raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

2016年04月

30 4月

マーラー交響曲第9番 バーンスタイン、ニョーヨーク・フィル・1965年

160309マーラー 交響曲 第9番 ニ長調

レナード・バーンスタイン  指揮
ニューヨーク・フィルハーモニック

1965年12月16日 ニューヨーク,リンカーンセンター,フィルハーモニックホール 録音 ソニーミュージック)

 クラシック音楽を聴くためのこよみ、又は季語的なものはそもそも作品の文化圏と違う場所に生活しているのだから四季をごとに徹底的に定めるには無理があります。 それは分っていてもいくつかの作品は個人的に強烈に季節的な旬を感じてしまいます(何ら合理的な根拠は無い)。マーラーの第9番はそうした季節を感じさせる一つで、個人的に晩春の特に夜の雰囲気にぴったりくると思っていました。しかし、今年はどうも晩春らしい気候、風情をあまり感じられない内に連休がやってきました。三月下旬にあるはずの「春の嵐」が四月の中旬以降にずれこんだり、急に朝冷え込んだりとややこしい気候です。そんな気候の連休初日、お彼岸の後にまだ墓地へ行っていなかったので清掃方々午前中にいってみたら全然人が居なくて、猫もカラスも近くに居る気配さえありませんでした。そのかわりに石垣のツツジが満開だったのと、途中の民家の藤が満開だったのがちょっとみものでした。

 これはバーンスタインのマーラー全集の旧録音の中の第9番で、第6番とカップリングされた三枚組SACDの国内盤です。LPレコードの時代から定評がありましたがその後、第9番はベルリンPOとのライヴ盤や再録音の方に注目が集まっていきました。アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の録音とは合計演奏時間で9分以上の差があり、終楽章はベルリンPO盤とも3分以上短く、速くなっているのが目立ちます。それに第3楽章が荒々しくて、同じくマーラーの交響曲第5番第2楽章の表記、Stürmisch bewegt. Mit grösster Vehemenz(嵐のように荒々しく動きをもって。最大の激烈さを持って)を思い出すくらいです。

~バーンスタインのマーラー第9番
ニューヨーク/1965年
①28分17②15分49③12分26④22分59 計79分31
BPO/1979年
①27分37②15分54③12分05④26分11 計81分47
RCO/1985年
①29分52②17分26③11分47④29分34 計88分39 

 第4楽章の時間だけを見るとかなり短い部類だと思ったので、録音年が比較的近い1960年代後半のものを確認すると下記の二種の演奏時間がわりと近いのが分りました。特にショルティの旧録音は合計時間、各楽章の時間ともに似ています。第4楽章はゆったりと演奏することが少なくないので、あるいはこれはショルティがバーンスタインのレコードを参考にしたのかと思う程近似しています。バーンスタインの晩年、1980年代半ば以降はショルティとバーンスタインのマーラーは対照的という評が多かったと思いますが、この1960年代の第9番はそんなに違わないのでは?と思えます。

ハイティンク・ACO/1969年
①27分01②15分56③12分57④24分42 計80分36
ショルティ・CSO/1967年頃
①27分00②16分30③13分05④22分50 計79分25  

 
今回の第9番は第4楽章特に印象的で、冷たい風が吹き付けるような寂しさに圧倒され、季節が逆の晩秋のような趣に感じられます。それに四つの楽章が共鳴する風でなくて、どれもが対決的に提示されているようで第9番にたいする漠然としたイメージ(個人的な)がゆらぎました。 作品とは関係ありませんがお茶生産農家はこの時期、遅霜が大敵なのでしばらくは気がかりなところです。連休といっても三連休が二度というカレンダー通りなのでどこへも出かけずにすごすつもりです。
29 4月

ワーグナー 「さまよえるオランダ人」 ヤノフスキ、ベルリン放送SO

160429aワーグナー 歌劇「さまよえるオランダ人」

マレク・ヤノフスキ 指揮
ベルリン放送交響楽団
ベルリン放送合唱団

オランダ人:アルベルト・ドーメン(Br)
ダーラント:マッティ・サルミネン(Bs)
ゼンタ:リカルダ・メルベート(S)
エリック:ロバート・ディーン・スミス(T)
マリー:シルヴィア・ハブロヴェツ(Ms)
舵手:スティーヴ・ダヴィスリム(T)

(2010年11月13日 ベルリン,フィルハーモニー ライヴ録音 PentaTone)

160429b ワーグナーのオペラ「さまよえるオランダ人」は序曲だけを単独で演奏する際、コーダ近くで「救済の動機」の旋律を提示することが大半で、オペラ全曲上演(序曲、第三幕のフィナーレ)で救済の動機をカットしている指揮者でも序曲単独の場合はカットしないことがあります(クレンペラーとか)。このCDは舞台上演じゃなく演奏会形式のライヴ録音であり、序曲も第三幕の終わり部分も救済の動機が入っています。オペラのあらすじを読むと救済動機が入った方が分り易そうですが、そもそもこの作品の「きゅうさい」とは何か、ちょっと曖昧でもありました。キリスト教的には「救済」と「ゆるし」は切り離せず、そうだとすれば「七度を七十倍するまで(7は完全をあらわすので、これはほとんど無限という意味らしい)」相手をゆるすことが奨励され、ましてや他人の命を生贄・代償的に求めるというものでないはずです。「不味い、もう一杯!」と簡単に反復(青汁並みに)できないまでもゼンタが死ぬことまでは要求されません。アッティラ・チャンバイ、ディートマル・ホラント編の “ rororo operabücher ” (日本語版は「名作オペラ ブックス」 音楽之友社)の中で、東ベルリンのコーミッシュ・オーパーの支配人を務めることになるヨアヒム・ヘルツが著した「さまよえるオランダ人の演出に関する要請 1962年」が紹介され、オランダ人の「救済論」も展開しています。

 作品の中でオランダ人は女性を自分のための手段としてしか見ないという欠落があったけれど、ゼンタとの関係でそれを乗り越えたと表現しています。それに続いて第三幕は一般的に誤解されているとして、オランダ人はゼンタの貞節を完全に疑ったのではなくて、不貞と認定されて呪われることから救うために自分の救済を放棄してまでゼンタのもとから姿を消そうとし、この段階で実は自分自身を乗り越えており、つまり救済されていると指摘しています(そもそもゼンタはオランダ人とともに生きることを望んだ)。その論文も既に古いもので、青少年向けのような味付けとも思えますがなかなか説得力があります。ともかくそんな救済論に立って作品を見ると「救済の動機」がオペラの終わりで出て来ない方がすっきりして良さそうです。

 ヤノフスキは今年のバイロイト音楽祭で指輪を指揮する予定ですが、それが決まる前にベルリン放送交響楽団を指揮してバイロイトで取り上げられる主要10作品全部を演奏してSACD化しました。この録音シリーズは何となく「バイロイトで使うてつかぁさい」という猛アピールのように見えますが、その第一弾が「さまよえるオランダ人」でした。速めのテンポでグイグイと引っ張られるような推進感(こんな日本語はあるかどうか)が魅力的です。歌手の中ではリカルダ・メルベートが特に目立っていました(*ゼンタのバラードの調性も歌い易いようにト短調に移調したままか?)。男声ではエリックのロバート・ディーン・スミスも役柄以上の魅力だと思いました。

