raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

2016年06月

30 6月

シューベルト「美しき水車小屋の娘」 ゲルハーエル、フーバー

160630シューベルト 歌曲集 「美しき水車小屋の娘」 D.795

クリスティアン・ゲルハーエル:バリトン
ゲロルト・フーバー:ピアノ

(2003年2月7-11日 ミュンヘン,バイエルン放送スタジオ2 録音 ARTE NOVA)

160630a クリスティアン・ゲルハーエルとゲロルト・フーバーの同郷コンビは何度か来日してリートの公演を行っていました。それでまた来てくれないかなとネット上のニュースを探していると(わざわざ来てくれんでもこっちから行くがな、という身分じゃないから)、今年の10月23日に京都市西京区にある青山音楽記念館(バロックザール)でシューベルトの「冬の旅」を演奏するのが分り、今度こそ聴きたいと思い、チケットを手配しようと思いました。同ホールの近所は何度もウロウロしたことはあるのに肝心のホールには入ったことがありません。何度か別のアーティストが「冬の旅」を歌っていたのにその度に聴き逃していました。

  ゲルハーヘルとピアノのフーバーは共にドイツ南部・バイエルン州、シュトラウビンクという街の出身で、16歳の時地元のオケで出会って以来の付き合いだそうです(当人らは腐れ縁と言う)。その後二人はミュンヘンで音楽を学びましたが、確かインタビューの中でゲルハーエルの方は正式に課程を修了したのは音楽ではなく医学だと言っていました(同時に学ぶことは認められていないらしい)。1998年にはゲルハーヘルとフーバーは共にパリ・ニューヨーク国際プロ・ムジシス賞を受賞してパリとニューヨークのカーネギーホールで公演しています。

160630b このCDも過去にブログで取り扱おうとしながら特にコメントできることが見つからないようで先送りにしていました。 聴いていて退屈とか気がそれるというのではないのに、地味というか、正座しないまでもある程度意識的に集中していなければ、音楽の方から自然に入り込んで来るタイプではないと思います。歌詞、日本語訳を見ながら詩の内容に集中していると味わいが深い歌唱です。このあたりのかげんは同年代のゲルネ、ヘンシェルよりは地味で、声質とも関係がありそうです。それにCD付属冊子に載った二人の顔写真はピアノのフーバーの方が断然大きなサイズなのは不思議です(せめて同じサイズかいっしょに写ってるものじゃなかろうか)。

 ゲルハーヘルはシューベルト三大歌曲集のうちで「美しき水車小屋の娘」が一番好きだと言い、「冬の旅」とは対照的に詩の主人公たる青年が自分のことしか歌っていない、「冬の旅」のような読み手との対話のようなものが成立していないけれど、率直な人間の葛藤を歌っているとしています。 ただ、このCDを聴いているとそんなに激しい感情を前面に出した表現といった風ではなく、上品で控えめに聴こえます。それらのゲルハーエルの話は来日公演時にインタビューにこたえたものなので、CD録音の頃より4、5年以上あるいは10年くらい後なので演奏も違ってきていることでしょう。
29 6月

クレンペラー、ベルリンPOのブルックナー交響曲第7番・1958年

160629ブルックナー 交響曲 第7番 ホ長調 WAB.107(ノヴァーク版)

オットー・クレンペラー 指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(1958年9月3日 ルツェルン ライヴ 録音 Delta)

 明日は水無月の大祓で六月も終わり、はやくも一年の半分が過ぎようとしています。それとこのブログでは7月6日のオットー=クレンペラー命日も近づいてきました。クレンペラーの誕生日の5月14日と命日の頃には彼の録音を取り出して偲ぶことにしていますが、EMIのセッション録音以外のライヴ、放送用音源もレパートリーが重なるものが少なくなくて、どうせなら違うのにチャレンジしてくれればと思ったものでした(特にマーラーは第6番、第8番)。ブルックナーもセッション録音が無い第1~3番はせめて1種類だけでも演奏した記録残っていればと残念でなりません。それからオペラ、ワーグナー作品とか挙げればきりがありません。今回は何種も出回っていたブルックナーの第7番、ベルリンPOへ客演した時のライヴ録音です。


~ クレンペラーのブルックナー第7番
ベルリンPO/1958年9月3日,ルツェルン
①19分08②19分16③9分31④12分59 計60分54
バイエルンRSO/1956年4月12日,ミュンヘン
①17分55②19分21③9分08④12分41 計59分05
ウィーンSO/1958年2月23日,ウィーン
①18分16②19分45③9分10④12分12 計59分23
フィルハーモニアO/1960年,EMI
①19分49②21分49③9分36④13分39 計65分53
NDRSO/1966年5月3,ハンブルク
①19分45②21分04③9分39④13分25 計63分53

 第7番は当然EMIのセッション録音があり、わりと早くにCD化されていました。それ以外にも上記のものが確認できました。他にもあるかもしれませんが、ベルリンPOとのものはANFというレーベルで薄緑色の日本語解説紙が付いて発売されていたこともあり、早くから知られていました。そのANFから出たものも二十年くらい前に聴いたことがあり、当時は散漫な印象と音質が良くなくて、本当にクレンペラーの指揮?、と微妙な疑いもありました(見ないで信ずる者は幸いなり)。しかし、上記のようにトラックタイムを並べると、これより古いものはもっと速く、1960年以降はさらに遅いのが分り、一応最長と最短の埒内に入っています。それに1958年9月3日ならクレンペラーが大火傷(違う意味のやけど、火遊びじゃなくて本当に身体が炎で損傷する火傷)をする直前なので、ルツェルン音楽祭に出演していても不思議ではありません。 

 本当にクレンペラーが指揮した音源だと信じた上で改めて聴いていると、EMI盤の第4、5、7番あたりの印象とちょっと違って、幾分柔軟でロマンティックな演奏に聴こえます。これよりも後年にカラヤンが指揮したベルリンPOの第7番のような濃厚にして重厚なブルックナーには遠いとしても、そっちの方により傾斜している感じです。

 「クレンペラーとの対話 P.ヘイワーズ編 佐藤章 訳(白水社)」 の中で、クレンペラーはコンセルトヘボウでカラヤンが指揮するブルックナーの第7番を聴いた時のことを話しています。ただ演奏については触れらておらず、カラヤンが拍手を受ける時の様子があまりに芝居がかっている、何故そんなに拍手に夢中になるのか分らない(有能な男で、指揮ができる、それだけでもういいのです)と述べています。その直前の箇所で、クレンペラーはルツェルンでカラヤンが指揮する第九を聴いたことに触れています。その演奏はひどかったからスケルツォの後で会場を出たと言っているのでよほど腹に据えかねる演奏だったのでしょう。具体的にははやすぎた、第九ではベートーベンのメトロノームの指示は正しいとしています。あるいは、クレンペラーがこのブルックナーを指揮した1958年だったかもしれませんが興味深い反応です。

28 6月

ブルックナー交響曲第5番 シャラー、フィルハーモニア・フェスティヴァ

160628ブルックナー 交響曲 第5番 変ロ長調 WAB105 ( 1878年稿ノヴァーク版 )

ゲルト・シャラー 指揮
フィルハーモニー・フェスティヴァ

(2013年7月 エーブラハ,大修道院附属教会 Profil)

