raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

2016年09月

28 9月

ブルックナー交響曲第9番 ギーレン・SWRSO/2013年

160928bブルックナー 交響曲 第9番 ニ短調 WAB109 (原典版)

ミヒャエル・ギーレン 指揮
SWR Sinfonieorchester Baden-Baden und Freiburg(南西ドイツ放送交響楽団)

(2013年12月20日 フライブルク,コンツェルトハウス 録音 Hanssler Swr Music)

160928a 路傍伝道という行為がキリスト教界では特に異教社会での布教活動として行われます。辻説法に似たようなもので、大正や昭和初期、終戦後しばらくは日本でそこそこ盛んだったようで、鐘や太鼓をたたきながら聖歌を歌って歩くスタイルが知られていました(今でも時々年末に見られる救世軍の募金が少し似た雰囲気があるか?)。そういう活動に使われる聖歌なのか、「まどいの雲消えて」という歌を不意に思い出しました。派手な曲なので個人の趣味としてはまり好きではありませんが聴くとインパクトがありました。それからその聖歌を穏健にした曲調の「主よ終わりまで」という賛美歌があって、その歌詞に「名利の嵐 しずめ給え」という言葉が出てきます。「続・今でも~」のブログじゃないのにいきなり何じゃい、というところですがブルックナーの交響曲第9番を聴いていて、前作の第8番の終楽章を思いうかべて比べるとまさしく、世に認められたい(交響曲の作曲家として名声を得たい)という名利の欲求がある程度得られて、その嵐が静まり突き抜けたような世界なのを改めて実感しました。

 このギーレンの最晩年の演奏であるブルックナーの第9番を聴くと特にそんな印象が強くて、作曲者がこの曲の作曲中に言ったとされる言葉をもう少し真に受けた方が良いと思い直しました。このCDは引退を表明したミヒャエル・ギーレンの未発表録音も含んで発売が始まった、ギーレン・エディションの第三弾に含まれた初出のブルックナー第9番です。予告広告に第9番が凄いと銘打たれ、「楽員のやる気に満ちた演奏が、楽曲のすべての音符に血を通わせたかのような表現に結実」、「バーンスタインの第2楽章を上回る迫力のスケルツォに、深い情感と壮絶な破壊に泣けるアダージョは特に聴きものです」と書いてある通り、1980年代くらいまでのギーレンとは違った内容のブルックナーです。

ギーレン・SWRSO/2013年
①27分05②12分04③27分50 計66分59
クレンペラー・ニューPO/1970年
①26分43②11分23③27分12 計65分18
ヴァント・BPO/1998年9月
①26分12②10分35③25分12 計61分59 
ヴァント・NDRSO/1993年3月
①26分55②10分43③26分52 計64分30 

 それに聴いている内に第2楽章のところでクレンペラー晩年、末期に録音された第9番をほうふつとさせるテンポと威容にちょっと驚かされました。第3楽章がさらに素晴らしくて、遅めのテンポをとりながら自然な流れというか、威圧されるような感じではなくて率直に作品が入ってきて感動的です。遡って第1楽章は、これから第9番が開始されるのにな何ともちからが抜けて、隠居して茶室にでも安座を決めているような心地よさが印象的でした。全曲を聴き終わったところでこれだけ充実しているのに、ベートベンの田園交響曲のフィナーレ直後のような平安な空気が充ちていて心底感動的でした。

ギーレン・SWRSO/2013年
①27分05②12分04③27分50 計66分59
インバル・2013年
①23分19②11分19③23分16 計57分54
ブロムシュテット・LGO/2011年
①24分37②10分24③23分30 計59分31
P.ヤルヴィ・2008年
①27分41②10分50③27分06 計65分37
ヤノフスキ・スイス/2007年
①24分57②10分53③25分51 計61分41
ズヴェーデン・2006年
①25分10②10分47③26分09 計62分06

 この録音はライヴ録音ということですが拍手や歓声の類は入っておらず、代わりにギーレンのものと思われる気合のような音声が一カ所きこえました。オーケストラの演奏そのものも立派(クレンペラー・EMI盤と違って)なので、パーヴォ・ヤルヴィやインバルの最新のSACDのような仕様、音質で制作していたらさらに良かったと思われてその点が残念です。と言ってもこれでも十分よくきこえるので欲を言えばきりがないところです。
26 9月

ブルックナー交響曲第6番 インバル、フランクフルトRSO・1989年

160926ブルックナー 交響曲 第6番 イ長調(1881年ノヴァーク版)

エリアフ=インバル 指揮
フランクフルト放送交響楽団

(1989年9月 フランクフルト,アルテ・オーパー 録音 Teldec)

 ネットニュースの見出しに「スキューバダイビングをすれば人生観が変わる」と石原元都知事が天皇陛下に言ったらしいと出ていました。それを見ながら自分が小学生の時に海で溺死しかかったときのことを思い出しました。事故とマリンスポーツとでは次元が違うとしても、海底から遠く水面を見上げながら息が極限まで苦しくなって内心「これはダメかもしれん」と思ったところで救助された後、別段物事が違って見えたという覚えはありません。ただ、海水をいっぱい飲んで口の中が塩辛かったから、回復しかかった際にそれまで嫌いだった「キャラメルコーン」をむさぼり食ってそれ以来好きになったくらいが変化でした。それはともかく、氾濫しているニュース、発言の中にはいちいち真に受けなくていいものもあると時分に言い聞かせました。

 これはインバルとフランクフルト放送交響楽団(現代のhr-交響楽団)が1980年代を中心に完成させたブルックナー交響曲全集(第00、第0番を含む)の中の一枚で、写真のインバルの顔がいかにも若々しくて髪もふさふさしている(既に生え際に後年の予兆は見られる)のが印象的です。 それに似つかわしいようにこの第6番の演奏も透明でありながら活力がみなぎり、この曲が第7番以降に負けない立派な作品であることを印象付けられます。それに解説の日本語訳に「この作品ほどに精神的な平安を表現した作品はほかにない(ブルックナーの全交響曲中でという意味だろう)」とありますが、下記のトラックタイムで分かるように特にゆったり演奏した第2楽章でそのことを実感できます。

