raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

2015年06月

30 6月

R.シュトラウス「死と変容」 クレンペラー、フィルハーモニアO

150630リヒャルト・シュトラウス 交響詩「死と変容」作品24


オットー・クレンペラー 指揮
フィルハーモニア管弦楽団


(1960年10-11月 録音 EMI)

 クレンペラーはハンブルクに住んでいた15歳の頃、母親に連れていかれたコンサートでリヒャルト・シュトラウスの交響詩「死と変容(浄化)」を聴いて、強烈な印象を受けてこの作品を素晴らしいと思ったと後年振り返っています(オーケストラの響き、全体の構成)。それがハンブルクでの初演(各都市についていちいち初演と言えばきりがないと思うが)だったらしく、そのコンサートの印象がよほど強かったのか、シュトラウスの作品は第一次大戦までのものを気に入り、認めているようです。そのように「死と変容」に感銘を受けたとしながらも、録音の面ではEMIへのセッション録音が唯一になっています。「ドン・ファン」はライヴ音源が何種かありました。

 エルンスト・ブロッホからオットー・クレンペラーへの手紙、1967年11月26日
 ラジオで君の指揮する「死と変容」を聴いたところだ。すばらしい。これまで聴いたことのなかった声部、最後で盛り上がっていく安息というパラドクス、三度にわたる掛留。リヒャルト・シュトラウスは途方もないことを達成している。深遠さだ。ありがとう。君の手を握るよ。この変容が僕らのものとなりますように。君のエルンスト。 ~ 「オットー・クレンペラー あるユダヤ系ドイツ人の音楽家人生 (エーファ・ヴァイスヴァイラー)」

 クレンペラーが残したR.シュトラウスの録音は、交響詩「ドン・ファン」、「死と変容」、「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」、サロメから「七つのヴェールの踊り」、「メタモルフォーゼン~23の独奏弦楽器のための習作」くらいでした。他にも有名な作品はあるのに、マーラー作品に対するのと同じで取り上げる曲を選んでいます。

150630a 実はリヒャルト・シュトラウス作品はジャンルを問わず大半はあまり好きでなく、今世紀に入る頃から「四つの最後の歌」と「カプリッチョ」、「アラベラ」等のオペラ、交響的幻想曲「イタリアから」、アルプス交響曲くらいが積極的に好きと思うようになりました。だからクレンペラーのEMI録音であってもリヒャルト・シュトラウス作品は聴く頻度はかなり低く、関心も湧きませんでした。それでも「クレンペラーとの対話 P.ヘイワーズ編 」にも載っていたクレンペラーが15歳の経験があったので、既に国内盤LPが入手困難になっていた頃に輸入・廉価盤を取り寄せて聴けました(上の写真がそのジャケット、ザ クレンペラー エディション)。そのことを命日が近づいた最近思い出したのと、ブロッホの手紙が目にとまってそんなにすごかったかと急に気になり、CDとLPレコードを取り出して聴いてみました。そもそも他の演奏者も含めて作品自体を聴いた回数が少ないので多くのコメントは出できませんが、遅まきながら食わず嫌い的なR.シュトラウスへの偏見を矯正させられる感銘度です。クレンペラーが演奏するシューベルトやベートーベンと同じ響きで、木漏れ日のように聴こえる木管の特徴的な音色も同じです。

 交響詩「死と変容」作品24は1889年に完成し、1890年6月21日に作曲者自身の指揮によってアイゼナハ市立劇場で初演されました。シュトラウスはドン・ファンに続くこの曲で決定的な成功を手にし、クレンペラーが言うには1890年代のシュトラウスはドイツ人にとって希望の新人であり、神聖侵すべからざる存在だったということです。「死と変容」は交響詩と言いながら、詩や物語をもとにして作曲されたのではなく、標題もありませんでした。曲ができてから詩人のアレクサンダー・リッターに相応しい詩を作るように頼んで、作詞者の名を伏せて総譜の冒頭に冠せられました。こういう経緯は最後のオペラ「カプリッチョ」のテーマにも通じるようで面白く、シュトラウスも晩年までぶれなかった?ような姿勢がうかがわれます。

29 6月

クレンペラー・VSO・1951年 マーラー復活交響曲

150628aマーラー 交響曲 第2番 ハ短調 「復活」


オットー・クレンペラー 指揮
ウィーン交響楽団
アカデミー室内合唱団

イローナ・シュタイングルーバー(S)
ヒルデ・レッスル=マイダン(MS)


(1951年5月18日 ウィーン,ムジークフェラインザール 録音  Testament)

 クレンペラーの従兄弟にフランス文学者のヴィクトール・クレンペラー(1881 - 1960年)という人物がいます。日本語訳の著書「 私は証言する―ナチ時代の日記(1933‐1945年)」も出ていて注目が少し集まりましたが、彼がそれを書いた頃はかなり過去の人物となっていたようです。彼の業績、人物のことはさて置くとして、「オットー・クレンペラー あるユダヤ系ドイツ人の音楽家人生 (エーファ・ヴァイスヴァイラー)」の中で、「オットー・クレンペラーの同時代人の証言」としてヴィクトール(ヴィクトアと表記されている)がオットー・クレンペラーについて書いた短い文が載っていて、ブラックユーモア的でさすが一族だと思いました。

 ヴィクトア・クレンペラー、1941年3月4日
 今日の「ドレスデン最新報(ドレースドナー・ノイエステ・ナーハリヒテン)」に、「ベルリンのオペラをユダヤ化したユダヤ人クレンペラー」がハリウッドの精神病院を脱走、また捕まったという記事が載っていたとのことだ。ゲオルクは二年程前の最後の手紙で、オットー・クレンペラーの重度の脳腫瘍の処置をしたと書いてきた。これでわたしは、妬み、恐れ、時には憎んできた者より長生きできる。だがどんな状態でいつまでなのか?それでも自分の心にいくら確かめようと、愚かで卑しく無意味な勝利を感じる。ほっとしたような気持ちだ。肩をすくめるだけで、わたしを傷つけられるような者は、もうだれもいなくなるのだ。

150628b クレンペラーは1950年7月までハンガリーの国立歌劇場の音楽監督を務めて辞任したので、それから1954年にフィルハーモニア管弦楽団とのレコード録音が本格化するまでは、アメリカの移民法の関係もあってヨーロッパでの活動が制約されることになりますが、ヴォックス社への録音やアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団へ客演した1951年7月12日のマーラー第2番「復活」交響曲等の録音が残っています。1951年はメンゲルベルクが亡くなった年(3月22日)であり、クレンペラーはその追悼演奏会で指揮していました(曲目は第九じゃなかったらしい、マーラーの復活だったと読んだ覚えがあったけれどそれも間違いのようである)。ついでに、1929年1月にクレンペラーはメンゲルベルクの代役としてアムステルダムで復活交響曲を指揮していました。

 この録音、演奏についてなかなかコメントしないのは音質が良くなくて、演奏もどこか雑そうなので、ことさらネガティヴなことを書くのは本意でないからです。ただ、この公演は、マーラー没後40年だった当年、世界各地でマーラーが演奏されるのにウィーンではずっと頻度が低いことにクレンペラーが業を煮やし、VOXへのレコード録音の後に特に望んで実現したものでした。CDの紹介には「怒髪天を衝く」という言葉がありましたが、なんとなくそんな感じがする強烈にクレンペラーが引っ張る演奏だと思いました。このCDはかつて取り上げたはずでしたが記事が見つかりません。VOXのセッション録音を取り上げるときにまた触れたいと思います。

 ところで、ヴィクトア・クレンペラー、1946年6月27日
 昨日ラジオで、指揮者オットー・クレンペラーがドイツに帰り、バーデン=バーデンで指揮することを知った。おかしい。どうしてオットーの名は、ほかの亡命音楽家と一緒に今まで挙げられてこなかったのか?あの男は死んだと思っていたのに(ゲオルクは脳腫瘍について知らせてきたし、そのあと「精神病院から脱走、また捕まる」という記事もあった)・・・。わたしの心をまず揺さぶったことはなにか?通用しはじめたわたしの名が、また隠れてしまうということだ。」
 この復活交響曲はその約5年後にウィーンで行われたわけで、またしてもクレンペラーは復活して最後にもうひとはな咲かせることになりました。

