raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

2015年03月

31 3月

ブルックナー交響曲第6番 ティントナー、ニュージーランドSO

150331ブルックナー 交響曲第6番イ長調 WAB106(1881年ハース版)


ゲオルク・ティントナー 指揮
ニュージーランド交響楽団


(1995年7月30日-8月2日 ニュージーランド,ロウワー・ハット・タウン・ホール 録音 NAXOS)

 明日から新年度を迎えることになり、それ以上に五月の陽気になって昼間は上着もいらないくらいでした。街中ではすでに統一地方選挙の気配でポスターを貼る掲示板が立っています。とっくに春節は終わっているのに依然として中国人らしき観光客を多数みかけます。お昼過ぎに中京区高倉通を歩いていると東側に「足利尊氏邸・等持寺跡」という石碑が目につきました。大河ドラマの中で高師直兄弟の軍勢が押し寄せたりする場面があり、あれの舞台がここらあたりだったのかと今頃思いました。幕府を起こした人のわりに石柱が一本だけというのは幕末以降の価値観の影響なのかちょっとはかない気がしました。

 ティントナーのブルックナー全集から最後の一曲、交響曲第6番です。これ一曲だけがニュージーランド交響楽団の演奏でした。ゲオルク・ティントナー(Georg Tintner, 1917年5月22日 - 1999年10月2日)は、ウィーン生まれで10歳の時にウィーン少年合唱団に加入して1931年まで歌っていました。その後ナチスのオーストリア併合により国外へ逃れて1940年から1954年までニュージーランドに居ました。その後はオーストラリアへ移り、1986年にはカナダへ移住しています。ロンドン交響楽団へ客演してブルックナーの交響曲第5番を演奏したのはオーストラリア時代のことでした。そういう経歴なのでニュージーランドのオーケストラもティントナーにとっては馴染みの団体だったわけです。

 ティントナーが最晩年に録音したブルックナー全集は少し聴いて鮮烈で圧倒的というよりも、徐々に魅力が浸透してくるといった印象です。特にアダージョ楽章が魅力的で、反復して聴きたくなってくるものです。この第6番も同様に第2楽章は素晴らしくて、祝典的な高揚とかオルガンの響き云々というイメージの他にもう一つのブルックナー的イメージ、山間ののどかな田園風景の風情が漂います(彼の地に行ったこともないのに言うのもあれだが)。どうせなら別のオケ、チェコフィルとかだったらもっと素晴らしかった?とも思えます。ティントナーはこの全集で第1、第2ヴァイオリンを左右に配置して演奏していますが、これは19世紀生まれの指揮者がよく採用していました(クレンペラーもこれを採用)。ブルックナーの作品も第二次大戦に民族精神の高揚に活用されたようですが(第5番とか)、基本的にそういう感情とは縁遠い作品で、それこそいい迷惑ではないかと贔屓目に見ていましたが、ティントナーのブルックナーは裾野の広いなだらかな山のようで、全くそうだと思います。

 ところで足利尊氏邸は死後に等持寺というお寺になり、そこに葬られ、その後に現在北区にある等持院に移されました。等持院は京福電鉄の北野線の駅名にもなっています。北野線の鳴滝駅と宇多野駅の間は桜のトンネルになっているので地味に桜の名所になります。ここ十年くらいは毎年一度は乗車して観ることにしており、最近は撮鉄さんが線路際に陣取っているのが目をひきます。

30 3月

ショスタコーヴィチ交響曲第8番 ロストロポーヴィチ旧録音

150330aショスタコーヴィチ 交響曲 第8番 ハ短調 作品65


ムスティスラフ=ロストロポーヴィチ 指揮
ワシントン・ナショナル交響楽団


(1991年10月 ワシントンDC,J.F.ケネディセンター 録音 Warner)


150330b すっかり春の陽気になりましたがまだ三月です。たまたある役所を何カ所か回ったら部署の引っ越しをやっている最中で、カウンターの前でしゃがみこんで書類を選んでる女性が居たり、会議スペースがふさがってたりで混雑していました。昨日、京響の定期でショスタコーヴィチの交響曲第8番を聴いてからやっぱりかなり尾を引くというか演奏の記憶が残ります。音量とか強弱の起伏や変化だけでなく、メンタルな面での影響も大で、その方向で印象に残った録音を取り出しました。ロストロポーヴィチの全集(第14番だけはソ連時代の録音だが)の中の第8番は、いわゆる爆演的な刺激を追及する分には物足らないようですが、逆におよそ戦勝とは縁遠い空気をよく現していて、この曲の初演後にしばらく付きまとった否定的なコメントが実感できるものでした。

ロストロポーヴィチ/1994年
①22分53②06分16③06分58④10分24⑤14分46 計61分17

ロストロポーヴィチ/2004年
①26分34②06分46③07分07④12分01⑤16分16 計68分44

 ロストロポーヴィチもこれの約十年後に再録音していますが、暗さ、冷たさといったものにあふれた美しさでは旧録音の方が魅力的だと思いました。演奏時間、トラックタイムは上記の通りですが、再録音は今回同時に聴いていないので、本当にこういう時間なのか実感がわきません(naxosの頁を見ているだけ)。昔からショスタコーヴィチの交響曲は夏場に聴きたくなり、第二大戦期に作られた作品は特にそうで、暑いときに熱い食べ物を口にするような快感に似た心地で接していました。このCDでは全くそういうものではなく、冒頭からシベリウスの曲のように冷気さえ帯びてきそうで何とも言えない美しさです。諦めとか絶望というのはもとは何らかの望みがあって、それがそこなわれてこそやって来るとすれば、そもそも元から一切そんなものがなかったら、そんなことを想像させられます。

 この録音の演奏はオーケストラの団員は演奏中にどんな気分だっただろうと思います。プロだから粛々と予定通りに録音を完結させることに集中しているだけなのか、演奏しながら共感したりその逆だったりするのだろうかと思います。昨日の公演で聴いたタコ八は終わった後、しばらく沈黙が続き、完全に残響、余韻さえ消えてから拍手が起こるという地方都市では稀な?反応でした。つまりフライングの拍手や雄叫びが全くない状態で、それだけ客席も集中している人が多かったのだと思います。オケの方も演奏を終えた後の充実感が伝わってくる感じだったので文字通り熱演でした。

 実演とCDの差だけなのかこのCDを聴いていると、そんな「熱」が無くて、それでも感動的という不思議なものでした。それにしても次年度から(来月から)京響の定期公演が二回公演の月もあるので、こういう回を聴くと二回続けて聴きたくなってきます。

29 3月

ショスタコーヴィチ交響曲第8番 ビシュコフ、ケルンRSO

150329ショスタコーヴィチ 交響曲 第8番 ハ短調 作品65


セミョン・ビシュコフ 指揮
ケルン放送交響楽団
(ケルンWDR交響楽団)


(2001年3月12-17日 ケルン・フィルハーモニー録音 Avie)

