raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

2016年03月

31 3月

ヴォーン・ウィリアムズの田園交響曲 ヒコックス、ロンドンSO

160331aレイフ=ヴォーン・ウィリアムズ 田園交響曲(交響曲 第3番)

リチャード・ヒコックス 指揮
ロンドン交響楽団(マルクス・ウォルフ:リーダー )

レベッカ・エヴァンス:ソプラノ

(2002年1月16-18日 ロンドン,オールセインツ教会 録音 CHANDOS)

160331b 今日の夕方、地下鉄に乗る前に「怖いクラシック 中川右介(NHK出版新書)」 という本を書店で見つけ、ぱらぱらとめくると「第七の恐怖 戦争」という章があってそこではヴォーン・ウィリアムズについてけっこう言及されているのが珍しかったので買ってその章を車内で読んでいました。その中で著者はヴォーン・ウィリアムズの第一次大戦従軍体験から生まれた田園交響曲について、作曲者自身が自ら「これは標題音楽ではない」とも言っていることから実は「戦争交響曲」であるとして、田園交響曲というのは反語だと指摘しています。標題音楽じゃなないのなら戦争交響曲でもないのでは?と言えそうですが、ヴォーン・ウィリアムズがこの交響曲を構想したのは従軍先のフランドル地方(仏北部からベルギー)でのことであり、応急処置を担当する訓練を受けた後に前線で担架を担当する兵として塹壕に入って戦い、爆音の影響によって難聴になりました。

 ヴォーン・ウィリアムズは1914年末に王立軍医療軍団に志願して入隊(年齢から従軍義務は既になかったにもかかわらず) し、1916年6月にはフランスの戦地へ出発して1918年に入って陸軍音楽監督に就くまで戦地に居たようです。第2楽章のトランペット独奏部は前線でラッパ手(軍神木口のように戦死したかどうかは定かでない)が間違って七度の音程を繰り返して吹いていたのを思い出して書いたと言っています。だから作品の根底には戦場の光景(地獄絵図だったという)、それを見た時の感情が厳然とあり、決して長閑な自然をめでる曲ではないという指摘でした。

交響曲第3番・田園交響曲
第1楽章:Molto moderato
第2楽章:Lento moderato
第3楽章:Moderato pesante
第4楽章:Lento

 言われてみればなるほどと思いますが、曲を聴いていると凄惨な戦場と直結しているとはなかなか思いにくいので、我々平和ぼけ世代には「戦争交響曲の反語」としての田園交響曲というのは理解し難いものだと思いました。ヒコックスの録音はとくにのんびりした演奏なので余計にそう思いました。特にソプラノが加わる終楽章では桃源郷のような趣です。著者は「『田園』と思って聴けばそう聴こえるし、『戦争』と思って聴けばそのように聴こえる」とも言っているので、一応そういう話として受け止めておくことにします。

ヒコックス・LSO/2002年
①10分42②10分27③06分35④11分14 計38分58
スラットキン・PO・1992年
①09分59②10分31③04分48④08分15 計33分33
トムソン・LSO・1987年
①10分18②08分11③06分33④10分44 計35分46

 リチャード・ヒコックス(Richard Hickox CBE 1948年3月5日 - 2008年11月23日)は英国の作品の他にハイドンのミサ曲等の声楽作品、プロコフィエフのオペラ等幅広いレパートリーの録音を展開していました。ヴォーン・ウィリアムズ作品も交響曲だけでなく、このCDにもノーフォーク狂詩曲第1、第2がカップリングされているように管弦楽作品も録音を進めていました。それが急逝によって中断されてしまい、年齢からすればもうちょっと活躍できたので非常に残念です。このCDも田園交響曲もノーフォーク狂詩曲も素晴らしいので特にそう思いました。
30 3月

プッチーニの蝶々夫人 ロス・アンヘレス、ガヴァッツェーニ、ローマ歌劇場

160330プッチーニ 歌劇「蝶々夫人」

ジャナンドレア・ガヴァッツェーニ 指揮
ローマ歌劇場管弦楽団
ローマ歌劇場合唱団

蝶々夫人:ヴィクトリア・デ・ロス・アンヘレス(S)
ピンカートン:ジュゼッペ・ディ・ステファノ(T)
シャープレス:ティト・ゴッビ(Br)
スズキ:アンナ・マリア・カナーリ(Ms)
ゴロー:レナート・エルコラーニ(T)
ケイト・ピンカートン:マリア・ヒュダー(Ms)
ボンゾ:アルトゥーロ・ラ・ポルタ(Bs)、他

(1954年7月26-31日,8月2-6,8-9,11,23日 ローマ歌劇場 録音 BRILLIANT/EMI)

 一応今年度のことが片付いたので今日の夕方は早目に出て美術館に寄ろうかと思いましたが、書留や宅配が届いてばたばたしている内に時間が無くなりました。たしか京都市美術館でマネかモネの展覧会をやっていて、両者はどう違うのかと改めて問われれば答えられないと思っていました。後者が前者の模倣(マネだけに)する作風というわけではないはずで、美術館の催しを調べると展覧会をやっているのはクロード・モネ(Claude Monet 1840年11月14日 - 1926年12月5日)の方でした。マルモッタン・モネ美術館のコレクション、10代から晩年までの作品を展示と書いてありました。ちなみにマネ(Édouard Manet 1832年1月23日 - 1883年4月30日)の方が8歳程年長で1866年のサロンにモネが出品した作品がマネと間違えられたのをきっかけに交際するようになったとウィキには載っていました(やっぱり間違えられるんだと)。

 さて、冬のイヴェントの最後としてフィギュア・スケートの世界選手権が開幕します。浅田選手をはじめ何人かがプッチーニの「蝶々夫人」の曲を使っていたのでちょっと古い録音を聴いていました(実は今季の最初にも聴いていた) 。このCDはスペイン(カタルーニャ)生まれのソプラノ、ビクトリア・デ・ロス・アンヘレス(Victoria de los Ángeles 1923年11月1日 - 2005年1月15日)が30代前半の頃の録音の復刻盤です。違うレーベルからも出ているはずですがこれは廉価盤のBrilliant Classics から出たものです。そのためか、古いから元々こんな感じだったのか音質の方は今一つです。ロス・アンヘレスはこれの五年後くらいにも同役を歌ってステレオ再録音していましたが、こちらの旧録音も男声陣も立派で好評だったようです。

 正直この作品についての個人的関心としては、ほとんど主役の蝶々さんの歌だけでしたがこの録音では特にピンカートンのディ・ステファノにも惹かれます。ストーリー上は正妻をつれてしゃあしゃあとまた帰ってくる(ケイトが自分にも責任の一端があるとか言わないし)ところとかは虫が好かないと思っていましたが、こんな爽快な歌声なのでマイナスのイメージが緩和されます。

 ロス・アンヘレスと蝶々夫人をキーワードにネットで検索するとこの録音についての記事がチラホラと挙がってきて、彼女が歌う蝶々さんはかなり好評のようでした。中には愛らしいという感想もあって旧録音の方も賛辞が見られました。実は個人的にロス・アンヘレスについては若くてもオバハ、否、落ち着いたしっかり声というイメージで、15歳そこそこという設定の蝶々さんはちょっとどうかと思っていたところ、改めて聴いているとネット上でも見られた好評になるほどそうだとと納得しました。今年に入ってマイブームなモンセラート・カバリエはプッチーニ作品ならボエームのミミか蝶々さんが似合いそうだと思っていましたが、ロス・アンヘレスもなかなかだと思いました。その前にカバリエはそもそも蝶々さんを録音したかどうか分らず、見かけたこともありません。

 この録音でもイタリア・オペラ職人的なポジションジャナンドレア・ガヴァッツェーニ(Gianandrea Gavazzeni 1909年7月25日 - 1996年2月5日)がローマ歌劇場で指揮しています。プロフィールを調べると1948年から50年近くもミラノ・スカラ座の首席指揮者を務め、評論家、作曲家としての活動もあるとなっています。ちなみにロス・アンヘレスの「蝶々夫人」・再録音はガブリエーレ・サンティーニが指揮しています。どちらもヴェルディやをはじめイタリア・オペラのレコードで名前を見かけるので、エレーデやプラデッリらも含めて彼らの本場での序列というか格はどうなっているのだろうかと思います。
29 3月

