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2011年02月

27 2月

ブルックナー第2番・第1稿 ボッシュ アーヘンSO

ブルックナー 交響曲 第2番 ハ短調 (1872年稿 2005年ウィリアム・キャラガン校訂版)


マルクス・R・ボッシュ 指揮
アーヘン交響楽団


(2010年5月22,24日 アーヘン・聖ニコラウス ライブ録音 Coviello)


 4番、3番の第1稿に引き続きマルクス・ボッシュとアーヘンSOによるブルックナーの交響曲第2番・第1稿です。このシリーズの最新盤で、あとは1番他を残すのみです。曲自体が第3、第4の第1稿よりもシンプルで、ボッシュのテンポで引き立つように感じられ、これら3つのCDの中で一番魅力的だったと思いました。前半の1、2楽章は速め、後ろの3、4楽章は遅めというテンポで、特に第4楽章が特徴的です。

110227a  交響曲第2番・第1稿には、他に1873年稿というのがあり、今回の1872年稿と同様に、ウィリアム・キャラガンにより復元されたものですが出版はされていないようです。かつて、クルト・アイヒホルンとリンツ・ブルックナー交響楽団によって録音(1872年稿と2枚一組)されています。1872年稿はブルックナーが最初に完成させた姿で、デゾフに試演してもらっています。その指揮者デソフの助言により改訂したのが1873年稿で、その稿によって作曲者自身の指揮によってウィーンで初演しています。両稿の違いは、スケルツォ楽章が入れ替わって3楽章に配置されている点と、全般に短縮されていることです。スケルツォが3楽章に来るのは後の1877年稿のハース版、ノヴァーク版に引き継がれます。


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ブルックナー 交響曲 第2番 1872年稿・ウィリアム・キャラガン校訂(2005年出版)
第1楽章 Ziemlich schnell
第2楽章 Scherzo: Schnell
第3楽章 Adagio: Feierlich,etwas bewegt
第4楽章 Finale: Mehr schnell


 このボッシュ盤のトラックタイムは以下の通りです。過去に取り上げたブルックナー第2番の第1稿のCDと比べて、一番短い、速い演奏です。ただ、第4楽章はそうでもなく、第3楽章もアイヒホルンよりはゆっくりという配分です。


①17分45,②10分0,③17分44,④20分52 計:66分21

ヤング(2006年)
①20分40,②10分47,③19分32,④20分23 計:71分22
アイヒホルン(1991年)
①19分40,②10分59,③15分42,④20分55 計:67分16


 これらの他に、第1稿・1972年稿の録音としてはゲオルク・ティントナー指揮、アイルランド国立SO(1996年録音・Naxos)があり、交響曲第3番、第4番に比べて初期稿・第1稿の録音はまだ少数です。今回のボッシュはこの曲・稿を録音している中で一番若手になります。

110227b  交響曲第3番の初演は、第2稿で作曲者ブルックナーの指揮で行われて大失敗でした。それに比べて第2番の初演は、同じくブルックナーの指揮で演奏されてかなり好評でした。どちらの曲も、最初に完成した状態の第1稿(2番:1872年稿,3番:1873年稿)では初演されていないのが興味深いところです。演奏者側、指揮者から演奏不能とか、長すぎる等の批判があったからです。交響曲第2番は、最近の演奏でも、第2稿・1877年ノヴァーク版を使うものが多く、室内オケを用いたトーマス・ダウスゴー盤もそうしています。ヴァントは、第2稿・1877年ハース版を用い、交響曲第1番では晩年に改訂されたウィーン稿を使う等、作曲者生前の最終判断を重視しているようです。今回のボッシュは、第1楽章を聴いた時は、コンパクトになった第2稿ノヴァーク版の方が合っているのではないかと思えましたが、後半の楽章ではテンポを変えていました。指揮者によって、それぞれ考え方ありますが、ボッシュが今後どの版、どういう演奏をするのか興味深いと思いました。

110227d
   交響曲第2番は次の第3番とともにワーグナーに提示して、どちらかを献呈させてほしいとい頼み、ワーグナーが第3番の方を指定したという経緯があります。当時のウィーン音楽界はハンス・リックとブラームスとリスト、ワーグナーに二分されるような構図で、ブルックナーはワーグナー派ということになっていました。現代からみれば、ブルックナーの交響曲の響き(というか旋律、リズム)とワーグナーの楽劇の響きはちょっと隔たりがあるように感じられます。さだまさしの歌に「交響楽(シンフォニーと読ませる)」というタイトルがあって、「あなたがワーグナーのシンフォニーを聴きはじめたのが」云々という歌詞が出てきます。また「飾ることを覚えた」という歌詞もあり、その飾ること(表面というニュアンスも感じられる)とワーグナーの音楽を関連付けていました。それの適否はともかく、その歌でワーグナーとブルックナーを入れ替えると歌が成り立たなくなると思えます。

26 2月

ワーグナー・ラインの黄金 レヴァイン メト

ワーグナー 楽劇・ニーベルングの指輪序夜「ラインの黄金」 全4場


ジェームズ・レヴァイン 指揮
 
メトロポリタン歌劇場管弦楽団


110226bヴォータン:ジェイムズ・モリス(Bs)
フリッカ:クリスタ・ルートヴィヒ(Ms)
フロー:マーク・ベイカー(T)
ドンナー:アラン・ヘルド(Br)
アルベリヒ:エッケハルト・ヴラシハ(Br)
ローゲ:ジークフリート・イエルザレム(T)
ミーメ:ハインツ・ツェドニク(T)
ファーゾルト:マッティ・サルミネン(Bs)
ファーフナー:ヤン=ヘンドリック・ロータリング(Bs)
フライア:マリ・アン・ヘッガンダー(S)
エルダ:ビルギッタ・スヴェンデン(A)
ヴォークリンデ:カーレン・エリクソン(S)
ヴェルグンデ:ダイアン・ケスリング(S)
フロースヒルデ:メレディス・パーソンズ(Ms)


(1988年4-5月 ニューヨーク・マンハッタンセンター 録音 DG)


 1980年代末(1987-1989)に録音されたワーグナーの指輪四部作全曲から、ラインの黄金です。同じ頃、EMIではハイティンク指揮バイエルン放送SOで同じく指輪の録音が進行完結しました。少し前に、サバリッシュとミュンヘン・オペラの舞台も収録されていました。このレヴァイン盤もキャストを少し変えて、伝統的・保守的な演出で映像ソフトも出され、バブル期のあだ花のように、と言えば言い過ぎでしょうが、豪華キャスティングで録音されたものです。後年に値下げされた折に購入して聴きましたところ、個人的にはどうも主要な役の歌手が物足らない、既存のイメージとは違うと思えました。しかし、昨年復刻されたレヴァインのマーラー選集が素晴らしかったので、これはゆっくり聴きなおしてみなくては、と思い立ちました。一月以上前から通勤途中等でしばしば聴いていましたが、どうも目の覚めるような際立った演奏という印象が無く、コメントが付け難かったので後回しになっていました。


