raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

2013年01月

31 1月

ワルター、コロンビアSOのベートーベン「運命」

ベートーヴェン 交響曲 第5番ハ短調 Op.67「運命」


ブルーノ・ワルター 指揮

コロンビア交響楽団


1958年1月 ハリウッド 録音 sony)
 

130131  今朝の通勤は車ではなく電車にしたところ、京阪本線の墨染か藤森駅で小学生の一個連隊が乗り込んできました。せっかく各停に乗って静かに行こうと思ったのにガッカリしましたが、そこそこ行儀が良くて、神経に障らない喧騒でした。おまけに私の小学生時代と比べて着ている服装が皆それなりに小奇麗で感心しました。通勤時間帯に電車に乗ってどこへ行くのかと思えば、京都市交響楽団の「小学生のための音楽鑑賞教室」を聴きに行くために北山の京都コンサートホールが行き先でした。10時過ぎからなら、もう少しずらせばいいのにと思いながら、同じ三条駅で降りました。詳しい曲目は知りませんが、運命とか言っていました。自分が小学生だった頃は、岡崎の京都会館第一ホールで、ケテルビーのペルシャの市場にて、ベートーベンのトルコ行進曲、モーツアルトのアイネ・クライネ・ナハトムジーク等でした。
 

 運命というタイトルを聞いたところで、かつてラジカセにFM放送のワルター指揮、コロンビア交響楽団による同曲を録音(エア・チェック)した時を思いだしました。ちょうどこれから放送する直前に録音を思い立ち急いだため、使い方を間違い曲が始まってしばらくのところからしか録音できませんでした。特に第三楽章が優雅で気に入り、何度も再生していました。ソニーのクロム・テープに録れてツメを折り、保存するつもりでしたがやがて上書き録音してしまいました。
 

ワルター・コロンビアSO(1958年)
①06分21②10分47③05分47④09分34 計32分29

以下、クレンペラーのセッション録音
1955年12月・PO
①08分05②10分07③05分41④11分09 計35分02
1959年10月・PO
①05分55②11分11③06分13④13分17 計36分36

 
  本当に久しぶりに聴いてみると、「ワルターとコロンビアSOなら田園」というイメージとはちょっと外れてなかなか重厚で、勇輝な演奏だったので驚きました。また、公式の演奏から引退した頃の演奏だとはとても思えない、覇気に満ちています。上記はこの録音のトラック・タイムと、ついでに同曲のクレンペラーによるセッション録音のタイムを列記してみました。リピートの問題もあって、特徴の差があるようで無いような微妙な時間です。
 

 ワルターの録音の中で気に入っているのは、ニューヨーク・フィル(一部コロンビアSO)とモノラル録音したモーツアルトの交響曲、レクイエムで、その後のステレオ録音はちょっと印象が薄いと思っていました。しかしこれを聴いていると、少々端正になったかもしれませんが同じように奔放な魅力を感じます。
 

130131a  今週の昼間、やっつけ仕事をしている時BGMにそのワルターのニューヨーク時代のリハーサル音源を流していました。練習している曲がモーツアルトのリンツ交響曲で、有名な“ Sing out!” という大きな声が度々聞えました。不思議なもので、自分とは全然関係ないその声のおかげで滅入りがちな気分が幾分晴れる気がしました。上記のトラック・タイムからはワルターとクレンペラーの差は分かり難いですが、 Sing out!” に象徴される何ものかが大きな違いのうような気がします。
 

 なお、モノラル録音の際のコロンビア交響楽団と、ステレオ録音時のコロンビア交響楽団は日本語表記が同じでも実体は別で、前者はニューヨーク、後者はロスアンジェルスの団体ですが混同しがちです。
 

 ところで京都コンサート・ホールで行われる「小学生のための音楽鑑賞教室」は、午前の部がと午後の部があり、ここ何日か連続開催されています。京響も先週金曜に定期を終えたところなのにフル操業です。それで、午前の部はおそらく正午前に終わるはずなので、小学生の昼食はどうなるのかと思いました。学校へ戻って給食なのか、手荷物を持ってなかったので弁当は持っていないからどこかで外食かもしれません。そうだとすればホール内のレストランには入り切れないので、どこで食べるのか余計なお世話ですが気がかりです。

30 1月

ブロムシュテット、サンフランシスコSO ブルックナー第6番

ブルックナー 交響曲 第6番 イ長調 (ノヴァーク版)


ヘルベルト=ブロムシュテット 指揮

サンフランシスコ交響楽団
 

(1990年10月 サンフランシスコ,デイヴィス・ホール 録音 DECCA)


 このところスポーツ、教育現場と「体罰」、暴力の問題がクローズアップされています。自分自身の小学生の頃なら、例えば運動会の練習なんかでは児童二、三人の足を刈るように蹴ってなぎ倒すという光景は日常茶飯事だったので、一掃するのは無理ではないかと思います。しかし同時に、人間一人の命は地球より重いと言うほどなので、そこまで追い込むものは何であれ、許すまじだと思います。
 

 このCDは最近ライプチヒ・ゲヴァントハウス管とライヴ録音によるブルックナー交響曲全集を完成させたブロムシュテットが、サンフランシスコ交響楽団の音楽監督時代に録音したものです。このオケとのブルックナーは他に交響曲第4番があります。また、マーラーの交響曲第2番「復活」、ヒンデミットのオペラ画家マティスからの交響曲等がありました(意外に少ない)。
 

130130  オーケストラと指揮者の組み合わせ、オーケストラと曲目の取り合わせの相性というものに時々言及されることがあります。これは聴く側よりも、演奏者側の方にとって神経質な問題なのだろうと思います。このCDの解説には前者について、ブロムシュテットとサンフランシスコ交響楽団との相性が抜群であると長文で説明しています。ブロムシュテットは1986年にサンフランシスコSOの音楽監督に就任しました。その前は東ドイツのドレスデン・シュータツカペレの首席指揮者を約十年務め、ベートーベンやシューベルトの交響曲全集、ブルックナーの交響曲第4、7番といった録音を残しています。このようにドイツの名門オケ、独墺系のレパートリーというイメージから、ブロムシュテットとサンフランシスコSOは当時ミスマッチと映りかねなかったので、それを払拭しようというライナー・ノーツの意図だったのかもしれませんが、この一枚を聴くだけでもその解説文の通りだと感心させられます。
 

 カップリングされている一曲目のワーグナーの「ジークフリート牧歌」がまず素晴らしく、絹のハンカチのような滑らかさと繊細さに圧倒されます(ブルックナーよりもこちらの方がより素晴らしいかもしれない)。実際、このCDが国内盤新譜として出た時はレコ芸(1993年8月号・担当は小石忠男、樋口隆一の両氏)の月評で特選を得ています。
 

サンフランシスコ(1990年)
①16分36②18分49③8分15④14分04 計57分44

ライプチヒ(2008年)
①17分06②17分16③8分51④15分23 計58分36


 旧録音となった今回のサンフランシスコ盤と近年のライプチヒ盤のトラック・タイムを比べると、第二楽章だけが1分半程長いのが特徴です。それはアダージョ楽章の美しさが際立つこの録音の特徴を示すもので、新譜時の月評にもあるようにアメリカのオーケストラというイメージ(というより先入観か)からは遠い優美さです。1990年代の日本なら、ブルックナーと言えばヴァント、朝比奈に注目が集まっていて、他にアイヒホルンやティントナーといったブルックナーのスペシャリスト的な人が登場したので、それ以外の現役指揮者のブルックナーは影が薄くなる傾向が見られました。


 今これを改めて聴くと、ブロムシュテットとサンフランシスコのコンビでもう少しブルックナーを録音していてくれればと思えてきます。それだけでなく、90年代にもN響に客演していたはずなので、その公演を生で聴いてみたかったと思います。


 昭和50年代前半、冬季に全校で「乾布まさつ」をやっていたことを思い出します。一通りタオルでこすった後、グランドを一周走って終わるのがメニューでしたが、小学四年生までは男女一緒に、屋外でそれをやっていました(少なくとも一年間は)。現代の感覚からすれば、四年にもなれば男女は別々だろうと思え、当時でさえもそれを苦痛に思った女児がいても不思議ではありません。でも、みんなが一緒にやっていることに異を唱えるのは勇気がいることなので、我慢していたかもしれません。何が「暴力」になるかは結構繊細な問題のはずです。

