raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

26 9月

ベートーヴェンの第九 クリュイタンス、ベルリンPO/1957年

210926aベートーヴェン 交響曲 第9番 ニ短調 Op.125

アンドレ・クリュイタンス 指揮

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ベルリン聖ヘトヴィヒ大聖堂聖歌隊

グレ・ブラウエンステイン:S
ケルスティン・メイエル:A
ニコライ・ゲッダ:T
フレデリック・ガスリー:Bs

(1957年12月 ベルリン,グリューネヴァルト教会 録音 EMI)

 緊急事態宣言の九月が終わりに近づいています。そういえばここ二カ月くらいは全くアルコール類を口にしていないことに気が付きました。馴染みの飲食店の中には冷蔵庫を入れ替えたり移転するところもあり、前者はともかく後者のような例や閉店もあり、死者が出なかった世帯でもコロナ禍の傷は深いと改めて思いました(決してさざ波ではない)。

 クリュイタンスとベルリン・フィルの第九、今月初めの第1番を念頭に置いていたので冒頭のゆったりと、厳粛な演奏がちょっと意外でした。第2楽章でようやく本領発揮?といった印象で、第1楽章は壮大な序章のように感じられました。第3楽章もゆったりと、たっぷり歌わせるタイプです。第4楽章は冒頭から通常のというか、あれっ?と思わない慣れ親しんだ第九という印象ですが、全楽章を通して聴くと何となく田園交響曲に似たものを感じます。フルトヴェングラー指揮の田園の中には第1楽章がやたら重く遅いのがあったと思いますが(あまり好きじゃないので滅多に聴かない)、それらに通じるところがありそうです。

クリュイタンス・BPO
①18分07②11分33③17分22④25分34 計72分36
クレンペラー・PO/1957年EMI
①17分00②15分37③14分57④24分23 計71分57
ヴァント・ケルン/1955年
①16分33②11分19③17分20④23分53 計69分05
カラヤン・PO/1955年
①15分08②10分08③16分04④24分10 計65分30
カラヤン・BPO/1962年
①15分27②10分58③16分25④23分58 計66分48
カラヤン・BPO/1976,77年
①15分21②10分04③16分50④24分23 計66分38

 演奏時間をみると72分を超えていて、この後に同じくベルリン・フィルを指揮した第九とは5分以上差が出ています。
第2楽章が短い、速目なのに対して第3楽章が長いというバランスはよくあるパターンで、特徴的なのは第1楽章の長さです。第4楽章もやや長目くらいです。第1楽章の長さ、全体の長さという点ではセッション録音ではないけれどフルトヴェングラーの多数の録音の中にこれを超えているものがありました。

 ベルリン・フィルとベルリンで第九をレコーディングするのに独唱者が全員ドイツ語圏の出身ではなく、ブラウエンステインは阿蘭陀、メイエルとゲッタは共に瑞典(漢字変換でこの字が出た)、ガスリーが亜米利加とばらばらです。シューリヒトとパリ音楽院管弦楽団の時はドイツ人が揃っているのと対照的です。しかしバスのガスリーは、ドイツ語発音がどうなのかは別にして、立派な独唱だと思いました。
19 9月

クレンペラー、フィラデルフィアOのエロイカ/1962年

210919aベートーヴェン 交響曲 第3番 変ホ長調 op.55「英雄」

オットー=クレンペラー 指揮
フィラデルフィア管弦楽団

*クレンペラー最後のアメリカ公演の年
(1962年10月19日 フィラデルフィア,アカデミー・オブ・ミュージック ライヴ 録音 Tobu Recordings)

210919b  以前よりメモリーズ(青白のデザイン)から発売されていて、音質がいま一歩、二歩だったクレンペラーが1962年にフィラデルフィアOに客演した公演集。それらがエロイカと田園を除いて正規音源から再発売されていました。さらにこの度「肝心のオール・ベートーヴェン・プログラムについては、オーケストラ・アーカイヴの音源に難があり、商品化が見送られておりました / 本年ついに良好な音源をペンシルバニア大学にて発見! これで3プログラムが全て揃いました 」と称して追加発売となりました。早速聴いてみると確かに音質は改善されていますが、エロイカの第1楽章は何となく金属的で微妙な印象です。これは残響が少ない会場の特徴とか色々あるので、セッション録音じゃないので、良い方なのでしょう。