 ラインの黄金は、ニーベルングの指輪4部作の一番目の作品で、1幕4場から成り、CDなら2枚で収まっています。他の3作品、ワルキューレ、ジークフリート、神々の黄昏が4枚または3枚になるのに比べて短い作品です。ストーリーは周知なので、略すると以下のようになります。
第1場が、ライン川の川底で、地底の住人アルベリヒは三人の人魚に相手にされず代わりにラインの黄金を強奪する。「愛」を捨てた者だけがラインの黄金を持つことができて、その黄金から作った指輪を持つものが世界を支配できる。冒頭の、ラインの川底を現す音楽が神秘的。


 第2場、ヴォータン(神々の長)の目覚めで始まる。荒々しくも気品があるヴォータンの歌唱が魅力的で、妻フリッカにやや押され気味で人間らしさも見られる。巨人族のファーゾルト、ファーフナー兄弟にワルハラ城を造らせたヴォータンが、兄弟から約束の報酬である女神フライアの引き渡しを要求される。ローゲ(半神・半人)が、1場の「ラインの黄金」の話を持ち出して、報酬は女神フライの代わりに件の黄金にすることに傾くもヴォータンが拒否、決裂して巨人の兄弟がフライアを連れ去る。フライアが作る「不老のリンゴ」が手に入らなくなり、神々が困り、結局ヴォータンとローゲがラインの黄金を盗りに行く。


 第3場、ヴォータンとローゲが、アルベリヒが居る地下のニーベルハイムに行き、アルベリヒに奴隷とされている弟ミーメに近づいて、アルベリヒを逮捕、拉致する。

 第4場、ヴォータンは連行したアルベリヒから財宝と指輪を強奪するが、アルベリヒは指輪に呪いをかける。その後、フライの身柄と引き換えに財宝と指輪をファーゾルト、ファーフナー兄弟に渡す。その直後、兄弟は取分をめぐって争い、ファーフナーがファーゾルトを撲殺する。アルベリヒによる指輪の呪いが実証される。そして、ヴォータンら神々一行がようやくワルハラ城に入城尾する(この場面で、虹の架け橋の音楽が始まり、ワルハラ城への入場の音楽で幕を閉じる)。
 

110226a  オペラであっても管弦楽への比重が高くなるワーグナー作品ですが、ラインの黄金は短い作品なので、指輪の管弦楽ハイライトなら、この作品からはフィナーレ近くの「虹の架け橋」、「神々のワルハラ城への入場」くらいが曲目に入るくらいです。ワルハラ城への入場は、巨大建造物を間近に見るような威圧感で迫って来る曲です。レヴァイン盤では、メトの大規模な舞台のイメージとは裏腹に、そうした既存のワルハラ入場像とは違って精緻な音楽です。ワーグナーの録音では、古い放送用音源も多いので、それのイメージがこびりついているからそう感じるだけで、これが本来の音響かもしれません。全体的には、第2場が特に魅力を感じました。ワルハラの動機の旋律が現れるところは霊妙な美しさです。


 レヴァイン、メトの指輪は確か演出が、前衛的な演出とは正反対で、分かりやすい、伝統的なもので、その点がセールスポイントになっていました。このシリーズはむしろ映像ソフトの方が本命なのかもしれません。それでも、レヴァインの指揮には好感が持て、ワルキューレ以下もじっくり聴きたくなります。従来、バイロイト以外ではヤノフスキ指揮、ドレスデン・シュターツカペレの録音が気に入っていましたが、オーケストラだけならレヴァインも魅力的です。

25 2月

ブルックナー第3番・第1稿 ボッシュ アーヘンSO

 小学校低学年の「図画工作」の時間で、何らかの絵を描く時は、出来あがると先生の所へ持参して「これでいいですか」と審査を仰ぎ、OKが出ればそれで完成となりました。私筆者は、絵の才能も全然無く、デッサンがダメですが、「のびのびと」描いてさえいれば褒められた小学1,2年頃は府の何とか美術展で入選したこともありました。ただ、なかなか先生からそれで完成にしてよいとは言われず、放課後残って描いていた記憶があります。作者自身が完成かどうかを決められないことが非常に不服でした。社会見学で行った飲料水の工場を描いた絵は、人間より大きな350ミリ瓶が並ぶ等、非写実的な構図で、あれのどこが良いのか不思議なくらいの稚拙な絵でした。その府の美術展覧会か何かの結果が分かるのが、確か学年末が近づいた、確定申告の期日も近い今頃でした。

ブルックナー 交響曲 第3番 ニ短調 「ワーグナー」(1873年第1稿)

マルクス・R・ボッシュ 指揮 アーヘン交響楽団

(2006年5月6日 アーヘン・聖ニコラウス ライブ録音 Coviello)

110223  先日の第4番・第1稿に続いて、マルクス・ボッシュのブルックナー交響曲第3番の第1稿です。これはボッシュとアーヘン交響楽団によるブルックナー・交響曲シリーズの第4弾(8、7、5番に続いて)にあたります。古都アーヘンの大聖堂という独特の音響環境と、ノリントン等と比べると穏健ながら、速めのテンポです。第3番の第1稿は、後に改訂によりワーグナー作品の引用部分を大きくカットされる等した第2稿や第3稿と比べて複雑で、やや冗長とも感じられます。ボッシュ盤はその点、従来のブルックナーらしさを保ちながら、音楽の流れが停滞しないように進めていて、そこが魅力です。このCDのトラックタイムは以下の通りです。

①24分22,②18分26,③6分18,④18分32 計:67分40

 この曲第3番・第1稿のシモーネ・ヤング盤のトラックタイムは下記の通りです。トータルでボッシュの方が1分程短いですが、第1、第2楽章がボッシュの方が1分程長くなっています。

①25分26、②19分20、③6分40、④17分09 計:68分35

 ボッシュのブルックナー第3・第1稿で目立って良かったのが第1楽章と第4楽章でした。ただ、第4番の時も思いましたが、ボッシュが別の会場で同じ曲を演奏すればどうなるのかと、興味深く感じられます。というのは、このシリーズは、制作側の意向、演奏会場、ボッシュら演奏者側の関係が微妙というか、邪推ながら、売り出すためにアーヘンの大聖堂を会場にすることと、ボッシュが考えるブルックナーの演奏、音響とで、折り合える妥結点を探ったような感じもします。例えば先日のギーレンのマーラー第10番・アダージョの録音会場でボッシュがこの曲を演奏すれば、違った印象になるのではないかと思えます。

 前回の第4番・第1稿の回もそうでしたが、ボッシュ盤についてそこそこ好感を示しながら、煮え切らないコメントになっていました。それは上記のような印象もあって、どうも把握し難いと思っていたからです。

