raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

13 9月

盤外・フィデリオ、A.フィッシャー、ハンガリー国立/2008年

240911ベートーヴェン 歌劇「フィデリオ」

アダム・フィッシャー 指揮
ハンガリー国立歌劇場管弦楽団
ハンガリー国立歌劇場合唱団

レオノーレ:トゥンデ・サボキ
フロレスタン:トーマス・モーザー
マルツェリーネ:ツィタ・ヴァーラディ
ヤキーノ:アッティラ・フェケト
ロッコ:フリードマン・クンダー
ドン・ピツァロ:ベラ・ペレンツ
ドン・フェルナンド:ガボール・ブレンツ 

*NHKのFMで放送された際、DATデッキで録音
(2008年10月10日 ブダペスト,ハンガリー国立歌劇場 録音 マジャールラジオ/NHKFM)

 先月から発生していた収穫直前の九条ねぎが盗まれる事件の容疑者が捕まったというニュースがありました。なぜかシンプルにほっとした気分がわいてきて、被害者のインタビューがあまり怒り心頭という風でもなかったのを見るとそっちは本当にほっとしたんだろうなと思いました。もっとも単独犯とは限らず、他に葱泥棒はいるかもしれませんが。こういう犯罪の場合は在宅起訴とか一定被害額までは不起訴とはならないんだなと改めて思いました。ラーメン屋に置いてある追加用ネギを見る頻度が下がっているので物価上昇の一端がそこでも見られます。

 これはブダペストで2008年10月に上演された翌年にNHKFMで放送された時に自分で録音したものなので写真のネタがありません。使用したDATデッキ、走り書きのきったないメモはUPしても仕方無いのでこれをネタにしてインスタにあげるのも気がひけます。ということでブログの盤外記事ということで十数年以上経ってから取扱います。出演歌手はゲストのトーマス・モーザー(Thomas Moser 
1945年5月27日-)以外はハンガリーの歌手らしく、中堅、若手を起用しているようです(モーザーはヴェテランだけれど)。アダム・フィッシャーの追っかけをしているドイツ在住の方がされているブログにこの公演についてのレポートがあり、演出がけっこう独特だったようですがこちらはテープで音声のみなのでその辺りはスルーです(レオノーレ/フィデリオは歌手とは別に俳優を起用している)。

 最初に聴いた時は弦の数を減らしているのかと思うくらいどうも低音が薄く聴こえて、その結果どこか明るくて、牢獄とは対極的な清潔さを感じさせる印象が最後まで続きました。フィデリオも楽譜出版を重ねて版の違いがあるのか、この公演もところどころアレ?と思う部分がありました。最後の囚人らのコーラス、「この良き日~」以降の前にレオノーレ序曲第3番が演奏される慣習がありますがここでは第2番も演奏していると解説が入りました(終演後の日本語解説)。どうりで序曲が長いと思い、そこで登場人物による物語が一旦終わり、抽象的・全人類的(クレンペラーの言葉によると)な事柄に昇華しているという考え方を思い出しました。それに、コーラスが手拍子を入れるのも特徴的で、現代かひと昔前のミュージカルのような趣向ですが耳には妙に新鮮で、監獄やら政争というドス黒さを消す効果があると思いました。この手拍子は放送を聴いた時から印象深くて、いまだに気になっていました。

 劇場で聴く音声はもっと迫力があったかもしれませんが、21世紀のピリオド楽器奏法の影響にある演奏のようでありながらフィデリオの清々しさは充分現れていたと思いました。モーザー以外知らない名前の歌手ですが良かったと思いました。この歌劇場はマーラーやクレンペラーも監督を務めた劇場で、建物もかなり豪華なようです。地元の常連客からすればそこも自慢のようです。
7 9月

ブルックナー交響曲第6番 ティーレマン、ウィーンPO/2022年

240907cブルックナー 交響曲 第6番 イ長調 WAB106

クリスティアーン・ティーレマン 指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(2022年4月30日,5月1,2日 ウィーン、ムジークフェラインザ-ル録音 ソニーミュージック)

