raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

2013年04月

30 4月

ハイドン交響曲第45番 T.ファイ指揮シュリーバッハ室内管

130429 ハイドン 交響曲 第45番 嬰ヘ短調 Hob.1-45「告別」

トーマス・ファイ 指揮
シュリーバッハ室内管弦楽団

(1999年発売・録音年記載無 メルレンバッハ録音 Hänssler)

 トーマス・ファイ指揮のハイデルベルク交響楽団によるハイドンの交響曲シリーズが現在も進行中で、現在第19集まで発売されています。全曲録音ならば35枚以上になるので、中間点を越えて折り返したくらいです。このCDはトーマス・ファイの指揮ですが、録音年月日の記載が無くオーケストラもシュリーバッハ室内管弦楽団なので、進行中の企画の一部なのか録リ直しされるのかよく分かりません。そうした細かい情報はともかくとして、音色からして非常に魅力的なCDです。

130429a  トーマス・ファイは1960年ドイツ生まれで、マンハイム音楽大学で学んだ後ザルツブルクでアーノンクールに師事しました。シュリーバッハ室内管弦楽団は1987年にトーマス・ファイとザルツブルク・モーツアルテウムでの彼の同門らにより設立されました。後にこの団体を大編成にしてハイデルベルク交響楽団を発足させます。オーケストラは、概ね金管楽器とティンパニをピリオド楽器を利用し、他の弦楽器や木管楽器はモダン楽器という折衷編成です。演奏もいわゆるピリオド奏法を取り入れているというか、かなり個性的なものです。このコンビはハイドン以外の作品も録音していますが、このCDでは特にオーケストラの澄んだ音色から、「啓蒙時代」という言葉から連想される精神を強く感じられます。ハイドンの活きた時代、この作品(カップリングは第64番)が疾風怒涛期の曲だから特にそういうことを感じるのかもしれませんが、古楽器オケによるハイドン以上に清新に感じられます。

①8分32②13分46③2分47④7分19 計32分24

 このCDのトラックタイムは上記の通りで、第四楽章も分割していません。昨夜の古楽器オケによるグッドマン盤と比べると長目の合計時間ながら、アーノンクール、ホグウッドとは約1分以内の差です。

グッドマン指揮ハノーヴァー・バンド(1990年)
①6分11②09分45③3分25④8分01 計27分22

130429b_2   主題反復の有無も関係しているかもしれませんが、このCDは第二楽章がゆったりと、第三楽章のメヌエットを速くと、アクセントのある演奏なのが、グッドマン盤と二つを続けて聴くと特に際立ちます。また、演奏時間だけでなく、変化に富む中身の濃い演奏です。なお、今回のトーマス・ファイもチェンバロを通奏低音に使っています。

 ホームレスの自立支援事業の「ザ・ビッグ・イシュー」日本版は、一冊が300円ですが十年前はもう少し安かった覚えがあります。当時私は主に大阪府下を業務エリアにしていて、淀屋橋や天満周辺をしょっちゅうウロウロしていて、ホームレスの人のテントをみかけました。たしか、雑誌ザ・ビッグ・イシューを一冊売っただけでは清涼飲料水の缶を一本買う事が出来ないと聞いて、厳しさをしみじみ感じていました。だから前を通ればできるだけ買い求めるようにしていました。京都市では大阪市ほど販売員は多くありませんが、今でも何箇所かで見かけます。

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29 4月

ハイドン交響曲第45番「告別」 グッドマン、ハノーヴァー・バンド

130428_2  ハイドン 交響曲 第45番 嬰ヘ短調 Hob.1-45「告別」

ロイ・グッドマン 指揮
ハノーヴァー・バンド

(1990年10月8,9日 録音 helios-HYPERION)

  ハイドンの交響曲第45番は、作曲者のエステルハージ家宮廷楽長時代の「疾風怒涛期」に分類される作品です。特に終楽章のアダージョ部分で演奏している楽団員が徐々に退場することでも有名です。ハイドンら宮廷楽団員はエステルハージ公が夏の離宮滞在を延長したために、アイゼンシュタットの住居に妻らを送り返さなければならなくなった。そこで楽長のハイドンは、エステルハージ侯が楽団員の帰宅を認める気になるように、終楽章にそんな工夫をしたわけです。詳しくは、第四楽章後半部のアダージョで、演奏者が1人ずつ演奏をやめ、ロウソクの火を吹き消して交互に出て行き、最後に左手に、コンサートマスターのアロイス・ルイジ・トマジーニとハイドンの二人だけが残って終わります。

 そういう細工が無くても、終楽章なら通常プレストなら一貫して単純に終わるところが、アダージョに移行するという二重構造なので凝っていて斬新です。また、第一楽章もいかにも疾風怒涛といった緊迫した空気です。当然のことながら単なる娯楽、機会音楽の域を超えています。

交響曲第45番嬰ヘ短調「告別」
第1楽章 Allegro assai 嬰ヘ短調 
第2楽章 Adagio イ長調
第3楽章 Menuetto, Allegretto 嬰ヘ長調 
第4楽章 Finale, Presto 嬰ヘ短調-Adagio イ長調-嬰ヘ長調

 このCDはロイ・グッドマンとハノーヴァー・バンドによるハイドンのシリーズの内の一枚です。グッドマンもハイドンの交響曲全集に挑戦して録音を進めましたが、26番以降、30番代、50、60番代を残し、ザロモンセットも未完という中途半端な曲数で終わりました(再開する予定は不詳)。現在はハイペリオンレーベルの廉価レーベル、ヘリオスでほぼ全部が出ています。このレーベルはビクトリアやパレストリーナ、タヴァナーのミサ曲に注目していましたが、ある時コノレーベルをまとめて置いてある場所をよく見ると、ハイドンのシリーズが並んでいるのが目に付きました。

 ピリオド楽器によるオーケストラであるハノーヴァー・バンドは、1980年にチェロ奏者のキャロライン・ブラウンによって創設されました。このCDでは通奏低音に鍵盤楽器が加わって演奏しています。廉価盤仕様で、演奏データもあまり詳しく載っていないようです。

Allegro assai:6分11
Adagio:9分45
Menuet. Allegretto:3分25
Finale. Presto:2分48
Adagio:5分13

 グッドマン盤は全体的に穏やかですが、第一楽章はかなり疾走感があり、結果的に第二楽章や終楽章のアダージョが際立っています。古楽器オケといえば思い浮かべる鋭角的な演奏とは異なります(現実に古典派の作品で極端に尖った演奏は案外多くないようである)。上記のようにこのCDは第4楽章を二つにトラック分けしていて、合計時間は27分22です。これは比較的短い部類です。他の古楽器オケによるこの曲のCDは次のような演奏時間です。1988年・アノーンクール・CMW(31分24)、1993年・ホグウッド(31分53)、1997年・ブリュッヘン(24分22)。

 早くもゴールデンウィークがやってきました。カレンダー通りの休みなので、特に遠方へ出かける予定もなく、前半の三連休はひたすら休養です。先日、久々に三条河原町で「ザ・ビッグ・イシュー」を買いました。ホームレスの自立支援を目的とするこの雑誌は、2003年以来日本でも展開しています。新聞や雑誌を路上販売する文化が成熟していない日本では、この事業は難しいと言われましたが十年近く続いています。一冊300円のこの雑誌は内容は堅く、なかなか興味深いものがあります。

