raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

2011年05月

28 5月

ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番ベルキン、広上

ショスタコーヴィチ ヴァイオリン協奏曲 第1番 イ短調 Op.99

ボリス=ベルキン~ヴァイオリン

広上淳一 指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

(1995年5月25-28日 ロンドン、アビーロード・スタジオ 録音 DENON)

110528a  一週間前のコンサート( 兵庫芸術文化センター管弦楽団・第43回定期演奏会 井上道義指揮のオールショスタコーヴィチのプログラム )の曲目を、感銘が強く残っている間に投稿しておこうという意図でこれを持ってきました(第3弾)。ヴァイオリン独奏も同じベルキンで、コンサート会場でのCDを販売コーナにも同じものを売っていました。でもDENONのCREST1000のシリーズなので、結構店頭で揃っているため会場では買わずに、帰ってから購入しました。このシリーズは演奏者から曲目まで、凝っていて値段ともどもありがたいものです。

 定期公演のパンフレットの中に、ベルキンへのQandAが載っていて、ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番について次のようにコメントしています。「ロシアの最も厳しい時代が映しだされている、第3楽章のパッサカリアはとても悲しい曲で、ロシアの一時代の終わりを象徴している。作品が持つそういう世界観を表現したい。」

 しかし「一時代の終わりを象徴している」とは、今の我々には少々不吉ですが、プログラムでは後に交響曲第1番が続いていたので良しとします。

 またボリス=ベルキンは1984年にこの協奏曲をはじめて演奏していますが、それはロンドンでヴァイオリン協奏曲1番が20年ぶりに演奏された機会だったそうです。ベルキンはこの曲を20世紀に書かれた曲の中で最も優れた作品の一つであるとも言い、特別な位置を占める作品になっています。このCDは彼の初演奏から11年後、先日の定期公演の16年前に録音されたものです。

110528b  今回演奏会へ行く前に、コンドラシン指揮・モスクワPOのショスタコーヴィチ交響曲全集の中に収録されている、ヴァイオリンがコーガンによるこの曲の録音を聴いていました。古い録音で実際に演奏会で聴くのとは印象が違います。また、特に気になったのは第3楽章の長いカデンツァの前に、オーケストラの音が小さくなっていきやがて消えて独奏ヴァイオリンだけになる部分です。会場で見ていると打楽器奏者が注意深く叩いている姿が印象的で、音も結構よく聴こえたと思っていましたが、上記の古い録音では打楽器があまり聴こえずよく分かりません。記憶違いかと思える程で、こういう場合スコアがあればよく分かるのでしょう。とにかく、カデンツァに入る直前あたりの緊迫感、孤立感が感動的だったので余計に気になりました。

 そういうわけで、新しい録音で感動を再現、再確認したいと思い同じソリストの録音を購入しました。改めて聴いてみると、視覚的な印象程は打楽器が活躍していなくてちょっと意外でした。Chandosのヤルヴィの録音のような音ならもっと目立つのかもしれません。全般的に、ヴァイオリン、オーケストラ共に線が細く、その分精緻な演奏でした。先日のコンサートではもっともっと白熱した演奏だったので、時間的隔たりがあるとはいえ、別人のような演奏です。

 現在は京響の常任である指揮の広上淳一についてコメントしていませんが、定見がありません。実は先週土曜日は京都市交響楽団の定期公演の日と重なっていて、広上さんの登場の回でした。その公演はグラズノフのヴァイオリン協奏曲イ短調も入っていて、このCDのカップリングになっている曲なので、別の機会に取り上げればと思います。

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26 5月

ショスタコーヴィチ交響曲第1番 ネーメ=ヤルヴィ盤

ショスタコーヴィチ 交響曲 第1番 ヘ短調 Op.10

ネーメ=ヤルヴィ  指揮 スコティッシュ・ナショナル管弦楽団

(1984年8月,1985年5月 録音 Chandos)

110526  CDが本格的に出回り出した頃、急にマイナー・レーベルに脚光があたりました。マイナーと言っても結構名前が知られているもので、DGやフィリップス、デッカ、EMI、エラート等以外のロカールなレーベルが大半でした。シャンドス(Chandos)も80年代後半に多数出回り、ネーメ=ヤルヴィ指揮のオーケストラ作品の録音はその中でも目立っていました。このCDはショスタコーヴィチの交響曲第1番と第6番がカップリングされていて、シリーズ第1弾か第2弾だったはずです。シャンドスのヤルヴィとスコティッシュ・ナショナル管の一連の録音は、弦だけでなく、打楽器も鮮明で、かつあまりギラギラした音でないので当初から好きでした。旧ソ連の復刻CDの、コンドラシンやムラヴィンスキーの古い録音と比べると非常に新鮮です。もっとも、ヤルヴィのショスタコーヴィチは浅薄とか軽薄的に評されているのも見かけます。

 先週土曜日、5月21日のPAC管弦楽団・定期公演(井上道義指揮)でこの交響曲第1番を聴いて、急激にこの曲が魅力的に感じられて、今週は毎朝か夕、通勤途中に聴いています。以前はあまり好きでは無く、自分の中では全集の録音があっても一番後回しくらいのポジションでした。定期公演での井上道義の溌剌とした指揮ぶりに、ほらこの曲はこんなに楽しいんですよと暗示をかけられたという側面もあります。

①8分40,②4分50,③9分8,④10分55 計:33分33

 このCDの演奏時間は、上記の通りです。これはイギリスのペンギンガイドで星三つを付与されています。星印何個が最高なのか分かりませんが、注目された録音だったのがうかがえます。実際、打楽器の音が鮮明な上に重厚さもあって、星三つもだてじゃないと思います。ただ、ペンギンガイドで取り上げられたのはいつのことなのか、続々と新録音が出ているのであるいは今では違った見方かもしれません。

1楽章:Allegretto - Allegro non troppo
2楽章:Allegro
3楽章:Lento
4楽章:Allegro molto

110526a ショスタコーヴィチの交響曲第1番は、レニングラード音楽院の卒業作品として、作曲者の19歳になる1925年に完成しました。師であるグラズノフが序奏部の和声を修正するよう指導したのに対して、ショスタコーヴィチは結局従わずに、自分が最初に作った通りで初演しています。1926年5月12日にレニングラードPOによる初演は大成功で、以後ショスタコーヴィチは誕生日と同等に初演の日を祝っていたそうです。ソ連以外でも好評で、「現代のモーツアルト」と称賛されたのは曲の解説では定番です。ショスタコーヴィチの他の交響曲でも特徴的なように、この交響曲でも打楽器が活躍し、ピアノも加わります。井上道義は上記の定期公演のアンコール前に(交響曲第1番が終わった後)、「いびつな19歳」、「社会と戦おうとして」と表現していました。

 初演では第2楽章がアンコールされています。2楽章は短いながらピアノだけが鳴る部分があったりで変化に富んでいます。第4楽章のコーダが見事で、19歳になる直前の若者が作ったということは、話を聞かなければ分からないだろうと思います。

 5月12日のPAC管弦楽団の定期のプログラムは、最初がショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番、次がこの曲で、アンコールが交響曲第10番の第2楽章というものでした。最初にパンフレットを見た時は、作品の充実度や、ヴァイオリンのベルキンにアンコールをと考えれば順序は逆でもいいのではと思いましたが、作曲者の出世作だった交響曲第1番で終わる方が、時節に合っていると思いなおしました(ひとり勝手に想っているだけ)。ベルキンさんはヴァイオリン協奏曲第1番の3楽章で長いカデンツァを弾くので、アンコールは負担になるでしょう(公演は3日もある)。

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24 5月

ブルックナー 交響曲第1番リンツ稿 朝比奈隆・大PO

ブルクッナー 交響曲 第1番 ハ短調(リンツ稿・ハース版

110524b_2 朝比奈隆 指揮 大阪フィルハーモニー管弦楽団

(1994年5月15-17日 録音)