210919c クレンペラーのエロイカは今ではかなり多くのCDが出ています。今回のものは1958年秋の大火傷による療養後の時期、ウィーン芸術週間でベートーヴェン・チクルスを演奏した後、1964年に自主運営のニュー・フィルハーモニア管弦楽団になる前の時期にあてはまります。EMIのレコードによって広く戦後のクレンペラーの演奏が浸透してきた時期にふさわしい、クレンペラーらしいテンポのエロイカです。余談ながら、このアメリカ公演の頃は、躁状態と鬱状態を周期的に繰り返すクレンペラーの、極度な鬱状態だったそうです。

 ~1959年以降、クレンペラーのエロイカ
フィラデルフィア・1962年ライヴ
①16分28②16分26③6分45④13分06 計52分45
PO・1959年・EMI
①16分36②16分52③6分36④13分14 計53分18
フィルハーモニア/1960年ライヴ・ウィーン芸術W
①15分30②14分36③6分07④12分10 計48分23
ウィーン交響楽団/1963年ライヴ・ORF
①15分54②15分05③6分17④12分41 計49分57

210919 この1962年のフィラデルフィア管弦楽団への客演はEMIの再録音と演奏時間が似ています。1962年前後のライヴ音源二種もクレンペラー・ファンには好評ですが、フィラデルフィアはそれよりもセッション録音の方に近い演奏時間になっています。クレンペラーのエロイカで特に日本では1959年のEMI盤が一番広く知られているでしょう。アメリカ公演当時、客席の反応は良好で、コロムビアレコードへのセッション録音の期待が一瞬膨らんだそうですが批評家層は良く言わず、クレンペラーの鬱症状もあってかアメリカでの録音計画は無くなりました。

 このエロイカを聴くとアメリカ録音計画が消えたのは残念で、オペラは無理でもマーラーあたりで録音しないで終わった作品をレコード録音していた可能性も想像してしまいます。今回のCD付属冊子の日本語訳にはクレンペラーの政治的姿勢、思考(けっこう支離滅裂)やらが載っていました。その中でフルトヴェングラーがニューヨーク・フィルの音楽監督に招かれた際の騒動時にクレンペラーが送った手紙のことが書いてありました。「芸術と政治が無関係であることは喜んで認めるが、芸術と道徳は不可分であると信じている」とフルトヴェングラーに書き送ったそうで、「道徳」とはどの口が言う、どの手がそれを書く?、と思わないでもないところです。まあ、ここでの道徳は、人間の命が水車小屋で摺りつぶされる麦粒のような扱いであることを認められない、認めるというのは普遍的な価値の問題であり、単なる立場や思想のレベルではない、くらいの重みと解釈して納得します。
18 9月

モーツァルト交響曲第38番 ベーム、ベルリンPO/1959年

210905bモーツァルト 交響曲 第38番 ニ長調 K.504 「プラハ」

カール・ベーム 指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(1959年10月 ベルリン,イエス・キリスト教会 録音 DG)

 皇室の結婚、与党の総裁選挙とテレビでも騒々しい限りですが、こちらは結石の疼痛に毎日一度は襲われ、そのたびに頓服を服用していておさまるのを耐えて待っていました。映画評論家の決まり文句じゃないけれど、「いやぁ、結石って本当に痛いもんですね」とさんざん思い知る一週間でした(しかもまだ決着していない
)。なんでも命に別状は無い三大激痛疾患といのがあるそうで、尿管結石はそれに当てはまるそうです。

 九月に入ったある日、結石に悩まされる前のこと、京都市内の郊外のある寺社の境内に居た時不意にモーツァルトの交響曲第39番、第38番がカップリングされたクーベリックとバイエルンRSOのレコードを聴いた時(1981年頃か)のことを思い出して、頭の中で第39番の冒頭から序奏が終わるところが流れました。多分国内盤ジャケットの写真と境内の風景が少しだけ似たところがあったからでしょう。

 ベームのモーツァルトと言えばついウィーン・フィルを頭に浮かべがちですが、箱ものの交響曲集はベルリン・フィルを指揮したものです。ウィーン・フィルとは10年以上後に後期作品が何曲か出ていました。今回の第38番は特に両端の楽章が雄々しく、輝かしくて個人的に好みに合うものですが、意外に速くはなくて抑え目?です。アンダンテ楽章は引き締まっていて、隅々まで美しいので前後の楽章いっそう引き立って聴こえます。ベームのフィガロ(1960年代のDG盤)についてK.宇野氏は面白くもかわいらしくもないというような意味の言葉で評していましたが、少なくともこの第38番、特に第2楽章は全く当てはまらないでしょう。

