raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

2015年04月

30 4月

マーラー交響曲第3番 ギーレン、SWRSO他

マーラー 交響曲 第3番 ニ短調


ミヒャエル・ギーレン  指揮
南西ドイツ放送交響楽団
(SWR Sinfonieorchester Baden-Baden und Freiburg)
ヨーロッパ・コーラスアカデミー女声合唱
フライブルク大聖堂少年合唱団

コルネリア・カリシュ(コントラルト)


(1997年2月 フライブルク,コンツェルトハウス ライヴ録音 Hänssler)

150430 四月は今日で終わりでそれ以上に気候の方が先行しているようで、今日も夏日でした。昼間に左京区の北部へ出かけていてちょうど正午頃に大原を通ったので、三千院の方へまわってみました。国道沿いにはツツジが咲いていて、三千院の門前と車を止めて歩いていると山吹が満開になっていました。2、3週間早いのじゃないかと思いましたが気温を考えれば不思議でもありません。何か秘仏を公開中という札が出ていましたが、遅くなりそうだったので昼食だけにして門内には入りませんでした。平日なのでそんなに混雑していませんでしたが、ベニシアさんの影響なのか外国人の姿もちらほら見かけました。山間の観光地なのになぜか餃子定食がメニューにあり、それを頼んだところギョウザにサイズが小さくて二人前くらいいけそうでした(まわりを見ると高齢者が多くて、それくらいの年齢ならこれでちょうど良いのだろう)。

 ギーレンのマーラーチクルスは1988年録音の第4番から始まり、次の第2番まで約8年の間隔を置いて再開されて、以後は2003年までかかって九曲を録音し終えています。変則的な進行具合なので計画が中止になりかかったりとか色々事情があったのだろうと思います。今回の第3番はこれまで聴いた(第1、4番以外)中で一番会心で、作品にぴったり合っていると思いました。それに作品の統一感、各楽章の結びつきが素晴らしいと思います。それに、少年合唱付の第5楽章から続けて第6楽章に入るところは、音量に大きな差は無いのに目が覚めるようというか、山中を歩いていて突然眼前の風景が切り替わったようで鮮烈です。久々に第3番を聴いたからかもしれませんが、長いこの曲の色々な部分の魅力がよく現れていて新鮮でした。ギーレンは引退を表明しましたがこれを聴いていると生で聴いてみたかったと思いました。

 「オーストリアではボヘミア人として、ドイツではオーストリア人として、そして世界中からはユダヤ人として」どこでも歓迎されていないと生前マーラーは語ったとされていて、そうだとすれば孤独とか疎外感を常に感じていたと想像できますが、反面「自由」でもあっただろうと思えます。第3番に限らずマーラーの交響曲には行進曲調の部分がしばしば登場します。ああいう部分はどのように完結して終わっているのか、ちょっと思い出せませんが何となく作品からはみ出すように消えて、作品全体のテーマのようにはなっていないような印象です。

 だからどうだと結論付けられるものでないとしても、ベンジャミン・ザンダーが指摘していた「 マーラーの音楽 = 個人についての音楽 (ブルックナーは共同体についての音楽)」という分類が妙に説得力を持って思い出されます。どこでも歓迎されないとしても、結果的に縛られず(共同体に)それはそれで自由で良い、とまではいかなくてもそこそこの心地よさは感じていたのじゃないかと想像できます。

29 4月

マーラー交響曲第9番 ハイティンク、ACO・1969年

150418bマーラー 交響曲 第9番 ニ長調


ベルナルド・ハイティンク 指揮
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団


(1969年6月 アムステルダム,コンセルトヘボウ 録音  Universal Italy/PHILIPS)

150429 四月も終わりに近づき地元では茶摘みのバイトを募集していました。玉露とかそんな高価な茶は普段口にしないので新茶が最初に店頭に並ぶ日なんて意識したことはありませんでした。しかし先日ちょっと手土産を準備する機会があって、新茶も候補に挙げながらちょっと早くて諦めました。明後日の5月2日に「宇治新茶・八十八夜茶摘みの集い(農林水産技術センター農林センター茶業研究所、宇治茶会館)」があるくらいなので、出回るのはこれからなのでしょう。ただ、今では生産量が多いのは宇治市よりも綴喜郡宇治田原町、相楽郡和束町とかなので生産地によっては早くないかもしれません。

 気温も上がって夏日になるくらいのここ数日、自分の気分としてはこの曲を聴く旬(何の根拠も無い)が過ぎてしましました。しかしやっぱり気になる作品で、廉価箱のハイティンクの全集の録音を先日から断片的に聴いていました。ちょうどショルティの旧録音と同じ頃に録音されたもので、下記のトラックタイムの通り演奏時間も似ています。ハイティンクが旧フィリップス、ヨーロッパのオーケストラなのでその点の違いもあるので全然違う印象だろうと思っていましたがそうでもありませんでした。中間の二つの楽章は結構シャープというかメリハリがきき、そのため演奏者を伏せて聴き、誰の録音かと答えさせられたら間違う可能性大でした。

ハイティンク・ACO/1969
①27分01②15分56③12分57④24分42 計80分36
ショルティ・CSO/1967年頃
①27分00②16分30③13分05④22分50 計79分25

 これ以前の録音としては古い世代の指揮者を除くとバルビローリ(ベルリンPO)、バーンスタイン(ニューヨークPO)、クーベリック(バイエルンRSO)、アンチェル(チェコPO)くらいがあり、現代からすればまだまだ少ないのでハイティンクの全集は貴重だった今頃になって思います。改めて聴いていると現代音楽的に刺々しいようでもなく、過度に情緒的な方に傾斜せず、全楽章を通して心地よく聴けます(この辺の感じが中庸的とか物足らないと評されるのだと思いますが)。ベルティーニとかがマーラーの交響曲全部で一つのまとまりとして捉えるという考え方でしたが、この全集なら第1番から連続して聴けばそういう理論の妙が実感できるかもしれません(連休中に試すとかそんな根気は無いけれど)。

28 4月

マーラー交響曲第4番 マーツァル、チェコPO

150428aマーラー 交響曲 第4番 ト長調


ズデニェク・マーツァル 指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団


ミカエラ・カウネ(S)
 
(2006年10月12‐13日 プラハ,「芸術家の家」ドヴォルザーク・ホール 録音 Exton)

 年間の国民一人当たりの魚の消費量、国民の一日当りの魚消費量という統計データが国連機関が出していて、数字は覚えてませんが後者の数字では日本はかなり高い水準でした。パラオとか南洋の国を除けばアイスランドに次ぐ消費量でした。ドイツは日本の半分以下で、フランスはドイツよりは2、3割高い水準ながらやっぱり日本とは比較にならない数字でした。先週だったかランチ時間帯に定期的に行くアルザス食堂で「鯖の燻製」が季節的にこれが最後になると聞き、試しに食べてみたところ予想以上に美味しくて、夏を越すまで食べられないのが非常に残念でした。日本で食べる鯖のきずし、しめ鯖を念頭に置くとご飯か酒に合うもので、パンとはあまり合わないと思ってしまいます。しかし冷燻(?)だからか独特の香がかすかにして、パンといっしょに食べるのにベスト・マッチでした。アルザス地方は内陸だからそういう食べ方が定着しているということか、消費量の割に見事な味だと感心します。それと品種、捕れる場所の違いもあるのかと思います。