240907b 九月に入っても最高気温が35度前後の日が続きます。台風の異様な進路、米が店頭に無いとかろくなニュースが無いのに加えて紙の健康保険証の廃止は来年12月は変わらないようです(総裁選、党首選の結果にかかわらず)。高齢者の中にはマイナンバーカードを作っていない人もそこそこいます。だからこの機会に作成ということになりますが、人によってはハードルが高いので大変なのが予想されます。なんというのか2000年代に入って以降、住民税やら健康保険・介護保険等々お金が出て行くことが増えて巧みにしぼられている気がしてなりません(とる方の財政も厳しいとしても)。マイナンバーカードを保険証として使う際の本人確認で顔認証があり、痩せたり太ったり、はgeたりしてはじかれないのかと思いつつ院外の薬局で使っています。

240907a 先月から続けてブルックナーの交響曲、第6番です。ティーレマンとウィーン・フィルが通称00番、0番を含むブルックナーの交響曲を全部映像収録、録音を完結させました。ポシュナーやシャラーの全稿録音といい、もう思い残すことはないくらいです。これまではウィーン・フィルは単独の指揮者とブルックナー全集録音を行っていなかったのは意外ですが、第2番なんかは宮廷劇場の監督に演奏不可能とか言われたりで、必ずしもウィーンという街がブルックナー作品を産んだとも言えないのではと思えます。それならブルックナー作品にもっとも適したオーケストラはどこかとなりますが、地理的にはドイツよりもオーストリア辺境、チェコあたりに期待したくなります。

240907 このティーレマンの第6番は特に第2楽章が魅力的で、開始からしばらくの間同時に第7番も思い起こしていました。全く別の作品と思っていたのに根源的に似たものがあるような新鮮な感銘です。個人的感覚としては、来日公演やオケの定期でブルックナーの第6番とあれば何とかして聴きに行こうと考えますが、第7番ならまあ無理しなくてもいいか、くらいに熱意が下がりました。第2楽章の出だしからしてゆったりと歌わせて、演奏時間が長いタイプかと思ったらそうでもなく、メナとBBCフィルの第2楽章が20分を超えているのに対して4分以上短くなっています。メナは今年もどこかでブルックナー第6番を指揮する予定を見つけて、十八番的なプログラムだったんだと思いました。続く第3楽章は極端に速めないで余裕をもって鳴らしていて、ここまで聴いているとブルックナー的な野暮ったさ?、イナカ臭さのようなものが限りなく薄められている気がします。

ティーレマン・VPO/2022年
①15分30②16分13③08分06④13分53 計53分42
ラトル・LSO/2018年
①15分10②17分18③08分48④14分40 計55分46
ネルソンス・ライプチヒ/2018年
①16分39②19分45③08分27④14分40 計59分31
ヤング・ハンブルクPO/2013年
①15分26②16分08③08分36④14分24 計54分34
ズヴェーデン・オランダRSO/2012年
①15分30②18分39③07分44④15分21 計57分14
メナ、BBCフィル/2012年
①17分10②20分22③07分59④14分01計59分32
ヴォルトン・ザルツブルク/2010年
①15分21②16分33③08分19④13分54 計54分07
P.ヤルヴィ・hrSO/2010年
①15分26②15分16③07分48④14分11 計52分41
ヤノフスキ・スイスロマンドO/2009年
①17分56②17分38③08分52④12分54 計57分20
ボッシュ・アーヘンSO/2009年
①13分33②15分22③09分29④13分49 計52分13
アルブレヒト・チェコPO/2004年
①14分10②18分09③08分07④13分45 計54分11

 ティーレマンのブルックナーこういう風だったか?と改めて思いますが、これはウィーン、ウィーン・フィルの影響かもしれません。終楽章もR.シュトラウス的とまではいかなくても優雅で金管も咆哮しないスタイルです。合計演奏時間、各楽章の時間はもっと長いのじゃないかと思うくらいのゆったりした内容でした(書き間違いじゃないか確認はしていない)。直線的で切り詰めたようなネルソンスとライプチヒの合計時間より短いのはどうも意外でした。ティーレマンは会ってみたかったと思う作曲家として唯一R.シュトラウスを挙げていることからブルックナー本人への親近感は程々か、一線を画するくらいなんだと思ってそれを読んでいましたがとにかくよくぞ録音完結してくれました。
1 9月

