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新・今でもしぶとく聴いてます

6 3月

ブルックナー交響曲第6番 サヴァリッシュ、バイエルン/1981年

240306bブルックナー 交響曲 第6番 イ長調 WAB106(1881年ノヴァーク版)

ヴォルフガング・サヴァリッシュ 指揮
バイエルン国立管弦楽団 

(1981年10月13,14日 ミュンヘン大学大ホール 録音 Orfeo)

240306 先月、二月半ばに身内が救急搬送されて入院しましたが、総合病院は感染対策で面会停止措置を継続中のため、入院者側は荷物の受け渡し程度(買い物や支払いも)しかすることはありません(勝手な言い方をすれば、それはそれで助かります)。しかし病院側は大変で、看護師、薬剤師、リハビリ担当、清掃・ごみ回収、介護施設関連etc、入れ替わりに色々な人が出入りしています。ああ、そういえば訪問介護の報酬を引き下げるとか報道されていましたが、正当な業務に報いることをしなければサービスの質の前に量、人手不足さえ補えないのじゃないかとしみじみ思います。日曜日の午後に売店で使う小銭、病棟内を歩く際の上着等を届けにいくと、休日診療やら発熱外来に人が押し寄せていました。商売の原則なら需給が逼迫してこそうま味が出るとして、少しは医師も参入余地があるのじゃないかと。

 先日の「影のない女」、「ばらの騎士」のオーケストラ、バイエルン国立歌劇場のオーケストラをサヴァリッシュが指揮してブルックナーの交響曲を何曲か録音していました。全部ではなかったはずで、第1番、第6番とひと昔前だったら珍しかった曲も録音していたので中古やらも含めて集めていました。過去記事では第9番を扱ったはずで、その時は今一つな印象だったので続けて取り上げる気が失せていました。今回の第6番は普通の第6番といった感じで、演奏時間の合計ではあまり突出していません。第9番のときも他の作曲家の交響曲演奏としては普通のスタイルと言えるかもしれませんが、それのことは置くとして、ヨッフムとかシュタインらと大差ない合計時間です。

サヴァリッシュ・バイエルン/1981年
①14分17②17分35③08分26④14分33 計54分51
カイルベルト・BPO/1963年
①17分06②14分40③08分46④15分18 計55分50
クレンペラー・ニューPO/1964年EMI
①17分02②14分42③09分23④13分48 計54分55
ヨッフム・バイエルン放送SO/1966年
①16分31②17分08③07分55④13分20 計54分54
ハイティンク・ACO/1970年
①15分16②17分25③07分51④13分27 計53分59
シュタイン・VPO/1972年
①16分42②16分10③08分06④13分43 計54分41
ヴァント・ケルンRSO/1976年
①15分35②15分04③08分45④13分39 計53分03
ヨッフム・SKD/1978年
①16分11②18分36③07分58④13分35 計56分20

 改めて聴いてみると、第1楽章が開始部分からあっさりと、サクサクと進み、味気が無い程じゃないけれど少し意表をつかれます。ムーティがベルリン・フィルに客演した時のようなやたらとティンパニを強打しないのは良かったと思いました。この演奏は第2楽章のアダージョが格別で、月並みながら本当にうっとりする
美しさです。続く第3楽章は極端に緩急の差が強調されずに、窮屈でもないのでバランスもよく感じられます。各楽章の演奏時間、楽章間のバランスをみるとクレンペラー、カイルベルトの第1、第2楽章の演奏時間は類似していて、順にそれぞれ17分少々と14分40程度ですが、サヴァリッシュは逆になり、第2楽章が17分半以上で第1楽章が14分台になっています。アダージョ楽章に時間をかけて歌わせるということかと思われ、ヨッフムも似た傾向ですが、サヴァリッシュ程は第1、2楽章の差は大きくなっていません。

  録音場所が大学のホールとなっていて、これの影響なのかサヴァリッシュの他の録音より残響が目立って、鮮明さが後退しているような気もしました。CDのパッケージに載った寸評には、ブルックナーもシューベルトの後継になり得る証拠、明快な演奏、著しく新鮮という好評が並んでいました。これをみるとブルックナーを特別視して扱った演奏ではないというニュアンスのようで、これが日本で(も)サヴァリッシュが特別にブルックナー指揮者として騒がれなかった理由かもしれないと思いました。
そもそもブルックナーだけに適性を示すようなことがあるのかも定かでなく、商業広告的な面も大きいと思います。クレンペラーあたりもベートーヴェンを指揮しても同じ傾向、緩徐楽章を速めにしてスケルツォ楽章を遅めに演奏していて、ヨッフムやカイルベルトのベートーヴェンも彼らがブルックナーを指揮する時のやり方と大して違わないのではと思います。
4 3月

