raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

2017年08月

29 8月

マーラー交響曲第8番 クーベリック、バイエルンRSO他

170829マーラー 交響曲 第8番 変ホ長調「千人の交響曲」

ラファエル・クーベリック 指揮
バイエルン放送交響楽団
バイエルン放送合唱団(合唱指揮ヨーゼフ・シュミットフーバー)
北ドイツ放送合唱団(合唱指揮ヘルムート・フランツ)
西ドイツ放送合唱団(合唱指揮ヘルベルト・シュルヌス)
レーゲンスブルク大聖堂少年聖歌隊(合唱指揮クリストフ・リックレーダー)
ミュンヘン・モテット女声合唱団(合唱指揮:ハンス・ルドルフ・ツェーベライ)

マーティナ・アーロヨ(S1:罪の女)
エレナ・スポーレンベルク(S2:栄光の聖母)
エディト・マティス(S3:贖罪の女)
ユリア・ハマリ(A1:サマリアの女)
ノーマ・プロクター(A2:エジプトのマリア)
ドナルド・グローベ(T:マリア崇敬の博士)
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Br:法悦の教父)
フランツ・クラス(Bs:黙想の教父)

(1970年6月 ミュンヘン、ドイツ博物館会議場 録音 DG)

 現実の世界では望外とか僥倖ということは滅多に無いもので、だから色々な事柄に関して落胆する、がっかりするということはあるものです。特に今朝のミサイルの話ではありません。福音書の中で神の国についてイエズスが、「目に見えるものとして来るのではない」、「人々が『見なさい、ここにある』とか、『あそこにある』とか言えるものでもない」、「神の国は、実にあながたがたの間にあるのだから」と言ったところ、特に神学的解説も無く初めて読んだ時は、スカッと一発で解決するような「神の国」を期待しているのでちょっと失望に似た感情が湧いてきました。似たようなところで「求めなさい。そうすれば与えられるであろう。」という箇所、結びは「まして、天の父が自分に求める者に聖霊をくださらないことがあるだろうか」となり、何だ聖霊か、と言わないまでも、ここでも心の中で意表を突く幸運のようなことを期待していることは否定できないので、やっぱり落胆の感情は何割かはあるはずです。

  マーラーの交響曲第8番の第一部に使われている賛歌、“ Veni creator Spiritus(造り主である聖霊来てください) や同じく聖霊降臨の聖歌、ミサで使われる続唱 “ Veni sancte Spiritus(聖霊来てください) の歌詞に注目すると、射幸心(宝くじで一発当てるとか)とは違い人間の力では何ともし難いような障壁を壊して超えることを願うような切実な願いが込められています。交響曲第8番の第一部の賛歌、第二部のファウストは何か異質なものという先入観がありますが、マーラーの作品の中では互いに溶け合って響くようで、フィナーレでは解決、克服を予兆するような希望に満ちた中で終わります。

 クーベリックの全集録音の中の第8番は一枚のCDに収まる演奏時間になり、他の楽曲と同様に速目のテンポで通しています。過去記事で扱ったこの曲のCDの中にも一枚に収まったものはありましたが、今回のクーベリックはそういう淡泊になりそうなテンポなのに特に充実して、歌詞の内容に注目させられる演奏でした。どこをどうしているのか、大編成のオラトリオのような威容で迫ります。「名曲名盤500(レコード芸術編)」の最新版を見ると、この曲の第1位はバーンスタインのDG盤、第2位はショルティとCSO、第3位にこのクーベリック盤がインバルと東京都SO盤と並んで入っていました。選者の年齢から古い録音が上位に来る傾向があるとしても、とかく影が薄くなりがちなクーベリックの全集にあって第8番は健闘しています(一般人の人気と比例しているかどうかは別にしても)。

 手元にある国内盤は一枚1200円の「20世紀の巨匠シリーズ」ですが、その後も国内盤で再発売されているのでクーベリックのマーラーも人気が上昇しているようです。ただ、結局輸入盤の箱物全集が一番安かったことになり、注目するのが遅かったと今頃思っています。
28 8月

リストのファウスト交響曲 I.フィッシャー/1996年

170828リスト ファウスト交響曲(三人の人物描写によるファウスト交響曲) S.108

イヴァン・フィッシャー指揮
ブダペスト祝祭管弦楽団
ハンガリー放送合唱団
ハンス・ペーター・ブロホヴィッツ (T)

①第1楽章「ファウスト」
②第2楽章「グレートヒェン」
③第3楽章「メフィストフェレス」
④~第3楽章(声楽無し初稿版)
⑤~第3楽章(声楽付き改訂版)

(1996年6月 ブダペスト,イタリアン・インスティテュート 録音 DECCA/Philips)

 元日本兵の中村輝夫一等兵、と聞いてもそれが誰か何の問題だったか思い出せないことの方が多いかもしれませんが、1974年にモロタイ島で発見された台湾出身の旧日本軍の兵士が発見されたことがありました(当時もう生まれてたけれど全く記憶にございません)。日本国籍が無くなっていることを理由に軍人恩給も未帰還者手当も無くて、未払給与の七万円あまりを支給されただけでインドネシアから台湾へ帰されました。「ルパング島やサイパン島の日本国籍の帰還兵との処遇の差の大きさ」と、「朝鮮人BC級戦犯の記録(岩波現代文庫)」には載っていましたが、どれくらいの差があったのだろうかと思います。日中共同声明があったのは1972年9月29日なのでモロタイ島の発見事件の時は何とも言えない頃だったのでしょう。日本は台湾を二度捨てたという表現を読んだことがありましたが、この事件に代表される問題を考えると回数のことはさて置き、台湾側に捨てるという表現を使われても文句は言えない気になりました。

 今日8月28日は(Johann Wolfgang von Goethe 1749年8月28日 - 1832年3月22日)の誕生日だと雑誌やネット上の情報でたまたま知りました。これくらいの年代の人物のプロフィールを見るにつけ、誕生日は本当に正確なのか、洗礼台帳によっているなら数日程度の誤差はありそうだと思っていました。ゲーテの場合はご長寿だったことは間違いなく、命日の方は正確だろうと思われます。リストのファウスト交響曲は近年の方が人気が増しているらしく、「名曲名盤500(レコード芸術編)」にもリストアップされていました(ちなみに第1位はバーンスタイン、ボストンSOらの1976年録音・DG盤)。

 この作品は1854年8月から作曲を開始して、何度かの改訂を経て最終的に1880年に完成しました。最初、第1稿は声楽が付かないもので1854年10月に完成しましたが、その後1857年に「ファウスト第二部」の神秘の合唱を加える改訂を行い、この段階で初演を行いました。これはヴァイマルにおいて、ゲーテとシラーの記念碑の除幕式の祝典の際にリスト自身の指揮によって演奏されたものでした。「ファウスト」の三人の登場人物」の性格を描写した三つの楽章で構成され、声楽が付かない稿もマーラーの交響曲を思わせる自由な作風です。

