raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

2010年02月

28 2月

若いのにリハ妥協無 カンテルリのベトベン第7番

Photo  のだめのもう一人の主人公と言っても良い千秋真一が初めてオーケストラの指揮をする曲が、ベートーベンの第7交響曲になっていました。鋭敏な耳で容赦なく団員にダメ出しをする様子は、ちょっと何様?という気もしますが、現実のプロオケならあんな光景は無いのだろうと想像していました。

 イタリア人指揮者グイド・カンテルリは、1920年4月生まれで1956年11月に36歳で飛行機事故で亡くなりました。戦中はナチスドイツの捕虜になった後脱走してレジスタンスに身を投じながら生き残りました。パリからニューヨークへ飛び立った直後の事故らしく、まさかそこで人生が終わるとは誰も予想していなかったはずです。ジュリーニ、バーンスタイン等と同世代なので、生きていれば音楽界の様子も違ったものになっていただろうと言われています。(千秋のような飛行機嫌いはこういう場合は身を助けたかもしれません) (写真は宇治市内、宇治川に架かる吊橋)

・ベートーベン交響曲第7番 グイド・カンテルリ指揮 フィルハーモニアO(1956年録音)

Photo_2  36歳の若さで亡くなりながら、カンテルリはその亡くなる年に録音した第7交響曲の他に未完成交響曲、ブラームスの第1、3交響曲、メンデルスゾーンのイタリア交響曲、モーツアルトの29番の交響曲等いくつかの素晴らしい録音を残しています。彼は、コンサート、録音を問わずリハーサルでは一切妥協なく、ダメな部分だけを細切れにして録音し直すのを嫌い、かなり長い部分を最初からやり直したと伝えられています。当時、フィルハーモニア管弦楽団は戦争や人種問題(ナチスの政策)で活動の場を失った優秀な演奏者を集めて構成されていて、ホルン奏者のデニス・ブレインのような人も含まれていました。ところが、カンテルリの完全主義的な、執拗なリハーサルにねをあげてしまう程だったそうです。

 カンテルリのベートーベン第7交響曲は、先日のクレンペラーとはうって変って颯爽としたテンポで、奔放な水の流れのような演奏です。しかし、オーストリアの古い巡礼歌の旋律からとられたという3楽章のトリオは比較的ゆっくり演奏され、バランス感覚も豊かです。個人的には、1968年録音のクレンペラー盤と双壁で気に入っています。録音を聴いていますと、完成までうんざりするほどリハーサルを重ねたとは想像し難い空気で、笑顔で登場して一発でOKが出たような印象を受けます。音楽の世界でも人真似や、どこかできいたことがあると思わせるような演奏ならダメなので、ピリオド楽器の団体の影響力が大きい現代ではこういう演奏を聴く機会は希少だろうと思えます。 

27 2月

モダンオケは不滅 ハイティンクのベートーベン第4番

Photo  世の中は脱ダムに続きコンクリートから人へ、だそうです。ベートーベンの交響曲演奏は古楽器によるものが当たり前になってきています。もともと古楽器団体を主宰していた指揮者が、伝統的な楽団の指揮をする例も増えています。N響にもホグウッドが登場しました。そういう近年、ベルリンPOやVPO等有名オケもハイドンからベートーベン、あるいはシューベルト等を演奏するには苦慮する面があるだろうと思います。指揮者も同様で、不勉強ではいられないところです。(写真は天ケ瀬ダム・宇治市)

 そんな中で、2005年から翌年にかけてライブ録音されましたハイティンクとロンドン交響楽団によるベートーベンの交響曲全集があります(録音年は第4交響曲の録音年です)。 

  ベルナルト・ハイティンク指揮 ロンドンSO(2006年・Lso Live)

  第4番は表題無しの交響曲ですが、運命と抱き合わせにCDに収録されたりして7番の次くらいにメジャーではないかと思います。2、3番のコーダのような執拗な終わり方ではなく、淡白に曲が終結し、曲想も安定飛行ながら開放的で、含蓄が深いものがあります。

Haithink_3  ハイティンクは、1961年に32歳で名門アムステルダム・コンセルトヘボウOの首席指揮者に就任し、60年代でブルックナー、マーラーの交響曲全曲録音に取り組みました超ベテラン です。しかし、少し聴いてこの人の指揮による演奏と分かるような個性派とは言い難いタイプです。非常に長いキャリアながら、90年代に進行中の企画が中座したせいもあり、日本ではややかげが薄くなってきていました。現在はシカゴ交響楽団の首席のはずです。この録音は旧デッカの技術陣により、マルチチャンネルで録音されています(SCAD5.1)。もっとも、そのフォーマットに対応したプレーヤーやその数のスピーカーが必要ですが、通常のCDとしても再生できます。

 同じ頃にブレーメン・ドイツ室内POとパーヴォ・ヤルヴィによるベートーベン交響曲全集の企画があります。来日公演でもベートーベンチクルスを演奏しましたこのコンビは、小編成のモダン楽器による楽団ですが、トランペットとティンパニは古楽器を使用し、他の楽器の演奏法も古楽器奏法を取り入れています。小編成のアンサンブルで古典派の作品を演奏するスタイルは何十年も前から見られ、日本でも岩城宏之等が取り組んでいました。小編成のため分厚い響きは期待できませんが、その箇所でどんな音が鳴っているのか分かりやすく、明晰さが美点です。このヤルヴィらの演奏は、そこへ古楽器奏法の要素が加味され、かなりメリハリがきいた響きに仕上がっています。

