raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

2014年07月

31 7月

ベートーベン交響曲第1番 アントニーニ、バーゼル室内管

ベートーベン 交響曲 第1番 ハ長調 作品21

ジョヴァンニ=アントニーニ 指揮
バーゼル室内管弦楽団


(2004年11月29-30 ルツェルン文化・会議センター 録音 OEHMS)

 今朝業務の一環で交換したファイルを印刷しようとした時、一種類だけアイコンが変な表示になっていてPCに当該ファイルのソフトが入っていないのに気が付きました。せっしょうなとか口に出さないで思いつつ何のソフトかとよく見れば、ワープロソフトの一太郎でした。これはヴァージョン12くらいのをインストールしていたことがあったので、棚の中を探して見つけ、インストールできました。一時期はATOKの方がかしこいとか言われて日本語入力だけそれを使う人が居て、ワープロも一太郎もけっこう見られたのを思い出しました。

140731b 昨日のベートーベンの交響曲第4番と第1番とではどちらも二管編成ながら、第4番はフルートが一本少なくてwikiの説明によれば九つの交響曲中で最少編成だと書いてありました。新旧含めていろんな演奏を聴いて多少なりとも残っている記憶からすれば、交響曲第4番はそんなに音が小さいとか小規模といった印象ではないので意外でした(最少編成といってもちょっとの差だが)。オーマンディとフィラデルフィア管弦楽団のイタリア公演では、ベートーベンの交響曲第7番の演奏時にトランペットを倍に増やしていたという話(ムーティの自伝)もあり、1960-1980年くらいのレコードではトランペットでなくても楽器を増やしているという例はあったはずなので、ピリオド系で同じ演奏者による両曲を続けて聴けば、第1番と第4番の編成・楽器の多さの違いの妙が分かるかな(分からないだろうな)と思いました。

140731a アントニーニのベートーベンは繰り返すと次のような特徴がありました。①ナチュラル・トランペット、ナチュラル・ホルン、ケトル・ドラムを使用。②弦楽器の全てにガット弦を張り、弓はクラシカル・ボウを使用。③ヴァイオリンは 6人+ 6人の小編成に対して、チェロ4人とコントラバス3人とやや多目の編成。①と②は似たことを実践している録音はあり、楽器の違いや奏法の徹底度とかで違ってくるはずです。その中で③のチェロ、コントラバスの増員は効果てき面だろうと想像がつき、その点は第1番では特にはっきり実感できます。第1番と第2番とカップリングした今回のCDがシリーズ第一弾で、Oehms から出ていました。

 第二弾はエロイカと第4番を一枚ずつ収めた昨日のCDで、レーベルがSONYに変わりました。また、SACD仕様があったのはここまでで、第5番以降は通常のCDだけになりました。せっかくマルチチャンネルで一応再生できるようにしたのでそれで再生したところ、弦の響きに埋もれないで管楽器もよく聴きとれて、どうせならSACDで続けて出してくれればと思いました(音量を上げて聴けないのが残念)。

アントニーニ・2004年
①8分52②7分30③3分21④5分41 計25分24

インマゼール・2007年
①8分51②7分05③3分17④5分43 計24分56
ブリュッヘン・1984年
①9分53②8分14③3分44④6分08 計27分59

 上記はアントニーニとピリオド・オケによる新旧二種の録音のトラックタイムです。楽器、編成から奏法、ピッチに至るまでベートーベン時代の演奏を再現することにこだわったインマゼールとアントニーニが演奏時間で近似していました。ブリュッヘンとは意外に差が出ています。交響曲第1番は1800年、ベートーベン(1770-1827年)が30歳になる年に作られて同年4月に作曲者自身の指揮によって初演されました。ベートーベンと世代、活動時期が重なる作曲家にパガニーニ(1782-1840年、西洋人に干支で計るのもあれだけど一回り若い)がいました。24のカプリースが出版されたのは1820年という記載を読んだ時、ベートーベンとパガニーニはあまり重ならない、どちらかの作品を聴いている時にもう一方を思い起こしたりはしないので、世代が重なるのが妙な縁だと思いました。

30 7月

ベートーベン交響曲第4番 アントニーニ、バーゼル室内管

ベートーヴェン 交響曲 第4番 変ロ長調 op.60


ジョヴァンニ・アントニーニ 指揮
バーゼル室内管弦楽団


(2007年9月21-24日 バーゼル・シュタットカジノ・音楽ホール 録音 SONY)

140730a クリスマス・ケーキと同じ要領で土用丑の翌日になれば蒲焼が廉売されているということはなく、そもそも品薄なので品質ともにあまり期待できません。ネットのニュース欄に鰻の代わりに鯰の蒲焼という見出しが目に入りました。正真正銘の鯰は簡単には釣れず、同じナマズ目でも子供の頃は専ら「ギギ」という毒針を持つ魚しかかかりませんでした。ちょっと調べると、このギギもから揚げなんかにすれば食べられるようで、釣り人が外道(釣りの対象魚ではなくかかってほしくない魚)として嫌う程は害の無い魚かもしれません。ギギ以外でもケタバス、ヒガイとか不味くない淡水魚は淀川水系にはけっこう棲んでいるので、食糧難の時代になればそれらを自前で調達しなければならないかもしれません。

交響曲 第4番 変ロ長調 作品60
第1楽章 Adagio- Allegro vivace
変ロ長調
第2楽章 Adagio 変ホ長調
第3楽章 Allegro molto e vivace 変ロ長調
第4楽章 Allegro ma non troppo 変ロ長調

140730b ここ十年くらい、ベートーベンの交響曲の中で第4番は第6番「田園」と双璧くらいに好きな曲です。この交響曲の場合、ピリオド・オケが盛んになっても響きの厚み、特に低音部のそれが足らないと感じられて、室内オケの折衷スタイルでも物足らない、どこか不満が残りました。過去にブログで取り上げたのもモダンオケの録音ばかりでした。アントニーニ指揮のバーゼル室内管弦楽団のベートーベン・チクルスは、ガット弦にクラシカル・ボウの弦楽器、ナチュラル・トランペット、ケトル・ドラムという編成だけでなく、ヴァイオリンは左右両翼配置、さらに弦の低音を増員(どの程度なのか)するという独自のスタイルで演奏しています。そのために同様のスタイルのベートーベン演奏の中では比較的厚みのある響きで、従来の感覚の延長で聴いても魅力的です。それにブリュッヘンの18世紀オーケストラのような濁らせたような音色でなく、流麗に聴こえます。

アントニーニ・2007年
①11分15②09分18③5分30④6分24 計32分27

クレンペラー・PO・1957年
①12分25②10分00③5分50④7分31 計35分46
ワルター・コロンビアSO・1958年
①09分42②09分51③6分12④5分51 計31分36
セル・クリーヴランド管・1963年
①10分00②09分47③5分56④5分57 計31分40

 クレンペラーら往年の巨匠の録音と演奏時間を比べてみると、リピート有無の差もあってアントニーニが極端に短いということにはなっていません。それでも第四楽章は結構速目に感じられて、序、破、急のように最後に速くなって終わるという楽章のバランスです。クレンペラーの第4番とは演奏時間の差以上に聴いた印象は違っています。

 アントニーニのベートンベンは途中でレーベルが変わり、発売が中断していましたがあと第九一曲を残すのみとなりました。もとは管楽器奏者、バロック音楽が活動のメイン(この点はブリュッヘンと似ている)なので、メジャーなオーケストラの指揮者に比べて知名度は劣るのによくぞチクルスを続けてくれたと制作側にも感謝です。