R.シュトラウス ばらの騎士 クナッパーツブッシュ、ウィーン/1955年

240304bR.シュトラウス 歌劇「ばらの騎士」

ハンス・クナッパーツブッシュ 指揮
ウィーン国立歌劇場管弦楽団
ウィーン国立歌劇場合唱団

元帥夫人:マリア・ライニング
オックス男爵:クルト・ベーメ
オクタヴィアン:セナ・ユリナッチ
ファニナル:アルフレート・ペル
ゾフィー:ヒルデ・ギューデン
歌手:カール・テルカル
ヴァルツァッキ:ラースロー・セメレ
マリアンネ:ユーディト・ヘルヴィヒ
アンニーナ:ヒルデ・レッスル=マイダン、他

(1955年11月16日 ウィーン ライヴ録音 MEMORIES)

240304a 二月が終わると妙に寂しさがこみ上げ、まだまだ寒いというのがせめてもの慰めだという妙な感慨は毎年のことです。三月初め恒例のびわ湖ホールのオペラ、今年は「ばらの騎士」でした。直前までチケットをとっていませんでしたが通路に面した席が多かった二日目の日曜の方に行きました(料金は当日払いの明朗会計)。インスタグラムのアカウントを作ったので簡単にそちらに感想を載せましたが、良かったなあとしみじみ思うだけでなく作品自体の好感度があがりました。ワーグナーの時もそうでしたが神戸、大阪のドイツ領事館が後援に名を連ねていたのでその筋の方も見られたことと思います。京阪の石場駅は無人駅なのでウィーンの上流階級の世界とは程遠いローカル感を醸し出していて、そこからちょっと歩くと18世紀のウィーンが待っているとはなんとも不思議なことです。ホールのそばから湖岸を眺めると年々マンションが増えているのが分かり、その割に浜大津周辺の商店街なんかは消えて店もあまり目立たないのはどういうことかと思います。

240304 このクナッパーツブッシュ指揮の「ばらの騎士」は古い世代のウィーンで活躍した歌手を起用したもので、前年の1954年にセッション録音されたエーリヒ・クライバー指揮、ウィーン・シュターツオーパの「ばらの騎士」と主な女声キャストが重なります。二つの大戦とナチ禍のためにウィーンも文化面でも荒廃し、第一次大戦以前のウィーンの最期の華のような「ばらの騎士」は、今回の歌劇場再建当時の方々にはどのように感じられたことか。そんなことをぼんやり感じさせる音楽で、女性陣だけでなくオーケストラも独特の優雅さです。クナはウィンナワルツのアルバムを出していましたがその演奏もチラ付く音楽です。オックス男爵はここでもベーメですが、他よりも荒らしくてノリノリな感じにきこえます。男爵は若い頃はオクタヴィアンのような小僧だった、オクタヴィアンも品位に違いこそあれやがてオックス男爵のようなおっさんになる、という程ではなくても、男爵一人が悪者にされるくらいに元帥夫人やカンカンことオクタヴィアンは善人なのか?、表面的な違いじゃないかという感情混じりで登場人物をなまあたたかい目で見ていました。しかし、元帥夫人が立派だと最後の方ではピシッとしまるというのか、不可侵な香気が漂うような気になります。この元帥夫人、マリア・ライニングは1942年にウィーンで演奏されたタンホイザーではエリーザベトを歌っていますが、そこから十年以上経って本当に元帥夫人のような威厳のような存在感も出ています。第三幕のフィナーレ付近を聴いて思い出すと、先日のびわ湖ホールのばらの騎士も極東の日本でやっているのに、えも言われないほど素晴らしく清涼感を感じる感動的な幕切れでした。