 一昨年に2チャンネル・ピュアオーディオをあきらめてマルチチャンネルに走り、フロントのスピーカー2本よりもセンタースピーカーの方が高価という組合せにしていたところ、急きょフロントをトールボーイ型に変えてブックシェルフ型のフロントスピーカーをサラウンドに回すことにしました。エソテリック・タンノイのスピーカーですが多分中国で生産しているクラスのはずです。Precision のシリーズはモデル末期に近づき、最低限 5.1ch分を同じシリーズにするなら今ぐらいが限界かなと思いました。かつての家電街のようなところが健在なら店頭在庫とかがけっこう期待できますが、この10年で様変わりしました(現物はまだ届いていない)。映像ソフト、音声だけのSACDともにマルチチャンネルでなかなか素晴らしく聴こえるものがあり、狭い場所でも5.1くらいなら効果が期待できます。もっともウーファーは電源消し忘れることがあったので、ほとんど使っていないのでこの際、設置を変えて使うようにしようと思いました。

 昨夜に続いてブルックナーの交響曲第5番の新しい録音です。だいぶ前にブルックナーの第7番のCDを取り上げたゲルト・シャラーとフィルハーモニア・フェスティヴァによるブルックナーのシリーズです。ドイツ、バイエルン州の “ Ebrach ” エーブラハで毎年行われている音楽祭のライヴ録音で、演奏会場がエイブラハにあって現在刑務所として使われているトラピストの大修道院の付属教会(教会は刑務所とは別に地元教区の教会になっている)というのもアピールポイントです。フィルハーモニア・フェスティヴァは、同音楽祭のためにミュンヘンPO、バイエルンRSO、バイエルン州立歌劇場管といったミュンヘンの主要オーケストラのメンバーにより構成されオケです。指揮のゲルト=シャラーは1965年、エーブラハに近いバンベルク生まれで、1993年にハノーファー州立歌劇場、1998年にはブラウンシュヴァイク州立歌劇場の首席指揮者、2003年から2006年までマグデブルク劇場の総音楽監督をつとめています。このシリーズは教会堂で録音しているのに過剰に残響が前面に出てなくて、かなり鮮明な録音(曲によってばらつきがあり、レコ芸の記事で紹介されたものもあった)です。

シャラー/2013年
①19分41②16分27③13分01④23分40 計72分59

ヤング・ハンブルクPO/2015年
①19分56②16分59③13分02④23分23 計73分20
フリーデル・LSO/2014年
①18分35②17分54③13分31④23分18 計73分18
パーヴォ・ヤルヴィ/2009年
①19分23②14分57③13分01④22分25 計69分46
ズヴェーデン・オランダRSO/2007年
①21分22②19分42③13分03④24分47 計78分55
ザンダー・PO/2008年
①18分58②16分00③12分36④21分01 計67分35
D.ラッセル・デイヴィス/2006年
①21分43②14分49③15分10④25分10 計76分52
ボッシュ・アーヘンSO/2005年
①19分34②16分02③13分11④22分19 計71分06 

 今回の第5番、昨日のフリーデルの綿密なセッション録音を聴いた後では普通に、というか聴き慣れたブルックナー演奏に聴こえます。といっても合計演奏時間が近いので、共通の呼吸のようなものが感じられて、重厚長大・壮大な第5番とは一線を画しています。それに金管が絶叫調にならないのも好感が持てます。第5番と言えば巨大な伽藍が組み上がって献堂式でも行われるような達成感と威圧的な空気も妙味と思っていましたが、この十数年でそのパターンがかげをひそめてきています。個人的には新旧どちらのタイプも第5番としては魅力的だと思い、よほど荒れ狂う表現でもない限り許容できると思っています。

  ゲルト・シャラーもリリース済のCDに関わる情報が大半なのであまり詳しいことは分りません。00番を除くブルックナーの交響曲の他はシューベルト、ベートーベンの交響曲、ゴルトマルクの歌劇等をフィルハーモニア・フェスティヴァと録音しています。来日したことがあるのか未確認ですが、こういうコンビは贅沢を言えば本拠地のエーブラハの音楽祭で聴いてみたいところです(無理だけど)。
27 6月

ブルックナー交響曲第5番 フリーデル、ロンドンSO・2014年

160627aブルックナー 交響曲 第5番 変ロ長調 WAB105 ( 1878年稿ノヴァーク版 )

ランス・フリーデル 指揮
ロンドン交響楽団

(2014年1月24,25日 ロンドン、ゴスペル・ウォーク,オール・ハロウズ教会 録音 Msr Classics)

160627b しばらくブログでブルックナーを扱っていないということは車の中とかでも聴いていなかったということで、気付かぬうちにブル欠乏症になっていました。このCDは最近出たものですが、アルプスかロッキーの山の写真というありふれたデザインで、ちょっと見たら思い出したように復刻した廉価盤に見えます。しかし2014年にセッション録音されたSACDなのでマルチ・チャンネルで再生可能です。それに内容がありきたりではなく、再生し始めてしばらくして繊細にして鮮明な音楽に感心しながら惹きつけられます。もっと音量を上げて聴けばよかったと思ったので録音レベルの関係もあると思いますが、弦に弓が擦れて音が出始めるところからコントロールしきったような完璧感と、それと裏腹にジャケットデザインの山の写真がだてではない、自然な呼吸とでも言える魅力が同時に感じられます。

フリーデル・LSO/2014年
①18分35②17分54③13分31④23分18 計73分18
ティントナー・ロンドンSO/1969年
①19分18②17分28③12分12④23分08 計72分04
ティントナー・スコットランド国立O/1996年
①20分17②16分23③14分17④25分55 計76分52 
ボッシュ・アーヘンSO/2005年
①19分34②16分02③13分11④22分19 計71分06
ザンダー・PO/2008年
①18分58②16分00③12分36④21分01 計67分35

 アメリカ出身のフリーデルの演奏をティントナーが賞賛したらしく(弟子とも書いてある)、ロンドン交響楽団が初めてブルックナー第5番を演奏した時の指揮者がティントナーだったのに続き、同楽団によるブルックナー第5番の初セッション録音をフリーデルが受け持ったわけです。 速目のテンポと言ってもこれより合計演奏時間が短い演奏は最近増えていて、ティントナー指揮のロンドンSO初演奏もこれよりは短いので、特別に刺激的というわけでもありません。でもCD広告に載っている「正に自らをブルックナーの深山幽谷に閉じ込めたかのようなストイックな姿勢」というのが妙に説得力があります。

 テンポについてはベンジャミン・ザンダーが自身が指揮した第5番のCDの解説の中で既存の演奏は遅すぎると指摘し、シューベルトの交響曲との関連で「歌謡性(的な)」を活かすというような意味のことにも言及していました。このCDでは第2楽章が特に印象的で、大抵の演奏では分厚い弦の響きに埋もれそうな感じになるところが、(深山幽谷と言いながら) 地面の隅々まで陽が差し込んで明るい、独特な第2楽章に感じられました(音量を上げるとそうでもないかもしれないけど)。

 ランス・フリーデルについてネット上に日本語で書かれた情報が少なくて、オペレッタ序曲のCDが出ていることと、1950年代生まれ(ボッシュやシモーネ・ヤングよりも年長)というのを見かけたくらいです。ブルックナーの交響曲でもいきなり第5番からセッション録音を始めるのは相当ブルックナーを演奏し慣れているからか、ティントナー繋がりというだけなのか。前者であれば後続の録音が期待できます。
26 6月

