもしれないとも思われます(そうだとしたら第5番は全く違った作風になっていたか??)。それか、やっぱり見え透いた追従はかえって反感を買ったかもしれません。

 それにしても先日のゼットンの写真を見ながらウルトラマンの最終回のことを思い返していると、ウルトラマンを迎えに来た上官、ゾフィーの現れるタイミングは一体何かと思います。番組製作上の都合が全てだとしても、どうせなら瞬間移動を駆使するなりでもう一歩早く来て、不本意でも二対一でゼットンに対していたらウルトラマンは無傷でなくても軽傷で済んだかもしれません(命が量産できるのかというのは不問にしても、二つ持って来ているということは当初からウルトラマンには一旦死ぬか瀕死に陥ってもらう予定だったことになり、ヤクザ映画ばりのはかり事さえ・・・)。
13 1月

シューベルト「冬の旅」 ボー・スコウフス、ヴラダー

180113シューベルト 歌曲集「冬の旅」D911

ボー・スコウフス:Br

シュテファン・ヴラダー:ピアノ

(2016年7月4-13日 ライディング,リスズハレ 録音 Capriccio)

180113z 「うしろすがたのしぐれてゆくか」、これは種田山頭火の俳句の一つで、その真意とか作者の心の内まではよく分からないものの、想像される抑揚というかリズム、語感が好きで、一定の条件の「冬の旅」の歌唱を聴くとこの句を思い出します。さて、左の写真は先日の黒と卵黄色の物体の後ろ姿アップです。正体は昭和41~42年にTV放送された「ウルトラマン」の最終回に登場した「ゼットン」のフィギュアでした。特撮番組なので最終回もいろいろつっこみどころがあり、ウルトラマンの上官か兄貴分がやて来て「命を二つ持ってきたから一つを早田にあげる」というのは生命倫理的にどうなのかと、ずっと後になって思いました。ゼットンはウルトラマンに完勝したので後の作品にもお呼びがかかり、抜群の知名度でした。しかし、ウルトラマンに直接は命をとられなかった怪獣なり侵略者は他にも居るので、科学特捜隊に無様に仕留められたゼットンはそこまでのものじゃないとも言えるでしょう。

180113a この「冬の旅」は、ボー・スコウスの二度目の録音になり、初回からは20年程経っています。1990年代の旧録音は水車小屋と白鳥の歌しか聴いたことはありませんが、当時の写真をみると髪の毛がフサフサしているので今回のCDと同じ人物だと最初は分かりませんでした(バンクルといい、トレーケルといい、これというシューベルト歌いになるには頭をまるめなければだめなのか)。ボー・スコウス(Bo Skovhus 1962年5月22日 ~ )は、デンマークのイカスト生まれのバリトン歌手で、セーナ・ユリナッチのクラスで認められて1988年にドン・ジョヴァンニでデヴューしています。過去記事に登場したオペラの全曲盤にも名前が見られるようにウィーン国立歌劇場で活躍していました。

 この「冬の旅」は第一曲目から駆け足のような速目のテンポなので挫折、敗北感とは違った独特の空気ではじまります。全曲で64分くらいなのでこの作品の合計演奏時間としては短い部類です。先月の同じく坊主頭だったバンクルが78分なのでかなりの差があります。こういう演奏時間、テンポであっても古楽系の歌手とは違って各曲とも刻み込むような濃厚な表現に聴こえます。所々でフィッシャー・ディースカウの声に似ているかなと思いましたが、歌の方はあまり共通していないようです。

 CD付属冊子に載っていた挿絵はさながら行き倒れのようですが、中身の演奏はこういう姿とは結び付き難くて、逃げ出すというよりも「こっちから願い下げじゃ」という強さと、どこかに復仇的な感情さえ秘したこわさが漂います。一方、ピアノの シュテファン・ヴラダー(Stefan Vladar 1965年 - )はウィーン出身で、1973年からウィーン国立音大で学び1985年の第7回ベートーヴェン国際ピアノコンクールで優勝しました。
11 1月

マーラー交響曲 第2番 ハイティンク、ACO/1968年

180111マーラー 交響曲 第2番 ハ短調「復活」

ベルナルド・ハイティンク 指揮
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
オランダ放送合唱団

エリー・アーメリング:S
アーフェ・ヘイニス:MS

(1968年5月 録音 DECCA/旧PHILIPS)

