マーラー 交響曲 第3番 ニ短調
ミヒャエル・ギーレン 指揮
南西ドイツ放送交響楽団(SWR Sinfonieorchester Baden-Baden und Freiburg)
ヨーロッパ・コーラスアカデミー女声合唱
フライブルク大聖堂少年合唱団
コルネリア・カリシュ(コントラルト)
(1997年2月 フライブルク,コンツェルトハウス ライヴ録音 Hänssler)
四月は今日で終わりでそれ以上に気候の方が先行しているようで、今日も夏日でした。昼間に左京区の北部へ出かけていてちょうど正午頃に大原を通ったので、三千院の方へまわってみました。国道沿いにはツツジが咲いていて、三千院の門前と車を止めて歩いていると山吹が満開になっていました。2、3週間早いのじゃないかと思いましたが気温を考えれば不思議でもありません。何か秘仏を公開中という札が出ていましたが、遅くなりそうだったので昼食だけにして門内には入りませんでした。平日なのでそんなに混雑していませんでしたが、ベニシアさんの影響なのか外国人の姿もちらほら見かけました。山間の観光地なのになぜか餃子定食がメニューにあり、それを頼んだところギョウザにサイズが小さくて二人前くらいいけそうでした(まわりを見ると高齢者が多くて、それくらいの年齢ならこれでちょうど良いのだろう)。
ギーレンのマーラーチクルスは1988年録音の第4番から始まり、次の第2番まで約8年の間隔を置いて再開されて、以後は2003年までかかって九曲を録音し終えています。変則的な進行具合なので計画が中止になりかかったりとか色々事情があったのだろうと思います。今回の第3番はこれまで聴いた(第1、4番以外)中で一番会心で、作品にぴったり合っていると思いました。それに作品の統一感、各楽章の結びつきが素晴らしいと思います。それに、少年合唱付の第5楽章から続けて第6楽章に入るところは、音量に大きな差は無いのに目が覚めるようというか、山中を歩いていて突然眼前の風景が切り替わったようで鮮烈です。久々に第3番を聴いたからかもしれませんが、長いこの曲の色々な部分の魅力がよく現れていて新鮮でした。ギーレンは引退を表明しましたがこれを聴いていると生で聴いてみたかったと思いました。
「オーストリアではボヘミア人として、ドイツではオーストリア人として、そして世界中からはユダヤ人として」どこでも歓迎されていないと生前マーラーは語ったとされていて、そうだとすれば孤独とか疎外感を常に感じていたと想像できますが、反面「自由」でもあっただろうと思えます。第3番に限らずマーラーの交響曲には行進曲調の部分がしばしば登場します。ああいう部分はどのように完結して終わっているのか、ちょっと思い出せませんが何となく作品からはみ出すように消えて、作品全体のテーマのようにはなっていないような印象です。
だからどうだと結論付けられるものでないとしても、ベンジャミン・ザンダーが指摘していた「 マーラーの音楽 = 個人についての音楽 (ブルックナーは共同体についての音楽)」という分類が妙に説得力を持って思い出されます。どこでも歓迎されないとしても、結果的に縛られず(共同体に)それはそれで自由で良い、とまではいかなくてもそこそこの心地よさは感じていたのじゃないかと想像できます。