raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

2015年11月

30 11月

シベリウス交響曲第6番 リントゥ、フィンランド放送SO

151130シベリウス 交響曲 第6番ニ短調 Op.104

ハンヌ・リントゥ 指揮
フィンランド放送交響楽団


交響曲第6番について
1:イントロダクション:Shadows Grow Longer [7:21]
2:シンフォニック・テーマ集 [17:38]
 ~リントゥ主導で作曲家のオスモ・タピオ・ライハラとの対談


交響曲第6番ニ短調 Op.104
オープニング [0:53]
第1楽章.Allegro Molto Moderato [9:42]
第2楽章.Allegretto Moderato [6:27]
第3楽章.Poco Vivace [3:38]
第4楽章.Allegro Molto [11:11]
拍手 [0:51]

2015年 ヘルシンキ・ミュージック・センター ライヴ収録 Arthaus Musik)

 今日の午前中、木津川畔を車で移動していると川と反対側に小さな茶畑が見えました。相楽郡の和束町(わつか)は茶の栽培が盛んで、最近は観光客に茶摘み体験等を提供しています。今日は和束は通りませんでしたが、山腹に茶園が広がる光景は各地の茶産地では当たり前の風景かもしれませんがなかなか壮観でした。ワイン用のぶどう畑が広がる丘陵と似て、純然たる自然の風景とも違い、独特な面白さがあると思います。もっとも茶園をやっている方はそんな悠長なことを言ってられないとは思います。木津川の上流にも高山ダムがあるので本流が氾濫する危険は減っていると思いますが、車の中から見ていると思ったよりも堤防が高くないので昨今の異常な降雨を考えるとあまり安心もできなさそうでした。

151126 昨夜のEテレでハンヌ・リントゥ指揮 フィンランド放送交響楽団の演奏会を早速放送していました。このブルーレイ、DVDと同じオケなのでメンバーの顔も観ているとちょっと巨漢な男性もしっかり来ているのを見付けました。同じ2015年の演奏、収録なので当然大半のメンバーは重なっていることでしょう。ついでにハープ奏者が手首に蝶か何かの地味なタトゥーをしているのも見えました(サインペンで描いているのじゃないと思う)。この映像付交響曲全集に付いている各曲の解説は短過ぎず長過ぎず、親しみやすい内容です。作曲者が “ Shadows Grow Longer (伸びる影) ” と呼んだ交響曲第6番は第一次大戦後の1923年1月に完成し、同年の2月19日ヘルシンキでシベリウス自身の指揮により初演されました。しかし初演は成功とは言えず、批評も厳しい論調でしたが、隣国スウェーデンでは熱狂をもって迎えられたそうです。それはスェーデンでは、シベリウスをスカンジナヴィアの芸術家、フィンランドという民族、国家的な枠組みではなく北欧の作曲家として捉えたから、何ら不足なく受け入れられたという事情だとリントゥは解説の中で語っています。

 つまり、第一次大戦後にロシアから独立できたフィンランドの状況からすれば交響曲第6番の浮世離れして、熱狂とは程遠い曲調は少なからずがっかりさせられるものだったのでしょう。リントゥは第6番をパレストリーナの影響を指摘しつつ、モーツァルトのように軽快でシューベルトのような抒情性を持つとしています。そしてこの曲には自然な流れのようなものがあるから演奏するには「あまり頑張らずに」、その流れに乗れば良いと考えています。

 そんな調子で解説を聞いてから演奏を聴くとこの第6番の場合は特に集中できます。はじめてこの曲を聴いたのはベルグルントとヘルシンキPOのCD(第1番とカップリング)でしたが、約25年前の当時は何度か聴いてもあまりピンときませんでしたが、今回これを聴いていると今になって第6番も血の通った作品のように感じられ、第4番以上に人間のぬくもり、手の業や思索のあとを感じられます。それにフィンランド放送交響楽団の技量も大したものじゃないかと思いました。

29 11月

マーラー復活交響曲 バーンスタイン、ニューヨークPO・1963年

151129マーラー 交響曲 第2番 ハ短調 「復活」

レナード=バーンスタイン 指揮
ニューヨーク・フィルハーモニック
カレジエート合唱団
(アブラハム・カブラン指揮)

リー・ヴェノーラ(S)
ジェニー・トゥーレル(MS)

(1963年9月29,30日 ニューヨーク,マンハッタン・センター 録音  ソニーミュージック)


 今日から待降節になり、同時に11月もあと一日で終わりです。幼少の頃からクリスマス・プレゼントとか誕生日プレゼントとは縁が無くて、正直このシーズンには特に思い入れはありません。むしろ復活祭、聖週間が近づくと心に迫るものがあります。今日も起きるのが遅くなり、石油ストーブに灯油を補給しているとどうも灯油の滴が飛び散っているようで、よく見るとポンプの押す部分(じゃばら状)が破れてそこから漏れていました。去年交換したところなのにこの製品も昔と比べて強度が落ちたと思います。と言っても一個98円という値段を考えれば文句も言えません。

151129a このCDは1960年代(第1-9番は1960~67年録音)にバーンスタインがニューヨークPOを中心にセッション録音したマーラー交響曲全集の各曲をSACD仕様で復刻した国内盤です。後に廉価箱物が出たので分売のSACDを何点か購入して早まったなと思っていました。しかし、「オリジナルの3チャンネル・マスターから新たにトラックダウン、DSDマスタリングを施した」というだけに音質はすこぶる良好です。LPで聴いたこのシリーズの音と比べるとかなり印象が違います(当時聴いた装置が思いっきりちゃちだったこともあるはずだが、どこかしら荒っぽく聴こえていた)。

 マーラーの交響曲第2番は十代半ば頃にアバドとシカゴ交響楽団のLPを買ってよく聴いていました。その録音の第1楽章の出だし、落雷か辻斬りのような鋭さが強烈に印象に残って、長らく他の演奏を聴いても第1楽章だけは物足らなさを感じていました。そんな中でこのバーンスタインの旧録音は感触は違うものの、冒頭部分は十分過ぎるくらいの圧力で物足らないとは思いません。隅々まで入魂という言葉を思い出させるような、熱気がこもった演奏です。それだけでなく終楽章のコーラスも含めて丁寧で終始感動的でした。バーンスタインの旧全集は何となく熱さとは裏腹に乱雑なという先入観を持っていましたが、とりあえず第2番はそんなこともなさそうです。

 ~ バーンスタイン、ニューヨークPOのマーラー第2番
1963年
①23分35②11分38③10分04④5分28⑤33分44 計84分29
1987年 
①25分09②12分19③11分26④6分19⑤38分42 計93分55

 後年のドイツ・グラモフォンとの録音と演奏時間を比べると全楽章ともに少しずつ短めで、全体で9分半程短くなっています。バーンスタインの晩年の録音はかなり特別視された感がありますが、今回の1960年代の演奏は今聴いても独特の説得力があると思いました。ドナルド・キーンさんのエッセイの中で、バーンスタイン時代のニューヨークPOはアンサンブルとかはあまり整っていないといったような内容がありました(多分ドナルド・キーンだったと思う)。この時期のマーラー作品、特に声楽付きはそういったことは気にならないと思いました。
28 11月