28 6月

クレンペラー・POのマタイ受難曲 D.F.ディースカウ、ピアーズ

150629バッハ マタイ受難曲BWV.244

オットー・クレンペラー 指揮
フィルハーモニア管弦楽団
フィルハーモニア合唱団
(ヴィルヘルム・ピッツ合唱指揮)
ハンプステッド教会少年合唱団(マーティンデイル・シドウェル合唱指揮)
イエス:ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Br)
福音史家:ピーター・ピアーズ(T)

アリア:エリーザベト・シュヴァルツコップ(S)
アリア:クリスタ・ルートヴィヒ(A)
アリア:ヘレン・ワッツ(A)
アリア:ニコライ・ゲッダ(T)
アリア:ヴァルター・ベリー(Bs)
ユダ:ジョン・キャロル・ケース(Br)
ペトロ:ヴァルター・ベリー(Bs)
大司祭:オタカール・クラウス(Br)
ピラト:オタカール・クラウス(Br)
侍女1:ヘザー・ハーパー(S)
侍女1:ヘレン・ワッツ(A)
司祭1:オタカール・クラウス(Br)
司祭2:ジェレイント・エヴァンス(Br)
目撃者1:ヘレン・ワッツ(A)
目撃者2:ウィルフレッド・ブラウン(T)
 オブリガート
ガレス・モリス(フルート)
アーサー・アクロイド(フルート)
シドニー・サトクリフ(オーボエ、オーボエ・ダモーレ)
ピーター・ニューベリー(オーボエ・ダ・カッチャ)
ヒュー・ビーン(ヴァイオリン)
ベラ・デカニー(ヴァイオリン)
デズモンド・デュプレ(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
 通奏低音
ジョージ・マルコム(チェンバロ)
ヴィオラ・タナード(チェンバロ)
レイモンド・クラーク(チェロ)
ジェイムズ・W・マーレット(コントラバス)
ラルフ・ダウンズ(オルガン)
 
(1960,61年 ロンドン,キングズウェイ・ホール他 録音 原盤EMI)
 
 ロッテ・クレンペラーからパウル・デッサウへの電報1973年7月6日
「パパ 今日金曜日の午後六時十五分 睡眠中に安らかに逝去(ストップ) 電話で伝えようとしたけどつながらなかった(ストップ) 葬儀は火曜日の午前 心から ロッテ  」 ~ 「 オットー・クレンペラー あるユダヤ系ドイツ人の音楽家人生 エーファ・ヴァイスヴァイラー著 明石政紀 訳 」

 クレンペラーは最晩年(1965~67年頃か?)にユダヤ教に復帰していたのでユダヤ教の墓地へ葬られています。ユダヤ系の両親から生まれたクレンペラーは元々ユダヤ教に熱心でもなく、安息日に指揮を断ったことは無いと言っていました。ハンブルク時代の1910年7月に公式にユダヤ教を離れ、ケルン時代の1919年春にカトリックの洗礼を受けました(ついでに二人の子供にも洗礼を受けさせた)。その後、意外にも?ベルリン時代やアメリカ亡命中も定期的にミサに出て、告解にも行っていたので、アメリカ亡命中のユダヤ人としては例外的存在だったようです。それが最後にユダヤ教に戻ったのには自身のルーツ、アイデンティティについて深く思いを巡らせたことがうかがえます。だとすれば、このマタイ受難曲を録音している頃には少しずつそういう思いが芽吹いていたとも考えられます。

 クレンペラー指揮のマタイ受難曲のEMI盤は今では古くて重い全曲盤として、半ばレトロな好奇心から注目される存在かもしれませんが、クレンペラー当人にとっては重要な作品であり、人生の内面的な嵐の中にあって演奏していたものではないかと推測できます。クレンペラーは第二次大戦直後にローマで演奏者を集めてマタイ受難曲を演奏したそうですが、単に自身のヨーロッパ復帰をアピールするため以上のものが感じられます。

150629c この録音を自分が初めて聴いたのは国内盤のLPで、1983年頃でした。同じくクレンペラーのメサイア全曲盤LPを聴いてすごく感動して、マタイの全曲を買って聴くならこの人しかないだろうと思ってのことでした。レコ芸別冊の「名曲名盤500」の中でもクレンペラーのマタイやメサイア等のコメントに「巨人的信仰」と書いてあったので、竹を割ったような直情的で感動的なマタイ受難曲だろうと思って期待しましたが、実際に聴くとそんな単純なものではありませんでした。冒頭からひたすら重苦しい、遅いテンポで敷石やら墓石をまとめて背中に負わされたような圧迫感で迫ってきました。レコードに針を下してしばらくして受難曲について軽薄な誤解をしていたことを自覚することになりましたが、概ね讃美歌の類はある意味能天気に「ハレルヤ」と歌い上げたり、逆に涙腺を直撃するような音楽が少なくないのでクレンペラーのレコードを聴いて戸惑いました。

150629d 福音書の例えに有名な「放蕩息子」の話があります。大富豪・富農である父の二男が父の生前に自分の相続分を分与することを求め、それを認めてもらって財産を持って逐電します。放蕩の限りを尽くして財産を使い果たし、豚の餌でもいいから飢えをしのぎたいと思う程落ちぶれて父の下へ戻ると、父が大歓迎するという内容です。放蕩息子が帰って来て非を悔いる言葉を口にするところ、父親が喜んで抱擁するところとか現実離れして、どの面下げてと思いますが、放蕩息子の率直さは実感できる話です(良し悪しはともかくとして)。

 クレンペラーのマタイ受難曲の遅さは独唱者も辟易とさせられ、フィッシャー・ディースカウが代表してクレンペラーに苦情を言った程でした(夢の中でバッハが出てきて云々と)。その遅さからくる重苦しさは、放蕩息子が父の下へ帰ろうとしつつもそうすることができないで、躊躇いながら遠くから見ているような苦しさに通じるものがあります。また、大声をあげて泣きたいのをこらえている抑制の力学が感じ取れます。こういう感情はいったいどこから生じるのだろうかと不思議でした。

150629b シモーヌ・ヴェイユ(Simone Adolphine Weil, 1909年2月3日 パリ - 1943年8月24日 ロンドン)というフランス人の哲学者が居ました。彼女もユダヤ系でしたがドミニコ会のペラン神父との交流等によって教会の秘蹟について深く知り、洗礼を受けると思われる?くらいでしたが、ついには辞退しています。彼女が残した復活とか秘蹟に対する言葉ははっとさせられる深いものがあり、また洗礼を受けない自分のことを書いた謙虚で美しい文章がありました(若い頃読んで感銘を受けたけれど具体的にどんなだったか忘れた)。このだいぶ後になってシモーヌ・ヴェイユの著作を読んでいる時、クレンペラーのマタイ受難曲の印象が思い出され、あの躊躇と抑制させる力はこれと似ていると思いました。

150629a このクレンペラーのマタイ受難曲が最近国内盤SACDでリマスターもあらたに(2015年にオリジナル・アナログマスターよりリマスターと、感嘆符付で銘打たれていた)再発売されました。もうい加減いいだろうと思いつつ、購入して聴きました。これはLPから初CD化された時以上の感銘度で、記憶に残っている以上の遅さと、意外な程の明晰さにちょっと驚きました。フィッシャー・ディースカウのキリストの歌唱の素晴らしさはそのままに、ピーター・ピアーズのエヴァンゲリストの歌唱が鮮烈でした。ピアーズはクレンペラーのテンポに最後まで抵抗したそうですが、あるいは独唱者の抵抗感もみそだったかもしれません。

27 6月

第九・クレンペラーの合唱指導付 1958年・ケルンRSO

150627ベートーヴェン 交響曲 第9番 ニ短調 Op.125「合唱」


オットー=クレンペラー 指揮
ケルン放送交響楽団
ケルン放送合唱団
北ドイツ放送合唱団
マリア・シュターダー(S)
グレース・ホフマン(Ms)
ヴァルデマール・クメント(T)
ハンス・ホッター(Bs)

(1958年1月6日 ケルン, ライヴ録音  Medici Masters)

 六月も終わりに近づいて梅雨模様の天気が続きます。今日の昼ごろ事務所でしばらく掃除機をかけていなかったのを思い出し、月曜の朝に来客があるので今日のうちに片づけておこうと思って出かけました。そうしたところ至る所、駐車場の入口まで大混雑で、最後はWCに行きたくなって困りました。御池の市営駐車場はリーマンショック以降わりに空いていたのが、去年からバイク用スペースを作ったり、洗車コーナーとか市の業務用車のスペース?か何か、使えないスペースが増えました。その影響なのか鴨川側の入り口で行列ができていて、こんなことは初めてで驚きました。