29 7月

レイホヴィッツ指揮ロイヤルPO ベートーベン交響曲第1番

ベートーベン 交響曲 第1番 ハ長調 作品21

ルネ・レイボヴィッツ 指揮

ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団


(1961年4月 ロンドン,ウォルサムストウ・タウン・ホール 録音 Scribendum-Chesky)

  うちの墓地を管理している寺の盂蘭盆会がいつの間にか八月から七月になりました。八月だと翌月にはすぐお彼岸になり、供養料の集まりが良くないからだとか私が言ったのでなくまわりでそんなことを冗談まじりに言っていました。盂蘭盆は元来旧暦の七月十五日に供養を行ったということなので、本来の姿に戻っただけなのでしょう。wikiの解説を見ると「明治5年(1872年)7月に京都府は盂蘭盆会の習俗いっさいを風紀上よくないと停止を命じたこともあった」と書いてあり、かなり驚きました。これは廃仏毀釈の影響なのか、今では考えられない感覚です(バレンタインとかクリスマスの方がむしろ)。正真正銘梅雨が明けたような暑さに切り替わった昨日、今日の二日ですが、今日は土用の丑の日でした。

140729b 少し前に、気分はベートーベンの交響曲第1番に注意が行っていたところ、マゼールの訃報が入り車の中とかで聴く曲が変わり迷走していました。特に規則的に一定の曲目を取り上げているのではありませんが、しばしばしり取り的に関連性のあるCDが続くことがありました。今回はクレンペラー同様にユダヤ系であり、作曲家としても知られたルネ・レイホヴィッツのベートベンです。クレンペラーはシェーンベルクら新ウィーン楽派ともストラヴィンスキーやヒンデミットらとも親交があり、どちらも作曲理論も認めていました。シェーンベルクとヴェーベルンらに作曲を学んだレイホヴィッツは、もっぱら新ウィーン楽派の方に傾倒していたようです(アンセルメとは逆か)。

 ベートーベンのメトロノーム指定を守って演奏した最初のベートーベン交響曲全集として知られたルネ・レイホヴィッツ指揮、ロイヤル・フィルによる録音は最近また再発売されたようです。ピリオド・オケが当たり前になった昨今、室内オケもその奏法や楽器を取り入れるようになったので、レイホヴィッツのベートーベンが再度注目されているのかと思いましたが、実際に聴いているとやはりそれなりの古さ(1960年代のものと実感するかはともかく)を感じます。音質は仕方ないとして、編成・楽器の多さも影響するのだと思います。

レイホヴィッツ・ロイヤルPO・1961年
①8分20②6分05③3分12④5分42 計23分19

クレンペラー・PO・1957年
①9分52②8分53③4分05④6分18 計29分08
オーマンディ・1964年
①9分33②7分04③3分55④6分07 計26分39
セル・CO・1964年
①9分16②6分54③3分48④5分46 計25分46

140729a 上記四人はヨーロッパで生まれ、学んだユダヤ系の指揮者であり、ベートーベン演奏においてもそれぞれ注目されました。オーケストラは非ドイツ圏のイギリス、アメリカです。演奏時間の合計はクレンペラーが最長、レイホヴィッツが最短になっています。6分以上も演奏時間に差があれば水と油とまでは言えなくても、かなりの違った演奏になりそうです。しかし改めて聴くとそうでもなくて、クレンペラーのEMI録音のLPを聴いてはじめてこの曲が好きになった私が聴いてもレイホヴィッツの演奏は拒否感のようなものは全く感じられず、これはこれで普通に使われる意味でもベートーベンらしいものだと思います。両者が同じオーケストラを同じ会場で指揮して演奏するのを聴いてみたかったと思えてきます。

 かつてクレンペラーが戦後、ベルリンPOに客演してベートーベンの交響曲第4番を指揮した際、直前にカラヤンも同じ曲を指揮していたので支配人のシュトレーゼマンがそれを覚えていて、両者の演奏が「あらゆる点でまったく違っていた」とクレンペラーに告げました。行くところ不可ならざる事無しなカラヤンと、トラブルメーカーで躓きがちなクレンペラーですが、トスカニーニの演奏を模範としている点は共通しているので、これは面白い話です。

28 7月

クレンペラー作曲の弦楽四重奏曲第7番

オットー=クレンペラー作曲 弦楽四重奏曲 第7番


フィルハーモニア弦楽四重奏団
 
(1970年2月 Abbey Road Sutdios 録音 EMI)

 
140728bヘイワース: ひとつうかがいます。失礼な質問だとお思いになることはないと存じますが、先生はご自身をたまたま作曲もする指揮者であるとお考えですか、それとも不当に無視されてきた作曲家であるとお考えでしょうか。
クレンペラー: たいへんむずかしい質問で、わたしには少ししか申し上げられません。わたしは作曲もする指揮者です。もちろん指揮者としても作曲家としても記憶されればうれしいですが、思い上がったりせずに、ただよい指揮者としてだけ記憶してほしいものだと思っています。人びとがわたしの作品を感銘の薄いものだと考えるなら記憶されないほうがよいのです。
*ヘイワースの質問に対して時間の猶予を求め、別の機会に回答した。

 マーラーやリヒャルト・シュトラウスは既に大作曲家として不動の地位を得ていますが、生前は指揮者としても活躍していました。それは自作を演奏するだけでなく、モーツアルトやベートーベン、ワーグナーの作品を見事に、創造的に、独自の方法によって演奏していました。その一方で十九世紀生まれの巨匠と呼ばれる指揮者の中には作曲に力を入れていた人もいますが、今ではほとんど指揮者として記憶されています。クレンペラーもその一人で、9つの弦楽四重奏曲を残しています。弦楽四重奏曲第2番は1968~70年に作曲され、1970年5月19日、バルトーク弦楽四重奏団によって初演されました(セント・ジョーンズ、スミス・スクエアー)。この録音はクレンペラー作曲の交響曲第2番と併せてLPとして発売されていました。録音データから、初演前に収録されたことが分かります(データが間違っていないなら)。

String Quartet No.7
第1楽章:Fuga(Moderato)
第2楽章:Scherzo(Vivace)
第3楽章:Intermezzo(Alla marcia)
第4楽章:Adagio

 弦楽四重奏曲第7番はクレンペラー最晩年の作品だけあって特に終楽章はベートーベンの後期作品に通じるような趣が所々見え隠れします。演奏時間は全体で約23分(第四楽章が10分弱、第一楽章が6分強、第二楽章が3分20秒弱、第三楽章は3分50秒強)になります。全体的には角が取れて、静かになったヒンデミットという感じで、全曲を通じて何を表現したいのかよく分からない気がします。そもそも表現内容云々よりも、あるがままの心境を示しているだけかもしれません。終楽章のコーダ部分も消えそうになるフレーズを繰り返し、静かに閉じられます。およそ客席を意識したようなてらいのようなものが全然ありません。

140728a LPが日本国内盤で出回ったのか分かりませんが、手元にあるのはマーラーの交響曲第7番が最初にCD化された時に余白に収録されたものです(マーラー第7番、クレンペラーの交響曲第2番、弦楽四重奏曲第7番)。クレンペラーの作品では交響曲第1番をクレンペラー自身がアムステルダム・コンセルトヘボウを振ったLPを指揮したライヴ録音が結構印象に残っています。途中ラ・マルセイエーズの旋律が引用されていますが、派手なコーダが無く、素っ気なく途切れるように終わるところがいかにもだと思いました。作品の傾向が彼の指揮する演奏のスタイルとやはり通じるものがあり興味深いものがあります。ただ、現在でもクレンペラーの作曲家としての評判はごく地味なもので、それが不当だとまでは言い難いとは思います。今後小説等で象徴的に取り上げられるとかすれば、あるいはCDが増えたりするかもしれません。