ワルター、NYPO マーラーの復活交響曲

151127マーラー 交響曲第2番「復活」

ブルーノ・ワルター 指揮
ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団
ウェストミンスター合唱団

エミリア・クンダリ:ソプラノ
モーリン・フォレスター:コントラルト

(1957年2月18日,1958年2月17-18日 録音 SONY)

 秋田や青森より先に広島で初雪を記録したと聞いてことしの冬は寒さが厳しそうで、ここ何年準備をしていなかった冬タイヤが要るかもしれません。フィギュア・スケートのグランプリ・ファイナルの出場者が今日のNHK杯で決定し、本郷理華選手は残念ながら出場を逸しました。中国大会でのフリー、リバー・ダンスが素晴らしくてファイナルでも観たいと思っていたので非常に残念です。それでファイナルはクリスマス前の12月11から始まります。ところでそのクリスマスに欠かせない(本来別に必須でもないはず)サンタクロース、聖ニコラオスについて、何歳くらいまでプレゼントを持って来ると信じていればほほえましいとされるのかと思います。サンタは国体護持上支障が出るほどじゃないとしても、復活となるとニュアンスが変わってくるのかと思いながら古いワルター指揮の復活交響曲を聴いていました。

 この録音は長らく名盤とされてきましたが録音年が一年に及び、ほぼ一年刊中断しています。これは晩年のワルターの健康上の理由だったそうで、開始した時に八十歳を超えていたので無理もないことです。自分が中学生の頃このLPの紹介を見て店頭で探したところ見当たらず、同じレーベルのバーンスタイン指揮の「巨人」の方を買ったことがありました。結局ワルター指揮のマーラーはCD化されるまで購入することは無くて、縁の薄い存在でした。久々に聴くと最晩年の演奏らしく、温和で激しさは後退しています。だから自然と第2、3楽章に注意が行き、それたの楽章の良さを再認識しました。その反面第1楽章はなだらか過ぎて少し驚くくらいです。

 終楽章で合唱が登場するところでは、古い録音なのに静かに霧が晴れていくような感動的なコーラスでした。同じ合唱団とオーケストラで録音したモーツァルトのレクイエムは荒々しくさえある演奏だったので対照的です。また、これの五年後のバーンスタインとニューヨークPOの録音とも大分違っているのでマーラー演奏の多様さ、幅広さはこの頃からかなりあったのかと思いました。

 ブルーノ・ワルター(Bruno Walter 1876年9月15日-1962年2月17日)はクレンペラーよりも九歳年長になり、クレンペラーの生地であるブレスラウの歌劇場で指揮者をしていたことがありました。その1896年から本名のシュレージンガーではなく、ワルターと名乗るようになりましたが、その時はクレンペラー一家は既にハンブルクに移住していました。ワルターもマーラーに歌劇場のポストの世話を受けてそれを契機に名声を高めて行きました。それだけに、ということでもないとしてもマーラーの作品をよく演奏し、録音していました。それに対して年少のクレンペラーはワルター以上にポストに就くにあたって恩義を受けているのに、交響曲は半分しか録音しなかったという気ままさでした。クレンペラーはワルター指揮のマーラーを「ユダヤ的過ぎる」と評しましたが、具体的にどこがそうなのか、この復活交響曲を聴く限りではよく分かりません。
26 11月

シベリウス交響曲第4番 リントゥ、フィンランドRSO・2015年

151126シベリウス 交響曲 第4 番 イ短調 Op.63

ハンヌ・リントゥ 指揮
フィンランド放送交響楽団

交響曲第4番について
1:イントロダクション: Another World [8:33]
2:シンフォニック・テーマ集 [18:32]
 ~リントゥ主導で作曲家のオスモ タピオ・ライハラとの対談

交響曲第4番イ短調 Op.63
オープニング [1:05]
第1楽章. Tempo Molto Moderato, Quasi Adagio [11:39]
第2楽章. Allegro Molto Vivace
[5:34]
第3楽章. Il Tempo Largo
[11:56]
第4
楽章. Allegro [11:06]
拍手 [0:53]

(2015年 ヘルシンキ・ミュージック・センター ライヴ収録 Arthaus Musik)

 今年はシベリウスの生誕150年ということで全集や復刻の箱物が多数出るかと思えば案外目立っていませんでした。そんな中でハンヌ・リントゥ指揮、フィンランド放送交響楽団の映像付き交響曲全集というのが出てきました。こうした映像ソフトの場合は音質的に今一歩なこともありますが、この全集はかなり良好で音だけのSACDとそん色ないくらいです。この曲の冒頭部分も鮮明で自然な音なので何度も聴いた作品なのに新鮮に感じられます。カメラ・アングルは独特で最初の一音のところが指揮者ではなてチェロの弦の部分をアップにしています。全曲を通じて楽器の直接音が出る部分がアップにすることがあり、アーティスト、指揮者のためのソフトというより作品、作曲者が中心という作り方のようです。

 だから曲の演奏の前に30分弱の解説映像が入ります(各七曲がそういう構成で、最後にまとめてドキュメント映像がある)。イントロダクションの部分でリントゥが一人で解説をし、続くシンフォニック・テーマ集では作曲家のオスモ タピオ・ライハラが聞き手となって各楽章のテーマを取り上げて解説しています。作曲過程や背景の話を交えて我々一般人でも聞き易い内容です。第4番についてはドイツでも必ずしもポピュラーな作品では無かった、神秘的で悲劇的な性格、内省的な作曲者にとって実験的な作品だったとしています。自分は第4番が特に好きで、聴くと神経が安らかになる気がして生理的に相性が良い作品でした。だから自然界の野山のようにあるがまま、なに的でもないという感覚なので、どうやら本来の性質からずれたところで偏愛していることに気付かされます。

 交響曲第4番の演奏の方もかなり素晴らしくて、ベルグルンドの三度目の全集と似た繊細で、他のどの作曲家とも違った独自性を強く意識させられる演奏だと思いました。客席の集中力も大変なもので、終わった時に完全に残響が消えてそれでも間を置いてから短く歓声が入って拍手がわき起こるといった感じです。現代音楽の演奏で定評があるというハンヌ・リントゥ(Hannu Lintu,1967年10月13日- )は、今年10月に新日本POとシベリウスの交響曲を全曲演奏して話題になりましたが、このソフトを聴くとこれは生で聴きたかったと思いました。残念ながらフィンランド放送SOとのツアーも終わってしまいました。
25 11月

ブルックナー交響曲第5番 バレンボイム、ベルリンPO

151125aブルックナー 交響曲 第5番 変ロ長調 WAB.105 (1878年原典稿ハース版)

ダニエル=バレンボイム 指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(1991年11月8日 ベルリン,フィルハーモニー ライヴ録音 ワーナー)