ブルックナー交響曲第5番 ノット、東京交響楽団/2017年

240901ブルックナー 交響曲 第5番 変ロ長調 (ノヴァーク版)

ジョナサン・ノット 指揮
東京交響楽団

(2017年5月20,21日 ミューザ川崎シンフォニーホール 録音 EXTONE)

240901b もう九月になりました。ここ何年かで冷メン・冷やし中華を出す店が一段と少なくなり、ラーメン専門店で似たようなものがメニューにあっても盆過ぎにはやめています。昔は簡単に食べられたのにと毎年思っています。前回ふれた遊園地の他、映画館も昭和・平成期よりも数は減りました。四条大宮にはコマゴールド(たしかそんな名前)、叡電の一条寺駅近くは京一会館という小さい映画館があり、古い作品やクラヲタ向けの作品もやっていて、いやなことが多い青少年時代の数少ない慰めだったのを思い出します。後者は一階が食品スーパーか市場のような店舗で二階が映画館で、年齢制限が付く作品とそうでない作品を混ぜて上映していました。それから東寺の近くの「みなみ会館」は一度復活してまた閉鎖したました。あと解体中の朝日会館にもアサヒシネマがありました。ついでに、前を通るのが気まずい年齢制限付作品専門の映画館やSリップ劇場も知らぬ間に減っています。

ノット、東京交響楽団/2017年
①21分38②20分20③13分15④24分23 計79分36

ポシュナー・VSO/2023年
①18分08②15分38③13分29④23分40 計70分55
ティーレマン・VPO/2021年
①22分47②19分00③14分51④25分16 計81分54
高関・東京CPO/2021年
①20分29②17分24③13分26④24分00 計75分19
ネルソンス・LGO/2019年
①20分45②18分41③13分01④22分10 計74分37
バロー、ザンクトフローリアン/2017年
①23分00②22分41③15分18④28分00 計88分59
シャラー/2013年
①19分41②16分27③13分01④23分40 計72分59
ブロムシュテット・LGO/2010年
①19分51②17分13③12分57④23分44 計73分45
ヤノフスキ/2009年
①19分42②18分45③11分35④23分29 計73分31

240901a 四部作の最後、交響曲第5番です。バンベルクSOとの第3番初期稿から十数年経って東京交響楽団とのライヴ録音です。エックストンのSACDなので色々加工、否、処理をほどこした音質なので公演当日に客席で聴けた音とはどんな風に違うのか。とにかく高音質な新しいCDです。実際にCD層だけ聴いてみると第1楽章は思ったよりおとなしく始まり、威圧的に響いていないので少し驚きました。シューベルトの未完成交響曲を聴いているような風情で曲が進行して行き、序奏に続いてコラール風の主題が現れるところもあっさりとしてます。

 合計演奏時間が74分までに収まるパターンよりは長目なので、もっと圧倒されるような第1楽章かと思ったので余計にそう感じます。第5番は作曲者以外による改訂は別にして異稿の問題はありませんが出版時期の異なる版の違い、演奏時の省略等によって多少の差はでてきます。この演奏はアダジーョの第2楽章が特に長くて“ Sehr Langsam(非常にゆっくり) ” の指示通り念入りにやっています。合計時間がノットよりも長いティーレマン、ウィーン・フィルよりも1分以上も長くなっています。アダージョ楽章は哀惜、葬送とか人間的な感情を結びつくことがブルックナー以外の作品ではありがちと思いますが、第5番の第2楽章はそういう音楽と共通する感情を呼び起こされやすく、何か目頭が熱くなりそうな時もあります。今回の演奏はタップリと歌わせていながらそういうことはなく、何故か乾いたような美しさに感じられ、珍しいことかと思いました。

 対照的にスケルツォの第3楽章は速目に演奏していて両楽章の違いが際立ちます。全楽章が夢だったから忘れるのを促すように勢いよく流れます。第3楽章は概ね似たテンポで演奏することが多いとしても、前楽章の演奏いかんで印象は違います。個人的には逆のパターン、アダージョを速目にスケルツォは遅くというのが好きですがはっきりそんなバランスと分かるのはクレンペラーくらいしかありません(もっともクレンペラーはどの作曲家の交響曲でもそういうバランスをとる)。終楽章も流れるように進み、第5番に対する仰ぎ見るような巨大な構築物という古い先入的なイメージが影を潜めています。
全体的に「じっくりかまえたブルックナーだ」という言葉がきこえてきそうな演奏です。なお、終演後の拍手、歓声は入っていません。
28 8月

