raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

2014年08月

31 8月

モーリス・エマニュエルの交響曲第1番 スロヴェニアPO

140831モーリス・エマニュエル 交響曲 第1番 イ長調 Op.18


エマニュエル・ヴィヨーム 指揮
スロヴェニア・フィルハーモニー管弦楽団


(2010年12月 リュブリャナ 録音 Timpani)

140831b 異様に長く感じられた今年の八月も今日で終わりです。このCDは作曲者も演奏者もあまり馴染がありません。しかし、指揮のエマニュエル・ヴィヨームは先日来話題にしているフランスのストラスブール出身でした。1964年生まれでヨーロッパの歌劇場で経験を積み、日本でもN響に客演するなど東京でコンサートや舞台公演へよく行く人にはそこそこ知られていたのかもしれません。オーケストラの方は旧ユーゴのソロヴェニアのオーケストラで、マタチッチが指揮した録音で名前を見たくらいの記憶しかありません。レーベルも知らない名前ですがこのCDは音質、演奏ともどもなかなか良いと思いました。

140831a モーリス・エマニュエル(Marie François Maurice Emmanuel:1862年5月2日 - 1938年12月14日)というフランスの作曲家は、カントルーブの「オーヴェルニュの歌」にカップリングされていた作品(ボーヌ地方のブルコーニュの歌)で知りました。シャンパーニュ地方南部のバール・シュール・オーブに生まれ、1869年にブルコーニュ地方の古都ボーヌへ移住しています。少年時代をそこで過ごしてからソルボンヌ大学とパリ音楽院で学びました。音楽院では音楽史と作曲を学び、当初は音楽史・音楽学の方がメインでした。作曲の師はバレエ音楽で有名なレオ・ドリーブで、エマニュエルが古楽に興味を持ち、教会旋法を用いた曲を書いたりするのでドリーブはエマニュエルの作品を理解しませんでした。だからローマ大賞への応募も認められませんでした。カントルーブのCDに収録されていた作品からも分かるように、フランスの民謡を研究する活動も行っていました。エマニュエルは音楽院でドビュッシーと同級生(歳も同じ)になり、以後長く交流が続きます。

 エマニュエルの作風は当時のオペラ座のバレエやオペラともサロン音楽とも違い、ドビュッシーとも違って独特でした。1904年にサン・クロチルド教会の音楽監督に就任しますが、グレゴリオ聖歌の復興をめざしたため解任されます。その後にパリ音楽院の音楽史の教授に就任し、メシアンらを教えることになります。グレゴリオ聖歌の復興が司教団の逆鱗に触れたのか、第二ヴァチカン公会議前なのにどういう経緯だろうと思いました。

Symphony No. 1 in A Major, Op.18
第1楽章:Tranquillo molto - Allegro, leggero e giocoso
第2楽章:Adagio molto
第3楽章:Allegro con fuoco

 フランクの交響曲と同じく三楽章で構成されるこの曲は、25分弱の演奏時間の比較的短い作品です。フランクよりもダンディの作品と似ています。アンチ・ドビュッシーのダンディの作風と似ていると言ったのにそれと矛盾しますが、ドビュッシーのオーケストラ作品の響きを思わせる部分もありました。

30 8月

フランクの交響曲 クレンペラー、ニュー・フィルハーモニア管

フランク 交響曲 ニ短調


オットー・クレンペラー 指揮
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団


(1966年2月 ロンドン,Abbey road Studio No1 録音 EMI)

140830 クレンペラーがEMIへ残したセッション録音の中で独墺系以外の作品はストラヴィンスキー、チャイコフスキー、ドヴォルザーク、ベルリオーズ、フランクの交響曲がありました。過去にどれも取り上げたと思っていましたが、どうもフランクが残っていたようです。ところで昨日のストラスブールの話ですが、クレンペラーもストラスブールの歌劇場に居たことがありました。プフィッツナーがストラスブールの歌劇場の監督を務めていた時代、自作のオペラ「パレストリーナ」を完成させる時に彼の仕事を肩代わりするためにクレンペラーが呼ばれました。それはともかく、クレンペラーはレコードを作る場合はフィルハーモニア管弦楽団の定期公演、リハーサルの合間に録音していたので、フランクの交響曲も定期で一度くらいは取り上げていたはずです。だとすれば放送用音源が残っている可能性があり、あるいはTESTAMENTあたりから今後出てくるかもしれません。

 この録音は1980年代前半にLP(1枚1500円、クレンペラーの芸術シリーズ)を購入してかなり気に入り、カセットテープにコピーして何度も聴いていました。この曲はクレンペラーとパレーの録音を好んで聴いていましたが、テンポはかなり違うもののどこか通じるものがあるように思っていました(根拠は無い)。久しぶりに聴いてみると、特に第一楽章が素晴らしく、適度に重厚でそれでいて躍動感もあり、冒頭の木管の美しさも目だっています。

クレンペラー・ニューPO(1966年)
①17分49②10分28③10分59 計39分16
パレー・デトロイト(1959年)
①16分07②08分52③09分19 計34分18

デュトワ・モントリオールSO(1985年)
①18分45②10分41③10分22 計39分48

 クレンペラーがこの交響曲を録音したのはフィルハーモニア管弦楽団が自主運営になった後(ニュー・フィルハーモニアと名乗っていた)で、最々晩年の入り口くらいの時期でした。オーケストラはやや技量が下がっているとか指摘されることもあり、クレンペラーもあまりにも遅すぎる演奏になりかかっていました。フランクの交響曲の場合は上記のようなトラック・タイムであり、昨日のデュトワよりもやや短いくらいです。ただ、やはりどこか荒っぽい印象もあり、例えばフィルハーモニア管弦楽団の1950年代の演奏ならどうだったかと思いました。

 独墺系の作品、スラヴ、ロシア系、フランス系の作品をそれぞれ演奏する場合、演奏スタイルが全く違うという場合はまずないだろうと思いますが、クレンペラーの場合は特に一貫しているようです。自身でもある作曲家のスペシャリストなどというものは存在しない、1か0か、あるいはALL OR NOTHING的なことを言っていました。ただ、例えば同時期の録音であるブルックナーの第5番とくらべると、このフランクは結構軽快で、かなり印象が違います。

29 8月

フランク 交響曲ニ短調 デュトワ、モントリオール交響楽団

フランク 交響曲 ニ短調

シャルル・デュトワ 指揮
モントリオール交響楽団


(1985年5月 モントリオール 録音 DECCA)
 
140829 先日のダンディはワーグナーに影響を受けて作曲家として反ドビュッシーのワグネリアンというスタンスでした。同時に師事したフランクの名を冠したフランキストと呼ばれる作曲家らの中心でした。それでもダンディの作品そのものはフランクとはあまり似てなさそうです。セザール・フランク(César-Auguste-Jean-Guillaume-Hubert Franck:1822-1890年)の声楽作品の中で、マタイ福音書の真福八端を題材にしたオラトリオ「至福」や「天使の糧」という曲がわりと有名だった思いながら店頭で探しても全然見つかりませんでした。フランクの作品はヴァイオリン・ソナタと交響曲ニ短調、ピアノ五重奏曲くらいが有名ですが、ブルックナーのように教会のオルガニストを務めていた時期もあったのでオルガン曲やミサ曲等も作っていました。にわかに涼しくなって発作的にフランクのことが気になりだしました。カントールーブの師がダンディ、その師がフランクになります。フランス系の作曲家、名前が多くてが生まれた順番とか混乱しがちなのでちょっと整理しました。もっとも、フランクは晩成なので有名作品の出来た年は前後するはずです。

グノー:1818-1893年
フランク:1822-1890年
サン・サーンス:1835-1921年
ドリーヴ:1836-1891年
ビゼー:1838-1875年
マスネ:1842-1912年
フォーレ:1845-1924年

