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新・今でもしぶとく聴いてます

30 9月

ブルックナー第8番 ルイージ、P・チューリヒ/2015年

230930aブルックナー 交響曲 第8番 ハ短調 WAB108 (1887年第1稿ノヴァーク版)

ファヴィオ・ルイージ 指揮
フィルハーモニア・チューリヒ

(2015年10月 ベルン,クルトゥア・カジノ 録音 Philharmonia Records

230930b 9月に入っての結石騒動の続きで、先週もN赤病院へ行きました。この病院もいつの間にか完全予約制、かかりつけ医院の紹介経由が原則という制度になり、救急外来じゃなくても飛び込み初診なら数千円余計にかかります。その制度に移行してもかなり混雑しているのは医師の数とか制度上で問題があるのじゃないかと、昔から言われていますが相変わらずでした。桂文珍の新作落語(昭和末期)に病院の待合は老人ばかり、仲間内でいつもの人が居ないのは病気になった?、悪化したからか?「はよ(早く)元気になって病院に来れるように」という老人の台詞がオチになる、というものがあり、まさしくその世界です。世の中、色々利害としがらみが織り込まれて、医師を増やす、医学部の定員を増やすとか単純そうなところ程実現できないものなのでしょう。

 ブルックナーの第8番、今回は初期稿です。個人的には初期稿の方に魅力を感じていて、クレンペラーの終楽章の独自カット演奏(EMIのセッション録音)は初期稿に通じるところがあると思っています。終楽章だけでなく、所々に聴き慣れた第2稿と違うところが現れて、どこかしら野暮ったさが漂います。インバルとフランクフルトRSOの全集以降、初期稿を採用したレオーディングは徐々に増えて、今世紀に入ってから一層数が増えています。演奏時間にけっこう幅があるのは反復省略とかも関係しているのかと思います。

ルイージ・チューリヒ/2015年
①17分54②16分58③31分09④26分11 計92分12
F.ウェルザー・メスト・CLO/2010年
①17分02②15分33③31分46④24分33 計88分54
インバル・都SO/2010年
①14分55②13分52③25分11④21分05 計75分03 
ナガノ・バイエルン国立/2009年
①19分55②17分09③33分37④28分44 計99分25
ヤング・ハンブルクPO/2008年
①16分05②14分37③27分44④24分10 計82分36
ギーレン・SWRSO/2007年
①18分29②19分50③29分44④27分01 計95分04
D.ラッセル・デイヴィス・LBO/2004年
①15分00②13分20③25分55④25分47 計80分02 
インバル・フランクフルト/1982年
①14分05②13分29③26分50④21分09 計76分34

 
今回のルイージの合計演奏時間は短い方ではなく、90分を超えています。第2楽章がやや長目(極端でない)というのも珍しいタイプです。それにこれの後にレコーディングした第4番もそうですが、ゆったりしたというだけでなく、特に冒頭部分でブルックナー作品に多用される開始(トレモロから、徐々に霧が晴れるように開始)の後、主題が盛大に演奏される部分も、決して飛び出すようにならず、「じっくり構えたブルックナーだ」という声がきこえてきそうな内容です。終楽章のコーダ部分も厳粛にして清澄です(この味わいは第2稿以上と個人的に思います)。ジュリーニと少し似ているようで、もっと明晰で軽い印象です(これは稿の違いかオーケストラの差か?)。

  ファヴィオ・ルイージはメトの指環やN響で有名ですが過去にマーラーやブルックナーも演奏していて、比較的最近のブルックナーは魅力的なので今後も期待しています(さすがに来年までに全曲録音が出るというのは無理でしょうが)。フィルハーモニア・チューリヒはチューリヒ・トーンハレ管弦楽団と紛らわしい名前ながら現在は完全に別のオーケストラになっているようです。フィルハーモニアの方はチューリヒ歌劇場のオケなのでオペラ公演時はピットに入って演奏しています。

13 9月

ブルックナー第8 P.ヤルヴィ、チューリヒ・トーンハレ/2022年

230912aブルックナー 交響曲 第8番 ハ短調 WAB108 1890年 第2稿(ノヴァーク校訂)

パーヴォ・ヤルヴィ 指揮
チューリヒ・トーンハレ管弦楽団

(2022年9月 チューリヒ,トーンハレ 録音 Alpha)