ブルックナー交響曲第4番1稿 シャラー、フィルハーモニア・フェスティヴァ/2021年

240828ブルックナー 交響曲 第4番 変ホ長調(1874年第1稿ノヴァーク版)

ゲルト・シャラー 指揮
フィルハーモニー・フェスティヴァ

(2021年7月25日 旧エーブラハ大修道院付属教会 録音 Profil)

 この五十から四十年で減ったものとして遊園地、ガソリンスタンドに加えてバッティングセンターもあり、中には遊園地の中にスピードガンで投球速度を測るコーナーがあるところもありました。中学生の頃同級生のデートの介添え(男女とも自身より外見が劣る者を連れてくる傾向があった)として某遊園地(枚方か伏見桃山か)へ行った際、その投球コーナで何度も、しかもアンダースローで測ってる人がいました。最初は100キロ以下だったのか何度目かで130キロくらいになっていて、さっきのは肩慣らしだったのかと思って驚いていました。あと、八瀬遊園(既に閉鎖)という小さな遊園地に水族館があって、嫌なことが多い子供時代の数少ない慰めだったのを思い出します。

 前回に続きブルックナーの交響曲初期稿、今回は第4番です。このCDは初期稿による第4番のベストじゃないかと思うくらい、魅力にあふれる演奏で録音、音質も良好だと思いました。初期稿の録音の多くの場合は「こういう稿があったのか」的、好奇心優先的な感銘に傾いていたのじゃないかと思いますが、この稿を聴く機会が増えた影響もあってか、普及している「1878/80年稿」と比較しなくても自然に初期稿自体が魅力的に感じるようになってきました。今回のシャラーの演奏は特にそういう感銘度で、この次に作曲された第5番の姿が想像できるようでした。

シャラー、フィルハーモニア・フェスティバ/2021年
①20分31②18分58③14分19④19分31 計73分19

ブロムシュテット・LGO/2010年
①23分06②16分52③06分47④16分21 計63分06
ボッシュ・アーヘンSO/2006年
①24分22②18分26③06分18④18分32 計67分40
ヤング・ハンブルクPO/2006年
①25分26②19分20③06分40④17分09 計68分35
K.ナガノ・ドイツSO/2003年
①26分33②17分01③06分28④18分37 計68分39
デニス・ラッセル・デイヴィス/2003年
①19分06②16分26③12分29④19分18 計67分19
ギーレン・SWRSO/1994年
①18分42②17分01③12分05④16分21 計64分09
ロベス・コボス/1990年
①20分02②20分06③11分28④18分26 計70分02
インバル・フランクフルト/1982年
①18分56②18分46③13分14④17分19 計68分15

 過去に初期稿による第4番の録音がありましたが、今回のシャラーのものが演奏時間が一番長くなっています。ブロムシュテットとライプチヒのCDとは10分くらいの差があります。しかし冗長な印象は無く人工的な庭園と違う原野、森林を散策しているような心地がします。このオーケストラはバイエルン州のエーブラハ “ Ebrach ” で毎年行われている音楽祭のためにゲルト・シャラーが設立したもので、会場は旧教会堂を使用しています。そのため残響が長目で、一つの楽章が終わった時の音の消え方、残響も実感できます。シャラーはエーブラハと近いバンベルクで生まれたいうプロフィールが出てきます。

 交響曲第4番として認知されている「1878/80年稿」と比べて第3楽章は別もの、新たに作曲されたものなので、「狩のスケルツォ」ではないのに全曲からはかえって森をイメージさせます。第4楽章も1880年に大幅改訂されているので半分くらいは別の作品という印象です。交響曲第4番は異稿の呼び方がややこしくて、1878/80年稿は第2稿ということになりますが、フィナーレ楽章に「民衆(村)の祭り」という別の楽曲も存在します。従来「第3稿=レーヴェ,シャルク改訂」、作曲者以外による改訂という評価だったのが見直されて、作曲者自身による稿と認められるとして校訂版が新たに出版されています。また、初期稿は1874年に完成した後、ブルックナーが初演を計画した際、1876年に改訂を行っています。最新の初期稿・コーストヴェット版はその1876年改訂を含むものを初期稿・第1稿としています。
24 8月