 この録音は廉価盤のメモリーズで発売される前はRCAからCDが出ていたようです。今回のものは音質はともかく盤の質はあまり良くなくて、再生器によっては読み取り中のままで再生が始まらないものがありました。ディスクの固定がしっかりしたブルーレイ・プレーヤーでやっと再生できました。このライヴ音源の初出はどうだったのか気になります。E.クライバーのセッション録音の方はオーケストラがもっとシャープで少し硬質な印象を受け、よく言われる、上流階級のウィーンの世界はクナのライヴ盤の方が濃厚な感じがします。

 この「ばらの騎士」は1955年11月にウィーン国立歌劇場の再開を記念、祝賀して行われた一連の公演の一つです(カットされたところが多いよう)。ベーム指揮で5日の「フィデリオ」を皮切りに、6日が「ドン・ジョヴァンニ」、9日に「影のない女」が上演されました。11日はクーベリック指揮のアイーダ、14日にはライナー指揮「ニュルンベルクのマイスタージンガー」に続いて16日に今回の「ばらの騎士」が上演されました。他に11月25日にベーム指揮で「ヴォツェック」が上演されていました。歴史的な音源というわけですがクナにライナーやクーベリックが起用されるならクレンペラーもと言いたいところですが、E.クライバーにワルターも参加してないので我慢しておきましょう。
1 3月

R.シュトラウス ばらの騎士 カイルベルト、ミュンヘン/1965年

240301aR.シュトラウス 歌劇「ばらの騎士」

ヨーゼフ・カイルベルト 指揮
バイエルン国立歌劇場管弦楽団
バイエルン国立歌劇場合唱団

元帥夫人:クレア・ワトソン(S)
オックス男爵:クルト・ベーメ(Bs)
オクタヴィアン:ヘルタ・テッパー(C)
ファニナル:オットー・ヴィーナー(Bs)
ゾフィー:エリカ・ケート(S)
歌手:フリッツ・ヴンダーリヒ(T)
ヴァルツァッキ:ゲルハルト・シュトルツェ(T)
アンニーナ:ブリギッテ・ファスベンダー(Ms)、他

(1965年5月21日 バイエルン ライヴ録音 ORFEO DOR)

240301c 29日まであった閏年の2月も終わりました。四年に一度のその日をニンニクの日だとしている店を見かけましたが、それも過ぎてこの3月2、3日に大津市にあるびわ湖ホールで「ばらの騎士」が上演されます。どうしようか迷っていたところ、身内の救急の件は無事退院できたので二日目の日曜の方をようやく予約しました。京阪石山本線の石場駅からすぐの場所なので地下鉄東西線やJR山科駅からも便利です。この機会にCDであらかじめ聴いておこうと思い、カイルベルトのライヴ音源を聴きました。カイルベルト(Joseph Keilberth 1908年4月19日 - 1968年7月20日)がバイエルン・シュターツオーパ(Bayerische Staatsoper)の音楽総監督を務めていたのは1959年から1968年でした。その後1971年から1992年まではサヴァリッシュ(1923年8月26日-2013年2月22日)が続いて務めました。カイルベルトという名前からはサヴァリッシュの時代よりもっと古い、隔絶したようなイメージが付いて回るのはなぜだろうかと思っていましたが、サヴァリッシュがデジタル録音の時代も活躍していたのに対して、カイルベルトは自分が生まれる前に亡くなっていたのでその差かと思います。これはミュンヘンの歌劇場、ナツィオナール・テアーターが再建された後の時期に録音されたものです。

240301 「ばらの騎士」は「サロメ」、「エレクトラ」に次ぐホーフマンスタール台本のオペラですが、前作とは作風が変わりました。クレンペラーは「ばらの騎士」を「すべてが甘い砂糖水にどっぷりとつかってしまった」と評し、「エレクトラ」についてはR.シュトラウスが指揮するとロルツィングのオペラのように聴こえるとしています。実際オーケストラはエレクトラのような尖った響きとは違い、同時期(ばらの騎士は1911年1月初演/マーラーは1911年5月没)のマーラーよりも前の作品かと思ってしまいます。しかし、カイルベルトの指揮では少し違う趣で、少なくとも甘い砂糖水につかったような音楽にきこえず、無骨な印象も受けます(関係ないけれどカイルベルトの風貌はオックス男爵を思い出させる)。カイルベルトが戦後再開されたバイロイト音楽祭で指揮した時は、古い世代の演奏に比べてテンポが速いと批判されたりしました。個人的にはそのバイロイトも含めてカイルベルトのこのばらの騎士は魅力的です。