180111z さて、左の写真、いきなり登場した黒と卵黄色のデザイン、これはいったい何でしょうか?一定の年代以上、以下なら馴染み深いかもしれません(ゴルフバッグじゃない)。「終わり良ければ全てよし」、「一年の計は元旦にあり」必ずしも相互に矛盾はしない言い慣わしながら、前者の方が共感できそうだと、写真の物体を見ていて思いました。十日ゑびすも明日の撤福祭で日程が終わるようですが、福笹のかざりを見ていると不意にマーラーの復活交響曲を思い出しました(何の関係も無い、パブロフの犬も真っ青)。それですぐ手の届くところにあるマーラーの第2番の中で過去記事で扱って無かったのがハイティンクの初回セッション録音だったので聴いてみました。昨夜聴き出したところ、あんまり寒いので第3楽章まででやめて今夜途中から聴きました。

 自分が生まれる前のこの録音、さすが旧フィリップスだけあってか音質の方も見事なものでショルティ旧盤程の迫力ではないとしても、自然なというか聴きやすい音じゃないかと今更感心しました。特に終楽章は打楽器、コーラスが素晴らしくて、どのCD、録音か名を伏せて聴かされたらもっと新しい年代と間違うかもしれません。それだけでなく、弦も管楽器も、ホールの前の方の座席で各パートの前の音を集めてきたような鮮明さだと思えました(音量を下げて聴いているから迫力は無いけれど)。

 ハイティンクは1960~70年代にかけて色々なレパートリーのレコード録音を進め、ブルックナーとマーラーの交響曲全集もこの時期に完成させました。手元にあるのはフィリップス・レーベルが無くなってからブラームもあわせてBOX化されたものですが、このマーラーの第2番を聴いていると新譜当時はかなりの衝撃度じゃなかったかと思います。ハイティンクはブルックナーもマーラーの両方でも第一人者的な扱いにまではなっていないようですが、早々と完結させたマーラー全集は今でも魅力があると思います。

 交響曲第2番は演奏時間が長い両端楽章の印象が強いので、全楽章について交響曲的(古典派の交響曲的な)な結び付きをあまり意識できないでいることが多いように思いますが、今回この演奏、録音を聴いていると同じマーラーの第5番のように第3楽章を中心にした前後対照的な構造のような繋がりも感じられて、普段とは違う第2番の魅力にふれた気がしました。それにしてもオランダ放送合唱団のコーラスも本当にすばらしくて、各パートとも団員の声が溶け合って響き、多数の人間が同時に歌っているとは思えないくらいの調和だと思いました。
9 1月

モーツァルト「コジ・ファン・トゥッテ」 ベーム、PO

180109aモーツァルト 歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」K.588

カール・ベーム 指揮
フィルハーモニア管弦楽団
フィルハーモニア合唱団
ハインリヒ・シュミット:チェンバロ

フィオルディリージ:エリーザベト・シュヴァルツコップ
ドラベッラ:クリスタ・ルートヴィヒ
グリエルモ:ジュゼッペ・タッディ
フェランド:アルフレード・クラウス
デスピーナ:ハニー・シュテフェク
ドン・アルフォンゾ:ヴァルター・ベリー

(1962年9月 ロンドン,キングズウェイ・ホール 録音 EMI)

 なにか今年の正月は地味過ぎると思っていたらやっぱりTV無しの影響が大きいと今さらながら気が付きました(毎年は大して観てないようで少しは点けている)。ニューイヤー・オペラもやっぱりTVの方がいいと思いました。NHKのニューイヤーに限らずオペラ公演では有名アリアが終わった直後には歓声が上がったほうが盛り上がることが多く、昨年来日したマッシモ劇場のトラヴィアータを思い出しました。歌劇場のスタッフらしき人が客席の最後尾に陣取って心地良い声で「ヴラーヴァ」、「ヴラーヴィ」とかましていました。そうかと思えば自分の横の一般客が、極道の恫喝のようなどす黒い声でいきなり叫んだのでいっしゅん驚きました。

 モーツァルトの歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」はダ・ポンテの三部作、作曲者の四大オペラ、五大オペラとか、とにかく代表作という地位を得ていますが、二十世紀に入るまでは重要視されず、違うタイトルで上演されることもあったとか。リヒャルト・シュトラウスはこのオペラの価値を認め、自身でも取り上げました。クレンペラーは若い頃にシュトラウスがチェンバロを弾きながら指揮するのを聴き、大いに感動したと振り返っていました(創造的な指揮、演奏、モーツァルトの中にシュトラウスが現れると最大限の賛辞をもって)。長らく低く見られた理由の一つは台本の弱さ、軽さということがあったようですが、今では決定的に嫌悪感をおぼえる程じゃないと思えます。