ブルックナー交響曲第3番1稿 ノット、バンベルクSO/2003年

240824bブルックナー 交響曲 第3番 ニ短調(1873年第1稿・ノヴァーク版)

ジョナサン・ノット 指揮
バンベルク交響楽団

(2003年12月2-4日 バンベルク,ヨゼフ・カイルベルトホール 録音 Tudor)

240824a 先日の午後、数分程度歩くだけなのに日光が焼け付くように感じられて、温暖化以外に太陽の活動にも異常が出てはいないのかと思うくらいでした。八月は平日夜にチケットをとっていたのに行けずに終わり、結局コンサートに全く行かずに終わります。去年くらいからノットが客演した公演がかなり好評なのをネット上で見かけました。ジョナサン・ノットとバンベルク交響楽団はマーラーの交響曲を2003年の第5番からはじめて2011年の第7番まで、約8年かけて全曲録音していました。それが進行中は現代の?イギリスのフルトヴェングラーというコピーが目に入って、これはやめておこう思って全く聴いていませんでした。しかし、ブルックナーなら話は別というところですが、同コンビによるブルックナーは何故か第3番だけで終わりました。同時期にシモーネヤングやマルクス・ボッシュがドイツのオーケストラとブルックナー・チクルスをやっていたので重なるからかもしれません。

ノット、バンベルク/2003年
①22分29②17分44③06分43④15分43計62分39
ヤニック・ネゼ=セガン/2014年
①25分11②17分53③06分27④16分55 計66分26
ブロムシュテット・LGO/2010年
①23分06②16分52③06分47④16分21 計63分06
ボッシュ・アーヘンSO/2006年
①24分22②18分26③06分18④18分32 計67分40
ヤング・ハンブルクPO/2006年
①25分26②19分20③06分40④17分09 計68分35
K.ナガノ・ドイツSO/2003年
①26分33②17分01③06分28④18分37 計68分39

 ブルックナーの交響曲第2番初期稿から第5番までを四部作としてとらえるという見方がどこかに書いてあり、第2、3、4番の初期稿を順番に聴き、最後に第5番を聴くと何となくその見解に頷かされる気がします。専門的なことは分からなくても第4番までが大きな聖堂のような第5番の土台やら内装か外構、庭とかいろいろ部分になっているようで、とにかく第5番の威容がことさら実感できるようです。しかし、こう暑いと長く聴いている根気がありません。そんな気分のためか久しぶりに第3番の初期稿を聴くとやけに長い、冗長な感じがして途中でやめました。過去に扱った初期稿と演奏時間を比べると、全体も第1楽章もこれまでで一番短いのにこういう印象なのは他の稿に慣れているからかとも思います。

 交響曲第3番は改訂後の第2稿か第3稿の演奏、録音頻度が高く、それは第2、4番と似た状況です。第3番の冒頭部分はほぼ同じで、トランペットの旋律が出る前の弦楽器によるさざ波のようなフレーズは枯れたような味わいがあって個人的に好きでした。どんな録音でも冒頭部分は魅力的ですが、このCDも同様だけれど初めて聴いた時はあっさりし過ぎてちょっと戸惑いました。第3番の初演は失敗に終わり、嘲笑さえ浴びたと言われていますが、冒頭部分を聴くと、少なくとも笑うなんてそんなことはできないのにと思います。各楽章ごとにじっくり聴いていると精緻な演奏で、同時期のマルクス・ボッシュとかよりも好印象です(今回聴き比べていないけれど)。

 フルトヴェングラーの名が引き合いに出されるくらいだから「荒れ狂ったブルックナー(だ)」という演奏を想像していたところ全くそうでなくて(むしろ「じっくりかまえたブルックナーだ」又は「隅々まで感じ切ったような」)、マーラーよりもブルックナーを先にレコーディングしても良かったくらいに思いました。それにしても前半の二つの楽章の方が後半よりもかなり長いのはシューベルト作品と同じなのを、長いと感じているときに同時に実感しました。
17 8月