27 7月

チャイコフスキーの悲愴交響曲 デュトワ、モントリオールSO

チャイコフスキー  交響曲 第6番 ロ短調 作品74 「悲愴」


シャルル・デュトワ 指揮
モントリオール交響楽団


(1990年6月 モントリオール,サン·ユスターシュ教会 録音 DECCA)

140727 二日続きの猛暑日から一転して曇天、にわか雨の日曜日で気温も10℃近く下がって一息つけました。雷も鳴っていましたが、昔から梅雨があける時には雷が派手に鳴るとか聞かされていたのを思い出し、その法則から判断すればまだ梅雨はあけきっておらず、もう一回豪雨が来るかもしれません。こういう鬱陶しい気候に時期にはチャイコフスキーの悲愴交響曲が似つかわしいと、昔から勝手に思っていました。そこで、手近な場所に積んであったCD群の中にデュトワ、モントリオールSOの悲愴が見えたので久々に聴いてみました。これはブログを始めてから何度か聴いて、取り上げようかと思いながら、聴いても良くも悪くもこれといった感想が湧かないので放置していました。

 あらためて聴いてみても録音会場とか、マイクとかそうした環境の影響もあってか何となく淡泊に聴こえ、つい集中が途切れて気が逸れてしまいそうでした。演奏時間を比べればロストロポーヴィチと同じくらいなので、特別に並はずれたものにはなっていません。「悲愴」というタイトルにとらわれない演奏ならクレンペラーとフィルハーモニア管のセッション録音がありましたが、終楽章だけに注目してもデュトワの方が遅めで、派手な第三楽章は逆なのでかなり普通な演奏をしているはずです。自分の好みとしては、特に第四楽章は思いっきり濃厚に、全体とのバランスが悪いくらいにするか、乾いて、情感を干乾しにしたような演奏か両極端なスタイルに惹かれます。

デュトワ・1990年
①19分12②7分46③08分38④10分22 計45分58

ポリャンスキー・RSSO・1993年
①19分38②8分35③10分00④12分11 計50分24
スヴェトラーノフ・セッション録音1993年
①20分34②8分20③09分36④11分57 計50分27
ロストロポーヴィチ・LPO・1976年
①18分47②7分42③08分56④09分36 計45分01
 
クレンペラー・PO:1961年
①18分18②8分32③10分50④09分30 計47分10 

 
 シャルル・デュトワもかなりの歳になっているはずだとN響時代なんかを思い出して調べたところ、1936年(昭和11年)生まれなので今年78歳を迎えます。チャイコフスキーの序曲1812年の録音にシンセサイザーを使ったと言う話もあり、妙に気になって一時期デュトワのチャイコフスキーを集めようとしたことがありました。交響曲第5番と6番が国内の廉価盤で入手できた他、白鳥の湖、序曲1812年他も出ていました。チャイコフスキーの作品はロシア系の指揮者がイギリスのオーケストラを振るという組み合わせが結構ありました。そのタイプの演奏に慣れたせいか、デュトワのチャイコフスキーは、今さらながら、親しみは薄く感じました。

 モントリオール交響楽団と言えばケント・ナガノの時代になり、ベートーベンの交響曲に取り組んでいて個人的にそれはかなり気に入っています。でも1980、90年代にデュトワの録音で聴く音とはかなり違って(レパートリーも違うのだから当然)興味深いものがあります。

26 7月

メサイア・ドイツ語歌唱 ルチア・ポップ、マリナー

140726ヘンデル オラトリオ「メサイア」 HWV.56(ドイツ語歌唱)


サー・ネヴィル・マリナー 指揮
シュトゥットガルト放送交響楽団
南ドイツ放送合唱団


ルチア・ポップ:ソプラノ
ブリギッテ・ファスベンダー:メゾ・ソプラノ
ロバート・ギャンビル:テノール
ロベルト・ホル:バス
 
(1984年5月24-30,7月19日シュトゥットガルト,スタディオ・ベルク 録音  Emi Electrola)

 京都市の最高気温が38℃を超えました。気温が自分の体温を超えるとさすがにこたえます。今日が土曜で助かりました。一昨年か去年の8月下旬に塩入りのアイスキャンディーというのがスーパーに置いてあり、ベースはパイナップルがレモンかの果物の味で後味がスッキリして甘くないので、こういう残虐な猛暑日にはぴったりでした。でも一、二度店頭で見かけたきりでそれっきり見なくなりました。商品名や製造元をひかえて置けばよかったと思って、近隣のスーパーで注意して見てもやはり全く見かけません。

 歌詞が独逸語のメサイアはどういう方法で歌詞を整備したのかと思います。英語の歌詞はキング・ジェームス・ヴァージョンの聖書と国教会の祈祷書(詩篇の部分)をほぼそのまま使っているので、それに該当するドイツ語訳聖書の部分を当てはめているのか、英語歌詞を逐語訳的に言葉を置き換えているのか、詳しい説明は見かけたことはありませんが前者に近いように聞こえます(部分的に覚えているような単語が語順を変えて聞こえるので)。ただ、聴いているとやはり英語の方が力強く歌詞の内容が伝わる気がしてドイツ語の方は違和感を覚えます(ネイティブの話者でないくせに言うのもおこがましいが)。言葉のアクセントが違うというのもあるはずで、例えばバッハの受難曲を英語版で歌ったら問題があるだろうと思います(マルティン・フレーミヒはそんなことはない、バッハは日本語で歌ってもOKと言っているが)。

140726a このCDの場合はそうした理屈はどうでもよくて、ただルチア・ポップが歌っているというだけで購入しておこうと思ったものでした。当時のポップは四十代半ばにさしかかり、例えばスザンナから伯爵夫人にシフトしつつある頃でした。しかし、第一部の独唱曲(クリスマスの部分)は艶があってやはり魅力的です。ちなみにルチア・ポップが歌うのは第一部はNr.13,14,16の三曲の独唱とアルトとの二重唱のNr.17、第二部はNr.34のソロ一曲のみ、第三部はNr.40,46 の二曲です。ポップばかりに注目してしまいましたが、アルトのファズベンダーも出番は多くて、こんなにシリアスな歌唱だったのかとちょっと驚きました。

 メサイアも演奏された機会ごとに微妙に版が異なり、捨子養育院版、ダブリン初演版等々かなりの数の版が存在しています。LPやCDにはそれらの版が明記されていないこともあり、なかなか整理できません(個人のサイトでかなり網羅して調べてあるものがあった)。例えば第六曲、マラキ書3章からのアリア「But who may abide the day of His coming? 」は、このCDではアルトの独唱ですが、クレンペラーの全曲盤ではバスの独唱です。その他、オーケストラの部分でも細かい違いもあります。

140726b マリナーによるメサイアの録音なら1976年にアカデミー室内管弦楽団を指揮した英語歌唱の方が有名なので、このドイツ語版は日本ではあまり話題にならなかったかもしれません(そもそも国内盤が出たのかどうか)。実際メサイアをこよなく愛する私もこれが廉価CD化されるまで存在を知りませんでした。改めて聴いていると、古楽器の演奏が登場した後のためか、チェンバロの音が適度にきこえるくらいの絶妙な音量バランスで、素晴らしく心地良い演奏です。1960年代のボールトの録音を思い出すと、そのテンポはかなり速くて、軽快なリズムで対照的です。こういう演奏なら、全曲を通して公演しても疲れないように思えます。ともかく、ルチア・ポップを目当てにしていたのにマリナーの指揮も含めて予想外の素晴らしさでした。