 クレンペラーの命日シリーズの一環として、一週間前の今日は第九です。クーベリックがクレンペラーの追悼コンサートで指揮した曲のメインは第九でしたが、亡き人の死屍のぬくもりもまだ冷めない追悼公演で第九とは複雑な心境です(べつに清々したとか祝ってるわけじゃないだろうが)。それはともかくとして、クレンペラーによる第九の録音は徐々に増えていて少なくとも下記の七種類は何とか入手できるはずです。あと、クレンペラーが1970年にロンドンで最後に演奏したベートーベン・チクルスの第九がTV収録されていたそうで、そこから非公式にかCDが出回ったことがあったようです(未確認)。とりあえず七種の内では1957年のチクルスからフィルハーモニア合唱団の旗揚げ公演のステレオ録音、1960年のウィーン芸術週間の公演、EMIのセッション録音が有名です。今回のケルン放送交響楽団へ客演したライヴ盤はそれら、1957年10、11月のセッション録音とライヴ録音から約二カ月後の演奏にあたります。

1958年1月6日ライブ、ケルン放送SO
①17分17②15分33③14分02④23分32 計70分20
1957年11月15日ライブ、PO(Testament)
①16分24②15分20③14分44④23分39 計70分07
1960年ウィーン芸術週間ライブ、PO
①16分39②14分58③14分05④24分35 計70分17
1961年11月27日ライブ・PO(Testament)
①15分48②15分04③13分32④23分51 計68分15
1956年ライブ・RCO
①16分24②14分48③13分56④22分48 計67分56
1964年11月ライブ、ニューPO(モノクロLD)
①17分46②15分38③14分38④24分10 計72分12
1957年10月,11月セッション録音、PO
①17分00②15分37③14分57④24分23 計71分57

 クレンペラーが1958年9月に自宅で大火傷(変な意味のやけど、火遊びではない、火が残ったパイプを消火しようとして揮発性の薬品をかけて炎に包まれた)を負い、半年の療養を強いられる以前の時期であり、前年秋のベートーベン・チクルスが熱狂的な成功だったのでケルンでの第九も熱気のこもった演奏かと思うとそうではなく、新しく鍛えた刃が完全に冷えきったような透徹した美しい第九になっています。「オットー・クレンペラー あるユダヤ系ドイツ人の音楽家人生」 の著者エーファ・ヴァイスヴァイラーはボンで1970年にクレンペラーとニュー・フィルハーモニア管弦楽団のエロイカを聴いた感想を、「ひどく遅い演奏、いつも正確というわけではなかった」としながらも「結晶のように素晴らしく透き通り、首尾一貫」しているように思えた」と書いています。1970年当時とはテンポが違うかもしれませんが、この1958年1月の第九にも共通する美点が指摘されています。

 終楽章のコーダ部分はおもむろに電源を落としたような素っ気ない終わり方のようでもあり、ウィーン芸術週間のライヴとは趣が異なります。このケルンの録音は拍手等は無く、妙に静かな録音なのであるいは放送用の録音かもしれません。全体の印象はEMIへのセッション録音に近い感じだと思いました。それに今回の録音はホッターの独唱がよく入っていて際立ちます。それから、全曲の後に1分40秒程のトラックにクレンペラーが合唱の指導をする音源が入っています。なんとクレンペラー自身がバリトン独唱の部分を歌いながら後続のコーラスパートを歌わせるという内容で、最後はグートとほめる声がきこえます。実際第4楽章のコーラスも澄み切った響きで、合唱部分はこの録音が一番かもしれないと思いました。

26 6月

クレンペラー、ケルン放送SO マーラー交響曲第4番

150626マーラー 交響曲 第4番 ト長調


オットー=クレンペラー 指揮
ケルン放送交響楽団
エルフリーデ・トレッチェル (S)


(1954年2月21日 ライヴ録音 DELTA)

 オットー・クレンペラーからの『デア・シピーゲル』誌への投書、1966年5月29日-ヴィーン国立歌劇場創立百周年に関する記事では、グスタフ・マーラーの名がまったく触れられていませんでした。1933年から1945年までの時代に連れ戻された思いです。全音楽家と全聴衆の横っ面を張るこの平手打ちの訂正を要求します。 (オットー・クレンペラー あるユダヤ系ドイツ人の音楽家人生 エーファ・ヴァイスヴァイラー著 明石政紀 訳 :春秋社)」

 デア・シュピーゲル (Der Spiegel) とはドイツ語で「鏡」という意味で、ヨーロッパで最も発行部数が多いドイツのニュース週刊誌だったようですが、1947年に創刊されたその雑誌にクレンペラーはわざわざ投書していたようで、暇な、否、まめでマーラーへの忠節ぶりがうかがえて笑いが漏れそうになります。そのわりにクレンペラーはマーラーの交響曲の中で全く演奏していな曲もあり、投書するくらいなら第5番くらいは義理でもいいから指揮していれば良さそうです。セッション録音が無い曲はこういうライヴ音源で補充したいところなのに、クレンペラーのライヴ盤はけっこうレパートリーが偏り、またその曲かと思うこともありました。このライヴ盤はかつて違うレーベルから出たことがあり、戦前にクレンペラーが歌劇場の楽長を務めたケルンへの客演ということもあり、なかなか好調でのっている演奏だと思います。

ケルン放送交響楽団1954年
①15分50②8分51③17分10④8分18 計50分09

ウィーン交響楽団/1955年
①16分23②9分31③17分41④9分02 計52分37
ベルリンRSO/1956年
①16分34②9分22③18分11④8分45 計52分52
フィルハーモニア/1961年・EMI
①17分56②9分58③18分09④8分50 計54分53

 この録音の演奏時間は他のライヴ音源と比べても短めで、いかにも1950年代のクレンペラーらしいように見えますが、いわゆる即物的過ぎるという感じではなくて前回のウィーン交響楽団との演奏に似て、潤いがあって幾分明朗な印象です。これはリマスターの効果の影響も大きいと思われて、会場で聴いていたなら違った印象だったかもしれません。ただ、ソプラノのトレッチェルは今回は特に素晴らしくて、終楽章の蛇足感(蛇足なことはないとしても、第3楽章との落差は多かれ少なかれ感じるのではないかと)を振り払う歌唱です。

 ところでクレンペラーがケルン歌劇場の第一楽長になったのは1917年1月のことで、1922年12月にはケルン市から「音楽総監督(Generalmusikdirektor」の称号を受けています。クレンペラーの経歴には歌劇場の監督というニュアンスで書かれていることが多いですが、ピーター・ヘイワーズとのインタビューでは19世紀以来の称号、肩書という前提で話が進んでいます。そして1924年9月からヴィスバーデン歌劇場の音楽監督に転出し(ここで同市の音楽総監督だったカール・シューリヒトと知り合う)、1927年からベルリン国立歌劇場の監督に就任することになります。そういう経歴からすれば、ケルン時代はクレンペラーの芸術上の頂点へ向かって登っていく時代だったと言えます。

24 6月

ブルックナー交響曲第6番 ヤノフスキ、スイスロマンド管弦楽団

150625ブルックナー 交響曲 第6番 イ長調(1881年ノヴァーク版)


マレク・ヤノフスキ 指揮
スイス・ロマンド管弦楽団
(2009年1月 ジュネーヴ,ヴィクトリア・ホール 録音  Pentatone Classics)

 今週のある日、上京区の御所西地区に居た時コイン・パーキングを使ったのに小銭が無いのに気が付きました。立ち寄った役所で両替を頼むわけにはいかず、コンビニかたばこ屋のような小売店も無くて困りました。結局幹線道路の堀川通まで出てコンビニでお茶を買って札をくずしました。京都御苑の西側は古い家や金目のマンションが多くて、家の屋根や塀も凝ったものが多いエリアです。しかし歩いていると買い物なんかは案外不便で、余計なお世話ながら後期高齢者は苦労しそうだと思います。烏丸通側もホテルや虎屋に能楽堂はあっても日常の買い物とはあまり縁がありません。

 ヤノフスキとスイスロマンド管弦楽団のブルックナーも今回の第6番で最後になりました。ヤノフスキの全集は今世紀に入って出てきたブルックナー交響曲全集の中でも主張、個性が明快にあらわれたもので、特に全曲を聴き進めるなら屈指の録音だと思いました。その中でも今回の第6番は特別に魅力的でした。前回のクレンペラーが英国のBBC放送のオーケストラを振った第6番の出だしが異様に遅く感じたと書いていましたが、今回のCDの第1楽章はさらに長い演奏時間です。しかし、ゆたりとしているとは思うものの極端に遅いという印象じゃないのは不思議です。

