ショスタコーヴィチ ヴァイオリン協奏曲 第1番イ短調 作品99
ヴィクトリア・ムローヴァ:ヴァイオリン
アンドレ・プレヴィン 指揮
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
*カップリングはプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番ト短調 作品63
(1988年6月16-21日 ロンドン、アベイロード・スタジオ録音 原盤:PHILIPS)
大晦日も暮れて今年も残すところあと少しになりました。「じゃりん子チエ」によると、しめ縄は12月31日に付けても一夜飾りといってダメだそうですが、近所では12月30日に飾り付けている家は無いので毎年大晦日の夜に付けることになります。あるいは一夜飾り云々の話は店舗の話かもしれません。去年と違って今年の大晦日は快晴で、墓参は2日前に済ませていました。この一年は京響の定期に申し込んだので例年になくコンサートへ足を運びました。疲れてきて気が進まなくても切符があれば行ってしまうので、合計で京響以外も含めて12回行きました。
京都市交響楽団の公演では先日の第九、11月の定期(ブラームスのピアノ協奏曲第2番、交響曲第3番)、6月の定期(リストの交響詩「プロメテウス」、ピアノ協奏曲第2番、チャイコフスキーの交響曲第4番)、7月の定期・マーラーの第3番が特に印象に残っています。京響以外では、タリススコラーズ、PACオケに4度行っていました。コンサートではなくCDでは、ブルックナーのヴィントハークのミサ曲が特別に強く記憶に残っています。コンサート、CD、テレビ、ラジオ等の垣根を取っ払って、今年「音楽を聴いた」という体験で一番特別だったと思うのは、5月にあったPAC管の定期で聴いたショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番でした。井上道義指揮でアンコールまで含めてオール・ショスタコーヴィチのプログラムだったことでいっそう鮮烈な印象になったのだと思います。
ヴァイオリン独奏のベルキンが弾いている姿、まさに演奏が終わった時の光景がまだ頭の中に思い浮かべることが出来る程です。これ程の強い印象は単に曲を聴いたというだけではなく、震災後間もない時期にあって、表だってチャリティや追悼を掲げていなかったものの、そこに込められた「負けまいぞ、負けるな」という強く熱いメッセージを感じていたからだと思います。直接の被災地から遠かったから悠長なことを言っていられるという面も否定できませんが、困難な時期にあって音楽も含めて文化活動の底力らしきものを感じた公演でした。井上氏は第二次大戦末期、昭和20年6月の日比谷公会堂で行われたベートーベンの第九公演を再現するコンサートの指揮もしていました。
このムローヴァとプレヴィン、ロイヤルPOのCDは再発売・廉価盤シリーズの1枚です(フィリップスのロゴではなくDECCAのマーク)。ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番が生まれた頃の世界、冷戦時代等「音」以外の事柄も含めて思い入れを持って聴こうとすると、この演奏は線が細く、軽いと感じてしまうかもしれません。特にヴァイオリン・ソロが緻密ながら明らかに時代が変わったと思わせるような演奏でした(ムローヴァも旧ソ連生まれ(ベルキンより11年若い)でコーガンに師事し、亡命を経験しているのに)。もう少し古い録音と併せてこれを聴くと、作品を違った側から感じることができるかもしれません。
ブログを書いているうちに今年の残り時間が1時間を切ってきたのでこの辺りで終わりにしたいと思います。1年間つたない記事に目を通し、コメントを寄せ、トラバックをして下さった方々に改めて御礼を申し上げます。よいお年をお迎えください。