29 1月

ベートーベン「フィデリオ」 クレンペラー指揮PO、ヴィッカーズ、ルートヴィヒ

ベートーヴェン 歌劇「フィデリオ」


オットー・クレンペラー 指揮

フィルハーモニア管弦楽団
フィルハーモニア合唱団
(ヴィルヘルム・ピッツ指揮)

レオノーレ:クリスタ・ルートヴィヒ
フロレスタン:ジョン・ヴィッカーズ
ドン・ピツァロ:ヴァルター・ベリー
ロッコ:ゴットロープ・フリック
マルツェリーネ:インゲボルク・ハルシュタイン
ヤキーノ:ゲルハルト・ウンガー
ドン・フェルナンド:フランツ・クラス
第1の囚人:クルト・ヴェーオフシッツ
第2の囚人:レイモンド・ウォランスキー


(1962年2-3月 ロンドン,キングズウェイ・ホール、アビー・ロード・スタジオ 録音 EMI)

 
 先週、「無人島に持っていく」改め、「独房に持参する」CDとしてシュッツのヨハネ受難曲(エーマン盤)をつい挙げました。ベートーベン唯一のオペラ「フィデリオ」はフロレスタンが本当に牢獄に繋がれる場面が象徴的な作品です。音楽史の読み物ではモーツアルトのオペラを引き合いに出して、ベートーベンはオペラ向きではないとか生真面目過ぎて面白くないと批評されながら、現代でもしばしば上演されています。無実で獄に繋がれる夫を助けるため男装して監獄に潜入する妻、最後は国王の英断によってえん罪が晴れてハッピーエンドという物語は、成る程「道徳劇」のような筋です。邦画の極妻シリーズにありがちな、嫁に命を助けられた組長は面目が立たず、面白くないので結局ハッピーエンドにはならない話を思えば、物語としても理想主義的、観念的に過ぎるとも言えます。しかし、ベートーベンの音楽にのって上演されると説得力を持って迫ります。


 このクレンペラーの録音は十代の頃、国内廉価盤LPで購入して以来すっかり魅了されていました。フィデリオはこの録音さえあれば十分くらいに思っていたものです。クラシックの分野では元々はオペラは関心が薄かったのですが、クレンペラーのメサイアを聴いて以来舎弟になることを決意して「クレンペラーとの対話」という本を読んで、クレンペラーがオペラ指揮者だったことを知り、彼の魔笛、フィデリオのLPを聴いてオペラにも足を踏み入れることになりました。今聴いてもクレンペラーだけでなく、ヴィッカーズやルートヴィヒをはじめ歌手も素晴らしいと思います。ただ、オペラというよりもオラトリオか大がかりな声楽作品を思わせる演奏だとも思えます。

 フィルハーモニア管弦楽団の創設者にして解散者、EMIの大物プロデューサーであったレッグは、クレンペラーが戦後残したオペラのセッション録音の中で「フィデリオ」を最高の出来と評しています。戦前は歌劇場のポストを渡り歩いたクレンペラーも、戦後はブダペストを最後にオペラを日常とする環境から離れてしまいました。そんな中にあって、ロンドンのコヴェントガーデンはクレンペラーがピットに入った数少ない劇場だったはずで、このCDの前年には「フィデリオ」を指揮して演出も手がけたはずです。EMIへ残したオペラのセッション録音は他にモーツアルトの四大オペラ、ワーグナーの「さまよえるオランダ人」があります。最晩年のフィガロやコシ、その少し前のオランダ人も類を見ない録音ですが、このフィデリオは歌手が揃っている、クレンペラーの演奏とよく合っているという点では筆頭かもしれません。

  クレンペラーのフィデリオに対する考え方はブログ初期のフィデリオ・ライヴ盤の回に載せましたが、彼のキャリアの節目にはよくフィデリオを振っていました。例えばストラスブール時代にプフィッツナーの代役で指揮した時は、御師プフィッツナーが行ったカット(最後の場面で、「国王陛下の思し召しにより」までを省略)を元に戻してもめました。プフィッツナーは「おどれはワシの代行じゃけん、ワシの演った版で演奏せんといかん」と詰めよれば、クレンペラーは「ベートーベンの版で演奏するのが筋」と言い張ってゆずらなかったということです。後年ブルックナーの第8のフィナーレでカットをしたくせに、生真面目なことです。
 

 個人の嗜好として、第二幕最初、フロレスタンが檻の中で歌う序奏とアリア「神よ、なんという暗さだ 」は、ベートーベンが書いた最もベートーベンらしい美しさの曲ではなかろうか、と思うくらい気に入っています。まるで作曲者の人生を象徴しているかのような深みさえ感じられます。この部分もクレンペラー盤は格別です(もっともこれはヴィッカーズによるところが大かもしれない)。フロレスタンが手の鎖をかざして「真実を口にした報いがこの鎖」と歌うところは、ベートーベンの身の上に降りかかった聴覚奪った病気の苦しみを思い起こさせます。オペラの中ではレオノーレが助けに来ますが、現実のベートーベンにはついぞ天使のようなレオノーレにはめぐりあえなかったわけです。身近に耳の不自由な人間が居たので、一種の生々しさを感じますが、ベートーベンは死んでようやく檻と鎖から解放され、重荷を下ろしたようにも見えます。


 なおLPでは「レオノーレ序曲第3番」が劇中に挿入される箇所に収録されていた覚えがあります。しかし、再発売のCDでは末尾に収められています。前者の劇中挿入は大変効果的だとは思いますが、クレンペラー自身の話では必ずしもそれが絶対的とも考えていなかったようです。

27 1月

シューベルト・冬の旅 ゲルネ、ブレンデル 2003年ウィグモア・ホール

130127シューベルト 歌曲集「冬の旅」 D.911


マティアス・ゲルネ
:バリトン
アルフレッド・ブレンデル:ピアノ


(2003年10月8日 ロンドン,ウィグモア・ホール ライヴ録音  Decca)


 
 「さむいイ~ッ よぎしゃでえー (寒い夜汽車で)」で始まる演歌がかなり昔にあって、厳冬期の風が強く冷え込む日にはその歌詞が口をついて出てきそうになります(決して口に出して歌わないが)」。数日寒さが緩んでいたので冷え込みがぶり返すとこたえました。それで、またこの歌を思い出したのですが、そもそも誰の何と言う歌か今さら気になったので、サクッとネットで検索してみました。すると八代亜紀の「愛の終着駅」という歌で、昭和52年・1977年のレコード大賞・最優秀歌唱賞をとった歌だと分かりました。ただ、そこまで古い歌だとは予想外で、冷え込む度にこれを思い出してきたことの進歩の無さ、マンネリ加減に軽く自己嫌悪をかみしめました。そもそもブルートレインや夜行急行はほとんど無くなっているので、「夜汽車」は実質死語のはずです。


 シューベルト弾きであるブレンデルがピアノ・パートを受け持った歌曲集「冬の旅」の録音がどれだけあるのか把握していませんが、過去に
フィッシャー・ディースカウとの共演盤を取り上げていました。それは1985年録音だったので、今回のCDはそこから18年を経て録音されたライヴ盤です。1931年生まれのブレンデルは既に演奏活動から退いていますが、この録音時には72歳でした。ただ、この冬の旅を購入したのはブレンデルよりもマティアス・ゲルネが目当てでした。


 というのは、フィッシャー・ディースカウの後を受けて「冬の旅」を反復録音するほど追求して行く歌手が出るのか、どんな風に歌っていくのか気になるからです。一時期、本場ドイツではリートの演奏会は切符が売れないと言われたそうですが、ゲルハーヘルやゲルネはドイツ歌曲の録音を着実に重ねています。ゲルネはこのライヴ盤で「冬の旅」の二度目の録音になります。


 CDジャケットの獅子吼するような写真からは、専ら歌詞の内容を表現する歌唱を連想しましたが、実際にはその美声が印象的で、ことさら深刻さを強調する風ではありません。むしろピアノの方が雄弁な印象を受けました。ただ、ウィグモア・ホールの音響を重視してか、演奏者からより遠くで収録しているような音なので、両者の音がおぼろ月のような印象を受けます。セッション録音だったら違った印象になるのかもしれません。今回これを聴いていると、決して退屈なものではないものの、フォルテピアノとテノールで原典版で演奏するスタイルや女声による演奏が新鮮に聴こえるのも肯けると改めて思いました。まだ何度か聴いただけですが、これは聴く側は耳も心もいっそう研ぎ澄まして、集中して相対しなければならないタイプの演奏なのだろうと思いました。