 ヤノフスキのワーグナーは彼が指揮したブルックナーと似た傾向で、濃厚な後期ロマン派的スタイルと違ってあっさりとしたものです。プラモデルの製品の中には一部分を透明な外装にして内部構造が見られるスケルトン・タイプがありますが、ヤノフスキのワーグナーもそれに似た魅力があります。だから最初の一音で涙が出るというの誇張し過ぎだとしても、即座に魅了される程刺激的なタイプじゃないと思いました。実際先年のヤノフスキ西宮公演(ブルックナー第8番)ではけっこう空席があり、賛否まちまちといった反響だとききました。自分自身は最新のヤノフスキのワーグナー録音を最初に聴いた時は、どこかしら毒気が無い、物足らない印象でした。しかし聴き進み、反復する内に親しみが増してきました。
28 4月

ショスタコーヴィチ交響曲第1番 バルシャイ、ケルンRSO

160428aショスタコーヴィチ 交響曲 第1番 ヘ短調 op.10

ルドルフ・バルシャイ  指揮
ケルン放送交響楽団

(1994年9月20日-10月3日 ケルン,フィルハーモニー 録音  Brilliant)

160428b 先日京都府の第3区でも衆議院の補欠選挙が行われ、比例復活当選していて今回の補選に出馬した民進党議員が当選しました。現職がゲス不倫騒動から辞職したことが原因だったのでやっぱり投票率も大きく低下しました(しかし当選者の得票数はあまり変わらなかった)。ここでアメリカ大統領選挙の候補者選の中で民主党のサンダース上院議員が若者に支持を受けて善戦しているのが思い出されます。というのは、京都三区は補選で当選した民進党議員が30代で初当選して以来自民党がなかなか勝てない状況が続き、それに対抗するために公募で選ばれたのが辞職したあの議員で、若さと爽やかな?容姿、民進党議員とファーストネームが似ていることも注目でした。つまり、イメージというのも大きな要素だったことは否定できませんが、サンダース上院議員躍進のように掲げる政策にも支持が集まって小選挙区で当選できるという可能性は無いだろうかとふと思いました。もっとも、サンダース議員も失速して落ち着くところへ落ち着きそうなのでやっぱり難しいかもしれず、京都三区の自民党の次期候補者が発表され、参院の比例単の女性がやってくるようです(自分の選挙区じゃないし、そもそも自分は党員でもなんでもないが)。

 ショスタコーヴィチ(Dmitrii Dmitrievich Shostakovich 1906年9月25日 - 1975年8月9日)の 交響曲第1番は1923年末から1925年にかけて作曲して1926年に初演され、大きな反響を呼んで成功しました。プロコフィエフ(Sergei Sergeevich Prokofiev 1891年4月23日 - 1953年3月5日)の交響曲第1番の約8年後の作品ということになります。わずかそれだけの差ながら、ロシア帝国から革命を経てソビエトが成立した時期の作品であり、またショスタコーヴィチは音楽院の教官に逆らって完成させたという事情もあってプロコフィエフの古典交響曲とはだいぶ違う印象を受けます。

 このバルシャイの全集の中の録音は過去記事で既に扱ったかと思ったらまだだったので改めて聴いてみました(SDカードにコピーして車載のナビにも入っている)。 

バルシャイ・ケルンRSO/1994年
①08分10②04分45③07分43④08分38計29分16
アシュケナージ・ロイヤルPO/1988年
①08分09②04分34③09分57④09分25計32分05
ヤルヴィ・スコティッシュNO/1984年
①08分40②04分50③09分08④10分55計33分33 

 
バルシャイのショスタコーヴィチは過去記事で取り上げた曲はいずれも魅力的で、いわゆる爆演タイプでなく地味かもしれませんが、ビシュコフが言うところの「ショスタコーヴィチはメンタルな作曲家(ベートーベンの交響曲をフィジカルなとしたうえでそれに対してショスタコーヴィチはという意味)」という要素が十分表現されていると思います。第1番もトラックタイムからは速めでスリルを強調しているように見えますが、聴いていると騒々しくなくて若者らしくない陰のある佇まいを思わせます。

 ムラヴィンスキーが指揮した ショスタコーヴィチの交響曲は第5番以降の純器楽作品だけということだったと思いますが、プラウダ批判以降の第1番は正味のところどういう位置付だったかと思います。ムラヴィンスキー指揮の第1番の録音が残っていたらどんな感じかちょっと気になります。
27 4月

プロコフィエフ 古典交響曲 アシュケナージ、シドニーSO

160427プロコフィエフ 古典交響曲(交響曲 第1番)ニ長調 作品25

ヴラディーミル・アシュケナージ 指揮
シドニー交響楽団

(2009年10月31日-11月25日 シドニー,オペラ・ハウス,コンサート・ホール 録音 EXTON)

 アシュケナージのピアノソロのレパートリーを思い出すとショパンの独奏曲の全集録音があったのを思い出しました。しかしショパンコンクール(1955年)は優勝ではなくて第2位だったのは意外というか分らないものだと改めて思います。レコード評には難曲を簡単な作品を演奏しているように楽に弾きこなす、という意味のことを時々見かけるので優勝というイメージが付きまといます。もっとも1962年のチャイコフスキー・コンクールでは優勝しているので、七年前のショパンコンクールが第2位でも一応辻褄はあいそうです。それにしてもチャイコフスキー・コンクール優勝から十年も経たない内に指揮者の方に移行していくのも興味深いものがあります。

160319a プロコフィエフの交響曲の中で録音、演奏頻度が高いのは第1番・古典交響曲と第5番ですが(多分そうだと)、古典交響曲のような簡潔な作品は何となく作曲当時の時代をあまり反映していないとか、擬古的だという先入観を持ちがちです。作曲者自身も「ハイドンが生きていたら書いたであろう作品」と言っていますが、実際に聴いているとちょっと印象は違います。特に第3楽章がバロック時代の楽曲で見られたガヴォットという表記とは裏腹に、少しマーラーとかR.シュトラウスの作風も連想させられる近代的、西欧的?な印象を受けて、結果的に擬古的とは言い難い(作曲形式はともかく)のではと思います(ショスタコーヴィチの最初の交響曲とはまた違う斬新さか)。

古典交響曲(交響曲第1番)ニ長調 作品25
第1楽章 Allegro ニ長調
第2楽章 Larghetto イ長調
第3楽章 Gavotta; Non troppo allegro ニ長調
第4楽章 Finale; Molto vivace ニ長調

 
アシュケナージは1970年代に既に指揮者としての活動を始め、プロコフィエフの交響曲も第1番(ロンドン交響楽団/1974年)と第5盤(アムセテルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団/1985年)、6番と7番(クリーヴランド管弦楽団/1993年)の四曲を録音していました。今回のCDは1974年の録音から三十年以上経ってから、シドニーで開催された「プロコフィエフ・フェスティバル:プロディガルロシアン(放蕩のロシア人) 」の演奏会でライヴ録音されたものです。

~アシュケナージの古典交響曲
シドニー/2009年
①4分20②3分49③1分32④4分14計14分55
LSO/1974年
①4分06②4分49③1分40④4分07計14分42

 短い作品なのでそもそも演奏時間はあまり変化はないはずですが、新旧録音のトラックタイムは上記のようになります。今回は新旧を連続して聴いていないので何とも言えませんが、新録音の方が余裕があり、優雅な印象です。 適当な言葉が見つからずありきたりな「優雅」という二文字をあてたら、ハイドンの作品にもそうした言葉が使われることもあり、やっぱり作曲者が言うことは本当なのかと思いました。モーリス=デュリュフレがグレゴリオ聖歌の有名な曲を前面に出したモテットを作曲していますが、あれらは専らグレゴリオ聖歌の旋律に依存したような作品なので、古典交響曲はそれよりもずっと独創的でありながらハイドンに通じる何かを表現できているのは凄いものです。
26 4月