インバル・フランクフルト/1989年
①18分00②17分11③8分40④15分03 計58分54
インバル・東京都SO/2010年
①17分10②14分10③8分04④15分02 計54分26
ギーレン・SWRSO/2001年
①17分00②15分57③9分17④14分19 計56分33
ヴァント・北独RSO/1995年
①16分37②15分57③8分50④13分41 計55分05

 インバルは東京都SOと目下ブルックナーも全曲録音が進行中(全集化する企画なのかどうか?)で、第6番の再録音は上記のように合計時間で4分以上短くなっています。第1楽章だけでも旧録音の方がかなり長くなっていますが、聴いた印象は第1楽章は速目に聴こえて絶叫調とまではいかなくてもかなり荒々しく聴こえて、開始からしばらくは平安ではなくて嵐の予感でした。それが次の第2楽章では時々評されるような牧歌的平穏さ、田園的美しさという言葉が本当にぴったりきました。逆に東京都SOとの再録音が3分ほど短くなっているのが興味深くいところです。何となく無色透明というイメージのインバルのブルックナー、第6番を久しぶりに聴くと新鮮で感動的です。

インバル・フランクフルト/1989年
①18分00②17分11③8分40④15分03 計58分54
クレンペラー・ニューPO/1964年EMI
①17分02②14分42③9分23④13分48 計54分55 

 ちなみクレンペラーのEMI盤はインバルの再録音に近いタイムになっていて、これも反復の有無か省略の影響かもしれません。ただ、交響曲第6番は異稿が無くて新旧の校訂版、ハースとノヴァークの間にもほぼ相違は無くて、明らかな誤植(と思われる)箇所や見落としをノヴァークが校訂時に数カ所訂正したくらいということです(クレンペラーの録音はハース版)。だからいちいちハース版、ノヴァーク版と表記すると誤解をあたえるもとだとも言われます(解説にもそうコメントしてある)。再録音の方は今よく覚えていないので後日聴いてみることにします。なお、録音年月日についてCDの付属冊子には1989年と書いてあるのに、ブルックナーのファンのサイト・abruckner.com のデータでは1988年と表記されています。
24 9月

ブルックナー交響曲第2番 パーヴォ・ヤルヴィ、hr 交響楽団

160924aブルックナー 交響曲 第2番 ハ短調 WAB102 (1877年第2稿・2007年キャラガン校訂版に準拠)

パーヴォ・ヤルヴィ 指揮
hr-交響楽団(フランクフルト放送交響楽団)

(2011年3月30,31日,4月1日 フランクフルト,アルテ・オーパー 録音 ソニーミュージック)

 昨夜は電車で帰宅する前に新京極通を歩いているとテレビのロケらしき一行が前方から歩いてきました。何となく関西ローカルらしいこじんまりした陣容だと思って、歩きながらコメントしている人の方を見たらその横に蛭子さんがいました(おもいっきりぶすっとした表情で)。アーケード付の商店街にはあまり似合わなさそうな一行は何という番組のロケだったことか。帰宅してプロバスケットの開幕第二戦(東京VS琉球)の結果を調べたらアルバルク東京の完勝でした。地上波のテレビ中継は無くてニュースでもバスケの結果を見逃したので、二日目にして扱いが小さくなっているようでしたが今晩のスポーツニュースでは全試合の結果を含めて取り上げていたので、何とかJリーグ並みに近い枠は得られそうです。

160924b これはパーヴォ・ヤルヴィとhr-交響楽団(フランクフルト放送交響楽団) によるブルックナーの交響曲シリーズの第六弾です。これまで第8番を除く4番以降の五曲を録音していたので、あるいは第4番以降の選集で終わるのかと思っていました。実際にこの第2番を聴いてみるとかなり魅力的で、全集の一環として数合わせ的に演奏しているようなものとは全く違うと思いました。第2番の演奏は特に第2稿(演奏頻度が高かったノヴァーク版、その前のハース版)を使っていると、後期の大作の演奏と似た傾向だったと思いますが、この録音では解説文にあるようにそのスタイルと一線を画しています。「瑞々しくも豊かなカンタービレをたたえながら連なる歌の流れ」というのはベンジャミン・ザンダーが自身が指揮した交響曲第5番の録音の解説で似たことを主張していました。

 ~ 交響曲第2番/1877年稿キャラガン版の録音
パーヴォ・ヤルヴィ
①16分41②17分05③06分28④15分44 計55分59
ヴェンツァーゴ
①16分13②17分42③07分02④15分30 計56分27
ヤノフスキ・スイスロマンド管・2012年
①17分47②14分21③08分46④13分58 計54分52

 個人的には第2番はブルックナーの全交響曲の中でも特に好きなもので、最近は第5番と双璧の位置付けです。しかし、例えばブルックナー指揮者として有名なG.ヴァントも第1、第2番はケルン放送交響楽団との全集録音の際に演奏したくらいで、公演ではこれらを演奏したことが無いというくらいなので、ブルックナー初期作品の地位は低かったと言えます(今でも多少はその傾向がある)。

 パーヴォ・ヤルヴィは交響曲第2番について、愛すべき存在というだけでなく、まぎれもなく偉大な作品であるとしています。また、第2番とそれ以降の交響曲の間に特にスタイル的ギャップを感じない、第1番と第0番よりも徐情性と歌謡性を深化させ、既に語法を確立しているとも指摘しています。そのヤルヴィ自身の説明をみると演奏のスタイルがなるほどと更に実感します。なお、この録音では1877年稿・キャラガン校訂版を基本としながら、第2楽章の終結部は1872年初期稿の楽器法を採用(最後をしめくくるソロ部分はクラリネットではなくホルンにゆだねられる)しています。CD付属の解説にはこの異稿間の細かい違いについても触れられています。
23 9月