 ところで八代亜紀といえば、TVの刑務所モノで慰問している姿を何度か見たことがあり感服しています。昨年12月に大阪高裁の、賽銭を10円を盗んだ事件の控訴審の判決(破棄自判)「懲役一年の実刑」が出て少し話題になりました。世の中十円足らないからといって容易にその分の支払いを免じてくれないので、犯罪には違いないとは思います。しかし、巨額の贈収賄や、何とかファンド、薬害事件、或いは某代議士の秘書給与事件では執行猶予になったことを思い起こすと、どこか均衡を欠いている気もします。と言うよりも、贈収賄等の方が猶予され過ぎているのかもしれません

26 1月

マイラ・ヘスの録音集からベートーベン・ピアノソナタ第31番

ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調 op.110

マイラ・ヘス:ピアノ

(1953年5月2日 ロンドン,Abbey Road No.3 Studio 録音 EMI)

 耳鼻咽喉科は特に持病が無い限り、一年に何度も訪れるものではなく、いざ必要に迫られるとどこにあるのか探すのに戸惑います。個人の医院なら水曜か木曜日が休診、又は午後か午前のどちらかを休んでいる場合が多いので複雑です。昨日の朝、外耳炎が悪化したのでこれ以上ひどくならない内に診療を受けようと思い、職場近くの耳鼻科に行こうとしました。ところが、一か所は木曜休診、もう一か所は午前のみ診療かつ予約手術のみだったので、結局夕方まで待つことになりました。数日前から外耳道に瘡蓋状のものが出来て痛かったのが、前日夜には腫れて発熱しているようだったので、顔まで腫れはしないかと心配しました。

 京都市役所近くの医院は予想以上に混雑していて、インフルエンザの患者も来ていました。幅広く耳鼻科を利用しているようで、耳鼻咽喉科に対する自分の認識不足を実感しました。抗生物質やら複数を処方してもらい、すぐ服用するように言われたのでコーヒーとサンドウィッチで一服して服用しました。ついでにサンサーンスのヴァイオリン・ソナタのCDを買おうとしてCD店に立ち寄りましたが、歩いている内に肝心のサンサーンスをすっかり忘れ、店頭で見つけた一枚999円の廉価盤シリーズが目にとまりました。マイラ・ヘスの戦後のセッション録音を集めたCDで、ベートーベンのピアノ・ソナタ第30、31番が入っているのでそれを一枚買って店を後にしました。ヘスの国内盤CDがかつて出たことがあるか分かりませんが、とにかく珍しいと思います。

130125  デイム・マイラ・ヘス(1890-1965年)はロンドン生まれのユダヤ系女流ピアニストで、1941年には英王室から「デイム」を授与されています。日本では「あらえびす」の著作で賞賛、紹介されていたそうですが、私は「クレンペラーとの対話(P.ヘイワーズ編)」の中で、彼女と共演した際にヘスが暗譜では無く楽譜を置いて演奏していたことを褒めていたのでその名を記憶していました。そんなことよりも、このピアニストはバッハのカンタータBWV.147のコラールをピアノ曲に編曲したことで有名でした。写真のようになかなか美人なので、クレンペラーとは若いうちに関わらなくて良かったと思います。

 今回のEMI廉価盤は以下のような曲を一枚に収めています(1949-1957年録音)。記事タイトルに挙げたピアノ・ソナタ第31番は、第一楽章に相当する「モデラート・カンタービレ・モルト・エスプレッシーヴォ」が冒頭から重たくは覇気が無く戸惑いました。しかし後半のアダージョ・マ・ノン・トロッポは迫真で、出だしの弱音が美しくて、正しく「嘆きの歌」という名前がふさわしいと思いました。最後のフーガは端正ながら、やや控えめに聴こえます。

ベートーヴェン~
ピアノ・ソナタ第30番ホ長調 op.109
ピアノ・ソナタ第31番変イ長調 op.110
エリーゼのために
バガテル 変ホ長調 op.126-3
D.スカルラッティ~
ソナタ ハ短調 K.11
ソナタ ト長調 K.14
メンデルスゾーン:無言歌第47番イ長調 op.102-5
グラナドス:マハとナイチンゲール(『ゴイエスカス』第4番)
ブラームス~
ワルツ第15番変イ長調 op.39-15
間奏曲 ハ長調 op.119-3
バッハ~
アダージョ(トッカータ、アダージョとフーガ ハ長調 BWV.564より)
前奏曲 ニ長調 BWV.936(6つの小前奏曲より第4番)
主よ、人の望みの喜びよ(カンタータ第147番より)

 クレンペラーと共演した女流ピアニストの一人にハンガリー生まれのアニー・フィッシャーがいます。クレンペラーのブダペスト歌劇場時代に、同劇場の芸術監督だった音楽学者アラダール・トートの夫人がアニー・フィッシャーでした。後にEMIへリスト、シューマンのピアノ協奏曲を共演、録音しています。そのフィッシャーが録音したベートーベンのピアノ・ソナタ(曲順がバラバラながら全集化されている)がかなり気に入っています。ピアノ・ソナタ第31番が特に感動的で、彼女の武道家を思わせる呼吸も入った男性的、勇輝な演奏です。今回のデイム・マイラ・ヘスの同曲の演奏とは対照的です。

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22 1月

F.ディースカウのヴォータン・ラインの黄金 カラヤン、ベルリンPO・1967年

130122a ワーグナー 楽劇・ニーベルングの指輪「ラインの黄金」

ヘルベルト・フォン・カラヤン 指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団

ヴォータン:ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Br)
ローゲ:ゲルハルト・シュトルツェ(T)
アルベリヒ:ゾルターン・ケレメン(Br)
ドンナー:ロバート・カーンズ(Br)
フロー:ドナルド・グローブ(T)
フリッカ:ジョゼフィン・ヴィージー(Ms)
フライア:シモーネ・マンゲルスドルフ(S)
エルダ:オラリア・ドミンゲス(A)
ミーメ:エルヴィン・ヴォールファールト(T)
ファゾルト:マルッティ・タルヴェラ(Bs)
ファフナー:カール・リッダーブッシュ(Bs)
ヴォークリンデ:ヘレン・ドナート(S)
ヴェルグンデ:エッダ・モーザー(S)
フロースヒルデ:アンナ・レオノルズ(A)

(1967年12月6日-28日 ベルリン,イエス・キリスト教会 録音 DG)

130122  カラヤン、ベルリンPOらによるワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」全曲盤は、1966年から1970年にかけて録音され、カラヤン主導で選んだ独特のキャストと共に話題になりました。約15年前に輸入盤・CD14枚組で再発売された時は、税込19,415円という総額で、やっぱりそこそこ高価な値段になりました。しかし一枚当たりでは1,300円なので、CDの国内盤新譜が一枚3,300円とかしていた頃を考えれば値下がりしたものです。昨年末、この1998年の再発売CDの中古品を約35%の価格で購入しました。しかも、ワルキューレ以下三作品は未開封だったのでかなりの買得でした(ささやかな幸運)。

 三作品が未開封、序夜「ラインの黄金」だけが開封されていたということは、前の持ち主は「ラインの黄金」を聴いたところで、これはダメだ、或いは自身のワーグナー観とは相容れない、我慢ならない、くらいの感想だったかもしれません。そうでなくても、短期に全曲を聴こうとする程魅力を感じなかった可能性は高いと思います。それを思えば一瞬我に帰りますが、とにかく割安だったのは確かなことです。

130122b  実際に聴いてみると年代の割りに音質が良好なことにまず感心します。それにベルリンPOについて「室内楽的な精緻な演奏」という評判はその通りか、それ以上の見事さです。織りなす旋律が透けて見えるような明晰さです。いかにも深そうな湖の水を、全部抜いて底が丸見えになったような味気なさも同時に感じられます。解説冊子によれば、カラヤンはこの録音以前に三度指環を全曲演奏しています。初回が1937年のアーヘン(この時29歳)、次いで1951年の戦後初のバイロイト音楽祭、その次が1960年のウィーンです。当初から現代的で鮮明な演奏と評判になり、冊子の解説ではクレメンス・クラウスやトスカニーニ、デ・サバタを引き合いに出しています。