150428b のだめの映画かテレビ版でビエラ先生の役を買って出たマーツァルは最近新譜情報等で名前を見かけません。チェコPOとのマーラーの交響曲はたしか第8番が残っていたはずですが、収録はどうなったのかと思います(八曲まで完了しているのだからライヴの一発録りででも完結させてもらいたい)。交響曲第4番はシリーズ第四弾(第3,5,6番に続く)にあたり、レコ芸の月評では特選にもれたものの好評だったようです(第3,5番は特選)。

 先日の小澤征爾のマーラー第4番を聴いてからこのCDのことも思い出して久々に再生しました。冒頭の鈴の音が抑え目で第三楽章までが魅力的で、とりわけ第三楽章が素晴らしいと思いました。声楽が入る第4楽章に入ると急に空気が変わり、大地の歌の終楽章のような冷え冷えとした感じになりました。HMVか何かのサイトに出ていたレビューに似た感想があったと思いますが、ソプラノの声質の影響が大きいと思います。これはあえてこの歌手を起用したのか、日程なり予算の加減か指揮者との相性のためなのか、とにかく最終楽章がアクセントになっています。

 第4楽章の歌詞は何度見てもピンと来ない、不思議な内容で天使とか聖人の名前に免疫があったとしても特に共感を持てるほどでもないのではと思います。(ちなみに歌詞の中で大斎か何かで肉が食べられない時は聖ペトロが天上の生簀へ向かう、という部分があって、鯖かどうか分からないけど魚を食べる場面を象徴しています。)だからかえってこのCDのような声質のソプラノが面白いとも言えそうです(分からないけど)。いずれにしてもチェコPOの美しさは十分発揮されている録音だと思いました。

27 4月

ブルックナー交響曲第4番 ズヴェーデン

ブルックナー 交響曲 第4番 変ホ長調 WAB.104 「ロマンティック」(1878-1880年第2稿ノヴァーク版)


ヤープ・ヴァン・ズヴェーデン 指揮
オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団


(2006年4月4-7日 ヒルヴェルサム,MCOスタジオ 録音 EXTON)


150427 関西も早くも夏日を記録して先が思いやられる気候です。同業者の中には今日から連休に突入した人も居るようでしたが、自分の場合は今年のゴールデンウィークもどこへも行かず家に居座る予定です。マイナーな月刊誌「カトリック生活」の中で注目している連載に「キリスト者と思想の交差点 来住英俊(修道会御受難会の司祭)」というものがあります。司祭が書いているので仔細は略しますが、5月号は小説家村上春樹が取り上げられていました。来月号にも続きますが、とりあえず村上作品について人間の生きる力を損なう毒が多く含まれていると指摘しています。既に多くある村上論を引用していますが何となく遠藤周作の沈黙が禁書的な扱いになった論理と似ている気がしました。

 爽やかな風を通り越して生暖かくなりつつあるここ二日間、ブルックナーの第4番がちょっと気になります。シリアスな戦争レクイエムと違い歌詞が付かないので気分が変わります。このCDはズヴェーデンとオランダ放送POによるブルックナー・シリーズの第一弾でした。このシリーズは日本のEXTONから五曲録音した後チャレンジクラシックスに変更になりました(好評のようだったのになぜか?)。過去に第9番第7番第5番第2番と取り上げ、どれもかなり素晴らしい演奏だと思いました。この第4番もそれらと同様で比較的遅いテンポで進み、それでも鈍重という印象は無くて思いっきり滑らかで、美しい演奏です。特に弦が素晴らしいと思いますが金管も咆哮するような乱暴さはなくてうっとりします。

ズヴェーデン/2007年
①20分51②17分13③10分26④23分05 計71分35

ヤノフスキ・スイスROM/2012年
①18分15②15分30③10分53④18分46 計63分24
ブロムシュテット・ライプチヒ/2010年
①18分59②15分04③11分11④21分03 計66分17
クレンペラー・PO/1963年
①16分06②13分55③11分44④18分59 計60分44

 新譜で出た時はレコ芸で特選になりませんでしたが、選者が担当したCDのライナーノートではかなり賞賛していました。シリーズの中で特選になったのは第2番と第5番だけでしたが、第4番を特に好きという程ではない私が聴いても惹きつけられ、特選の二枚より感銘度が高いのではないかと思うくらいでした。トラックタイムは上記の通りで最近の第2稿ノヴァーク版のCDと比べても、クレンペラーのEMI盤と比べても遅めです(省略の有無の加減もあるか)。1963年のクレンペラーならレッグが当惑するくらい遅い場合も珍しくなかったのに何とも言えない結果です。

 冒頭の「キリスト者と思想の交差点」の指摘する「毒」は、「手放しの自己肯定」と「善悪の溶解」がそれだとしています。例えばドストエフスキーの「罪と罰」は、小説全体として「この殺人は罪である」という判断を曖昧にすることは決してないとしています。しかし本当にそうかとかなり疑わしく思いました。海辺のカフカなんかは生まれたままの善意で走っているような姿を連想させられ、それ以外でも大きな石の間の隙間から良い物が見えて、それを手を伸ばして取ろうと四苦八苦しているような痛みとももどかしさともつかない切迫感を時々感じます。

26 4月

ブリテンの戦争レクイエム ブリテン・LSO、ピアーズ他

150426ブリテン 戦争レクイエム op.66


ベンジャミン・ブリテン 指揮
ロンドン交響楽団
メロス・アンサンブル
デイヴィッド・ウィルコックス合唱指揮
ロンドン交響合唱団
バッハ合唱団
エドワード・チャップマン合唱指揮
ハイゲート・スクール少年合唱団

ガリーナ・ヴィシネフスカヤ(S)
ピーター・ピアーズ(T)
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Br)

サイモン・プレストン(オルガン)


(1963年1月 ロンドン キングスウェイ・ホール 録音 DECCA)

150426c かつて日本テレビ系列で放映されていた長寿番組「11PM(イレブン ピーエム)」で大橋巨泉が司会というか仕切っていた時期がありました。時間帯からしてスケベがメインでしたがそれだけでなく、シリアスな企画もありました。大日本帝国時代の韓国において起こった堤岩里事件を特集して、事件の地を取材していたことがありました。当地では日本のテレビが取材に来たのは初めてだとして驚かれたそうです。その回はリアルタイムでは見ることはできませんでしたが、番組自体が終わる前に大橋巨泉本人が過去の企画を振り返っている途中でその回にも話が及びました。堤岩里事件は学校の授業でも出てこなかったのでよくは知りませんが、1919年4月15日に現在の華城市郷南邑提岩里で起こった事件でした。1919年4月と言えば戦争レクイエムに歌詞が引用された英国の詩人、ウィルフレッド・オーエンが戦死してから半年も経っていない時期でした。それにしても、日本テレビでよくそんな企画ができたものだと今さらながら感心すると同時に、現在同じように堤岩里事件をテレビで取り上げようとしたら実現し易くなったのか、その逆なのかどちらだろうと思います。