230912b 先日の午前十時前からヘリコプターの爆音が目立ち、事故か事件かと思っていると、ネット上に地裁で京アニ事件の裁判が始まるからとかコメントが見つかりました。本当にそれが原因なのか、屋内で電話もできないくらいの大音量でした。それとは何の関係も無くて、釣りの対象になる「イシモチ」というスズキ目の魚がいます。頭の部分にある耳石が特に大きいからイシモチと呼ぶんだとか、今年は13年前に発覚した尿路結石の痛みがしばしば出て、何となくその魚に親近がわきました。しかしそんな悠長なことも言ってられないくらい強烈に痛みが出て、早朝から病院で応急措置兼石除去の準備をしてもらい、来月に完全除去(内視鏡式)の予定です。結石は15ミリ以上あるようで、取った石がどうせならダイヤモンド並に高価で売れるのなら苦痛の分だけ元はとれるというもんでですが。久々に総合病院を自ら受診するとコロナ禍以前との違いが見られ、色々問題がありそうでした。

 パーヴォ・ヤルヴィのブルックナーはhr交響楽団(旧フランクフルト放送交響楽団)と第0番を含み全曲を録音していました。完結後、新たにチューリヒのオーケストラと録音開始となり、もういいかと思いつつも二作目の第8番を聴いてみると、これがかなり良くてこのシリーズも無視できなくなりました。音質なのかマイクの設置の加減かホールの音響のおかげか、hrSOよりも魅力的になっています(同時に聴き比べてないのにこう言うのもアレだけれど)。特に第3楽章が冒頭から枯れたような、神秘的な非日常の世界に携えて行かれる心地がしました。この感じは第9番や第5番に通じるものだと思え、続く第4楽章もこういう感覚の延長で雄叫びの世界とは一線以上を画しています。

P.ヤルヴィ・チューリヒ/2022年
①16分29②13分33③26分52④24分39 計81分33
P.ヤルヴィ・Hrso/2012年
①15分35②13分17③25分35④21分53 計76分20
ティーレマン・VPO/2019年
①15分41②15分35③26分25④23分40 計81分21
ティーレマン・ドレスデン/2009年・CD
①15分45②15分52③27分09④23分21 計82分07

 ということはブルックナーの交響曲の中で第8番(第2稿)こそ最高、又は一番好きだという層には今一歩な演奏かもしれません。最初聴いた時は第2楽章が歯切れ良すぎて、古典派作品をピリオド奏法で演奏する味かと一瞬思ったくらいでした。しかし十年前のhr交響楽団との演奏時間を比べると、どの楽章も長くなっていて、今回の演奏が特にスタイルが変わったということは無いように見えます(時間の数字からは)。今回は第1、第3楽章がよりゆったりした演奏になったから、その対比で間に挟まれた第2楽章が目立ったのかもしれませんが、個人的にはクレンペラーのあのEMI盤のスケルツォのテンポが脳内に癒着しているから余計に気になるということはあります。

 この新譜はSACD仕様でなく、紙のジャケットに入ったCDですが録音、音質は独特だと思いました。それは凝ったことをしているからなのか、思い切って単純化してるからなのか、その辺は分かりませんが音量で塗り潰すようなものではなく、趣のあるものと思いました。それにチューリヒ・トーンハレ管弦楽団もあまりレコーディングが多くなかったのに、ブルックナー7、8番と有名作品の新譜を出してきて注目です。
31 8月

未完成交響曲 ヤノフスキ、ドレスデンPO/2020年

230831シューベルト 交響曲 第8番 ロ短調 D.759「未完成」

マレク・ヤノスフキ 指揮
ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団

(2020年11月 ドレスデン,クルトゥーアパラスト 録音 PentaTone Classics)

230831b 未だに日中の最高気温が35度以上、それに加えて熱帯夜も続いて毎日丑三つ時に目が覚めます。もう介護はやっていないのになかなか習慣は抜けません。丑三つ時じゃなくても真夜中に風鈴が鳴るとちょっと不気味です。暗かろうが明るかろうが、風が吹けば鳴るのだからごく自然なことなのに、風じゃなくて霊体が通り抜けざまに鳴らしているような邪念がわいてきます(時々、あれ?今風吹いてるか??というときもある)。それで思い出すのが先の大戦で国外で亡くなった戦没者、まさに水漬く屍、草生す屍、まだ現地に残ったままの骨が多数あることです。父方の親族がミヤンマー方面で戦死していて、戦後だいぶ経って同じ部隊に居たという人が訪問してきてその戦死時の状況を説明したとききました(銃撃され蜂の巣状態)。白木の箱の中には遺骨は無かったそうですが、戦地の惨状を思えば当然そうなるだろうと。