ハイドン交響曲 第88番 「V字」 クレンペラー、ニュー・PO

160923ハイドン 交響曲 第88番 ト長調 Hob.l-88 「V字」

オットー=クレンペラー 指揮 
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

(1964年10月12-14日 ロンドン,アビー・ロード・スタジオ 録音 EMI)

 最近、クレンペラーがEMIへセッション録音したハイドンの交響曲がSACD・ハイブリッド仕様の国内盤で再発売され出して、10月には全曲が簡潔する予定です。クレンペラーはザロモンセットの全部は録音しなかったのに第92番と第88番は録音するという中途半端な選曲をしたのは何か理由があるのか無いのか。EMIへのハイドン録音は1960年以降のクレンペラーが夫人を亡くし、大火傷をした後に始まっています。1960年(第98番,第101番『時計』)、1964年(第88番,第104番『ロンドン』)、1965年(第100番,第102番)、1970年(第95番)、1971年(第92番『オックスフォード』)という具合に結局全八曲でした。どうせならザロモンセットだけでも完結してほしいところですが、この第88番もクレンペラーらしい魅力的な演奏です。
 
交響曲 第88番 ト長調 Hob.l-88
第1楽章:Adagio - Allegro
第2楽章:Largo
第3楽章:Menuetto. Allegretto
第4楽章:Finale. Allegro con spirito

 
交響曲第88番は1787年に作曲されたと考えられ(新しい解説には違う年月日が載ってるかもしれない)、エステルハージ家の宮廷楽団のヴァイオリニストヨハン・ペーター・トストが楽団を辞めてパリで活動するにあたりハイドンに作曲を依頼したものでした。クレンペラー以外にも同世代の巨匠が録音している有名作品です。弦五部にフルート1、オーボエ2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニと通奏低音という編成ですがこの録音にはチェンバロは含まれていません。

 先ほど「クレンペラーらしい」 と書いていましたが、それが単純に「ハイドンらしい」につながるのかどうか何とも言い難いものです。自分自身クレンペラーのV字を聴けたのはCD化された1990年代初め以降でした。LPレコードで入手できたのは第100番「軍隊」と第101番「時計」がカップリングされた2500円の国内盤だけでした。だからクレンペラーのハイドンを思い浮かべる時はそのLP、特に「軍隊」の演奏がよみがえってきて、初めて聴いた時からそれくらい強烈な印象でした。

 第88番はその第100番の前年に録音されたもので、基本的にはベートーベン作品に近づいたような剛毅さを示しながら、やや控えめで端正な印象です。また、第1楽章の序奏は何となく散漫で、これなら1950年代半ば頃の演奏の方がずっと引き締まっていたのじゃないかと思いました。オーケストラがレッグの解散宣言によってフィルハーモニアから自主運営のニュー・フィルハーモニアに変わって間もない頃だったわけで、団員の入れ替わりはどれくらいあったのかと思います。 
22 9月

ワーグナー「ジークフリート」 ティーレマン、ウィーン・2011年

160922aワーグナー 楽劇・ニーベルングの指環 「ジークフリート」

クリスティアーン・ティーレマン 指揮
ウィーン国立歌劇場管弦楽団

ジークフリート:ステファン・グールド(T)
ブリュンヒルデ:リンダ・ワトソン(S)
さすらい人:アルベルト・ドーメン(Br)
アルベリヒ:トマス・コニエチュニー(Br)
エルダ:アンナ・ラーション(A)
ミーメ:ヴォルフガング・シュミット(T)
ファーフナー:アイン・アンガー(Br)
森の小鳥:ヒェン・ライス(S)

(2011年11月 ウィーン国立歌劇場 ライヴ録音 DG)

 きょうは日本の統一プロバスケットリーグ、Bリーグの開幕試合が地上波のテレビで中継されたので試合開始から観ていました。アルバルク東京(前身はトヨタ)が琉球ゴールデンキングスをおさえて記念すべき1勝をあげました。後者はbjリーグ時代に地元京都が負けているスコアを見た記憶が何度かあるので名前は知っていました。競技経験者でもなんでもないので具体的なコメントはありませんが、それでも試合を観ていて面白いものなので定期的に地上波で中継してほしいと思いました(個人的にはゴルフとかテニスよりは)。そういえばリオ五輪に男子代表は出場を逃していたので、リーグ統一を機に飛躍を期待します。それにしてもフリー・スローはプロ選手でもそこそこ外すものなんだとしみじみ思いました(サッカーのPK以上に余裕そうに見えるのに)。

160922b さて、このジークフリートはティーレマン指揮のウィーン・シュターツオーパの公演をライヴ録音したCDで、今のところ映像ソフトは出ていないようです。 これより前に出ていたトリスタンやパルジファル同様にネット上で見たCDのレビューはあまり芳しい評判ではなくて、音質が単に記録しただけという域を出しないというコメントも見かけました。実際に聴いていると特に第1幕はマイクが遠いというか、特設会場の後ろの方で聴いているような感じでした。それでも第三幕になると慣れもあってか演奏に集中できるようになります。実はこの指環のCDは先月のクソ暑い時期に聴いていましたが、ヤノフスキのSACDを聴いた直後だったのでこうした音質にちょっと戸惑ってしばらく置いていました。