150426a 自作自演、といっても当然何とか軍による鉄道爆破やら物騒な話ではなくて、このCDのように作曲者自身が指揮した演奏のことですが、それがステレオで録音されているとは今さらながら有難いことです。欲を言えばマーラーが自作を指揮した入念なセッション録音があったらと思います。1947前後のトスカニーニの録音を思えば、マーラーが80代半ばまで存命だったら実現の可能性はありました。それはともかく、この戦争レクイエムは世界初演から約七ケ月後に作曲者の指揮によってセッション録音されたものです。発売後一年で20万枚も売れたらしく、何度もCD化されています。これはリハーサル風景の音源も付属しているので興味深いものです。

150426b 独唱者の三人、ヴィシネフスカヤ(ソ連)、ピアーズ(英)、フィッシャー=ディースカウ(独)はブリテンが作曲当初から念頭に置いていた歌手であり、大戦で最も苦しんだ三つの国から選ぶという意図だったようです。しかし、ソ連は初演時にヴィシネフスカヤがドイツ人と同じステージに立つことを是としなかったので、世界初演時はイギリス人のヘザー・ハーパーが代役となりました。だからこのセション録音で初めて作曲者の希望通りの三人が揃って歌えたということです。しかし、敗戦国にして加害国と言えるドイツを国連の常任理事国たる英、ソと並べて「もっとも苦しんだ国」とするとは大胆なことです。国土が戦場になった、戦場と銃後の別が無い惨状ということでは確かにその通りだろうと思います(ポーランド等もそうだけれど)。

 作曲者自身が完成、初演から間もない時期にセッション録音したものだけあって50年以上前の古いながら別格な存在です。ピーター・ピアーズとフィッシャー=ディースカウの競演と言えば1960、1961年に録音されたクレンペラー指揮のマタイ受難曲がありました。テノールが福音書の記述部分、バリトンはイエス・キリストを受け持ちますが、今回の戦争レクイエムを聴いていると役割が入れ替わっても面白いと思いました。テノールもバリトンも第一次大戦に従軍して25歳で戦死したウィルフレッド・オーエンの詩を引用した部分を歌いますが、特に第6曲の楽曲ではテノールの方がより憂いを含んだ曲に聴こえて、まるで受マタイ難曲のゲッセマネの場面を思わせます。ピアーズがブリテンと知り合った頃はまだテノールかバリトンか定まらないような声だったそうですが、その後歌曲等でも認められるようになりました。

25 4月

ブリテンの戦争レクイエム ズヴェーデン、オランダRPO他

150425ブリテン 戦争レクィエム Op.66


ヤープ・ヴァン・ズヴェーデン 総指揮
オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団
ラインベルト・デ・レーウ 指揮
室内管弦楽団

オランダ放送合唱団(セルソ・アントゥネス指揮)
オランダ少年合唱団(ウィルマ・テン・ウォルデ指揮)


エヴェリーナ・ドブラチェヴァ(S)
アンソニー・ディーン・グリッフィー(T)
マーク・ストーン(Br)


(2010年5月28日金曜日 ライヴ録音  Challenge Classics)

 先日たまたま祇園にある「ぎゃらりぃ西利」で開かれる写真展、「 秋山 哲男 戦争の残像 5/6(水)~5/12(火)」の案内を手にしました。写真家の名前もそんな所にギャラリーがあるのも知りませんでしたが興味深い内容です。日本各地に残る前の大戦に関わる戦争遺構を撮影取材した写真を集めたもののようで、絵葉書仕立ての案内にも長崎県内の遺構の写真が使われていました。ブリテンの大作「戦争レクイエム」は、1940年の爆撃で破壊されたコヴェントリー大聖堂が22年ぶりに再建される時、聖堂の祝別式のためとしてブリテンに委嘱された作品です。廃墟と化した大聖堂の写真も当時の戦争遺構の記録と言えます。この作品の初演(1962年5月30日)から七カ月後に録音されたレコードが発売後一年で約20万枚売れたことからも作品の反響の大きさがうかがわれます。

  戦争レクイエムというタイトルの通り、死者ミサの式文を用いながらその中に第一次大戦で戦死したイギリスの詩人、ウィルフレッド・オーエン(Wilfred Edward Salter Owen, 1893年3月18日-1918年11月4日)の詩を挟み込んで構成しました。下記のようにレクイエムのラテン語歌詞の次にオーエンの詩がきています。ラテン語歌詞はコーラスとソプラノ独唱が歌い、オーエンの誌はテノールとバリトンの独唱と室内オーケストラが受け持ちます。このCDの演奏者表記からも作品の規模が想像できます。なお、演奏年月日について2011年の5月紹介されているものがありましたがパッケージ等には2010年の5月となっていました。

第1曲:入祭唱
①Requiem aeternam
(永遠の安息を彼らに与え給え) 
②What passing-bells for these who die as cattle?
(家畜のように死んでゆく兵士たちに)
③ Kyrie eleison 
第2曲:続唱
①Dies irae
(その日こそ怒りの日である) 
②Bugles sang, sadd'ning the evening air
(夕べの大気を悲しげに) 
③Liber scriptus(そのとき、この世を裁く) 
④Out there, we've walked quite friendly up to Death
(戦場で、ぼくたちはごく親しげに) 
⑤Recordare(思い起こせ)
⑥Be slowly lifted up, thou long brack arm
(汝の長く黒い腕が)
⑦Dies irae(怒りの日)
⑧Lacrimosa dies illa
(罪ある人が裁かれるために) 
⑨Move him(彼を動かせ) 
第3曲:Offertorium
①Domine Iesu Christe
(主イエス・キリストよ) 
②So Abram rose, and clave the wood, and went
(かくて、アブラハムは立ち上がり) 
③Hostias et preces
(いけにえと祈りを)
第4曲:Sanctus
①Sanctus(聖なるかな)
②After the blast of lightning from the East
(東方から一筋のいなずまが)
第5曲:Agnus Dei
①One ever hangs where shelled roads part
(かりそめにも爆撃された道路の裂け目で)
②Agnus Dei(神の子羊)
③Near Golgotha strolls many a priest
(ゴルゴタの丘の近くで多くの司祭がぶらぶら歩いている)
④Agnus Dei(神の子羊)
⑤The scribes on all the people
(全人民の記録係たちは)
⑥Agnus Dei(神の子羊)
⑦But they who love the greater love
(しかし、より大いなる愛をいつくしむ人々は)
⑧Dona eis requiem sempiternam
(彼らに永遠の安息を与えたまえ)
⑨Dona nobis pacem(我らに平安を与えたまえ)
第6曲:Libera me
①Libera me (我を救いたまえ) 
②It seemed that out of battle I escaped
ぼくは戦闘から脱出して
③'None,' said the other
(「どんな人だって」とべつの兵士が言った) 
④Let us sleep now(さあ、もう眠ろうよ)
⑤In paradisum(楽園に)
⑥Requiescant in pace(安らかに眠れ)