240301b 主要キャストの歌手はみな素晴らしくて、翌年急逝することになるヴンダーリヒ(Fritz Wunderlich 1930年9月26日 - 1966年9月17日)の名前もあります。ゾフィーのエリカ・ケート、オクタヴィアンのヘルタ・テッパーが特に魅力的でした。フィガロのケルビーノと共にズボン役の代表的な役柄として色々言及されるオクタヴィアンですが、他の配役との兼ね合いもあって聴き映えがしました。オックス男爵役のベーメ(Kurt Böhme 1908年5月5日 - 1989年12月20日)はこのオペラの同役にはおなじみですが、役柄の性格程は品が悪く感じられず、どこかしら優雅な感じもします。元帥夫人とかも台本だけをみるとちょっと嫌な役に見えるのに、クレア・ワトソンの歌唱を聴くとそうでもなく聴こえます。彼女はクレンペラーのドン・ジョヴァンニEMI盤ではドンナ・アンナを歌った他、C.クライバー指揮のばらの騎士でも元帥夫人歌っています。後に(C.クライバーのバイエルン)オクタヴィアンを歌っているファズベンダーもアンニーナ役で出ています。

 「ばらの騎士」の作品世界はマリア・テレジア時代のオーストリア帝国を想定しているということで、台本の細かいところや登場人物まで行き届いて制作され、繊細な作品という意味の解説があります。そういう点でウィーンで演奏、録音された古いものが高評価で、それに比べるとミュンヘンの「ばらの騎士」はどうなのかという機微は全然わかりません。雰囲気とか空気を狙って、演奏によって醸し出せるのか、文化圏として外部の演奏者はそれよりも機能的で美しい演奏を目指した方が良いのか等、簡単に割り切れないと思いますが第一次大戦直前期に初演されたばらの騎士は時代的にも節目かなと思いました。いなかもの根性、びんぼうにん魂の器たる自分からして遠すぎる世界ですがおもしろい作品です。
26 2月

「影のない女」サヴァリッシュ、ミュンヘン・オペラ1992年来日

240227bR.シュトラウス 歌劇「影のない女」 

ヴォルフガング・サヴァリッシュ 指揮
バイエルン国立歌劇場管弦楽団
バイエルン国立歌劇場合唱団(合唱指揮ウド・メアポール

皇帝:ペーター・ザイフェルト
皇后:ルアナ・デヴォル
乳母:マルヤナ・リポヴシェク
染物屋バラク:アラン・タイタス
バラクの妻:ジャニス・マーティン
使者:ヤン=ヘンドリック・ローターリング
若い男の声:ヘルベルト・リッパート
鷹の声:アンナヘア・ストゥムフィス
敷居の護衛官:キャロライン・マリア・ペトゥリッグ
上方からの声:アン・サルヴァン
~バラクの兄弟~
ヘルマン・ザペル(隻眼)
アルフレッド・クーン(隻腕)
ケヴィン・コナーズ、他


演出:市川猿之助
装置:朝倉摂
舞台美術:金井隆志
照明:吉井澄雄
衣装:毛利臣男
振付:藤間勘紫乃

(1992年11月8,11日 愛知県芸術劇場におけるライヴ収録 ARTHAUS

240227a これはR.シュトラウスのメモリアル年に企画発売された「DVD箱ものオペラ七作品」で、在庫がしばらく残っていたところを新型コロナ期間中に半額以下で買っていたものでした。LPくらいのサイズの薄い箱に冊子とDVDが入っていて、すでに持っているものが複数ありましたが今回の「影のない女(ミュンヘン・オペラ来日公演)」とか、もっと古いものもあったので購入しました。この「影のない女」は愛知県芸術劇場のこけら落とし公演として1992年11月に上演された際にハイビジョン収録されたものでした。サヴァリッシュの希望で来日公演の演目に入ったそうで、三代目市川猿之助が演出を担当してます。そのため皇帝、皇后、乳母は顔を白く塗り、歌舞伎風の派手な飾りを付けています。それでバラク夫妻ら庶民とは外見の差が大きすぎる気がしました。しかし身びいきかもしれませんが総じて視覚的にも素晴らしい舞台でした。そうしたことよりも全曲が終わったあとの清々しさ、充足感はまれに得られるものでした。あと会場の客席が立派なのにもちょっと感心して、中之島のフェスティバルホールを軽く上回りそうです。さすがバブル崩壊直前(ギリギリか)といったところかも。