ワーグナー さまよえるオランダ人 サヴァリッシュ、1959年バイロイト

160426ワーグナー 歌劇「さまよえるオランダ人」

ヴォルフガング・サヴァリッシュ 指揮
バイロイト祝祭管弦楽団
バイロイト祝祭合唱団(合唱指揮ヴィルヘルム・ピッツ)

オランダ人:ジョージ・ロンドン
ダーラント:ヨーゼフ・グラインドル
ゼンタ:レオニー・リザネク
エリック:フリッツ・ウール
マリー:レス・フィッシャー
舵取り:ゲオルグ・パスクダ

(1959年7,8月バイロイト祝祭劇場 ライヴ録音 MYTO)

 このところ真夜中に、寝入ってからそんなに時間が経たない段階で目を覚ますことがよくあり、その影響で眠りが浅くなってよく夢を見ます。それくらい大したことはないとしても、目を覚ました時に小さな地震を感じることがしょっちゅうで、ついに来たかと身構えたりします。思えば東日本でもしょっちゅうそこそこの揺れの地震があるので、被災地そのものでなくても何らかの不安、不満は蓄積していることでしょう。それと関係があるのかないのか、ネット上で不謹慎狩りが流行っているのが気になります。ワーグナー作品の「バイロイト音楽祭」は、第二次大戦中も1944年まで開催されたものの敗戦後は1945年から1950年までは開かれませんでした。単に自粛というわけでもないでしょうが、それでもとにかく敗色濃厚で空爆もあって1944年も行われたのは驚きです。

 バイロイト音楽祭の「さまよるオランダ人」、サヴァリッシュ指揮と言えばフィリップスから正式に出ていた1961年録音が有名でした。しかしサヴァリッシュはその二年前から三年続けて同作品をバイロイトで指揮ていて、今回のものはその初年、1959年のライヴ録音です。1961年はフランツ・クラスがオランダ人(*ジョージ・ロンドンが歌った公演もある)、アニア・シリヤがゼンタ(1960年も同じ)でしたがそれ以外のキャストは三年間共通でした。フランツ・クラスのオランダ人とシリヤのゼンタは好評だったので今回の録音はその二人が居ない舞台がどうなっているかというのが注目です。なお、アッティラ・チャンバイ、ディートマル・ホラント編の “ rororo operabücher ” (日本語版は「名作オペラ ブックス」 音楽之友社)、その巻末にある「ディスコグラフィについての注釈(ディートマル=ホラント) *このコーナーは作品によって担当者が代わっていた」では、オランダ人役は1961年録音のクラスに並ぶ者は無いと褒めている反面、ゼンタ役はシリヤ、リザネックの二人ともが作曲者の望むところに達していないと厳しい指摘で終わっています。

 同書のそのコーナーは担当者が代わっても辛口な批評が多く、さまよえるオランダ人は頁も少ないのでまあそんな調子なのは仕方ないでしょう。パッケージの写真に登場しているのは一瞬だれか分りませんでしたが、キャストを見ればオランダ人役のロンドンだろうという察しは付きます。上記のように “ rororo operabücher ” の評は厳しいとしても、あらためて聴いているとリザネックのゼンタもロンドンのオランダ人も両方素晴らしいと思いました。それにサヴァリッシュの爽快なテンポの指揮からは戦前のバイロイト音楽祭やら、ナチ時代の人種・文化的な政策なんかは遠い昔の出来事のような世界に感じられます。フィリップスから出ていたサヴァリッシュのバイロイト録音はCD化されてから聴きましたが、個人的には特に好きでも嫌いでもないという印象の薄いものでしたが、より古いバイロイト音源から聴いて時代を下ってくると妙に感慨深いものがあります(と言っても戦中やそれ以前の音源はごく限られているけれど)。

 この二枚組CDのトラック表記では三幕に区分されています。「さまよえるオランダ人」の初演時は三幕版として上演されましたが、元々は一幕ものとして構想されていました。上記の “ rororo operabücher ” の評では、サヴァリッシュ指揮の回からバイロイトの上演も一幕仕立てに限りなく近くなったと言及しています。なお、サヴァリッシュは後に1981年のミュンヘンでのプロダクションで休憩無しの一幕仕立ての上演を指揮しています。すごく複雑な改訂経緯で、このサヴァリッシュのライヴ盤も純然たる初稿ではなくて、ドレスデン初演時の版に基づき救済のモチーフなし、ゼンタのバラードもト短調に移調して歌っています。
24 4月

ワーグナー「神々の黄昏」 クナッパーツブッシュ、バイロイト1958年

160424ワーグナー 楽劇・ニーベルングの指環「神々の黄昏」

ハンス・クナッパーツブッシュ 指揮
バイロイト祝祭管弦楽団 
バイロイト祝祭合唱団(ヴィルヘルム・ピッツ合唱指揮)

ブリュンヒルデ:アストリッド・ヴァルナイ(S)
ジークフリート:ヴォルフガング・ヴィントガッセン(T)
ハーゲン:ヨーゼフ・グラインドル(Bs)
グンター:オットー・ヴィーナー(Br)
グートルーネ:エリザベート・グリュンマー(S)
アルベリヒ:フランス・アンダーセン(Br)
ヴァルトラウテ:ジーン・マディラ(Ms)
第1のノルン:ジーン・マディラ(A) 
第2のノルン:ウルスラ・ベーゼ(Ms) 
第3のノルン:リタ・ゴール(S) 、他

(1958年8月1日 バイロイト祝祭劇場 録音 WALHALL)

 昨夜は1952年のバイロイト音楽祭から「ラインの黄金」 でしたが、その前に1月から取り上げていた1958年の指環の「神々の黄昏」が残っていました。クナッパーツブッシュがバイロイトで指環を振った最後の年に当たり(1951、1956,57,58の四年)、この1958年か前年くらいがクナの指環のピークだとか言われていました。なお、このCDはWALHALLから再発売されたもので録音データは8月としか表記されていません。初出のLPとかには8月1日となっていたようですが、この手の録音はレーベルが違えば年は同じでも日付が違う(歌手も入れ替わっていることもある)場合もあります。そうした細かい年月日については未確認です。ここ三カ月程、夕方以降にやっつけ仕事をしながら時々これをBGMに流していました。正直、クナのバイロイト・指環でどの年が一番だとかは分りませんが、一番印象深かったのは1956年の正規音源(ORFEO DOR)でした。しばしば「うねる」と評されるクナのワーグナーをなんとなく実感できて、これなら古い録音でもかまわないと思いました。今回の1958年はそれよりもいくらかはスッキリとした印象です。

 ところで第一幕第3場では、ヴァルトラウテがブリュンヒルデのもとを訪れてヴォータンを助けるためにも指環をラインの乙女へ返すよう頼みます。この場面は単独でオーケストラ曲として演奏されたり、単独のアリア的な曲ではありませんが、歌う側にとってはかなり思い入れがあることが少なくないようです。クリスタ・ルートヴィヒや藤村美穂子はヴァルトラウテの語り、訴えの歌が特に好きで大事に思うと言っていました(確かレコ芸のインタヴュー記事で、藤村美穂子がホッターあたりにどの場面が好きかと問われてそう答えるとルートヴィヒもそう言っていたと言われた、と書いてあった)。

 短いあらすじにまとめられたものでは省略されるこの場面を今回特に注目すると、ブリュンヒルデとヴァルトラウテ二人の歌唱とオーケストラとも素晴らしくて(魅力的なメロディもある) 、クナの指揮でこうい場面も活きてくるのかと改めて実感しました。話の筋は、結局ブリュンヒルデはジークフリートとの愛の証である指輪を手放せないとして拒絶し(極道じゃないけど筋が通らねえことはお断りだと)、ヴァルトラウテは引き上げて行きます。この場面に注目すると、ブリュンヒルデが後にジークフリートの裏切り(実情を知らないこともあったが)をゆるせなかったことも説得力が出てきます(ヴォータンとの絆よりもジークフリートを選んだのに、あんたは・・・)。