 「ニーベルングの指環」全曲盤のどれが良いか、一種類を最初に選ぶならどれがBESTかというのは、枚数がかさみ値が張ることから長らく重要な問題でした。その際一番無難だとされたのがDECCAのショルティとウィーンPO盤でした。カラヤン盤は舞台では当該役を歌わない歌手を起用している点などで、お勧めの一番手にはなっていまんせんでした。

 今回の「ラインの黄金」では各役とも、癖はあってもなかなか雰囲気が出ていると思えます。ただ、ローゲ役のシュトルツェはカラヤンの好みなのか演劇的な方に傾斜し過ぎだと思います。個人的には後年のペーター・シュライアーのローゲが気に入っています。あと、フィシャー・ディースカウのヴォータンは大人しすぎる感じがします。意識して威圧感を出そうとしているようにも聴こえますが、同時期のテオ・アダムの録音が念頭にあるので理性的なヴォータンに聴こえます。最初のヴォータンが目覚めてからしばらくの場面やフィナーレの神々の入城の場面は、問答無用の力強さ(野蛮でさえある)が魅力だと思うので、かなり控えめです。これはカラヤンの演奏も同様で、意外にゆっくりめのテンポで、およそ暴力的な要素は奥へ引っ込んでいるような印象です。これは四部作を通じての方針なのかもしれませんが、かなり徹底しています。

 ともかく余人をもって代え得ない、個性的な指環全曲盤だと思います。ブログ内では近年の好みから、バイロイト以外の録音を中心にワーグナー作品を取り上げているので、こういう音響には非常に好感が持てます。

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20 1月

クレンペラー、ニュー・PO モーツアルト交響曲第33番・1965年

モーツアルト 交響曲 第33番 変ロ長調 K.319
 

オットー=クレンペラー 指揮
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
 

(1965年9月 ロンドン,アビー・ロード・スタジオ 録音 EMI)


 既視感、デジャブーという感覚は特に珍しいものではなく生理学的に説明が付くものとされるようですが、明け方に見た夢と似た場面に当日出くわすというのはちょっと奇妙なものです。もっとも、要人の暗殺だとか大事件ではなく平凡な事柄なら、夢の中に出てこようが来まいが、ある程度の確率で遭遇するものなので、それこそ偶然の一つだと言えます。というのは、先日「京急品川駅で電車に乗る夢」を見ましたが、その夢の前半は乗車待ち行列の先頭に割り込むオバハ、否、御婦人を仕方なく入れてあげたところ、態度が横柄だとか喜んで入れないのが紳士的でないと絡まれて、ついに怒りを爆発させて怒鳴っている場面でした。実際にそこまでの経験は無く覚えがないので気味が悪いと思っていたら、当日の昼、新規開店した寿司屋の前で並ぼうとしたところを横から割り込んだ者があり、それが夢の中の御婦人とそっくりの風体だったので、更に不気味でした。
 

 オットー=クレンペラー(1885-1973年)の没後40周年記念として、彼が戦後EMIへセッション録音した音源がまとめて再発売する企画がスタートしています。大半は既知、発売済みのものですが、中には複数種録音があってそれが混同されたり、同じ作曲家の曲でもエアポケットに入ったようにCD化が止まっているものがあるので、この際それらが整理されるので喜ばしい企画です。どうも全録音を網羅しそうな勢いです。

 EMIへ録音したクレンペラー指揮フィルハーモニア管( 途中で自主運営のニュー・フィルハーモニア管に名称が変わる )によるモーツアルトの交響曲は、第25,29,31,33-36,38-41番があり、その内29番と38番以降の三曲は二度録音していました。その中で第33番と34番の二曲は輸入盤・四枚組で一度CD化されて以降、一度も再発売されていません(国内盤があったかどうか未確認)。しかし、LPレコードでは廃盤になっては廉価盤として復活していたようで、LP末期には一枚1500円の「クレンペラーの芸術」シリーズ(上記一枚目の写真のジャケットがそれ)で出回っていました。十代の頃、幸いにして全曲入手で来て33番もかなり気に入っていました。その一枚は33番と34番がカップリングされていて、33番が軽快、34番が重量級といった演奏の印象で面白いと思いました(後者は行き過ぎとも感じました)。

  交響曲第33番は1779年に作曲された、モーツアルトのザルツブルク時代の末期に書かれた交響曲です。1779年から翌年にかけてモーツアルトは交響曲第32、33、34番と三曲の交響曲を作りました。その中で第33番は室内交響曲と言える独特の楽器編成になっていて、フルート、トランペット、ティンパニを含みません。上記のLPの印象が軽快だったのは、そもそも曲の性格、楽器編成がそうだったことも影響しているのでしょう。
 

交響曲第33番 変ロ長調 K.319
第1楽章.Allegro assai 変ロ長調
第2楽章.Andante moderato 変ホ長調
第3楽章.Menuetto 変ロ長調
第4楽章.Allegro assai 変ロ長調


 第一楽章の展開部に現れる動機は、1774年に書かれたへ長調ミサ曲K.192のクレドに使われていて、ジュピター交響曲の第四楽章のフーガ主題にも登場します(と解説に書かれているが、ちょっと聴いたぐらいでは当該部分を識別できない)。

 久しぶりに聴くと、録音年の割に音が良くない(出だしのところはテープ劣化のためか、きたないとさえ思える)のが気になります。既に同シリーズの他の録音で、リマスターされているのに音が悪いという意見が見られる通り、ここでも痩せた音に聴こえます。それらは仕方ないとして、クレンペラーの演奏自体はLPで聴いていた頃と変わり無くきこえます。LP廉価盤の解説に載っている批評には、リズムが重たいとされるクレンペラーにしては珍しく驚くほどの軽快さで旋律を運んでいると指摘しています。また、繊細で優美な身のこなしはとても八十歳を超えた老人のものとは思えないと褒めています。ただ、そんなに極端に情緒に直接訴えかけるような演奏でもなく、クレンペラーの他のモーツアルト演奏と基本的に変わらないと思いました。


 個人的に、クレンペラーの録音の中ではモーツアルト作品が特に好きで、作品のジャンルがオペラであれ、交響曲であれ、モーツアルトが書いた音楽が、人物の性格描写や歌詞の内容、時代の趣味といった音楽そのものでない事柄に従属することが無いように、徹底して音楽、音符上位を貫いているような点が魅力です(リズムが重々しいというのも半ば意図的に強調しているのではないかと想像できる)。そうした好みからすれば、この第33番はちょっと意外な印象も受けます。

19 1月

ケント・ナガノ、モントリオールSO ベートーベン交響曲第3番

130119 ベートーヴェン 交響曲 第3番 変ホ長調 Op.55「英雄」

ケント・ナガノ 指揮
モントリオール交響楽団

バレエ音楽「プロメテウスの創造物」Op.43より
   序曲
   イントロダクション
   第5曲:アダージョ
   第8曲:アレグロ・コン・ブリオ
   第16曲フィナーレ:アレグレット

(2010年5月 モントリオール,サルウィルフリード・ペルティエ、マックギル大学シューリック音楽学校マルチメディア・ルーム 録音 Sony Classical) 

 昭和40年代、50年代なら年末が近づくとみかんを箱ごと買って、一日何個までとか決められて毎日食べていました。正月飾りがとれる頃になれば、みかんの外皮と実の間に隙間が出来て味が変わってきました。それがいつ頃からか温州みかん、種の無い冬みかんをあまり食べなくなりました。栄養バランス上これも問題だろうと、口角炎を契機に思い直しています。それでスーパーを見渡すともう伊予柑が出ていました。

130119b_3   2010年に録音されたベートーベンのエロイカ、演奏しているのがモントリオール交響楽団、指揮はアメリカ人指揮者のケント・ナガノと来れば、所謂本場物の条件は全然充たさないのでアピール度はあまり強くないだろうと推測されます。それでもこのCDは国内盤としても発売されています。個人的に、古くはパリ音楽院管弦楽団とかスイス・ロマンド管、チェコ・フィルのベートーベンに関心があったので、カナダのフランス語圏のオーケストラであるモントリオールSOのベートーベンにもつい注目してしまいます。それだけでなく、何年も前にシャルル・デュトワがN響を指揮してベートベンの交響曲を演奏した公演がFMで放送された時、かなり良かった(そのくせ曲目を覚えていない)のでモントリオールSOとのベートーベンがあっても良かったのにと思ったので、このCDを見た時デュトワではないもののそれがようやく実現した気がしました。