 ところで未完成交響曲は結局第8番で良かったのか(他の新譜には違う番号が付されて)ということですが、先日発売されたヤノフスキとドレスデン・フィルの未完成とグレイトのSACDには第8番と表記されています。別に数字のどれを付されようが構わないものですが、グムンデン・ガスタインの交響曲はザ・グレイトのことだったという見解が有力になっていると解説に載っていました。この新録音はどちらかと言えばグレイトの方が魅力的と思いましたが、今回は短い未完成交響曲の方を何度か通して聴きました。ヤノフスキは既に八十代に入っているのに活発に指揮活動をしていて、今シーズンは確かドレスデンで指環を指揮する(している)はずなので、その音源が商品化しないかとちょっと期待しています。

 そう言うからにはヤノフスキのフアン(クレンペラーに対する程の熱狂は無いけど)なので、有名作品にして特に自分が好きな未完成交響曲なので発売即購入でした。21世紀の演奏なので「我が恋の成らざるが如く~」という風情でもなく、モダン・オケと言えども速目の演奏になっています。シューベルトの死因は梅毒によるとされていますが、この作品を完成させた直後に梅毒と診断されたそうなので、ロマンティックな片思いに影が差します。それからこの曲の演奏で、第2楽章が終わった際に作品が完結したような充実を感じるのか、これからまだ楽章が続くように感じるのか様々だと思います。二楽章まで(しか出来ていない、見つかっていない)と分かっていても、余韻というのか感じ方は違うもので、今回は何となくまだ楽章がひかえているような、明快な?陰の少ない演奏という印象です。何となくこれまでのヤノフスキの演奏とは違い、抑え目で精緻さがさらに進んだように聴こえました。

 ヤノフスキ(Marek Janowski 1939年2月18日 ワルシャワ - )
は2001年から2003年までドレスデン・フィルの首席を務め、さらに2019年から同オーケストラの首席に再任し、コロナ禍で公演ができなくなった指環四部作を指揮するために2022-23のシーズンまで契約を延長したそうで、上記の指環は昨年秋に演奏していました。ヤノフスキがバイロイトで指環を指揮した際、年末にNHK・FMの放送を録音したのに原本のSDカードを誤って初期化したのが悔やまれ、何とかそのドレスデンの指環が発売されないかと思います。
20 8月

R.シュトラウスのメタモルフォーゼン グザヴィエ・ロト/2015年

230820aリヒャルト・シュトラウス メタモルフォーゼン~23の独奏弦楽器のための習作

フランソワ=グザヴィエ・ロト 指揮
バーデン・バーデン&フライブルク南西ドイツ放送交響楽団


(2015年3月25 フライブルク,コンツェルトハウス 録音 SWR CLASSIC)

230820b それにしても暑い、盆を過ぎても猛暑日と熱帯夜にモコモコの入道雲。今日の午後、車載の温度計は43℃を表示していました。電車の弱冷房車や教会堂の中でも汗が流れて、これは異常な暑さだと思っていたところ、その気温で合点がいきました。先月から暑すぎて体調が悪いと思いつつ、猛暑に馴染んでくると朝から食欲が出る日もあって、「うなうなぎゅうぎゅう うなぎゅうぎゅう」のTVCMに乗せられてSきやで牛丼、うな丼を食べたりしていたので、夏バテでも痩せないという、例年通りのコンディションになってきました。

 そんな気候の中であまり音楽を聴いていませんが、ふとR.シュトラウスのメタモルフォーゼンを思い出して、わりに新しい録音を聴きました。1944年から1945年にかけて作曲されて、ベルリン陥落前の三月に完成したこの作品は世の喧騒に染まらずに美しい内容ながら、シュトラウス晩年の作品、例えばカプリッチョに比べて何かさらに決然とした強さのようものが潜んでいるようで、人生の折り返し地点をこえた者にはよけいに訴えるものがありそうです。