ワーグナー 「パルジファル」 カウフマン、ガッティ、メト・2013年

160625ワーグナー 楽劇「パルジファル」

ダニエレ・ガッティ 指揮
メトロポリタン歌劇場管弦楽団
メトロポリタン歌劇場合唱団

パルジファル:ヨナス・カウフマン(T)
グルネマンツ:ルネ・パーぺ(Bs)
アンフォルタス:ペーター・マッテイ(Br)
クンドリ:カタリーナ・ダライマン(Ms)
クリングゾル:エフゲニー・ニキーチン(Br)
ティトゥレル:ルーニ・ブラッタベルグ(Bs)
第1の聖杯騎士:マーク・ショーウォルター
第2の聖杯騎士:ライアン・スピード=グリーン
160625c第1の小姓:ジェニファー・フォルニ
第2の小姓:ロウレン・マクニース
第3の小姓:アンドリュー・ステンソン
第4の小姓:マリオ・チャン
アルト独唱:マリア・ズィフチャク
~ 花の乙女たち
キエラ・ダッフイ
レイ・シュウ
イレーネ・ロバーツ
ハエラン・ホン
カセリーネ・ホワイト
ヘーザー・ジョンソン

演出:フランソワ・ジラール
舞台装置:マイケル・レヴァイン
衣装:ティヴォ・ファン・クレーネンブロック
照明:デイヴィッド・フィン

(2013年2月 ニューヨーク,メトロポリタン歌劇場 ライヴ 収録 Sony Classical)

160625a ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場のパルジファル、新演出は、たしかドナルド・キーン(帰化によってキーン ドナルド、鬼怒鳴門)氏がエッセイの中でかなり批判的に言及したのを読んだことがありました。だからこのソフトが時々キャンペーン中だとかで値下がりしていても見送っていましたが、ガッティの指揮だったので気になりあえて購入しました。視聴の結果、第二幕のグロさにはちょっと悪印象だったものの第一、三幕は舞台のシンプルさのためにキーン氏が指摘する程、つまり目を閉じて演奏だけ聴く方がいいとか、そこまでのトンデモ演出じゃないと思い、それどころか観終わると心地よい余韻が残りました。キーン氏は演出、舞台の視覚効果が「説明し過ぎる」とイマジネーションを働かせる余地が無くなるから良くない、という趣旨の批判をしていました。これは新バイロイト様式の1960年代くらいまでの舞台写真を見るとそうかもしれないとうなずかされます。

160625b このパルジファル、前奏曲の最中にスーツ姿の聖杯騎士団や主要キャスト、クリンクゾルの花の乙女連隊が並んで現れて来て、騎士団はネクタイを外して上着を脱いでたたみ揃えたところで第一幕に突入します。そういえば「ジーザス・クライスト・スーパースター」の映画もそんな風に始まりました(ヒッピー風のあんちゃんらがキリスト時代の衣装に着替えた)。ここでは上着をとった結果、白いカッターシャツ姿になり、ハイスクールの制服とイメージが重なり、中二臭がプンプンしそうでした。グルネマンツが厳格かつ現実的な教頭先生に見え、そんな矮小化しかねないイメージなのに舞台空間が広大なのと、がらんとした荒涼感のために妙に清新な印象を受けます。基本的に第一、三幕は世界のどの文明圏か判別が付きにくい、荒廃した野原のような光景が基本になり、中央にアンフォルタスの傷を象徴するような亀裂が映し出されます(三幕ではもはや赤い傷ではなくなる)。

160625d

 第二幕は床の全面に赤い液体が流してあり、寝台の上でクンドリに誘われたパルジファルが見る流血と共にこの幕全体(或いは作品の主題)の象徴のように扱われています。それと花の乙女らがワンレンの長髪で統一されているので貞子のクローン連隊のように見え、グロテスクさが増します。第二幕は特に暗めの照明だったのであまりどぎつく見えず、舞台上の動きも少ない(これは全作品を通じてそうだった)ので、二幕だけが浮き上がるようなことはなかったと思います。男声のキャストは誰もかなり感銘深く、クンドリのカタリーナ・ダライマンも終演後の拍手からも分るように熱演でした。それを前提にしつつも、クンドリは存在感があり過ぎ、声量も歌唱も圧倒的でクリンクゾルと対等くらいにみえました。第三幕の終わりでクンドリは聖杯を開帳して息を引き取るという原作に忠実な演出ながら、そこまでの熱演からはとうてい死ぬとは思えず、やや唐突な印象がありました。

 パルジファルのヨナス・カウフマンについては、キーン氏が評判程の圧倒的な声量ではないという辛口な批評だったので、個人的にカウフマンは(ローエングリンを聴いて以来)好きなので意外でした。このパルジファルでは登場した時から大人びた外見なので、何も知らないというパルジファルの設定とかけ離れて見えましたが、それは大抵の歌手でも少しはそんな風に見えるので仕方ないところだと思いました(クラウス・フロリアン・フォークトは一番浮世離れして見えるか
)。演出についてワーグナー晩年の関心事でもあった仏教の要素を取り入れたという解説を見かけたので、それに該当するところに注目していたら、聖杯騎士の手の所作、祈りの姿勢にそう言われれば仏像の手の型に似ていたり、キリスト教会のそれとはちょっと違うかな、くらいでした。ただ、第三幕で元・花の乙女と思われる女性が少し離れて並び、騎士団がアンフォルタスを抱えて来る姿が十字架降下図に似ているのに何故か汎神論的、非キリスト教的に見えました。

160625e 具体的にどういう団体、救済を描いているのか判然としないのに、何故か希望が増し加わる明るい結末のように感じられるのは音楽、演奏の効果かもしれません。終始ゆったりとしたテンポで通して、全曲で4時間半くらいになります。 それでもあまり重厚なという印象ではなく、終始明晰な響きで通しています。それだけに、第二幕でパルジファルがアンフォルタスの名を叫び、その苦悩に共感して理解するところなんかはちょっと軽くて、苦悩の程が伝わらないような印象です。でも第二幕は赤い液体のドロドロした感触が画面から迫ってくるのでこれくらいでちょうど良いのかもしれません。ガッティはバイロイト音楽祭でもパルジファルを振っていたので、その音源があれば聴いてみたいところです(年末のFM放送を録音したものの中にたしか無かったはず、今頃になって残念)。
25 6月

ドビュッシー 牧神の午後への前奏曲 マルティノン

160626ドビュッシー  牧神の午後への前奏曲

ジャン・マルティノン 指揮
フランス国立放送管弦楽団

(1973年2,3,6,9月、1974年1,4月 パリ,サル・ワグラム 録音 EMI)

 ここ二日、朝方に激しい雨音で目がさめました。特に今朝は4時過ぎにサイレンを鳴らしながら走る車が何台か通っているのがきこえました。四年まえの8月の豪雨の時も夜明け前からサイレンが聞こえていたので、まさか表に出たら道も冠水しているんじゃないかと一瞬心配になりました。朝刊が来る頃に外へ出ると、幸いそんなことはなくて雨もあがっていました。もともと床下浸水とか滅多にある地域じゃなかったから当然ですが、ここ数年の降り方は異様です。

 昭和40、50年代のLPレコード時代にドビュッシーの管弦楽作品ならジャン・マルティノン、ラベルだったらクリュイタンスというのが代表的なレコードでした。海外赴任や留学経験があってそちらでコンサートに何度も通ったという層なら違った情報をお持ちだったかもしれませんが、その当時未成年の大衆層ならそういうものか、くらいで納得していたはずです。でもその一方で逆だったら(マルティノンのラベルは??)、くらいの疑問はあったと思います。それにフランス、フランス語圏のオケや指揮者なら他にもあったので、今にして思えば疑問が大きくなります(今さらだから、詮索してもどうかと思うが)。