            110225b

  この機会に、ブルックナーの交響曲第3番の各版の概要を整理すると以下の通りです。

1873年・第1稿 ~ ウィーンPOに初演を打診するも演奏不能とされた。ワーグナーに献呈されたのはこの稿。

1877年・第2稿 ~ 1877年にブルックナー指揮で初演、大失敗に終わる。

アダージョ2番:なお、初演後出版された第2稿のアダージョとは異なる、「第1稿と第2稿との中間段階とも言える」アダージョが存在しています。朝比奈隆、大阪POによるブルックナー第3番・第2稿(1984年7月26日)のLPに併録されていました。これはLPの時だけで、CD化はされていないはずです。

1878年に第2稿の出版に際して修正する。:この修正は現在エーザー版とノヴァーク版がある。初演後、出版時の1878年修正は、第3楽章のコーダが一番目立つところで、上記エーザー版はこれを含めていませんが、ノヴァーク版は含めています。
       
1889年・第3稿 ~ 1890年にハンス・リヒター指揮で初演、この時は成功だった。この版が従来から最も演奏頻度が高い。

 第1稿、第2稿、第3稿と、後になる程短くなり、その分凝縮されて完成度が高い、聴きやすいと言われます。その点は交響曲第2番も概ね同様です。ワーグナー作品からの引用があって、ワーグナーに献呈されて「ワーグナー」というニックネームが定着したこの交響曲も、結果的に引用部分の大半が削除されました。ワーグナーにあやからなくても、今やブルックナーは大作曲家ということでしょう。

1890シャルク改訂版 ~ 弟子のヨーゼフ・シャルク、フランツ・シャルク等の助言(?)による改訂。クナッパーツブッシュの録音で有名な版。

 専門的にはさらに詳細な違い等、複雑になっているようですが、一般人が入手可能な録音の範囲内ではこれくらいだろうと思います。近年、何でも原典主義で第1稿による演奏が増え、実際聴いてみるとかなり違う部分もあるのが実感できます。ただ、ブルックナーの作品では結局どの時点が完成なのだろうかと思わされます。こういう異稿が多数ある現象を全部ひっくるめて、ブルックナーの一つの曲と思えばいいのかもしれません。 

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22 2月

ブルックナー第4番・第1稿 ボッシュ アーヘンSO

ブルックナー 交響曲 第4番 変ホ長調(1874年・第1稿)

マルクス・R・ボッシュ 指揮 アーヘン交響楽団

(2008年2月1日 アーヘン・聖ニコラウス ライブ録音 Coviello)

110222a  先日のシモーネ・ヤング盤に続いてブルックナーの第4交響曲・第1稿です。昨年交響曲第7番で取り上げた1969年生まれのマルクス・ボッシュとアーヘン交響楽団のコンビです。このコンビで現在ブルックナーの交響曲シリーズが進行中で、残すところあと第1番と、0番、00番です( それら全部を録音するつもりかどうかは不明 )。アーヘンの大聖堂で録音しているのもセールス・ポイントであるのがこのシリーズです。残響の長い会場ながら、ボッシュの指揮は速めのテンポ(会場を考慮してか?)で、従来の壮大系とは違ってスッキリとした演奏です。

 今回のCDは、これまで演奏機会が多かった1880年改訂・第2稿(ハース版、ノヴァーク版)に比べて、複雑でまとまりを欠くような第1稿ですが、それを十分魅力的に再現しています。好みでは前回のヤング、ハンブルクPOよりもさらに好感が持てました。第4番の第1稿は、通常の第4番「ロマンティック」が単調過ぎてあまり好きではない、という人には勧められるものだと思えます。第3楽章は完全に差し替えられているので、かなり聴いた印象は違います。

 マルクス・ボッシュのブルックナーは最初に出た2003年録音・第8番(ハース版)がかなり好評だったようで、何作目かが出てようやくその存在を知りました。速めのテンポが悪い印象を与えない独特の魅力です。それに加えて、通常の2chCDに加えて、2chSACD、マルチchSACDのフォーマットが併録されています。マルチ・チャンネルで適切に再生できればこの録音の魅力をより味わえるでしょう。AVアンプと寄せ集めのスピーカーで5.1chで再生してみましたが、セッティングが十分でなくいまひとつでした。このCDのトラックタイムは以下の通りです。

①18分59,②18分33,③12分39,④18分45 計:68分56

 ボッシュより年上ながら同じく中堅どころであるシモーネ・ヤングとドイツのオーケストラによる演奏は、聴いた印象は違うものの、意外に演奏時間は似ています。先日のシモーネ・ヤングの第4番第1稿のトラックタイムは以下の通りです。

①19分54,②18分28,③12分45,④18分53 計:70分

110222b_3  ブルックナー指揮者として定評のあった巨匠、ギュンター・ヴァントは、ブルックナーの交響曲を、オルガンとか大聖堂といったものと関連付けて理解するのは間違いだという考えだったそうで、だからヴァントはブルックナーのミサ曲等を録音していないといことです。実際、ヴァントは北ドイツ放送交響楽団とブルックナーの第8番、第9番をリューベック大聖堂でライブ録音(音楽祭でのコンサート)しましたが、すぐに同2曲を会場を変えて再録音しています。

 最近のブルックナーの交響曲演奏は、比較的小編成での演奏や、速めのテンポによるもの、中にはピリオド楽器、室内オケによるもの等新しい方法が出てきています。絶えず新しい試みは必要という面はありますが、これらは上記のヴァント(ミサ曲云々は別として)の考え方と共通するものがありそうです。

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20 2月

シベリウス交響曲第5番 渡邉暁雄・日本PO 1981年

シベリウス 交響曲 第5番 変ホ長調 op.82

渡邉曉雄 指揮 日本フィルハーモニー交響楽団

(1981年7月2日 昭和女子大人見記念講堂 録音 DENON)

110220a  何年か前に、渡邉暁雄(1919-1990)の新旧のシベリウス交響曲全集が同時に再発売されたことがありました。旧盤は1962年完成でシベリウス交響曲の世界初・全曲録音だったそうです。値段の都合上、どちらかにしようとして結局録音が新しい方にしました。ただ希少価値とかを考えれば旧録音にしておけばよかったかもしれません。旧盤はもう廃盤になっています。CDに添付された解説冊子には渡邉暁雄の経歴等詳しい記述が掲載されています。渡邉は日本人の父(牧師)とフィンランド人(声楽家)の母との間に、東京で生まれています。1948年に東京フィルの初代常任指揮者に就任し、1954年まで務め、1856年には日本フィルの創設に参画し、音楽監督兼常任指揮者に就任しています。母の母国であるフィンランドの作曲家、シベリウスははやくから取り上げていて、それが交響曲全集・世界初録音につながっています。