1楽章:Allegro
2楽章:Adagio
3楽章:Scherzo. Schnell
4楽章:Finale. Bewegt feurig 

 交響曲第1番は朝比奈の得意レパートリー、ブルックナーの交響曲の中でも演奏頻度が低い初期の作品です。第1番は馴染みの薄い曲ながらこのCDは何故か聴き通しやすく、カーナビのHDに録音して聴いています。19990年代にキャニオン・クラシックスから出た大阪POとのブルックナー交響曲シリーズ(第1-9番)の中の1枚です。網羅して聴いているわけでないので、軽々しく言うものではありませんが、そのシリーズ中で屈指の出来ではないかと思います。第8番等の大作は、このシリーズ以前にも以後もライブ録音も多数出ているのに対して、第1番の録音は3種だけで、今回の録音が一番新しいので余計に印象が強いこともあります。

110524  ブルックナーの交響曲第1番は、1866年4月に完成して1868年にリンツで初演されています。この時の稿が「リンツ稿・初期稿」で、後に1877年を中心に改訂を行っています。交響曲第1番で通常演奏される、リンツ稿・ノヴァーク版とリンツ稿・ハース版はその1877年他の改訂部分も含んでいます。

 一方、この曲には、先月取り上げたヴァント指揮ケルン放送SOの録音で演奏しているウィーン稿というものがあります。出版されたのはウィーン稿が早く、かつては第1番と言えばウィーン稿を指していました。ウィーン稿は交響曲第8番の第2稿を完成させた後に取りかっています。交響曲第1番の同曲異版を大ざっぱに整理すれば以下の通りです。より細かくは、初期稿の段階でアダージョ楽章、スケルツォ楽章に、未完成に終わった原稿というものもあります。

リンツ稿・初期稿(1865/66年)~ウィリアム・キャラガン校訂

*1877年を中心に改訂

リンツ稿・ハース版~1935年出版

リンツ稿・ノヴァーク版~1953年出版

*1890,91年に改訂

ウィーン稿(1890/91年)~1893年出版

 この曲の朝比奈の3種の録音はいずれもリンツ・稿ハース版です。このCDの演奏時間は以下の通りです。

①12分39,②12分18,③9分39,④14分35 計:49分11

 先月のウィーン稿(ヴァント、ケルン放送SO)の47分45と1分半程の差です。朝比奈・大POをよく聴くとか言いながら実際、第1番はブルックナーの他の曲程は多くは聴いていないので、どういう演奏が素晴らしいかとか、明確なイメージが固まっていません。ただこのところ、ブルックナーのごく初期の作品、ヴィントハークのミサ曲ミサ曲第1番を聴いていてそれらの時期のブルックナーに親近感を持てたので、交響曲第1番もそれ以降の交響曲と連続する、良質の作品だと実感できます。

 なお、このCDの解説には、通称00番ヘ短調 WAB.99、0番ニ短調 WAB.100の交響曲が第1番の前に書かれたと書いてありますが、近年は0番は1番と2番の間に書かれた作品とされています。

 そろそろ梅雨入が近くなってきました。例年3月から5月というのは心身ともに調子が悪く、6月に入り大雨が降る頃になると気分が良好になってきます。小学生の頃は増水した川を見に行くのが大好きでした。今夜宇治川の右岸を通っていると上流のダムが放流しているらしく、中州が水没していました。今日はブルックナーのCDで書いたものの、気分は先日土曜のコンサートからずっと、強烈にショスタコーヴィチに傾斜しています。1回の演奏会でこれほどに影響があったのは初めてでした。ショスタコーヴィチの響きも大雨と同じようで、良い影響を被っています。人間の感覚は不思議で、もちろん人それぞれでしょうが、先日「ああ疲れた」という嫌な気分の時にカーナビに入っている曲の順番でちょうど、ショスタコーヴィチの第14番(クルレンティス盤)が回って来て、何とも凄く神経が休まる気分で癒される心地でした。曲を飛ばしてブルックナーをかけようとかは全く思いませんでした。

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23 5月

モンテヴェルディ・オペラ「オルフェオ」 ガッリード盤

110507 モンテヴェルディ  歌劇 「オルフェオ」

ガブリエル・ガッリード 指揮
アンサンブル・エリマ
アントーニオ・イル・ヴェルソ合唱団

オルフェオ(Br):ヴィクトール・トレス
エウリディーチェ(S):アドリアーナ・フェルナンデス
使者(Ms):グローリア・バンディテッリ
希望,音楽(S):マリア・クリスティーナ・キール
カロンテ・死者の国への川の渡し(Bs):アントーニオ・アベーテ
プルトーネ・死者の国の王(Bs):フリオ・ザナージ
プロセルピナ・プルトーネの妻(S):ロベルタ・インヴェルニッツィ
アポッロ・オルフェオの父、太陽神(T):マウリツィオ・ロッサーノ、他 

(1996年7月18-23日 録音 K617 )

 だいぶ前にこのCDで記事をUPするつもでいながら先延ばしになっていました。これは昨年の7月に同じくモンテヴェルディの「聖母マリアの夕べの祈り」で取り上げた、ガッリードらによる演奏です。従来のオルフェオよりも軽快で明朗な演奏で、非常に新鮮に感じられます。聖母晩課の冒頭のファンファーレのような部分は、このオペラの冒頭からとられています。ギリシャ神話の、川を渡って黄泉の国へ亡き妻を連れ戻しに行くというあのオルフェオとエウリディーチェの話を元に作られました。「元祖・オペラ」と言えるモンテヴェルディび代表作品で、今でも歌劇場で上演されています。ストーリーは以下のような話です。

 オルフェオとエウリディーチェが結婚後、妻のエウリディーチェが毒蛇によって落命します。嘆き悲しんだオルフェオは、死者の国・黄泉へ、妻を生き返らせるよう掛け合いに行きます。死者の国にまでたどりつく時も、生き返らせる承諾を勝ち取る時もオルフェオの美声・歌声が物をいいます。ついに、「地上に戻るまで振り返って妻を見ないこと」を条件に、連れ帰ることが認められます。しかし我慢できず、途中に振り返ったためにこの話はダメになってしまいます。やがて、当初よりもさらに悲しんだオルフェオは、父アポッロにより天上の世界に引き上げられます。

 振り返ってはダメという設定は日本の神話や旧約聖書のソドムとゴモラの話と同じです。太陽神アポッロにそんな権限があるならついでにエウリディーチェも、と言いたくなります。オルフェオとエウリディーチェの物語は、グルックやハイドンらによってもオペラ化されている有名な話で、オペラの解説には映画の「黒いオルフェ」も引用されていたことがあります。

 先日5月21日、兵庫県の西宮まで行き帰りする際に、武庫川、藻川、猪名川、神崎川の上を電車で通過しました。藻川では大きな魚(鯉かニゴイ、ウグイかボラか)がゆっくり泳いでる姿も見えました。昭和40年代を考えればかなり水質が向上していて驚かされます。昔は神崎川の鉄橋を渡る時は、小便くさ~いにおいが車内にも入ってきました。まさか川の水の臭気ではないと思いますが、鉄橋から見てもきれいな水とは思えませんでした。阪急沿線に親戚が居たので時々神戸線や宝塚線を利用していました。地元の京阪電車はカーブが多く、そのため走行中にレールと車輪の摩擦で嫌な金属音をたてていて、直線区間が長い阪急がすごくスマートに(となりの芝生は青い)見えていました。

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22 5月

ショスタコーヴィチ交響曲第10番 ネーメ・ヤルヴィ盤

ショスタコーヴィチ 交響曲 第10番 ホ短調Op.93

ネーメ=ヤルヴィ 指揮 スコティッシュ・ナショナル管弦楽団
 
(1988年5月12日 録音 Chandos)