 この交響曲が初演されたのは1889年2月17日、ジュール・ガルサン指揮のパリ音楽院管弦楽団
によって行われましたが評判は良くありませんでした。当時のフランスの音楽界はオペラかサロン音楽が主流だったのでフランクの作品はよく理解されていなかったのが主な原因でした。このデュトワとモントリオール交響楽団のフランクは一時期この曲の代表盤のようでしたが、改めて聴いてみると響きが厚くなく、地味な印象です。カップリングのダンディーの方が良さそうです。

 8月の「テレビでフランス語」では京都市内でアルザス料理のレストラン(食堂)をしているシェフが出演していました。短いコーナーながら故郷ストラスブールの伝統料理を紹介していて、いつになくシリアスな様子でした。番組出演の反応による来店はあったようでしたが、9月の前半はシェフの一時帰国(年一回、この時期に研修的に帰国されている)のため休業します。アルザス地方のシュラスブール(ストラスブルク)と言えばシャルル・ミュンシュの生地でもありました。昔、ミュンシュ指揮のフランクの交響曲の録音は無いか探して見つからなかったことがありました。どうもRCAへボストン交響楽団とセッション録音(ステレオ録音)したものがあるようです。

27 8月

カントルーブ 「オーヴェルニュの歌」 アップショウ、ナガノ

カントルーブ オーヴェルニュの歌


ドーン・アップショウ:ソプラノ


ケント・ナガノ 指揮
リヨン国立歌劇場管弦楽団


(1994年4月,1996年8月 リヨン国立歌劇場 録音 エラート)


140827 義務教育の学校は今日が始業式なので、今朝の通勤時には登校の列が歩道からあふれていました。盆も地蔵盆も終わって秋にはちょっと早い、ちょうど今の時季の風情はなかなか良いものかもしれませんが、最近は二学期の始業が早く(かつては九月一日から)なり、ゲリラ豪雨やら残酷暑のためにそうしたことを感じる余裕がなくなります。昔、ちょうど今頃の季節にFMの特集でカントルーブの「オーヴェルニュの歌」とかR.シュトラウスのアルプス交響曲なんかを放送していたことがあり、番組名は忘れましたが選曲、企画が良かったので作品ともども印象に残っています。アルプス山麓で放牧しているところの音(牛の首についているベル)やアルペンホルンなんかも取り上げていました。管弦楽と独唱(通常はソプラノ)による「オーヴェルニュの歌」はテレビの「名曲アルバム」にバイレロが取り上げられていたのでそんな印象が増幅されました。

 ジョゼフ・カントルーブ(Marie-Joseph Canteloube de Malaret, 1879年10月21日– 1957年11月4日)は、ダンディーがパリに創設したスコラ・カントルムに1901年に入学して彼とシャルル・ボルドに師事しました。カントルーヴは師のダンディやボルドらの世代にならって故郷のフランス中央・南部のオーヴェルニュ地方の民謡を採譜して回りました。オーヴェルニュ地方の他にトゥーレーヌ、ラングドック、バスク等の地方の民謡集も刊行していました。当時はフランスの民族音楽の研究等が盛んになった時代でした。「オーベルニュの歌」は第1集から5集まで、全27曲あり、1924年に第1巻(3曲)、第2巻(5曲)、1927年に第3巻(5曲)、1930年に第4巻(6曲)、1950年に第5巻(8曲)が出版されました。このCDでは各巻の曲を取り混ぜて下記のような順序で収録しています。

羊飼いのおとめ:第2集
オイ・アヤイ:第4集
むこうの谷間に:第5集
羊飼い娘よ、もしお前が愛してくれたら:第5集
一人のきれいな羊飼い娘:第5集
ミラベルの橋のほとりで: 第4集
チュ・チュ:第4集
牧歌:第4集
紡ぎ女:第3集
捨てられた女:第2集
お行き、犬よ:第5集
牧場を通っておいで:第3集

せむし:第3集
こもり歌:第3集
バイレロ:第1集

3つのブーレ:第1集
・泉の水
 間奏曲
・どこへ羊を放そうか
 間奏曲
・あちらのリムーザンに  

アントゥエノ:第2集
羊飼いのおとめと若旦那:第2集  

2つのブーレ:第2集
・わたしには恋人がいない

 間奏曲
・うずら

女房持ちはかわいそう:第3集
子供をあやす歌:第4集
わたしが小さかったころ:第4集
むこう、岩山の上で:第5集
おお、ロバにまぐさをおやり:第5集
みんながよく言ったもの:第5集
野原の羊飼いのおとめ:第1集 

 この作品は題名の通りオーヴェルニュ地方で採譜した民謡にオーケストラの伴奏を付けたもので、1924年に第1、2巻をコンセール・コロンヌの演奏会で初演したところ好評を得ました(だから後続の3巻以降が作られ、出版された)。民謡の素朴さに対して伴奏が洗練され過ぎているという批判もあったようですが、これはダンディゆずりの管弦楽法とラヴェルらの影響を受けてのことでした。オーヴェルニュはロマネスクの聖堂等古い建物が残る渓谷の山村であり、農業も振るわず19世紀末まで鉄道も通わなかったのでこれといった産業もなかった地域でした。そこで生活するなら大変だろうと思いますが、この作品を聴く限りでは長閑で平和な暮らしが連想できます。


 この録音はケント・ナガノがリヨン国立歌劇場の首席時代に録音したもので、彼が43歳になる頃でした。ドーン・アップショウ(1960年7月17日-)はアメリカ生まれのソプラノ歌手でフランスの作品も録音しています(この作品はフランス語というより地元の言語らしい)。聴いていると柔らかく、軽やかな声が素晴らしくて、よくぞこの作品を全曲録音してくれたものだと思います。

23 8月

伊福部昭 ピアノ組曲から盆踊

140823a伊福部 昭(1914-2006) ピアノ組曲


盆踊り(ぼんおどり)
七夕(たなばた)
演伶(ながし)
佞武多(ねぶた)


堀 陽子:ピアノ


(1990年12月10日 イイノホール ライヴ録音 MITTENWALD)

 今日、明日は滋賀県から京都府南部、大阪府にかけて地蔵盆が行われています。少子化のため廃止しているところもありますが、滋賀の南部から京都市は特に盛んでした。町内会・子供会の娯楽として定着して、中には校庭にやぐらを組んで盆踊りをするところもありました。昭和40年代から50年代前半には私も地元で盆踊りがあった記憶があります。宇治は江州音頭と河内音頭がせめぎ合うところで(別にどっちを踊るかでもめることはないが)、両方が聞かれました。ただ、気分としては江州音頭の方がぴったり来ました。いつの間にか盆踊りの催しものど自慢もやらなくなり、二日かかりだったのが一日目の夜だけに縮小になりました。

 昨日のクーベリックと同じく伊福部昭(大正13年5月31日-平成18年2月8日)も今年が生誕100年にあたります。伊福部のこの作品もある酷評されたレコードと関わりがあり、それがきっかけとなってこのピアノ組曲が成立することになりました(各曲は既に出来ていたらしい)。このエピソードはいろいろ紹介されているので詳細は略するとして、ドビュッシーの友人だったピアニストのジョージ・コープランドのレコード「スペイン音楽集」が当時音楽評論家から酷評されていたので、伊福部昭と三浦淳史(音楽評論家)が興味本位で聴いてみたところ非常に感動してコープランドにフアン・レターを送るということがありました。するとコープランドから返事が来て、君らの作った曲を送れ(自分のレコードを聴いて真価が分かるからには作曲をするに違いない)ということになり、それに応える形でピアノ組曲にまとめました。なんか夢のある面白い話です。