 アストリッド・ヴァルナイは1951年からずっと、ダブルキャストの年を含めてブリュンヒルデを歌ってきていました。1958年以降では1961年が最後だったかも(1960年はニルソンが歌った)しれませんが今回の1958年は八年目になり、そろそろキャストは若返った方がとチラっと思っていましたが改めて魅力を実感しました。ヴィントガッセンのジークフリートと並ぶと互いによく引き立っています。1956年から三年間は、ヴァルナイとヴィントガッセンの二人とグラインドル(ハーゲン)のキャストは変わっていませんでした。
23 4月

ワーグナー「ラインの黄金」 カイルベルト、バイロイト1952年

160423aワーグナー 楽劇・ニーベルングの指輪 「ラインの黄金」

ヨーゼフ・カイルベルト 指揮
バイロイト祝祭管弦楽団

ヴォータン:ヘルマン・ウーデ
フリッカ:イラ・マラニウク
フライア:インゲ・ボルク
フロー:ヴォルフガング・ヴィントガッセン
ドンナー:ヴェルナー・ファウルハーバー
ローゲ:エーリッヒ・ヴィッテ
ミーメ:パウル・キューン
エルダ:メラニー・ブルガリノヴィッチ
アルベリヒ:グスタフ・ナイトリンガー
ファゾルト:ルートヴィッヒ・ヴェーバー
ファフナー:ヨーゼフ・グラインドル
ヴォークリンデ:エリカ・ツィンマーマン
ヴェルグンデ:ハンナ・ルートヴィッヒ
フロースヒルデ:ヘルタ・テッパー

(1952年8月11日 バイロイト祝祭劇場 ライヴ録音 ARCHIPEL)

 先日母が高齢者への給付金・三万円の申請書類が届いたと言っていたので制度のことを思い出しました。年金があるから該当しないはずだとかで申請しないそうで、くれるというのだから悪くいう人は少ないながら構造的な問題の解消に効果は「?」だと言いたそうでした(毎月それだけくれるなら結構だけど、そんなべらぼうな話はないとも言っていた)。二十代向けの似たような制度も実施するのだろうか、構造的というならその年代の方はさらに深刻です。この給付金制度は選挙にどれくらい影響があるのか分りませんが明日は衆議院の補欠選挙です。

160423b これは第二次大戦後のバイロイト再開二年目の指輪四部作の録音です。ニーベルングの指輪は前年にクナッパーツブッシュとカラヤンの指揮で上演されましたが、1952年はカイルベルト一人が受け持ちました。カイルベルトがバイロイトで指輪を指揮したのは1952年から1956年までの五年分でした。そのうちで1953年はクレメンス・クラウスと、1956年にはクナッパーツブッシュとそれぞれ二人が指輪受け持ちました。前者、後者ともにオルフェオから正規音源のCDが出て有名ですが、カイルベルトも1955年の指輪のステレオ録音が突如テスタメントから出て評判になりました。 そういう状況なので今回の1952年・指輪が特別視されていたわけではなかったと思いますが、古い割にかなり聴きやすい音質(ARCHIPELのCDしか聴いたことがない)です。

 キャストの方は1953年がこの年代で最も豪華とか言われましたが、今回の1952年盤も聴いているとどれもかなり見事な歌唱です。それ以上にオーケストラの方も各場面の情景が目に浮かぶような鮮烈さ、白熱ぶりです。 第1場、ライン河底の場面は個人的には単なる導入部的な位置(オーケストラの出だし部分は別にして)付けでしたが、この録音は三人のライン河の娘からして際立っていて、ナイトリンガーと並んでも存在感十分だと思いました。第1場でこんなに惹きつけられるのはあまり記憶にありません。

 ヴォータンの舎弟連中、神々の中では翌年にはジークフリートを歌うヴィントガッセンがこの年はフローを歌っているのが注目です。それ以外でもローゲらが目立っていますが巨人族の二人にも圧倒されます。ヴォータンとフリッカはヘルマン・ウーデとイラ・マラニウクの二人で、マラニウクが翌年にも同役を歌って以降は主要キャストで名前を見なくなりますが(1951年も彼女はフリッカを歌っていた)、後年のヴォータンとフリッカに劣らない存在感でした。この録音・指輪セットでは次のワルキューレのフリッカは彼女じゃなく、ルート・ジーベルトに代わっています。これは収録時にこうなったのか最初からこのキャスティングだったのか分りませんが、どうせなら統一した方がよいと思います(翌年の指輪セットはマラニウクで通している) 。
22 4月

ベートーベン 交響曲第1番 シューリヒト、パリ音楽院O・1958年

160422ベートーベン 交響曲 第1番 ハ長調 作品21

カール・シューリヒト 指揮
パリ音楽院管弦楽団

(1958年9月27,29日 パリ,サル・ワグラム 録音 EMI)

 熊本、大分の大地震から一週間が経過しました。当初は津波も原発も大丈夫なら被害は広がらないだろうと安直に思っていましたが現実はそうではありませんでした。改めて活断層の恐ろしさを思い知らされました。今週は連日午前三時前に目が覚めましたが、これは目覚める直前に揺れを感じてのことではないかと思われます。震源地から遠くてもこの調子なので揺れだけをとっても被災地はさぞやとおもいやられます。

 さて先週に続いてベートーベンの交響曲第1番の古い録音で、ドイツ北東部ダンツィヒ(現在はポーランド領のグダニスク)生まれのシューリヒトがパリ音楽院の演奏協会のオーケストラを指揮した全集の中の録音です。ベートーベンと関係ないけれどグダニスクと言えば一定の世代には「自主管理労組・連帯 のワレサ議長」の名前がうろ覚えながら思い出されます。第二次大戦後にポーランド領になった都市ならクレンペラーの生地ブレスラウも同様で、ドイツの敗戦によってソ連の国境が西へ押し出され、それに連動してポーランドとドイツの国境線も西へ押されて独立しました。

 さて、シューリヒトのベートベン全集はアメリカとドイツでは発売されなかったものの日本でも七枚組LPとして発売され、フランスのACCディスク大賞を獲得したこともあって注目されました。この全集が企画される前の1956年に、シューリヒトはリヨン音楽祭でウィーン・フィルを指揮してベートベン・チクルスを演奏して大成功しました。その評判によってEMI側から契約を申し出たということで、当初はシューリヒトがしばしば客演していたウィーンPOかパリ音楽院のオーケストラのどちらかでということで、シューリヒトの選択にゆだねられました。どちらも甲乙付け難い力量だったところ、速い楽章の演奏がパリの方が具合が良かったので最終的に決め手となったそうです。

シューリヒト・パリ/1958年
①8分11②5分57③3分25④5分55 計23分28
レイホヴィッツ・ロイヤルPO/1961年
①8分20②6分05③3分12④5分42 計23分19
クレツキ・チェコPO/1968年
①9分33②6分26③3分46④5分47 計25分32
セル・CO/1964年
①9分16②6分54③3分48④5分46 計25分46
クレンペラー・PO/1960年-ウィーン
①9分26②8分20③3分55④6分08 計27分49
クレンペラー・PO/1957年-EMI
①9分52②8分53③4分05④6分18 計29分08