 今年の九月に入った頃、それまでマランツの機器に付いているネットワークラジオで v-tuner を経由してNHKのラジオを聴いていたのに急に聴けなくなり、追加登録したはずのNHKのFMとAMが表示しなくなりました。その内聴けるようになると思っているうちに全然ネットラジオを聴いていなかったので、今日思い出したように試してみるとやっぱり聴けませんでした。原因は機器の故障では無くてNHKが配信しているデータ形式を変更したので既存の機器がそれに対応していないことによるものでした。ということでマランツ以外にも同じ状態になっている機器はあるようです。そんな状況なので今年は年末のバイロイトをネットワークプレーヤー・ラジオから録音することは出来なくなりすです。PCを経由すれば可能ながらハードディスクの音や、長時間に及ぶのでちょっと敬遠します。

151125b 昨夜に続いてブルックナーの交響曲第5番、バレンボイムとベルリン・フィルのライヴ録音です。このCDが単品で新譜として出た時はどういう評判だったのか全く覚えていません。同じブルックナーでもヴァントやチェリビダッケ、朝比奈の録音が評判になって過熱していったのが1990年代だったので、それらのかげに隠れたような恰好だったかもしれません。とりあえずレコ芸の月評では特選になっておらず、第5番だけでなくバレンボイムのブルックナーは一曲も選ばれていませんでした。この録音当時バレンボイムはもうバイロイトの常連でしたが、独墺系のオーケストラ作品のCDの人気はいま一歩(日本ではか?)のようでした。かろうじてブラームスの交響曲全集がレコ芸の特選になっていました。

バレンボイム・BPO/1991年
①20分13②16分20③12分15④22分59 計71分47
ヴァント・BPO/1996年
①21分31②16分26③14分20④24分57 計77分14
カラヤン・BPO/1976年
①20分42②21分34③13分44④24分48 計80分48

 昨夜の朝比奈隆-東京SOと比べてどうこうというのは止めにして、同じくベルリンPOの録音のトラックタイムを列記すると上記のようになります。かなり合計演奏時間に差が出ていて、実際に聴いているとかなり早足の演奏で、特に第一楽章はせかせかとして落ち着きがないようにも感じられました。ブルックナーの交響曲の中でも第5番は特別で、大曲というだけでなくただならぬ深遠さが垣間見られる気がします。そういう思い入れを持って聴いていると、何というか普通な演奏だと思いました。それでも終楽章は第5番らしさが所々漏れてくるようでしたが、コーダ部分は良くも悪くも冷静で、収録はされていませんが会場では熱狂した雄叫びのような歓声はあまり無かっただろうと想像できます。

バレンボイム・BPO/1991年
①20分13②16分20③12分15④22分59 計71分47
ザンダー・PO/2008年
①18分58②16分00③12分36④21分01 計67分35

 
音楽学者で自身もこの曲を録音したザンダーは従来の演奏は遅すぎると指摘して実践していました。その演奏時間と比べるとバレンボイムは4分以上遅いわけですが、それだけにザンダーが言うような効果はあまり出ていないようです。比べないと言っておきながら、昨夜の朝比奈-東京交響楽団のブルックナー第5番を思い出すと、遅いタイプの演奏ながらしみじみとした感動がありました。
24 11月

ブルックナー交響曲第5番 朝比奈、東京交響楽団・1995年

151124aブルックナー 交響曲第5番(1878年原典稿ハース版)

朝比奈隆 指揮
東京交響楽団

(1995年4月12日 サントリーホール ライヴ録音 Pony Canyon)


 三連休は何もしないうちに去って行きました。先週金曜日、奈良と京都の境辺りの青空市で五目飯とおからを買った頃から胃の調子が悪くなり(そこで売ってた物のためじゃない、食べる前からおかしかった、念のため)、空腹でもないのに食事にしたのが悪かったのか夜になると正真正銘に胃が痛くなってきました。昔から、家系でも腸は強くないのに胃だけは強く、滅多に胃痛の症状が出たことは無かったのでとうとう何らかの病気かもしれないとも思いました(このディオが胃が痛いだと?)。連休中は大人しくしていたので大分回復しましたが、どこか具合が悪いところがあると気分も沈みがちなものです。そこで薬のような感覚も兼ねてブルックナーの第5番を聴いてみました。

 朝比奈隆のブルックナーの中でも第5番は自分の好みとしてはあまり好きではありませんでしたが、この東京交響楽団とのものは何故かとっつき易い気がしていました。特に前半の二つの楽章が静謐な感じで、終楽章も荒々しくならないからそう感じるのでしょう(演奏終了時の完成も一応余韻がが消えてから起こり、ブラヴォーの声もそこそこ上品)。

151124b 昨年末から今年の初めに小説家の森内俊雄が「聖書のエルサレム版英文訳を読んでいると、このごろ行間からブルックナーが響いてきたりする」ということを書いていたとブログ記事に載せていました。すごい境地だと思いつつ、「絶対音楽=交響曲」を地で行くヴァントの演奏からはそんな感覚は生まれるのか?とも思っていました。その内に日本語の使徒書簡、コリント人への第一の手紙第14章33にある「神は混乱を引き起こす方ではなく、平和をもたらすかなたなのです」という一文を思い出しました。交響曲第5番の終楽章が終わりにさしかかり、交響曲第2番の初期稿から第3番、第4番の各初期稿へと続いて来た創作に区切りが付いて、何か大伽藍が完成して献堂を迎えるような達成感をおすそ分けされるような気分になった時にその言葉がふと頭をよぎりました。ただし、最初は別の日本語訳、「神は無秩序の神ではなく、平和の神」という言葉でした。

東京SO/1995年・キャニオン
①23分21②17分26③13分19④25分18 計79分23
大阪PO/1994年・キャニオンの全集
①22分50②18分51③13分57④24分59 計80分37
東京都SO/2000年・フォンテック
①23分06②18分19③14分17④25分09 計80分51
大阪PO/2001年・エックストン
①22分55②18分12③14分29④25分37 計81分13

 別段ブルックナーの交響曲と関係がある事柄ではありませんが、何となく「無秩序の神ではなく」という言い回しが面白くて、朝比奈の古いブルックナー第5番の終演後の「雄叫び」が思い出されました。この録音もライヴなので演奏が終わった後の拍手なんかが入っています(トラックタイムはその分を除いている)。しかし、演奏が終わってから声があがり、演奏、残響にかぶせるようなことはありません。朝比奈隆指揮のブルックナーはかなり種類が増えて第5番も何種あるのか未確認です。これは東京都交響楽団ではなく、東京交響楽団の設立50周年を記念して発売されたものでした。紛らわしい名前ながら東京交響楽団は前身が東宝交響楽団でした。

23 11月

ブルックナー交響曲第9番 ヴァント、ミュンヘンPO

151123ブルックナー 交響曲 第9番 ニ短調 WAB.109(1894年原典 ノヴァーク版)

ギュンター・ヴァント 指揮
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

(1998年4月21日 ミュンヘン,ガスタイク・フィルハーモニー 録音  Profil)