 今週の月曜日、朝の通勤時にFMラジオをつけたところ「まろのSP日記 第11集」という番組の再放送をやっていました。SPレコードを順次紹介していてその雑音、音質が妙に心地よいと思っていると、山田耕筰が滝廉太郎の「荒城の月」を使った変奏曲をレオニード・クロイツァー(ピアノ)が弾いた録音が流れました。それに続いて豊増昇(ピアノ)による伊福部昭の「盆踊り」が紹介され、これが強烈なインパクトでした。

140823b 「盆踊り」は作曲者が子供の頃に聴いた音更町の盆踊りをイメージしたということですが、固有のメロディを引用しているのかその辺の説明は見当たりません。あるいはメロディも伊福部自身の創作かもしれませんが、とにかく開始部の低音とリズムの力強さが鮮烈で、これぞ「日本的」なものだと強烈に印象付けられます。日本的なものを音楽で表現するとなると雅楽の楽器を使ったり、クラシック音楽の枠組みに強引に和楽器や元からある旋律を引用するという方法がとられることがありますが、そうした例よりもずっと説得力があると思います。荒城の月の旋律も日本情緒を表すと思いますが、そもそも大多数のこの列島の住人で「高楼の花の宴」に縁があったのはごく限られた人間だけだったはずです。それは良いとしても、この「盆踊り」の地面から湧いて来るような、少々ふてぶてしくもあるリズムは多様な環境の日本各地の生活、風土にかなり共通する根源的なものに通じると思えます。

 このCDは他に伊福部の作品が、ヴァイオリン・ソナタ(1985年)とこのピアノ組曲を編曲した「弦楽オーケストラのための『日本組曲』」がカップリングされています。ピアノ組曲は他にも管弦弦楽版等がありますが、「盆踊り」の魅力はピアノ独奏で十分すぎる程伝わります。もっともオーケストラ版で荒れ狂ったような演奏も聴いてみたい気もします。

22 8月

スメタナ「わが祖国」 クーベリック、シカゴ交響楽団

スメタナ 連作交響詩「わが祖国」


ラファエル・クーベリック 指揮
シカゴ交響楽団
 
(1952年12月 シカゴ 録音 MERCURY)

 このCDはラファエル・クーベリックの数少ないシカゴSO時代の録音の一つです。何種もあるスメタナ「わが祖国」の録音の最初のものでした。クーベリックは祖国の共産化に反対して亡命後、1950年から1953年までシカゴ交響楽団の音楽監督を務めました。3シーズンくらいという短期に終わったのはクラウディア・キャシディという批評家に酷評というか攻撃されたのが原因の一つでした。この批評家は他の演奏家の話にも名前が出て来る大物で、かなり激しい批評をしていたようです。シカゴ時代のクーベリックはそのキャシディ氏が酷評するほど悪かったのか、というのもこのCDの関心の一つです。

140822 先日のダンディの回の「孤独の研究」は、TVドラマ「相棒」の中で主人公が事件解決の一環として書いたミステリーの題名でした。その回の犯人は「毒薬」というハンドル名で推理小説の批評をネット上で公開していました。身過ぎ世過ぎのためではなく純然たる趣味として批評しているため、利害やしがらみが無く、駄作と判断した作品は容赦なくけなす代わりに傑作は賛辞を惜しまないというスタイルを貫いていました。文学に限らず例えばクラシック音楽でも、批評が掲載される雑誌にせよ他のメディアにせよ供給側が支出する広告料に依存しているので、純然たるジャッジメントというのは難しいものだと思います。それだけでなく、戦争やら民族紛争が絡むとより複雑になります。とりあえずこの古い「わが祖国」は21世紀の今聴いても魅力あるものだと思いました(音はさすがに古く、割れているところもある)。

 クーベリックは1990年になってようやく祖国の土を踏み(途中全く帰国したことがないのかどうか未確認)、チェコPOを指揮することができましたが、この録音時は亡命後約四年が経過したところだったのでそれほど長くチェコを離れることになるとは思ってなかったかもしれません。とにかくこの「わが祖国」は隅々まで力がみなぎっていて、各楽曲の物語が現在進行しているような躍動感です。それだけでなく、穏やかな部分が多い一曲目の「ヴィシェフラト」や四曲目「ボヘミアの野と森より」も感動的です。

連作交響詩「わが祖国」

①ヴィシェフラト (高い城)
②ヴルタヴァ(モルダウ)    
③シャールカ   
④ボヘミアの野と森より   
⑤ターボル    
⑥ブラニーク


 クーベリックはシカゴSOとの録音以後にも、ウィーンPO(1958年)、ボストン交響楽団(1971年)、バイエルンRSO(1984年ライヴ)、
チェコPO(1990年ライヴ) 、チェコPO(1991年ライヴ)とわが祖国を録音していました。今年はクーベリックの生誕百年にあたりますが、個人的には「クーベリックと言えばまずこの録音」とか、特定のレパートリーのスペシャリストというイメージは無く、チェコ系のご当地・本場作品よりもドイツ、オーストリアの作品の方が本筋のように漠然と思っていました。スメタナの「我が祖国」の録音数を見ると、改めてチェコの人だったんだとその面も改めて意識しました。

 ところで「わが祖国」という言葉を見ると十代の頃に聴いた英訳の話を思い出します。「 In our coutry 」という表現はあまり良くなくて、「 In Japan 」と言う方が無難だと英語の授業で言われました。アメリカ合衆国でも「 イン ユナイテッドステイス 」と言う方が多いとも聞きました。学校で国旗に忠誠を誓うアメリカにしてはデリケートな話だと(真偽の程は未確認)思いました。ベドジフ・スメタナ(1824-1884年)がこの作品を作曲したのは1874年から1879年にかけて、彼が五十歳になってからのことでした。国民楽派と言われながら日常生活はほとんどドイツ語を話し、チェコ語はほんのわずかしか分からなかったスメタナがチェコ語を勉強し出したのもその頃でした。また同時に聴力が衰えて来たのも同じ頃でした(わが祖国が完成後には聴力を失い、精神にも異常をきたす)。こうした作曲時の事情を思うと、「祖国」という言葉には領土だとか独立といった事柄だけでなくもっと根源的なものを含んでいるのだと思えてきます。

 話しは戻りますがクーベリックのシカゴ時代の天敵、クラウディア・キャシディに演奏者名を伏せて「わが祖国」を何種類か聴かせたら、やっぱりクーベリックの演奏を攻撃しただろうかと思います。

19 8月

フランスの山人の歌による交響曲 ガンバ、アイスランドSO

140819ダンディ フランスの山人の歌による交響曲 Op.25 ( セヴェンヌ交響曲 )


ラモン・ガンバ 指揮
アイスランド交響楽団
ルイ・ロルティ:ピアノ


(2012年10月29日-11月1日,アイスランド,レイキャビク,ハルパ 録音 Chandos)

  「孤独は山の中ではなく、街の中にある」という言葉はTVドラマの「相棒」のある回に出てきましたが、京都学派の哲学者、三木清が残した言葉のようです。ついでにドラマの中では「孤独の研究」という架空の小説が出て来て「善の研究」にひっかけているようにも見えました。「フランスの山人の歌」というタイトルから、アルプスの少女ハイジの「おんじ」ことハイジの祖父の山小屋を連想してしまいます。特に暑い時季には言葉だけで涼しげなので時々聴いていました。CDではフランクの交響曲とカップリングされることがあり、過去にブログで取り上げたことがあると思って探してみても見つからず、あるいは誤って削除したかもしれません(OCNから分割引っ越しする時に)。

