raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

2011年12月

31 12月

今年1年 ムローヴァ ショスタコーヴィチ・Vn協奏曲第1番

111231 ショスタコーヴィチ ヴァイオリン協奏曲 第1番イ短調 作品99

ヴィクトリア・ムローヴァ:ヴァイオリン
アンドレ・プレヴィン 指揮
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

*カップリングはプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番ト短調 作品63

(1988年6月16-21日 ロンドン、アベイロード・スタジオ録音 原盤:PHILIPS)

 大晦日も暮れて今年も残すところあと少しになりました。「じゃりん子チエ」によると、しめ縄は12月31日に付けても一夜飾りといってダメだそうですが、近所では12月30日に飾り付けている家は無いので毎年大晦日の夜に付けることになります。あるいは一夜飾り云々の話は店舗の話かもしれません。去年と違って今年の大晦日は快晴で、墓参は2日前に済ませていました。この一年は京響の定期に申し込んだので例年になくコンサートへ足を運びました。疲れてきて気が進まなくても切符があれば行ってしまうので、合計で京響以外も含めて12回行きました。

 京都市交響楽団の公演では先日の第九、11月の定期(ブラームスのピアノ協奏曲第2番、交響曲第3番)、6月の定期(リストの交響詩「プロメテウス」、ピアノ協奏曲第2番、チャイコフスキーの交響曲第4番)、7月の定期・マーラーの第3番が特に印象に残っています。京響以外では、タリススコラーズ、PACオケに4度行っていました。コンサートではなくCDでは、ブルックナーのヴィントハークのミサ曲が特別に強く記憶に残っています。コンサート、CD、テレビ、ラジオ等の垣根を取っ払って、今年「音楽を聴いた」という体験で一番特別だったと思うのは、5月にあったPAC管の定期で聴いたショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番でした。井上道義指揮でアンコールまで含めてオール・ショスタコーヴィチのプログラムだったことでいっそう鮮烈な印象になったのだと思います。

 ヴァイオリン独奏のベルキンが弾いている姿、まさに演奏が終わった時の光景がまだ頭の中に思い浮かべることが出来る程です。これ程の強い印象は単に曲を聴いたというだけではなく、震災後間もない時期にあって、表だってチャリティや追悼を掲げていなかったものの、そこに込められた「負けまいぞ、負けるな」という強く熱いメッセージを感じていたからだと思います。直接の被災地から遠かったから悠長なことを言っていられるという面も否定できませんが、困難な時期にあって音楽も含めて文化活動の底力らしきものを感じた公演でした。井上氏は第二次大戦末期、昭和20年6月の日比谷公会堂で行われたベートーベンの第九公演を再現するコンサートの指揮もしていました。

 このムローヴァとプレヴィン、ロイヤルPOのCDは再発売・廉価盤シリーズの1枚です(フィリップスのロゴではなくDECCAのマーク)。ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番が生まれた頃の世界、冷戦時代等「音」以外の事柄も含めて思い入れを持って聴こうとすると、この演奏は線が細く、軽いと感じてしまうかもしれません。特にヴァイオリン・ソロが緻密ながら明らかに時代が変わったと思わせるような演奏でした(ムローヴァも旧ソ連生まれ(ベルキンより11年若い)でコーガンに師事し、亡命を経験しているのに)。もう少し古い録音と併せてこれを聴くと、作品を違った側から感じることができるかもしれません。

 ブログを書いているうちに今年の残り時間が1時間を切ってきたのでこの辺りで終わりにしたいと思います。1年間つたない記事に目を通し、コメントを寄せ、トラバックをして下さった方々に改めて御礼を申し上げます。よいお年をお迎えください。

30 12月

ムソルグスキーの歌劇「ボリス・ゴドゥノフ」 アバド・BPO

ムソルグスキー 歌劇 「ボリス・ゴドゥノフ


クラウディオ=アバド 指揮

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ブラチスラヴァ・スロヴァキア・フィルハーモニック合唱団
ベルリン放送合唱団
テルツ少年合唱団


111230a
ボリス・ゴドゥノフ:アナトリー=コチェルガ(BS)
シェイスキー公:フィリップ=ラングリッジ(T)
ピーメン:サミュエル=レイミー(BS)
マリーナ:マルヤーナ=リポヴシェク(MS)
フョードル:リリアーナ=ニチテアヌー(MS)
クセーニャ:ヴァレンティーナヴァレンテ(S)   
グリゴーリィ:セルゲイ=ラーリン(T)
聖痴愚:アレクサンダー=フェディン(T)
ワルラーム:グレブ=ニコルスキー
ミサイール:ヘルムート=ヴィルドハバー
旅籠の女主人:エレーナ=レンパ、他


(1993年 ベルリン、フォルハーモニー 録音 Sony)


 今回は年末にふさわしいとも言えない、鉛色の冬空のようなムソルグスキーの代表作、ボリス・ゴドゥノフです。ただアバドとベルリンPOによるこの録音は、あまり重苦しくなく明晰でどこか軽い響きなのが救いです( そういう特徴がこの作品にとって適切だったのかいろいろ見解はあるはずです )。この録音ではロシア正教の大聖堂の装飾を連想させられる戴冠式の場もどこか西洋的な雰囲気にきこえます。それだけに、このオペラを覆う情緒的なヴェールのような物が取り払われて、音楽的な性格が露わになるという魅力はあるはずです。ボリス・ゴドゥノフは近年個人的にすごく親近感を感じるようになっている作品で、作品の根底にある(ように感じられる)なにものかを渇望するような精神に惹かれます。


 アバドがウィーン国立歌劇場の音楽監督をつとめたのは1991年まででしたが、その間ロッシーニが多すぎるとかレパートリー面で注文がつけられていました。アバドが力を入れていた作曲家は他にムソルグスキーがあり、「禿山の一夜」の原典版を録音して話題になりました。このボリス・ゴドゥノフ全曲盤もそれと同じ頃の録音で、一昨年に廉価再発売されたものです。リムスキー・コルサコフによる改訂版ではなく原典版・1872年版(ロイド=ジョーンズ校訂による)で演奏しています。アバドのムソルグスキーはFMで紹介された頃かなり話題になっていたように思いますが、ヤナーチェックにおけるマッケラスのように母国人側からも一目置かれる程になっていたのかどうか。ボリス・ゴドゥノフの録音としては、好みではゲルギエフ盤の方が感銘深く、繰り返して聴くにつけ音だけでも圧倒されます。


 このオペラは作曲者自身による1869年、1872年の2つの版の他にリムスキー・コルサコフの改訂版をはじめ、他の作曲家による多数の版が作られました。


 今年の4月に記事投稿したゲルギエフ指揮のCDは原典版・1869年版でした。1869年版は帝室歌劇場に提出したものの上演が却下されました。オペラの花であるソプラノの活躍する部分が無かったこと等が挙げられていますが、そもそも題材も快いものとはみなされなかったかもしれません。以下のように完成させた当初は4部・7場構成で、継承者である幼児を殺害させ、皇位を簒奪(オペラの中の設定で、史実とは異なる)したボリス・ゴドゥノフが苦しみの内に亡くなる場面で終わります。リューリク朝からロマノフ朝に移るロシアの動乱期を舞台にしていますが、あくまでボリスが主人公という位置付けです。


1869年原典版

第1部第1場:ノヴォデヴィチー修道院中庭
第1部第2場:戴冠式の場
第2部第1場:チュードフ修道院の僧坊
第2部第2場:リトアニア国境の旅籠屋
第3部:クレムリンにある皇帝の私邸内部
第4部第1場聖ワシリイ寺院の前の広場
第4部第2場:クレムリン内にある会議場「ボリスの死」


 上記の1869年版に比べて今回のCDでも採用されている1872年版は、プロローグと4幕・9場から成り、第3幕と第4幕の2場が付け加えられています。その第3幕で、懸案の女声・マリーナが活躍します。代わりに1869年版の第4部第1場の「聖ワシリイ大聖堂の場」が無くなっています。そこに含まれていた聖痴愚の歌等は1872年版では第4幕第2場、民衆が蜂起する「革命の場」に入れられています。この構成で、ボリス個人の物語だけでなく、大河ドラマ的になっていると評されています。


今回のCD/1872年版(1874年出版)

プロローグ第1場:ノヴォデヴィチー修道院の場
プロローグ第2場:戴冠式の場
第1幕第1場:チュードフ修道院僧坊の場
第1幕第2場:旅籠の場
第2幕:クレムリンの場
第3幕第1場:マリーナの部屋
第3幕第2場:噴水の場
第4幕第1場:ボリスの死
第4幕第2場:革命の場

111230b  このように1872年版ではボリスの死で終わらずに、民衆らも蜂起して混乱が続く中で聖痴愚の歌「流れろ、流れろ、苦い涙は、泣いて、泣け、正教徒の魂よ」で作品の幕が下ろされます。1872年版を音だけのCDで聴くと物語が完結したような感覚が薄く、あっけない気がします。終演後の余韻はまるで聖金曜日の夜の典礼が終わった直後に似ています(ロシア正教の聖金曜日は知りませんが)。聖金曜日と言えば、ショスタコーヴィチの交響曲第14番(クルレンツィス盤)で使われる木製の打楽器、拍子木からもそれを連想させられました。また、こういう、問題が未解決のまま幕が下りるような形式は日本の能楽の演目にも見られ、オペラ的ではないとも言えます。現在はボリス・ゴドゥノフといえば1872年版が一般的になっているので、舞台でこの作品を見ればフィナーレの妙も堪能できるだろうと思いました。


 余談ながらこのオペラの中で、権力の近くに居る登場人物を見ていると近年の日本の永田町の住人の顔が思い浮かんできます。オペラの中では民衆がボリスに帝位についてくれるよう求め「させられる」場面から始まります。そしてオペラ、史実でも、次のロマノフ朝が成立するまで混乱が続くわけですが、現代日本までがそんなことでは困ります。

29 12月

R Strauss Vier letzte Lieder Lucia Popp

リヒャルト・シュトラウス 「 四つの最後の歌 」

ルチア=ポップ:ソプラノ

クラウス=テンシュテット 指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

1982年3月28-29日ロンドン、アベイロードスタジオ録音 EMI)