 モーツァルトのスペシャリスト、又は定評がある指揮者としてネヴィル・マリナーが挙げられることがありました。ベームとベルリン・フィルはマリナーのスタイルの対極とまではいかなくても、かなり遠い位置じゃないかと思います。何にしてもモーツァルトの交響曲はベートーヴェン以上になかなか理想的なスタイルが見つけ難い気がしています。
13 9月

ベートーヴェン交響曲第1番 カラヤン、ベルリンPO/1961年

210906bベートーヴェン 交響曲 第1番 ハ長調 Op.21

ヘルベルト・フォン・カラヤン 指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(1961年12月27-28日 ベルリン、ダーレム・イエス・キリスト教会 録音 DG)

210906a 九月の三分の一が過ぎても日中は30℃を超えています。百人一首の歌の一つに「秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども~」というのがありましたが、そんな秋を感じさせる風はほとんど吹かず、やや気温が下がったので蚊とかゴキブリはかえって活性化しています。それとは関係なくこのところ、また結石、尿管結石の疼痛に見舞われました。内科医院へ行っても特効的な処置はないものの、ぶり返すので再診したところ、超音波で検査してもらいはっきり結石の在りかが分かり、石排出促進の薬を処方してもらいました(そんなのがあるなら先に~)。ところが痛みのためボーッとしていて一回に二錠服用するその薬を勘違いして三錠服用してしまって、結石排出が促進されたせいか急に石が動き(痛い部位がズリズリッと下に降りて来たような)、さらに猛烈に痛んでよだれが流れ出るくらいでした。峠を越すとだいぶ楽になりましたが油断はできません。

カラヤン・BPO/1961年
①09分30②5分49③3分55④5分40 計24分54
クリュイタンス・BPO/1958年
①09分32②6分05③3分27④6分01 計25分05
カラヤン・BPO/1984年
①10分09②6分09③3分56④5分53 計26分07
カラヤン・PO/1953年/キングスウェイホール
①07分31②6分15③3分44④5分40 計23分10
クレンペラー・PO/1957年/キングスウェイホール
①09分52②8分53③4分05④6分18 計29分08 

 ベルリン・フィルによるベートーヴェンの交響曲第1番を先日のクリュイタンスに続いてカラヤン二度目の全集(一度目はフィルハーモニアO)から聴きました。クリュイタンス指揮の第1番から約三年経過した1961年なので、第1楽章冒頭を聴いたところで似た響きかなと思いました。そりゃ同じオーケストラだからそうだとして、それでも聴いていくと今回のカラヤンの方が分厚い響きの上に、凝縮したようなまとまり、四つの楽章で一つの交響曲という統一感のようなもを意識させられます。

 自分がカラヤンのベートーヴェンを最初に聴いたの(第5、7、9あたりか)は多分1960年代の全集からですが、「カラヤンのベートーヴェン」と言えば1970年代の三度目全集の名声が高かったかもしれません。1960年代のものはベルリン・フィルが高いピッチで演奏していたとか、色々言われていたようです。先の感想に加えると、何となく息苦しさのようなもの、圧迫を早くも感じる気もして、その点では古いクリュイタンス盤の方が魅力的かなと思えます。

 それでも「ああ、ベートーヴェン」という単純な重みのようなものは今回の方がより感じられる気がします。こういう本場感というのか定番感のようなものを世代によって変わり、ピリオド奏法が普及した21世紀にあっては1960年代のカラヤン-BPOはだいぶ古いスタイルになるはずです。自分の場合1980年前後に聴いていて、これがベルリン・フィルのベートーヴェンかと感心しました。もっとも後にクレンペラーの全集を聴くことになり、カラヤンやフルトヴェングラーといったベルリン・フィルをしょっちゅう(首席とか監督とか)指揮した指揮者によるベートヴェンだけが独墺系の本流であったわけじゃないと思うようになりました。
9 9月

ドン・ジョヴァンニ ミルンズ、ベリー、ベームVPO/1977年

210905bモーツァルト 歌劇「ドン・ジョヴァンニ」

カール・ベーム 指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ウィーン国立歌劇場合唱団

ドン・ジョヴァンニ:シェリル・ミルンズ
レポレロ:ヴァルター・ベリー
騎士長:ジョン・マカーディ
ドンナ・エルヴィーラ:テレサ・ツィリス=ガラ
ドンナ・アンナ:アンナ・トモワ=シントウ
ドン・オッターヴィオ:ペーター・シュライヤー
ツェルリーナ:エディト・マティス、他

(1977年7月29-30日,8月1,4,8,18,27日 ザルツブルク,祝祭劇場小ホール ライヴ録音 DG)