 ケント・ナガノは単にベートーベンの作品を演奏するだけでなく、戯曲等を新たに委嘱して公演で同時に披露しています。ベートーベンの音楽を人文科学の遺産としてとらえ、作曲当時の社会的な位置、それの現代的な価値を問う企画のようです。このCDはシリーズ第二弾で、現在第5番、第6番・8番、第9番と第四弾まで録音、発売されています。交響曲第3番のCDでは、エロイカと繋がりの強いバレエ曲「プロメテウスの創造物」に基づく戯曲をカナダ人作家のヤン・マーテルに新規に委嘱して、その結果出来た作品「プロメテウスの解放を審議する聴聞会」の訳が載っています。

 この戯曲、一連の企画は内容が多岐に渡り深いものがあり、簡単には要約できません。プロメテウスはギリシャ神話に出てくる神で、人類の運命と決定づける出来事に関わっています。とりわけ東日本大震災以降、現在の我々にはこの名前は、単なる神話以上の重みを持って響きます。

130119a_2  それらはさて置くとして、メインのエロイカですが、モダン楽器によるノン・ヴィヴラート奏法等のピリオド・アプローチによるやや速目の演奏で、磨き抜かれた響きが印象的です。ステンレスのような光沢のある金属骨格とガラス面で出来た、四方八方から採光されて影の出来ない空間を連想させられます(誇張すれば)。あくまで重厚な響きにならないように、ロマンティックな風にならないよう入念に注意を払っているかのように聴こえます。にもかかわらず全体的にすごく明朗な響きで、まるで明るい未来を約束しているような楽天的な空気です。このエロイカは流行りのスタイルと言えるはずなのに、不思議と魅力を感じます(ただし、過激でもない)。

 プロメテウスの創造物のフィナーレは、エロイカの第4楽章にも使われている部分があるので少し聴いただけでそれと分かります。もとをだどれば、変ホ長調のコントルダンス、フランスのオペラレッタの旋律へ遡ることができます。また、ピアノための変奏曲とフーガ作品35の変奏主題にも使われているとのことです。バレエ音楽「プロメテウスの創造物」はレコード、CDでは序曲だけが取り上げられますが、このCDのようにエロイカの前に、続けて演奏するのを聴くと印象も違ってきます。それにしても、こういう企画は連続した公演を会場で聴くとより効果的なのだろうと思います。

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18 1月

ブルックナー交響曲第6番 ヨッフム・ACO・1980年ライヴ盤

ブルックナー 交響曲 第6番 イ長調 WAB.106(ノーヴァク版)

オイゲン・ヨッフム 指揮
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

 
(1980年11月2日 アムステルダム,コンセルトヘボウ 録音 キングレコード 原盤Tahra)

130118  上下の唇が分かれる付け根が切れて炎症を起こす「口角炎」のことを関西方言で「あくち」と言います。ビタミンBの何種類かが欠乏して免疫が低下することが原因ということですが、昔から「あ口」ができる時は胃が荒れてるとか言い慣わしていました。実際、大晦日頃からこの症状が出て、正月早々休日診療所へ駆け込んだので、まんざらいい加減な話ではないはずです。この口角炎が三週間近く経つのになかなか完治せず、同時に胃の調子が良くなくて、油ものが食べる気がせず、どうもすっきりしません。

 昨年はオイゲン・ヨッフム(1902年 - 1987年)の生誕110年・没後25年だったらしく、それを記念して日本限定企画でヨッフム晩年のライヴ音源が再発売されていました。初出では無く、フランスのTahraから出て話題になっていたものです。ブルックナーは交響曲第4-6番、第8番がCD化されています。当初から話題になっていましたが、当時はセッション録音が二種もあるからそれで充分くらいに思っていました。しかしとりあえず購入した第6番はかなり素晴らしく、CD帯や広告に出ている賛辞はだてではないと思いました。

アムステルダム(1980年)
①17分21②18分49③8分02④13分28 計57分40

ドレスデン国管(1978年)
①16分11②18分36③7分58④13分35 計56分20
バイエルン放送SO(1966年)
①16分31②17分08③7分55④13分20 計54分54

 ヨッフムの今回の録音と過去のセッション録音のトラック・タイムを列記してみました。なお、今回のCDはライヴ録音なので、第一楽章始めと第四楽章の末尾に拍手がそれぞれ14秒、17秒含まれるのでそれは除きました。アムステルダム・コンセルトヘボウ管との録音が終楽章を除いて演奏時間が一番長くなり、二年前のドレスデンとの録音よりも合計で1分以上長くなりました。

 こうした変化から受ける印象の違いは第二楽章のアダージョではっきり現れています。大作、有名曲に挟まれた第6番がこれほど深遠な作品だったかと改めて気付かされます。それとは打って変わって、終楽章ではこれまで以上に溌剌としたテンポをとって結んでいます。静と動の差が際立つのもヨッフムの魅力だと思います。

 個人の趣向として、ブルックナー作品とバッハの受難曲等のエヴァンゲリストの独唱やら群衆の合唱をしばらく聴いていないと欠乏症を自覚して、どういう演奏にせよとりあえずそれらの響きに浸かりたくなってきます。これらTahra原盤の録音の紹介では、ヨッフムの演奏が最晩年でひときわ壮大になったと評されていますが、この第6番はその好例だと思います。

 「口角炎=あくち」と主に胃の不調は、朝起きた時に特に顕著で全く食欲がありません。昨日の朝の夢(シュッツの回に書いていた)には続きがあって、「ソウル直行 A」の電車の中で、韓国伝統料理の紹介イヴェントをやっているのに立ち会っていました。日本語とハングルの両方で話す司会者にすすめられて、食欲が無いのに(夢の中でも)無理して燻製のようなものを口にして、その脂っこさにうんざりして目が覚めました。目が覚めると胸やけしていたのでどこまでが夢か分からない気分でした。ついでに、その日のお昼は市役所前の地下街に開店した寿司店に入ったところ、自分の右前方にハングルをけたたましく話す二人組が居ました。どうも夢の中と似ていて更に気味が悪い気分でした。「沖縄~スンミダ」という言葉が何度も耳に飛び込んできて、まさか沖縄も韓国の領土だとか言ってるんじゃないだろうなと思いつつ席を立ちました。

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16 1月

ワーグナー「ローエングリン」 ラインスドルフ・ボストンSO

130116_2ワーグナー 歌劇「ローエングリン」

エーリッヒ・ラインスドルフ 指揮
ボストン交響楽団
ボストン・プロ・ムジカ合唱団


ローエングリン:シャンドール・コンヤ(T) 
エルザ:ルシーネ・アマーラ(S)
オルトルート:リタ・ゴール(Ms)
テルラムント:ウィリアム・ドゥーリー(Br)
国王ハインリッヒ:ジェローム・ハインズ(B)
軍令使:カルヴィン・マーシュ(Br)
4人の貴族たち
ウィリアム・ドゥプリー
ジョン・グレン・パートン
ウィリアム・レッドベター
エウーゲネ・ターモン
4人の小姓
ジュディス・ケラー
ヘレーネ・ファラス
バーバラ・スミス・コンラッド
バーチャー・ゴッドフリー

(1965年8月23~8日 ボストン・シンフォニーホール 録音 RCA)


 ローエングリンは1846年から1848年にかけて作られた、ワーグナーの六作品目に完成されたオペラにあたります。序曲から前奏曲へ、楽劇の一歩手前の「ロマン的オペラ」、といった具合にワーグナーの作風が進化を遂げる時期の作品です。初演は1850年、ワイマール宮廷劇場で、リストの指揮で行われましたが、作曲者自身はスイス亡命中(1849年にドレスデンでの革命蜂起に参加、指名手配される)のため聴くことができませんでした。

