raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

2011年03月

28 3月

ブルックナー第8番・1877年第1稿 ゲオルク・ティントナー

 昨日は阪神高速道路8号京都線の延伸部分が開通して、稲荷山をぶち抜いたトンネルとつながりました。暫定2車線(片側1車線)ながら、途中鴨川西出入口も出来て、十条河原町に直接出られるようになりました。現在の状況を考慮して派手な式典は自粛されたそうで、通常なら3世代(爺さんから孫まで)で渡り初めとかいろいろセレモニーもあったことでしょう。

 さっそく今朝試してみたところ、宇治から京都市役所周辺まで一般道で60分はかかるところを、40分を切る所要時間になって感動的でした。計画ではこの高速は二条城の手前まで伸びるのですが、今後の事業は不詳です。財政だけでなく、景観の問題も大きいはずです。この高速も高架ですが、災害時にも健在で活躍してくれることを祈念します。


ブルックナー 交響曲第8番ハ短調・第1稿・1887年ノーヴァク版


ゲオルク=ティントナー 指揮
アイルランド国立交響楽団


(1996年9月23-25日 ダブリン国立コンサートホール 録音 NAXOS)


  ブルックナーの交響曲第8番は1884年~1887年にかけて作曲されて、例によって一旦完成した後に改訂されました。1887年に指揮者レヴィへ総譜を送付したところ、(第2番をデソフへ送付した時と同様に)演奏不可能と返答されました。この時の状態が今回の1878年稿で、レオポルド・ノーヴァーク校訂により1972年に出版されて、第1稿とも呼ばれています。これの録音は他に、インバル・フランクフルト放送SOや近年シモーネ・ヤング指揮、ハンブルクPOやデニス・ラッセル・デイビス指揮、リンツ・ブルックナー管等があります。近年見直されてきています。実際聴いていると、1887年・第1稿の方が清澄な響きに感じられます。


110328b
 ブルックナーの交響曲第8番と言えば通常演奏されるのは今回のCDの版では無く、第2稿・1890年版であり、これにはノヴァーク版とハース版があります。第1稿完成後、演奏不能と判定されたので、1989年から翌1890年にかけて改訂しました。この時の状態が第2稿で、これを復元するために校訂を手掛けたのがローベルト・ハースとレオポルド・ノヴァークです。復元、と書いたのは第2稿完成の後に、主にブルックナーの弟子であったヨーゼフ・シャルクによって改訂されたもの、いわゆる「改訂版」が1892年に原典版に先んじて出版されたからです。その悪名が高い(ヴァントが露骨に忌み嫌っているのも有名)改訂版に対する、「原典版」が、第2稿・1890年版ということです。第2稿・ハース版は1939年に、第2稿・ノヴァーク版は1955年にそれぞれ出版されました。


 通常呼ばれるハース版、ノヴァーク版は、上記のような経緯でどちらも原典版という位置付けでしたが、第2稿・1890年版に基づいています。両者の違いは、ハース版の方が部分的に第1稿・1887年版のものを取り入れた折衷的な姿勢(これはノヴァークが批判的にそう呼んだ)であるのに対して、ノヴァーク版は第2稿を作成・改訂するときに削除された部分はその通りにカットしているということです。第8番の録音ではハース版も結構出回っていて、特にヴァントはハース版を使っていました。両者の具体的な違いはいろいろあるようですが、把握できていないので今回は省略します。

110328a  さて、今回の第1稿・1887年(ノヴァーク版)は、第2稿と比べて聴いだけで気が付く違いもあります。特に目立つのは第1楽章の終わりで、聴きなれた第2稿は静かに曲が止まって終わりになりますが、第1稿では別のコーダがあり、7番の1楽章のように高揚して曲が終わります。第2楽章のトリオも結構目立ち、続く2つの楽章も何となく風通しの良い音響です。第4楽章の終わりも、第2稿程は高揚せずに完結しています。


 長々と版の違いを列記してしまいました。ブルックナーの作品にはこうした紛らわしい名称が飛び交うので、自分のための整理、どうせすぐ忘れるので備忘録のためにまとめています。そうした事務的な事柄とは別に、このティントナーの演奏はかなり素晴らしく、これほど清澄なブルックナーの8番は他では聴けないと思いました。後期ロマン派とかワーグナーといった影は感じられず、また力ずくで祝典に仕上げるようなところもありません。このCDの楽章ごとの演奏時間は以下の通りです。
 

①17分41②15分14③31分10④25分10 計89:28 

 
 CD1枚には収まらず、第4楽章を2枚目に収めて、第0番と併せて2枚で出しています。ゲオルク=ティントナーは1917年ウィーン生まれで、ユダヤ系だったのでヨーロッパを離れ、戦後はオーストラリアやニュージーランド、カナダでキャリアの大半を過ごしています。その最終の時期にナクソスへブルックナーの録音ができました。このCDを録音した時は79歳になっていました。最晩年にブルックナー演奏で突如注目される現象はクルト・アイヒホルンに似ています。演奏も似た要素があると思えました。NAXOSはよくぞティントナーを起用したものです。最初にティントナーの録音が出た頃は、珍しい版のCDだけは意義があってもオーケストラがマイナーなので、有名な曲はスルーしていました。今聴いて素晴らしいと思っても、10年くらい前も同様とは限りませんが、ちょっと惜しい気がしました。

27 3月

マーラー 交響曲第5番 レヴァイン フィラデルフィア管弦楽団

マーラー 交響曲 第5番 嬰ハ短調

ジェイムス・レヴァイン 指揮 フィラデルフィア管弦楽団

(1977年 録音 Sony Classical)

 昨年にまとめて復刻されたレヴァインのマーラー録音集の中の1枚です。パッケージ等全部1種類の写真しか使われていない徹底した廉価仕様です。ただ、中身は素晴らしいセッション録音で、LPで発売された時もフィラデルフィア管を振ったこの第5番、第9番等はかなり好評だったようです。この投稿は最初、3月7日に曲名と演奏者を書いて、週末くらいにUPする予定でしたが、ちょうど金曜に地震が発生しました。マーラーの第5番は4月22日の京都市交響楽団の定期公演で下野竜也指揮でハイドンの軍隊と共に取り上げられます。定期会員に申し込んだので、そろそろ行く前に曲を思い出すために通勤時に聴こうと思っています。7月には第3番がプログラム(大野和士・指揮、小山由美・アルト)に入っていて、さすがメモリアル年です。

 第5番はLPレコードの末期にショルティ・シカゴ響の公演を聴き、録音の方ではCDが本格的に出てきた頃、インバルの新譜を買って以来いろいろ聴いているものの、どうも決定盤的なものが絞れないような、どこから吹いてくるか分からない隙間風を感じる妙な感覚でした。これは、ショルティとシカゴSOのコンサートの印象が影響しているからかもしれません。こうして思い出しながら書いていると不安と恥が多い80年代の気分が少しよみがえってきます。インバルの国内盤新譜は1枚3300円でした。