140819a とにかく今回はシャンドス・レーベルから知らぬ間にシリーズ化されていたラモン・ガンバとアイスランド交響楽団のシリーズの第五集です。CDの広告にはアイスランドのレイキャビクで新設されたホールで録音と書いてあり、リーマンショック時の債務不履行、通貨暴落から立ち直っているようで他人事ではない状況だったので一安心です。ラモン・ガンバは何度か来日していて結構有名なようですが、私はこのダンディのシリーズしか聴いたことがありません。イギリスの指揮者で、王立音楽院でコリンデイヴィスらに師事し、1998年・ロイド銀行BBCヤング・ミュージシャンズで優勝し、BBCフィルのアシスタント指揮者に任命されました(全然知らない賞)。一方、アイスランド交響楽団は1950年に設立され、欧米に演奏旅行して好評を得ています。近年ダンディの作品が再評価されており、このCDの企画もその一環として継続録音されています。

140819b ポール・マリ・テオドール・ヴァンサン・ダンディ(Paul Marie Théodore Vincent d'Indy)(1851-1931年)はパリに生まれてパリで没した作曲家で、少なくとも「フランスの山人の歌による交響曲」は有名でした。普仏戦争後の1872年にパリ音楽院に入り、セザール・フランクに師事しました。色々な作曲家の説明の折に、保守的なフランキスト、ワグネリアンという言葉で片付けられがちですが、ウィキに解説には古楽の復権に貢献したという活動も載っていました。こうした交響曲やオーケストラ作品だけでなく室内楽、器楽曲の他、オペラ等も作曲しています(演奏頻度は低い)。メシアンが少年時代にダンディのオラトリオか何かを聴いて感銘を受けたという記述もありました(ドビュッシーの聖セバスチャンの殉教と並んで感銘を受けたらしい)。ダンディの作品は廉価盤CDでは交響詩「ヴァレンシュタイン」op.12、交響的変奏曲「イスタール」op.42というのがありましたが、どんな曲か記憶に無くてかろうじてこの作品だけ覚えている程度です。

第1楽章:Assez lent - Modérément animé
(きわめて緩やかに - 中庸の速さで、生き生きと)
第2楽章:Assez modéré, mais sans lenteur
(きわめて穏やかに、しかし遅くなく)
第3楽章:Animé
(生き生きと)

 “ Symphonie sur un chant montagnard français (フランスの山人の歌による交響曲) は、1886年に作曲され、翌年パリで作曲者の指揮するコンセール・ラムルー、ボルド・ペーヌのピアノにより初演されました。タイトルとは裏腹に声楽は入らず、管弦楽とピアノのための作品です。ダンディも自国の民謡を調査、収集したらしく、この曲はフランス中、南部セヴェンヌ地方の民謡旋律を主題に使っています。特に第3楽章はそういう雰囲気であり覚えやすい曲調です。冒頭に孤独云々と書いていましたが作品とは関係無いばかりか、聴いた印象とも縁遠いものです。過去に取り上げたことがあると思っていたのはデュトワ、モントリオール交響楽団、ジャン=イヴ・ティボーデによる国内盤で、脳内に残っている記憶と照合すると今回のCDはかなり濃厚にして活発な演奏だと思いました。もっとも作曲家も作品もそれほど馴染んでいないので、このCDがどうなのか何とも言えません。

17 8月

ベートーベンのミサ・ソレムニス カラヤン、フィルハーモニア管

140817aベートーヴェン ミサ・ソレムニス 二長調 op.123


ヘルベルト・フォン・カラヤン 指揮
フィルハーモニー管弦楽団
ウィーン楽友協会合唱団


エリーザベト・シュワルツコップ(S)
クリスタ・ルートヴィヒ(MS)
ニコライ・ゲッタ(T)
ニコラ・ザッカリア(Bs)
 
(1958年9月11-15日 ウィーン,ムジークフェライン大ホール 録音 EMI)

 昨日の大気不安定によるゲリラ豪雨、一夜明けて各地の状況が新聞に載っていて京都市内の市街地も冠水している箇所がありました。先週の台風よりも雨量が多く、雨水が流れ込んだため破裂した古い下水道管があったとのことで、ここ何年かの雨の降り方を考えれば今後も起こりうるので頭のいたい事態です。それどころか府北部は今日の方がひどい状況です。先週取り上げていたカラヤン、ベルリンPOの際にEMIへのミサ・ソレムニスはそれだけだと最初書きましたが、その後コメント欄に指摘があった通り、フィルハーモニア管弦楽団との録音もありました。同じ箱物に入っていたのに見逃していました。結局カラヤンはミサ・ソレムニスを交響曲と同じサイクルで、1958年、1966年、1974年、1985年と各年代ごとに録音していました。

140817b 先週の1974年録音も見事でしたが、今回のフィルハーモニア管弦楽団との方が力強く、さらに魅力的だと思いました。特にキリエは谷底のような所から空を見上げて祈るような、ひたむきな姿を思わせて感動的な演奏です。1950年代前半から開始したフィルハーモニア管弦楽団との交響曲全集と比べると音質というか、残響の具合も違ってミサ・ソレムニスの方が引き締まって聴こえるような気がします。演奏者名を伏せて聴けばこれをカラヤン指揮だと自信を持って答えられるかどうか自信はありません。そうしたことは別にしても、とにかくミサ曲として普通に感動的で、変な癖とか嫌味は無くて、例えばリヒターのマタイ受難曲とかが好きならこのミサ・ソレムニスにも共感するのではないかと思いました。

 ところで1958年のフィルハーモニア管弦楽団と言えばオットー=クレンペラーが猛威、否、活躍している頃で前年に演奏したベートーベン・チクルス(交響曲全曲をはじめ協奏曲、ミサ・ソレムニスも演奏)が大成功でした。それを受けて翌シーズン、1958-1959年のシーズンも再演するはずがなさにシーズン開始の9月に寝室で大やけどし、半年くらい休養する羽目になりました。このミサ・ソレムニスが録音された9月11-15日はちょうどその火傷事件が起こる前後の微妙な時期のはずです。ロンドンを本拠地にしているフィルハーモニア管弦楽団がウィーンで録音している、合唱団がフィルハーモニア合唱団ではないというのはカラヤンが指揮するなら不思議ではありませんが、タイミングを考慮すれば事故との関連が気になります。

 ①クレンペラーの火傷事故に関係なく事前にカラヤンとこういうメンバー、場所で録音する予定だった。②クレンペラーがこの曲を録音するはずだったけれど急な事故のため、シーズン直前にカラヤンに指揮してもらったが、オーケストラの方がイギリスから出向いた。だから合唱団はウィーンで手配した。③EMIではミサ・ソレムニスを録音したがっていたが、クレンペラーがOKしなかった。ところが大火傷になり、長期離脱になったのでこのチャンスに録音してしまおうとして敢行した。

 これらの場合が想定されますが、レッグの回想か何かに記録が残っていないかと思います。ただ、小さなことを気にすれば(おかしいですねえ)バス独唱のザッカリアはクレンペラーが録音するなら第九に彼を起用したか疑問が残ります。多分ドイツ語圏の歌手を起用したかったはずだと思います。まさか仕組まれた事件ということはないでしょうが、この録音の背景、事情には興味がわきます。

14 8月

プーランクのスターバト・マーテル ヤルヴィ、パリO,cho

140814aプーランク スターバト・マーテル


パーヴォ・ヤルヴィ 指揮
パリ管弦楽団
パリ管弦楽団合唱団


パトリシア・プティボン(S)


(2012年9月,2013年3月 パリ,サル・プレイエル DG)

 8月14日は聖コルベの記念日でした。ブログ開始以来この日は聖コルベが特に聖母崇敬が篤かったのでそれにちなんだ作品を取り上げてきました。これで五回目の聖コルベの記念日です。さて、旧OCNブログからの移転(二分割移転)が済んで開始から約四年半が経過しました。正直ネタ切れというか目新しい材料が無くなってきました。例えばあるブルックナーの交響曲全集でまだ取り上げていない枚数、曲があたとしても内容は過去記事と似たようなものになります。関心のあるジャンルは増えつつあっても、改まって何か書くほどの蓄積はありません。それでこちらの「新・今でもしぶとく聴いてます」の方は今日を区切りとして、不定期更新とします。日記代わりの小刻みな更新はもうひとつの方、「続・今でもしぶとく聴いてます」の方で続けることにします。そっちはバッハのカンタータ全集の未聴分が多くあって、最低限形式的に更新はできそうなので。
 