110522_2  21日土曜日の兵庫芸術文化センター管弦楽団・第43回定期演奏会の感動の記憶が鮮明なうちに、アンコール曲目を復習です。 オール・ショスタコーヴィチのプログラムで、ヴァイオリン協奏曲第1番、交響曲第1番に続き、アンコールは交響曲第10番の第2楽章でした。アンコールによくあるように、曲名は言わずに演奏されました。短いながら特徴のある楽章ですが、すぐには何の曲か分からず、半分くらい過ぎてやっと分かりました。指揮の井上道義は「激しいのをいきます」と言っていた通りの音楽です。当日はがんばろう日本とかそうした挨拶はありませんでしたが、プログラム、アンコールとも目下の日本の窮状を踏まえて、負けまいぞ、負けるな、という鼓舞、激励が秘められているように思えました。

 コンサート会場で出演アーティストのCDを販売しているのもよくあることで、井上道義指揮のショスタコーヴィチを探してみましたが全くありませんでした。もし録音そのものが無いのなら非常に残念だと思いました。

1楽章:Moderato
2楽章:Allegro
3楽章:Allegretto
4楽章:Andante - Allegro

 交響曲第10番は、第二次大戦後1953年の作品で初演も同年12月にムラヴィンスキー、レニングラードPOにより行われています。1948年のジダーノフ批判により交響曲の発表を控えて来た時期、スターリンの死直後の作品でいろいろ取りざたされて論争も起こっています。ただ、作曲者の「人間的な感情と情熱とをえがきたかった」という言葉はなるほどと思えます。コンサートのアンコールで第2楽章を聴いて、とても新鮮に聴こえて、その言葉が説得力を持って迫ります。この曲は自分のドイツ語の綴り“ Dmitrii SCHostakowitch ”のイニシャルからとったDSCH音型を重要モチーフとするという手法も使われていることで有名です。

①22分59,②4分03,③13分15,④12分29 計:52分46

 このCDの各楽章ごとの演奏時間は上記の通りです。突っ走っているように感じられる第2楽章は、ムラヴィンスキー程速くはありません。ヤルヴィの演奏は、体制・反体制や証言云々や作品の背後の世界を直接探ろうとしたタイプとしてより、専ら作品の機能美、面白さを追求するスタイルと目されているようで、実際第7番・レニングラード交響曲の録音等もそうだと思いました。それでも十分楽しめて、というよりそういうスタイルだからこそ、と言えるかもしれません。この第10番もアンサンブルも素晴らしく、沈痛で長い第1楽章、激しい第2楽章も非常に美しい演奏です。この曲は初演者ムラヴィンスキーやカラヤンの複数の録音等名盤が多いのでかすんでしまいますが、得難い録音だと思います。

110522a  ネーメ=ヤルヴィ(1937年エストニア出身)は、ショスタコーヴィチの交響曲をシャンドス(1,4-10番)、グラモフォン(2,3、12-15番)に分けて全曲録音しています。オーケストラは前者がスコティッシュ・ナショナル管弦楽団、後者がエーデボリ交響楽団です。この間のレコード芸術での扱いは、第7番・レニングラード、第10番、第14番の3曲が特選(2人の評者両方が推薦盤と評する)になっていました。80年代末から90年代前半はシャンドス・レーベルのキャンペーン期間のような感じで、薄い日本語解説を付けた国内盤仕様も出ていました。それにしてはちょっと辛い評価だと思います。

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21 5月

道義のショスタコーヴィチ~PAC管・第43回定期

兵庫芸術文化センター管弦楽団・第43回定期演奏会 

井上道義 指揮 兵庫芸術文化センター管弦楽団

110521 ヴァイオリン:ボリス=ベルキン

ショスタコーヴィチ

ヴァイオリン協奏曲 第1番 イ単調OP.77

交響曲 第1番 ヘ短調 OP.10

アンコール~交響曲第10番第2楽章より

兵庫県立芸術文化センター KOBELCO大ホール(2011年5月21日15:00~)

 阪神淡路大震災から10年の2005年にオープンした兵庫県立芸術文化センターの専属オーケストラ「兵庫芸術文化センター管弦楽団」は、ホールともども新聞で見て名前だけは知っている程度でしたが、はじめて聴きに行きました。阪急神戸線「西宮北口」の改札南口から屋根付き歩道を介して直結しているという立地もあってか、定期公演は金、土、日の3日間(同じプログラム)です。京響は1日だけなので、さすがに人口密度(ついでに所得層とかの差も)の高い阪神間、交通の要所だけのことはあると実感させられます。音楽監督は佐渡裕で、欧米各地でオーディションをしているのでメンバーの半数が外国人です。

110521a  ホールもオーケストラも、当然定期公演も初めてでした。冒頭のプレトークは無く、アンコール前に少し井上さんの紹介があっただけでした。「ありがとうございます。19歳(正確には19歳の誕生日を迎える前)の少年の、いびつな19歳が、社会といろいろ戦おうとして。アンコールは激しいのを行きます。こういうのがショスタコーヴィチのだいご味です。」とだけ話してアンコールが始まりました。最近の京都市交響楽団の定期では常任指揮者の回でなくてもプレ・トークが付いているので対照的でした。気のせいか、今日の客席の集中力は上々で、地元京都では時々気になった演奏中のヒソヒソ話も全くありませんでした。自分の席の周辺しか分からないので一概には言えないでしょうが、これから演奏が始まるという緊迫感も大事だと思えました。

 交響曲第1番が1926年初演(完成は1925年)なのに対してヴァイオリン協奏曲第1番は、1955年初演(完成は1948年)で、ジダーノフ批判の影響でしばらく演奏を控えたという作品です。事前に(コーガン、コンドラシンとモスクワPO・交響曲全集に併録されている)協奏曲と言いながらカデンツアはあったのかと思いながら聴いていると、第3楽章に長いソロがありました。ソロの前にオーケストラの音が小さくなり、打楽器とヴァイオリンだけになって、やがてヴァイオリンの長い独奏に移行します。声楽付の作品や時代背景の話の助けを借りながらショスタコーヴィチの作品に接近している時は、御簾かカーテン越しに接しているような形かもしれませんが、このヴァイオリン協奏曲第1番をま近に聴いてそうした覆いを取って直接対面したような感覚でした。

110521b  一見西洋人ぽくも見える井上道義は、2007年に東京日比谷公会堂でショスタコーヴィチの交響曲全曲演奏会を、日露5つのオケを指揮して完結させています。来日キャンセルの演奏家もみられる中、ボリス=ベルキンは予定通り登場しました。コンチェルト終演後は井上道義と、会心のかたい握手を交わして抱き合っていました。まるでサッカーの試合でラストパスを出した選手とシュートを決めた選手のようでした。その様子が演奏を雄弁に物語っているようで、感動的な演奏でした。続く交響曲も白熱していました。交響曲第1番は今まで個人的にあまり好きでは無く、何度となく聴いてもいろんな断片が散乱しているような気がして、集中できないという印象でした。それが今日の演奏会で一つの曲として統一的なイメージを植え付けられました(遅まきながら)。指揮の動きの中にはコミカルな動作も見られ、本当にこの作品も好きで、楽しんでもいるのだというのが伝わってきました。

 阪急京都本線の「特急」は、桂、長岡天神、高槻市、茨木市、淡路、十三に停車して、かつての急行と同じでした。神戸線の「西宮北口」駅はいろいろ思いでも多く、下車したのは10年ぶりくらいで、その点でも感がい深くありました。駅前広場のつくり方は素晴らしいと思え、京都府下ではこれほどのものは無いかもしれないと感心しました。来月の定期(2010-2011年のシーズン)は、佐渡裕指揮のマーラーの交響曲第3番で、今回のチケットを申し込む時に同時に買おうとしましたが完売でした。3日間もあるのに完売とはちょっと驚きました。 