 復活祭の一週間前の今日は「受難の主日」、又は「枝の主日」にあたり、聖金曜日と同じように新約聖書の福音書が朗読されるならわしになっています。それとは関係なしに午後から京都コンサートホールでは今年度最後の京都市交響楽団の定期公演(指揮:高関健)がありました。プログラムはモーツァアルトのヴァイオリン協奏曲第5番 イ長調 K.219 (Vnソロは滝千春)とショスタコーヴィチの交響曲第8番でした。来年度から隔月で二回公演になる京響定期なのでより行きやすくなります。タコ八を生で聴くことができる有難さにあれこれ言うことはありませんが、ヴァイオリン協奏曲も含めて素晴らしいものでした(金管が特に圧倒的)。受難の主日とは関係無いとしても、タコ八の第1楽章を聴いているとこれまでにない感慨がこみあげて来て、どうしようも手の出しようのない天災にやられる光景を前にして立ち尽くしているような気分でした。

150329b ビシュコフは1990年にベルリンPOとこの曲をセッション録音していたので、今回の録音はちょうど11年後の三月に再録音したことになります。ベルリンPOとは1986年にショスタコーヴィチの第5番、1987年に第11番、それから今回の第8番と三曲を録音しました。それで全部かどうか分かりませんがその後、1997年からビシュコフはケルン放送SOの首席に就任してショスタコーヴィチを録音しだしました(第4、7、8、11番があるようだ)。

ビシュコフ・ケルン/2001年
①25分48②6分20③6分00④09分10⑤14分23 計61分41

ビシュコフ・ベルリン/1990年
①25分01②5分59③6分24④10分25⑤14分43 計62分32

150329a 新旧録音のトラックタイムは上の通りで、合計時間の差は50秒程です。今回両方を連続して聴いたわけではありませんが、再録音の方が暴力的な激しさが引っ込んだ印象です。戦禍の描写とかよりもさらに根深くて、深い傷を与えるものを連想させられて、冷たい不安定さが迫ってきます。何となく今日の公演の感慨もよみがえってきます。ビシュコフ自身が「ショスタコーヴィチをメンタルな作曲家」と評しているのがこのCDの解説冊子に載っていました。その言葉を念頭に置くとビシュコフのこの第8番はなるほどと思えてきて、他にも似たアプローチの指揮者は最近増えているようです。

 ショスタコーヴィチの真意というのは今さら異国の一般人には推し量りようがありません。戦後に彼が共産党員になった(させられた)時、とうとう党員になったと泣いたそうですがその時の心の奥底はどんなものだっただろうと思います。福音書の受難の記事の中にはイエズスが茨で編んだ冠を被せられ、真紅のマントをかけられた後、さんざんに嘲られるという場面が出てきます。ショスタコーヴィチの場合は党員になったおけげで身の安全は保障されたかもしれませんが内面ではそんな場面に通じる苦痛があふれていたかもしれません。そうしたことはともかくとして、今日はオケの近くで聴けたのでチューバ奏者の奮闘ぶりがよく見えました。つまらない想像ながら風邪とか花粉症だったら出演は無理だろうし、代役は誰でも可とはいかないつらい曲だと思いました。

28 3月

ブルックナー交響曲第2番 ズヴェーデン、オランダ放送PO

ブルックナー 交響曲 第2番 ハ短調(1877年稿・ノヴァーク版)


ヤープ・ヴァン・ズヴェーデン 指揮
オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団


(2007年9月18-21日 ヒルヴェルサム,MCOスタジオ 録音 EXTON)

150328 京都も桜の開花宣言があったと思ったらあっという間に暖かくなって、花が咲く音がきこえそうなくらいの勢いであちらこちらで咲き出しました。醍醐寺なんかはまだ見頃でもないはずですが、お昼前に京都市内へ向かおうとしたところ醍醐の手前あたりでノロノロ運転の渋滞にまきこまれました。それで途中で地下鉄に乗ることにしました。それと金曜に開幕した日本のプロ野球、メッセンジャーが太り過ぎとか色々言われたタイガースが二連勝という予想外の滑り出しでした。別段勝敗に一喜一憂するものではありませんが悪い気はしないものです。開幕戦はマートンのサヨナラ打で勝ち、お立ち台でどんなことをしゃべるか注目したところニュースでは少ししか流れませんでした。去年はヒーロー・インタビューで宣教師のようなことをしゃべりながら通訳にカットされていたことがありました。空気(甲子園の)を読めという通訳の配慮なのでしょう。

 ヤープ・ヴァン・ズヴェーデンとオランダ放送フィルのブルックナーはレーベルを変えて継続中で、残りは第1番、第0番、第00番となりました。後者の二曲は最初から除かれているかもしれませんが、第1番はそのうちに出るはずです。この第2番はズヴェーデンの第弾で、新譜で出た時は2008年8月号のレコ芸月評で特選になっていました(小石忠男、宇野功芳の両氏)。ブルックナーの交響曲の中でも2番以前のCDは少ないのでかなりの注目度だったのだと思います。私の場合はその当時は全くノーマークでした。

 実際に聴いてみるとこれまで取り上げたズヴェーデンのブルックナー、
第9番第7番第5番以上に素晴らしくて、特に前半の二つの楽章が感動的でした。後半の二楽章も突っ走らずに慎重に鳴らせるといった感じで、慎重で丁寧な演奏です。最近の第2番の録音は初期稿で演奏される場合が多いですが今回と同じの1877年稿・ノヴァーク版のCDとあわせてトラックタイムを並べました。

ズヴェーデン・オランダRPO/2007年
①17分51②20分04③06分10④17分53 計61分58

インバル・東京都SO/2011年
①19分56②14分45③07分26④17分36 計59分43
D.R.デイヴィス/2005年
①17分41②15分54③07分51④17分13 計58分39


 このCDの解説によると、ズヴェーデンもノヴァーク版で省略可能の箇所は省略して演奏しています。第1楽章の488-519小節、第2楽章の48-69小節と第4楽章の590-655小節をカットしていますが、同じ第4楽章でも「ヘ短調ミサ曲」のキリエ・エレイソンのテーマが再現される第540-589小節は省略せずに演奏しています。これら三種類に限らず、トラックタイムの違いはこうした省略有無が原因になってる場合もあるはずです。なお、1877年稿のノヴァーク版というのも純然たる第2稿ではないとのことで、キャラガン校訂の第2稿が準備中と書いてありましたが、マリオ・ヴェンツァーゴやヤノフスキが使った「1877年稿・キャラガン校訂版」のことなのかどうか?と思います。

27 3月

パルジファル クナッパーツブッシュ・1957年バイロイト

150327ワーグナー 楽劇「パルジファル」


ハンス・クナッパーツブッシュ 指揮
バイロイト祝祭管弦楽団
バイロイト祝祭合唱団


パルジファル:ラモン・ヴィナイ
クンドリー:マルタ・メードル
アンフォルタス:ジョージ・ロンドン
ティトゥレル:アルノルド・ファン・ミル
グルネマンツ:ヨーゼフ・グラインドル
クリングゾール:トニ・ブランケンハイム
第1の聖杯騎士:ヴァルター・ガイスラー
第2の聖杯騎士:オットー・ヴィーナー
アルト・ソロ:ゲオルギーネ・フォン・ミリンコヴィツ