プッチーニのマノン・レスコー カバリエ、ドミンゴ、バルトレッティ、ニュー・PO

160329プッチーニ 歌劇 「マノン・レスコー」

ブルーノ・バルトレッティ 指揮
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
アンブロジアン・オペラ合唱団(ジョン・マッカーシー指揮)

マノン・レスコー:モンセラート・カバリエ(S)
騎士デ・グリュー:プラシド・ドミンゴ(T)
ジェロント:ノエル・マンジャン(Bs)
レスコー(マノン兄):ビセンテ・サルディネロ(Br)
エドモンド:ロバート・ティアー(T)
宿屋の主人:リチャード・ヴァン・アラン(Br)
舞踊教師:バーナード・ディッカーソン(T)
歌手:デリア・ウォリス(Ms)
軍曹:ロバート・ロイド(Bs)
点灯夫:イアン・パートリッジ(T)
海軍大尉:グウィン・ハウエル(Bs)

(1971年7,12月 ロンドン,ブレント・タウン・ホール 録音 EMI)

 先週の水曜日に京都市も桜の開花が確認されたので鴨川沿い(左岸)を通ったらまだチラホラと咲出した程度でした。予報通り今週末から日曜あたりで一気に見頃になりそうですが、既に市内は遠方のナンバーを付けた車が急に増えました。夕方は御池通から五条通まで南下するのにチャイコフスキーの悲愴を余裕でまる一曲聴くことができるくらいの時間がかかりました(歩いたほうがは速かった) 。ここ数年、このシーズンに烏丸通だけでなく南北の通がこんなに混んだことはあったかどうか、単に事故か何かの影響だったのかもしれませんがそこそこ賑わっているようです。

 このCDはソプラノのモンセラート・カバリエとドミンゴらを起用した「マノン・レスコー」のセッション録音です。クレンペラーがまだ存命の頃でフィルハーモニア管弦楽団がニュー・フィルハーモニアと名乗っていました。健康がすぐれずキャンセルが増えたクレンペラーの穴を埋めるべくクルト・ザンデルリンクが客演する頃でした(1972年に首席客演指揮者に就任する)。特に1970年代のこのオーケストラは独墺ものに加えロシア、フランス系にイタリア・オペラと何でもレコード録音しているのには感心します。

 この録音はカバリエが歌うマノンとその相手役ドミンゴが目当てですが、聴いているとカバリエはこの役の教本的な美しさながらそれよりもドミンゴの方が華々しくて目立って聴こえます。また、バルトレッティ指揮のオーケストラもなかなかです(アラン・ロンバール指揮のトゥーランドットよりはかなり良い)。イタリア・オペラのレコードで有名なプリマが参加しているものはオケを伴奏と呼ぶのを時々見かけました。ジュリーニとアバドの間の世代にあたるバルトレッティ(Bruno Bartoletti 1926年6月10日 - 2013年6月9日)もレコード界ではオペラ職人的な扱いですが、単なる伴奏とは言えない魅力があると思います。このCD以外では「セビリアの理髪師」等がCD化されていました。

 プッチーニの出世作となったオペラ「マノン・レスコー」は、1893年2月1日にトリノ王立劇場で初演されて注目されました。原作はアベ・プレヴォーの「ある貴族の回想録(全7巻)」に含まれる同名小説で、プッチーニ以前にマスネもオペラ化しています。 プッチーニのオペラ台本は次々に入れ替わって五人がかかわることになりました。18世紀末のフランスとその植民地のアメリカを舞台にして、修道院に入れられる直前のマノンに一目ぼれしたデ・グリューが彼女をさらって駆け落ちし、最後はアメリカの荒野で死ぬという破滅的なお話です。だからストーリだけをとれば全然好きではない(しっかりせい、デ・クリュー)のにプッチーニのメロディの魔力、マジックのためにひきつけられてつい全曲盤まで聴いてしまう作品です。このCDでもストーリーは度外視してドミンゴが第三幕で歌うデ・クリューのアリア “ Pazzo son, guardate (狂気のこのわたしを見てください) 、マノン役のカバリエが歌う第四幕のアリア “ Sola,perduta,abbandonata (ひとり寂しく捨てられて) は特に素晴らしいと思いました。
28 3月

プロコフィエフ交響曲第5番 アシュケナージ、ACO

160328プロコフィエフ 交響曲 第5番 変ロ長調 op.100 

ヴラディーミル・アシュケナージ 指揮
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

(1985年11月 アムステルダム,コンセルトヘボウ 録音 DECCA)

 あえてメモリアル年について言えば今年はプロコフィエフの生誕125周年にあたります。それでは生誕120周年とか没後50周年の年には特に意識したかと振り返ればあまり印象に残っておらず、復刻CDか中古品を購入したくらいだったと思います。今年はというか、早春の昨今ちょっとプロコフィエフに親近がわいているのでこの機会に代表作をちょくちょく聴いています。このCDはアシュケナージがシドニー交響楽団との全集以前に録音していたプロコフィエフの交響曲を集めた廉価盤です。第1番、第5~7番の四曲をロンドン交響楽団、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団、クリーヴランド管弦楽団とばらばらに録音していました。どうもこの曲も決定的な評判をとる程じゃなかったようですが、今聴いてみると何故か惹かれるものがあります。

 プロコフィエフの代表作、交響曲第5番はロシア革命後に西側へ移住していたプロコフィエフがソ連に帰国後、独ソ戦に突入してからの1944年に約二カ月間で集中的に作曲し、翌年の1945年1月13日にモスクワのモスクワ音楽院大ホールで、プロコフィエフ自身の指揮、モスクワ国立交響楽団によって初演されました。

交響曲第5番 変ロ長調 作品100
第1楽章:Andante 変ロ長調
第2楽章:Allegro marcato ニ短調
第3楽章:Adagio ヘ長調
第4楽章:Allegro giocoso 変ロ長調

 プロコフィエフも祖国愛に目覚め、「自分も何か偉大な仕事に取り組まなければならない」 という動機から作曲を進めました。初演された頃にはドイツの敗色が濃くなり形勢が完全に逆転(赤軍がヴィスワ河を越えて独領に侵入する)していて、ちょうどショスタコーヴィチの交響曲第8番と第9番の間の時期に初演されました。初演は全部プロコフィエフの作品によるプログラムの公演であり、ラジオ中継もされて大成功でした。第1楽章の冒頭こそ何となく郷愁漂うなような旋律が流れるものの、続く楽章はショスタコーヴィチの交響曲第6番、第8番と第9番をミックスしたような、勝利の祝典の芯を外すような軽妙さも感じられて、よく批判の対象にならなかったと思います。そこまで単純なプロパガンダ的作品がのぞまれたわけではないということでしょうが、「ただの国境線がみんなのものになった」というリヒテルの言葉や祝砲が撃ち鳴らされた状況とはちょっとずれる作風です。

 そんな当時に対する懸念は別にして、作品自体は色々なものを描写するよりも婉曲的で洗練された作風が魅力的です。「古典的な」、「近代的」、「筋肉運動的(名人技的な)」、「抒情的な」と、プロコフィエフは自身の音楽にそれら四つの基本ラインを認めているということで、今まで前三者はプロコフィエフの名前から即座に連想させられましたが、四つ目の「抒情性」(シドニーSOとの交響曲全集の解説には「ロシア風演歌」と評している)、もさりげなく効いていると実感しました。
27 3月

アトス山の復活祭 アトス山クセノフォントス修道院・1978年

160327bアトス山の復活祭

クセノフォントス修道院長アレクシオスと
同修道院の修道士


1.復活徹夜祭(復活の主日前夜) 
 ①光の分配と教会からの行列による外出
 ②鐘の音とシマンドラ
 ③カノンの第1オードとシナプティによる教会への入場
 ④カノンの第9オード
 ⑤復活祭のスティキロンを持つ賛課の詩編
 ⑥復活祭の説教(偽クリュソストモス作)
 ⑦鐘の音とシマンドラ
2. 聖金曜日、聖土曜日の朝
3.復活の主日の朝 


(1978年3月25日他 ギリシャ,クセノフォントス修道院 ライヴ録音 ARCHIV) 

