raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

2016年12月

30 12月

ブルックナー交響曲第5番 スクロヴァチェフスキ・1996年

161230ブルックナー 交響曲 第5番 変ロ長調 (1878年ノーヴァク版)

スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ 指揮
ザールブリュッケン放送交響楽団

(1996年5月31日-6月3日 ザールブリュッケン 録音 Oehms)

 12月30日の今日はまだ銀行なども営業していて、休暇モードと平日モードが入り混じっていました。とりあえず今日で正真正銘御用納めとしました。朝の出勤途中に墓地へ寄り、昼には年越し蕎麦の前倒しにしました。蕎麦屋で食べる場合、大晦日は超混雑するので前日に行くことにしていますが(31日はスーパーで売っている蕎麦を家で食べる)、今年は30日でも既に混んでいて店の子供さんが総動員で「戦闘状態ニ入レリ」でした。予定では昼間に酒を頼むつもりだったのに、とてもゆっくりしてられる環境ではなく、ナニを洗っといて、とか、机拭いといて等々伝令が飛び交っていました。さて、これまでの一年も三分割したブログも一応は存続できました。ここまで読んだり、コメントをいただきました皆様にあつく御礼を申し上げます。今年はこれで最終回といたしますが、来る年が皆様方にとっても幸多い年であることを祈念いたします。

 ブルックナーの交響曲第2番から第4番の初期稿と第5番までを四部作ととらえて、順次聴いてきて今回が第5番の回です。その説はアイヒホルンのCDに付いていた解説書に載っていたのをうすら覚えているだけで、どれくらいの認知度なのか分かりませんが、第5番を聴いているとなんとなく説得力がある気がします。

スクロヴァチェフスキ・ザールブリュッケン/1996年
①19分45②16分19③13分10④24分01 計73分15
 スクロバチェフスキ・LPO/2015年
①21分27②18分09③13分16④25分22 計78分14
ティントナー・スコットランド国立O/1996年
①20分17②16分23③14分17④25分55 計76分52
ヴァント・ベルリンPO/1996年 
①21分31②16分26③14分20④24分57 計77分14
 アイヒホルン・リンツB管/1993年
①20分42②17分38③14分41④27分39 計80分00
アイヒホルン・バイエルンRSO/1990年
①21分09②17分34③14分22④26分11 計78分16
 
 これはスクロヴァチェフスキとザールブリュッケン放送交響楽団の全集(第00番、第0番を含む)の中の録音で、最初はアルテノヴァから一枚当たりの単価が500~600円で売っていたものです。その後レーベルが変わってからだいぶ値上がりしました。スクロヴァチェフスキのブルックナーは壮大・老荘系といったタイプと違い、明晰さで貫かれた独特の美しさをたたえたスタイルだと思います(全集のCDを再生するのは久しぶりで全曲は思い出せない)。この第5番もCD1枚に収まる演奏時間であり、上記のCDの中でも合計演奏時間は短めの部類です。

 それにもかかわらず窮屈でせわしない印象は無くて、第2楽章のアダージョも引き締まりつつえも言われない情感があふれて感動的です(一年の埃、滓、膿が洗い清められそうな、と言えば卑近で値打ちが下がりそうだけれど実際そんな感覚) 。個人が投稿しているレビューの中にはこの録音で第5番に開眼したというコメントを見たことがあり、それももっともだと思います。とりあえず第5番だけを聴きなおしたわけですが、この全集でブルックナー演奏の潮目が変わるくらいの時期だったのではと思いました。
29 12月

ブルックナー交響曲第4番初期稿 ギーレン、SWRSO・1994年

161207bブルックナー 交響曲 第4番 変ホ長調 WAB104 (1874年稿・ノヴァーク版)

ミヒャエル・ギーレン 指揮
SWR Sinfonieorchester Baden-Baden und Freiburg(南西ドイツ放送交響楽団)

(1994年4月12-15日 バーデンバーデン、ハンス・ロスバウト・スタジオ 録音 Hanssler Swr Music

 昨夜は年末の第九公演(京響/京都コンサートホール)へ行ったのでこのCDの回が一日ずれ込みました。第九は日本の年末恒例にも似つかわしい熱演でしたが、開演前に三月定期のチケットを予約しようとしたら、なんと発売後しばらくで完売していました。マーラーの第8番を生で聴くことができる機会は少ないから是非にと思っていたのに、2日ある公演の両方とも2、3時間で売り切れたそうです。出演する合唱団の保護者らが買ったのか、まるで小分けに販売するどこぞのタワーマンションのような完売ぶりです。

161207a  さて、ギーレン指揮のブルックナー第4番の初期稿。これはギーレン・エディションの第2集に含まれているものの初出の音源ではなく、1990年代にヘンスラーから単品で出ていた音源です。1994年頃のギーレンはマーラーの交響曲も録音していて(マーラー全集も録音年代にばらつきがある)、まだ冷血云々というイメージを引きずるというか、ギーレンといえばそんな芸風を連想した頃だったと思います。しかし、この第4番は今回発売時のリマスターの影響なのか、全体的に軽快にして柔和なブルックナーになっています。結果的にこの曲よりも前の初期作品とのつながりを強く感じさせる(後期作品よりも)演奏に仕上がっていると思え、重厚壮大、高揚祝典なブルックナー像とは一線を画しています。

交響曲 第4番 1874年第1稿
第1楽章 Allegro 
第2楽章 Andante quasi allegretto 
第3楽章 Sehr schnell. Trio. Im gleichen Tempo 
第4楽章 Finale : Allegro moderato

 交響曲第4番の第1稿は、普及している版、1878-1880年第2稿(ノヴァーク版、ハース版)との違いが最も顕著であり、半分くらいは別物と言えそうなので第2稿は4.5番とか名乗っても良いくらいです。なんとなく聴き出しても第1楽章からして違うなと気が付き、3楽章は全くの別物です。交響曲第4番は「ロマンティック」という愛称と共に深い森がイメージとして付いて来ますが、第1稿こそ人造の庭園ではない原生林のような混沌さをかもしだしていると思います。この録音ではそれが特に心地良く響きます。

ギーレン・SWRSO/1994年
①18分42②17分01③12分05④16分21 計64分09
K.ナガノ・バイエルン/2007年
①21分17②20分22③13分26④20分05 計75分10
ボッシュ・アーヘンSO/2008年
①18分59②18分33③12分39④18分45 計68分56
ヤング・ハンブルクPO/2007年
①19分54②18分28③12分45④18分53 計70分00
ロベス・コボス/1990年
①20分02②20分06③11分28④18分26 計70分02
インバル・フランクフルト/1982年
①18分56②18分46③13分14④17分19 計68分15 

 
第4番の初期稿はインバル以降録音が増えていて他にもロジャー・ノリントンらのCDがあったはずです。合計の演奏時間にはけっこう幅があり、ギーレンはかなり短い部類になります。上記の中では最長のケント・ナガノと10分以上の差が出て最短になっています。ギーレンも後年に録音した第8番の第1稿では長目の演奏時間だったので、作曲者、作品に対する見方が根本的に違うわけでもなさそうですが、ともかく1994年当時はこういう感じというわけです。あと、K.ナガノがギーレンと大喧嘩をしたという話をどこかで読んだおぼえがあり、真偽はともかくこの作品の演奏時間の差ともあいまってちょっと気になります。 