ヤノフスキ/2009年
①17分56②17分38③8分52④12分54 計57分20

ヤング・ハンブルクPO/2013年
①15分26②16分08③8分36④14分24 計54分34
ヴォルトン・ザルツブルク/2010年
①15分21②16分33③8分19④13分54 計54分07
K.ナガノ・ベルリンDSO/2010年
①16分47②17分08③8分26④14分15 計56分36
ボッシュ・アーヘンSO/2009年
①13分33②15分22③9分29④13分49 計52分13
ブロムシュテット・ライプチヒ/2008年
①17分06②17分16③8分51④14分33 計57分46
アルブレヒト・チェコPO/2004年
①14分10②18分09③8分07④13分45 計54分11

 上記の七種の中でヤノフスキの第1楽章が一番長く、終楽章は逆に一番短くなっています。第2楽章と合計時間ではヤノフスキが二番目に長いという演奏時間の傾向です。過去の八曲では比較的短目、速目の傾向だったと思いますが第6番は少し違っているようです。実際に聴いていてそうした演奏時間のことはさて置き、全楽章とも隅々までよく聴こえて一本一本まで手入れの行き届いた森林のような印象です。不自然な強調といったものがほとんど感じられず、流れるようであって、どっしりとした安定感もあると思いました。

 Pentatone レーベルは旧フィリップスの技術者が参加しているということですが、ジュネーヴにあった旧ヴィクトリアホールはデッカ・レーベルのアンセルメの録音が有名でした。その旧ホールの音響が良いとか、アンセルメのレコードはそのホールのおかげで好評だと言われたのは古い話です。あまり時間をかけない(費用もか)録音が増えている昨今、このヤノフスキとスイスロマンド管弦楽団のブルックナーは音質の方も良好で、珍しくレーベルの方にも感心が湧きました。

23 6月

クレンペラー、BBC交響楽団のブルックナー第6番

150623bブルックナー 交響曲 第6番 イ長調(1881年ハース版)


オットー・クレンペラー 指揮

BBC交響楽団

(1961年1月12日 BBCメディア・ヴェイル・スタディオ 録音 TESTAMENT)

 このCDはクレンペラーが、フィルハーモニア管弦楽団と同じくロンドンを本拠地とするBBC放送のオーケストラに客演して放送用に録音した音源です。BBC放送の「第3プログラム」という現代音楽に積極的なチャンネルから同時収録の
テ・デウムと共に翌月に放送されました。クレンペラーはフィルハーモニア管弦楽団でブルックナーの第6番を取り上げたいと考えていましたが、当時のイギリスにおけるブルックナー受容を考えると興行上認め難いとしてレッグが許可しませんでした。ロンドン交響楽団ですらティントナーの客演により第5番を演奏した1969年が同曲を初めて演奏した機会だったので、よりマイナーな第6番となるとレッグが認めなかったのも現実的な判断でしょう。

150623a しかし、トラブルの卸問屋のようなクレンペラーは諦めきれず上記のように競合するBBC交響楽団を指揮するという挙に出ました。指定広域組織の舎弟頭が県警のイベントに出演したようなもので、仁義の上で問題があるといえます。その後レッグがフィルハーモニア管弦楽団を解散すると宣言した後、クレンペラーが会長となって自主運営化した年にブルックナー第6番をセッション録音することになります。下記はクレンペラーによる三種類のブルックナー第6番のトラックタイムです。合計演奏時間はセッション録音が一番長くなっています。

~~ クレンペラーのブルックナー第6番
BBCSO/1961年
①17分13②13分07③9分12④13分04 計52分36

ACO・1961年ライヴ
①17分07②12分36③8分31④12分02 計50分16
ニューPO・1964年EMIセッション
①17分02②14分42③9分23④13分48 計54分55

 今回の第6番は第1楽章冒頭から異様に遅く感じられ、最晩年の演奏により慣れているはずなのに挑発的にさえ感じられるテンポでした(高速道路で煽られてさらに減速するような)。セッション録音を初めて聴いた時はそんな印象ではなかったので最初リマスター処理の失敗とか、何らかのミスかと思いました。しかし昨年取り上げたアムステルダム・コンセルトヘボウとのライブ盤の時も、第1楽章については似たような感想だったので実際こういう演奏だったのでしょう。第2楽章は一転して情感豊かでテンポが速くなる部分もあって、今回の第6番はわりに緩急の対比がはっきりした演奏です(気のせいか第2楽章だけ継ぎ接ぎしたような感じ)。

 1961年5月にクレンペラーがオスカー・ココシュカ(Oskar Kokoschka, 1886年3月1日 - 1980年2月22日,アルマ・マーラーとの関係でも知られる)に宛てた手紙というのが「 オットー・クレンペラー あるユダヤ系ドイツ人の音楽家人生 エーファ・ヴァイスヴァイラー著 明石政紀 訳 」に掲載されています。ココシュカは1962年1月にクレンペラーが指揮した
魔笛(コヴェントガーデンで)の舞台セットや衣装を受け持つはずでしたが、初対面でクレンペラーがココシュカの作品を見たことがないとか言い出したのでココシュカが怒って帰ってしまいました。それ以来の手紙だったわけですが、詫びの一つも無かったのはさすがです。結局魔笛の方はココシュカは辞退することになりましたが、クレンペラーは最初ココシュカではなくてピカソに依頼したかったそうです(まさか故意にココシュカを怒らせたわけではないはずだが)。

21 6月

クレンペラー 1948年・ブダペストのローエングリン抜粋盤

150621aワーグナー 歌劇「ローエングリン」
*抜粋,ハンガリー語の歌唱

オットー・クレンペラー 指揮
ハンガリー国立歌劇場管弦楽楽団
ハンガリー国立歌劇場合唱団

ローエングリン:ヨゼフ・シマンディ
エルザ:マグダ・リゴ
オルトルート:エリャ・ネメティ
テルラムント:ラスゾル・ヤンボル
国王ハインリッヒ:ジェルジ・ロソンチー
軍令使:シャーンドル・レメーニ 、他

(1948年10月24日 録音 URANIA)

150621b オットー・クレンペラーOtto Klemperer, 1885年5月14日 - 1973年7月6日)の、先月の誕生日に続いて命日が近づいてきました。今回のローエングリンはクレンペラーが1947年10月から1950年7月まで監督を務めていたブダペストのハンガリー国立歌劇場でのライヴ音源です。かつてハンガリーのフンガロトンから全曲盤のLPが出ていて、歌詞は全部ハンガリー語です。CDでも全曲盤が出たようですが現在はダウンロード版か抜粋盤なら入手できるようです。古い音源であり音質も良くないと想像できて(実際良くはない)長らくスルーしてきましたが、聴いてみると引き締まった演奏であり戦前のクレンペラーのワーグナーが少しは偲ばれそうです。独唱者共々なかなか素晴らしいと思いました。ただ、歌手はなんとなくヴェルディ作品を歌っているような感じに聴こえました。

 アッティラ・チャンバイ、ディートマル・ホラント編の “ rororo operabücher ” (日本語版は「名作オペラ ブックス」 音楽之友社)、その巻末に「ディスコグラフィについての注釈(ヴォルフ=ディーター・ペーター)」があり、ローエングリンの巻ではこのハンガリー語のクレンペラー盤にも言及されています。有名レコードに対しても厳しいコメントが多いこの頁にあって、「様式とテンポが印象的」、「弦の響きは透明で甘ったるいところはなく、パートの割り振りも繊細で、流れるようなテンポで徐々に盛り上がっていく」と好意的に評しています。さらにローエングリン役のシマンディについて、テノール歌手としての名声がまやかしでなかったことを証明していると誉めています(それ以外の歌手のアンサンブルは要求を満たしていないとしているが)。実際に聴いてみると、歌手のアンサンブル云々以外はその評に納得させられます。これは是非とも全曲を聴きたいと思いました。

①第一幕の前奏曲
②第一幕第1,2場:Dank, Konig, dir, dass du zu richten kamst!~
③第一幕第3場:Durch Gottes Sieg ist jetzt dein Leben mein ~
④第二幕第4場:Zuruck, Elsa!~
⑤第二幕第5場:Mein Held entgeg'ne kuhn dem Ungetreuen!
⑥第三幕の前奏曲
⑦第三幕第2場:Das süsse Lied verhallt; wir sind allein~
⑧第三幕第3場:In fernem Land, unnahbar eu’ren Schritten ~