 「影のない女」は複雑な、奥の深い作品なので、あらすじを知った上でCDなりレコードで音声だけ聴いてもなかなか場面が目に浮かびにくいのじゃないかと思っていました。それはひとによるのでしょうが、自分の場合は今回映像ソフトを観て台本と音楽、物語が共鳴するような感銘を受けました。歌の方では第二幕最後の方でバラクが嫁を剣で刺そうとする場面、第三幕最初のバラク夫妻の嘆きの二重唱が特魅力的です。今回はバラクがアラン・タイタス、嫁がジャニス・マーティンでなんとなく視覚的にも訴えるものがあり、衣装は皇帝、皇后より当然格段に地味なのに抜群の存在感です。声量も歌も今回は嫁/マーティンの方がより魅力的で圧倒されました。彼女はこのブログ過去記事で扱ったCD等では出演していなかったと思いますが、タイタスはボエーム(ケント・ナガノ)、ファルスタッフ(コリン・デイヴィス)に登場していました(ただしどんな歌唱だったか思い出せない)。

 その二人にまさるとも劣らない感銘度がちょっと気の毒な結末の乳母、リポヴシェクです。彼女は過去記事で扱ったものでは同じくサヴァリッシュ、ミュンヘン・オペラの指環、ハイティンク・バイエルンRSOの指環、バレンボイムのトリスタン、ショルティのファルスタッフに登場しています。彼女はフリッカ、プランゲーネあたりは何となく覚えていました。ペーター・ザイフェルトも皇帝にふさわしく輝かしい声で、もう少し前ならそこそこ元気なポップ(1964年のカラヤン、ウィーンでは鷹や敷居の護衛etc、もうちょっと後なら皇后あたりを歌ったことはあるのか??)と夫婦共演できたのにと思いました。しかしデヴォルの皇后も衣装、外観も含めて素晴らしくて、いじめっ子のようなオルトルートだった2006年バルセロナのローエングリン(教室が舞台になるあの演出)とは全然印象が違います(違い過ぎて気が付かない)。それ以外でも歌手、コーラスは皆良かったと思い、ソフトの音質も良好でした。

 この作品は1917年に「ナクソス島のアリアドネ」に次いで完成し、1919年にウィーンで初演されました。エレクトラほど派手、けばい?オーケストラの音響じゃないものの、時々ワーグナーを思い出させ、また繊細なところもあり、今回のサヴァリッシュ指揮のミュウヘン・オペラの演奏は充分魅力を発揮していました。NHKがハイビジョンで収録したということですが、少し前にTV放送もしたミュンヘンでの指環四部作よりも画質、音質も良かったと思います。最後は二つの橋の上に皇帝、皇后とバラク夫妻がそれぞれ寄り添う四重唱でハッピーエンド的に終わり、本当の夫婦になったようなめでたく、幸せな空気です(乳母はかわいそう)。なお、この作品も慣習的にカットして上演されるそうですが、数少ないカット無しのショルティ盤、映像無しのサヴァリッシュ盤と照合すればカットの箇所は分かるはずです。
24 2月

ブリテン「冬の言葉」 ピアーズ/1972年スネイプ・モルティングス

240223bブリテン 歌曲集「冬の言葉」OP.52、三つの民謡編曲
(*LPの二面目はヴォルフのメーリケによる歌曲7曲)


「冬の言葉」
①At Day-close in November
②Midnight on the Great Western
③Wagtail and Baby
④The Little Old Table
240223a⑤The Choirmaster's Burial
⑥Proud Songsters
⑦At the Railway Station, Upway
⑧Before Life and After

~民謡編曲 
① 第3集「イギリスの歌」 -第4曲 ディー川の水車屋
② 第3集「イギリスの歌」 -第5曲 霧の露
③ 第3集「イギリスの歌」 -第1曲 農場(耕す)の少年

 
ピーター・ピアーズ(テノール)

ベンジャミン・ブリテン(ピアノ)

(1972年9月22日 オールドバラ,スネイプ・モルティングス ライヴ録音 AF001)