111229  「四つの最後の歌」はリヒャルト・シュトラウスの最晩年(84歳)の作品であり、1948年に作曲されました。その年齢なので自分に残された時間が少ないということは常に心の中にあるものだと思いますが、曲にはどこか充足感のようなものが漂っていて不思議と悲しみ、痛みといった感情は起きてきません。また虚無、諦念というものとも異なる感慨です。31歳が晩年だというシューベルトとは違う世界です。シュトラウスの晩年、第二次大戦後は個人資産を差し押さえられたりで困難な時期でした(もっとも、ホテル住まいで暮らしには困っていなかったとか)。ナチスとの関係や、マーラーとの対比で人物的に深刻さ、あるいは現代的尺度の人道的感覚が欠けていたという否定的な見解も見られます。一方で、「 『オットー・クレンペラー』 あるユダヤ系ドイツ人の音楽家人生(E.ヴァイスヴァイラー著  明石政紀訳・みすず書房) 」の中に、若い頃のクレンペラーが躁鬱病の症状で苦しんで行いた時もシュトラウスは毛嫌いせずに(マーラー未亡人は、クレンペラーが自身の病状をカミングアウトすると遠ざかるようになったらしい)親切にいろいろ助言してくれたと書かれてありました。また、シュトラウスはすぐにクレンペラーがユダヤ系だと見抜いたとも書いてあり、それらから人をそうした要素で見下したり、内心で優越感を温めるような俗悪な人物ではなかったことも推測できます。四つの最後の歌の魅力の一つは、何というか性善説的なとでも言えば良いのか朗らかな明るさではないかと思えます。

 子供の頃、漫画日本史(ムロタニ ツネ象)という、中学生と担任教師が日本史の各時代へ時間旅行しているという設定の本を愛読していました。その第1巻で山上憶良を紹介している箇所で、庶民の困窮に対して役人でもあった山上憶良が「貧窮問答歌」を作ることしかしていないのを登場人物の中学生が見て、「あれでもレジスタンスのつもりかね」と怒っていました。直接何の関係もありませんが、シュトラウスに対する非難めいた見解を読むとその漫画日本史の場面が思い出されます。

 それはともかくとして、4曲のうち春、九月、眠りゆくとき、の3曲がヘッセの詩、夕映えに、がアイヒェンドルフの詩に曲が付けられています。最初は詩の順序が、眠りゆくとき、九月、春、夕映えに、となっていましたが出版時に現行に改められました。なお完成した日付順は、夕映えに(5月)、春(7月)、眠りゆくとき(8月)、九月(9月)でした。これらは現在のような形でまとめて一つの作品として構想されたのではないという見解もあります。しかし、曲は連続して演奏されると非常に魅力的だと思います。

Vier letzte Lieder
Frühling (春)
September (九月)
Beim Schlafengehen (眠りゆくとき)
Im Abendrot (夕映えに)

 歌詞の対訳は下記のリンク(ルチア・ポップ、M.T.トーマス)の回に書いていました。

 ルチア・ポップの「四つの最後の歌」の録音は、1993年5月に録音されたCD(マイケル・ティルソン・トーマス指揮、ロンドンSO)もありました。そちらの方は彼女が亡くなる半年前の演奏でしたが、今回はその11年前で42歳の年に録音されたものです。この頃はフィガロのスザンナ、タンホイザーのエリーザベト等を歌い、特別に瑞々しい美声でした。またテンシュテットとロンドンPOもマーラー・チクルスが進行中で上り調子の頃だったはずです。全体的には素晴らしい歌声ながら、特に第4曲目の「夕映えに」はどこか物足らない気がしました。しかし、聴いている私もこの詩のような境地ではないので、何ともいえないところです。そういえば、この作品の名盤とされてきたエリーザベト・シュヴァルツコップの新旧の録音(今ではもう古いのだろうか)も、同じような、何か足らないような気がするようなしないような、微妙なものがあります。

 このCDはルチア・ポップがEMIへ残した録音を集めた7枚組の超廉価盤の中の1枚です。テンシュテットとのコンビでは他に、マーラーの交響曲第4番の第4楽章が収録されています(ベルティーニとの同曲ではなく)。また古いオペラ全曲盤からポップが歌ったアリアを抜粋して収められています。

 昨夜合流した納会の職場は1人新人が増えていましたが世相を反映して皆疲れ気味でした。1名(7合はのんでいた)を除いてアルコールは少なくして、日付が変わらない内に帰宅しました。カラオケボックスも若い人ばかりで、例年みられた御用納の職場の群れは全然見られません。それに若者の人相がこころもち険悪で、これも世相、景気の反映かと思いながら眺めていました。

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28 12月

年末年の瀬・京響の 第九コンサート・京都コンサートホール

111227a 京都市交響楽団・特別演奏会「第九コンサート」
①ダマーズ:フルート、ハープ、弦楽のためのデュオ・コンチェルタント
ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調「合唱付」op.125

広上 淳一   指揮 京都市交響楽団

清水 信貴(①京響首席フルート奏者)
松村 衣里(①京響ハープ奏者)
京響市民合唱団京都市立芸術大学

小川 里美:ソプラノ
手嶋眞佐子:メゾソプラノ
吉田 浩之:テノール
黒田 博 :バリトン

(2011年12月27日19:00~ 京都コンサートホール)

 昨夜7時から京都コンサートホールで京都市交響楽団による第九コンサートがありました。今日28日も同じ時刻に行われます。冒頭に普段のCDについての回と同様に出演者等を列記してみましたが、実際のところどういう演奏会だったかを再現して書くのは難しいのでそれはやめにします。とにかく、感動的で素晴らしい公演で、第九だけでなく最初の曲、フルート、ハープ、弦楽のためのデュオ・コンチェルタントも魅力的でした。それにしても男性のハープ奏者というのは見たことがないと、いつかクラシック音楽のフアンでもない人が言っていましたが、例えばネルロ・サンティがハープを弾いている姿はあまりえにならないのは確かです。12月に第九の公演をするなら、これくらいの日程がちょうど良いと思えます。昨夜の第九も終演後の拍手は盛大で、歓声も時々聞かれる玄人のようなブラヴォーではなく何か叫ばねば居られんとでもいう若い人の声が響いていました。個人的には第九を特別視して有難がっているわけではありませんが、終演後の清々しさは特別で一年間に感情、気分のヒダに積もった塵芥を洗い流してくれるような爽快感です。

 思えば京響の第九公演を聴くのはこれがはじめてで、合唱の人数がこれだけ大人数だったのがちょっと驚きでした。全体的に、晴れた冬の空のような、鮮明な演奏で、曖昧さとか歪み、かすんだ姿をゆるさないような引き締まった響きでした。それだけに第1楽章はちょっと素っ気無い気もしました。第4楽章は別にすると、特に第2楽章が素晴らしく、広上氏がゲンコツを振り上げて路上で殴りかかるようにティンパニに手を向ける姿が象徴的でした。全曲を通じて第2楽章はあまり好きではなかったのに、今回は新鮮な気持ちで集中して聴けました。今年は一種の戦時下にあると言える日本なので、特に第2楽章は共感をもって響きます。

111227b_2   独唱陣では、プログラムに載った解説でワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」でザックスを歌い注目されたという黒田さんが圧倒的で、ちょっとだけでもザックスの方も聴きたいと思いました。最初のバリトンに圧倒されたので、純然たる独唱部分が無いメゾソプラノの手嶋さんは四重唱になればかすむかと思えば、当然そんな心配はなく素晴らしい歌声でした。最初の「歓喜の歌」の合唱が収まった後のテノール独唱部分の歌が個人的に特に好きなので、昨夜の吉田さんの歌声で堪能しました。ソプラノの小川さんは重唱の時もひときわ高く声が響いていたのが印象的でした。音楽以外でもミス・ユニバースの代表になっただけあって、ステージ上で座っていてもひときわ目立ちました(隣席で驚きの声があがっていた、でも立っても指揮台の上の広上さんより高いことはないはずだ)。この第九を聴いていて、遅まきながらおぼろげに常任の広上さんの指揮、演奏のりんかくがようやく浮かび上がってきたように思えました。リハーサルの時間配分とか、声楽陣の練習等はどのくらい時間をかけているだろうと思いました。独唱者はけっこう間際まで座っているのもちょっと意外でした。この熱演を2日続けるのは大変だろうと思います。

 プログラムには第4楽章の歌詞、対訳も載っていたので開演前に眺めていると、特に日本的とか日本人が好きそうな内容でもないのに、この曲だけがここまで人気があるのは理屈の上では不思議です。ニンジンが嫌いでもカレーの中に入っていれば食べるとか、チーズが嫌いでもハンバーガーに挟んであれば食べる(私の場合)というのと似ています。今回に限っては客席で聴いているのも良いけれど、合唱団で歌えれば素晴らしいだろうと、はじめて思いました。一万人の第九とかに参加する人の気持ちが分かりました。

 途中、ダマーズの作品が終わった後の休憩でコーヒーを飲みに出ると「 第九ワイン(広上氏のサイン入り) 」というのが売っていました。今回も運転して帰るためコーヒーだけしましたが、帰路でパトカーが止まっていたり検問らしきものも見られ、やっぱり「一杯くらい」と思わないで正解でした(見つからなければ良いわけではないが)。ただ、年中マカロンとかサンドウィッチを売っているけれど年末は違うものになるとか、もうちょっとヴォリュームがあってもいいじゃないかと思います(大阪のシンフォニー・ホールで終演後も売っているパン・セット程でなくても)。今日は仮の御用おさめで、恒例の打ち上げ・忘年会へ合流しに行きます。そこの代表者は、「元上司の上司(シューベルトの即興曲の回)」の部下に当る方(私にとっては元上司)で、轍鮒之急に手を差し伸べてもらった方々の一人です。昨年は日本酒を水で割って飲んでいるのを見て、やっぱり適当な量で止めておくのは無理なんだろうなと思いました。 

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26 12月

シューベルトの「死と乙女」 ウィーン弦楽四重奏団・旧録音

シューベルト 弦楽四重奏曲 第14番ニ短調 D.810「死と乙女」

ウィーン弦楽四重奏団
1stヴァイオリン:ウェルナー・ヒンク
2stヴァイオリン:ヘルムート・プッフラー
ヴィオラ:クラウス・パイシュナイター
チェロ:ラインハルト・レップ

(1973年9月17-19日 シェーンブルーン宮殿 録音 RCA)

 12月に入って街中でパトカーや白バイを頻繁に見かけます。先週は朝の国道24号、名神高速の高架を通過した辺りで白バイが11台(10台が2列に並び最後尾に1台という配列)もまとまって走るのと連日すれ違いました。新選組か何かの親衛隊のようで威圧感があります。万一あの列の横を80キロ超の速度で走り抜けるとUターンして追って来るのだろうかと思いながら制限速度を順守してやり過ごしていました。あれは訓練なのか、特別な警戒なのかよく分かりませんが、白バイ一個小隊の後ろには護送車のような金網付の車も続いています。よく考えれば近くには拘置所や警察学校もありました。