 実際この第1番を聴くと、冒頭から快速のテンポで全くよどんだようなところがありません。トラックタイムを見ると、ベートーベンが記したメトロノノーム指示に従ったレイホヴィッツの録音に近い演奏時間になっています。しかしそれでいて窮屈さやいびつなところはなくて、潤いのある演奏なので、何か実験的な主義によってこうした演奏をしているという偏りを感じさせません。何となくウィーン的という言葉を連想させられ、ハイドンの交響曲第104番から五年しか経っていないウィーンで初演されたこの作品の誕生当時がしのばれます(リヨンでウィーンPOを指揮した時はどんあ具合だっただろうか?)。

 パリ音楽院のOBらが参加するオーケストラなので現代のパリ管弦楽団より個性的で使っている楽器、奏法もこだわりがあったことだと思われます。先週のチェコPOも重厚さを志向する風ではなくて、単純に「ドイツ的」とは言い難いものでしたが、今回の方はそれでもベルリンPOとかドイツのオケのベートーベン側に近い気がします(何となくそう思える)。 
21 4月

ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」 ヴァルナイ、ケンペ・1952年メト 

160421ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」

ルドルフ・ケンペ 指揮
メトロポリタン歌劇場管弦楽団、合唱団

イゾルデ:アストリッド・ヴァルナイ(S)
トリスタン:セット・スヴァンホルム(T)
マルケ王:ジェローム・ハインズ(Bs)
ブランゲーネ:ブランシェ・シーボム(Ms)
クルヴェナール:ヨゼフ・メッテルニヒ(Br)
メロート:ジェイムス・マクラッケン(T)
水夫:アルベルト・ダ・コスタ(T)
牧童:パウル・フランケ(T)
舵手:カルヴァン・マーシュ(Br)

(1955年3月19日 メトロポリタン歌劇場,録音 WALHALL)

 これはニューヨークのメトロポリタン歌劇場での「トリスタンとイゾルデ」全曲ライヴ録音ですが、第二幕と第三幕に20分程度のカット、省略があります。元々の上演がそういう状態だったのか、音質やテープ損耗の加減で削除したのか未確認です。同じくCD三枚に収まる同時期のバイロイトのライヴ盤では第二、三幕はそれぞれ74分以上になっており、メトロポリタン歌劇場のマイスタージンガーでは第三幕のフィナーレ部分、ザックスの独断場がカットされる慣習だったそうなのでこれも公演通りに収録したのかもしれません。一番最初にこれを聴いた時は、トリスタンとイゾルデの逢瀬のところにえらく早くマルケ王一党が乗り込んで来やがったという印象だったのを覚えています(と言ってもどこをカットしているか正確には照合していない)。

 そうしたことはさて置き、スヴァンホルムとヴァルナイの二人のキャストでこの作品を聴けるのは魅力的で、特にスヴァンホルムはバイロイト音楽祭ではトリスタンもジークフリートも歌っていないのでこの音源は貴重です。 戦後再開されたバイロイト音楽祭では1952年と1953年にトリスタンとイゾルデが上演され、ラモン・ヴィナイがトリスタンを歌い、イゾルデはアストリッド・ヴァルナイでした。その次では1957年、1958年に上演されて、その際はトリスタンがヴィントガッセン、イゾルデはビルギット・ニルソンに代わっています。この録音は結果的にイゾルデの世代交代の境目の時期になっていました。メトロポリタン歌劇場のオケは、同劇場の戦前からの常連のドナルド・キーン氏によるとレヴァインが監督に就く以前はあまり良くなかったということですが、元々古くて音質が良くないなので特に目立たないと思います。

 スェーデン生まれのテノール、セット・スヴァンホルム (Set Svanholm  1904年9月2日 - 1964年10月4日 *ズートハウスの2歳年長) がバイロイト音楽祭に初めて出演したのは1942年だったそうで、その年の演目はオランダ人と指輪なのでジークムントくらいを歌ったのでしょうか、翌年からは演目がマイスタージンガーだけになり、その後バイロイトで歌う機会は無くなってしまいました。この録音時には50歳を超えているのに精悍でまだ若さも感じられる声に惹かれます。マルケ王のジェローム・ハインズも若い声(ハインズは1921年生まれ、実年齢ならスヴァンホルムこそマルケ王)で二人の年齢差が感じられない印象ですが、設定ではどうあれ魅力的です。

 ヴァルナイ(Astrid Varnay 1918年4月25日 - 2006年9月4日)のイゾルデは1952,53年のバイロイト音楽祭の録音でも聴くことが出来て、当時30代だった彼女の声は個人的にはニルソンの歌うイゾルデよりも何となく好感が持てます(具体的には言い表し難い)。とは言っても二人ともバイロイトに限っても複数回この役を歌っているので一概には言えないことですが(ニルソンの方がイゾルデを歌った回数は多いはず)。
20 4月

シューベルト・美しき水車小屋の娘 ゲルネ、シュナイダー・2001年

160420シューベルト 歌曲集 「美しき水車小屋の娘」 D.795

マティアス・ゲルネ:バリトン
エリック・シュナイダー:ピアノ

(2001年10月9-11日 サフォーク,オールドバラ,スネイプ・モルティングス・コンサートホール ライヴ録音  Decca)

 これはマティアス・ゲルネ(Matthias Goerne 1966年~ *来日公演のプロフィール等には1967年と表記されているのを見たが、このCDの解説には1966年となっている) が30代に録音したシューベルトの三大歌曲集の一つです。「冬の旅」と「白鳥の歌」はブレンデルとの共演でウィグモアホールのライヴ録音でした(いずれも2003年の公演)。という録音データからシューベルト演奏でも定評のある巨匠ブレンデルと共演した二年前の録音だったことが分り、三つの作品ともにドイツ語圏ではなく英国で公演、録音されているのが興味深いところです。

160420a 「美しき水車小屋の娘」というタイトルを見ればテノールの溌剌とした歌声、たとえばペーター・シュライアーとか、を連想しがちかもしれませんが、このCDは単にバリトンによる歌唱というだけでなく、まるで「冬の旅」のような沈痛さに覆われているのが印象的です。古いフォーク・ソングの歌詞に、「はじめから駄目だと分った外れクジを引くのに慣れてしまってた」という一節(今それを読むと、いい若い者が何を言ってると、少々腹が立ってくるがそれはともかくとして)がありましたが、そういう心情と少し重なりそうです。何かと引き合いにだされるフィッシャー・ディースカウでもこんな風に重い感じではなかったと思います。そうは言っても第一曲目から重苦しいわけではなく、冒頭はそこそこのテンポで始まり、ただなんとなく怒気さえ含んでいるようないかつい声が最初から響き渡り、独自の境地で歌っていこうとするのを予告しているようです。

160420b 第6曲目から諦め(敗北?)の気配が漂い、特に後半の楽曲でテンポが遅くなり、第17曲目からの四曲は救いようのない深みに沈んで行くようで、この作品の演奏としては個性的だと思いました。第20曲目の「小川の子守歌」は、どこか安らぎを感じさせることが多くて個人的にはかなり好きな曲だったのが、ゆったりとしたテンポとは裏腹になにか止めをさされるような心地です。その「小川の子守歌」は約9分半という演奏時間になり、七年後にエッシェンバッハとの共演で録音したものと同じくらい(そっちは9分20秒を切るくらい) なので、作品の捉え方、解釈としては既に今回の録音時にかたまっていたとも言えそうです。ピアノのエリック・シュナイダーはこの録音以降もゲルネと共演していてかなり相性が良さそうで、ゲルネの歌唱とぴったりと合っています。