 今日はキリスト教の西方教会では復活祭・イースターだったわけですが、東方正教会ではユリウス暦を使用しているということでそれによると今年は5月1日(グレゴリオ暦の)が復活祭にあたります。「ハリストス復活!」、「実に復活!」という言葉はまだ一か月程先のようです(実際にそれを聞いたことは無いけれど)。

160327a このCDも旧ブログの最初期に取り上げていました。復活祭、キリスト教の復活ということを考える上でこの記録音源は欠かせないのではないかと思える内容なので、再度取り扱っておきます。これは元々三枚組のLPから成る構成で、第1集:復活徹夜祭(復活の主日に日付が変わる深夜から始まる典礼)、第2集:聖金曜日と聖土曜日の朝の典礼、第3集:復活の主日の朝の典礼と三分割されて国内盤LPでも発売されたようです。手元にあるのは第1集の国内盤LPと完全版の輸入CDだけですが、日本語の解説に「第1集」と書いてあるので続きの国内盤もあったはずです。この手のLPはあまり中古でも見かけない割に値段は安く、あくまで新品ではないという枠組みのようです。LPで聴いていた時は強烈な印象を受けたので後年解説を見直していると、「続編があるじゃないか」と気が付いてどうしても聴きたくなり、ネットで検索している内にようやく復刻CDを入手できました。

160327c 「復活徹夜祭」という語をあてて良いかどうか分りませんが楽曲の見出しを読むと概ね現代のカトリック教会の典礼と重なるので便宜上そうしておきました。②「鐘の音とシマンドラ」という部分は歌は無く、鐘楼の鐘が打ち鳴らされる音とシマンドラという打楽器が連打される音が深夜の静寂を破って響き渡ります。これは言語ではなかなか復活ということを表し難いのに対して、復活そのものを全く象徴的に表現していると鮮烈に印象付けられます。旧約聖書の「天地創造」の記述は改めて言うのもあれですが、特定の人間がその様子を直接見て書きとめたわけではないので、同様に新約聖書の復活についてもそういう書き方があっても不思議じゃないと単純に思ってしまいます。しかし、福音書の記述ではイエズスが埋葬されるまでと、墓を封じる大きな岩が動かされて埋葬したはずの御遺体が無いという場面の記述だけに留められています。つまり奇跡物語のような記述をしようとしても出来ない、そういうことを受け付けないというものだと言えるのでしょうが、そういう神秘が鐘とシマンドラの音で不思議な説得力を持って迫ってきます。

160327 シマンドラは薄い木材に金属片を付けたもので二種の音の高さを出し、教会堂の外でしか鳴らされないと書いてあります。これの他に鈴、コロスという大きな飾りの付いた燭台のようなものが回転しているくらいでオルガンもありません。だからローマカトリックやプロテスタントといった西方教会で聴くことが出来る「音」、「音楽」とはかなり異なっています。東方の正教でも都市部にある教会なら聖歌には共通するものがあってもそうした楽器は使ってないだろうと思われます。また、歌われる聖歌もグレゴリオ聖歌のどの唱法による歌とも違っていて、後年に作曲されるロシア正教のような洗練度とも異なります。荷車を引く等の労働をする時の歌のような力強くて素朴な響きが特徴です。時々思い出したように「グレゴリオ聖歌=癒し」ということで軽くブームのような注目を受けますが、アトス山の聖歌はちょっと違って動け、働けとでも促されているような動的な印象です。

160327d 聖金曜と聖土曜日の朝はカトリックの「暗闇の朝課(ルソン・ド・テネブレ)」に相当すると思われます。ここで聖木曜日の典礼が含まれないのが残念で、洗足とか主の晩餐がどのようになっているかのかちょっと気になります。なお、ギリシャのアトス山は 「聖山の修道院による自治国家」として自治が認められているのでこの録音当時と大して変わらない環境が続いているのか、ネットやスマホには接続できるくらいにはなっているか。若い頃には一度行ってみたいと思っていましたが年をとると快適さに慣れ、ここだけでなくサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼道も、特にトイレの快適さがネックになって写真や文章で見るだけでいいかと消極的になってきます。ともかくこういう種類のLP、CDは日本語解説が付く国内盤が有難いものです。
26 3月

ヒンデミットの歌劇「画家マティス」 ヤング、ハンブルク州立歌劇場

160326bヒンデミット 歌劇「画家マティス」

シモーネ・ヤング 指揮
ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団
ハンブルク州立歌劇場合唱団

画家マティスファルク・シュトルックマン
(Br)
(マインツ大司教)
アルブレヒト・フォン・ブランデンブルクスコット・マカリスター(T)
(農民戦争の頭目)
ハンス・シュヴァルプペアー ・リンドスコク(T)

(ヴァルデブルクの娘)
レギーナ:インガ・カルナ(S)

(マインツの大富豪)
リーディンガーハラルド・スタム(Bs)

(リーディンガーの娘)

ウルスラスーザン・アンソニー(S)

(諸侯連合軍の将)
ジルフェスター・フォン・シャウムベルクユルゲン・ザッヒャー(T)
ヘルフェンシュタイン伯爵夫人:レナーテ・スピングラー(A)
(マインツ副司教)

ロレンツ・フォン・ポメルスフェルデン:カルステン・ウィットモサー(Bs)
(大司教顧問官)
ヴォルガング・カピト:ペーター・ ガリアード(T)
ヴァルデブルクの長官:モリッツ・ゴッグ(Bs)
伯爵の笛吹き者:ホー・ユーン・チャン(T)

(2005年9月25日 ハンブルク州立歌劇場 ライヴ録音 Oehms)

 昨夜から日本のプロ野球が開幕し、今日はデイ・ゲームで行われました。タイガースはようやく一勝でき、新戦力が初安打、初打点をあげる等明るい材料がいっぱい見られました。あと、開幕スタメンを勝ち取ったキャッチャーの岡崎の活躍はこれまでの努力が報われてうれしいものです(まだ先が長いけれど)。ただ、中日の新外国人ビシエド(キューバ出身らしい)の二試合連発は不気味で、今季も中日戦が鬼門になるかもしれません。

160326 先週のハンス・プフィッツナーのオペラ「パレストリーナ」と同じくシモーネ・ヤング指揮のオペラ全曲盤ですが、こちらは音声のみのCDであり、作品の作られた年代がもう少し下がり、第二次大戦直前の1938年にチューリヒで初演されました。作曲されたのは1935年でしたがナチス統治下のドイツであったので台本が癇に障ったのかドイツ国内では上演できませんでした。 タイトルの「画家マティス」は「イゼンハイム祭壇画」で知られたマティアス・グリューネヴァルト(1470?~1528年)のことで、話のすじはドイツ農民戦争の頃を舞台とした悲劇的な内容です。「パレストリーナ」のように「パレストリーナ万歳!」では終わらない、複雑で現実的(ある意味で理想主義的)な物語なので、あの時代にこれを作って上演しようとすること自体に感動を覚えます。

160326c マティスはマインツ大司教に厚遇されている画家でありながら、農民戦争の農民軍側の指導者シュヴァルプとその娘レギーナを匿い、逃がしたことから農民軍=プロテスタント側へ加担することになります。何とか真正面からぶつかる戦闘を回避しようとするも結果は最悪になり、シュヴァルプ父娘は死に、元恋人のウルスラと結ばれることもなくマティスは画家をやめて消息を絶つと、大幅にはしょるとそんな結末になりますが、大司教から今後も画家としてやっていけるようにするという申し出を受けてもそれを辞退するところが特に胸を打たれます。現実の世界ではなかなかそんな筋を通すというか、潔い行動はとれないものです。 

160326a 全7場の中で第6場が幻想的で少々難解です。マティスがイーセンハイムの祭壇画の世界に入り込む(聖アントニウスに姿を変えて)形をとってその苦悩が表現されています。 大司教、シュヴァルプやウルスラらマティスの身近な人間が祭壇画の人物に姿を変えて問いかけられ、責められ、誘惑されつつ最後に聖パウロの姿をとった大司教から画家マティスとしての使命を宣言されて朝となり、第6場が終わります。そして最後の第7場ではマティスのアトリエの中、瀕死の状態だったシュヴァルプの娘のレギーナが死ぬことになり、その臨終にマティスが描いたキリストを見ながら父親だと思って呼びかけながら穏やかな顔で息を引き取ります。そこでマティスは画家としての自分の使命は終わったと自覚することになります。現実の世界では風見鶏的に、格好悪くて実質使命が終わっててもしがみつつかざるを得ないので余計にまぶしく見えます。

