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新・今でもしぶとく聴いてます

2012年01月

30 1月

モーツアルト交響曲第25番 クレンペラー PO 1956年

モーツアルト 交響曲第25番ト短調K.183


オットー=クレンペラー  指揮

フィルハーモニア管弦楽団

 

(1956年7月19,21-24日 録音 EMI)

 これはクレンペラーによるモーツアルトの交響曲第25番、二度目のセッション録音です。一度目は1950年に「パリ・プロムジカ」という団体を指揮してVOXレコード(逸話で有名な)へ録音していて、その後EMI・フィルハーモニア管と契約して一連のレコード録音がスタートします。この録音はその初期のものです。クレンペラーが1954年以降にフィルハーモニア管弦楽とセッションしたモーツアルトの交響曲の内、第29番、第38~41番は1960年代に再録音していますが、この第25番はこれっきりで録音しませんでした。ライヴ録音(放送用等)では、1950年に西ベルリンのベルリン放送SOを、1951年にはアムステルダム・コンセルトヘボウOをそれぞれ指揮しています。結局録音として残っているモーツアルトの交響曲第25番は今回の音源が最新ということになります。
 

交響曲第25番ト短調K.183
第1楽章:Allegro con brio ト短調
第2楽章:Andante 変ホ長調
第3楽章:Menuetto ト短調-Trio ト長調
第4楽章:Allegro ト短調


 
実は個人的にクレンペラーの演奏の中でモーツアルトが一番好きで、オペラであれ、交響曲であれ、どれもかなり愛着があります。交響曲第25番は同曲の中でも筆頭くらいの位置を占めていて、10代の頃は友人が家に来た時はこれが入っているLPをかけて、またわざわざこれを持って家に行ってかけたこともありました。聴いた友人はかなり速いテンポで始まる演奏に驚いたと言っていました(速いだけでなく、品位に問題があるとも)。よく、クレンペラーの演奏は遅いと言われますが、一概にそうとは言えないことの代表がこれでした。


 
クレンペラーのフィルハーモニア管弦楽団時代より古い演奏は、時にでくの坊と批判されるような即物的を地で行きすぎて、変化に乏しいものだと言われます。EMIへ録音し出した1954年から1958年くらいまでの時期も、悪く言えばその名残があるように思えます。実際国内盤LPの解説にもそういう論調もありました。しかし、クレンペラーのフアンからすれば、意図的にというか、努めてザッハリヒなスタイルに傾倒しているのだと思えて、そこも魅力的です。クレンペラーはモーツアルトの作品に対して「デモーニッシュなもの」があると評して、そこを余人をもって換え得ない魅力と感じているようでした。とすれば、クレンペラーは、モーツアルトの中にあるその超時代的な、デモーニッシュのものを露わに表現することを目的としていると考えられ、少なくともその点は成功しているだろうと思います。手元にある国内盤LPの解説は、吉井亜彦氏が担当していて、概ねそういう内容の事柄を一般的に拡大して賛美しています(クレンペラーのフアンでもちょっと気恥ずかしくなるので原文は載せない)。

 下記はこのクレンペラー盤と、世代が近いクリップスの最晩年の録音の演奏時間です。クリップスの録音集の方も20番台の交響曲は特に力が抜けた柔軟な演奏で気に入っています。実際聴いてみると、両端楽章でのクレンペラーは物凄い緊迫感で、演奏時間の違い以上の差を感じさせられ、一気に引き込まれます。ただモーツアルトのこの年代の作品に対する表現として適切なのかはいろいろ意見があったことだと思います。クレンペラー指揮のモーツアルトのもう一つのト短調交響曲である第40番は、これ程突っ走るような演奏ではなく、深く沈潜するように始まるので、25番には特別な理解、思い入れがあるのかもしれません。
 

クレンペラー・PO(1956年)
①6分38,②3分45,③3分35,④4分58 計18分56
クリップス・ACO(1973年)
①7分51,②3分35,③3分44,④6分01 計21分11

 この第25番の録音はかつて、1枚1500円の廉価シリーズ「クレンペラーの芸術」の中に含まれていて、同じくモーツアルトの「アダージョとフーガ」(1956年3月)、交響曲第29番(1965年9月)、歌劇「コシ・ファン・トゥッテ」序曲(1964年10月)が併せて収録されています。交響曲第25番だけがキングスウェイ・ホールで録音され、後の3曲はアベイロードスタジオを使っています。たまたま交響曲第25番の時にスタジオがふさがっていたのか、この曲の演奏のためにあえてホールを使うことにしたのか定かではありません。演奏・録音会場とテンポの関係について、マタイ受難曲の冒頭合唱についての証言が残っています。クレンペラーは、音響が良いキングスウェイ・ホールでは最も遅くして、乾燥しているアベイ街のEMIスタジオではそれより速くなり、最も乾燥しているロイヤル・フェスティバル・ホールでは最も速く演奏していたそうです。

 先日他界したベルグルンドとイギリス室内管弦楽団のシベリウス(*ヨーロッパ室内管弦楽団との間違い、削除しないでとりあえず残して置く)から、テイトと同じオケのモーツアルトのCDを少し聴いている内に今回の音源を思い出しました。訃報を見るのはさびしいものですが、これはどうしようもありません。

29 1月

シベリウス 交響曲第4番 マゼール ピッツバーグSO

シベリウス 交響曲 第4番 イ短調 Op.63

ロリン=マゼール 指揮 ピッツバーグ交響楽団

(1990年5月 録音 SONY)

 このCDはマゼールとピッツバーグ交響楽団によるシベリウス交響曲全集の超廉価盤の中の1枚です。マゼールの得意分野とか十八番的演目は何かと考えてもすぐには思い当たらないだろうと思います。1960年代からメジャー・レーベルに録音したり、バイロイト音楽祭にも出演していました。マーラー、ブルックナー、ブラームス、ベートーベンの交響曲やイタリアオペラ等レパートリーは広範に及んでいます。シベリウスの交響曲は1960年代にウィーンPOを指揮して全曲録音していたので、今回のピッツバーグ交響楽団との全集はその時から二十年以上経っての再録音です。マゼール本人が再録音して良かったと述べていたそうなので、納得できるものだったのでしょう。

120129  聴く前にこの年代のマゼールが指揮するシベリウスをイメージすると、少し前にベルリンPOと録音したブルックナーの第7番(EMI)のような凄まじく念入りな演奏を想像してしまいます。実際に聴いてみると、似た傾向ながらもっと自然で柔軟な印象で、素晴らしいシベリウスの第4番だと思えます。シベリウスの交響曲の中でも第3番と第4番はそれまでの作風からちょっと飛躍して、既存の西欧の交響曲とも距離を置いたような音楽に聴こえます。特に第4番はストーリー的な要素も薄く、終楽章が静かに中断するように終結するという特徴で、ブルックナーやマーラー、ドヴォルザークらにも見られない世界です。このCDでも、あっけないような終わり方で、マゼールは強引なこととか、特別なことは何もしていないかのような演奏でした。なお、終楽章はベルグルンドと同様にグロッケンシュピールを用いています。

 このシベリウスの交響曲のシリーズが国内の新譜で出た時は、第1番と第7番のカップリング1枚だけがレコ芸誌で特選を得ていました(1993年5月号/小石忠男,樋口隆一の両氏)。何となくいまいちの評判のように見えますが、先日記事投稿(交響曲第4番)したベルグルンドとヨーロッパ室内管弦楽団のシリーズも特選を得たのは1枚(第5番と第7番がカップリング/小石忠男,宇野功芳の両氏が担当)だけでした。ついでにベルグルンドとヘルシンキPOのシリーズはクレルヴォ交響曲と、3番・5番のカップリングされた2枚だけが特選でした。サカリ・オラモとかオスモ・ヴァンスカ、サロネン、サラステやネーメ・ヤルヴィといった北欧系の指揮者のシベリウスが話題になっていたはずなのに、意外と特選は付与されていなかったわけです。

 さらに振り返ると、シベリウスの交響曲第4番のCDで1980年から2010年の期間に特選になったのは、ブロムシュテットとサンフランシスコ交響楽団のCD(カップリングは第5番)と、渡邉曉雄指揮の日本フィルハーモニーの全集だけでした(全集セットが対象だったので4番も含まれるというだけ)。シベリウスの交響曲自体が地味な扱いだったと考えられますが、第4番や第6番、第7番はちょっと親しみにくくもあり、商業的にも地味な扱いだったことがうかがえます。このマゼールのシベリウス全集は、徹底した廉価盤仕様ながら他の曲もかなり良いと思いました。