 大阪のダブル首長選挙から一夜明けた今日、連休最終日というのに情報番組は選挙絡みのネタが多く、十津川警部や七人の刑事、狩矢警部シリーズの再放送もありませんでした。夕方に情報番組をちょっと見たら東京にぼっこぼこにやられて首都(中心という意味だろう)を持っていかれて久しいとか、何とか奪還するとちょうどコメンテーターがしゃべっているところで、そんなことを思ってたのかと呆気にとられました。自分は大阪府民でも市民でもないので、むしろ東京都に委任統治でもしてもらったら悪い慣習がかなり無くなるんじゃないかと内心思っていたくらいなので大阪住民の対抗心には驚かされます(口のきき方には注意しなくては)。

 これはヴァントがベルリンPOとブルックナーの交響曲第9番をライヴ録音した同じ年の約五ケ月前にミュンヘンPOへ客演した際の同曲のライヴ録音です。同じ月の上旬には同曲をハンブルクで演奏していてそれも収録されたので、ヴァントのブルックナー第9番が半年以内に三種類も記録されたことになります。ベルリン・フィルとのものだけは最初からCD化が予定されたもので、他の二種は公演の記録そのものでした。それでもハンブルクのものは複数の日付が録音データに載っているので、一回の公演をそのまま記録したものではないようです。このミュンヘン・フィルとの録音もそうかもしれませんが、性格の違う収録なので単純に比較できないとしても、最近聴いたなかではミュンヘン・フィルとの録音が一番感銘深くて、有名なベルリン・フィルとの録音よりも、より古い時代のヴァントの演奏に近いような印象でした。特に第一楽章の堂々として威圧的な響きには圧倒されます。

 ~ ヴァントのブルックナー第9番
MPO/1998年4月
①27分02②10分48③25分18 計63分08

NDRSO/1998年4月
①27分26②11分08③26分16 計64分50
BPO/1998年9月
①26分12②10分35③25分12 計61分59
NDRSO/1993年3月
①26分55②10分43③26分52 計64分30

 ヴァントによるブルックナー第9番は上記以外にも北ドイツ放送交響楽団、ケルン放送交響楽団との当初からCDとして出す予定だった録音、セッション録音があり、さらにベルリン・ドイツ交響楽団やシュトゥットガルト放送交響楽団とのライヴ音源もありました。それらの中では上記の一番下、北ドイツ放送交響楽団との再録音にはまって、それ以降に出たものは長らくスルーしていました。今回のミュンヘン・フィル盤はかつてその北ドイツRSO盤を聴いた時と同じような刺激、感銘度で、あるいはそれ以上かもしれません。

 なお、同曲異稿については第9番は終楽章に補筆完成版を使うくらいしか大きな差はありません。ヴァントは1951年出版のノヴァーク版の原典稿を使っているのに対して昨夜の朝比奈はそれより古い、1932年校訂のオーレル版の原典稿でした。具体的にどう違うのか未確認(説明されても我々にはよく分からないと思うが)ですが、朝比奈はヴァント程は使用する版にこだわりを持っていないようで、オーケストラが備えている楽譜を使うくらいの意識だったようです(ただし、原典版を使うようにフルトヴェングラーから指摘されたことは意識していた)。
22 11月

ブルックナー交響曲第9番 朝比奈、NHK交響楽団

151122bブルックナー 交響曲 第9番 ニ短調 WAB.109(1894年原典 Alfred Orel版)

朝比奈隆 指揮
NHK交響楽団

(2000年5月25,26日 ライヴ録音 フォンテック)

 昨日の朝遅く、陽の既に高い頃、携帯に着信がありました。事務所の固定電話からの転送か直接に携帯へかかってきたのか確かめずに出ると、何と大阪府・市のダブル選挙の調査で、コンピューターで無作為に抽出した番号へかけていると言いました。それが本当なら携帯へかかったのだと推測(市外局番は考慮するだろうから)され、質問が六つもあると聞くと通話料金がもったいなくなりそこで切りました。せこい動機ながら、受信している者が番号を推して回答するので新手のワンキリ詐欺のおそれもあり、回答はしませんでした。その選挙、両方とも大阪維新の当選確実のようです。それはともかくとして、大阪フィルの来年度のプログラムが発表され、再来年には井上ミッキーの指揮でショスタコーヴィチの交響曲第11、12番を一度に演奏する回がありました。その定期が流れないよう、府、市政も他の在阪オケ共々あたたかく見守ってほしいものです。

151122 朝比奈隆が大阪フィルハーモニー交響楽団の前身、関西交響楽団の定期公演で初めてブルックナーの交響曲を演奏したのが第9番でした(1954年2月26日、第68回定期)。そして朝比奈がNHK交響楽団に客演して初めてブルックナーの交響曲を取り上げたのも第9番で、1978年9月のことでした。このCDのライヴ音源はそれから22年ぶりの両者によるブルックナーの第9番ということになりました。亡くなる前年に彼自身が「日本一の音」書き記したオーケストラとこの曲を演奏出来て良かったと思います。ちなみにこの年の11月には第4番、1997年3月には第8番をN響と演奏していてそれぞれフォンテックからCD化されました。

~朝比奈のブルックナー第9番
NSO・NHK-Hall/2000年5月
①27分22②11分11③25分49 計64分22

大PO・Sy-Hall/2001年9月
①27分16②11分22③23分33 計62分11
大PO・Sy-Hall/1995年4月
①26分50②11分41③24分32 計63分03

151122a このように感慨深げに書き出したものの、実は朝比奈のブルックナーの中で第9番、第5番はあまり自分の好みでは無くて、一連のN響との録音もあの圧倒的な第8番に比べるとかげが薄いと思っていました。改めて今回聴いてみると第三楽章だけは別物的に素晴らしく、途中でオーケストラの中にオルガンの音色が混じっているようにも聴こえ(それが良い事かどうかは何とも言えない)、ブルックナー最後の交響曲に相応しい風情だと思いました。そのわりに第一楽章は遅くて、鈍重な印象で、後続の感銘深さとは異質なものがつなぎ合わされたようでした。翌年に大阪POを指揮したライヴ録音も第一、二楽章は似た演奏時間になりますが、こんな印象だったかどうかよく覚えていません。

 先月末に朝比奈のブルックナー第9番を取り上げた時もそうでしたが、今回もヴァントの録音を併せて聴いていました(今回はベルリンPO)。朝比奈のブルックナーのCD解説には時々「朝比奈のはブルックナーそのもので、ヴァントのは彼が解釈したブルックナー(正確言葉は覚えていないがそういうニュアンス)」と評されていました。このところ交響曲第9番を両者の録音で聴いているとむしろ逆傾向じゃないかと思いました。ヴァントはベルリンPOへ客演した際に「解釈しないで」と何度も呼びかけたそうで、実際に録音を聴いているとまさしくそういう演奏じゃないかと思いました。
21 11月

ベートーベン歌劇「フィデリオ」 ラトル、BPOほか

151121ベートーヴェン 歌劇「フィデリオ」

サイモン・ラトル 指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
アルノルト・シェーンベルク合唱団

レオノーレ:アンジェラ・デノケ(S)
フロレスタン:ジョン・ヴィラーズ(T)
ドン・ピッツァロ:アラン・ヘルド(Br)
ロッコ:ラースロ・ポルガール(Bs)
マルツェリーネ:ユリアーネ・バンゼ(S)
ヤキーノ:ライナー・トロスト(T)
ドン・フェルナンド:トーマス・クヴァストホフ(Br、他