 
(1957年 バイロイト祝祭劇場 ライヴ録音 WALHALL)

 何故か例年以上に忙しい年度末の日々を過ごしていて、今朝ふだん通る道ではなく、鴨川沿いの川端通を北上する経路を通ったらもうしだれ桜が咲いていました。そのほか御池通の桜も満開の木がありました。それに特に祝祭日とは関係ないとしても来週は聖週間でした。旬、シーズンというならパルジファルはちょうどその時期にあたります。おまけに今年はクナのメモリアル年、没後五十年にあたります。クナッパーツブッシュは1951年に再開されたバイロイト音楽祭で、1953年を除いて1964年まで毎年パルジファルを指揮していました。その中で1957年と1955年の公演だけがLPなりCDで出ていませんでしたが、2008年にマルタ・メードルのプライヴェート・コレクションの音源からこの1957年のパルジファルのCDが登場しました。残るは1955年だけですが、メモリアル年の今年あたりに出でこないものかと思います。

 と言っても特にクナのフアンでもないのですが、ワーグナー・バイロイトに関してはクナ抜きというわけにはいきません。バイロイトでの指輪四部作については、クナは1951年、1956~1958年に指揮をしていました。1959年からは翌年の1960年にマイスタージンガーを振っただけであとはパルジファルだけ指揮して1965年秋に亡くなったので、1958年くらいまでがクナッパーツブッシュの盛期というかまだ登り調子的な時期と言えるかもしれません。というわけで音質が良くないこのCDも貴重なクナッパーツブッシュのパルジファルの記録です。聴いているとグルネマンツとパルジファルにクンドリーが圧倒的な存在感で、特に第三幕のグルネマンツは悠然としたテンポに乗って聖杯城の領袖くらいに貫録が出ています。パルジファルのヴィナイもジークムントのようなどう猛な英雄を連想させられます。後年のルネ・コロとかペーター・ホフマンに慣れているとちょっとイメージが違う印象です。ヴィナイはトスカニーニのオテロではオテロを歌っていたので、この声を聴くとなるほどと思い、オテロの方がぴったりくる気がします(それでもこのパルジファルも立派)。

 このCDはラジオ放送を録音したような雑音や編集による傷等が指摘されていますが、それでも歌、オーケストラともにそこそこ聴けるくらいで、特に独唱は大きく前面に出てきこえます。ただ、第二幕の特にオケの音がちょっと甲高い音質で耳にキンキン響きそうでした。キャストは音源の持ち主、メードルが1951,52,54,56年に続いてクンドリーを歌っています(1955年は未確認)。パルジファルは1956年に続いてラモン・ヴィナイ、グルネマンツは1954,56年に続いてグラインドル、アンオルタスが1951,52年に続いてロンドンです。中にはこの年以後に同じ役で出演する歌手もありますが、ちょうど1957年を境にキャストが交代していく分岐のようにも見えます。

 ところで来週の金曜日が聖金曜日かつ「初金」にあたります。今日でさえ平日の夕方のミサにはそこそこ人が集まっていたので来週はさらに増えそうです。月刊「聖母の騎士」誌も四旬節の頃は毎年早く売り切れるのでさすがだと思っていました。パルジファルの第三幕には「聖金曜日の音楽」が登場するわけですが、教会の中での聖金曜は信心行の「十字架の道行の祈り」をしたりでだいぶその音楽とは違う空気です。この作品は元々はキリスト教そのものとは違う内容ですが、「聖金曜日の音楽」前後の場面はむしろ「聖霊降臨」の頃を思わせます。シュテフィターの短編に聖霊降臨当日の村の様子を描写した箇所があって、ちょうどその素朴ながらあたたかい空気がぴったり来ます。

25 3月

ワーグナー「ローエングリン」 クーベリック、キング、ヤノヴィッツ

150325ワーグナー 歌劇「ローエングリン」


ラファエル・クーベリック 指揮
バイエルン放送交響楽団
バイエルン放送合唱団
(指揮 ハインツ・メンデ)


ローエングリン:ジェームズ・キング
エルザ:グンドラ・ヤノヴィッツ
オルトルート:ギネス・ジョーンズ
テルラムント:トマス・スチュワート
国王ハインリッヒ:カール・リッダーブッシュ
軍令使:ゲルト・ニーンシュテット
4人の貴族たち~
フリードリッヒ・レンツ
ヴィリー・ブロークマイヤー
ライムント・グルムバッハ
リヒャルト・コーゲル
 


(1971年4月 ミュンヘン・ヘルクレスザール 録音 DG)

 年度末のここ一週間くらい、道路工事と救急車のために特に朝の通勤時間帯に渋滞が頻発していました。車内ではSDカードにコピーしてカーナビでこのローエングリンとテオドール・クルレンツィスを聴いていました。ローエングリンは昨年にケント・ナガノとミュンヘン・オペラ、カウフマンとハルテロスのDVDを観て特にローエングリンにはまりました。昔は第一幕の前奏曲を少し聴いて魅了されない者はいないとか書いてあっても、「はあ?」、半ばぽかーんという気分だったのから一転してバイロイトの十作品中で筆頭くらいに好きになりました。ローエングリンもモノラル期から多数の録音があり、少しだけ聴いて長らく聴いていなかったものもけっこうありました。

 アッティラ・チャンバイ、ディートマル・ホラント編の “ rororo operabücher ” の日本語版である「名作オペラ ブックス(音楽之友社)」 の巻末にある「ディスコグラフィについての注釈」では、ケンペ指揮のウィーンPO盤を特にほめていて、それ以降の録音は特に歌手の面から批判的なコメントが付いていました。このクーベリックのセッション録音も「かなりの程度(の実力不足)」としていました。その根拠、判断基準は以前にも載せた通り「録音を芸術性が高いものにするには、それぞれの役柄は旋律を聴かなくても声の質だけで、それが無理なら歌い方だけで聴き取れるようにする必要がある」というものでした。それを意識して聴くとこのCDはガラコンサート的で味気ないようにも思えます。それでも各役ともに伸びやかで明快この上ない歌が際立っています(余談ながら車の中で聴いてもよく聴こえる)。それに、オーケストラとコーラスも素晴らしいと思いました。

 ブルックナーはローエングリンを理想的なオペラと称して愛好していたらしく、何となくその気持ちが察せられます。オペラの物語に注目すれば日常生活と離れた、リアリティが無い、そこが魅力だとしても何とも捉えどころがないものです。それなのに作品の空気というか発する香気は格別で、余を持って代えがたい魅力があります。CDやレコードで音だけを聴いてそんな香気、霧のような空気感まで堪能できるの稀だと思いますが、上記のディスコグラフィの注釈で理想的とされているケンペの録音はその点でも魅力的だったと思います。あと、最近の歌手ではクラウス・フローリアン・フォークトの声もそういう魅力を感じます。“ rororo operabücher ” では1990年代の録音は載ってなくてショルティのセッション録音くらいで終わっていたので、その後の録音へのコメントがどうなるのか、音だけでなく演出についての見解も気になります。