20 5月

マーラー交響曲第10番クック補筆版 ラトル・ボーンマスSO

マーラー 交響曲 第10番 嬰へ長調
(デリック・クック校訂版第3稿第1版)
 
110520 サイモン=ラトル 指揮 ボーンマス交響楽団

(1980年6月 録音 EMI)

①23分53 : Adagio
②11分26 : Scherzo
③  3分56 : Purgatorio(Allegro moderato)
④11分58 : Scherzo
⑤24分18 : Finale
 計75分21

 CD付属の解説文によると、ラトルのLPレコード録音の第1作目は、ノーザン・シンフォニアを指揮したストラヴィンスキーの「プルチネッラ」全曲他で、続いてプロコフィエフのピアノ協奏曲第1番とラベルの左手のための協奏曲(ガブリーロフ:ピアノ)だったそうです。このマーラー第10番はそれに続く録音であり、イギリス本国ではこれが実質的なデビュー盤として扱われています。当然日本でも発売(1983年9月新譜)されていましたが、レコ芸では特選になっていません。ラトルは1955年リヴァプール生まれなので、この録音の時は25歳という若さだったわけです。

 ラトルだけでなく、ショルティ、コリン・デイヴィスらは「サー・サイモン=ラトル」というように名前の前に「サー」を付けて呼ばれるます。文字だけをみれば卓球の女子選手の気合いに似ているこれは、英国王室が与えるナイトの称号で、女性の場合は「デイム」だそうです。内田光子やクレンペラーと共演した女流ピアニスト、マイラ=ヘスも「デイム」の称号をもらっていました。

 ラトルがクリーブランド管やBPOの首席に就任する直前のコンサートでこの曲を選んでいたことは全然知らず、付属の詳しい解説文でラトルのマーラ第10交響曲・クック版への傾倒ぶりを知りました。この録音ではクック版第3稿第1版を使いながら、ゴルトシュミットの意見をあおいで独自に変更を加えています。第4楽章から第5楽章への推移句における大太鼓単独強打を2回から1回に減らしているのが顕著な例です。解説文によると、その変更はクック版第3稿第2版にも引き継がれ、これはザンデルリンクとベルリンSOの録音の影響もあるということです。ラトルは年季の入ったマーラー指揮者だと改めて(今頃になって)知りました。

 ラトルはマーラーの交響曲全集を録音する時に、この第10番「クック版第3稿第2版」をベルリンフィルと再録音(1999年)しています。ちなみにその時はレコ芸で特選盤に輝いています。ベルリンPOとの各楽章ごとの演奏時間は以下の通りです。

①25分10,②11分24,③3分55,④12分06,⑤24分47 計:77分23

 第3稿の第1版と第2版の違いはあるものの、再録音が少し長くなっています。

 今回のボーンマスSOとの録音では、特に第5楽章が印象に残りました。冒頭から出現する大太鼓の音と、マーラーおきまりの葬送行進曲風の音楽は非常に鮮烈で、葬送というより新しいいのちが生まれ出るような印象を受けます。今週は月曜から田植えが始まった農村地帯をまわっていたのでそんな風に思ったのかもしれませんが、非常に魅力的です。「ふるさとのまち焼かれ~」で始まる原爆の歌は、かつての焼け土にも白い花が咲く風景が描かれています。3月以来の津波塩害やセシウム等を被った地にもそういう日が来ることを強く祈念します。

 それにしても、この録音の新譜当時は、もっと予算があってもこれを購入するところまではいかなかったと思えます。バーミンガム市SO他との全集もそうでしたが、こんな時期に、こんな演奏をしている若い指揮者がいたとは驚きです。

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19 5月

チャイコフスキーのオペラ・スペードの女王 ポップも参加

チャイコフスキー 歌劇「スペードの女王」 作品68

ムスティスラフ=ロストロポーヴィチ 指揮

110520 フランス国立管弦楽団

チャイコフスキー合唱団、フランス国営放送聖歌隊

クローエ(ソプラノ):ルチア=ポップ

ヘルマン(テノール):ピョートル・グーガロフ

リーザ(ソプラノ):ガリーナ・ヴィシネフスカヤ

エレツキー公(バリトン):ベルント・ヴァイクル

トムスキー伯爵、プルトー(バリトン):ダン・イオダチェスク

伯爵夫人(メゾ) :レジーナ・レズニック

チェカリンスキー(テノール):ファウスト・テンツィ、チャプリツキー(テノール):ハインツ・クルーゼ、ポリーナ、ダフニス(アルト):ハンナ・シュヴァルツ 他

(1977年 録音 DG)

 このCDを引っ張り出してきたのは、先月取り上げたムソルグスキーのオペラ「ボリス・ゴドゥノフ」とのつながりで、元はショスタコーヴィチの交響曲第14番を味わうためです。チャイコフスキー(1840-1893年) は1890年にこのオペラ「スペードの女王」を作曲しています。一方ムソルグスキー(1839-1881年)は、オペラ「ボリス・ゴドゥノフ」を1869年に一旦完成させています。ほぼ同じ世代の二人ながら小、中学校の音楽の時間ではムスルグスキーの方が後から出て来て、マイナーな位置づけになっていました(。最近はそうでもないのかもしれませんが)。ソ連時代にはムソルグスキーを尊敬していると公言するのと、チャイコフスキーが素晴らしいというのとでは風当たりというか、当局の見方は違ったのだろうかと思います。

110520a  この「スペードの女王」ですが、ロストロポーヴィチ夫妻が参加しているからとかではなく、ソプラノのルチア=ポップが出ているというだけでわざわざ買ってまで聴く気になったオペラのCDです。出ているといっても主役級ではなく、第2幕の劇中劇のクローエです。エレツキー公のヴァイクルとルチア=ポップは後にタンホイザーのハイティンク盤で共演(エリーザベトとヴォルフラム)しています。この録音とは関係無いものの、この頃ならバラの騎士のゾフィー、フィガロのスザンナ等を歌っています。

 先日の革命交響曲と同じくロストロポーヴィチ指揮で、その録音より17年前の録音です。ロストロポーヴィチは、交響曲等だけでなく、ムソルグスキーの「ボリス・ゴドノフ」、プロコフィエフの、「戦争と平和」ショスタコーヴィチの「ムツェンスク郡のマクベス夫人」といったロシアものオペラを録音しています。

 スペードの女王は合唱も多く、チャイコフスキーのバレエや交響曲で聴き覚えのあるメロディーが見つかり、陰惨なストーリーの割には華やかな曲です。また何となくワーグナーの「さまよえるオランダ人」、「ラインの黄金」を連想させる音楽です。地面そのままのところに天幕を張った会場を思わせるムスルグスキーのボリス・ゴドゥノフの響きとは違って洗練されています。決定的な名アリアのような聴きどころと言えるものはありませんが、ロストロポーヴィチ夫人のガリーナ・ヴィシネフスカヤの歌声が圧倒的です。スペードの女王もやっぱり舞台、映像が無ければ非常にさびしい作品だと思いました。

110520c  チャイコフスキーのオペラ「スペードの女王」は、プーシキンの短編小説「スペードの女王」に基づいていて、以下のようなあらすじです。青年士官ヘルマンが、名も知らない美女(リーザ)に出会い一目ぼれをし、やがて彼女に婚約者エレツキーが居ることを知り絶望する。その後カードを使った博打で絶対に勝てる秘密というものがあることを聞き、それによって博打で大金を得て、リーザと結婚しようと考える。そしてその不敗のカードの秘密を知る老伯爵夫人から聞き出そうとする。伯爵夫人の寝室に忍び込んで秘密を教えてくれるように頼むも拒まれたので、拳銃を取り出して脅したところ伯爵夫人はショック死する。リーザは、ヘルマンが自分に近づいたのは伯爵夫人が知るカードの秘密が目当てだったと思い込み、後に絶望、自殺する。ヘルマンは、伯爵夫人の亡霊(幻覚)から、リーザと結婚することを条件に必勝のカードの秘密を教えられる。告げられた3枚のカードで2枚目までは上手く勝てたが、最後の3枚目で負けてしまう。エースを引くはずが、手にしたのはスペードの女王のカードで、絵柄の顔が伯爵夫人の顔に変わり、ヘルマンは衝撃を受けて自害する。