 このオペラから作られた交響曲があり、そちらの方が演奏頻度が高く、録音も多いのですがやはり完全な形で観たい作品です。ただ、音楽自体はヒンデミットの作品の中では親しみ易いとされていても、苦味があると言えばよいのか、ワーグナーやR.シュトラウスのような性格は後退しています。 
25 3月

バッハのヨハネ受難曲による聖金曜日の夕拝 バット、ダニーデン・コンソート

160325J.S.バッハ ヨハネ受難曲 BWV.245

ジョン・バット 指揮・チェンバロ、オルガン(前奏曲)
ダニーデン・コンソート
グラスゴー大学チャペル合唱団
福音書記者:ニコラス・マルロイ(T)
キリスト:マシュー・ブローク(B)
ジョアン・ラン(S)
クレア・ウィルキンソン(A)
ロバート・デイヴィス(Br)

(2012年9月10-12,11月2日 録音 LINN)

 今日の午前中、ネットのニュースを見たらまた死刑執行の速報が出ていました。当該死刑囚はどんな事件を起こしたかを見れば今でも覚えているくらいなので複雑な感情です。終身刑を認める代わりに死刑を廃止すべきだという運動がある反面、塀のなかとは言えどもギリギリ衣食住があてがわれるのでホームレスになる心配は無いのは不公平とか辛辣な意見もあります。そんな今日の金曜日は「聖金曜日」で、今年はしっかり朝からそのことを覚えていたのでとりあえず小斎(動物の肉とかをひかえる)は守れました。いつも朝はビスケットくらいしか食べないので、昼はおろし蕎麦、夜は握り飯で済ませたので自然とそうなりました。

160325a このCDも旧OCNブログの時期に一度取り上げたものですが、特別の感銘度なので再度扱うことにしました。これはバッハのヨハネ受難曲全曲盤の一種ですが、同作品以外の楽曲を連続演奏してライプチヒの聖トーマス教会で行われたであろう聖金曜日の礼拝を再現した録音です。ルネサンス期のミサ曲の録音にはこういうかたちのものは見られますがバッハの受難曲では他に見たことはありません。単に珍しいというだけでなく、冒頭から聖金曜日の沈痛で引き締まった空気が伝わってきます。ドイツで広く浸透した御受難のコラール「イエス十字架にかかり給いし時」の旋律がオルガンとコーラスの両方の楽曲で演奏され、これで一気に引き込まれます(グラスゴー大学の学生によるコーラスもいい味を出していると思いました)。

OPENING LITURGY
1.J.S.バッハ:コラール前奏曲
 『イエス十字架にかかりたまいし時』 BWV.621
2.シャイン:会衆のコラール
 『イエス十字架にかかりたまいし時』
3.ブクステフーデ:受難への前奏曲嬰ヘ短調 BuxWV.146

~J.S.バッハ:ヨハネ受難曲 BWV.245(第1部)

CONGREGATIONAL RESPONSE TO PART 1 OF THE PASSION
J.S.バッハ:コラール前奏曲
 『おお罪なき神の小羊よ』 BWV.618
作曲者不詳:会衆のコラール『おお罪なき神の小羊よ』
J.S.バッハ:コラール前奏曲
 『われらを救いたもうキリストは』 BWV.620
SERMON SECTION (HPからダウンロード)
説教(エルトマンノイマイスター,Epistolische Nachlese)
J.S.バッハ:コラール前奏曲
 『主イエスよ、我らをかえりみ給え』
会衆のコラール
 『主イエスよ、我らをかえりみ給え』

~ J.S.バッハ:ヨハネ受難曲 BWV.245(第2部)

CLOSING LITURGY
ガルス:モテット
 『見よ、ただしき人が死にゆく様を』
作曲者不詳:応唱、特祷、祝祷
シャイン:神の恩寵われらにあり
J.S.バッハ:コラール前奏曲
 『いざもろびと神に感謝せよ』 BWV.657
クリューガー:会衆のコラール
 『いざもろびと神に感謝せよ』

160325b バッハによるヨハネ受難曲の方は第一部と第二部に分割しただけで、受難曲の各楽曲の間に別の音楽を挿入することはしてません。だから元々の作品を分解しているという風ではなく、さして違和感は無いのではないかと思います。ジョン・バットは他にバッハのマタイ受難曲、ロ短調ミサやヘンデルのメサイアもOVPPの編成で録音していました。正直それらは初期稿や珍しい稿を採用していること、最少編成で演奏していることへの注目はあっても演奏自体はあまり訴えかける力が弱いという印象でした。このヨハネ受難曲はそれらと少し違って、仮に通常のCDのようにバッハのヨハネ受難曲だけを演奏していたとしても感動的だったと思えるものでした。

 マタイ受難曲程の人気は無いとしてもヨハネ受難曲も相当数の録音が出ていてどれが一番だとかは到底決められません。個人的に何種類か印象深い録音を挙げるとすればこれは絶対外せないと思います。あと、このCDのLINN・レーベルの音質はかなり素晴らしくて、これらを聴くと同社の出しているオーディオ機器も良質なのでは?と高価でなかなか手が出ないので想像だけにしています。
24 3月

ブルックナー交響曲第9番 ヴァント、ベルリンPO・1998年

160324bブルックナー 交響曲 第9番 ニ短調 WAB.109(1894年原典 ノヴァーク版)

ギュンター・ヴァント 指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(1998年9月18,20日 ベルリン,フィルハーモニー ライヴ録音 RCA/BMG・JAPAN)

160324a さて今年も聖木曜日がやってきました。ペルーなんかではこの一週間はSemana Santa(聖週間)として国民の祝日になっていたり、スペインではViernes Santoとして金曜だけが祝日になっています。しかし日本では普段と何ら変わりのない平日です。そういう今日の朝、いつも通勤時に通る国道24号で交通事故の現場(反対車線)の横を通り過ぎました。詳しくは分らないものの、車は変形が目立たなく、辺りに流血は無くてそこそこましな事故のようでした。つくづく思えばここ十六、七年で車をほぼ毎日くらい運転するようになり、年間一万キロは走行しているのに大きな人身事故を起こさずに済みました。免許更新の講習で見せられる映画のような苦境に陥ることが無かったのはそれだけでも有難いことでした。夕方頃にそうやって感謝をもって振り返り、トレンドは自転車だと改めて思いながら自動車の利用を減らそうか、運動をどげんかせんと思いながら居眠りしていました(気が付くと18:15だった)。

160324 このCDは非常に有名なヴァントがベルリンPOに客演した公演のライヴ録音です。1990年代だけでもヴァントのブルックナー第9番は以下のように複数あります(他にもあるかもしれない)。今年に入ってからはブルックナーを聴く頻度が下がっているので段々とブル欠乏症気味で、久々に聴くとやっぱりイイなあとしみじみ思います。しかし、同じブルックナー第9番、1998年の北ドイツRSOのライヴ盤には、ヴァントが指揮する頻度が低い(手兵の北ドイツRSOと比べて)ベルリンPOよりも北ドイツRSOとの演奏の方が自然な美しさ、「室内楽的とも言える繊細極まる音楽への同化」という点では優っていると書いてありました。今回このベルリンPO盤を聴いていて、本当にそうなのかよく分らず、ベルリンPOとの方も十分精度が高くて素晴らしいのじゃないかと思いました。

~ ヴァントのブルックナー第9番
BPO/1998年9月
①26分12②10分35③25分12 計61分59 
MPO/1998年4月
①27分02②10分48③25分18 計63分08 
NDRSO/1998年4月
①27分26②11分08③26分16 計64分50
NDRSO/1993年3月
①26分55②10分43③26分52 計64分30 