 歌手の中ではヤノフスキ盤でもジークフリートを歌ったグールドが目立ちました。最後の二重唱のところでも休養十分なはずのブリュンヒルデにひけをとらず、ジークフリートらしい(神々の黄昏に登場するジークフリートよりもこっちの方がより似つかわしい)歌唱 に惹かれました。ブリュンヒルデの方は声だけを聴いていると何となくジークフリートの保護者、ママのようにもきこえて微妙な感じです。物語の設定からすればこれくらいの差でちょうど良いのかもしれないと思いながら二重唱を聴いていました。

 ティーレマンの指揮はバイロイトでも何度も振っているだけあって、いまひとつな音質でも魅力的です。ヤノフスキが直線的に刈り込んだ庭木だとすれば、より変化、陰影を感じさせる音楽といった印象なので、これを劇場の席で観て聴けていたら良かっただろうと思いました。 終演後の拍手は盛大なもので、バイロイトで時々みられるブーイングは入っていませんでした(拍手や歓声は編集、カットによるものでもないはず)。
19 9月

ブルックナー交響曲第7番 インバル、東京都SO・2012年

160919ブルックナー 交響曲 第7番 ホ長調 WAB.107(ノヴァーク版)

エリアフ・インバル 指揮
東京都交響楽団 

(2012年4月12日 東京,サントリーホール 録音 Octavia Exton)

 先日点検の用事で行ったスバルのディーラーには新型インプレッサ(ハッチバック)が展示してありましたが、まだ予約受付のみで実際に販売が始まるのは12月頃のようでした。展示車のシートに座ってみたところ、後部座席のひざ元に余裕があるのと車高が下がった割に頭上の空間が小さくなっていないのが目立ちました。以前にインプレッサはハッチバックが導入された初代モデルに乗っていたので、特に後部座席の余裕は初代モデルから確実に向上しているのを実感しました。それはともかくとして、近年のえげつない雨の降り方とかを考えるとそんな環境に対応できる(水陸両用は無理としても)、少々冠水しても走行できるとかそんな機能は普及しないものかと時々思います。

 8月になってから特にブログだけでなく日常のブルックナー頻度が落ちていました。車の中でもSDカードのCDコピーではなくてラジオ、野球やオリンピックの中継を聴く頻度が上がっていました。猛暑日や熱帯夜の連続が途切れてようやくブルックナーを連続して聴く気力が出てきました。新約聖書の使徒書簡の一つ(テモテへの第二の手紙)には、良い時にも悪い時にも宣教せよと書かれてあり(厳かに命じるとまで書かれている)ます。それと関係無いとしても、今年くらい暑かったら猛暑でも寒波でもブルックナーというわけにはなかなかいきません。

 インバルと東京都SOのブルックナーはあと第1番、3番と0、00番を残すところまで進行しています。 今回の第7番は猛暑のダメージから回復しつつある今聴いていると、体に染み渡るような魅力的な演奏に聴こえます。ライナーノーツには「インバルの顔は見えず、ブルックナーの色もうすく、ただ、ひとつの至高といいたいほど美しい純音楽が鳴っている」と評されていましたが、澄んだ清水のようなという意味に解するとなるほどと思いました。思えば1980年代末頃までにインバルのブルックナーが出た際には「無色透明」等の賛辞が付けられていたはずですが、再録音の方はそれにも増して澄み切ったブルックナーの響きに神経が休まります。優秀録音のSACDのためか評判のように都SOの力量のおかげなのか、とにかく素晴らしいと思いました。

インバル・東京都SO/2012年
①18分28②19分13③09分09④11分44 計58分34
ヤング・ハンブルク/2014年
①21分38②21分42③10分24④12分45 計64分49
ヤノフスキ・スイスロマンド/2010年
①21分05②21分37③09分47④13分15 計65分44
K.ナガノ・バイエルン国立O/2010年
①20分06②21分53③09分43④12分27 計64分09
 
 2010年以降のCDのトラックタイムを並べるとインバルが5、6分程度短い演奏時間になっています。確かに第1楽章の前半くらいまでは速目かなと感じましたが、聴いているうちに慣れるというか引き込まれるというか、違和感を覚えなくなります。それに窮屈や雑と感じるところは無くて「至高といいたいほど美しい~」というライナーノーツの言葉が本当にぴったりきます。第4楽章のコーダ辺りは素気ないほどですが個人的な好みとしてはすごく惹かれました。
18 9月

ベートーベンの田園交響曲 セル、クリーヴランドO・1962年

160918ベートーベン 交響曲 第6番 ヘ長調 作品68 「田園」

ジョージ・セル 指揮
クリーヴランド管弦楽団

(1962年1月20,21日 クリーヴランド,セヴェランス・ホール 録音 Sony Classical)

160918a 今日は台風に先行した前線の影響で一日中雨でした。特に夕方は消防車で放水してるのかと思うくらいの大きな雨音だったので、一昨年とその前年の大雨を思い出しました。今日は彼岸の入り前日だったので、昼過ぎに小雨になったところで墓地へ行きました。管理事務所でいつものように花セットを買ったところ、ススキを4、5本つけるというサービスがあり、今回が初めてではないかと思ってちょっと驚きました。昨日は車の定期点検のためにスバルのディーラーへ行ったのでついでに墓地へ寄ろうかとも思いましたが暑かったので先延ばしにしました(おかげで墓前にススキもそなえることができた)。店内には家族で来店している客も見られ、ちょっと前のスバルとは雰囲気が変わってきました。それに展示中の新型インプレッサを見ていたら背後に担当者が立っていて(D.東郷だったらただではすまないくらいの真後ろ)、色々説明してもらいました。マンションのモデルルームの営業担当のような圧力はなく、非常に感じの良い応対でした。

 ベートーベンの田園交響曲は九曲の中で一番好きな曲なので過去記事でも何度もあつかってきました。まだセルとクリーヴランド管弦楽団の録音を取り上げていなかったので、思い出したこの機会に聴いてみました。 古楽器アンサンブルや古楽器奏法を取り入れた折衷方式の演奏が珍しくなくなったので特に刺激的とは思わず、逆に重厚さが目立つようでセルも19世紀ヨーロッパ生まれの巨匠のひとりだとしみじみ思いました。