27 4月

無伴奏混声合唱版・水車小屋の美しい娘 ザ・タロー・シンガーズ

シューベルト 歌曲集「水車屋の美しい娘」D.795 作品25
無伴奏混声合唱版-千原英喜 編曲

里井宏次 指揮
ザ・タロー・シンガーズ

(2012年10月8日 東京文化会館小ホール ライブ録音 EXTON)


130427  先日、京都府下のある役所の駐車場で引退した同業者とばったりあいました。元々大資産家のその方は、我々庶民の所得よりもずっと高額を納税しているらしく、文字通り悠々自適です。何やら知人の相談事に絡んで関係する役所を回っているそうでしたが、立ち話で三十分くらいしゃべっていました。別段締切、期限が無くなって「どうしてもしなければならない」ということが無くなると妙に手持無沙汰で、妙な寂しさがあるようです。最近年金支給開始を遅らせるとか、定年年齢を引き延ばすということが取り沙汰されている中、退き際というかバトンタッチというのも大切だと思っていましたが、特に親しくもないその方と立ち話しているうちに人間「やることがある」、「あてにされる」ということも核心的な事柄だと思えてきました。


  この無伴奏混声合唱版の水車小屋の娘は、ドイツ・リートの独唱者が歌う部分だけでなくピアノパートも合唱が受け持っています。ピアノパートは川の流れる音を表現していることが多いですが、それを合唱が「ザクザクザク」という擬音ともつかないような言葉で歌います。これを見て論外とか思う人もいるかもしれませんが、冒頭から心を強く揺り動かす感動的な歌、作品になっています。原作の独唱パートの合唱が抒情的な美しさを示して、その一方でピアノパートを受け持つ合唱がそれを遮るかのような不快さ、不安さを暗示しています。違う作品のようで、それでも根っこの部分で原型を保っています。


 このCDはシューベルトの歌曲集“ Die schöne Müllerin ” (美しい水車小屋の娘)」を、無伴奏合唱用に編曲した版で演奏したものです。以前取り上げた
冬の旅と同じく作曲家の千原英喜が編曲したものです。単に技術的、音楽的だけでなく原作品の持つ世界観、心情を見直す程の作品です。CDの日本語タイトルが従来見られたような「美しい」という形容詞が先頭にくるのではなく、「水車小屋の『美しい娘』」として、美しいのはあくまで娘だけであることを強調しています。

 CDの解説に詳しく説明されていますが、水車小屋職人という職業は当時あまり喜ばれない、あるいは差別的に見られるものだったので、水車小屋を現代に於いて牧歌的な風景として見てしまいがちなのを敢えて否定してのことです。漠然と水車小屋のある郊外の風景も、そこの娘もひっくるめて美しいわけではないということです。確かに詩の主人公たる青年の恋敵(あるいは最初から独りよがりでお呼びでなかったかもしれない)は、狩人ですが単純に考えれば水車小屋の職人の方が不動産を持っていて裕福そうに見えて、どうせならもっと強敵が登場してもよさそうだと言えそうでした。従来から作品を聴いた印象では、「冬の旅」の方が絶望や悲しみが深い世界のように感じましたが、「冬の旅」と「水車小屋の娘」の二つの無伴奏合唱版で比べれば、逆に後者の水車小屋の方が断絶感、孤独感が迫ってきます。


 この編曲作品は昨年6月に大阪いずみホールに於いてザ・タロー・シンガーズにより初演されたので、CDの方は同じメンバーによる初演後約四ヶ月後の録音です。合唱団の演奏も非常に雄弁で美しいもので、大阪で行われた初演は会場で聴いてみたかったと思いました。また、CD帯には三大歌曲集の第二弾と書いてあるので、今後「白鳥の歌」の編曲も手がけられるようです(断言はされていないが)。

25 4月

マーラー交響曲第7番 ブーレーズ・クリーヴランド管

マーラー 交響曲第7番ホ短調「夜の歌」

ピエール・ブーレーズ 指揮
クリーヴランド管弦楽団

 
(1994年11月 クリーヴランド,メソニック・オーディトリアム 録音 DG)

130425  フィラデルフィアという商品名で有名なクリームチーズは、それと知らずに食べたことはあるずです。牛乳や乳製品が苦手なので、実はクリームチーズがどういうものか正確には知りませんでした。今日は前日とはうってかわって快晴で涼しかったので、お昼は中京区のアルザス食堂まで歩きました。そこはストラスブール出身のシェフが作るアルザス地方の家庭料理の店で、アルザスのワイン等も揃えています。しかしまだランチにしか行ったことがなく、ワインは味わっていあません。今日のデザートの一品に、クリームチーズになる前の(しぼる前)状態を利用したムースか生クリーム状のものがたっぷりかかっていました。イチゴと、ジャム、アイスクリームを組合わせたもので、外観よりあっさり爽やかな味で感心しました。見た瞬間ヨーグルトかと思って内心しまったと思いましたが、既にミルクティー味のものから変えてもらっていたのでモノが来た以上いただくことにしました。ヨーグルトも牛乳味が強いものが多く、大抵は嫌いなタイプだったので覚悟したところ、上記のようにヨーグルトではなく、爽やかで後味の良い独特の風味でした。

ブーレーズのマーラー・DG
1994年5月:VPO・第6番
1994年11月:クリーヴランド・第7番
1995年12月:シカゴSO・第9番
1996年3月:VPO・第5番
1998年4月:クリーヴランド・第4番
1998年5月:シカゴSO・第1番
1999年6月:VPO・大地の歌
2001年2月;VPO・第3番
2005年5,6月:VPO・第2番
2007年4月:ベルリンSK・第8番
2010年2月:クリーヴランド・第10番アダージョ

 そういう話とは関係なく、ブーレーズ指揮、クリーヴランド管弦楽団のマーラー第7番のCDです。このCDも車中で何度となく聴いていながら特にコメントすることが無いというか、思いつかない、何も心中に波紋が広がらないので後回しにしていたものです。あえて挙げれば、「え?、もう終楽章になったのか」というあっけなさが複数回聴いた際の共通印象でした。ブーレーズのマーラーは、第一弾の交響曲第6番を新譜発売と共に(確か金色のCDだった)買って聴いたのが最初で、その時は結構感動的だったのを覚えています。ただ、第一楽章のアルマの主題が最初に登場するところは、今回の印象と同様で何の溜めも変化もなく、あっけないものでした。

 基本的にギーレンやブーレーズは生理的に好感を持つタイプで、オーケストラの技量も優れているはずですが、マーラーの交響曲、特に第7番や6番のような、複雑で歪みを思わせる作品はちょっと物足らない気がします。このCDは全曲が一枚に収まり、トラックタイムの合計が74分53秒です。クレンペラー晩年のセッション録音盤が99分41秒なので、クレンペラー盤から第5楽章まるごとカットしたのと同じぐらいの演奏時間です。もう終楽章になったのかという感想は、クレンペラーの長い録音染み付いていることも原因の一つだと思いますが、時間の数値も確かに短いものです。ただ、アシュケナージ指揮チェコPO等近年はCD1枚に収まっているものも増えつつあるようです。