110220c_2   シベリウスの交響曲は、声楽付の「クレルヴォ」と、器楽のみの第1番~7番があり、8曲あります。第5番は1915年作曲で、作曲者の生誕50周年記念演奏会で初演されています。3番以降の交響曲の中では親しみやすい旋律が目立ち、北欧系のオケが来日公演のプログラムに入れることもありました。90年代初め頃のサロネンとフィンランド放送SOの公演のラジオCMでこの曲が使われていたような記憶があります。個人的にもシベリウスの交響曲の中では、第4番と第5番と双璧くらいに好きな作品です。1楽章( テンポ・モルト・モデラート / アレグロ・モデラート )、2楽章 ( アンダンテ・モッソ、クワジ・アレグレット )、3楽章 ( アレグロ・モルト )の3楽章構成で、演奏時間は30分強です。

110220b  シベリウスの交響曲と言えば、どうしてもベルグルンド(フィンランド)等、北欧の演奏者に関心がいき、演奏も他のクラシック音楽とある程度隔絶されたものという先入観を多かれ少なかれ持ってしまいます。そういう感覚でこのCDを聴いてみると、特に第1楽章が拍子抜けするくらい普通に聴こえてしまいます。悪いことではなく、ゆっくりとした慎重な音楽の運びです。ただ、他の作曲家の作品を演奏しているのと同じような響きに感じられ(楽器も同じなので当たり前である)、過度な北欧の音楽という認識を修正させられる気分でした。2、3楽章はそうした違和感、齟齬感も払しょくされ、作品、演奏の繊細さに引き込まれます。

 交響曲第5番は、第3楽章の終わりの部分は独特で、「6つの決然たる和音を鳴らして全曲を閉じる」と、解説されています。ブルックナーの休符を連想させるような独特の終わり方です。その部分の前で、楽章の最初で現れる主題がだんだん大きく奏でられ、最後は金管も加わりブルックナー的に高揚していくのは、シベリウスの後期作品では珍しい部分です。このCDでは、その高揚する部分もある程度抑え気味な演奏でした。

 この曲の録音としては、パーヴォ・ベルグルンドとヨーロッパ室内管の演奏が鮮烈に記憶に残っています。それは、ベルグルンドの3度目のシベリウス交響曲全集でした。現在はもおう廃盤になっていますが、これは是非もう一度聴きたい演奏です。長らく廃盤状態が続いているというからには、2度目のヘルシンキPOとの録音に比べて人気が低かったのかもしれません。

110220  このCDは、CD化された物の再発売ですが、音質というか録音会場等の環境によるものか、録音が今一つ物足らない気がしました。デジタル録音に慣れてしまっているためかもしれませんが、何とも言い難い微妙な音加減でした。渡邉暁雄は10年後には3度目の全集を録音したいと語っていたそうですが、それがかなわなかったのは残念で、1990年頃にはどんな演奏だったのか、是非聴きたかったと思いました。このCDとは関係ありませんが、1973年に他界したクレンペラーは、1973年以降の録音予定にシベリウスの第4番が入っていたそうで、今回の渡邉暁雄のシベリス第5の第1楽章を聴いていると、クレンペラーとどことなく感触が似ていると思えました。

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19 2月

マーラー交響曲第10番~アダージョ ギーレン SWR・SO

110219a マーラー 交響曲 第10番 嬰ヘ長調よりアダージョ

ミヒャエル=ギーレン 指揮

南西ドイツ放送交響楽団(SWR Sinfonieorchester Baden-Baden und Freiburg

(1989年11月16-17日バーデン=バーデン・ハンス・ロスバウト・スタジオ 録音 Hanssler )

 先週は、レヴァインとシカゴ響のマーラー交響曲第10番・補筆完成版を取りあげました。その録音は第1楽章・アダージョだけを先に録音して、1年以上経てから残る4楽章を録音するという変則的とも言える経緯の録音でした。あるいは、当初はアダージョだけ録音するという企画だったのかもしれず、そうでなかったとしても1つの曲の録音で、それだけ間があくのはちょっと抵抗を感じます。今回は、従来多かった第1楽章・アダージョだけの録音をとりあげました。

 ギーレンはこのCDの16年後に、マーラーの交響曲第10番の補筆完成版(クック版第3稿第1版)を録音しています。今回の演奏、録音の時点ではどうも補筆完成版に懐疑的というか、あまり価値を認めていなかたようです。補筆版CDのレビュー(HMVサイト掲載)にギーレンの見解等がありました。それで、同世代のベルティーニ(ギーレンと同じく1927年生まれ)、テンシュテット(1926年生まれ)と同様に、マーラーの交響曲第10番は第1楽章のアダージョだけを録音していました。

110219b  実は、ベルティーニ、テンシュテット、ギーレンの3人の指揮者は、マーラーの交響曲全集を録音している中では、個人的に御三家のような位置づけで傾聴していました。ギーレンは他の2人に比べてマーラー以外の作曲家の演奏も特筆ものがあり、ベートーベン、モーツアルト、ブラームスの交響曲や、他に最近はシューマンの交響曲も録音しています。またシェーンベルクのオペラ「モーゼとアロン」の録音もあります。演奏の印象は、クレンペラーフアンの私からすれば「行儀の良くなったクレンペラー」といった感覚です。この10年くらいに録音されたCDのレビューでは、そうした日陰的なイメージではなく、演奏が変わって巨匠の域云々と書かれています。その辺の機微は分かりませんが、とにかく好きな演奏家の一人です。

110219c  この演奏の演奏時間・トラックタイムは22分14です。全集・セットでは13枚目のCDのトラック・2に、第9番の第4楽章の次に入っています。第9番の終楽章に続いてこの曲を聴くと、交響曲を9曲書けば人生が終わるというのは迷信、杞憂に過ぎず、マーラーの創作はまだまだ続きそうに思えてきます。作品をガラス製の台上に乗せて無影燈で照らすような(誇張すれば)ギーレンの演奏もやや控え目ですが、とにかく圧倒されます。今回の録音の16年後の補筆版での演奏は、これより2分以上長い演奏時間になります。冒頭の、レヴァインの録音とも通じることですが、この差は違う機会だからか、補筆全曲版の中で演奏するからか、ちょっと興味深いものです。

 ギーレンのマーラー・シリーズは各曲毎単買の時は新ウィーン楽派等、近、現代の作曲家の作品とカップリングされていました。そのカップリングはギーレンに定着したイメージやレパートリーをよく現しています。

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18 2月

ブルックナー第5 ラッセル・デイヴィス リンツ・ブルックナー管

 男性の場合、一定の年齢からヘルムート・リリングのような白髪に近づくか、今日のCDのデニス・ラッセル・デイビスやショルティのような、地肌が露出した頭に近づくか、傾向が出てきます。後者なら生え際が桜前線のようにどんどん上昇して来るか、山の紅葉のように頂上部から顕著になってきます。私は、父方がショルティのパターンで白髪が少なかったのですが、どうもそのタイプにはならず、リリングの白髪タイプのようです。デニス・ラッセル・デイビスは1944年生まれで今年67歳になります。写真ではほとんどスキンヘッドです。