(2003年4月4月25-28日 ベルリン,フィルハーモニーザール ライヴ録音 EMI)


 昨日は朝から奈良県境方面へ出かけていて久しぶりに通る道もあり、ちょうど車載のナビが直った後で助かりました。国道沿いで青空市らしきものがあったので多分農産物、柿とかそういう物を売っていると思ったら魚、塩干物、靴下、肌着ばかりでした。そこで駐車してナビの行先セットをするつもりで、一応何か買わないとと思っていると五目飯等も売っていたのでそれを買いました。車内で食べようとすると、五目飯を2パック買ったつもりが1パックはおからが入っていました。嫌いじゃないのでそのまま食べたものの、こういう状況で食べる物か?ちょっと妙な具合で、素浪人花山大吉を思い出しました。

 このCDはラトルとベルリン・フィルらによる演奏会形式上演したものをライヴ録音したもので、交響曲全集の箱物セットに入っていたものです。同じ年の4月中旬にザルツブルク復活祭音楽祭で上演されて評判となったプロダクションを引き継いで(演奏部分を)ベルリンで演奏会形式で上演されたようです。古典派の作品もピリオド楽器、その演奏法の影響下にありますが、モーツァルトのオペラに比べるとフィデリオはまだ通常のオケによる演奏も少なくないようです(最近はどうか知らない)。なお、ここではレオノーレ序曲第3番を劇中で演奏していません。

 フィデリオはFM放送やクレンペラーのLPで親しんだので昔から好きな作品で、この箱物もフィデリオが入っているので買ったくらいでした。それに若い頃からメトへ通ってきたドナルド・キーン氏(Donald Lawrence Keeneからキーン ドナルドへ)もエッセイや対談の中でフィデリオを素晴らしいと言っていたので、やっぱり名作に違いないと思います。それはともかくとして、このフィデリオはすごく洗練された演奏で、牢獄が舞台になっているのにそこから来る暗く、圧迫され砂埃が混じったような汚い感じが全くしないのに感心させられます。単に録音が新しいというだけでなく、ラトルとベルリンPOのおかげなのだと思います。

 それにフロレスタンのジョン・ヴィラーズは上品で繊細な印象なので既存の英雄的なイメージとは違っていましたが、第二幕冒頭の“ Gott! Welch Dunkel hier(神よ、ここは暗い) ” は特別に美しくて無罪、潔白さ以上の清らかさが溢れ出ています。あと、「国王陛下の思し召しにより」以降の箇所は水戸黄門的でちょっとどうかという先入観がありましたが、これは映像が無いこともあって安っぽさも無くて素晴らしいフィナーレだと思いました。演奏会形式なので鎖の音や慌てた足音も聞こえないのがさびしくもありますが、序曲から最後までどこか高貴さが漂う美しいフィデリオでした。

18 11月

美しい水車小屋の娘 フィッシャー・ディースカウ初回録音

151118シューベルト 歌曲集 「美しき水車小屋の娘」 D.795

ディートリヒ・フィッシャー・ディースカウ:バリトン
ジェラルド・ムーア:ピアノ

(1951年10月3-7日 ロンドン,Abbey Road Studios 録音 EMI)

 パリで連続したテロの後、ネット上では続報、情報があふれています。その中で犯行グループの様子についてリーダー格の男がメンバーを脅し、部下に対して撃たなければお前を撃つと言っていたという記事がありました。有り得る状況で、とっさに地下鉄サリン事件のことを思い出しました。実行犯の中で唯一死刑にならなかった人物が居て、当時量刑の不均衡さに非常に不思議に思いました。被告が医師、しかも名門大学の医局に居たことがあるため、検察や裁判所や国家の中枢サイドが「我々の側の人間」だという意識を潜在的に持って同情したのか、とかそんな話をしたことを思い出しました。そうしたゲスな勘繰りはさて置き、今回のような無差別テロはいつ頃から実行されるようになったのかと思います。今日見かけた記事では日本赤軍がパンドラの箱を開けたという見出しがあり、気分が悪いので中は読みませんでした。まさか本当に日本人が開発したのじゃないだろうと思いながらその記事が気になります。

 先月はシューベルトの三大歌曲集のCDを続けて聴いて取り上げていました。一人の歌手が何度も三大歌曲集を録音しているということにかけてはフィッシャー・ディースカウがやはり筆頭ではないかと思います。「美しい水車小屋の娘」は今回の1951年と同じくEMIへ録音した1961年、DGへの1968年と1971年とセッション録音だけでも四種類はありました。長らく存在を知らないものもあり、自分が一番印象に残っていたのはシューベルトの歌曲大全集に組入れられた1971年録音でした。

 その四度目のセッション録音と比べると今回の初回録音は何となく低い声で(ホッター程ではないとしても)歌っているように聴こえ、年齢以上に老成して雄々しい声にきこえます。この作品や冬の旅を後年に歌った歌唱ではもっと感情を込めて、繊細さが前面に出ているので新鮮にきこえます。テノールのヘフリガーが1959年にDGへ録音したものは最近聴いたので比較的鮮明な印象が残っていて、その繊細で(女々しいとも思える)いたわる様な歌声とは対照的で、恥も落胆も飲み込んで消化して次の修行地へ急ぐようなタフな青年を連想させられます。

 立場が悪化する第14曲“ Der Jäger (狩人)” 、第15曲“ Eifersucht und Stolz (嫉妬と誇り)” での怒りの感情も品が良いので全体を通して端正に仕上がっていると思います。それに純音楽的にとても美しいと思いました。ゲルハルト・ヒッシュがSPレコードの時代にこの作品を録音していたようですが、あるいはこれと似ているのか、もっと端正になっているのかもしれません。第16曲目以降は幾分打ちのめされたような表情を見せても最終曲では不思議に立ち直るような強さを感じさせて終わっています。
16 11月

ルチア・ポップのアンジェリカ プッチーニ「修道女アンジェリカ」

151116プッチーニ 歌劇「修道女アンジェリカ」

ジュゼッペ・パターネ指揮
ミュンヘン放送管弦楽団
バイエルン放送合唱団

アンジェリカ:ルチア・ポップ(S)
公爵夫人:マルヤーナ・リポヴシェク(A)
女子修道院長:マルガ・シムル(Ms)
修道長:ディアナ・ジェニングス(Ms)
修練長:ビルギット・カーム(Ms)
医務係修道女:ヴァレリー・エーランテ(Ms)
修道女ジェノヴィエッファ:マリア・ガブリエラ・フェローニ(S)
修道女オスミーナ:マリア・ガブリエラ・フェローニ(S)
修道女ドルチーナ:メティルド・ゲオルグ(S)
托鉢の修道女:エレン・ヴァン・ライアー(S)
修練女:モニカ・シュミット(S)
労働女:アーデルハイド・シラー(Ms)


(1987年3,11月 録音RCA・オイロディスク)