180109 カール・ベームは「コジ・ファン・トゥッテ」の全曲盤レコードを1950年代、1970年代と1960年代にそれぞれ録音、制作していました。その中でも今回のセッション録音が一番有名で、いまだに決定盤的な位置づけです。実はこの録音、CD化されてから購入して何度となく聴きましたが、個人的にはどうも印象が薄くて、ブログをはじめてからも積極的な賛辞が見つからないので後回しにしていました。今回、年末年始に反復して聴いていると、アリアの部分は歌手の立派さもあって手をとめて聴く(BGM的に聴いている時には)くらいですが、序曲からしてどこかしら停滞し、流れが悪くて色々なものが底に沈殿したままという印象が付いてまわりました。1950年代のメモリアル年向けのウィーンでの録音も、ドン・ジョヴァンニを受け持ったクリップスと交代してベームはドン・ジョヴァンニの方が合っているのでは?と思ったくらいでした。ちょうどベーム指揮のJ.シュトラウスのワルツ集も聴いたところで(美しく青きドナウ)、そっちも今一つ重いというのか、硬いというのかぱっとしないと思い、これはどこからくる印象なのかと思いました。

180109b 「名作オペラ ブックス(音楽之友社)~ アッティラ・チャンバイ、ディートマル・ホラント編の “ rororo operabücher ” の日本語版」の巻末掲載の「ディスコグラフィへの注釈」では、今回のベーム二度目の録音について「あまりのなめらかさ(スタジオ録音ゆえの)」と年老いたシュワルツコップを難点だとして必ずしも絶賛ではありません(三度目のザルツブルク音楽祭のライヴ盤を一番良いとしています)。名作オペラブックスのそのコーナーは、今では古くなってきましたが1980年代末に初めて目にして以来注目しています。

 コジ・ファン・トゥッテではクレンペラーの全曲盤に言及している数少ない評と言う点では結構ながら、今回の演奏が「なめらか過ぎる」としている点は全然共感しません、いや分かりません(自分がモーツァルト向きじゃないということか・・・)。ちなみにその「ディスコグラフィへの注釈」では他に、カンテルリのスカラ座ライヴ音源とムーティ、VPOのザルツブルク音楽祭のライヴ盤をほめていましたが、その二つが出てくるのは納得でした。

8 1月

十月革命に捧ぐ ゲルギエフ・マリインスキー歌劇場O/2013年

180108bショスタコーヴィチ 交響曲 第2番 ロ長調 Op.14「十月革命に捧ぐ」 (1927年)

ワレリー・ゲルギエフ 指揮
マリインスキー歌劇場管弦楽団
マリインスキー歌劇場合唱団

(2013年1月7日 パリ,サル・プレイエルライヴ収録 Arthaus Musik)

 演奏が終わった後の客席の反応は日本ならそんなに差は無いか、否定的な反応は従来から少ないようです(フライングの拍手や野太い歓声は別にして)。このショスタコーヴィチの交響曲第2番の場合、演奏直後は冷静な、小さい音の拍手があるのみだったので作品に対する共感は低目なのかと想像していました。実際、オーケストラに対する拍手は大き目だったのでシビアに使い分けているようでもありました。先日TV/FMで放送された日本のニューイヤー・オペラの第一部(モーツァルト編)も拍手はそこそこの大きさでした。モーツァルトのアリアを連続するなら選曲、構成も難しいと思ってラジオを聴いていました。

180108a これはゲルギエフとマイリンスキー歌劇場管弦楽団らがパリでショスタコーヴィチの交響曲と協奏曲を連続公演した際に収録した映像ソフトの一部です。演奏の前にゲルギエフによる短いコメント・解説が入ります。日本では(も?か)演奏機会が非常に少ないこの曲は、三月の大阪フィル定期で交響曲第3番と一挙に演奏されるのでソフトを出して視聴しました。ゲルギエフによると交響曲第1番で成功した作曲者はこの曲で路線を全く変え、リャードフの道を行くと決めたとしています。ロシア革命によって生まれた地球上の新勢力、「ソヴィエトの労働者階級」の存在を宣言するにはモーツァルトやチャイコフスキーでは無理で、新しい方法が必要だと賢明なショスタコーヴィチは知っていたと解説しています。