 冒頭の京響の三月定期が完売になったことについて、 これなら定期会員になっておけばと年度末が近づいてそう思いました。例年月に一度くらいは何らかのコンサートに行こうかと思っていながら結局そうならない年がほとんです。だから定期会員になっても行かずに終わる回も出来てもったいないので単発にしてしまいます。メジャーなオケが競演するロンドンでは、コンサート・ゴーアーがそこそこ多いそうで、日本でもそういう愛好家はCDをちょくちょく買うヲタ層よりもハイエンドなイメージがあります。だからというわけでもなく、とりあえず三月は代わりにびわこホールの「ラインの黄金」だけは行くつもりです。
27 12月

ブルックナー交響曲第3番初期稿 インバル、フランクフルトRSO

160926ブルックナー交響曲 第3番 ニ短調 WAB.103 (1873年第1稿・ノヴァーク版) 

エリアフ=インバル 指揮
フランクフルト放送交響楽団

(1982年9月15日 フランクフルト,アルテ・オーパー 録音 Teldec)

 段々と今年の終わりが近づいてきます。とりあえず金曜日の30日までは出勤、大晦日と正月三が日を休みにする予定なので今週はカレンダー通りです(しかし29、30日は朝は遅くても大丈夫)。先日のNHK・FMの「きらクラ!」では今年を象徴する一曲というのを募集していました。そう言われても急には思い当たらず応募はできませんでしたが、プロコフィエフの歌劇「炎の天使」が刺激的でなにか吹っ切れたような今年の気分に通じる気がしたのを思い出しました。1990年代の公演映像ながらかなり強烈だったので、かたちを変えて夢の中にも出てくる始末でした。「きらクラ!」リスナーの応募の中にもプロコフィエフ作品が挙がっていたので、来年こそはプロコフィエフにもっと親しもうと思いつつ、今日の夕方に来年初頭の予定を確認していました。

 そうした年の瀬とは無関係に昨夜に続いて初期稿のブルックナー交響曲、今回は第3番です。交響曲第3番は初期稿による録音がそこそこあって、インバルとフランクフルト放送交響楽団の全集がその先駆けだったようです。 下記以外にも全集企画では初期稿を採用する場合が増えています。合計の演奏時間は、ティントナーが77分以上なのを除けばあとは60分台におさまっています。

~第1稿による交響曲第3番
インバル・フランクフルトRSO/1982年
①24分00②18分51③06分07④16分14 計65分12
ティントナー/1998年
①30分34②20分37③06分47④19分22 計77分20
K.ナガノ・ドイツSO/2003年
①26分33②17分01③06分28④18分37 計68分39
ボッシュ・アーヘンSO/2006年
①24分22②18分26③06分18④18分32 計67分40
ヤング・ハンブルクPO/2006年
①25分26②19分20③06分40④17分09 計68分35
ブロムシュテット・LGO/2010年
①23分06②16分52③06分47④16分21 計63分06

161227  1990年代半ばくらいからのブルックナー・ブームを経てから、インバルの全集録音をあらためて聴いていると、癖の無いと言うのか蒸留水的な美しさに妙に安心させられます。第3番は自分の中で一番なじみが薄くて、積極的に聴こうという気になりにくい作品でした。初期稿はワーグナー作品の引用もあり、ブルックナーが若い頃教員生活を送ったOberösterreich(行ったことはないけど)の風土から遠のくような巨大さが、ちょっと異質なものを移植されたようで馴染めませんでしたが、この録音ではさして威圧感もなく、曇天の日もあればカンカン照りの日もある、くらいの違いとして受け入れられそうです(全く個人的な好みながら、曇天の方が気が落ち着く)。

 マーラーの作品について、全部の交響曲が一つの大きな作品になっているという言い方がされることがあります。ブルックナーも、同じ交響曲九曲書いたとか、こっちは悪い意味で言われたこともありますが、インバルの全集で時代を下って、あるいは遡って聴いていくとマーラーについてと似たようなことを感じられるかもしれません。アイヒホルンのCD添付の解説に載っていた、第2番から第4番の初期稿と第5番までが四部作としてみることができるという見解も、この全集ならよりその妙が実感できるかと思いました。ただし、インバルは第2番は初期稿を選んでいません(再録音でも)。
26 12月

ブルックナー交響曲第2番・1872年稿 シャラー、フィルハーモニア・フェスティヴァ

161226ブルックナー 交響曲 第2番 ハ短調 WAB.102(1872年稿・2005年キャラガン校訂版)

ゲルト・シャラー 指揮
フィルハーモニー・フェスティーヴァ

(2011年7月 エーブラハ,大修道院附属教会 ライヴ録音 Profil)

 今年も残り一週間を切り、まちなかでは早くも休暇モードな人をちらほら見かけます。TVでは今年三月に議員辞職した京都三区選出のあの人の夫人が出ていたようです。海外の国家元首の中には婚姻外に子供が居る人もそこそこ居ることを思えばちょっと空騒ぎだったような気もします(それが理由で落選したというならまだしも)。もっと深刻な問題でどうしようもなく、全く手出し出来ない(基地とか領土、原発、正規雇用、ブラック企業等々)のでそられにかわるガス抜きのようにも見えてきます。それはともかく、ブルックナーで気分一新ということで交響曲第2~4番の初期稿と第5番の四部作説に従って連続して聴くことにしました(またやるのか)。第2番の初期稿はまだ録音が少ないのでそうそう何度もできるものじゃありません。

交響曲第2番 1872年稿(第1稿/試演版)
1楽章:Allegro
2楽章:Scherzo;Schnell
3楽章:Adagio;Feirlich,etwas bewegt
4楽章:Finale;Mehr schne


 今回はゲルト・シャラーとフィルハーモニア・フェスティヴァによる交響曲第2番から始めます。この第2番は冒頭からゆったりと、起伏少なく、海中を漂うジュゴンかマナティのような佇まいなので、最近のブルックナー演奏からすればちょっと意外なスタイルです。初期作品は元来アクセントを強調して飽きさせない?ような演奏が多かったようなので、もうそんな配慮は要らないくらい浸透したというのか隔世の感があります。特に第3楽章のアダージョがこの録音、演奏の特徴が濃厚に出ているようで、ゆったりと響きの中に横たわれそうな心地です。

 その第3楽章も他の録音の中にはもっと演奏時間が長いものもあるので、このシャラーの演奏が特別というわけではありません。省略箇所の加減があるのかどうか、だいたい合計で67~70分が目安のようです。初期稿の1872年稿では第2楽章に配置されるスケルツォは、シャラーとアイヒホルンの二人がほぼ同じで一番長い演奏時間になっています。シャラーとフィルハーモニア・フェスティヴァのブルックナーは、珍しい稿を採用した曲が注目になっているほか、修道院の聖堂でライヴ録音しながら残響が大きすぎず、ちょうどよい音質なのも好印象だと思います(一部の曲)。
 
*シャラーの第4楽章は残響が完全に消えたところでタイムを止めている(記載は20分36)。
シャラー・PF/2011年
①20分51②10分58③17分56④20分29 計70分14
ブロムシュテット・LGO/2012年
①18分14②09分58③14分25④18分25 計61分02
ボッシュ・アーヘンSO/2010年
①17分45②10分00③17分44④20分52 計66分21
ヤング・ハンブルクPO/2006年
①20分40②10分47③19分32④20分23 計71分22
ティントナー/1996年
①20分50②10分53③18分00④21分19 計71分02
アイヒホルン/1991年
①19分40②10分59③15分42④20分55 計67分16

  交響曲第2番の初期稿の録音で主だったところは上記の通りで、他に実際に初演された1873年稿で演奏したアイヒホルン盤(1872年稿と2枚組CDに収録されている、1873年稿の楽譜は未出版らしい)があるくらいです。あた、年明けに出る予定のボルトン指揮ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団の録音も1872年・初期稿のようです。第2番は、その初演・1873年稿もノヴァーク版とハース版がある1877年の第2稿もスケルツォは第3楽章に配置されているので、今回の正真正銘の初期稿、1872年稿は独特な配置です。これと同じ配列は第8番、未完に終わった第9番くらいで、その後期作品の特徴がこの段階で既に試されているのが興味深いところです。
25 12月