 
ただ、 やっぱり晩年になってもヴァントのブルックナーはことさら宗教的な感情を刺激させるような壮大さはあまりなくて、徹底的に澄み切って文学的、宗教的な感情を投影してほめることを拒むような潔癖さが張りつめているようです。こういう感じの第9番は心地よく、高い山の頂に登ったような(実際にそんな登山経験は無いが)清々しさです。こんな風にたとえるとそれだけで値打ちが下がるような透徹さです。この録音が新譜で出た頃はヴァントは第9番を既に北ドイツ放送交響楽団と二度も録音していて、再録音(1993年3月、大聖堂じゃない方)の方が特に感動的だったのでもうこれ以上は良くならないだろうと思っていました。しかしやっぱりこのベルリンPO盤は新譜時に評判になったはずだと改めて思いました。なお、第3楽章の終わりには演奏後の拍手等は収録されていません。
23 3月

プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番 アシュケナージ、プレヴィン、LSO

160323プロコフィエフ ピアノ協奏曲 第3番 ハ長調 作品26

アンドレ・プレヴィン 指揮
ロンドン交響楽団

ウラディーミル・アシュケナージ:ピアノ

(1975年4月 ロンドン,ングズウェイ・ホール 録音 DECCA)

 今夜の七時過ぎに京滋バイパスを東へ進んでいると進行方向の山にほぼまん丸い月が出ていました。 先日の日曜が春分の日、次の日曜がイースター(復活の主日)なので両日の間に満月がの日があるわけで、調べると今日3月23日がちょうど満月でした。なんでも満月の平均周期から一年間に満月は12から13回あるとのことで、それ以上はよみとばしました。街のあかりも無い方角なので満月がきれいに見え、これに桜の花を同時に見ることができればなかなかのものだと思いながら通り過ぎました(残念ながら花見にはまだ早い)。

 先日プロコフィエフのオペラや交響曲のCDを置いた場所を探している時、たしかピアノ協奏曲の廉価盤もあったはずだと思いながらすぐには出てきませんでした。それが先日の連休にようやく置いた場所が分り、ひっぱり出して通勤、帰宅時に車中で聴いていました。ある作品の冒頭部分だけを聴いて曲名を当てる「きらクラDON」にプロコフィエフ作品が出題されれば、唯一ピアノ協奏曲第3番だけは回答できるかもしれないと思いながら第3番だけを聴いていました。カスタネットの音色が印象的です。

ピアノ協奏曲 第3番 ハ長調 作品26
第1楽章:Andante - Allegro 
第2楽章:Tema con variazioni(主題と変装) : Andantino
第3楽章:Allegro ma non troppo

 この曲はプロコフィエフの創作初期、1921年に完成されて同年12月にシカゴで作曲者自身のピアノとフレデリック・ストック指揮、シカゴ交響楽団によって初演されました。初演の際には評判は良くなかったものの翌年のパリ初演で評判になって、以後プロコフィエフの代表作として演奏頻度が高いコンチェルトとして定着しています。なお、プロコフィエフがアメリカへ渡る途中に日本へ立ち寄り、その時に耳にした旋律(越後獅子か、あるいは他の作品)が第3楽章に使われているという説は真偽の程は定かではないようです。

 過去にプロコフィエフとは縁が薄かったのにわざわざこのCDを購入していたのは、N響アワーで上原彩子が妊娠中にもかかわらずこれを熱演していたのを観て影響を受けてのことでした。暗譜でなにやら口ずさみながら弾く姿がのだめのキレキレで弾く姿と重なったので特に印象に残っていました。有名作品なので多くのピアニストが録音していて、自分の中ではやかましいくらいの技巧的作品だというイメージがありました。このアシュケナージとプレヴィンのセッション録音は全然暴力的な印象は受けず、難曲を余裕で優雅に弾いているようで、最初はシベリウスのような感じでした。同コンビでピアノ協奏曲を全部録音しているけれど、同曲の決定的な名盤という程の評判ではないようです。それでも通して一曲を聴くとまた最初から聴きたくなる妙に習慣性のある演奏だと思います(全曲で30分未満だからかもしれないが) 。
22 3月

ムソルグスキーのボリス・ゴドゥノフ ゲルギエフ/1990年収録

160322aムソルグスキー 歌劇 「ボリス・ゴドゥノフ」 (1872年稿・ロイド=ジョーンズ校訂版)

ヴァレリー・ゲルギエフ 指揮
マイリンスキー劇場管弦楽団
マイリンスキー劇場合唱団

ボリス・ゴドゥノフ:ロバート・ロイド(Bs)
フョードル:ラリッサ・ディアドコヴァ(Ms) 
クセーニャ:オリガ・コンディナ(S)
シェイスキー公:エフゲニー・ボイツォフ(T)
聖痴愚:ウラディミール・ソロドフニコフ(T)
ニキーティチ:エフゲニー・フェドートフ(Bs)
マリーナ:オリガ・ボロディナ(Ms)
グレゴーリ:アレクセイ・ステブリアンコ(T)
ランゴーニ:セルゲイ・レイフェルクス(Bs)
ピーメン:アレクサンドル・モローゾフ(Bs)
ヴァルラーム:ヴラディーミル・オグノヴェンコ(Bs)、他

演出:アンドレイ・タルコフスキー

(1990年4月 サンクト・ペテルブルグ,マイリンスキー劇場 収録 Decca)

 春の選抜高校野球に続いて今週金曜からはプロ野球も開幕します。オープン戦の順位はあるものの、今の時期は各チームのフアンの脳内にはバラ色のシーズンが描き出され、チームに十勝以上の投手が5、6人居たりタイトル・ホルダーだらけで、結果的に12球団が優勝ラインの80勝超えという夢の世界です(妄想混じりだとしても今年のタイガースはいけそうな気がする)。さて、まだ冬の冷え込みが残っている間にムスルグスキーのオペラ「ボリス・ゴドゥノフ」の民族色が強い演出の映像ソフトです。ゲルギエフが30代の頃のキーロフ劇場(マイリンスキー劇場)の公演のようですがプロダクションはコヴェントガーデンのロイヤル・オペラのものだと表記されています。DVDブックスとして配本された中身と同じらしく、結構有名な映像作品のようですが音質、画質ともに現代からすればぱっとしません。

 「ボリス・ゴドノフ」には作曲者自身によるもの以外に複数の異稿があり、ロシア国内での慣習等も加わって複雑な状況があります。従来はリムスキー・コルサコフ版が国際的に普及していましたが、その後このソフトのようにロイド=ジョーンズ校訂版が使われるようになりました。それは作曲者の初演時の状態で上演すべきであるという潮流にのったものです。ただ、ムソルグスキーが最初に完成させたのは1869年稿であり、それが帝室劇場に上演を認められなかったのを受けて作曲者自身で改訂した1872年年稿になり、初演はそれを基本にして行われました。このDVDの稿・版も「1872年完全全曲版」と表記がありますが1872年稿そのものとの違う点があり、目立ったところでは第四幕が1872年稿そのものは第1場「ボリスの死」、第2場「革命の場面」の二つで構成されるのに対してロイド=ジョーンズ校訂版はその二つの前に「ヴァシーリィ・ブラジェンヌイ聖堂前の広場」の場面が加わり3場構成になります。聖痴愚(シンプルトン)が第四幕の第1場と第3場の二度登場することになります。

160322b 
このDVDの公演はプロローグ、第一幕、第四幕が特に印象に残り、上記の稿、第四幕の構成とも絡んで、主人公は誰か(主人公はあるのか) と言う問題もクローズアップされます。ヴェルディの悲劇のようにタイトルロールのボリスが主人公、ボリスのオペラという見方が本来の作品として適当なのか異論の余地があるというのも何となく実感できます。この公演では聖痴愚(Simpleton)は顔全体をすっぽり包む頭巾のようなものを被って登場して歌います(文楽の黒子かパペット・マペットの人にような)。みすぼらしい外見なのに思いっきりインパクトがあって、その他のパンを乞う貧しい人々の姿とも重なります。その聖痴愚がボリスと並んで言葉を交わす第四幕の第1場は象徴的であり、ボリス役のロバート・ロイドの声、堂々とした体躯が際立ちます。