ブルックナー 交響曲 第5番 変ロ長調 WAB.105(原典版)

デニス・ラッセル・デイヴィス 指揮 リンツ・ブルックナー管弦楽団

(2006年11月16日 リンツ・ブルックナーハウス ライブ録音 Arte Nova)

 ブルックナーの交響曲第2番・第1稿、第3番・第1稿、第4番・第1稿、第5番は四部作を構成するという、アイヒホルン盤の解説文に従って、このところ順番に聴き進めて来て、今回が四作目にあたります。デニス・ラッセル・デイヴィスはアメリカ人指揮者で現代音楽を主なレパートリーとすると紹介されています。いつの間にかハイドンの交響曲を全曲録音していましたが、店頭で1枚数百円のブルックナーの交響曲が目にとまりました。現在習作の00番を除く10曲全部を録音しています。このCDのトラックタイムは以下の通りです。

①21分43,②14分49,③15分10,④25分:10  計:76分52

110218b  デニス・ラッセル・デイビスのブルックナーのシリーズは、通常のブルックナー演奏より小編成で演奏され、ライブ録音されているそうです。その予備知識で聴いてみると、予想とは違って何とも言い難いテンポの演奏で、目の覚めるような素晴らしい演奏という印象ではありませんでした。ヘレヴェッヘ盤の73分36よりは長く、ティーレマン盤の82分33秒より短いもので、ゆっくりで停滞しているような部分もありました。小編成ながら際立って明晰な演奏とは思えませんが、過度に壮大さ求める演奏とは正反対で、外装を外して建物の構造を説明するような感覚です。例えば朝比奈隆によるこの曲の演奏を念頭に置いていると大いに不満が残ると思います。

 交響曲第5番は、1875年2月にアダージョから作曲が開始され、1878年1月に完成(1876年5月に一応は完成して、以後作曲者による点検作業)し、1894年4月に初演されています。その時は大幅にカットされた所謂シャルク改訂版による演奏で、作曲者は出席していません。原典版による初演は、ブルックナーの没後、1935年10月23日に行われました。その時の原典版・楽譜はハース版で、現在一般的に演奏される「原典版」は1951年出版のノヴァーク版です。両者の違いはほとんど無いそうで、どちらも1878年1月の最終完成版を元にしています。

110218a  一番最初に完成した1876年の版は出版されておらず、どういう状態だったのか不詳です。しかしディスコグラフィを公開しているサイト” www.abruckner.com ”には、” 1875 -1877 - Original Concepts Edited Takanobu Kawasaki [2008] ”の録音がリストアップ( Naito, Akira 指揮 Tokyo New City Orchestra 17/11/08 Delta Classics DCCA-0060 )されていました。その録音は記憶にありませんが、今後、続けて録音が出るかもしれません。

 この曲を作曲している期間は、交響曲第4番・第1稿の完成直後で、第2番の1877年稿や第3番の1877年稿の完成、演奏等が行われています。第3番はその稿による演奏が同曲の初演になり、大失敗に終わっています。もっとも、第2番は成功でした。 時系列で確認すると、上記の四部作説も説得力があると思いました。

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13 2月

レヴァイン フィラデルフィア管 マーラー第10・クック補筆版

マーラー 交響曲第10番 嬰ヘ短調  デリック・クック第3稿第1版

ジェイムス=レヴァイン 指揮 フィラデルフィア管弦楽団

(1978年・第1楽章、1980年・2-5楽章 録音RCA-Sony Classical)

 これは昨年久々にまとめて復刻されたレヴァインのマーラー交響曲選集の中の1曲です。交響曲第10番は、マーラーの生前にアダージョだけがほぼ完成された状態で、後は楽章によって進み具合に差はあるようですが、スケッチが残っている程度でした。したがって、第1楽章のアダージョだけを国際グスタフ・マーラー協会は、全集版として出版しています。

1楽章 Adagio.
2楽章 Scherzo.Schnelle Viertel
3楽章 Purgatorio(煉獄).Allegretto moderato
4楽章 Scherzo.Allegro pesante.Nicht zu schnell
5楽章 Finale.Langsam,schwer

 現在は音楽学者デリック・クックによる補筆完成版の他にも、第10番の補筆版が複数存在して、録音される機会も増えています。19世紀生まれの指揮者や、その後のテンシュテットやベルティーニ等は、作曲の経緯からマーラー自身の手による第1楽章・アダージョだけしか認めないという姿勢でした。このブログではコモン・ローのように顔を出すクレンペラー、「クレンペラーとの対話(P.ヘイワーズ編)白水社」によれば、未完成の楽譜等はマーラーは死後に焼却するよう希望していたこと等から、クック版は取り寄せて楽譜を見ただけで演奏はしていません。「恥知らずというもの」とコメントしていました(メンデルスゾーンのスコットランド交響曲のコーダを削除して自作を付加することはどうだと思っているのだろうか)。

 それらの影響で、FMで補筆完成版を聴いたことがあってもCDではじっくり聴いたことはありませんでした。インバルとフランクフルト放送SOの全集にはクック補筆版も収録されていますが、全曲は聴いていませんでした。しかし、1楽章のアダージョを聴けば続きが聴きたくなるのが人情で、「煉獄」という言葉でいっそう好奇心が刺激されます。そこで、クレンペラーの没後37年が経過し、エジプトの政変ではありませんが、長年の方針を転換して(単にものぐさだっただけ)第10番の補筆完成版もマーラーの作品の一つとして聴いていくことにしました。その第1弾がこのレヴァインのCDです。

110213  この版で最初から聴いてみて、一つの交響曲としてまとまりを感じられるかについてですが、何とも言えない微妙さです。両端楽章が演奏じかんからも充実していますが、第5楽章が終わったところで、えっ?という物足らなさ、突然に終わったような感覚でした。「かくの如きものが人生か、ツアラトストラのために今ひとたび!」というのは、「ツアラトストラはかく語りき」の中の一節です(多分)。現実の生活では、終わりが突然虚を突いてやって来ることも多いので、51歳で世を去ったマーラーらしいと、強引に言うこともできますが、何とも不思議な空気が漂う曲です。

①24分39,②11分57,③4分18,④12分41,⑤28分32 計:82分09

 このCD・演奏のトラックタイムは上記の通りで、この選集にける他のレヴァインの演奏同様に、ゆっくりとしたテンポで念入りに表現しています。ちなみに約20年後録音のラトル・BPO盤は以下のようなトラックタイムになり、CD1枚に収まってます。特に第5楽章の違いが目立ちます。この曲の第5楽章は、第6番のアンダンテ楽章、終楽章や第9番の終楽章を思い出させる複雑な性質で、このCDでも聴きどころだと思います。なお、レヴァインは第1楽章を1978年に、残りを1980年に録音するという変則的な収録で、あるいはアダージョだけ録音する予定が変更になったとか、アダージョだけの演奏とは別に録音する予定だったとか何か事情がありそうです。レヴァインのマーラー選集はまだ全部聴いていませんが、この第10番は第9番に次ぐ素晴らしい演奏だと思いました。