 先ほどテレビをつけたら野球の国際試合、プレミア12の中継のチャンネルに合っていたので実況アナウンサーが「いらっしゃていただいた」と言うのが聞こえました。その用法は正しいのか、何とも心地が良くない気がしました。このブログも毎回どこかに間違いが散らばっているので偉そうなことは言えないとしても、「お越しいただいた」くらいじゃないかと思います(これもしっくり来ないが)。それはともかくとして、今年も流行語大賞の季節になってきました。今年の候補以前に去年はどんなのが流行ったのかよく覚えていません。「倍返しだ」、「それとこれとは話が別だろ、(オギソ)」は去年だったか、一昨年だったか。

 さて、11月16日はスロヴァキア生まれのソプラノ、ルチア・ポップ(Lucia Popp,本名はポポヴァー,Lucia Poppová 1939年11月12日 - 1993年11月16日)の命日でした。それで彼女が残した録音の中から今日に相応しい作品として、プッチーニの「修道女アンジェリカ」を取り出しました。ポップのイタリア・オペラは数が少なくて、この作品の他はヴェルディの「リゴレット」、ドニゼッティの何作品か(「愛の妙薬」とあと何作か)くらいのはずです。放送用音源などでは他にもあったかもしれませんが思い当りません。

 有名なアリア「母も無しに(Senza mamma)」以外でもポップの繊細で伸びやかな歌声が堪能できるので、彼女のフアンとしては珍しいレパートリーというだけでなく嬉しい録音です。どうせなら続けて「ジャンニ・スキッキ」もポップを起用して録音してほしかったと思います。でもそれは年齢的に敬遠されたのか、とにかくこの一作だけでした。

 「修道女アンジェリカ」は1917年に作曲されたプッチーニの一幕・三部作の二作目で、1918年2月14日にニューヨーク、メトロポリタン歌劇場で初演されました。上演時間は一時間弱は他の二作品と同じですが、登場人物が全て女声という異例の内容です。あらすじは次のようなものです。親の認めない相手の子を産んだアンジェリカは子と引き離され、修道院に入れられて暮らしていると、妹が結婚するから彼女に遺産相続を認める書類を持って伯母(公爵夫人)がやって来ます。そこでアンジェリカが産んだ子供が既に亡くなったことを知り、絶望のあまり毒薬を調剤して(何故か毒屋・阿部怪異のように薬草に詳しいアンジェリカ)自殺を図ると、聖母マリアがアンジェリカの亡き子を抱えて現れるという奇跡が起こり、アンジェリカは静かに息を引き取ります。

 冒頭はおよそオペラとは思えない静かになぐさめに満ちた音楽が流れ、全体を通しても劇的に盛り上がらず、かろうじてフィナーレでアンジェリカの死と聖母の奇跡があったのだと音楽だけで察せられるうらいです。そのために初演は成功とは言えず、それ以後もあまり上演されなくなりました。しかし日本でも1957年にちゃんと初演されています(単独、三部作ともに)。

15 11月

ポップのマジェンカ スメタナの「売られた花嫁」 ウィーン国立歌劇場

151115スメタナ 歌劇「売られた花嫁」

アダム・フィッシャー 指揮
ウィーン国立歌劇場管弦楽団
ウィーン国立歌劇場合唱団

マジェンカ:ルチア・ポップ(S)
イェニーク:
ジークフリート・イェルザレム(T)
結婚仲介人ケチャル:
カール・リッダーブッシュ(Bs)
ヴァシェク:
ハインツ・ツェドニク(T)
クルシナ:
アルフレート・シュラメク(B)
ルドミラ:ゲルトルーデ・ヤーン(Ms)
地主ミーハ:ヴァルター・フィンク(B)
ハータ:チェスラワ・スラニア(Ms)、他

演出:オットー・シェンク
*ドイツ語上演
(1982年4月 ウィーン ライヴ収録 DG)

151115b 今年はルチア・ポップの誕生日と命日を思い起こしつつ、彼女の録音を取り出しています。スメタナの歌劇「売られた花嫁」のドイツ語上演のライヴ収録があり、それに彼女がヒロインマジェンカ(マリア)役で出ていました。ただそれだけの理由で、第一幕から彼女の出番が多いこともあってわざわざ購入していました。1982年4月の収録ながら1979年の「ばらの騎士」の時よりも少しほっそりして見えます。それはともかく、声、歌の方は好調で十年くらい若返った印象でした。彼女は当初メゾソプラノとしてレッスンを受け始めて、その内に夜の女王のアリアも楽に歌いこなしたのでソプラとしてデビューを果たしました。残された録音で「夜の女王」がキャリア初期の頃に限られることからも分かるように、彼女はリリック・ソプラノとしての活躍がメインになりました。

151115a 「売られた花嫁」のマジェンカ(マリア)もぴったりな役ですが、この収録のような独逸語上演ではなくて原語、チェコ語の方が良かったと思います。というのはポップがチェコ語で歌った録音は意外なほどに少なく、ヤナーチェクのオペラと歌曲くらいしか聴いたことがありません。もっともこのオペラはドイツ語による録音もちらほら見られるので、ウィーンでの上演なのでやむを得ないでしょう。他のキャストではワーグナー作品でお馴染みなリッダーブッシュ、イェルザレムにツェドニクらは軽快で、お話の世界にすっかり溶け込んでいます。特にみっともない役回りのヴァシェクを歌うハインツ・ツェドニクが演技共々に魅力的でした。イェルザレムは声の震えもあまり目立たず、声量も十分そうなので客席で聴いてみたかったと思いました。ザックスやポーグナー役(マイスタージンガー)のワーグナー作品がまず思い当るリッダーブッシュも、こういう役では少しとぼけた味が出て面白く見えました。

 スメタナの代表作「売られた花嫁」は1863年から1866年にかけて作曲され、1866年5月30日に二幕版として初演された後に改訂され、1870年9月25日にプラハの国民仮劇場で決定稿・三幕版が初演されました。オペラのストーリーは、相思相愛のイェニークとマジェンカが、マジェンカの両親と結婚仲介人ケチャルによって仲を裂かれて地主の息子と結婚されそうになるも、実はイェニークがその大地主の嫡男だった(ヴァシェクは連れ子)のでめでたく結ばれるという喜劇です。このオペラはとにかく親しみやすい旋律と舞曲の音楽が基本になっているので、話の筋を知らなくてもかなり楽しめる作品です。ピットでのアダム・フィッシャーの若々しい指揮姿が新鮮で、演奏自体も終始活き活きとしています。
14 11月

ベートーベンのピアノ協奏曲第4番 フェルナー、ナガノ

151114ベートーヴェン ピアノ協奏曲 第4番 ト長調 Op.58

ティル・フェルナー:ピアノ

ケント・ナガノ指揮
モントリオール交響楽団


(2008年5月25-27日 モントリオール,ウィルフリッド=ペルティエール・ホール 録音 ECM)