 地方自治体ではハザードマップ等の防災情報も公開していて、最近は洪水マップの方に関心がいっていました。 今回の地震に伴って震度は小さいながらも夜中に体感できる地震があり、にわかに断層について調べたら自分の住んでいる近くにも複数ありました。それらの断層を震源とする地震があった場合の想定被害まで載ってあり、かなり広範囲に及ぶのを再認識しました。なんというか断層から遠ざかれば今度は大雨の冠水の区域にかかり、そうそう安全な場所というのは無いのを実感します。今朝はJR奈良線に乗って木津川の右岸を走っていて、昭和28年にはそこらへんも大きな被害にあったことを思い出し、駅構内にも被災の碑が立っていました。
19 4月

ワーグナー「ローエングリン」 マタチッチ・1959年バイロイト

160418aワーグナー 歌劇「ローエングリン」

ロヴロ・フォン・マタチッチ 指揮
バイロイト祝祭管弦楽団
バイロイト祝祭合唱団(ウィルヘルム・ピッツ指揮)

ローエングリン:シャンドール・コンヤ(T)
エルザ:エリザベート・グリュンマー(S)
オルトルート:リタ・ゴール(S)
テラルムント:エルネスト・ブランク(Br)
ドイツ王ハインリッヒ:フランツ・クラス(Bs)
軍令使:エーベルハルト・ヴェヒター(T)
160418d4人の貴族たち
ハラルド・ノイキルヒ
ヘロルド・クラウス
ドナルド・ペル
ハンス・ギュンター・ネッカー
4人の小姓(S)
エリザベート・ヴィッツマン
ヒルデガルト・シューネマン
アンネ・マリー・ルートヴィッヒ
クラウディア・ヘルマン

(1959年8月4日 バイロイト祝祭劇場 ライヴ録音 ORFEO DOR)

160418b この1959年のバイロイト音楽祭でのローエングリンは、1953年、1954年と前年の1958年に続く戦後四年目の上演にあたり、ハインツ・ティーチェン(まだ健在だったのか・・・)とマタチッチの二人が指揮をしました。1953、54年にはヴィントガッセンがローエングリンを歌いましたが、1958、59年にはシャンドール・コンヤが抜擢されました(翌1960年のローエングリンは再びヴィントガッセンに) 。個人的にはこのコンヤのローエングリンが特に気に入っており、ローエングリン役に限ればヴィントガッセン以上の当たり役じゃないかと思っています。それに1959年のマタチッチ盤はエルザをグリュンマーが歌い、コンヤとのコンビが素晴らしいと思います。それにドイツ王ハインリヒのフランツ・クラスをはじめ、主だったキャストも見事ですが、テラルムントのブランクはちょっとかげが薄い気もします。

160418c それに対してマタチッチ指揮のオーケストラは、この作品らしい独特の雰囲気だと思っていましたが最近聴いていると、ちょっと緩いというのか劇的な起伏が少ない印象です。この時期ならEMIでセッション録音していたケンペの方が良かったのではと想像しつつ思えます。そのルドルフ・ケンペは翌年の指輪の指揮を受け持ち、ローエングリンは1967年に指揮することになります。日本のレコードのフアンならマタチッチはN響に客演したレパートリーのベートーベン、ハイドン、ブルックナーの交響曲の方がまず思い当たりますが、オペレッタやイタイリアオペラの全曲録音盤もありました(どうもどの辺りが本筋なのか分りにくい)。

160418 ワーグナー作品の主役級テノールの中でローエングリンはトリスタンやジークフリートと比べてヘルデン度というか、ハードな面がやや後退してその代わりに神秘的なものが加わり、そこが魅力だと思います。話の筋では最初に白鳥の曳く船に乗って登場する際にブラバントの跡目、実子のゴットフリートを連れて来れば良いものをとか、そんなくだらない突っ込みを入れる気も起らないのがローエングリンです。シャンドール・コンヤはヴィントガッセンと同様にバイロイト音楽祭で三年ローエングリンを歌い、セッション録音(ラインスドルフ指揮のグラール語りの省略が無い録音)もしています。彼がバイロイトで歌った役は他にパルジファルがあり、1966年のブーレーズ指揮、1971年のヨッフム指揮でそれぞれパルジファルを歌いました。しかし、ヴィントガッセンと違ってセッション録音や正式な録音ではジークフリート、トリスタンを歌っておらず、それはマネージメントやらレコード会社の契約の都合のためだけではないと考えられます。ローエングリン(パルジファルにも当てはまるか)役の神がかり的な性格にぴったりはまる稀有な声、歌唱だったのではと改めて思います。と言ってもコンヤはワーグナー作品以外も歌っているわけですが、残されたローエングリンの音源を聴くとしみじみそう思われます。

 ところでくまモン、よく見ればいろんなところで浸透しています。馬肉卸の会社が京都市内にもあり、そこが直営する熊本-馬肉料理の店がランチもするようになっていたので、今行ったからといって被災改善に寄与できるわけでないとしても、とりあえず先日行きました。ようやく空港が使えるようになったところでまだ道路の方は寸断されているので、救援物資に続いて地元産業の出荷もままならなくなります(現在はスーパーにくまモン印のいちごが並んでいる)。
18 4月

マーラー交響曲第2番「復活」 ノイマン、チェコPO・1980年

160411aマーラー 交響曲 第2番 ハ短調 「復活」

ヴァツラフ=ノイマン 指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

ガブリエラ・ベニャチコヴァー(S)
エヴァ・ランドヴァー(A)

(1980年 プラハ芸術家の家 録音 SUPRAPHON)

 今朝は直接京都府南部へ行く用事があって旧国道24号を南下していると、途中で陸上自衛隊の大久保駐屯地から来たと思われる大型のトラック二台とすれ違いました。災害派遣という標識を付けていたので九州へ向かう何便目かなのでしょう。 そのトラックを見送った後、コンビニに寄ったらレジに置いてある東日本大震災募金箱が今回の震災対応に変わっていて、普段より紙幣が目立っていました。役場が倒壊危機という報道を見るといくらあっても足りないくらいですが、Tクリニックの院長のようにヘリをチャーターするわけににはいきません。今夜になっても震度5の地震が続発しているので一体どうなっているのかと思います。

160411b ヴァツラフ・ノイマンとチェコ・フィルもマーラー・ブームが盛り上がっていく頃にマーラー全集を完成させていました(「大地の歌」は除く) 。新譜時はLPでしたがどうも店頭で現物(国内盤LP)を見た覚えはなくて、レコ芸なんかでも地味な扱いだったと思います。しかしCD初期に早々と国内盤で分売され、カタログに載っていたのをしばしば見ていました。ノイマンのCDに限らず国内盤CDが一枚当たり3,500円とか3,300の時代なので、広告やカタログを見て内容を想像していました。思えばそういう時にレコ芸の月評は有難いものでした(聴いたような気に一応なれる)。

 ノイマンは1990年代にもチェコPOとマーラーを再録音していましたが(第7、8番を残して急逝のため全集は未完) 、それも含めて合唱付の曲よりも純器楽の曲の方が印象が強い、独自の魅力を放っているように思えます。交響曲第2番はアルト独唱が入る第4楽章、コーラスが入る壮大で神秘的な終楽章につい過大な期待を込めてしまいます。このCDも一週間程前に聴きましたが、どうもその後半部分が他の楽章とバランスを保って全然暴れない??ので後回しにしていました。その後何度か聴いていると、この曲も声楽が入ろうが交響曲なんだと、当たり前のことながら再認識しました。それはハンヌ・リントゥーの言葉(彼のオリジナルな言葉ではないかもしれないが)、「複数の楽章の対比を通じてそれぞれが引き立て合うことによって成り立つのが交響曲」、という指摘はマーラーの第2番のような構成の曲でも当てはまるという実感で、案外マーラーでそんな風に感じられる機会は多くないかもしれないと思いました。