23 3月

バッハの半音階的幻想曲とフーガ メジューエワ

J.S.バッハ 半音階的幻想曲とフーガ BWV.903


イリーナ・メジューエワ(ピアノ)


(2013年12月 富山県魚津市,新川文化ホール 録音 若林工房)

150323 毎年、年度末前後の今頃になると、もうそろそろ新たにCDを購入することもないとか思ったりします。そう思いながら春を過ぎて夏になり、秋風が吹く時分になるとそこそこの枚数が積み重なっています。今年もそう思った矢先、メジューエワのバッハ・アルバムの新譜が出ると分かってCD店へ立ち寄りました。そういう場合それ一点ではなく、ついでに何点か廉価モノを付け足すのはよくあることです。これを買った時(Tワーレコード)、ネットのアスキーアートが抜け出したような、リュックを背負った男性がクラシック売場で熱心に探していました。本当にそういう格好の人が居るんだと思いながら見ていました。よくみるとかなり年配の方でヲタのAAとはちょっと違う層でした。

 このアルバムは2013年、2014年に録音されたものでイタリア協奏曲 BWV.971、カプリッチョ「最愛の兄の旅立ちに寄せて」 BWV.992、イタリア風アリアと変奏 BWV.989、半音階的幻想曲とフーガ BWV.903、ゴルトベルク変奏曲 BWV.988が二枚組に収録されています。ゴルトベルク変奏曲は反復を省略せずに全部演奏しているので79分を超えています。それはじっくり聴きつつ、またの機会に取り上げられるかもしれません。

 半音階的幻想曲とフーガ はピアニストのプロフィールなんかにコンクールこれを弾いたとか度々登場する曲で、ベートーベンもこの作品を研究したと伝えられます。この曲に対するイメージは前半の幻想曲と後半のフーガがバラバラというか、派手に弾かれてちょっとむねやけしそうな感じでした。だからわざわざこの曲だけを聴こうとしたり、これを目当てにLPやCDを探したことはありませんでした。今回のアルバムもゴルドベルクが目当てでしたが、一枚目から順番に聴いていると半音階的幻想曲とフーガ の素晴らしさにも感心して、目から(耳から)鱗が落ちる気分でした。

 何がどう違ってそう思えるのか説明できないのが悲しく、とってつけたような書き方に終始するのが残念ですが、メジューエワの他の作曲家の演奏と同じように静かな冷気を伴う静かな響きに強く惹きつけられます。近年はこのアルバムに入っている作品ならチェンバロで演奏する方が良いかなと思い、ピアノで弾くとちょっと騒々しいように思っていましたが、ここではそういう不満は全くありません。とりあえず半音階的幻想曲とフーガ のところで四度反復して再生していました。

22 3月

ワーグナー ジークフリート スワロフスキー

150322bワーグナー 楽劇・ニーベルングの指環 「ジークフリート」


ハンス・スワロフスキー 指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団とプラハ国立歌劇場管弦楽団の団員


ジークフリート:ゲラルド・マッキー
ブリュンヒルデ:ナデツカ・クニプロヴァ
さすらい人:ロルフ・ポーク
ミーメ:ヘロルド・クラウス
アルベリッヒ:
ロルフ・キューネ
ファフナー:岡村喬男
エルダ:ウルスラ・ベーゼ
森の小鳥:ベラ・ヤスパー


(1968年7,8月 ニュルンベルグ 録音 Profil) 

 気象亭高気圧、NHK・AMの午前の番組「すっぴん!」に出演する気象予報士が木曜日の「大喜利」コーナーにチャレンジする時の別名のようなもので、去年の半ばから急に大喜利のクオリティがUPしています。だから最近その名前が考案されたわけで、年度末の特番が終わればまた再開するのでちょっと楽しみです。その天気予報によれば、明日から寒の戻りが来るので残っている灯油を消費できそうです。最初番組を聞いた時は、「冬将軍ってどこに居るんでしょうね(アンカーの藤井アナ)」に対して、「あなたの心の中に居ます(気象亭高気圧 予報士)」というやり取りから、この予報は大丈夫かい(性根はいってない)と思ったものです。なんでもNHKで天気予報する前は、東京の民放に出演していて、前晩のナイターの話だけで終わることもあったらしいので、それで合点がいきました。

150322a 先月の上旬にこのジークフリートを電車の中で聴いていて、CDウォークマンのイヤホンから少し音がもれるのか隣の席の人がちらちらこちらを見たのでスウィッチをOFFにして聴くのを止めました。ちょうどノートゥングをきたえる場面のため、カーンとひときわ甲高い音が入る箇所だったのでそうなったのだと思います。それからブログの方はブルックナー漬けになってこの指輪から遠のきました。改めて聴くと最新の録音の音が記憶に残っていることもあって、リマスターされたこの音源がちょっと貧弱というか薄い音に聴こえます。それに高音が甲高くて不自然な気もします(贅沢な)。こうなるとカラヤン、ショルティの指輪全曲盤はやはり偉大だったのだと思いました(当たり前だが)。

 このセッション録音は1968年の夏にちょうどバイロイト音楽祭が行われている時期に一気に録音された企画です。だからその年にバイロイトに出ていない歌手を召集しているはずですが(過去に出た経験はあっても)、ジークフリートとブリュンヒルデの二人は特に面白いと思いました。特に前者、ゲラルド・マッキーは少し軽快で近年のローエングリンが似合いそうな美声です。ザルツブルク音楽祭でカラヤン指揮、ワルキューレの ブリュンヒルデを歌った(DGのセッション録音では交代しているが)ナデツカ・クニプロヴァ堂々たるものでした。

 以前も思いましたがスワロフスキーの指環は、オーケストラの演奏、音が後のヤノフスキとドレスデン・シュターツカペレらのセッション録音と通じるものがあるようで、キャストもそれに合うように念入りに考えられています。プラハのオーケストラ団員を集めて編成しているオーケストラは、あまり重厚な響きを志向していないからか特に今回のジークフリートでは魅力的です。これはレコード録音のためだけの企画だったので、このキャスト、メンバーで舞台公演は行っていませんが序夜から聴いている内に現代の演出にも合いそうだと思いました。

21 3月

バッハのマタイ受難曲 I.フィッシャーRCOA、パドモア、ハーヴェイ

150321bバッハ マタイ受難曲 BWV.244


福音書記者:マーク・パドモア(T)
キリスト:ピーター・ハーヴェイ(Bs)
マリア・エスパーダ(S)
インゲボルグ・ダンツ(Ms)
バルバラ・コゼリ(Ms)
レナーテ・アーレンツ(S)
アリア:ペーター・ギースベルツェン(T)
アリア:ヘンク・ネーフェン(Br) 


イヴァン・フィッシャー 指揮  
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
オランダ国立少年合唱団
オランダ放送合唱団
  
(2012年3月30日,4月1日 アムステルダム,コンセルトヘボウ ライヴ収録  Arthaus Musik)

 今年の復活祭は4月5日なので段々と近づいてきました。ここ二日ほどの陽気からすればその頃には桜は散り始めているかもしれません。今くらいのシーズンなら日本の年末の第九的にヨーロッパではコンサートホールでバッハの受難曲が演奏されます。この映像ソフトもそんな演奏会の記録の一つです。

