ブルックナー 交響曲第6番イ長調 WAB106(1881年ハース版)
ゲオルク・ティントナー 指揮
ニュージーランド交響楽団
(1995年7月30日-8月2日 ニュージーランド,ロウワー・ハット・タウン・ホール 録音 NAXOS)
明日から新年度を迎えることになり、それ以上に五月の陽気になって昼間は上着もいらないくらいでした。街中ではすでに統一地方選挙の気配でポスターを貼る掲示板が立っています。とっくに春節は終わっているのに依然として中国人らしき観光客を多数みかけます。お昼過ぎに中京区高倉通を歩いていると東側に「足利尊氏邸・等持寺跡」という石碑が目につきました。大河ドラマの中で高師直兄弟の軍勢が押し寄せたりする場面があり、あれの舞台がここらあたりだったのかと今頃思いました。幕府を起こした人のわりに石柱が一本だけというのは幕末以降の価値観の影響なのかちょっとはかない気がしました。
ティントナーのブルックナー全集から最後の一曲、交響曲第6番です。これ一曲だけがニュージーランド交響楽団の演奏でした。ゲオルク・ティントナー(Georg Tintner, 1917年5月22日 - 1999年10月2日)は、ウィーン生まれで10歳の時にウィーン少年合唱団に加入して1931年まで歌っていました。その後ナチスのオーストリア併合により国外へ逃れて1940年から1954年までニュージーランドに居ました。その後はオーストラリアへ移り、1986年にはカナダへ移住しています。ロンドン交響楽団へ客演してブルックナーの交響曲第5番を演奏したのはオーストラリア時代のことでした。そういう経歴なのでニュージーランドのオーケストラもティントナーにとっては馴染みの団体だったわけです。
ティントナーが最晩年に録音したブルックナー全集は少し聴いて鮮烈で圧倒的というよりも、徐々に魅力が浸透してくるといった印象です。特にアダージョ楽章が魅力的で、反復して聴きたくなってくるものです。この第6番も同様に第2楽章は素晴らしくて、祝典的な高揚とかオルガンの響き云々というイメージの他にもう一つのブルックナー的イメージ、山間ののどかな田園風景の風情が漂います(彼の地に行ったこともないのに言うのもあれだが)。どうせなら別のオケ、チェコフィルとかだったらもっと素晴らしかった?とも思えます。ティントナーはこの全集で第1、第2ヴァイオリンを左右に配置して演奏していますが、これは19世紀生まれの指揮者がよく採用していました(クレンペラーもこれを採用)。ブルックナーの作品も第二次大戦に民族精神の高揚に活用されたようですが(第5番とか)、基本的にそういう感情とは縁遠い作品で、それこそいい迷惑ではないかと贔屓目に見ていましたが、ティントナーのブルックナーは裾野の広いなだらかな山のようで、全くそうだと思います。
ところで足利尊氏邸は死後に等持寺というお寺になり、そこに葬られ、その後に現在北区にある等持院に移されました。等持院は京福電鉄の北野線の駅名にもなっています。北野線の鳴滝駅と宇多野駅の間は桜のトンネルになっているので地味に桜の名所になります。ここ十年くらいは毎年一度は乗車して観ることにしており、最近は撮鉄さんが線路際に陣取っているのが目をひきます。