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新・今でもしぶとく聴いてます

13 4月

ドニゼッティのマリア・ストゥアルダ グルベローヴァ、バルツァ、アライサ/1989年

260412eドニゼッティ 歌劇「マリア・ストゥアルダ」

ジュゼッペ・パターネ 指揮
ミュンヘン放送管弦楽団
バイエルン放送合唱団

マリア・ストゥアルダ:エディタ・グルベローヴァ(S)
エリザベッタ:アグネス・バルツァ(Ms)
レスター伯爵:フランシスコ・アライサ(T)
アンナ:イリス・フェルミリオン(Ms)
タルボ伯爵:フランチェスコ・エレッロ・ダルテーニャ(Bs)
チェチル卿:シモーネ・アライモ(Br)

(1989年2月13-26日,4月10日 ミュンヘン 録音 PHILIPS)

260412b 先日のシルズがマリアを歌った全曲盤レコードに続き、デジタル録音のマリア・スチュアルダ全曲盤CDです。このオペラは今世紀に入って新しい校訂版(原典版的か?)が出たり、再評価の動きが加速しています。ベルカントオペラのファンのあいだでは元から傑作、ドニゼッティの代表作という声が高かったようですが、昨年のザルツブルク音楽祭でも上演されていて、映像化の方も活発化しているようです。実際聴いていて、音楽、歌だけでも最初から最後まで魅力的で、魅力の流れがよどまない、だれないと思います(今さらながら)。この録音は聴く前からヒロインのグルベラーヴァ(Edita Gruberová エディタ・グルベロヴァー 1946年12月23日 - 2021年10月18日)が注目ということになりますが、同じくらいバルツァ(Agnes Baltsa 1944年11月19日 - )が素晴らしくて、オペラのストーリーからすればちょっと憎たらしい役なのに彼女の歌によって、可憐ささえ感じさせられます。バルツァとグルベローヴァのコンビで1985年にアダム・フィッシャー指揮によるこのオペラの墺初演に参加していました。

260412d エリザベッタ(エリザベス1世)はヘンリー8世とアン・ブーリンの娘、マリア(スコットランド女王メアリー1世)はスコットランド王ジェームズ5世の娘、父の死後、生後すぐに王位を継承するもフランスへ逃れ、アンリ2世の王太子フランソワと結婚して彼の即位後王妃になる。アンリ2世の急死後、スコットランドへ戻りイングランド王ヘンリー7世のひ孫にあたるヘンリーと再婚して後のイングランド王、ジェームズ1世を産む。フランスに居る頃にイングランドの王位継承権を主張したのが混乱の元で結果的に死刑の原因となる。こんな複雑な王統の流れもあってマリア・ストゥアルダの物語は注目されて戯曲になったりしました。

260412a ドニゼッティのオペラの物語ではマリアとエリザベッタがレスター卿をめぐって競合するもエリザベッタは相手にされないという関係にあり、その妬みもマリアを死刑にする原因という設定になっています。そんな展開なのでエリザベッタの方が強い立場、やや悪役的な性格を帯び、キャストによってはそんな性格強く出てきます。この録音のキャストではそういう印象でなく、印象の良さ、まっすぐさ?のような感情の機微は対等な印象に聴こえます。個人的には声質からくる印象はむしろエリザッベタの方に肩入れしたくなりました。しかし、マリア-グルベローヴァの方もさすがに高音が特にきれいで、難なく発声できているようで圧倒されます。

260412c グルベローヴァは例えば夜の女王も舞台で歌っていましたが、個人的には声質の面でルチア・ポップの方が圧倒的に好きでした(1981年のハイティンクの全曲盤ではグルベロ-ヴァが夜の女王、ポップがパミーナ)。それはともかく、グルベローヴァは亡くなる直前まで現役で舞台に立ち、2017年にハンガリー国立歌劇場と来日してルチア(ドニゼッティ)を歌っていました(その時は公演に行こうかと思ったくらい)。ルチア・ポップと同郷でしたがよりコロラトゥーラに寄っていて、レパートリーもベルカントオペラを多く歌っていて、昔はCDの時代になってからも購入優先度は後の方になっていました。フランシスコ・アライサにも一応言及しておくと、二枚目的な立場が隅々まで感じ切ったように、憂いを帯びた美声なのでヒロイン級の二人が引き立っています。
5 4月