ブルックナー交響曲第2番1稿 グザヴィエ・ロト/2020年

240818aブルックナー 交響曲 第2番 ハ短調 WAB102(1872年第1稿ウィリアム・キャラガン版)

フランソワ=グザヴィエ・ロト 指揮
ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団

(2020年11月 ケルン・フィルハーモニー 録音 Myrios Classics

240818 どうしたんだグザヴィエ・ロト(François-Xavier Roth 1971年11月6日-)、というよりもセクハラの件はどうも突発的というより常習だったようで、音楽界でもまたかというところです。これもバレなければさらに続いていたのでしょうか。この手のトラブル、日本なら表に出難いのではと思われ、現役の演奏家は大丈夫かとチラッと思います。この報道を知って最初に思ったのが進行中のブルックナー・チクルスは終わったな、ということでしたが、第1、2番が約四年前に録音しているとすれば、第3、4、7番は発売済だから実は録音は完了しているのか?という期待が持ててきました。特に彼のファンでもないですが、ブルックナーはフアンなので特にドイツ語圏以外の演奏者に関心があり、このコンビにも注目していました。

240818b セクハラのことはさて置き(擁護も軽視もしないけど)、さっそく聴いてみるとなかなか爽快な演奏で、第2番は好きな作品なので交感を持ちました。しかし、昔から蓄積された「ブルックナーらしい」というのとは少し違う気がしました。それはまずオーケストラの響き、音色がどこかしら異色に感じられ、特に金管が手に棘が刺さるような独特の響きで、後期のロマン派らしくないような何かを印象付けられます。半面盛大にオーケストラを鳴らせて、ブルックナーの初期作品として特別視している風でもなく堂々としています。P.ヤルヴィは初期作品は別物だと指摘していましたが、グザヴィエ・ロトの場合はどういう認識なのか、とりあえずあまり前面に出さない方針のようです。

 過去の初期稿による録音の演奏時間をみると70分を超えるものが多く、ブロムシュテットが特に短くなっています。これは同じ初期・1872年稿でも出版された楽譜の版が違うからなのか、省略している箇所の有無のためなのか、とにかく聴いた印象以上に演奏時間に差が出ています。今回のものは快速、という感じなので結果的に第7番以降の作品とは違うことが印象付けられます。グザヴィエ・ロトはブルックナーの前にはR.シュトラウス作品、マーラー、ベートーヴェンを取り上げていて、あまりブルックナーと親和性は高くないかとか思っていましたが、そんなこともないと(セクハラは関係無しに)思いました。

グザヴィエ・ロト、ケルン/2020年
①18分43②10分34③16分33④18分03 計63分53
ボルトン・ザルツブルク/2015年
①20分46②11分52③17分09④21分45 計71分32
ブロムシュテット・LGO/2012年
①18分14②09分58③14分25④18分25 計61分02
シャラー・PF/2011年
①20分51②10分58③17分56④20分29 計70分14
ボッシュ・アーヘンSO/2010年
①17分45②10分00③17分44④20分52 計66分21
ヤング・ハンブルクPO/2006年
①20分40②10分47③19分32④20分23 計71分22
ティントナー/1996年
①20分50②10分53③18分00④21分19 計71分02
アイヒホルン/1991年
①19分40②10分59③15分42④20分55 計67分16

 交響曲第2番は全集企画以外で単発的に発売された例は稀で、シュタインとウィーン・フィル、ジュリーニとウィーン交響楽団、最近ではムーティとウィーン・フィルがありました。それらはいずれも初期稿ではなく第2稿でした。第2番の初期稿が最初に録音として出てきたのはどれか正確には分かりませんが、日本ではアイヒホルンとリンツ・ブルックナー管弦楽団が初期稿として1872年稿と初演時の1873年稿を同時に録音、発売したのがはじめじゃなかったかと思います。1873年稿はブルックナーがウィーンの宮廷劇場のオーケストラに初演を打診した際に演奏不能と言われたのを受けて作曲者自身が改訂したものでした。このところのメモリアル年にむけた全集企画の中には複数の稿を連続して録音している場合があり、それはどちらがこの曲の本来の稿だと決めるよりは並列的に見ているようで喜ばしいところです。
14 8月