ニュルンベルクのマイスタージンガー カイルベルト・ミュンヘンオペラ・1968年

161225bワーグナー  楽劇 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」

ヨーゼフ・カイルベルト 指揮
バイエルン国立歌劇場管弦楽団
バイエルン国立歌劇場合唱団(合唱指揮ヴォルフガング・バウムガルト)

ハンス・ザックス:オットー・ヴィーナー
ファイト・ポーグナー:ハンス・ホッター
クンツ・フォーゲルゲザング:デイヴィッド・ソー
コンラート・ナハティガル:カール・ホッペ
ジクストゥス・ベックメッサー:ベンノ・クッシェ
フリッツ・コートナー:ヨゼフ・メッテルニッヒ
バルタザール・ツォルン:ヴァルター・カールノート
ウルリッヒ・アイスリンガー:フランツ・クラールヴァイン
アウグスティン・モーザー:カール・オステルターク
ヘルマン・オルテル:アドルフ・カイル
ハンス・シュワルツ:ゲオルク・ヴィーター
ハンス・フォルツ:マックス・プレープストル
ヴァルター・フォン・シュトルツィング:ジェス・トーマス
ダヴィッド:フリードリッヒ・レンツ
エヴァ:クレア・ワトソン
マグダレーネ:リリアン・ベニングセン
夜警:ハンス・ブルーノ・エルンスト

(1963年11月23日 バイエルン国立歌劇場 ライヴ録音 EURODISC/日本コロンビア)

 昨夜階段を踏み外して転倒したので案の定、朝起きるとあちこちが痛くてとんだクリスマスプレゼントでした。遠縁の者が自宅の階段で亡くなったと子供の頃聞いたので、もっと上の段で踏み外していれば死なないまでも更に大事になっていました。ワーグナーの楽劇の中で誰も死なず、一応ハッピーエンドに完結するのが「ニュルンベルクのマイスタージンガー」でした。だからというわけでもなく、若い頃はこの作品が特に好きでザックスのソロの部分やシュトルツィングとのやりとりの箇所を選んでよく聴きました。30年くらい経った最近はローエングリン、パルジファルの方により親近を感じます。このところバイロイトの指環を聴いていて、オットー・ヴィーナーが思いのほか良い声で印象深い歌唱だったので、彼がザックスを歌ったこのCDをもう一度久しぶりに聴いてみました。

161225a これは1943年10月に大戦中の空爆により破壊されたバイエルン国立歌劇場が再建された念公演の二日目に当たります。総監督のルドルフ・ハルトマンはこけら落とし公演にはリヒャルト・シュトラウスの「影の無い女」を希望し、音楽監督だったカイルベルトが「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を推しました。結局初日の11月22日に「影の無い女」、翌23日にマイスタージンガーを上演することになりました。キャストは全員同劇場の歌手で上演して客演は無しだったとのこと(ドイツ人以外の歌手も含むが)。舞台上の音や拍手等も入っているので公演そのものの演奏も多く入っているのでしょう。

161225 このCDはかなり以前に初めて聴いた時はザックス役のオットー・ヴィーナーの歌、というか声にかなりがっかりして再生する頻度がかなり低い方でした。もっと素晴らしいザックスはいなかったかと思って中古CDとかを探している時に期待しつつ聴いたのでその反動から悪い記憶として残っていました。あらためて聴いていると、今一つ締まりのない軽いザックスだという印象は変わりませんが、声そのものは記憶の中のダミ声とは違って、第三幕のコーダ部分、「マイスター達を侮らないで~」の独唱も思っていた以上の立派さでした。最初に聴いた時はここの部分で決定的にがっかりしたのを覚えています。今聴いていると別の音源、録音と勘違いしているのかと思うくらいです。

 ただ、全体的な印象はのどかで、断裂的な不和という深刻さを探すのは難しくて、それに感情に作用して高揚、熱狂させるような音楽にならないような、本当におだやかなワーグナーに聴こえます。 この公演が「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の同歌劇場での573回目の公演にあたるそうで、カイルベルトがこけら落としの演目に推したからには第三幕はもっと怒涛のフィナーレになっているかと想像しましたが、質的にブレーキがかかっているような印象です。戦時下でなく、もはや戦後でもないというところかどうか分かりませんが、邪推もしたくなる温和さです。

 それはともくとして、第一幕第3場のマイスターらが入場して点呼し、ポーグナーの挨拶が始まり、それに対してマイスターが反応する一連の場面なんかはえも言われない、身内の間に流れる空気と古い絵物語の世界を思わせて大変魅力的です。
24 12月

ワーグナー「神々の黄昏」 クナッパーツブッシュ、バイロイト1957年

161224ワーグナー 楽劇・ニーベルングの指環「神々の黄昏」

ンス・クナッパーツブッシュ 指揮
バイロイト祝祭管弦楽団 
バイロイト祝祭合唱団(ヴィルヘルム・ピッツ合唱指揮)

ブリュンヒルデ:アストリッド・ヴァルナイ(S)
ジークフリート:ヴォルフガング・ヴィントガッセン(T)
ハーゲン:ヨーゼフ・グラインドル(Bs)
グンター:ヘルマン・ウーデ(Br)
グートルーネ:エリザベート・グリュンマー(S)
アルベリヒ:グスタフ・ナイトリンガー(Br)
ヴァルトラウテ:マリア・フォン・イロスファイ(Ms)
フロースヒルデ:エリザベート・シェルテル(Ms)
第1のノルン:マリア・フォン・イロスファイ(A) 
第2のノルン:エリザベート・シェルテル(Ms) 
第3のノルン:ビルギット・ニルソン(S)

(1957年8月18日 バイロイト祝祭劇場 録音 WALHALL)

 クリスマスも関係なくこっちのブログはワーグナーの指環です。昨日から昼間にやっつけ仕事をしながらBGMとして1957年バイロイト、クナッパーツブッシュ指揮のジークフリート、神々の黄昏を聴いていました(ジークフリートは二日続けて)。平日じゃないので内輪からしか電話がかかって来ないので少し音量を上げて聴いたので、日常からちょっと隔絶した感じでしたが、何故か夕方になると疲れがどっと来て、今日は夜になって階段を踏み外して転倒しました。顔面から床に落ちるところを反射的に腕でガードしたので眼鏡も割れず、たいしたことにならず幸いでした。今年もフィギュア・スケートの全日本選手権がやってきましたが、ジャンプの失敗で転倒する姿を見て痛そうだと思っていたら今日は特にそれが気になりました。個人的に注目の本郷理華選手はフリーのプログラムを昨シーズンのリバー・ダンスに変更してのぞむそうなので見ものです。

 さて、1957年バイロイト、クナの「神々の黄昏」、キャストをよく確かめずに聴いているとジークフリートが前作のアルデンホッフと違う声で??と思いながら、作品が変わって役の位置付けも微妙に変わるのでそれを意識して歌ってるのかとか思って聴いていました。途中でパッケージを確認したらヴィントガッセンが歌っているのが分かり、それで合点がいきました。そういえば1952年バイロイトの指環(カイルベルト指揮)も「ジークフリート」と「神々の黄昏」でジークフリート役が替わり、アルデンホッフは「ジークフリート」の方に出演していたので、今回の1957年もそれと同じです。1957年と1958年にはクナッパーツブッシュは指環四部作を2クール(2回)指揮しているので、あるいはダブル・キャストなのか、その点は未確認です(1955年はメードルとヴァルナイがブリュンヒルデを二人で歌っている)。