 ストーリーは原作から少し変更され、主人公の青年士官ヘルマン(ゲルマン)、リーザ(リザヴェータ)は自害して果てます。原作ではゲルマンは発狂し、リザヴェータは別の男性と幸せな結婚をしています。それにヘルマンのリーザに対する思いもちょっと違って、原作では博打で勝つためのカードの秘密の方に関心が傾斜しています。リーザが死んでいるのと生き残るのとでは作品がかなり変わると思いますが、オペラにするにはヘルマンだけが地獄に落ちるなら単調過ぎるのでやむを得ないでしょう。昔日本語訳が新潮文庫でもあったと思っていましたが、現在は岩波文庫だけのようです。

 原作でゲルマンと最後の勝負をするチェカリンスキイは、「現金払いの明朗会計」を旨とする博打屋で、博打で儲けるとより良い人生が待っていると確信しているような明朗さです。日本では、競馬等の他はパチンコのように目こぼし的な(石鹸楽園も)ものがあるだけなので、時々カジノの是非が取りざたされます。射幸心を煽る遊戯を一箇所に封じ込めるという点ではカジノの方が良いかもしれないと思えます。 

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17 5月

ショスタコーヴィチ第5番 ロストロポーヴィチ・ナショナルSO

ショスタコーヴィチ 交響曲 第5番 ニ短調 作品47

ムスティスラフ=ロストロポーヴィチ 指揮 ワシントン・ナショナル交響楽団

(1994年6月 録音 Warner)

 先日京都コンサート・ホールの前で配られていたビラの中に、今年の6月21日に同ホールで行われる京都大学交響楽団の定期公演のものがありました。金聖響を迎えてショスタコービチの交響曲第5番がプログラムのメインです。いつもこんな感じなのかどうか知りませんが、ビラも本格的でちょっと驚きました。S席が1500円、A席が1000円という値段です。

11050  ロストロポーヴィチはチェロだけでなく、指揮者としてもショスタコーヴィチの作品を演奏録音しています。ソルジェニーツィンを擁護したために国内外での演奏活動を禁止され、1974年には亡命した経歴からしても、ショスタコーヴィチには共感するところも多いだろうと推測されます。ロストロポーヴィチは1988-1995年の間に、第14番を除くショスタコーヴィチの交響曲をワシントン・ナショナルSO、ロンドンSOを指揮して録音していました。第14番だけは亡命前の1973年に夫人のソプラノ歌手ヴィシネフスカヤ、バスのレシェーチン、モスクワPOと録音しています。それらをまとめて全集にしていますが、圧倒的名盤という程の評判ではなく、やや地味な扱いです。

 交響曲第5番はショスタコーヴィチの交響曲の中では一番有名で、演奏回数も1,2を争うだろうと思います。初演時には客席で泣き出す人も出たという第3楽章、勝利の歌(と考えたい?)である第4楽章が特に有名ですが、全楽章とも強く印象に残ります。1937年11月21日にムラヴィンスキー指揮のレニングラードPOにより初演されています。ただ、前作の第4番とは作風がかなり変わっています。

 ロストロポーヴィチ盤で第5番、特に4楽章を聴くと、勝利の歌が高揚して全曲を結ぶといったものではなく、妙なぎこちなさが混じっています。しかし3楽章は切実に迫るものがあり、初演で泣きだす人が出たというのもうなずけます。個人的に、ショスタコーヴィチの交響曲は、体制側の精神であれ反体制側のものであれ、決定的に臨界に達して高揚するというものでなく、いつも不完全燃焼のようで、どこか全く違った事柄、領域の中で頂点があるような、そんな謎めいたものを感じます。そういう印象と、今回のCDはぴったりはまります。ただ、ロストロポーヴィチの全集が地味な扱いなのももっともだと思いました。

 先日、自宅の庭木に「タヌキ」が登っていると近所の人から知らされて、半信半疑ながら驚いています。明け方に犬猫でもない動物の鳴き声がするので窓を開けると、木の枝に居るのを見たそうです。私は熟睡していて鳴き声は聞いていません。本当にタヌキなのか、野生化した違う生き物なのか、ちょっと不気味ですが、壁や屋根を壊したしなければ別にかまいません。冬に宇治川の堤防沿いで、それらしい獣を見たことがあるので、出没しても不思議ではありません。

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15 5月

クレンペラー・PO ベートーベン交響曲第1番 1957年・EMI

ベートーヴェン 交響曲 第1番 ハ長調 作品21


オットー=クレンペラー  指揮
フィルハーモニア管弦楽団


(1957年10月 録音 EMI)

 昨日5月14日のオットー=クレンペラー誕生日の残り香で、フィルハーモニア管弦楽団とのセッション録音によるベートーベン交響曲全集からの1曲です。クレンペラーは、ロンドンで1959年、1970年のシーズンに、ウィーン(ウィーン芸術週間)で1960年にフィルハーモニア管弦楽団を指揮してベートーベンの交響曲全曲他を演奏しています。EMIの全集はその1959年頃を中心に録音されています。フィルハーモニア管弦楽団の絶頂期とも言える頃でもあり、ベートーベンの交響曲の録音の代表の一つと言えるものです。しかし、日本での人気にはもどかしいものがあり、国内盤LPは、最後は1枚1500円の「クレンペラーの芸術シリーズ」で出ていたはずですが、80年代半ばでは既に店頭で見ることができませんでした。しかし、CDでは全集の形で発売されました。CDの時代になってクレンペラーのベートーベンの人気が上昇した感があります。


 交響曲第1番は1800年に完成、初演されています。同時期の作品は弦楽四重奏曲の第4番等(作品18の6曲)があります。


交響曲 第1番 ハ長調 作品21
1楽章 Adagio molto - Allegro con brio
2楽章 Andante cantabile con moto
3楽章 Menuetto:Allegro molto e vivace
4楽章 Adagio - Allegro molto e vivace

 

①9分52②8分53③4分5④6分18 計29分08

 この録音の各楽章毎の演奏時間・トラックタイムは上記の通りです。輸入盤、国内盤、発売時期の違いによって時間表記が微妙に違っています。右の写真は1990年発売(Made in W.Germany)の輸入盤で、同じ頃の国内盤は同じデザインの色違い、肖像部分が濃紺でした。それはともかく、演奏は重厚で、序奏のある初期(1800年作曲)の曲ながらまぎれも無くベートーベンの響きです。それにもかかわらず、木管の響きが美しく、息苦しさを感じさせない独特の響きです。度々引用している「クレンペラーとの対話」で対談して編集しているピーター・ヘイワーズがクレンペラーの指揮するオーケストラの音、演奏の特徴として、「ある種の開放的な響き木管が際立っている」ことを挙げています。そのことがこの演奏でも確認できます。

 

 この録音をはじめて聴いたのは、80年代後半、ドイツのリマスター盤LPのベートーベン交響曲全集で、第1番から順番に聴いていきました。第1番が鳴り出した時の感動は今でも覚えています。記憶の中ではもっと壮大で硬質な響きになっていましたが、CD化されて聴いてみると緻密さも感じさせられ、意外でした。そうした違いが、単なる受け止め方、記憶違いではなく、CD化されて音質が改善されたことによるのなら、CDの時代になってクレンペラーのベートーベンが再発売を繰り返されるようになり、人気が上昇したことは(身贔屓ながら)喜ばしいことだと思えます。