ウォルトン 交響曲 第1番 ボールト。LPO/1956年の再発売LP

260405bウォルトン 交響曲 第1番 変ロ短調

エイドリアン・ボールト 指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

(1956年8月15-30日 ロンドン,ウォルサムストゥ・アッセンブリー・ホール 録音 Pye  Records GSGC14008)

 気が付けば桜満開のタイミングを過ぎてしまったのはここ数年、同じ調子でした。復活祭・イースター当日の「日中のミサ」は例年にない混雑で、ここでも外国人が増えていました。金髪白人でも聖体拝領の列で拝領ではなく、司祭の祝福をしてもらっている人もいるので、洗礼を受けていないことが推測されます(それか教派が違うか)。どこの国の方か分かりませんが生まれてすぐの洗礼じゃなかったり、初聖体とかを受けず堅信も受けずに教会と疎遠になっている層はいるとしても、それが戻ってくる(鮭のように)傾向が強まっているのか、この二、三年でちらほら見かけます。先祖返り的というのか保守化というのか、それだけ世の中は良い状態ではないのを受けてのことでしょう。

260405a ウォルトン(Sir William Turner Walton OM 1902年3月29日 - 1983年3月8日)と言えば王室絡みの作品が有名で、先年の英国王代替わり折にもFMで流れました。この交響曲第1番は先日のバックスの交響曲第6番と同じ頃に作曲され、それより少し早く1935年11月5日にハミルトン・ハーティ指揮、BBC交響楽団により初演されました(バックスの第6番もハーティ指揮だったという記述もある)。このLPは店頭の安価なものが並んでいるコーナーでたまたま見つけたものです。いつ製造・発売されたか記載が無く再発売のような簡易な装丁ながら盤はそこそこ厚みがあり、どういう素性のものかたずねなかったのでよく分かりません(安かったからほじくるのは気が引けた)。ボールトのLPはけっこう安いものが見られ、オリジナル盤でも最近のCDと変わらないくらいの値段もありました。これは人気が無いからなのか、とりあえずこれは元々安いものだったようです。

交響曲 第1番 変ロ短調
第1楽章 Allegro assai
第2楽章 Scherzo: Presto con malizia
第3楽章 Andante con malinconia
第4楽章 Maestoso – Allegro, brioso ed ardentemente – Vivacissimo – Maestoso

 この交響曲は第1楽章が何かを警告するように開始して、混沌な世界が始まりどうなるのかと思うけれど、その割につかみどころのない曖昧さが広がります。その後終楽章のコーダ付近で壮大に高揚して、マーラーの第7番とかR.シュトラウスのツァラトストラのような盛り上がりを示しています。しかも皮肉めいたものは感じられず(表面的にそうなだけか?)、何かこれはひどく楽観的な展望が開けるような気になります。作曲当時の世の中を振り返るとなかなかそんな気分じゃないはずなので、願望、祈願なのか。それにしても神秘的な、幻を見るとか祈りとかそんな深遠さはあまり感じられず、新商品の発表会のような手軽さなのは不思議です。これは何を反映して表現しようとしているのかつかみ難いものがあります。

 作曲者自身が指揮した1951年の録音があるようですが、それも含めて極東の我々素人層にまで響くほどの話題になってこなかったので余計に気になります。これなら同時期のアーノルド・バックスの交響曲第6番の方が親しみやすい気がします。それにボールトの芸風はどういうものなのか、英国の作曲家でもエルガー、ヴォーン・ウィリアムズ、バックスらも皆違う作風で、このウォルトンは更に隔たりがあるようなのでボールトも好み(演奏したいもの、そうでないものの差)があるだろうと思います。ウォルトンの交響曲第1番は京都市交響楽団が2013年2月の第565回定期でエイドリアン・リーパーが客演指揮で演奏していました。これは聴きに行っておらず、今にして貴重な機会を逃したと思います(プレトークもあった)。
4 4月