セル・クリーヴランド/1962年
①09分56②11分53③5分33④3分47⑤10分16 計41分25
オーマンディ・フィラデルフィア/1965年
①09分19②12分21③3分00④3分45⑤09分23 計37分48
クレンペラー・PO/1957年EMI
①13分04②13分22③6分33④3分43⑤09分12 計45分54
クリップス・ロンドンSO/1960年
①10分17②12分11③5分52④3分25⑤09分07 計40分52
レイホヴィッツ・ロイヤルPO/1961年
①11分33②12分40③5分06④3分32⑤09分30 計42分21 

 上記はヨーロッパ(ドイツ、オーストリア、ハンガリー)出身でありながらロンドンやアメリカのオーケストラを指揮して田園交響曲を録音したもののトラックタイムということになります。主題反復の有無の問題もありますが、セルは突出した演奏時間ではなくてレイホヴィッツとクリップスの間に収まります。 聴いた印象では重厚ながら引き締まった音で、例えばカラヤンとフィルハーモニア管弦楽団の録音よりもずっと非ロマン派的にきこえまます。それとこれくらいの年代の録音でも管楽器のパートが特によくきこえたり、独特なバランスだと思う場合がありますが、セルの田園はあまりそういう部分はなくて終始各パートが溶け合っているような気がしました。

 セルのエピソード、リハーサルやオーケストラとの関係についてのものを念頭に置いていると、もっとメリハリがあってメカニカルな印象を受けるかと思うと、ベートーベン全集の場合は意外なくらい上品さです(「意外な」と思うのは認識不足ということかもしれませんが )。何にしても田植えと稲刈りのシーズン頃に田園交響曲を聴くと妙に曲に対する親近感が増します。
17 9月

It Could Happen to You CHET BAKER sings チェット・ベイカー・1958年

160917It Could Happen to You  CHET BAKER  sings

Chet Baker (チェット・ベイカー):ヴォーカル、トランペット
Kenny Drew(ケニー・ドリュー):ピアノ
George Morrow(ジョージ・モロー):ベース(①②⑤⑦⑧)
Sam Jones(サム・ジョーンズ):ベース(③④⑥⑨-⑫)
Jimmy Bond(ジミー・ボンド):ドラム(①②⑤-⑧⑩-⑫)
Lawrence Marable(ローレンス・マラブル):ドラム(③④⑨)

①Do It The Hard Way
②I'm Old Fashioned
③You're Driving Me Crazy
④It Could Happen To You
⑤My Heart Stood Still
⑥The More I See You
⑦Everything Happens To Me
⑧Dancing On The Ceiling
⑨How Long Has This Been Going On?
⑩Old Devil Moon
⑪While My Lady Sleeps
⑫You Make Me Feel So Young

(1958年- ニューヨーク録音 RIVERSIDE)

 先日JR京都駅から山陰本線を使った際に緑一色に塗られた電車が入って来るのが目につきました。アマ蛙よりも濃い、どぎつい緑色だったので何かのイヴェント用電車かと思ったら湖西線用の113系電車で、何年か前からその色を使っているとのこと。113系電車と言えば昭和50年前後にオレンジと緑の塗装で快速として運行していたのでかなり長寿の車両ということになります。JRを使う頻度がめっきり低下したので、雑談の中で奈良駅が高架化したのも最近知りました(そういえば工事中だったとようやく思い出した)。それにしても残暑というか台風の影響の湿気のおかげで非常に体調が悪く、今週は途中でまる一日ダウンして休んでしまいました(それでもたいして痩せないのは喜ぶべきことか)。そんな調子なのでブログ更新の頻度も低下しています。

 チェット・ベイカー、Chet Baker(Chesney Henry Baker Jr.1929年12月23日 - 1988年5月13日)のヴォーカル(がメインの)・アルバムは過去記事でCHET BAKER SINGS(チェット・ベイカー スィングス)の廉価盤CDを取り上げていましたが、今回のCDも同じく「ジャズの100枚(第3期)」シリーズの廉価盤の中の一枚です。チェット・ベイカーのヴォーカル・アルバムの二作目に当たるらしく、一作目の約二年後に出た人気作品でした。チェット・ベイカーがヴォーカルとトランペットでケニー・ドリューが全曲のピアノを弾き、あとはベースとドラムという編成です。全曲を数日間で録音したようで、違うCDには「テイク5」、「アルバム・バージョン」等の表記があったので複数の数日の期間に複数回録音しているようです。今回のアルバムもスタンダードナンバーを演奏していますが、前作が西海岸で演奏収録したのに対して今度はニューヨークに移ってアフリカ系のミュージシャンと共演しています。付属冊子によるとピアノのケニー・ドリューの伴奏にとどまらない演奏が聴きものとのことです。

 チェット・ベイカーはトランペットの方も有名ですが個人的にはこの声、歌い方は滅多に聴けない独特なもので、羨望まじりに時々聴きたくなります。中性的、脱力的とか虚無的などという形容はこれら若い頃のヴォーカル・アルバムを聴くと全くその通りだと思います。今回のアルバムは前回以上に浮遊するような虚脱的な空気が強くなって、やや陰りを帯びた感じがします。既にこの当時には薬物使用絡みで何度かトラブルを起こしたり、捕まったりしているようです。もったいないと思うのと、さもあろうと納得させられるのが半々です。レコードジャケットの写真を見ると調子こき感が出ていながら、この顔ならよく映えるとも思えてきます。こういう年代のジャズのアルバムはレコードで聴く方が最近の流行りかもしれませんが、ジャズは門外漢なのでCDだけにしています。