240223d まだ二月なのに暖房も要らない生暖かい日が続きました。そんな中で先日は身内が救急搬送されてバタバタしていました。搬送後に別の病院へ移送ということで、後から最初に運ばれた病院へ支払いに行ったりしましたが、一応大したことはなく済みそうです。ただ、またコロナとインフルエンザが感染拡大で原則面会禁止です。そろそろ醍醐寺の五大力さんかなと思っていたらそれも終わり、これが終わると春に移行するということで、今度は過ぎ去る冬が名残惜しい、さびしいという妙な感慨に毎年少しふけっています。

240223c ベンジャミン・ブリテンの歌曲集「冬の言葉」は、トマス・ハーディ(1840年6月2日 - 1928年1月11日)の詩に作曲した八曲からなる歌曲集で、ピーター・ピアーズのために作曲されました。ハーディ没後すぐに出版された最後の詩集「Winter Words in Various Moods and Metres」からだけでなく様々な詩集から詩が選ばれているようです。歌詞を見ると単純に四季の冬の情景が詩になっているわけではなく、「冬の時代」というのか、一人の人間の冬の時代、それだけでなく人間社会の冬の時代という意味も込められていそうです。それに含蓄があって、苦みも多い作品です。牛、馬が通ってもセキレイは驚かないのに人間が近くに来ると恐れて飛び去る。しかも兵士やギャングでなく立派な紳士なのに。わざわざ「完璧な紳士」という言葉にした歌詩は、聴いていると作曲者自身がこの言葉を付けたのかと思うくらい、なにかしっくり来ます。その一連の光景を赤子が見ているというのも複雑なものです。これを連作歌曲集と呼ぶのかどうか、八つの詩で物語性があるのかというとそうでもなさそうですが、最後の詩を見ると根底に、各楽曲に貫かれているものがありそうです。

 ブリテンのメモリアル年に発売された廉価BOXにも当然この作品は入っていて、他の歌手が演奏したものもありました。やはり元祖とも言えるピーター・ピアーズの歌唱は特別で、声質がそうなのか輪郭がやや滲んだようでいて、それでも形はくずれないとでも言えば良いのか、なかなか他では聴くことができない歌唱です。これはCD化されたかどうか未確認で、音質はややこもり気味で、音量を上げると音が強すぎる印象です。これはカートリッジの調整がまずいのかもしれません。

240223 この作品を最初にレコード録音したのも当然今回と同じ二人で、1954年にDECCAのスタジオで行われました。今回のLPはブリテンとピアーズらによって1948年にはじめられたオールドバラ音楽祭の舞台となる会場、スネイプ・モルティングスでライヴ録音されたものです。9月22日の録音なので音楽祭期間中なのかは分かりませんが、冬の言葉が終わった後の拍手やアンコールと思われる三曲を順に紹介する声が入っています(サイン入りは高価だったがサイン無しは普通)。ブリテンがピアーズと共に過ごした地で、スネイプ・モルティングスは元は醸造所として使われた古い建物を改装したホールです(四つ目の写真に遠景でうつっている)。現在は改装されているそうですが外観からして趣のある建物です。
19 2月

ヘンデル 「水上の音楽」組曲 ベルリン古楽アカデミー/2015年

240219bヘンデル 水上の音楽 HWV.348-50
 第1組曲ヘ長調 HWV.348(10曲)
 第2組曲ニ長調 HWV.349(5曲)
 第3組曲ト長調 HWV.350(7曲)

ゲオルク・カールヴァイト (コンサートマスター/音楽監督)
ベルリン古楽アカデミー

(2015年11月5日 ベルリン,Teldexスタジオ 録音 Harmonia Mundi)

240216 先日の連休の午後に嵐山方面へ寄ると、冬枯れの観光オフ・シーズンのはずがかなりの混雑していて歩道を歩くのにも苦労しました。岩合光昭さんも撮影に来た、隠れた猫の名所・梅宮大社まで行こうかと思っていたけれど、嵐電の終点から阪急の嵐山駅まで歩いただけで帰りました。その何日か後、民放ローカル局やNHK京都のテレビニュースで嵐山の中之島地区で開始された行政代執行が報道されました。代執行するのは未完成のまま放置した観光用鵜小屋撤去のようですが、なぜ未完成のままなのか、なぜごく小さな小屋なのに工費が約一億円と言われているのかetc、事の経緯や当事者をかなり省略していて内容がよく分かりません。それに、あの程度の小さい小屋なら撤去費用と報道された一千万弱の金額より少額、最低減の費用で景観を損なわないように整えて、現状を維持、保存する方が簡単に見えます。何やら真相は堀川牛蒡なみに深く埋もれて隠れ、勧修寺の葡萄の蔓のように関係する人間が絡まっていそうです(写真には件の小屋は写っていない/渡月橋から上流方向を眺める)。