25 7月

ブルックナー交響曲00番 ヤング、ハンブルクPO

ブルックナー 交響曲  ヘ短調 WAB.99 第00番


シモーネ・ヤング 指揮
ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団


(2013年2月22-26日 ハンブルク,ライスハレ 録音  Oehms)

140725 今日の最高気温は36.8℃という今年最高を記録しました。どうりで暑いはず、ちょっと銀行に行って帰っただけで汗だくになり、夕方には床に寝転んでダウンしていました(それでも痩せない)。ごく短い時間眠った後、パソコンのHD交換の手配とサマー・ジャンボを買う(今日が最終日)のを思い出して出かけました。パーツショップでデータ移行(ドライヴコピー)まで頼もうとしましたが、その店で買ったPCでなくてリースPCだったので高くつくためHDだけ購入の上、自分で作業することにしました。それから近くの宝くじ売り場へ行って戻る時、同じ場所でくじを買おうとした同業者に偶然会いました。「キンキン キンヨウまで~泰造、踊れ!」のCMは効果てきめんのようで、その人も今日が締切だったのを思い出したようでした。宝くじはかつて、勤めていた会社を辞めた年に一回に9万円を投じたことがありましたが、米粒程も当たりませんでした。一等が当たる確率は200万分の1よりも低いそうなので、その程度の投資では仕方ありません。ただ、その時の発表時の挫折感と後悔の念が強く長らくくじは買っていませんでした。

 録音の数が少なかったブルックナーのStudiensinfonie、通称交響曲第00番でしたが、このところマルクス・ボッシュ、シモーネ・ヤングが続けて交響曲全集の一環として録音しました。ブルックナー全集の場合第1番から9番の九曲か、せいぜい第0番(第1番と2番の間に作曲されていた)を含むまでなので貴重です。それにシモーネ・ヤングの方は第2-5番、第8番の第1稿を録音してから滞りがちだったので、0番に続き00番まで録音したからには全集は最後まで完成させるはずです。

交響曲 ヘ短調 WAB.99

第1楽章:Allegro molto vivace
第2楽章:Andante molto
第3楽章:Scherzo: Schnell
第4楽章:Finale: Allegro

 比較的新しい第00番のCDは下記のような演奏時間で、主題反復や省略の関係でけっこう差が出ています。今回のヤング盤はフリーベルガーの録音と近似しています。演奏自体はことさらブルックナーの後年の作品の特徴を示そうとしないで、ごく自然に演奏しています。だから、マルクス・ボッシュの時もそうでしたが、シューベルトやメンデルスゾーンらの交響曲と似た響き、呼吸が感じられます。

ヤング(2013年)
①14分36②11分50③5分20④10分10 計41分56
ボッシュ(2012年)
①11分04②10分18③5分08④09分59 計36分29
スクロヴァチェフスキ(2001年)
①10分40②12分26③5分06④08分00 計36分12
ティントナー(1998年)
①11分21②12分31③5分05④08分13 計37分10
フリーベルガー(1997年)
①14分23②10分03③5分01④10分52 計40分19
インバル(1992年)
①17分21②13分03③5分22④10分11 計45分57

 この曲は1863年に作曲され、第1番(初期稿)が完成する三年前の作品でした。ブルックナーはこれを習作として破棄しなかった代わりに改訂もされませんでした。そのため作曲者の生前には演奏されることは無く、20世紀に入ってから何楽章かを分けて演奏されました。ブログを始めて以降何度か第00番を聴いていると、第1番との間には大きな飛躍のようなものがあるようで、ブルックナーが習作として別の扱いにしたのも頷けます。それでも若々しい魅力が感じられるので破棄されずに良かったと思います。

 シモーネ・ヤングはブルックナー・シリーズを進めながら、マーラーとブラームスも並行して録音し出しました。段々とどの作曲家が本筋なのか分からなくなってきました。とりあえずプーランクの「カルメル会修道女の対話」も演出共々感動的でした。

24 7月

プ-ランク「カルメル会修道女の対話」 デルヴォー、パリオペラ座

プーランク 歌劇 「カルメル派修道女の対話」

ピエール・デルヴォー 指揮
パリ・オペラ座管弦楽団
パリ・オペラ座合唱団


ブランシュ:ドゥニーズ・デュヴァル
クロワシー(修道院長):
ドゥニーズ・シャルレィ
リドワーヌ(新院長):レジーヌ・クレスパン
コスタンス:リリアン・ベルトン
マリー(副院長):リタ・ゴール
司祭:ルイ・リアラン
マザー・ジャンヌ:ジャニーヌ・フーリエ

マチルド修道女:ジゼル・テスムーティエ
フォルス侯爵(ブランシュの父):ザビエル・デプラス
騎士フォルス(ブランジュの兄):パウル・フィネル、他

(1958年1月15-31日 パリ,サラ・ワグラム 録音 EMI)

140724 今日、7月24日は今年から祇園祭の山鉾巡行の二度目が行われるようになりました。しばらく途絶えていた形態が復活したということで、朝から交通規制が布かれました。ただ、参加する山鉾は17日の半数くらいなので宵山の歩行者天国も無く、控え目でした。日程が変わると勝手に思い込んでいたところ、夕方は還幸祭の神輿(三基もある)のために烏丸通の四条通から五条通くらいまでの車線が半分になりました。去年もうっかりこの時間帯に通ってしまい大渋滞に遭っていました。つい先日一度鷺舞は観たいと思っていたのに神輿の交通規制はチェックし忘れました(こういう時WCへ行きたくなったら車を止める所も無くて悲惨)。

 プーランクのオペラ「カルメル会修道女の対話」は、五月の連休中に
ハンブルク歌劇場のDVDを観てすっかりはまってしまいました。シリアスな内容なのではまるというのも語弊があります。探せばソフトはそこそこ出ていて、ドイツの歌劇場のものが複数あり、逆にフランスの劇場、オーケストラ等のもので入手し易いものはあまりありませんでした。これは台本の原典がドイツの小説「断頭台下の最後の女」だというのも理由かもしれません。そんな中でほぼフランス初演時のメンバーで録音した古い録音が復刻されていました。

 このオペラは1957年1月26日にミラノ・スカラ座で初演(イタリア語上演)され、同年6月21日にフランス語版がパリ・オペラ座で初演されています。続いてケルンにおいてドイツ初演が行われ、翌年1月にはコヴェントガーデンで上演される等、いずれも大成功でした。このCDはそうした作品に対する一種の念狂的な空気の中で録音されたものです。

 特にヒロインのブランシュ役のドゥニーズ・デュヴァルが素晴らしい歌声で、姿を見ることは出来ないけれど舞台上での姿が思い浮かびます(この録音以外で聴いたことはありませんが)。オペラの最後の場面は修道女がサルヴェ・レジナを歌いながら順番に断頭台で処刑される場面で、ギロチンの刃が落ちて来るのを音で描写しています。この録音ではその音が妙に生々しく、重たい刃が何かに食い込んで切り裂くような音がしています。その場面、第三幕第四場のところで行進曲風の序曲が入り、これが待ったなしに段取りが進み、時間が容赦なく過ぎるような残酷さを醸しています。