 チェット・ベイカーは1980年代にも来日しているのでその頃も歌っていたならどんな感じか気になります。最後はアムステルダムのホテルで転落して亡くなったのが60歳になる前だったので、 ヘレン・メリルのように80歳を超えても歌ってるひとを思えばいかにも残念です。
14 9月

シューベルト「白鳥の歌」 フィッシャー・ディースカウ、ムーア・1972年

160912bシューベルト 歌曲集「白鳥の歌」 D.957

ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ:バリトン
ジェラルド・ムーア:ピアノ

(1972年3月 ベルリン,UFAトンストゥーディオ 録音 DG)

 先日都知事の緊急会見の映像が流れて一体何事かと思ったら築地の移転先が大変なことになっていました。盛土をするはずのところが露骨にがらんどうなっているのには驚かされます。なにか古典的なキックバックの臭いがプンプンしますが、そもそも土壌汚染の危険が少ない候補地は他に無かったのかと今更ながら思います。魚介を扱う店の中には豊洲へは行かないと決めている業者もあるそうで、予算をつぎ込んだ今となってはどう解決するのかと思います。

160912a シューベルトの「白鳥の歌」を最初にじっくり聴いて素晴らしいと思ったのは、フィッシャー・ディースカウとムーアのDG盤でした。フィッシャー・ディースカウが1950年代に録音した時は「白鳥の歌」全部をまとめて取り組んだのではなくて、1951年にゲーテ作詞の6曲を一度に録音したほかは何度かに分けて収録しています。だからそれらを一回目の「白鳥の歌」と扱えるのかどうか分かりませんが、今回の録音は一応最後の録音ということになります。もっとも、音楽祭のライヴ録音とかはあるかもしれませんが未確認です。この録音はシューベルトの歌曲大全集という企画に含まれていて、他のリートとあわせてCD21枚組のセットになっています。国内盤LPレコードで出た時はさらに枚数が多く、高価だったことでしょうがその代わり解説や日本語対訳もあったはずです。

 これを最初に聴いた10代末の頃は、フィッシャー・ディースカウよりも高音の歌手が歌っているような錯覚をするくらい甘美で、玉(宝玉とかそっちの方のタマであり、こまわり君の方のナニではない)を 転がすような心地良さにうっとりしました。そんな調子だったので印象に残っているのはレルシュタープの詩による七曲と最後のザイドルの一曲で、ハイネの曲はあまり記憶に残っていませんでした。改めて久々に聴くと、記憶の鮮烈さほどのきれいな歌唱でもない気がして、かえってハイネの六曲がちょうど良いくらいの緊迫度で、聴くにつけ染み入るような気がして1951年の初回録音よりも感銘深い気がしました。

 フィッシャー・ディースカウによるシューベルトの三大歌曲は、概ね1970年代を過ぎた頃の録音(大全集に含まれる)が一番好評だったようですが、年齢にして50代に入る前(この録音で47歳頃)にあたりました。 作曲者のシューベルトはとうに亡くなっている年齢になり、演奏するに際して作品をいたわるような、いとおしいと思うような余裕は出るものなのだろうかと思います。というのは自分も当時のフィーッシャー・ディースカウに近い歳になっても、シューベルトのこういう歌曲は思いっきり高いところにあるように(本当に30代で亡くなったかと)感じるので。
10 9月

「美しき水車小屋の娘」 プライの初回録音、エンゲル(P)

160910シューベルト 歌曲集 「美しき水車小屋の娘」 D.795

ヘルマン・プライ:Br
カール=エンゲル:ピアノ

(1971年5月25-27日 ミュンヘン,ブリーンナー通・民衆劇場? 録音 ワーナー・ジャパン/TELEFUKEN)

 先ほどプロ野球、セントラルリーグの広島カープがリーグ優勝を決めました。初優勝は昭和50年のことでピッチャーの外木場、金城はなんとなく覚えています。また、前回優勝の年は出町柳駅前の中華屋でニホンシリーズの初戦をラジオ中継で聴いたのをよく覚えています。現在のカープの新井貴浩選手が現在セ・リーグの打点一位であり、タイガースから古巣へ戻ってここまで活躍するとは。ところで、このところ民進党の党首候補者の国籍についてネット上でちょっと話題になっています。 騒ぎにしたい方々の本音は法律上の手続きに関心があるのではなく、血統やら民族を強調したいのではないかと思われます。それを受けてかどうか、ネット上のニュースで故、新井将敬代議士の未亡人が出版した手記のことが出ていました。新井将敬氏は帰化して自民党の衆議院になっていましたが、最初の選挙の際にポスターに元の国籍に関わる誤った情報を書いたシールを貼られた事件(公職選挙法違反の妨害事件)がありました。犯人は同じ党の議員の秘書だったという陰湿な構図(当時は中選挙区制)でした。この場合は国籍は単一ですがそれでもケチが付いたわけでした。

 このヘルマン・プライの「美しき水車小屋の娘」は、彼がフィリップス・レーベルへ同曲を録音した同じ年の約五カ月前に録音したものでした。これがプライによるシューベルト三大歌曲集の初回録音の最後にあたりますが、なぜ再録音とこんなに期間が接近しているのか不思議です。 「白鳥の歌」の初回は1963年、「冬の旅」が1961年だったので公演では水車小屋全曲でなくても抜粋で歌ったことはありそうなのに、取り上げるのにかなり慎重だったようです(この点について書かれたものを読んだ覚えがあるけれど、具体的に何に載っていたか思い出せない)。たしかピアノのエンゲルとの共演を希望したか、「水車小屋」を自分の音域で歌うことに難しさをおぼえていたとかだったと思います。