 ヴィントガッセンの声も独特でヘルデン・テノールと言われながら甘美で軽快な感じもあって、アルデンホッフやホップとは違っています。この感じは「神々の黄昏」 よりも「ジークフリート」の方がぴったりきそうですが、あるいは舞台上の演技、動作が多いかどうかとかも関係し配役されているのかもしれません。1957年はショルティ・DECCAの指環の録音が開始される前年に当たり、この段階でヴィントガッセンは何度もヴァイロイトでジークフリートを歌っているので、有名なショルティの全曲録音のキャスティングの手堅さが分かります。

 オーケストラの方も「ジークフリートの葬送行進曲」で壮大、盛大に盛り上がり、イタリア・オペラ的にはここで終わりそうなくらいです。指環、神々の黄昏はそこで終わらずに、みな無に帰るような形でラインの黄金が始まるところの状態に循環するような、思えば不思議に虚無な物語です。それにもかかわらず、ブリュンヒルデの自己犠牲からコーダのところの清新さはパルジファルの最後のところに通じるものが感じられます(クレンペラーがショーペンハウエルを引き合いに出して語った作品観が思い出される
)。
23 12月

ワーグナー「ジークフリート」 クナッパーツブッシュ、バイロイト1957年

161223ワーグナー 楽劇・ニーベルングの指環 「ジークフリート」

ハンス・クナッパーツブッシュ 指揮
バイロイト祝祭管弦楽団 

ジークフリート:ベルント・アルデンホッフ
ブリュンヒルデ:アストリッド・ヴァルナイ 
さすらい人:ハンス・ホッター 
ミーメ:パウル・キューン 
アルベリッヒ:グスタフ・ナイトリンガー 
ファフナー:ヨーゼフ・グラインドル 
エルダ:マリア・フォン・イロスファイ 
森の小鳥:イルゼ・ホルヴェーク

(1957年8月16日 バイロイト祝祭劇場 録音 WALHALL)

 普段食べている米、以前は米穀店が配達する形態の買い方が普通だったと思います。それが平成に元号が変わる頃からそういう店自体が減っていき、スーパーで買うとか生産農家から直接買うとかいろいろになりました。酒や醤油、清涼飲料も同様(こっちは生産者から直売はあまり無い)で、注文を聞きにきて配達する店はかなり減りました。高齢化が進みまくって高齢者だけの世帯ばっかりの地域が増えると今さらながらそんな配達前提の店がありがたくなってきます。あと、石油ストーブの灯油なんかもついでに扱ってもらえると楽です。もう時計の針を逆に回すようなことは無理だと思いながら昭和40,50年代のことが思い出されます。「大和の置き薬」を扱う人が兼業農家なので米も扱っているそうで、農協の買入価格が安くて困るとか言っていたのからもう何年も経ちます。

161223a 今世紀に入ってクラシック音楽のソフト、特にCDが売れないと言われています。2000年とか2001年くらいは自分がクラシック音楽から遠のいていた時期でいたが、やがてワーグナーだけはとかブルックナーだけはと思って再びCDを購入している内にもとに戻って、処分したCDと同じものを買い戻すことになりました。最近は古い録音をSACD仕様で再発売するケースが増えています。クナッパーツブッシュが指揮した1957年のバイロイト音楽祭の指環四部作も今年SACD化されました。高価であり、クナのフアンでもないのでさすがにあらためて購入はしませんがこういう古いライヴ音源にもSACD・高額路線に組み込まれるのかとちょっと驚きました。多分40代よりももうちょっと上の層に多そうなフアン(ヲタとか信者と呼ぶのが憚れそうな)をターゲットにしているのでしょう。

 その再発売の広告の文章の中には1957年の指環をクナがバイロイトで指揮した同作品中で「もっとも出来が良く、夢のような豪華歌手陣をそろえて魅力的」と評しています。一方でオーケストラを含めて完成度が一番高いのが1958年だったという意見をどこかで読んだことがありました。自分が最初に購入してよく聴いていたのがオルフェオからの1956年だったので、そういう意見を見ると気になって結局三年分を聴いてしまうことになりました。

 今回のジークフリートで一番目立つのはアルデンホッフが1952年以来でジークフリート役を歌っている点です。ちなみに1956年と58年、それに1953年と55年のジークフリートはヴィントガッセンが歌っていました。この作品はつい第三幕のフィナーレ、ブリュンヒルデとジークフリートの二重唱を連想しがちで、その点はヴァルナイとアルデンホッフの二人は文句なしに素晴らしいと思いました。ずっと後年のハイティンクのセッション録音で共演したイェルザレムとマルトンをもっと美しく、安定感を増したような歌唱で圧倒的です(イェルザレムのジークフリート、エヴァ・マルトンのブリュンヒルデもそこそこ気に入っていた)。

 その他ではパウル・キューンのミーメも好演なのでこれは舞台上での姿、演技もきになります。オーケストラの方はなんとなく1958年の方が精度が上がってる気もしますがよく分からず、こっちもクナらしいワーグナーになっています。 やっぱりSACD化の対象になっただけのことはあるのかと思いました。
22 12月

ワーグナー「神々の黄昏」 ケンペ、バイロイト1962年

161222bワーグナー 楽劇・ニーベルングの指環 「神々の黄昏」

ルドルフ・ケンペ 指揮
バイロイト祝祭管弦楽団
バイロイト祝祭合唱団

ジークフリート:ハンス・ホップ(T)
ブリュンヒルデ:ビルギット・ニルソン(S)
ハーゲン:ゴットローブ・フリック(Bs)
グンター:マルセル・コルデス(Br)
グートルーネ:ユッタ・マイファールト(S)
アルベリヒ:オタカール・クラウス(Br)
ヴァルトラウテ:マルガレーテ・ベンツェ(Ms)
ヴォークリンデ:グンドゥラ・ヤノヴィッツ(S)
ヴェルグンデ:エリーザベト・シュヴァルツェンベルク(Ms)
フロスヒルデ:ジークリンデ・ワーグナー(A)
第1のノルン:エリーザベト・シュルテル(A)
第2のノルン:グレース・ホフマン(Ms)
第3のノルン:マルガレーテ・ベンツェ(S)

(1962年8月1日 バイロイト祝祭劇場 ライヴ録音 MYTO)

161222a 先日の帰宅途中に車の中でN響の第九演奏会を聴いていました。と言っても演奏が始まる直前で車を降りたのでブロムシュテットが前回にN響で第九を振った時の話をきいて終わりました(ゲネプロは前日にホールを借りて行ったとか)。 しみじみと年末だなあと実感しつつこの夏行われた参議院選挙の頃を思い出していました。与党側の集会の席に座って候補者一覧を見ていると土地改良区の代表らしき全国区の候補者が目に留まり、無駄な公共事業はやらないとかコンクリから人へのブームの中を生き延びてきたんだと感慨深いものがあります。さらに壇上の来賓には米寿を越した元自治大臣の姿が見え、前月に復党したと思ったらすかさずこうした場に足を運ぶとは、これまた感慨深く視線を送っていました。投票日の池上番組では「土地改良=農業土木工事・公共事業」と池上氏が紹介したのを受けて藤井元大蔵大臣がそれに同意しつつ、有権者には候補者の支持母体だとか代表する利権なんかが見えにくいと言っていました。同時に投票が終わった後の番組でしかこんなことも言えないとも言っていました。デーヴ・スペクター氏もネットで似たような苦言をのべていました(ダジャレも無しに)。