 Salve regina は元后あわれみの母という日本語歌詞でも歌われる聖歌で、修道院の聖務日課の一番最後の終課で歌われてきました。ブランシュは「キリストの臨終の苦しみのブランジュ」という修道名を自ら望んでいただいていました。しかし当初は修道院に残って殉教するのを恐れて逃げ、仲間が処刑されている時に戻ってきます。一方、殉教の筆頭発起人的な副院長マリーはブランジュを連れ戻しに出かけている時に踏み込まれたので、捕えられず生き残りました。この機微、運命の歯車の加減には色々なことを考えさせられます。

 ところで「カルメル会修道女の対話」のあらすじを初めて読んだ時、とりあえず解散して革命の風向きが変わってほとぼりが冷めた時に再結成すれば、くらいに思いました(さすが怠惰な俗人)。そのうちこの作品を何度なく聴いていると、修道会の「終生誓願」の重みなのかと思えてきました。そういえば直接関係ないけれど、使徒書簡のどこかに「時が良くても悪くても御言葉を宣べ伝えよ」というのがありました。

23 7月

シューマンの弦楽四重奏曲第2番 ケルビーニSQ

シューマン 弦楽四重奏曲 第2番 ヘ長調 作品41-2


ケルビーニ四重奏団
クリストフ・ポッペン:第1ヴァイオリン
ハラルド・ショーネバーグ:第2ヴァイオリン
ハリオルフ・シュリヒティヒ:ヴィオラ
マヌエル・フィッシャー・ディースカウ:チェロ


(1989年10月22-26日 バーゼル 録音 EMI)

 来月、NHKの語学番組「テレビでフランス語」に京都市内でアルザス料理のシェフをしているストラスブール出身のフランス人が出演するので、先にテキストを買ってどんな内容なのか見てみたところ、あまり頁をさかれていなくてモノクロ写真だけした。それでもアルザス(フランス北東部、ドイツとの国境付近)の伝統料理の実演はあるようです。語学番組と言ってもバラエティか旅番組の感覚で観ているので気楽なものです。番組に出演しているフランス人女性、マルゴ・マナンさんもストラスブール出身なのでアルザスの食文化を取り上げることになったのかもしれません。

140723 ひとはそれぞれ好みが違うものだと思いますが、自分の場合はシューマンの作品を聴こうかと思いついた場合それと同時に、「いや、ちょっとなあ」という躊躇する感情も微妙に付きまといます(シューマンごめん)。それでも実際に聴くとさらにもう一曲とか、続けて聴きたくなるような魅力はやっぱりあるものです。そのシューマンの室内楽の代表作ならピアノ五重奏曲が有名ですが、弦楽四重奏曲も三曲残しています。今回この曲に関心を持ったのは、クレンペラーがニュー・フィルハーモニア管弦楽団を指揮したシューマンの交響曲第2番の批評の中に、終楽章・コーダで引用される主題がヘ長調の弦楽四重奏曲(第2番のこと)と幻想曲作品17にも使われていると指摘されていたからです。その主題とは、ベートーヴェンの歌曲集「遥かな恋人に」の第6 曲‘ Nimm sie hin den, diese Lieder ’のテーマですが、当然そのメロディは覚えているはずもなく、その二曲ではどういう風に出て来るのかと気になりました。

 それでこのCDで弦楽四重奏曲第2番を聴いたところ、交響曲第2番のコーダが思い出せず(オイ!)指摘された妙もまだ分かりません。かといって交響曲のCDを出して来て交互に聴くという根気も無く、その内に気が付く、ということで棚上げしました。その前にベートーベンのその曲も分からないので、まずそこからでしょう。ただ、このCDの解説にはそういう「遥かな恋人に」の話は載っていないのでちょっとあやしいものです。

String Quartet No.2 in F Major
第1楽章:Allegro vivace
第2楽章:Andante, quasi variazioni
第3楽章:Scherzo: Presto
第4楽章:Allegro molto vivace

 
この曲はシューマンが室内楽曲を集中して取り組んだ1842年の作曲で、他の二曲の弦楽四重奏曲やピアノ五重奏曲も同じ時期の作品です。交響曲第2番はその三年後に取り掛かっています。三曲の弦楽四重奏曲の中では演奏頻度が低いようですが、全体的に明るく幸せな曲調で、後年の精神を病む云々のかげも感じられません。

 演奏しているケルビーニ四重奏団は、クリストフ・ポッペンが1978年に結成したドイツのカルテットです。全員が戦後生まれで、チェロは名前から察しが付く通りバリトンのディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウの息子です。結成の三年後にエヴィアン国際弦楽四重奏コンクールでグランプリを獲得しています。この四重奏団はあまり聴いたことがありませんでしたがシューマンの他にはメンデルスゾーンの四重奏曲全集も録音していました。

22 7月

ドビュッシー 交響詩「海」 ガッティ、フランス国立管

ドビュッシー 交響詩 「海」 三つの交響的素描


ダニエレ・ガッティ 指揮
フランス国立管弦楽団


(2011年7月11-20日 パリ,バスティーユ・オペラ 録音 SONY)

 夕べは就寝前に残っていた「水出し煎茶」をがぶ飲みしたせいか、午前二時前に急にめが冴えて寝られませんでした。ワールドカップも終わりスケートもやってないので、テレビを観ても仕方なくまんじりともせず、そのうち空が白んで来ました。それでも多少は眠っているもので、日中は居眠り運転もせずに普通に過ごせました。水出しの煎茶もけっこうきくもので感心しました(モノは良いのだろうか)。運転といえば先日舞鶴若狭自動車道の小浜-敦賀間が開通し、今年度中には京都縦貫道の京丹波-綾部間も開通するので、宇治西ICから自動車道のみで敦賀まで行けることになります。

140722a シベリウス、ドヴォルザークに続き「涼しいシリーズ」で、ドビュッシーの「海」の新しい録音です。実はこのCD、間違って注文してしまったもので本当は同じドビュッシーでも「聖セバスチャンの殉教」が入ったものを選択したつもりでした。ところが届いたCDに「 La Mer 」とか書いてあるのが見え、注文した記録を確認したところ、こちらの押し間違いでした。そんな経緯だったのに聴いてみると相当素晴らしく、少なくとも音質だけでも稀な良好さだと思いました。弦楽器の艶というか、何というかドビュッシーの作品ならではの響きがうまい具合に入っています。カップリングは「牧神の午後への前奏曲」と管弦楽のための「映像(全3曲)」です。

 ガッティはオペラのソフトで名前をよく見るという程度の知識だけで、聖セバスチャンの殉教も声楽・劇的な作品だから悪くないと軽い動機選択しました。後になってちょっと調べると、1961年ミラノ生まれで、1990年代にはボローニャの歌劇場で音楽監督、とロンドンのコヴェントガーデンでは首席客演指揮者を務めていました。そう言えばドナルド。キーン氏がニューヨークでのパルジファルについてコメントしていたのを思い出しました。演出が変だからまわりの人も目を閉じて音楽だけを聴いていたとか、辛辣な内容でしたが演奏にはダメ出は無かったはずです。

140722b ダニエレ・ガッティは2008年から「フランス国立管弦楽団」の首席を務めています。このオーケストラは1934年にフランス国立放送管弦楽団(Orchestre national de la radiodiffusion Française)
として発足し、ジャン・マルティノンが音楽監督を務めた1968年から1974年までの期間にドビュッシーの管弦楽曲等の録音で有名でした。1975年から現在の名称になり、パリ管弦楽団とも違い、またヤノフスキが首席を務めていたフランス放送フィルハーモニー管弦楽団とも別の団体です(フランスのオーケストラは改組されたりで名前が結構変わり紛らわしい)。とにかくこのCDを聴いてガッティ-フランス国立管弦楽団のコンビに関心が湧きました。