 このCDは上記のようなトラック分けになっているので、トラック④をとばせば通常のファウスト交響曲として聴くことが出来、④までで止めれば第1稿を鑑賞することが出来るという構成です。神秘の合唱はマーラーの交響曲第8番の最終合唱と同じ歌詞なので興味深いものがあり、聴いているとやっぱるどこか通じるところがあります。I.フィッシャーの指揮は後年のマーラーの時よりも厳しくというのか、古典派の作品のように扱っているので例えばバーンスタインの演奏とは大分違うのだろうと思います。しかし個人的には大変魅力的でした。
27 8月

ニュルンベルクのマイスタージンガー ショルティ、VPO

170827ワーグナー 楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」

ゲオルグ・ショルティ 指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ウィーン国立歌劇場合唱団(合唱指揮ノルベルト・ヴァラチュ)

ハンス・ザックス:ノーマン・ベイリー
ファイト・ポーグナー:クルト・モル
クンツ・フォーゲルゲザング:アダルベルト・クラウス
コンラート・ナハティガル:マルティン・エーゲル
ジクストゥス・ベックメッサー:ベルント・ヴァイクル
フリッツ・コートナー:ゲルト・ニーンシュテット
バルタザール・ツォルン:マルティン・ショムベルク
ウルリッヒ・アイスリンガー:ヴォルフガング・アッペル
アウグスティン・モーザー:ミシェル・セネシャル
ヘルマン・オルテル:ヘルムート・ベルガー・トゥーナ
ハンス・シュワルツ:クルト・リドル
ハンス・フォルツ:ルドルフ・ハルトマン
ヴァルター:ルネ・コロ
ダヴィッド:アドルフ・ダラポッツァ
エヴァ:ハンネローレ・ボーデ
マグダレーネ:ユリア・ハマリ
夜警:ウェルナー・クルムリクボルト

(1975年9月15-30日,10月9-14日 ウィーン,ゾフィエンザール 録音 DECCA)

 今日はサッカー日本代表元監督でもあったジーコ(Arthur Antunes Coimbra 1953年3月3日 - )がテレビ出演するので録画しようとしたら、テレ東系列でもテレビ大阪は番組の放映が無いらしくて結局後からyoutubeで観ました。年齢的にも体型的にも?再度代表監督というめはなさそうで、せっかく日本サッカー界に尽力してもらったのに代表チームの成績で報いることができなかったは残念です。しかし1980年代のことを思えば日本にプロリーグが出来て、ワールドカップに連続出場するとは夢のような躍進です。しかし次回大会に出場出来るか、31日のオーストラリア戦以降の予選が厳しそうです。

 ショルティがDECCAへセッション録音したワーグナー作品の中で、個人的にはこのニュルンベルクのマイスタージンガーが一番感銘深くて、同作品の全曲盤でもかなり好きな部類です。ただ、1990年代になってショルティはワーグナー作品の中でこれだけをシカゴSOらと再録音しているので、当人にはウィーンで録音した旧盤には不満があったはずで、そうだとすればこれを一番素晴らしいとか言えば気を悪くしたことでしょう。

 この全曲盤、ショルティ指揮のウィーン・フィルが素晴らしいのと、各マイスター役が集まる場面が魅力的だと思いました。よそ者が容易に入り込めないような共同体のメンバー間の日常的なやりとり、そんな和やかながら閉じられた世界が表現されている原作の空気が感じられて、第一幕の第3場や第二幕は特に魅力的です。クルト・モルのポーグナー、ヴァイクルのベックメッサーらに対してザックスがちょっと目立たない、圧倒的でないのは物足らないところですが、それでも各場の情景が浮かぶような仕上がりは後年の他の演奏者による録音では聴けなくなっているのではと思います。サヴァリッシュとミュンヘン・オペラによる全曲盤ではヴァイクルがザックスを歌っていて、音質共々明晰、明快なのに何故か味気ないものになっています。

 この録音をカラヤンのドレスデン盤より古いと勝手に思い込んでいたところ、ある年に録音年月日を見て5年も後なのにちょっと驚きました。それはルネ・コロが抑え目な歌唱なので遠慮気味なのかと想像していたからで、とんだ見当違いでした(ただ、カラヤン盤での時々甲高いように聴こえる歌唱とは違って落ち着いたものになっているのには違い無さそう)。それとベックメッサー役のキャストがカラヤンのドレスデン盤は独特で、嫌な悪役かつやられ役を地で行くような歌唱なのに対して、そこまで強調したキャストはレコード録音ではあまりないので目立ちました。このショルティ盤ではザックスも歌うことになるヴァイクルがベックメッサーを歌っているので、彼もマイスターの仲間だという位置付けなのだろうと思え、1984年のバイロイトの映像でベックメッサーもまわりと握手している結末が思い出されます。カラヤン盤のキャストで舞台上演する場合はどういう演出を念頭に置いていたのか逆に気になってきます。
26 8月

ドン・ジョヴァンニ F.ブッシュ・Glyndebourne/1936年

170826aモーツァルト 歌劇「ドン・ジョヴァンニ」 K.527

フリッツ・ブッシュ 指揮
グラインドボーン音楽祭管弦楽団
グラインドボーン音楽祭合唱団

ドン・ジョヴァンニ:ジョン・ブラウンリー
ドンナ・アンナ:アイナ・スーエズ
ドンナ・エルヴィーラ:ルイーゼ・ヘレツグルーバー
レポレッロ:サルヴァトーレ・バッカローニ
ドン・オッターヴィオ:コロマン・フォン・パタキー
騎士長:デイヴィッド・フランクリン
ツェルリーナ:オードリー・マイルドメイ
マゼット:ロイ・ヘンダーソン

(1936年6月29日-7月5日 グラインドボーン歌劇場 ライヴ録音 Warner Classics)

170826b 昨日宝くじ売場へ行ってサマージャンボ他の当選をチェックをしたところ、やっぱり貧乏神に魅入られてか300円が3枚当たっただけでした(望外とか僥倖という言葉を体感したいもの
)。村上春樹の「騎士団長殺し」はまだ店頭に並んでいるものの赤字になる見通しだとか。1Q84の時も結局どうなのかというか、完結した充足感を感じられない、読者が延々と循環する世界から突然つまみ出されたような感覚で、内容を詳しく解説してほしいくらいでした。先日、盆前に台風が紀伊半島に上陸した夜、枕元の壁、柱の方からチッという鳥が鳴くような音が耳について寝付かれなかったことがありました。ネズミでも小動物でもなく、やっぱり鳥かと思いながら正体は分からずじまいでした(これが鈴の音だったら小説と同じでいっそうキモイ)。風雨を避けた雨宿りだとしても深夜に鳥がそんなことをするのか?、あるいは鳥以外の変な動物が巣でも作り出したら嫌だと気になりました。

 この1930年代のグライドボーン音楽祭でのドン・ジョヴァンニは、「名作オペラ ブックス(音楽之友社)~ アッティラ・チャンバイ、ディートマル・ホラント編の “ rororo operabücher ” の日本語版」の巻末掲載の「ディスコグラフィへの注釈」で最初に挙げられているレコードでした。と言ってもこの古い音源を絶賛しているのでもなくて、ワルター指揮の1940年代の録音のところで次のように言及していました。