110327  それで、このレヴァインの第5番は、同じ選集の第9番に次ぐくらい、或いは並ぶくらいの、念入りに素晴らしい演奏だと思いました。第9番の時もそうでしたが、例えば模範演技をしながら舞踏の型を一回で弟子に覚えこませるような、美しさと説明的なものを兼ね備えた演奏です。語彙の貧弱で素晴らしさを反映できないのが残念です。今回の第5番は、もう少し溌剌としていてます。この曲は、第2楽章と第3楽章を魅力的に演奏するのは結構難しいのではないかと思っていました。と言うのは、通勤時の車中で聴く際は渋滞込みで概ね60分なので、どかで飛ばすことが多く、つい第2、第3を省略することがあります。どうも第1楽章を丸ごと飛ばして聴き出すというのはやりにくいので。どうでもいいことですが、ブルックナーなら3楽章から聴きだしたりとか抵抗なくやっています。

 さらに、一番有名な(?)第4楽章は、時々サロンミュージック等と揶揄されますが、このレヴァインの演奏では非常に引き締まっていて(当時のレヴァインの体型以上に)前の楽章と違和感がありません。続く第5楽章は前のめりにならず、第1楽章から一貫して続く念入りさが持続しています。この曲は、曲が全部終わったあと、コンクリート打ちっ放しで調度品も一切無い広い部屋に音がこだまするような、妙な喪失感を覚えることがありますが、ここではそうした気分は抑えられます。超廉価盤仕様のこのシリーズは、同時期のレヴァインによるブラームス、シューマンもあるので聴いてみたいところです。レヴァインはボストンSOも辞任してしまい、そうでなくても目立った新譜が無かったのでますます録音で聴く機会が減りそうです。

 「贅沢は敵だ」、「欲しがりません、勝つまでは」というのは太平洋戦争時に掲げられたスローガンです。これが不気味に現実のものとなって来ています。首都圏のコンサート等も中止になっていて、際限が無くなる気がします。震災後しばらした頃、twitterで計画停電のエリアになっている老婦人のことが書かれてありました。「昔はお国のために電灯を消したのだから、いくらでも協力する。今は爆弾までは落ちて来ない。」老人はそう言っていたということで、まさに戦時です。

blogram投票ボタン

24 3月

クレンペラー PO ブルックナー交響曲第7番

ブルックナー 交響曲 第7番 ホ長調(1885年・ノヴァーク版)


オットー=クレンペラー 指揮
フィルハーモニア管弦楽団


(1960年11月1-5日 ロンドン・キングスウェイホール録音 EMI)

 ブルックナーの交響曲第7番は10代の頃、カラヤン・ベルリンPO(羽のような図柄のジャケット)のLPで最初にじっくり聴きました。それからしばらくして、やはり十代の半ばでクレンペラーのレコードを聴き、集め初めてこの曲も聴きました。カラヤン・BPO盤でかなり「ブルックナー = ワーグナーの交響曲版」というイメージで固まっていたので、クレンペラー盤を聴いた時には、その素っ気なさ、乾ききった演奏に驚いた記憶があります。例えるならタンホイザー(ワーグナー作品の主人公)が、ヴェーヌスが居るからと入った店に、代わりにエリーザベトの祖母(オペラ劇中には当然登場しないが)が居たほどの落差がありました。第1、2楽章の美しい弦の旋律が、カラヤンなら香水の匂いでむせ返るくらいに前面に出すのに、クレンペラーは化粧気も無しにさらっと通り過ぎてしまい、強調していません。
 

 このようにカラヤンは改訂版ではなく原典版・ハース版なので、大きくは違わないはずにもかかわらず、聴いた印象が大きく違いました。両者の演奏時間は以下の通りで、あまり大きな差はありません。第7番のハース版とノヴァーク版の違いで目立つところは、第2楽章の終わりでトライアングル、ティンパニが加わるのがノヴァーク版で、それらが入らないのがハース版だとレコードの解説等ではよく紹介されています。
 

クレンペラー・フィルハーモニアO(1960年
①19分49, ②21分49,③9分36, ④13分39 計:65分53

カラヤン・BPO(1975年4月)ハース版
①20分08,②22分04,③9分52,④12分28 計:64分32   

 「クレンペラーとの対話 P.ヘイワーズ編(白水社)」の中に、戦後クレンペラーがベルリンPOに客演してベートーベンの第4交響曲を演奏した際のことが載っていました。ベルリンPOは同じシーズンか、前シーズンの末にカラヤンの指揮で同じ曲を演奏していたので、クレンペラーの演奏を聴いた支配人のシュトレーゼマンが、両者の演奏があらゆる点で全く違っていたとクレンペラーに語ったそうです。両者のブルックナーの7番の録音を聴いた感想も同様で、演奏時間は大きくは異ならないのに、受ける印象は全然違います。この辺りは、クレンペラー自身が言うところの「作曲をする指揮者(マーラー、シュトラウス、クレンペラー)」と、「作曲はしない指揮者(ニキシュ、トスカニーニ、カラヤン)」の違いかもしれません。とは言っても、今聴くと昔程の差には感じられません。
 

 ところで、ブルックナーとシューベルトを並べて評するということがブルックナーの生前から行われていました。ブルックナーの交響曲第4番・1878/80年稿が1881年にウィーンで、ハンス・リヒターの指揮で演奏(この稿での初演に当たる)された時の批評(エードゥアルト・クレムザー 《ファーター・ランド紙》)には、「ブルックナーは我々の時代のシューベルトである」と書かれています。また、ヴィルヘルム・フライは、「創作はブルックナーにとって最も内面的な衝動であり、このことを彼はシューベルトと共有している」、「とはいえ、なかなか止めることができない、という致命的な特性もシューベルトとの共通点である」と批評しています。ブルックナーを聴きき出した10代の頃は、何故シューベルトが出てくるのかピンと来ませんでしたが、ブルックナー演奏の変遷の影響もあってか、今クレンペラー盤の第7番を聴いていると、かなり肯ける話だと思えます。最近になってこの曲についても、このクレンペラーの第7番の録音も魅力を再発見した心地です。


 シャルクやレーヴェによる改訂版、ハースやノヴァーク校訂の原典版、曲によっては存在する初期稿等、これらの違いはやはりブルックナーの作品の捉え方、本来の姿、魅力を取り戻すに際して目標とする「ブルックナー像」の違いからくるのでしょうが、作曲者存命時に指摘されたシューベルトとの関連というのも重要な見解だったのだと少しだけ理解できました。
 

 そういえば、ギュンター・ヴァントも、ブルックナーの全集と同時期にシューベルトの交響曲全集を同じくケルン放送SOと録音していました。また来日公演でのシューベルトも話題になっていました。実はクレンペラーのシューベルト演奏は、あまり評判になりませんが個人的に非常に好きで、今回ブルックナーの第7番を聴いていると、同時期のクレンペラーのシューベルトの録音(第5、8、9番)が思い出されます。10代の頃はクレンペラーのこの録音は物足らない、抑制的過ぎると思えて、クレンペラーのブルックナーの中では聴く頻度は高くありませんでした。
 

 クレンペラーによるブルックナー作品のEMIへの録音は、交響曲第4~9番までで、それらの曲は放送用音源等で他にも出ています。最近、この第7番もウィーン交響楽団とのライブ録音が出てきました。日本語の広告文に「ブルックナーを得意としていた」というフレーズが目にとまりましたが、いつのまに日本でそういう評価が定着したのかと、喜び半分疑問半分でした。クレンペラーのブルックナーは、LPレコードの頃では結構無視されていて、CDの時代になってもどちらかと言えばマーラー指揮者というイメージで通っていました。LPレコードの時代、クレンペラーのブルックナーは第9番だけが1枚2500円のシリーズ(ベスト100か)に含まれ、4~8番は1枚当たり1800円(2枚組は3600円)の「クレンペラーの芸術シリーズ」で再発売されていました。4番と8番は廃盤状態で国内盤では買えず、LP末期に箱入りの輸入盤でようやく手に入ったという状態でした。