La Mer, trois esquisses symphoniques pour orchestre
De l'aube a midi sur la mer(海の夜明けから真昼まで)
Jeux de vagues(波の戯れ)
Dialogue du vent et de la mer(風と海の対話)

 この曲は1903年から1905年にかけて作曲され、同年10月15日にカミーユ・シュヴィヤール指揮、コンセール・ラムルー管弦楽団によって初演されました。ドビュッシーは前年の1904年に妻を捨てて別の女性にはしるというスキャンダルを起こし、世間の風当たりが強く、それが初演にも影響していました。1904、1905年はマーラーが交響曲第6番、第7番を作曲した時期でした。なんとなくドビュッシーの方が古いという刷り込みがありました。

 ところでドビュッシーの管弦楽曲ならマルティノンとフランス放送管、ラヴェルならクリュイタンスとパリ音楽院管という棲み分けというか売り分けの構図が見られました。ドビュッシーらしい演奏とか、ドビュッシー的なというのはここ数十年で変化しているのだろうかと思います(ドビュッシーの新譜が出てもそれ程注目していなかったのでよく分かりません)。

21 7月

ドヴォルザーク 交響曲第3番 ネーメ・ヤルヴィ、

ドヴォルザーク 交響曲 第3番 変ホ長調 作品10


ネーメ=ヤルヴィ  指揮
スコティッシュ・ナショナル管弦楽団


(1987年8月7,24-36日 グラスゴー,ヘンリー・ウッドホール 録音 CHANDOS)

140721a 小学校の音楽の副教本に外国の民謡なんかが載っていました。その中に「おお 牧場はみどり」というチェコ・スロバキア民謡もあって、最後の「オイ!」か「ホイ!」の掛け声が記憶に残っていました。それだけでなくメロディー自体が爽快に風が吹き渡るような感じです。現代ならチェコの民謡なのかスロヴァキアの方なのかというところです。そう思っていると日本語歌詞を訳して整備したのが中田羽後というプロテスタント教会の伝道者でした。この人の父親、中田重治という人も同様で日本におけるメソジスト、ホーリネス教会のパイオニアでした。イギリス国教会から派生したメソジスト教会はモラヴィア兄弟団と関わりがあったので、邦訳者と曲の接点はあると言えそうです。
 
 とうとう梅雨が明けた近畿圏はとっくに夏本番の暑さなので、耳にだけでも爽快さが欲しいところです。そういう場合は「牧場はみどり」でなくてもドヴォルザークも候補です。実際過去に今時分にドヴォルザークの交響曲を取り上げていました。交響曲第3番は、ドヴォルザーク(1841 - 1904年)が32歳になる1873年4月に着手され、同年7月4日に完成して、翌1874年3月29日にプラハでスメタナの指揮により初演されました。ドヴォルザークはこの交響曲をオーストリア政府の奨学生募集に応募したところ、ハンスリックらの目にかない、留学を果たしました。またドヴォルザークが結婚する直前期の作品でもありました。

交響曲第3番変ホ長調作品10
第1楽章 Allegro moderato 変ホ長調
第2楽章 Adagio molto 嬰ハ短調
第3楽章 Allegro vivace 変ホ長調

 交響曲第3番は、交響曲第1、2番を作曲した1865年から八年後の作品であり、ブラームスとの交友以前の作品なのでワーグナーの影響が指摘されています。上記のように三つの楽章からなり、第一、二楽章が独墺系の作品の香りがしますが、ワーグナーよりもブルックナーの初期作品に通じるように聴こえます。第三楽章は土俗的な舞曲の興があって、ブルックナーのスケルツォ楽章よりも多少優雅な作風です。それといろいろな要素のごった煮的のようでもあり、後年の交響曲とは違った味わいです。このCDでは全曲の演奏時間は32分半程度になります。

①10分52②12分53③8分52 計32分37

140721b ドヴォルザークの交響曲なら第9番を含み第7番以降の三曲が突出して有名なので、第3番は交響曲の全曲録音企画でもなければ単独では録音されない作品です。ネーメ・ヤルヴィがシャンドス・レーベルに録音した多数の曲(非独
墺系)の中に、ドヴォルザークの九曲の交響曲も含まれていて日本国内のCD発売初期に出回りました。CDには日本語帯も付いて、レコ芸で当時のマイナーレーベルの特集も組まれ、キャンペーンのようだったので、私もまんまとそれに乗った格好でした。バルト三国のエストニア出身のヤルヴィはドヴォルザークの本場演奏家とは言えませんが、シャンドスレーベルの音が気に入ったことと、ヤルヴィのショスタコーヴィチ交響曲の録音が面白かったので、ドヴォルザークにも関心が湧きました。他のCDと比較はしていませんが(CDはあるがどんな風だったか記憶が無い、また未聴のものある)、比較的速目で颯爽としたドヴォルザークだと思います。

20 7月

シベリウス交響曲第4番 ヴァンスカ、ミネソタO

140720aシベリウス  交響曲 第4番 ホ短調 op.63


オスモ・ヴァンスカ 指揮

ミネソタ管弦楽団


(2012年5月,6月 ミネアポリス,オーケストラ・ホール 録音 BIS)

 さて昨日から三連休です。21日はヴォーカル・アンサンブル カペラがカトリック目黒教会でマショーのノートル・ダム・ミサを演奏し、残席もあるようですが暑い中、遠征する気力はありません(今朝も起きたのは10時過ぎだった)。そもそも西宮で演奏した年も暑すぎて断念していました。カペラの歌い方は独特で、CDで聴くだけでも魅力的なのでそこそこの規模の空間で歌うのは是非聴きたいのに残念です。何にしても月曜が休みの時の日曜の夜というのはすごくくつろげます。

 田園交響楽という大まかなジャンルがあるとすれば、シベリウスの第4番はさらに人里から離れて「荒野」くらいに相当すると思い入れを込めて、御用納の日とか疲れた時に好んで聴いています。曲を作るのも演奏するのも人間なのに矛盾したことですが、見渡す限り民家も煙も見えない湿原だとかそういう光景を投影しながら聴いてしまいます。CDを再生して、汗をかかずにそうした場所へ行って野営した気になる安上がりな気分転換ですが、オスモ・ヴァンスカの再録音盤は旧録音よりもそうした情緒が後退したような微妙な印象です。

 ヴァンスカ指揮、ミネソタ管弦楽団とその15年前の録音であるラハティ交響楽団の各演奏時間・トラックタイムは以下の通りです。合計で約1分の差ですが、空白の時間等の多少を考えればもっと差は小さいかもしれません。単純な聴いた印象はそうした演奏時間以上に違いがあるようで、どちらかと言えば旧録音の方が親しみやすい気がしました。というのは、湿原だとか作品とは本来関係の無い情緒的なアプローチが、再録音の方が馴染みにくいという感覚です。

ヴァンスカ・ミネソタO(2012年)
①11分59②4分17③13分10④08分48 計38分14
ヴァンスカ・ラハティSO(1997年)
①11分36②4分29③14分04④09分04 計39分13

140720b ミネソタ管との再録音はレーベルは同じBISですが、SACD仕様なのでマルチチャンネルで再生しました。ミネソタ管の方が技術的に上という評判で、ミネアポリスの方が都会(人口は倍以上らしい)なのでそうかなと納得し、実際このCDでも断片的に目のさめるような素晴らしい部分が出てきます。カップリングの交響曲第1番も、勢いにまかせた風ではなく、第4番と同様にちょっと予想外の演奏でした。15年を隔てた再録音に際しては、ローカルな、土俗的な要素をことさら排した演奏をしているように聴こえます。日本におけるシベリウス演奏の先駆者、渡邉暁雄もシベリウスを理解する(演奏する、聴く)際にフィンランドの自然とかを関連付けない方が良いと述べていました。