 「このオペラの持つ生命力、興奮した衝迫、たえず内からわき起こってくるエモーション、こうしたものは、実はフリッツ・ブッシュ(Fritz Busch 1890年3月13日 - 1951年9月14日)による1936年の録音において出会うことができる」としています。同じように古い音源でも個人的にはワルターよりもフリッツ・ブッシュの方にずっと魅力を感じるのでその評はなるほどと思います。ブッシュの年代の指揮者なら程度の差こそあれ、独特のアクというか癖のようなものが目立ってくるものだと思いますが、ブッシュの場合特にモーツァルトのオペラではそういうところが少なく、作品と作曲家の後ろに下がって(オーケストラの後ろにはいないと思うが)いるのか、ブッシュの存在を忘れているような妙な魅力があると思います。

 この録音では歌手の歌唱も含めて大げさ、わざとらしさという言葉から縁遠くて、もっと後年の録音と似ているような内容に思えます。
何となくクーベリックが振ったモーツァルトのシンフォニーを思い出すような魅力だと思いました。ブッシュは自身はユダヤ系民族ではないけれどナチスを嫌って1933年にドイツを離れて、1951年に亡くなっているのでレコード録音の数は限られています。それでもドキュメンタリー映像や往年の巨匠を論じるところでは名前は出てきて、「名作オペラブックス」の巻末でも時々出てきます。
25 8月

ブラームス交響曲第1番 テンシュテット、LPO/1992年

170825ブラームス 交響曲 第1番 ハ短調 作品68

クラウス・テンシュテット 指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

(1992年10月14日 ロンドン,ロイヤル・フェスティヴァル・ホール ライヴ録音 Lpo)

  最近家電量販店で掃除機売場で色々見分していると、店員にすすめられてDソンのクリーナーの電源を入れて作動させました。ベビーパウダーを布越しに吸引する威力には感心しましたが、同じD社でも同じシリーズの製品でなければアダプターの互換性が無いので試した製品ではなくワングレード下のものをポイントを使って購入しました。帰りにJR奈良線を使ったところ地下からホームへの階段が大混雑なのに驚きました。量販店よりも外国人が多くて不思議に思っていると伏見稲荷や奈良方面の割引券の影響のようで、これなら全線複線化も夢ではなさそうです。

 これは先日のブラームス第3番と二枚組になったCDの一枚目ですが、録音年は第1番が1992年10月とセッション録音よりも9年くらい後のライヴ音源です。ブラームスの交響曲第1番も有名作品なので多数のLP、CDがあり新譜からしばらくすれば埋もれかねない作品の一つです。「名曲名盤500(レコード芸術編)」の最新版を見るとテンシュテットの名前は全く挙がっておらず、EMI盤も既に過去のものと化しているようです(その割りにミュンシュとパリOとかは健在)。

テンシュテット・LPO/1992年
①14分47②10分12③05分15④18分21 計48分35 
テンシュテット・LPO/1983年EMI
①14分37②09分50③04分51④18分03 計47分21 

 今回のライヴ音源は先日の田園交響曲のような内容を期待して聴いたらちょっと違っていて、第1楽章がことのほか重苦しくて葬送の趣さえ感じるくらいでした。反面第2楽章が伸びやかで、種々の重荷、しがらみから解かれた心地がして、前楽章が序奏のような印象でした。ブラームスの四つの交響曲の中では第4番が特に好きだったので、この曲には特に思い入れは無かったこともあり、第1番の第2楽章がこれほど感動的だったのは初めてでした。

 第2楽章以降も似たようなやや緊張がほぐれたような空気で進み、第4楽章も特別に高潮させる風でもなく終わります。それでも客席の拍手と歓声は熱くて完全に音が消えない内から拍手がわき起こっています(トラックタイムは拍手を除く)。EMIのセッション録音と比べると各楽章で少しずつ長くなっていて全体で1分強の差が出ています。テンシュテットの演奏評にはしばしば実演とセッション録音とでは全然違うという論調がありました。ブラームスの第1番のライヴ音源ならもっと熱狂的な内容かと想像していたら少々違っています(そんなに単純ではないということか)。こういう演奏だったら第4番の方が感動的かなと想像しました。
24 8月

マーラー交響曲第4番 クーベリック、バイエルンRSO/1968年

170824マーラー 交響曲 第4番 ト長調

ラファエル・クーベリック 指揮
バイエルン放送交響楽団

エルジー・モリソン:ソプラノ

(1968年4月 ミュンヘン,ヘルクレスザール 録音 DG)

 甲子園の高校野球が終わって地蔵盆、化野念仏寺の千灯供養も済むと夏も終わる気配が、とはならず日中の最高気温が37℃とは。高校野球はU18の日本代表が選出されて今年はカナダへ遠征するそうですが、昔は韓国との交流戦をやっていました。1981年の夏は報徳学園の金村選手(引退後のバラエティでウラ話を聞いて唖然)が予選から13完投で優勝し、日本選抜チームが韓国へ遠征しました。古い話しながら、その時のTV放送は韓国側の解説者も日本語で話していました。日本側のアナウンサーが選手の何人かが食事が口に合わずとか嫌味を言った(ABC系なのに)ら、韓国側が我が国はアンダースローなんて「ごまかし」の投法はしないと応酬していたのを覚えています。それをきいて内心では「山田久志のピッチングがごまかしか?ああッ?」とイラついていたのも思い出されます。日韓関係はその後35年以上経過して深まったかどうか。

 早朝でも一向に涼しくも爽やかにもならないなか、明け方にウグイスが鳴いていた初夏の気候は良かったとしみじみ思います。その頃にも聴いていたマーラー第4番をクーベリックの全集盤で聴きました。CDの日本語帯には「マーラー・ブーム到来前に巨匠が名声を高めたマーラー全集」と書いてあり、そのブームというのは何時頃から始まったのか、1980年前後くらい?と想いながらクーベリックと同じ頃に進行した全集録音を思い出していました。下記以外にもショルティも後から再録音した曲があっても既に何曲も録音していたはずです。

クーベリック・ACO/1968年
①15分47②09分09③18分47④8分01 計51分44 
ハイティンク・ACO/1967年
①16分27②08分37③19分34④8分48 計53分26
バーンスタイン・NYPO/1960年
①16分47②09分01③20分28④8分32 計54分48 

 あいかわらずこの曲も演奏時間が短目ながら、それでも窮屈な印象は無くて伸びやかで、清々しい印象で一貫しています。そのわりに、終楽章のソプラノ独唱はリリックで初々しい声質でない、そこそこの年齢、いやその円熟期のシュヴァルツコップのように安定した声を起用したのは終楽章に対してこだわりがあってのことか、最近になってこういう歌手の方が魅力的かなと思うのでそこは共感しました。

 終楽章の歌詞は歌曲集 “ Des Knaben Wunderhorn(子供の魔法の角笛) の “ Das himmlische Leben(天上の生活) ですが、地上を生きて旅する我々からしてもあまりあこがれるような情景ではありません(そもそも福音書によると娶ったり嫁いだりしない世界のはず)。元々は交響曲第3番の終楽章、七つ目の楽章として構想されていたということなので、それならぴったり収まるかなとも思えます。第3楽章の終盤で突如高揚する箇所はどこか第8番の冒頭を思いださせ(今回聴いていてそう思っただけ)るので、その楽章も含めて厭世感と理想的な世界への憧れを思わせます(宮廷劇場の楽長を務めて社会的に成功しているのに)。
23 8月