シューマン メアリー・スチュアートの詩による5つの歌曲

260404aシューマン メアリー・スチュアート女王の詩による5つの歌曲 Op.135
No1.Abschied von Frankreich (フランスへの別れ)
No2.Nach der Geburt ihres Sohnes (王子誕生の後)
No3.An die Königin Elisabeth (エリザベス女王に)
No4.Abschied von der Welt (この世への別れ)
No5.Gebet (祈り)

ヴィーブケ・レームクール(Ms)

ゲロルト・フーバー(P)

(2020年2月20-21日 バイエルン放送第2スタジオ 録音 Sony Classical)

260404b 
先月のドニゼッティの歌劇「マリア・ストゥアルダ」のヒロイン、スコットランド女王メアリー・スチュアートは斬首刑によって亡くなりました。彼女自身が書いた詩をドイツ語に訳した(ギースベルト・ヴィンケ)ものにシューマン(Robert Alexander Schumann 1810年6月8日 - 1856年7月29日)が曲を付けた連作歌曲がありました。メアリー・スチュアートは父であるスコットランド王ジェームズ5世がヘンリー8世の侵攻を受けた直後に生まれ、やがてフランスへ逃されてそこで成長し、フランス王妃になったので詩はフランス語で書いたそうです。このメアリー(ブラッディの方のメアリーと紛らわしい)についてシラーが戯曲(ドニゼッティのオペラはそれに基づく)を書いていることからもドイツ語圏での関心は低くなかったということでしょうか。このCDはゲルハーヘルとフーバーのシューマン歌曲集を中心にしたシューマン歌曲全集の中の第11集でした。

260404c 
各曲が2分前後の演奏時間なので全部で10分程度になります。この歌曲集をメインにしたアルバムは少なく、代表作品として「名曲名盤」のような企画には挙がってこないけれど、デュッセルドルフ時代の1852年に作曲されているので、色々な歌手が録音しています。作曲時期としてはシューマンが多くの歌曲を生み出した1840年、「歌の年」よりも十年以上後の作曲なので晩年に近い時期ということになります。それでも1849年からこの作品の1852年までにもいくつかの歌曲集を残していて、結果的に作品135のこれが奇しくも最後の歌曲集になりました。

 そう思って聴くと刑死したメアリー・スチュアートの詩ということに加えてシューマンの死についても併せて考えてしまい、曲に対する感慨が増す心地がします。はじめの二曲は「女の愛と生涯」の作風をちらっと思い出す音楽で、いかにもロマン派・シューマンといった感じです。三曲目はメアリーを死に追いやったエリザベスに対する詩なので起伏のある、激しい感情を思わせますが、後半の二曲は特に静かで内省的な音楽になっています。これを聴いているとシューマンの後期作品の歌曲というのに注目したくなりました。

 レームクール
(Wiebke Lehmkuhl 1983年:オルデンブルク-) 
は東京春音楽祭に来日したこともあり、CDの方ではシャイーとライプチヒのクリスマス・オラトリオのソリストに起用されていました。その他、指環四部作のエルダとかオペラでも活躍しています。白井光子もシューマンのアルバムでこの曲を録音しているようで、探せば良い演奏があるはずです。
29 3月

バックス交響曲第6番 トムソン、LPO/1987年

260329dバックス 交響曲 第6番

ブライデン・トムソン 指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

(1987年10月22-23日 ロンドン,オールセインツ教会 録音 CHANDOS)

260329b 先々週の土曜だったか、京都市役所の前から河原町通を南下するデモにかち合いました。ガザ、イラン攻撃反対がメインのデモで、イラン攻撃前の昨年よりも参加者が倍以上に膨らんでいるので、横断歩道の前で信号が二度変わるのをやり過ごして待っていました。警官が複数居たからかもしれませんが、自動車も止まっていたから反対側へ渡る人間が出てもおかしくないのに誰も文句を言わず待っていました。参加者の写真を撮る背広の人は居ないかと見渡しつつ歩いていてもそれらしい姿は見つからず、車のクラクションも鳴らずデモ自体も穏健な行進でした(誰それ辞めろとかは言っていない)。平成の後半くらいからデモ行進はあっても小規模で、参加しているのも高齢者が多いのが通常だったのに、ここへ来てちょっと違ってきました。ショスタコーヴィチの交響曲第11番のあれなら、こういう行列に発砲するんだなと思いながら天一の跡地に出来た第一旭へ向かいました。