 ブーレーズは生前のクレンペラーとも交流があり、クレンペラーは作曲家としてのブーレーズ(当時の)を評価していました。また、クレンペラーはマーラーの交響曲第6番の初演にも関わっていながらこの作品を理解できないと言って演奏さえしていません。そのくせに第7番は録音しているからには、晩年に録音した時の作品観を詳しく聞いてみたいものです(戦前に演奏した時は、プログラムにいろいろ言葉を残している)。それと同時に、ブーレーズにとってマーラーの第7番はどういう意味を持っているのかも気になります。

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24 4月

リストのピアノ・ソナタ アニー・フィッシャー

リスト ピアノ・ソナタ ロ短調 S178

アニー・フィッシャー:ピアノ

(1953年 録音 HUNGAROTON)

130423  昨日のお昼にカレーを食べた時、待っている間に週刊誌をめくっていると四コマ漫画ではやくも村上春樹の新作がネタにされていました。また朝日の朝刊にも書評が載っていました。作品の真意についてはさて置き、作中でフランツ・リストのレコードがクローズアップされていました。リストのピアノ曲について、概ね次のように指摘しています。「一般的に技巧的な、表層的なものだと考えれているけれど全体を注意深く聴けば、その内側には独特の深みがこめられていることがわかります。しかし、それらは多くの場合、装飾の奥に巧妙に隠されている。」そんな作品の代表として「巡礼の年」が挙げられ、そうした意味で正しく演奏できるピアニストは多くないとしています。巡礼の年の録音については今回は触れませんが、リストに対するイメージは確かにそういうものがあると思いました。

 実際岩井宏之氏の評論か何かでショパンのリスト評を挙げて、リストのピアノ曲について似たような趣旨のネガティヴな論調で書かれていたことがあります。青少年はすり込まれ易いので、自分自身ピアノや他の楽器を習ったことがないので長らくリストの作品は積極的には聴いていませんでした。それは、ここ何年かでリストのピアノソナタが急に好きになり、時々聴いています。

 このCDはアニー・フィッシャー(1914-1995年)によるシューベルトのピアノソナタ第21番とリストのピアノソナタがカップリングされていて、前者が1968年、リストは1953年の録音です。どちらかといえばシューベルトの録音が良さそうですが、リストも音が今一つ良くないものの、生真面目な演奏で際立っています。

 アニー・フィッシャーは、ブダペスト生まれの女流ピアニストで、戦前に既に注目される存在でした。23歳で音楽評論家のアラダール・トートと結婚します。このトートが戦後クレンペラーをブダペスト歌劇場に招聘し、それがきっかけで後年ロンドン等でフィッシャーと共演することになります。フィッシャーの録音の中で、1977年から1978年にかけて録音されたベートーベンのピアノソナタ全集が有名で、第8番、22番、31番、32番等が特に素晴らしいと思います。とても女流とは思えない一貫した気迫で、時には刀鍛冶が槌を振るって刃身を鍛えているようです。晩年には来日していたので聴く機会はあったのに聴き逃し、今にしてすごく残念に思います。

 リストのソナタでもそういう演奏なら、複雑なこの曲が強い統一感を持って聴こえるだろうと思いましたが、そこまでの印象はありません。速目のテンポでやや神経質な演奏で、後年のベートーベンよりも繊細な演奏でした。曲全体の結合感、統一感と言う点なら先日のイーヴォ・ポゴレリチ盤(スクリャービンのピアノソナタ第2番とカップリング)ちなみにこの録音の三年後の1956年はハンガリー動乱がぼっ発して、ソ連軍がハンガリーに派兵されて多数の死者、難民を生みました。

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22 4月

シベリウス交響曲第4番 ベルグルンド、ボーンマスSO

シベリウス 交響曲 第4番 イ短調 op.63

パーヴォ・ベルグルンド 指揮
ボーンマス交響楽団

(1975年 録音 EMI)

130422  これは昨年国内盤で一枚999円で復刻発売された、ベルグルンドとボーンマスSOのシベリウスのシリーズの一枚です。駐車場の位置番号でも四とか九は欠番になっていることも少なくないので、廉価のためとは言えわざわざ9を三つ連ねるのはゲンクソが悪いとも考えられます。パーヴォ・ベルグルンドは、1893年にイギリス、イングランド南部のボーンマスで設立されたボーンマス交響楽団の首席指揮者を1972-1979年の間つとめました。自身の一回目となるシベリウスの交響曲全集はその間の代表的な録音です。この全集には初期の声楽付「クレルヴォ交響曲」や管弦楽曲も多数収録しています。

 ベルグルンドは1980年代に、ヘルシンキ・フィルとシベリウスの交響曲を再録音したのでボーンマス交響楽団との方は影に隠れた存在のようになっていました(それでも過去に再発売されたことはあった)。なお、ベルグルンドがヘルシンキPOの首席の地位にあったのは1975年から1979年までで、ボーンマスSOの首席時代と重なっています。

 改めてこのCDを聴いてみると、冒頭から重厚な低弦が印象的で、同時期のシベリウス演奏と似たスタイルのように感じられます。時々ある種の作曲家の作品について「壊れやすい」、「演奏者を選ぶ」という表現がされることがあります。シベリウスも時にそう評されているのを読んだことがありました。シベリウスの本家のように言われるベルグルンドも、この時期の演奏は特別なスタイルとまでは言えないのではと思いました。

 付属の解説冊子には、交響曲第4番の特徴として「メロディックな要素が希薄、音楽全体にドラマティックな要素が弱く、一時的に盛り上がっても長続きしない(すぐに深い瞑想に沈む)」といった点を指摘しています。第5番は高揚した状態で全曲を閉じるような印象ですが、第4番はブルックナーの交響曲の対極のようなスタイルです。その点を強調すれば、ベルグルンドなら三度目のECOとの録音のようなスタイルがよりふさわしいと言えそうです。

 シベリウスの交響曲も、フィンランドの自然との関わりについて言及されることがありますが、一方で第4番は当時の作曲者の健康状態とも関連が深いとされています。咽頭の腫瘍が見つかり、手術をしたために深酒や過度の喫煙習慣を改めざるを得なくなりました(医者から禁酒、禁煙を命じられる)。ヘビー・スモーカーで大酒飲みのシベリウスはさぞ辛かっただろうと想像できますが、幸いにも1957年まで、この交響曲を完成させてから46年も長らえたので、結果的にゲンが良い曲になりました。ただ、シベリウスの最後の交響曲は1924年に完成したので、以後交響曲は作らなかったことになります。

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21 4月

シベリウス交響曲第4番 C.デイヴィスの三度目全集から・LSO

シベリウス 交響曲 第4番 イ短調 Op.63

サー・コリン=デイヴィス 指揮 
ロンドン交響楽団 

(2008年6月29日,7月2日 ロンドン,バービカン・センター ライヴ録音 LSO Live)

 今日の午後、名神高速の大山崎インターから京都縦貫道の沓掛インターまでの区間が開通しました。これで京丹波から八幡市や宇治市までは自動車専用道路でつながり、三年くらいの内には京丹波-和知の区間も開通見込みなので格段に便利になります。それで開通時刻に合わせて通行しようかと思っていましたが、急に寒くなり石油ストーブに再点火する程だったのでやめにしました。桜が散ってからストーブをつけるとは、ここ二十年覚えがありませんでした。おかげで残っていた灯油も今年は使い切りそうです。