リスト ハンガリー狂詩曲管弦楽版 I.フィッシャー

170823リスト ハンガリー狂詩曲 管弦楽版

イヴァン・フィッシャー 指揮
ブダペスト祝祭管弦楽団

ヨーゼェフ・チョーチ・レンドヴァイ:Vnソロ③
ヨーゼェフ・レンドヴァイ:Vnカデンツァ②④
ミクローシュ・ルカーチ:ツィンバロム
シャーンドル・クティ:ツィンバロム
ラースロー・キシュ・ジェルジュ:クラリネット③
エリカ・シェベーク:フルート・カデンツァ④

①第1番ヘ短調(リスト/ドップラー編)
②第2番ニ短調(ドップラー編)
③第3番ニ長調(リスト/ドップラー編)
④第4番ニ短調(リスト編)
⑤第5番ホ短調(リスト編)
⑥第6番ニ長調「ペストの謝肉祭」(リスト編)

(1997年3月 ブダペスト,イタリアン・インスティテュート 録音 Philips/DECCA)

 AMラジオの深夜放送は10代にはよく聴いたけれどそれ以降はほとんど聴かなくなりました。現代の投稿動画よりもずっとアングラで品の無い(エログロ)リスナー作製のテープを募集する番組もありました。地元KBS京都の番組でしたが、運動会でお馴染みのクシコス・ポストの旋律がリストのハンガリー狂詩曲第2番にチラっと出て来たので、30年以上前に聴いたクシコス・ポストにスカトロネタの歌詞を付けた歌のことを不意に思い出しました。詳しくは書けませんがGERIをたれる情景の歌詞で、今聴くと別段面白くもなくて汚いだけですが、くだらない歌詞を女性が熱演的に真面目に歌う点と運動会で使うから健全なイメージがあるメロディーが台無しになるということがツボだったのでしょう。

 リストのハンガリー狂詩曲は第1番から第19番まであり(CD付属冊子には21番までとなっている)、その内の六曲をリストがフランツ・ドップラーとともにオーケストラ用に編曲しました。原曲(ピアノ)の第14番、第12番、第6番、第2番、第5番、第9番が管弦楽版の第1~6番として出版されますが、有名な第2番が紛らわしいからかオーケストラ版でも順番を変えて第2番として表記することが普及しています。

 ユダヤ系ハンガリー人のイヴァン・フィッシャーはこの曲集を録音するにあたって、ハンガリーのジプシー(ロマ)音楽である「ツィゴイナー音楽」の奏者を加えて、リストが愛したもとの響きの再現を試みています。管弦楽版の第2番だけは昔FM放送で初めて聴いた時から印象に残っていましたが、もっと重厚でドス黒い音楽だと思っていたのでこの編成、録音は新鮮に聴こえました。I.フィッシャーはブラームスのハンガリー舞曲集でもこうした編成で演奏、録音しています。

 今世紀に入ってからのI.フィッシャーはマーラーやブラームス、ワーグナーら独墺系の作品の録音が増えています。それ以前にフィリップスへ録音していた今回のようなレパートリーやコダーイ作品等を思えばそのルーツ、出身地のことを改めて思い出させられます。それからドヴォルザークのスラヴ舞曲集等もありましたが、ハンガリーとチェコでは現地の住人にとっては大違いなのでしょうが、クラシック音楽のレパートリー、演奏家の演目割り当てではひとからげにされがちです(韓国と日本が似たようなものとしたらネット民は怒るように、チェコとハンガリーもそうだろうか?)。
22 8月

ブラームス交響曲第3番 テンシュテット、LPO/1983年

170822ブラームス 交響曲 第3番 ヘ長調 op.90

クラウス・テンシュテット 指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

(1983年4月7日 ロンドン,ロイヤル・フェスティヴァル・ホール ライヴ録音 Lpo)

 今日の夕方に宝くじの当選確認が出来るかと売り場によったら、サマー・ジャンボは25日から可能ということなのでそれまではささやかな空想をすることが出来るわけです。その途中で10月22日に解散という夕刊紙の見出しが目に入りました。フェイクニュースなのか面白半分なのか(半島で軍事衝突が起こると日本会議系の改憲派には追風ということか?)。サマー・ジャンボを最終日前日に買った時、自分の直後に並んでいた人の顔をすれ違いざまに見ると、なんか貧乏神の連隊の古参兵のような風貌(失礼)で、この売場の運気というものが仮にあるならかなり下の方かなと思いました。かくいう自分はこれまで300円しか当たったことがないので貧乏神連隊の上等兵くらいでしょう。

 昨日に続きテンシュテットとロンドン・フィルのライヴ音源のCD(Lpoレ-ベル)で1983年のブラームスの交響曲第3番です。収録しているのがBBC放送なので他のレーベルからもCD化されていたようです。テンシュテットのブラームスは、EMIへのセッション録音は交響曲第1番だけしか無かったので、この音源も貴重です。音質の方も昨日のブルックナーよりも自然で聴きやすいと思いました。なお、第4楽章には拍手等はありませんが空白が多いので演奏が終わった時点のタイムに直しています。

テンシュテット・LPO/1983年
①10分11②9分30③6分43④09分00 計35分24
ヴァント・NDRSO/1983年
①12分33②7分40③5分42④09分17 計35分12

 全曲を聴いてみるとかなり感動的で、昨日のブルックナー第8番よりも作品との相性が良い、又は既存の作品観に沿った内容だろうと思います。少なくとも第3楽章は旋律の魅力が堪能できる演奏です。と言ってもこの作品自体、それ程多く、頻繁に聴いていないので久しぶりに聴いたから新鮮に思っただけかもしれません。それでタイプがかなり違うだろうと思われるヴァントの同時期の録音と演奏時間を比べました。合計時間は近似しているのに第1、2楽章の長さが逆転している、第3楽章がテンシュテットの方がやはり1分程長くなっています。今回の機会にはヴァントの方は聴いていませんが、消えるように静かに終わる第4の感銘度はテンシュテットの方がしっくり来る感じです。

 ブラームスはロマン派時代の作曲家でありながら一方でワーグナー、ブルックナー、マーラーの系統とは対立した新古典派(この名称が正確かどうかはともかく)、又はハンスリック派な作風なので、マーラー指揮者のテンシュテットが指揮すればどういう、どちらの系統に傾いた演奏なのかと思ったら何とも言えない微妙さです。いずれにしてもEMIへのセッション録音があまり多くなかったこと、病魔のために活動が短縮されたことが返す返すも残念です。
21 8月

ブルックナー交響曲第8番 テンシュテット、LPO/1981年

170821ブルックナー 交響曲 第8番 ハ短調 WAB.108 (1890年稿ノヴァーク版)

クラウス・テンシュテット 指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

(1981年10月29日 ロンドン,ロイヤル・フェスティヴァル・ホール ライヴ録音 Lpo)