①25分10,②11分24,③3分55,④12分06,⑤24分47 計:77分23

 あの静かに消えて行く終楽章の交響曲第9番の次にこの曲を構想したのは事実なので、作曲者の心中は本当のところどんなものだったのかと思えてきます。煉獄というのはほとんど西方教会・カトリック教会だけの教義のようですが、第二ヴァチカン公会議以後の現代では曖昧な位置にあり、滅多に耳にしたことはありません。概ね罪の償いをするところ、という位置づけのようです。これは死者のためにとりなしの祈りをする、という教会の古くからの習慣にも結びついています。故人を憶えて祈る、という心情は日本にも共通するものがあると思いますが、この曲ではちょっと生々しさが感じられます。マーラーは自分が煉獄に行くという自覚があったのか、それとも誰かに代わって自分が行くとかそんなことを考えたのか、想像の域を出ません。

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12 2月

ブルックナー第4・第1稿 シモーネ=ヤング・ハンブルクPO

ブルックナー 交響曲 第4番 変ホ長調「ロマンティック」(1874年第1稿)
 
シモーネ=ヤング 指揮 ハンブルク・フィルハーモニー

(2007年12月1-3日 ハンブルク、ライスハレ ライヴ録音)

第1楽章 Allegro
第2楽章 Andante quasi allegretto
第3楽章 Sehr schnell. Trio. Im gleichen Tempo
第4楽章 Finale : Allegro moderato

①19分54,②18分28,③12分45,④18分53 計:70分

110212a  今回も引き続きシモーネ=ヤングとハンブルクPOのブルックナー交響曲です。これまで同じコンビで、第2番第1稿第3番第1稿を取り上げてきました。交響曲第4番は日本でも、ブルックナーの作品の中で早くから代表作として名が通っていましたが、今回は1874年・第1稿です。交響曲第4番も、例によって「同曲異版」が存在します。従来一般的に演奏されて認知されていたのは、1877,1880年改訂・第2稿(ハース版・ノヴァーク版有り)です。1877年の改定は大がかりで、特に第3楽章は新たに作曲したので違いは大きく、すぐに分かります。また、1880年は第4楽章を大幅に改訂しているので、今回の第1稿は、通常聴いていた交響曲第4番を念頭に置いていると、別の曲だと思える程の違いです。

 第4番は前2作品以上に第1稿が注目されてきて、録音も多数あります。80年代のエリアフ=インバル・フランクフルト放送SO、90年代のヘスス・ロベス・コボス・シンシナティSO他、この10年で5、6種はあるはずです。ブルックナーの第3交響曲の作曲者自身の指揮による初演は大失敗(不運な条件が重なったとはいえ)で最後には客席にごくわずかな人数しか残っていなかったそうです。その中にマーラーも居たとか。また、同時期にブラームスの第2交響曲の初演も行われて、こちらは大成功で新聞も賛美一色という対照的な人気でした。今では3人ともコンサートのレパートリーに欠かせない作曲家で、あるいはブラームスが押され気味かもしれません。

110212b  第4番はブルックナーの交響曲の中でも「ロマンティックという」ニックネームが付いたせいか、はやくから代表作品として事典等でも紹介されていました。しかし、通常の第2稿は何となく鈍重というか単調に思えていまひとつ好きではありませんでした。それでも1楽章の冒頭、3楽章の狩のホルン等、魅力的な部分もありました。第1稿の方は3楽章が別の曲になってしまいますが、変化に富んで「深い森の中」というイメージにも合致する音楽だと思えました。90年代にTELARCから出たロベス・コボス指揮シンシナティー交響楽団の第4番は、よく見れば(orijinal 1874 Version)と表記されています。当時はこのCD、第1稿という点は話題になったかどうか覚えていませんが、全然気にせずに購入していました。

 ブルックナーの交響曲で第2番、第3番、第4番のそれぞれ第1稿と第5番を「四部昨」としとらえる見解が、アイヒホルン指揮の第2番の解説書に載っていたのでそれを意識しながら聴いていました。第4番の終楽章まで来て何となく、あの堅固な構成の第5番が見えて来た気がしました。今後第5番まで聴き、今度は逆に4、3、2と第1稿で聴いてみることにします。

 シモーネ=ヤングとハンブルクPOのコンビ、続けてブルックナーの交響曲を録音するのかと思えば第8番1稿で止まっています。新譜はラッセル・デイビスのように安くないので、まあ良いかと思いつつ、ちょっと残念です。2~4番の異稿、第1番の複数稿は聴いてみたいと思いました。

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9 2月

バッハBWV564 トッカータ、アダージョとフーガハ長調 アラン

J.S バッハ トッカータ、アダージョとフーガハ長調 BWV.564(オルガン曲)

マリー・クレール・アラン:オルガン

デンマーク、コレングの聖ニコライ教会 : マルキュッセン・オルガン

(1978年5月~1980年4月 録音 ERATO・ワーナー)

110209b  1月の中ごろは事務所で昼から時々音量を絞ってブクステフーデのオルガン曲をBGMに流していました。何故だかオルガンの音は気分を平らかに、ちょっと陰気な気分を引き揚げるような効果を感じています。でもブクステフーデの作風は?と問いかけてみてもすぐには頭に浮かびません。それに、COMP・ブクステフーデ・オルガン作品と表記されているCD集でも曲数が違ったりします。よく分かりませんが、最初からオルガン専用に作曲されたものだけを集めた録音か、オルガンでも演奏可、又は一般的にオルガンで演奏するのが定着している作品を含めて録音したもの、の違いではないかと推測できます。あとは偽作を含めるどうか等。

 今日はブクステフーデのオルガン曲ではなく、バッハがイタリア滞在、ブクステフーデ訪問の直後に作曲したオルガン曲の中から、トッカータ、アダージョとフーガハ長調BWV.564をピックアップです。これもフーガト短調BWV.578、トッカータとフーガニ短調BWV.565等と並んで有名な作品です。個人的にバッハのオルガン曲と言えばこれよ、というくらい好きな曲です。初めのトッカータが奔放で、胸がすく思いがします。この作品は曲名の通り、トッカータ部、アダージョ部、フーガ部の3つに分かれ、急-緩-急、イタリアの協奏曲様式を踏襲していると書かれてあります。