 ハイティンク、ロンドンSOの最新の録音はそういうスタイルとは異なり、対極とも言えるものですが、演奏は鈍重さや弛緩といったものとも無縁で、大変美しいものです。、何らかの主義主張を装備して身構えなくても自然と楽しめるものだと思いました。なお最新のマルチチャンネル録音なので、その方式で再生すれば例えば楽器配置が第一ヴァイオリンの隣ではなく、反対側になる対向配置の場合等違ったきこえ方になるのか気になるところです。クレンペラー等古い世代の指揮者は対向配置を好んだそうですが、このロンドン交響楽団はそうではなかったはずです。 

25 2月

音楽祭の臨時編成オケ カザルスのベートーベン第8交響曲

 カザルスは偉大なチェリストというだけでは表現しきれない存在だったと思います。94歳のときに国連本部で、鳥の歌を弾き「私の生まれ故郷カタロニアの鳥は、ピース、ピース(英語の平和)と鳴くのです」と語った姿は、母国のスペイン内乱、フランコ政権へ抗議してフランスへ亡命し、反ファシズムを貫き通したカザルスの生涯を象徴しています。

Photo  アメリカ北東部バーモント州のマールボロカレッジで、アメリカへ亡命したブッシュ兄弟、ルドルフ・ゼルキンが始め、毎夏開かれるマールボロ音楽祭にカザルスも招かれて度々参加しています。1963年録音のベートーベン交響曲第8番は、その音楽祭のライブ録音で、マールボロ音楽祭管弦楽団をカザルスが指揮しています。このオーケストラは音楽祭に集まった広い世代の音楽家によって臨時編成された、いわば寄せ集めのオケです。カザルスは戦前から指揮を始めていますが、当初は団員からも馬鹿にされることもあり、なかなか順調ではなかったそうです。

 ベートーベンの交響曲で第8番は微妙な狭間に位置するような存在で、どう受け止めればよいか戸惑うところがあると思います。第九の前なので、その大曲を予兆させるようなものがあるかと思えば、そうでもなくちょっと聴きますと第1番より前に遡ったような感じさえします。この曲で名盤と言われたものの中で、ハンス・シュミット・イッセルシュテット指揮ウィーンPOの60年代の録音がありました。ベートーベンの他の交響曲では全然候補に挙がらないのに(彼は全曲VPOと録音済)、第8交響曲だけ注目されているからには、この曲はやはり特異な存在なのかということになってきます。

 カザルスのこの演奏で第8交響曲を聴いてみますと、特別に奇抜なことはしていないのに非常に存在感があり強烈に印象に残ります。ここでは2番やエロイカ、運命の延長のように堂々と鳴り響いています。まぎれも無くベートーベンの交響曲の世界で、もし作曲者が自分で指揮をしていたならこうかもしれないとも思えてきます。第八交響曲の魅力を知るには不可欠な演奏だと思いました。カザルスは同音楽祭のオケとモーツアルトの後期6曲の交響曲を録音しています。それらもこの演奏と同じ方向で現代でも大変魅力的です。古楽器の団体の演奏が増え、その中にはテンポやアクセント等でもっと過激な表現の演奏もありますので、カザルスの表現は刺激的とはうつらないはずです。しかし、どう説明すればよいか分かりませんが、常設のオーケストラではない等マイナス要因が少なからずありながら、カザルス最晩年の指揮は、心に訴えかけてくる何ものかを感じさせられます。 

24 2月

神への冒涜か? クレンペラーのブルックナー8番・削除版

 1970年の10月、11月にクレンペラーが、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団と録音しましたブルックナーの交響曲第8番の演奏は、終楽章の231小節~386小節、583小節~646小節がクレンペラーによって削除されています。この録音直後の公演でも同様にしています。「作曲者が音楽的な工夫をしすぎてまとまりがなさすぎるように、自分には思える」と理由を説明しています。また、ブルックナー愛好者は異議を唱えるだろうが、他の演奏者の規範として削除を行ったのではなく、自分が演奏する時にだけこれについて責任を負える、とも語っています。もっとも、ケルン放送交響楽団とのライブ録音ではこの削除はされていません。
 

 クレンペラーは、メンデルソゾーンのスコットランド交響曲の終楽章コーダでも似たことを行っています。ワーグナーがベートーベンの第九交響曲のスケルツォの第二主題に行ったホルン加筆やマーラーがシューマンの交響曲に行った事などを例示して、演奏者は自分のやり方は自分で見つけるべきで、他の演奏者がマーラー版シューマンを採用するべきではないようにも語っています。ワーグナーについてはやり過ぎとも言っていますが、このブルックナー第8番はやり過ぎではないのかと思えます。削除された部分は結構な量で、この演奏なら5分以上の演奏時間に相当するはずですから。「音楽的な工夫をしすぎてまとまりがなさすぎるように」というクレンペラーの指摘の当否は私には分かりませんが、とにかくこういう演奏だとして受け止めています。なお弁護するわけではありませんが、未完に終わったマーラーの第10交響曲を音楽学者のクックが補筆完成させた版についてどう思うかという問いに、楽譜を取り寄せて見た彼は「恥知らずというものです」と答えています。完成したのは1楽章だけで、次楽章のスケッチが残っている程度の作品を別の人間が加筆、補筆して完成できるわけがないというところです。

 削除のことはさておきまして、この演奏自体は実のところ大変気にっています。2楽章が特別に好きで、まさに「このテンポ以外ないと感じられる」程です。2楽章は、ブルックナーの交響曲のお約束のスケルツォですが、大変ゆっくりしたテンポで進み、先日のチェリビダッケよりもスローです(2楽章だけはクレンペラーの方が遅い)。リヒャルト・シュトラウスは、ブルックナーについて「オーストリアの田舎者の作曲のやり方」と評したとクレンペラーは心外そうに語っています。田舎者という言葉が出てくる原因は、各交響曲に配置されたスケルツォ楽章のためかもしれませんが、クレンペラーにかかりますと一味違うスケルツォになり、野暮ったいという印象とは異なります。特に、晩年のクレンペラーの演奏から受ける印象の一つに、ぶ厚い板ガラスを通して見た風景のような独特の造形感があると思えます。この第2楽章の印象もそれで、他に類を見ないものです。
 