150321 アムステルダムでのマタイ受難曲と言えば古いメンゲルベルクの音源が有名です。ナチスが占領する前年の1939年に録音されたその公演は4月2日は復活祭の前週、枝の主日(または受難の主日)に行われ、その後中断があったかどうか未確認ですが枝の主日にマタイ受難曲を演奏するのがコンセルトヘボウ管弦楽団の恒例行事になっているそうです。このブルーレイ・ソフトもそれの一環の公演で、2012年に収録されたものです。色々な指揮者が招かれる「枝の主日のマタイ」の中で最近はイヴァン・フィッシャーの評判が高かったと広告記事に書かれてありました。実際に見て聴いていると会場の雰囲気から集中力の高さ、雑音の少なさが際立っています。演奏が終わった後、長い沈黙があり、しばらくしてから拍手がわき立ちます。それになによりも屈託なく、ダイレクトに感動的なマタイ受難曲です。大都市のコンサート・ホールで演奏するマタイ受難曲というのは現代では普通の環境だと思いますが、例えばピリオド楽器オケの重鎮、マルゴワールがシャンゼリゼ劇場で演奏した録音と比べても何故かずっと厳粛な空気が伝わってきます。

150321a 演奏が始まると指揮台を囲むように少年合唱が立って歌っているのが目をひきます。少年合唱は第一曲目が終わるとオーケストラの後ろに陣取る合唱団の方へ移動するので余計に冒頭の姿が印象に残ります。どこかに連行される先生を見送りに来た教え子らのようにも見えます。オーケストラとコーラスは左右二組に分かれていて、コーラスは大編成なのに対してオケは人数を絞っています。後は独唱者とオルガン、ガンバが並んでいます。独唱者は出番の前に立って前に出、終われば戻って座っています。I.フィッシャーは指揮棒を使わずに終始控え目な身振りで指揮をし、ほとんどオルガンだけの通奏低音で歌う福音書記者の朗唱の時は目を伏せ、時には歌詞を口ずさみながら曲に没頭しています。ペトロが三度イエズスを否認して鶏が泣く場面では特に感極まったようにフィッシャーも歌っているようでした。

 ロイヤル・コンセルトヘボウ管なのでピリオドオケではありませんが、比較的速目のテンポで進んで行きます。特に第1部は何かに急かされるように、渦の中心に吸い寄せられるような妙な緊張感があって、最後の晩餐の場面ではちょっと素っ気ない気もしましたが、パドモアとハーヴェイの素晴らしい歌のお蔭で独特の美しい高揚をみせています。第2部は少しテンポを落として情感を込めているような印象です。音楽的には平凡な箇所かもしれませんが、ゴルゴダまでイエズスの架けられる十字架を代って無理やり担いで行かされた「クレネ人シモン」のところが何故か心に留まります。うっかりすると知らないうちに通り過ぎている箇所ですが、このソフトではそうではありませんでした。

 その十字架を担がされたシモンはマルコ、ルカによる福音書にも名前が出てきます。前者には「アレキサンデルとルフォスとの父」と紹介されているので、後に原始のキリスト教会に連なる者となったのだろうと推測できます。ちなみにルフォスの名前はローマ人への手紙に一度名前が出てきます。聖パウロは次のように書いています。「主に結ばれた者ルフォスと彼の母によろしく。彼女は私にとっても母です。ルフォスの母というからには十字架を背負わされたシモンの妻なので、その場面に遭遇したことが転機になったと言えると思います。

19 3月

ブラームス交響曲第1番 ズヴェーデン、オランダPO

ブラームス 交響曲 第1番 ハ短調 Op. 68


ヤープ・ファン・ズヴェーデン 指揮
オランダ・フィルハーモニー管弦楽団


(2002年 アムステルダム,ブールス・ファン・ベルラーヘ 録音  Brilliant Classics)

150320 ここ十日くらいの間あちこちではかま姿の学生とか普段着にネクタイだけ付け足した小学生を見かけ、もう卒業式シーズンも終盤になり今年度も終わりです。昨夜はドラマ「相棒 season.13」の最終回がありました。ちょっと血迷ったようなストーリーでしたが、パターン化できない、聖域無しの展開だと肯定的に受け止めることにして次期に期待します。真飛聖か成宮寛貴のどちらかが逝ってしまう筋書を予想していたので大外れでした。元宝塚の真飛聖はseason.11のキャストで名前を見た時読み方が分からず、「まっぴせい? 芸人か?(そんなわけないだろうが)」と思いました。それはともかくこのお話では今後出演する可能性は限りなく低く、残念ながら花の里三代目襲名のめも無さそうです。
 
 先月来続けたブルックナー漬けの日々の中でヤープ・ファン・ズヴェーデンがけっこう気に入り、ブルックナーやワーグナー以外の録音はなかったかと探すと、廉価セットでブラームスの交響曲が出ていました。これは元々「11のコラール前奏曲・オーケストラ編曲版」とカップリングされていたようですが、それを除いて廉価化されています。下記はこのCDと過去記事で取り上げたブーラームス第1番のトラックタイムです。

ズヴェーデン・オランダPO/2002年
①12分34②08分33③04分47④17分13 計43分07
ベルグルンド・ECO/2000年
①15分09②08分35③04分34④16分13 計44分31
ヴァント・MPO/1997年
①14分02②09分33③04分59④17分27 計46分01

 主題の反復有無が関係しているかもしれませんが、第1楽章の出だしから速目にぐいぐい進んでいくと思い、少々この曲らしくないような意外さを感じました。それでも広い空間に響き渡るような感じの音も含めて爽快で、好感が持てました。クルト・ザンデルリング指揮の旧全集(ドレスデン・シュターツカペレ)をぐっと丁寧にしたような演奏で、あるいは現代のブラームスは概ねこういう傾向なのかもしれません。このブラームスの録音から四年後にEXTONレーベルのブルックナーが始まりますが、ブルックナーの方がズヴェーデンの方針のようなものを一層徹底させているような印象です。

 ブラームスの第1番くらい有名な作品はCDを制作できる指揮者、オーケストラならほとんどが一度くらいは録音しているはずで、特別に悪いとか良いものを探すのも大変だと思います。そうだとしてもとりあえずこの録音も非常に魅力的です。ワーグナー、ブルックナーだけでなくブラームスもこういう演奏なのでズヴェーデンが今度来日することがあれば聴きに行きたいと思いました(関西で公演があれば)。

18 3月

トリスタンとイゾルデ ヤノフスキ、ベルリンRSO、グールド、ステンメ

150318ワーグナー 「リスタンとイゾルデ」


マレク・ヤノフスキ 指揮
ベルリン放送交響楽団
ベルリン放送合唱団


トリスタン:スティーヴン・グールド(T)
イゾルデ:ニーナ・ステンメ(S)
マルケ王:クワンチュル・ユン(Bs)
クルヴェナール:ヨハン・ロイター(Br)
ブランゲーネ:ミシェル・ブリート(Ms)
メロート:サイモン・ポーリー(T)
牧童:クレメンス・ビーバー(T)
舵取り:アルットゥ・カターヤ(Br)
若い船乗り:ティモシー・ファロン(T)
  