 組み合わされたオーエンの詩はそれぞれ「死すべき定めの若者のための賛歌」、「少年兵たちの声は」、「次の戦争」、「ソネット:戦闘に駆り出された我らの大砲を見て」、「むなしさ」、「アブラハムとイサクの寓話」、「終末(東方から、稲妻が、トランペットの爆音を轟かせ」、「アンクル川河畔のゴルゴタ」、「奇妙な邂逅」からとられています。典礼文とは対照的な内容が目を引きます。ブリテンは第二次大戦直前にアメリカに渡っていたため兵役逃れの裁判にかけられ、非国民とか半日という言葉に相当する英語もあるはずなのに、戦後になってブリテン(良心的兵役拒否を貫いた)に記念的な曲を委嘱するとは大したものだと、この作品を初めて聴いた時は思いました。そう思いながら、つまり教会は戦争反対の側に立っていたとは言えないと暗黙の内に知っているのだと再確認していました。

 激しい歌詞ではあっても決定的に攻撃的、否定的な音楽ではなく、薄日が差すような希望が漂っています。この辺はショスタコーヴィチの交響曲第14番の印象とはちょっと違っています。ブルックナーやワーグナー作品の録音が目立つズヴェーデンがこれを録音していたのはちょっと意外でしたが、乱雑にならないで歌手ともどもかなり素晴らしい演奏でした。

24 4月

パーセルのオペラ「ディドーとエアネス」 パロットの旧録音

150424ヘンリー・パーセル 歌劇「ディドーとエネアス」


アンドルー・パロット 指揮
タヴァナー・クワイア(a・403)
タヴァナー・プレーヤーズ


ディドー:エマ・カークビー(S)
エネアス:デイヴィッド・トーマス(Br)
ベリンダ:ジュディス・ネルソン(S)
第2の女:ジュディス・リース(S)
魔法使い:ヤンティナ・ノールマン(A)
第1の魔女:エミリー・ヴァン・エヴェラ(S)
第2の魔女:レイチェル・ベヴァン (S)
精霊:テッサ・ボナー(S)
水夫:レイチェル・ベヴァン(S)
  
(1981年1月3-5日 ロンドン,ロズリン・ヒル教会 録音 CHANDOS)

 三十代で急逝したバロック期のイギリスの作曲家、ヘンリー・パーセル(1659年9月10日? - 1695年11月21日)のオペラ「ディドーとエネアス」は、バロック・オペラの傑作として知られ、古楽のアンサンブルなら英国系でなくても一度は録音しているくらいでした。ミシェル・コルボ、アーノンクール、ホグウッド、ピノック、ガーディナー、パロット、クリスティ等々。それ以降の世代でもちょくちょく新譜が出ていました。しかし自分の中では正直特に注目しておらず、このCDもエマ・カークビーの名前くらいしか目にとまらないといったところでした。

 英国の古楽・ソプラノ歌手、エマ・カークビーは天使の声と評される透明でかわいく(ちょっと適切ではないかもしれないがネオン街とか酒、煙草と縁遠そうな声質)て端正な歌唱で日本でもフアンが多い歌手です。このパーセルの「ディドーとエネアス」では彼女が三十代前半の頃の歌声が聴けるのも大きな魅力です。カークビーの歌を初めて聴いたのは中学生の頃購入したメサイアの抜粋・ミュージックテープでした。ホグウドらによる1979年録音のメサイア全曲盤がカセットテープでハイライト版が販売されていたのは今からすればけっこう驚きです。スター的な演奏家でもないホグウッドの録音までテープ化されていたとは、当時はクラシックのソフトは今以上に売れていたということか。ともかく、このCDでも悲劇のヒロインを歌い、第三幕のアリアをはじめ魅力的です。

 「ディドーとエネアス」という作品は理屈抜きに泉のように次々に湧き出て連なる旋律の美しさが魅力です。バッハが作曲活動をする以前の曲だとは分からないくらいで、知らなかったらヘンデルの声楽品かと間違いかねないと思います。CDのパッケージの表記にはMusic by Henry purcell , Words by Nahum Tateとあり、さらには “ First performed in 1689 Josias Priest's Boarding School,Chelsea ” と書いてあります。しかしチェルシーの女学校生徒のために書かれたというのは通説ではなくなっているようです。チャールズ2世下、1684年に書かれたと考えられています。王宮で上演されたはずという見解や、王の急逝によって国王臨席による初演機会を失ったのでよりコンパクトに再編して女学校で初演したという見解が出ています。

 このCDでは器楽アンサンブルはヴァイオリンが6名の他弦があと3名、通奏低音が3名という編成です。独唱歌手の他にコーラスは12名という小編成で、これは表記の通りチェルシーの女学校での上演を再現しているのでしょう。少人数のためとても清澄で降誕劇のような宗教作品を思わせます。アンドリュー・パロットがタヴァナー・プレーヤーズらを結成したのは1973年だったので、これは結成後約八年が経過した頃の記録ということになります。

22 4月

パーセルのオペラ「ディドーとエアネス」 パロットの再録音

150422bヘンリー・パーセル 歌劇「ディドーとエネアス」


アンドルー・パロット 指揮
タヴァナー・クワイア
タヴァナー・プレーヤーズ


ディドー:エミリー・ヴァン・エヴェラ(S)
エネアス:ベン・パリー(Br)
ベリンダ:ジャネット・ラックス(S)
第2の女:ハンナ・マリ・オルベイク
魔法使い:ハデン・アンドリューズ(A)
第1の魔女:ケイト・エカースリー(A)
第2の魔女:ルーシー・スカーピング(S)
精霊:サラ・ストウエ(S)
水夫:ダグラス・ウートン(T)
  
(1994年9月 ロンドン,クリップルゲート、セント・ジャイルズ教会 録音 SONY)

 年度変わりで降板したニュースウオッチ9の先代キャスターは中高年にもかなり支持を得ていたようで、私のまわりでも大越さんが変わったから見るのを止めるとかふてくされている人もいました(おまけに最後の挨拶も見ることがかなわず、会長が挨拶させなかったのじゃないかとまで言っていた)
。福井と鹿児島とで原発再稼働の判断が分かれ、電力需給の見通しも混沌としてきました。ただ、3.11当時に立ち戻るなら事故が起こったのは、爆発が起こったのは発電所の全電源が失われたことが原因なので、なにも地震に限らず別の理由でも全電源喪失という可能性はあるはずです(ゴルゴ13の中でそういう回があった)。それと、これは禁句なのかもしれませんが核廃棄物は地下深くに埋めるくらいしか処分方法が見つかっていないという現実もそのままです。そう思いながらも今年の夏も暑くなりそうで、頭の中であぶらセミの鳴き声がよみがえってきます。

 ベンジャミン・ブリテンが二作目のオペラ、ピーター・グライムズを作曲している頃にその作品の主な狙いを「英語に付けた音楽を輝かしい、自由な生き生きとしたものに建て直そうという試み」だとしていました。英語歌詞と自由で生き生きとした音楽は英国ではヘンリー・パーセルの没後途絶えたと考えていたようで、それだけパーセルの作品に注目していたということでした。ブリテンの作品にはオペラ、室内オペラの他にオーケストラ付歌曲というか、ジャンルをまたがるようなものが多数あり、その点もパーセルに通じるものがあります。ただ、ヘンリー・パーセル(Henry Purcell 1659年9月10日? - 1695年11月21日)はモーツアルトくらいの年齢で亡くなり、作品を残した期間は限られています。