 今年の11月にメシアンのオペラ「アッシジの聖フランシスコ」の演奏会形式での公演がびわ湖ホールでも行われるのでチケットを既に購入しました。それと関係あるのか、今年はフランシスコ会が聖地に海外管区を置いて保護してから800年になるメモリアル年にあたるそうです。十字軍の時代を経て今日に至る長い年月なので、特に極東の異文化圏の我々には今一つピンと来ませんが、二年後の2019年にはエジプトのムスリム、サルタン・マリク・アル・カミルとの出会いから800年という記念もあり、そっちの方も意義深そうです(よく知らないけれど)。日本も介護職にインドネシアから一定の人数を招いているので今後イスラム圏との接点が観光や滞在といったサイクルだけでなく、もっと長い定住の期間で増えることになりそうです(看護には中国からも来ている)。

 テンシュテットと言えばまずマーラー指揮者という先入観があり、国際的名声を得るきっかけになった1974年のボストン客演でもブルックナー第8番を指揮していたり、海外ではブルックナーも好評だった割に、テンシュテットのブルックナーは日本ではあまり評判にならなかったようです。しかし、EMIからは第4番と第8番くらいはセッション録音が出ていました。今回のLPOのライヴ音源CDはそのセッション録音の少し前の公演の記録でした。音質は先日の1990年代の音源に比べるとにごったり、金管がきれいでない等今一つな点がありますが、LpoレーベルのCDは大分聴きやすくなっています。

 同じくらいの時期にブルックナー第8番を指揮した録音が三種類あり、合計時間は近似しています(今回のものは終演後の拍手部分を除いている)。

~ テンシュテットのブルックナー第8番
LPO/1981年10月29日
①14分45②13分45③25分59④20分17 計74分46
LPO/1982年EMI
①14分16②14分01③26分02④21分03 計75分22
BPO/1981年11月Testament
①15分04②13分38③26分00④21分38 計76分20

 一方以降にメジャーなレーベルから出たブルックナー第8番の有名なものとして下記のニ種、ジュリーニとカラヤンによるウィーン・フィルのDG盤があり、演奏時間には各楽章とも差がありました。省略箇所の加減があったとしても、聴いた印象からしてテンシュテットの方はいかにも速くて、所々で突撃するように前のめりです。

ジュリーニ・VPO/1984年
①17分07②16分25③29分24④24分36 計87分32
カラヤン・VPO/1988年
①16分56②16分25③25分13④23分59 計82分33 

 さらに一方でブルックナーの交響曲を二度完成させたヨッフムの場合は下記のようなトラックタイムになり、合計時間はテンシュテットと似ています。それに流動感にあふれ、テンポも速めなところも似ていそうですが、それでもアダージョ楽章なんかは違う国の言語で話しているような、異質なものがあるようで、やっぱり違います。

ヨッフム・SKD/1976年
①13分55②14分00③27分24④20分46 計76分05
ヨッフム・BPO/1964年
①13分41②14分02③26分42④19分50 計74分15

 テンシュテットの第3楽章は先入観のためか、どうもマーラー作品の呼吸がチラ付く気がして泰然とした演奏から感じられるブルックナー作品の音色とは違っている気がします。それにテンポの上げ方がワーグナー作品のようでどうも違和感が拭えません。テンシュテットも1990年代頃にブルックナーを指揮していればもう少し違った演奏になるかなと想像できますが、この録音では第4楽章のコーダ部分で思ったより無茶な加速、盛り上げ方ではない点に好感を持ちました(演奏終了直後に大きな拍手が起こっているので、ロンドンではこのスタイルも喜ばれているよう)。
20 8月

ニュルンベルクのマイスタージンガー クーベリック、バイエルンRSO

170820bワーグナー 楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」

ラファエル・クーベリック 指揮
バイエルン放送交響楽団
バイエルン放送合唱団(合唱指揮ハインツ・メンデ)
テルツ少年合唱団(合唱指揮ゲアハルト・シュミット=ガーデン)

ハンス・ザックス:トマス・スチュワート 
ヴァルター:シャーンドル・コーンヤ 
エヴァ:グンドゥラ・ヤノヴィッツ 
マグダレーネ:ブリギッテ・ファスベンダー 
ダーヴィット:ゲアハルト・ウンガー 
ポーグナー:フランツ・クラス 
フォーゲルゲザング:ホルスト・ヴィルヘルム 
ナハティガル:リヒャルト・コーゲル 
ベックメッサー:トーマス・ヘムスレー 
コートナー:キート・エンゲン 
ツォルン:マンフレート・シュミット 
アイスリンガー:フリードリッヒ・レンツ 
モーザー:ペーター・バイレ
オルテル:アントン・ディアコフ 
シュヴァルツ・カール・クリスティアン・コーン 
フォルツ:ディーター・スレムベック 
夜警:ライムント・グルムバッハ 

(1967年10月1-8日 ミュンヘン,ヘラクレスザール  Arts・classics/CALIG)

170820a ネットバンキングが普及して大分経ちますが、金融機関によって使い勝手に違いが出てきています。使いやすい、暗唱番号・パスワードが少ないことと安全なこととは比例しないとしても、信金のログインページの中には画面の下の方にあって、いかにも使わずに済むならその方が良いとでも言いたそうな、頼りなさげなものもあります(これ本当に大丈夫??)。先日北K関係の番組で、国家ぐるみでハッキングをして銀行から資金を強奪調達している可能性が高いという話を紹介していました。そういう手口にかかれば日本の金融機関も安全ではなさそうなので、ミサイル防衛もおろそかに出来ないとしてもサイバー防衛も肝心なんじゃないかと思えてきました(時々国の機関もハッキングされていることだし)。

 ワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」は、若い頃にはワーグナー作品の中では一番好きで、一時期にはハンス・ザックスのヲタのように偏愛していました。それでこの作品の全曲盤は可能な限り、よほどの悪評が定まっていないものでない限り、全部集めようと思ったくらいでした(当然全部は無理)。このクーベリックによる全曲盤はそういう熱がさめた頃に突然CD化されて驚いたのを覚えています。LPで出た際にレーベルが消滅したために長らく絶版状態だったそうで、本当に突然の再発売だったとか。

 最初に聴いた時も今聴いた時も、ドイツで絶賛という評判になるほどと思う点と「おやっ?」と思うところが重なりました。前者の方はクーベリックの指揮による明快、明晰さが素晴らしくて数年後のカラヤンの全曲盤にも対抗できるくらいだと思いました。それだけに端正過ぎて、陰、負の要素がまるでないような明るさに思え、第二幕の乱闘の場面なんかも全員寸止めて喧嘩の恰好をしているだけという健全的な空気に物足らなさを感じます。これを聴いていると、同じくらいの年代にレコード録音したドヴォルザークやマーラーの演奏を思い出す響きです。

 歌手の方は総じて豪華メンバーですが特にポーグナーのクラスが目立っていました。全体的に会話的な妙味よりも、正確な歌唱とでも言うのか生真面目な歌唱の方が多いようで、第一幕第3場のマイスター入場後のやりとり、第三幕第1~4場等はやや単調な印象です。そんな中でザックスに比べて出番は少ないのにポーグナーの歌唱が立派で、声の威力、圧力では補えない表現の何かがあるのか、とにかくこの録音ではポーグナーに注意が行きました。ザックスのスチュアートは気弱な印象さえ受ける声で、オラオラ系な声と違って面白いと思いました。ヴァルターのコーンヤは、バイロイトで初めてローエングリンを歌った頃を思えばやや輝きが弱まったような印象です。
19 8月