 昨年くらいからスーパーで売っている塩鮭の大半が海外産になっていて、国内産はごく一部だけになりました。これも震災禍の影響かと思いながら、それくらい辛抱の内に入らないと言いきかせています。今日地元のスーパーで、「きくらげ天、いわし天」等の練り物をその場であげている売る特設コーナーがありました。1枚100円で、5枚買えば消費税分はカットというサービスなので、5枚買いました。4枚買おうとした人もそれを聞いて5枚にしていました。この光景を見て、消費税は小売業者にとって重大な問題だと改めて実感しました。

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27 1月

ブランデンブルク協奏曲第5番 レオンハルト弾き振り・再録音

J.S.バッハ ブランデンブルク協奏曲 第5番 ニ長調 BWV1050

120127 グスタフ・レオンハルト 指揮とチェンバロ
フランス・ブリュッヘン(bf)
アンナー・ビルスマ(vc)
シギスヴァルト・クイケン(vn)
ルシー・ファン・ダール(vn)
ハウル・ドンブレヒト(ob)他

(1976年2月 オランダ,ハーレムドープスヘツィンデ教会録音 SONY)

 首都圏ではドコモの携帯に通信障害が多発しているそうで、ISDNのボイス・ワープで携帯電話にも転送させているので同じことをやっている人は致命的に困るだろうと思い、他人事ではありません。それに本当のところ原因は何なのか気になります。15年くらいずっとドコモを使っているので変えるのも面倒です。

120127a  これは先日訃報が届いたグスタフ=レオンハルトが指揮とチェンバロを受け持ったバッハの「ブランデンブルク協奏曲」の再録音盤です。レオンハルトは、コレギウム・アウレム合奏団と1966年頃に同曲を録音していましたが、今回はそれより若い世代の古楽器奏者が結集しています。ブリュッヘンとシギスヴァルト・クイケンは後に指揮をするようになり、そのようにレオンハルトの周辺から彼らやコープマンなど活躍する演奏家が出ているわけです。このCDの解説には各奏者が使っている楽器の製作年代等が注記されています。レオンハルトが弾いている今回のチェンバロは、1975年にパリでウィリアム・ダウトによって複製されたブランシェのモデルです。これはおそらく3度目のゴールドベルク変奏曲の録音でも使われた楽器でしょう。また、Lowピッチという表記があったと思って探すと見つからず、レオンハルトの別のCDだったようです。

ブランデンブルク協奏曲 第5番
第1楽章:ニ長調 Allegro 
第2楽章:ロ短調 Affetuoso 
第3楽章:ニ長調 Allegro

120127b  ブランデンブルク協奏曲第5番は、6曲あるブランデンブルク協奏曲の中で一番有名で昔お菓子のTV・CM(BルボンかTハト)でもその第1楽章が使われました。独奏チェンバロが活躍して、チェンバロ協奏曲、ピアノ協奏曲の先駆、第1号とか評されます。このCDではレオンハルトの弾くチェンバロが格調高く美しく、それだけでも聴きものです。チェンバロだけでなく、管楽器も控えめながら古楽器ならではなの響きです。第5番は6曲(長い期間にわたり作曲されている)の中で最後に完成した作品で、献呈時期から完成時期は1821年頃とされ、後に改訂もされています。6曲が作風から活躍する楽器までそれぞれ著しい個性を持っているとして評価されています。それは古楽器の名手がこれだけ集まっていることからも分かります。

 バッハの管弦楽組曲、ブランデンブルク協奏曲やヘンデルの水上の音楽といえば、この録音の頃はパイヤール室内管弦楽団、ミュンヒンガー率いるシュトゥットガルト室内管弦楽団、バウムガルトナーとルツェルン弦楽合奏団などモダン楽器の室内オケの方が優勢だったと思います。21世紀の現在このレオンハルト盤を聴いてみても未だに魅力的なのは感心させられます(歳のせいで、もっと若い世代、年配の世代はつまらんと感じるのかもしれない)。

 携帯電話といえば、先月投資マンションの営業が直接携帯にかかってきて驚かされました。ごく限られた人にしか携帯番号付の名刺は渡していないので不気味です。固定電話からの転送ではなく直接携帯の番号にかかって来たのは、大阪南(キタ新地ではなく)の行ったこともない店のホステス、振り込め詐欺に続き3度目で、いずれもろくなものではありませんでした。どういう経緯で個人の携帯番号が分かったのかそれが気になります。

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24 1月

バッハのガンバ(チェロ)・ソナタ レオンハルト、クイケン長兄

J.S.バッハ 3つのヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ(BWV1027-1029)

ヴィオラ・ダ・ガンバヴィーラント=クイケン
(18世紀頃,南ドイツ)
チェンバログスタフ=レオンハルト
(「J.D.Dulcken,1745年」1962年Martin Skowroneckによる複製)

(1974年5月15-17日 録音dhm)

120124a  今朝は車のフロントガラスに霜も雪も付着していないので寒さもしれていると安心しました。しかし、しばらく走行していると京都盆地の西側、北側の山が真っ白に冠雪しているのが見え、天気予報通りでした。お昼前には市街地でも雪がちらついてきて、やっぱりしんしんと冷えてきました。それでラーメン屋でお昼にし、カウンターに座り待っていると見たことのあるような男性が入ってきました。珍しくどこで見たのか覚えていて、何年か前の復活徹夜祭(実際には徹夜しない、21時過ぎには終わる)の時に洗礼を受けた耳の不自由な方のように見えました。洗礼式の点呼の返事がひときわ大きかったのと、いつも手話通訳の良く見える席に姿が見えたことから、多分先天的にほとんど聞こえないのではないかと思っていました。もしその人なら、ラーメンのオーダーはどうするのか気になりましたが、やがて大盛りだのこってりだのと声が聞こえたので人違いだと分かりました。

  これはレオンハルトがチェンバロ、クイケン3兄弟の長兄(紛らわしい)ヴィーラントがヴィオラ・ダ・ガンバを弾いた、バッハのガンバとチェンバロのためのソナタ、又はチェロソナタのアルバムです。先日他界(キリスト教的には帰天か)したレオンハルトに注目すれば、1964年頃録音したゴールドベルク変奏曲の10年後の録音で、使っているチェンバロは同じもののようです(1962年にブレーメンの製作者が作ったので時期も符合する)。音色そのものは、同じ楽器だと言われればそうかと思い、似てるけど別ですよと言われればそうだと思える微妙さです。この録音の後、ゴールドベルク変奏曲の3度目の録音をしていますが、その際は別の楽器(フランスのブランシェ、1730年)を使っているのは興味深いです。

120124b BWV.1027 ト長調
Adagio
Allegro ma non tanto
Andante
Allegro moderato

BWV.1028 ハ長調
Adagio
Allegro
Andante
Allegro

BWV.1029 ト短調
Vivace
Adagio
Allegro

 バッハのガンバ・ソナタはだいぶ前、トルトゥリエのチェロ、ヴェイロン・ラクロワのチェンバロによるLPで聴いていましたが、無伴奏チェロ組曲程は記憶に残りませんでした。録音時期は多分1960年代で、ヴィオラ・ダ・ガンバよりもチェロによる録音が多かったはずです。その後もマイスキーのチェロ、アルゲリッチのピアノによる録音もありました。レオンハルトはチェンバロやオルガンのソロ、指揮だけでなく古楽器の室内楽でブリュッヘンやクイケン三兄弟らと共演していたことが思い出されます。

 ヴィオラ・ダ・ガンバはルネサンス期からバロック期に普及した楽器で、18世紀後半で急速に廃れました。ブクステフーデ、バッハの時代はまだ盛んでガンバのための作品も多く作られています。また教会カンタータの通奏低音でもお馴染みです。ガンバの演奏を生で聴いたことも無く、実物を見たことが無いので写真を見ればチェロの先祖のように見えます。しかし専門的には別物でガンバ属(ヴィオラ・ダ・ガンバやコントラバス)とヴァイオリン族(ヴァイオリン、チェロ)は違う種類で、弦の数なども違います。

 ヴァイオリン属と比べて音量が小さいとされるガンバながら、CDで聴く限りはかえって魅力的です。このCDは元はBGM的に置いておこうと中古・輸入盤で購入しましたが、初めて聴いて以来ガンバの音色に魅かれています。チェンバロの華やかさと対照的に地味な音のガンバで、神経が安らぎます。

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23 1月

バッハのゴールドベルク変奏曲 レオンハルト2度目録音

J.S.バッハ ゴールトベルク変奏曲BWV.988

チェンバロ:グスタフ=レオンハルト

(1964年頃 録音 TELDEC)