 
作曲者と交流のあったオット=クレンペラーは、シュトラウス作品の限られたものを戦後にレコーディングしていてこの曲も含まれています。R.シュトラウスは自作の演奏だけでなくモーツァルトの交響曲第40番なんかも指揮した演奏がレコーディングされて残っています。聴いていると19世紀的に濃厚なタイプではなくて、それでも妙に引き付けられる演奏なので感心します。クレンペラーはR.シュトラウスが指揮するモーツァルトのオペラを聴いて感銘を受け、「モーツァルトの中にシュトラウスが現れる」、そういう真に創造的な演奏として認めていました。メタモルフォーゼンの内容はそういうことと、さらに作者の信念のようなものが貫かれているようで、時々言われるようなノンポリの日和見主義者では片づけられないような気がしてきます。

 R.シュトラウスはワイマール共和国の時代も第三帝国時代、戦後も独逸にとどまることができたのだから幸せな境遇だと思えます。ところで国家社会主義独逸労働者党の演説に熱狂する場面が時々ドキュメント番組で流れます。昭和40年代生まれの自分からして、ああいう熱狂を体験したことは無いと思いながら、あえて言えば平成十七年の郵政解散の選挙の時、京都市役所前に後者が集まって演説していた時の人だかり、人の多さが少しだけ重なります。もういい加減何とかして欲しいという期待感は分かるとしても、郵便局を民営化して万事良くなるわけじゃなし、と内心思いつつ河原町三条の南西角に立って聞いていたのが思い出されます。
5 8月

ローエングリン 2018年シュトゥットガルト、シリング演出

230803ワーグナー  歌劇「ローエングリン」

コルネリウス・マイスター 指揮

シュトゥットガルト州立歌劇場管弦楽団
シュトゥットガルト州立歌劇場合唱団


ローエングリン:ミヒャエル・ケーニヒ(テノール)
エルザ:シモーネ・シュナイダー(ソプラノ)
テルラムント:マーティン・ガントナー(バリトン)
オルトルート:オッカ・フォン・デル・ダメラウ(メゾ・ソプラノ)
ドイツ王ハインリヒ:ゴラン・ユーリッチ(バス)
王の伝令…石野繁生(バス)


演出…アールパード・シリング
美術…ライムント・オルフェオ・フォイクト
衣装…ティナ・クロムプケン
照明…タマス・バニャイ


(2018年10月  シュトゥットガルト州立歌劇場 収録)

 先月から体温を超える猛暑の日が続いています。何年か前は七月中旬の夕方で40度超えの日もありましたが、それより気温は低いのに不快感、ダメージは大きい気がします。土用の丑の日に鰻屋に並ぶ人をニュースで見ながら、よく並んで待てるものと感心しつつ食べそこなっていました。それで一週間近く経って、珍しく朝から腹が減りまくったのでMつ屋の鰻丼をかみしめていました。そんなわけでブログ更新も一層停滞気味です。

 今回のシュトゥットガルト州立歌劇場のローエングリンは昨年か今年初めに購入していて、四月に入ってやっと部分的に視聴し出したものです。基本的に声楽、コーラスとオーケストラは魅力的でコルネリウス・マイスターは読売日響の首席客演指揮者だそうなので一気にコンサートも聴きたくなりました。視覚的には伝令の石野繁生が若い頃のカラヤンをちょっと思い出させてさっそうとしているのが目を引きました。音楽は良いけれど演出は?というパターンはありますが、今回はさすがに台本とかけ離れ過ぎじゃないかと思いました。ただし終演時直後に対してブーイングはあがっていませんでした。

  読替え演出が当たり前になって久しいドイツでのワーグナー上演、2018年収録のローエングリンもそういう内容で、ソフトの広告には「幕切れのエルザの死も、同胞による裏切り者の処刑となる」と紹介されています。実際終幕直前ではオルトルートが一段高い台(ベットが撤去されずに舞台に置かれている)に立って片手を高く掲げて勝利者か受難の英傑のように見え、エルザの弟に代わるブラバントの後継者として突然台に上げられた労働者風の服装の男声の一人と並んでいます。その他大勢がエルザを囲むように迫って行くというところで終わります。エルザは大勢から身を守るように短刀をかざして舞台の端へ後ずさりして行き、ローエングリンが早々と消えていて後味の悪い幕切れです。エルザが禁断の問いをローエングリンに行ったから去らなければならない、ゴットフリートも戻って来ない、エルザが悪いという単純な論法なのか、舞台の結末を見るとそう見えます。それならゴットフリートが行方不明になったのはオルトルートの仕業じゃなかったのか、それはどうなるのかとつっこみたくなります。