 さてFMでは年末恒例のバイロイト音楽祭を放送が始まっているのをしり目に、先日に続いて1962年のバイロイトの指環から「神々の黄昏」です。 音質が良くないのが今さらながら気になりだしたケンペ指揮の1962年指輪ですが、それと裏腹にキャストの良さは聴くにつてていっそう実感できます。スウェーデン出身のビルギット・ニルソン(Birgit Nilsson 1918年5月17日 - 2005年12月25日)はショルティの全曲盤でも有名で、ヴォルフガング・ワーグナー演出による1960年からのバイロイト・指環に先立って1957年のコヴェントガーデンでもブリュンヒルデを歌っています。

 この録音でもニルソンのブリュンヒルデには圧倒され気味で聴いていると、甲高くて突き刺さるような声が際立っています。聴いていてもドイツ語を同時に理解できないのだからいいようなものとしても、個人的には役柄によってはちょっと単調というのか、陰りがあまり無いというかヴァルナイやメードルあたりと比べると微妙な印象です。 それに対してホップのジークフリートはヴァルナイらかそれよりちょっと前の世代の歌唱を彷彿とさせる重厚さでニルソンとは妙なバランス、組み合わせだと思いました。

 ともかく豪華キャストなのに終演後の拍手は必ずしも盛大でなくて、少なくとも終わると同時に拍手や歓声がはじけるという風ではありません。 これは演出、指揮に対する不満があってのことか、それとも何でもいつでも大喝采じゃないのか、そういえば1950年代のライヴ音源もこれくらいの反応のこともあったので仕方ないかもしれません。拍手とかの反応を気にしつつ、個人的には「神々の黄昏」はケンペの指揮は好印象です(指環もセッション録音を残して欲しかった)。こうなると正式音源が登場した1961年全曲盤が気になります。
21 12月

ブルックナー交響曲第6番 インバル、東京都SO/2010年

161221ブルックナー 交響曲 第6番 イ長調(1881年ノヴァーク版)

エリアフ・インバル 指揮
東京都交響楽団 

(2010年11月30日 東京,サントリーホール 録音 Octavia Exton)

 吉本新喜劇の島木譲二、プロ野球元ジャイアンツ、ライオンズの投手だった加藤初、このところ馴染み深かった名前が続けて世を去りました。両者が活躍していった頃にインバルがブルックナーの交響曲全集を完成してい行く時期が重なるので、写真のインバルがこういう風貌になるのも無理もないことです。このブルックナーの第6番は20年以上経ってインバルが再録音したものです。ところで加藤初はなで肩とまでは言えないとしても、いかつくない肩で自分と似ているので愛着もわいていました(ショルダーバッグがすぐずり落ちるのでいかり肩の方が良いとよく思った)。

 インバルと東京都交響楽団のコンビはなかなか好評のようですが、マーラーだけでなくブルックナーもかなり素晴らしいと思います。特にこの第6番は弦といい管といい、隅々まで行き届いてそのうえでよく鳴っています。特に先鋭な印象でもなくて、ゆっくりとブルックナーに浸れるような演奏なので、月並みながら癒される心地です。

インバル・東京都SO/2010年
①17分10②14分10③8分04④14分27 計53分51
インバル・フランクフルト/1989年
①18分00②17分11③8分40④15分03 計58分54

 
ゆっくりと浸れるとか安易に書いていながら、演奏時間、トラックタイムは再録音の方がだいぶ短くなっています。第4楽章は演奏終了後の拍手の時間を除いた(トラックタイムは15分02) を記したところ、全楽章とも東京都SOとの再録音が短くなっています。確かに歯切れよく、リズムも軽快なので演奏時間が短くなっているのも不思議ではありません。しかし、速過ぎて窮屈、せせこましいという印象は全然無くて、十分ブルックナーらしいものだと思いました。東京都SOとのブルックナーも全集化するのかどうか未確認で、来期の定期にもインバルのブルックナーがプログラムに入っていないようなので年齢を考えると未完に終わる可能性もあって不安です。

 交響曲第6番について、先日のP.ヤルヴィの第7番のCD付属冊子の解説には第7番が前作品と決定的に違う(旋律の親しみやすさ)云々と言及されていましたが、この曲も特に第2楽章のアダージョは勝るとも劣らない美しさだと思います。第7番のアダージョを蒸留したような(と言えば問題があるか)清涼感は捨てがたい魅力です。
19 12月

ショスタコーヴィチ ヴァイオリン協奏曲第1番 モルドコヴィチ、ヤルヴィ

161219aショスタコーヴィチ ヴァイオリン協奏曲 第1番 イ短調 Op.99

ネーメ・ヤルヴィ 指揮
スコティッシュ・ナショナル管弦楽団

リディア・モルドコヴィチ:ヴァイオリン

(1989年10月16,17日 グラスゴー,シティ・ホール 録音 Chandos)

 先日中古品でこのCDをたまたま見つけて、ネーメ・ヤルヴィのChandosレーベルへの録音が音質共々好きだったので購入しました。なぜ今頃中古として出て来たかと思ったら、女流ヴァイオリニストのリディア・モルドコヴィチのトリビュート企画として2015年に再発売されたことが分かり、それで古い方を手ばなしてまとめ買いに走ったのかと想像していました。ネーメ・ヤルヴィはシャンドスへ大量の録音を残してきましたが、1980~90年代のドヴォルザークやショスタコーヴィチが結構好きでその当時もよく聴きました。それ以前のギブソンのシベリウスなども含めて、残響が大きすぎるとも言われた同レーベルのオーケストラ録音が生理的に相性が良いのか気に入っていました。このCDはヴァイオリンのソロ部分も演奏だけでなく、音色も良くて、ヤルヴィのショスタコーヴィチの中でも屈指の録音じゃないかと思いました。

161219b リディア・モルドコヴィチ(Lydia Mordkovitch 1944-2014年)はダヴィド・オイストラフの門下生にして1969年のロン=ティボー国際音楽コンクール・ヴァイオリン部門で五位入賞しています(プロフィールに優勝と表記されたものもあったがウィキの同コンクールの解説では歴代の入賞者欄に5位となっていた)。その後モルドバからイスラエルへ移住後、1980年頃からロンドンを拠点に活動するようになり、Chandosレーベル創設時から多数の録音を残しています(こう書きながら、存在を知っていたのはいくつかの協奏曲くらい、ヴァイオリン・ソナタとかがそんなに沢山あったのは知らなかった)。

 ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番は、東日本大震災直後だった兵庫芸術文化センター管弦楽団の定期公演で聴くことができました。井上道義の指揮、ソリストはボリス=ベルキンで演奏終了後に二人ががっちりとぶつけるような握手をしていたのが思い出されます。パンフレットにそう書いてあったか、アンコール直前に井上道義が話したか、この作品はロシアの冬の時代の音楽だという言葉があって、本当に曲の内容を完結によくあらわしていると思いました。しかし、このCDで聴くとそういうモノトーンな世界とはちょっとだけ違い、ヴァイオリンの音色の特徴のおかげか不思議に艶めかしいというか、あやしいような華やかさも感じられます。真夜中に大きな花を咲かせるゲッカビジンを近くで見るのに似た心地です。そんな感じなのでソ連の体制下のショスタコーヴィチ、凍った土を割って花を咲かすようなイメージとは外れますが、作品の美しさを知らせてくれる録音だと思いました。