 第1、3楽章も魅力的で、「木管が聞こえることが重要」というクレンペラーの美意識が発揮されています。しかし、同楽団と3年前に録音しました同じブルックナーの交響曲第5番より雑になっているようで少々残念です。第4楽章も流動感よりも緻密に作品を描くクレンペラー流で通していますが、ブルックナーのフィナーレ特有の祝典的な盛り上がりという要素はあまり重視されていないように感じました。クレンペラーにしては当然でしょうが、ブルックナーの特別なフアンの方ならそこも物足らないところだと想像できます。しかし、一方でR.シュトラウスの言う「田舎者」的な作曲がよく該当するのは実は終楽章、フィナーレの祝典の方ではないかとも思えてきます。
 

 最後に、重ねて弁護するつもりではありませんが、マーラーが自作の第八交響曲のリハーサルの時、客席に居たクレンペラー等に「自分が死んだ後でも、もし具合が悪いところがあったら、書き変えてくれたまえ。君らには『そうする権利』はもちろん『義務もある』のだよ」と言ったそうです。作品に忠実であることは、ただ純粋なテクストを使うこととは別のものだとクレンペラーは考えています。

22 2月

Saint Florian ブルックナー没後百年の第8番 ブーレーズ

Photo 1996年9月、リンツ郊外の聖フロリアン修道院大聖堂で行われたブルックナー没後100年記念のライブ録音。フランス人作曲家・指揮者のピエール・ブーレーズ指揮、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団の演奏。この修道院のオルガンの真下に位置する地下墓地にブルックナーの棺が安置されています。ちなみに聖フロリアンは消防士、煙突掃除の守護聖人とか。

 ブルックナーの交響曲は、時々特別な適性を示す演奏家が見られます。他の作曲家の演奏では可もなく不可も無く、といった世評にもかかわらず、ブルックナーだけ評価されたり、晩年になって突然そのブルックナー演奏がもてはやされたりという現象です。ブーレーズの場合はそういう例ではありません。60~70年代にストラヴィンスキー、バルトーク、シェーンベルク、ベルクといった近現代の作曲家やドビュッシー等フランスの作曲家を指揮して注目されました。歌劇場を爆破せよ等、作曲家としての視点からか独自の過激な言動で、イタリアオペラ等過去の作曲家への目も厳しかったようです。ドイツオーストリア系の作品は、ワーグナーの指輪、パルシファルのバイロイトでのライブ録音、マーラーの全交響曲の録音がある他は思い当たりませんので、ブルックナーを振るのは意外に思えました。

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 この演奏は速目のテンポで、緻密な水晶細工のように響きながら曲が進められて行きますが、過度に神経質になったり、強弱のアクセントが露骨というものではなく、自然に美しいブルックナーではないかと思えました。昔、雑誌の投稿で古今の指揮者を集めて「指揮者王国」なるものを書いていた人がありました。誰それは国王、首相という具合にユーモアを交えて演奏家の特徴にあったポストを割り振っていました。その中で、ブーレーズは、解剖学の教授だったと思います。スプーンが床に落ちる音の調性等一瞬で分かる等と言われたブーレーズのイメージがそういう風に写っていたのかと思わされます。このブルックナーの墓前演奏とも言えるブーレーズの録音では、どちらかと言いますとブルックナー演奏には異質と思える要素は控えめになって、ブルックナーの作品の自発的な美しさが現れるのに貢献していると思えました。

 この演奏も先日のチェリビダッケとは全然違う演奏ながら、作品の魅力を再認識させてくれる演奏だと思いました。

21 2月

巧いだけじゃないとは? ショパンのエチュード10.4・ポリーニ

Photo  マウリツィオ・ポリーニは、1960年に18歳でショパンコンクールで優勝し、約8年修行を重ねた後に本格的に国際的演奏活動を開始しました。ベートーベンの後期ピアノソナタやこのショパンの27曲の練習曲集もその頃の1972年録音です。

 のだめ作品中で主人公のだめぐみが国内で開かれるコンクールの合宿練習中に、作品10の4を教授の前で弾いてみせる場面があります。「鬼気迫る燃えるような魂のエチュード~こいつはただ巧いだけではないう」云々と、担当教授が内心驚いています。一体どういう演奏なのか気になるところです。

 ポリーニはショパンコンクール時でも、審査員に我々より巧いと言わしめた程の完璧なテクニックの持ち主と言われますが、後に冷たい、機械的という批判めいた意見も一部できかれたようです。昔ベートーベンのピアノソナタ31番を聴きました時は、確かに陰影を全然感じさせないような退屈な印象を受けました。極言しますと、野仏を研究室に運び、苔等を全部そぎ落とし、全方向から照明を当てたような演奏に思え、好きになれませんでした。

 しかし、今ショパンのエチュードやベートーベンのピアノソナタ等を聴き直しますと、そんな否定的な感情はわいてきません。楽譜になっている音を余さずに懸命に掘り起こして、作品を明らかにする姿勢に思え、その曲がどんなものかを知るにはこういう演奏も欠かせないのではないかと思えてきます。それだけではなく、惹きつけられ、鮮烈に印象に残ります。これも巧いだけではない凄い演奏なのだと思います。

 聴いていますと、作品10の4は速く演奏され、弾くのは相当難しそうにきこえます。のだめ作者の念頭にこのポリーニの録音があったかどうか分かりませんが、ちょっと彷彿とさせられました。                 (写真は仁徳天皇の弟宮の御陵、宇治市内。しかし、川の近くにあるのに千年以上残っている点等疑わしいとも言われています。綿密に調査するとあるいは別な真実が出る可能性もあります。)