111226  このCDはウィーン弦楽四重奏団によるシューベルトの弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」の初回録音です。ウィーン弦楽四重奏団は同曲をウィーンで1981年に再録音していますがその時は第2ヴァイオリンがクロイザマーに交替しています。新旧の録音で監修、プロデューサーとしてたずさわった井阪紘氏は、ウィーンで録音し出した頃は日本人のエンジニアは信頼してもらえず、ほとんどオブザーバーのような扱いだったと後に述懐しています。この録音当時ではどういう信頼の段階だったのだろうと思いました。このCDは6年前にタワーレコードの企画で初CD化されたもので、LP・新譜時には同じくシューベルトの弦楽四重奏曲第12番「四重奏断章」とカップリングされたいたようで、CD前面の写真に写っているLPのジャケットからうかがえます。CD化に際しては1976年に日本の入間市民会館で録音されたシューベルトの弦楽四重奏曲第13番「ロザムンデ」がカップリングされています。そうと分かると第12番・四重奏断章の旧録音の方も気になります。

1973年・シェーンブルーン宮殿
①11分54,②13分33,③4分02,④9分11 計38分30

1981年・ウィーン,パウムガルテン・スタジオ
①12分25,②14分11,③4分12,④9分53 計40分41

 このCDの演奏時間は上記の青字の通りで、下段の再録音盤と比べて各楽章で少しずつ速い演奏です。録音が新しいせいもあり、再録音の方が全体的に響きが豊かで潤いがあります。しかし、旧録音の方は少しの違いながら速めの演奏なので疾走する悲壮な美しさ(月並みな言い方ながら)が強調され、魅力的です。ウィーンPOの団員、元団員で構成されたりウィーンPOゆかりの弦楽四重奏団は多数あり、ウィーン弦楽四重奏団、アルバン・ベルク四重奏団、ウィーン・ムジークフェライン四重奏団が活動時期が重なります。CDの解説には、それらのカルテットの中で往年のウィーン・コンツェルトハウス四重奏団と最も近いのがウィーン弦楽四重奏団だと書かれてありました。確かにコンツェルトハウス四重奏団もシューベルトの弦楽四重奏曲全集を録音していました。それだけが根拠で一番近いとか言ってるのではないでしょうが、こういう機微は難しいものです。アルバン・ベルクはともかく実はあまり「ウィーン」を前面に出した団体は、その真価が分からないというか好きではありませんでした。多分に偏見、ひがみ(異文明圏の者がウィーン、ウィーンと有難がってみてもとか)もありましたが、近年段々親しみを感じるようになりました。

 この曲は1824年から1826年にかけての作曲で、第2楽章がシューベルトの歌曲「死と乙女」(1817年作曲)のピアノ・パートを主題にした変奏曲になっています。マーラーによる弦楽合奏版も知られています。シューベルトはちょうど1824年頃から体調不良が顕著になり(これは梅毒のことか)、その影響もあってか弦楽四重奏曲は全楽章が短調で書かれています。それでも各楽章とも、覚えやすいフレーズがり、ほの暗くも流麗な美しさで貫かれているのでシューベルトの弦楽四重奏曲の中では一番親しみやすい作品ではないかと思えます。

弦楽四重奏曲 第14番ニ短調 D810
第1楽章:Allegro
第2楽章:Andante con moto
第3楽章:Scherzo: Allegro molto
第4楽章:Presto

 第1楽章は主題を3つ持ち、ブルックナーの先駆けと評されています。実際ブルックナーの弦楽五重奏曲(ウィーン弦楽四重奏団も録音している)もそうなっています。第3楽章はお昼のメロドラマ「~嵐シリーズ(田中美佐子や高木美保と渡辺裕之が主演していた)」のテーマ曲を思わせる旋律が冒頭から出てきます。四つの楽章の配列はちょうどハ長調のグレイト交響曲(1825-1826年)を連想させ、特に第4楽章のプレストが同交響曲のフィナーレと似ています。第2楽章で引用された歌曲の「死と乙女 “ Der Tod und das Mädchen ” 」D.531は、マティアス・クラウディウスの詩に作曲したもので、病床の少女と死神のやり取りを描いた作品なので、この時期にそれをわざわざ用いているのも象徴的です。

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23 12月

シューベルト ピアノ・ソナタ第16番 リリー=クラウス

シューベルト ピアノ・ソナタ 第16番 イ短調 D.845 op42

リリー=クラウス:ピアノ

(1969年 ニューヨーク、Vanguard's23rd Street Studio 録音コロンビア)

111223a  シューベルトのピアノ・ソナタ第16番は、第15番、第17番と同じく1825年に作曲されています。翌年にはグランドソナタとして異例の早さで出版され、シューベルトのピアノ・ソナタでは最初に出版された作品でした。そのわりに演奏頻度も高い曲ではなく地味な存在でしたが、最近では「のだめカンタービレ」でヒロインがコンクールでこれを弾いて後々まで得意レパートリーになるという設定で脚光を浴びました。何にせよ注目される契機というのは大切だと思いました。この曲もピアノ・ソナタ第17番のように前半2楽章と後半とで長さ、性格が異なり一曲のソナタとしての統一感に問題がある(村上春樹が指摘する演奏の難しさ)、起承転結のような構成上の完結感が薄い等、シューベルト的な個性が現れています。作曲技法上の評価はともかく、聴いていると当時のシューベルトの心情そのものは反映されているようで、独特の余人をもって替え得ない魅力が感じられます。

第1楽章:Moderato
第2楽章:Andante poco mosso
第3楽章:Scherzo;Allegro vivace
第4楽章:Rondo;Allegro vivace

①9分23,②10分42,③7分07,④5分07 計32分19

 上記はこのCDの演奏時間で、下記のCDと比べてもかなり短いのが分かります。シューベルトのピアノ・ソナタは特に作曲者による「反復指示」を守るかどうかという問題があるので、それの影響かもしれませんが(未確認)、聴いているとかなり速い、力づくとさえ感じられる激しい演奏です。夜通し作曲して朝になっても起きてこないシューベルトを叩き起こして着替えさせるような光景を連想します。この曲は個人的にはアンドラーシュ=シフの演奏で刷り込まれているので、クラウスの演奏で聴くと作曲者が後退して演奏者が前に出過ぎているのではないかと思えます。この曲の第1楽章は冒頭から、どこへ行くともなく歩き出すような浮遊する感覚が漂い、楽章が変わっても全曲を通じてどこかそうした要素を秘めている気がします。このCDではそういうイメージとはがらりと違う演奏でした。

111223b  リリー=クラウスは1903年ハンガリー生まれの女流ピアニストで、1925年にウィーン音楽院の教授(22歳)に就任しています。1930年以降アルトゥール・シュナーベルに師事して自身の後継者であると言わせしめる程の信頼を得ています。シュナーベルに教えを受けたという点ではクリフォード=カーゾンと共通しています。シュナーベルは技巧よりも表現を重視して(ヴィルトゥオーソだけでなく、作品の内容を表現することに傾注する、のか?)いるとされていて、その点はリリー・クラウスにも言えることです。同じくシュナーベルに師事したカーゾンはシューベルトのピアノ・ソナタ第17番の録音で聴く限りは、速めの演奏なのは似ているものの、もっと端正でピアノの音そのものが美しく感じられました。今回のクラウスは極めて個性的な演奏です。作曲家もジャンルも異なりますが、こういう演奏からマタチッチの指揮するブルックナーを思い出しました。

アンドラーシュ=シフ(1992年)
①11分26,②11分52,③7分53,④5分15 計36分26

ルプー(1979年)
①12分28,②11分56,③7分15,④5分02 計36分41
ブレンデル旧(1975年)
①10分43,②13分11,③7分18,④4分55 計36分07
ケンプ旧(1953年)
①10分59,②11分30,③7分01,④5分01 計34分31

 リリー・クラウスの録音は、上記のケンプ旧録音よりもさらに2分以上短い演奏時間で、それだけでも際立ちます。クラウスは戦後6回も来日してこの曲やシューベルトの作品を演奏していたそうで、モーツアルトと共にシューベルトも得意レパートリーにしていました。そのことを考えると、シューベルトのピアノ・ソナタを考える上で外せない存在です。なお、このCDはカップリングがピアノ・ソナタ第13番です。彼女のシューベルト録音は他に即興曲や、ヴァイオリンとピアノのための作品がありました。

 2011年も残り少なくなりました。来年はマヤ文明の暦では大変革のような節目の年らしいので、今度は風が吹いても犠牲者は出ずに、桶屋だけでなく皆がもうかる年をきぼうします。先日祗園の縄手四条の交差点の前を通ると、はやくも「十日ゑびす」の大きな文字を書いた門が目に入りました。クリスマスはともかく初詣も済まないのに十日ゑびすとは気が早いですが、毎年のことなのでしょう。さすがに和装や和菓子店が入る祗園のビルにはクリスマス飾りは見られず、鏡餅に門松などの正月飾りでした。

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21 12月

ブルックナー・交響曲第5番 ブロムシュテット ライプチヒ管

ブルックナー 交響曲 第5番 変ロ長調 WAB.105(1878年ノヴァーク版)

ヘルベルト=ブロムシュテット 指揮
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

 
(2010年5月6-7日 ライヴ録音 Querstand)

 ブルックナーもシューベルトと同じくオーストリアで生まれ育った作曲家で、いろいろなところで指摘されているのを読むにつけ、交響曲だけでなくミサ曲やモテット等でも通じるところがあると、今頃になって実感しています。シューベルト=歌曲集「冬の旅」、ブルックナー=巨大な交響曲という固定観念で両人とも終生独身だったことくらいしか共通はないように思っていました。シューベルトの作品は人間の感情、人格を強く感じさせるものだと思いますが、ブルックナーの交響曲はそういう要素が前面に出て来ないように感じられ、異質なものだと思っていました。しかしヴィントハークのミサ曲等初期の作品を聴くと、そう単純なものではないと思えてきます。そういえば二人とも学校を卒業してすぐの頃は教員の仕事をしていました。

111221a  ブロムシュテットとライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によるブルックナーのライヴ録音シリーズ(Querstand)も既に第5~8番、第3番と五曲が出ています。同じレーベルへ1995年に第9番、1998年に第3番を録音していたようですが全く見過ごしています。この第5番に続いて2010年の9月に第3番・第1稿を録音しているので、このペースなら今シーズンにも2、3曲はライヴで収録しているかもしれず、上手く行けばブロムシュテット初のブルックナー全集が完結するかもしれません。全集にならなくても、せめてあと第2番だけは何とか録音してくれることを祈念します。そう思うのは、このシリーズは個性的でなかなか素晴らしい演奏だからで、中でも第5番が一番存在感がある(曖昧な言い方)演奏だと思えました。CD付属の解説には、老いてますます厳格な、「規律が戒律と言いかえられる程シビアな」、音楽をきかせると評されています。実際に聴いているとその言葉が実感させられました。