 フランスと言えばエスプリ、特にプーランクの作風には付いて回る言葉ですがこのCDの作品にはそれが現れているのかどうか分かりません(そもそも「エスプリ」って何?)。そういえばあるTV番組でマツコDXが、「フランス=エスプリ」を連発する誰かに「浅い」とか言って腹を立てていました。とりあえずエスプリのウィキの解説を読むと、「精神、知性、才気などの意味の他、霊魂などの意味もある」とあり、さらに「エスプリと日本語で使用するときは『フランス的精神』といった風にフランス人の国民性を反映した精神をさす用例が多い」となっていました。じゃあ「フランス的精神」って何?と問えば「エスプリ」と返り無限階段のようになりそうです。それはともかく、クラシック音楽の世界でエスプリという語とはちょっとずれている気がします。何となく「こじゃれた、洗練された」表現、「生死とか平和といった深刻な事柄を前面に押し出さない、一見軽そうな」くらいの意味に受け止めていました。

140814b このCDは今年の正月に「黒い聖母の連願」で取り上げたものと同じCDです。「グローリア」と「スターバト・マーテル」の三曲が一枚に収録されています。昨日のフォーレの一年後の録音でしたがこちらの方は発売前からチェックしていました。「スターバト・マーテル」はその「黒い聖母の連願」から約10年後、先日の「カルメル会修道女の対話」の約10年前に作曲されました。1947年2月、プーランクの友人、画家のクリスチャン・ベラールが急死しました。たまたまロンドンに滞在していたプーランクは次のように書いていました。「葬儀のつらい日々を体験せずに済んだ。おかげで彼のことは、世界一周の旅にでも出かけた人のように思える。~君のことは、目に見えない優しい存在なのだと考えられるよ、幽霊などではなくてね」。プーランクは、あまり大がかりで葬儀の雰囲気が濃厚なレクイエムよりも、我が子が十字架にかけられたときの聖母の悲しみを曲に重ねあわせることが、友人に対する最も良い供養(これに正確に該当するフランス語があるのかどうか)になると考えてこの曲を作曲しました。1949年8月から1950年4月にかけて作曲され、1951年6月13日にストラスブールで初演されました(フリッツ・ミュンシュ指揮、サン・ギョーム合唱団、ジュヌヴィエーヴ・モワザンのソプラノ)。

 演奏の個性が強いと思ったのは昨日のフォーレの方ですが、「黒い聖母の連願」ともどもプーランクの方も真摯で美しい内容です。P.ヤルヴィのこういうジャンルは今後も注目です。

 最後にひとつだけ、不定期更新に移行後は、過去記事に抜け落ちた画像を再度挿入(2012年以降はほぼ整理保存済)してフォントサイズを整えるとかをすることにします(時々発作的に更新するかもしれません)。

13 8月

フォーレのレクイエム P.ヤルヴィ、パリO、cho

140813aフォーレ レクィエム ニ短調 op.48(ソプラノ、バリトン、混声合唱、オルガンと管弦楽のための)


パーヴォ・ヤルヴィ 指揮
パリ管弦楽団
パリ管弦楽団合唱団


フィリップ・ジャルスキー(CT)
マティアス・ゲルネ(Br)


(2011年2月10日 パリ,サル・プレイエル 録音 Emi Virgin)

 盆休みのスタンダード?は今日、8月13日からのようで、シャッターを閉めて貼り紙をしている店もありました。そう言えば昔、庭先で迎え火を焚いたのも13日の夜でした。盆の期間は東山へ向かう車で五条通が大混雑になったことがあります。東本願寺の広大な霊園があり、詳しく知りませんが宗派を問わず受け入れているようです。かつて入院していた時、九月のお彼岸の日に外出して帰って来た人が、同室の人が墓地はどこかという意味の「大谷さんですか」という質問をしたところ、間髪を入れず「臨済宗です」と、宗派を誤解されては困るという口ぶりで、その返答の速さに驚きました。臨済宗だったか曹洞宗だったか記憶があいまいになってきましたが、真宗ではなく禅宗だと言いたかったようです。質問した人はそんなことは全然関心が無い様子でぽかーんとしていました。

 パーヴォ・ヤルヴィは来季からNHK交響楽団の首席に就任します(最近その情報を読んで急にヤルヴィを思い出した)。パリ管弦楽団、hr交響楽団(旧フランクフルト放送SO)、ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン、シンシナティ交響楽団といろいろなレパートリーの録音を続けているヤルヴィ、フォーレのレクイエムを録音していたのは見逃していました。

 よく見れば独唱者にソプラノやボーイ・ソプラノではくカウンター・テナーを起用していて、こうした録音は他に記憶はなく、新しい傾向だろうかと思いました。ソプラノ独唱曲である有名な第4曲目 ピエ・イェズえは圧倒的な安定感です。そのフィリップ・ジャルスキーはロシア系フランス人で、ロアシア革命時にフランスへ来たようです。バリトンをドイツ語圏の歌手を起用している例は他にもありました。独唱だけでなく合唱も素晴らしくて、意外な程清楚な響きになっていました。

140813b フォーレのレクイエムはともすれば起伏が乏しくて薄っぺらく、雰囲気だけという風になるかもしれませんが、そうだとすればこれは聴き手の作品観というか趣向も関係しているのだと思います。最初パーヴォ・ヤルヴィがこの曲を指揮すればどうなるか、イメージがすぐにはわきませんでした。古楽系のカウンターテナーを起用しているので、あるいはピリオド奏法を取り入れたような演奏かとも思いました。しかし実際には陰影の濃い、濃厚な演奏になり、声楽に負けずオーケストラもかなり魅力的でした。かといってこの曲の静謐な空気を損なうこともなく、お馴染みのフォーレのレクイエムらしさを十分堪能できると思いました。P.ヤルヴィはベートーベンの交響曲に続いてブルックナー、ショスタコーヴィチ、マーラーの交響曲も手掛けていますが、このCDを聴く限りパリ管弦楽団との相性が抜きんでているのではないかと思いました。去年のパリ管弦楽団との来日時には京都公演もあったので、今頃になって聴きに行けば良かった(惜しいことをした)と思っています。

 この曲を聴いていて第五曲目の「アニュス・デイ」のところでレクイエムもミサ(死者のためのミサ曲)なので聖体拝領があることを思い出しました。当の亡くなった方はもう聖体を受けることはない(その必要も無いのか)のに対して、参列者が並んで拝領するというのは何となく不思議な光景に見えます。

12 8月

カルメル会修道女の対話 ナガノ、バイエルン国立歌劇場

140812プーランク 歌劇「カルメル会修道女の対話」


ケント・ナガノ 指揮
バイエルン国立管弦楽団
バイエルン国立歌劇場合唱団


ブランシュ:スーザン・グリットン(S)
コンスタンス:エーレヌ・ギルメット(S)
クロワシー院長:シルヴィー・ブリュネ(Ms)
マリー副院長:スサネ・レースマーク(Ms)
リドワーヌ新院長:ソイレ・イソコスキ(S)
フォルス侯爵(ブランジュ父):アラン・ヴェルヌ(Bs)
騎士フォルス(ブランジュ兄):ベルナール・リヒター(T)
ジャンヌ:ハイケ・グレッツィンガー(Ms)
マティルド:アナイク・モレル(S)、ほか
 
演出:ディミトリ・チェルニャコフ
衣装:エレナ・ザイチェヴァ


(2010年3月 ミュンヘン,バイエルン国立歌劇場 ライヴ収録)