120122  これは先日他界したグスタフ=レオンハルトによる、2度目録音のゴールドベルク変奏曲です。手元にあるのは国内盤・廉価盤でCDについて詳しい説明はありません。使用楽器はいわゆるオリジナル楽器で、J.D.ドゥルケン(1745年)のチェンバロをマルティン・スコ(ク?)ヴロネックが複製したものです(当時多く使われたモダン・チェンバロではありません)。古い録音ながらその音色は非常に繊細で美しく、抜きん出ていると思います。ただ、当時の録音同様に反復省略で演奏しています。カークパトリックや、ピアノによるグールドらもそうしています。LP1枚の収録時間の制約もあって、過去記事投稿したヴァルヒャ盤ピヒト=アクセンフェルト盤のように、反復遵守した録音の方がかつては珍しかったと思われます。

 演奏時間(トラックト合計)は約47分40秒で、3度目の録音(47分19と表記)と概ね同じです。聴いた印象は、まるで体操や運転の模範演技を見るかのような端正さで、むらっ気なところが無く、隅々まで神経が行き届いた演奏のように思えます。同じくオリジナル楽器を弾いているアクセンフェルト盤のような動的、あるいはロマン的(レコードが新譜で出た時は批判的な意見も少なからずあったようである)な演奏とは違って静的な美しさです。この作品は本来こういうものだと言われればそうだろうと思う程の説得力があります。

120122a  チェンバロの音色が特別美しいと書きましたが、それは楽器によるものだけでなく、演奏者によるところも大きいのだろうと思います。上記のアクセンフェルト盤は、所々ガシャガシャという金属が接触する音が甲高くきこえて、特別に美しい音とまでは言えないものです。もっとも、このレオンハルトのCDのチェンバロも、昔FM放送で聴いたオリジナル楽器のチェンバロの音とは、気のせいか少し違うように思えました。記憶の隅にある理想的なチェンバロは、もう少し弾んだような、軽い音ですが、この違いは録音が古いからか、楽器の違いか、記憶が美化されて独り歩きしているのかよく分かりません。

 LPの頃はアルヒーフ・レーベルの方が権威?があったようで、店頭でレオンハルトの独奏のレコードは目立ちませんでした。80年代以降私が見たのはみな再発売の廉価盤のようでした。しかし、今振り返ってみると一方でピアノのグレングールドら、片やモダン・チェンバロのヴァルヒャやカークパトリック、リヒターといった大家に囲まれて、レオンハルトは独自の姿勢を貫いていました。

 昨日は初弘法で、これから初天神(25日)、初不動(28日)と続きます。これらと節分が終わった後の、何も無い静かな冬は1年のうちでも好きな時期です。毎月21日には東寺の境内で骨董品や植木等の露店が並び、それに混じって滋賀県にある止揚学園の職員がよく募金を集めていたりカトリックの修道会のシスターも出店していました。十数年前に行ったきりなので最近はどんな具合か分かりません。 

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22 1月

シベリウス 交響曲第4番 ベルグルンド・3度目

120122a_3   シベリウス 交響曲 第4番 イ短調 Op.63

パーヴォ=ベルグルンド 指揮
ヨーロッパ室内管弦楽団

(1995年9月 ロンドン,ワトフォード・コロシアム録音 Finlandia)

 これはパーヴォ=ベルグルンドによるシベリウス・交響曲の3度目の全集録音に含まれている音源で、交響曲第4番は他にも録音があるので今回のものが厳密に3度目かどうか分かりません。最初の全集はボーンマス交響楽団、2度目はヘルシンキ・フィルハーモニーとそれぞれ録音して好評を得、ベルグルンドはシベリウスのスペシャリストと見られています。この3度目の全集は最近タワーレコードの企画で日本版が安価で復刻されましたが、手元にあるのはその少し前に見つけた輸入盤です(タイミングが悪かった)。新譜で出た時(バラ売りだったのか、組物だったか忘れました)にも聴いていたもので、特に第4番が強烈な印象でした。

 今回の録音は従来とは異なり、小編成のヨーロッパ室内管弦楽団を指揮しているのが特徴です。この室内オケは、昨日のベートーベン第8交響曲の指揮をしていたダグラス・ボイドが主席オーボエ奏者をしていた楽団で、CD付属の解説の中のメンバーにボイドの名前も見つかりました。小編成と言っても第1、2番は増員して演奏し、第3番は従来と同じ51名で演奏しています。第4番(6、7番と共通)は、ティンパニ以外の打楽器、ハープを含めて57名です。

120122c   シベリウスの交響曲第4番は1911年に完成し、同年3月に作曲者自身の指揮によりヘルシンキで初演されています。第4楽章では「鐘」の音をあらわす打楽器が加わり、チューブラー・ベル(チューブ・管状の金属を複数吊り下げたものを叩く)かグロッケンシュピール(鉄琴)が用いられます。このCDでは後者、グロッケンシュピールが用いられています(ヴァンスカもグロッケンシュピールのようである)。交響曲第4番は第2番のようなロマンティックな要素が後退して、荒涼とした湿原といった世界に放り込まれたような音響です。同じ頃に作曲されたマーラーの交響曲第9番、第10番(未完)を考えればその特性が浮き彫りになり、人間社会から離れた場所を連想させられます。ちなみにクレンペラーはニュー・フィルハーモニア管弦楽団の定期でシベリウスの第4番、トゥオネラの白鳥等オール・シベリウスのプログラムを演奏したことがあり、いかにもやりそうだと思いました。

交響曲第4番 イ短調 作品63
第1楽章:Tempo molto moderato quasi adagio
第2楽章:Allegro molto vivace
第3楽章: Il  tempo largo
第4楽章:Allegro

120122b  今回のベルグルンド・ECO盤の演奏時間は下記最上段の青字です。ヘルシンキPOとの録音よりも一層短くなっています。同じくフィンランドの指揮者でシベリウス演奏で定評のあるオスモ=ヴァンスカの録音と比べて6分程の差があります。以下シベリウスの交響曲を複数回全曲録音しているマゼール、コリン・デイヴィスのCDと比べても似た傾向なので、今回のベルグルンドの演奏が個性的な部類に入るのが察せられます。ただ毎度のことながらトラック・タイムの数値と聴いた印象は必ずも一致しないもので、今回のCDも特別に速すぎて窮屈とかそうしたマイナスの印象は受けません。定評のある2度目の全集の演奏をもっと徹底し、人里離れた自然界を思わせる第4番の作風をより純粋に培養するかのようで、個人的には一番魅力を感じます。一番とは言うものの、ベルグルンドのヘルシンキPOとの録音やヴァンスカとラハティSOとの録音にもかなり惹かれます。

ECO(1995年9月)
①09分23,②5分01,③09分15,④09分32 計33分11

ヘルシンキPO(1984年2月)
①09分39,②4分41,③09分55,④09分57 計34分12
ヴァンスカ・ラハティSO(1997年10月)
①11分36,②4分29,③14分04,④09分04 計39分13
マゼール・ピッツバーグSO(1990年9月)
①12分38,②4分23,③11分26,④11分06 計39分33
C.デイヴィス・LSO(2008年1,2月)
①11分42,②4分58,③12分41,④09分21 計38分43
C.デイヴィス・ボストンSO(1976年11月)
①11分01,②4分36,③12分49,④08分34 計37分00

 シベリウスの作品は、地元フィンランドや北欧の他に、バルビローリやコリン・デイヴィス、アレクサンダー・ギブソン、サイモン・ラトルらイギリスの指揮者、オーケストラも得意にしていました。ベルグルンドが3度目の全集に際してECOを選んだ理由の一つは、以前の録音でオーケストラの技術に不満な部分があったことのようです。シベリウスの研究に取り組むベルグルンドならもっと違う要求から、地元のオーケストラを選びそうですが、1970年代に録音されたデイヴィスとボストンSOのLPはフィンランドでも高く評価されたそうなので(上記の中ではボストンSOが一番北欧との関連が薄く、技術的に高水準ではないかと思われる)、その選択も自然なことだと言えそうです。

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21 1月

ベートーベン第8交響曲 マンチェスター・カメラータ

ベートーベン 交響曲 第8番 ヘ長調 op.93

ダグラス=ボイド 指揮 
マンチェスター・カメラータ

(2009年10月9日 マンチェスター, ブリッジウォーター・ホール ライヴ録音 Avie )

120121  昨日1月20日、昼前に用事を済ませて三条東洞院あたりを歩いていると、近くにマクドナルドがあったのを思い出して、かなり久しぶりにそこでお昼にしました。向かいには大手予備校がありました。そういえばセンター試験も終わったので校内では悲喜こもごもだろうと思いながら通り過ぎました。地理の語呂合わせで「腹の真ん中マンチェスター」というのがあり、右手でへそ辺りをさすりながら唱和します。「腹→はらわた・内臓→綿」で綿工業が盛んな都市であることと、「腹の真ん中→ブリテン島を兎か何か小動物に見立てて、そのへそ辺り」でイギリス中部に位置することを覚えるものです。ただそれだけのことを覚えるにしては効率の悪い語呂合わせですが、未だに覚えているので(バチン、バーミンガムとセットになっている)それなりの効果はありました。