 フィナーレはボリスの死で幕が下りるのじゃなく、グレゴーリらと群衆が進軍して混迷が続く中で「流れろ、流れろ、苦い涙は、泣いて、泣け、正教徒の魂よ」の歌と共に終わります。この公演では舞台中央上方に天使の姿が映し出され、血が付いた鉈のような斧がアップになって終わります。特定の人物、英雄を描くというよりも混迷の時代そのものが主題という印象が強くなっています。 前回観たケント・ナガノ指揮、ミュンヘン・オペラの「ボリス・ゴドゥノフ」は1869年稿(原ボリス)による上演で、演出は現代的な舞台への読替演出だったので色々な面でこのDVDとは対照的でした。率直な感想は、簡素な構成である「原ボリス」が一番印象深くてこのオペラの個性がよく現れると思えます。
21 3月

教皇マルチェルスのミサ シュレムス、レーゲンスブルク大聖堂聖歌隊

160320bパレストリーナ 教皇マルチェルスのミサ(国内盤LP)

テオパルト・シュレムス 指揮
レーゲンスブルク大聖堂聖歌隊

A面:教皇マルチェルスのミサ
 キリエ:3分24
 グロリア:4分38
 クレド:7分33
 サンクトゥス:3分19
 ベネディクトゥス:2分53
 アニュス・デイ:4分48

B面:8つのモテット

(1961年10月6-9日 録音 Ar)

160320a 昨夜のプフィッツナー作のオペラ「パレストリーナ」のブルーレイ、第二幕で登場する枢機卿らはメイクや衣装の加減もあってか何となくガラが悪くて、ちょっとマフィアの集まりにも見えそうでした。上演していたのはミュンヘンなのでカトリック圏であり、バイエルン州出身のベネディクト16世の地元なのに軽く悪意が感じられる表現でした(気のせいか)。今回はそのオペラの題材になった話のミサ曲とされてきた「教皇マルチェルスのミサ」の古い録音です。海外ではCD化されたことはあるかもしれませんが見たことはなく、目下国内盤のLPしか持っていません。実はこのLPは旧OCNのブログサービスで作成していた初期に一度取り上げていました。自分の中ではクラシック音楽のLPやCDの中で一、二を争うくらい好きなLPで、独房や無人島に流されるなら是非持参したいものの一つです。クラシック音楽とかジャンルの枠を超えて何年経っても色褪せない感銘度です。

 この聖歌隊も色々な録音に参加している他、単独でも録音を行っていますが、もう少し新しい年代のものが大半です。ここで指揮しているテオパルト・シュレムス師は1893年にドナウ河沿い、上プァルツ地方のミッターライヒに生まれてレーゲンスブルクで神学、音楽を学んだ後、ミュンヘン、ベルリンでも学び、スイスのフリブール大学において「プロテスタント礼拝におけるグレゴリオ聖歌の歴史」という論文で哲学博士を取得しました。そして1924年から1963年までレーゲンスブルク大聖堂聖歌隊の指導をしていたので、この録音の頃はキャリアの末期にあたりました。カトリック教会の内部もシュレムス師亡き後は第二ヴァチカン公会議によって急速に変わって行くことになり、色々な意味でもこの録音は古い時代の空気とでもいうのか、そうしたものも影響していると想像できます。

 LPのA面に入っている「教皇マルチェルスのミサ」はこの聖歌隊も1985年に録音してCD化されている他、他の聖歌隊やプロのアンサンブルが録音しています。それらと比べて巧さ、技術的には抜きん出ているとは言えないかもしれませんが、やや揺らぎ気味なろうそくの炎を思わせる明るく暖かい高音が独特な魅力です。他の団体(同じ聖歌隊の後年の録音でさえも)からは聴かれないえも言われない美しさです。

 
なお、歌劇「パレストリーナ」の物語についてですが、最近ではパレストリーナGiovanni Pierluigi da Palestrina ジョヴァンニ・ピエルルイージ・ダ・パレストリーナ 1525年?-1594年2月2日)の「教皇マルチェルスのミサ」は、そこまでドラマティックな背景で作曲されたのではなくて、トリエントの公会議以前に作曲されていたとか、公会議で演奏されて賞賛されたのはヤコブス・デ・ケルレ(Jakobus de kerle 1531/2-1591年)の作品だったと考えられています。しかしこの六声部のミサ曲はパレストリーナの作品の中でも特に有名で重要であることには変わりありません。

 プフィッツナー は台本も自分で書いてまでパレストリーナの物語をオペラ化したのは、自身が著した 音楽的不能の新美学~腐敗の徴候?(Die neue Ästhetik der musikalischen Impotenz: Ein Verwesungssymptom?) の中で指摘する、ユダヤ人によって破壊的危機に瀕する音楽(ドイツの)に対する、自信を救世主になぞらえているかのようです(著書はマーラー、シュレーカー、シェーンベルクを念頭に置いてユダヤ人に対する激しい攻撃で結んでいる)。
20 3月

プフィッツナー歌劇「パレストリーナ」 ヤング、バイエルン国立歌劇場

160320bプフィッツナー 歌劇 「パレストリーナ」 Musikalische Legende in 3Aufzug)

シモーネ・ヤング 指揮
バイエルン国立管弦楽団
バイエルン国立歌劇場合唱団

パレストリーナ:クリストファー・ヴェントリス(T)
カルロ・ボロメオ:ファルク・シュトルックマン(Br)
教皇ピウス4世:ピーター・ローズ(Bs)
ジョヴァンニ・モローネ:ミヒャエル・フォレ(Br)
ベルナルド・ノヴァジェリオ:ジョン・ダスザック(T)
クリストフ・マトルシュト:ロラント・ブラハト(Bs)
ロートリンゲンの枢機卿:スティーヴン・ヒュームズ(Bs)
ルーナ伯爵:ヴォルフガング・コッホ(Br)
イギーノ:クリスティアーネ・カルク(S)
シッラ:クラウディア・マーンケ(Ms)、ほか

演出:クリスティアン・シュテュックル
舞台美術,衣装:シュテファン・ハーゲナイアー
照明:ミヒャエル・バウアー

(2009年7月10,14日 ミュンヘン、バイエルン国立歌劇場 ライヴ収録 Euroarts


 先週のある夜に同業者とある居酒屋に入った際に最初店内はガラ空きだったところ、徐々に4、5人単位のグループが入って来てにぎやかになりました。やがて彼らがの声が耳に入ってくるとどれもが中国語なのが分り、別に観光客向けの店でも無いのによく見つけた、ためらいも無く入って来たものだと感心しました。えいのヒレとか焼き鳥なんかが普通にメニューに載ってる店なのに中国語のガイド本にでも載っているのか?と思いつつ、もし中国語のグループが入って来なければその時間帯の売り上げは1/4から1/3くらいだったはずなので、なんだかんだと言っても経済効果は無視できないとしみじみ思いました。

160320a さて今日は「受難の主日」、復活祭の一週間前でした。ブログを分割してから何となくジキルとハイド的にネタのCDが分れてしまい、ちょっとやりにくい気もしています。このオペラのブルーレイは一応どちらのブログでも扱えそうな微妙な内容です。前教皇の祝賀コンサートでティーレマンが「パレストリーナ」からの音楽も演奏していたくらいですが、一方で作曲者のプフィッツナーは文化、芸術の価値観では国粋的で、国際的なものはどんなものでも嫌いと言われた人物でした(その割に「パレストリーナ」はドイツが舞台じゃない)。ナチスが栄誉を与えてくれることを望みつつ、気難しい性格がわざわいして大して重用もされず、鬱屈した日々を送りました。クレンペラーの師匠筋なので「クレンペラーとの対話」には何度も出てきていました。「反ユダヤ主義」ではなかった、「良いドイツ人」だと認める人物なら民族によって嫌うということはなかったとクレンペラーは書いていました。

 プフィッツナーの代表作の「パレストリーナ」はCDは何種かありましたが、映像ソフトは目下これだけのはずです(ブルーレイはもう無いかもしれない)。プフィッツナーは、アウグスト・ヴィルヘルム・アンブロス(August Wilhelm Ambros 1816 - 1876年)が編纂した「音楽史(1878年)」の第4巻を読んで、それをオペラ化することを構想して1911年に台本を自ら書いて完成させ、1912年から1915年にかけて作曲を完成させました。当時プフィッツナーはシュトラースブルク(ストラスブール)の歌劇場の監督でしたが作曲に時間を割くためにクレンペラーを呼び寄せたという経緯がありました(そこで二人はもめるのだが)。オペラの内容は1563年11月から12月のトリエント公会議にまつわる典礼音楽についての論争についての話で、ポリフォニーのミサ曲が複雑になりすぎた云々で今後グレゴリオ聖歌以外は認めないという方針が打ち出されたのに対してパレストリーナが新しいミサ曲、公会議の精神に則った作品を完成させて解決を得るというものです。