 マルティノンのドビュッシーからあらためて「牧神の午後への前奏曲」を聴いてみると、廉価盤のためか1970年代の割にどこかしら音がこもったような、ぼやけ気味な印象です。元々そういう作品かと思いながら、特に管楽器の方にそういう印象が強くて、全体的に微妙です。こういう短い作品なのに演奏時間に差が出るもので、昔から個人的に好きだったパレーとデトロイトSOとは2分以上差がありました。最近気になるアンゲルブレシュトの1953年録音よりもさらに長くなっていて、この傾向はドビュッシーだけでなくマルティンの録音にある程度共通する傾向のようです。ドビュッシー作品については、アンゲルブレシュトが語る演奏法と通じるところがあるようで(よく分らないが)、マルティノンのドビュッシーも昔から有名なだけのことはあるのでしょう。

マルティノン/1973,1974年
:10分29
アンゲルブレシュト/1953年
:09分47 
アンゲルブレシュト/1962年
:09分36
アンセルメ・スイスR/1951年
:09分17
アンセルメ・スイスR/1957年
:08分57
ミュンシュ・ボストンSO/1956年
:08分55
ミュンシュ・ボストンSO/1962年
:09分00 
パレー・デトロイトSO/1955年
:08分21

 ジャン・マルティノン(Jean Martinon 1910年1月10日 - 1976年3月1日)はフランスのリヨン生まれで(ウィキのプロフィールによるとアルザス人の血を引くとある)、ダンディやルーセルに作曲を師事しています。ヴァイオリニストとしてキャリアを始め、指揮者に転身して1951年から1957年までコンセール・ラムルー管弦楽団の首席を務めていました。その後、1963年からシカゴ交響楽団の音楽監督に就いたものの色々混乱に巻き込まれて1968年には退任しました(5シーズン)。これがシカゴではなく、ボストンにミュンシュの後任におさまっていたら円満に長続きしたかもと想像していたら、ミュンシュに指揮を師事していました。
24 6月

ベートベンの田園交響曲 クリュイタンス、ベルリンPO・1960年

160624ベートーベン 交響曲 第6番 ヘ長調 作品68 「田園」

アンドレ・クリュイタンス 指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(1960年3月 ベルリン,グリューネヴァルト教会 録音 EMI)

 今日はネットのポータルサイトのニュース速報でも朝から「 EU・国民投票 in イギリス」が 賑わっていました。結果は報道の通りで僅差とは言え黒白ははっきり付いてしまうのが国民投票のこわいところです。世界への影響はひとまず置くとして、真正面から選択を問うというのは清々しささえ感じます(自分の住んでる国じゃないないから気楽なことが言える)。ただ、沢山報道されている情報の中で、英国民のEUに対する不満として「直接に選挙で選んでもいない『EUの閣僚』が決める政策に自国が大きく影響される、規制されること」というのが挙がっていたことは、これから選挙を控えて半ば倦んだ気分だった自分には改めて厳粛な気持ちにさせられました。ともかく今はサミットで言ったとか言わなかったという「リーマン級」の不況にならないことを祈念します。

 アンドレ・クリュイタンスがベルリン・フィルを指揮して1957年12月から1960年3月にかけてベルリンで録音したベートーベンの交響曲全集は最近でもSACDのハイブリット化されたりして存在感を保っているようです。第6番「田園」は最後の方で第7番と同時期に録音され、ちょうどフルートの首席、ニコレ(Aurèle Nicolet 1926年1月22日 - 2016年1月29日)が退団した直後の頃になり、オーケストラ自体が節目だったようです(これからカラヤンの色に染めがっていく)。

クリュイタンス・BPO/1960年
①10分18②13分44③5分13④4分08⑤10分09 計43分32
レイホヴィッツ・ロイヤルPO/1961年
①11分33②12分40③5分06④3分32⑤09分30 計42分21
クレンペラー・BPO/1964年
①13分08②13分27③6分41④3分35⑤09分47 計46分38 
クレンペラー・PO/1957年EMI
①13分04②13分22③6分33④3分43⑤09分12 計45分54
シューリヒト・パリ音楽院管/1957年
①09分22②12分31③4分58④3分35⑤08分37 計39分03
クーベリック・パリO/1973年
①10分57②14分20③5分51④4分00⑤10分13 計45分21

 そういう解説を読んでも低音はずんずんと底響きがするようで、そんなに音が変わって行くのか?と思います。管楽器の方が気のせいか明るくて、柔らくて、その点は後年のベルリン・フィルと違うかな、くらいの印象です。 第4楽章あたりを聴いていると、この田園交響曲はあまり標題や各楽章にそえられた文章にとらわれず、絶対音楽を極める方向のようです。ただ、合計の演奏時間以上に滑るような流れるように優雅で、同じベルリンPOを指揮してもクレンペラーの岩が転がるような感触とはだいぶ違います。

 クリュイタンス・ベルリンPOのベートーベンはどうも第3、5、7番あたりが好評だったようですが、何となくそれもうなずける印象です。ただ、今さらながら同時期にクリュイタンスがパリ音楽院Oを、シューリヒトがベルリンPOを指揮した方も聴いてみたかったと思います。 プロテスタント教会の場合、教派的にそれ程対立していない団体が近隣にあれば「講壇交換」と称してそれぞれの主任牧師が相手の教会の礼拝で説教することがあるそうです。パリとベルリンのオーケストラは互いにどう見ていたのか、ともかく指揮台交換のような企画が成立したわけです。
23 6月

ショスタコーヴィチ交響曲第2番 ネーメ・ヤルヴィ、エーデボリSO

160623ショスタコーヴィチ 交響曲 第2番 ロ長調 作品14「十月革命に奉げる」

ネーメ・ヤルヴィ  指揮
エーデボリ交響楽団
エーデボリ交響合唱団(パル・フリドベリ合唱指揮)

(2000年8月 エーデボリ,コンサートホール 録音 DG) 

 今年の秋には大阪でショスタコーヴィチの交響曲第11番と第12番を一回の公演で演奏するプログラムが入っている他、たしか京響の8月定期はショウタコーヴィチの交響曲第4番を演奏する予定です。去年の12月にそれらの予定を知ってから夢の中でリハーサル中の井上・ミッキーが踊るように指揮している姿が出てきました。ぼろい体育館でオケの団員が入って、ステージ上でうねるようにミッキーが延々と踊り、最後尾で夢の中の自分が「まだ続くんでっか?」と団員に問うているところで夢が終わっていました。音楽や文化に関係のある職業じゃないのに何故そんな夢を?と思いながら、その場面の音楽は第12番の第3楽章後半のところでした。ミッキー氏が健やでこっちの予定が合えば聴きに行けるので、その箇所の指揮姿を確認できます。

 今回は同じく十月革命絡みの交響曲第2番の方で、ヤルヴィの全集の中でこれを残していたのを思い出しました。 二つのオーケストラ、レーベルにわたって完成した全集の最後がこの曲でしたが、冷え冷えとした響きとどこか優雅な?コーラスが独特の魅力になっています。あまり尖った前衛的な音楽という印象にならず、観光に来てパレードでも観ているのに似た感じです(悪い意味ではなくて)。1990年代に唯一海外旅行をした際、ロンドンにも寄りテームズ川に巡洋艦が係留してあるのを見ました。軽巡なのに10,000トンを超えるベルファストという巡洋艦だそうで、こんな軍艦が淀川を遡上してきたら怖いとチラっと思いました。