 春の彼岸前に墓地へ行き掃除をしている時、被災地では弔いもままならない窮状なのが思い出されました。地震から2週間が経とうとしていますが、そんなに経過したという実感がありません。身元が分からないまま土葬にされるという報道もあり、驚きと悲しみが交錯します。
 

22 3月

チェリビダッケ・ブルックナー第3・第3稿ノヴァーク版

ブルックナー 交響曲 第3番 ニ短調  [第3稿・1888/1889年ノヴァーク版]

セルジウ=チェリビダッケ 指揮

シュツットガルト放送交響楽団(SWR Stuttgart Radio Symphony Orchestra)

(1980年11月24日 シュツットガルト・リーダーハレ 録音 DG)

110323b  現在ブルックナーの交響曲第3番と言えば、この第3稿・ノヴァーク版の演奏頻度が高く(少し前なら第3稿・ハース版を使う指揮者もまだありました)、それだけこの版の完成度が高いと言えるのでしょう。これまで、第1稿、第2稿と聴いてきて、何となく今回の第3稿・ノヴァーク版が一番聴きやすいと感じます。しかし、ブルックナーの交響曲第3番が初演されたのは今回の第3稿ではなく、第2稿(1877年)でした。この第3稿は先日来の交響曲第5番(1878年1月4日完成)よりも後に仕上がっています。さらに交響曲6番(1881年)、第7番(1883年完成)、8番の第1稿(1887年稿)よりも後の完成です。ブルックナーの交響曲で作曲者の生前に決定的な成功を見たのは第7番だったので、それらの経験と自信を踏まえて改訂をすすめた作品と考えられます。第2稿・ノヴァーク版と比べて、下記のよう1、2楽章の表記が異なります。特に2楽章がアンダンテからアダージョになっています。

 第2稿・ノヴァーク版(ギーレン盤)は次の通り。~ 第1楽章:Gemassigt, mehr bewegt, misterioso、第2楽章:Andante - Bewegt, feierlich, quasi Adagio

 第3稿・ノヴァーク版(今回のCD)

1楽章:Mehr langsam, misterioso
2楽章:Adagio, bewegt, quasi Andante
3楽章:Scherzo: Ziemlich schnell
4楽章:Finale: Allegro

110323a  これはチェリビダッケのミュンヘン時代よりも前の録音集からの1枚です。ドイツ・グラモフォンからまとめて出されていました。90年代の日本公演や、EMIから出ていたライブ録音とは少々印象が違って、後年程の遅いテンポではありません。交響曲第8番のミュンヘンPOとの演奏もそうでしたが、あれだけ並はずれてゆっくりしたテンポなのに、スケルツォ楽章だけは他の指揮者並みか、やや速めのテンポで演奏しています。また余談ながら、チェリビダッケの声(かなり大きく)が多数入っています。1楽章は特に目立ち、オーケストラへ大きな音を要求する前、そのまま大きい音を持続させる所等は、協奏曲とまではいかないまでも、はっきり聴き取れます。そうした唸り声、掛け声とは別に、第2楽章の美しさは格別でした。

①23分40,②17分12,③6分56,④13分26 計:61分14

 元々レコードを作ることを否定、拒否していたチェリビダッケは録音自体が少なく、独自の基準からマーラーの録音は見たことはありませんが(演奏したことがあるかは未確認)、代わりにブルックナーは同じ曲に複数のライブ録音が出ています。ブルックナーに対しても独自の理論があるようです。個人的には、そうした理論はよく分かりませんが、今回のCDでも部分的、断片的に非常に魅力を感じられることがあります。余人が真似できない(しない)テンポ等、分からないなりに無視できないブルックナー指揮者だと思えます。

 ちなみにブルックナー指揮者として定評のあるオイゲン=ヨッフムとギュンター=ヴァントの代表的な録音の演奏時間を以下に列記しました。いずれもこのCDと同じ第3稿・1888年/1889年ノヴァーク版です。今回のチェリビダッケの演奏は6分以上遅くなっています。

ヨッフム・バイエルン放送SO(1967年8月1日)
①19分59,②15分12,③07分14,④10分36 計:53分01
ヨッフム・ドレスデン国立O(1977年1月22-27日)
①20分31,②15分27,③07分30,④10分56 計:54分24 

 ヨッフムは第4楽章が短く、ヴァントは第2楽章が短くそれぞれチェリビダッケと対照的です。一方第3楽章・スケルツォはチェリビダッケが特に目立ってはいません。

ヴァント・ケルン放送SO(1981年1月17日) 
①21分25,②13分42,③06分41,④12分37 計:55分05
ヴァント・北ドイツ放送SO(1992年1月12-14日) 
①20分55,②13分10,③06分44,④12分43 計:53分52

110323_2  交響曲第3番には、ブルックナーの弟子であったシャルク兄弟と作曲者による1890年・改訂版(シャルク改訂版)というのもあります。クナッパーツブッシュの録音で有名すが今では演奏される機会は激減して悪名のみが残っている(とまで言えば言い過ぎか)版です。これを第3稿と表記することもあるようでつくづく複雑です。まるでバージョンアップを繰り返すPCのソフトのようです。ブルクナーの「版」の問題は、最初は「原典版を取り戻す」ということが目的だったと言えますが、それがどんどん複雑になり、作曲者の本当の意思、作品の原初の姿等を追求する視点も加わっています。先日の交響曲第5番でもとりあげたクルト=アイヒホルンは、版に対して独特の姿勢(純粋に音楽的に、と評されていた)で臨み録音していました。第3番は録音できずに終わりましたが、第3番はどの版を選ぶ予定だったのか気になります。

 チェリビダッケのついでに、「ライブ録音とセッション録音がどちらが良いか」ということをちょっと思いました。ライブ録音という表記があっても、ある公演時の演奏をそのまま収録している場合、複数回の公演とリハーサルから選んで編集している場合もあります。一番の違いは、客席に多数の人間が居るかどうかで、その点での心理的な影響もあると思います。当然個人差があるはずですが、例えば傍若無人のエピソードが多いクレンペラーも、ピアニスト志望の若い頃は手に汗をかくほどの上がり症で、コンクールでは十分演奏できなかったと述懐していました。

 チェリビダッケがかつてレコード・録音に対して述べた否定的な見解を逆手に取れば、一発録りのライブ録音はその会場の聴衆のために演奏されたもので、それを予定外で発売されたCDで聴くのは、招かれてもいないのに盗み聴くのに似ているとも言えます。実際はライブであれ、セッションであれ、何でも聴いていますが、どうせならチェリビダッケもセッション録音でブルックナー全集くらい残してくれれば良かったのにという残念な気持ちからそんな不平も湧いてきます。今現在の感じるところでは、CDで聴くなら録音のために演奏している念入りなセッション録音の方が良いように思えます。

blogram投票ボタン

20 3月

ブルックナー 第5番 アイヒホルン リンツ・ブルックナー管

 先日お昼に四条河原町(京都市)あたりを歩いていると、高校生か大学生らしき若者が交差点の3つの角で募金をしていました。募金箱の中には普段とは違い紙幣が圧倒的に多く、焼け石に水のように思えても素通りできないのは皆同じでした。中には3カ所全部で立ち止まっている人もいました。そろそろテレビ、ラジオの番組も通常のものが徐々に戻ってきています。今日のN響アワーではブルックナーの第7番がプログラムになっていました。