260329c アーノルド・バックス(Sir Arnold Edward Trevor Bax, KCVO, 1883年11月8日 - 1953年10月3日)の交響曲の中でどれが一番有名、演奏頻度が高いのかと思っても全然分かりませんが、解説には第6番が最高傑作とされている記述があります(作曲者自身も第6番を気に入っていたよう)。交響曲第6番は1934年から翌1935年にかけて作曲され、同年11月21日にロンドンで初演されました。シマノフスキに献呈する予定が初演者のエードリアン・ボールトに献呈相手が変更になったり、初演者はボールトではなかったとか、複雑な経緯があります。三つの楽章から構成され、全曲で40分弱(ハンドリー指揮のBBCフィルは35分強)の演奏時間になり、終楽章がその約半分を占める長さです。

バックス 交響曲 第6番
第1楽章 Moderato - Allegro con fuoco
第2楽章 Lento molto espressivo
第3楽章 Introduction (Lento moderato) – Scherzo & Trio (Allegro vivace – Andante semplice) – Epilogue (Lento)

 ソナタ形式は第1楽章に用いられているものの、20世紀の作品になれば単純な作風じゃないのは普通として、起承転結とか苦悩を経て喜びへいう筋のようなものが明確でなく、あいまいな空気を描写したような作風です。シベリウスの交響曲第4番の第1楽章をもう少し日当たりを良くしたような世界です。マーラー、シベリウスの交響曲をミックスしたようにも感じられて、作曲当時よりも古い世代の作品を連想させられます。作曲された時期はドーバーを隔てた向こう側で鍵十字が猛威をふるっている世相でも、この作品にはそうしたかげはさしていないようです。同じころに作曲、初演されたヴォーン・ウィリアムズ(バックスより10年以上年長)の交響曲第4番の不穏な響きとは異なります。

 第3楽章の最後は静かに閉じられて、日没と共に一日を終えるような安らかさです。ヴァーノン・ハンドリーのバックス交響曲の全集にはハンドリーのインタビューがボーナスCDとして付いているので、その中でバックスについてどんなことを話しているか気になります(聞き取れないだろうから再生していない)。この作品の日本初演についての日付がネット上で探しても出てきませんが、関西のオーケストラの定期でプログラムにあがっていた記憶はありません。
26 3月

椿姫 シルズ、ゲッダ、チェッカート、ロイヤルPO/1971年

260326bヴェルディ 歌劇「椿姫」

アルド・チェッカート指揮
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
ジョン・オールディス合唱団(合唱指揮ジョン・オールディス)

ヴィオレッタ:ビヴァリー・シルズ(S)
アルフレード:ニコライ・ゲッダ(T)
ジェルモン:ローランド・パネライ(Br)
フローラ:デリア・ウォリス(Ms)
アンニーナ:ミレッラ・フィオレンティーニ(Ms)
ガストーネ子爵:キース・アーウェン(T)
ドゥフォール男爵:テレンス・シャープ(Br)
ドビニー伯爵:リチャード・ヴァン・アラン(Bs)
グランヴィル医師:ロバート・ロイド(Bs)
ジュゼッペ:マリオ・カーリン(T)
伝令:ウィリアム・エルヴィン(Bs)

(1971年7月 ロンドン,オール・セインツ教会 録音 EMI)