19 7月

ボールト、ロンドンSOのメサイア

140719ヘンデル オラトリオ「メサイア」

サー・エードリアン・ボールト 指揮
ロンドン交響楽団
ロンドン交響合唱団

ジョーン・サザーランド(S)
グレース・バンブリー(A)
ケネス・マッケラー(T)
デイヴィッド・ウォード(Bs)


ジョージ・マルコム(チェンバロ)
 

(1961年5月,8月 ロンドン,キングズウェイ・ホール 録音  Newton Classics-DECCA原盤)

 昨日の夕方、盂蘭盆会の法要を過ぎてしまった後に墓地へ行きました。日没前に花や線香などを扱う管理事務所が閉まるので朝に行ったところ、八時半から開くのでまだ閉まっていました。それで夕方にしようと思い、かなり早く事務所を出ました。16時過ぎに着くと暑いこともあって誰も来ていませんでした。墓石の花も枯れているのが目立ち、夏場はなかなか来る人も減っています。大体まめに墓地へ来る人は年寄りが多いので当然でしょう。

140719a このCDはジャンル、レパートリー的にはもう一つの旧ブログからの再開引継ブログ、「 続 今でもしぶとく聴いてます 」の方で扱うところでしたが、ボールトとロンドン交響楽団という組み合わせから、クレンペラーとフィルハーモニア管のメサイアと同時期の録音であり、LP時代の香ばしいにおいがしそうなのでこちらでまず扱いました。ヘンデルのメサイアなら現代では古楽器による演奏が原則のようになり、新譜CDでもロンドン交響楽団とかが演奏していることは稀のはずです。ただ、日本国内でクリスマス前頃にミッション系の学校の合唱団とかがメサイアを演奏する場合は、古楽器のオケと共演するまで手が回らないこともあるはずです。そんなことを考えていると、この幾分古いスタイルのメサイアが妙に懐かしくなってきます(と言ってもこれのLPを購入したことはなかったが)。

 1980年頃のレコ芸別冊「名曲名盤500」の「メサイア」では、マリナー指揮アカデミー室内管、クレンペラー指揮フィルハーモニア管とならんで確かこのボールト盤が投票ベスト3に入っていたと思います(現物はもう無いので確認できない)。マリナーは1970年代の録音でしたが、三者とも概ね似た傾向だろうと想像していました。しかし、このボールトの復刻CDを聴いているとかなり特徴のはっきりした演奏で、クレンペラーとも異なるものでした。

 単純に言えばとにかく遅い、ゆっくりと歌詞を一語一語念入りに言って聞かせるかのような慎重さです。例えば第二部の二曲目アリア「 He was despised and rejected of men(彼は侮られて人に捨てられて)イザヤ書53章3節」は12分以上かかっており、クレンペラーの10分をさらに上回っています。各曲が独唱、合唱を問わずこういう調子で、古楽器団体の演奏に慣れているとクレンペラー以上に違和感を感じます。第一部冒頭の序曲でさえ5分を超えてクレンペラーより30秒程長くなっています。
  面白いのはこれだけ遅いのに、重さ、厚さを感じさせず、終始通奏低音のチェンバロの音がよく聴こえています。本当に歌詞をもらさず聞き取れるようにしているようです。この曲は元々こういう風に演奏するものだったのか、ボールトだからこんな風にしているのか、とにかく特徴のある演奏です。

 オラトリオ「メサイア」は教会の典礼で使う曲ではなく、劇場、コンサートホールで演奏するものですが、歌詞は英語訳の聖書、それに準じる英国国教会の祈祷書に基づいている例外的な作品です。また、ヘンデルの他の聖書に基づくオラトリオ(マカベウスのユダ、エステル、ソロモン等)とは違って物語、登場人物はありません。キリスト教の信仰そのものを三部に分けて現すという抽象的な歌詞を持っています。ボールトのこの録音を聴いていると、そうしたことを再認識させられます。

18 7月

マーラー第6番 シュテンツ、ケルン・ギュルツェニヒ管

マーラー 交響曲 第6番 イ短調 「悲劇的」

マルクス・シュテンツ 指揮
ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団
 

(2013年11月10-12日 ケルン,フィルハーモニー ライヴ録音 Oehms)

 今朝地元のローカル新聞を見ていると、若い婦人警官が寮で窃盗をして諭旨・停職になり、即時に依願退職したというニュースが見つかりました。トホホな記事ですが、テレビの「相棒」をよく観ていると何か引っかかるところが無きにしもあらずです。それともう一つ、いつも渋滞する交差点で左折レーンが開設されてかなり渋滞が解消されたという平和なニュースでした。こんな箇所はそもそも最初からレーンを整備して置けばと、件の箇所はここ十年で開通した道路なので、いつも思います。最後に一つだけ、といきたいところですが特に変わった事件も無く、有難いことに平和な地元でした。

140718 マルクス・シュテンツとケルンギュツェニヒ管弦楽団のマーラー・シリーズも大詰め、第6番の登場です(続いて第9番・10番アダージョが出る)。このシリーズは当初から注目していて、シュテンツの指揮も何となく気にっているので第6番も期待大でした。実際に聴いてみると、日本語帯に「オーソドックスで美しい演奏」と書いてある通り、長い第四楽章まで流れが滞るように進むマーラーでした。マーラーの場合そういうのはほめ言葉とも言い切れませんが、ここでは不思議に統一感というか四つの楽章の結合感が強くて一気に通して聴けました(二枚組なので途中CDを入れ替えるが)。

 このCDでは下記のように第二楽章にアンダンテが来ています(国際マーラー協会はこれがマーラーの最終意思と発表した)。スケルツォ、アンダンテの順序に慣れていると、特にスケルツォの次に第四楽章が来るのがどうもしっくり来ません。それでもアンダンテ楽章の美しさは際立っています。もっとも、好みとしては更に濃厚でも面白いと思いました。他の楽章もこういう感じなのでこれはやむを得ないところです。なお、終楽章のハンマー打撃は二回です(多分)。多分と言うのは聴き終わってからハンマーのことを思い出したからです。

交響曲第6番イ短調
第1楽章:Allegro energico, ma non troppo. Heftig, aber markig
第2楽章:Andante moderato
第3楽章:Scherzo: Wuchtig
第4楽章:Finale: Allegro moderato

 下記は比較的新しいマーラー第6番のCDのトラックタイムです。今回のシュテンツのみは第二楽章にアンダンテが来ています。シュテンツは終楽章があっさりと短めで、合計時間も同様ですがCD一枚に収まる程ではありません。

シュテンツ(2013年)
①23分40②14分47③12分47④29分49 計81分13
パッパーノ(2011年)
①24分33②14分14③15分43④30分04 計84分34
ハイティンク・CSO(2007年)
①25分56②14分23③16分12④34分10 計90分41
マーツァル・チェコPO(2006年)
①22分05②12分09③15分48④30分15 計80分17

 こうして並べると、過去に取り上げたハイティンク・シカゴSO盤が結構突出していました。コンサートでこの作品を聴いたことはありませんが、第三楽章まででも結構長いので終楽章だけ別な曲がくっ付いてきたような感覚になりそうです。CDで聴く場合でも、第三楽章までで休憩とかはよくあります。なお、ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団はケルン歌劇場のピットに入って演奏していますが、シュテンツが指揮したそこそこ知っているオペラの収録、オペラが出回っていないのが残念です(ヤングのハンブルクやヴァイグレのフランクフルトはDVDも出回っているのに)。