 一枚のCDに収録されているのは上記の通りです。ただ、この公演にはクレンペラーにありがちなトラブル、アクシデントが絡んでいます。トラック⑧、ローエングリンが自分の素性を明かす件の独唱が終わるところ、ローエングリンと名のった直後で客席から拍手がわき起こり、それが延々と続きます。その拍手があまりに大きく長く続くのでクレンペラーが怒り出し、いったん退出してしまいました。やがて説得されて戻って演奏を再開したそうですが、芸術監督(アニー・フィッシャーの夫のアラダール・トート)か誰かがクレンペラーが乗り込む車の運転手に劇場を一回りして戻って来るよう耳打ちしたおかげでそのように収まったわけでした。全曲盤ではその騒動の音声や再開後の演奏が入っていますが、このCDでは拍手がわき起こったところでフェードアウトして終わっています。クレンペラーはカラヤンが指揮するオペラの公演で客席から「悪くないぞカラヤン、みんながいう程悪くないぞ」と大声で野次った話がありました。何時のことか知りませんが自分がされて嫌なことを、それ以上に悪意の感じられることを他人に対して実行するとはなかなかいい性格です。

 ところでクレンペラーにとって「ローエングリン」はキャリアを通じて馴染み深い作品でした。クレンペラーの二つ目の任地ハンブルク歌劇場(1910年9月-1912年12月)でローエングリンを指揮した際、センセーショナルな大成功をおさめ、本人も後にこの時ほどの成功をおさめたことは生涯を通じてなかったと語っています。さらに、戦後にフィルハーモニア管弦楽団と契約した後にロンドンのコヴェントガーデンでオペラを指揮しましたが、その際にフィデリオ、魔笛に続いてローエングリンも指揮しています。ということは放送用音源が残っている可能性があり、TESTAMENTあたりから出て来ることを期待します。何にせよ1948年の録音を聴いているとクレンペラーによるワーグナーの全曲録音がもう少しあればと残念に思います。

20 6月

ブルックナー交響曲第7番 シモーネ・ヤング、ハンブルクPO

150620aブルックナー 交響曲 第7番 ホ長調(1885年 ノーヴァク版)


シモーネ・ヤング 指揮
ハンブルク・フィルハーモニー


(2014年8月30日 ハンブルク ライブ録音 Oehms)

 今年はシベリウスやサン=サーンスもメモリアル年なのにどうも絡み付くブルックナーの響きにとらわれがちです。ブルックナーは来年が没後120年、2024年が生誕200年にあたります。九年後は自分がどうなっているか分かりませんがとりあえず来年は日本のオーケストラの定期やらでもブルックナーが増える期待もあります。

150620b シモーネ・ヤングとハンブルク・フィルのブルックナーは今シーズン中に完結するとこのCDの紹介記事に書いてあったので、残る二曲、第5、第9番も既に録音されているかもしれません。この第7番はとりあえず最新録音で、完結すれば第00番、第0番も含んだ全集になります。今世紀に入ってからもブルックナーのCDは増えていて、超メジャーなオーケストラばかりでない傾向はブルックナーが顕著ではないかと思います。とりあえず下記は2000年以降に録音されたブルックナー第7番のトラックタイムです。ドイツ語圏の指揮者によるドイツ語圏の名門オケによるCDが一つもないのが特徴です。ゲルト・シャラーはドイツ生まれのドイツ人だったと思いますが、オーケストラは音楽祭の時に臨時編成です。

ヤング・ハンブルク/2014年
①21分38②21分42③10分24④12分45 計64分49

ヤノフスキ・スイスロマンド/2010年
①21分05②21分37③09分47④13分15 計65分44
K.ナガノ・バイエルン国立O/2010年
①20分06②21分53③09分43④12分27 計64分09
シャラー・フィルハーモニアFE/2008年
①20分05②21分53③09分33④13分01 計64分32
ズヴェーデン・オランダ放送PO/2006年
①23分08②25分54③09分45④12分44 計71分31
ブロムシュテット・ライプチヒ/2006年
①21分32②24分22③10分08④12分42 計68分44

 トラックタイムを見ても特に何か分かるものでなく、とりあえずズヴェーデンとブロムシュテットが長めでそれ以外はあまり差が出ていません。ヤングとハンブルクPOのブルックナーは過去に第8番以外は取り上げてきましたが、全曲を通じた方針とか原則のようなものは今一つよく分かりません。しかしこのCDでは第2、第3楽章が魅力的で、特に第2楽章で金管楽器の柔らかい音色がよく入っていて素晴らしいと思いました。出だし部分からおぼろ月のようなえも言われない音色が際立っています。第2楽章の演奏時間は前回のヤノフスキとほぼ同じながら聴いた印象は違います。ヤノフスキ程は明晰さを全面に出していなくて、かつロマン派的な濃厚さを志向する風でもなく穏健な演奏に聴こえます。

 ヤングはハンブルクの任期は今シーズンまでなので、今後の録音が気になるところです。これまでブルックナーの他はブラームスと、マーラーの交響曲が何曲かありました。ハンブルク歌劇場はCDだけでなくオペラの映像ソフトもありました。「カルメル会修道女との対話」、パレストリーナ」はソフトの数が少ない上に内容も素晴らしかったので、ヤングのオペラ収録も期待できます。

18 6月

ブルックナー交響曲第3番 ヤノフスキ、スイス・ロマンドO

150618aブルックナー 交響曲 第3番 ニ短調 (第3稿1888/1889年ノヴァーク版)

マレク・ヤノフスキ 指揮
スイス・ロマンド管弦楽団

(2011年10月 ジュネーヴ,ヴィクトリア・ホール 録音  Pentatone Classics)

 新国立劇場のHPで松村禎三のオペラ「沈黙」が来週から上演されるのを見つけたついでに来シーズンのラインアップを見ると、五月から六月にローエングリンが入っていてクラウス・フロリアン・フォークトが来日します。プログラムを時々見てはそれだけのために東京まで往復はできないだろうとほとんどあきらめて、結局当日近くになっても無理で終わっています。ローエングリンもさることながら「沈黙」も観たい作品なのでリニア新幹線級の高速移動ができればもっと積極的になるかもしれません(あと、先立つものも)。「沈黙」は初演時に原作者の遠藤周作が、これは私の「沈黙」ではないと言って作曲者と原作者の間の齟齬が明らかになったそうで、終演後の印象が気になります。

 このCDはマレク・ヤノフスキ指揮、スイス・ロマンド管弦楽団によるブルックナーノシリーズの一枚です。2007年5月から2012年10月までの約5年半の間に全9曲を同じオーケストラ、同じ会場で録音しているという点でも明快にブルックナーの全交響曲を聴ける全集です。セッション録音であり、演奏会場が聖堂等残響が多い場所でないのもこの演奏には好条件ではないかと思います。最近はブルックナー全集が増えましたがこういう条件のものは案外少ないはずです。

ヤノフスキ・スイスロマンド/2011年
①20分48②14分26③6分25④11分37計53分16
ヴァント・北独放送SO/1992年
①20分55②13分10③6分44④12分43計53分32

 ヤノフスキはワーグナーの歌劇、楽劇作品の十作品も演奏会形式で録音する等、ヴァントとは録音のレパートリーがちょっと違いますがブルックナー演奏では志向する方向が似ている気がしています。第3番では各楽章の演奏時間は違うものの合計演奏時間は近似しています。ヴァントのブルックナーはケルンRSOの全集から結構威圧的な音という印象がありましたが、北ドイツRSOとのライヴ録音はそれほどでもなくて、第3番もヤノフスキと連続して聴けば面白いかもと思いました(続けて聴く根気は無いが)。

150618 ワーグナーの交響曲の中でも第3番は、自分の中でかなり疎遠で聴く頻度が低い作品でした。ブルックナー作品は自分にとって神経が休まる、リラックスできる(しょっちゅう弛んでるが)効果があり、温泉に浸かるか温泉の湯、水を飲む湯治のような感覚という面があります。最近は何曲かのミサ曲でそういう感覚を実感していますが、交響曲第3番は効果があまり無いような気がします。交響曲第3番でも第1稿はワーグナー作品からの引用もあって全曲を通じてどこかぎくしゃくして、自分にとっていっそう「効かない」作品になります。このCDではヤノフスキのおかげか、第3稿・ヴァーク版のおかげなのか、よい意味で見通しが良くてすっきりした印象です。