 ウィーン生まれのユダヤ系指揮者のエーリヒ・ラインスドルフ(1912-1993年)は、シャルル・ミュンシュの後を受けてボストン交響楽団の音楽監督を務めました(1962-1969年)。小澤征爾の二代前の監督で、1960年代はメトロポリタン歌劇場等のオペラ録音が何点か出ています。ヴェルディのマクベス、仮面舞踏会(これはメトのオケではない)が今でも入手できるはずです。このローエングリンはそれらよりやや後の録音で、ボストンSOがオペラの全曲盤というのも珍しいと思います。また、この録音の特徴は、第三幕のローエングリンが語る(歌う)「聖杯物語」について、作曲者によってカットされた部分も全部演奏していることです。


 ローエングリンも慣習的なカットが何箇所もあって、何が完全な全曲版なのか把握し難い状態です。個人的にローエングリンはバイロイトで上演される作品中で一番関心が低かったので、手持ちのCDも少なくこれまであまり聴いていませんでした。今後ブログで扱う内にカットについても整理できればと思います。とりあえず、バイロイト音楽祭では1936年に省略無しに上演されたらしいこと、録音では1998年のバレンボイム盤が完全全曲盤を謳っていることが判明しています。


 「ローエングリン」のラインスドルフ盤は、現在では聖杯物語・グラール語りの省略無しという話題の他にはあまり注目されていないようです。しかし、ローエングリン役のコンヤとエルザ役のアマーラの二人は今聴いても聴きほれる美声です。それだけでも値打ちがあるのではと思いました。あと、国王ハインリッヒ役のジェローム・ハインズはワーグナー作品の他に、クレンペラー盤のメサイアに独唱者として参加しています。それに特にローエングリンでは合唱が目立ちますが、ボストンの合唱団も健闘していると思います。


 オペラ指揮者であるラインスドルフは、二度(多分二度だけだと)バイロイト音楽祭に呼ばれ、1959年はマイスタージンガーを、1972年にはタンホイザーをそれぞれ振っています。しかしローエングリンには出番がありませんでした。その間でバイロイトでローエングリンを振った指揮者は以下の通りです。演出家主導、若手起用という傾向だとしても、この録音を聴くにつけラインスドルフはもう少し多く出演しても良さそうな気もします。


1958年:クリュイタンス
1959年:ティーチェン、マタチッチ
1960年:ライトナー、マゼール
1962年:サヴァリッシュ
1967年:ケンペ
1968年:エレーデ
1971年:ヴァルヴィゾ
1972年:ヴァルヴィゾ


 
個性的な巨匠というより、オーケストラの職人の方に分類されるラインスドルフですが、実際のところどうだろうかと思います。1960年代と言えばショルティ、カラヤン、ベームが指環の全曲録音をしています。彼らの指揮と比べて決定的に質的な違いがあるのかどうかよく分かりません。

14 1月

シューベルト 「3つの小品」 メジューエワ CA省略無し

シューベルト 3つの小品(Drei klavierstucks )D.946

イリーナ・メジューエワ:ピアノ

(2011年4,6月 富山県魚津市,新川文化ホール 若林工房 録音 若林工房)

130114  これはメジューエワのシューベルト録音集の第2集で、ピアノ・ソナタ第14番D.784、4つの即興曲D.935、さすらい人幻想曲ハ長調 D.760、サすらい人(リスト編曲)、水車小屋の男と小川(リスト編曲)、連祷(リスト編曲)、「3つのピアノ曲」 D.946 が収録されています。リストがシューベルトの歌曲をピアノ曲に編曲した三曲はロシアでは従来から人気があるので、メモリアル年に因んで録音したものです。メジューエワは以下のように、この「3つの小品 D.946」をCDの時間余白を埋めるためではなく丁寧に演奏、録音しているのが分かります。

Drei klavierstucks D.946
第1曲 Allegro assai 変ホ短調(三部形式)
第2曲 Allegretto 変ホ長調(ロンド形式)
第3曲   Allegro ハ長調(三部形式)

 先日のシューベルト晩年の作品「3つの小品(ピアノ曲)」の第一曲は、シューベルトが当初A B A CA のロンド形式で書いていて、最終的に自ら「 C A 」の部分を削除しようとしました。メジューエワはこのCDの録音に際して、当該部分を「慰めと孤独感に満ちた第二エピソードは、カットするには惜しい」という想いから、削除せずに演奏しました。録音にあたっては、カットしているものが多く、先日の記事にコメントを頂いた方も指摘されていました。

メジューエワ(2011年)
①14分17②12分39③5分22 計32分18

ポリーニ(1985年)
①08分49②11分12③5分12 計25分13

 その結果、上記のような録音時間の差が出ています。ポリーニもカットして録音しています。先日TVドラマ絡みで特に注目していた第2曲は、ポリーニよりもアクセント、変化を付けていて単に「歌」というだけでない濃淡が目立ちます。それだけに全三曲とも晩年のシューベルトらしい世界を堪能できます。メジューエワは2005年にもこの作品を録音していて、さらにその翌年はコンサートのプログラムに入れていました(青山音楽賞受賞)。彼女は「3つのピアノ曲」だけでなくシューベルトの作品に強い共感を持っているらしく、D.935の即興曲は子どもの頃から親しんで「音の中の『静けさ』を探っていた」と回想しています。音の中の静けさというのはシューベルトの作品にぴったりする言葉だと感嘆します。

 人間は程度の差こそあれ、普段から「不平」、「不満」という感情が川面の波のように絶え間なく湧いて来るものだと思います(口に出して言わなかったとしても)。「白い巨塔」の山本学が扮する里見助教授は、この作品も含めてリサイタルで演奏されたシューベルトを聴いて「心が洗われる」と余韻に浸っていました。医長の鵜飼教授が「胃がん疑診」とした患者を、助教授の里見が「膵臓がん疑診」として検査を重ねて、結果的に教授の誤診を証明してしまい、その過程での不愉快な場面等が描写されています。一方で作曲者であるシューベルトは、これを作曲している当時の状況を推測すれば不平、不満の種は尽きないはずです。にもかかわらず、特に「3つのピアノ曲」の第三曲はそんな暗さや悲観とは無縁のような終わり方をします。

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13 1月

シューベルトのピアノソナタ第19番 イリーナ・メジューエワ

130113a シューベルト ピアノ・ソナタ 第19番 ハ短調 D958

イリーナ・メジューエワ:ピアノ

(2009年5月,11月,2010年11月 富山県魚津市、新川文化ホール 若林工房)

 先日、普段使わない部屋のガラクタを整理しようと一瞬思ったものの、足を踏み入れてすぐにそんな気は失せました。中には手を付けていないプラモデルも出てきました。1/700の英国戦艦で今や組立図を見る根気さえありません。十数年前に親戚の子供に作ったるわ(作ってあげるよ)と言ったままで、その子は昨春から社会人になっています。ここ7、8年顔も見ていないので今更あの時のプラモとか言われる心配はありません(ついでにお年玉の心配も)。

 日本を拠点に活動するイリーナ・メジューエワは、メトネルの作品やベートーベンのピアノ・ソナタ全集等の録音で知られています。もっと若い頃は「妖精」という形容がCDのコピーの中に見られましたが、そろそろ中堅(アラフォーか?)にさしかかってきました。この二枚組CDは彼女がベートーベンに続いてシューベルトの作品を本格的に連続録音するシリーズの第一弾です。ピアノ・ソナタ第18番 D.894、アレグレットD.915、4つの即興曲D.899、ピアノ・ソナタ第19番D.958が二枚に収録されています。メジューエワのCDはDENONの他、近年のものは若林工房から出ていて、過去のブログ記事にあるようにベートーベン、シューマンの他リストを聴いています。特にリストのアルバムが気に入り、リストのピアノ・ソナタが決定的に好きになるきっかけになりました。そんなわけでシューベルトも楽しみです。

130113b_2   シューベルトのピアノ・ソナタ第19番は、1828年に完成された最後の三曲のソナタの内の一つで、春頃から9月にかけて作曲されています。シューベルトはこの曲を完成させた後、約二カ月で急逝しました。作品を聴いていると、作曲者の健康が生命にかかわるほど深刻だとは察し難いと思えます。作曲の前年には病床のベートーベンを見舞い、葬儀にも参列したシューベルトは、ベートーベンが亡くなったことに大きな衝撃を受けています。CDの解説にもそのことが書かれていますが、臨終の床を見舞ったという話は知りませんでした(耳に入ったことはあったかもしれない)。自分の墓地をベートーベンの隣にしていほしいという願いといい、ただならない尊敬と傾倒ぶりです。