 実際に聴いてみると、プライらしい明るい声質が前面に出ているもののあまり感情を込めないで何となく淡々と歌っている風で、 その点では彼らしいのかどうか分かりません。ヘルマン・プライが演じるフィガロやベックメッサー役の歌、舞台姿を思うと意外にあっさりとしています。同じくらいの年代にシュライアーやフィッシャー・ディースカウが歌った録音ではもうちょっと劇的にというか、感情の起伏を感じさせる派手?な演奏なので、プライが歌うドイツ・リートの特徴が出ているのかもしれません。正直プライが歌うリートはシューベルト以外ほとんど聴いた覚えはないので分かりませんが、熱心なプライのフアン(彼の、特にリートのフアンも居る)がいるので、さらに聴いているとその機微が分かるかもしれません。

 このCDは国内盤なので日本語の解説が付いていて、そこに「低音域に甘い豊かな響きをもったプライのバリトンは、歴史上比肩するものがないと言われた程」とありました。 プライの声を思い浮かべるとなるほどと思う賛辞ですが、この録音ではそんな美声が全開という感じでないのが、かえって目立ちます。
7 9月

ブルックナーのミサ曲第3番 シャラー、フィルハーモニア・フェスティヴァ

160907aブルックナー ミサ曲 第3番 ヘ短調 WAB 28

ゲルト・シャラー 指揮
フィルハーモニー・フェスティーヴァ
ミュンヘン・フィルハーモニー合唱団

アニア・ヴェグリー (S)
フランツィスカ・ゴットヴァルト (A)
クレメンス・ビーバー (T)
ティモ・リーホネン (Bs)

(2015年7月 エーブラハ大修道院付属教会 録音 Profil)

 あいかわらずクソ暑い日が続き、日中の気温が35℃近いことよりも夜間に下がらない熱帯夜がこたえます。先日JR東海道本線の向日町付近の線路沿いを歩いていると短時間に貨物列車走り抜けて、その風が一応涼しいので列車の方に顔を向けるとコンテナ車だけでなく有蓋貨車の長いやつが何両も連なっていました。クロネコのマークが付いた貨車もあり、今でもコンテナ以外の貨車もあるのかと思いながら見ていました。駅の方に近づいたらホームの先端で「撮り鉄」が何人も三脚をセットして列車が来るのを待っているようでした。そういえばかなり昔、国鉄時代に「EH10」という黒塗りの機関車が好きで、京都駅でそれが引っ張る貨物列車を探したことがありました。二両の機関車をくっ付けたような外観が特徴でした(竹本菊に言わせれば「一両を二両に見せる根性が気に食わん」、そんな形)。今でもEH200という機関車はそんな二両をくっ付けたようなスタイルです。

 ゲルト・シャラーとフィルハーモニア・フェススティヴァのコンビは既にブルックナーの交響曲を第00番を除いて録音済なので、次はミサ曲かと思ったらそれだけでなく自身でオルガン曲を弾いて録音しました。この二枚組CDの一枚目にミサ曲第3番、二枚目に詩篇146篇とオルガン作品を六曲収録しています。オルガン曲はこの六曲でブルックナーの全作品らしく「全集」と銘打たれています。ここまでくるとシャラーの髪型(スキンヘッドなのか自然と抜けて減ったのか不詳)は作曲者への傾倒のいったんとして、ブルクナーの肖像に合わせて剃ったのかと思うくらいの念の入れようです。最初このコンビのブルックナーのCDを聴いた時は、音楽祭の演目として会場が修道院の教会堂だからとりあえずブルックナー、くらいののりかと思ったのを恥じ入るところです。なお、演奏会場の表記がいつもの大修道院付属教会とバイエルン放送スタジオの二つが表記されています。ミサ曲と詩篇とで会場が違うのか、両曲とも両方の会場を使っているのか未確認ですが写真からミサ曲は教会堂がメインと推測しました。

160907b そう言うからにはこのミサ曲第3番はかなり素晴らしくて、過去のシャラー指揮の交響曲録音よりさらに感動的でした。一曲目のキリエ冒頭を聴いたところで、後期の交響曲を演奏するのりとは違った清新な響きが印象的で、同時にミサ曲らしい、宗教曲らしい演奏だと感心しました。この調子ならシャラー指揮の交響曲第1~2番あたりもかなり良さそうです。写真の様子からは特に演奏者の数を絞ったようでもないのに、小編成の特別な工夫でもしているのかと思いました。逆に、古い録音の中には戦車の中隊くらいが進軍するような重く雑なタイプもあり、それを思うと今回の録音の新鮮さが目立ちます。ブログの分類・守備範囲ではこれじゃなくて「続~」の方で取り扱うところですが、詩篇をそっちで扱うとしてミサ曲はこっちにしました。

 あと、演奏会場が二つ表記されていますが、ミサ曲第3番は特に残響が目立っていなくて、ちょうど良い心地良いものでした。ヨッフムの古い録音は今聴くとこもったような音で、それとは対照的です。ミサ曲第3番一曲だけで60分強の演奏時間になり、ヤノフスキの最近の録音と比べても2分以上短い(あるいは稿、版に違いがあるのか?)くらいです。
5 9月

ショスタコーヴィチ交響曲第4番 アシュケナージ、N響・2006年

160905ショスタコーヴィチ 交響曲 第4番 ハ短調 Op.43

ウラディーミル・アシュケナージ 指揮
NHK交響楽団

(2006年3月8,9日 東京,サントリー・ホール ライヴ録音 DECCA)