17 6月

ワーグナー「ローエングリン ヨッフム、バイエルンRSO・1953年

150617bワーグナー 歌劇「ローエングリン」


オイゲン・ヨッフム 指揮
バイエルン放送交響楽団
バイエルン放送合唱団

ローエングリン:ロレンツ・フェーエンベルガー
エルザ:アンネリース・クッパー
オルトルート:ヘレナ・ブラウン
テルラムント:フェルディナント・フランツ
国王ハインリッヒ:オットー・フォン・ローア
軍令使:ハンス・ブラウン 、他


(1952年12月15-22日 録音 Preiser)

 今年も半分が過ぎようとしています。ここ数年では例年になく忙しいと思いながら何故か正月の三日間は記憶に残っていますが、これは元旦と三日に大雪が降ったからでしょう。それにスーパーでバターが完全に無くなっていて驚いたことが何度かありました。一般家庭なら無かったら我慢するとしても飲食店なんかはそうはいかず大変です。バターだけでなく、じゃがいもも高騰しているとアルザス食堂のHPを見ていると書いてありました。安全保障だけでなく、食料供給もTPPはまだ交渉中なのに暗雲がたちこめています。そのうちに動物性たんぱく質を確保するため宇治川で投網でもしなければならな日が来たら困ります。

 このローエングリンはバイロイト音楽祭再開の翌年にセッション録音されたもので、ドイツ・グラモフォンからLPで発売されてから長らくお蔵入り状態だったのを墺のプライザーからCD化されました。戦後のバイロイトでローエングリンが最初に演奏されたのはカイルベルト指揮の1953年だったので、この録音の方が古いことになります。実際主だった役の歌手はバイロイトに出ているよりも年配の世代のようです。しかし、全曲を聴いて非常に魅力的で、映像無しの音だけでも作品世界をよく表現出来た好録音だと思います(この録音も「それぞれの役柄は旋律を聴かなくても声の質だけで、それが無理なら歌い方だけで聴き取れる」タイプ)。

150617a 上の写真はモンゴル相撲かプロレスのような雰囲気もありますが、どうやらこれがローエングリン役のようです。パッケージに使われた舞台セットの写真は直接この録音とは関係なく、1937年にライプチヒで行われた舞台の写真のようです。主な役の中でローエングリンのロレンツ・フェーエンベルガー(Lorenz Fehenberger,1912年8月24日-1984年7月29日)はちょっと古めかしい( 何をもって古いか、実は分からないけれど例えば戦前のバイロイトのライヴで聴くテノールと同じような発声、声というのは聴くと分かる )けれど、なめらかで安定した声量で威厳もあって魅力的です。戦中からワーグナーを歌っていた歌手ということですがこれ以外では聴いたことがないのが残念です。それに比べるとエルザのアンネリース・クッパー(Anneliese Kupper, 1906年7月21日 - 1987年12月8日)はちょっと地味で、ローエングリンがあまり引き立たない気もします。この人も戦中のバイロイト音楽祭(必然的にマイスタージンガー)でデビューしています。個人的にはここでもグリュンマー(5歳若くなる)のエルザを聴きたかったところです。

 テルラムントのフェルディナント・フランツはこのCDの歌手で唯一よく覚えている名前だと分かり、フルトヴェングラーの指輪(スカラ座、ローマ、ウィーンPOともに)でヴォータンを歌っていました。オルトルートのヘレナ・ブラウンはクナのトリスタンではイゾルデを歌っていたように、バイエルン国立歌劇場の歌手が集まっています。この二人を含め他の役は皆役柄が聞きわけ易く魅力的だと思います。

 前回、バレンボイムのローエングリンの回に慣習的カット云々と書いていましたが、この全曲盤でも当然カットはあり、とりあえず第三幕第三場のグラール語りは通常通りで前段のみを歌っています。同じヨッフムの指揮でも1954年のバイロイトでは第三幕のトラックタイムが62分46でしたが、今回のミュンヘンのセッション録音は58分26とさらに短くなっています。CD一枚目の収録具合からして第一、二幕もやや短めのようです(時間は確認していない)。第一幕の前奏曲直後はバイロイト盤と同じようなテンポなので、はっきり差が出るならカットの回数の違いではないかと思います。

15 6月

ワーグナー「ローエングリン」 バレンボイム、ベルリンSK

150615aワーグナー 歌劇「ローエングリン」

ダニエル・バレンボイム 指揮
ベルリン・シュタ-ツカペレ
ベルリン国立歌劇場合唱団(エルンスト・ストイ 合唱指揮)

ローエングリン:ペーター・ザイフェルト
エルザ:エミリー・マギー
オルトルート:デボラ・ポラスキー
テルラムント:ファルク・シュトルックマン
国王ハインリッヒ:ルネ・パーペ
軍令使:ローマン・トレケル、他
(1998年1月 ベルリン,西ドイツ放送協会グロッサー・ゼンデザール 録音 TEDEC)

150615 ワーグナーのオペラ「ローエングリン」は長らくあまり関心がある作品でなかったところ、昨年にケント・ナガノ指揮のミュンヘン・オペラ、カウフマンとハルテロスらのDVDを観て(映像より演奏に惹かれた)から突然好きになり、ワーグナー作品の中で筆頭くらいのポジションになりました。ローエングリンに魅了された有名人はけっこう居て、ブルックナーにルートヴィヒ二世やヒトラーもそのうちだったようです。その二人のように財力も権力も無いので気にすることは無いとしてもちょっと嫌な傾向です。ローエングリンの毒、魔力のみなもとはどこにあるのか、作曲や演奏をする人間なら色々な要素があるとは思いますが、振り返ると単純に旋律の魅力が大きいと思います。「エルザの夢」、「私の白鳥よ」等の宙に浮く、天空から舞降りてくるようなメロディが余をもって替え得ない魅力です(長らくこれらに反応しなかったのが不思議)。というわけで、今回は先日の1954年・バイロイトのライヴ盤よりもだいぶ新しいバレンボイムのローエングリンです。

150615b このローエングリンの全曲盤CDは第三幕第三場でローエングリンが自分の素性を明かす件、「グラール語り」のカットが無い完全なかたちであるだけでなく、その前後で慣習的にカットされるコーラスも全部演奏している完全な全曲録音というのが話題でした。このCDを聴いた印象はそうした問題よりも、まずローエングリンのペーター・ザイフェルトの歌声がすばらしいのにまず惹かれます。ザイフェルトは1996年にはバイロイトデビューを果たしていたので今更、といったところですが特に第一幕でローエングリンが登場する場面では、「天上的でこの世のものならぬ」という趣だと思います。ペーター・ザイフェルトの写真を見るとチョビっと髭をたくわえていて、こういうのはローエングリン的でないと思ったらローエングリン役の歌手の古い写真で立派な髭を生やした人も居るので勝手なイメージは程々にしようと思いました。

150615c カットが無いことについては正直言ってそれが良いことという実感は無くて、過去に取り上げたブルーレイやDVDでも色々とカットが実行されていたわけですが、特に残念だという感情はありませんでした。しかしバレンボイムは解説冊子の文章で、完全なかたちで上演することの重要性を力説しています。なお、その解説の日本語訳( 喜多尾冬道 訳)はグラール語りの部分も「合唱」という訳語があてられてあり、その真意が分かりません。最初は、グラール語りの前半、通常演奏される部分でいったん男ら言葉等のコーラスが入り、再びローエングリンが通常カットされる箇所を語り、歌いだす、そのブラバントの男らのコーラスのことを指しているのかと思いましたが、どうもそうでもないようです。ローエングリンの慣習的なカットは細かくて、完全に突き止めるのは劇場公演と縁遠い我々には難しいと思いました。
 
 ローエングリンは1848年に完成後、1850年8月28日にフランツ・リストの指揮によりワイマール宮廷劇場で初演されました。初演に至るまでの何ケ月間にワーグナーはリストと書簡のやりとりをしていいて、その中で初演に際してはローエングリンをありのままに、カットをせずに上演することをリストに要望していました。ただ、1850年7月20日付けの書簡において、例外としてローエングリンのグラール語りはカットするように頼んでいました。ローエングリンの次の台詞、“ sein Ritter ich bin Lohengrin genannt ” のgenannt のgeの後でまるまる56小節を繰り返さずに、と指定しています。つまり通常グラール語りでカットされる部分のことで、作曲者自身がこれを望んだということになります。その理由は初演時のローエングリン役の歌手が今一つ力量的に信頼できないことと、ワーグナー自身がピアノで何度も弾いているうち感情を冷却してしまうような印象を与えると確信したからということです。