ブルックナー 交響曲 第5番 変ロ長調(1878年ノヴァーク版)

クルト=アイヒホルン 指揮 リンツ・ブルックナー管弦楽団

(1993年6月29日~7月3日 リンツ・ブルックナーハウス録音 カメラータ)

1楽章.Introduction;Adagio-Allegro
2楽章.Adajio;Sehr langsam
3楽章.Scherzo;Molto vivace(Schnell) -Trio;Im gleichen tempo
4楽章.Finale;Adagio-Allegro moderato

110320a_2  これはアイヒホルンが最晩年に録音したブルックナーチクルスからの1枚で、カメラータ東京から出ていました。当然全曲録音を目指していましたが、1、3、4、0番は録音できずに終わりました。第9番では補筆完成した第4楽章付で、第2番では当時未出版だった第1稿をさらに2種(試演時の1872年稿,初演時の1873年)に分けて録音する等こだわりぶりでも注目されました。このシリーズでは発売当時は、第7番と第6番が特に素晴らしいと思って愛聴していました。それに比べて8番とこの5番は、何となく締りがないと感じられて聴く頻度はかなり低くなっていました。90年代に、アイヒホルンのブルックナー第5番ならばカプリッチョから出ていたバイエルン放送SOとのライブ盤の方が素晴らしいという意見もありました。今そのCDは手元に無く具体的にどんな演奏だったかは覚えていませんが、当時はその通りだと思ったのは覚えています。それが今年になって、このリンツ・ブルックナー管との5番を久々に聴くとかなり感動的に響き、アイヒホルンのブルックナーは単に老人が振る枯れた演奏ではないと思えました。

 第1楽章は90年代前半にはじめて聴いた印象とかぶる面もありますが、自然体の音楽です。特に印象的なのが第3楽章と第4楽章でした。3楽章・スケルツォで、かなりテンポが変化していて聴いていてとても溌剌とした音楽になっています。4楽章は隅々まで入念に演奏されていて本当に美しい曲を堪能できます。第4楽章でこうしたテンポをとっていることも納得させられます。柔軟さと精緻さが両立している、と言えばあまりにご都合主義な説明かもしれませんが、前回までのヨッフムとヴァントの美点を兼備しているとさえ思えました。この交響曲第5番について、「祈り」という言葉が最もふさわしい演奏かもしれません。

①20分42,②17分38,③14分41,④27分39 計:80分59

110320b  このCDのトラックタイムは上記の通りです。CD2枚組になっています。第5番ではハース版とノヴァーク版の違いはほとんど無いということなので(スコアを持っているわけではないけれど)、先日のヴァントとケルン放送SO(ハース版)等、ヨッフムとRCO(ノヴァーク版)と比べてもやや遅いテンポです。ちなみにヴァントとヨッフムの各楽章ごとの演奏時間は以下の通りです。どんな演奏だったかを言葉で現すのは難しく、苦手なのでこうしたトラックタイムはその補助です。それで、先日のヴァント・ケルン放送SOの回に、同じくヴァントのブルックナー第5番・ベルリン放送SOとのライブ録音の演奏時間を載せましたが、終楽章は演奏後の拍手も入っていたので、演奏時間そのものはもっと短いはずです。

ヴァント・ケルン放送SO(1974年)
①20分10,②15分49,③14分13,④24分08 計:74分20

ヨッフム・RCO(1964年)
①20分54,②18分55,③12分41,④23分04 計:75分34

110320c_2  アイヒホルンは、例えばチェリビダッケのようなに、常に特別にゆっくりしたテンポと決まっているわけではなく、同じシリーズの第8番はCD1枚に収まる演奏時間です。レコ芸の別冊「月評特選盤1980-2010 交響曲編 下巻 1993-2010年」によると、1993年~2010年の期間でアイヒホルンのCDは、今回のブルックナー第5番、第9番が特選になっています。ということは版の問題で画期的だった第2番や、最初に書いた個人的愛聴盤の第6、第7番は、二人の評者が揃って「推薦」とした特選にはならなかったことが分かります。このCDに対する平野昭氏の批評の中に次のような記述がありました。「彼ら(アイヒホルンとリンツ・ブルックナー管)ほどに『版問題』を音楽的に捉えているブルックナー演奏家はいないのではないだろうか。つまり、彼らの解釈は音楽優先であり、ブルックナー音楽の最も自然で最も美しい演奏を目指すという目的にしぼられているように思われる。~ブルックナーの音楽観に即した演奏をこそ希求しているのだろう。」特に「最も自然で」という点に肯かされます。

 ちなみに、上記の1993年~2010年の期間のレコ芸月評の交響曲部部門での特選盤集計を見ると、朝比奈隆のブルックナーが16種類、ギュンター・ヴァントのブルックナーも16種類(他の作曲家とのカップリング含む)、それぞれ特選盤になっています。スター不在とかいろいろ言われた期間の、日本での嗜好(供給側、購入側ともに)の傾向がうかがわれます。ブルックナーの新譜が増えた時期にあっても、このアイホルンのブルックナー第5番は今でも輝きを失っていないと思います。それにしても、1993-2010年のブルックナー交響曲の特選盤は上記の朝比奈とヴァントを除くと26(アイヒホルンはその内2点)種なので、朝比奈とヴァントの数が突出(半数を超えているのでは)しています。

blogram投票ボタン

19 3月

ブラームス交響曲第2番 ギーレン 南西ドイツ放送SO

ブラームス 交響曲 第2番ニ長調Op.73

ミヒャエル・ギーレン 指揮

 南西ドイツ放送交響楽団(SWR Sinfonieorchester Baden-Baden und Freiburg

(2005年5月25-31日フライブルク、コンツェルトハウス 録音)

 このところ何度か取り上げたブルックナーの交響曲第3番(第2稿)の初演は大失敗に終わりました。同じ頃にブラームスの交響曲第2番の初演がウィーンで行われ、こちらは絶賛だったということです。今ではどちらの作品も広く価値が認められているので、初演の状況だけを聞けば「差別じゃないか」と一瞬思ってしまいます。実際はブルックナーの初演が、当日最初に他の作曲家の作品を何曲か演奏していて、ちょうど聴衆がそろそろ帰りたくなる時間に当時としては長大なブルックナーの作品が演奏されたという点、指揮をしたブルックナーがあまり上手くなかった点等良くない条件が重なっていました。それと、当時のウィーンの音楽界の趨勢というか、趣味も反映しているのでしょう。実際ブラームスの第2番はウィーン初演の翌年に、ライプティヒで演奏された時は不評だったと解説に書いてありました。

 ブラームスの4曲ある交響曲の中では第1番の人気が抜きん出ているようです。完成までに20年以上を要した第1番とは対照的に、この第2番は約4ヶ月で完成しています。第1番が、ベートーベンの第九に続く「第十」交響曲と称されるのに対して、第2番はブラームスの田園交響曲とも呼ばれます(レコードの解説には必ずと言っていいほど注記されて、改めて書くのも芸がないですが、無視はできない呼び名です)。このように常にベートーベンと並び称されるのは、作曲家として高い評価の証ですが反面独自性という点ではちょっとどうかと思えます。そう考えるとブルックナー、マーラーの作品には初演時に十分理解されず失敗だったものがあっても、それだけ革新的、個性が強かったと考えられ、一つの勲章とも受け取れます。