(2012年3月27日 ベルリン,フィルハーモニー 録音  Pentatone)

 ワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」は第一幕の冒頭部分、第二幕の二重唱や第三幕のフィナーレ、 Liebestod(愛の死) なんかが特別な魅力というか引力をもって惹きつけられます。他の多くのオペラと同じく、舞台公演は映像ソフトで見ただけでほとんどがLPかCDで聴くだけという接し方なので、作品全体についてどうこうと言い難いものがあります。モノラル音源の頃からそこそこ録音の種類がありますが、なかなか決定的な名盤らしきものが定まっていなかったようです。アッティラ・チャンバイ、ディートマル・ホラント編の “ rororo operabücher ” の日本語版(音楽之友社-「名作オペラ ブックス」)の巻末にあった「ディスコグラフィについての注釈」は、フラグスタートとズートハウスの古いセッション録音(1952年)以外は大きな欠陥がある、或いは水準に達しないという意味の厳しいコメントだったと思います(その本も古いので)。

 今回のCDはヤノフスキがベルリン放送交響楽団と演奏会形式で録音しているワーグナーのシリーズの一つで、毒というか陶酔的なものを徹底して抜いたような、ヤノフスキらしい美しい演奏です。特に第三幕が格別でしたが、第二幕の「愛の二重唱」、第三幕「愛の死」はそこだけをピックアップして聴くとストイック過ぎて物足らない気もします。あと、録音の仕方というか音質面で、もっとオーケストラの音を前面に、どぎついくらいにすれば面白いかなと思いました。今後はもっとボリュームを上げて聴いてみたいと思います。

 イゾルデを歌うニーナ・ステンメはスウェーデン生まれ、トリスタンのスティーヴン・グールドはアメリカ人というキャストはもう珍しくないとしても、これを見れば作品の表現、性格もどんどん変わっているのだろうと思います。歌手の中ではイゾルデのステンメが特に印象深くて、パッパーノ指揮によるこれより8年前の録音よりも存在感を増しています(パッパーノ盤がどんな風だったかあまり覚えていない、過去記事の際も印象が薄かったようだ)。ステンメが歌ったワーグナー作品ではほかに、2012年のスカラ座でのジークフリート(ブリュンヒルデ)や同じくヤノフスキのシリーズのタンホイザー(エリーザベト)があります。

 フィギュア・スケートのフリー演技で使う音楽が今季から歌が入ってもよくなりました。引退した町田選手は第九の第四楽章を使ったり、選曲も多彩になりそうです。そのうちにトリスタンから「愛の死」か「愛の二重奏」を使う選手が出ないかとひそかに楽しみにしています。トリスタンに限らずジークフリートのフィナーレの二重唱なんかは、舞台演技としても二人がくっ付いたり離れたりするくらいで長丁場を歌うのに精いっぱいのようなので、氷上の演技ならもっと陶酔が表現出来るのではと期待します。

17 3月

ヘンツェ 交響曲第9番 ヤノフスキ、ベルリンRSO

150307ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ 交響曲第9番
(Hans Werner Henze:1926-2012)
~ハンス・ウルリヒ・トレイケル:作詞


マレク・ヤノフスキ 指揮
ベルリン放送交響楽団
ベルリン放送合唱団


(2008年11月 録音 WERGO)

 今週の土曜日にヤノフスキとベルリン放送SOが西宮で公演しますが結局まだチケットを買わずにいます。ブルックナーの第8番というメジャーなプログラムの割に先週はまだ空席がありました。ヤノフスキが地味なのかオーケストラの知名度のせいか、ヴァントの東京での三日公演が二時間で完売したことを思えばだいぶ開きがあります。とにかくまだ間に合うかもしれません。

150317a この作品は1996年から1997年にかけて作曲されて、1997年のベルリン芸術祭でインゴ・メッツマッハー指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ベルリン放送合唱団によって初演されました。翌年の夏にはもう日本で初演されています。これだけ新しい作品なので「現代音楽」のジャンルに入るはずですが、作風はショスタコーヴィチやペンデレツキ等と似た部分もあって、割に親しみやすい方だと思います。交響曲第9番はユダヤ系ドイツ人のアンナ・ゼーガース(Anna Seghers, 1900年11月19日 - 1983年6月1日)の小説「七番目の十字架」に基づいてハンス・ウルリヒ・トライヒェルが書いたテキスト(小説の文章自体の引用は無い)を混声合唱が歌う、オーケストラと混声合唱のための作品です。その小説と下記の楽章毎のタイトルを見れば察しが付くように、ユダヤ系、収容所、独裁といった事柄が扱われている作品です。「七番目の十字架」はアンナ・セーガースが1933年以降にナチス政権を避けて亡命中に手掛けたもので(1942年発表)、1943年には英語版を題材にしてハリウッドで映画化されています。ゼーガースはユダヤ系であり共産党員でもあったので、自身もゲシュタポに身柄を拘束される危機に遭遇しました。

第1楽章:Die Flucht (脱走)
第2楽章:Bei den Toten (死と共に)
第3楽章:Bericht der Verfolger (迫害者の告白)
第4楽章:Der Platane spricht (平凡な木が語る)
第5楽章:Der Sturz (突入)
第6楽章:Nachts in Dom (大聖堂の夜)
第7楽章:Die Rettung (救済)

150317b 1939年ポーランドのワルシャワ生まれのヤノフスキはベルリン放送SOとヘンツェの交響曲を全曲録音していて、これがその三曲目でした。ユダヤ系の両親から生まれて亡命を余儀なくされたゼーガース、ヒトラー・ユーゲントに入っていたヘンツェ、彼女らよりはずっと若い世代のヤノフスキですが、彼も大戦と冷戦と無関係ではいられなかった世代なのでこの作品に関しても思うところは多々あるはずです。ただ、実際に聴いているとヤノフスキが指揮したワーグナーやブルックナーと違う演奏のスタイルと思えず、特別に激しい情熱をもって臨んでいる風でもないようです。このCDを聴いていると録音年代が接近する彼のブルックナー演奏のスタイルが際立ってくるようです。

 交響曲第9番はベートーベンの第九と同じく声楽付であり「救済」というタイトルで終わっていながら、ほとんど何の解決も勝利も見ないまま曖昧に、静かに終わっています。7人が強制収容所から逃げようとして失敗し、見せしめとして、収容所の7本の木を切り倒し十字架を作り、7人をはりつけにしようとする、という内容の小説がテーマであり、7本目の十字架に架かるはずだった一人が逃げたままという内容は、何となくまだその時代からの繋がりが途切れていない、終わっていないという印象です。何らかのことがら今も問われているようにも思われます。

16 3月

ブルックナー交響曲第0番 ハイティンク、ACO

ブルックナー 交響曲 第0番 ニ短調 WAB100(1869稿ヴェス版)


ベルナルド・ハイティンク 指揮
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団


(1966年7月4-6日 アムステルダム,コンセルトヘボウ 録音 旧PHILIPS)