 ショスタコーヴィチの交響曲は第4番が初演前にお蔵入りになり、路線変更させられたので第4番が初演されたのは1961年12月になりました。もし権力によるチャチャが入らずに自由に作曲できたら、交響曲第2~4番の路線がさらに続いたはずです。しかし、このCDで聴く第2番は同じ作品なのにどこかした穏やかに聴こえるので、第4番を初演できていてもそこら辺りが前衛路線のピークになったかもしれないとも思えます。交響曲第11、12番を連続演奏できるなら、それより演奏時間が短いのだから第2、3番もいけそうなので、連続でなくてもいつか聴ける機会を期待します。

 第2~4番あたりは古くても旧ソ連時代のコンドラシンとか、暴力的とも言える(演奏よりも実は録音の音質から来る印象も大きいはず)タイプのものに関心がいきます。ムラヴィンスキーがこれらの作品の録音を残さなかったのはちょっと残念です。
22 6月

フランク交響詩「プシシェ」 クリュイタンス、パリ音楽院O

160622aフランク 交響詩「プシシェ(プシュケ)」

アンドレ・クリュイタンス 指揮
パリ音楽院管弦楽団

(1954年3月10,13,22日,1955年4月 録音 EMI)

 このCDは 「クリュイタンスの遺産 Vol.1(1994年8月発売)」にフォーレのレクイエムとカップリングされた録音です。フランスのパテ・マルコニ社が保有していたマスター・テープが不良のため抹消されたのでオリジナル・ディスクから復刻されたと注記されています(フランクの交響詩のみ)。既に色々なLPがいわゆる盤起こしでCDが出ているくらいなので、マスター・テープの劣化はとっくに問題になっているのでしょう。しかし、抹消というのは驚きです。

①プシシェの眠り
②西風に運ばれたプシシェ
③エロスの花園
④プシシェとエロス 


 交響詩「プシシェ」は1888年に作曲されて1890年2月にパリで初演されてので、弦楽四重奏曲や交響曲ニ短調と同じころの作品です。ギリシャ神話に出てくる愛の神「エロス」と絶世の美女「プシシェ」の話を題材にした作品なので交響曲ニ短調のような深刻さは前面に出ずに、ドビュッシーを品行方正にしたような明朗な作風です。原曲は七曲で構成されて合唱も加わりますが、オーケストラだけで演奏する上記の四曲で演奏されるのが通常らしく、プシシェ組曲という題名が付いていることもあります。

 オーケストラだけの四曲だけでもここ20年くらいCDで見た覚えはありませんが、クリュイタンスはこの曲のライヴ音源もあるのでしばしば取り上げていたようです。1950年代と言えばイタリア・オペラの全曲盤が出始めて、再開されたバイロイトのライヴ音源(レコードが出るのはもっと後年)やら各ジャンルで充実してくる頃でした。フランスものの録音も最近この年代のものが独特の面白さがあるようで、今頃になって惹かれています。CDの日本語解説には「クリュイタンスは常にほほえんでいる」というベルナール・ガヴォティ(オルガン奏者、音楽評論家)の言葉が引用されています。このCDのレクイエムとプシシェの二曲ともその言葉がぴったり来ると実感できます。

 選挙が近づくと前回の衆議院選挙当日、夜のTV特番を観ていた時を思い出します。池上番組の中で党首に順番に質問していて自民党の総裁に対しては、「安全保障関連法案(歴代の内閣で認めてこなかったアレをなにする法案)?か特定秘密法案?」のことは選挙期間中全く触れないことを質問したので驚きました。これが池上無双かと思ったら、中継先で総裁はマジ切れしかかっていたのでまるでヤラセかと思うくらいの映像でした。結果は選挙後に法案可決で現在に至っているので、今度の選挙も同じようなことになるのかどうか。それにしても、かつて機密費とか埋蔵金というのがさかんに取沙汰されたのに、今ではすっかり旬が過ぎたかのようで全然報道されません。一連の東京都の金の問題も、似たような金蔵があるかもしれないのに、追求の矛先がセコさだけに終始しています。振り返ると何をスキャンダルのネタするかをかげで仕切ってコントロールしている首領でもいるのかと思うくらいです。
21 6月

ドビュッシー 交響詩 「海」  アンゲルブレシュト、フランス国立RO

160621ドビュッシー 交響詩 「海」 三つの交響的素描
La Mer, trois esquisses symphoniques pour orchestre 
De l'aube a midi sur la mer
 (海の夜明けから真昼まで)
Jeux de vagues
 (波の戯れ)
Dialogue du vent et de la mer
 (風と海の対話)

デジレ=エミール・アンゲルブレシュト 指揮
フランス国立放送管弦楽団

(1954年1月11日 パリ,アポロ劇場 TESTAMENT)

160621a 内陸、盆地にずっと住んでいると水平線だとか港には縁遠くて、それらも含めて港町、海ときくと過度に素晴らしいだろうなと想像してしまいます。左の写真はマルセイユの旧港の眺めで、このアングルは結構お馴染みらしくて色んなところで出てきます。これは月刊「聖母の騎士」の6月(2016年)号掲載に記事の一部です。思いっきり異国情緒が発散されて、いつか一度は旅行したくなってきます。ドビュッシーの交響詩「海」の楽譜表紙には日本の浮世絵(神奈川沖浪裏)が刷られているのは有名ですが、この写真を見るとちょうど異国への憧れはどっちの国に居ても同じかと思います。

 ドビュッシーがこの曲を完成させたのはマルセイユとは反対の方角、ドーヴァー海峡の対岸、イースト・ボーンにおいてでした。ちょうどドビュッシーは妻を捨てて既婚(ひとづま)のエマ・バルダックと駆け落ちするスキャンダルで騒がれた頃でした。1903年から1905年にかけて作曲され、1905年10月15日にコンセール・ラムルー管弦楽団によって初演されました。「牧神の午後への前奏曲」や「ペレアスとメリザンド」とは作風が変わったことや、スキャンダルの騒ぎがまだ残っている反感か嫌悪感もあって、初演の反応は芳しくなかったということです。

 この作品も多数の録音が出ていますがマルティノンとフランス国立放送管弦楽団の録音は定盤的な認知度でした(今はどうなっているか分らない)。「牧神」同様にこの作品も自分の好きな曲で、過去記事で扱ったCDをはじめ、どれもそこそこ楽しめるくらいの感覚でした。 それで最近気になってきたアンゲルブレシュトの古い録音を聴いてみました。初めてこの録音を聴いた時は、さすがに古すぎる、こういう曲はせめて1970年代のステレオ録音以降じゃなければ、と思いました。

 しかし改めて聴いてみると、年齢のせいか1950年代くらいの古いレコード、その復刻CDの音が無性に良く(何がどう良いのか、何故良いのかは定かではない)思えて、神経が休まる気がします。フランス国立放送管弦楽団(Orchestre national de la radiodiffusion Française)が設立されたのは1934年のことで、その初代首席がデジレ=エミール・アンゲルブレシュトでした。 この録音は設立から20年が経過する頃にあたり、アンゲルブレシュトが再び首席指揮者に就いていました。古い録音の影響か、ドビュッシー作品演奏の王道を行くとされた彼の指揮のためかオーケストラの音もすごく魅力的です。
20 6月