130422a  先日このCDと同じ“ LSO Live  ” レーベルから出ているハイティンクのベートーベン交響曲を誤ってコリン・デイヴィスの演奏として記事をアップして削除しましたが、今回は間違いなくサー・コリン・デイヴィス指揮のシベリウスです。それにしてもそのベートーベンも購入した時は確かにハイティンクだと認識しているのに、いつの間に記憶がすり替わったのか我ながら不思議です。それはさておき、イギリスの指揮者、オーケストラはシベリウスの交響曲を得意レパートリーにしている場合が多く、個人的にはサー・アレクサンダー・ギブソンとスコティッシュ・ナショナル管のシベリウスが気に入っていました。コリンデイヴィスも1970年代にボストンSOとの全集をはじめとして、1990年代のロンドンSOとのセッション録音、今回のロンドンSOとのライヴ録音と三度もシベリウスの交響曲全集を完成させています(クレルヴォ交響曲はロンドンSOとの二回には含んでいる)。

Symphony No.4 in A minor,Op.63
第1楽章:Tempo molto moderato, quasi adagio 
第2楽章:Allegro molto vivace
第3楽章:Il tempo largo
第4楽章:Allegro

130422b  シベリウスの第4番は、「帰りなんいざ、田園将にあれんとす」のような我々が喜ぶ自然の風景よりももっと愛想の無い、文明、社会から遠い環境を連想させられて、独特のいやし的なよろこびを感じます。しかし、有名だったデイヴィスのボストンSOとの録音はどこか後期ロマン派的な雰囲気で、そうした自分勝手なイメージ投影からすればちょっと外れるように思えていました。今回のコリン・デイヴィスの三度目のシベリウス全集の第4番は、演奏時間だけを見ればボストンSOとの初回全集盤よりもさらにゆったり演奏しています。

C.デイヴィス・ロンドン・2008年
①11分42②4分58③12分41④09分21 計38分43

C.デイヴィス・ボストン・1976年
①11分01②4分36③12分49④08分34 計37分00

 演奏時間はそうであっても、聴いた印象では初回録音盤よりも引き締まった、あるいは冷たい感じなのは不思議です。三十年も隔たれば演奏者だけでなく、機材等録音の条件も違ってくるわけですが、合計の演奏時間は同じく三度シベリウス全集を録音したベルグルンドの初回録音と近い時間です。反復の有無等の関係もあるでしょうが、こうして見れば、ベルグルンドは後年けっこう個性的な演奏に移行していたようです。

ベルグルンド・ECO(1995年)
①09分23②5分01③09分15④09分32 計33分11
ベルグルンド・ヘルシンキPO(1984年)
①09分39②4分41③09分55④09分57 計34分12
ベルグルンド・ボーンマスSO(1975年)
①10分46②4分43③11分14④10分27 計37分10

 世界初のステレオ録音によるシベリウス交響曲全集は、渡邉暁雄指揮、日本フィル盤だったので、コリン・デイヴィスの初回全集はレコード界としてはまだまだ初期のシベリウスだったと言えます。それでも地元フィンランドで特に評判が良かったと紹介されていたことがありました。それはオーケストラの技量によるところも大きかったかもしれません。

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20 4月

スクリャービンの幻想ソナタ ポゴレリチ

130420_3   スクリャービン ピアノ・ソナタ 第2番 嬰ト短調 作品19「幻想ソナタ」

イーヴォ・ポゴレリチ:ピアノ

(1990年12月 ハノーファー,ベートーヴェンザール 録音 DG)

 昨日4月19日の夜、京都コンサートホールでピアニストのユジャ・ワンのリサイタルがあり、聴きに行ってきました。会場がアンサンブルホールムラタではなく大ホールだったこともあって、空席が目立っていました。昨年12月に売り出し開始のチケットはS席4,000円-B席2,000円なのに、ちょっと気の毒な客の入りでした。ただ、片方の肩を露わにしたタイトなミニスカの衣装に、ピンヒールをガラゴロ鳴らして入場する様子には違和感を覚えました(人それぞれだから構わないが)。プログラムは下記の通りです。

スクリャービン:ピアノ・ソナタ 第2番 嬰ト短調 作品19「幻想ソナタ」
プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ 第6番 イ長調 作品82

~休憩
リーバーマン:カーゴイル 作品29
ラフマニノフ:ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調 作品36(1931年改訂版)

~アンコール
プロコフィエフ:トッカータ 
シューベルト,リス ト:糸を紡ぐグレートフェン
ラフマニノフ:エレジー
ビゼー,ホロヴィッツ:カルメンのテーマによる変奏曲
グルック:メロディ

 最初は神経質な様子だったユジャ・ワンは、それでも演奏が進むにつれて熱がこもってきました。それにつれて会場の集中度も増し、相乗効果だったようで後半のプログラムの方が特に感銘深く感じました。客入りの良くないこういう場合はブラボー職人さんも有益だと思いました。日本を拠点に活動するメジューエワのリサイタルはアンサンブル・ムラタホールの時もあったので、大ホールを埋めるのは並大抵ではないのかと改めて思いました。東京ならもうちょっと賑わうのだろうと思います。

 これらのプログラムの中でCDを持っているのはスクリャービンのソナタだけで、他のプロコフィエフ、ラフマニノフのソナタも聴いたことはあってもほとんど覚えていません。前半の二曲は両方とも、あまり多くはないイーヴォ・ポゴレリチのCDの中にありました。ラフマニノフは無かったと思いますが当初予定されていたラヴェル等、レパートリーが重なっていそうです。

 そこでこのCDを取出してみました。これはリストのピアノ・ソナタとスクリャービンがカップリングされたもので、リストが目当てで購入していたものです。会場で聴いたユジャ・ワンとはかなり違った印象でした。長いアンダンテ楽章はポゴレリチの方に惹かれます。

 ロシアの作曲家アレクサンドル・スクリャービン(1872-1915年)のピアノソナタ第2番は、1892年から1896年にかけて作曲され、作曲者自身によると黒海畔を訪れた時の印象に基いています。第1楽章:Andante、第2楽章:Presto と対照的な速度指定がされ、第2楽章は前楽章の半分以下の演奏時間です。

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18 4月

ヴェルディ「ファルスタッフ」 ムーティ、スカラ座・1993年

130418a0ヴェルディ 歌劇「ファルスタッフ」

リッカルド・ムーティ 指揮
ミラノ・スカラ座管弦楽団、合唱団


ファルスタッフ:フアン・ポンス(Br)

フォード:ロベルト・フロンターリ(Br)
フェントン:ラモン・ヴァルガス(T)
医師カイウス:エルネスト・ガヴァッツィ(T)
ピストラ:ルイージ・ローニ(Bs)
バドルフォ:パオロ・バルバチーニ(T)
アリーチェ:ダニエラ・デッシー(S)
ナンネッタ:モーリーン・アフライン(S)
クイックリー夫人:ベルナデッテ・マンカ・ディ・ニッサ(Ms)
メグ:デローレス・ジーグラー(Ms)