 ギーレンは現役の指揮者の中でかなり好きで、知らない録音が出てくれば非常に気になります。このCDもかなり気に入っています。ただ、曲がここ数年の気分の周期としてあまり聴く気にならなかったので、とり出す頻度は低い方でした。

①14分53,②9分15,③5分25,④9分36 計:39分30

 このギーレン盤の演奏時間・トラックタイムは上記の通りです。先日のブルックナー交響曲第3番(第2稿・ノヴァーク版)の演奏と同様、淡白な表現で、この曲としては速い部類だと思います。ちなみに、ジュリーニ・ロスPO(1980年11月録音・DG)の演奏時間と比べると10分近くも短くなっています。第1楽章の差が8分近くあり、これは第1楽章主題提示部のリピート有無の差でしょうか。他の楽章は少しずつギーレンが速くなっています。ただ、比較ではなくこのギーレン盤を聴いていると、速すぎるとかそういった違和感は感じられません。1980年代のベートーベンの録音時とはどことなく印象が違います(よくも悪くも)。

 ジュリーニのブラームスと言えば、80年代末から91年にかけてのウィーンPOとの全曲録音(1991年4月)が評判で、60年代にPOとも全曲録音しています。

ジュリーニ・ロスPO(1980年)
①22分31,②10分41,③5分41,④09分45 計:48分38

ジュリーニ・ウィーンPO(1991年)
①18分00,②12分20,③6分02,④11分05 計:47分27

  ジュリーニの古い60年代の録音は記憶にありませんがロスPOとウィーンPOの、各楽章ごとの演奏時間は上記の通りです。ウィーンPOとの方がゆっくりだと思い込んでいましたが、数字で見るとそうではありません。

110319  ブラームスの交響曲に関して、個人的に思い出があります。十五年以上前に同じ業界の、仮に探偵業として、先輩が事務所を移転した際に何人かでお祝いを持って新事務所を訪問しました。その時に、本棚にバーンスタインとウィーンフィルのブラームス交響曲全集のCDが武満徹と混じって並んでいました。内心クレンペラーではないなあと残念に思っていましたが、とにかく都心部の良い場所に広い事務所をと感心しました。拡張移転時にあったCDなので縁起が良いと思い、その後私もブラームス全曲を置いておこうと思い、同じDG、ウィーンPOでジュリーニのCDを探しました。確かに評判通り美しい響きだと思いつつも、何となくしっくりこない、なじめない気がしていました。そういうことも忘れている内に今回のギーレン盤が出てきて非常に満足しています。

 ブラームスの交響曲第2番といえば、20年以上前にNHK教育TVで放送された、BBC制作の音楽史の番組でカール・ベームが指揮するモノクロ映像が紹介されて、第4楽章の終わりの部分でしたが、非常に白熱していて後のステレオ録音よりもずっと魅力的に思えました。そのごく短い映像の記憶がこの曲のイメージとして刷り込まれて、なかなか呪縛が解けませんでした。それもこのギーレン盤で完全に消えてしまいました。ただ、件のベームのモノクロ映像と音源は何だったのかと、ちょっと気になります。

blogram投票ボタン

15 3月

ブルックナー第3番・第2稿・スケルツオコーダ有 ギーレン盤

 災害の報道に接するにつけ、非常に気が重くなり、何事をするのも億劫になってきますが、被災地ではないのにそんなことは言っていられないと思いなおしています。今日は確定申告の締め切りでした。被災地では当然のことながら、期限を延長する等の特例措置がとられるようで、何とか前へ進もうとしている動きに心を合わせるばかりです。年度末のためか、震災と何らかの影響があるのか関東等遠隔地のナンバーの車が増えています。昨夜の帰途、前を走っているプリウスが札幌ナンバーでちょっと驚きました。車間距離といい、速度といい絶妙に快適な運転だったので印象に残ります。あるいは悠々自適生活で、あちこちを旅行されている方かもしれません。そう思っていると今朝は尾張小牧、品川、福岡ナンバーを見ました。

ブルックナー 交響曲 第3番ニ短調「ワーグナー」

1877年第2稿ノヴァーク*スケルツオのコーダ有)

ミヒャエル=ギーレン 指揮

南西ドイツ放送交響楽団(SWR Sinfonieorchester Baden-Baden und Freiburg

(1999年5月3-5日 バーデン・バーデン、フェストシュピールハウス 録音 Hanssler )

1103a  今年に入ってブルックナー・交響曲第3番の1873年・第1稿を、シモーネ・ヤングとハンブルクPOマルクス・ボッシュとアーヘンSOと2度取り上げました。しかし、交響曲第3番は初演されたのは第1稿ではなく、1877年・第2稿でした。今回の第2稿・ノヴァーク版はその時の状態をもとにして第3楽章スケルツォにコーダを付加したものです。第2稿でもエーザー版はそのコーダを加えていないものです。前回のマルクス・ボッシュ盤(第3番・第1稿)の回にこの曲の改訂をちょっと整理しましたように、第3番で通常演奏されるのは1889年.第3稿ノヴァーク版です。ちなみに初演はいろいろ悪条件が重なったこともあり、大失敗でした。演奏が終わる時には大半の客が退席してしまいました。残った少数の中に若きマーラーも居たそうです。

①18分29,②15分43,③6分55,④14分08 計:55分30

 この演奏のトラックタイムは上記の通りです。第3番の第2稿の録音は少ないですが、これはかなりあっさりとした、いわゆる「いかにもブルックナーらしいな」という演奏ではありません。ちなみに朝比奈隆(世界初録音だったらしい)、ショルティによるこの稿の演奏時間、トラックタイムは以下の通りです。

朝比奈隆・大阪PO(1984年7月26日)
①20分28,②15分32,③7分52,④17分20 計:61分12

 今回のギーレン盤と比べると、第2楽章だけが朝比奈が少し短い・速いだけで、他は全般的に朝比奈が遅いという結果です。

ショルティ・CSO(1992年11月16-17日)
①21分49,②16分39,③7:00,④13:57 計:59:33

 ショルティは第4楽章だけがギーレン盤よりも速いという結果ですが、全曲ではギーレンが最も短い・速いという演奏時間です。実は、朝比奈、ショルティともじっくり聴いてはいないのでどういう演奏だったか記憶に残っていません。さらに、第2稿で演奏、録音していたという自覚もありませんでした(汗)。今回、第1稿のCDを聴いてブログにUPする機会にチェックして気が付きました。また、通常の第3稿でもこの曲はあまり聴いたことがなかったので、なおさら気が付きませんでした。第2稿ノヴァーク版による録音でメジャーどころでは、聴いたことはありませんがハイティンクとウィーンPO(1988年・旧フィリップス)がありました。

1103b  ブルックナーの交響曲第3番を通常の第3稿ではなく、敢えて第2稿で演奏するといのは何か理由があるのでしょうが、ギーレンの場合は特に気になります。ギーレンの他の作曲家の作品の録音を聴いていると、ブルックナーでもこうだろうと何となく想像できます。ただ、一時期出たベートベンでもそうでしたが、速いテンポなのに決して矮小な印象を与えず、ベートーベンらしいと感じさせるもので、曲に対する独特の見通しです。この曲でも似た印象で、独特の清澄(?)な響きです。