 ところでモルドコヴィチはイスラエルへ移住経験があることから、人種、民族ルーツ的にユダヤと繋がりがあるのかもしれません。 昨今の英国のEU離脱問題に即すると、東欧から低賃金で働くセ青年期の人間が流入するから英国人の雇用が脅かされるといったところですが、ソロのヴァイオリニストの場合は元々数が限られているからそんな捉えられ方はしないのでしょう。先日、NHK・AMの朝の番組「すっぴん!」の冒頭で、「 英国BBC放送が番組終了時に「ゴッド セイブ ザ クィーン(国歌)」を流さなくなったが、また聴きたいと保守党議員が圧力をかけると、セックスピストルズの同名曲を流した」という話を紹介していました。「保守党=EU離脱賛成」、英国はマグナカルタ以来の民主主義の伝統があるから公共放送もこういうしゃれたことをする云々と言っていましたが、EU問題についてはむしろ、マグナカルタ以来筋金入りの民主主義だから「選挙で選ばれてもいないブリュッセルに君臨するEUの官僚が自分たちの国内のことも決める(統治する)ことに我慢ならない」という意識もあってのことなので、日本の保守と呼ばれる政党とはちょっと違うのではと思って聞いていました。
18 12月

ワーグナー「ジークフリート」 ケンペ、バイロイト1962年

161218bワーグナー 楽劇・ニーベルングの指環「ジークフリート」

ルドルフ・ケンペ 指揮
バイロイト祝祭管弦楽団

ジークフリート:ハンス・ホップ(T)
ミーメ:エーリヒ・クラウス(T)
さすらい人:オットー・ヴィーナー(Br)
アルベリヒ:オタカール・クラウス(Br)
ファフナー:ペーター・ロート=エーランク(Bs)
エルダ:マルガ・ヘフゲン(A)
ブリュンヒルデ:ビルギット・ニルソン(S)
森の小鳥:インゲボリ・モウサ=フェルデラー(S)

(1962年7月30日 バイロイト祝祭劇場 ライヴ録音 MYTO)

161218a このところ、まだ暑い時期に書きかけてそのままになっていたCDとかの回を消化してUPしてきましたが、それもようやく片付きました。そうしたところで年末にバイロイト音楽祭の放送があることを思い出し、そっち系のムシが脳内で蠢動しはじめました。それでワルキューレまでで止まっていた1962年のバイロイト、ケンペ指揮の指環は今年中に終わらせようと思いました。このCDは1960年代のわりに音が良くなくて、冒頭からラジオ放送を録音したような雑音やら混信らしき別音がきこえます。終始その調子ですが、それでも声楽、オケともに鑑賞にたえるかな、くらいには聴こえます。ケンペがバイロイト音楽祭で指環四部作を指揮したのは1960年から1963年までで、その演出は各年ともにヴォルフガング・ワーグナーでした。それら4年分のうち1963年以外は一応全曲録音が出ています。

161218 さて、気を取り直して1962年の「ジークフリート」、ヴィントガッセンではなくハンス・ホップ(Hans Hopf 1916-1993年)が3年続けてジークフリートを歌い、ブリュンヒルデも1960年から3年連続でニルソンが歌いました。ホップがバイロイトで歌った時期は1951年から1964年までなので、ヴィントガッセンとも重なり、ケンペとの指輪が最後の見せ場くらいです。音質がぱっとしないこのCD、歌手はみな見事ですが特にホップが目立ちました。声、歌唱はアルデンホッフとかズートハウスに似た感じもして、硬派というのかヴィントガッセンのジークフリートよりも老成したような印象です。男声ではオットー・ヴィーナーのさすらい人(ヴォータン)が迫力も品位もあって印象的でした。

 ショルティとウィーンフィルらによる指環四部作の内、ジークフリートは同じ年にバイロイト音楽祭を挟んで5月と10月に録音されました。ニルソンもそれにブリュンヒルデ役で参加していましたが、出番の第三幕が5月か10月のどちらに録音したのか分かりませんが、このCDを聴くとセッション録音と舞台上での歌唱との違いに気が付くかもしれません(ショルティ・DECCAはヴィントガッセンと二重唱)。ケンペの指揮はクセが無いというのか、流れが滞るように感じるところは無くて、つい歌手の方に集中しがちです。今回の録音はもうちょっと音質が良かったらと、森のささやきのところとかは特に思いました。

  さて、「ニーベルングの指環」のCDは過去に何度も取り上げました。その中で「指『輪』」という表記になっている箇所がありました。気が付けば直したところもありました(しかし、三位一体の聖霊を精霊と表記するくらい間が抜けている?)が、それでもまだ残っています。一旦間違って、それをコピー・ペーストを繰り返して量産されたということだと思いますが、タイプして入力した箇所もあるのに打っていて気が付かなかったことに違いはありません(でも、中には指輪と表記している著作もある)。
17 12月

シベリウス交響曲第2番 ハンヌ・リントゥ、フィンランド放送交響楽団

161217シベリウス 交響曲第2番ニ長調 Op.43

ハンヌ・リントゥ 指揮
フィンランド放送交響楽団

交響曲第2番について
イントロダクション: Mediterranean Light [9:10]
シンフォニック・テーマ集 [17:40]

 ~交響曲第2番
11: オープニング [0:48]
12: 1. Allegretto [14:46]
13: 2. Tempo Andante, Ma Rubato [15:39]
14: 3. Vivacissimo [6:19]
15: 4. Finale: Allegro Moderato [14:11]
16: 拍手 [0:50]

(2015年 ヘルシンキ・ミュージック・センター ライヴ収録 Arthaus Musik)

161217a 12月のはじめ頃だったか、平安神宮近くにあるロームシアター京都の前でバス停の時刻を確認していると、観光客らしい欧米人に「スピーク イングリッシュ?」と問いかけられたことがありました。食事場所を探しているようだったので「りとる(ちょっとだけ)」と応じましたが、身なりが良さそうな夫妻に合いそうな店が無くて困りました。南禅寺の方に行けば湯豆腐や瓢亭があるものの、すぐ近くじゃなく、例えば2,000~3,000円でゆっくりできそうなところは案外無いものです(安いものばっかり食べてるおっさんが知らんだけか)。黙ってるわけにもいかず、5分程南に歩けば大通りに出る、でもマクドナルド程度しかありませんという意味の説明をするとがっかりしていました。マクドナルドというのに、ブーイング顔っだったのが印象的でした(単品構成で頼むと1,000円くらいになるのに)。

 去年のメモリアル年に発売されたハンヌ・リントゥーとフィンランド放送交響楽団によるシベリウス交響曲全集の映像ソフトは、演奏そのものだけでなく各曲の前に収められた解説とインタビュー部分も興味深くて、日本語字幕も付くので貴重です。それにホールでの公演を収めた映像の最後、曲が終わった直後の客席の反応がすばらしくて、フラブラとか濁声の絶叫らしきものはなくて、コンサートがすっかり定着して、上品で冷静な態度が浸透している様子が見てとれます(収録向けによそいきの態度という面もあるとしても)。これまで第4番以降と第1番を扱ったので残すところあと第3番だけになりました。

161217b 交響曲第2番は北欧のオケが来日する際、シベリウスの作品を演奏するならまずこれというくらいにプログラムに入っていました。 しかし個人的にはシベリウスの交響曲中であまり好きな方ではなくて、全集セットがあっても聴くのは最後の方に回しがちです。それは甘美に高揚する第4楽章の印象が強すぎるからですが、今回このソフトを解説付きで聴いていると、その自分のイメージがかなり浅薄なものだということに気が付きました。他の交響曲の時もそうでしたが、ハンヌ・リントゥーのインタビューからは曲に対するイメージと彼の理解、作品観がそこそこ違っていてそれも興味深いと思いました。演奏もかなり引き締まった響きで貫かれて、終楽章も誇大なところが無いのが良いと思いました。指揮の手が下がり切ってからしばらくは会場が静まり返っていたのも印象的で、第2番ならもっと早くに拍手、歓声が沸き起こりそうなものなので余計に目立ちます。