①9分3,②8分25,③3分47,④6分14 計:27分29


 ちなみにクレンペラーとフィルハーモニア管弦楽団によるベートーベンの録音は、BBC放送の音源・1963年12月2日のライブ録音があります。定評のあるTestamentなのに音質が良くないのが残念です。各楽章のトラックタイムは上記の通りです。今回のセッション録音より短めですが、傾向、楽章のバランスは同様です。


 またクレンペラー指揮のベートーベン交響曲第1番は、他には上記ウィーン芸術週間でのライブ録音、トリノ放送交響楽団(1956年12月17日)、ケルン放送交響楽団(1954年10月25日)があります。CDの時代になって、クレンペラーのそうした放送用音源のCDが増えています。(写真は今回の録音の輸入盤の再発売盤)

14 5月

クレンペラー指揮 モーツアルト・セレナーデ第10番

モーアツアルト セレナーデ 第10番 変ロ長調 K.361(グラン・パルティータ、又は13管楽器のためのセレナーデ)


オットー=クレンペラー 指揮 
ロンドン管楽五重奏団及び合奏団


(1963年12月10-13日 録音 EMI)


K.361 グラン・パルティータ

①ラルゴ - モルト・アレグロ
②メヌエット
③アダージョ 
④メヌエット - アレグレット
⑤ロマンツェ - アダージョ 
⑥主題と変奏 - アンダンテ 
⑦フィナーレ - モルト・アレグロ 

 5月14日はオットー=クレンペラーの誕生日で、1885年に当時はドイツ領だったブレスラウ(現在はポーランドのヴロツワフ)に生まれました。クレンペラーの父はプラハ生まれで、その父・祖父はプラハでユダヤ教の教師をしていて墓地もプラハです。元はクロッパーと言う姓で、祖父の祖父が1758年に「グンペル=クロッパー」として生まれ、1803年に「マルクス=クレンペラー」として葬られと「クレンペラーとの対話 (P.ヘイワーズ編 白水社)」に書かれてあります。クレンペラー自身も、一族はオーストリアー・ハンガリー帝国のものだった(ドイツ系ではなくオーストリア系)と、語っています。ドイツ系、オーストリア系、という違い、この辺の機微は異文明圏内の人間にはよく分からず、想像するほかありません。作曲家で言えばマーラーもブルックナー、シューベルト、ハイドン、それにモーツアルトもオーストリア人だったわけです。


 クロッパーという姓は、ユダヤ人社会でユダヤ教のシナゴーク(会堂)へ行く時間に遅れないように戸口でノック(ドイツ語でクロップフェン)してまわる係、クロッパーだったのでそう呼ばれていました。クレンペラーが自身の少年時代の思い出の一つとして、図画の時間に上手く図形が描けず「先生、どうもまっすぐな線が引けません」と担当教師に言うと、その教師は君の人種ならちっとも不思議じゃないね」と答えたそうです(13歳、ハンブルクのギムナジウムでのこと)。えっ?学校の先生がそんな考えだったのか!?と一瞬驚きますが、よく考えればというか、日常生活を振り返ると、あり得ることだと気付かされます。クレンペラーの生涯には、こうした民族差別は、いたるところでライト・モチーフのように登場して来ます。


 このCDは、同じくモーツアルトのセレナーデ第11番とカップリングされて、1991年に発売されていました。第11番の方は1971年9月20,21,27日に録音されていて、クレンペラー最後の録音でありながら、一度も商品化されずこのCD化により初めて市場に出たというものでした。かつて輸入盤CDで購入して聴いていましたが引越に伴い大量処分したCDに含めてしまいました。それが今年に入って、大阪府の中古クラシック店のサイトで見つかり十数年ぶりに再度購入した次第です。これは国内盤で、輸入盤しか出ていなかったと記憶していたので2度驚きでした。この中古店は、こういう「好き者なら多少高くても買うだろう」という商品でも妙な加算がなく、あくまでリサイクル品=中古品という価格設定が貫かれているので有難いです。


 セレナーデ11番は7月のクレンペラー命日の際に扱うとして、今回は録音の古い第10番です。管楽器13人で演奏されるこの曲は、指揮としてクレンペラーが入ることでどういう影響を与えているのか非常に興味深い録音です。ただ、クレンペラーのモーツアルト録音を聴いているとだいたい想像はつきます。ウィーンの貴族のサロンとかロココ的といった要素はやはり薄く、開放的な響きながら緊迫感のある演奏です。この点はカップリングされている第11番の方が柔和な印象を受けます。仮にこのアンサンブルが指揮者のクレンペラー無しで演奏していたら、もっと派手な、又は突っ走った演奏になったと想像できます。


 7つの楽章の内、変化に富む第6楽章が特にクレンペリヒな(いかにもクレンペラー的)香りがします。このCDはクレンペラーのモーツアルト演奏が好きな人なら感動的な1枚だと思います。クレンペラー生誕125年の昨年にこれが復刻されないかと、内心期待していました。

 ロンドン管楽五重奏団は、フィルハーモニア管弦楽団の首席を中心に、ロンドンで活動する管楽器奏者から構成されています。このセレナーデ10番はそこにフィルハーモニア管弦楽団員を加えて演奏しています。CD付属の解説にはメンバー名が載っていました。オーボエ2名:シドニー・サトクリフ、スタンリー・スミス、クライネット2名:バーナード・ウォルトン、アーチボルト・ジェイコブス、バセット・ホルン2名:ウォルター・リア、ウィルフレッド・ハンブルトン、ファゴット2名:ギデオン・ブルック、ロナルド・ウォーラー、ホルン4名:アラン・シヴィル、イアン・ビーアス、ニコラス・ブッシャー、パトリック・ストレーブンス、コントラファゴット1名:ヴァーノン・エリオット、コントラバス1名:J.エドワード・メレット。


 クレンペラーによるモーツアルト・セレナーデの録音(EMI)は、第6番(1956年)、第10番、第11番、第12(1967年)、第13番(1956年、1964年)で、管楽アンサンブルによる今回の第10番、第11番、第12番は現在廃盤状態のはずです。第13番はVOXレコードへ「パリ・プロムジカ」という団体を指揮して録音しています。第6番「セレナータ・ノットゥルナ」と第13番「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」はTestamentから復刻されています。第13番の再録音はモーツアルト序曲集の中に入っています。

9 5月

ベルリオーズ・幻想交響曲 デルヴォー指揮コロンヌ管

ベルリオーズ 幻想交響曲 作品14a


ピエール=デルヴォー 指揮
コロンヌ管弦楽団


(1962年2月14日 ライヴ録音 EMI)


 ここ数日5月はこんなに暑かったかと思うほどで、今日から半袖のワイシャツにしました。それでも昼には、ちょっと事務所で冷房をかけてしまいました。夜に宇治川の堤防を車で通るとすでに、わけのわからない虫が沢山飛び交っていました。先が思いやられます。さて、このCDは5年前に国内盤で出た廉価盤ですが、この音源が日本で発売されたのは初めてだったと解説に書かれてありました。そう聞くとなんか珍品か幻の録音のようですが1300円のシリーズの中の1枚で、下の写真のような愛想もくそもないジャケットです。国内盤がLP期から一度も出なかったのはオケ、指揮者ともに知名度がいまいちだったからだろうと思います。


 コロンヌ管弦楽団は、正式名称はコンセール・コロンといい、19世紀後半設立のパリを本拠とするオーケストラです。1917年生まれのピエール=デルヴォーは、父親がコンセール・ラムルーのトロンボーン奏者で、ポール=パレー、シャルル=ミュンシュに続いてこのオーケストラの音楽監督をつとめています。1965年のN響客演以来何度か来日しています。
 