 それ以外にも、戦後のバイロイトで演出のヴィーラント・ワーグナーは第二幕のいくつかのコーラスを自分が好きでないという理由でカットしたりしているようでした(「クレンペラーとの対話」に出て来る話、クレンペラーは自分がローエングリンを指揮するならその箇所はカットしませんよと念を押したとある)。結局このCDは「完全」全曲盤であることよりも、主役級の歌手の歌が魅力だった思いました。

13 6月

ワーグナー「ローエングリン」 ヨッフム・1954年バイロイト

150613ワーグナー 歌劇「ローエングリン」


オイゲン・ヨッフム 指揮
バイロイト祝祭管弦楽団
バイロイト祝祭合唱団(ウィルヘルム・ピッツ指揮)


ローエングリン:ヴォルフガング・ヴィントガッセン
エルザ:ビルギット・ニルソン
オルトルート:アストリッド・ヴァルナイ
テルラムント:ヘルマン・ウーデ
国王ハインリヒ:テオ・アダム
軍令使:ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ


  4人の貴族たち~
ゲルハルト・シュトルツェ
ジーン・トービン
トニ・ブランケンハイム
フランツ・クラス
  4人の小姓~
ロッテ・キーファー
ゲルダ・グラッサー
エリカ・エスケルゼン
ロスヴィタ・ブロウ


(1954年7月8月 バイロイト祝祭劇場 ライヴ録音  Andromeda)

 オイゲン・ヨッフム(Eugen Jochum、1902年11月1日 - 1987年3月26日)のレコードならどちらかと言えばオペラよりもブルックナーをはじめ、管弦楽作品の方が圧倒的に目立ちます。ブルックナーで有名な指揮者ならワーグナーもと、そう単純には行かないのなら「穏健なブルックナー党左派」の私としてはうれしいことです(ワーグナーとブルックナーはそんなに親近性はないと思いたい)。しかしヨッフムは1950年代と1970年代にバイロイト音楽祭に何度か出演していました。このローエングリンは前年に続いての登場ですが次年からはかなり間を置くことになり、18年後のパルジファルで再度バイロイトで指揮をすることになります。また、上記の配役でディートリヒ・フィッシャー・ディースカウの名前が目立ち、彼はこの年に初めてバイロイト音楽祭に出演しました(テオ・アダムのバイロイト・デビューは1952年のようだ)。なお、ヨッフムは前年の1953年にバイエルン放送交響楽団らと同じくローエングリンを全曲録音していましたが、歌手の顔ぶれはバイロイトよりも少し古い世代が揃っています。

~ヨッフムが指揮したバイロイト音楽祭
1953年:トリスタン
1954年:タンホイザー、ローエングリン
1971年:パルジファル
1972年:パルジファル
1973年:パルジファル

 
第一幕の前奏曲が終わった直後から、駆け出すような速いテンポが続くのはちょっと戸惑いますがヨッフムのブルックナーもそういう傾向があるので普通のことかと思い直しました。若く張りのあるフィッシャー・ディースカウの声が際立って、ドイツ王のアダムの方が地味にきこえます。ローエングリンのヴィントガッセンは、神がかりな謎の人でも超人的な強さという趣でもなくて、このキャストの中では性格的にやや埋もれ気味に聴こえます。エルザももう少し初々しいような声だったらと思いましたが、ヴィントガッセンとニルソンが居てそう言うのは贅沢なことかもしれません。でも、テルラムントとオルトルート夫妻の声の方が存在感があったのではと思います。第二幕の後の拍手が盛大で、第一幕後よりも盛り上がっていました(一回の公演の一発録りなのかどうか分からないが)。

 アッティラ・チャンバイ、ディートマル・ホラント編の “ rororo operabücher ” の日本語版にあたる「名作オペラ ブックス(音楽之友社)」の巻末にある「ディスコグラフィについての注釈」では、ローエングリンも厳しいコメントが載っていました。そのなかでヴィントガッセンとニルソンには好意的に書かれてあり、「天上的でこの世のものならぬローエングリンの声のタイプ」として、「1950年代はまだ明らかにいっそう新鮮に響き、フレージングも知的である」と評しています。そう言われると第三幕のグラール語りのところは第一幕よりもずっと魅力的だと思います。ニルソンのこの録音については「抒情性を目ざしてはいるものの、少し 強く 響き過ぎている」としていました。また、ヨッフムの指揮するオーケストラ(カイルベルトも含めて)とピッツのコーラスを高く評価していました。

 この録音は元々ゴールデンメロドラムから出ていたはずですが、著作権切れの後にAndromedaから再発売されてかなり安くなっています。同じパターンの録音は多数ありますが、このCDはかなり聴きやすい音質でモノラル録音ながら声楽、オーケストラとも1954年という点を考えれば不満はありません。

11 6月

ブルックナー交響曲第1番・リンツ稿 バレンボイム、ベルリンPO

150212bブルックナー 交響曲 第1番 ハ短調 (リンツ・1877年稿ノヴァーク版)


ダニエル=バレンボイム 指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団


(1996年11月 ベルリン,フィルハーモニー 録音 ワーナー)

 京都市左京区の修学院に鷺森神社という古い神社がありました。先日たまたま近くを通って鳥居、参道の入口だけを見て通り過ぎました。参道には桜の木があるので近所に住んでいれば散歩コースにでもできそうでした。ちょっと調べると創建後に何度か場所が変わり、現在の場所は江戸時代になって移っていました。神社を紹介したサイトには「産土神」という用語が出ていて、この神社は修学院、山端地区となっていました。産土神というのは「神道において、その者が生まれた土地の守護神」ということのようです(wikiによると)。うちは父方が両親とも岡山県の美作地方、母方は三重県と京都府の伏見が出身なので土地にまつわる「産土神」はどうなっているか全く分かりませんがそもそも意識したこともありません。門前を通っただけなのに妙に気になる場所で、一度ゆっくり行ってみたいと思いました。この神社は修学院離宮の近くにありますが、これくらい古いと権力のにおいやファッショ的な臭気がしないものです。

150611 このところブルックナーのミサ曲を続けて聴いていて、交響曲の中では作曲時期が重なる第1番も気になってきました。バレンボイム二度目の全集の中のこの第1番も1996年にカラヤン亡き後のベルリンPOとの録音です。ブログで何度もバレンボイムの録音を取り上げるまでは正直言ってあまり良いイメージを持っておらず、せっかくベルリンPOがブルックナーを全曲録音するならもっと他の人が、とかバイロイトもそろそろ違う世代の、等と勝手なことを思っていました。バレンボイムは自分の中で未だにピアニストというイメージが強くて、そっちが本職じゃないかという感情が頭をもたげてきます。しかし、とりあえずベルリンPOとのブルックナーはちょっと面白いと思っています。

 ブルックナーの交響曲第1番のリンツ稿のノヴァーク版のCDのトラックタイムを下記のように並べてみると、ヨッフムの新旧と比べて大幅に長い時間にはなっていなくて、少なくともブルックナーの初期作品らしくない濃厚さにはなっていません。特に第1楽章が冒頭からして適度に明晰で、バレンボイムらしくない?面白くて、かつ清新な演奏だと思いました。初期作品らしい素朴な感じも出ていて、ベルリンPOと違って別の団体が演奏していると言われても納得することだと思いました。バレンボイムは来年の二月に来日してなんと、ブルックナーの九曲の交響曲を全部演奏する予定なので、その際にも第1番を演奏します。このCDの録音時から19年以上経過しているので、また違った第1番になっていることだと思います。

バレンボイム・BPO/1996年
①12分49②13分36③9分20④13分59 計49分44

アバド・VPO/1996年
①12分16②13分45③8分40④13分46 計48分27
ヨッフム・ドレスデン/1978年
①12分31②12分38③9分02④12分57 計47分08
アバド・VPO/1969年
①11分34②11分48③8分55④12分40 計44分57
ヨッフム・ベルリンPO/1965年
①12分32②12分30③8分55④13分12 計47分09

 バレンボイムが最初にシカゴ交響楽団とブルックナーの交響曲全集を録音したのは1972年から1981年にかけてでした。その際は第0番も併せて録音していたので筋金入りということになります。その時期にはベルリンPOはカラヤンとブルックナー全集(1975年から1981年にかけて)を手掛けていました。アルゼンチン出身のバレンボイムがアメリカのオケとブルックナー全集というのは、カラヤン-ベルリンPOとは対照的と言えるコンビです(今ではあまり違和感もないけれど)。アメリカのオーケストラを指揮していてもウィーンやベルリンでも活動していたドホナーニやサヴァリッシュならブルックナーとも地縁が無くはないと言えるとしても、バレンボイムはちょっと違います。