 ブルックナーかマーラーか、どちらかのスペシャリスト的になる指揮者も居る中で、ギーレンはどちらも独自の表現で演奏しています。この辺もクレンペラーと同様です。ギーレンの90年代後半以降の録音は、個人的に苦しい時期に夕方、大阪市内の大型店で購入し、帰りにCDウオークマンで聴いたという思いでがあり、あまり楽でもない今もしみじみと思い出されます。

blogram投票ボタン

13 3月

バッハ 無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ クイケン新盤

J.S.バッハ 無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ全曲 BWV1001~1006

シギスヴァルト=クイケン:ヴァイオリン

ヴァイオリン:ジョヴァンニ・グランチーノ~1700年頃ミラノ

弓:作者不詳~18世紀初頭

(1999年12月20-23日,2000年2月28日-3月3日 イタリア・シエナ,キジアーナ音楽院 録音 Ariola Japan )

 11日の金曜日午後、京都市内でも小さいながら珍しい横に長くゆれる地震を体感しましたが、それがかくも残酷な災害になっているとは想像もできませんでした。ニュース番組の映像を見て、頭ではそれが今回の地震災害のものだと分かっても、それを現実として認識するのを拒否するような奇妙な分裂感におそわれていました。徐々に明白になっていく地震、津波による被害状況のあまりのひどさへの、恐怖と心痛で言葉もありませんでした。何とも表現のしようがありません。被災地の皆様方には、心よりお見舞い申し上げます。

 最悪の上に最悪が追い打ちをかける状況にあって、唯一希望が持てる出来事は隣国や世界各国から助力の申し出があり、続々と到着していることです。かつては無理に支配したり交戦した国からも救援隊が馳せ参じています。年月を経て、敵意という中垣を取り除いてきたことを実感させられます。奇しくも3月は太平洋戦末期、昭和20年には都市のダウンタウン、住宅密集地への無差別爆撃が行われた時期です。

110314  バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータは、ヴァイオリンの独奏曲として有名で、ソナタとパルティータが各1~3番まであり全6セットという構成です。古楽器アンサンブル、ラ・プティットバンドのリーダーとしても活躍しているシギスバルト・クイケンは、今回のCDの約18年前に録音しています。土曜日に職場事務所で、その旧録音をBGMにしようとしてひっぱり出したところ、自分の記憶違いで見つかったのが新録音の方でした(確か旧盤を持っていたと思ったのに)。土曜日は原則来客も電話もないので、BGMとして最初マーラーの第2番を小音量で流しましたが、原光とかの部を基準にすれば他のところで音が大き過ぎ、神経に触るのでやめました。

ソナタ第1番ト短調 BWV1001、パルティータ第1番 ロ短調 BWV1002

ソナタ第2番イ短調 BWV1003、パルティータ第2番 ニ短調 BWV1004

ソナタ第3番ハ長調 BWV1005、パルティータ第3番ホ長調 BWV1006

 ソナタは各曲4つの楽章を持ち、パルティータは4~6つの楽章です。中でもパルティータ第2番の5楽章シャコンヌが特に有名です。

  クイケンの新録音は、磯山雅教授の「バッハ=魂のエヴァンゲリスト」の中で、文庫版発刊に際して加筆されたところで、次のように賞賛されています。「 クイケン以前の誰が、『シャコンヌ』はなるほどシャコンヌだ、とわかるように弾いていたであろうか。クイケンは、バスに主題があることを一貫して明示し、複雑な音の構成をクリアに弾きあらわすことによって、6つの名曲を、真のバッハ的ポリフォニーとして再現している。その品格は、コンクールで優勝する名手が学んでくる『シャコンヌ』奏法とは、別の次元にある。」

 旧録音はそれほど評判にはなっていなかったはずで、上記の著作が最初に出版された時に掲載されたかどうかは不詳です。そうしたことはさて置き、単純な感想ながら、とても神経が休まる音楽でした。帰りの車の中も含めて、この曲とグレゴリオ聖歌の復活節(第3~6主日)を聴いていました。

9 3月

ブルックナー 交響曲第5番 ヴァント ケルン放送SO

ブルックナー 交響曲 第5番 変ロ長調(1878年ハース版)

ギュンター=ヴァント 指揮 ケルン放送交響楽団

(1974年7月7日 録音 RCA)

110310b  このブルックナーの交響曲第5番の録音は、ギュンター・ヴァントの特徴がよく現れていて、潔癖な、という言葉を思い起こさせる音響が印象的です。特に第1楽章のティンパニ、金管の強奏が特徴的で目立っています。まるで古い建造物の積年の垢を洗い流したような鮮烈さです。下記の演奏時間、トラックタイム一覧にあるように、第1楽章が5種類の録音中で一番速い、短いという結果(トータルでは一番短いわけではないにもかかわらず)です。リマスターや、録音会場等の影響もあるかもしれませんが、ちょっと力が入りすぎているとさえ感じられます。ヴァントのブルックナーのCDに付属する解説文には、ブルックナーの交響曲をオルガンや大聖堂と関連付けて理解することを否定して、演奏会はミサ等の代用ではない、というヴァントの基本方針が紹介されています。ケルン放送交響楽団との演奏を聴いていると、その解説が本当だと実感させられます。自身が奏でているオーケストラの音に、少しでもブルックナー自体以外の何かが絡み付いて来るのを拒んで、振り落とすような姿を連想させられます。

 ギュンター=ヴァントがケルン放送交響楽団を指揮して完成させた唯一のブルックナー交響曲全集の第一弾がこの第5番でした。解説によると、放送用としてセッション録音された音源がドイツ・ハルモニアムンディから発売されて絶賛されたので、全曲を録音することになったということでした。日本のFMでも何曲かは放送されていたはずで、私も第8番を日曜の昼間か朝、布団の中で聴いた覚えがあります。それで翌日学校で同級生がえらくほめていて、これからはブルックナーはヴァントだと言って第2楽章の旋律を口ずさんでいました。オイゲン=ヨッフムより10年若いヴァントは1912年生まれなので、この録音の年は62歳でした。

110310a  ヴァントはその後、ハンブルクの北ドイツ放送交響楽団の首席になり、1989年に同オケと第5番を再録音しています。残念ながらそれは手元になく、現在廃盤状態のようです。その他に第5番の正式録音としては、1996年のベルリンPOとのものがあり、さらに1995年のミュンヘンPOとのライブ録音、1991年のベルリン・ドイツSOとのライブ録音が出ています。それらの演奏時間を列記すると以下の通りです( HMVのHPに掲載されている記事をですが、手元にあるCDを見る限りと同じ時間です )。一番古い今回のケルン放送交響楽団との録音は、第1楽章が僅差ながら一番速い、短いという特徴はありますが、全般的には最晩年のミュンヘンPOと近似しています。一番評判の良いベルリンPOとの演奏が一番長い、遅いという結果でした。昨年登場したベルリン・ドイツSOのライブもそれに近い時間、配分です。ただ、一番古い1974年の録音と、1996年のベルリンPOとでは演奏時間では大きな差はありませんが、評判には相当開きがあります。