150309 さて平成26年度の確定申告締切日の今日、午前中に提出に行ってきました。税務署入口に居た案内係が妙に愛想が良くて税務署はこんな感じだったかな?と少々ぎこちなく窓口へ行きました。そういえば何年も前の年度末、大阪府堺市の合同庁舎に行った時、印紙を買って戻ろうとしたところ腰に縄を付けられた男性が手首にハンカチをかけられて、警官に前後をかためられて歩いてくるのとすれ違いました。逮捕されたてホヤホヤの湯気が立っていそうな状態で目のやり場に困りました。税務署はそこまでの緊迫感は無いものの、根底には通じるマグマが流れているようで独特の重みを感じていました(偏見かもしれないが)。今日は先週の冷え込みから一転して急に暖かくなり、暖房もコートも不要なくらいでした。

 いったんブルックナー漬け状態から脱しましたが寒の戻りよろしくまたブルックナー、先週の月曜に続いてハイティンクによる1960年代から開始したブルックナーの交響曲全集から第0番です。この当時は第0番の方が第1番より先に完成したとされていたためか、全集の最初に収録されています。版の方もノーヴァーク版が出版(1968年出版)される前だったので1924年に出版されたヴェス(Wöss)版を使っています。ヨッフムの旧全集には第0番は含まれないので1966年当時に他にこの曲のレコードはマタチッチやライトナー等少数しかありませんでした(それでもこれが史上初録音でないのはすごい)。

ハイティンク・ACO(1966年)
①14分27②13分01③6分33④09分46 計43分47
インバル・フランクフルトRSO(1990年)
①15分06②12分47③6分13④10分00 計43分06

 
第3番より前、0番と00番は特に録音が少なくてそもそも決定盤的なものもあまり取りざたされません。最近のボッシュやそれより少し古いティントナーの録音に比べるとやや鈍重とも思えますが、ブルックナー以前のシューベルトやウェーバーらの作品との作品に通じるようで、その意味では親しみやすい演奏だと思います。先日聴いた朝比奈隆と都響きの第2番をもう少し軽快にしたような感じ、と言えばいい加減過ぎるかもしれませんがとにかくハイティンクのブルックナーも好感が持てます。

交響曲 第0番 ニ短調
第1楽章 Allegro-Poco meno mosso
第2楽章 Andante sostenuto
第3楽章 Scherzo. Presto - Trio. Langsamer und uhiger
第4楽章 Finale. Moderato - Allegro vivace

 第0番のヴェス版はノヴァーク版と具体的にどれだけ違うのか確認できませんが、フィナーレは特にこじんまりしていてブルックナー的高揚、祝祭のコーダとは遠く、あっさりと収束します。この方向のコーダを晩年の作品でも聴いてみたかったと思います。第0番と全く同じ風にはいかないとしても、第8番のフィナーレのコーダ部分でクレンペラーが削除しようという気が起きないくらいの簡素さを希望します(天邪鬼ならその場合逆に工夫が無さすぎるとか言ってコーダ部分を補筆延長しかねないが)。それはともかく、この年代にはロンドンではブルックナーの第5番も6番もまだ珍しかった頃なので、第0番を含む全集は画期的だったと思改めています。

15 3月

ベートーベンのピアノソナタ第3番 メジューエワ

ベートーベン ピアノ・ソナタ第3番 ハ長調 作品2の3

イリーナ・メジューエワ:ピアノ

(2007年11月、2008年4,6,7月 富山県魚津市,新川文化ホール 録音 若林工房)

 先月は忙しくて体調が悪かったことを言い訳に墓地へ行っていなかったので彼岸に入る前の今日、久しぶりに移転させた先祖代々の墓所へ行ってきました。寒の戻りがゆるんで大木の枝の方から鶯の鳴き声が聞こえてきました。周りの家の梅は満開になっていて絵に描いたような春の兆しです。それと確定申告の期限が明日なのでやっと提出書類を準備できましたが、持参する手間があるので来年からはイー・タックスにしようと思います。そんな春の気配のため、しばらく続けてきたブルックナーは一旦中断して、ベートーベンの初期のピアノ・ソナタです。

 このCDはイリーナ・メジューワのベートーベンのピアノ・ソナタ全曲録音の第二弾で、ソナタの第3、19、8、5、20、9、21番とアレグレットWoO53がCD二枚組に収録されています。日本を拠点に活動する彼女は32歳になったらベートーベンの32曲のピアノソナタに挑戦したいと考えていたそうで、
実際にその年齢で開始したかどうか未確認ながら(仮にそうだったらそろそろ大台)2007年5月から録音を開始し、2009年12月に完結させています。

150315 ピアノやエレクトーンを習ったこともないのでピアノ曲は他のジャンル以上にどうこう言う術はありませんが、メジューエワのCDはベートーベンだけでなくショパンやリスト、シューベルト等とても魅力的です。元々彼女のベートーベンを聴いてみようと思ったのはピアノ・ソナタ第22番を新しい録音で聴きたいと思い、ちょうど女流のアニー・フィッシャーのベートーベンが素晴らしかったので何となくメジューエワに関心がいきました。それと短い、変則的な第22番を真剣に演奏しそうだという期待もありました。その期待に違わず、このアルバムの第3番も溌剌としながら端正で素晴らしいと思いました。なお、CDパッケージ写真の作品は恥ずかしながら向きがよく分からないので、アルファベットの文字が読める向きに合わせました。

ピアノソナタ 第3番 ハ長調 Op.2-3
第1楽章 Allegro con brio
第2楽章 Adagio
第3楽章 Schrzo,Allegro
第4楽章 Allegro assai


 ピアノ・ソナタ作品2の3は第一楽章が特に記憶に残り、どのピアノ・ソナタだったのかは忘れても旋律だけは時々頭のなかで流れてきたりします。別段春にまつわる愛称やエピソードはありませんが、前半楽章を聴いていると早春の風のような心地よさを感じます。この曲はピアノ・ソナタ第1番、第2番と共に1795年に出版されてハイドンに献呈され、作曲時期は前年の1794年くらいからとされています。これら作品2の三曲はどれも四楽章構成で、第2番において初めてピアノソ・ナタにスケルツォ楽章が取り入れられました。また、第3番の第一楽章は協奏曲のカデンツァのような部分があるのも特徴です。
14 3月

ブルックナー交響曲第5番 ハイティンク、バイエルンRSO

150314ブルックナー 交響曲 第5番 変ロ長調 WAB.105 (1878年ノヴァーク版)


ベルナルド・ハイティンク 指揮
バイエルン放送交響楽団


2010年2月12日 ミュンヘン,フィルハーモニー ライヴ録音 Br Klassik)