 この演奏を聴くと異様に格調高くて、手回しのサイレンが鳴って合唱が入るところ以降も天上の音楽、ベートーヴェンの第九、第三楽章を聴くような心地になりました。それが字幕に出る日本語と妙な齟齬を感じられるのも妙な感覚でした。これはパリの客席もある程度似た感想だったかもしれず、それが終演直後の反応につながったのかと我田引水的に考えていました。いずれにせよゲルギエフとマイリンスキーOの演奏は磨き抜かれて美しく、コーラスも同様で荒れた印象はありません。

 革命から百年近くになる時代ならギリシャ、ローマ時代の動乱ほどに色褪せないとしてもある程度は距離を置いて見ることが出来るようになったのか、ソ連時代の録音を思うとかなり違ってきています。会場の音響から収録環境(機器)等あらゆることが違うので当たり前ですが、歴史認識も冷静になっているなら結構なことでしょう。歌詞の中にレーニンの名前が何度も出て来るのが印象的で、彼が憲法制定議会を解散させたことなんかはどういう位置付けなんだろうとチラッと思いました。
6 1月

盤外編~2001年バイロイト・ラインの黄金 A.フィッシャー

180106ワーグナー 楽劇・ニーベルングの指環「ラインの黄金」

アダム・フィッシャー 指揮
バイロイト祝祭管弦楽団

ヴォータン:アラン・タイタス  
ローゲ:グラハム・クラーク
ファゾルト:ヨハン・ティッリ
ファフナー:フィリップ・カン
アルベリヒ:ギュンター・フォン・カンネン
フリッカ:ブリギッテ・レンメルト
ドンナー:ハンス・ヨアヒム・ケテルセン  
フロー:エンドリック・ヴォットリヒ
ミーメ:マイケル・ホワード
フライア:リカルダ・メルベス
エルダ:メッテ・アイシング
ヴォーグリンデ:ドロテア・ヤンセン
ヴェルグンデ:ナターシャ・ペトリンスキー
フロスヒルデ:ラウラ・ニケネン

(2001年7月27日  バイロイト祝祭劇場 ライヴ録音/FM放送より)

 今日は完全な休みにして三が日に寝足りなかった分を取り返すつもりでした。「空の勇士」という軍歌があり、確かノモンハン事変の戦闘をもとにした歌詞で「恩賜の煙草を頂いて 明日は死ぬぞと決めた夜は~」と始まります。明日は寝るぞと決めて、夜もはやめに就寝したところ昼間はそうそう眠れるものではありません。去年にできなかった心残りというのを元旦の夜思い起こしながらカウントしていて、シリアスな内容は別にすると自宅の部屋を占拠させたまなのガラクタを処分することと、5.1ch のスピーカーをきっちり配置することがまた先延ばしになったのがまず気が付きました。暖かくなったら、涼しくなったらと思っているうちに・・・。それでも不用品を選別するくらいはやっていて、録音済みのDATテープもさがしたところ、けっこうな数が出てきました。

 その中でバイロイト音楽祭の分を聴きながらSDカードにコピー録音することにして、まず2001年の指環から始めました。前年に新演出がシノーポリの指揮で始まった「ニーベルングの指環」は、2001年になってシノーポリが急逝し、ワルトラウテ・マイヤーとドミンゴが出演しないことになり(ザルツブルク音楽祭とバイロイトの練習スケジュールが重なったとか)、混乱しました。指揮は急きょアダム・フィッシャー(Ádám Fischer, 1949年9月9日 - )が起用されました。アダム・フィッシャーと言えばCDではハイドンの交響曲が有名でしたが、ドイツの歌劇場で既に指環を指揮していたのでむしろ遅すぎたバイロイト初登場と言えるくらいでした。

 とにかく久しぶりに聴いてみると(実はこのテープ、全部を最初から聴くのは初めて)、冒頭からして全く素晴らしく、大成功だったと言われた評判に大いになっとくします。アダム・フィッシャーは2004年まで指環を指揮することになり、2002年からは藤村美穂子がフリッカを歌っています。この年でなくてもフィッシャーのバイロイト公演が何らかのソフトとして出てこなかったのが全く残念です。フリッカのレンメルト、エルダのアイシングは放送の解説でも褒めていた通り立派なものでしたが、何よりフィッシャー指揮のオーケストラが最初から最後まで見事でした。