 このCDはマンチェスター・カメラータのライヴ録音によるベートーベン・チクルスの1枚で田園交響曲と第8交響曲が1枚に収まっています。指揮のダグラス=ボイドは英国、グラスゴー出身でヨーロッパ室内管弦楽団の首席オーボエ奏者として同楽団創立時から活動した後、2002から指揮者として活動しだしました。マンチェスター・カメラータは2011年まで音楽監督をつとめ、現在はスイスのヴィンタートゥール音楽院管弦楽団の首席指揮者です。CDではマーラーの交響曲の室内アンサンブル版(第4、大地の歌)が注目を集めていました(聴いたことはない)。

 ベートーベンの交響曲演奏で、小編成のオーケストラでピリオド楽器奏法を一部取り入れるという方法がこの10年で目立つようになりました。それぞれ少しずつ方針が違ったりしますが、今回のCDは詳しい解説がありません(多分載っていないと思うが断言できない)。このコンビによるシリーズ第4弾になります。2曲中では特に第8番が素晴らしく、ベートーベンの第8交響曲の魅力を再認識した感がありました。速すぎたり、強弱のアクセントを強調したような過激さはなく、冒頭から耳をすませたくなる演奏です。

①8分42,②3分51,③4分44,④7分19 計24分36

 ボイド自身が管楽器奏者であり、室内オケで活動してきたためか、各楽器のバランスが特別に配慮され、隅々までよくきこえる演奏です。第8番の演奏時間は上記の通りです。下記の、評判になったパーヴォ・ヤルヴィの録音と比べると、楽章ごとのバランスは違っても合計では同じくらいの時間になっています。ただ、今回のボイド盤の方がより自然で、流麗な演奏です。第8番はベートーベンの交響曲の中で、個人的に一番聴く頻度が低かったものです。この曲のレコードで初めて買ったのはメンゲルベルクとACO(戦前のテレフケン原盤からの復刻)の廉価盤(1枚1700円)でした。そのレコードの印象はさすがに覚えていません。それ以降、クレンペラー、全集は別として、第8番を目当てにLPやCDを買ったことはありませんでした。

P.ヤルヴィ(2004年)
①8分05,②3分50,③5分30,④6分43 計24分08

 小編成オケでのベートーベンの交響曲を演奏するスタイルは、岩城宏之も1980年前後には実践していたり、マイケル・ティルソン・トーマスも同じころに全曲録音までしていました。この年代ではガット弦を導入等は無かったはずですが、かなり以前から続いていたスタイルだったのが分かります。今後、例えばベートーベン没後200年とか生誕300年を迎える頃に、最近出た室内オケによるベートーベンの録音がどれだけ生き残っているだろうかと思えます。

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21 1月

マーラー 千人の交響曲 ベルティーニ ケルン放送SO

マーラー 交響曲 第8番 変ホ長調「千人の交響曲」

ガリー・ベルティーニ 指揮
ケルン放送交響楽団
120120c ケルン放送合唱団シュトゥットガルト放送合唱団
プラハ・フィルハーモニー合唱団、東京少年少女合唱隊

罪深い女:ユリア・ヴァラディ(S1)
罪を悔いる女:マリー=アン・ヘッガンダー(S2)
栄光の聖母:マリア・ヴェヌーティ(S3)
サマリアの女:フローレンス・クイヴァー(A1)
エジプトのマリア:アン・ハウェルズ(A2)
マリア崇敬の博士:パウル・フライ(T)
法悦の神父:アラン・タイタス(Br)
瞑想の神父:ジークフリート・フォーゲル(B)

(1991年11月12-14 ライヴ録音 EMI)

 先日芥川賞、直木賞の受賞者・作品が発表されました。昨年の受賞者の一人は西村 賢太で、中学卒業後無頼な生活を送り藤澤清造の没後弟子を自称している事などが話題になりました。珍しく受賞作品の単行本を買って読んだので、これからどうなるかと思っていると、昨年末に某週刊誌の官能小説リレー?かなんとか言った企画に名を連ねていたので驚き(私小説家じゃなかったのか?)、ちょっとがっかりもしました。受賞後のインタビューで仕事は増えないとか言っていましたが、もうちょっと違う仕事はないのか、と思えてきました。受賞作品は血の通った(良くも悪くも、しかも朝から)人物が鮮やかに描かれていて、主人公「貫多」のその後も気になっていました。

 このCDはベルティーニとケルン放送交響楽団によるマーラー交響曲全集の中の1枚で、第8番・千人の交響曲が1枚に収まっています(約78分)。全集の中では後期の録音で、1991年の日本公演時に一気にライブ録音(第1番、第8番、大地の歌、第9番)されたものです。演奏時間や彼のマーラーの他の交響曲の演奏からも想像できるようにこの第8番も明快で、清涼な響きです。サントリー・ホールでこの公演を聴いた許光俊氏は、これだけの規模の作品を演奏するにはやや狭く響き過ぎる会場で、通常は音で飽和して安っぽい迫力だけが前面に出かねないところが、ベルティーニの指揮では作品が、空間的にも時間的にも驚くほど明快に感じられたことに驚いたと評しています。それはCDで聴いていても肯かされることです。

 また、明快さだけでなく意外な程の盛り上がりを見せ、機械的な演奏ではありません。クレンペラーが好きな言葉「緻密に燃え上がる」を地で行く演奏です。それに少年少女合唱団も大健闘で素晴らしいと思いました。

120120a  年末のN響の定期公演にデュトワが客演して、マーラーの交響曲第8番を振り、FMでも中継されました。合唱団が5つというだけでも演奏者の数の多さがイメージでき、上の写真のステージの光景だけでも圧倒されます。初演はマーラー自身の指揮により、1910年9月にミュンヘンで行われました。当日はシュトラウス、シェーンベルク、レーガーといった作曲家の他にクレンペラーやストコフスキー、メンゲルベルク、ワルター等の指揮者もいました。それだけでなく、トーマス・マン、ホフマンスタールらの文学者、王族も集まる一大イヴェントです。日本人でその客席に居た人間は居るのだろうかと思います。

 マーラーの第8交響曲は冒頭を聴くと祝いごとにふさわしい曲と思えますが、第2部の歌詞や登場人物を見ればそう単純ではないように見えます。第1部はカトリック教会の有名なラテン語聖歌、第2部はゲーテのファウストに、それぞれ基いて作曲しています。前者は西ローマ帝国以来の西欧の伝統、後者はドイツ語圏近代の文豪と、それぞれ伝統的、正統派の精神世界の題材を用いていながら、ひそかに独自の理想的な世界を表現しようとしているようにも見えます。それは当時の新しい世界観を表した著作の表題を作品名に冠したR.シュトラウスの交響詩 “ Also sprach Zarathustra ” と対照的かもしれません。第2部の開始部分は廃墟か、野焼き直後の荒涼とした野原の風景を連想させられ、2部のコーダ部分の壮大な高揚と併せると、第2番「復活」に似た世界が見えてきます。

 ユダヤ系のマーラーがウィーン宮廷歌劇場の指揮者になる際にキリスト教・ローマカトリックに改宗しています。そのことはポストを得るための便宜、打算的な選択であるという見解もあり、作曲家の柴田南雄氏も著作の中で第8交響曲の作曲段階で有名な聖霊降臨の聖歌をよく知らなかったことを根拠に同様の考えを述べています。一方夫人のアルマやクレンペラーらはマーラーを信心深い人だったとして、否定しています。ただ、この曲を聴くと教義や教会組織の問題はともかくとして、もっと根源的な部分、絶対者の前に自分で自分の義を立てられないとか、絶対者の恩寵無しには生きられないという渇きとか、では共感していたのだろうと推測されます。

120120b  マーラーの交響曲全集が増えるにつれ、当然第8番の録音もだんだん増えてきました。しかし実際のところ第8番の録音で、絶対的とか特別な存在と言える程のものは自分の中で見つからず、とりあえず新しい録音がいいとか思っていました。今回ベルティーニの旧録音(東京都交響楽団とライヴで再録音している)を聴きなおしていると、何となくマーラーの他の作品との共通する要素が実感できて、作品との距離が縮まったような気がしました。ベルティーニも故人ですが、この人の指揮するトリスタンを聴いてみたいと思っていたのが思い出され、その点は残念です。

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17 1月

シューベルト「冬の旅」 インマゼール、エグモント

120117a シューベルト 歌曲集 「冬の旅」D.911


Max van Egmond
:Baritone

 マックス・ファン・エグモント

Jos van Immerseel:Fortepiano
 ジョス・ファン・インマゼール


(1989年11月 アムステルダム 録音 CHANNEL CLASSICS)