150422a  Dido and Aeneas(ディドとエネアス) Z.626 は、1684年頃に初演されたとされるパーセルが残した唯一の正式なオペラです。「アーサー王」、「妖精の女王」等はセミオペラ、劇付随音楽的な作品でアリア等によって物語が進むものでなく、ナレーションが重要なセリフ等を受持ち、音楽はバレー等並んで節目で演奏されるといった形式でした。それに対して「ディドとエネアス」は三幕から構成されて器楽曲の序曲や合唱、アリア、バレエがより有機的に連続しています。ストーリーは、古代カルタゴを舞台にしてカルタゴの女王ディドとトロイの王子エネアスがめぐり合い、一度は結ばれるも魔女の策謀によてエネアスが国再興に旅立ち、残されたディドは裏切られたとして嘆き、死んで行くという内容です。

 ディドが三幕のフィナーレ近くで去って行ったエアネスを嘆き悲しんで歌うアリア “ When I am laid in earth (土のなかに横たえられし時)が特に有名です。パロットとタヴァナー・プレーヤーズはモンテヴェルディやヘンデル、バッハ等多数の録音がありますが、このパーセルのオペラはそれらよりも躍動的で、同じ演奏者によるものと思えないくらいです。パロットはこれの十年以上前にも「ディドとエアネス」を録音していましたが今回は風等の効果音を入れて盛大に演奏、録音しています。歌手もディドのエミリー・ヴァン・エヴェラが特に素晴らしくて、古楽のジャンルを超えて魅力的な作品だと思いました。ここまで血の通った上品な悲劇を体現しているとは、このオペラの魅力を初めて実感しました。

21 4月

BLOSSOM DEARIE + 3 ブロッサム・ディアリー

150421BLOSSOM DEARIE ブロッサム・ディアリー


ブロッサム・ディアリー:ヴォーカル,ピアノ
ハーブ・エリス:ギター
ケニー・バレル:ギター
レイ・ブラウン:ベース
ジョー・ジョーンズ:ドラム
エド・シグペン:ドラム


(1956年9月11,12日、1958年4月8日 ニューヨーク 録音)

 朝のNHK・AMのラジオ番組「すっぴん!」の中でもしばしばジャズのヴォーカルがかかり、名前は知らなくてもきき覚えのある歌も出てきます。ブロッサム・ディアリーが自分の名をそのままアルバムの名前にしたこのCDは、彼女のアメリカ・デビュー盤でした。この顔写真も見覚えあり、これも昨年発売された廉価企画、ジャズの100枚(これはpart2)に含まれていたものです。CD帯には「キュートな声でチャーミングな魅力をふりまく ウィスパー・ヴォイス の妖精の代表作」、「随所にエスプリが効いているオシャレなフレンチ・ジャズ」と書いてあり、彼女の声の特徴を紹介しています。

 ところで日本のジャズ愛好家では、マニア度が高いほどヴォーカルがメインのアルバムを好まない、本道から外れたものという見方をする傾向があるようです(ネット上の情報からそんな風な感じがする)。自分はジャズは全然詳しくないのでその本音なんかはよく分かりません。ある程度本当だとするなら、クラシック音楽フアンのクラヲタ層とオペラフアンがけっこう好みが重ならず溝があるのと似ているかもしれません。クラシック関係の著書もある俵孝太郎氏はベートーベンの交響曲を米の飯と同じような感じで飽きないジャンルだとか評していて、それなんかもイタリアオペラがメインなフアンからすれば「はあ?」といった感じでしょう。

'Deed I Do(ディード・アイ・ドゥ ) 
Lover Man (ラヴァー・マン)    
Everything I've Got(エヴリシング・アイヴ・ガット)
Comment Allez Vous( ごきげんいかが ) 
More Than You Know(モア・ザン・ユー・ノウ)
Thou Swell( ザウ・スウェル)
It Might As Well Be Spring( 春の如く)
Tout Doucement(トゥ・ドゥスマン)
You For Me(ユー・フォー・ミー)
Now At Last(ナウ・アット・ラスト )
⑪I Hear Music(アイ・ヒア・ミュージック )
Wait Till You See Him(ウェイト・ティル・ユー・シー・ハー)
I Won't Dance(アイ・ウォント・ダンス)
A Fine Spring Morning(ア・ファイン・スプリング・モーニング )
They Say It's Spring (ゼイ・セイ・イッツ・スプリング )
Johnny One Note(ジョニー・ワン・ノート )
Blossom's Blues(ブロッサムズ・ブルース)

 それはともかくとして、ジャンルを超えて女声の楽曲が好きなので、こういう聴いてすぐ誰か分かる個性的な歌声は注目です。ブロッサム・ディアリー(Blossom Dearie, 1924年4月28日 – 2009年2月7日)は、ニューヨーク州のイースト・ダーラムに生まれ、最初はクラシックピアノを学び十代に入ったところでジャズに転向しました。ウディ・ハーマン楽団、アルヴィノ・レイ楽団等で歌った後、アルバム以前の1952年にフランスに渡ってヴォーカル、ピアノで活躍していて、1954年にはフランス語版の「バートランドの子守歌」が大ヒットしました。このアルバムでも⑧はフラン語で歌っています。

 ブロッサムの声はキュートな、かわいい又は少女のような声としばしば評されています。しかしCDで聴いていると少女とか子供のようなというのとはちょっと違う気がします。去年突然ジャズのアルバムを取り上げた際のヘレン・メリルのような声と対極的ながら、やっぱり大人の声に違いなく歳がよく分からない、くらいの感じで独特な浮遊感が印象的です。これくらいの年代のジャズミュージシャンならドラッグとアルコールは付物(過度に)な人が多いようですが、私生活の様子はどうか分かりませんが、彼女の場合はその歌声からそうしたトラブルとは縁が有るようには思えません。

20 4月

マーラー交響曲第4番 小澤征爾、ボストンSO、キリ・テ・カナワ

150420マーラー 交響曲 第4番 ト長調


小澤征爾 指揮
ボストン交響楽団

  
キリ・テ・カナワ:ソプラノ

(1987年11月21,23,27日 ボストン,シンフォニー・ホール 録音 ユニバーサル/PHILIPS)

 朝の通勤時にNHK・FMの「きらクラ!」再放送を聴いているとリスナーからのお便りが読まれ、先週の「勝手に名付け親」の課題だったチャイコフスキーの「アンダンテ・カンタービレ」についての話が続きました。その曲が大好きで自分の葬儀というかお別れ会ではこれを流して欲しいとのことでした。先週の日曜日に聴いた時は、ちょうどアンダンテカンタービレの途中で居眠りをしたので、名付け親応募で「睡魔の挑戦?」とかいう投稿があって、自分だけじゃなかったと軽く安堵しつつ、居眠りするという感性もまんざらじゃないと思いました。それと今朝聴いて先週は「桃源郷」というタイトルで応募しようかと一瞬思ったことを思い出しました。結果、応募しなくて正解だったと思いながら、不意にマーラーの第4番の第3楽章を思い出しました。