240219a 昔、小学生の頃に読んだ学習百科事典のような本にベートーヴェン、モーツァルト、ハイドンらの交響曲を聴いてから次に聴くべきはバッハやヘンデルの管弦楽作品となっていました。別にどの作曲家から聴いても良いと今なら思うところですが、当時はそういうものかと思い、パイヤール室内管弦楽団の「水上の音楽」のレコードを買ったのを覚えています。今回のベルリン古楽アカデミーによる演奏は、小編成、古楽器による演奏なのでパイヤール室内管だけでなく、昔のタイプの演奏とは違い、作品観もくつがえります。水上の音楽は名前の通り、テムズ川に浮かべた船上で演奏した野外音楽でもあり、レコード録音の初期は結構壮大な演奏が普通だったようですが、パイヤール等の室内管弦楽団の時代に風向きが変わったとされます。記憶の中では「ホーンパイプ」という楽曲が刻まれて、この曲の題名からはまず金管楽器の響きを思い出しました。

 この演奏を聴いていると小編成という点が効いているのか、野外音楽とは思えない繊細な音楽に感じられます。水上の音楽は自筆譜が残っていなかったので、作曲当時にどういう曲順、構成で演奏されたか詳しく分かっておらず、慣習的に三つの組曲に分類されていました。それが2004年に当時の様子を記録した文書が見つかり、ホルンとオーボエが主導するヘ長調主体のものが従来通りの10曲、トランペットが活躍するニ長調主体の5曲と木管楽器主体のアンサンブル楽曲の7曲はあわせて一つの組曲だったことが分かりました。この録音では三つの組曲に分けていますが、新発見の文書で判明した曲順で演奏しています。ベルリン古楽アカデミーはルネ・ヤーコブス指揮のマタイ、ヨハネ両受難曲、ロ短調ミサの他、指揮者無しでベートーヴェンの交響曲等を録音しています。

 この作品に関してヘンデルとイングランド王ジョージ1世の和解の逸話がありましたが、付属解説によれば従来の話、雇主の家への不義理からの不和というのはそれ程ではなく、イングランド王としてロンドンへ行く前に先乗り渡英してくれて、英国事情を把握できるので王位継承後の宮廷生活に資することになって有難がられたという面があったということです。ヘンデルはハノーヴァー選帝侯の宮廷楽長に就任していながら英国へ行き、音楽活動で成功したのでロンドンへ行ったきりになり、宮廷楽長を解任されていました。その後選帝侯家のゲオルク・ルートヴィヒがジョージ1世としてイングランド王位を継承したので、義理を欠いていたから顔を合わせるの気まずい、ジョージ1世(ルートヴィヒ)も不快に思っていた。だから船遊びに際して「水上の音楽」を作曲、演奏してご機嫌をとりむすんだというのが子供向けの話にも出てきました。船遊びと言えば平安時代に嵐山でも行われ、今でも車折神社で三船祭というのが残っています。下々にとってはそれよりも、渡月橋のところでボートに乗ったカップルは破局するという伝説の方が身近です(ボートに乗るところまでいけば御の字じゃないか)。
17 2月

マーラー交響曲第6番 コンドラシン、レニングラード/1978年

240217bマーラー 交響曲 第6番 イ短調

キリル・コンドラシン 指揮
レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団


(1978年 レニングラード 録音 Melodya)