10 6月

ベートーベンの田園交響曲 マリナー、アカデミー室内管弦楽団

150610ベートーヴェン 交響曲 第6番 ヘ長調 作品68 「田園」


サー・ネヴィル・マリナー 指揮
アカデミー室内管弦楽団(Academy of St.Martin in the Fields)


(1985年11月 ロンドン 録音 タワーレコード/Philips)

 今日の昼過ぎに左京区の叡電一乗寺駅付近を歩いていると、カレー屋さんらしき店が目にはいりました。店員らしき人が店の前に居て日本人でないらしいのはすぐ分かりましたが、店先に掲げてある大きな国旗がどこの国のものか分かりませんでした。インドやパキスタン、バングラデッシュ国旗でないのは分かりましたが、後で調べるとネパール国旗で、そこの店も割に有名なようでした。一乗寺駅前にはかつて映画館(一階が食料品店、二階が映画館)もあって、宇治のようないなかとは一味違う独特な賑やかさでした。たまたま今日近所を通ったのであの映画館があったのはどこら辺だったかと思いながら、あぶらを売ってる暇もなく昼食も済ませた後なのでネパールのカレー店にも寄れず通り過ぎました。ついでに少し歩いたところでラーメン天天有のきた、否、あまり新しくない店はほとんどそのままのたたずまいで営業していました。

 先月の兵庫芸術文化センター管弦楽団の定期にサー・ネヴィル・マリナー(Sir Neville Marriner、 1924年4月15日 - )が登場してハイドンの奇蹟やメンデルスゾーンのスコットランドを三日間振りました(行ってないけど)。今年91歳になったマリナーなので、その年齢で長旅をしても良いのかと案じられます。マリナーと言えば自分が切符を買って初めて行った外国のオケ公演の指揮者で、今から32年くらい前のことでした。その当時で60歳近かったので大したものだと思います。このCDは先日タワーレコードの企画で復刻されたマリナーのベートーベン交響曲全集の一枚です。田園が録音された1985年には左京区一乗寺の映画館「京一会館」はまだ健在でした。全集は1970年9月に録音された交響曲第1、2番で始まり1989年5月の第九で終わっています。かなり間隔が空くのはその間にオーケストラ界、ベートーベンの演奏スタイルも大きく変動したことも影響しているはずです。

マリナー/1986年
①11分47②13分44③5分22④3分50⑤10分01 計44分44

ヴァイル/2004年
①11分30②12分29③5分08④3分47⑤09分39 計42分33
インマゼール/2006年
①10分23②11分59③4分43④4分00⑤09分15 計40分20
アバド・BPO/2001年
①11分33②10分40③5分08④3分25⑤08分34 計39分20

 室内オケによるベートーベンと言っても現代なら別に不思議でもありませんが、実際に聴いてみると今流行り?のピリオド楽器、奏法との折衷スタイルの演奏とは違って普通のベートーベンになっています。上記のトラックタイムの通りでアバドとベルリンPOよりも長い演奏時間で、奇抜さ、刺激的なところが殆ど無くて逆に良い意味で違和感を覚えます。だから理屈抜きに、「ああ、どこかで鶯が鳴いているなあ」というのと似た感覚で率直に楽しめる田園交響曲だと思います。第4、第5楽章の感動も不足なく十分であり、単純にこの曲が好きな私のような層には抵抗なく受け入れられるタイプです。ただ、専門的には色々と工夫されたところもあってそんなに単純な録音とは言えないかもしれません。

 小編成の室内オケでベートーベンの交響曲を演奏するというのはちょうどこの全集が始まってしばらくの頃に岩井宏之がエッセイの中で推奨していて、指揮者の岩城宏之氏の演奏を例にしてほめていました。マリナーの演奏もそのスタイルに入るはずですが、最近の室内オケの録音、ダウスゴーとかアントニーニのベートーベンと比べるといたって穏健に聴こえます。名を伏せて聴かされて演奏者を当てさせられたとしてもなかなか正解にはならないだろうと思いました。

9 6月

ヤノフスキ、スイス・ロマンド管 ブルックナー交響曲第5番

150609bブルックナー 交響曲 第5番 変ロ長調 WAB.105 (1878年ノヴァーク版)


マレク・ヤノフスキ 指揮
スイス・ロマンド管弦楽団


(2009年7月 ジュネーヴ,ヴィクトリア・ホール 録音  Pentatone Classics)

 先日の夕方頃母から携帯に電話があってCDラジカセのカセットのところにテープが巻き付いて動かなくなったと聞きました(急病かと思ったらそんなことを)。昔の礼拝やら讃美歌のテープを聴いていたらしく、どうせ扱いが適切じゃなかったからトラブったのでしょう。そのことからかなり古いテープでも一応は再生できるのが分かり、15年くらいまえにFMからDATテープに録音したバイロイト音楽祭を早く何とかCDにコピーしておこうとあせりました(時々思い出してそうしようと思ってそのままになる)。当時はネット経由でなく屋根の上に立っているテレビ用のアンテナにつないでいたのでそこそ雑音は混じっていたはずです。そういえばYAMAHAがHD付のCDレコーダーを出していたことがあり、今でもあれば便利だと思いました。

交響曲第5番 WAB.105
Adagio; Allegro
Adagio
Scherzo: Molto vivace
Finale: Adagio; Allegro moderato 


150609a 先日の第7番に続いてヤノフスキとスイス・ロマンド管弦楽団によるブルックナーの交響曲第5番です。スイスのフランス語圏のオーケストラがブルックナーを全曲録音するとしてもかつてほど珍しいという印象はないでしょう(シカゴ交響楽団や大阪フィルも完成させている)。それよりもヴォルフガング・サヴァリッシュ が1970年から1980年までこのオーケストラの首席を務めていました。その前にはヤノフスキと同じくポーランド生まれのパウル・クレツキがアンセルメの跡をついで就任していました。また、バイロイトやN響でおなじみのホルスト・シュタインもサヴァリッシュの次に首席に就いていたので、ドイツ系の指揮者と作品にも十分縁があったわけです( ただ、レコ芸で各地のオーケストラを特集した際にサヴァリッシュやシュタインがこのオケのポストに就いたことを否定的に書いてあった覚えがあり、録音があまり残っていないのも事実である)。

ヤノフスキ/2009年
①19分42②18分45③11分35④23分29 計73分31

パーヴォ・ヤルヴィ/2009年
①19分23②14分57③13分01④22分25 計69分46
ザンダー・PO/2008年
①18分58②16分00③12分36④21分01 計67分35
ズヴェーデン・オランダRSO/2007年
①21分22②19分42③13分03④24分47 計78分55
D.ラッセル・デイヴィス/2006年
①21分43②14分49③15分10④25分10 計76分52
ボッシュ・アーヘンSO/2005年
①19分34②16分02③13分11④22分19 計71分06
アーノンクール・VPO/2004年
①20分34②14分57③13分35④23分59 計73分05

 2000年以降のブルックナー第5番のCDと比べると、ヤノフスキの第5番は極端に速いということはありませんが、やはり重厚壮大さを追求したタイプとは違います。ただ、第二楽章のアダージョが合計時間のわいには時間を割いていて、同じ73分台のアーノンクールと4分近い差が出ています。先日の第7番ではアダージョ楽章にそこまで時間をかけていないので意外です。ブルックナーの第5番は音響の構造物のような作品だと評され、実際に初めて聴いた時は跳ね付けられるような感覚、または巨石が降ってくるような圧迫感があり、すぐには楽しめるものではありませんでした。

 今回のヤノフスキはそんなそびえるような巨大さ、圧迫感という印象は薄くて、これはアダージョ楽章の時間配分の効果かもしれません。このCDを聴いているとベンジャミン・ザンダーが指摘していた、「ブルックナーの第5番がシューベルトの音楽に近いものである」こと、「その音楽の歌謡性を実現するためには、現代の一般的な解釈では遅すぎるため、活発で推進力を持ったテンポを選んだ」という言葉を思い出させます。といってもそこまで流動的でなく、既存のブルックナー第5番のイメージもある程度併せもっています。かつてヤノフスキがN響へ客演してこの曲を振った時の演奏が気になってきます。

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昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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