  演出には細かい設定があるはずなので不満はそれくらいにして、女声はエルザもオルトルートも素晴らしくてそれだけでも魅力的です。テルラムント、国王、伝令、ローエングリンもやや地味ながらそれぞれ魅力的です。そのかわり男性の服装、髪型が現代風というのかかなり地味で、テルラムントが地方の下請け企業の部長級、国王が元受け会社の地域責任者クラス、ローエングリンが組合活動のプロ、くらいに見えてファンタジーの要素が皆無です。舞台装置は簡素な(予算の都合か)ものですが、それなりに演出にはまっています。
23 7月

パルジファル/1955年バイロイト クナ、メードル

230722ワーグナー 舞台神聖祝典劇 「パルジファル」

ハンス・クナッパーツブッシュ 指揮
バイロイト祝祭管弦楽団
バイロイト祝祭合唱団(ヴィィルヘルム・ピッツ指揮)

パルジファル:ラモン・ヴィナイ
グルネマンツ:ルートヴィッヒ・ヴェーバー
クンドリー:マルタ・メードル
アンフォルタス:ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ
ティトゥレル:ヘルマン・ウーデ
クリングゾール:グスタフ・ナイトリンガー
第1の聖杯騎士:ヨーゼフ・トラクセル
第2の聖杯騎士:アルフォンス・ヘルヴィヒ
第1の小姓:パウラ・レンヒナー
第2の小姓:エリーザベト・シュルテル
第3の小姓:ゲルハルト・シュトルツェ
第4の小姓:アルフレッド・ファイフル
花の乙女たち~
イルゼ・ヘルヴィヒ
フリードル・ペルティンガー
パウラ・レンヒナー
ドロテア・ジーベルト
ユッタ・ヴルピウス
エリーザベト・シュルテル
アルト独唱:マルタ・メードル

(1955年8月16日 バイロイト祝祭劇場 録音 profil)

230722a 先日近畿地方も梅雨が明けましたが、連日朝から湿度の高い熱気におおわれていることに違いはありません。そんな中でここ一ケ月くらい、朝早い時間帯の京阪電車で東洋人、しかも東南か西アジアの民族らしき乗客を一定数見かけます。観光客でもないようで、技能実習生なのかバイトなのかとにかく出勤途中のような感じです。それにインドネシア(イスラム圏特有のベール)と思われる一定以上の年齢の女性もみかけます。ホテルの従業員か介護福祉関係なのか本当によく見かけます。人手不足解消に加えて事業者が社会保険を負担しなくて済むとか色々利害がありそうです。時々刷り込もうとするベイシック・インカム、あれは年金を止めにして、生活保護も止めて一本化するのがミソで、一旦導入すればしめたもの、あとはインカムを削り放題という図式なんじゃないかと思いますが、昔消費税を導入する、しないで揉めた時「この顔が嘘をつく顔に見えますか」と後の大勲位が言ったのが思い出されます。

230722b さて、個人的には祇園祭、天神祭よりもバイロイトの方が気になりますが、今年は早々にチケットが完売とはいかないようです(日本に居れば関係ない)。バイロイロ詣の代わりに1955年のパルジファル全曲盤が発売されました。第二次大戦後の1951年にバイロイト音楽祭が再開されてから1964年まで、1953年を除いて毎年クナッパーツブッシュはパルジファルを指揮していて、その録音がレコード、CD化されていました。しかし1955年のパルジファルだけが録音が残っていないとされて空白になっていましたが、この度ようやく全曲盤CDが発売されました(先にマルタ・メードルがクンドリを歌う第二幕がCD化されていました)。

 発売後にさっそく聴くと、第一幕前奏曲からしてただならない音楽、クナ以後(1964年以降)のパルジファルとは違うと実感させられる音楽が流れてきます。主要キャストではメードルのクンドリー、グルネマンツのヴェーバー、アンフォルタスのフィッシャー
ディースカウが特に印象的です。フィッシャー・ディースカウは若いだけあってかアンフォルタスの苦痛が迫真です。マタイ受難曲のキリストよりもこちらの方が似合う気がします。パルジファルのヴィナイは第三幕が声質とも合って素晴らしいと思いました。第二幕は既に発売されていてやっぱり魅力的です。音質は全体的にこもったような感じですが声楽はよく聴こえます。客席の咳等も一部で入っています(データ表記のように8月16日の演奏だけで構成されているのかどうか)。