フランクの弦楽四重奏曲 ゲヴァントハウス四重奏団・1983年

160620フランク 弦楽四重奏曲 ニ長調

ゲヴァントハウス四重奏団
カール・ズスケ:第1ヴァイオリン
ギョルギォ・クレーナー:第2ヴァイオリン
ディトマー・ハルマン:ヴィオラ
ユルヤコブ・ティム:チェロ
 
(1983年2月21-24日 ドレスデン,ルカ教会 録音 キング/ Deutsche Schallplatten)

 今月に入ってサッカーのヨーロッパ選手権・EURO2016が開催中です。日本代表は元々無関係な気楽さもあって前三回大会くらいから注目していました。今大会はスペインの三連覇か、監督が鼻ク・をほじりながら虎視眈眈と狙ってるドイツ、自国開催のフランスあたりが優勝候補かと想像しながら、目下は翌朝のニュースで勝敗を確認するだけにとどめています。2004年大会の時は行きつけの喫茶店で優勝国当てを募って、正解者にコーヒー券を付与という企画があり、結局ベスト4くらいまでしか当たらずに終わりました(たしか、ギリシャが優勝した)。

 セザール・フランクの弦楽四重奏曲はどんな曲だったか、CDのパッケージを眺めていても全然思い出せません。確実に何度かは聴いているのに冒頭からして記憶にありません。この曲は1889年から1990年1月にかけて作曲され、同年4月19日に国民音楽協会の演奏会でメッス四重奏団によって初演されました。フランク自身がその協会の会長であり、初演は大成功、喝采を受けました。フランクの作品がようやく全面的に好評を博した機会で、交響曲ニ短調よりもはるかに好評だったのは今からすれば意外です。ちなみにフランクはこの年の11月8日に亡くなっているので最晩年の作品ということになります。この後、1893年に初演されたドビュッシーの弦楽四重奏曲が賛否両論的な反応だったのは、絶賛されたこのフランクの四重奏曲とかなり違うので何となく納得させられます。

弦楽四重奏曲 ニ長調
第1楽章:Poco lento - Allegro
第2楽章:Scherzo: Vivace
第3楽章:Larghetto
第4楽章:Finale - Allegro molto

 全曲の演奏時間が交響曲ニ短調を上回るくらいの大作で、 ベートーベンの弦楽四重奏曲を研究したりオルガニストとしてバッハの作品に接してきただけあって、聴いていると独墺系の作品かと思う程の作風です。この作品は例えば「名曲名盤500」の類にリストアップされる作品だったかどうか、最近店頭で探しても見当たりません。フランスの団体も当然録音しているはずですが、目下このゲンヴァントハウス四重奏団の廉価盤しか手元にありません。

 ゲヴァントハウス四重奏団の第1ヴァイオリンをつとめたこともあるカール・ズスケ、彼の名を冠したズスケ四重奏団というのもあるので紛らわしく、同一の団体かと誤解したこともありました。ここで整理しておくと、ゲヴァントハウス弦楽四重奏団は「世界最古の弦楽四重奏団」と呼ばれることもあり、ヴァイオリニストのアウグト・マッティとライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団員3人によって1809年に活動を始めたところまで歴史をさかのぼれます。それ以降ゲヴァントハウス管弦楽団の首席奏者らによって引き継がれています。一方、ズスケ四重奏団はゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートマスターだったカール・ズスケが1965年に結成したカルテットで、後にベルリン四重奏団と名称を変更しています。
19 6月

ベルリオーズ 幻想交響曲 マルケヴィチ、ラムルーO・1961年

160619bベルリオーズ 幻想交響曲

イーゴリ・マルケヴィチ 指揮
ラムルー管弦楽団

(1961年1月 パリ録音 DG)

 六月もそろそろ2/3が過ぎようとしています。来月にまた選挙かと思うとちょっとうんざりする気分ですが、将軍様の国や民主集中制国家のことを思えば贅沢な不満だと言い聞かせています。プロ野球は交流戦がほぼ終わり、タイガースは段々と5割ラインが遠くなってきました。起用選手の顔ぶれ、細かい個々の場面では「超」変革を実感しつつも勝敗は・・・。そういえばキャンプ到着時に実弾所持が発覚したマリーンズのナバーロ選手、交流戦でホームランを連発して調子が出てきて楽しみです(昨年韓国リーグで48HRだったらしい)。

 ベルリオーズの幻想交響曲は昨夜のフランクの交響曲の約60年前に初演されていました。フランスの作曲家の年代感覚、時系列があいまいになりがちですが、この二曲にそんなに隔たりあったわけです。このCDはイーゴリ・マルケヴィチの二度目に録音した幻想交響曲にあたり、最近はあまりCD新譜が見られないパリのラムルー管弦楽団とのものです。このオケやコンセール・コロンヌ、コンセール・パドルーはパリを本拠にする民営の団体で、色々な作曲家の初演に名前が見られます。「のだめカンタービレ・巴里編」に千秋が常任になったルー・マルレや、デシャン、ルセールというオケはラムラーらをモデルにしているのだろうと思ってみていました。本当にそうなら運営は結構きびしそうです(特にルー・マルレ)。

マルケヴィチ・ラムルーO/1961年
①14分15②6分08③15分58④4分48⑤11分03 計52分12   
パレー・デトロイトSO/1959年
①11分33②5分33③14分36④4分28⑤09分03 計45分13
マルティノン・フランス国立放送管/1973年
①15分08②6分42③17分22④4分53⑤09分57 計54分12
クレンペラー・PO/1963年
①16分11②6分36③18分04④5分00⑤10分41 計59分12 

160619a マルケヴィチの幻想交響曲はどこかで爆演だと紹介されていた覚えがあって(買った時はネタ元を覚えていたが今では詳しいことは忘れている) 、1995年にCD化されていたので定評があったのだろうと思っていました。実際に聴くと驚くほど刺激的という印象は無くて、その後多数出てきたレコード、CDに存在がかすみそうです。ただ、第5楽章は念入りな盛り上げだと思いました。あと、音質はやや金属音的でいまひとつで、これはオケの力量も関係しているのかどうか。1961年ならまだパリ音楽院管弦楽団が存在していたので、同じパリのオケなので掛け持ちする団員もあったのかもしれません(コロンヌとは掛け持ち可でもラムラーはダメとかそんな縄張りはあったかどうか?)。このCDもブログ初期から何度かネタにしようとしてずっと持越していたもので、何とも言い難い、フランスのオケが演奏していることを伏せて聴かされたら言い当てられないような、微妙なものでした。この受け止め方はたまたまパレー、クレンペラーという合計演奏時間が14分も違う録音を愛聴していたのが原因でしょう。

 ところでフランスの政治について「第~共和政」という呼称を時々見かけます。これは憲法が改正される度に第三、第四、と名前も変わり、現在は1958年以来の第五共和政が続いています。このCDの録音の頃は第五共和政の初代大統領のシャルル・ド=ゴール、初代首相ミシェル・ドブレでした(自分の生まれる前のことなので調べると)。ちょうどド・ゴール大統領の頃か、その直前くらいまではフランス車とか工業製品もかなり個性的で華があったと嘆いていた文章を読んだことがあり、真偽は確かめようがないとしても、この録音は既に現代側の方にシフトしているように思えます(先日の1950年代にアンゲルブレシュトが録音したドビュッシー作品から見ると)。
18 6月

フランクの交響曲 マルティノン、フランス国立RSO・1968年

160618フランク 交響曲 ニ短調

ジャン・マルティノン 指揮
フランス国立放送管弦楽団

(1968年12月21-23日 パリ,ラジオ・フランス・スタジオ 録音 Warner/ERATO)