 音楽の方はマーラー、シェーンベルク、シュレーカーといったユダヤ系の作曲家を断罪しているくらいなので保守的で、絶叫・騒音系ではなくてとっつき易いものです。 R.シュトラウスを薄めた等と言えば怒られそうですが、旋律の面でも特別にひきつけられるとまではいかない気がします。この公演の演出は、時代劇のようなものとは違って様式化された簡素な舞台、現代風の衣装になっています。登場人物が薄く白い化粧をしているのも目をひきます。ブルックナー、ワーグナー作品の録音が多数あるシモーネ・ヤングの指揮はかなり良くて、各幕終了後の拍手も盛大です。彼女は今秋に大阪フィルの定期にやって来る予定で、ハンブルクの契約が終了後はポストはどなるのかと思います(是非オペラの仕事ができる環境にあって、こうしたソフトが今後も出ることをきぼうします)。

19 3月

プロコフィエフの交響曲第3番 アシュケナージ、シドニーSO

160319aプロコフィエフ 交響曲 第3番 ハ短調 op.44

ヴラディーミル・アシュケナージ 指揮
シドニー交響楽団

(2009年10月31日-11月25日 シドニー,オペラ・ハウス,コンサート・ホール 録音 EXTON)

 プロコフィエフの交響曲第3番は1928年の夏頃に作曲を始めて11月に完成し、翌1929年5月17日にパリでピエール・モントゥー指揮で初演されました。プロコフィエフの四作目のオペラ「炎の天使」が1927年に完成したものの、一部が演奏会形式で演奏されたのに留まり今後の舞台上演の見通しが立たない中で作曲者自身によりオペラの中の音楽をもとに交響曲として構成されました(声楽は加わらず、表題も付かない)。ちなみにオペラの方はプロコフィエフの生前には舞台上演がされず、1959年にようやく初演されました。悪霊の憑依とか魔術、異端審問というあらすじの断片を見ると今では興味をそそられるかもしれませんが、作曲当時の興行上はあまり好ましいネタじゃなかったようです。

交響曲第3番ハ短調 作品44
第1楽章 Moderato ハ短調
 歌劇「炎の天使」より
  「レナータの絶望」、「炎の天使マディエルへの愛」
  「騎士ルプレヒト」  
第2楽章 Andante ニ短調
 ~ 「炎の天使」第5幕「僧院の場」の主題
第3楽章 Allegro agitato
 ~ 「炎の天使」第1幕第1場の音楽
第4楽章 Andante mosso
 ~ 「炎の天使」第2幕第2場・悪魔の音楽

 交響曲第3番はプロコフィエフの交響曲の中でも最初に聴いた時から全楽章とも、個人的になにか惹かれるものがありました。元になったオペラがそうだったこともあり当時の祖国や世界の現実とも直接つながらないような作風は今聴いても心地よい気がします。ソ連国内に居たショスタコーヴィチはちょうど交響曲第2番「十月革命に捧げる」を初演した直後くらいにあたり、曲の標題なんかの違いは決定的です。

 アシュケナージ(Vladimir Davidovich Ashkenazy 1937年7月6日 - )は 2009年から2012年までシドニー交響楽団の首席指揮者を務め、その最初の頃にプロコフィエフの交響曲を一気に全部録音していました。その時期に行われた「プロコフィエフ・フェスティヴァル」でのライヴ録音とセッション録音を組み合わせての企画ですがCD付属冊子には各曲毎のデータやトラックタイムも記載していません(そのかわりに作品については詳しい解説がある)。全七曲中で作品と演奏ともに今回の第3番が一番気に入っているので一作品目にこれを取り上げました。アシュケナージもソ連出身で西欧で活動(プロコフィエフはソ連に帰国して亡くなっている)しているので、プロコフィエフに対しては余人とは違う共感があっても不思議ではないでしょう。

 OCNブログの際にプロコフィエフの交響曲を一度と思ったけれども、どうもつかみどころがなく、このCDが特に良いというのも絞れなかったのでそのままになっていました。アシュケナージがシドニーSOとの全集以前に交響曲を録音していたか未確認で、とりあえずこの全集はオケがあまり有名でない割に良さそうだと思いました。 第3番も爆演的な激しいものではなくて、それでかえって元ネタのオペラの妖しい空気があらわれて面白いと思います。
18 3月

プロコフィエフ 「3つのオレンジへの恋」 ナガノ、リヨン国立歌劇場

160318プロコフィエフ 歌劇 「3つのオレンジへの恋」 Op.33

ケント・ナガノ 指揮
リヨン国立歌劇場管弦楽団
リヨン国立歌劇場合唱団

王トレーフ:ガブリエル・バキエ(Bs)
王子:ジャン=リュク・ヴィアラ(T)
クラリーチェ姫:エレーヌ・ペラガン(Ms)
レアンドル:ヴァンサン・ル・テキシエ(Br)
ニネッタ:カトリーヌ・デュボスク(S)
料理人:ジュール・バスタン(Bs)
スメラディナ:ベアトリス・ユリア=モンゾン(Ms)
トルファルディノ:ジョルジュ・ゴーティエ(T)
パンタローネ:ディデイエール・アンリ(Br)
チェリオ:グレゴリー・ラインハルト(Bs)
ファタ・モルガーナ:ミシェル・ラグランジュ(S)
リネッタ:コンスエロ・キャロル(A)
ニコレッタ:ブリギッテ・フルニエ(Ms)

(1989年3月30-4月7日 リヨン,モーリス・ラベル・オーディトリウム 録音 EMI・Virgin)

 今日の夕方に月刊「聖母の騎士」最新号を読んでいたら、ハリウッドで映画化(マーティン・スコセッシ監督)されるときいていた遠藤周作の「沈黙」が今秋に公開される予定という記事があり、登場人物の写真が何種か載っていました。日本人の俳優では、モキチを塚本晋也、窪塚洋介がキチジロウ、井上筑後はイッセー尾形、他に浅野忠信が通詞という配役でした。日本人以外では宣教師ロドリゴはアンドリュー・ガーフィールド、リーアム・ニーソンはフェレイラ、アダム・ドライバーがガルペというキャストです。撮影完了とか全然情報が伝わって来ないと思っていたら、セットが壊れてスタッフが亡くなる事故があったりで撮影は順調ではなかったようです。

160318b このCDはケント・ナガノが指揮したリヨン国立オペラの公演のライヴ録音で、同じ時期の映像ソフトもありましたが全く同一の音源なのか未確認です。リヨンには国立管弦楽団もあるので紛らわしいですが、1983年に歌劇場管弦楽団と分離したのでこのCDの録音時には別団体になっていました。 ケント・ナガノがリヨン国立オペラの音楽監督を務めたのは1989年から1998年となっているので、音楽監督に就任するシーズンの直前の演奏だと思われます。彼のプロフィールをよく見れば指揮者としてのキャリアの最初はボストン・オペラ・カンパニーだったので、どうりでリヨン時代の前からオペラ全曲盤の録音があるわけだと思いました。

 聴いてみると、翌年同じリヨン国立オペラで収録した「カルメル会修道女の対話(プーランク)」程の圧倒的な印象は無く、原作の寓話劇としての妙とかそういう要素にまでは気付き難い感じでひたすら生真面目な演奏に聴こえました。公演自体は映像ソフトが出た(フランスのオペラでもないのに)くらいなので結構好評だったようなので、これは聴き手の感性、素養に原因がありそうです。基本的にケント・ナガノのオペラ録音はかなり好印象ですが、この録音は何とも言い難い印象です。

 オペラ「三つのオレンジへの恋」はプロコフィエフが革命期の祖国を離れ、アメリカへ渡った直後の1919年に作曲し、古典交響曲と交響曲第2番の間の創作時期の作品でした。アメリカへ行く途中で原作の童話(イタリアの劇作家カルロ・ゴッツィの作品)に注目してオペラ化を考えて、渡米後に台本を完成させました(このCDではフラン語で歌っています)。プロコフィエフの他のオペラと同様にこれも組曲版があり、オーケストラ版の他にピアノにも編曲されています。話の筋は、架空の国の王子が様々な妨害を経て三つのオレンジの一つの中から出て来た王女ニネッタとめでたく結ばれるというハッピーエンドな内容です。