 ラジオ放送を市販機器で勝手に録音した程度のものでそんなに演奏の様子が分かるものなのかと、ということは置いておくとして、声楽とのバランスが良いのは当然としてもそれでいてオーケストラの響きがぶ厚くて、鈍重でなくて各場面がくっきりと浮かびあがって描かれるような鮮明さです。特に第三場のニーベルハイムの冒頭で槌を連打するリズムが大きくなってくるところ、得も言われない毒気が漂うようで聴いていて快感でした。弟であるイヴァン・フィッシャーの方はSACDやブルーレイを視聴してかなり気に入っていましたが、兄のA.フィッシャーはハイドン以外ではCDを購入したことがなく、どういうスタイルかよく分かりませんでした。今回この音源を全部通して聴いてさらに聴き進めたいと思い、他のレパートリーも気になります。
4 1月

モーツアルト交響曲 第33番 セル、クリーヴランドO

1804モーツアルト 交響曲 第33番 変ロ長調 K.319

ジョージ・セル 指揮
クリーヴランド管弦楽団

(1962年10月26日 クリーヴランド,セヴェランス・ホール 録音 Sony Classical)

 昨年末から今年にかけての年越し、正月はかつてない程特別感がなく、大みそかは22:00頃には就寝して一切テレビも観ず仕舞いでした。12月31日に「ラジオマン・ジャック」、正月二日の午前に「新春狂言」をそれぞれNHK/FMラジオでを聴いている時(寝転んで)がなんか解放されてしみじみ正月休み感をかみしめました。「ラジオマン・ジャック」は毎週土曜の16:00から18:00まで放送しているDJ番組なので 車の中で部分的に聴くことがある程度でしたが、大晦日スペシャルで聴くとそもそもどんな番組だったのか分かってきました(ひとりカラオケ店、二休さんといったコントものもある)。“ Zurück vom Ring ! ” それにしても録音したバイロイトの指環をフォーマットで消してしまったのはあきらめきれない思いなので、簡単なデータ復元ソフトを試したところサイズの全然足らないファイルが検出されたのみでした。

セル・CLO/1962年
①6分11②5分47③2分52④4分04 計18分54
クレンペラー・ニューPO/1965年
①7分38②5分47③2分53④6分41 計22分59

 昨夜のニューイヤー・オペラはモーツァルトを何曲も演奏していたので、気分を変えてモーツァルトの交響曲を聴きました。交響曲第33番は作曲者のザルツブルク時代の末、パリへ行き、そこで母が亡くなり、挫折も経験して故郷へ戻ってきた頃の作品です。第33番と34番はクレンペラーのLPで聴いて以来結構気に入って時々聴きたくなる作品でした。セルのモーツァルトはハフナーや第40、41番を聴いて以来好きでしたが、セル指揮によるこの曲を聴くのは多分初めてです。楽器編成が少なく室内交響曲的な第33番でも堂々として、ロココ調な華奢な造形を感じさせないスタイルです。トラックタイムの中間二楽章がクレンペラーと近似しているのが面白い傾向です。

 セルとクリーヴランド管弦楽団のレコードの中でモーツァルトがどれくらいの評判、人気だったのか覚えがありません。「名曲名盤500(レコ芸編)」の最新版ではちょうどこのCDが復刻された時期が近かったのか、セルが8点を得てガーディナーと一位を分け合っていました。第35、39-41番よりも高得点、上位ランクなので第33番は特に出来が良いという受け止められ方のようです(微妙な作品だから競合録音も減っていることもあってか)。

 セルとクリーヴランド管弦楽団は大阪万博の年に来日した際、カラヤンのリハーサル場に出向いてカラヤンが恭しく出迎える逸話を残しました。その大阪での公演はオベロン序曲、シベリウスの交響曲第2番とモーツァルトのト短調交響曲K.550を演奏しています。このCD付属冊子にはその時のモーツァルトのことが載っています。その解説の西村弘治氏は公演を聴いた当時、セルにインタビューして「はるかに高い完成度」と賛辞を贈られていましたが、セルがステレオ・セッション録音したモーツァルトの交響曲は案外少なくて、第28、33、35番と第39~41番の六曲でした。プラハは?、リンツは?、第25、29番は?と言いたいところで少なくとも前二曲は後期六大曲としてまとめて録音することが多かったので意外です。
QRコード
QRコード
タグクラウド
タグ絞り込み検索
最新コメント
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

プロフィール

raimund

昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

メッセージ

名前
本文
アーカイブ
twitter
記事検索
カテゴリ別アーカイブ
  • ライブドアブログ