 今日は毎年のお参り(こちらからでなく、僧侶が自宅へ)の日なので朝から休みにしました。電話は常時秘書サービスと携帯への転送が可能なので一応大丈夫です。うちへ来る和尚も代が代わり、淡泊な読経、息継ぎになったので途中で笑いが込み上げる懸念もなくなりました(いつか書いた覚えがあるが過去記事から探し出せない)。それはともかく、ロビン・ウィリアムズの訃報が流れていました。最近「パッチ・アダムス」のDVDはまだ流通しているかとか思っていたところなので、驚きました。「パッチ・アダムス」はホスピタルクラウンを始めたアメリカの実在の人物をモデルにしています。日本でも「ホスピタルクラウン協会」というのが設立されていて、テレビ番組で取り上げられたときその映画を思い出してじっくり観たくなりました。特別に彼のフアンと言う程詳しくないけれど、たまたまFMでアルバムを聴いたり、妙に縁がありました。

140812a プーランクのオペラ「カルメル会修道女の対話」は、五月にハンブルク歌劇場の公演を収録したDVD(シモーネ・ヤング指揮)を取り上げていました。その公演は音楽、舞台ともに素晴らしくて感動的なもので、演出は概ね原作に従っていたと思います(原作を読んだことはないが)。つまり現代への読み換えとかひねった演出ではありませんでした。それに対してケント・ナガノ指揮、バイエルン国立歌劇場のこちらの方は、時代設定を現代に変えて、結末も変更しています。終演後の拍手から考えれば肯定的な意見も少なくなかったようですが、ハンブルクの方の公演を観た後ではなんとなく異質な作品になったような印象は否めません。

140812b このオペラの結末はブランシュを含め十六人のシスターが全員ギロチンで処刑されるというものです。しかしこのバイエルンの演出はそうではなく、駆け付けたブランシェだけが死に、他の十五人は彼女に助けられるというものでした。そもそも現代なので断頭台による処刑はなくて、官憲が包囲する中でシスターらは施設の小屋にこもって集団自決をしようとするという設定です。その寸前にブランシュがやって来て、小屋の戸、封印を破って突入します。そして彼女が中に居る時に爆発音がして死が暗示されます。修道会というよりももっと小規模な結社、修道院というよりももっと簡素な建物小屋という設定のようで、偏狭で融通のきかない集団と言うネガティヴな捉え方をしているように見えます。冒頭では現代の都会の風景のような雑踏でブランシュが立ち尽くしている描写があるので、社会への適用に問題があるというニュアンスも見えます。先進国の間では死刑を廃止(そのかわりに終身刑はある)している国も増えているので、現代に読み替えるとすれば、「ギロチン」に相当するものを見つけるのは難しいと思います。だからこうした描き方になるのかと、消去法的に結局納得させられます。

 演出は違っても基本的に台本・歌詞、音楽は同じですが、余韻というか終わった後に漂う空気は違ってきます。人命は尊い、ギロチンという野蛮な刑罰は見るに堪えないというのももっともな理屈ですが、ブランシュの犠牲によって十五人のシスターらが助かった(煙を吸って中毒死したかもしれないが)、という場面を見ても不思議に重くて陰惨な印象はぬぐえません。これは何故なのかと思います。この作品を今後観たり聴いている内に何か気が付くかもしれず、この疑問はこのままにしておきます。ただ、マイノリティ、少数者も文字通り「数が少ない」だけで所変われば多数であることもある、相対的な枠組みであること、それから人命とか人権は理想的には所変わっても限り無く尊重されるべきもので相対的な価値ではないと思いたいものです。

 演出は単純に素晴らしいとは思い難いものでしたが、ケント・ナガノとバイエルンのオーケストラは特にプーランクの作品だけを指向するものでもなく、ワーグナー作品を演奏しているのと同じようだと思います。個人的にはこれにがかなり好感を持ち、歌手の方も原作とずれたような印象だったので余計に際立っていました。

 ロビン・ウィリアムズの映画(ハイスクールの教師役)に“ Dead Poets Society(今を生きる)というのがあり、LDとDVDで何度も観ていました。映像ソフトにするときにカットされた場面があるらしく、何とかそれを観たいとも思っていました。死因は自殺と見られているとのことですが、ロヴィン・ウィリアムズに限らず、何とかならなかったものかと思います。その映画の中でも教え子がピストルで自殺して、両親をはじめ友人や、ウィリアムズ演ずるジョン・キーティング、みんなが苦しんでいました。

11 8月

ベートーベンの第九 K.ナガノ、モントリオールSO

ベートーヴェン 交響曲 第9番 ニ短調 作品125 「合唱」


ケント・ナガノ 指揮

モントリオール交響楽団

モントリオール交響楽団合唱団
ターフェルムジーク室内合唱団
アイヴァース・タウリンス
(合唱指揮)

エリン・ウォール(S)
藤村美穂子(MS)
サイモン・オニール(T)
ミハイル・ペトレンコ(Bs)

(2011年9月7,9-10日 メゾン・サンフォニーク・ド・モントリオール  録音 Sony Classical)

140811a 台風が去って地元各地の影響が分かってきました。昨年冠水した嵐山の渡月橋周辺は去年ほどではなかったもののかなり危険な状態でした。宇治川はダムの放流量の加減で今日の花火大会が中止になりました。観覧席のある中洲・塔の島や打ち上げ場所の河原がかなり水に浸かって、いつまでこの水位が続くか分からないので延期もできませんでした。宇治川の上流、琵琶湖周辺も相当の降水量だったので仕方ありません。今日の夕方は晴れていたので、中止を知らない人が会場へ向かったためか、京都市から南へ行く道路はかなり混んでいました。公式HP等では昨夕に発表してましたが、ダムのことを知らない遠方の人なら「晴れたらできる」と思っても不思議ではありません。

 日系アメリカ人三世のケント・ナガノ、カナダのフランス語圏のオーケストラであるモントリオール交響楽団らによるベートーベンの交響曲シリーズは、残っていた第2、第4番も録音が終わり発売を待つだけになりました。過去記事でも何曲か取り上げたように、ピリオド奏法を取り入れた折衷的スタイル、ヴァイオリンの両翼配置という方法に加えて、各アルバム毎にベートーベンの作品の理念、その時代の精神と関係のある現代作品(戯曲等の朗読)を併せて収録する企画でした(タイトルも付けている)。第九のアルバムは、「僕の革命の友達は、どこへ行ってしまったのか」という朗読を英語、フランス語で収録して“ 人類の悲哀と人間愛 ” というタイトルを冠しています。

 この第九のアルバムはシリーズ第四弾(運命とエグモント、エロイカとプロメテウスの創造物、田園と第8番に続く)で、2011年に落成したモントリオールの新しいコンサートホールのこけら落とし公演のライヴ録音でした。このホールがモントリオール交響楽団の新たな本拠地となりました。

ナガノ・モントリオールSO(2011年)
①14分52②12分58③13分20④21分50 計63分00

ダウスゴー・SCOÖ(2008年頃)
①13分55②13分44③12分37④22分09 計62分25
P.ヤルヴィ・独室内POブレーメン(2008年)
①13分55②13分28③13分15④23分11 計63分49

140811b 上記のように今世紀に入ってからの室内オケ・折衷スタイルの第九のCDと併せて演奏時間・トラックタイムを並べると、三種は同じくらいの長さになっています。終楽章には終演後の拍手が入っているのでその分、約20秒は除きました。第二、第四楽章でナガノ、モントリオール響の録音が最も短くなり、第一、第三楽章はその逆になりました。また、下記のドイツ系の第九と比べるとやはり短めになっているのが分かります。潔癖とも言えるヴァントよりも短い演奏時間であり、明らかに室内オケ系の方に近い演奏時間なのが分かります。

ギーレン・SWRSO(1999年)
①14分06②14分27③13分26④22分35 計64分34
ヴァント・NDRSO(1986年)
①15分27②11分08③15分58④23分35 計66分08