20 2月

名曲で名匠なのに地味? ドボナーニのブラ4

 ブラームスの第四交響曲は、個人的にブラームスで一番好きな曲で、特に1、4楽章が大好きです。この曲は、ブラームスの最後の交響曲で、表題は無く、終楽章にバッハの時代のパッサカリアという様式を用いています。最初の交響曲を書くのに念入りに推敲を重ね長い年月を費やしたこともあり、この曲はブラームス究極の交響曲のはずです。しかし、どうしても第一番の方が終楽章の美しい旋律もあって演奏頻度が高いようです。 

  クリストフ・フォン・ドボナーニは1929年ドイツ生まれの指揮者で、祖父は作曲家のエルンスト・フォン・ドボナーニ。1980年代前半から20年近くアメリカのクリーブランド管弦楽団の首席指揮者を務め、ヨーロッパの主要な歌劇場、楽団にも客演しています。正統派の巨匠なのに、気のせいかどうも日本ではかげが薄い存在です。マーラー、ブルックナーの交響曲の録音をクリーブランドOと始めたと思えば1、2曲で立ち消えになり、ワーグナーの指輪の録音も同様です。

 そんななかで90年代から客演指揮者になり、終身名誉指揮者に就任しましたフィルハーモニア管弦楽団とのブラームス交響曲のアルバムが近年出てきました。

  • 交響曲第二番 2007年6月 ロイヤル・フェスティバルホール ライブ録音
  • 交響曲第四番 2007年2月 クウィーン・エリザベスホール ライブ録音

 二曲ともロンドンでのライブ録音です(Signum Classics)。かつてのようなセッション録音が減り、ライブ録音が増えているのもこの15年くらいの傾向です。

 この第四番の演奏は、流麗で明晰な印象を受け、その点は素晴らしいと思えます。ただ、端正であっさりしすぎていないかとも思いました。個人的には、ピッケルを突き刺しながら登り歩くような、ギクシャクした進行をこの曲Photo_2 からイメージしていますので、特に終楽章が別世界のように思えました。この曲は同年代のカルロス・クライバーとウィーンフィルの録音が有名です。クライバーも流麗で美しい演奏ですが、もっと激しく、特にフアンでなくても引き込まれるような迫力がありました。ともあれ、ドボナーニのこの演奏の後も盛大な拍手が響いていました。クライバーは6年前に他界しましたので、ドボナーニにはもっと長生きして光を放ちまくってほしいところです。         (写真:宇治代官を歴任した一族末裔の御茶屋さんの資料館)

18 2月

ニシタカシマダイラタカシマダイラ・・・ アンコール曲FMエアチェックから

Photo 10年前FM放送をエアチェックしてDATテープに録音しようとしましたところ、アンコールのところで面白い曲に出くわしました。ベルリンフィルの8人のホルン奏者達というタイトルの演奏会で、2000年11月の演奏会を放送していました。メンバーのクラウス・ヴァレンドルフ作曲の「地下鉄ポルカ」で、2分程度の短い曲です。冒頭は黒田節の旋律がやがて曲調が変わり、リズムの伴奏のようになり、作曲者自身が日本語で早口、ラップ風に東京の地下鉄の駅名を読み上げて行きます。所々駅名が間違っているようですが、最後はニシナカノ ヘイ!で終わります。演奏会場で聴けばベルリンフィル団員、ドイツ人という外見からギャップもあり、さらに面白いのでしょう。でもFM放送の音だけでも楽しめました。

Photo_3  エアチェックという語はほとんど死語で、DATも製造中止で、Y社のHD付CDレコーダーも製造中止のようです。時々テープで聴きなおして、よくこんなのを作ったと感心していました。後に知りましたが、大阪篇まで出来ているそうです。この作品は、結構有名だったようでコンサート会場で聴いた人も少なからず居るようです。宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」で、コンサートが終了した後にアンコールとしてチェロのゴーシュ君が「印度の虎狩」という作中の曲を弾いていますが、大曲の後にアンコールをするのは難しいと楽長が言っています。ライプチヒゲヴァントハウス管弦楽団、聖トーマス教会聖歌隊等のマタイ受難曲に行ったことがありますが、アンコールはやはり無しでした。

 ご丁寧にと言いますか、有り難いことにといいますか地下鉄ポルカの録音が含まれるCDがありました。日本のレーベルから、ベルリンフィルハーモニー・ブラスクィンテッド演奏のオムニバスアルバムで、末尾に作曲者の歌唱?でしっかり入っていました。シャイトの戦いの組曲、ビゼー・カルメン幻想曲等ブラスアンサンブルの真面目なアルバムです。それにしましても、マーラーは当時最新の高架鉄道等そういう物に一切関心は無かったとクレンペラーは述懐していますが、ホルン奏者のヴァレンドルフ氏はこういう曲を作ったところからして鉄道マニア・鉄っちゃんかもしれません。

17 2月

Schön!? 失格ですか? クレンペラー最後のベト7

 クレンペラーの演奏の特徴について、彼にインタビューをした音楽学者ピーター・ヘイワーズは「木管楽器が際立っていること、ある種の開放的な響き」と評しています。これにクレンペラーは気を良くしたのか「木管がきこえることが大事だ」と強調して肯定しています。そうしたクレンペラーの演奏の美点が非常によく現れているのが、1968年にニューフィルハーモニア管弦楽団(フィルハーモニア管弦楽団がEMIのプロデューサーだったウォルター・レッグの手を離れ、クレンペラーを会長とした自主運営の団体となり改名しました。後に名称は元に戻しています。)と録音しましたベートーベンの第7交響曲だと思います。クレンペラーは1960年、1955年にも同楽団とこの曲をスタジオ録音しているので三度目の正式録音になります。
 