(1993年6月 ミラノ,スカラ座 ライヴ録音 SONY)


 ヴェルディのファルスタッフと言えば、彼の最後のオペラであり、1890年から1892年にかけて作曲され、翌年の1893年にミラノ・スカラ座で初演されました。このCDはそれから百年後に同じくスカラ座で行われた公演のライヴ録音です。台本はアリーゴ・ボーイトがシェイクスピアの「ヘンリー四世」第1、2部と「ウィンザーの陽気な女房たち」を元にして作りました。ヴェルディにとって二作目の喜劇が最後のオペラとなりました。ちなみに初めて書いた喜劇は大失敗した「一日だけの王様」でした(オペラとしては二作品目)。


 ファルスタッフのストーリーを読んでみても特に笑いがこみ上げて来るとか、そこまでの楽しさは感じないのに、ヴェルディのオペラで聴くと冒頭からして明るい笑いの空気が漂ってきます。これは日本の古典芸能・狂言のはじまりを思い出します。喜劇のオペラなら、モーツアルトのフィガロが有名です。ヴェルディのファルスタッフの場合は、「まずは音楽、お次が言葉」というより音楽が台本、登場人物と不可分に溶け合って、切り離せないような不思議な魅力を感じます。このCDは国内盤なので付属の解説(國土潤一氏)には作品の意義が詳しく書かれています。
 

130418b0 それによると、このCDの公演は以下のような特徴により素晴らしいとしています。「古いイタリアオペラの持つ古典的様式美と、ロッシーニの持つ格調の高さモーツアルトの持つ愉悦と至福の優美さ、ワーグナーの持つハーモニーの重厚さと朗唱法の技法、ヴェルディ作曲様式の変遷といった要素が混在している。」そして、トスカニーニの名演以来、真にラテン的な、真にイタリア的な「ファルスタッフ」の演奏を渇望していたのが、ムーティとスカラ座によるこの公演・ライヴ録音でそれが癒された、と褒めています。この賛辞は、ムーティがこだわりもって、慎重に取り上げてきた彼のレパートリー(ワーグナーも上演している)を意識して、円熟ぶりを認めてのことですが、CDを聴いた後で読むと説得力があります。


 ファルスタッフのCDならこれを聴くまでは、たまたま購入していたジュリーニとロスPO他のDG盤(ブルゾン、ヌッチ、リッチャレッリ、他)が特別に気に入っていました。その録音の印象が強かったのでムーティのファルスタッフは、けっこう暴力的じゃないかという先入観を持っていました。実際に聴いてみるとそうではなく、「真にラテン的・イタリア的」とはどういうものか分からないものの、リズム感も心地よく好感が持てました。ムーティとスカラ座のファルスタッフは、この後2000年の公演がDVD化されていて、検索するとそっちが多数挙がるのでそちらの方が代表的かもしれません。


 ところで音楽療法とか、リラックスするのに音楽を聴くということはけっこうあると思います。朝一番から気分爽快ということは滅多に無く、仮に渋滞も信号待ちも無かったとしても、秋の空のような晴れやかな気分というのはほとんどありません。そんな中で、ヴェルディのファルスタッフの音楽もよく効くというか、曇天の雲を吹き払うような効能がありそうで不思議です。最近特にそれを感じています。昨夜のコリン・デイヴィス盤もオーケストラはなかなか好印象でした。

17 4月

コリン・デイヴィス ヴェルディの歌劇「ファルスタッフ」旧録音

ヴェルディ 歌劇「ファルスタッフ」

コリン・デイヴィス 指揮
バイエルン放送交響楽団
バイエルン放送合唱団

ファルスタッフ:ローランド・パネライ(Br)
フォード:アラン・タイタス(Br)
フェントン:フランク・ロパルド(T)
カイウス:ピエロ・デ・パルマ(T)
バルドルフォ:ウルリッヒ・レス(T)
ピストーラ:F・E・ダルタニアン(B)
アリーチェ:シャロン・スウィート(S)
クイックリー:マリリン・ホーン(Ms)
ナンネッタ:ジュリー・カウフマン(S)
メグ:スーザン・クウィットマイヤー(Ms
)

 
(1991年4月8-18日 ミュンヘン,ヘラクレス・ザール 録音  Sony)

 昨夜投稿したベートーベンの田園のCDですが、演奏者を勘違いして取り違えていました。コリン・デイヴィスではなく、ハイティンクの指揮で、現物を目の前にしても気がつきませんでした。コメント・メッセージを頂いた方の指摘でようやく分かりました(どうりでデイヴィスの名前で検索してもモノが出てこないはず)。もはやこれは医学的な領域の問題かもしれませんが、とりあえず昨夜のは削除して幻の回とします。よく考えれば同じ全集箱から過去に一度記事投稿していました( ベートーベン第4番 )。それでも気がつかないとは。どうしようかと思いながら、別のコリンヂヴィス指揮のCDに差し替えて再度投稿することにします(これも大丈夫だろうか)。故、サー・コリン=デイヴィス氏、及びハイティンク氏にも大変失礼いたしました。

130417  ということで、コリン・デイヴィスのオペラ録音から、ヴェルディの「ファルスタッフ」です。これは1924年生まれのパネライが67歳の時にファルスタッフを歌ったもので、廉価盤で見かけた時まだ第一線で歌ってたのかと驚いたのが購入動機でした。パネライは1956年録音のカラヤン盤・ファルスタッフではフォードを歌って参加していました。その時から35年経過してタイトロル・ロールを歌ったのがこのデイヴィス盤というわけです。メゾソプラノのホーンもキャリアの後半期の録音です。

 そういう珍しさはさて置き、デイヴィスの指揮もかなり好印象です。新譜の時がどんな装丁だったかとか全然記憶にありませんが、デイヴィスはロンドンSOとライヴでファルスタッフを再録音しているので、自身でこだわりのある作品なのだと思います。昨夜は他人のCDをデイヴィスとして挙げた無礼、失礼があったのでこれくらいで止めておきます。決して、ネタとか受け狙いではなく、エアポケットに入ったように感違いしてしまいました。

 なお、コメントで指摘していただいたHN「通りすがり」さん、御指摘ありがとうございました(さぞ呆れられたことだと思います)。レスはこの記事にコピーして付け変えさせていただきました。

15 4月

ヴェルディ「トロヴァトーレ」 ムーティ・スカラ座・2000年

ヴェルディ 歌劇「トロヴァトーレ」


リッカルド・ムーティ 指揮
ミラノ・スカラ座管弦楽団、合唱団


マンリーコ:サルヴァトーレ・リチートラ(T)
レオノーラ:バルバラ・フリットリ(S)
ルーナ伯爵:レオ・ヌッチ(Br)
アズチェーナ:ヴィオレータ・ウルマーナ(Ms)
フェランド:ジョルジオ・ジュゼッピーニ(B)
ルイス:エルネスト・ガヴァッツィ(T)
イネス:チツィアナ・トラモンティ(S)
老ジプシー:エルネスト・パナリエッロ(Br)
使者:フランチェスコ・ビアシ(T)

 
(2000年12月7,10,13,19,22日 ミラノ,スカラ座 ライヴ録音 SONY)
 