210905a 九月になって五輪の放送が完了したので夕方のラジオ放送が通常に戻りました。今年になってAMラジオで「心のともしび」を聴いたところ、あのテーマ音楽ではなくてベートーヴェンの田園交響曲の第1楽章が流れていて驚きました。テレビの方は放送が無くなったのであのメロディーを聴く機会は限りなくゼロになりそうです。ネット上のQアンドAで曲名を質問したものがあり、その回答によればアメリカの音楽制作会社に依頼した番組オリジナル曲で「Merriment
」というそうです。そういえば、ルター派系のラジオ番組、ルーテルアワーも運営団体が変わりちょっとイメージも違っていました。昔は「輝き世を照らすあしたは近し~」の讃美歌を盛大に流していたのに、今は歌詞無し、器楽だけで編曲も変えていました。

 ベームによるモーツァルトのオペラ全曲盤とえいば1960年代に録音したDG・フィガロと魔笛、EMI・コジのセッション録音が有名でした。ドン・ジョヴァンニはこのライヴ盤、プラハでのセッションとDGから二種があったけれども決定盤、定番的な扱いではなかったと思います。序曲とか地獄落ちの場面の音楽をおもうとベームに合いそうなのに意外に地味な評判でした。

 このザルツブルク音楽祭のライヴ盤は客席の拍手や舞台上の音も入っていて、当日の反応は良好のようです。ここ何カ月の間に何度とな聴いていながら強烈に突き刺さるようなところがあまり無くて、微妙な印象のままです。デモーニッシュな要素を強調するようでもなくて、喜劇的な面が前面に出るとまではいかなくて、中庸と言うべきのか、音楽重視でこれこそ作曲者の意図に沿うものなのか。何にしてもオーケストラの音楽から伝わるえも言われない香気のようなものには感心させられます。

 主要キャストではアンナ・トモワ=シントウ、ペーター・シュライヤーとベリーが目立っていましたが、ドン・ジョヴァンニと騎士長はちょっと地味で、特に前者は堅気の人間のような空気です。モーツァルトのオペラでどれか一つを選べと言われたら(誰もそんなことは言わないけど、50年以上生きてきたけど一度もきかれなかった)まずドン・ジョヴァンニを最初に思い浮かべますが、何から何まで行き届いた全曲盤はなかなか無いものだと思います。なお、ドンナ・エルヴィーラ役のテレサ・ツィリス=ガラは先月に91歳で亡くなられたと出てインした。
4 9月

ベートーヴェン交響曲第1番 クリュイタンス、BPO/1958年

210904bベートーヴェン 交響曲 第1番 ハ長調 Op.21

アンドレ・クリュイタンス 指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(1958年12月 ベルリン,グリューネヴァルト教会 録音 EMI)

210904a 先日雨のやみかけたところで京都市内の東西の通、押小路通を西へ向かって歩いていると割烹か何か和食の店の戸が開いていたので、通りすがりに中を見るとカウンター席だけで中がすっかり無くなって、片付いているのが見えました。そこはコロナ禍の少し前に竣工したビルで、2階から上が宿泊施設になっている小さな建物でした。盆以降の緊急事態宣言で酒類提供不可が止めとなったのかもしれません。一度も入ったことがありませんが似たような状況のところ全国に多数あるはずです。零細な店、政権に近い筋にお友達が居るわけで無し、政府系の融資が注ぎ込まれることはなくひっそりと閉店のようでした(貼り紙も無かったので休業なのか、推して知るべしなのか)。そんな中で九月に入り、金曜日のお昼にやっと外へ出た際に半袖では上着があった方がいいかな、くらいの気温になりました。

210904 さて、少しだけ、一時的に涼しくなって一曲をまるまる聴く気力が出てきました。ベートーヴェンの交響曲第1番、ベルリン・フィルが一人の指揮者でベートーヴェンの九曲の交響曲を全部録音したことで有名なクリュイタンスの全集から聴きました。久々にSACDで聴いてみたところ、どうも音が拡散し過ぎたようなぼやけたような感じに聴こえたので、通常のCD層(SACD非対応の機器)で聴くとかつて聴いた時の記憶がよみがえってきました。冒頭から明朗で、バロックの組曲を思わせるようなおおらかさでした。

クリュイタンス・BPO/1958年
①09分32②6分05③3分27④6分01 計25分05

シューリヒト・パリ/1958年
①08分11②5分57③3分25④5分55 計23分28
カラヤン・BPO/1961年
①09分30②5分49③3分55④5分40 計24分54
カラヤン・PO/1953年/キングスウェイホール
①07分31②6分15③3分44④5分40 計23分10
クレンペラー・PO/1957年/キングスウェイホール
①09分52②8分53③4分05④6分18 計29分08 