①19分51,②17分13,③12分57,④23分44 計73分45

 上記はこのCDの演奏時間で、過去に記事投稿したブルックナー第5番のCDと比べると速めの部類に入ります。ヴァントの他の録音も73~75分に入り後の演奏程遅い傾向になっています。80歳を超えたブロムシュテットのブルックナーは、老巨匠的荘厳というイメージとはちょっと違い活発で、明晰な響きです。かつ決して軽いとか、雑でせわしないという演奏でもありません。特に第4楽章でその美点が際立ち、上品な美しさを保って高揚して終わります。ありそうでなかなか無いコーダの演奏です。

ヨッフム・RACO(1964年)
①20分54,②18分55,③12分41,④23分04 計75分34
ヴァント・ケルン放送SO(1974年)
①20分10,②15分49,③14分13,④24分08 計74分20
ヘレヴェッヘ・シャンゼリゼO(2008年)
①20分12,②18分08,③12分27,④22分27 計73分14
アルブレヒト・チェコPO(1995年)
①18分50,②17分35,③13分42,④22分46 計72分55

111221b  ブルックナーの交響曲第5番について音楽学者でもあるベンジャミン・ザンダー(解説講話CD付で有名)は、シューベルトの音楽に近いことを指摘して演奏に際しては「歌謡性」を反映させるためには遅いテンポ(従来普及していた演奏のような)ではダメで、活発で推進力のあるテンポが必要だと述べています。ザンダー自身の録音の演奏時間は下記のようにかなり短くなっています。ブロムシュテットもそれに比べれば遅い方ですが、世代からすればここ10年くらいの中堅層の指揮者の演奏の方に近くなっていて、ザンダーの指摘をある程度充たしています。

ザンダー・PO(2008年)
①18分58,②16分00,③12分36,④21分01 計67分35

 ちなみにブルックナーの交響曲第5番は、ブロムシュテットがドレスデン・シュターツカペレとの初来日の時(1978年)にも取り上げた作品で、この録音直前のN響客演でも演奏しています。今まで録音が無かったのが不思議なくらいの自信を持ったレパートリーのようです。

 10年以上前に一カ月ほど入院したことがあり、胆石のオペなので当初は1週間で終わると言われていました。ところが、大腸カメラと胃カメラでポリープが見つかりそれも焼き切り、血液検査の数値が異常とかで、なかなかゴーサインが出ずに結局4週間以上もかかりました。その頃バッハの受難曲がどうしても聴きたくなって、JEUJIYA三条店まで抜け出して買いに行きました。そういうこともあろうかとCDウォークマンは持参していたので病室で繰り返し聴いていました。買ったのはエリック・エリクソン指揮の合唱団とドロットニングホルム・バロックアンサンブルというコーラスは現代、オケはピリオドという組合せのCDでした。そういう状況でブルックナーをどうしても聴きたいという発作的渇望はおとずれませんでしたが、それは無意識のうちに何らかの孤独を感じていて、人間の存在を強く感じさせる音楽を求めてバッハの方に信号がいったのでしょう。そう言えばポリープを焼き切った後の大BENは不気味な色でした。

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20 12月

シューベルトの交響曲第1番 インマゼール アニマ・エテルナ

111220b_2  シューベルト 交響曲 第1番 ニ長調 D.82

ジョス・ファン・インマゼール 指揮
アニマ・エテルナ

(1996年12月3,4日~1997年2月22,23 録音 SONY)

 シューベルトの交響曲と言えば第7(8)番・未完成が圧倒的に有名で、次いで第8(9)番・グレイトもレコード、CDが多数あってかなりの認知度です。そのほかでは第5番、第4番「悲劇的」が未完成交響曲やハ長調・グレイトとカップリングされたりしています。この2曲も魅力的でもっと目立ってもいいと思えます。例外的と言ってよいのか、カルロス・クライバーが第3番を録音していました。それ以外の交響曲はシューベルトの交響曲全集でなければ単独では録音されないのが通常でした。このCDもインマゼールが手兵である古楽器アンサンブル「アニマ・エテルナ」を指揮してシューベルトの交響曲を全曲録音したものの1枚です(第3番、第5番とカップリング)。

111220c_2   シューベルト生誕200年に完成するインマゼールのシューベルト・チクルスはいくつかの特徴がありました。大まかに以下の点が挙げられます。①ベーレンライター社の新全集の楽譜(出版前の第4~7番を見せてもらえた)に依っていること。②ウィーン製の古楽器を多用している。③ピッチは440Hzを採用している(古楽器アンサンブルは430Hz程度が多く現代のオーケストラに近い)。①の楽譜についてはオリジナルの手稿譜が全て残っていて、ウィーン楽友協会から見せてもらっています。②の楽器については、ガット弦と当時の弓を用い、四弦と五弦を併用し、管楽器、ティンパニについても注意が払われています。これらについては、CDに付属の解説に詳細が載っています(かなり専門的なインマゼールによる解説の日本語訳であるが、訳が迂遠に感じられる)。

 要するに、シューベルト本人の意図に沿った譜面を使用して、作曲者が生きた時代の楽器を用いてシューベルトのコントラストを重んじた強弱法を用いて演奏したということで、交響曲における「素顔のシューベルト」を再現することを主眼としました。そう言うからには、シューベルトの没後、19世紀後半以降出版の過程で作曲者以外の手が入って、本来の姿から遠くなっていたということで、例えば未完成交響曲などは一般人からしてもそうした事情がおぼろげながら推測できる演奏が広がっていました。

 シューベルトの交響曲第1番をはじめて聴いたのは、CDの時代になってからの1990年頃で、ヴァント指揮のケルン放送交響楽団(独ハルモニア・ムンディ)の録音でした。EMI傘下に入る前のバラ売りのCDで、ヴァントらしいあまりロマンティックな演奏では無かったので後にインマゼール盤で聴いても隔世の感という程の違和感はありませんでした。今改めて聴いていると、「シューベルトのコントラストを重んじた」という強弱は、ごく自然に感じられて、強調し過ぎとか、尖鋭化しているとは思えません。また楽器の音色も丸みを帯びながら、流麗に響いています。方法論を優先させたものではなく、あくまで作品自身のための演奏スタイルなのだということが今更ながら実感させられます。

交響曲第1番ニ長調 D.82
第1楽章:Adagio-Allegro vivace
第2楽章:Andante
第3楽章:Menuetto.Allegro-Trio
第4楽章:Allegro vivace

111220a  交響曲第1番は1813年、シューベルトが16歳の時の作曲でコンヴィクト在学中の作品です。コンヴィクトの音楽教育はあのサリエリが責任者で、シューベルトも直接授業を受けました。シューベルトの作品に対して、ハイドンやモーツアルトの影響が強いと批判されていました。コンヴィクトは寄宿制の学校でシューベルトはそこで聖歌隊だけでなく、学生オーケストラに所属していました。後者は雑用から始めて、第2ヴァイオリン、指揮も兼ねたコンサートマスターになりました。雑用の主なものに楽譜の書き写しがありましたが、楽譜が貴重な当時としてはその写譜の作業がシューベルトにとって良い勉強にもなっていました。そのコンヴィクトを1813年に卒業するので、交響曲第13番は卒業記念として校長のJ.ラングに献呈して演奏してもらうために作曲しました。第1楽章のアレグロ・ヴィヴァーチェの部分は既にシューベルトらしい主題のメロディが際立っていて、先人の模倣という批判はもう当らないだろうと思えます。

 今日のお昼に思い出してクリスマスケーキの予約をしました。自分自身は別にケーキが無くても寂しくもありませんが、あるとわずかな金額でなんか特別なことをしたような雰囲気を演出できるのでありがたいものだと思い、ここ数年同じ店で買っています。旗竿状の敷地に建つ古民家でケーキの製造販売・カフェを営業しています。ヨーロッパのクリスマス菓子といえば日本で普及しているデコーレションケーキとは限らず、地方毎に多様なものがあります。というよりこういう、円いデコレーション・ケーキのルーツはどこなんだろうと思います。一度、大きなクリスマス・ケーキではなく、ショート・ケーキを一人2個ずつの割当で買ったことがありましたが、有難味が薄いのか評判は良くなかったので、以後マンネリでも今しか売っていないのが分かるクリスマス仕様のケーキで通しています。

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19 12月

シューベルト ピアノ5重奏曲「鱒」 A.シフ、ハーゲンSQ他

111219a シューベルト ピアノ五重奏曲 イ長調 D.667 「ます」

アンドラーシュ=シフ:ピアノ
アロイス=ポッシュ:コントラバス
ハーゲン弦楽四重奏団員
ルーカス・ハーゲン:ヴァイオリン
ヴェロニカ・ハーゲン:ヴィオラ
クレメンス・ハーゲン:チェロ

(1983年12月 ウィーン 録音 DECCA)

 何となく先月からシューベルトづいていて、これまで特別な感慨という程のものが無かったシューベルトの曲が無性に慕わしく感じられます。かつてDENONの廉価盤シリーズの中にあったアファナシエフが弾く後期ピアノソナタ集の帯に、「悲惨の王の早すぎる晩年(の暗部)」というフレーズがあってそれを初めて見た時は何かのけ反りそうになりました。悲惨の王、なんてそんな通り名があったとは知りませんでした。とにかくそんなシューベルトに突如渇くような親近を感じるとはちょっと不吉です。

  シューベルトの歌曲「ます」の主題による変奏曲を第4楽章に持つこの曲は、1819年の作曲者が22歳の時の作品です。シューベルトが友人と北オーストリアのシュタイアー地方へ旅行した際、地元の鉱山技師で音楽愛好者であったジルヴェルター・パウムガルトナーの依頼により作られました( ますの主題による変奏曲を含むのも依頼者の要望だったらしい )。この曲は通常のピアノ五重奏曲と違ってヴァイオリンが1人少なく、代わりにコントラバスが加わります。第4楽章に同時期に作曲された歌曲「鱒」のメロディーの変奏曲で、これが特に有名です。子供の頃家にあったレコード・ブックスの室内楽篇にもそれが収録されていて、何度も聴いていました。これとハイドンの弦楽四重奏曲「皇帝」が意味も分からないままよく聴いて、大人になったらこういう音楽を演奏する音楽家になれたらと、身の程知らずにも密かに思っていました。

1楽章:Allegro Vivace イ長調
2楽章:Andante - ヘ長調
3楽章:Scherzo - Presto イ長調
4楽章:Andantino - Allegretto ニ長調
5楽章:Allegro giusto イ長調