 阿川弘之の海軍提督三部作(山本五十六、米内光政、井上成美)をだらだらと順に読んでいると、博打や花柳界の話も出て来て意外な一面も書かれています。井上成美は戦記ものでも名前が出て来ないの知らないことだらけですが、自分のことを「ラディカルなリベラリスト」と規定しているようで、旧海軍で大将にまで昇進した者でも一等大将から三等くらいの大将まであると語っていました。そんな井上でも「非武装中立」とは考えておらず(軍人だからそりゃそうだ)、独立を脅かされるような事態に立ち至れば戦う、「『軍備というものは要らないじゃないか、戦しないのなら』-そういう意味じゃないですね」と話していました。この人が昭和50年までは生きていたのだから、やっぱり時代はどんどん移り変わっています。

151114b このCDはケント・ナガノとモントリオール交響楽団がティル・フェルナーを迎えてベートーベンの協奏曲を全曲演奏した二度の公演を集めたものです。第4番が5月、第5番を11月にライヴ録音したもので、全曲録音開始との触れ込みでしたがこの一枚で止まっているようです。ナガノはこれ以後に夫人の児玉麻里との共演でベルリン・ドイツ交響楽団と同じ曲を録音していました(全集の一環として)。ということはフェルナーの方は中断ということになるのかもしれません。

 二曲とも魅力的ですが第4番が特にピアノ、オケ共に曲に合っていて近年では屈指のこの曲の録音ではないかと思いました。ピアノ協奏曲は第三楽章がそれまでの二つの楽章と対照的に動的な曲になり、時には品が良くないくらいに暴れるような印象になるので、一瞬「ああ第4番を久々に聴こう」と思ってもすぐにやっぱり止めておこうと思ってしまいました(単なる自分の好み)。ウィーン生まれのウィーン仕込みのフェルナーは、そのウィーンのおかげなのかはともかくとして透き通るような音色が際立っています。派手な第三楽章も上品で、バネ仕掛けのような軽い印象にはならず素晴らしいと思いました。モントリオール交響楽団の方も、ピリオド奏法に傾斜し過ぎる風でなくて適度に?堂々とした響きです。

151114a ティル・フェルナー(Till Fellner;1972年- ウィーン生まれ)は日本でもベートーベンのピアノソナタを全曲演奏する公演をしていました。ウィーンに生まれてウィーン音楽院で学び、1993年のクララ・ハスキル国際コンクールにてオーストリア人として初めて優勝しました。この録音の時にはまだ30代半ばという世代なのでCDの方はそんなに多く出ていません。それでも最近はバッハの録音が注目されたようです。このCDを聴く限りバッハの方も良さそうです。
13 11月

マーラー「大地の歌」 K.ナガノ、モントリオールSO、ゲルハーエル

151113マーラー 交響曲「大地の歌」

ケント・ナガノ 指揮
モントリオール交響楽団


クラウス・フローリアン・フォクト(T)
クリスティアン・ゲルハーエル(Br)

(2009年1月13-15日,2月15日 モントリオール 録音 Sony Classical)

 夜、帰宅する時、下を見ると街路樹から落ちてきた葉がいっぱい散らばっていました。今日は10月末に修理に出していたカーナビがようやく戻って来ました。これまでの間、運転中はラジオも何もきくことが出来ず、お通夜のような環境でした。予定より長くかかったものの費用はかからなかったので良しとします。南区の葛野通沿道にあるディーラーから戻る途中、大木を伐採したらしくて荷台に細かく切られた生木を積んだトレーラーが二台と並走しました。滅多に見ない程の太さで、こんな木を伐ったら祟りでもありそうでした。夜、ローカル局のニュースで御薗橋の架け替えに伴って川沿いの欅らを伐採したことを告げて(伐採の瞬間、住民から悲鳴があがったらしい)いましたが、方角が違うので自分が見たのはその大木じゃないだろうと思います。戻ったナビでSDカードにコピーしたCDを聴こうとしたら、
ショルティの「大地の歌」が出てきたのでそのまま聴いていました。久しぶりに聴くと新鮮に感じられて、やっぱりこの作品は女声も入った方が良いと思いました。

151113a しかし、テノールとバリトンによるケント・ナガノ、モントリオール交響楽団のCDを聴いていると、アルトの代りにバリトンが入るのも捨てがたいと思いました(定見が無い)。奇数楽章を歌うテノールのクラウス・フローリアン・フォクトはローエングリンやパルジファルで有名ですが、この録音で冒頭を聴くと、あまりのか弱さ、軽快さに驚き、作品の印象が変わるくらいでした。元々クレンペラーのLPで慣れ親しんだせいか、ヴンダーリヒの強い歌唱と木枯らしか山風のようなオケによって刷り込まれていて、このCDのような繊細さは全く新鮮です。この時期ならフォークトは既にバイロイトにデビューしていたはずですが、ワーグナー作品を歌う時とはちょっと違っているようです。

151113b 男声のみの演奏であるこのCDで一番感動的だったのは、バリトンのゲルハーエルの歌唱でした。女声が加わらないのでモノクロ画像のようになるかと思えばそうでもなく、不思議になまめかしくて、最終楽章でさえも落葉の季節よりもこれから春を迎えるような印象です。ゲルハーエルは先月にシューベルトの歌曲集「冬の旅」を取り上げていましたが、その演奏よりもずっと大きな(こういう言い方はおかしいけれど、色々なものが盛り込まれているように感じられるから)、幅広い歌声に感心させられます。彼のCDは廉価盤主体のアルテ・ノヴァしか知らないので、ここ数年で進化、深化しているのかもしれません。

 この作品の演奏、録音はバリトンよりもアルトを起用した方が数は多いのは今でも変わっていません。そんな中で過去に取り上げた
パウル・クレツキとフィルハーモニア管弦楽団ヨゼフ・クリップスとウィーン交響楽団バーンスタインとウィーン・フィルといった録音は少し古いけれど代表的な男声版録音で、いずれもフィッシャー・ディースカウを起用しています。今回のゲルハーエルはそれらのイメージ、フィッシャー・ディースカウの影を振り払ったような新しいイメージでした。
12 11月

ルチア・ポップ 歌曲集「女の愛と生涯」 ・シューマン

151112bシューマン 歌曲集「女の愛と生涯」OP.42

ルチア・ポップ:ソプラノ
ジェフリー・パーソンズ:ピアノ

(1980年5月20-22日 ミュンヘン,バイエルン放送第3スタジオ 録音 オイロディスク・日本コロムビア)

 能楽の演目に「山姥」という作品がありました。今年どこかの能楽堂の演能予定に挙がっていましたがすっかり忘れていました。この作品は仕舞と素謡しか聴いたことが無く、あとはFM放送をMDに録音したくらいだったので観る機会を探していました。フィナーレでシテの山姥が舞いながら去って行く、「山めぐり」が好きで以下のような台本が出てきます。「春は梢に咲くかと待ちし。花を尋ねて山めぐり。秋はさやけき影を尋ねて。月見る方にと山めぐり。冬は冴えゆく時雨の雲の。雪をさそいて山めぐり。」夏が抜けているものの四季の風情が盛り込まれています。この山姥はどんな面を付けているかとふと思いました。女の面はかなり種類が多くて、若い系「小面、若女、増女」、中年系「深井、曲見」、老女系「姥、痩女、老女、霊女、桧垣女」と、ライフ・サイクルに応じて細かく使い分けられています(実際はさらに多く種類がある)。また、年齢とは別に嫉妬に狂う態を現す鬼女系の面もあり、「泥眼<橋姫<般若(ここでまさに鬼の形相)<蛇、真蛇」と、右へ行くほどどす黒くなって正気が薄れて行きます。