 百人一首の歌じゃないけれど「ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ」というのは西行の歌で、桜のシーズンのお天気コーナーとかのネタで紹介されます。上記のアンダンテ・カンタービレを自分の「お別れの会」で流して欲しいという心情は西行のその歌と通じるところがあるような気がします。もう桜前線は北の方へ行ってしまい桜のシーズンは終わりましたが、アンダンテ・カンタービレ-マーラーの第4番からもう一度桜の花を観たような、もっと花見をしておけばよかったような気分になりました。もっともマーラーの交響曲第4番は夏に作曲され、初演は秋なので別に桜とも春とも無縁なわけですが。

小沢・ボストン/1987年
①16分21②9分07③20分26④8分34 計54分28
テンシュテット・LPO/1982年
①15分41②8分48③21分07④9分09 計54分45
ベルティーニ・ケルン/1987年
①17分00②9分49③21分54④9分43 計58分26

 小澤征爾とボストンSOのマーラー第4番はセッション録音で1987年に行われ、国内で新譜として出た時はレコ芸で特選になっていました(1988年11月号,小石忠男、諸井誠の両氏、当月の巻頭で小澤征爾のインタビューのカラー記事があったらしい)。月評は好意的で、全十曲中で一番小澤の資質が生かされているというコメントもありました。改めて聴いていると第3楽章が特に素晴らしくて、その楽章の性格が全曲を覆っているかのようで、ちょうどマーラー第4を思い出したこの機会の情緒にジャストミートしていました。先日の第1番の際も思いましたが、小澤征爾とボストンSOのマーラーは繊細さもあって素晴らしいと思います。

19 4月

ニュルンベルクのマイスタージンガー ハイティンク、ロイヤルオペラ

150419aワーグナー 楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」


ベルナルト・ハイティンク 指揮
コヴェントガーデン王立歌劇場管弦楽団
コヴェントガーデン王立歌劇場合唱団


ハンス・ザックス:ジョン・トムリンソン(Br)
ワルター・フォン・シュトルツィング:エスタ・ヴィンベルイ(T)
エヴァ:ナンシー・グスタフソン(S)
マグダレーネ:カスリーン・ウィン・ロジャース(Ms)
ダーヴィット:ヘルベルト・リッペルト(T)
ベックメッサー:トーマス・アレン(Br)
ポーグナー:グウィン・ハウエル(Bs)、他


(1997年7月7日 ロンドン,ロイヤルオペラハウス ライブ録音  Royal Opera House)

150419 ベンジャミン・ブリテンは生前(戦後オーストリアへスキーをしに行った際らしい)ピーター・ピアーズらと話しているうちに「売られた花嫁(スメタナ)」、「ニュルンベルクのマイスタージンガー(ワーグナー)」、「ボリス・ゴドゥノフ(ムソルグスキー)」といった国民的歌劇に相当する作品が英国には無い、という話題になり、ブリテンが書くべきだという話になったそうです。マイスタージンガーがそういう作品だととらえられているのはちょっと意外に思いますが、基本的に喜劇なので肯定的に受け止められてるのかと思いました。思えばフィナーレではベックメッサーもまわりと握手している演出も結構あるので、自死を促されるピーター・グライムズよりは円満で国民歌劇にふさわしいかもしれないと思い直しました(ブリテンの評伝ではその後ピーター・グライムズは象徴的作品となったとしているが)。

150419b このライヴ録音はハイティンクが1987年から2002年までロンドンの王立歌劇場の音楽監督を務めた期間で特に人気があったプロダクションだったらしく、各幕の初めと終演後の拍手と歓声が盛大でその評判はほんとだったのだと感心させられます。ザックスがトムリンソン、ベックメッサーのトーマス・アレンの他、エヴァのグスタフソンや2002年に急逝したシュトルツィングのヴィンベルイが注目です。衣装、メイクの点では一枚目写真のアレンーベックメッサーが秀逸(単に好み)です。これの舞台を是非見てみたかったと18年も前の公演ながらそう思えてきます。

150419c これはCDなので冊子に入っている写真から想像するのはそれくらいにして、音楽、演奏の方はちょっと微妙な印象です。例えば第三幕の前奏曲などはハイティンク入魂の指揮でかなり引き込まれますが、歌手の対話的な歌唱が乗ってくる部分では几帳面過ぎるというか、ドイツ語どころか非ヨーロッパ圏の人間が言うのも気がひけるとしても、流れが良くないような妙な感覚です(これは歌手の方の問題か)。それに第三幕の幕切れに向かっての盛り上がる部分も毒、感情を刺激して理性を麻痺させるような作用が薄くて、ちょっと拍子抜けするような感じもします。といってもつまらないわけでなく、厳重な安全検査を経た高揚とでもいった感興です。ロイヤルオペラで大人気だったというのはそうした点が好印象だったのかもしれないとも思います。

 そういえば今年九月にロイヤルオペラが来日してマクベスとドン・ジョヴァンニをやるので何とか、どちらか一方でも観に行けないかと思います(現音楽監督のパッパーノの前任がハイティンク)。テンポや歌手の歌い方も古いドイツのオーケストラ、歌劇場の録音とは違って、ワルターの優勝の歌(最後に歌う方)なんかはかなり速目でためも無くてあっさりし過ぎている印象です。元々好みがクールなのか、会場の盛り上がりを思うとギャップがあるので面白いと思いました。

18 4月

ブルックナー交響曲第7番 ハイティンク・ACO・1978年

150418aブルックナー 交響曲 第7番 ホ長調(ハース版 *CDにはノヴァーク版と表記されているが一応 abruckner.com の分類に従った 

ベルナルト・ハイティンク 指揮
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(ロイヤル・コンセルトヘボウ)

(1978年10月12日 アムステルダム,コンセルトヘボウ 録音 旧Philips)

 高校を卒業後に阪神フアンに改宗する以前、中学生の頃はちょうどクラシック音楽のLPを自分で買うようになった時期と重なります。ハイティンクのこの録音はまさにその時代に出たものですが全然記憶に残っていません。ジャイアンツにいた加藤初というピッチャーも結構好きで、よくラジオ中継を聴いていました(チャンネル権は無くラジオのみ)。西鉄から移籍した加藤(日本シリーズでロッテより弱いとか言ったあの加藤とは関係無い、念のため)はすでに30歳を超えていましたが、三本柱と並んで先発ローテーションに入っていました。

150418b このCDはハイティンクがアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団とブルックナーの交響曲全集を完成させた後、何曲かを再録音( 第8番 、第9番 )したものの第一弾でした。たまたま今月下旬に国内廉価盤で再発売されるようですが、それ以前にはタワーレコードの企画で第7-9番をまとめて復刻されていました。先月くらいに取り上げた第9番もそうでしたが、今聴いてみると素直に素晴らしくて感心します。たとえばどこかでBGMとして流れていたなら音源、演奏者を確認したくなるだろうと思います。その割に日陰の存在のような扱いだったのは第7番は他にも有名な録音があったためか、1990年前後からわき起こったブルックナーのブーム時にも話題になってなかったと思います。そのブームの時にハイティンクはウィーンPOとブルックナーを録音し出して第3-5番、第8番までで中断してしまいました。