 昨日の朝、職場事務所に着いてPCを起動させてコーヒーを飲みながら印字していると、どこか分らない至近距離の場所からピーという電子音が反復してきこえてきました。途切れておさまったかと思ったらまた聞こえ、屋外かまさかパソコンの筐体の中?、そうだとしたら大変なことになると焦っていました(今頃のシーズンにミラーリングにしているHDが二基とも逝った嫌な思い出がある)。やがでISDNの端末の横に置きっぱなしになった古い(元々安物)デジタルカメラが音の出どころだと分りました。何が起こっているか分らないけれどカメラに入っていた電池を取り出すと音は消えました。昨日までは全くそんな音は出てなかったので不思議でしたが、放置していたら発火したりさらに大きな音になったりしたのか、とにかく無事で何よりでした。 

マルティノン・フランス国立/1968年
①18分10②11分57③10分56 計41分03
クレンペラー・ニューPO/1966年
①17分49②10分28③10分59 計39分16
パレー・デトロイトSO/1959年
①16分07②08分52③09分19 計34分18

 セザール・フランクが作曲して現存する唯一(他にト長調の交響曲があるらしい)の交響曲、交響曲ニ短調は1888年に完成して翌年の2月17日にパリ音楽院で初演されました。ブルックナーの交響曲第8番と同じくらいの作品ということになります。それはともかくとしても、独墺系の交響曲を偏愛?するヲタにも受けがよくて、クレンペラー以外にもカラヤン、バレンボイムらもこの曲を録音していました。自分自身もクレンペラーのLPで初めて聴いて以来かなり気に入っており、CDの時代になっても復刻されたパレー、デトロイトSOを聴きましたが意外に新しい録音が見つかりませんでした。というような内容をかつても書いて、このCDを取り上げた覚えがあったのにさかのぼっても出て来ませんでした(今回こそは確実に取り上げていたと思ったのに)。パレーとはリピート有無の差が絡んでいるのかどうか分りませんが、クレンペラーとは第2楽章で1分半程長いのがきいていました。

 マルティノンのフランクは明晰で全然重厚じゃなく、速目の演奏という印象がありましたが上記のトラックタイムのように3楽章合計でパレーとは6分近い差がありました。レッグと縁が切れて自主運営のニュー・フィルハーモニア管弦楽団の会長になった頃のクレンペラーは、いよいよ遅い演奏が目立って来る頃なのに、マルティノンの録音はそれを上回っています。

 今月に入ってドビュッシー作品を何度か聴いて、その中でマルティノンの録音も聴きました。「牧神の午後への前奏曲」とかイベールの「寄港地」も意外にゆったりとした演奏、というか極端にそうだと気付かないのにトラックタイムを見ると他の録音とけっこう差が出ていました。イベールの復刻CDにはマルティノンもまた作曲家(パレーもクレンペラーも)だったことに多くを割かれていて、何となく自分のおぼろげなマルティノンの記憶とは違う、創造的で偉大な人物だったのかもと思いはじめています(分らないけど)。
17 6月

ドビュッシー 「聖セバスティアンの殉教」 ガッティ、フランス国立O

160617ドビュッシー 神秘劇 「聖セバスティアンの殉教(Le martyre de St.Sebastien)」

ダニエーレ・ガッティ 指揮
フランス国立管弦楽団
ラジオ・フランス合唱団(合唱指揮:マティアス・ブラウアー)

イザベル・ユペール(語り、聖セバスティアン)
処女エリゴーヌ、Vox Sola、天の声:ソフィー・マラン=デュゴール(S)
双子の兄弟マルク、Vox Sola:ケイト・アルドリッヒ(Ms)
双子の兄弟マルケリアヌス:クリスティーヌ・クノッレン(Ms)

(2009年4月9日 パリ,シャンゼリゼ劇場 ライヴ録音 Radio France)

 クロワッサンというパンは今では製造直販しているパン屋だけでなく、食パンやロールパン等と同じように売られているので入手し易くなっています。ある時洋菓子店でクロワッサンが並んでいるのでちょっと気になって、一度買ってみようと思っていました。それがたまたま店頭に残っているタイミングで立ち寄ったので二個(せこい)買って帰りました。翌日は早目に家を出るので一個くらいなら食べられるかと思いながらすっかり忘れて、家を出る時に手提げ袋にクロワッサンの包が入ったままだったのに気が付きました。それで置いて出て、夜になって戻ると普段パンはあまり食べない、一定の菓子パンしか口にしないという保守的な家族が晩飯の時に食べた、特別なクロワッサンなのがすぐに分ったと聞き、ただものじゃなかったと再認識しました。中に具が入ったものじゃなく、単なるクロワッサンなのにそこまで美味いと思わせるのかちょっと感心しました(この時点で自分はまだ口にしていない)。そもそもクロワッサンとは何もの?、主食のパンなのか菓子の類なのかと思ってググったら前者でした。ホテルの朝食に出て来るだけあって主に朝に食べる習慣のようでした。

 ドビュッシーの「聖セバスティアンの殉教」は管弦楽組曲の方で録音されることの方が多いようですが、時々声楽とナレーション付の版で録音しているものもあります。 その版でも全部が同じバージョンというわけではなく、今回のダニエレ・ガッティとフランス国立管弦楽団の新しい録音は、先日のアンゲルブレシュトによる演奏会版とは曲順、構成が違っています。後者がいきなり高らかなファンファーレで始まるのに対して今回のガッティの方は対照的に静かに、神秘的に始まっています。ファンファーレの方は中盤以降で登場します。ラストの方で現れる「アレルヤ」の連呼は共通しているものの、どうま収まりが悪いような妙な印象の内に全曲を閉じています。これはライヴ録音なので終演後の拍手も入っています。どうも熱狂的とまではいかない、普通の拍手といった感じです。

 「聖セバスティアンの殉教」は原典で完全版を演奏すると5時間くらいかかるということですが、メシアンが若い頃に聴いて感銘を受け、「アッシジの聖フランシスコ」に影響を及ぼしたようなことを言っています。ただ、短縮版を聴いているとどうも作品の内容、志向が違っているような気がします。フランシスコの方は作曲者が言うように、聖性とか信仰の方を向いていると実感しますが、セバスティアンの方は感覚的な神秘、耽美的な方向を向いているような印象です。そもそもLPのジャケットにも使われる聖セバスティアン、セバスティアヌスの姿は大抵きれいな青年がもろ肌脱いで縛られ、矢を身に受けています。かつての大関、朝潮や琴風のような顔で描かれているのは見たことはありません。

 その点でこの録音はナレーションを男声ではなく有名な女優を起用しているのが魅力のひとつです。そもそも初演時(バレエ、演劇を加えた神秘劇)にイダ・ルビンシュタインというユダヤ系女性ダンサーが聖セバスティアヌス役だったことからも作品のねらいがうかがえます(人種云々でなく、女性のダンサー)。そういう趣向が騒ぎを起こし、パリ司教の怒りをかったということなので時代の隔たりを感じます(フランス式の民法が出来ると忠孝がダメになると騒いだ日本を笑えない??)。ともあれ「神秘的」、「耽美的」という点ではこの新しい録音はいま一歩とも思えました。
16 6月

ドビュッシー 牧神の午後への前奏曲 ガッティ、フランス国立O

160616ドビュッシー  牧神の午後への前奏曲(Prélude à "L'après-midi d'un faune”

ダニエレ・ガッティ 指揮
フランス国立管弦楽団(Orchestre national de France) 

(2011年7月11-20日 パリ,バスティーユ・オペラ 録音 SONY)