ベートーヴェン弦楽四重奏曲第15番 アルバンベルク四重奏団/1983年

ベートーヴェン 弦楽四重奏曲 第15番 イ短調 op.132
第1楽章 Assai sostenuto - Allegro イ短調 序奏つきソナタ形式
第2楽章 Allegro ma non tanto イ長調 三部形式
第3楽章 Molto Adagio - Andante ヘ調のリディア旋法 五部形式
        "Heiliger Dankgesang eines Genesenen an die Gottheit, 
         in der lydischen Tonart"
第4楽章 Alla Marcia, assai vivace (attacca) イ長調 二部形式
第5楽章 Allegro appassionato - Presto イ短調 ロンド形式

240814aアルバン・ベルク四重奏団
ュンター・ピヒラー(Vn)
ゲルハルト・シュルツ(Vn)
ハット・バイエルレ(Va)
ヴァレンティン・エルベン(Vc)

(1983年12月 スイス,ゼオン,福音教会 録音 EMI)

240814 パリ五輪は猛暑でうんざりしている間に終わりました。今回は中継が夜遅くなってからのため、ほとんど見ずに通勤時にラジオ中継を車内で聴く程度でしたが、レオン・マルシャンが200m平泳ぎで優勝する決勝を偶然聴けました。ニュースではメダル獲得がメインになるのはいつものこととしても、選手や審判、協会のSNSへ大量の攻撃が集まるというのは異様に見えます。その過熱ぶりは昔の「シンガポール陥落バンザイ」とか「それでも日本人か」、もっと古くなって「三国干渉、臥薪嘗胆」のノリにちょっと似ています。夏の甲子園はベスト16が決まり出す頃です。京都府代表は校歌が韓国語だからということもあって出場する時はネット上ではちょいと騒がしくなります。でもミッション系の大学の校歌が英語なのにインネンを付けられたという話は聞きません(昭和20年以前はどうだか)。校歌が英語でも卒業生がみなペラペラということはないので特に目立たないわけで、だからどこの国の学校だとか言われないのか、これは何重にも皮肉なこと。

 ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第15番は弦楽四重奏曲の後期作品の内で二作目、第12番の次に完成され1825年11月6日に初演されました。この曲の中間の楽章は第九の第2、3楽章を切り詰めたようで、もっと余裕があって自由な音楽にも感じられて季節を問わず魅力的です。第15番もスメタナ四重奏団の新旧録音でよく聴いたので、息苦しさのないどこかしら自由を実感する演奏が好きでした。アルバン・ベルクやラサールはそれと対照的だと偏見をもって思っていましたが、改めて聴いているとそうでもない気がしました。短い第4楽章が特に明朗で魅力的です。第3楽章が第九の第3楽章に似ていて、「聖なる神への感謝」を抱きつつこれで終わりかと思えばもっと軽やかな境地があったのかというところです。

 アルバン・ベルク四重奏団のベートーヴェンなら一時期は新しいライヴ録音の方が代表録音のようになっていたと思ったら、合本された「名曲名盤500(レコ芸編)」でベートヴェンの後期弦楽四重奏曲を見るとこちらの方が第一位、二位が再録音の方になっていました。第三位はラサール四重奏団でした。もう四十年前の録音なのに新しい団体はどうなってるのかと思います。もっとも選者も古い世代が多く残ってるからかもしれません(リストに挙がっているCDの全部を聴いてなくて投票してるんじゃないかと、昔からよく思ったもの)。

 ソウル五輪が終わった頃に今回の第15番も含まれる旧全集の録音から単品CDで第3、4番を買って聴いていました。特に第4番が好きだったので何度も聴いたのを覚えています。第3番の方はあまりにも陽の光が当たり過ぎて、作品自体がそういう性格とも言えるか、逆にちょっと窮屈な印象でした。だからこの四重奏団に対してはその第3番の演奏を聴いた際の印象が付いてまわりました。第15番の終楽章はその印象と少し重なり、このカルテットらしいかなと思いました。
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昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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