①14分6,②6分50,③4分34,④8分12,⑤10分8 計43分50

111219b  ピアノ三重奏曲や「ヴァイオリンとピアノのための幻想曲」、即興曲集等が作られた1827年よりもだいぶ前の作品だけに、やがて悩されることになる病気の影も無く、明朗な作風です。また、未完成交響曲作曲の約3年前です。だからこれは「悲惨の王」という名称には繋がらないでしょう。歌曲の「ます」は、魚の鱒が釣られることを歌いながら、「魚=乙女、釣り人=男」で男に釣られないようにという風刺の詩で、“ Die Forelle ”という原題は日本語の「ます」とは違う魚種です。三平(みひら)三平(さんぺい)なら魚種を確かめて釣リ上げないと気が済まんところでそうが、ここは何故5楽章もあるのか、そっちの方が不思議です。楽章が多い分だけに上記の演奏時間でも分かる通りこの作品も長目で、完成させたピアノ・ソナタやグレイト交響曲と同じくらいの規模です。各楽章について1曲としての統一感が希薄というのはピアノ・ソナタでも指摘される点ですが、ピアノ五重奏曲でも組曲的等そのような指摘があったそうです。しかし、そんなことはどうでもいいくらい、爽やかで魅力あふれる曲です。

 このCDはピアノのアンドラーシュ=シフ(録音時29歳)をはじめ、ハーゲン四重奏団員(ルーカス・21歳、ヴェロニカ・20歳、クレメンス・17歳)ら全員が二十代、十代というクラシック音楽にしては珍しい録音です。演奏者がシューベルトの作曲時に近い年齢だったということです。これも含めて一連の録音から、シフはキャリアの初期からシューベルトの作品でソロ、リートのピアノパート、室内楽のピアノパートに取り組んでいたのが分かります。その中では、90年代初めのピアノ・ソナタの録音が独特の音色で目立っています。シフのレパートリーを振り返ると同じように、ピアノフォルテを弾いて、シューベルトのピアノ独奏曲や室内楽、リートのピアノパートを演奏、録音して、さらにピリオド楽器のアンサンブルであるアニマ・エテルナを指揮して交響曲まで録音したインマゼールの活動が重なります。

 今年は珍しく初夢を覚えていて、その夢がこれまでの一年と何か関連があったか振り返ってみたところ、ほとんど意味がなかった気がしました。厳密には本当に初夢だったか確かめようがありませんが、覚えている限りの初夢はアルハンブラ宮殿の回廊のようなところを腹這いになって肘を使って前進周回していて、どうもマラソンのように外からその姿勢で這って帰ってきたという夢でした。煉獄か懲罰のような光景なのに、苦痛を感じていないのが救いだった不思議な夢で、考えようによっては物事が遅々として停滞した今年を暗示していたかもしれません。せめて旅行でアルハンブラ宮殿に行って正夢だったとか、来年はそれくらいを期待します。

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18 12月

1960年ウィーン芸術週間 クレンペラー ベートーベンの第九

111218a ベートーベン  交響曲 第9番 二短調 op.125「合唱」

オットー=クレンペラー 指揮
フィルハーモニア管弦楽団
ウィーン楽友協会合唱団

ヴィルマ・リップ:ソプラノ
ウルズラ・ベーゼ:アルト
フリッツ・ヴンダーリヒ:テノール
フランツ・クラウス:バス

(1960年6月7日 ウィーン,ムジークフェラインザール 録音)

 これはクレンペラーが1960年のウィーン芸術週間に、フィルハーモニア管弦楽団を引き連れてベートーベンの交響曲を全曲演奏した時の記録です。何度も違うレーベルから発売されていて、確か1980年代末にストラディヴァリウス(イタリアのマイナーレーベル)というレーベルから第9番だけ出たのが最初だったと思います。そのCDは発売と同時に購入しましたが、モノラル録音ということもあって内容はあまり期待していませんでした。それにこの手の音源は別人の演奏だったりする可能性もあります。既にフィルハーモニア管弦楽団とのセッション録音がありましたが、公演でのクレンペラーの演奏にも興味があってとにかく購入しました。音質はそのストラディヴァリウスのCDが一番良かったのではないかと思います。ただ、かつて同じくイタリアのチェトラから全9曲が発売されたことがあるらしく、それが一番良い音だという評判で、高いので手を出さず聴き逃したのが少々残念です。

111218c  演奏そのものは、EMIへのセッション録音よりも潤いがあって、燃えているのが感じられ、やはりウィーンでの公演となるとオケもクレンペラーも力が入るのかと思いました。特に第3楽章は速めのテンポなのはあいかわらずですが、艶があってクレンペラーにしては濃い表現です。独唱陣は特に男声がビッグネームながら、もうひとつのようにきこえます。下記の演奏時間一覧からも分かりますが今回のウィーン芸術週間でのライヴ録音(青字)はEMI・セッション録音(ピンク字)より少し速めながら、ほぼ近似しています。全体で40秒短いのは第3楽章で50秒以上短いことに依っています。第4楽章は今回のウィーンライヴが10秒程長い程度です。第九という作品は最終部分、コーダが、大曲をしめくくるにしてはちょっと軽いようにも思えますが、その点はクレンペラーの演奏が魅力的だと(気のせいか)思えます。手元にあるのは“ Classsic OPTIONS ”、“ IDIS”、“ANDROMEDA ” と3種のCDですが音質はどれも限界があります。今年1枚800円くらいで出たIDISのものはなかなか良好とも思えますが、第3楽章が途中で回転がおかしいような歪みが目立つのが難点です。

1956年ライブ、RCO
①16分24,②14分48,③13分56,④22分56 計68分04
1957年11月15日ライブ、PO(Testament)
①16分24,②15分20,③14分44,④23分39 計70分07
1957年10月,11月セッション録音、PO
①17分00,②15分37,③14分57,④24分23 計71分57

1958年2月6日ライブ、ケルン放送SO
①17分17,②15分33,③14分02,④23分32 計70分20
1960年ウィーン芸術週間ライブ、PO
①16分39,②14分58,③14分05,④24分35 計70分17

1961年11月27日ライブ・PO(Testament)
①15分48,②15分04,③13分32,④23分51 計68分15
1964年11月ライブ、ニューPO(モノクロLD)
①17分46,②15分38,③14分38,④24分10 計72分12

111218b  上記はクレンペラー指揮のベートーベン第九のCDの演奏時間です。発売したレーベルの違いにより若干の違いがあること、トラック分け(空白時間等)加減で微妙に異なることがあります。また、他にも1970年頃のベートーベン・チクルスがあるようですが聴いたことはありません。一番短いのが1956年のアムステルダムのライヴで、一番長いのが1964年の映像ソフトです。これに演奏会場も分かれば演奏時間の詳しい傾向も分かります。クレンペラーは1958年の9月に大火傷(寝たばこによる事故)を負い休養を余儀なくされ、その後は演奏が変わったとも言われます。このウィーン公演も火傷休養からの復帰後ですが、数字上はそれ以前と大きな違いは見られません。どの録音もそれぞれ愛着があり捨てがたいものがあります。

111218  ちなみにモノクロ映像の1964年の演奏も立派で、座って指揮するクレンペラーの動きの少ない指揮がじっくり見られます。古い映像で、映画の「十戒」で紅海を渡る場面のように異様な緊迫感が漂います。そもそもクレンペラーの演奏は、聴く者を扇動的に、情緒の表層で熱狂的にさせるような性格ではなく、どこか割符やパズルがぴったり合わないような歪みのような不思議な感覚が付いて回ります。にも関わらず第九のような作品でも圧倒的な存在感があるのは不思議です。この点について、今年日本語版が出版された 『オットー・クレンペラー』 あるユダヤ系ドイツ人の音楽家人生(E.ヴァイスヴァイラー著  明石政紀訳・みすず書房) 」という伝記の、日本語訳を担当した明石政紀氏が書かれた「訳者あとがき」の冒頭に、クレンペラーの演奏の特徴を表現した以下の文が掲載されています。過去にも引用しましたがあまりに的確な解説なので再度載せました。聴くにつけ、クレンペラーの第九演奏がまさしくぴったりと当てはまると思います。

 「 たぶん、それは、人心を煽るのをいっさい拒否するひどく突き放した外面、その裏に見え隠れする脆い感情の襞梃子でも動かない抽象的岩石が呼吸しているような感動『おいそれと感動させてたまるものかという感動的な態度』西洋古典音楽の権化のごとくびくともしない構成感譜面文化の絶対的信奉、その裏にくすぶるアナーキーな破壊転覆的意志、そうしてこうした矛盾のあいだから漂ってくる、空しくも美しいこの世の無常というクレンペラー独特の世界のせいなのかもしれない。きっとそれでクレンペラーのことをもっと知りたいと思い、この本を訳してしまったのだろう( P.236の上段終わりから下段にかけて)。

 これらのCDの中でライヴ盤の日付を見ると、特に年末の公演はなく、日本の風習がなんとなく面白く見えます。ここまで定着すれば一種の土着化のようなもので、ベートーベンも本望だろうと思います。今年は京都市交響楽団の定期で12月27日の方が組み込まれているので聴きに行く予定です。文字通り年末の第九に行くのは90年代後半、朝比奈隆が健在だった頃以来です。97か96年は切符を買っていたところ、私的忘年会に誘われて伊勢街道の旧宿場町にある和牛の名店の肉でしゃぶしゃぶをするというのに釣られ、演奏会にはて行かずに終わりました。それに呼んでいただいた方は若くして世を去ってしまい(病院に行った時点でオペが出来ない状態だったと聞かされる)、12月になると思い出されます。

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17 12月

シューベルト 即興曲集D.899 アンドラーシュ=シフ・旧録音

シューベルト 4つの即興曲 D.899 op.90

アンドラーシュ=シフ:ピアノ

(1978年6月15,16日 荒川区民会館 録音 キングレコード )

 先日同業者が多数集まる機会があって、定刻前にロビーで座っている時に、元上司の上司(私は陪臣・また者ということになる)とさらに年配、80歳近い人2人とあい席になりました。80近い二人は最近はゴルフ・コンペに若いのが集まらんとかしきりに言っていると、その元上上司は皆暇はあっても余裕が無いんでしょうと代弁してくれました。すると横で別の人が「よお言うわ(よく言いますね)」と茶々を入れていて、ちょっとイラッときました。世代によって、世相や未来に対する感じ方、展望が違うのだとしみじみ実感しました。実際不景気で、ゴルフだとかそんな気にもならないのが本音です(私はもとから全くやりませんが)。残り少なくなった今年は、低空飛行の1年だった気がします。

