アダム・フィッシャー 指揮
ハンガリー国立歌劇場管弦楽団
ハンガリー国立歌劇場合唱団
レオノーレ:トゥンデ・サボキ
フロレスタン:トーマス・モーザー
マルツェリーネ:ツィタ・ヴァーラディ
ヤキーノ:アッティラ・フェケト
ロッコ:フリードマン・クンダー
ドン・ピツァロ:ベラ・ペレンツ
ドン・フェルナンド:ガボール・ブレンツ
*NHKのFMで放送された際、DATデッキで録音
*NHKのFMで放送された際、DATデッキで録音
(2008年10月10日 ブダペスト,ハンガリー国立歌劇場 録音 マジャールラジオ/NHKFM)
先月から発生していた収穫直前の九条ねぎが盗まれる事件の容疑者が捕まったというニュースがありました。なぜかシンプルにほっとした気分がわいてきて、被害者のインタビューがあまり怒り心頭という風でもなかったのを見るとそっちは本当にほっとしたんだろうなと思いました。もっとも単独犯とは限らず、他に葱泥棒はいるかもしれませんが。こういう犯罪の場合は在宅起訴とか一定被害額までは不起訴とはならないんだなと改めて思いました。ラーメン屋に置いてある追加用ネギを見る頻度が下がっているので物価上昇の一端がそこでも見られます。
これはブダペストで2008年10月に上演された翌年にNHKFMで放送された時に自分で録音したものなので写真のネタがありません。使用したDATデッキ、走り書きのきったないメモはUPしても仕方無いのでこれをネタにしてインスタにあげるのも気がひけます。ということでブログの盤外記事ということで十数年以上経ってから取扱います。出演歌手はゲストのトーマス・モーザー(Thomas Moser 1945年5月27日-)以外はハンガリーの歌手らしく、中堅、若手を起用しているようです(モーザーはヴェテランだけれど)。アダム・フィッシャーの追っかけをしているドイツ在住の方がされているブログにこの公演についてのレポートがあり、演出がけっこう独特だったようですがこちらはテープで音声のみなのでその辺りはスルーです(レオノーレ/フィデリオは歌手とは別に俳優を起用している)。
最初に聴いた時は弦の数を減らしているのかと思うくらいどうも低音が薄く聴こえて、その結果どこか明るくて、牢獄とは対極的な清潔さを感じさせる印象が最後まで続きました。フィデリオも楽譜出版を重ねて版の違いがあるのか、この公演もところどころアレ?と思う部分がありました。最後の囚人らのコーラス、「この良き日~」以降の前にレオノーレ序曲第3番が演奏される慣習がありますがここでは第2番も演奏していると解説が入りました(終演後の日本語解説)。どうりで序曲が長いと思い、そこで登場人物による物語が一旦終わり、抽象的・全人類的(クレンペラーの言葉によると)な事柄に昇華しているという考え方を思い出しました。それに、コーラスが手拍子を入れるのも特徴的で、現代かひと昔前のミュージカルのような趣向ですが耳には妙に新鮮で、監獄やら政争というドス黒さを消す効果があると思いました。この手拍子は放送を聴いた時から印象深くて、いまだに気になっていました。
劇場で聴く音声はもっと迫力があったかもしれませんが、21世紀のピリオド楽器奏法の影響にある演奏のようでありながらフィデリオの清々しさは充分現れていたと思いました。モーザー以外知らない名前の歌手ですが良かったと思いました。この歌劇場はマーラーやクレンペラーも監督を務めた劇場で、建物もかなり豪華なようです。地元の常連客からすればそこも自慢のようです。
先月から発生していた収穫直前の九条ねぎが盗まれる事件の容疑者が捕まったというニュースがありました。なぜかシンプルにほっとした気分がわいてきて、被害者のインタビューがあまり怒り心頭という風でもなかったのを見るとそっちは本当にほっとしたんだろうなと思いました。もっとも単独犯とは限らず、他に葱泥棒はいるかもしれませんが。こういう犯罪の場合は在宅起訴とか一定被害額までは不起訴とはならないんだなと改めて思いました。ラーメン屋に置いてある追加用ネギを見る頻度が下がっているので物価上昇の一端がそこでも見られます。
これはブダペストで2008年10月に上演された翌年にNHKFMで放送された時に自分で録音したものなので写真のネタがありません。使用したDATデッキ、走り書きのきったないメモはUPしても仕方無いのでこれをネタにしてインスタにあげるのも気がひけます。ということでブログの盤外記事ということで十数年以上経ってから取扱います。出演歌手はゲストのトーマス・モーザー(Thomas Moser 1945年5月27日-)以外はハンガリーの歌手らしく、中堅、若手を起用しているようです(モーザーはヴェテランだけれど)。アダム・フィッシャーの追っかけをしているドイツ在住の方がされているブログにこの公演についてのレポートがあり、演出がけっこう独特だったようですがこちらはテープで音声のみなのでその辺りはスルーです(レオノーレ/フィデリオは歌手とは別に俳優を起用している)。
最初に聴いた時は弦の数を減らしているのかと思うくらいどうも低音が薄く聴こえて、その結果どこか明るくて、牢獄とは対極的な清潔さを感じさせる印象が最後まで続きました。フィデリオも楽譜出版を重ねて版の違いがあるのか、この公演もところどころアレ?と思う部分がありました。最後の囚人らのコーラス、「この良き日~」以降の前にレオノーレ序曲第3番が演奏される慣習がありますがここでは第2番も演奏していると解説が入りました(終演後の日本語解説)。どうりで序曲が長いと思い、そこで登場人物による物語が一旦終わり、抽象的・全人類的(クレンペラーの言葉によると)な事柄に昇華しているという考え方を思い出しました。それに、コーラスが手拍子を入れるのも特徴的で、現代かひと昔前のミュージカルのような趣向ですが耳には妙に新鮮で、監獄やら政争というドス黒さを消す効果があると思いました。この手拍子は放送を聴いた時から印象深くて、いまだに気になっていました。
劇場で聴く音声はもっと迫力があったかもしれませんが、21世紀のピリオド楽器奏法の影響にある演奏のようでありながらフィデリオの清々しさは充分現れていたと思いました。モーザー以外知らない名前の歌手ですが良かったと思いました。この歌劇場はマーラーやクレンペラーも監督を務めた劇場で、建物もかなり豪華なようです。地元の常連客からすればそこも自慢のようです。