 良い演奏が終わった後の反応とはどんなものでしょうか。①歓声、割れんばかりの拍手、いつまでも止まない拍手、②一瞬静まり返ってやがて拍手、③ブラヴォーとブーイングが伯仲する、等いろいろ考えられ、一様ではないと思います。①は通常の名演だろうと思われます。マーラーの第六交響曲初演の時は、曲の雰囲気にのまれ沈痛な空気であったと言われますので②に近い反応かもしれません。③の場合は、単に音楽作品や演奏だけの問題ではなく、スキャンダルや政治など作品と演奏者の背景にも関係しているのでしょう。

 ベートーベンの交響曲第7番を小澤征爾が指揮する姿を30年近く前にテレビで見たことがあります。4楽章の最後で跳び上がらんばかりの身振りで、音楽も速いテンポで駆け抜けて終わりました。カラヤンやフルトヴェングラーといった歴代のベルリンフィルの指揮者も概ねそういう傾向ででした。ベートーベンの交響曲第7番については、ワーグナーは「舞踏の聖化」、リストは「リズムの権化」と、曲の性質を評して価値を認めています。そうしますと、小澤、カラヤン、フルトヴェングラー等多くの指揮者の演奏は理に適っていて、上記①のような喝采の反応が予測されます。実際レコードの評判も小澤はともかく(と言っては失礼ですが)二者は名演奏、名盤とされてきました。ではクレンペラーのこの最後の録音はどうでしょうか。まず、演奏時間は以下の通りです。

  • 1968年・Ⅰ:13分53,Ⅱ:10分27,Ⅲ:9分11,Ⅳ:8分51
  • 1960年・Ⅰ:14分01,Ⅱ:10分00,Ⅲ:8分39,Ⅳ:8分38

 概ね同じ傾向ですが、1968年が合計でやや長くなっています。ただ、このクレンペラーの演奏は他の多くの指揮者による演奏とはかなり異なり異彩を放っています。単にゆっくりとした演奏というだけでなく、躍動感、舞踏、リズム感、流麗さといったものを感じさせるスタイルの対極にあります。それでは失格ではないかとなり、事実発売されてから廃盤になるまでの期間もはやかったようです。CD化も最初は日本の山野楽器から発売されただけで、ドイツ、イギリス等ではお蔵入りの状態が続いていました。
 

 しかし、あらためて最初から全楽章を通して聴いてみますと、四つの楽章の有機的な繋がりを強く印象付けられ、木管楽器が美しくきこえ、各パートの見通しがよく、まさしく開放的な美しさを感じられます。この第7交響曲の第2楽章は、「不滅のアレグレット」と呼ばれ、悲壮感あふれる美しさを示し、他の三楽章の流動感に満ちた性格と比較して際立ちますが、その第2楽章を強調しすぎると、各楽章とのバランスが損なわれ、終楽章で荒れ狂ったり加速したりしないと一曲としてまとまらないのではないかと思えます。クレンペラーの演奏はそういうタイプの演奏とは正反対な、バランスがとれた安定感です。
 

 このような独特のテンポとバランス感覚を保ったクレンペラーによるベートーベン第7交響曲は、舞踏ではなく「時間の聖化」、リズムではなく「バランスの権化」とでも評するのが適当だと思えます。 

15 2月

拍手して、いいのかな・・・? チェリビダッケのブル8

 チェリビダッケとミュンヘンPOのブルックナー第8交響曲のライブ録音(93年,ミュンヘン)は、曲の終わりにトラックを分けて拍手も収録されています。時々ある趣向ですが、ここでは演奏が終わるや否やブラヴォーの歓声が上がるのではなく、少々勝手が違いました。残響が消えてなおしばらく静まり返り、やがて我に帰ったように、或いはおそるおそる、ポツポツと拍手が始まりその数が増えていきます。トラックを分けたので空白が挟まったりということを差し引きましても、演奏の特徴を示す独特の現象だと思いました。チェリビダッケの音楽の世界に引き込まれて我を忘れ現実の世界に戻って拍手するまで時間がかかった、指揮者の機嫌を損なわないようにフライング拍手を避けようと慎重になった、退屈で居眠りしていた、演奏がいまひとつ気に入らなかった等様々な原因が考えられますが、やはり肯定的な原因の方が多いのではないかと思えます。

Photo_2  忘れていましたが、チェリビダッケの日本公演をLDソフトで発売していたことがあり、その内ブルックナー第8を持っていたはずで、押入れを探したところ見つかりました。1990年の東京サントリーホールでした。ミュンヘンのライブより3年前の演奏で、各楽章とも幾分速い演奏です。しかし、基本的な姿勢は変わらず、ゆっくりながら精緻で、しかも広大な感覚を受ける演奏でした。演奏時間は下記の通りです。

  • 1990年 1:19分19・2:16分11・3:31分15・4:29分19
  • 1993年 1:20分56・2:16分05・3:35分04・4:32分08

 フィナーレ直前ではチェリビダッケの掛け声も入っていて入魂の演奏です。なお、演奏終了後の拍手は、ミュンヘンのCDのようにトラック分けはありません。そのせいもあり、指揮者の手が止まり下がるとすかさずブラヴォーの大声がこだまするように聞こえます。専門のヴラヴォー隊が居るのかどうかしれませんが、ちょっと考えものでした。

Photo_4  作曲者のブルックナーがウイーン初演時に、演奏後指揮者のビューローにドーナツを贈呈した件ですが、当初はドーナツはアメリカ生まれだ思っていましたので何か変だと思いました。しかし、オランダからメイフラワー号経由でアメリカへ伝播したという説や、ドイツの農村起源という説があるそうです。ドイツ発祥のドーナツは、バターから作る黄色い牛の脂でパンを揚げる、シュマルツゲペックといい、大晦日や謝肉祭等晴れの日に食べる菓子だそうです。ドイツ農村には珍しくないので、まんざら場違いとも言えないと分かりました。

 とにかく、チェリビダッケのブルックナー第8番は、ブルックナーの交響曲の魅力がどこにあるのか、何なのかを考えさせられる演奏でした。 

14 2月

遅っ!? ショパンピアノ協奏曲第一番 フランソワ?