111217a  タイトルに書いた通り、このCDはアンドラーシュ=シフ(1953年12月21日生まれ)が24歳の時に録音したシューベルトの即興曲集D.899で、シフは1990年にも同作品を録音しています。録音場所が荒川区民ホールと書いてあり、ぐっと身近な感じがします。このCDと同時期の録音にはバッハのインヴェンションとシンフォニア等もありました。シフのシューベルト作品の録音は1983年にハーゲン四重奏団員と共演したピアノ五重奏曲(DECCA)があり、それ以後に1988年にD.935の即興曲集やD.946・3つの小品等が続きます。先月来記事にしたピアノ・ソナタはこれらに続いて、1992-1993年の録音です。したがって、同じシューベルト作品を弾いていても聴いた印象は異なるだろうと想像できます。それにしても写真のシフの若いこと。

111217b  改めて聴いてみると、今回のCDではまるでショパンの作品のような響きで、後年の柔らかくも神経質そうな演奏よりも奔放です。使っているピアノ、録音環境も違うため別のピアニストの演奏だと言われても気が付かないかもしれません。それにしても、まるで岩の裂け目から流れ出す地下水のような鮮烈な印象に惹きつけられます。この録音の新譜時の解説には、シフがピアノ独奏だけでなくリートのピアノ・パートを受け持って共演もしていて、そちらの演奏も見事だと評されています( そういえば90年代にはペーター・シュライアーと共演した冬の旅、白鳥の歌、美しき水車小屋の娘のCDもありました )。この時点でシフをピアニスティックな美しさを追求するだけではなく、シューベルトの「 歌 」というものをよく理解していると称賛されています。この即興曲集は旧録音の方に魅力を感じてしまいます。(左写真は再録音が入ったCD)

  シューベルトのピアノ作品の中ではピアノ・ソナタよりも「楽興の時」や「即興曲」の方が代表作として親しまれてきた傾向があります。4つの即興曲D.899はD.935の4つの即興曲と同様に1827年後半に作曲されています。2つのピアノ三重奏曲、ノットゥルノ(ピアノ三重奏)やヴァイオリンとピアノのための幻想曲、冬の旅と同時期の作曲で、これらの後に弦楽五重奏曲や最後のピアノ・ソナタ3曲が続き、やがて生涯を終えるということになります。

4つの即興曲 D.899
第1曲:Allegro moderato ハ短調
第2曲:Allegro 変ホ長調
第3曲:Andante 変ト長調
第4曲:Allegretto 変イ長調

 そうした作品の時系列を聞くと第1曲目の孤独な美しさは、冬の旅の続篇か途中に挿入できる音楽のようにきこえます。第2曲は一転して奔放で激しさを持った親しみやすい曲です。当初は第1、第2番だけが出版され、残りの2曲はシューベルトの死後に出版されました。4曲で1つの曲集にするという明確な意図は無かったようです。また“ Impromptu (即興曲) ”というタイトルは出版社が付けたものでした。もっともシューベルトもこの名称が気に入り、次の4つの即興曲D.935にも同じタイトルを使いました。続く第3、第4曲の方が知名度、人気は高いようで、従来から抜粋して演奏されることもありました。カーゾンのピアノ・ソナタ第17番のCDにも、楽興の時と併せてD.899の第3、第4が収録されています。第3曲は「シューベルトの無言歌」とも評されていて、冒頭がリストの「愛の夢・第3番」に似た憧れを秘めたメロディーが印象的です。出版時はト長調に移調されていました。第4曲が最も有名で四曲中で一番ピアニスティックな要素が多いとされています。ピアニスト、ピアノを学んでいる人ならこの曲集から感じられることも多いのだろうと思えます。

 これまで即興曲について晩年の作品だとか特に意識せずに聴いていましたが、先日のピアノ三重奏曲第2番等と続けて、意識しながら聴くと歌曲集・冬の旅の世界も思い出されます。特に第1曲は、「あても無くあるくうちにもう少し生きてみようと思った」とか、歌詞を付けて歌えそうにきこえてきます。4つの即興曲のD.935の方は3曲目までが1曲のピアノ・ソナタとして構想されたというシューマンの説が示す通り曲集としてのつながり、統一性があるのに対して、今回のD.899の方は自由に作曲された作品の寄せ集め的なものとされますが、抜粋するにしても第1曲目は外せないような気がしました。

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16 12月

シューベルト・ヴァイオリンとピアノのための幻想曲 シフ夫妻

シューベルト ヴァイオリンとピアノのための幻想曲 ハ長調 D.934 作品159

ピアノ:アンドラーシュ=シフ
ヴァイオリン:塩川悠子

(1998年12月 オーストリア、モントゼー 録音 ECM)

111215  今日の午後は京都府亀岡市の保津川左岸を車で走って、京都市方面へ向かっていました。一面に圃場整理された田畑が広がる田園地帯で、京都府下では珍しい広々とした眺めです。当然稲刈りも終わり、農作業している人影も見られませんでした。全国的に問題になっていることですが、費用をかけて土地改良工事を施して整理した農地でも「耕作放棄地」が見られます。今の時期なら近くによらなければどれが放棄農地なのか見分けがつきません。終戦直後の食糧難の時は米を作っている農家は威張っていたとか、うらみがましい話を聞いたことがあり、仮に缶コーヒー1本が1万2千円とかの超インフレになれば米を確保できる田んぼを持っている人は強いかとか想像しながら通り過ぎていました。

 アンドラーシュ=シフは1989年から1998年まで夏に、自宅のあったザルツブルク近郊のモントゼーで室内楽の音楽祭を主宰していました。これはその音楽祭が終わった年の録音で、シューベルトのさすらい人幻想曲とカップリングされたCDです。ヴァイオリンは夫人の塩川悠子です。シフは1990年代前半にDECCAレーベルへ、シューベルトのピアノ・ソナタの大半と楽興の時、2つの即興曲集等のピアノ・ソロ作品を連続録音してましたが、「さすらい人幻想曲」は抜けていたはずです。( あるいは録音していたのかもしれませんが )レーベルを移ってから当時自宅があったモントゼーで録音したというわけです。

 シューベルトのヴァイオリンとピアノのための作品はこの曲の他に、ソナチネ(D.384、D.385、D.408)、ヴァイオリン・ソナタD.574、ロンドD.895があるくらいです。シューベルトのヴァイオリン・ソナタ集のアルバムにはこれらがまとめて収録されているのが通常なので、かつてゴールドベルクとルプーのCDで何度なく聴いていましたが、久しぶりに聴くとよく覚えていませんでした( チェロとピアノによるアルペジョーネ・ソナタ(1824年)の方はかなりよく覚えているのに )。

幻想曲 ハ長調 D.934 作品159
①:andante molto
②:allegretto
③:andantino-tempo primo
④:allegro vivace-allegretto-presto

111215a  シフの名前が前面に出ているので、ついピアノ曲の方に目が行きますが、このヴァイオリンとピアノのための幻想曲は、演奏の難易度が極めて高いことでも有名なシューベルト晩年の作品です。2つのピアノ三重奏曲( 第1番D.898、第2番D.929 )、ピアノ独奏による2つの即興曲集( D.899、D.935 )と同じ頃の1827年に作曲され、翌年1月に初演されました。ただし初演時は長い演奏会の最後に披露されたこともあってか不評で、その状況はブルックナーの交響曲第3番と似ています。上記のように4つの部分に分けていますが、明確に楽章が分かれているとも言えずこのCDは1曲で1つのトラックとしています。

 1827年から1828年にかけての時期にシューベルトは自作だけの演奏会や、楽譜出版という作曲家としての地位を高め、確立するための転機にあり、同時に病気の悪化による不安も深刻化していきました。実際徐々にシューベルトは自作のピアノ演奏をしなくなっていきましたが、それは病気の症状の一つで四肢の動き、指の敏捷性が低下していたからだとされています。亡くなる1、2年前のこの時期のシューベルトは、肉体的には衰えていきながら、芸術家としての将来は今踏ん張ればさらに開けていくという、矛盾した苦しい環境にあったわけです。

 この演奏はまずピアノの音色の美しさに感心させられ、やがて控え目ながら繊細なヴァイオリンにも惹きつけられていきます。曲の最後の方で行進曲調になるところで、なんとなく自嘲気味にもきこえる等、作品が書かれた頃のシューベルトの胸中を映し出すかのような注意深く感動的な演奏でした。DECCAへ録音されたピアノ曲の、ややこもったような柔らかい音質と違いもっと鋭い響きも好感が持てました。ECMの前に、シフはTELDECレーベルシューベルトの室内楽を録音(モントゼーでの音楽祭)していますが、それよりも良い音ではないかと思えます。

111215b  シューベルトの若い晩年に書かれた室内楽の魅力はどんなところだろうかと思います。例えば、ベートベンの晩年の作品である弦楽四重奏曲第15番の楽譜には「 病より癒えたる者の神への聖なる感謝の歌 」という書き込みがありました。しかし、そのように「 聖なる感謝の歌 」と書けるようになるまでは当然葛藤があったと考えられます。「 耳だけでなくまだこの上病苦を負わせるのか、死んだ方が楽かもしれん 」、「 かわいがってやった甥っ子は人の気も知らずに 」、とか、思い出したように、「 俺の耳一つ癒せないのに何が全能の神、愛の神か、ベテスダの池なんか埋めてしまえ 」等々、ありとあらゆる不平不満が断続的に湧いてくるものだと思います。「 神への感謝の歌 」というのは真実だとしても、それは公的な発言、到達点であると思います。一方で、シューベルトの後期・室内楽作品は、もっと私的で到達点に至るまでの葛藤や、混乱そのものではないかと思えます。葛藤とか克己と言うほど主体的でなくても、苦しいと感じていることそのものが反映されているような、一種の自然さが感じられます。曲調も失望して沈殿していくようで時に快活になり、なかなか定まりません。

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12 12月

シューベルト・ピアノトリオ2番 ヒンク,ドレシャル,スタンチュール

シューベルト ピアノ三重奏曲 第2番 変ホ長調 D.929 作品100


ピアノ:ジャスミンカ=スタンチュール
ヴァイオリン:ウェルナー=ヒンク
チェロ:フリッツ=ドレシャル


(1992年6月20-21 ウィーン、スタジオ・バウムガルデン 録音 カメラータ)
 

 このCDも先日の弦楽四重奏曲第15番と同じくカメラータからまとめて(値下げされて)出た録音集の中の一枚です。シューベルト生誕200年であった1997年のために企画された室内楽全集の一環です。エディット・ピヒト=アクセンフェルト(チェンバロ、ピアノ)のCDの時にもふれたプロデューサー井阪紘氏は、作曲家の西村朗氏(現在N響アワーの司会)に対して、「シューベルトの室内楽作品は、その音楽の人間らしさと深さでベートーベンを凌駕していると思わないか」と、議論を吹っ掛けたそうですが確かに「人間らしさ」という言葉には強い説得力があります。人間は簡単には苦悩を突き抜けられず、吹っ切れたような気がしても他人とつい比べてまた一層深く悩んで、人が見ている時だけ突き抜けたふりをしてみたり、とても単純には行かないのが普通だろうと思います。シューベルトの作品は、そういう姿を反映しているように思え、そこが魅力の一つだろうと思います。だから、聴く人によって受け止め方が多様なのではないかとも思います。