 昨日に引き続いてインマゼールが参加したシューベルト作品です。これはバリトンとフォルテピアノによる冬の旅のCDで、今から22年以上前の録音です。このフォルテピアノは、クリストファー・クラークによる「18世紀後半のアントン・ワルター製作楽器」のコピーで、シューベルトが生きた時代より少し前に作られた楽器です。インマゼールは特にこれを望んで使用しました。その音色は他の「冬の旅」の録音で聴けるフォルテピアノとは違った響きで、現代のピアノの音色からいっそう遠ざかったような丸みがあってくすんだ音です。この楽器は特に最終曲Der Leiermann (辻音楽師) ”で独特の効果を出しています。


120117b  CDの解説書でも演奏者の短い紹介に続いて楽器の説明が出てきますが、その前にこの録音ではベーレンライター社の新シューベルト全集を使っていると記されています(これは正式に出版される前に提供を受けたのか)。そのせいか、所々往年の録音で聞覚えたのと微妙に違うところもあります(たぶん)。こういう流れから、情念優先の演奏ではないことが予想でき、実際その通りでエグモントの歌唱もインマゼールのピアノフォルテも共に、まず楽譜に刻まれた音符の可能性、響きの美しさを追求するかのような演奏です。やや速めで強弱のアクセントを付けるものの、感情表現は淡白で言葉を明瞭にきかせる歌唱です。


 そうした演奏スタイルなら詩の世界とは遠い、血の通わない演奏にきこえるかといえばそんなことはなく、静かな歌声とともに邦訳から想像される光景が頭の中に浮かび上がってきます。最終・第24曲も鳥肌が立つほどの恐ろしさとは違っても、ライヤーを回して歩く老人がすぐそこに居るようです。また、ドイツ・リートの中でもこの作品は特に歌手とピアノが共に重要であり、ピアノ・パートを伴奏というのは適切でないと言われますが、このCDではまさにその通りで、共同作業的です。

 
120117c 先月の
プレガルディエンとシュタイアーの演奏と似ていますが、その録音が74分弱の演奏時間だったのに対して今回のCDは約67分強です。レオンハルト総指揮のマタイ受難曲でプレガルディエン(福音書記者)とエグモント(キリスト)は共演しているので、その二人が共にフォルテピアノの名手と冬の旅を録音したのは興味深いものがあります。インマゼールの弾き振りによるモーツアルトのピアノ協奏曲がけっこう話題になったのも今回のCDと同じころ(同じくチャンネル・クラシック)だったと思います。その当時はCDがまだ値段が高かったので買わずに見送っていました。今ごろになってインマゼールのCDを聴くにつけ残念に思えてきます。


 ところでパソコンの物理的なトラブルは、冬よりも夏がが多いのだろうかとふと思いました。夏場は本体内の冷却不十分になり、HDを2台使っていたりディスプレイを2台以上つなげているとハードディスク等が故障したことがあります。自宅に置いているデスクトップ型は薄型なのにHD2台でミラーリング(浅はかだった)にしていたので、7月にHD1台が破損してしまい、そのままの状態でHD1台で使用し続けています。

16 1月

シューベルト ピアノ・トリオNO1 インマゼール、ビルスマ夫妻

シューベルト ピアノ三重奏曲第1番 変ロ長調 D.898

ジョス・ファン・インマゼール:フォルテピアノ
ヴェラ・ベス:ヴァイオリン
アンナー・ビルスマ:チェロ

(1996年4月22-25日 オランダ,ハーレム・ルター教会 録音 SONY)

120116a  シューベルトの2曲ある正式なピアノ三重奏曲は、いずれも晩年にあたる1827年に作曲されました。現代では第1番の方が有名で、名曲紹介の類では第1番だけが掲載されることが少なくありません。去年、ある名曲名盤の本の室内楽編を立ち読みしていたところ、やはり第2番は取り上げられていませんでした。余談ながら、スーク・トリオがこの曲を2度録音していることが分かり(やはり記憶に間違いは無かった)、旧録音の時に第2番も連続録音している可能性も出てきました。それはさて置くとして、第1番は作曲者の生前には演奏されなかったのに対して、第2番の方は少なくとも2度演奏され、好評を得たとされています。第1番も第2番もシューベルトの晩年の作品らしく、演奏時間が40分程度要し、このCDでも第1番で約37分半です。

第1楽章 Allegro moderato 変ロ長調、ソナタ形式
第2楽章 Andante un poco mosso 変ホ長調、三部形式
第3楽章 Scherzo Allegro-Trio 変ロ長調
第4楽章 Rondo.Allegro vivace-Presto 変ロ長調

 国内盤CDの帯に 次のような文が載せられています。「『死の悲しさ生きることの偉大さ。それがシューベルトの音楽なのだ』と熱く語るチェロの名手ビルスマと鬼才インマゼール、ベスとのトリオで ~ ガット弦とオリジナル楽器による絶妙のアンサンブルは、往時の響きを越えて、自由自在に天翔る。 」このCDはシューベルトの生誕200周年を記念した企画の一つで、インマゼールはピアノ三重奏曲の他にシューベルトの室内楽を、ノットゥルナD897(ピアノ三重奏のためのアダージョ)、アルペジオーネ・ソナタD821、ピアノ五重奏曲を録音していました。また指揮者としてシューベルトの交響曲全集(交響曲第1番)も完成させました。それだけでなく、当然ピアノ・ソナタ等ソロ作品も録音しています。

120116b  このアルバムを初めて聴いた時はフォルテピアノの音の美しさにまず驚きました。ピアノ三重奏曲は元来ヴァイオリンとチェロの伴奏付ピアノ・ソナタと言えるほどで、ピアノパートの演奏が難しかった編成だそうですが、これほどの楽器の音色の素晴らしさを実感するとわざわざフォルテピアノで演奏する甲斐があると思えました。そんな感動的な記憶をもって、久々にCDを聴いてみると、かなり感動が薄れてそこまでの驚きは感じられないという、過去にブログで取り上げたCDでしばしばあったパターンでした。それでもやはり素晴らしい演奏、音色であることに違いはありません。件のフォルテピアノは、ライプチヒで作られた「ヨハン・ネポムークのグランド(no.644)」で、ウィーン式のアクション、革で被われたハンマー、ダンパーを持ち、マカボニーの節こぶベニヤで作られた三重折形状のウィーン式フレームを備えています(と説明されてもイメージが湧かないが、19世紀初頭のドイツとウィーンのピアノ音楽に適しているそうだ)。もともと保存状態が良かったものを、アントワープのフォルテピアノ製作家のヤン・ファン・デン・ヘメルにより1996年に修復されました。

 この演奏は古楽器を用いて軽快な印象を受けますが、演奏時間そのものは通常の三重奏アンサンブルと比べて短いとも言えません。これもまた反復指示の遵守の問題が関係しているのかもしれません。CDの解説文(佐々木節夫氏)は、「聴き始めてしばらくすると、楽器への関心以上に『ああ、シューベルト!』という、彼の音楽への切実な憧憬が満たされるのをひたすら感じる」という賛辞で結ばれていました。まったくそれに尽きると思いました。

 去年、「シューベルトの生誕200周年」というフレーズを目にする度にその年、自分は一体何をしていたんだろうと思うほど遠い昔のように感じられます。日本がサッカーワールドカップへ初めて出場する前年で、やたら酒量が増えていた時期でした。当時国道24号の御香宮の南に、「薫風」というラーメン屋があって鶏がらベースの京滋地区によくあるスープを基本に、唐辛子の辛さが後から効いてくるそこ独自の味が固定客を集めていました。やがて移転するか閉店するかで消息不明になってますが、当時病みつきになって、酒を呑んだ後そのラーメンが晩飯代わりになる日がよくありました。寒くなるとその平屋の店を思い出します。そういえば1997年はもう阪神淡路大震災が発生した後でした。

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15 1月

ブルックナー 交響曲第2番 ヨッフム バイエルンRSO

ブルックナー 交響曲 第2番 ハ短調(1877年稿・ノーヴァク版)
 
オイゲン=ヨッフム 指揮
バイエルン放送交響楽団


(1966年12月29日、ミュンヘン、ヘルクレスザール 録音 DG)


 難読漢字と言えば地名、人名の中に多いもので、そのほとんどが当て字によるものです。「たいざ」という地名が京都府北部の丹後半島の港街(カニで有名)にあり、「間人」と書き、これも当て字です。正月三が日にTVの中でその話題が出ていて、由来まで解説されていたのにもう忘れました。なにか「退座(たいざ)」が絡んでいた気がします。同様の難読に「東一口」があり、これは京都府南部、久世郡久御山町の地名です( 地元では有名ながら、もったいぶってここで中座する)。