 ショパンのピアノ協奏曲第一番はあまりに有名で、若い頃の作品のためオーケストレイションが拙いとか、曲の始めから4分くらい延々とオーケストラが続くとか、いろいろありますが、それでも美しく若々しい曲で魅力にあふれています。ショパンコンクールもあることから録音は古くから無数にあります。

  • サンソン・フランソワ、ルイ・フレモー モンテカルロ国立歌劇場O 録音1965
  • マルタ・アルゲリチ、クラウディオ・アバド LSO 録音1968
  • クリスティアン・チマーマン弾き振り ポーランド祝祭O 録音1999

 代表的なものの中から好きな3点を選びました。演奏時間は以下の通りです。

  • フランソワⅠ:19.57,Ⅱ:8.49,Ⅲ:10.47
  • アルゲリチⅠ:18.59,Ⅱ:9.58,Ⅲ:9.04
  • ツィマーマンⅠ:23.22,Ⅱ:12.35,Ⅲ:9.50

 のだめカンタービレの作品中、終わり近くでヒロインが学生ながら指導教授に無断でロンドン交響楽団とこの曲でデビューするという場面があります。本番でリハーサルとは違うテンポで、しかもピアノが入り始める冒頭でオーケストラの序奏と比べて異様に遅いテンポで弾きだす等個性的な演奏で賛否両論ながら、センセーショナルなデビューを果たすという設定でした。現実にそういうことがあるのか等はさておきまして、「遅っ」なピアノパートの開始等、作者は具体的に誰かのCDを聴いてイメージしながら描いたと普通考えられます。いいおっさんが少女漫画について云々するのも気恥ずかしいものがありますが、ひき付けられるものがありました。連載等を見られた方は、それぞれあの演奏かも等思いを馳せられたことでしょう。

Photo  多数あります録音の中にはこの作品の描くよう演奏もあるのかもしれませんが、有名なところではフランス人名ピアニスト、サンソン・フランソワの2回目の録音がそういう特徴を示しています。元々個性が強く、完全主義的より即興的な要素を重んじるピアニストとされていますが、このフレモーとの共演は、まさに意表をつくような遅いピアノの出だしで驚かされます。しかし、その冒頭部分以外や2、3楽章では、魅力的なピアノですが、それ程濃厚な表現ではないと思いました。一方、「遅っ」な始まりではありませんが、アルゲリチとアバドの若い頃の共演は、ピアノの方が特に奔放で激しく、突っ走るような演奏で、全体的な演奏のイメージとしてはのだめデビューに合致しそうな印象です。なお、FMでしか聴いたことはありませんが、アルゲリチの1965年ショパンコンクール優勝時のこの曲の演奏も残っています。

Photo_2  同じくショパンコンクール優勝者ツィマーマンの新しい録音は、ショパンの2つのピアノ協奏曲で演奏旅行するために若手の優秀な奏者を選抜して自ら結成しましたポーランド祝祭管弦楽団を、自分で指揮して録音したもので、念入りに準備されて作られただけに素晴らしく、特にオーケストラの美しさは抜きん出ています。3つの中では、良い意味で一番聴きやすいかもしれません。

( 右下の写真は、昨日の、伏見城で討死した茶師の一族が宇治代官に任じられた代官屋敷跡。これも栄冠と言えるでしょう。)

13 2月

うしろすがたの しぐれて   ヒッシュの「冬の旅」

Photoシューベルト作曲の歌曲集「冬の旅」は、作曲者自身が仲間に披露した時にあまりに陰鬱な曲で座が静まり返ったと伝えられます。第5曲の菩提樹だけは好評だったようです。ミューラーの詩集を作曲者が配列を変えて曲を付けた冬の旅は、失恋を契機に人生に絶望した青年の心の光景を歌ったということになるのでしょうか。失恋というより、失恋の原因になった青年自身の出来事なのかもしれません。何にしましても、確かに明るくはない曲で、美しい水車小屋の娘のように終わりがあるわけではなく、辻に立つライヤー回しの老人のようになるまで彷徨いかねない姿です。 (初演時は、のだめの黒木君のようにC'est glauque!(暗ーい)とは言われなかったでしょうが。 ブログ開設後これまで一週間以上経過しましたが、ちょっと扱う曲が青緑に偏ってきました。)

  • Br:ゲルハルト・ヒッシュ/P:ハンス・ウド・ミュラー(1933年)
  • Br:ハンス・ホッター/P:ジェラルド・ムーア(1954年)
  • T:ハンス・イェルク・マンメル/fp:アルテュール・スホーンデルヴルド(2005年)
  • T:マーク・パドモア/P:ポール・ルイス(2008年)

 フィッシャー・ディースカウの8種の正式録音等多数の録音が出ています。最近は、以上の4つが特に素晴らしいと思えます。中でも、1933年録音のゲルハルト・ヒッシュのSP復刻盤は驚きの内容です。SP時代で、録音時間の区切りの制約がありやや速めに歌っていることと、第1曲の2番目に該当する節の歌詞をカットしているという懸念する点はありますが、それでも端正で美しい言葉がきこえ、絶望的な光景の中にも若々しさも感じられ、大変美しい歌唱だと思いました。SPレコードからの復刻であり、針のノイズも聞こえますがそれでも十分よく音楽が聞こえています。(発売元:オーパス蔵)