 
 シューベルトのピアノ三重奏曲第2番は、自筆譜の日付から1827年の11月から書き始められた晩年の作品です。ピアノ3重奏の編成でシューベルトが作曲したのは他にピアノ三重奏曲第1番 D.898、ノットゥルノ D.897、ソナタ楽章 D.28、と全4曲有り、D.28以外の3曲はどれも同じ時期に書かれています。この曲も約45分程の演奏時間という長さで、先日の弦楽四重奏曲第15番やピアノ・ソナタ第21番等と似た規模です。
 

 ピアノ三重奏曲第2番シューベルトの生前に初演され、当人もそれを聴くことができた作品でした。また楽譜出版も決まっていましたが生前それを見ることはかないませんでした。なお、出版に際しては長い第4楽章の一部をカットするという出版社側の要望を入れてその通りにしましたが、1975年の新シューベルト全集の際に元に戻されました。

 先日クラシックのCD店のブログでシューベルトのピアノ三重奏曲第2番について書かれてあり、この曲が室内楽の分野でも特に好きな作品だとあったので、アンドラーシュ=シフ夫妻とミクローシュ=ペレーニのCDを取り出して第1番、第2番と順に聴いてみました。1980年代の末に、ちょうどソウル五輪があった年に冬の旅に続いてシューベルトのピアノ三重奏曲のCDをよく聴いていたことがありました。その時購入したのは第1番と第2番が1枚に入っていたか(時間的に無理か)、2枚組でも格安だった記憶があります。1枚ずつ別になったCDは高かったけれどピアノ三重奏作品が全部収録されていました。演奏していたのはスーク・トリオだと思っていたところ、上記のブログ絡で第2番をスーク・トリオは録音していないことが分かりました(いいかげんな記憶)。実際第2番を久々にCDで聴いてみるとほとんど記憶に残っていなくて、全楽章何となく覚えていた第1番とは落差がありました。
 

ピアノ三重奏曲 第2番変ホ長調 D.929(1827年
第1楽章:Allegro moderato
第2楽章:Andante con moto
第3楽章:Scherzo; Allegro moderato
第4楽章:Allegro moderato


 どんな曲か覚えていなかったけれど、今改めて聴いてみるとすごく魅力的な作品で、特に第2楽章アンダンテ・コン・モートは例によって、歌にあふれるさびしく、ひたむきで、美しい楽章です。優美で颯爽としてはじまる第1楽章も山の天候のように変わり始めます。この第2楽章は、陽は沈みぬ(イサーク.A.ベルク作曲)」というスウェーデンの歌に基づくとされています。第4楽章では憑かれたように定型のフレーズを続ける箇所がヴァイオリン、ピアノと受け持ちを変えて出て来て作曲者の焦燥感のようなものが窺える切々とした楽章です。CD付属の解説にはピアノ三重奏曲第1番の方が形式的に完成度が高く、詩的で誘惑するようなテクスチュア、明確な楽器の色彩感、流麗な旋律を美点として挙げています。ピアノ三重奏曲第2番は、1番と比較すると深遠で、劇的緊張感に溢れて厳しい作品となっていると評しています。聴いていても、より私的、内面的な色彩が濃い曲と思えます。
 

①15分37②9分18③6分13④13分15 計44分23


 上記はこのCDの演奏時間です。例えばインマゼール、ビルスマ夫妻のピリオド楽器による録音は41分弱、シフ夫妻とペレーニの録音は52分強という演奏時間なので、このCDは穏健なスタイルと言えそうです。ただ、シフらの演奏は第4楽章が19分を超えるので、上記の「出版時の削除」の問題が関係しているのかもしれません。


 ヴァイオリンのヒンクは結成時からの、チェロのドレシャルは1985年から(ラインハルト=レップに代わって)のウィーン弦楽四重奏団のメンバーです。ピアノのスタンチュールは1989年、ウィーンの国際ベートーヴェン・コンクールで優勝の経歴を持つ女流ピアニストで以後ヨーロッパ(特にウィーン)を中心にソロ、室内楽で活躍しています。カメラータの企画はウィーン生まれや、ウィーンを拠点に活動する音楽を中心に録音しているので、この作品もその趣旨に沿っています。ピアノ三重奏曲第2番も聴く人によっていろいろ違った印象を受けるはずですが、このCDは比較的明るく、取っつきやすい演奏だと思います。


 今朝はこの冬初めての霜でした。去年の初霜はいつだったか記録もしていないので分かりませんが遅い方かもしれません。土曜日、車を伏見桃山で止めて京阪電車に乗った時、同じ車両内に乗り合わせた4人組の騒々しい老人の話が耳につきました。うるさいなあと苛立ちながらも、楽しんでおしゃべりしているのを遮るわけにもいかず我慢していました。すると、「姉の妹の子供」という言い方がおかしいと、電車に乗る前に訪ねたらしい人の下での話をしていました。つまり、その人の年上の人間なら「すぐ上の姉」とか「二番目の姉」と言うのが通常で、年下なら単に「妹の子」と言えば済むという話です。10分くらい延々と声高に話しているのですっかり聞き覚えてしまい、私は「その人の『姉』に当たる人の夫の妹、義理の妹」という意味だろうと思いました。あまりしつこいので、こうだと披瀝してやろうかと思いましたが、キモいおっさんだと思われそうでそのまま聞き流していました。この辺りで京阪に乗らなくなっていてもあいかわらずの騒々しい車内でした。

11 12月

ベートーベン 第九交響曲 パーヴォ・ヤルヴィ 独・室内PO

ベートーヴェン 交響曲 第9番ニ短調 Op.125「合唱」

パーヴォ・ヤルヴィ 指揮
ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン
ドイッチェ・カンマーコーア

クリスティーナ・エルツェ:ソプラノ
ペトラ・ラング:アルト
クラウス・フローリアン・フォークト:テノール
マティアス・ゲルネ:バリトン
 
(2008年8月22-26日・第1楽章~第3楽章,12月20-22日・第4楽章 ベルリン、フンクハウス・ケーペニック録音 Rca)

 12月に入り広告でも第九の演奏会が度々見られるようになりました。年末に第九というマンネリに気恥ずかしさを感じることもありますが、聴けばやっぱり不思議に清々しい気分がします。PACオケのメンバーを紹介した小冊子の中に、韓国出身のヴァイオリン奏者の感想が載っていて、一万人の第九に感銘を受けたというコメントを見つけて意外な驚きを感じました。臨時参加の合唱や客席だけでなく、オーケストラ側もそういう感動を持って演奏していることを再認識しました。こんな風に言えば、今まで興行上やむを得ずこの時期に演奏しているとでも思っていたか、と怒られそうです。

 というわけでベートーベンの交響曲第9番の新しいCDです。パーヴォ・ヤルヴィ指揮のドイツ・カンマーフィルのベートーベン・チクルスは日本でも公演されて話題になりました。小編成のオーケストラに一部古楽器を導入(トランペットとティンパニにはオリジナル楽器)、古楽器奏法を取り入れる(控えめにヴィブラートを使う)、ヴァイオリンを左右に対向配置等々の話題性だけでなく、演奏そのものでも話題になりました。1万人の第九とは演奏者の人数では対極のスタイルです。

 聴いていると、予想とは異なり第4楽章が一番感動的で、次に清澄な第3楽章が個性的で魅力を感じました。第1、第2楽章は斬新で刺激的な響きになるだろうと思ったところ、そうでもなくひどく単調な曲に感じられました。これは聴いた人間の感受性の敏感さ如何の問題か、あるいは慣れのためかもしれません。というより、本来はこのように演奏され、鳴り響いていた作品に過剰な内容を盛り込んで、肥大した演奏が当たり前になっていたのかもしれません。

111211  ベートーベンの第九はLPレコードではなく、中学生の頃カラヤンとBPOのミュージック・テープ(多分1970年代の録音)で初めて購入してちょうど十二月に反復して聴いていました。第1楽章はまるで火山活動か何かで新しい陸地がせり上がってくるような圧倒的な感銘で、強烈に印象付けられました。ただ、7、8年後に同じ音源を聴いた時はそれ程とも思わなかったのは不思議です。また、年末の第九とえいば大阪中之島フェスティバル・ホールの朝比奈・大フィルの年末公演も何度か行きました。これも感動的で、CDで聴く朝比奈のブルックナーよりも圧倒的でした。指揮台に登場して演奏が始まるまでの一連の動きが、客席からはまるでお決まりのルーティンワークをよっこらしょと、始めるような普通さで逆に戸惑いました。ところが流れて来る演奏は緊張感に充ちて、非日常的な世界の響きで驚かされました。

 今回の小編成による最近の演奏は、そういう日常とは違う世界を感じさせるような「凄さ(すごく曖昧で実体がないような言葉)」が希薄だと思えました。メイク前の梶芽衣子と言えば例えが悪過ぎますが、第九とはこういう曲だったのかという複雑な気分もいくらか湧いてきます。ヤルヴィの録音は8番までの器楽だけの交響曲ではそうした不満は感じなかったのに、何故か第九だけはそんな気がしました。それでも第3楽章~4楽章は清らかで素晴らしく、特に声楽が加わってからは不満は無くなりました。

 今朝は鮮明でちょっと嫌な夢を見ました。これは全く個人的な話ですが日記の一環で書きとめておきます。かつて勤務した会社で一度も同じ部署になったことのない年配の人を、現在の私が車の助手席に乗せて奈良の桜井を走っているという夢でした。得体のしれない新興寺院まで乗せて行き、その人が水子供養の祈祷をする間ずっと待っているという設定の夢で、平日の昼間に業務を口実にそこへ行くのが本来の目的だった、つまり私を隠れ蓑、アリバイ作りの要員に起用したという不快な夢でした。その人とは一度も直接かかわりは無かったのに、何故夢の中で運転手までつとめたのか身に覚えがありません(もちろん水子云々も)。その人は、例えば人が足を引きずっているとすれば、その引きずっている足を引っ掛けてすっ転ばすような嫌なところがあって、トラブルの話も聞いたことがありましたが、15年以上も前の話です。今日の夢は色つきで、待つ間無料ですわってるわけにいかず、ぜんざいを買わされたりと妙に具体的な場面が記憶に残り、目が覚めた時は非常に不快でした。実際はもっと詳細な夢で、こういうのが初夢だったら非常に嫌なものです。それでお昼に、第九を聴いて気分直しもできました。なんだかんだと言いながら、年末に第九というのはやっぱり良いものだと思えます。