交響曲第2番・18877年稿ノヴァーク版

1楽章 Moderato
2楽章 Andante
3楽章 Scherzo;Mässig Schnell
4楽章 Finale;Mehr schnel


 
今日は小正月で小豆粥は食べなくてもしめ縄を外しました。それにちなんで、去年の1月15日と同じく、ブルックナーにしては小さな規模の交響曲第2番です。このCDはオイゲン=ヨッフムがベルリンPOとバイエルン放送交響楽団を振り分けて録音した旧全集の中の1枚です。個人的に好きなCDで、ながらくCDウォークマンで聴いたり、夜中に音量をおとして聴いたりしました。つくばいとか神社の手水舎で手を洗っても、消毒液で洗うほどきれいにならないのに清新な気分になり、それと似た感覚でブルックナーの交響曲第2番を特にヨッフムの旧盤で聴くと非常に爽やかな気分になります。


 ブルックナーの交響曲第2番は、過去の記事投稿にもあるように「
同曲異稿・異版」が華やかで、今回のCDの「1877年稿・ノヴァーク版」が一番演奏頻度が高く、それ以前の全集時の「1877年稿・ハース版」、試演奏された正真正銘の初期稿1872年稿、試演を経てその助言をいれた初演時の初期稿「1873年稿が有ります。最近は初期稿の1872年稿による録音が増えています。


120115a
 ヨッフムのブルックナーは有名で、交響曲全集を2度録音しています。今回の第2番はこの曲の代表的な録音として有名でした。「 ブラームスの友人だったスタインバッハが指揮するブラームスの交響曲を聴いたトスカニーニが、『これは素晴らしい、音楽だけが流れている』と言って」解釈を感じさせなかったことを是とした話、「ワーグナーが『ベートーベンのあと、ブルックナーが本当の交響曲を書いた』と言ったこと」をワーグナーの例外的に正しい言動と称賛した話、これらはギュンター・ヴァントがブルックナーの交響曲をどう演奏するかについて語った時に引用した話です。これをみるとヨッフムとは異なる部分があることをうかがわせます。特に解釈を感じさせない」ような演奏ということは、ヴァントも必ずしもそうはならなかったとしても、大きく異なる要素だろうと思います。


1966年
①17分57,②14分05,③6分37,④13分17 計51分55


 上記は今回の旧録音の演奏時間で、下記の再録音よりも各楽章とも少しずつ速く演奏しています。聴いた印象は数値以上に軽く、奔放に響きます。現代程ブルックナーの交響曲の演奏頻度が高くなかった頃からブルックナーを取り上げてきたパイオニア的(ドイツ語圏ではそこまで言えば言いすぎなのかもしれないが)なヨッフムとしては「交響的大蛇」を、客席を退屈させずに演奏することも重要なことだったと推測でき、それも演奏スタイルに影響しているのだろうと思います。ヴァントが理想とする演奏からすれば、ブルックナーそのもの以外の色が付いているのかもしれませんが、とにかく未だに魅力的な録音です。つくばいで手を洗うような爽快さはこのCDが随一のようにも思えます。


1980年・ドレスデン管
(昨年1月15日に記事投稿)
①18分03,②14分57,③6分54,④12分46 計52分40


120115b
 ところで麹町太田姫稲荷神社という神社があり(行ったことはない)、これは冒頭の「東一口」という地名の辺りにあった「一口稲荷神社」を太田道灌が江戸城に勧請したのが起こりだとされています。さらに「一口稲荷神社」というのは、小野篁がこの地に立てたのが始まりで「 疸瘡(イモ)   」平癒の神社として信仰を集めていました。ということで、久世郡久御山町の「東一口」は「いもあらい」と読みます。太田姫稲荷の方でも「いもあらい坂・一口坂」等の地名があるようです。小学校の頃、郷土の歴史を習いますが、麹町の太田道灌の話は無く、昔あった巨椋池畔の地域には里芋がたくさんとれた産地だから「いもあらい」と呼ぶ説だけを教わりました。実は諸説あって、詳しくは分からないようです。小野篁は流罪をゆるされた後も長らえ、太田道灌は娘の平癒のために久世郡の一口稲荷に祈願して癒やされたので、よく分からないながら縁起の良い話です。


 なおブルックナーの交響曲の異版で、新旧・ノヴァーク版とハース版のどちらを使うかが話題になることがあり、ヨッフムは通常ノヴァーク版を、ヴァントはハース版(無い曲もある)を選んでいます。ヴァントは第8番についてノヴァーク版の問題点を具体的に例示して批判しているので、第2番(
ヴァント唯一のブルックナー・交響曲第2番・ケルン放送SO)についても解説などを見てみたい気がします(理解できないかもしれないが)。

14 1月

バッハのゴールドベルク変奏曲 ヘルムート・ヴァルヒャ

J.S.バッハ ゴールトベルク変奏曲BWV.988

チェンバロ:ヘルムート=ヴァルヒャ

(1961年3月11-14日ハンブルク 録音 EMI)

 「石部金吉(いしべきんきち)」という言葉を今でも使ったり、すぐ意味が分かる年代は何歳くらいの世代かと、ふと思いました。自分自身、同世代の人間との会話の中では使ったことはなく、戦前世代の話か何かで聞き知った程度です。真面目過ぎて堅苦しい人のことを半ば揶揄の感情を込めて石部金吉と言ったそうですが、語源、起源は知りません。小学校の正面の銅像も様変わりしています。

120114  去年、渋滞にはゴールドベルク変奏曲と勝手に決めて車の中でこの曲を聴く機会を増やしています。ドイツのオルガン、チェンバロ奏者のヘルムート=ヴァルヒャが弾くゴールドベルク変奏曲のCDも、カーナビのHDに録音コピーして聴いています。このヴァルヒャのCDを聴いていると、現代からすればある程度「石部金吉」的に響きます。ヴァルヒャはモノラルとステレオで2度バッハのオルガン作品集を録音していることもあって、オルガン奏者というイメージでかたまりがちですが、EMIへチェンバロを弾いた録音が何種かありました。LP末期でも1枚当たり2500円という準レギュラー盤の扱いでした。古い録音なのに余程定評があったと推測できます。1961年ならグールドの有名なデビュー録音盤が既に出た後ながら、ランドフスカ、カークパトリックといったところが、バッハ作品をいわゆる「モダン・チェンバロ」で演奏していました。

 このCDもモダン・チェンバロ(アンマー製)を使用していて、確かに音色が違い、金属をゴムで覆ったものを叩いたような響きで、ちょっと聴いただけではあまりいい音色だとは思えません。しかし、徹底的に忌む程変な音とまでは言えないと思います(正式な楽器として作られたので当然)。ヴァルヒャはこの録音で使った楽器を愛用していたそうなので、演奏上や響きの上でも捨てがたい魅力もあったのだと思います。ヴァルヒャ盤の特徴は使用楽器よりも、各変奏曲で「反復指示に従っている」という点です(演奏時間は約72分半)。近年ではそのように反復遵守の演奏が増えていますが、LPレコードの頃は録音時間、枚数の都合で反復を省略している方が多い状態でした。ピアノによるグールドや、チェンバロのカークパトリック、レオンハルトらはいずれも省略して演奏、録音しています。この点ではヴァルヒャの方針は珍しいと言えます。

 反復の是非の問題はさて置くとして、このヴァルヒャによるゴールドベルク変奏曲は、オルガンでのヴァルヒャのような豪快で胸のすくような( そんな単純で表面的なことが魅力ではないと思うが、とにかく初めてヴァルヒャのレコードを聴いたときはそう思って感動した )演奏とは違い、堅苦しい印象を受けます。昨年記事投稿したエディット・ピヒト=アクセンフェルトの録音のような、歌うような、弾むような柔軟さや高揚感が薄いように思えました。不眠症だったカイザーリンク伯の睡眠導入を助けるための作品という逸話が本当だとすれば、ヴァルヒャの演奏も作品の原点に迫るものがあるかもしれません。といっても、枕頭ま近い場所でチェンバロを弾いて眠気を誘ったわけではないので、ヴァルヒャの演奏が単調ということではありません。逆に、本場ドイツでこういう演奏が行われている頃にグールド盤が登場したのが衝撃的だっただろうと思います。

 先週スーパーで伊予かんが並んでいて、寒さが厳しくなっていながら季節も動いているのを実感させられます。平成10年頃の月例経済報告の中に、夜明け前の空がどうのという一節が入っていて、やがて経済も持ち直すことを暗示させようと苦心していました。最近は淡々とした表現が定着していて、なんとなく低迷が当たり前になってきた感があります。

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13 1月

ベートーベンの田園交響曲 カザルス マールボロ音楽祭管

ベートーベン 交響曲 第6番 ヘ長調 作品68「田園」

パブロ=カザルス 指揮
マールボロ音楽祭管弦楽団

(1969年、マールボロ音楽祭、ライヴ録音 SONY)