モーツァルトのピアノ協奏曲 K.467 シフ、ヴェーグ

170819aモーツァルト ピアノ協奏曲 第21番 ハ長調 K.467
*シフのカデンツァ

アンドラーシュ・シフ:ピアノ

シャーンドル・ヴェーグ 指揮
ザルツブルク・モーツァルテウム・カメラータ・アカデミカ

(1989年12月 ウィーン,コンツェルトハウス・グローサーホール 録音DECCA)

 今日は自家用車の定期点検のために午後、ディーラーへ行きましたが途中の予定が早く片付き過ぎて1時間半くらい余ってしまいました。パチンコ屋でワーグナーの楽劇でも流していればそこで待っても良いところですが、そんなパチンコ屋はあるはずもなく、結局1時間以上早くディーラーへ行きました。そういえば伊東美咲の旦那の実家はパチンコ産業の大手で、そこの会長(舅にあたる)はクラシックしか聴かないそうなので、軍艦マーチやホタルの光じゃなく開店と閉店には、ローエングリン第三幕第三場の場面転換の曲とか森のささやきくらいを流す店があっても良さそうかと。結局3時間近く店内に居て、高校野球の中継(広陵のキャッチャーは評判通り凄い)を大画面で観つつ持っていった本を読んでいました。

ピアノ協奏曲第21番ハ長調KV.467
第1楽章 Allegro
第2楽章 Andante
第3楽章 Allegro vivace assai

170819b モーツァルトのK.467はピアノ協奏曲第21番、FM放送で紹介される時も旧番号を併唱しないことの方が多くなり、記憶力の悪い人間にはちょっと困ります(未だにK番号が覚えられない、ということは万事下り坂の今後も無理だろう)。この曲は第2楽章が映画に使われたのでオムニバス的アルバムに収録されたりでかなり有名です。しかし自分の好みでは第1楽章が特に好きで、湿度の低い爽やかな夏の朝、というのがあったらそれにふさわしい楽曲というイメージを勝手に投影して愛好していました。中学生の頃にグルダ、アバドのLP(第20番と21番)を買ってよく聴いていたのが思い出されます。

 このCDはシフとヴェーグ指揮のザルツブルク・モーツァルテウム・カメラータ・アカデミカによる全集の中に入っている一枚です(やはり第20番とあわせてCD一枚に)。元々ピアノよりもヴェーグ指揮のオーケストラ演奏が目当てで購入したもので、久しぶりに聴いてみるとピアノとオケに対する好感度が逆転するような印象です。シフのモーツァルトに対してはネット上には感心しないという声をチラホラ見ていましたが、ヴェーグの指揮とはやっぱり良いコンビだと思いました。「名曲名盤500」の最新版でこの曲を見ると、シフ、ヴェーグの録音をリストに挙がっていませんでした。これは分売のCDが投票時点で廃盤になっていたからかもしれません。この曲以外では第22晩、23番、27番がリストには載っていました。

 この曲、K.467は1785年3月9日に完成してすぐに作曲者のピアノで初演されました。その約一カ月前には全く違う内容の K.466 ピアノ協奏曲第20番ニ短調 を完成させています。最後の交響曲三曲と同じパターン(モーツァルトにはよくあること)ながら、はじめてLPで聴いた時、第20番に続けてこの曲を再生した時は序奏も無く開始する冒頭の軽快さにエッ?と思いました。
18 8月

テンシュテットのワルキューレ第一幕/1991年

170818bワーグナー楽劇・ニーベルングの指環 「ワルキューレ」第一幕

クラウス・テンシュテット 指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

ジークムント:ルネ・コロ(T)
ジークリンデ:エヴァ=マリア・ブントシュー(S)
フンディング:ジョン・トムリンソン(Bs)

(1991年10月7,10日 ロンドン,ロイヤル・フェスティヴァル・ホール ライヴ録音 Lpo)

170818a 今朝の夜明け直前頃、猛烈な雨音のため目がさめました。そこらへんが潜水艦のように潜るのかと思うような水音に囲まれて数年前の豪雨渦の記憶がよぎりました。一旦眠ったら今度はドやかましい雷鳴でまた目がさめました。建具が震えるような低音の雷はあまりおぼえがありません。どうも本当に気候が変化する過渡期にでもさしかかったような不気味さです。豪雨と雷鳴の合間に鮮明な夢を見ていて、目覚めてもけっこう覚えていました。電車に乗って居眠りして終着駅近くまで乗ってしまい、降りた駅の前が漁港で海が広がっているというあり得ない場面です。かろうじて近鉄特急の賢島行にでも乗れば似たような駅はあるかもしれませんが、仕事関係で乗る可能性は限りなくゼロです。ただ、夢の場面を思い出すとそのネタ元はここ数日の実生活の場面にあるようで、古い桟橋はTVで観たトラック環礁の旧海軍の停泊地、乗った電車は今月二十日から運行する座席指定の京阪特急のポスターの反映なのでしょう。

 ワルキューレの一幕だけの録音は過去にもちょくちょくあり、ロンドン・フィルのライヴ音源からのレーベルにもテンシュテットの演奏会形式のものがありました。このレーベルの音は不自然なところがあるものの、鮮明で隅々までよく聴こえる内容で、少なくとも1990年代のものは良さそうです。このワルキューレ第一幕も声楽だけでなくテンシュテット指揮のオーケストラがかなり魅力的、個性的です。テンシュテットによるワーグナー楽劇の全曲盤は結局無かったのでこれは貴重な録音です。

 前奏曲は嵐のように速目のテンポで始まりますが、「冬の嵐は~」の場面はかなりテンポを落とした上でオーケストラが控え目になります。ジークムントがアリア的な部分はあまり強調しないというか、あくまで全体の中の一部という位置付けで、「~und Lenz!」と歌い終わったところも淡々とそのまま進んで行くのは新鮮です(アリアが終わってドヤ顔的な感じは全く無い)。第一幕のコーダ部分は再びテンポが上がってかなり高揚するので直後にわき起こる拍手も盛大です。

 同じくらいの時期にマゼールとピッツバーグ交響楽団らによるワルキューレ第一幕のCDがありましたが、今回のテンシュテットに比べるとそれはオラトリ的なものに思えてきます。このCDの日本語帯に載っていた「テンシュテットの執念(ガンの治療中でもあった)とも思える迫力に満ちた音に満たされて」、「スリリングかつ濃密な人間模様を描き出している」という評はもっともだと思いました。どこかしら先日のフルトヴェングラーのセッション録音に通じるところがあるとも思いました。
17 8月

カンテルリの未完成交響曲 PO/1955年

170817シューベルト 交響曲 第7(8)番 ロ短調 D.759「未完成」

グイド・カンテッリ  指揮
フィルハーモニア管弦楽団

(1955年8月16-18日 ロンドン 録音 EMI)