10 12月

シューベルトの弦楽四重奏曲第15番 ウィーン弦楽四重奏団

シューベルト 弦楽四重奏曲 第15番 ト長調 D.887

ウィーン弦楽四重奏団
1stヴァイオリン:ウェルナー=ヒンク
2stヴァイオリン:フーベルト=クロイザマー
ヴィオラ:クラウス=パイシュタイナー
チェロ:ラインハルト=レップ

(1981年12月14-15日 ウィーン、Teldecスタジオ録音 カメラータ)

111210a  先月からシューベルトのピアノ・ソナタのCDを記事投稿していて、シューベルト独特の楽章のバランスや息の長い旋律が妙に慕わしく思えてきました。シューベルトのピアノ曲、室内楽は何曲かの例外を除いてここ10年程滅多に聴いていませんでした。そうした作品の内に弦楽四重奏曲も含まれていて、先日この弦楽四重奏曲第15番をメロス四重奏団のちょっと古い録音で聴いて、こんな曲だったかと驚きました。第1楽章に出て来るトレモロ奏法が異様に思え、そう言えばかなり前にアルバンベルク四重奏団のCDで聴いたような記憶がよみがえってきました。一瞬スメタナの「我が生涯」を思い出し、それから何度か反復して聴きました。今回は1970年代のメロス四重奏団より新しいウィーン弦楽四重奏団のCDです。10月にウィーン弦楽四重奏団のハイドンを記事にしている時は同じ団体のシューベルトの録音には全然関心が無かったのに、突如火がついたように魅力を感じています。世の中の流行はこんな風に発作的に起こるものなのかどうか。

弦楽四重奏曲 第15番ト長調 D.887(1826年)
第1楽章:Allegro molto moderato
第2楽章:Andante un poco moto
第3楽章:Scherzo; Allegro vivace
第4楽章:Allegro assai

  シューベルト(1797‐1828年)の弦楽四重奏曲第15番は、1826年6月に約10日間で一気に作曲されています。また同年には、ピアノ・ソナタ第18番、交響曲「ザ・グレート」等の作品が生まれています。CDの解説には弦楽五重奏曲の後には弦楽四重奏曲を作らなかったのが残念だと書かれてある通り、これが最後の弦楽四重奏曲です。

 これはカメラータから出ていたウィーン弦楽四重奏団によるシューベルトの弦楽四重奏曲全集( シューベルトの弦楽四重奏曲も未完成の曲が複数あるので、厳密には全集と言えるのかどうか )の中の1枚です。元々はこの演奏が特に好きとかそこまでの思いはありませんでしたが、最近メロス弦楽四重奏団のCDに続いてこれを聴いてすごく好きになりました。トレモロを多用している楽章も過度に神経質にならず、大らかな歌で全曲が貫かれているようで非常に魅力的です。誰に対してというのでもないシューベルトの嘆きの一部始終を聞いているようで、それに少しも灰汁が無いという光景を思い浮かべます。

①15分22,②13分28,③7分34,④11分33 計47分57

 上記はこの録音の演奏時間です。弦楽四重奏曲としては長い方で、各楽章のバランスもシューベルトのピアノ・ソナタ(中期以降)と似ています。後半の2楽章が前半に比べて軽妙で、どこかに向かって完結するというより、離散して消える、あるいは途中で立ち消えになるといった印象も例えばピアノ・ソナタ第17番を思い出させます。同時に特に第2楽章以降はベートーベンの最晩年の作品である第16番のカルテットとどこか似ています。シューベルトの場合は31歳という若さで世を去っているので、晩年と呼ぶには抵抗を覚えるもののやはりこの作品はシューベルトの後期の作品です。シューベルトの死因は、子供向け伝記にはチフスと、一般向けの本には梅毒と記されていることが多いですが、自分に残りの時間が少ないとかそうした自覚はどの程度あったのだろうかと思います。

111210b  能楽に「船橋」という演目があります。船を並べた上に板を敷いて渡れるようにしたのが「船橋」で、夜にその橋を通って密会していた男女が、女の親に反対され、橋状になっている敷き板を外されたため並べた船と船の間から落ちて水死するという設定の作品です。全部を観たことは無く、仕舞でその息を弾ませて逢引の場へ急いだところ落ちてしまうという様子、場面だけを観たことがありました。要するに、自分が死んでしまう等全く頭に無く、むしろその逆のような高揚の中で突如文字通り足をすくわれたという惨劇です。シューベルトの場合、若い晩年だと言ってもそこまでの意外さでは無く、逆にもう疲れたという厭世感のようなものもあっただろうと想像されます。

 シューベルトの「冬の旅」の第1曲目についての解説で、居場所、共同体から「去りたくない」けれど「去らざるを得ない」という、言いようの無いさびしさと苦痛が込められているという意味の文章を読んだことがあり、そういう心象はあるいはシューベルトの早すぎた晩年に共通する感情なのかもしれないと思いました。

メロスQ(1974年)
①15分07,②12分21,③6分43,④11分34 計45分45
カルミナQ(1996年)
①14分38,②11分30,③7分10,④10分29 計43分47
アウリンQ(1997年)
①14分59,②11分36,③6分08,④09分50 計42分33

 上記は同じ曲の新旧の録音(たまたま手元にあるCD)の演奏時間を列記しました。これを眺めるとウィーン弦楽四重奏団の演奏の雰囲気がよみがえってきます。録音場所等の環境にもよりますが、この3種はそれぞれ魅力的ですが、けっこう鋭角的に聴こえ、所々どこか近づき難い空気を帯びてきます(特にメロスQ)。そのあたりがウィーン弦楽四重奏団の演奏との差のように思えました。シューベルトの弦楽四重奏曲は全集になっているものが案外少なく、ウィンー・コンツェルトハウス四重奏団以降メジャーレーベルからはメロス弦楽四重奏団くらいしか無かったはずです。

 先日本格的な冬とか書いていると今日は本当に一番の冷え込みになりました。昨日の朝は西方や北方山の頂上が煙っているような雲で見えず、初冠雪でしたがその雪がまだ残って見えました。午後3時過ぎに三条大橋から北方の山を見た時もまだ雪が見えました。それでも昭和50年代の今頃はもっと寒く、鴨川にユリカモメがもっといっぱい飛来していました。

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7 12月

シューベルト歌曲集「冬の旅」 プレガルディエン、シュタイアー

111207 シューベルト 歌曲集 「冬の旅」D.911

Christoph Pregardien:Tenor
クリストフ=プレガルディエン

Andreas Staier:Fortepiano
アンドレアス=シュタイアー

(1996年3月 ケルン西ドイツ放送協会 録音 Teldec )

 シューベルトの連作歌曲集「 冬の旅 」は全24曲から成り、ちょうど12曲ずつ作られた経緯と、全曲を演奏すると70分前後を要することから、公演では前半と後半に分けて途中で休憩する場合があるそうです。それに対して、先日の白井光子・ハルムート=ヘルはあくまで連続演奏を実践して、特に第23、24曲は切れ目無しに続けて演奏するスタイルで、非常に説得力のある演奏です。連作歌曲というように、各曲が完全に閉じられていず、つながりを持っているだけでなく、聴いているとそれぞれがまるで傷口がふさがりきらない状態のような印象を受けます。これは、例えばフィッシャー・ディースカウや白井光子らの表現の場合特に意識させられることです。しかし、大まかにここ10年くらいに登場した冬の旅の録音は、歌詞の心象風景を強く意識させるというより曲の美しさに力点を置いているかのような、ある程度軽い表現を志向する傾向があると思います( 単純に「 軽い 」と言えるのかどうか問題はあるけれど )。

 今回のCD、テノールのプレガルディエンとフォルテピアノのシュタイアーによるCDは、戦後のレコード界の「『冬の旅』 フィッシャー・ディースカウ,ホッター」という固まった価値観のようなものを払拭した画期的な演奏と評されることもある録音です。そのわりに早々と1枚1000円の廉価盤に組み入れられていますが、聴いていると非常に新鮮でかつ、淡々と歌うだけではなく曲の隅々にまで神経が行き届き、従来の冬の旅の世界ともつながるような演奏です。妙な言い方ながら、「深刻」だけれど「陰惨ではない」といったところで、あくまで美しさが前面に出ていると思えます。今年の10月に記事投稿したテノールのマンメルとフォルテピアノのスホーンデルヴルトによるCDも似た方向かもしれませんが、「深刻」さが違うと感じられます。

 このCDは不思議に各曲が、まるで傷がふさがっているかのようで次の曲にまで尾を引かないような完結した雰囲気です。全く曖昧で主観的なことですが、詩の心象風景から少し距離を置いて観察しているような冷静さとでも言い換えられます。梅津時比古著「冬の旅 24の象徴の森へ(東京書籍)」という本の中で、著者が執筆中に絶えず聴いていたのがこのCDだと紹介されています。

111207a  ヘフリガー、シュライアー、パドモア、マンメルといった、この作品を歌い録音しているテノール歌手はバッハの受難曲や教会カンタータでの福音書記者・エヴァンジェリストもレパートリーとして成功をおさめています。プレガルディエンも同様で、有名なレオンハルト盤・バッハのマタイ受難曲で福音書記者を歌っていました。その録音でイエス・キリストを歌っていたマックス・ファン・エグモント(バリトン)も、フォルテピアノのインマゼールと共演して冬の旅を録音( これは、使っているフォルテピアノがシューベルトの生きた時代よりさらに古いものである )しています。バリトンの方はフィッシャー・ディースカウも印象深いイエス・キリスト役の録音がありました。シューベルトの「冬の旅」とバッハの受難曲は時代も背景も違いますが、人間を深く描いているという大枠では共通するので、両作品の歌詞、演奏を重ねてみると、面白いと思います。冬の旅の演奏では、歌い手の「立ち位置」、あるいは「感情移入度」の面でその歌手が福音書記者を歌う時と共通するものがあるのかどうか。

 今日は夕方前に来客があるので、午前中に外出する用を片付けました。ちょうど京都市右京区方面なのでお昼は足を延ばして天龍寺の近くまで行きましたが、「わたり蟹のパスタ」の店が定休日だったので一回りして帰りました。嵐山界隈は賑わっているものの、去年の今頃より観光客はやはり減っています。まだ紅葉は残っていたので、降りてどこかの寺院の中に入りたいところでした。広沢の池の南端を通る「きねかけの路」は反対方向なので通るのをあきらめて、渋滞の多い三条通を東へ走りました。おかげで、わたり蟹のパスタがチャーハン定食に化けましたが、ラーメン店には「紙の前かけ」が自由に使えるようになっていました。天下一品というベッキーがCMに出ているラーメン店のスープは、パスタのソースに近いとろみなのでその前掛けは助かります。

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raimund

昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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