17 7月

1959年のLP手帳 マゼール・BPO・運命

140716ベートーヴェン 交響曲 第5番 ハ短調 作品67

ロリン・マゼール 指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 
(1958年11月 ベルリン 録音 DG)

 今日は祇園祭・前祭の山鉾巡行なので朝から交通規制が行われます。市役所の前の御池通は車線を減らして観覧席が作られるので、いつもの地下駐車場へは東側から入ろうと思い、ついでに山科の方をまわって行くことにしました。川端通の三条から七条の間がノロノロ運転だった他はそこそこ流れていました。うまい具合に曇天だったので山鉾を引く方も観る方も幾分は楽だったはずです。お昼前に御池通に出た時に少しだけみることができました。

 今回のベルリン・フィルとの運命は、豪エロクエンスの廉価CDで昨日の田園とちょうど一枚に収録されています。最初に聴いたところでは、良くも悪くも運命の方が鮮烈で印象に残りました。実はマゼール指揮、ベルリンPOのこれら二曲は、日本国内でも新譜時にLPが発売されていたようで、「LP手帳」の月評に両方とも載っていました(歴伝 クラシック洋楽名盤宝典-精選「LP手帳」月評 1957→1966)。1958年と言えば自分がまだ生まれていない昭和33年ですが、この時代のLPレコードはかなり高価なものだったと想像され、新譜を買える人も限られていたはずです。月評も書く人によっては目を見張るような内容もあって、現代よりは気合が入った雑誌だったかもしれません。

 マゼール(マーツェルと表記されている)の運命(LP手帳1959年月評)と田園(同1961年月評)は、論調、「どういう演奏だったか」、についてかなり違っているのが面白いと思いました。聴く人が違えば感じ方も違うのも当然だとしても、例えば「ロマン派的」とか「伝統的」という言葉に対応する演奏スタイルは、ある程度暗黙の了解のように一定の幅に収まっていそうなものです。しかしマゼールの二つのLPではその辺もとらえ方が分かれているようで、これもマゼールならではの現象なのかと思いました。二つの月評を読めばマゼールの演奏がどんな感じか、おぼろげながら分かりそうです。

 「運命」への月評は抜粋すると、「どちらかと言うとロマンティックである」、「多少表情を誇張した嫌いが無きにしも非ずであるが、と言って首肯出来ぬ演奏ではない」、「近来ベートーヴェンの曲をドライに演奏する傾向が流行しているが、このレコードはそれに対して復古調とも言えよう」と言う具合でした(永井氏二三男 氏)。一方「田園」については、「解釈し尽くされた『田園』から新しい表現を生み出そうとしている意欲は高く買える」、「部分的には素晴らしい成功を見せているのだが、惜しいことに個性美が一貫せず、説得力の弱いものになっている」、となっています(宇野功芳氏)。後者の方が否定的な見解のようで、ついでに1962年のメンデルスゾーン「イタリア」と「宗教改革」の月評の冒頭で「マーツェルの指揮は才気ばかりが感じられて音楽の美しさがこれに伴わず~」という言葉で始まっています。

 これら月評の適否の程は分かりませんが、どれも多かれ少なかれ成る程なと思えるものがありました。なんとなくマゼールの運命と田園が登場した時の反応が浮かび上がってきます。それにしても、「マーツェル」が何時「マゼール」に変わったのだろうかと思いました。
16 7月

田園交響曲 マゼール、ベルリンPO・1959年

ベートーヴェン 交響曲 第6番 ヘ長調 op.68 「田園」

ロリン・マゼール 指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 
(1959年11月 ベルリン 録音 DG)

140716 これはマゼールの最初期、29歳になる年にベルリンPOと録音したものでした。前年には同じくベルリンPOと運命を録音していました。これも豪エロクウェンスの廉価盤で、録音データをよく見てちょっと驚きました。翌年には最年少でバイロイト音楽祭に呼ばれたので、人生の一つのピーク期だったでしょう。ただ、これを聴いていると意外な程あっさりしていて、習字をする時半紙の下に手本を敷いて透かし、それを上からなぞって書くように慎重な田園だと思いました。これは何か突拍子も無いことをしてたのではないかという偏見、先入観があるからでしょう。

 下記は今回のマゼール、BPOの田園と、彼のリハーサルを聴いたであろうクレンペラーの二種の田園の演奏時間・トラックタイムです。同じベルリン・フィルを指揮して演奏時間の数値だけでもこれだけ違っています。ライヴとセッション録音、リピート有無とか色々な要素があっても、そもそも聴いた印象がまるで違います。クレンペラーの演奏に汚、否、慣らされrていると今回のマゼールのような演奏を聴くと逆に落ち着かない気がします。

マゼール・ベルリンPO・1959年
①09分31②11分46③5分25④3分40⑤8分34 計38分56
クレンペラー・ベルリンPO・1964年
①13分08②13分27③6分41④3分35⑤9分47 計46分38
クレンペラー・フィルハーモニア管・1957年
①13分04②13分22③6分33④3分43⑤9分12 計45分54


 下記は録音年が近いものの中では比較的合計演奏時間が近いものです。レイホヴィッツとロイヤルPOは作曲者のメトロノーム指定を守った最初の録音として知られています。マゼールの合計演奏時間ははこれらの内、シューリヒトとオーマンディの間におさまります。第二楽章以外はシューリヒトが一番マゼールに近い時間です。

シューリヒト・パリ音楽院管・1957年
①09分22②12分31③4分58④3分35⑤8分37 計39分03
レイホヴィッツ・ロイヤルPO・1961年
①11分33②12分40③5分06④3分32⑤9分30 計42分21
オーマンディ・フィラデルフィア・1965年
①09分19②12分21③3分00④3分45⑤9分23 計37分48


 下記はウィーン・フィルを指揮した二種の田園交響曲です。一応伝統的なベートーベンの演奏スタイルという見方をされてきたはずです。これもリピート有無の関係もあって一概に言えませんが、終楽章はマゼールよりも遅めです。また、イッセルシュテットの第二楽章がマゼールとほとんど同じ時間です。

H.S.イッセルシュテット・VPO・1967年
①09分48②11分50③5分41④3分41⑤9分39 計40分39
ベーム・VPO・1971年
①12分10②13分52③5分47④3分41⑤9分42 計45分12

 過去記事から演奏時間をコピペして並べてもはっきりとして傾向が出て来ません。それに正直この田園交響曲の録音は決して悪いとは思えず、いたって健全な音楽に聴こえます。しかし、これが実は別人の演奏だったと言われたとしてもそんなに驚きは無い気がします。70年代のブルックナー第5番、90年代のシベリウス第7番と続けて聴いて、「マゼール的な」演奏というのは浮かび上がってきたような、そうでもないような何とも言えない心地です。

 今日、7月16日は祇園祭の宵山でした。今年は山鉾巡行が7月17日と24日、前祭(さきまつり)と後祭(あとまつり)に分割というかかつての姿に戻るので、来週も宵山や巡行が行われます(後祭に露店は出ない予定らしい)。今晩は早く帰ろうとしたのに既に烏丸通や四条通の通行規制が始まっていました。うっかり忘れていたので途中で引き返し、河原町通を南下したところうそのように空いていました。多分こっちも混むという見通しの人が多かったのでしょう。

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昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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