ハイティンク・ACO/1978年
①20分48②22分20③09分51④12分05 計65分03

ハイティンク・ACO/1966年
①18分10②21分00③09分19④11分46 計60分15

 上はハイティンクとACOのブルックナー第7番、新旧録音のトラックタイムです。四つの楽章とも再録音の方が長くなり、合計で5分弱の差になっています。今回の再録音盤が国内で新譜として出た際はレコード芸術誌で特選になっています。1980年1月号で大木正興、小石忠男の両氏が月評担当でした。旧録音から12年の間にハイティンクの成熟度が著しい等々かなりの賞賛ぶりですがこれは今聴いてもなるほどと思います。旧録音が出た当時の評判はどうだったのか分かりませんが、ブルックナーのレコードは現代程多くなかったので若いハイティンクの録音は程々の扱いだったのだろうと想像できます。その埋め合わせ的な感情もレコ芸の月評に影響したかもしれません。

 そうした勘繰りはさて置き、タワーレコードで再発売された際の解説冊子には全集中の旧録音を凌ぐだけでなく、近年のライヴ盤(第7番ならバイエルンRSOやシカゴSOと録音していたようだ)もかすむ素晴らしさだと書いてあります。最近のものは第5番しか知りませんが、他の指揮者、オーケストラのブルックナーを念頭に置いても十分魅力的だと思うのでその解説もまんざら誇張でもないと思います。ウィーンPOとのブルックナーが出始めた時、ハイティンクはマーラーとブルックナーの両方のフアンから手ぬるい、物足らない等と言われて気の毒と書いてあった覚えがあります。今このCDを聴いていると、その手ぬるいとか言われたところから来る、極め付けに力みのない自然さが魅力だと思います。今ハイティンクのブルックナーを生で聴けたらこういう感じなのだろうかと気になりました。
17 4月

ヴォーン・ウィリアムズ交響曲第4番 ハイティンク・LPO

150417レイフ=ヴォーン・ウィリアムズ 交響曲 第4番 ヘ短調


ベルナルト・ハイティンク 指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団


(1996年 ワトフォード・コロッセウム 録音 EMI)


 三十年前の今日、甲子園球場の阪神-巨人戦でピッチャー槙原からバース、掛布、岡田の三人がセンター方向へ続けて本塁打を記録しました。タイガーズの創立八十年にあたることもあって、バース氏も呼んで三人そろってセレモニーをやっていました。1985年当時時分はまだ巨人フアンだったので、その試合はラジオ中継を聴きながら衝撃を受けていたのを覚えています。特に槙原は完封で飾ったデビュー戦をラジオで全部聴いていたこともあって応援していたので、八百長じゃないだろうなと思うくらい悔しい思いで聴いていました。バース氏は阪神百貨店にも呼ばれていたのでたいしたものだと思いながら振り返っていました。4月17日と言えばまだ新年度が始まったばかりという感じだったと思いますが、おっさんの年齢になれば何の初々しさも感じず、そろそろ半袖のカッターシャツを出しておこうかと考えるくらいです。

交響曲第4番 ヘ短調
第1楽章・Allegro
第2楽章・Andante moderato
第3楽章・Scherzo Allegro molto
第4楽章・Finale con Epilogo fugato: Allegro molto 


 一昨日のショスタコーヴィチに続いてハイティンク指揮のロンドンPO、先日に続いてヴォーン・ウィリアムズの交響曲第4番です。ショスタコーヴィチ全集はACOとLPOで分担して録音していましたが、概ねACOの方は評判がよくて、他の指揮者の録音の場合と同様にロンドンPOは批判的なコメントをよく見かけました(テンシュテットのマーラーとか)。正直そこまで差があるのかよく分からず、ショスタコーヴィチの第9番の時と同じくなかなか素晴らしいと思います。むしろ、レーベルの違いや会場の差の方が大きいのではないかと思います。

 それはさておきトムソン、ロンドンSOの同曲を聴いた後にこれを聴くと、より純音楽的というか聴き手が色々と読み込んだり、投影し難いものだと思いました。この曲はヴォーン・ウィリアムズの交響曲の中でも例外的にフィナーレのコーダ部分が打撃のように大きな音で終わります。そういう刺激的な作品にあってもハイティンクの録音では特に静かな第2楽章が際立っていました。第4楽章もロンドン交響曲で出てきたような主題もきこえ(たぶんそうだと思う)、ロンドンの日常生活に不穏な影が迫ってくるのを連想させます。

16 4月

ピーター・グライムズ ハイティンク、コヴェントガーデン王立歌劇場

150416ブリテン 歌劇「ピーター・グライムズ」Op.33


ベルナルド・ハイティンク 指揮
コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団
コヴェント・ガーデン王立歌劇場合唱団


ピーター・グライムズ:アンソニー・ロルフ・ジョンソン(T)
エレン・オーフォード:フェリシティ・ロット(S)
ボルストロード船長:トーマス・アレン(Br)
アンティー:パトリシア・ペイン(A)
スウォロー:スタッフォード・ディーン(Bs)
牧師:ニール・ジェンキンス(T)
ネッド・キーン:サイモン・キーンリーサイド(Br)、他


(1992年6月 ワットフォード・タウンホール 録音 EMI)

150416h 樹の背が低く、開花時期がソメイヨシノより遅い「御室桜」を見ようと思って仁和寺へ寄ったらほとんど散っていました(撮っても仕方ないけど左の写真)。ここ十年くらい、仁和寺の桜は出来るだけ見るようにしていたのに今年は時機を逃してしまいました(月曜くらいはまだ満開だったそうだが)。それで境内に出店している清水焼「馥郁窯(ふくいくがま)」で瓢箪が六つ描かれた茶碗等を昨年に続いて買って帰りました。看板に京焼、清水焼と書いてあって、「京焼」と「清水焼」はどう違うのかと今頃になって疑問に思いました。おおまかに言えば、清水焼は京焼に含まれるという関係のようでした。境内で売っている茶碗や湯飲みは手描きの絵付けで、手に馴染み使いやすいかたちです。仁和寺の他に宇治の三室戸寺でも紫陽花のシーズンに出店しているそうでした。灯台下暗し、窯自体も宇治の炭山にあったのに知りませんでした。

150416c ベンジャミン・ブリテン(1913年11月22日-1976年12月4日)はイングランド東部のサフォーク州の港町、ローストフトで生まれて生涯の大部分をサフォーク州で暮らしていました。ブリテンは1939年5月にピーター・ピアーズを伴ってカナダのケベックに渡り、1942年4月にリヴァプールへ帰ってくるまでカナダ、アメリカに滞在しましたが、この時期に自分と同じサフォーク州(オールドバラ)生まれの詩人、ジョージ・クラブ (George Crabbe, 1754-1832)の詩、 町(The Borough)」の一節「ピーター・グライムズ」を読んで感銘を受けてこれを原作とするオペラを構想しました。ブリテンは大成功したこのオペラについて、手紙の中で「共同体を描くオペラになりつつある」と書いていました。

150416b ブリテンはカナダ、アメリカへ渡る時には同性愛の自覚を持ち(他に言いようが無いけれど決定的だったという)、また帰国後はすぐに良心的兵役拒否を申請していました。それだけに作品の主人公のグライムズが重みをもってきこえます。ハイティンクのこの録音は何度か再発売されているので定評があったようですが、オーケストラ部分の美しさには感心しながらも正直良いとか悪いとかよく分かりません。ただ、例えば第1幕第2場でグライムズが歌う “ Now the Great Bear and Pleiades(大熊座とスバルは)” は、一度聴くとピーター・ピアーズの歌が強烈に印象に残り、それがなかなか頭を離れないので他のものを聴いてもどうしてもピアーズよりは弱くなります。