11209a  実はこの曲をはじめてじっくり聴いたのは、アランではなくヴァルヒャのLPでした。それもクレンペラーとベルリンフィルによる管弦楽組曲第3番と併せて1枚に入っていたライブ録音でした。珍しいクレンペラーのライブ録音(1950年12月22日・バッハ 管弦楽組曲第3番)のLPなので買ったもので、このオルガン曲はたまたま入っていたという感覚でした。ヴァルヒャの演奏は1955年5月22日、ベルリンでのコンサートです。当然モノラル録音、国内盤仕様で、発売元はRVC株式会社、2000円と表記されています。音源はイタリア・LAUDIS S.R.Lと書かれています。マリー・クレール・アランが演奏するバッハは気に入っていましたが、この曲は最初に聴いた印象が強いこともあって、特にバルヒャが素晴らしいと思えます。

 アランは3度バッハのオルガン曲全集を録音しているそうですが、今回は2度目の録音で廉価仕様で出回っているものです。バッハの音楽は意外に胎教に良く無いそうで、さしずめこの曲もその胎教に悪い部類の筆頭だろうと思えます。しかし、アランの弾くバッハは明晰で、均整のとれた響きなので、聴いていて揺すぶり起こされるような印象では無く、そこに魅力を感じています。バッハのオルガン曲も、全集でさえ多数出てきてアランの古い録音はやや地味な扱いですが、聴きやすいタイプだと思います。

 「寒の戻り」とか戻り寒波と言いますが、今日は雨が上がった後は風も強く気温以上に寒さを感じました。それでお昼によく行く蕎麦屋で「カレー蕎麦」とご飯を食べて温まりました。その時職場近所で時々顔を合わす、微妙な年齢のセレブ(としておく)2人組が同じ店に入ってきて、「いつも」の「大盛り」と元気よくオーダーしていました。年齢にもよりますが、OLなら「ご飯少なめに」と注文するのをよく見かけるので、大盛りという声は目立ちました。職場からは大通りを介してちょっと離れているのでそれまでかち合うことはありませんでした。何となく日常をのぞき見た格好で、先に店を出る時に、普段気付けば会釈くらいするので挨拶して出るか、気が付かないふりをして、相手が声をかけて初めて挨拶するのがいいのか、ちょっと迷いました。

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8 2月

ベートーベン第4交響曲 セル クリーブランド管

ベートーベン 交響曲第4番変ロ長調 作品60

ジョージ=セル 指揮 クリーブランド管弦楽団

(1963年録音 SONY CLASSICAL)

 ベートーベンの交響曲第4番は、ベートーベンの9曲の交響曲中でも第6番田園と双璧くらいに大好きな作品で、この曲はクレンペラーとPOの全集の中の演奏で記憶に残っています。第4番と言えばクレンペラーの演奏が頭の中で流れだします。クレンペラー以外ではセルの録音も気に入っていました。度々記憶の中から引用している「名曲名盤500・1980年代前半 レコ芸別冊」の中では、確かワルター、コロンビア交響楽団の人気が高かったはずです。その後はカルロス・クライバーのライブが登場しましたが、それでも個人的にはそれらはあまり感心せず、クレンペラー、セルに惹かれていました。多数の評論家の投票行動の中では、三浦淳史氏がセルを1位に投票していて、クレンペラーを2位か3位に投票していました。他にはあまり票が入っていなかったので印象に残ります。

第1楽章:Adagio /Allegro vivace
第2楽章:Adagio    
第3楽章:Allegro vivace
第3楽章:Allegro ma non troppo

①10分00,②9分47,③5分56,④5分57 計:31分40

 セル盤のトラックタイムは上記の通りです。クレンペラーの音でこの作品を記憶していると、淡泊に聴こえますが、およそ乱れるとか歪という言葉と最も遠い演奏で、整った美しさが感じられます。また、時々カラヤンのベートーベンについて評される「耽美的」という言葉も思い出すことはないでしょう。セルは晩年に、大阪万博の折訪日しているので実際に聴いたことがある人の感想等も稀に見られます。セルと言えば、技術的に完璧な演奏を目指し、目指すだけでなくほとんど完璧な演奏を実現させるというイメージでが先行します。しかし、モーツアルトやベートーベンの演奏を聴いているとそれだけではないプラスαがあると感じられます。

110208  大阪万博の年にはカラヤン・BPOも同じ頃に来日していて、カラヤンがリーハサルをしている会場に、爺さんが「どこが練習しているんだ?あまり上手くないな。」と言いながらのこのこと入って行ったという。カラヤンだと分かると爺さんが「やあ、ヘルベルト!」と声をかける。するとカラヤンがペコペコと「これはマエストロ、お元気そうで何よりです」と挨拶をした。その爺さんがクリーブランド管と来日していたセルだった。そういう話をFMで聴き、偉い人だったんだと感心していました。その話を番組でしていた人も、「あまり上手くない」とか、カラヤンにタメ口以上の態度に驚いていたそうでした。つまり同業者の指揮者から畏敬の眼差しで見られる、正統派指揮者だと言えるということでしょう。

 セルは、クレンペラーの後任としてストラスブールの劇場に指揮者に就任する際に、R.シュトラウスの仲介でクレンペラーと会った時はまだ19歳でしたが、聡明で才能あふれる人物だとシュトラウスもクレンペラーも認めたので、年齢をごまかして起用したそうです。「クレンペラーとの対話 P.ヘイワーズ編」の中では、セルについてはクレンペラーは褒めるのみで批判はしていませんが(珍しく)、「氷のように冷徹」と評しています。晩年のニュー・フィルハーモニア管時代でもクレンペラーはセルの演奏を意識していたふしがあり、微妙な感情があったのかもしれません。

 現在セルとクリーブランド管弦楽団の録音は、国内盤で聴けるCDは少なく、輸入盤でもやや粗略な再発売のされ方なのが残念です。今回のベートーベン第4番の演奏は、本当に久しぶりに聴きましたが、覚えていた音とはちょっと印象が違っていました。ギラギラとした、光沢のある金属かガラスのような感触だと刷り込まれていたのが、ずっと素朴な音響に聴こえて意外でした。昨夏に出るはずだったハイドンの交響曲集(ロンドンは初CD化)が来月にやっと発売になるなど、コンスタントに再発売がされるようで楽しみです。

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3 2月

クレンペラーのステレオ再?録音・モーツアルト40番

モーツアルト 交響曲 第40番 ト短調 K.550


オットー=クレンペラー 指揮
フィルハーモニア管弦楽団

 

( 1962年3月 録音 EMI) ( 1956年7月 録音 EMI)


 
昨年の9月1日投稿の「 クレンペラーの新旧プロメテウスの創造物序曲 」の中に、クレンペラー指揮フィルハーモニア管のモーツアルト・交響曲第40番の録音が2種あるが新しい方がまだCD化されていない、と書いていました。それについて、読まれた方のコメントがあり、国内盤CDの「モーツアルト35番、40番、41番(BEST100PREMIUM他)」に含まれている交響曲第40番は、表記は1956年録音となっているが音源は新しい方の1962年録音であるという指摘でした。
                   

