エマニュエル・ヴィヨーム 指揮
スロヴェニア・フィルハーモニー管弦楽団
(2010年12月 リュブリャナ 録音 Timpani)
異様に長く感じられた今年の八月も今日で終わりです。このCDは作曲者も演奏者もあまり馴染がありません。しかし、指揮のエマニュエル・ヴィヨームは先日来話題にしているフランスのストラスブール出身でした。1964年生まれでヨーロッパの歌劇場で経験を積み、日本でもN響に客演するなど東京でコンサートや舞台公演へよく行く人にはそこそこ知られていたのかもしれません。オーケストラの方は旧ユーゴのソロヴェニアのオーケストラで、マタチッチが指揮した録音で名前を見たくらいの記憶しかありません。レーベルも知らない名前ですがこのCDは音質、演奏ともどもなかなか良いと思いました。
モーリス・エマニュエル(Marie François Maurice Emmanuel:1862年5月2日 - 1938年12月14日)というフランスの作曲家は、カントルーブの「オーヴェルニュの歌」にカップリングされていた作品(ボーヌ地方のブルコーニュの歌)で知りました。シャンパーニュ地方南部のバール・シュール・オーブに生まれ、1869年にブルコーニュ地方の古都ボーヌへ移住しています。少年時代をそこで過ごしてからソルボンヌ大学とパリ音楽院で学びました。音楽院では音楽史と作曲を学び、当初は音楽史・音楽学の方がメインでした。作曲の師はバレエ音楽で有名なレオ・ドリーブで、エマニュエルが古楽に興味を持ち、教会旋法を用いた曲を書いたりするのでドリーブはエマニュエルの作品を理解しませんでした。だからローマ大賞への応募も認められませんでした。カントルーブのCDに収録されていた作品からも分かるように、フランスの民謡を研究する活動も行っていました。エマニュエルは音楽院でドビュッシーと同級生(歳も同じ)になり、以後長く交流が続きます。
エマニュエルの作風は当時のオペラ座のバレエやオペラともサロン音楽とも違い、ドビュッシーとも違って独特でした。1904年にサン・クロチルド教会の音楽監督に就任しますが、グレゴリオ聖歌の復興をめざしたため解任されます。その後にパリ音楽院の音楽史の教授に就任し、メシアンらを教えることになります。グレゴリオ聖歌の復興が司教団の逆鱗に触れたのか、第二ヴァチカン公会議前なのにどういう経緯だろうと思いました。
Symphony No. 1 in A Major, Op.18
第1楽章:Tranquillo molto - Allegro, leggero e giocoso
第2楽章:Adagio molto
第3楽章:Allegro con fuoco
フランクの交響曲と同じく三楽章で構成されるこの曲は、25分弱の演奏時間の比較的短い作品です。フランクよりもダンディの作品と似ています。アンチ・ドビュッシーのダンディの作風と似ていると言ったのにそれと矛盾しますが、ドビュッシーのオーケストラ作品の響きを思わせる部分もありました。