 昨日の夕方、まだ盆の期間だから早く帰ろうと思いつつも宅配荷物が着くかもしれないのでネット経由でFMを聴いていると、公民権運動の母、ローザ・パークスのことを歌ったフォークソングが流れてきました。音楽にはあまり感心しないけれど歌詞を聴くうちに泣きそうになってきて、公共交通機関の座席くらい自由に座りたいものだとしみじみと思いました。その歌は、よしだよしこの「She said NO!」でした。番組は「夏の選抜!フォークおやじバトル!!!」というタイトルで、特別ゲストの一人がよしだよしこさんでした。その歌が終わっても特にリアクション、コメントが無かったのは何らかの忖度があったのか、たまたまラジオをつけた時に聴くことが出来てよかったと思いました。今日は一応晴れたのにこの時期には珍しい湿気でうんざりして、外出先で出来るだけ階段(地下鉄の乗換)を使わないように路線バスを使い、東寺の近くから東山三条まで乗りました。

 グイド・カンテルリ(Guido Cantelli 1920年4月27日 - 1956年11月24日)は36歳で飛行機事故により亡くなったこと、トスカニーニに認められて既に何曲もレコーディングを始めていて間違いなくスター的な存在になった等という評判で有名でした。それだけでなく、カンテルリ(カンテッリ)は兵役に就いていた時に所属部隊のナチス・ドイツに協力する決定に逆らってドイツ軍に捕まり、その後脱走してレジスタンスに参加したこと、それからまた捕まって処刑直前でイタリアが降伏して命拾いしたという経歴もあり、そのこともトスカニーニの共感をよんだとか。そういう話はともかく、1990年代に個人的に彼の残したセッション録音を何点か聴いてかなり気に入っていました。
 
 その筆頭がフィルハーモニア管弦楽団との再録音にあたるメンデルスゾーンのイタリア交響曲でした。今回の未完成はそれとカップリングされて一枚にCDになった国内盤です。この録音の頃ならシューベルトの未完成交響曲は甘美なメロディを前面に出して、霧中をさまようようなロマンティックな演奏、程度の差こそあれ、そういうスタイルの影響下にあったのではないかと推測されます(インマゼールのCDの解説等による)。しかし、カンテルリの未完成はそういう影響はかなり少なくて、第1楽章は決然として攻撃的な情緒も漂っています。だからこの作品らしいタイプとは言い難かったと思いますが、演奏の内容は違ってもやはり「らしくない」スタイルを通したクレンペラーの演奏を気に入っているので、カンテルリも親近感が湧きました。

カンテルリ・PO/1955年
①10分44②11分57 計22分41
クレンペラー・PO/1963年・EMI
①13分28②11分27 計24分55
クレンペラー・ニューPO/1967年
①15分13②12分35 計27分48
クレンペラー・ニュ-PO/1968年
①11分46②12分29 計24分15
クレンペラー・VPO/1968年
①15分33②12分41 計28分14

 後年同じオーケストラを指揮してレコード録音した時に、スタッフや団員の中にカンテルリが録音した時にも参加した人がどれくらい居たのだろうかと思います。二楽章しかない曲でリピート有無の加減もあると思いますが、カンテルリの颯爽とした第1楽章と沼に引き込まれるようなクレンペラーとは対照的な割に演奏時間の差は大きく無いのは意外です。未完成交響曲を最初に全部聴いたのは、自宅にあったレコード・ブックス(百科事典的な製品)の一部でミュンシュ指揮、ボストン交響楽団のLPでした。思えばその演奏もロマンティック一辺倒なタイプじゃなかったので(少なくとも第1楽章は荒々しかったような)、それが自分の好みに影響したのだろうと思います。ところでカンテルリの軍隊時代、「上官の命令を承ること、実は直ちに朕が命令を承ることと心得よ」というような規律はどれくらい重みがあったことか。カンテルリの行動を非難するような声は読んだことがないもので、この感情は日本とは違うのかと思いました。
16 8月

ベートーベン交響曲第9番 クーベリック、バイエルンRSO

170816ベートーヴェン 交響曲 第9番 ニ短調 作品125

ラファエル・クーベリック 指揮
バイエルン放送交響楽団
バイエルン放送合唱団

ヘレン・ドナート(S)
テレサ・ベルガンサ(A)
ヴィエスワフ・オフマン(T)
トマス・スチュアート(Bs)

(1975年1月1-12日 ミュンヘン,ヘラクレスザール 録音 DG)

 今週のはじめ、職場でメインに使っているPCのメール・ソフトが突如起動しなくなりました。ウィンドウズ付属やマイクロソフトのメールソフトじゃなかったので、やむを得ずアウトルックをセットアップしました。それにしても壊れにくいソフトだと聞いて数年前から使っていたので、あるいは何らかの悪意あるメールの攻撃を知らずに受けたのかと思いました。特に添付ファイルを解凍したわけでもなく、セキュリティ・ソフトでスキャンしても何も出てこないので大丈夫のようです。

 昨夜のTVでインパール作戦の特集をやっていて、当時の日本のニュース映画が少し流れて、その冒頭がベートーベンのコリオラン序曲(多分)だったのでコリオランの物語と関係無いので演奏効果から採用したのかと思いました。ベートーヴェンの九曲のシンフォニーをそれぞれ異なるオーケストラを指揮して全集録音を完成させたクーベリック、その九つの楽団に祖国チェコのオケが入っていないのはコリオラヌスのように亡命状態だったからで、どれか一曲か、そもそもチェコPOと九曲を演奏してほしいところだったので残念です。

クーベリック・バイエルンRSO/1975年
①16分20②11分42③14分43④25分22 計68分07
ベーム・VPO/1970年
①16分46②12分08③16分38④27分09 計72分41
ケンペ・ミュンヘンPO/1973年
①16分22②11分17③16分07④25分58 計69分44
カラヤン・BPO/1976,77年
①15分21②10分04③16分50④24分23 計66分38
マズア・ライプチヒ/1981年
①15分37②11分39③14分53④25分54 計68分03

 クーベリックのベートーベンはそういう全集企画が注目されたものの、各曲が、どれか一曲が特に称賛されたということはなかったようです。むしろ後に出てきたライヴ音源の方が評判になっていました。第九については同じくらいの年代の録音の中では、演奏時間は特に突出していないものです。ただ、第3楽章を速目にあっさりと進めるのはクレンペラー風です。もっとも、第2楽章も同様なので全体的にはドヴォルザーク作品のような爽快さに感じられます。だからとかく誇大なものを投げかけ、読み取ろうとしがちな第九に対してちょっと違う、穏やかで柔和な印象を受けました。

 最新版の「名曲名盤500(レコード芸術編)」の第九にはこのクーベリックとバイエルンの録音はリストにあがっておらず、九曲の中では第2(アムステルダム・コンセルトヘボウO)、第4(イスラル・フィル)、第8番(クリーヴランドO)がリストに載っていました。ピリオド楽器や奏法の演奏もある中でのこういう状況はまだ存在感を放っている方と言えるかもしれません。
15 8月

ベートーベン交響曲第6番 テンシュテット、LPO/1992年2月

170815bベートーベン 交響曲 第6番 ヘ長調 op.68 「田園」

クラウス・テンシュテット 指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

(1992年2月21日 ロンドン,ロイヤル・フェスティヴァル・ホール ライヴ録音 Lpo)