130415 SDカードも大容量、低価格になり、かつてNECのパソコンに「ハードディスクの容量が200MB」とか特記してあった二十年くらい前を思えば隔世の感です。SDカードをカーナビのオーディオに使う場合、8Gくらいになると容量が大き過ぎてかえって不便です。1GならCDで7、8枚くらいなので、それくらいか2G程度が便利です(指環全曲で約14枚なので)。またSDカードたUSBメモリにデータを保存する場合は、任意のフォルダを作って容れる習慣なのでCDから変換したファイルも何個かのフォルダに入れていました。これを再生する場合、どうも一つのフォルダしか認識しないようで(まだはっきり分からない)、入れたはずのCDの曲が出て来ません。使っている内に分かるだろうと思いながら、今のところ自動的に先頭に来る曲から再生しています。
 

130415a  今日は日中は車で丹波方面へ出かけていたので、SDカードにコピーしたこのトロヴァトーレをちょちょく聴いていました。このCDは2001年のヴェルディ・没後百年のシーズンにムーティがスカラ座でリチートラを抜擢して話題になった公演のライヴ盤です。手元にあるのは再発売の廉価盤(写真が全く無い極めつけ簡素なCD)です。他に映像ソフトでも出ていたかもしれません。ライヴ録音なので舞台上の物音や拍手も入っていますが、マイクの位置の関係でオーケストラの音が少々物足らない印象です(再生環境が悪いこともあるはず)。何にしても近年のスカラ座のトロヴァトーレの公演の雰囲気が分かる録音です。
 

 マンリーコを歌うテノールのサルヴァトーレ・リチートラは一昨年に、オートバイ事故により急逝しました。これはその十年以上前、32歳頃の録音です。他のキャストも豪華で、中でもレオノーラのバルバラ・フリットリが抜きん出て素晴らしく(おっさんは女声にばかり関心がいく)、このCDのマンリーコとレオノーラの組み合わせは本当に互いに映えると思いました。
 

 なお、第3幕のマンリーコのカバレッタ「見よ、恐ろしい炎を」は、楽譜に書かれていない高音ハイCに上げるのが慣習ということですが、この公演では厳格な原典主義者・ムーティがそれを認めず、楽譜通りに演奏しています。だからリチートラはこれ幸いか、不承不承か、ハイCで歌っていません。こういうことは劇場に慣れたオペラ通でなければ定見はないかもしれませんが、面白い話です。そういうことが影響したわけではないでしょうが、発売後十年で廉価盤になり、1960年代のラインスドルフのCDらと同じ装丁で販売されています。このCDを聴いていると、ライヴ盤とセッション録音の違いがあるとしても、昨夜の古いエレーデ盤の完成度に逆に感心させられました。重唱の緊密さや、リズム感等色褪せないものだと思います。

14 4月

「トロヴァトーレ」:デル・モナコ、テバルディ、シミオナート エレーデ指揮

ヴェルディ 歌劇「トロヴァトーレ」


アルベルト・エレーデ 指揮
ジュネーヴ大劇場管弦楽団
フィレンツェ五月音楽祭合唱団

マンリーコ:マリオ・デル・モナコ(T)
レオノーラ:レナータ・テバルディ(S)
ルーナ伯爵:ウーゴ・サヴァレーゼ(Br)
アズチェーナ:ジュリエッタ・シミオナート(Ms)
フェランド:ジョルジョ・トッツィ(B)
ルイス/使者:アトス・チェザリーニ(T)
老ジプシー:アントニオ・バルビ(Br)
イネス:ルイザ・マラリアーノ(S)

 

(1959年2月 ジュネーヴ 録音 DECCA)

130414
 ヴェルディのオペラ「トロヴァトーレ」は、1853年に作曲されて同年11月9日ローマ・アポロ劇場で初演された中期の傑作です。同じ年の3月には「椿姫」も初演されています。台本アはスペインの劇作家グティエレスによる劇作品「エル・トロバドール」(1836年にマドリードで初演)に基いているので、舞台は中世のスペインになっています。ストーリーも中々陰惨ですが、それにもかかわらず音楽だけでも大変魅力的で、劇的な歌が多数盛り込まれています。このCDはマリオ・デル・モナコが出ていますが、個人的にはそれよりもテバルディ、シミオナートの女声陣が目当てで購入し、ナビのHDにもコピーして時々聴いていたものです。

マンリーコ(T) :吟遊詩人(トロヴァトーレ)で、レオノーラの恋人
レオノーラ(S) :アラゴン公夫人付きの女官
ルーナ伯爵(Br) :アラゴン公に仕える貴族、実はマンリーコの兄
アズチェーナ(Ms):ジプシーの女、マンリーコの育ての親


 主要な登場人物は上記の四人で、それぞれが恋敵、親の敵、実の兄弟(そうだとは知らない)という関係が絡んでいます。ジプシーの女アズチェーナは、かつて母親をルーナ伯爵家に火あぶりにされ殺されています。アズチェーナはその時伯爵家の赤子を道連れにしようとして、誤って自分の赤子を火に投げ入れてしまい、代わりにルーナ伯爵の弟を自分の子供として養育します。それがマンリーコであり、伯爵が仕える領主夫人の女官・レオノーラと相思相愛です。ルーナ伯爵もそのレオノーラに恋しているのでマンリーコは邪魔な存在です。このように出生、立場が複雑、思い通りにならない環境です。そのため、各役柄もどこかかげを帯びて、解釈というか何を求めるかで変わってくるのだろと思います。


 ともかくこのCDはヴェルディの「歌」を堪能できる点で素晴らしいと思います。ただ、トロヴァトーレの決定盤的な評判とまでは呼ばれなかったような記憶があります。同じくらいの時期の録音だけでも、セラフィン指揮のスカラ座・DG盤(1962年-ベルゴンツィ、ステッラ、バスティアニーニ、コッソット)、シッバース指揮のローマ歌劇場・EMI盤(1964年-コレッリ、トゥッチ、メリル、シミオナート)等が有名でした。マンリーコならコレッリ、ルーナ伯爵ならバスティアーニが良いとか色々言われています。あと、マリア・カラスの存在も忘れられません。このCDよりも古いモノラル録音で、カラヤン指揮のスカラ座盤が有名です。


 テバルディとカラスはとかく並べ、比べられていましたが二人が歌い、演じたトスカについて面白い比喩を読んだことがあります。これは有名な表現なのか度々見かけました。ひたすら恋人のためにスカルピアを殺すのがテバルディ、自分の恋を貫くためにそうするのがカラス、という意味の表現でした。実際の二人の歌唱表現がその様なものだったかは分かりませんが、ニュアンスの違いは面白いと思いました。その線で考えれば、恋人の命を助けるために ルーナ伯爵に身を投げ出すと偽り、毒をあおり自害してしまうトロヴァトーレのレオノーラは、トスカよりもか弱い女性に見え、よりテバルディ向きということになりそうですが、これもよく分かりません。


 最後に指揮のエレーデについて、DECCAのイタリア・オペラで活躍しているものの、レコード界ではオペラ職人的な扱いで、あまり巨匠扱いされていないようです。しかしこのブログで取り上げたオテロボエーム蝶々夫人等はかなり素晴らしいと思えるので、ヴェルディとワーグナーのメモリアル年を機会に埋もれた録音が復刻されるこを期待します。

