オットー・クレンペラー 指揮
フィルハーモニア管弦楽団
(1960年10-11月 録音 EMI)
クレンペラーはハンブルクに住んでいた15歳の頃、母親に連れていかれたコンサートでリヒャルト・シュトラウスの交響詩「死と変容(浄化)」を聴いて、強烈な印象を受けてこの作品を素晴らしいと思ったと後年振り返っています(オーケストラの響き、全体の構成)。それがハンブルクでの初演(各都市についていちいち初演と言えばきりがないと思うが)だったらしく、そのコンサートの印象がよほど強かったのか、シュトラウスの作品は第一次大戦までのものを気に入り、認めているようです。そのように「死と変容」に感銘を受けたとしながらも、録音の面ではEMIへのセッション録音が唯一になっています。「ドン・ファン」はライヴ音源が何種かありました。
エルンスト・ブロッホからオットー・クレンペラーへの手紙、1967年11月26日
ラジオで君の指揮する「死と変容」を聴いたところだ。すばらしい。これまで聴いたことのなかった声部、最後で盛り上がっていく安息というパラドクス、三度にわたる掛留。リヒャルト・シュトラウスは途方もないことを達成している。深遠さだ。ありがとう。君の手を握るよ。この変容が僕らのものとなりますように。君のエルンスト。 ~ 「オットー・クレンペラー あるユダヤ系ドイツ人の音楽家人生 (エーファ・ヴァイスヴァイラー)」
クレンペラーが残したR.シュトラウスの録音は、交響詩「ドン・ファン」、「死と変容」、「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」、サロメから「七つのヴェールの踊り」、「メタモルフォーゼン~23の独奏弦楽器のための習作」くらいでした。他にも有名な作品はあるのに、マーラー作品に対するのと同じで取り上げる曲を選んでいます。
実はリヒャルト・シュトラウス作品はジャンルを問わず大半はあまり好きでなく、今世紀に入る頃から「四つの最後の歌」と「カプリッチョ」、「アラベラ」等のオペラ、交響的幻想曲「イタリアから」、アルプス交響曲くらいが積極的に好きと思うようになりました。だからクレンペラーのEMI録音であってもリヒャルト・シュトラウス作品は聴く頻度はかなり低く、関心も湧きませんでした。それでも「クレンペラーとの対話 P.ヘイワーズ編 」にも載っていたクレンペラーが15歳の経験があったので、既に国内盤LPが入手困難になっていた頃に輸入・廉価盤を取り寄せて聴けました(上の写真がそのジャケット、ザ クレンペラー エディション)。そのことを命日が近づいた最近思い出したのと、ブロッホの手紙が目にとまってそんなにすごかったかと急に気になり、CDとLPレコードを取り出して聴いてみました。そもそも他の演奏者も含めて作品自体を聴いた回数が少ないので多くのコメントは出できませんが、遅まきながら食わず嫌い的なR.シュトラウスへの偏見を矯正させられる感銘度です。クレンペラーが演奏するシューベルトやベートーベンと同じ響きで、木漏れ日のように聴こえる木管の特徴的な音色も同じです。
交響詩「死と変容」作品24は1889年に完成し、1890年6月21日に作曲者自身の指揮によってアイゼナハ市立劇場で初演されました。シュトラウスはドン・ファンに続くこの曲で決定的な成功を手にし、クレンペラーが言うには1890年代のシュトラウスはドイツ人にとって希望の新人であり、神聖侵すべからざる存在だったということです。「死と変容」は交響詩と言いながら、詩や物語をもとにして作曲されたのではなく、標題もありませんでした。曲ができてから詩人のアレクサンダー・リッターに相応しい詩を作るように頼んで、作詞者の名を伏せて総譜の冒頭に冠せられました。こういう経緯は最後のオペラ「カプリッチョ」のテーマにも通じるようで面白く、シュトラウスも晩年までぶれなかった?ような姿勢がうかがわれます。