リッカルド・シャイー 指揮
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
ジャン=イヴ・ティボーデ:ピアノ
原田 節:オンド・マルトノ
(1992年3月 アムステルダム,コンセルトヘボウ大ホール 録音 DECCA)
まだ元号が昭和の頃に二百三高地という邦画があり、エンディング・ソングだったさだまさしの防人の詩も含めて話題、批判の対象になっていました。そうしたことは置いておき、主人公の古賀少尉は師範学校を出た尋常小学校の教師であり、召集(予備少尉)前の学校の様子が出てきました。金沢の尋常小学校の中学年以上のクラスに背中に赤子を負うて教室に座って授業を受けている児童も居ました。その場面はフィクションか史実を反映したものか正確に確認したわけじゃないですが、子守なんかは兄弟姉妹の仕事、学校へ行かせる余裕は無いという世帯が少なからずあった社会状況からすればとんでもな捏造とは言えなさそうです。状況、背景が違いますが最近の、市議会に子供を連れて来たら認められなかったというニュースを見て、この映画のシーンがチラっとよぎりました。もっとも、教師が子供を背負って授業したという話は聞いたことはなく、そっちの方は即レッドカードだろうなと何となく想像がつきます。
まだ先週聴いた「アッシジのフランチェスコ」の残響が頭の中に残っているので、別のメシアン作品を聴きました。11月29日はこの作品が完成した日らしくて、1946年7月17日に着手して1948年11月29日に完成したとなっています(二十世紀の作曲家だけあって細かい日付まで記録されている)。トゥーランガリラ交響曲はメシアンの作品の中では「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」と並んで有名かもしれません(「幼子」はのだめのレッスン課題リストにも名前が見られたくらい)。レコ芸の企画編集の「名曲名盤500」最新版にもこの作品が唯一メシアンの作曲でリストアップされていました。今回のシャイーの録音は第2位になっていました。ちなみ第1位はチョン・ミョンフン指揮のパリ・バスティーユO(1990年録音,作曲者のお墨付き)でした。
この録音は日本のオンド・マルトノ奏者、原田節氏が参加しています。セッション録音のおかげか演奏中でもオンド・マルトノの特徴ある音色が抜け出るようによく聴こえていて、それが作品(この楽器はメシアン作品によく使われる)の特徴がよく出ています。原田氏は渡仏してメシアン夫人の妹にしてマルトノ奏者のジャンヌ・ロリオに師事しています。この楽器だけでなくピアノの音色もくっきりと鮮明に聴こえ、作品の鮮やかさを際立たせています。
作品は10楽章から構成され、四つの主題である「彫像の主題」、「花の主題」、「愛の主題」、「和音の主題」のそれぞれを多用する三つのグループに分けられ、第1楽章だけが独立するという内容です。第一グループは偶数楽章の第2、4、6、8楽章が属して「愛の主題」を多用し、台にグループが第3、7、9楽章、第三グループが第5、10楽章となっています。解説ではそうなっているものの、ちょっと聴いたくらいではこの構成感は実感できないと思います。トゥーランガリラ交響曲は昨年秋に京響の定期で聴けましたが、作品の世界観というかメッセージ性はよく分からず、これを鑑賞するには「智」が欠けているのを実感したしだいでした(おまけに遅刻もした)。それにしてもシャイーがこの曲を録音していたのを知らず、かなり後になってCDを見つけました。
まだ元号が昭和の頃に二百三高地という邦画があり、エンディング・ソングだったさだまさしの防人の詩も含めて話題、批判の対象になっていました。そうしたことは置いておき、主人公の古賀少尉は師範学校を出た尋常小学校の教師であり、召集(予備少尉)前の学校の様子が出てきました。金沢の尋常小学校の中学年以上のクラスに背中に赤子を負うて教室に座って授業を受けている児童も居ました。その場面はフィクションか史実を反映したものか正確に確認したわけじゃないですが、子守なんかは兄弟姉妹の仕事、学校へ行かせる余裕は無いという世帯が少なからずあった社会状況からすればとんでもな捏造とは言えなさそうです。状況、背景が違いますが最近の、市議会に子供を連れて来たら認められなかったというニュースを見て、この映画のシーンがチラっとよぎりました。もっとも、教師が子供を背負って授業したという話は聞いたことはなく、そっちの方は即レッドカードだろうなと何となく想像がつきます。
まだ先週聴いた「アッシジのフランチェスコ」の残響が頭の中に残っているので、別のメシアン作品を聴きました。11月29日はこの作品が完成した日らしくて、1946年7月17日に着手して1948年11月29日に完成したとなっています(二十世紀の作曲家だけあって細かい日付まで記録されている)。トゥーランガリラ交響曲はメシアンの作品の中では「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」と並んで有名かもしれません(「幼子」はのだめのレッスン課題リストにも名前が見られたくらい)。レコ芸の企画編集の「名曲名盤500」最新版にもこの作品が唯一メシアンの作曲でリストアップされていました。今回のシャイーの録音は第2位になっていました。ちなみ第1位はチョン・ミョンフン指揮のパリ・バスティーユO(1990年録音,作曲者のお墨付き)でした。
この録音は日本のオンド・マルトノ奏者、原田節氏が参加しています。セッション録音のおかげか演奏中でもオンド・マルトノの特徴ある音色が抜け出るようによく聴こえていて、それが作品(この楽器はメシアン作品によく使われる)の特徴がよく出ています。原田氏は渡仏してメシアン夫人の妹にしてマルトノ奏者のジャンヌ・ロリオに師事しています。この楽器だけでなくピアノの音色もくっきりと鮮明に聴こえ、作品の鮮やかさを際立たせています。
作品は10楽章から構成され、四つの主題である「彫像の主題」、「花の主題」、「愛の主題」、「和音の主題」のそれぞれを多用する三つのグループに分けられ、第1楽章だけが独立するという内容です。第一グループは偶数楽章の第2、4、6、8楽章が属して「愛の主題」を多用し、台にグループが第3、7、9楽章、第三グループが第5、10楽章となっています。解説ではそうなっているものの、ちょっと聴いたくらいではこの構成感は実感できないと思います。トゥーランガリラ交響曲は昨年秋に京響の定期で聴けましたが、作品の世界観というかメッセージ性はよく分からず、これを鑑賞するには「智」が欠けているのを実感したしだいでした(おまけに遅刻もした)。それにしてもシャイーがこの曲を録音していたのを知らず、かなり後になってCDを見つけました。