 ところで「怖いクラシック 中川右介(NHK出版新書)」の「第六の恐怖 孤独」によると、マーラーは指揮者としてチャイコフスキーのオペラ「エフゲニ・オネーギン」 のドイツ初演を成功っさせ、晩年のチャイコフスキーが亡くなる前にそれを聴いて大変満足して、そのことを書簡に残しています。そのドイツ初演は1892年1月19日、ハンブルク市立歌劇場に於いてでしたが、その頃はマーラーが交響曲第2番の元になった作品、「葬礼」を作曲して仕上げにかかり、ハンス・フォン・ビューローに強く否定されたという挫折を経験していました。作曲の方は滞っていながらオペラの指揮では賞賛され、そんな状態の中で「葬礼」から復活交響曲を完成させたわけです。現在交響曲第2番を聴くとそんな困難な経緯があったことは想像し難いものです。
17 4月

ヴェルディのファルスタッフ ダム、ショルティ、ベルリンPO・1993年

160417ヴェルディ 歌劇 「ファルスタッフ」

サー・ゲオルク・ショルティ 指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ベルリン放送合唱団

ファルスタッフ:ヨセ・ヴァン・ダム(Br)
アリーチェ:ルチアーナ・セッラ(S)
フォード:パオロ・コーニ(Br)
ナンネッタ:エリーザベト・ノルベリ=シュルツ(S)
フェントン:ルカ・カノーニチ(T)
クイックリー:マルヤナ・リポヴシェク(Ms)
メグ:スーザン・グレアム(Ms)
カイウス:キム・ペグリー(T)
バルドルフォ:ピエール・ルフェーブル(T)
ピストーラ:マリオ・ルペーリ(Bs)

(1993年3月 ベルリン,フィルハーモニ ライヴ録音 DECCA)

 この録音はショルティの二度目のファルスタッフの録音で、既に豪エロクウェンスの廉価盤化されています。ショルティは1963年にもファルスタッフをセッション録音していたので、約三十年経って再録音したことになります。なお、ベルリンPOにとって今回が同作品の初録音だったということです。ショルティの指揮、オーケストラの方は旧録音の鋼鉄のファルスタッフという印象からは大きく変わり、終始柔軟で余裕があります。演奏終了後の拍手は盛大にわきおこり、会場の反応は良好のようです(これが歌劇場だったら違った反応かも)。

 ファルスタッフ役のヨセ・ヴァン・ダムはちょっと地味で、絵なんかで見られるファルスタッフのイメージからは遠い印象です。オーケストラの方に喜劇の味が十分入っているからこれくらいで、という意図かもしれませんがちょっと微妙な印象です。 ヴァン・ダム(昔、FM中継ではホセ・ファン・ダムと呼んでいた覚えがある)と言えば「パルジファル」のアンフォルタスやメシアンの「アッシジの聖フランチェスコ」の聖フランチェスコといったところが代表で挙げられ、シリアスな役の方が頭に浮かびます。このキャストはショルティが特に希望したのかどうか分りませんが興味深い選択です。

160417a ヴェルディ最後のオペラ「ファルスタッフ」は、1893年2月9日にミラノのスカラ座で初演(マスケローニ指揮)されました。前作のオテロとはがらっと作品が変わる喜劇です。 ナンネッタは父親(フォード)にドクター・カイウスと結婚させられるところを、無事にフェントンと結婚できるまでの間にファルスタッフがフォード夫人(ナンネッタの母)やメグに手を出そうとするもドブに投げ入れられたりして不発に終わり、ハッピーエンドというお話です。ドタバタなたわいもない話のようでも、ヴェルディの音楽と結合すると何か重大な事柄が隠れているような不思議な魅力があります。この録音は演奏会形式によるライヴ録音ですが、観たことがある舞台映像でもファルスタッフは洗濯籠に入れられて窓から落とされるので一歩間違えば死にかねないブラックさです(モーツァルトのドン・ジョヴァンニのような終わり方じゃないので単純に喜劇とも言える)。

 ショルティはこの他にも1990年代頃にかつて全曲盤のレコード録音をしたオペラを何種か再録音していました。モーツァルトのコジ、魔笛やワーグナーのマイスタージンガー、ヴェルディの椿姫、オテロ等がありました。マシタージンガーはショルティが特に希望して再録音したということでしたが、個人的には旧録音の方がオペラらしいというのか、場面の空気が十分感じられて魅力的だと思いました。当然それら新旧録音があるオペラの全部を聴いてはいませんが、傾向としてはマイスタージンガーの内容と似ているようで、再録音はオラトリオ、器楽作品的な感覚が多くを占めているかのようです。
16 4月

スメタナ「我が祖国」 ターリヒ、チェコPO・1954年

160416aスメタナ 交響詩「我が祖国」
①ヴィシェフラト (高い城)
②ヴルタヴァ(モルダウ)
③シャールカ
④ボヘミアの野と森より 
⑤ターボル
⑥ブラニーク 

ヴァーツラフ・ターリヒ 指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

(1954年6月10-12,21日,7月2-3日 プラハ,芸術家の家ドヴォルザーク・ホール 録音 Supraphon)

160416c 今朝遅く起きたところ、前日までの地震より大きな「本震」が起こったニュースを見て驚きました。関西でも体感できる所もあったようですが、夜明け頃に一度目覚めてすぐに寝てしまい、地震には気が付きませんでした。ここまで死傷者が出るとは本当に驚きで、万事まだ途中ですが被災された方々に心からお見舞い申し上げます。報道を聞いていると、どうやら中央構造帯に絡んだ地震らしく(4月1日には三重県東南沖震源の地震)、約四百年昔、慶長大地震の際には数日間に愛媛、大分、大阪から伏見で大規模な地震が続いたという記録なので、まだ進行中だと念頭に置いておかなければと思いました。現場映像で見たところ、うちの近所の住宅よりは頑丈そうなお宅(外観だけじゃ分らないとしても)の一階が潰れていたので、深刻さがうかがい知れます。

160416 これはヴァーツラフ・ターリヒによる最後の「我が祖国」の録音です(放送用音源とか他にあるかもしれないが)。一番最初の録音は1929年に同じくチェコフィルを指揮したものでしたが、二度目は何時だったのか未確認です(前回、1929年盤の時に分ったと思ったら記述していなかった)。このCDはターリヒのスペシャル・エディションと称してスプラフォンからまとめて出たシリーズの6集で、リマスターによってかなり鮮明な音になっています。昨夜のベートーベンの録音と同様に明朗な響きながら、より奔放な魅力が感じられます。ちなみにこの録音時はプラハの春・チェコ事件以前にあたり、チェコ・フィルはカレル・アンチェルの首席時代です。

160416b 連作交響詩「我が祖国」はチェコ出身、縁の指揮者とオケによるものに限ってもかなりの数が出ています。それらのごく一部しか聴いていませんが、古い録音ながら今回のターリヒとチェコフィル盤は特に素晴らしくて、この曲のタイトルを耳にしてちょっと聴くのを遠慮したい気分になる際に連想する陰り、引っ掛りのような(ややこしい言い回し)ものがほとんど感じられず、不思議に屈託がないような気がします。それがこの曲らしいのかどうかはともかくとして、聴いて爽快です。

 外国人の片仮名表記もややこしくて、中学生の時スメタナも当初スタメナと間違って覚えました。ドビュッシーは定期試験で「ドビッシュー」と確信的に答案に表記してバツとなりました。そんな調子なのでブログの中にもまだその手の間違いが残っているかもしれません。マリインスキー歌劇場もややこしいタイプで未だに「マイリン」と書きそうになるくらいです。今回の指揮者、ターリヒは
ウィキに解説によればチェコ語では「タリフ」になるようです。
15 4月