 約10年ほど前多分1月の平日午前に車の中でNHK・FMを聴いていると、邦楽(義太夫とかの邦楽)の短い番組になり、東京芸大でピアノかヴァイオリンを専攻していたところ太棹三味線の音色に魅了されてそっちを専門にしたという女性が番組に登場しました。スタジオで自ら歌いながら三味線を弾き、「~あんまりやわいなあ(そこしか覚えていない)」というフレーズと声が良かったのが印象に残りました。でもその演奏者、曲名を両方とも記録しておかなかったのですぐに忘れました。正月頃になるとその短い放送が思い出されて、その周辺の邦楽をもう一度聴きたいと思っています。

  引き続き今年の元旦に聴いたCD、最後の1枚です。古い録音ですがCDの時代になってはじめて公式出てきた音源です。戦前からチェリストとして名声を得たカザルスの最晩年の活動の記録で、同時期のベートーベンの交響曲では第7、8番もありました。カザルスの指揮するベートーベンは聴いているとしみじみと素晴らしいと感動的なのに、特に個性的な変化を付けた演奏でもありません。決して「 大家だからこういうことをしてもいいけど、これから指揮を学び始める人はマネをしてはいけません 」というタイプの演奏では無いはずです(もっとも、現代ではピリオド楽器、奏法等、状況が変わっている)。

第1楽章「田舎に到着したときの晴れやかな気分」
Allegro ma non troppo ヘ長調
第2楽章「小川のほとりの情景」
Andante molto mosso 変ロ長調
第3楽章「農民達の楽しい集い」
Allegro - Presto ヘ長調
第4楽章「雷雨、嵐」
Allegro ヘ短調
第5楽章「牧人の歌−嵐の後の喜ばしく感謝に満ちた気分」
Allegretto

 このCDでは各楽章に付けられた短い文を超えるような豊かさ、深さで、ことさら交響曲だ、絶対音楽だと力まなくても自然と格調高い音楽になっています。特に第4から第5楽章が感動的で、「感謝に満ちた気分」の感謝は、単なる天候の嵐が去ったことをはるかに超越する輝きです。ただ、カザルスがもしクリーブランド管とかボストンSOに客演しても同じような演奏になったのか、もっと完全な演奏になったのかそれは分かりません。なんとなく、こうした音楽祭ならではの素晴らしさではないかと思えます( もっとも、普段はミリタリーなマエストロの専制にうんざりしていたなら、それから解放されて更に「喜ばしく感謝に満ちた」演奏なる可能性もあります )。

120113  ところでスペインは1939年の内乱後から1975年までフランコ政権が続いていたわけで、体制が激変した日本からすればそれ自体が驚きです。1876年生まれのカザルスは1973年に亡くなり、亡きがらとしてようやく故郷スペインに戻れましたが、民主化したスペインを見られないまでも、せめてフランコより長生きしてほしかったものです。1939年の内戦の年に亡命したカザルスの姿勢は一貫していました。フランコも高齢だったので前後して(年の順に)亡くなったのは自然なことながら、97歳近くまで生きたカザルスを思うにつけ彼の半生が岩を穿ったようにも見えます。演奏、音楽活動そのものとは関係ありませんが、カザルスの指揮する音楽はこんなことを空想したくなるような威容です。

 今日のお昼前に京都御苑西側にある護王神社で、小さな素焼きの猪の中に入っているおみくじをひきました。珍しく大吉で、現実離れした良いことが書いてありました。去年のブログにはその素焼きの猪の写真を載せましたが、くじは大吉ではありませんでした。特に気にも、あてにもしませんが、悪いことが書いてあると宗旨に関わらずなるほどと思ってしまいます。

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11 1月

マーラー 交響曲第1番 マーツァル チェコPO

マーラー 交響曲 第1番 ニ長調 「巨人」

ズデニェク・マーツァル 指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

 
(2008年1月17‐18日 プラハ、「芸術家の家」ドヴォルザーク・ホール 録音 Exton)

 いつだったか家族の書いた年賀状を代わりに投函した時、ふと一枚目の文面が目に入りました。「元旦を迎えて身が引き締まる」云々というくだりには、失礼ながら全く意外の極みで驚きました。そう言えば父は生前病室で年賀状の返事を書きながら「こんなもの(年賀状というならわし)、誰が考えたんじゃ」と不平をこぼしていました。その時は生涯最後の年賀状で、実際そんなものを書いている気分でもなかっただろうと思いますが、まめな人とそうでない人はあるものです。

 先日TVで武者小路千家の若宗匠の生活を紹介していて、茶道の家元の元旦は、夜が明け切らない内にろうそくの明かりの下、一家で茶を喫していました。そういう厳粛な光景には程遠いことながら、今年の元旦はごろんと寝ころんで、マーラーの交響曲第1番のCDを最初から最後までかけて聴きました。マーツァルのマーラーは、あと第8番、大地の歌、第10番(おそらくアダージョのみだろう、録音するとすれば)を残したまま中座しています。インバルもチェコPOと録音し出したので、このまま未完で終わるかもしれません。ともかく、このCDはマーツァルとチェコPOのマーラー・チクルスの最新録音です。

 この曲は第1楽章冒頭からしばらくの時間、野山の草木、生きものが目覚めるような厳かなのに開放的な独特の雰囲気で、局所的にそこだけで聴きたくなることがあります。他には第3楽章で冒頭から続く葬送行進曲調の部分が途切れて、シンバルが入る辺りがマーラーならではの音の風景で、これもそこだけ取り出して聴きたくなります。そんな全く個人的な嗜好からすれば、ある程度新しく良好な録音のCDが良いので、2008年録音のマーツァル、チェコPOに注目したのもそれが動機です。

120111a  聴いた印象では、だいぶ大人しく、やや物足らない(あまり音量を上げていないせいでもある)気がしますが、特に第3楽章までは作曲当初の標題の雰囲気に相応しい演奏だと思います。第3楽章はもっといびつな、グロテスクにやっても面白いと思えます。エクストン・レーベルの録音は良い音という評判や、どぎつい?とか微妙な感想もありますが、このCDではティンパニやホルン等の金管が柔らかく美しい音です。世紀末云々等のマーラー的な毒が後退して、ドヴォルザークらの作品の味わいを思い出されました。昔1980年前後に、ノイマンがチェコPOを指揮してマーラーを録音していた時はミスマッチなのに何故わざわざこういう企画を?とか思いましたが、演奏を聴くとチェコもマーラー圏だということを再確認できるものでした。

 この曲は、マーラーがライプチヒ市立劇場の第二常任指揮者をつとめた1886年以降に、ジャン・パウロの小説「巨人」に感激して作曲をはじめました。最初の構想段階では2部からなる交響詩でした。1889年のハンブルク初演時の第1稿は失われていますが、第2稿は以下のような内容です。初演段階(1893年・ハンブルク、1894年ワイマール)では標題は掲げられず、演奏を繰り返すうちに巨人というタイトルも削除されたり形を変えました。

第1部「青春の日々より、花、果実、茨」
①:春、ただひたすらに目覚めを描く(現行の第1楽章)
②:花の章(現行では削除))
③:帆に風をはらんで(現行の第2楽章)
第2部「人間喜劇」
④:難破!(カロ風の葬送行進曲)童話画「狩人の葬送(現行の第3楽章)
⑤:地獄から。奥深く傷ついた心の突然の爆発(現行の第4楽章)

 上記の第2稿のスタイルは交響曲第2番、第3番へ引き継がれていると指摘されます。春とか花、葬送行進曲、地獄から(の復活?)という言葉、それが表す光景も後の交響曲の中に現れていそうです。現行の4楽章の交響曲では第2稿の「花の章」は削除されて、標題等もありません。

第1楽章 Langsam, Schleppend, wie ein Naturlaut - Im Anfang sehr gemächlich
第2楽章 Kräftig bewegt, doch nicht zu schnell
第3楽章 Feierlich und gemessen, ohne zu schleppen
第4楽章 Stürmisch bewegt

 元旦はマーラーの第1番、モンテヴェルディの聖母晩課と、ベートーベンの田園交響曲(カザルス指揮)を聴いて、何もせずごろごろしていました。

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10 1月

シューベルト 弦楽五重奏曲 東京クァルテット他

120110 シューベルト 弦楽五重奏曲 ハ長調 D.956

東京クァルテット
マーティン・ビーヴァー:1stヴァイオリン
池田 菊衛:2stヴァイオリン
磯村 和英:ヴィオラ
クライヴ・グリーンスミス:チェロ

デイヴィッド・ワトキンチェロ1

(2010年9月 録音 Harmonia Mundi)

 成人の日と言えば昔は15日に固定されていて、ちょうど大学の後期試験が始まっているため式後に遊んだという記憶はありません。夏休みは長く、入試の日程の都合で1月半ばから後期試験に入っているので授業が行われる期間が非常に短く、初年度はちょっとあきれていました。ニュースで見る今年の成人式は、嘆かわしいような惨状は無かったようで(報道しなかっただけかもしれないが)、これも震災の影響だろうと思えます。