 SACDハイブリッド版の日本語解説(満津岡信育 氏)によると、「クリュイタンスの指揮はイン・テンポを基調とし、弦楽セクションと管楽器陣を鮮やかに噛み合わせつつ、随所で木管のソロが晴朗に歌い上げて行くスタイル」で、「ドイツ系の指揮者が行うように、強弱と速度変化を絡めてドラマティックに盛り上げたりしない」ということですが第1番を聴いても成るほどと思います。盛り上げないとしても終始引き締まって、この曲らしいどこか張り詰めて、前へ進む勢いのような感覚はよく現わされていると思いました(前回のベーム、ウィーン・フィルよりも)。

 このクリュイタンスのベートーヴェンを録音し出した時期は、ベルリン・フィルがカラヤンと共に初めて来日した1957年11月のすぐ後ということになり、クリュイタンスの全集からたいして間を空けないでDGへカラヤンとベルリン・フィルが初のベートーヴェン全集に取り掛かっているのが興味深いところです。ついでにフルトヴェングラーの没後から五年と経ってない頃でもありました。
29 8月

コジ・ファン・トゥッテ シュッティ、モラルト、VSO/1955年

210828aモーツァルト 歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」 K.588

ルドルフ・モラルト 指揮
ウィーン交響楽団
ウィーン国立歌劇場合唱団

フィオルディリージ:テレサ・シュティッヒ=ランダル(S)
ドラベルラ:イーラ・マラニウク(A)
デスピーナ:グラツィエッラ・シュッティ(S)
フェランド:ヴァルデマル・クメント(T)
グリエルモ:ヴァルター・ベリー(Br)
アルフォンソ:デジェー・エルンスター(Bs)

(1955年 ウィーン 録音 FHILIPS)

210828b 先日のある日(といってもかなり前になってしまった)、あるところを通り過ぎた際に何かが違うと思ったら、お地蔵さんかなにかの祠が無くなっているのに気が付きました。駐車場が閉鎖になっていたから何か建つのかと思っていたらコインパーキングになりました。滋賀、京都は夏に地蔵盆というのが盂蘭盆とは別に行われる習慣があって、お地蔵さんの祠かお堂のような小さなものがあちこちにありました。それを移転するにしてもどこが窓口、交渉相手だったのだろうと思い(まさか右傾化のノリで廃仏棄釈によってそのまま破却ということはないでしょう)ました。

 このコジ・ファン・トゥッテはモーツァルト生誕200年のメモリアル年だった1956年に向けて旧フィリップス・レーベルが制作したオペラ全曲盤のシリーズの一つでした。フィガロはベーム、ドン・ジョヴァンニとコジがモラルトの指揮で、オーケストラはウィーン交響楽団です。DECCAがウィーン・フィルと同じようにオペラの全曲盤を揃えてきていたので、歌手も重ならないように当時のウィーンで活躍した顔ぶれを集めています。デッカの全曲盤に対してこちたフィリップスの方は地味な評判だったのか、レーベルが吸収されたせいかCD化も遅れたり廉価シリーズのみでした。中でもコジ・ファン・トゥッテは新譜当時の評判が割れたのか、CD化されたかどうかも未確認でしたが、最近になって何種かCDになっていたのが分かりました。今回はLPの再発売版が入手できたのでようやく聴くことができました(初期盤は高価)。

 LPで聴いてみるとなかなか良くて、同じモラルト指揮のドン・ジョヴァンニよりもオーケストラ演奏が素晴らしい気がしました。軽快というテンポではないものの歌手のアンサンブル、バランスが良くて舞台の映像が目のまえに無くても作品の世界が広がるような心地です。女声は原作、台本のイメージからすればちょっと歳が上かなという印象ですが、味わいがあり、好印象です。新譜当時の評がネット上に出ていましたが、結構辛口で各人物のアリアが十分性格を表していないという論調でした。

 そこのところは良く分かりませんが当時のウィーンで活躍した歌手、モラルトらによる全曲盤(省略された楽曲はある)なので貴重です。ところで同じく1950年代前半にグイド・カンテルリとスカラ座によるコジの全曲盤があり、CDの時代ではそちらの方が有名ですが、このモラルトとはかなり違い、軽快なテンポで駆け抜けるような演奏でした。そのスタイルを念頭に置くとモラルトの方は鈍重となり、作品の世界とは異質ということになるかもしれません。ただ、モーツァルト=独墺系、という感覚からすればむしろカンテルリ-スカラ座の方が異質のような気がします。
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昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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