ピアノ・ソナタ第19番ハ短調 D958
第1楽章 Allegro ハ短調
第2楽章 Adagio 変イ長調
第3楽章 Minuetto ハ短調
第4楽章 Presto ハ短調

 第一楽章冒頭からして、ピアノ・ソナタの第20、21番や幻想ソナタとは違ってベートーベンを思わせる緊迫感、推進力にあふれる曲想です。その第一楽章の冒頭主題はベートーベンの「創作主第による32の変奏曲 WoO.80」との類似が指摘されています。また、第四楽章はベートベンのピアノ・ソナタ第18番のフィナーレ、タランテラと似ているとも指摘されています(と言われてもすぐに曲が頭に浮かばない)。四つの楽章の真ん中二つ、特に第二楽章がシューベルトの晩年と言えばすぐ単純に連想する世界、例えば「冬の旅」とかに近い気がします。

 メジューエワは京都(京都コンサートホール、青山音楽記念館バロックザール)でも毎年公演を行っているほか、このCDの録音会場の富山や新潟等各地で公演しています。それだけにフアンも多く、専門家だけでなく一般のフアンが書いた感想、賛辞も見られます。だからオリジナルな言葉で付け加えられるものは見つかりませんが、とにかく潤いがあって、およそ乾いた響きというのを感じさせることが無い演奏です。

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12 1月

シューベルト 3つの小品~白い巨塔1978年版 ポリーニ

シューベルト 3つの小品(Drei klavierstucks )D.946

マウリツィオ・ポリーニ:ピアノ

(1985年6月 パリ,サル・ワグラム 録音 DG)

130112  先日のピアノ・ソナタ第18番の回に、TVドラマ「白い巨塔(原作:山崎豊子)」・1978年版の中でピアノリサイタルの場面で流れる曲名が分からないと書いていましたが、やっと判明しました。シューベルトの「3つのピアノ曲(3つの小品)」D.946の第二曲目でした。代表作品を聴き直してもなかなか出てこないので、初期の作品かリストがシューベルトの旋律を使った曲かもしれないと捜索の網を広げようかと思っていたところでした。ポリーニがシューベルトの最後の三曲のソナタを録音したのを集めた廉価盤の最後にD.946が入っていて、これが違うなら長期戦になると思って聴きだすと「当り」でした。

 別にどうなるものではありませんが、とりあえず「ああ、すっきりした」という心境です。この作品は演奏会ではしばしば取り上げられた作品らしく、ピアノをやってる方、よく演奏会に行く方ならすぐに分かったのかもしれません。

Drei klavierstucks D.946
第1曲 Allegro assai 変ホ短調
第2曲 Allegretto 変ホ長調
第3曲   Allegro ハ長調

 この作品は1828年、シューベルトの最後の年に書かれた小品集で、作曲者の死後ブラームスが発掘して匿名(?)で1860年に出版されました。シューベルトのピアノ作品のアルバムには入っている曲で、どうりで聴いたことがあると思ったはずです。もっと個性的な、意味のあるタイトルが付いていれば知名度が上がっただろうと思います。先に完成させた二種類の即興曲と同様に、即興風の曲を四曲揃えるつもりであったと考えられています。

 件のTVドラマで流れる第2曲は、切々と憧れを歌うような旋律が特徴です。これはシューベルトが1823年に作曲したオペラ「フィエラブラ」から引用されたメロディです。三曲で35分程度の演奏時間ながら、内容は多岐に渡り、「厳しく、暗く、同時に天国的(メジューエワのCD添付の解説)」という晩年の作風を反映しています。改めて聴けば、聴くほどに魅力的な曲です。名前は忘れましたが個人のブログで「シューベルトの全てが入っている」と書かれている記事があって、成るほど上手く表現されたものだと思います。

 ポリーニの録音では、特に歌うような第二曲が素晴らしいと思いました。CDではピアノ・ソナタ第21番とアレグレット ハ短調に続いて収録されていて、その二曲も素晴らしい演奏です。70年代に録音したベートーベンが念頭にあって、かなり騒々しくて光と影の、影が無いような演奏かという想像を覆すものでした。

 ところで、小説を舞台化、映画化、TVドラマ化する場合、台本や演出の都合で全くの原作通りとは行かない場合が多いはずです。TVドラマの場合も視聴率の数字が物を言うので、「白い巨塔」も有る程度脚色がかかります。若い島田陽子扮する「東佐枝子」が、中高生時代からの親友だった里見三知代(上村香子)の夫、里見脩二を横恋慕(と書けば身も蓋も無い)する度合いが、原作では「さりげなく」程度を超えるかどうかという描写なのに対して、ドラマでは結構燃え上がっています。ラストでは思いを断ち切るためにネパールに赴任している父の教室OBの医師のもとへ後妻として嫁いで行きます。シューベルトのこの曲が使われたのも、佐枝子のロマンスを強調する一環だと思います。ちなみにオペラ「フィエラブラス」の主人公も恋がかなわず幕が下りるという設定です。

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10 1月

シューベルト ピアノ・ソナタ第18番 ツァハリアス

シューベルト ピアノ・ソナタ 第18番 ト長調 「幻想」 D 894 Op.78

クリスティアン・ツァハリアス:ピアノ

(1992-1993年 スイス,リーエン・ランドガストホフ 録音 EMI)

130110  昨日の、謎のシューベルト・ピアノ曲を探す行程からすれば次の作品に移るべきところ、幻想ソナタ独自の世界から去り難く、続けてもう一種類の録音です。これはクリスティアン・ツァハリアスが1992年から翌年にかけて録音したシューベルトのピアノ・ソナタ集の中の1枚です。1950年インド生まれのツァハリアスは、パリでペルルミュテールらに師事し、1969年以降ジュネーヴ国際音楽コンクール、ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール 等で優勝しています。1990年代に入って指揮者としも活動し始め、2000年からローザンヌ室内管弦楽団の芸術監督に就いています。ツァハリアスの名前はうっかりカツァリスと見間違え混同してしまいます(老眼には早いが、近年乱視が入っている)。そのためもあって、シューベルト以外のCDを買ったことがなく、この録音集(ソナタ4,7,9,13,14,16-21番)を聴くにつけ惜しいことをしてきたと思っています。

130110a  ブレンデルの再録音盤とはうって変わって、冒頭から幻想的な空間に包まれる演奏です。ただ、第一楽章だけはどこか軽妙(良くも悪くも)で、作為的な印象もチラつきます。楽章が進むにつれて、或いは全部を聴き終わるとそうした印象も無くなり、全楽章が有機的に繋がっている充実した印象が迫って来ます。シューベルトのピアノ・ソナタは、天国的な長さと評されるので、ブルックナーの交響曲を聴く時と似た心構えで虚心に(分かろうが分かるまいが)、温泉にでも浸るようにしていますが、ピアノ・ソナタ第18番もブルックナーと同様に、全部聴き終わるとまた最初に戻って聴き直したいという気分になってきます。

 ツァハリアスの演奏はモーツアルト等も極めて個性的とされますが、基本的に情よりも「智」に比重を置く繊細なタイプなのだろうと思います。温泉気分の私程度の層には少しもったいないくらいの演奏かもしれません。

130110b_2  最近芥川賞作家の西村賢太がTVのバラエティ番組に出ているのをたまたま見かけ、結構馴染んでいるので二度驚きました。そうかと思えば新聞にも時々登場していて、先日は「ケダモノの舌」とかいったタイトルで、料理や食文化に関する文章も池波正太郎や檀一雄くらいの名文でなければ、嫌味だったりして内容が伝わらないと評していました。そういう自身の味覚を、ヘビー・スモーカーのために味覚を感じる舌の味蕾が劣化した「ケダモノ、獣なみ」と、自虐気味に評していました。「苦役列車」の単行本を買って読んだ時、地面を犬が走る時に爪とアスファルトの摩擦で「ミシッ」、又は「チッ」という音が聞えるのを思い出し、主人公のふてぶてしさと野犬の姿が重なっていたので、失礼ながら「ケダモノ」は説得力がありました。この人の味覚が本当にそんなセンスなのかはともかくとして、書いたものは簡潔で潔い印象がして心地よさも感じられます。