 エロイカで初めてこのシリーズを聴いて以来基本的にナガノ-モントリオールSOのベートーベンは気に入っています。今回の第九も基本的には同じスタイルですが、とりわけ若々しい音楽に聴こえて、晩年の大作というよりこれから青春が始まるかのような、一種の良い意味での軽さも感じられます。合唱団は古楽系のターフェルムジーク室内合唱団(24名)も加えて総勢62名という大編成ですが、本当に一糸乱れぬ緊密ぶりです。オーケストラも弦、管ともに少なくとも小編成ではありません(木管は各4、ホルンとトランペットは4)。

 第一楽章の冒頭がきこえた時は、ビブラートを潔癖な程徹底的に廃して演奏しそうで退屈になるかと思いましたが、そうではなく「革命」と言う言葉を冠した朗読が併録されているのに肯かされます。第四楽章のコーダ部分について何か凝ったことをしているのかと思って聴いていると、心持加速しているかなと感じる程度で、普通に端正に演奏して終わっています。特に強調したりあおったりしないこのコーダからは、何もかもがこれから始まるのだからこれで良い、とでも言っているような説得力がありました。第九のコーダはどこかしら陳腐なものを感じると思っていましたが、発想が帰られたような気がしました(気分、主観の曖昧な話だけれど)。

10 8月

ベートーベン ミサ・ソレムニス カラヤン、ベルリンPO

ベートーヴェン ミサ・ソレムニス 二長調 op.123


ヘルベルト・フォン・カラヤン 指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ウィーン楽友協会合唱団


グンドゥラ・ヤノヴィッツ(S)
アグネス・バルツァ(MS)
ペーター・シュライヤー(T)
ジョゼ・ヴァン・ダム(Bs)
 
(1974年9月 ベルリン,フィルハーモニー 録音 EMI)

 台風が通過して雨も上がり、コオロギの大合唱がきこえています。「カマドウマ」という地味な昆虫は「便所コオロギ」という異名を与えられていましたが、あれは鳴くんだったかどうかと思いました。というのは自宅は手入れもしていない空地庭なので、ひょっとしたら鳴いているのは全部カマドウマかもしれないとチラっと思いました。昨夜の11時頃、戦時中の肢体不自由児童の学童疎開についての番組を見ていました。見ている内に腹が立って仕方がなく、チャンネルを変えたくなりましたが我慢して最後までみました。疎開先が見つからない、対象外とされたので学校で合宿しているところを見学した教職員が、無駄なことをして申し訳ないと思わないのかと口々に言ったという件では戦争になれば誰もおかしくなるのかとつくづく思いました。

140810 カラヤンの宗教曲演奏はジャンルとして特別視されず、十八番的なレパートリーとまでは見られていなかったかもしれません。それでも名曲名盤の類では一応はリストに入っていたはずです。カラヤンはこの曲をベルリンPOを指揮して1966年、1985年に録音していた他、1979年のザルツブルク音楽祭のライヴ映像もありました。それらはいずれもDGの録音・収録だったので、このCDは唯一のEMI録音です。手元にあるのは2008年に発売された“ Complete Emi Recordings 1946-84 Vol 2: Opera/Vocal ” のCD33、34に収録されたものです。枚数が多く、当初は見送っていましたが値下げしたものを見つけた時に購入していました。古い録音の廉価盤の購入もそろそろ打ち止め、ネタ切れになってきました。

*記事を公開してからコメントの指摘で分かりましたが、これ以前にフィルハーモニア管弦楽団を指揮した「1958年9月 ウィーン,ムジークフェライン大ホール 録音 EMIというのがあり、同じ箱物CD:15,16に入っていました。重複して持っている音源以外、大半が未聴なので見落としていました。

 実際に聴いてみると本当に宗教作品らしいと感心するミサ・ソレムニスになっていて、クレンペラーのEMI盤の対極のような演奏だと思いました。この箱物でCD32、33に同じくベートーベンのオペラ「フィデリオ」が入っていて、それも似た印象で、ミサ・ソレムニス以上に磨き抜かれてガラス張りの部屋に音が響くような独特の美しさでした。

 ミサ・ソレムニスはベートーベンのピアノの弟子だったルドルフ大公が大司教に就任する時、その祝賀用に作曲したものです。就任式には間に合わなかったものの大公に献呈しています(大公トリオ等も同様)。各楽曲とも演奏時間が長い大作であり、ウィキによればオーストリアでは稀にミサの際に使われる程度となっています(それでも使うことがあるというのには驚き)。実際にミサで使われないというのもうなずける作品で、それは単に長いというだけではなく、「神に向かう祈り」という作風とはちょっと違うと感じていました。抹香臭くない、それらしくない、教会の典礼という枠組みには収まり切らない内容、むしろいろいろな垣根を越えていきそうな、水平に広がっていく音楽といった印象です(個人的には)。
 
 そんな作品観とぴったりすると思っていたのがクレンペラーのEMI盤でしたが、このカラヤンの録音では逆に、徹底して磨き抜かれた音が大きな聖堂の高い天井にこだまするような、所々でモーツアルトのレクイエムの響きを思い出す流麗な音楽に聴こえます。

9 8月

ヘンデル「メサイア」 コリン・デイヴィス初回録音

140809bヘンデル オラトリオ 「メサイア」 HWV.56


コリン・デイヴィス 指揮
ロンドン交響楽団
ロンドン交響合唱団


ヘザー・ハーパー(S)
ヘレン・ウォッツ(A)
ジョン・ウェイクフィールド(T)
ジョン・シャーリー=カーク(BS)


チェンバロ:レスリー・パーソン
オルガン:ラルフ・ダウンズ
トランペット:ウィリアム・ラング

(1966年7月 イギリス,ワトフォード・タウン・ホール 録音 旧フィリップス)

 サー・コリン・デイヴィス(1927-2013年)は、ヘンデルのオラトリオ「メサイア」を三度録音していました。デイヴィスが39歳になる1966年に録音されたこのCDが一回目の録音にあたり、先月に取り上げたボールトが同じロンドンSOらを指揮した録音と同じくこの曲のスタンダード的なレコードでした。今となっては古いスタイルといえますが、モダン・オケによるメサイアの新譜が見られなくなったで逆に新鮮です。この録音は今年に入ってブルーレイ・オーディオで復刻されたのでイギリス等では元々敬意をもって聴かれていたレコードだったのだと思います。

 メサイアと言えば古楽器オケというのが定着して、何となくこういう古い録音を聴きたいとは思いませんでしたが、今年になって何故か急に思い出したように聴きたくなりました。旧約聖書に「エゼキエル書」という頁数の多い預言書があります。それの第37章で、谷におびただしい古い人骨が散らばっている光景が描かれていて、預言者エゼキエルが神の命に従いその骨に向かって預言すると筋肉、筋、皮が生じて人間が再生されます。それはイスラエル民族の救いの象徴という描かれ方でしたが、化石の一歩手前の骨々が再生される、命が吹き込まれるというのは演奏とか芸術的な行為を連想させられます(預言書の趣旨からは外れるが)。

140809a 同年代に録音されたボールト盤がかなりゆっくりとした個性的な演奏だったのに比べて、若い(当時若かった)デイヴィスの方は速目の楽曲と緩徐章的な楽曲のメリハリが効いて、より劇的な印象でした。レチタティーヴォのところ、「万軍の王、主はこう言われる」に続いて肝心の神の言葉が歌われるわけですが、聖書の記述と神の言葉そのものでアクセントを変えてオペラのセリフのような起伏を付けています。これは同じく1960年代に録音されたボールト、クレンペラーでは目立たなかった表現です。また、ハレルヤ・コーラスは極端に壮大さを強調しないで、かえってアーメン・コーラスでピークに持ってくるような扱いでした。国王ジョージ2世がこの演奏を聴いたら、起立したのはアーメン・コーラスだったかもしれません。