 この曲は、フィッシャー・ディースカウの71年録音のDGから出ていましたムーアとの盤が評判が高かったのですが、そこまで良いのか?といまひとつピンと来ないと思っていました。しかし、このヒッシュの歌唱を聴きまして、何かフィッシャーディースカウの原点に接した気がしまして、あらためて良さが分かりました。最近のこの曲の歌唱と比べ、ドイツ語の発音も印象が違います。

 原点と言えば、ピアノの古楽器とも言える、作曲当時のウィーン式ピアノフォルテを起用したテノールのマンメルも美しく、初演当時のシューベルティアーデを連想させられます。テノールのパドモア盤もピアノですが、マンメルと同様ヨハネ受難曲の福音書記者を歌い古楽器団体と共演してることもあり、似た美しいものです。

 冒頭写真は、肥前島原藩松平家菩提寺の資料館で売っていました、伏見城攻図(関ヶ原合戦)で、この伏見城側に宇治の茶師、上林竹庵も駆けつけて奮戦の末散っています。その功で一族は宇治の代官を任されました。宇治では、現在の宇治の原点の一つとも言えるこの図は、末裔が営む茶販売店にもありますが、島原のように売っているところは聞いたことはありません。

11 2月

Don't think. Feel! チェリビダッケのブル8

 「テンポは感じるものである。聴いていて、テンポはこれ以外にはあり得ないと感じるのがマーラーの指揮だった」というのはクレンペラーの言葉です。そうは言いましても、同じ曲の異なる演奏では各楽章の演奏時間がかなり異なる場合も見られ、比べてみたくなります。

 生前録音には否定的で、レコードを作るために演奏することを拒否していたのが指揮者セルジュ・チェリビダッケです。しかし晩年、コンサートの実況録音がメジャーレーベルEMI、DGからCD化されました。多くを聴いているわけではありませんが、非常に個性的で、時間の流れ方が異質とも言える独特の演奏です。1993年の手兵ミュンヘンPOとのブルックナー第8交響曲ライヴ録音も例外ではなく、かなり長い演奏時間です。テンポは感じるものだとしましても、比べてみますと以下の通りです。

  • チェリビダッケ  1:20分56・2:16分05・3:35分04・4:32分08
  • カラヤン           1:16分56・2:16分25・3:25分13・4:24分06
  • クレンペラー     1:17分50・2:19分50・3:26分57・4:19分22

Photo_5  ブルックナーの交響曲には同曲に複数の版が並存する問題がついてまわりますが、上記チェリビダッケ、クレンペラーの録音は第二稿に基づくノヴァーク版、カラヤン最晩年の録音は第二稿に基づくハース版です。もっとも、クレンペラーのこの録音は、終楽章にかなり大胆な削除を行っているため例外と言えます。

 チェリビダッケの演奏時間で3、4楽章が際立って長いことが分かりますが、意外にも2楽章ではカラヤンより若干短いごく常識的なものになっています。合計では、チェリビダッケが20分以上も長い演奏になっています。また、時間以外にもアダージョの3楽章では美しい弦楽の旋律の箇所でごくあっさり通過していて、カラヤンとは対照的と言えます。ブルックナーの交響曲鑑賞を2月8日の記事で能楽か森林浴、温泉に浸かる湯治になぞらえましたが、その姿勢に向いているのがあるとすればこのチェリビダッケの演奏かもしれません。

Photo_4  ブルックナーは生前自作を初演するのに苦労し、指揮者に拒否されたり楽員から笑われたり、評論家に酷評されたりした曲が多かったのですが、第八番交響曲のウィーン初演は改訂の甲斐あってか大成功で喝采に包まれ、楽章毎に舞台に呼ばれたそうです。指揮台から帰る当日の指揮者リヒターに、ブルックナーは出来立てのドーナツをお礼だと言って差し出したという逸話を読んだことがあります。花束ではなく何故ドーナツなのかよく分からないことだらけのブルッナーです。 (右上の写真は能面を模した干菓子)

 なお、又聞きですがEMI、DG から正式に出ていましたチェリビダッケの録音は、遺族との条件交渉のトラブルで、既に生産済みの在庫は除き、今後再生産、販売が出来なくなっているそうです。CD店で教えてもらいましたが、他ではそういう話は聞いたことがありません。ただ、そういえばHMV等のサイトで上記レーベルのものが減っているのは確かです。

9 2月

バックハウスのベートーベン31番

Photo  写真は、宇治川(京都府宇治市、大阪湾へ注ぐ淀川の上流)の中州で、この時季は冬枯れの低木が見られるはずですが、見事に伐採されていました。河床を掘る等の改修工事が始まるようです。噂の事業仕分をかいくぐったということでしょうか。メディアが伝えるのは断片的、象徴的な事柄だけですが、スパコンの開発予算で「世界一でなければいけないのか?」という件は部外者ながら、少々カチンときました。

 往年のドイツ人ピアニスト、ウィルヘルム・バックハウスはベートーベンのピアノソナタ全集を2度録音しています。厳密には、第29番は再録音できず、その曲だけ重複して全集に入れられています。実は両方とも手元にあるのですが、事業仕分的価値観でいきますと、2つも要るんですか?ということで抗弁に困るところです。

 31番は、53年と63年とまる十年をあけて録音されています。前者はモノラルです。バックハウスの演奏は、嘆きの歌とかそういう情緒的な面を排して、川の最上流、源流部のような澄んだ清水のような印象と、武骨に一気に突き進むような力強さの二つの面を感じさせられます。即物的とは言えないまでもやや素気なく感じます。31番の録音では、旧録音の方がその傾向が顕著に思えます。個人的には、そのモノラルの旧録音の方を好んでいました。