 
先日、大阪フィルの定期へ行った時、京阪中之島線の「渡辺橋」駅で降りるところが一駅手前の「大江橋」駅で電車から降りてしまいました(またか)。さすがに下車する途中でここじゃないと気が付きましたが、秘境駅でもなく開演まで50分程度あったのでジタバタせずにそのまま降りて次の電車を待ちました。去年の4月に都響のマーラー第7番へ行って以来ですが中之島線の乗降者数が少ない、のびないというのは本当だと実感しました。当初は本線からの直行の快速急行なんかがあったのに、いつのまにか無くなりちょっと不便ですが、夢洲に常設賭場が出来るならその付近まで延伸する計画があるそうです。それにフェスティバル・タワー地下の飲食店も混んでいなくて、Lッテリアなんか夕方早々にシャッターを閉めていました。基本的にオフィス街ということですがやはり景気はいまいちです。ついでに京橋駅の売店では棒付フランクフルトがいつのまにか名物になっていました。ごみ箱が撤去されて久しいなか、その棒だけは売場で回収していました。

コンドラシン・レニングラード/1978年
①16分22②11分45③12分39④24分41計65分27

クーベリック・バイエルン/1968年
①21分07②11分44③14分40④26分35計74分06
ショルティ・CSO/1970年
①21分06②12分33③15分30④27分40計76分49

240217a 今回はメロディア・レーベルのCD、コンドラシン(Kirill Petrovich Kondrashin 1914年3月6日 - 1981年3月7日)、レニングラードPOのマーラー第6番です。このマーラー第6番はまず冒頭から速いテンポに驚きます。全曲がCD一枚に収まる演奏は他にもありますが、全4楽章で65分台というのは異例です。第1楽章は行進曲調の曲ですがこれは駆け足か騎兵の調練なみのテンポです。第3楽章のアンダンテもかなり淡泊に進行しますがこちらの方は意外に違和感はなくて、引き締まった響きの演奏で美しく魅力的です。第2楽章は他の短い演奏時間の録音と差は少なくて目立ちませんが、この演奏の中でもバランスがよくて絶妙です。終楽章は30分程度はある演奏が多い中で25分を切るので目立ちます。それにハンマー打撃が控え目なのであまり破壊的な印象を受けません。しかし、収まりが良いというのか、全曲を通して聴くと終楽章が突出しない、全体の統一感が強いのが好感です。第6番の過去に定評のあったバーンスタイン、テンシュテットらと比べると終楽章がかなりあっさりしているのにかえって全曲の印象が強い気がしました。と言っても第6番のレコードとしてそれほど騒がれてなかったので、今頃聴いて新鮮に思ったという面が大きいのだろうと思います。

テンシュテット・LPO/1883年
①23分36②13分04③17分21④32分57計87分55
バーンスタイン・VPO/1988年
①23分17②14分16③16分19④33分10計87分02
バルビローリ・ニューPO/1967年
①21分14②13分53③15分51④32分43計83分41
マゼール・VPO/1982年
①23分35②12分47③16分05④29分54計81分21

 第6番については第2楽章と第3楽章の順序が問題になり、最近では第2楽章にアンダンテをもって来る方が増えているようです。今回のコンドラシンの録音を聴いていると(アンダンテは第3楽章にしている)、これなら第2楽章にアンダンテに変えた方がより魅力的、しっくり来るんじゃないかと思いました。コンドラシンはショスタコーヴィチの交響曲第4番、第13番を初演したことで知られ、モスクワ・フィルとのショスタコーヴィチ交響曲全集も有名でした。亡命後間もなく1981年3月7日にアムステルダムで急死しました。このマーラー第6番はモスクワ・フィルではなく、レニングラード・フィルを指揮しているのが注目です。この時期のレニングラード・フィルは完全主義、厳格なリハーサルで有名なムラヴィンスキー(Evgeny Aleksandrovich Mravinsky 1903年6月4日 - 1988年1月19日)がまだ健在だったので、オーケストラの水準も高かったはずです。ムラヴィンスキーがマーラーを指揮したことがあったのかどうか分かりませんがショスタコーヴィチ第4番と同様に西側系の作品はコンドラシンの分担だったということでしょうか。

 旧ソ連のレコードの復刻CDは少し前までメロディア・レーベルか、その後はヴェネチア・レーベルでしたが、いつの間にかそれも見かけなくなりました。いったいどういう素性のレーベルなのかと思います。それよりも旧ソ連の音源は独特の音質なので、西側の人間からするとついバイアスがかかってしまうこともあるので、会場で聴けばどんな風に響いていたのか大いに気になります。いまさらどうしようもありませんが、特にコンドラシンは気がかりです。
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昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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