 詳しくは上記のように、1962年と1956年の2回録音されていて、最初に海外でCD化された時は古いほうの1956年録音でした。これは、” EMI  GREAT RECORDINGS  OF  THE  CENTURY ”のシリーズ(モーツアルトの交響曲29,35,38,39,40,41番)にも含まれていました。これは2枚組CDで、1956年旧録音・交響曲39番のステレオテイクが初めてCD化されたことでちょっと話題になりました。一方、国内盤でクレンペラー指揮のモーツアルト・交響曲がいつCD化されたのかよくチェックしていませんでした。最近では2009年3月発売(上記写真)、2010年10月発売(ジャケットは同じで値段が半分以下)のCDがありました。


 二つの音源はどちらもステレオ録音ですが見分け方があるということです。コメントで教えてくださった方によると、第1楽章のリピートの有無により演奏時間が異なる点でした。あらためて実際に聴いてみると、1962年録音の方は冒頭が主旋律の伴奏的な弦が大きく聴こえて武骨な流れであるのに対して、1958年録音の方は主旋律の方が目立ち、小さめの音で沈み込むような流れでした。やはり演奏時間ははっきり違っていました。
 

A・1962年:①6分38(国内盤)

B・1956年:①8分40(輸入盤)

 全楽章のトラックタイムは以下の通りです。

62年・①6分38,②8分56,③4分21,④5分16

56年・①8分40,②8分57,③4分13,④5分04


 このCD・音源は両方とも購入して聴いていましたが、二つを並べて比較するようなことは無く、ブログのコメントの指摘があるまで全く気が付きませんでした。発売元の「EMIミュージック・ジャパン」は気付いていて放置しているのかちょっと不思議です。CD記載のデータは無条件に信用しているのでこれまで気が付きませんでした。まさか、1956年録音にリピートが無いテイクがあるとか、カットしたとかそんなことはないとは思いますが、人間の感覚はいい加減なものなので、今日聴いて二つのCDの1楽章冒頭は違う演奏だと思いましたが、リマスターの違いでそう感じたのかもとか疑心が頭を持ち上げてきます。なにしろ今まで全然気が付かなかったので。ちなみに、国内盤は「通称 OKAZAKI リマスター」で、輸入盤は「art  Abbey Road Studio リマスター」です。
 

 演奏の内容には触れられませんでしたが、居なくなった1匹の羊が見つかったような喜びでとりあえず忘れない内に記録する意味でも記事にしておきます。クレンペラーの演奏の中では、モーツアルトは全般的に特別に好きなので(そのわりに全然気が付かないとは、愚鈍の極み)気がかりだった録音が見つかりすっきりしました。

2 2月

ブルックナー第3・第1稿 シモーネ=ヤング・ハンブルクPO

ブルックナー 交響曲 第3番 ニ短調 「ワーグナー」(1873年稿)

シモーネ=ヤング 指揮 ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団

(2006年10月15,16日 ハンブルク・ライスハレ ライブ録音Oehms)

110202b  先日取り上げたブルックナー交響曲第2番の1872年稿・第1稿に続いて、同じ演奏者による第3番です。交響曲第2、第3、第4の各第1稿と第5番は4部作を構成するという意見に従い、連続して取り上げてみました。交響曲第3番も前作以上に複雑な「同曲・異版」が併存しています。大きく分けて、第1稿、第2稿(エーザー版、ノヴァーク版)、第3稿があり、最も演奏頻度が高いのが第3稿・ノヴァーク版です。今回のCDは最初に完成した当時、1873年の状態を再現した第1稿で、この曲の愛称「ワーグナー」が示す通りワーグナーの作品からの引用が顕著で、ワーグナーに献呈された時の版でもあります。楽章毎の長さがかなり異なり、何となくまとまりを欠くという印象を与えますが、タンホイザーの巡礼の合唱の旋律に由来するとされる旋律や、ワルキューレからの引用等も面白く、ここ15年程で録音が急増しています。なお、ブルックナーの同曲異版のディスコグラフィーは「” abruckner.com/ ” Anton Bruckner Symphony VersionsDiscography Compiled by John F.Berky」というサイトに詳しい。これによると、第2番もさらに複雑な分類がされています。このサイトは、http://www.の後に、「a」 +「bruckner.com」と続き、「a」が付かなければ全然別のサイトになってしまいます。

1楽章:Gemäßigt: Misterioso
2楽章:Adagio: Feierlich
3楽章:Scherzo: Ziemlich schnell
4楽章:Finale: Allegro

①25分26、②19分20、③6分40、④17分09 計:68分35

 このCDのトラックタイムは上記の通りで、第3楽章が極端に短いのが目立ちます。ブルックナーの交響曲第3番第1稿のCDでは、ロジャー・ノリントンとロンドン・クラシカル・プレイヤーズの演奏時間が約57分という快速で有名です(聴いたことはありませんが)。それは特別だとしても、近年は概ね速めのテンポが多いようです。ちなみに、ボッシュ 指揮 アーヘンSOのCD(2006年5月)飯森範親 指揮 山形SOのCD(2009年8月)では、約65分台です。

 前回のヤング指揮の第2番は、隅々まで神経が行き届いた入念で美しい演奏でした、ブルックナーと言えば金管楽器の強奏が目立ち、浅薄なイメージながら岩肌がむき出しの険しい山を連想しがちです。しかし、シモーネ・ヤングの第2交響曲は、まるで木が生い茂った山を思わせるものでした。今回の第3番も基本的には同様の演奏ながら、2番程自然な美しさと思えず、特に第1楽章はどこかギクシャクして曲の流れが滞るといった印象でした。第3番の第1稿とはこうした音楽だという面もあると思いますが、ちょっと残念でした。それでも第4楽章はなかなか感動的でした。

             110202

 ブルックナーの交響曲の中でも第3番は、個人的にあまりなじみがなく、第1番、0番と並んで聴いた回数は少ない曲でした。そのためもあって、今回のCDの感銘度も前回の第2番程でなかったのかもしれません。ただ、ワーグナーのタンホイザーの旋律を思わせる部分等は興味深いものでした。でも、どうもブルックナーその人とは異質な旋律を移植したようにも思え、何故ブルックナーがワーグナーに傾倒したのか等、当時の楽壇へいろいろ思いをはせました。

 版の違い等細かい点は、交響曲第3番の今後のCDを取り上げる機会に順次ふれるとしてこれくらいにしておきます。元々そうした版の話題には疎く、わざわざ第1稿なんかで録音せずに最終的に定着したやつにしておけば良いのにくらいに思っていました。なお、この第1稿は1873年稿で、第2番を初演したのも1873年だったのでかなり精力的に作曲しています。第2番の初演は大成功(批判もあったけれど)でしたが、1877年に作曲者自身の指揮で行われた第3番の初演(ウィーン)は、大失敗に終わりました。

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raimund

昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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