13 4月

ハイドン交響曲第95番 ヴァイル、カペラ・コロニエンシス

130412a ハイドン 交響曲 第95番 ハ短調 Hob1.95

ブルーノ・ヴァイル 指揮
カペラ・コロニエンシス

(2008年10月24,26日 エッセン・フィルハーモニー,アルフリート・クルップ・ザール ライヴ録音  Ars Produktion)

 今朝の五時半頃、淡路島付近を震源とした地震があり、京都府宇治市では震度3くらいでした。ちょうど地震の十分前くらいに目を覚ましていましたが、ゆれの時間も短くて再び寝ていました。昼にTVをつけたら鉄道が運転を見合わせていたとか大変な騒ぎになっていて、地域によってはひどかったことを知りました。18年前の阪神淡路大震災時は、ラックに立てて並べたCDが落下したのでそれだけを比べても今回は軽度で済みました。ただ、京都府南部もかつて大地震(伏見城が倒壊した慶長大地震等)を引き起こした断層が走っているので、これに続かないことをいのります。

 これは1990年代に連続してハイドンやシューベルトの交響曲、ミサ曲等を録音していたブルーノ・ヴァイルの、比較的新しいハイドンの録音、SACDです。カップリングは交響曲第93番、第95番、第96番で、ヴァイルによる解説CDも付いています。今度のオーケストラは、ターフェルムジーク・バロック管弦楽団ではなく、同じく古楽器オケのカペラ・コロニエンシス(1954年設立)です。どちらもヴァイルが設立したのではなく首席でもありません。ただ、ヴァイルはこのオケを指揮してワーグナーの「さまよるオランダ人」を録音して話題になりました。目下のところ、ザロモンセットをこのコンビで六曲(もう一枚は第94番、第97番、第98番を収録)録音、リリースしています。

ヴァイル・2008年
①6分24②4分48③4分30④3分49 計19分31

クイケン・1992年
①6分27②5分39③4分29④3分43 計20分18
グッドマン・1992年
①5分47②4分20③4分42④3分42 計18分31

130412b  収録されている三曲中で最初に聴いたのがこの第95番だったこともあり、この曲が特に印象に残りました。チェロのソロも活躍するアンダンテ・カンタービレの第二楽章は、彼のベートーベンの録音でも聴かれるように優美です。また、終楽章が端正でありながら、湧き立つようなリズム感で圧倒的です。ただ、同じくピリオド・オケによる過去の録音のトラックタイムを並べてみると、今回のヴァイル盤が突出しているわけでもなく、この曲の演奏は概ねこういう具合なのかもしれません。

 ブルーノ・ヴァイルは古楽器奏者から出発したのではなく、スワロフスキー門下にして1979年のカラヤン国際指揮者コンクール二位という経歴で、歌劇場でキャリアを積んで来た人物でした。CDのレパートリーや演奏を聴いた印象からして、なるほどと思います。上記の三種について言えばクイケンとグッドマンがバロック・ヴァイオリン奏者であるのとは違った経歴です。

 昨日の昼から自家用車を買換え・乗り換えたため、カーナビにコピーしたCDともお別れになりました(原本のCDは手元にある)。今度はHDではなくアップル - iTunes で変換されたMPG4のファイルをSDカードに入れて再生できるタイプになりました。何となくダウン・グレードなので音質は期待していませんでしたが、予想以上に良く、再生中にHDにコピーした場合のように音飛びが無いのも目立ちます。そういうわけで新しい環境の車内でハイドンを聴いていると、例年心身ともに今一つなこの時期に非常に快適に響きます。胎教に良い音楽とか、ヒーリングが話題になる時ハイドンが取り上げられるのかどうか記憶がありませんが、あるいはハイドンもかなり「効く」タイプなのかもしれません。

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11 4月

ハイドン交響曲第95番 カザルス、マールボロ音楽祭管弦楽団

ハイドン 交響曲 第95番 ハ短調 Hob1.95

パブロ・カザルス 指揮
マールボロ音楽祭管弦楽団

(1967年7月8日 ヴァーモント州マールボロ ライヴ録音 SONY)

130411a  このCDはカザルスが最晩年に残したライヴ録音の中の一つで、かつて取り上げたハイドンの交響曲第45番と同じCDに入っています。CDにはあと一曲、ハイドンの交響曲第94番も収録されています。今回の第95番と第94番が同じ年のマールボロ音楽祭での演奏でした。ハイドンの交響曲第95番は、1791年の第一回ロンドン旅行(招聘興行か)の際に作られた二作目です。昨夜までの交響曲第52番と同じくハ短調の作品であり、十二曲あるザロモンセットの中で唯一短調の曲です。

交響曲第95番ハ短調
第1楽章 Allegro moderato
第2楽章 Andante cantabile
第3楽章 Menuetto
第4楽章 Finale. Vivace

 交響曲第95番は第一楽章に序奏を持たないことと、第三楽章のトリオ部分でチェロの独奏が活躍するのが特徴的です。同じハ短調でも第52番程の悲壮感は前面に出ず、どこか明るさが漂う曲です。正直言ってハイドンの第95番を題名を伏せて流されても、すぐにそれだと分かる程は記憶していませんでしたが、聴き始めるとすぐに素晴らしさに惹きつけられます。このCDはカザルスの指揮なので、重厚ささえ感じる程の堂々とした響きで開始されるのでなおさらです。

130411b  CD付属の解説には、マールボロ音楽祭でのカザルスの様子も紹介されていて、ある時カザルスが「ハイドンには美しいチェロソナタがある」といって弾き始めた時のことが載っています。最初は忘れてしまったと言いながら、しばらく弾いている内に完全に思いだして、何十年ぶりかで曲全部を弾き切ったそうです。途中で夫人が楽譜を持って来ようかと言ったのを制して、自力で思いだそうとしたのもいかにもと思います。これを読んでそのチェロソナタも気になりましたが、とにかく晩年のカザルスの指揮を象徴しているような感慨深いエピソードだと思えます。

 一方で演奏の印象は古典派、ロマン派という概念では捉え切れないような、一種の賛歌を思わせるものです。ハイドンでもモーツアルト、ベートーベンでもスタイルに違いがないのかとかそういった不満は不思議と湧いてきません。演奏終了後の拍手と歓声は、現代とは環境が違うとしても、肯定以上の大きな満足、感動を示しています。カザルスのマールボロ音楽祭やプエルト・リコ・カザルス音楽祭の一連の記録は、臨時編成のオーケストラによるほとんど一発録りのはずなのに、オーケストラが良く鳴っていて(聴く人がきけばアラもあるのかもしれないけれど)、さらに何らかのプラス・アルファを感じさせる不思議な感動があります。

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10 4月

ハイドン交響曲第52番ハ短調 ブリュッヘン、O・A・E

ハイドン 交響曲 第52番 ハ短調 Hob1.52

フランス・ブリュッヘン 指揮
エイジ・オブ・インライトメント管弦楽団

(1997年3月 ロンドン 録音 旧フィリップス)