ケルン放送SO(1974年)
①20分10,②15分49,③14分13,④24分08 計:74分20

北ドイツ放送SO(1989年) ~最短
①20分27,②15分43,③13分45,④23分39 計:73分29

ベルリン・ドイツSO(1991年)
①21分31,②15分47,③14分12,④25分17 計:76分51

ミュンヘンPO(1995年)
①20分49,②15分34,③13分59,④24分13 計:74分35

ベルリンPO(1996年) ~最長
①21分31,②16分26,③14分20,④24分57 計:77分14

 上記の録音の中で、北ドイツ放送SOは手元に無く、ベルリンPOのは部分的に聴いただけで実質未聴状態のままです。突如この第5番の魅力に特別に取りつかれたような感覚なので、ベルリンPOとの録音は今後じっくり聴いてみたいと思います。ちなみに、先日とりあげた、これもブルックナー指揮者として定評のあったオイゲン=ヨッフムの代表的な録音をコピーペーストで列記すると以下の通りです。

バイエルン放送SO(1958年)
①20分48,②19分18,③12分30,④23分59 計:76分52

RCO(1964年)
①20分54,②18分55,③12分41,④23分04 計:75分34

ドレスデン国立O(1980年)
①21分26,②19分16,③13分04,④23分42 計:77分30

 トータルの演奏時間では徹底的に異なるという程ではなく、何種かの録音は同じくらいになっています。しかし、聴いた印象は石造りの建物と木造の家くらいの違いを感じます。感じ方に個人差はあると思いますが、人間の感覚の不思議なところです。

blogram投票ボタン

7 3月

マーラー 交響曲第9番 ギーレン 南西ドイツ放送SO

マーラー  交響曲 第9番 ニ長調

ミヒャエル=ギーレン 指揮 南西ドイツ放送交響楽団
 
(2003年6月30日~7月4日 フライブルク、コンツェルトハウス 録音 Hanssler Swr Music)

110307a  このマーラー交響曲第9番は、ギーレンのマーラー交響曲全集の中に、先日の交響曲第10番~アダージョと併せてCD2枚で収められています。10番を取り上げた日は、この第9番を取り上げるつもりで最初から聴いていましたが、久々に聴いたギーレンによる10番~アダージョのインパクトが強くて、そちらを先にしてしまいました。ギーレンのマーラー全集からは、昨年5月の第6番先月の第10番~アダージョに続いて3曲目です。もっと取り上げていたと思っていましたがこれだけでした。個人的に、ギーレンは好きな指揮者で、マーラーの交響曲全集(厳密には大地の歌が欠けている)を録音している指揮者の中で御三家的存在です。このところ、レヴァインとかラトルも大きな存在になってきて、御三卿(勝手に思っているだけ)の設定が迫られています。

 ギーレンやブーレーズといったところの演奏は、何故か生理的に好感が(理解度は別にして)湧いてきます。ギーレンは一部の録音がEMIから出たことがあるくらいで、ユニバーサル系のレーベルからは録音が出ていません。マイナーということはありませんが、独特のポjションです。この辺は同じく作曲家でもあるブーレーズとは違います。マーラー演奏の場合は、ブーレーズよりもどこか屈折したようでもある(これは偏見か?)ギーレンの方により魅力を感じます。ブーレーズは、例えば第6番の場合、第1楽章でアルマの主題が登場する前後等100メートル向こうからアルマが歩いて来るのが見えるかのような、明瞭過ぎておもしろくないような印象を受けてしまいます。

             110307b

 ギーレンはマーラーの交響曲第8番、第9番はこの全集の前に単独で録音していました。9番の旧録音は聴いたことはありませんが、8番「千人の交響曲」の方は80年代前半の録音でCD1枚に収まる素っ気ないとも思える独特の演奏でした。今回の再録音、第9番はそれ程乾ききった印象は受けません。90年代半ば頃から特にCDでの人気も上昇したようです。この演奏・CDのトラックタイムは以下の通りです。

①29分01,②17分46,③14分35,④22:23 計:83分45

 マーラーの第9番のCDで、このCDの演奏時間と比較的類似する演奏のトラックタイムを列挙すると以下の通りです。と言っても、レヴァインやバーンスタインのRCOは別にして、全般的にこれくらいの時間かもしれません。

バーンスタイン・BPO~1979年
①27分37,②15分54,③12分05,④26分11 計:81分47

カラヤン・BPO~1982年
①28分09,②16分37,③12分47,④26分31 計:84分04

カラヤン・BPO~1979年
①29分11,②16分47,③13分16,④26分44 計:85分58

クレンペラー・NewPO~1967年
①28分13,②18分43,③15分21,④24分17 計:86分33

110307c  上記の4つの録音では、カラヤン(1982年)の新盤が演奏時間で近似することになりますが、聴いていると似た演奏だとは思えません。ギーレンの演奏は第2、3楽章の演奏時間が長く、扱いが特徴的です。カラヤンの録音は、第1楽章の演奏時間がギーレンと同じくらいか長いのに、第2、第3楽章がギーレンよりも短いという特徴です。ギーレンはむしろ、クレンペラーと似た解釈のように感じられます。全体の演奏時間に対する各楽章の時間のバランスが似ています(正確にどうなっているかは分かりませんが)。それでいて、クレンペラー程はゴツゴツとした印象ではなく洗練されて美しい演奏になっています。ギーレンもクレンペラーもそうですがクラシックの名演奏家の中にはユダヤ系の人が多く、ギーレンの演奏の特徴についてもっと若い頃にユダヤ系らしい特質が見られるという批評があったそうで、驚きました。私はギーレンはユダヤ系とは知らず、また気が付いていなかったので、まだまだ鈍いと思いました。でもギーレンはユダヤ系のわりに、演奏旅行やポストが地味です。

 ギーレンは1927年生まれで、今年84歳になります。ハイティンク、ドホナーニの2歳上、ブーレーズの2歳下、ブロムシュテットと同じ年の生まれで、この世代の大御所には今年も無理をしない程度に活躍していただき、米寿白寿を迎えられることを祈念します。

blogram投票ボタン

5 3月

巡礼の歌 つのだたかし アンサンブル・エクレジア

巡礼の歌アンサンブル・エクレジア

110304a_3 波多野睦美:メゾソプラノ(①~④,⑨,⑪,⑬)、鈴木美紀子:ソプラノ(①,⑦)、冨山瑞江:ソプラノ(①~④)、及川豊:テノール(②~④)、松田美緒:ヴォーカル(③)、永潟三貴生:ヴォーカル(⑤,⑩,⑪)

早島万紀子:ポジティヴオルガン(⑥,⑩,⑫,⑬)、つのだたかし:リュート他(③,⑤~⑩)、田崎瑞博:フィルド他(③,④)、近藤郁夫:パーカッション他(③,⑥~⑨,⑪)、福沢宏:ヴィオラ・ダ・ガンバ(⑥,⑧)

①おお、輝くおとめ(モンセラートの朱い本・1370年頃)

②母なるおとめを(モンセラートの朱い本・1370年頃)

③マリア様によく仕える者は(サンタマリア頌歌集13C)

④聖なるマリアよ 暁の星よ(サンタマリア頌歌集13C)

⑤ドン・ガイフェロスのロマンセ(サンティアゴ巡礼の歌.13C伝)

⑥われらの巡礼の道(サンティアゴ巡礼の歌1784年)

⑦私たちがフランスを出発したとき(サンティアゴ巡礼の歌1718年)

⑧ガリシアのフォリア(サンティアゴ・デ・ムルシア)

⑨天で幸福に生きるために(サンティアゴ巡礼の歌1718年)