 支援者、パトロン的存在のカルペラン男爵のおかげで家族そろってイタリアに滞在した際に大半を作曲したという第2番は、イタリアの風土や過去の作曲家の影響が指摘されます。それでも、それ以上にシベリウスの他の交響曲と同じように北欧フィンランドの方を感じさせます。シベリウスはそのイタリア滞在中に娘を伝染病によって亡くしますが、その後家族を置いて一人で別の町に行ってしまい深酒なんかで浪費します。シベリウスの音楽を聴いていてそんな放蕩を全然想像できないのに、リントゥーは解説の奏で「それがシベリウス」と言っていました。
15 12月

ブルックナー交響曲第3番 ボルトン、ザルツブルク・モーツァルテウム

161215ブルックナー:交響曲第3番ニ短調(1889年稿ノヴァーク版)

アイヴォー・ボルトン 指揮
ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団

(2007年10月25日 ザルツブルク祝祭劇場大ホール ライヴ録音 OEHMS)

 長嘯の 墓もめぐるか 鉢叩き」という芭蕉の句があるらしく、季語は11月から暮れにかかけて鉢鉦を叩いて念仏を唱えながら托鉢して回る「鉢叩き」になるそうです。長嘯というのは豊臣秀吉の正室、北政所の甥だった木下勝俊の俳号というのか雅号のようなもので、関ケ原合戦後に隠棲してその名で呼ばれるようになったとか(大坂の陣に馳せ参じることもなく)。去年からNHKの大河をほとんど観なくなっていたのが大阪の陣だけは気になって、先月からちょくちょく「真田丸」の再放送とかを観ていました。大名、侍稼業も楽じゃなさそうで、それを思えば風流三枚で食うに困らなかった(多分)木下勝俊は気楽そうで結構な生活だとしみじみ思いました。それはそうと先日、故人の墓参へ行き霊前に近づいた頃、急にいつだったかの尿管結石のような感覚が襲ってきて、とりあえずトイレへ行きました。これは焼香が済むまで座っていられるかな、その後で精進落とし的に一席あるのにここで病院へ直行したら興醒めだろうなと思いつつ座っていました。やがて自分の番で進み出て焼香をして戻った頃からすっきりとして治り、さっきまでの不快感が嘘のようでした(こんなこともあるのかと)。単なる偶然にせよ、なんだか個人の御霊未だ休憩して留まっているいるような妙な気もしました。

 さて寒さが増してくるといっそうブルックナーが慕わしくなり、 今回は個人的に聴く頻度が高くない第3番です。ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団に曲に応じてその都度少し増員して演奏、録音しているボルトンのシリーズですが、さすがにこの第3番は人数が少ないとすぐに気になりました。しかしそれが逆に魅力でもあって、先日のデニス・ラッセル・デイヴィスとリンツ・ブルックナー管弦楽団よりもずっと精緻な響きで好印象です。ボルトンの場合は他の録音のような通常の編成(と言ってもどれくらい人数に差があるか未確認)で演奏していたら全然目立たない演奏になるのかもしれません。

ボルトン・ザルツブルク/2007年
①21分14②15分42③07分06④13分13 計57分15
ヤノフスキ・スイスロマンド/2011年
①20分48②14分26③06分25④11分37 計53分16
ヴァント・北独放送SO/1992年
①20分55②13分10③06分44④12分43 計53分32 

 第3番の同じ稿によるCDのトラックタイムを比べると意外にもボルトンが一番長くなっています。四つの楽章全部で少しずつ長いので差に気が付きにくいのだと思いますが、省略箇所の有無が関係しているかもしれません。 第3番はもともとワーグナー作品からの引用がある曲なので、ノンヴィブラート奏法を取り入れた小編成のボルトンの演奏の特徴が際立ちました。ボルトンのブルックナー・シリーズも来年1月に第2番がリリースされる予定で、ようやく全曲録音が完結します。ただ、予告には完成云々という文字は無かったので第0番が出るのも期待できます。

 ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団と言えば、1984年 - 1994年のハンス・グラーフ (Hans Graf)  時代か、 1969年 - 1981年のレオポルト・ハーガー (Leopold Hager)時代にレコード、CDが出ていました。前者、グラーフは長らくあまり良い印象が無くて、その当時もブルックナーを演奏していたかどうか分かりませんが、CDでブルックナー全集が出てくるとは想像もしませんでした。なお、去年くらいにグラーフ指揮のモーツァルトを久々に聴いて、案外普通に良いと思ってみなおしました。
13 12月

ブルックナー第8番初期稿 D.R.デイヴィス リンツ・ブルックナー管弦楽団

161212ブルックナー 交響曲 第8番 ハ短調 WAB108 (1887年第1稿ノヴァーク版)

デニス・ラッセル・デイヴィス 指揮
リンツ・ブルックナー管弦楽団

(2004年3月10日 リンツ,ブルックナーハウス大ホール Arte Nova)

 先日の夜、近鉄京都線の急行に乗って奈良から京都方面へ帰る時、日本語の車内放送に続いて中国語の放送が流れていました。西大寺駅を出たあたりだったか、京都市内の路線バスや地下鉄では英語のアナウンスは入ってもまだ中国語の放送は聞いたことがないので奈良方面はそこまで進んでいるのかとちょっと驚きました。実際、繁華街を歩いていてもかなりの数の中国人を見かけるので(やけに中国人密度が高い気がした)、必要に迫られてのことかと思います。

 先日に続いてブルックナーの交響曲第8番の初期稿です。下記は今世紀に入ってからの同曲・稿によるCDで、やはり近年は初期稿の注目が高まっています。今回のCDは何度か聴いて正直印象が薄くて、あらためて記事で取り扱ってもコメントし難いと思っていました。デニス・ラッセル・デイヴィスはハイドン、フィリップ・グラス、ブルックナーの交響曲をそれぞれ全曲録音しています。それにリンツ・ブルックナー管弦楽団の水準を引き上げた手腕も称賛されているとのこと。しかし、改めて聴いていると前半の二つの楽章がどうも雑に聴こえて、うまくなった?、くらいの印象でした。単純にアイヒホルンの録音の方がしみじみとブルックナーだなあと、理屈抜きに魅力的だった思いました。

デイヴィス・LBO/2004年
①15分00②13分20③25分55④25分47 計80分02 
ナガノ・バイエルン国立/2009年
①19分55②17分09③33分37④28分44 計99分25
ギーレン・SWRSO/2007年
①18分29②19分50③29分44④27分01 計95分04
F.ウェルザー・メスト:CLO/2010年
①17分02②15分33③31分46④24分33 計88分54
ヤング・ハンブルクPO/2008年
①16分05②14分37③27分44④24分10 計82分36
インバル・都SO/2010年
①14分55②13分52③25分11④21分05 計75分03 

  合計演奏時間は上記の六種の中でインバルに次いで短い演奏です。第1、2楽章はその演奏時間を見た印象、想像そのままの演奏ですが、第3、4楽章は急に静かになって雑さが目立たないような気がしました。終楽章だけをみれば合計で8分以上長い演奏時間になるウェルザー・メストよりも1分長い結果です。あるいは、この辺は省略の有無が関係しているのかも(初期稿に慣習的に省略する箇所があるかどうか知らないけれど)しれません。

 何年か前のレコ芸にD.ラッセル・デイヴィスのインタビューが載ったことがありました。上記の三人の作曲の交響曲を全部録音したのは自分くらいだと言っていたはずですが、特にブルックナー作品について言及したかどうか、その内容までは覚えていません。この第8番を聴いているとブルックナーを神聖視的に見ていないというよりも、極力思い入れを排して発掘作業でもするような不思議な感触だと思いました(是非はともかく、ハイドンの初期交響曲の方がちからが入った演奏だったかも)。
10 12月