260326a そろそろ桜の季節が近づいてきました。ここ何年かは地元民くらいしかウロつかないエリアに遠方からの観光客が増えたりしています。人口が減っている自治体も少なくないのに妙に混雑するところがあります。社会科で習った明治の大津事件、巡査がロアシ皇太子に刃傷に及んだという事件、それを連想させる事件、陸上自衛隊の現役士官が大使館に侵入したという驚くべき事件が発生しました(心神耗弱とかそんな状況ではなさそう)。大津事件の時は政府要人らは真っ青になって見舞いに訪れたりだったということですが、今度の場合は負傷者は無いのを幸いにして今のところスルーしそうな様子ですが、大使館の本国がどこの国かによって対応が違ってくるのかどうか。それにしても五百旗頭眞氏が防大の校長を退任したのが2011年度末で、それから14年が経って内部も色々変わってきたのか。

260326c 先日のドニゼッティでヒロインのメアリー1世(マリア・ストゥアルダ)を歌ったビヴァリー・シルズは1970年代に連続してオペラ全曲盤に起用されていました。このヴェルディも同じチェッカート指揮で同じ年に、ドニゼッティの翌月に録音されました。なんかすごいハイペースで当時のレコード制作の勢いを感じさせます。シルズのヴィオレッタはどれくらい評判になったか知りませんが、彼女の声に対する個人的なイメージはぴったりする気がしてました。英語圏の歌手によるヴィオレッタといえばサザーランドも有名でしたが、日本では否定的な批評家が好みを先導した格好で、評判にはならなかったはずです。それならビヴァリー・シルズも似たような傾向で埋もれ気味だったのかどうか。何にしても1971年ならクレンペラーが存命で公演活動から引退した年で、古い時代に直接つながっていた最後の年代のようで感慨深いものがあります。

260326d 主役のヴィオレッタ、アルフレッドに非イタリア人歌手を配したこの全曲盤、かなり素晴らしくて極東の我々からすればイタリア語の発音等がどうのという点には気付き難く、チェッカートのゆったりしたテンポの影響(「じっくりかまえたトラヴィアータだ」or「隅々まで感じきったような」)でもう少し古い年代のイタリアの録音のようにも感じられます。前奏曲直後から前のめりで走るような演奏もある中で、このテンポは好感が持て、ヴィオレッタもじっくり、慎重に歌っている感じです。これはセッション録音ならではなのか、公演でシルズがどんな風にこの役を歌っているのかちょっと気になります。

 ただ、ヴィオレッタをはじめ人物の感情と言う面ではちょっと薄くてひたすら音楽的なトラヴィアータという印象です。第二幕第1場のジェルモンは軍人が降伏勧告にやってきたようで、どうも硬直した歌唱ですが、それ以降と第三幕はもう少し柔らかくなっています。シルズのヴィオレッタは第二幕でジェルモンに請われてアルフレッドと別れる決心をするところ、その後アルフレッドに対面するところ、病床の第三幕と後半に行くにつれて感情があふれ出るようでした。第三幕でジェルモンからの手紙を読み上げる場面は、舞台ではヴィオレッタが朗読するのじゃなくてジェルモンの声(録音済を流すのか)に替える演出もありますが、レコード録音なのでそうではないのも好感です。これは廉価CDですが弦の合奏はすごく良い音質に聴こえるものの、残響が大きくてややこもったような部分もあります。
23 3月

ドニゼッティのマリア・ストゥアルダ シルズ、ファレル、バロウズ/1971年

260323bドニゼッティ 歌劇「マリア・ストゥアルダ」

アルド・チェッカート 指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
ジョン・オールディス合唱団

マリア・ストゥアルダ:ビヴァリー・シルズ(S)
エリザベッタ:アイリーン・ファレル(S)
レスター:スチュアート・バロウズ(T)
アンナ
:パトリシア・カーン(Ms)
タルボ:ルイス・キリコ(Br)
チェチル:クリスティアン・ヨハネス・デュ・プレッシー(Br)

(1971年6月 ロンドン,コンサートオーディトリウム 録音 EMI)