170815a 甲子園の高校野球でも8月15日正午には試合中であっても黙祷をしていました。今日は雨天順延で試合はありませんがこの時期には、戦後生まれであっても何らかの形でさきの大戦に関する情報が入ってきます。都市への無差別爆撃、捕虜虐待、ホロコースト、人体実験等々、現代の感覚では何故そんなことが出来ると思うことが多数あります。日中戦争において行った重慶への爆撃は、担当参謀だったウルトラ・リベラルと自称した井上成美中将が対中戦争の早期終結のために有効だとして爆撃に大いに期待したということでした。規模、民間人死傷者の数は違うとしても大戦末期の都市への爆撃も戦意喪失による早期降伏を狙ってのこととすれば、戦争が続いて復仇、憎悪が重なると、どんな体制、指導者であってもそういう計算が優先されるのだと改めて思います。

 さて、先日TVで(クラシックの番組)ベートーベンの田園が特集されていて、断片的にしか観ていませんが、作曲当時の世相から平和な生活の明け暮れを希求という意味の解説が耳にとまり、たしかに終楽章、特にコーダ部分はそういうものへの憧れ、有難さをしみじみ感じさせるものがあると思いました(絶対音楽であって表題音楽じゃないと言われてもそういう風情は多かれ少なかれ感じる)。

交響曲第6番ヘ長調
第1楽章Allegro ma non troppo ヘ長調
「田舎に到着したときの晴れやかな気分」
第2楽章Andante molto mosso 変ロ長調
「小川のほとりの情景」
第3楽章 Allegro - Presto ヘ長調
「農民達の楽しい集い」
第4楽章Allegro ヘ短調 
「雷雨、嵐」 
第5楽章Allegretto 
「牧人の歌−嵐の後の喜ばしく感謝に満ちた気分」 

 このCDはロンドン・フィルが持つ音源を自主制作するレーベル、Lpoから出たものでテンシュテットが実質的に引退する直前の公演の音源でした(カップリングはさらに一年前のエグモント序曲)。田園交響曲はテンシュテットとロンドン・フィルが1992年3月に来日した時にはテンシュテットの体調不良でキャンセルになったので、その来日公演を聴いた人には何か因縁めいた特別な感慨もあるかと思います。この田園交響曲は素晴らしくて、先日のウィーン・フィルとのエロイカとは全く別人のように聴こえます。

テンシュテット・LPO/1992年
①12分15②13分08③5分50④3分54⑤10分42 計45分49
マリナー/1986年
①11分47②13分44③5分22④3分50⑤10分01 計44分44
アバド・BPO/2001年
①11分33②10分40③5分08④3分25⑤08分34 計39分20
メルクル・リヨン/2008年
①09分30②13分34③5分09④3分34⑤09分46 計41分33

 リマスターされた音質の加減かもしれませんが、やや残響が目立つ箇所があるものの特に弦と木管が力強くて、歪や灰汁を思わせるところが限りなくゼロに近い自然な演奏だと思いました。最近のピリオド奏法、原典志向の影響下にある演奏からすれば「テンシュテットの田園であって、ベートーベンの田園ではない」と批判される要素もあるかもしれませんが、小編成によるマリナーの録音と比べても合計時間はあまり違っていません。どこをどうすればこういう風な田園交響曲になるのか、この演奏に限った疑問ではありませんがしみじみ思いました。そういえばテンシュテットはベートーベンの交響曲は全曲録音していなかったはずなので、これを聴く限りは改めて残念に思います。
14 8月

リスト「巡礼の年 第3年」 メジューエワ

170814bリスト 巡礼の年 第3年 S.163

イリーナ・メジューエワ:ピアノ

1.Angélus! Prière aux anges gardiens        
(アンジェラス!守護天使への祈り)
2.Aux cyprès de la Villa d'Este I: Thrénodie
(エステ荘の糸杉にI:哀歌)
3.Aux cyprès de la Villa d'Este Ⅱ: Thrénodie
(エステ荘の糸杉にII:哀歌)
4.Les jeux d'eaux à la Villa d'Este(エステ荘の噴水)
5.Sunt lacrymae rerum/En mode hongrois
(ものみな涙あり/ハンガリーの旋法で)
6.Marche funèbre(葬送行進曲)
7.Sursum corda(心を高めよ)
* カップリング曲:聖ドロテア S.187

(2017年4月8-9日 富山県魚津市,新川文化ホール)

170814a 主のみ使いの告げありければ、マリアは聖霊によりて懐胎したまえり。-天使祝詞1回
 われは主のつかい女なり、おおせのごとく我になれかし。-天使祝詞1回
 しかしてみことばはひととなりたまい、我らの内に住みたまえり。-天使祝詞1回
 天主の聖母われらのために祈りたまえ。キリストの御約束にわれらをかなわしめたまえ。
 主よわれら天使の告げをもって、御子キリストの御托身を知りたれば、願わくはそのご苦難と十字架とによりて、ついにご復活の栄に達するを得んため、われらの心に聖寵を注ぎたまえ。われらの主キリストによりて願いたてまつる。アーメン。

 いきなりの文語文による祈り、これが「お告げの祈り」の古い日本語訳でした。祈祷書の古い本には「一日三回、朝、昼、晩に唱える、せめて昼に一回」と注記してあります。リストの「巡礼の年 第3年」の一曲目のタイトルは、この祈りとその時に鳴らされる鐘を意味しています。一日に三度唱えるというからには日常生活に密着、溶け込んだもののはずですが、現代の位置付けはどうなっているのか、自分自身一度だけしか体験したことがありません。ある時ミサの前に突然これが始まって驚いたことがありました。

 七曲からなるこの曲集は、リストの最晩年に完成された作品でした。巡礼の年の第1年、第2年、第2年補遺がいずれも作曲者が二十代の頃に作曲したのに対してそこから四十年くらいの間を空けて取り組んだのがこれら第3年の楽曲です。メジューエワのリスト・アルバムはこのCDが二作目にあたり、カップリングは「聖ドロテア S.187」です。七つの楽曲がまるでロザリオの祈りの各神秘の中の玄義のようで、曲集全部でリストの私的な黙想、瞑想のための玄義のような、独特な性格の作品のようです。これはむしろ弾いている人間にとって共感するところが大きいのではないかと思われ、聴く側も何らかの同調のような感覚を得られたら感銘深くなるのだろうと思います。とりあえず目下のところ「エステ荘の噴水」が親しみやすく聴きやすいと思っています。

 七曲目の「心を高めよ」あるいは「高くせよ、高く上げよ(英語は lift up your heart となっている)」は、ミサの式文でサンクトゥスの前に来る叙唱の手前の言葉 “ Sursum corda ” のことだと解説にはありますが、現行の日本語の式文にこれに当たるものがあったかどうかすぐには思い当たりません。司祭の「心をこめて神を仰ぎ」に対し、一同が「讃美と感謝をささげましょう」と応える箇所が該当しますが、「高く上げる」という語句とは違っています。そんなわけなので、それより「心を高く上げよ」という日本語名の賛美歌の方がすぐにピンと来ました。プロテスタント教会の多数の教派が使う「賛美歌21」等の歌集に載っていて、或いはカルヴァン派系の教会で特に有名かもしれません。いずれにしても、超絶技巧のスター的なピアニストだった若い頃のリストからは縁遠い作風、世界です。今日8月14日は聖マキシミリアノ・マリア・コルベ司祭殉教者の記念日でした。
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raimund

昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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