ブルックナー交響曲第8番第1稿 インバル、フランクフルトRSO

161210ブルックナー 交響曲 第8番 ハ短調 WAB108 (1887年第1稿ノヴァーク版)

エリアフ=インバル 指揮
フランクフルト放送交響楽団

(1982年8月 フランクフルト,アルテ・オーパー 録音 Teldec)

160926 TVでの再放送の可能性が心配される相棒、その初期の回に蟹江敬三がバーテンダー役で出演していた回がありました。それと尾美としのりがゲスト出演した回、「右京さんの友達」の二回は是非また観ることが出来るようにしたいと思っていたところなのでピンチです(渦中の方はもっとピンチでしょうが)。蟹江敬三の回はたしかバーのオリジナル・カクテルを缶詰にして販売する企画についてオーナーとバーテンダーが対立して、蟹江演じるバーテンダーがオーナーを殺してしまうという事件が、英国在住の美和子のおばの思い出がからんだストーリーでした。それをはじめて観た時はカクテルに関心はなくてウィスキーのストレート、ロックだろ、くらいに思っていました。

 最近何年振りかで夜の奈良市を訪れて結構に賑わっているのに感心しました。シメにあるバーへ入ったところ、メニューが無くて客の好みを承ってからそれに合うカクテルを作るというシステムにまず驚きました。このあたりは蟹江敬三のバーテンダーと似ていましたが、最初は飛び込みで全く知らない店に入るのに抵抗を感じました(ガラの悪い893がとぐろを巻いてたら嫌だなとか)。それでも同行者がかまわずにここだと言うので入ったわけですが大当たりでした。バーテンダー世界一を決定する大会「グローバルファイナル 2015」 のグランプリを獲得した人の店だったので当然でしたが、レモンとかの味と言っただけで、甘くなくて酸っぱ目が好きな自分の好みど真ん中なカクテルが出て来ました。それと店内にはバッハの無伴奏チェロ組曲が流れていたのも好印象でした(古い音源だと思ったがスピーカーが良いのかよく鳴り響いていた)。そんなに奈良へ行く機会はないのが残念ですが「LAMP BAR」という名前は酔っ払いながらメモしておきました。

インバル・フランクフルト/1982年
①14分05②13分29③26分50④21分09 計76分34
ギーレン・SWRSO/2007年
①18分29②19分50③29分44④27分01 計95分04

 1980年代に録音したインバルのブルックナー交響曲全集から第8番第1稿です。先日のギーレンの演奏よりも20分近く短い演奏時間なので、聴いていると冒頭から快速という感じがします。そうなのに乱雑ではなく、全集の他の曲同様に透明な印象が迫ってきます。何も足さない、何も引かないし混ぜないストレートさが第8番の初期稿では特に際立ちます。演奏時間、トラックタイムをみると第2、第4楽章の差が大きくなっています。インバルは東京都SOとの新録音も同じような演奏時間なので、二人ともユダヤ系という共通があっても対極のような演奏です。

交響曲第8番 ハ短調 WAB 108(1887年初稿)
第1楽章 Allegro moderato
第2楽章 Scherzo: Allegro moderato - Trio: Allegro moderato
第3楽章 Adagio Feierlich langsam, doch nicht schleppend
第4楽章 Finale: Feierlich, nicht schnell 

  同じ曲に異なる版だけでなく異稿があってどちらも演奏、録音されるブルックナーの交響曲の中で第8番はまだ1890年稿(第2稿)の方が有名です。abruckner.comのディスコグラフィによると、インバルのこの録音が第1稿による最初の録音ではないようですが、 メジャーなレーベルのものはこれが最初のようです。改めてこのCDを聴いていると第1稿の魅力にますますはまりそうです。インバルの全集(フランクフルトRSO)の採用稿は、第3番、第4番が初期稿、第1番がリンツ稿なのに第2番は第2稿の方なので、今更ながら色々こだわりがありあそうです。
8 12月

ブルックナー交響曲第7番 ヤルヴィ、フランクフルトRSO/2006年

161208bブルックナー 交響曲 第7番 ホ長調 WAB.107(ノヴァーク版)

パーヴォ・ヤルヴィ 指揮
フランクフルト放送交響楽団(現在の hr-交響楽団)

(2006年11月22-24日 フランクフルト,アルテ・オーパー 録音 ソニーミュージック)

 ここ何年かのうちにテレビのニュースで日米「同盟」という言葉を時々聞くようになりました。戦争は終わってサンフランシスコ講和条約もとっくに締結したのだし、安保もあるのだからおかしな表現ではないはずです。しかし何故かしっくりいかない、歯の隙間にスジ肉の繊維がはさまったような感覚が後から追ってわいてきます。ハンザ同盟、セーラー服反逆同盟、キリスト教民主同盟という単語はさらっと聞き流してひっかからないのに、なぜ日米とくればそうではないのかと(色々と世話にもなってるのに)。それはそうと結婚後ほとんど引退同然の仙道敦子はセーラー服反逆同盟に出ていたんだなと、三十年くらい前のTV番組のことながら最近ふと思い出しました。

161208a パーヴォ・ヤルヴィはインバルにならってかマーラー、ブルックナー、ショスタコーヴィチの交響曲の全曲録音にほぼ同時に取り組んでいましたが、マーラーは音楽祭の演奏を映像ソフトに収めたものに切り替わってCDはストップして、シンシナティSOとのショスタコーヴィチも第10番が出ただけになっています。結局フランクフルト放送交響楽団とのブルックナーが一番順調に進んでいます。 単に企画を消化しているだけでなく、回を追うごとに演奏も魅力的になっているようで、最新の第2番もかなり印象に残っています。それに日本盤に付いている解説も丁寧で、ヤルヴィ本人へのインタビューは明快で興味深い内容です。今回の第7番はパーヴォ・ヤルヴィのブルックナーチクルス第一弾でした。

 P.ヤルヴィ・フランクフルト/2006年
①21分59②22分52③09分55④12分39 計67分25
ヤノフスキ・スイスロマンド/2010年
①21分05②21分37③09分47④13分15 計65分44
ヤング・ハンブルク/2014年
①21分38②21分42③10分24④12分45 計64分49
K.ナガノ・バイエルン国立O/2010年
①20分06②21分53③09分43④12分27 計64分09
インバル・東京都SO/2012年
①18分28②19分13③09分09④11分44 計58分34

 上記のようなトラックタイム、演奏時間なので最近のブルックナー第7番の録音の中では速い部類ではなく、ジュリーニとか朝比奈隆と近い演奏時間になっています。ヤルヴィはブルックナーの音楽をハイドン、モーツァルトらに連なる西欧の音楽と同じ原則によって書かれているという意味のことを言っています。同時にブルックナーの交響曲の中で一番親しみやすい(総休符や切れ目がない)とも指摘していますが、実際に聴いていると本当になめらかで、どこかしらシベリウスの音楽に似たものさえ感じます。自分の場合ブルックナーの第7番と名前をきくと、ウィスキーなんかの原酒の瓶を開けたときのような濃厚さを反射的に想像してしまいます。この第7番については悪い意味でのそんなイメージは払しょくされています(なんか薄めたような言い方だがそうではない)。

 ヤルヴィ自身が挙げている、大きな啓示を与えてくれたブルックナー演奏にバーンスタインがカーネギーホールで演奏した第6番を挙げているのは意外なのと、そのバーンスタインの第6番というのも知りませんでした。その他にヴァントの東京公演の第9番やフルトヴェングラーのいくつかのライヴ録音にも言及しています(当然それらと似ているわけではない)。
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raimund

昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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