260323a そろそろプロ野球の開幕が近づいてきましたが、昔の鳥取城攻めのような憂き目にあっているキューバ出身選手が来日できないどころか連絡が付かない状態です。ガザ、ベネスエラ、イラン、キューバと大変なことになっています。それはともかくとして、ドニゼッティ( Gaetano Donizetti 1797年11月29日:ベルガモ - 1848年4月8日:ベルガモ)の代表作は何?ときかれれば「ランメルモールのルチア」、「ルクレツィア・ボルジア」、「愛の妙薬」、「ドン・パスクワーレ」あたりが題名くらいは思いつきそうです。独墺系偏愛でオーケストラ曲中心のヲタでも「愛の妙薬」の人知れぬ涙くらいは聴き知っているはずですが、「マリア・ストゥアルダ」はちょっと思いつきません。しかし日本では藤原歌劇団をはじめ作曲者のメモリアル年とかで何度も上演していて、ドニゼッティの代表作、傑作だ、外せない作品という評判もあり、今世紀に入って特に再評価の傾向でした。

260323c イングランド女王エリザベス1世とスコットランド女王メアリー1世を題材にしたシラーの戯曲をオペラ化したもので、両女王が「夫ころし!(エリザベッタがマリアに向かって)」、「非嫡出子/私・子!(逆、マリアがエリザベッタに)」と罵倒し合う場面もあるものの、品格が保たれた美しい音楽の悲劇的作品です。このLPを店頭で見た時は知らない録音と思ったけれど、チェッカートの名前でレコ芸かどこかで論評されていたのを思い出しました。ついでに先月のセビリアの理髪師のパターネもこのオペラをレコーディングしているのも思い出しました。ということは昔、FMで部分的でも聴いたことはあったのでしょう。チェッカートはベルゲン・フィルを指揮したマーラー版シューマン交響曲がちょっと話題になりました。このオペラはオーケストラ部分もなかなか魅力的で、伴奏的でありながら例えば第三幕冒頭の悲壮感は後年のオペラ作品を予兆するような趣です。

 アメリカのコロラトゥーラ・ソプラ歌手、ビヴァリー・シルズ(Beverly Sills/本名:Bell Miriam Silverman 1929年5月25日 - 2007年7月2日)の日本での人気はどんな具合だったのか、イタリアオペラならネイティヴの方が重んじられる傾向があっても不思議ではなく、特別に彼女が出ているものを優先して探したことはありませんでした。しかしこの作品は素晴らしくて、サザーランドがマリアを歌った全曲盤よりも同役は良さそうです。それにレスターのバロウズ(James Stuart Burrows 1933年2月7日 - 2025年6月29日)も晴れやかな声で、悲しい結末に光をともすようで魅力的です。

 第一幕はマリアが登場せず、エリザスがイングランド王位継承権をもつ厄介なマリアをどうするか決めかねている場面に、マリアと相思相愛のレスター(史実でなくオペラの創作)におもいを寄せるエリザベスという関係が絡んできます。第二幕でエリザベスとマリアが対面してやがて罵り合いになり、マリアがとうとう逮捕拘束されます。ここでは二人がソプラノなのにエリザベスのファレル(Eileen Farrell 1920年2月13日 - 2002年3月23日)とメアリーのシルズの声質の違いからキャラクター、立場の違い際立ちます。歴史の時間ならメアリーの方が悪者的に語られがちかもしれませんが、このオペラでは逆でエリザベスが憎たらしく聴こえます。第三幕でレスターがエリザベスにマリアの恩赦を願って来て、嫉妬もあってマリアを処刑することにして、レスターも同席することを命じます。マリアはそれを受け入れ、エリザベスをゆるして刑場へ向かい幕切れになります。
20 3月

マーラー交響曲第5番 シノーポリ、フィルハーモニアO/1985年

260320aマーラー 交響曲 第5番 嬰ハ短調

ジュゼッペ・シノーポリ指揮
フィルハーモニア管弦楽団

(1985年1月 ロンドン,オールセインツ教会 録音 DG)