 昨日のお昼、たまたまテレビをつけたら「TVタックル」が映りました。ハマコーが存命の頃は夜に放送していてしばしば観ましたが、ハマコー亡き後はほとんどみなくなっていました。昨日は皇室の問題がテーマで、やっぱり日本会議の人も出演していました。 気のせいか彼一人だけが切羽詰まったような風でちょっと驚きました(なにか直接、具体的な利害に関わる事で困っているのか?と思うほど暗かった)。番組進行の阿川佐和子の実父である阿川弘之の「井上成美(海軍提督三部作)」を最近読んでいると三笠宮殿下の話も出てきました。「自分は陸軍へ入りたくなかったんだが、陛下の御命令でしかたなく入った。今の陸軍は、お上のお気持ちは踏みにじる、庶民のことは頭から馬鹿にしてかかる。どうして此のようなことが公然とまかり通るのか、一度徹底的な体質改善をする必要があるのではないかと思う」。そのようにおっしゃったとかで、その場にいた参謀本部第二部長は「殿下、もう勘弁してください」と頭を下げるところでその描写は終わっていました。三笠宮崇仁親王と言われてもとっさには思い出せないので調べると、大正天皇の第四皇男子にして今上天皇の叔父にあたります。

 さて、この録音はアシュケナージにとっては再録音にあたり、ショスタコーヴィチのフアンの間ではロイヤルPOを指揮した旧録音の方が人気が高いようです。そのためなのか、全集・BOX化に際してはこちらのN響との方が組み込まれています。今聴いていると第一楽章の激しいフガートのところとかなんかはちょっと大人しくて物足らないと思います。しかし反面、各楽章が最弱音で終わるという性格、反革命的、否、反虚勢的な作風は再録音の方がよく表れているようです。当時ソ連を訪れた独墺系の音楽も第4番の楽譜を見て称賛したということで、クレンペラーも演奏旅行(南米、ということはクロールオペラの最終公演を放り出した直後か?)で取り上げたいと申し出る程でした。ということは、逆にクレンペラーが第5番の楽譜を見たらなんと言っただろうと思います。

交響曲 第4番 ハ短調 作品43
第1楽章:Allegretto poco Moderato - Presto
第2楽章:Moderato con moto
第3楽章:Largo - Allegro

 ショスタコーヴィチの交響曲第4番は、1936年12月11日にレニングラードで初演される予定でしたが、ソヴィエト共産党機関紙の中で自作が批判されたことを受けてそれを撤回してしまいました。この年は昭和11年にあたり、2.26事件や阿部定事件があった年で、ソ連ではスターリン憲法が成立しました。今この曲を聴くと社会主義リアリズムの対極のようで、解説にあるようにマーラー作品に似た部分がたくさん出てきます。特に第三楽章の終わり方なんかは虚無的で疲れたような感じなのが面白く(おもしろいとか言うのは軽薄かもしれない)、予定通りに初演していれば当局のカンに触っただろうと思います。それにしても、先月に京響定期公演でこの作品を聴いて、何か作品に対するイメージが変わってきました。
3 9月

メンデルスゾーンのイタリア交響曲 マナコルダ、カンマーアカデミー・ポツダム

160903aメンデルスゾーン 交響曲 第4番イ長調 Op.90 「イタリア」

アントネッロ・マナコルダ 指揮
カンマーアカデミー・ポツダム

(2015年12月11-13日 ベルリン,テルデックス・スタジオ セッション録音 Sony Classical)

 何日か前の夕方、駐車場に向かって歩いていると足元の方で何か動く気配がしたと思ってそっちを見たら羽音のような大きな音と風圧を感じ、さらに上を見るとキジ鳩が飛んでいくのが分かりました。とても一羽の鳩のものとは思えないくらい大きな羽音だったので驚きました。昔の忍者だったらそれを囮にして視線を誘導しつつ本体が逃げていることもあったでしょうが、今時手品師でもない限りそんなことはしないはずです。とにかく普通の鳩の羽ばたきからそんな大きな音が出るとはいまだに驚きです。昔の絵本に「絵をかく鳩」という作品があり、戦災孤児がやがて鳩に姿を変えて、時々幸せだった頃の姿になって地面に絵をかいて見せるという内容でした。ボロボロの姿で他人の握り飯に手を伸ばす孤児の絵は子供心に衝撃的でしたが現実はさらに過酷なはずで、簡単に鳩になれたりはしません。

交響曲 第4番 イ長調
第1楽章 Allegro vivace イ長調
第2楽章 Andante con moto ニ短調
第3楽章 Con moto moderato イ長調
第4楽章 Saltarello. Presto イ短調

160903b パーヴォ・ヤルヴィがN響の首席に就任した頃にテレビ番組でイタリア交響曲について話していたことがありました。第1楽章冒頭がひろ場の鳩がいっせい飛び立つ羽音がモチーフになってとか、そんな説明だったと思いますが、一羽でもあんな音なら十羽くらいが同時に飛び立ったらメンデルスゾーンどころかマーラー作品級の音量でしょう。とにかくちょうどマナコルダとカンマーアカデミーのメンデルスゾーンのシリーズが発売されたところだったので、イタリア交響曲から(カップリングは交響曲第1番)聴いてみました。 

 このコンビは弦楽器にピリオド奏法を取り入れ、金管とティンパニをピリオド楽器を使うというスタイルの小編成で演奏していて、既にシューベルトの交響曲全集でお馴染みです。今回のメンデルスゾーンのイタリアも第三楽章以外は素晴らしくて、特に第一楽章は木管楽器がよくきこえて、波打つ海面に太陽の光が当たってきらめくような鮮烈な印象で、この作品はこうした編成でこそいきてくると実感しました。ただ、第三楽章だけは自分の好みからはもう少しゆったりと弾くと寂しいような情感が出て、次の楽章との対比が際立つと思いましたが、ピリオド折衷のこうしたスタイルとしてはそん風にはならないということでしょう。 

 交響曲第4番は1833年5月13日にロンドンで作曲者の指揮によって初演され、その後メンデルソゾーンは改訂をはじめましたが完成されずに終わっています。この録音も改訂前の稿によっているはずですが、ガーディナーがロンドン交響楽団を指揮してほぼ改訂稿による第4番をライヴ録音しているようです。
 
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昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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