130410  昨夜に続いてハイドンの交響曲第52番のCDです。これはブリュッヘン指揮のエイジ・オブ・インライトメント管弦楽団による「疾風怒濤期の交響曲集」五枚組からの一枚です。ブリュッヘンの指揮といことで、あまり流麗でなく、力がみなぎる演奏を念頭に置いて聴きだすと、沈んで憂いを含んだような印象なのでやや戸惑います。そもそもこの録音はブリュッヘンの手兵である18世紀オーケストラではなく、O・A・Eなのでその影響もあるかもしれません。ブリュッヘンのハイドンは他に、ザロモン・セットとパリ交響曲集があり、いずれも18世紀オーケストラとの録音でした。ブリュッヘンと18世紀オーケストラのコンビは、モーツアルトやベートーベンの録音でよく聴き、かなり気に入っていました。それらの録音は、ティンパニの音などが特にそう印象ですが、きれいな音色でなく、何かがグシャッと壊れたり、軋んだりするのを想像させるもので、それがかえって魅力的でした。ハイドンの疾風怒涛期の交響曲では、そんな風な音を敢えて避けたのか、それとも制作上・スケジュール上の都合なのか面白いところです。

 クイケン盤と併せてトラックタイムの列記です。時間が大きく異なる楽章は主第反復有無が影響していると思われるも未確認です。クイケン盤のところでも書いていましたが、ブリュッヘンは通奏低音・チェンバロを使わずに演奏しています。その点と18世紀オーケストラに比べて洗練された音色(適当な言葉を知らないので)のため、この録音はモダンオケで演奏した場合を連想させられます。過去のブリュッヘンの録音と比べて、内向的な印象の魅力です。

ブリュッヘン・1997年
①6分46②7分59③2分09④3分56 計20分50

クイケン・1988年
①6分28②9分35③3分27④5分26 計24分56

 エイジ・オブ・インライトメント管弦楽団は1986年にイギリスで設立された古楽器による団体です。古楽器奏者が集まって結成したもので、主催者が創設したタイプとは異なり特定の指揮者を置いていません。ブリュッヘンやクイケンの他、チャールズ・マッケラスらも客演しています。1997年はじめにはロンドン・クラシカル・プレイヤーズ(1978年にロジャー・ノリントンにより設立)を吸収しました。ということは、録音データからしてこのCDの録音時はちょうど吸収併合直後かもしれません。

 月刊レコード芸術誌の1980、1990年代の交響曲・特選盤の中には、ハイドンの疾風怒涛期の作品はデレク・ソロモンス指揮のレストロ・アルモニコだけでした。他に特選は無く、初期交響曲にも特選盤は見られず、ザロモンセットの曲だけで、しかも少数に留まっています。クイケンやブリュッヘンは特選を貰っていましたが、以下はそれ以外の特選付与盤です。ホグウッド(1986年6,7月)、ブリュッヘン(1988年6月:第90番も含む、)、プラハ室内管(1983年6月:指揮者無し)、テイト(1992年9月)、コリン・デイヴィス(1980年4月,9月、1982年10月)。この他はアバド、カラヤンがあったはずです。

 この時期はマーラー、ブルックナーのブームと言えるので新譜自体がそれらに比べて多くは無かったはずです。ハイドンの交響曲全曲録音を目指したホグウッド、ヴァイル、ロイ・グッドマンも未完に終わっている状況のなかで、ブリュッヘンが残した「疾風怒涛期」の交響曲集は貴重です。

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9 4月

ハイドン交響曲第52番ハ短調 クイケン、ラ・プティット・バンド

ハイドン 交響曲 第52番 ハ短調 Hob1.52

シギスヴァルト・クイケン 指揮
ラ・プティット・バンド

(1988年 オランダ,ハーレム録音 VIRGIN)

130409a  ここ何年か京都市役所前の地下駐車場が、近隣で建設しているマンション工事の業者の車で埋まっていました。それが最近は竣工したマンションがあるため、一気に空きスペースが増えて使いやすくなりました。またここ何週間は引越し業者のトラックをよく見かけます。今完成したものはリーマンショック後の低迷期に用地を仕入れているはずなので、なんとかミクスの効果とは言えないのでしょう。それでも新築のマンションへ引っ越して来るトラックの荷物を見ていると、何となく景気が良いような雰囲気だけでも味わうことができます。

 ハイドンの交響曲第52番は1771年後半頃に作曲され、「疾風怒涛期」の交響曲としてまとめられる十九曲に含まれる作品です。ハイドンの全交響曲の中で短調の曲は11曲であり、その内の6曲が「疾風怒涛期」の作品に含まれます。この時期の交響曲は6/19という短調確率になります。なお、ザロモン・セット中唯一短調の第95番もハ短調でした。

 ハ短調はベートーベンの運命と同じなので、アメリカのハイドン研究者ロビンズ・ランドンはこの曲を「ベートーベンの第五交響曲の祖父」と評しています。実際聴いてみると、第一楽章は第1主題のユニゾンで始まり、この部分は「運命」の出だしを思い出します。「ハイドン106の交響曲を聴く(井上太郎・春秋社)」の解説では、「ハイドンの作曲の才能がいかに時代を超えた高みにあったかを示す傑作と言ってよい」とコメントしてあります。実際に「疾風」という言葉が似合う疾走する趣のある、魅力的な曲です。先日のD.R.デイヴィスによるライヴ録音の全集では、終演後にはひと際盛大な拍手と歓声が聞かれます。それにもかかわらずこれまでレコード、CDの数はあまり多くありませんでした。何か標題が付いていればもう少し録音する演奏家が増えたかもしれません。

交響曲第52番ハ短調
第1楽章 Allegro assai con brio
第2楽章 Andante
第3楽章 Menuetto(Allegro)&trio
第4楽章 Finale,Presto

130409b_2   クイケン盤で聴くとその第1主題のユニゾンを強調しているようで、同じくピリオド・オケのブリュッヘンと比べてもより刺激的です。また、終楽章もクイケンにしては激しさを帯びて、疾走感が出ています。ハイドンの交響曲の演奏で、チェンバロ等の通奏低音が入っているものもあり、この録音でも冒頭から終始チェンバロがかなり目立っています。どの時期の作品まで通奏低音が必要なのか、チェンバロ等を加えていない録音(ブリュッヘンやホグウッドはチェンバロ等は無しで演奏している)もあり、よく分かりません。歴史的、学問的な正統性はともかくとして、聴いていてどちらが魅力的かについては、曲により、演奏により一様ではないと思えます。しかし、今回のクイケンの録音はチェンバロが無かったら、より疾走的な印象になったのではないかと思います(この場合、通奏低音が自転車の補助輪のような印象を受けます)。

クイケン・1988年
①6分28②9分35③3分27④5分26 計24分56
ブリュッヘン・1997年
①6分46②7分59③2分09④3分56 計20分50

 このCDはヴァージン・レーベルからまとめて再発売されたもので、パリ交響曲集と交響曲第26番、第52番、第53番の計14曲が収録された五枚組です。クイケンによるハイドンの交響曲は他にザロモン・セットの全曲くらいで、疾風怒涛期の他の作品や初期作品の録音があったか未確認です。この録音を聴く限りせめて疾風怒涛期の全部くらいは聴いてみたい気がします。それと同時に交響曲第52番は、例えばカザルスやテイトの指揮による、モダン・オケでも聴きたいと思いました。

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昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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