120110a  東京クァルテットは1969年にニューヨークで創立された国際的に活躍する弦楽四重奏団です。昨秋に第2ヴァイオリンの池田菊衛、創立以来の唯一のメンバーである磯村和英の両氏が2013年に引退することを発表したそうで、もう40年以上活動しているという歴史を感じさせます。先日のアウリン四重奏団は同じメンバーで30年近く活動しているのでそれも凄いと感心させられます。東京クァルテットと言えばベートーベンの他にバルトークが有名かと思っていると後者は現在カタログに残っていないようで、記憶違いかもしれません。1990年代にFMで何度か聴いたくらいでLPやCDを買ったことはありませんでした。その時のいいかげんな記憶から、何となく直線的でメカニカルな演奏という先入観を持ってしまっていましたが、先月12月18日にサイドバー にリンクのあるブログ「 ハイドン音盤倉庫 - Haydn Recordings Archive 」の“ 東京クヮルテットの太陽四重奏曲No.2ライヴ ”という記事を見て、その認識は間違いだと思えて、昨秋以来ひたっているシューベルトを聴いてみようと思いました。最新の録音がちょうど弦楽五重奏と四重奏断章なので、先月に通販で1点だけ注文し、昨日届きました(こういう展開が奇しくも交差してしまいました)。

120110b  そのハイドンの録音は1970年代初めなので、今回のシューベルトとはメンバーも半分入れ替わっていますが、少なくとも力ずくで直線的という悪い想像ではなく、表面的に地味ながら(鋭角的でない印象)多彩な響きの演奏でした。HMVの新譜紹介では、「シューベルト最後期の室内楽作品を、時折ほの暗い死の気配を感じさせながら、ロマン性たっぷりに聴かせます」という一文が有り、この曲にはいかにもふさわしそうな形容です。東京クァルテットの演奏自体は確かにロマン性一辺倒ではなく、木で覆われた室内に響くほの暗さを帯びた不思議な響きで、大変魅力的でした。また録音、音質も残響の加減がちょうど良く、それも上記の紹介文のような性格を醸成するのに貢献しているのだろうと思えます。結成後40年の間に演奏の特徴とかも変遷しているのだと想像できますが、今回のシューベルトは好感が持てました。

 しかし、シューベルトの弦楽五重奏曲という作品について、個人的に「死の気配」というものをどうも感じられない気がしていました。このところ、連続してこの曲を聴いていて、「死」に結びつくのかどうかはともかくとして、一種のほの暗さ、陰りを意識させられるようになりました。

①20分12,②13分41,③9分50,④9分35 計53分18 

 上記はこのCDの演奏時間です。演奏時間は先日のアウリン四重奏団やハーゲン四重奏団と近似しています。往年のウィーンの演奏家により結成されていたバリリ四重奏団のリーダーのワルター・バリリは引退後の後年、現代の弦楽四重奏団の多くは速く演奏し過ぎるという苦言を呈していました。具体的にどの四重奏団を念頭に置いて、主にどの作曲家のものについてそう考えているか等詳細は分かりませんが、例えば下記の一覧でアルバン・ベルク四重奏団とウィーン・コンツェルトハウス四重奏団とではかなり演奏時間に差が見られます。この差は反復省略の問題があるのかもしれませんが、両者の演奏を聴いた印象がかなり違うことはよく分かります。

アウリン四重奏団(2001年)
①20分18,②13分18,③09分27,④9分48 計52分51 
ウィーン弦楽四重奏団他(1997年)
①20分25,②14分58,③10分20,④9分43 計55分26
ハーゲン弦楽四重奏団、H.シフ(1991年)
①19分45,②12分59,③10分22,④9分32 計52分38
アルバン・ベルク四重奏団、H.シフ(1982年)
①14分33,②14分24,③08分58,④9分20 計47分15
ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団他(1950年)
①16分27,②15分20,③10分20,④9分29 計51分36

 上記一覧はシューベルトの弦楽五重奏曲の、各時代に多数あるはずの録音からごく一部だけですが、これらを見ると、アウリン四重奏団とか今回の東京クァルテットの演奏は表現まで復古的とは言えないでしょうが、演奏時間、速さについては1950年代のウィーン・コンツェルトハウス四重奏団に近づいているのが分かります。それにしても、子供の頃自宅にあったLPブックスの断片の室内楽集では、イソ弦楽四重奏団と巌本真理弦楽四重奏団の演奏だったので日本の、あるいは日本人がメンバーである四重奏団がここまで国際的に活躍しているのことは感動的です。というのは、1980年前半の名曲名盤にはイソ、巌本真理の両四重奏団は地味な位置、扱いで残念な思いでした。

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6 1月

ブルックナー 交響曲ヘ短調 00番 ティントナー RSN管

ブルックナー 交響曲 ヘ短調1863年稿・ノヴァーク版WAB99( 第00番「習作」 )

ゲオルク=ティントナー 指揮
Royal Scottish National Orchestraロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団)”

(1998年9月 グラスゴー、ヘンリーウッドホール録音 NAXOS)

120106  正月の三が日が過ぎても朝(夜は時間帯がまちまちで朝ほど集中しない)の通勤時間帯の幹線道路はまだ空いています。7日からの3連休も含めて正月休みという優雅な人が多いのか、普段より10~20分ははやく着きます。それだけで燃費計の数値もけっこう違います。まだ正月の空気の人ごみを見ていると、勤めて初めての正月明け、仕事初めの日のことを思い出しました。その年の1月4日は何か朝礼のような式典と乾杯だけで昼過ぎには帰れました。もう20年以上前のことで、今から思えばすごくのどかな話です。その日は午後から何名かで京阪特急で四条(現在は祇園四条と改名)まで来て、八坂神社へ行き、途中で蕎麦屋に入りました。酒呑みの人が熱燗をどうしても欲しいと言い出して、周りの反対をよそに強引に注文をしていたことまでは記憶に残っているものの、その先の神社でも様子は全く覚えていません(既に酔っぱらったのか)。

 ブルックナーの交響曲全集と言う場合、通常は第1番から第9番までの9曲か、せいぜい第1番と第2番の間に作曲された交響曲ニ短調・通称第0番を加えるくらいです。しかしインバルとフランクフルト放送交響楽団、スクロヴァチェフスキとザールブリュッケン放送交響楽団の全集には交響曲ヘ短調・通称「習作交響曲」又は00番が含まれていました。同様にティントナーが晩年にナクソス・レーベルへ録音した一連のブルックナーの交響曲シリーズにもこの曲が含まれていました。このCDは、交響曲第4番・1878年第2稿のためのフィナーレ「民衆の祭」を併せて収録しています(第4番の異稿はつくづく複雑だと思える)。

 ティントナー盤のブルックナー第00番は、聴いていると所々ブルックナーらしさが垣間見え、ウィキの解説にあるように成るほどフィナーレではシューマンの第3、4交響曲で聴き覚えたような部分が登場します。ティントナーのブルックナーは、あまり演出的な、強引なところが無いという定評ですが、この習作とされる交響曲では名演なのか、何とも分かりません。ティントナー自身はこの曲の価値を認めて、作曲者の師であったキツラー(ブルックナーと共にタンホイザーの研究をした)の評価に異議を唱えるほどです。ティントナーによるこのCDの演奏時間は以下の通りです。

①11分21,②12分31,③5分05,④8分13 計37分10

 この交響曲ヘ短調は1種類の稿、1863年稿しか無く改訂版は作られなかった。また、国際ブルックナー協会のハース校訂によるブルックナー全集の際にはこの曲は除かれたのでハース版も存在しない。従って目下1973年に出版されたノヴァーク版しか無く、出ている録音もおそらくノヴァーク版に拠っているはずである。下記はこの曲の他のCDの演奏時間ですが、今回のティントナ-と比べるとインバル盤が特に長くなっています。この演奏時間の差は、反復省略によるもののようです。これだけでもインバルの全集は画期的なものであることが分かります。

スクロヴァチェフスキ(2001年)
①10分40,②12分26,③5分06,④08分00 計36分12
フリーベルガー(1997年)
①14分23,②10分03,③5分01,④10分52 計40分19
インバル(1992年)
①17分21,②13分03,③5分22,④10分11 計45分57

 実はこの習作交響曲、手元にブルックナー全集のCDがあってもあまり聴いていなくて(ほとんど各1、2回程度)、今回聴き直すまでほとんど印象に残っていませんでした。改めて聴いてみると、これと比べて第1番は十分ブルックナーの交響曲だと言えると実感すると同時に、こちらの方も面白いと感じました。ヴィントハークのミサ曲等の初期作品、川の源流部よりも、水量を増した川のように見えます。

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昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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