Frauenliebe und Leben 女の愛と生涯
1.Seit ich ihn gesehen 彼に会って以来
2.Er, der Herrlichste von allen 彼は誰よりも素晴らしい人
3.Ich kann's nicht fassen, nicht glauben 分からない、信じられない
4.Du Ring an meinem Finger わたしの指の指輪よ
5.Helft mir, ihr Schwestern 手伝って、妹たち
6.Süßer Freund, du blickest やさしい人、あなたは見つめる
7.An meinem Herzen, an meiner Brust わたしの心に、わたしの胸に
8.Nun hast du mir den ersten Schmerz getan 今、あなたは初めてわたしを悲しませる 


151112a シューマンの歌曲集「女の愛と生涯」も嫉妬は無いとしても女性の長い年月を歌った内容で、能面なら小面から深井くらいの幅がありそうです。このCDはスロヴァキア生まれのソプラノ歌手、ルチア・ポップが40歳の頃に録音したもので、彼女が初来日する四ケ月くらい前の演奏です。1980年の9月にはウィーン国立歌劇場の引っ越し公演の一行と来日して、フィガロのスザンナ等を歌いました。ちょうど中堅になりあぶらがのって来た頃と言われ、オペラだけでなく、こうした歌曲でも魅力を増していました。11月12日はルチア・ポップの誕生日だったので、思い出したようにこれを出してきました(今年は前もって準備していたのでシューマン作品を先日から先行させていた)。

 ところで一枚目の写真は付属冊子の表紙に使われた肖像ですが、彼女のいつ頃の写真だろうと思います。ちょうど録音時期のものだとしたら舞台メイクの威力はさすがにすごいと、先日のゾフィー役の映像を思い出しました。それはともかくとして、この録音では以前から魅力だった高音(第2曲目が特に)だけでなく、低音部もよく声が出ていて素晴らしいと思いました。先日の「子供の不思議な角笛」よりも古い録音でも既にこの時点で充分な歌唱です。夫となる男性に出会って最後に死別するまでを現した詩は今では保守的な感じもしますが、一人の歌手がこれを演奏するのはかなり難しいと思います。昔初めて聴いた時はポップの声はきれいで良いとしても、少々単調にも感じていました。当時の彼女よりも年長になった今、これを聴いているとそんなことはなくて、後半の楽曲こそ味わい深いと思います。

 「女の愛と生涯」作品42は、歌の年(詩人の恋、リーダークライスもこの年に作曲された)と呼ばれる1840年に作曲したもので、反対されていたクララ・ヴィークとの結婚を裁判によって認められた年でもあったので歌詞の内容と重なるものがあります。最近はバリトンのマティアス・ゲルネもこれを歌っているようですがどんなものだろうかと思います。
11 11月

シューマン「森の情景」 アンドラーシュ・シフ 2010年

151111aシューマン 森の情景(Waldszenen)作品82

1.入口 Eintritt
(変ロ長調)
2.待ち伏せる狩人 Jäger auf der lauer(ニ短調)
3.寂しい花 Einsame Blumen(変ロ長調)
4.気味の悪い場所 Verrufene Stelle(ニ短調)
5.なつかしい風景 Freundliche Landschaft(変ロ長調)
6.宿 Herberge(変ホ長調)
7.予言の鳥 Vogel als Prophet(ト短調)
8.狩の歌 Jagdlied(変ホ長調)
9.別れ Abschied(変ロ長調)

アンドラーシュ・シフ:ピアノ

(2010年6月20日-22日 ノイマルクト,コンツェルトザール録音 ECM)

 図書カードを支払の大半に出したところ磁気データを読み取れずエラーが出たので使えないと言われたのでその買い物は取りやめるという、せこい行動をつい最近とりました。割り引いて引き受けてくれるとかそんな甘いサービスは無くて、レジでエラーが出たことを証明する伝票と封筒を受け取って送付して代わりのカードを送ってもらうというシステムでした。元々図書カード自体もらったものであることが多いから、送料も要らないこのシステムも十分ですが面倒くさいので、他の店で端末を通してみればエラーが出ないかもしれないと期待を込めて試したところやっぱり駄目でした。ついでに今年亡くなった作家の阿川弘之の作品を探すと、米内光政と井上成美の提督三部作が並んでいました。このところ店頭に作品が全然無いことがあったのでこの際買っておきました。

151111b 対米英開戦時の海相が嶋田繁太郎、終戦時の海相が米内光政、次官が井上成美でした。井上は昭和50年12月、嶋田は翌51年6月に亡くなり、戦後はほとんど隠遁のような生活を送り、回顧録のようなものにも筆を染めず、弁明も一切しなっかったとありました。その嶋田が、海上自衛隊が遠洋航海の訓練を再開する際の壮行会でこわれて乾杯の音頭をとったことを井上が後に聞くと、「恥知らずにも程がある」と唾棄せんばかりに怒ったそうです。小説「米内光政」は、そんな井上成美が米内をどう見ていたのかから始まります。そういえば今年の国会での質問で、あの戦争は間違いだったかどうかと野党の党首から質問を受けた総理はどちらとも答えませんでした。井上成美が傍聴していたらどう思っただろうと思い、我々はやっぱり戦後世代なのだとしみじみ思いました。

 さて、アンドラーシュ・シフはもっと若い頃にもシューマンの作品を録音していたはずですが、そのCDをどこに置いたか忘れたので新しい方を聴きました。ECMから二枚組が二種出ていて、これはその二集のようです。蝶々や子供の情景、幻想曲などが入っていてその中でシューマンが40歳になる頃に完成させた小品集「森の情景」が気になりました。ラウベの詩集「狩の日(Jagdbrevier)」に触発された作曲したということで、上記のような九曲のタイトルが付けられています。何か物語のように完結しているようでもなく、森を散歩しているような浮遊感の漂う作品です。所々で弾き間違えたのかと錯覚するような箇所があり、全体的に自由な作風です。この作品を聴くのはこれが初めてのはずで、古いシフの録音には入って無かったと思います(自信は無いが忘れているくらいなので聴いていないのに等しい)。

 シフはバッハ、スカルラッティ、モーツァルト、ベートーベン、シューベルト、シューマン、メンデルスゾーンやバルトーク等はレパートリーにしてLP、CDが出ていましたがショパンは聴いたことはありません。そもそも関心が無いのか、公演でもレパートリーに入れているのかどうか分かりません。シフの若い頃の演奏を聴いているとショパンも美しい演奏になるかとか思っていましたが、今世紀に入ってからのベートーベン等を聴くとちょっと違ってきています。ECMへ録音した一連のシューマン作品は非常に魅力的で、ベートーベンの後期ソナタの演奏(先月取り上げていた)が思い出されます。

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raimund

昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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