ベートーベン 交響曲第1番 クレツキ、チェコPO

160415ベートーベン 交響曲 第1番 ハ長調 作品21

パウル=クレツキ 指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

(1968年1月7-12日 プラハ,ルドルフィヌム 録音 Supraphon)

 先日プロコフィエフの古典交響曲の解説をちらっとながめていた時にベートーベンの交響曲第1番のことを思い出しました。古典交響曲は「もしもハイドンが今でも生きていたら書いたであろう」というコンセプトだったということですが、それならハイドンの弟子筋とも言えるベートーベンはどうかと思ったわけでした。自分の記憶に強く残るクレンペラー指揮のベートーベン第1番を思い浮かべると、どうもハイドン的な均衡のとれた美しさとかプロコフィエフの古典交響曲の印象とは違う気がしました。それに対してパウル・クレツキがチェコPOを指揮したベートーベン交響曲全集の中の第1番を聴いたところ、本当に1960年代の演奏なのかとちょっと驚きました。最近この全集がハイブリットではなくてSACDのシングルレイヤーで再発売されたので、某社のポイントがかなり貯まっていたのでそれを使って購入してまず第1番を聴きました。

 1960年代のベートーベンの交響曲(全集)は徐々に個性的なスタイルのものが出てくる頃だったかもしれませんが、カラヤンとフィルハーモニア管弦楽団とかシューリヒトとパリ・コンセルヴァトワールOの録音はあらためて聴いてみると、古い録音だからかもしれませんがそんなに革新的とか従来の響きと全然違うという程でもなく、どこか安心?させられるものだと思いました。それはピリオド楽器、奏法の影響が当たり前になった現代のベートーベンに慣れたことも原因だろうと思われます。逆にクレンペラーは戦前のベルリンでは伝統的な演奏と一線を画する(全然違う)と評された演奏をしていながら、戦後のフィルハーモニア管弦楽団との録音では分厚い響きで威圧するようなベートーベン(それだけではないとしても)を聴かせていて、現代のピリオド奏法系とは一面では対極的なスタイルではないかと思わせます。

クレツキ・チェコPO/1968年
①9分33②6分26③3分46④5分47 計25分32
オーマンディ・フィラデルフィア/1964年
①9分33②7分04③3分55④6分07 計26分39
セル・CO/1964年
①9分16②6分54③3分48④5分46 計25分46
レイホヴィッツ・ロイヤルPO/1961年
①8分20②6分05③3分12④5分42 計23分19
クレンペラー・PO/1960年-ウィーン
①9分26②8分20③3分55④6分08 計27分49
クレンペラー・PO/1957年-EMI
①9分52②8分53③4分05④6分18 計29分08

 パウル・クレツキとチェコ・フィルのベートーベン第1番を今回あらためて聴いたところ、軽快さというのか明晰さというのか、とにかく記憶に強烈に刻まれるクレンペラーのベートーベン第1番とはこれまた対極的だと思えて、演奏している年代が接近しているのにこの違いは何かと思ってちょっと感心していました。第2楽章になるとそんなに違わないかとも思えてきましたが、第1楽章の印象の差はかなり大きいものでした。 フィルハーモニア管弦楽団以外とのライヴ録音のLPの広告に「トリノのオケがまるでドイツのオケのように分厚い響きを~」と書いてあったことがあったので、自分の感想がまんざら暴走しているわけでもないと思っています。

 ベルリンPO、ウィーンPOやアムステルダム・コンセルトヘボウも現代でもベートーベンの交響曲を演奏していますが、チェコフィルはどうなっているだろうかと思います。アムステルダムはI.フィッシャーが客演してある程度ピリオド折衷的なスタイルで演奏していましたが、チェコPOの方はネット上でも見たことがありません。上記の1960年代のレコードの演奏時間を見るとクレツキ、チェコPOだけが特別なテンポで演奏している風でもなく、レイホヴィッツとクレンペラーの両極端の間におさまっています。 
14 4月

タンホイザー ヴィントガッセン、クリュイタンス・1955年バイロイト

160414ワーグナー 歌劇「タンホイザー」

アンドレ・クリュイタンス 指揮
バイロイト祝祭管弦楽団
バイロイト祝祭合唱団(ヴィルヘルム・ピッツ合唱指揮)

タンホイザー:ヴォルフガング・ヴィントガッセン(T)
エリーザベト:グレ・ブロウェンスティーン(S)
ヴェーヌス:ヘルタ・ヴィルヘルト(S)
領主ヘルマン:ヨゼフ・グラインドル(Bs)
ヴォルフラム:ディートリヒ・フィシャー=ディースカウ(Br)
ワルター:ヨゼフ・トラクセル(T)
ビテロルフ:トニ・ブランケンハイム(Bs)
ハインリヒ:ゲルハルト・シュトルツェ(T)
ラインマル:アルフォンス・ヘルヴィッヒ(Bs)
牧童:フォルカー・ホルン(S)

(1955年8月9日 バイロイト祝祭劇場 ライヴ録音 Membran Wallet

 このタンホイザーは戦後再開さいれたバイロイト音楽祭でのタンホイザー、二年目の上演のライヴ音源です。当初はヨッフムが振る予定だったのがキャンセルしたため(御子息の急死だったらしい)、急きょクリュイタンスに代役がまわってきたという話がありました(前年のローエングリンのように)。 結果的にこの年にクリュイタンスはバイロイトに初登場して、1958年までの4年間と1965年にも指揮することになりました。彼がバイロイトで指揮した演目はタンホイザー、ローエングリン、ニュルンベルクのマイスタージンガー、パルジファルの四作品で、マイスタージンガーは1956年から三年連続、タンホイザーはこの1955年と1965年の二度でした。そのなかでも1955年のタンホイザーは有名でORFEO DOR(正規盤)からも出ていました。

 前年、1954年のカイルベルト指揮の上演から主なキャストでは、タンホイザーがヴィントガッセンに交代した他はエリーザベト、ヴェーヌス、ヘルマン、ヴォルフラムは同じでした。 しかし全体の印象は大きく変わり、モノクロからカラーに変わったような鮮やかさです。ヴィントガッセンの方が若々しくて甘い美声といった印象なので、いかにもヴェーヌスベルクなんかに惑わされそうな危なっかしさも感じられてより役にぴったりしそうです。

 エリーザベトと領主ヘルマンは前年も立派だったのに、さらに素晴らしく聴こえるのはヴィントガッセンのタンホイザーの声が絡んで引き立つからなのか気のせいなのか、とにかく圧倒的です。それにフィッシャー・ディースカウはバイロイト以外でもヴォルフラムを歌った録音があったはずで、この録音は特に素晴らしい(正真正銘当たり役か)と思いました。なお、前年同様に第一幕の序曲からバッカナールへ続く通称パリ版(ウィーン上演時に再改訂)に拠っています。

 この廉価箱はクリュイタンスのバイロイトのライヴ音源を集めたもので、昨夏に発売されました。その直後に購入して早速SDカードにうつして車中で聴いていました。タンホイザーの他には1958年のローエングリン、1957年のマイスタージンガーが入っていますが、やはり評判通り?タンホイザーが一番素晴らしいと思いました。というよりクリュイタンスの指揮、オーケストラはこれが抜きん出ていて、目が覚めるような明快さだと思います。 *ところで、これをアップする直前で熊本県で地震があったというニュースがありました。津波の心配は無いとのことですが、ちょっと大きそうで心配です。そういえば先日の深夜に兵庫県を震源とする地震があって目が覚めたことがあり、自身の不安は消えません。
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昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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