110509a  幻想交響曲は音楽史上も、オーケストラ・コンサート界、レコード界でも超有名な作品で、新しい録音も多数あって、今更日本初登場のこのCDが出る幕では無いとも言えそうです。しかし古い録音ながら、なかなか鮮烈な印象を受ける演奏です。古今名盤と呼ばれているものも、第4楽章の「断頭台への行進」や第5楽章「サバトの夜の夢」で迫力に事欠かないなら、第2楽章「舞踏会」や第3楽章「野の風景」で優雅さや幻想的な空気が乏しかったりと、それぞれ不満があったりもします。今回のデルヴォー盤は、月並みな言い方ながら各楽章まんべんなく魅力的で、同時期のパリ音楽院管弦楽団で演奏していたらさらに鮮やかで、もっと話題になったかもしれません(フランス本国では既にCD化されていて、ある程度有名だったのかもしれません)。
 

①13分5,②5分57,③16分8,④4分48,⑤9分44 計49分42


 このCDの演奏時間は上記の通りで、時間だけで一概には言えないにしても、溌剌とした演奏ぶりが想像できます。以下は幻想の好きなCDの演奏時間です(世代が分かってしまい、恥ずかしい)。あくまで個人的好みと、廉価性がポイントで、新旧ともに他にも有名な録音はあるはずです。これらと比べてデルヴォー盤は速い部類になります。なお、幻想交響曲も版か何か、バージョンの問題があったような気がしますが、今日のデルヴォーの録音は通常の幻想交響曲です。
 

パレー・デトロイトSO-1959年
①11分33②5分33③14分36④4分28⑤9分3 計45分13   

マルケヴィチ・ラムルー管-1961年
①14分15②6分8③15分58④4分48⑤11分3 計52分12   

マルティノン・仏国立放送管-1973年
①15分8②6分42③17分22④4分53⑤9分57 計54分12

クレンペラー・PO-1963年
①16分11②6分36③18分4④5分0⑤10分41 計59分12   


 パリにも多数のオーケストラがあって、パリ管弦楽団、フランス放送フィルハーモニー管弦楽団、フランス国立管弦楽団や歌劇場のオケ、ピリオド楽器によるオーケストラもあります。それ以外にも、コンセール・ラムルー、コンセール・コロンヌ、コンセール・パドルーといった楽団が健在のようです。のだめカンタービレパリ篇では、千秋が常任になった「ル・マルレ管」やライバルの「デシャン管」、格上の「ウィルトール響」、「ルセール管」という架空名称の楽団が登場します。今回のコンセール・コロンヌもその内のどれかのモデルになっているかもしれません。

5 5月

ショスタコーヴィチ 交響曲13番 バビ・ヤール ポリャンスキー

ショスタコーヴィチ 交響曲 第13番 変ロ短調 作品113 「バービー・ヤール」

ポリャンスキー 指揮 ロシアン・ステイト・シンフォニー・オーケストラ 、同合唱団

バス:Ayik Martyrosyan

(1996年11月 モスクワ音楽院大ホール 録音Chandos )

 日清戦争時、進軍ラッパを吹いている状態で戦死した「ラッパ手木口小平」、という平民出身の軍人の存在がクローズアップされ、やがて軍神になりました。細かい経緯、歴史的背景等はさて置き、命がけで使命を全うしようとした姿には胸がつまる思いです。津波の危険を放送しながら行方不明になってしまった若い役場職員の御遺体が見つかったという報道に接して、懸命さと当人には生前報われるものが無かったという点で重なって思い出されました。原発の現場の作業員の多くが線量計を持っていなかったという報道もあり、肉弾三勇士のような悲壮な環境は回避してほしいと思います。

110505a  このCDの指揮をしているポリャンスキーという名前は見たことがあるだけで、このシャンドスのショスタコーヴィチのシリーズしか聴いたことはありません。1949年生まれでロジェストヴェンスキーに師事したロシアの指揮者で、ロシア人作曲家の声楽付作品を多く録音しているようで、もう60代なのでベテランの域です。またロシアン・ステイト・シンフォニー・オーケストラは、英語表記をカタカナ表記にしただけで、実態がよく分かりません。ポリャンスキーはロジェストヴェンスキー門下であることからも、時々見られる記事にある通りソヴィエト国立文化省交響楽団のことかもしれません。ソ連崩壊後のロシアのオーケストラの名称は旧東ドイツ以上に分からなくなりました。はどうなったのだろうと思います。

 ショスタコーヴィチの交響曲第13番は、旧ソ連時代、初演時にソヴィエト当局から圧力をかけられ、歌詞を変更させられたり、独唱者が出演辞退をする等困難をきわめました。初演を指揮したキリル=コンドラシンは後に亡命しました。この曲の歌詞は、第二次大戦中にナチス・ドイツにより行われたキエフ郊外バビヤールでの大量殺戮を扱っていて、暗に戦後のソ連政府の反ユダヤ的政策を批判しているともとれるので、そういう事態になりました。歌詞の変更については、西側で演奏される時は当初から改変前の原詩で演奏されていました。その後はソ連国内のロジェストヴェンスキー盤等も原詩で演奏されるようになりました。

 ソ連が解体されたのは1991年12月なので、このCDの録音時にはソヴィエト連邦はもう存在していないわけで、環境が激変しています。もう歌詞の改変や、演奏を妨害される心配は、ひとまずは無い国になったわけです。バビ・ヤールのような作品は、歌詞の内容が占めるウェイトも大きいはずで、特にロシア国内の聴く側にとっても作品の存在意義が変わっているのではないかと思われます。

①16分36,②7分51,③13分08,④11分59,⑤12分25 計:61分59

 このCDの演奏時間は上記の通りです。同時期(1993年)に録音されたネーメ・ヤルヴィ盤よりもさらに重苦しく遅い演奏です。バビ・ヤールの出来事に対する恐怖というものは感じられるものの、抗議や糾弾という雰囲気はほとんど無いように思えます。また不思議に威圧的なものが感じられません。

 一方初演者による演奏でもあり、名演と定評のあるコンドラシン指揮、モスクワPO(1967年8月録音)は以下のような演奏時間です。

①13分40,②8分02,③10分55,④9分42,⑤11分40 計:53分59

110505b_4  今回の、90年代半ばに録音されたCDと比べると速い演奏で、実際に聴いてみると速いだけでなく尋常でない激しさで迫ってきます。聴く側はいざ知らず、演奏者側は世代が変わり作曲者と親交があった世代も少なくなっているので作品に対する思い入れも違うのうは容易に想像できます。

 交響曲第13番バビ・ヤールは、次の第14番と比べると音楽そのものは歌詞程には刺激的とも思えず、両曲を歌詞抜きで演奏したなら、特にバビ・ヤールは作品の印象がかなり違ってくるだろうと思います。それだけバビ・ヤールの方が時代の変化にともなって作品の人気や意義の変化も激しいだろうと推測されます。そうした意味で新旧の録音を聴いている内に何か見えてくるかと思いましたが、なかなかよくは分かりません。 

 ラッパ手・木口小平や肉弾三勇士の話は戦前なら小学校で教えられ、軍歌にもなっていました。まだ沈まずや定遠は、という息も絶え絶えの重唱の水兵が、死を前にして家族の事など一切口にせず、敵艦への攻撃成果しか眼中にないという様子を讃えた軍歌もありました。今では軍歌というジャンルの新作はありません。新作が必要にならなかったのは喜ぶべきことですが、世の中は本当に大きく変わりました。

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4 5月

ブラームス 交響曲第1番 レヴァイン・CSO

ブラームス 交響曲 第1番 ハ短調 Op.68

ジェームズ=レヴァイン 指揮 シカゴ交響楽団

(1975年7月23日 録音 Sony Classical )