150416a ハイティンクは1987年から2002年までロンドンの王立歌劇場の音楽監督を務めていました。もう少し以前のことかと思っていましたが、ショルティ、コリン・デイヴィスの後に約15年間任についていました。ちょうどその頃にブリテンのピーター・グライムズを録音していたわけで、ヴォーン・ウィリアムズの交響曲録音していた時期とも重なります。ハイティンクはイギリス人作曲家の作品はショルティよりも多く録音しているようで、レコーディングのレパートリーの広さではショルティ以上(自動的にカラヤン以上)に及んでいるのは驚きです。かろうじてバッハとかバロック期の作品が手薄なくらいですが晩年になり、そのうちマタイ受難曲とかロ短調ミサのライヴ録音が出てくるかもしれないとちょっと期待しています。

15 4月

ショスタコーヴィチ交響曲第9番 ハイティンク、ロンドンPO

150415aショスタコーヴィチ 交響曲 第9番 変ホ長調 作品70


ベルナルト・ハイティンク 指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団


(1979年1月 録音 DECCA)

 年度が変わって色んな番組の出演者、時間が変わりました。テレビで中国語は壇蜜がレギュラーに加わったので毎週観ることにしましたが、ニュースウォッチ9のメインが交代したことは思った以上に喪失感があります(そんなに熱心に観てたわけではないけれど)。それとAMラジオの「すっぴん!」でも月、火曜のメインが変わりました。特に火曜の津田さんは福島や震災の被災地を取材した特集が定期的にあったので残念です。担当が代わってもそうした企画は引き継がれる、というわけでも無さそうで、徐々に番組というか局がモノトーンになってきているような気がします。昨日の福井地裁の判決なんかで過敏にならなければと余計なお世話ながら思います。

150415b ハイティンクによるショスタコーヴィチの交響曲全曲録音は、アナログ末期の1977年1月から1983年10月にかけて行われました。CD化後何度か再発売され、分売もされていましたが、昨今の超廉価箱には含まれずそこそこの値段のままでした。西側初のショスタコーヴィチ全集ということでも注目されていました。この扱いから、ブルックナーはもちろんマーラーよりもショスタコーヴィチの録音の方が評判が高かったということが推測できます。この第9番、実際に聴いていると、しっくりくる、作品をよく知っているわけじゃないのに隅々まで自然で違和感が無いように感じます(根拠は全然無い)。

 生真面目にして尖り過ぎもせず、歪み過ぎず、戦勝時にスターリン賛歌という期待に対する肩透かし感もよく出ていると思います。第9番はショスタコーヴィチの録音があまり無い指揮者も取り上げていて、例えばクレンペラーのトリノでのライヴ録音にはt公演プログラムにプルチネルラ組曲と並んで入っていました。でも、この曲はストラヴィンスキーの新古典主義の作品と同じ括りにできるものなのか、作曲当時の状況を考えると大分違うようにも思えます。このCDのような端正な演奏を聴いていると却って恐さがチラつきます。

 交響曲第9番の第5楽章の一部(オーケストレーション)が1961年に改訂されているようで、コンドラシンやロジェストヴェンスキーのVenezia全集盤はその改訂版を使用しているようです。ハイティンクは手持ちのCDが廉価仕様のせいか表記はなくて録音データも無いので分かりません。もっとも一聴しても分からないのだから気にしなくてよいのですが。

14 4月

ヴォーン・ウィリアムズ交響曲第4番 トムソン、LSO

150414bレイフ=ヴォーン・ウィリアムズ 交響曲第4番 ヘ短調


ブライデン・トムソン 指揮
ロンドン交響楽団


(1987年11月27,28日 ロンドン,セント・ジュード教会 録音 CHANDOS)

 戦争交響曲という名称はベートーベンの作品の他、ショスタコーヴィチの何曲かがそういうくくり方をされることがありました。第4番から第9番くらいまでか、もっと絞って第7、8番の二曲か、ともかく第二次大戦中、その直前くらいに書かれた作品を指してそう呼ぶようです。ヴォーン・ウィリアウムズの交響曲第4~6番の三曲も第二次大戦前夜から戦中に書かれて、その時期の不安や混乱を映すような作風なので(便宜的にだとしても)戦争交響曲と評されているのを見かけます。特に第4番は前作の田園交響曲やロンドン交響曲の長閑で優雅な作品と一転して叫ぶような悲痛な音から始まるので際立っています。

 「無」と書いた軸を掛けても何も無くならない、「死」なら無くなるという言葉は邦画の「千利休 本覚坊遺文」の中で出てきて作品の主題のようになっていました(だから山上宗二、利休、古田織部の三者が暗黙に自ら死を選ぶことを約したという話)。しかし本当にそうか、「無」の方が恐ろしいのではないかと思います。我々通常の人間は完全な「無」というものを思い描くことは難しく、イメージできないのではないかと思います。もしかしたら無意識的にブレーキがかかって思考が遮断される安全装置のようなものが働くのかもしれません。ともかく自分が完全に無くなる、完全な無というものを想像すると物凄い恐怖に襲われます。断崖の下、溶鉱炉とかを覗きこむ以上に、身体的感覚を伴った得も言われない怖さではないかと思います(映画化もされたデスノート、人間がデスノートを使って人を殺したら地獄にも行けないという設定だった)。

150414a 何の話かと言えばヴォーン・ウィリアムズの戦争交響曲、交響曲第4番は確かに戦争の名を冠しても違和感は無いとしても、どこかに救いようがあって上品さ、優雅さ、人間らしさのようなものがあって身震いするようなものではないなと思えることです。それに比べて似た時期の、あるいはさらに後年のショスタコーヴィチ作品には底が見えない、得体が知れない恐怖感を伴う断片があるように思います(錯覚だとしてもそういう印象も魅力の一つです)。音楽学者にして指揮者でもあるベンジャミン・ザンダーがマーラーの音楽を「個人についての」音楽、ブルックナーを「共同体についての」音楽と指摘していました。どの作曲家もそんな風に二分できるものでないとしても、その考えに従ってみるならヴォーン・ウィリアムズの作品はどちらかと言えばブルックナー側、共同体によりそうようなものではないかと思います。

 トムソン指揮、ロンドン交響楽団のヴォーン・ウィリアウムズはこれまで第1番から第7番まで取り上げてきて、評判通りの素晴らしさでした。シャンドス・レーベルの音質も色々言われていましたが(個人的にはかなり好き)、このシリーズでは変な癖もなくて特に良好だと思います。振り返ると、同じくらいの時期にロンドン・フィルはハイティンクと、フィルハーモニア管はスラットキン、BBC交響楽団がアンドリュー・デイヴィスとそれぞれヴォーン・ウィリアムズの交響曲を録音しています。ロンドンを本拠にするこれらのオーケストラのちから関係や財政状態、契約上のしばりがどんな具合だったかはわかりませんが、伝統あるロンドン交響楽団がトムソンを選んだことは興味深いと思います。

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raimund

昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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