260320b 昨年秋のある日、山科区でお昼前にマクドナルドを利用した際、高齢者があちこちの席でコーヒーを飲んでいました。その後自宅に近いマクドナルドでも同じようにコーヒーだけ頼んでいる高齢者をよく見かけますが、それはコーヒーが安いからのようで、これも諸物価上昇に対して年金の物価スライドも、そもそも運用は・・・。段々と「欲しがりません、勝つまでは」の世界が再現しそうで不気味。コーヒーといえば作家、漫画家が喫茶店を仕事場のように使う場合があるそうで、萩尾望都先生も自身のアトリエ近くにある喫茶店で描いているとか。それと関係なく松山千春の歌にコーヒーを三杯たのんで居座って周りの目が気になって云々という歌詞がありました。自分は一人で喫茶店で長居できないたちで、ましてや何か作業をするなんて全然集中できません。その歌詞については昔から一杯で居座るんじゃなく、時間に応じて追加してるんだから遠慮することないのにと思っていました(しかし歌の機微はそこじゃない)。せいぜい同じ店に一回で居られるのは20分くらいが限度なので、また別の歌にある「黙っていてても出て来るアメリカン」とか、そこまで常連になれず(一応は注文をきくはず)、つくづく田舎者根性だと今さら思います。それにコーヒーは濃い方、にがい方が好きなので。

 マーラーの交響曲第5番の終楽章は年度末になるとよく思い出し、脳内で自然と再生されます。年度がかわって諸事がすっきりするわけじゃないのに、勤め始めた頃から終楽章のRondo-Finaleから受ける勝手なイメージ、全て片が付いて上手く完結したような印象にあやかりたいのか、体内時計的にそれが湧きおこってきます。それで先日のザンダーよりも前に同じオーケストラでマーラーをレコーディングしていたシノーポリの第5番を聴きました。マーラー作品は曲の一部、断片的に偏愛するということが特にあり、第5番は終楽章以外では第2楽章も部分的に好きでした。この第2楽章は “ Stürmisch bewegt. Mit grösster Vehemenz. (嵐のように荒々しく動きをもって。最大の激烈さを持って。)” という表記の割に、実際の演奏では嵐のようにとか最大の激烈がふさわしいと実感することはほとんどない気がします。コンサートでこの曲を初めて聴いたのはショルティとシカゴ交響楽団が大阪のシンフォニーホールへ来た機会でしたが、かろうじてその時がちょっとその表記に近かった気がします。

シノーポリ、PO/1985年
①12分09②13分42③17分26④10分28⑤15分09 計72分54

バーンスタイン・VPO/1987
①14分35②15分05③19分05④11分16⑤15分02 計75分03
小澤・ボストン/1985
①12分50②14分54③17分47④11分56⑤14分58 計72分27
マゼール・VPO/1982年
①13分59②14分59③17分36④10分33⑤15分17 計72分24
アバド・CSO/1980年
①12分54②15分10③17分33④11分55⑤14分41 計72分13
テンシュテット・LPO・1978年
①13分44②15分09③18分05④11分54⑤16分17 計75分09
レヴァイン・CSO/1977年
①12分56②14分50③17分34④12分01⑤14分53 計72分14

 マーラーの交響曲は全楽章を通して聴いて、全体像を実感し難いということがよくあり、第1、2、9番あたりは割にそれ以前の作曲家による交響曲と同様のまとまり、統一を感じますが、それ以外は正直難しい気がします。それでも各楽章は好きという不思議な感覚です。シノーポリのマーラー第5番は、大阪方言で言う「癇症病み」、神経質な印象が終始付きまとい、統一を感じ難いという印象がさらに強くなる気がします。それでこそ、マーラーの交響曲ということでもないでしょうが奇妙な心地よさも覚えます。

 マーラーの第5番の演奏時間は72分台が結構多くて、初期のCD一枚に収まるくらいの時間でした。初めてこの買った曲のCDがインバル、フランクフルトRSOの国内盤でしたがそれもちょうど一枚に収まっていました。当時の国内盤は一つのトラックに細かくインデックスが付いて、途中から検索再生できるのが多くありました。レコ芸の新譜解説もそれを利用していました。上記の録音で合計が72分台の5種はどれも違っているようで、現在自然と思い出されるのはそのインバルとノイマンの再録音とショルティの公演くらいです。
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昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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