 古い録音のため音質は今一つですが、所々でデイヴィスの気合を入れる声が聞こえてきます。例えば第一部、五曲目の“ Thus saith the Lord of Hosts(まことに、万軍の主はこう言われる) の直前でそれが聞き取れます。デイヴィスはこの後、1980年代にバイエルンRSOらと、今世紀に入ってまたロンドン交響楽団と古楽系コーラスであるテネブレ合唱団らとライヴ録音しました。「メサイア」に対してよほど共感、思い入れがあるのかもしれません。

 今日は台風の影響で一日中雨で薄暗く、その余慶でかなり涼しく過ごせました。おかげで目がさめたのは十時半でした。日没後は早くもコオロギの鳴き声がきこえ、このまま秋になってくれればと勝手なことを思っていました。ここ五、六年くらいの雨の降り方が衝撃的になり、今日も夜明け前から午前中ずっと降りっぱなしなので、エリア・メールの土砂災害の警告が着信しました。これから明日にかけて油断できません。

8 8月

スクリャービン「プロメテウス-火の詩」 ゲルギエフ

140808aスクリャービン 「プロメテウス-火の詩 (交響曲 第5番)


ワレリー・ゲルギエフ 指揮
マリインスキー劇場管弦楽団
マリインスキー劇場合唱団
アレクサンドル・トラーゼ:ピアノ
 
(1997年7月 フィンランド,ミケッリ・ホール 録音 旧フィリップス)

140808b 「プロメテウス - 火の詩」はアレクサンドル・ニコラエヴィチ・スクリャービン(1872-1915年)の代表作交響曲「法悦の詩」Op.54の二年後、1910年に作曲された最後の管弦楽曲でした。初演は1911年にモスクワでクーゼヴィツキーの指揮、作曲者のピアノによって行われました。ただ、この時は「色光ピアノ」という鍵盤を押すとそれに対応する光が投影される発光器は使用していません(作曲者は使わなくても可としている)。それを用いた初演は1915年にニューヨークで行われています。スクリャービンはラフマニノフより一年先に生まれ、ストラヴィンスキーやショスタコーヴィチより十年以上年長だったわけですが、今一つ活動した時代をイメージし難いものがありました。同時期の作品にはマーラーの交響曲第8番とかヴォーン・ウィリアムズの「海の交響曲」があります。

 「プロメテウス-火の詩」は交響曲第5番とも呼ばれますが、単一楽章の曲で管弦楽とオルガン、ピアノとハミングの合唱という大編成で分類し難い作品です。「法悦の詩」で無調に踏み出して「神秘和音」を確立し、「プロメテウス-火の詩」でもその作風に拠っています。実際聴いていて何とも言い難い作品で、例えばショスタコーヴィチの交響曲のように突き刺さるような尖った印象とは違い、本当に神秘的な要素がこぼれる作品です。スクリャービンの交響曲第2番(ハ短調 作品29、無調ではない)は京都市交響楽団の定期公演(ゴレンシュタイン指揮)で聴くことができました。

 プロメテウスは作曲技法だけでなく、ルドルフ・シュタイナーの神智学に傾倒していました。「プロメテウス」とは「3.11-福島」以降しばしば見かける名前で、ギリシャ神話の神の名前です。ゼウスの命に背いて神々の火を人間に与えた存在です。この作品ではプロメテウスを英雄視してほめたたえています(歌詞はないが)。

 このCDはゲルギエフ指揮のストラヴィンスキー「火の鳥」とカップリングされていて、スクリャービンは余白を埋める的な位置付けのようです。ちなみに「春の祭典」は「法悦の詩」とカップリングです。

 「プロメテウス」ついでにこの夏はあまり節電云々と言いません。2011年は府庁の本庁舎の執務時間変更の知らせがまわってきた程でした。ただ、地下鉄や私鉄の車内温度は高目にしてエアコンは控え目のままです。それにしても原発の「全電源喪失」という事態の恐怖は再認識させられ、大陸の奥深い場所で津波、洪水の心配が一切無くても原子炉の冷却が出来なくなれば爆発の危険があるわけです。

7 8月

ベートーベンの田園交響曲 カンブルラン、SWRSO

ベートーベン 交響曲 第6番ヘ長調 op.68「田園」


シルヴァン・カンブルラン 指揮
バーデン=バーデン・フライブルクSWR交響楽団


(2007年1月24日 エッセン,フィルハーモニー ライヴ録音  Glor)

140807a このシーズンはちょくちょく花火大会があるので夕方以降思わぬところで渋滞が発生します。かなり前から花火は関心が限りなく薄くなっているので、雑踏と騒音、振動が苦痛なだけだと内心思っています。とりあえず宇治川花火大会は11日に開催予定です。幼稚園くらいの頃、花火のある種類のものがヒューとか細い音を立てるのを母が聞いていて焼夷弾が落ちて来る音みたいだと言っていました。それはともかく、騒音と紙一重なペンデレツキのトーン・クラスター書法や目も眩みそうなメシアンの作品に対して、ベートーベンの田園交響曲のような作品を聴けば一息つけそうなくつろいだ気分になります。

交響曲第6番ヘ長調
第1楽章Allegro ma non troppo ヘ長調
「田舎に到着したときの晴れやかな気分」
第2楽章Andante molto mosso 変ロ長調
「小川のほとりの情景」
第3楽章 Allegro - Presto ヘ長調
「農民達の楽しい集い」
第4楽章Allegro ヘ短調
「雷雨、嵐」
第5楽章Allegretto
「牧人の歌−嵐の後の喜ばしく感謝に満ちた気分」

140807b 日本でもお馴染みのフランス人指揮者カンブルランは、ロスバウトやブールからギーレンへと引き継がれたバーデン・バーデンのオーケストラの首席になっていたので、この人も作曲家兼指揮者かと思えばそうではなく、トロンボーン奏者としてキャリアを始めていました。偏見の一つですが楽器の演奏者よりも作曲家系の指揮者の方に期待してしまい、CDでカンブルランを聴くのはだいぶ遅れてしましました。二、三年前に読売日本交響楽団の就任披露・関西公演ではストラヴィンスキー、モーツアルト等を聴けて、現代音楽ばかりでなく古典のレパートリーも良さそうだと思いました。

 この田園は後半の三つの楽章が特に魅力的で、第4楽章のティンパニの連打から終楽章のコーダまでは朗々とオーケストラが鳴って、不思議と幸福な気分にひたれます。第1楽章はやや前のめり、速目にきこえますが全体的にピリオド奏法の要素は抑え目です。田園の場合は他のベートーベンの交響曲に比べて穏健な表現になる傾向が見られます(ケント・ナガノもそうだったが、それでも魅力的)。

カンブルラン・SWRSO(2007年)
①10分35②11分06③5分13④3分39⑤09分19 計39分52
ギーレン・SWRSO(1997年)
①10分19②12分35③5分13④3分58⑤10分23 計42分28
アバド・BPO(2001年)
①11分33②10分40③5分08④3分25⑤08分34 計39分20

 同じオーケストラを十年前にギーレンが指揮したものとは第2、5楽章で演奏時間に差が出ています。ギーレンも旧録音と比べて普通?になって、上記の三つの録音はあまり違いが無くなったような気がします。非ドイツ圏の指揮者、オーケストラが演奏するベートーベンのレコードは昔からありましたが、現代ではそうした組み合わせの妙は薄まったかもしれません(グローバル化と呼ばれて久しいので当然か)。

QRコード
QRコード
タグクラウド
タグ絞り込み検索
最新コメント
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

プロフィール

raimund

昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

メッセージ

名前
本文
アーカイブ
twitter
記事検索
カテゴリ別アーカイブ
  • ライブドアブログ