150314b 昭和の頃は年度末が近付けば役所が予算を使い切るためにやたら道路なんかの工事が増えると言われました。今世紀になってその傾向も弱まりましたが、このところまた時代をさかのぼったようで地味ながらあちこちでやっています。京都市の御池地下駐車場では出入り口の料金徴収機を交換するために西側出口を閉鎖して、さらに一階の駐車スペースをたくさん封鎖しています。元々出口は二カ所しかないので特に夕方は出口と川端通がかなり渋滞しています。先日はお昼前に伏見の方へ出かけようとして川端通で大渋滞にありました。その駐車場工事とは関係ないはずで、花見もまだ早いのに予想外でした。そんな中、右折レーンへ一度入って右折直前で直進レーンに戻ってワープする車を見かけました。やれやれと思っていると次の交差点では同じ車が逆に直進レーンから右折レーンに外側から回り込んでいて、大きなワンボックスカーだったので直進車も進路を塞がれました。なんというか確信的、常習的な振る舞いに一種の清々しささえ感じるほどでしたが、その車にクラクションを鳴らしたりすればどうなっただろうかと思います(コワイ人が乗っているとか)。

150314a ハイティンクのブルックナーの中で1980年から2010年の間、レコード芸術誌の新譜月評欄で特選になったのは第3番(1988年のVPO)、第4番(1985年のVPO)、第7番(1979年のACO再録音)、第8番(1981年のACO再録音と1995年のウィーンPO)の五種でした。2000年以降もシカゴ交響楽団とのライヴ録音があったりするのに意外と注目されていなかったようです。過去の月評ではアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団と再録音したものがかなり好意的に書かれてありました。1981年録音の第8番は1、969年録音の全集盤からすれば別人のように変化、成熟したとなっています。さらに十年以上後のウィーン・フィル盤でも同様に賞賛されていて、普段ハイティンクに批判的な選者でさえ推薦にしていました。

 そんな中で交響曲第5番は、特選を得た第3、4、8番と同じく
ウィーンPOと録音したものがあるのに一曲だけ特選にもれていました。第3番と同じ1988年録音なので制作側もレコ芸の選者も変わりないはずです。今回の第5番もそうですが実際に聴いてみると、巨大な伽藍のような構築物を思わせる第5番に対するイメージからすればやや小粒で、弱いという印象です。

ハイティンク・バイエルンRSO・2010年
①20分31②16分07③13分30④25分14 計75分22

ハイティンク・VPO・1988年
①21分06②16分44③13分33④25分22 計76分45
ハイティンク・ACO・1971年
①18分52②18分33③12分17④22分51 計72分33

 第二楽章のアダージョも続く第三楽章のスケルツォも速目なのが特徴で、ハイティンクの録音よりも合計時間が短い演奏とこの楽章は同じくらいの時間です。合計時間の割に第2楽章は特に速目なのが分かります。終楽章は短い演奏時間ではありませんが明快で、清々しいものです。

ボッシュ・アーヘンSO(2005年)
①19分34②16分02③13分11④22分19 計71分06
パーヴォ・ヤルヴィ(2009年)
①19分23②14分57③13分01④22分25 計69分46
ザンダー・PO(2008年)
①18分58②16分00③12分36④21分01 計67分35


 ブルックナーの第5番では朝比奈隆のライヴ録音の一つが演奏終了後の歓声の大きさで話題になったことがありました。レヴュー欄に「雄叫び」をあげたというコメントに対してちょっと過熱気味な反応もありました。ブルックナーの第5番はそういう高揚をもたらす作品なのか、いろいろ考えさせられる感想、演奏でしたがとりあえずこのハイティンクのライヴ盤はそうした熱狂とは距離をおいた演奏です。今日は自家用車の定期点検のためディーラーの営業所へ行きました。その行き帰りは車内でずっとこれを聴いていましたが、かえって「雄叫び」のCDを思い出して久しぶりに聴きたくなってきました。

12 3月

ブルックナー交響曲第4番 ティントナー、RSNO

150312ブルックナー 交響曲 第4番 変ホ長調 WAB104「ロマンティック」(1881年稿ハース版)


ゲオルク・ティントナー 指揮
ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団


(1996年10月16-17日 グラスゴー,ヘンリー・ウッド・ホール 録音)

 「砂肝」、「すなずり」あるいは「ずり」と言えば焼鳥屋か居酒屋のメニューでお馴染みですが、時々硬すぎて食感だけ堪能しているようなこともあります。この食材は主に赤ちょうちん、ガード下系の店で食べるものかと思っていたらソテーとか結構各国で食べられているようでした。先日アルザス食堂の前菜に砂肝にリンゴ酢やワインで作ったソースをかけたソテーがあって、最初は酢の匂いがツーンと鼻にきてたじろぎましたが味は正反対にまろやかで、砂肝も柔らかくて別の食材かと思うくらいでした。郷土料理的な食べ方のようですがかなり美味しいものでこんな食べ方があるとは知りませんでした。若い頃から居酒屋なんかで注文する時は皆がオーダーした後に、「~と、ズリカラ(すなずりの唐揚)」とか「~と、ずり刺し(砂すりの刺身)」と追い打ちをかける程砂肝は好きだったのでこのメニューは覚えておきたい一品です。

 ティントナーのブルックナーの中でまだ取り上げていなかったのは第4、第6と断片の二作品でした。今回は第4番ですがティントナーが採用しているのはオーソドックスな1881年稿ハース版でした。第2番や第3番、第8番は初期稿を使っているのに対して意外な選択です。これはオーケストラ側の事情というか新たにスコアを準備せずに済ませるため基本は有り合わせで演奏して、新規に取り寄せなければならない場合は特に稿を指定しているのかもしれないと想像できます(CDパッケージのデザインがいかにも安っぽく手をかけていないので)。

 演奏は力みがなくこの上なく自然で、なだらかな起伏の稜線をみせる山並みのようで、威圧的なところがほとんどありません。下記のトラックタイムを見ると分かるようにヴァント全集盤と比べると9分
以上長くて、最晩年のヴァントよりも少し長いくらいです。ティントナーの録音で気になったのはオーケストラの音、特に金管がきんきんと響いてやや薄っぺらくきこえたことでした。会場や機材、マイクの位置等の違いか、オーケストラの技量か(オーケストラが弱いと一応は指摘されている)、ティントナーの他の録音ではあまり気にならなかったのに、この曲では冒頭から目立っていました。それでもなお魅力的ではありましたが。

ティントナー/1996年
①21分33②16分19③12分05④23分10 計73分07

ヴァント・ケルンRSO/1976年
①17分26②15分37③10分33④20分22 計63分58
ヴァント・NDRSO/1990年
①18分00②15分19③10分58④21分26 計65分43
ヴァント・NDRSO/2001年10月
①20分12②16分44③11分49④22分38 計71分23

 ティントナー指揮のブルックナーのシリーズは複数のオーケストラで録音していましたが、一番多かったのがロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団で第1番、第3-5番、第7、第9、第00、第3番(1876年 L.ノーヴァク版・第2楽章)と第4番(1878年版に基くノーヴァク版)・第4楽章「民衆の祭り」を担当しました。アイルランド交響楽団が第2、第8、第0番の三曲、ニュージーランド交響楽団は第6番のみでした。それにこの全集では19世紀生まれの巨匠がしばしば採用していたようにヴァイオリンを両翼配置にして演奏しています(最近また両翼配置が増えている)。

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昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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