 キャストとして、アンフォルタスは翌1956年もフィッシャーディースカウが歌い、パルジファルも同様に1955、56年とヴィナイでした。グルネマンツとクンドリーは1954年から1956年までヴェーバーが歌っています。クリンクゾールは前年と1955年がナイトリンガーでした。これまで個人的に1951、1954、1956年のパルジファルは好きでしたが、51年は特別として、今回の1955年全曲盤はそれに迫る感銘度のような気がします。何よりもオーケストラの演奏が特別です。
10 7月

クレンペラーのマーラー「大地の歌」/1964,1966年のLP

230708マーラー 交響曲「大地の歌」

オットー・クレンペラー 指揮
フィルハーモニア管弦楽団
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

クリスタ・ルートヴィヒ(Ms)
フリッツ・ヴンダーリヒ(T)

*1964年2月のセッションだけレッグがプロデューサー、以後はピーター・アンドリューがプロデューサー。
(1964年2月19-22日 :第2、第4楽章/1964年11月7-8日:第1、第3 ロンドン,キングズウェイ・ホール、第5楽章 / 1966年7月6-9日:第6楽章 ロンドン,アビィロードスタジオ 録音 SAN179 EMI)

230708a 恒例のかる鴨親子の引っ越し、鴨川三条大橋あたりも無事に済んでいたようですが、毎年のことながら生まれて移住する子鴨の何割が生存してさらに繁殖しているのか、そもそも寿命はどれくらいなのかと思います。三条大橋上流辺りも、増えすぎてかる鴨に乗っ取られるということはなく(河川区域境界辺りに入管事務所があってオラオラされて送り帰されているわけじゃないのに)どうなっているのかと。野生のかる鴨の寿命はだいたい十年程度そうなので、何年かは同じ雌が同じ場所で産卵して雛を育てているのかもしれません。しかし、かもなんばん、かもロースなんかも食べていながら親子の引っ越しをここまであたたかく見守る我々のメンタリティは何なのかとも思います。

230708b 今年が没後50年になるオットー=クレンペラーの命日は7月6日(1973年は金曜日)でした。当日夕方に娘のロッテがパウル・デッサウへ知らせた電報によると葬儀は四日後の火曜日だったようです。ということで7月10日に合わせてクレンペラーの代表的なレコード、マーラーの大地の歌を聴きました。今回は初期盤ではなく再発売の英国盤ですが多分1980年前後までの発売だと思われ、盤の厚みは同時期の国内盤と似ています。自分が最初に聴いたのは1980年代半ば頃、一枚2500円の国内盤でした。クレンペラーのレコードでは最後まで値段が高かった部類です。ということはごひいき筋だけでなく、広く受け入れられていた録音だったのでしょう。その後何度もCD化されているので過去記事でも扱いました。なお、今年に発売されたBOXセット(管弦楽、協奏曲)は最新リマスターを標榜していますが大地の歌も良好な音質です。

 改めてLPを聴いているとクレンペラーの「大地の歌」も決してモノトーンのような枯れたものでなく、鮮やかなものだと思いました。急須とかポットに茶葉を入れてお茶を飲む時、かき回したり押したりせず、茶葉から滲出するのを待つと、良い具合の濃さで出てくる、その感覚に似たものです。「更に古くて素敵なクラシックレコードたち 村上春樹(文芸春秋)」の中に「大地の歌」の頁があり、ピックアップされたレコードの中にこのクレンペラー盤も含まれています。制作経緯と共に「いかにも姿勢がよく、品格があり、大仰な身振りが皆無だ」となっています。

230708c  この作品は男声のみで演奏されることがありますが女声・男声で演奏する場合、奇数楽章をテノールが歌います。ヴンダーリヒは1964年11月にレコーディングをしていますが、その後1966年9月17日に急逝します。この曲の最後の録音セッション、7月6-9日が終わって間もない頃でした。こういう分割して間隔をあけたセッション録音をクレンペラーは好ましく思わないところだと思いますが、レッグのオーケストラ解散宣言・自主運営化に絡んだ混乱があったのでやむをえません。ちなみに1966年7月の録音セッションが終わった直後、クレンペラーはサン・モリッツで転倒・骨折の憂き目にあい、半年間静養を余儀なくされました。その半年後、マーラーの第9番と共に活動を再開し、ユダヤ教に復帰、イスラエル国籍取得と最晩年の時期に突入します。

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昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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