Photo_3   新録音は1963年録音で、バックハウスが79歳の年に当たります。指揮者と違い、自ら楽器を弾いて音を出す演奏者にとって年齢に伴う肉体的衰えというのは一層重大な要素であるはずです。この31番の新録音は、ピアノを習ったこともない素人の私でも何となく心もとなく感じられますが、それでも人を惹きつける力があり、作曲者がこの曲を作った時もこのようであったかもしれないとも思わされます。

 ベートーベンは、31番と同じ調性の変イ長調のピアノソナタをあと一曲書いています。31歳の時完成させた第12番です。その頃と比べ、31番を書いた頃は作曲家としての名声は得ても、聴力等健康の衰えは顕著であり、六年後には世を去ることになります。

 日本人は指揮者等では老巨匠を有難がる習性がありますが、バックハウスのこの31番の新録音は、二度の大戦等人生の風雪を経た演奏者がたどり着いた境地と、作品の風景とが重なり、何度も立ち戻りたいような魅力を感じさせるものだと思いました。 

8 2月

ブルックナー (第八交響曲)

P1030951  ヨゼフ・アントン・ブルックナーの交響曲の録音は、現代では、女性指揮者、ドイツ語圏以外のオーケストラ、指揮者、非ヨーロッパ圏や日本のオーケストラのものも出ています。80年代はマーラーのブームのような状況で、ブルックナーの録音が増え始めたのは80年代後半から90年代だったでしょうか。それまでは極言しますと、主にドイツ語圏の男性にしか受け入れられ難いという状態だったようです。

 私は特別にブルックナーの熱心なフアンと言えるほどではありませんが、どうしても聴きたくなるような時があり、聴き終われば完結した充足感のようなものがあるとは言い難いのに、また聴いてみたいという気持が残る不思議な感覚です。森林浴、日光浴、或いは治湯のような関係なのかもしれません。(写真:大江能楽堂・京都市)

 何故能楽堂の写真かと申しますと、何となく受け入れ方、接し方が、ブルックナーと能楽とでは共通する要素があるのではないかと感じているからです。能楽の舞台は学生の頃から何度も観たことがありました。能の演目は、翁の他は一番目物から五番目物に分類され、中でも源氏物語、伊勢物語を題材にした三番目物に能の美しさの神髄があるとも言われています。しかし、恥ずかしながら客席で三番目物の舞を観ている時にしばしば居眠りをしてしまうことがありました。一方、ブルックナーの交響曲第九番のコンサートを大阪のシンフォニーホールへ聴きに行った際、その演奏がライブ録音されるということもありやや緊張していたにもかかわらず居眠りをしてしまいました。どちらも鑑賞の適性が本当は無いのかもしれませんが、それでもまた観たくなり、聴きたくなるのが不思議なところです。

 そういうわけで、タイトルの第八交響曲もこの演奏さえあればあとはいらない等、そこまでの好みは固まっていませんが、以下のものを聴く頻度が高くなります。P1030953_2

・クレンペラー:ニュー・フィルハーモニアO(録音1970年・EMI)

・ヨッフム:ベルリンPO(録音1964年・DG)
・ブーレーズ・ウィーンPO(録音1996年・DG)
・カラヤン・ウィーンPO(録音1988年・DG)
・チェリビダッケ・ミュンヘンPO(録音1993年・EMI)

 他にもヴァント、スクロバチェフスキ、ボッシュ、朝比奈等いろいろ有り、絞りきれませんが、以後継続的に取り上げていくつもりです。

 

  

7 2月

ベートーベン:ピアノソナタ31番 作品110

P1020538 ベートーベンのピアノソナタ第31番 変イ長調作品110は、1821年から翌年にかけて作曲された晩年の作品です。楽章の区分は一応3楽章になるようですが、3楽章目には沈痛で哀しい嘆きの歌と、空高く翔り上るようなフーガが含まれる魅力的な曲になっています。最近は、ドラマ、映画にもなりました女性向けコミック「のだめカンタービレ」ラスト近くにも登場して、重要な位置を占めていました。 (写真:稲房安兼/宇治市内の享保2年創業の上菓子司 曲とは無関係)

  •  アニー・フィッシャー(ハンガリー、女流 1977~1978録音 フンガロトン)
  •  アンドラーシュ・シフ(ハンガリー 2006年録音 ECM)
  •  マウリツィオ・ポリーニ(イタイリア 1975年録音 DG)
  •  ウィルヘルム・バックハウス(ドイツ 1966年録音 DECCA)

Photo_2  録音は本当に多数ありますが、以上4つが繰り返し聴く演奏です。中でもハンガリーの女流ピアニストのアニー・フィッシャーが残したベートーベンピアノソナタ全集(左写真)の中の一枚は特別に感銘深いものとして印象に残ります。ベートベンの後期作品は、弦楽四重奏曲第16番等のように枯れて、内省的とも言える性格が目立ちます。しかし、この31番のピアノソナタの終楽章、フーガは初期、中期の作品のような動的な要素も見られ、それが同楽章中の嘆きの歌と対照的で鮮烈にきこえます。

 アニー・フィッシャーの録音は、演奏者の息継ぎの音もかすかに入り、本当に全身全霊で弾いている姿が目に浮かび、ベートーベンの健康な頃の演奏もかくや、と思わされます。特に31番の終楽章では曲想とピッタリ合い、全集中でも屈指の演奏ではないかと思います。彼女は晩年に何度か来日していますが、その頃はクレンペラーとの対話という本の中に登場するピアニストとしか知らず、実演を聴けずじまいでした。        

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昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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