 「飛び石連休」や「半どん」という言葉はほとんど死語になってしまいました。子供の頃をふりかえれば5月4日は振り替え休日にならなければ休みではなかったはずです。と言うより、ついこのあいだまで4日は休みじゃなかったような気がします。そう思いながら、今朝も一度目覚めかけてから駄目押し眠りをしていました。何ら季節らしいことをしていないので、今日はようかん粽を買って帰りました。期間限定ですぐ売り切れになるのに今年は夕方でも残っていました。亀屋良永という老舗で、現在の本能寺の近くにあります。古い和菓子屋には、「亀屋~」とか「鶴屋~」、「~若狭屋」という屋号の一部を共通にする店がしばしば見られます。元は一つの店だったら大したものだ思います。

110504z  これはマーラー交響曲選集、シューマン交響曲全集と同様にSony Classical から限定発売された、超廉価盤仕様のブラームス録音集の中の一枚です。1975年7月23日には交響曲第1番を、翌1976年7月12-13日には交響曲第2-4番を、というように4曲のシンフォニーを3日間でセッション録音しています。他に1983年録音のドイツ・レクイエム、ピアノ協奏曲第1番(エマニエル・アックス:ピアノ)がカップリングされています。シューマン(交響曲第1番・レヴァイン指揮 フィラデルフィア管)の時もそうでしたが、短時間に録音を完成させているその集中力には驚かされます。このブラームス録音集では、75,76年録音の交響曲の方が鮮烈で、中でも1番、2番が特に魅力的だと思います(完全に全部は聴き終わっていないけれども)。

①12分20,②8分46,③4分32,16分52 計:42分30

 この演奏のトラックタイム、各楽章毎の演奏時間の目安は上記の通りです。重厚さ、いぶし銀等というブラームスの枕詞のような要素は陰を潜め、代わりに山中から突然平原に景色を変えた河川のような爽快さで、各パート、声部も前面に出ているような克明な演奏です。速いテンポで奔放なのに全く雑ではなく、その点も感心させられます。第1楽章の冒頭の勢いからして特徴的です。一部でブラーム=中高年向け作品という価値観が流布しているのかもしれませんが、このCDを聴いていると、のだめカンタービレ作品中の若い演奏者が集まってオーケストラを編成してこの曲を演奏して成功する話を思い出します。

  レヴァインは、 このブラームス交響曲第1番を録音した1975年から、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場の音楽監督に就任しています。1970年まではクリーブランド管で厳格なセルの下で副指揮者をつとめていたので、そうした重圧(?)から自由になり、主要なオケから呼ばれるようになった時季で、キャリアの春だったはずです。去年マーラーの選集であの第9番を知るまでは、レヴァインといえば80年代にウィーンPOを指揮したモーツアルトの交響曲第39番(DG)を聴いた時の、個人的に否定的なイメージで染まっていました。もうあまり覚えていませんが、積極的に変な演奏といったものではないものの、特徴も覇気も何もないVPOを選べばレヴァインが付いて来るといった影の薄さだったような気がします。これも今聴き直せば違う感想かもしれませんが、とにかく当時はそう思えました。

 レヴァインのマーラー選集やシューマン交響曲全集もそうでしたが、70年代にレヴァインが行った一連のセッション録音は、どこに秘密があるのだろうかと思います(例えば上記のVPOとの録音と比べて)。プロデューサーや録音技術者、ホール、録音機材からこの再発売シリーズのリマスター等様々な要素も影響しているとは想像できますが、やはりこの時期のレヴァインに特別なものを感じます。セル(クリーブランドO)、ライナー(シカゴSO)といった古い世代の指揮者はしばしばミリタリー的とも呼ばれる厳格なトレーニングでも有名です。若いレヴァインの世代なら、違ったリハーサル風景だろうと想像できます。滅多に指揮棒を折ったりはしないでしょう。

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3 5月

冬の旅・無伴奏混声合唱版 ザ・タロー・シンガーズ

シューベルト 歌曲「冬の旅」 D.911 作品89

千原英喜 編曲  無伴奏混声合唱版


里井宏次 指揮 ザ・タロー・シンガーズ


(2010年11月7日 東京・津田ホール ライブ録音 EXTON)

110503a
 若葉の季節の5月なら、「美しい5月になって~」で始まるシューマンの歌曲集「詩人の恋」がふさわしいところですが、今回は今頃になって正月の鏡餅の残りを油であげて食べるようにシューベルトの「冬の旅」を取り出しました。歌曲集「冬の旅」はヴィルヘルム・ミューラーの詩集をシューベルトが配列を変えて作曲した24曲の歌曲から出来ています。このブログでも何度か回数だけは重ねて取り上げてきました。シューベルトの最高傑作と言える作品で、声楽曲というジャンルだけでなく、クラシック音楽のレパートリーからこの作品が無くなれば代わって穴を埋める作品は見つからない程だと思います。独唱者とピアノにより演奏されるドイツ・リートで、原曲はテノール向けだと言われますが、SPの頃からヒッシュ、ホッター、フィッシャー・ディースカウ、プライ等バリトンによる録音が有名でした。今では女声も含めて幅広く歌われ、またピアノの代わりにピアノフォルテで演奏されたりしています。
 

110503b_2   このCDは特殊な編曲版で、ピアノパートも独唱部分も全て合唱が担当する「無伴奏合唱版」という形態です。オーケストラ伴奏版というのはCDでもあったはずですが、無伴奏合唱版というのは画期的です。聴く前は、独唱部分を合唱でというのはイメージできましたが、ピアノ部分まで合唱というのはどうなるのか想像できませんでした。実際に聴いてみて特徴的なのは、風の音や犬、鶏の声を模して歌う部分もあり、それが非常に効果的です。演奏を聴く前に犬の声を模して等ときくと違和感を感じるかもしれませんが、ピアノ伴奏部分も合唱で演奏するのでそういう表現をしなければ、独唱パートと混じってしまいかねないだろうと思います。
 

110503c  無伴奏混声合唱版の「冬の旅」は、確かこの合唱団の委嘱で編曲された(どこかでそう解説してあったはず)もので、この録音の半年前の2010年6月27日に大阪で初演されました。CDの解説冊子には梅津時比古氏による「冬の旅」についての新しい見解が掲載されています。世界における冬の旅という作品の研究の最先端は、「失恋した青年の逃避行」という解釈から遠く離れて、多義的に展開しているとされています。そしてそうした傾向が演奏のアプローチにも影響しているとも書かれてあります。詳しくはシューベルトの「冬の旅」という作品を、①脱地域性、②脱エリート性、③脱小市民性、④脱作品(ミュラーの原詩)性という4つの「脱構造」として捉えています。
 

110503d  そうした理論は難解ですが、この無伴奏混声合唱版の演奏で一番目立って、すんなりと受け入れられるかどうか分からないのが最終曲「辻音楽師」でした。その曲の最終節、“ Wunderlicher Alter~”は、独唱パートの旋律で歌う歌詞が聞こえないで、話すような声で歌詞が朗唱されて、しかも強い風を表現したコーラスに遮られて言葉が最後まで聴き取り難いという表現です。通常の独唱とピアノなら、ライアーを回す老人と青年を遮るものを感じさせる音は何もない状態ですが、このCDの演奏ではまわりの世界が皆敵対して、隠れる場所もないかのような状態を連想させられます。まるで岩穴から引きずりだされた山椒魚のようでもあり、残酷さすら感じられます。ただ、そうした演奏も上記のような作品に対する見解を重ねるとある程度なるほどと感じられます。ただ、男声だけでなく女声も入っているのが救いというか、一種の慰めを感じさせます。


 ザ・タロー・シンガーズの名前の由来は、指揮者の里井氏の「里」から、「さといも―いも―たろいも―たろ」で“ The TARO Singers ”としたそうです。大阪を本拠地にする室内合唱団なのでこの録音の半年前だった初演も聴ける可能性はあったので、今更ながら惜しいことをしたと思えてきます。なおシューベルト「冬の旅」無伴奏混声合唱版の楽譜も出版されるようです。聴いていると演奏するのも相当難しいだろうと思えます。

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昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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