ツァハリアス
①16分54②8分19③4分24④8分55 計38分32
シフ
①16分44②7分51③4分30④9分20 計38分25
ブレンデル
①17分16②9分31③4分51④8分56 計40分34

 ツァハリアスの主なレパートリーはシューベルト、モーツアルトの他、ベートーベンが定評があり、ソロ、協奏曲の録音も残しています。そう言えば個人的に気に入っているアンドラーシュ・シフのシューベルトもちょうど同じ時期に録音していました。シフの方は国内盤で購入して以来の愛聴盤ですが、ツァハリアスの方は国内盤を見た記憶が全然ありません。ケンプ、ブレンデル、ルプーら、シューベルト弾きと呼ばれる面々も、LPかCDの再発売も含めて確かに国内盤を店頭で見ているので一層不思議です。

 正月早々に休日診療所に駆け込むくらい胃腸の具合が悪かったのは治ったかと思えば、一昨日もまた胃が痛くて二食絶食しました。元来鋼鉄の胃とまでは行かずとも、胃は達者なのでこういう調子は珍しいことです。十日ゑびすの賑わいの陰で、こういう調子が悪い時に何故かシューベルトに関心が行きます。

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9 1月

シューベルト 幻想ソナタ ブレンデル・1988年録音

シューベルト ピアノ・ソナタ 第18番 ト長調 「幻想」 D 894 Op.78

アルフレッド・ブレンデル:ピアノ

(1988年3月 ノイマルクト,オーバーファルツ 録音 旧フィリップス)

 このCDはブレンデルが旧フィリップスへ録音したシューベルトのピアノ・ソナタ集の再録音の中の一枚です。手元にあるCDは薄くなった紙箱でデッカのロゴが入っている廉価盤です。再録音の方はレギュラー価格が長らく続いていた覚えがあり、何年か前旧録音に続いて思い切って値下げされました。ピアノ・ソナタ第14番以降、楽興の時と二種の即興曲集、幻想曲「さすらい人」等シューベルトの主なピアノ曲が入っています。

  どこかで聴いたはずだが題名が思い出せない、その曲自体もおぼろげではっきり記憶の中にない、こういう場合に問題の作品を特定するのは結構難しいと思います。このシューベルトのピアノ・ソナタ「幻想」は、そんなケースにおそらくこれだろうと見当を付けて聴いたものの「外れ」だった曲です。これを書いている段階でまだ問題の曲は特定できていません。

130109  というのは、1978年にTVで放送されたドラマ「白い巨塔」の前半、財前の第一外科教授選挙の頃に東教授父娘(中村伸郎、島田陽子)と里見助教授(山本学)がピアノのリサイタル会場で偶然会い、東教授が途中で帰り、里見と佐枝子が第二部を残って聴くという場面がありました。その時流れたのがシューベルトのピアノ曲だったはずですが、題名が分かりません。ドラマでは、終演後会場を出た二人が歩きながら、シューベルトが特に良かったと話していたので、まず間違いなくシューベルトの作品です。とりあえず楽興の時、ピアノ・ソナタ第13、15、16、17番、さすらい人幻想曲、即興曲D.935とは違います。1978年当時でシューベルトのピアノ曲と言えばこれというのを選んでいると予想され、おのずと限られます。

ピアノ・ソナタ第18番ト長調D894
第1楽章 Molto Moderato e Cantabile ト長調
第2楽章 Andante ニ長調
第3楽章 Allegro moderato ロ短調
第4楽章 Allegretto ト長調

 ピアノ・ソナタ第18番は、1825年に作曲された三曲のソナタ(第15、16、17番)に続いて翌1826年に作曲しています。また最後の三曲のソナタの二年前に作られています。早くからシューベルトの代表的ピアノ曲として評価されていました(と断言して良いかどうか微妙でもある)。例によって第一楽章が突出して長い独特の楽章バランスです。何らかの物語、結論を暗示するでもなく、空を動く雲の様子を写したようであって、聴く者の心の隙間、襞を埋めてくれような親近を感じさせます。

 上記の曲を探し当てるために、昨年からシューベルトのピアノ曲を順次聴いていただけで(棚卸的に)、このCDを特別視していたわけではなかったのですが、聴いてすぐピアノの音の澄んだ綺麗さに驚きました。「幻想」という名前と正反対のような響きなのが却って作品の雰囲気が引き立つように思えます。ブレンデルのシューベルトは有名ながら、反面リピートの省略や村上春樹の指摘等批判的な見解もありますが、第18番の再録音はかなり魅力的だと思いました。やっぱりブレンデルと言えばシューベルト、なのかもしれないと思いました。

 白い巨塔のピアノ・リサイタルの場面は、原作では第2部が現代音楽のためそれを聴かずに三人が館内で食事をするという設定で、メインの作品はベートーベンのピアノ・ソナタ第32番になっています。「管典子」という架空のピアニストが、ベートーベンを演奏し始めるところから詳しい曲の描写がされています。一方で1978年のTV版は、第2部がリストとシューベルトで、第1部が終わったところで東教授が退席して二人だけで聴くという設定に変えられています。それに伴って、ピアノ曲もシューベルトに差し替わっていました。里見助教授が「心が洗われる」というサビの部分は、即興曲D.899の三曲目に似ていながらやっぱり違います(あるいは記憶違いかもしれないが)。

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7 1月

モーツアルト・ピアノ協奏曲第27番 内田、テイト、ECO

モーツァルト ピアノ協奏曲第27番 変ロ長調 K.595

内田・光子(ピアノ)
ジェフリー・テイト 指揮
イギリス室内管弦楽団 

(1987年6月 ロンドン 録音 旧フィリップス)

130107  年末、車の中でラジオをつけていると、ちょうど吉田秀和氏がモーツアルトのピアノ協奏曲第27番(ペライアの弾き振り)を紹介している声が聞こえてきました。元々はあまり演奏されなかった作品云々という話に続き、マレイ・ペライアの演奏を褒めてからCDが流れ出しました(新、旧録音のどちらだったか?)。それがまだ記憶に残っていたので、今日の昼間にBGM的に使ってみようと思い立ち(滅多にBGMを流したりしない)置いてある内田光子とジェフリー・テイトのモーツアルト・ピアノ協奏曲全集から取出してきました。この録音集は正直言えばピアノよりも、テイトが指揮するモーツアルトが目当てで廉価箱化された機会に購入していたものです。

ピアノ協奏曲 第27番 K.595
第1楽章 Allegro   
第2楽章 Larghetto   
第3楽章 Allegro 

 この作品は1791年、モーツアルトが亡くなった年に完成させた最後のピアノ協奏曲です。前作の第26番を作曲した1788年に作曲を開始しながら中断していました。よく指摘されるように冒頭からして天国的、澄み切った響きで、第26番までのピアノ協奏曲とは違った独特の作風です。特に第三楽章のコーダが何の力みも、装飾も無く読みかけの本にしおりを挟んだり、夕方になって帰路につく子供が「また明日ね」と、当たり前のように明日も同じ時間が流れることを疑っていないかのような気楽さで全曲を閉じています。終わったというより中断したような感覚です。

 内田光子のモーツアルトは定評がありましたがあまり意識して聴いたことはありませんでした。この第27番は久しぶりに聴いて、特にピアノが印象に残りました。曇りの無いこの曲によく合った、録音集の中でも屈指ではないかと思いました。内田の演奏に対する評に「陰影」が濃いという表現がしばしば見られ、それを考えればこの曲はちょっとイメージが違いそうですが、聴いていると違和感はありません。

130107a  内田光子は1985年にロンドンで弾き振りによるモーツアルトのピアノ協奏曲の連続演奏会を開いていました。また、近年クリーヴランド管弦楽団と弾き振りでモーツアルトの協奏曲を録音(日本公演でも披露していた)しています。指揮をしながらピアノを弾くということは単純に考えて二倍神経を使いそうで、それを二十五年以上前に既にやっていたので、それならこのCDの時期の全集レコーディングは何故指揮者のテイトと組んで行ったのだろうかと思います(制作会社の方針か)。 内田は「デイム」の称号を贈られたということですが、テイトの方はまだ「サー」・ジェフリー・テイトになったという話は聞いたことがありません。

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昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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