 初演は1921年12月30日にシカゴ歌劇場でプロコフィエフの指揮によって行われて大成功をおさめ、以後1925年3月14日にケルン、1926年2月18日にはレニングラードでも上演(それぞれヨーロッパ初演、ソ連での初演) されました。ちなみにケルンで音楽総監督(ゲネラル・ムジーク・ディレクトール)の称号を得ていたクレンペラーは1924年からはヴィスバーデンの歌劇場に転出していたので、1925年の「三つのオレンジへの恋」のドイツ(ヨーロッパ)初演は指揮できませんでした。またベルリン時代の演目にもプロコフィエフの名前は出て来ないので、そもそもクレンペラーのレパートリーにプロコフィエフが入っていたのかどうか。
17 3月

マーラー交響曲第5番 ハイティンク、ACO・1970年

160317bマーラー 交響曲 第5番 ハ短調

ベルナルド・ハイティンク 指揮
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

(1970年12月 アムステルダム,コンセルトヘボウ録音 DECCA・旧PHILIPS)

 通勤途中に伏見区内の国道24号をしょっちゅう通り、その沿道に閉鎖したガソリンスタンドを選挙事務所に使っているところがありました。先月騒ぎになったあの議員の事務所なので、辞職後しばらくはポスターがいっぱい貼ってありましたが、先日信号待ちしている時そっちを見ればきれいに剥がされていました。三月も半分以上が過ぎて桜の開花時期が気になると同時にあらたな議員のスキャンダルがチラホラと出かかっています(もうあの不倫ネタはほとぼりがさめてきたか)。昨日がブリテンの「ヴェ(ベ)ニスに死す」だったので、今回はそれと関係のあるマーラーの第5番の古目の録音です。

ハイティンク・ACO/1970年
①12分19②14分02③18分00④10分35⑤15分49 計70分45
ノイマン・チェコPO/1977年
①11分05②13分40③18分35④10分05⑤16分05 計69分30
レヴァイン・CSO/1977年
①12分56②14分50③17分34④12分01⑤14分53 計72分14
アバド・CSO/1980年
①12分54②15分10③17分33④11分55⑤14分41 計72分13

 今回これを聴いているとかなり素晴らしくて、どの楽章が特別に目立つという感じはあまりなく(あえて言えば第4楽章のアダージェットが上品か)、五つの楽章のバランス、共鳴する感じがよく出ているようでした。時々第4楽章がサロン音楽のようで軽薄と評されることもある第5番もこの録音ではそんな指摘には当てはまりそうにない上品さです(少なくともげすじゃない)。件の映画の中で使われたアダージェットの音源は既存の録音を使ったのか、映画のために用意したのか、ケン・ラッセル監督の「マーラー」(1974年)と混同しそうになります(そっちはハイティンクの全集録音を使っている)。「ベニスに死す」の場面なら、あるいはもっとどぎつい演奏の方が似合うかもしれません。

160317a ハイティンクが1980年代にマーラーとブルックナーの交響曲のシリーズを録音し出した頃(マーラーはベルリンPO、ブルックナーはVPO)、レコ芸の紹介記事でマーラーとブルックナー両方のフアンから手ぬるい、物足らないと言われるとコメントされていて、結局両方とも全曲録音に至らず終わっていました。 それくらいの年代にしてそんなコメントが遠慮なく?載ったくらいなので、ハイティンクとACOの全集は既にかげが薄くなっていたようです。しかし多数のマーラー全集が出て多様な演奏が出尽くしたような現代にこれを聴いていると、昔は良かった的なひいき目はあるとしても、かなり魅力的に聴こえます。

 ケン・ラッセル監督の「マーラー」は何度も映画館で観て、そこで聴いたマーラーの音楽はかなり印象深くて、それがハイティンクの旧録音だと知って関心がわきましたが2000年以降も全集がけっこうな値段でなかなか廉価箱化しませんでした。ようやくブルックナー、ブラームスと、まとめて箱ものになり、その機会に購入して徐々に聴いています。マーラーの方は映画館で聴いた時は、主旋律以外のいろんなパートが盛大に、主従の別がないくらいに聴こえた覚えがあったので、CDで聴いているとそれ程ではなくてちょっと残念です(第4番の第1楽章、第1番の第3楽章とか)。
16 3月

ブリテンの歌劇「ヴェニスに死す」 ヒコックス、シティ・オブ・ロンドン・シンフォニア他

160316ブリテン 歌劇「ヴェニスに死す」 Op.88

リチャード・ヒコックス 指揮
(マルティン・フィッツパトリック:アシスタント)
シティ・オブ・ロンドン・シンフォニア
(ニコラス・ワード:リーダー )
BBCシンガーズ(合唱指揮:シュテファン・ベッターリッジ)

アッシェンバッハ:フィリップ・ラングリッジ (T)
旅人,理髪師,デュオニュソスの声、他:アラン・オウピ (Br) 
アポロの声:マイケル・チャンス (C-T)、他

(2004年7月21-24日 ロンドン,ブラックヒースホール 録音 CHANDOS)

160316b このオペラはトーマス・マンの小説「ヴェニスに死す」に基づき1971年12月から1973年3月にかけて作曲されました。ブリテン(Edward Benjamin Britten, Baron Britten OM CH 1913年11月22日 - 1976年12月4日 )の晩年の作品であり、ちょうど心臓病の手術が必要になるくらい健康が悪化した時期とも重なり、1973年5月には国立心臓病病院で弁の交換手術をしました。そういうわけで作曲者自身が原作の主人公ともなお一層重なるというか、共感が強まったのではないかと思われます。

160316a 中年の小説家、グスタフ・フォン・アッシェンバッハが創作の霊感を取り戻すべく訪れたヴェニスで、ポーランドの美しい少年、タッジオを見つけて夢中になり、コレラが流行しているのに危険をかえりみず滞在し続け、やがてタッジオと言葉を交わすことも無くアッシェンバッハは亡くなる、というストリーです。小説はトーマス・マンの実体験に基づき(マンはその旅先で病死したのではないが)、モデルになったポーランド貴族の少年が実在しました。ルキノ・ヴィスコンティ監督により映画化されてそこで使われたマーラーの交響曲第5番のアダージェット共々有名になりましたが、映画ではアッシェンバッハは小説家ではなく作曲家に設定が変わっています(グスタフ・マーラーの名前を拝借しています)。

 オペラの音楽は マーラー5番のアダージェットとはほとんど関係の無く、アッシェンバッハの暗い音楽は十二音列に基づく音楽が度々使われています。歌手が歌う主要キャストはテノールのアッシェンバッハと、彼が出会う様々な死を象徴するバス、バリトンの「声」の二つのみで、他にカウンター・テナーが第一幕の終わりでタッジオが勝つゲームを支配する「アポロの声」を歌います。コーラスはホテルや街の人々の声を受け持ち、少年タッジオやその家族はダンサーによって表現されます(歌わないからCDのキャストには名前が無い)。フィナーレでは露が蒸発するように静かに音楽が終わるの印象的です。なおこのCDは、ヴェネチア(ヴェニス)の水没を食い止めるための国際的な基金「Venice in Peril(危機に瀕したヴェニス)」のチャリティーとしておこなわれた上演後に、好評を受けて同じキャストで録音されたものです。

 基本的にこの作品こそは映画じゃないオペラでも舞台の映像がなければ魅力を実感し難いと思いました。原作の世界に共感を持って少年の肉体の美しさに魅せられるという境地にある人ならCDで十分かもしれませんが、自分は爪の先から産毛の一本に至るまで全然そんな感覚は無いので限界を感じます。ただ、小説の設定が少年ではなくて少女だったら思いっきり俗っぽく、平凡になって身もふたもなくなるだろうとは思います。 
QRコード
QRコード
タグクラウド
タグ絞り込み検索
最新コメント
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

プロフィール

raimund

昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

メッセージ

名前
本文
アーカイブ
twitter
記事検索
カテゴリ別アーカイブ
  • ライブドアブログ