ショスタコーヴィチ ヴァイオリン協奏曲 第1番 イ短調 Op.99
ボリス=ベルキン~ヴァイオリン
広上淳一 指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
(1995年5月25-28日 ロンドン、アビーロード・スタジオ 録音 DENON)
一週間前のコンサート( 兵庫芸術文化センター管弦楽団・第43回定期演奏会 井上道義指揮のオールショスタコーヴィチのプログラム )の曲目を、感銘が強く残っている間に投稿しておこうという意図でこれを持ってきました(第3弾)。ヴァイオリン独奏も同じベルキンで、コンサート会場でのCDを販売コーナにも同じものを売っていました。でもDENONのCREST1000のシリーズなので、結構店頭で揃っているため会場では買わずに、帰ってから購入しました。このシリーズは演奏者から曲目まで、凝っていて値段ともどもありがたいものです。
定期公演のパンフレットの中に、ベルキンへのQandAが載っていて、ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番について次のようにコメントしています。「ロシアの最も厳しい時代が映しだされている、第3楽章のパッサカリアはとても悲しい曲で、ロシアの一時代の終わりを象徴している。作品が持つそういう世界観を表現したい。」
しかし「一時代の終わりを象徴している」とは、今の我々には少々不吉ですが、プログラムでは後に交響曲第1番が続いていたので良しとします。
またボリス=ベルキンは1984年にこの協奏曲をはじめて演奏していますが、それはロンドンでヴァイオリン協奏曲1番が20年ぶりに演奏された機会だったそうです。ベルキンはこの曲を20世紀に書かれた曲の中で最も優れた作品の一つであるとも言い、特別な位置を占める作品になっています。このCDは彼の初演奏から11年後、先日の定期公演の16年前に録音されたものです。
今回演奏会へ行く前に、コンドラシン指揮・モスクワPOのショスタコーヴィチ交響曲全集の中に収録されている、ヴァイオリンがコーガンによるこの曲の録音を聴いていました。古い録音で実際に演奏会で聴くのとは印象が違います。また、特に気になったのは第3楽章の長いカデンツァの前に、オーケストラの音が小さくなっていきやがて消えて独奏ヴァイオリンだけになる部分です。会場で見ていると打楽器奏者が注意深く叩いている姿が印象的で、音も結構よく聴こえたと思っていましたが、上記の古い録音では打楽器があまり聴こえずよく分かりません。記憶違いかと思える程で、こういう場合スコアがあればよく分かるのでしょう。とにかく、カデンツァに入る直前あたりの緊迫感、孤立感が感動的だったので余計に気になりました。
そういうわけで、新しい録音で感動を再現、再確認したいと思い同じソリストの録音を購入しました。改めて聴いてみると、視覚的な印象程は打楽器が活躍していなくてちょっと意外でした。Chandosのヤルヴィの録音のような音ならもっと目立つのかもしれません。全般的に、ヴァイオリン、オーケストラ共に線が細く、その分精緻な演奏でした。先日のコンサートではもっともっと白熱した演奏だったので、時間的隔たりがあるとはいえ、別人のような演奏です。
現在は京響の常任である指揮の広上淳一についてコメントしていませんが、定見がありません。実は先週土曜日は京都市交響楽団の定期公演の日と重なっていて、広上さんの登場の回でした。その公演はグラズノフのヴァイオリン協奏曲イ短調も入っていて、このCDのカップリングになっている曲なので、別の機会に取り上げればと思います。