⑩鐘が鳴り響く(A.ムリニエ)

⑪いっぱい踊った(サンティアゴ巡礼の歌)

⑫「騎士の歌」による変奏曲(A.カペソン)

⑬鳥の歌・カタルーニャ民謡(編曲・早島万紀子)

(2009年1月26-28日 千葉県、美浜文化ホール 録音 女子パウロ会)

110304b  これは、日本人のバロック、古楽を専門とする声楽、器楽の演奏家、フラメンコやファドといったスペイン、ポルトガル語の音楽のヴォーカリストが集まって、スペインの巡礼地に係る音楽を録音したアルバムです。メゾソプラノの波多野睦美はBCJとも共演しているお馴染みの歌手で、テノールの及川豊はヴォーカル・アンサンブル カペラのメンバーであり、また聖グレゴリオの家聖歌隊の選抜「ファヴォリート」のメンバーでもあります。つのだたかしは、つのだ☆たかしの兄で、ルネサンス、バッロク期のリュート奏者です。また1990年結成の器楽声楽アンサンブルであるアンサンブル・エクレジアの中心メンバーです。

110304c_2  このアルバムは、古楽奏者だけではなくリスボンでファドを学び修得した松田美緒、ロックやブルースからフラメンコギター、フラメンコのカンテ(歌)に進んだという永潟貴生が参加しているのが特徴です。黒い聖母像で有名なバルセロナ郊外のモンセラート修道院と、十二使徒の一人聖ヤコブの墓が発見されて大聖堂が建立されたサンティアゴ・デ・コンポステラというスペインの巡礼地にまつわる音楽を集めています。400年以上の期間に歌われてきた曲があり、時間的地理的な旅情がかきたてられます。

 モンセラートの朱い本と呼ばれる手書き写本に、巡礼者たちのための歌が10曲残っています。このCDでは、その中のラテン語の歌2曲が入っています。波多野睦美の歌唱が⑨曲目と並んで際立っています。

 サンティアゴ・デ・コンポステラはローマ、エルサレムと並ぶ3大巡礼地で、世界遺産絡みでも映像で紹介されることがあります。大聖堂の天上からつるされた巨大な香炉が目を引きます。このCDでは、その巡礼に関係する音楽を集めています。ルネサンス期の宗教音楽とはちょっと違って、奔放で土俗的な音楽です。私は旅行と言えば、目的地へ着くまでの時間が楽しいというタチで、フランスのヴェズレーからピレネーを越えて、スペイン北西部のサンティアゴ・デ・コンポステラまでの巡礼道には魅力を感じます。檀ふみがその行程(全部かどうかは不詳)を歩いた写真本が出ていました。

 アンサンブル・エクレジアのアルバムは他にも出ているようで、ヨーロッパの古い時代の日常生活の場面の一旦を、既存の録音とは違った方向からうかがい知ることができる企画です。

blogram投票ボタン

3 3月

ヨッフム ブルックナー第5番 オットーボイレンのライブ録音

ブルックナー 交響曲第5番 変ロ長調

オイゲン=ヨッフム 指揮
王立アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

1964年5月30-31日 独・オットーボイレン修道院 録音 旧PHILIPS

 これはブルックナーの交響曲第5番の定評ある録音で、何度も再発売されていました。ドイツのミュンヘンの南西方約100キロにある小さな町オットーボイレンの修道院の聖堂で録音されています。18世紀半ばに完成したこの聖堂はドイツのロココ様式の聖堂として有名で、ブルックナーの作品をはじめ度々演奏、録音の会場になっています。ヨッフムは他の曲同様に1878年ノヴァーク版(1951年出版)で演奏しています。

 ブルックナー指揮者としてはやくから定評のあったオイゲン・ヨッフムは、この曲を、1958年にバイエルン放送交響楽団と、1980年にドレスデン・シュターツカペレとそれぞれブルックナーの交響曲全集の一環として録音しています。他に戦前の録音でハンブルクで録音したものもあります。戦後の録音のトラックタイムは以下の通りで、今回のライブ録音は最初の全集の時から6年後の演奏で、演奏時間は一番短くなっています。この違いは演奏している会場の音響環境、残響の違いが影響しているのかもしれません。

今回のCD~ RACO(1964年)

①20分54,②18分55,③12分41,④23分04 計:75分34

~ バイエルン放送SO(1958年2月8-15日)

①20分48,②19分18,③12分30,④23分59 計:76分52

~ ドレスデン国立O(1980年2月25-3月3日)

①21分26,②19分16,③13分04,④23分42 計:77分30

 演奏は3つとも同じようなスタイルですが、このアムステルダム・コンセルトヘボウ管のものが一番ヨッフムの特徴が際立っていると思います。第3楽章スケルツォは一瞬乱暴と思える程速いテンポで始まります。風に揺れる柳か葦の原を連想させる、柔軟な美しさです。

110301  交響曲第2~4番の第1稿と第5番を順次聴いていると、第5番の充実、完成度の高さが改めて実感させられます。四部作云々という意味は分かりませんが、例えば第2番の第1稿で大きな修道院の設立を発願して、第3、4番の第1稿で苦心し、この第5番のフィナーレでようやく発足、献堂式を迎えた、とでも言えるような一連の流れです。この第5交響曲はアーノンクールの解説等でモーツアルトのレクイエムとの関連が指摘されたり、コラールや作曲者自身が「対位法的名作」と呼ぶ等、宗教的な性格を持つ曲として説明、理解されてきました。その適否はさておき、そうした面ではヨッフムの演奏が説得力があると思います。今回あらためてこの録音を反復して聴いて、ブルックナーの交響曲の中でも一番素晴らしい作品だと思えてきました。というより、各楽章とも愛着があらたに湧いてきました。

 ちなみに、個人的愛聴盤で過去に取り上げたクレンペラー・ニューPO(1967年録音 EMI)のトラックタイムは以下の通りです。ヨッフムを柔とすれば、クレンペラーは剛で堅固な美しさを現す演奏です。

①21分13,②16分35,③14分40,④26分40 計:79分28

 合計時間で、ヨッフム・RACO盤と約4分長く、ヨッフム・ドレスデン盤とは約2分長いという結果で、晩年のクレンペラーにありがちな極端に遅くなるという傾向はありません。これと比較すると、ヨッフムは第2楽章をゆっくりと、スケルツォと終楽章が速いテンポで演奏しています。クレンペラーの特徴は第2楽章をあっさりと、抑制して演奏している点で、これはクレンペラーによるベートーベン第九の3楽章の扱いに似ています。ただ、演奏時間の差以上に聴いた印象はかなり違います。

 なお、第5交響曲の終楽章・第4楽章は、従来から高い評価がされていて、「ブルックナーはこの楽章によって、それ以前にあったすべてのものを凌駕した(アウアー)」とまで書かれている。また、ヘルムは次のように言っている。「バッハ、ベートーベン、ワーグナーの3大巨星全体の大きさが、ここでは全く新しく、そして完全に自立的で根源的な力のうちに合体して目覚めたかのようである。このような根源的な力―これこそブルックナー以外の何ものでもない。」

blogram投票ボタン

QRコード
QRコード
タグクラウド
タグ絞り込み検索
最新コメント
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

プロフィール

raimund

昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

メッセージ

名前
本文
アーカイブ
twitter
記事検索
カテゴリ別アーカイブ
  • ライブドアブログ