 日本のプロ野球、ジャイアンツやマーリンズ、バファローズでプレーしたイ・スンヨプが日本と韓国の通算で何かの記録を達成した時(何だったか覚えていない、それだけ日本では全く騒がれなかった)に日本の球界がほとんど無視したとして、韓国側のメディアではちょっとうるさいことになっていました。ホームラン記録か安打数か、本当に覚えていないのにはつくづく申し訳ない気がします。なぜ今頃そんなことをというと、当然イチローの安打数に関して日米通算していいのか、メジャー単独でカウントするのかというのが話題になり、日米両国で温度差があるからです。別にイ選手のフアンでもアンチでも何でもないけれど、あれだけ日韓のプロ野球を別々に扱ったのだから日米でも両者を峻別するかと言えばそうでもないのが面白いところです(でも正直言えばイ・スンヨプの時はプロ野球の歴史も選手層も違うのだから同一視はできないだろうという思いはありました)。身贔屓、手前味噌、ウリナラ・マンセー等、何と言うか人間の感情の機微の現れかたの一つです。

~フランス国立管弦楽団(旧・放送管弦楽団)の
 「牧神の午後への前奏曲」
ガッティ/2011年
:09分21
マルティノン/1973,1974年
:10分29
アンゲルブレシュト/1953年
:09分47 

 今月に入ってこのブログで度々登場するドビュッシー作品ですが、「牧神の午後への前奏曲」もフランス国立放送管弦楽団が名称を変更した後も代々録音し続けています。他にも、1980年代や90年代の録音もあるはずだと思いますが、今回のCDは2011年に録音されたダニエレ・ガッティ指揮のものです。ガッティは今季で同オケの首席を退いて来シーズンからはアムステルダムのロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席に就く予定です。デジレ=エミール・アンゲルブレシュト指揮のモノラル録音からは約60年、マルティノンからは約40年も経っているわけです。しかもガッティはフランス人ではなくてミラノ生まれのイタリア人でした。もっとも、前任者はクルト・マズアだったので現代においては別に驚く人事ではありません。

 このCDは交響詩「海(La Mer)」、「牧神の午後への前奏曲」、「管弦楽のための映像(Images pour orchestre) 」の三曲が一枚に入っており、個人的にかなり気に入っています。ただ、これが徹底的にドビュッシー演奏の本流的なものかとかはよく分らず、そもそもどういうスタイルがそれに該当するのかも分かりません。というのは、先日聴いたアンゲルブレシュト指揮「ペレアスとメリザンド」の解説に、彼が語ったドビュッシー演奏についての方針のようなものが紹介されていたのでにわかに気になりました。

 例えば 、「ドビュッシー音楽を演奏するにあたってっとも多い間違いは、サン・サーンスやベートーベンを演奏する時のように楽器を登場させてしまうことだ」としています。さらに「ドビュッシーにおいては徐々に取り入れるようにしなければならないのに、この間違いによって多くの指揮者が。王太子ゴローが迷い込んだ神秘の森のはずれに取り残されてしまうのだ」と続けて結んでいます。実際にそうしたことを実感できるかどうか、今のところは分りません。
13 6月

ドビュッシー 神秘劇「聖セバスティアンの殉教」 アンゲルブレシュト

160614aドビュッシー 神秘劇 「聖セバスティアンの殉教(Le martyre de St.Sebastien)」
~アンゲルブレシュトによる演奏会版

デジレ=エミール・アンゲルブレシュト 指揮
フランス国立放送管弦楽団
フランス放送合唱団

聖セバスティア:アンドレ・ファルコン (ナレーター)
処女エリゴーヌ、Vox Sola、天の声:クロディーヌ・コラール(S)
双子の兄弟マルク、Vox Sola:ジャニーヌ・コラール (Ms)
双子の兄弟マルケリアヌス:クリスティアーヌ・ゲイロー (Ms)

(1955年2月19-25日 パリ,アポロ劇場 TESTAMENT)

 いつだったか漫画「はだしのゲン」は児童、生徒に読ませるのに好ましくないという方針をとる自治体が出たという報道を見てちょっと驚いたことがあります。確かに広島の極道ものの描写もあって、子供が鉄砲玉まがいの役をやらされるショッキングな場面もありましたが、自分が中学生の頃は何度目かのブームが起こっていました。自分の子供頃はむしろ山上たつひこの「がきデカ」とか「喜劇新思想大系」なんかがタブーでした。特に後者は未成年者にはやっぱりだめだろうと今でもちょっと思います(内容は略、検索もしないことを希望します)。山上たつひこは当初社会派作品(秩父困民党??)を出していたそうですが、がきデカになると政治的な性格はほとんど感じ取れなくなっています(かろうじて、こまわり君が阿修羅王になって身分の差を説く場面があるくらい)。現代ではその方が害が少ないという面もあるのかもしれません。

160614b ドビュッシーの「聖セバスティアンの殉教」は、イタリア人の作家、ガブリエーレ・ダヌンツィオによるフランス語の詩にドビュッシーが作曲した五幕からなる劇音楽作品です。本来は上演に五時間くらいかかる作品ですが、現在では短縮・演奏会版か管弦楽のみによる「交響的断章」が演奏され、原典の方はまず演奏されなくなっています。1911年5月22日パリのシャトレ座で、レオン・バクストの装置と衣裳、ミハイル・フォーキンの振付により、バレエとオペラ、演劇を取り混ぜた神秘劇として初演されました。このCDはアンゲルブレシュトによる短縮版によっていて、男声ナレーターと女声独唱、コーラスとオーケストラによって演奏されます。声楽付の短縮版は色々な指揮者も取り上げて録音していますが、それぞれの版の違いは未確認です。

第1幕「百合の園」
 ①-⑨
第2幕「魔法の部屋」
 ⑩-⑭
第3幕「偽りの神々の会議」
 ⑮-㉒
第4幕「傷ついた月桂樹」
 ㉓-㉕
第5幕「天国」
 ㉖-㉙

 曲は金管のファンファーレによって始まり、ボクシングのタイトルマッチでも始まるのかと思う明るさです。そして最後はアレルヤ(ハレルヤか)を連呼するコーラスの中で閉じられます。語り・ナレーションは聖セバスティアン役のテノールのみで他のソロはソプラノとアルト二人という編成です。主人公に当たるキャストが歌手ではないという点ではオネゲルの「火刑台のジャンヌ・ダルク」と似ています。この作品が作曲されたのは「牧神の午後への前奏曲」から15年以上経ち、交響詩「海」以降なので「牧神」とは作風が違っているものの、神秘劇と言っただけあってそういうヴェールに包まれた雰囲気です。

 聖セバスティアン(セバスティアヌス)はローマ帝国、3世紀の皇帝ディオクレティアヌスの時代に殉教した聖人であり、柱に縛られて矢が多数刺さった姿で描かれています。カトリック教会では殉教した日と伝えられる1月20日が祝日となっています。セバスティアヌスは現代のフランスのナルボンヌで生まれ、キリスト教徒であることを隠して軍人になり、皇帝の衛兵になっていたところ、囚われた2人のキリスト教徒マルクスとマルケリアヌスを励ます等したために自身も信者であることが発覚します。それでディオクレティアヌス帝の怒りにふれ、弓で射殺されることになるも一旦は助かり、それでも信仰を捨てずに却って皇帝を非難したため再度処刑され、殉教したと伝えられます(実はこの聖人、ドビュッシーの作品くらいでしか知らなかった)。
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昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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